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はてなキーワード: 生物とは

2018-02-21

全員集合で各自能力を発揮してるシーンって燃えるよな

たとえば学校がなぜかゾンビに襲われたときに、

物理技術先生物理武器作ったり、化学生物先生薬品武器作ったり、

国語数学先生ゾンビ気持ち確率で退避ルートを割り出したり、

歴史先生歴史から弱点探し出したり、英語先生意思疎通を試みたり、

家庭科先生カレー作ったり

今日多々良川

雨が降りそうなくもり

あったかい寄りの涼しさ

というか春!春を感じた!

冬の終わりじゃなくて春の始まり

多々良川の春は今日まりました!

よろしくお願いします!

水位低い 2割くらい露出

池内にカモ2

甲羅干しの亀は無し

サギもなし

今日生物すくないな(ガッカリ

と思ってたら、橋渡り終わるタイミングで頭上5m(体感)くらいの高さをトンビが旋回しててビビった

最初はたまに見る飛んでるサギかと思ったから余計にビビった

こんなに低いとこを飛ぶとこなんて初めてみたかめっちゃ新鮮だった

最初ワシとかタカにも見えたけどそんなんいるわけないしまトンビだよな

かっこよかった

川みてエサ探してる感じがした

感じるはずがないけど、トンビが川見てる視線を感じたか

あと月曜の朝かきわすれたけど肩に犬のせてるおじさんがいた

なんかむりやり肩に座らせようとしてる感じだったけど、いかんせん犬は人間みたいに座れないからなんかすごい不安定で窮屈そうだった

小型の秋田県みたいな感じのやつだった

2018-02-20

タバコを吸う事と危険行為をして生き残ってる自分愉悦

タバコを吸い続けるのは、中毒からっていうのはもうどうしようもな事実

まり病気

問題は、最初になぜタバコを吸おうと思うようになるのか。

第3のチンパンジーという本では、もともと動物には、自分リスクを冒しても生き残っているというアピール生殖のために雌を獲得しやすくするという説があると説明してる。

どういうことかというと、

危険行為をすると自分死ぬかもしれないし死にぞこないになるかもしれない。だが、それでも自分は見事に危険行為を乗り越えてるというアピールになる。

そうすると、生物的な雌は、この相手遺伝子リスクを乗り越えられる優秀なものだと思うようになっていて、危険行為をやってのけた雄に関心を持つのだそうだ。

頭で考えているというより、長い長い生物遺伝子歴史で獲得された有能な遺伝子を残す方法のようなものらしい。

身体に害があるようなことをできるんだというアピールのために、危険な事をやってしまうという遺伝子の操縦がおきて

そのために、タバコ身体に悪いといわれても、否、タバコ身体に悪いといわれるからこそ、タバコを吸ってみよう吸って生活しようとしてしまう。

そして、タバコ、正確にはニコチン中毒性を持っているので、あとは、危険からやめたいと思っても、もはや止められない身体になってしまってる。

頭では、ただの嗜好品、楽しむために吸っていると思っていても、実際には、遺伝子生理学的な作用によって、吸わされて、また、そう思わされている。


人は弱い生き物よ。

anond:20180219232323

喫煙者は全員強制的隔離施設にぶち込むべきだと思う

受動喫煙防止のために、JAISTでは喫煙後45分間の立ち入り禁止が決められたそうだが、

ネット周りの意見を見ると、いまだに昭和脳の喫煙者どもが「やりすぎだ」と騒ぎ散らしており、本当に見苦しい。

ある者は「いったいどこでタバコを吸えばいいのか?」などとほざくが、とっとと禁煙する以外に何か選択肢があるのか?

禁煙が辛いなどとアホなことを言っている低能もいるようだが

体に悪いことを知っていながら自分勝手に吸い始めたのだから禁煙するのも勝手に苦しめばいい。

本当に禁煙したいと思っているならば、医者の手を借りてでも止められるだろう。

アルコール中毒なら、医者の手を借りるくせに。要は本気度が足りないのだ。

もし禁煙できないものがいるならば、一生家から出てこなければいいだけの話。こんな簡単な話もニコチン中毒者は理解できないのか。

まるでアル中患者のソレと同じだ。アル中患者が「じゃあどこで酒を飲めばいいんだ?」なんて言い出したら

当然施設にぶちこまれしかるべきだ。一人で急性アル中になるなら勝手死ね案件だが、酔っぱらって交通事故引き起こしたり、

他人暴力を振るったりするなど、アルコールもまた単なる嗜好品のくせに他人迷惑をかける点で何らニコ厨と変わらない。

アルコールについてはバックにいるスポンサー関係から排除論が揉み消されているだけの話であり、どちらも等しく滅びるべきだ。

はっきり言って喫煙者アル中同様、穢れそのものである身体有害であることを理解しながらそれでいて

なお有毒物質摂取し続け、かつ他の人間迷惑をかけ続ける「花粉をまき散らすスギ」のような人外生物

とっとと隔離施設にぶち込んで、人間さまに迷惑かけないようにするべきなのである

2018-02-19

anond:20180219114242

なんとなくわかってきた。お互い大分遠い分野にいるな。

そっちが挙げてきた理系分野の例は動物学とかなんだが、増田数学物理天文学地学化学分子生物あたりの理系の印象で語ってた。こっちではBook Review欄はあっても純粋教科書の評判であって専門的な議論としてはほとんど読まれてない。文系書籍事情無知だったのはすまない。

追記で書いたけどシビリアンの戦争博論書籍化だっていうのは一応評価してて、ただよくも悪くも売れてしまって一般人から評価されてしまっているのでもっと専門家からの論争がちゃんと前に出てこないと駄目なんじゃないのっていうのはある。

指摘の通り、理系では実際に関わっている人が多くてオーサーが多人数になってしま論文や、関わってる関わってないの境界線上でギフトオーサーシップ問題が除けていない(オーサー定義理系内でも分野によって慣行が違う複雑な問題)ということもあって、人の実績を眺める時どうしても割り引いていく思考になってしまう。コネ採用を当てにするんでなければ、これは確実にこの人の成果だねっていう目に見える業績が欲しいところ。査読なしや日本語発表はあったとしてもこれ評価されないよなって諦めながら実績欄に書く。ショボいって煽ったのはよくなかったかもしれんが、元増田もそこで三浦ダメだって決めつけてはいなくて(上の教授には大事にされてるんだし)、最後の行で実際の学会の評判どうなのよ?って知ってる人に疑問を投げかけたつもり。ブコメちょっと拡大解釈して三浦をディスってる人もいるけどそこら辺は元増田責任を持たないし、自分テレビ解説する学者としての能力があると示すのは三浦説明責任


文系に関しては外国研究とかはあまり視野になかった。自分日本文系で二流分野って評判を聞いてたのも、主に経済学とかであとは社会学系(あまり各国の文化に根ざさないやつ)の知り合いからだし。

文学外国研究に関しては各国の大学自国語で教える意義も大きいし、各国が独自コミュニティ多様性のある研究をする意味もあるのだろう。哲学理系元増田もよくわからん。活発に議論したいなら翻訳頑張れってところだろうか。最近文学系は国から予算削減や学部再編の風当たりが強いようなので当たってなくても流れ弾に敏感になるのもわかる気がする。


国際政治学」に関してはどうだろうか?ここまで議論してわかったが英語論文を書くべきかを決めるのは理系文系かじゃなくて、グローバルなつの学会形成すべき分野か否かってことだと思う。グローバル化効率化に繋がるが一方でローカルの軽視につながる。自然科学世界は一つでなければならない。日本アメリカ物理法則が違ったら困る。日本語研究重要性を説く文系増田だって理系もっと日本語論文を出すことに意味があるとは思っていないだろう。

テーマにもよるが経済学国際関係世界的な一般性を持つ話題だし、国民からもそういった研究が望まれていると思う。日本語で高みを目指してはいけない理由はないと言えば聞こえはいいが、高みに至る勝算がないなら結果は世界から無視されるだけだ。そういった分野は日本語固執してはいけないと思う。

あと単純な利便性。これは日本学会世界で有力になるのとは別の問題。喩えるなら日本常任理事国を目指すことには世界メリットもあるだろうが、日本語国連公用語を目指すと言ったら他の国に迷惑から止めろというべきだろう。

2018-02-17

anond:20180217213834

え、意思疎通ができない気持ち悪い生物をどうして怖がらないの?

https://anond.hatelabo.jp/20180217110301

後進国のほうがむしろ「人」の生物特性としての「女性」の尊厳を大切にしているということではないかな?

先進国は人の頭脳の巧みな発達によって、人の生物としての特性をもコントロールしようとしているということ。

女性社会進出(?)するということは子供を産まなくなることだというのを最近聞いて納得した。

性を売ってる主体女性って時点で全然説得力ないんだよな。どこまで行っても。

飢餓感に漬け込む手段を取るのに躊躇がない生物。そりゃ見下げられて当然です。

ウインナー日本人に向いていない理由

俺も子どもの頃、ウインナーを食べられなかった。

なんかゴムを食っているみたいで、正直まずいと思った。

大人になった今では食べられるようになったけど)

なぜ、ウインナー日本人の味覚に合わないのか?考察してみた。

ウインナー起源

ソーセージもしくはヴルスト(フランス語: saucisse, 英語: sausage,ドイツ語: Wurst)とは、鳥獣類の挽肉などを塩や香辛料で調味しケーシング等に充填した食品

保存食としての伝統的なものとして、刻んだ肉と塩を食べられる袋状の物(ケーシングという)に詰めて作られる。

ウインナーソーセージ - 太さ20mm未満で羊腸を使用したものオーストリア・ウイーンに由来)

1910年明治43年)にドイツ人コックであったマーチンヘルツ横浜市山下町にて小規模ながら純ドイツ式ハムソーセージの店を開き、外国人販売していた。

から100年ほど前の1910年に、ドイツ人マーチンヘルツ氏が、日本ソーセージ製造販売していた。

日本食文化の中では、比較歴史の浅い食品と言えるだろう。

日本独自の発展

たこさんウィンナー

赤いウインナー

日本商品として、赤色102号、コチニール色素などで表面を赤く着色したウインナーソーセージがある。

現在ではたこさんウィンナー代表されるお弁当定番として多くの日本人の支持を得ているほか、アニメなどを通じて日本固有の食材として海外にもその存在認知されている。

魚肉ソーセージ

日本では魚肉を加工・包装した食品販売されており、これを魚肉ソーセージというが、単にソーセージと呼ぶ場合もある。

洋食の普及への対応魚肉の保存性向上を狙い、大正時代から日本各地の水産試験場魚肉使用したハムソーセージ食品の開発が進められた。

日本人の味覚には、陸上生物(牛、豚、羊、鳥など)ではなく、海産物(魚)のソーセージの方が向いていたのかもしれない。

魚肉ならソーセージである必要もなく、ちくわかまぼこ等でも良いのではないか

保存食品必要性 

いずれにせよ、冷凍技術の発展により、生肉をいつも食べられる現代人にとって、大昔に開発された保存技術ソーセージ)をわざわざ食べる必要性もないと思う。

加工食品には大量の保存料が使われており、ソーセージにもリン酸塩がたくさん使われている。

 

フードファディズムではないけれど、自然災害などで避難生活をしているわけでもなければ、日常生活ではなるべく新鮮な生の食材を使うようにしている。

(もちろん保存食品でも、単に乾燥させただけで、添加物を加えていない食品もあるので、一概に保存食品安全性否定するつもりはない。)

 

味覚のバリエーションとして、普通生肉とは違う食材を使いたいときだけ、あえて保存食日常生活でも食べる意義はあるのだろう。

いつでも生肉を使える現代人が、保存食として開発されたソーセージも食べる理由は、味覚のバリエーションを増やしたいという要望以外には、価値がないような気がする。

(他に、わざわざソーセージでなければいけない理由はあるだろうか?)

 

 

なぜだろう

食べられない

2018-02-16

anond:20180215230733

特異な能力を持っているといえる。

サヴァン症候群 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

映像記憶 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A0%E5%83%8F%E8%A8%98%E6%86%B6

映像記憶えいぞうきおく、英: Eidetic memory)は、生物が眼に映った対象映像記憶したもの、またはその能力のこと。写真記憶直観記憶ともいう。

ヒトでは幼少期にこの能力普通に見られ、通常は思春期以前に消失する。だがこの「消失」とは、その能力自体消失か、それとも、なくなった様に思えても潜在的には存在しているのか、正確にはわかってない。

[] #50-1「猫の生殺与奪権」

俺は猫を飼っている。

猫の名前は“キトゥン”。

我ながら酷いセンスだ。

キラキラネームのほうが、まだマシだったかもしれない。

有名な猫のキャラクターを参考にして名づけたのだが、それが安易だと気づくのはしばらく後になってからである

その頃には完全に定着してしまい、そいつは「キトゥン」と呼ばないと反応しなくなっていた。

俺も面倒くさいので改名はしていない。

ゾンザイだと思われるかもしれないが、実際その通りだと思う。

なにせ俺は猫が好きでも嫌いでもない。

好きでも嫌いでもないものに対して、人はとても薄情だ。

今でこそキトゥンという個に対しては多少の情こそ湧いているものの、それでも猫自体が好きなわけではない。

そんな俺がなぜキトゥンの飼い主なのか。

大してドラマティックでもないが、今回はその出来事について話そう。


…………

から数年前。

自分から見ても一般社会から見てもガキとして認識されている歳だった頃。

その日は弟や学童仲間と連れ立って、近所の空き地で遊んでいた。

そこで皆が思い思いの遊びをする中、弟がするのはもっぱら生き物探し。

その空き地は色んな生物がひしめいていることで有名だった。

名前すら分からない虫や動物がその空き地には多くいて、当時は何とも思わなかったが、いま考えるとかなりヤバい空間だった。

「見てよ、兄貴! この虫、すっげえ見た目!」

俺が当時ガキだったわけだから、弟に至ってはもっとガキだ。

好奇心の塊で、虫や動物を平気で触ろうとする。

俺はそういったものに対して抵抗感を覚え始めており、その様子を遠巻きに眺めるにとどめていた。

兄貴! 珍しい猫がいるよ」

弟は無造作に置かれた土管近くでそう言った。

「ああ、そうかよ」

「本当だって! 見てみなよ!」

俺はテキトーに聞き流すが、弟にせがまれて渋々と猫を見てみる。

首輪がないので野良だと思うが、人慣れしているのか至近距離まで近づいても猫は平然としている。

全身が白い体毛で纏われているが、背中部分だけは妙に赤い。

まりに不自然だったので最初は怪我をしていると思ったが、血の色にしては鮮やか過ぎるので柄なのだろう。

「ニャー」

鳴き声も独特だ。

猫の鳴き声を文字に起こすとき「ニャー」と表現することは珍しくない。

だが実際にここまで、ハッキリとそう鳴く猫は逆に奇妙だった。

かに弟の言うとおり、今まで見たことないタイプの猫である

「え、なになに? 猫いるの?」

鳴き声を聴きつけ、他の学童仲間たちがゾロゾロと集まってくる。

すると猫は警戒したのか、逃げるようにどこかへ走っていってしまった。

「ああ~、いっちゃった……」

みんな残念がっている。

学童仲間はみんな猫好きだったのだろう。

猫の何がそんなにいいんだか。

そう思いながら学童仲間たちを俯瞰して見ていると、一人だけ険しい表情をしている奴がいるのに気づく。

ウサクだ。

(#50-2へ続く)

2018-02-15

SCP風のやつ 書き掛け

極部不可侵地域略称極侵帯は通常いしと呼ばれ太陽系外縁部より飛来したとされる相互環境改変機構の影響下にある区域であり

その一帯はいしの構成要素と成り自己確変因子へ組み込まれ著しい変質が進んでいる

地球上でいしの存在確認された地域は3箇所である

1919年2月某日にいしが飛来したことによりパッシェンデール近郊に異変が生じた

偶然、飛来の瞬間をを天体観測趣味としていたアーダルベルト・ゼールバッハが目撃していた

証言によればいしは赤々と燃えながら速い速度で落下していたその物体は奇妙なことに小刻みに振動しているように見えたそうだ

そして調度、物体が地上と空の中ごろに差し掛かったところで急停止し針路を大きく変え南方へ方向転換し徐々に速度を落としながらパッシェンデール方面へ落ちたということであった

パッシェンデール近郊は第一次世界大戦の激戦地であり長らく無人であったまた惨禍によって大量の有害物質が残っており特異な環境存在していた

2月中旬人も生物も寄り付かないこの地にに突如として生物の大移動が始まる周辺住民野生動物の移動を訝しがっていたが3月初旬にはその列に彼らも加わった

この時点でパッシェンデール近郊において何らかの異変が生じたことが公のものとになる

地元警察と行動心理学生物学など様々な分野の研究者らが協力しパッシェンデールへ調査へ向かう

その日のうちに様々な報告が入る……

翌朝、音信は途絶し彼らは2度と帰ることはなかった

anond:20180215145932

うちは夫婦間で似たようなことが起こっている。私が「説明が足りない」って怒られる側。これまで家族や友人から指摘された事は無い。

うちの場合、会話中に言葉(表面)しか受け取れてなくて、その背景にある意図目的とか考えとか流れについて考えてないのが原因っぽい。

これがわかると、次の流れも予想付くし便利なんだけどね…

でも増田場合は違いそうだね。

なんというか、思考回路が違いそう。どちらが正しい間違ってるじゃなくて、単に違う。だから理解しあえない。

その前提を「相手のせい」って思っている内は穏やかなやり取りできないのでは。別の星の生物だと諦めるしかないのかもしれない。

来年絶対に異性からチョコを貰える方法

もしくはあなた人生を思い通りにする方法

割りと真面目に書きます

ただし、ここで達成する目的あなたが愛おしく思う相手からチョコを貰う方法ではありません。

異性からチョコを貰うための方法です。

定義

世界の全ては確率の結果によって出来ている

手段

チョコをくれるであろう異性が多く存在する場所で何かしらの活動をする

実例

料理教室に身を置く

男性では珍しい分野の習い事をはじめる

男性が珍しい職場で働く

ここまでの内容で、全てを理解できた人はこれから先の未来を思い通りにコントロールできる人です。

ここまでの内容で何も理解できなかった人は、これから先も得られないものを渇望し続ける地獄のような日々を生きる人です。

そうはならないために、最大のヒントを送ります

はじめに定義した、「世界の全ては確率の結果によって出来ている」という内容に注目してください。

あなたが今まで得てきたもの、失ってきたものは、全て確率の結果によって生じています

あなたが運良く手に入れたものもあれば、あなたが運悪く失ったものもあります

そこで注目したいことは、この確率は、あなた生物である以上、ある程度までなら能動的にコントロールができるということです。

確率と結果の因果関係は、確率の分母と分子試行回数で決定されます

しかし、その結果においては全てがその瞬間のくじ引きによって行われ、100%に近づけることはできても100%にならないのと同時に、0%に近づくことはできても0%にはならないという性質を持っています

過去あなたは全く起こり得ない確率の中で、成功や失敗を繰り返してきたのではないでしょうか。

その都度、確率はあてにならないと諦めてはいませんか?

確率は結果を約束するものではありません。

しかし、長い人生の中で、積み重ねる試行回数が多ければ多いほど、確率どおりに結果は収束していきます

これは確率が結果に近づこうとするようなオカルトいたことをいいたいのではなく、積み重ねる試行回数の総数に比べれば一時の確率の偏りは微々たる誤差にしかならないからです。

そんな微々たる誤差を、人生が終わってしまたかのようなトラウマにしてしまう人の多きこと!

勝者とは最後に立っていたものを指します。

魚のいない水たまり釣り竿を立てて釣れないことを嘆く人生を過ごしているくらいなら、魚が沢山いるかもしれない未知の世界を目指しましょう。

平たく言うと、あなたが思うような結果を得られないのは、あなたのせいではなくてあなたがいる場所のせいかもしれないということです。

今のあなたは、今のあなたを取り囲む環境の結果によって作られています

あなたを変えたいのならば、変えるべきはあなたではなく環境です。

残念ながらこれだけがこの世界が持ち得るたった一つの真理です。

https://anond.hatelabo.jp/20180215081833

お前みたいな脳みそがなさそうなやつに

脳みそがある生物は抱かれない

2018-02-14

anond:20180212220528

元増田は本当にお疲れ様

前に飼っていた猫は乳癌で長く闘病していたのだけど、生まれた時から一緒に育った猫だったので大変辛かった。

その頃のことを思い出したのは、昨日、その後に飼った別の猫が死んだからだ。便乗するのを許して欲しい。誰かにまれたいわけじゃない。吐き出さないとつらい。


今回の猫は心臓悪化から機能が低下して内蔵まわりを水びたしにして呼吸困難で死んだ。

そんな疾患を意識したこともなく、ほんの三日前の午前中まで元気に普段通りに過ごしていたので寝耳に水としか言いようがない。

細かく書こうとしてみたが、すでに出来事の順番が曖昧になっていることに気づいたのでやめた。ともかくジェットコースターだった。レールが出発地点に戻らずちょん切られていて池の中に放り出された感じだけど。

前述の癌の猫について、飼い主の都合で痛みを長引かせてしまったという自覚があることと、呼吸困難の苦しさ(丸二日間ずっと苦しみ続けて睡眠もとれないのを目の当たりにみしている上、完治の見込みは一切無い)を考慮して安楽死を選んだ。

選択自体には後悔は一切していない。猫はもちろん一秒でも長く生きることを選ぶだろう、意識だってまだあるのだ。自分の顔を声を、撫でる手を認識している。酸素室で比較的楽な一瞬、しっかりとこちらを見て立ち上がった時、確かに意識はしっかりしていた。でも、苦しさが限界まできてから眠らせるんじゃ意味がないと思った。少しでも早く楽にさせてあげたいと思った。口から垂れた水滴がうっすらと紅色だったのを見て、呼吸困難の後、血を吐くというのは本当なんだと思ったし、そこまでさせるのは本当に可哀想だと思った。前日の夜、撫でさすりながら「この呼吸困難は落ち着くことはない」と悟った時の悲しさは深くて、その時にもう決断したのだ。落ち着かないんだから、早い方がいい。でもそれは今日その日のことだとはわかっていても、何時何分になるのか、どうやって決めればいいのか。その瞬間までずっと考えていた。今はまだ撫でれば寄り添ってくる。声をかければ反応がある。尻の付け根を撫でればしっぽも跳ねる。でも決めてしまったら最後もう二度と触れあえない。

バックヤードに入って声をかけてから就業時間ギリギリまでそばにいる許可を得て、酸素室のそば椅子に座って猫をずっと眺めていた。猫は午前中は水を飲んだりできるまでに安定していたが、午後から酸素室に入れる前のように口を開いて呼吸する状態に戻っていた。心臓を圧迫するから俯せになるより座る姿勢の方が本来は楽なのだが、疲れているので伏せっていた。どうにもできないのでアクリル板の前で声をかけていた。顔と顔を付き合わせてスリスリするのが好きな猫だったので、なるべく顔を近づけて、たまに話かけるようにしていた。

しばらくして猫が体を起こした。そのまま頭をアクリル板に擦り付けスリスリとした時、私は撫でてやることができなかった。すぐに猫は座りなおし、また伏せてしまった。この仕草が猫から最後要望だったこと、それにその瞬間に応えてやれなかったことだけが、後悔として未だに引っかかっている。最後の瞬間まで何もかもを飼い主が勝手に決めるんだから、その時の「撫でて欲しさ」くらい絶対的に満たされるべきだった。

その後、酸素室を明けてもらってチューブを口元に持って行きつつ撫でたりもしたし、それで尻尾はピンと張ったけど、そんなの飼い主が触りたくて触っただけだし、今こうやって失われた手触りを惜しんでボロッボロに泣いているのも飼い主の勝手なのだ

死も病も生きとし生けるもの代謝を続ける生物すべてに降りかかる災難であって、この出来事もことさら特別運命ではない。だけど、なんでついこの間までピンピンしてたのに撫でて温めても治らないのかわけわかんないし、その直前に何か特別なご褒美がないものか、よくわからんと感じてしまうのだ。ペットとして生きものを振り回している人間の罪悪感から来ているとか、そういうたいそうなもんじゃなく、あの時に応えてあげたかったと、叶わなかっただけに後悔というより残念感がドーッと心を浸したまま浮き上がることはたぶんない。

安楽死想像よりも一瞬の出来事で、ハッキリ言ってまだ生きてる状態なのではと思いつつ死体を抱えて帰宅したが、やはり運動としての反応がない以上、死んだものではあった。体温は一月の寒さ程度では全然去らず、猫を抱えているとき特有の暖かさがあった。その意味ではまだ肉体は生きていた。肉体が生きている、感触は変わらず生前のままなので、猫とはまだ別れていない、「魂はまだ離れていない」という感覚ストン理解できた。通夜をするのだと決めた。

猫を抱いた人は了解されていると思うが、猫を抱くというのは小さいものの魂を抱くということだ。あれの温かさはそういう種類のものだ。スピリチュアリズムとかではなく、あんなに小さくて柔らかくて温かい繊細な感触をするものが、電池もなしに瞬発力を持って動くことに感動する。あの感触を得るために(あと鳴き声や舐める舌を得るために)人間は猫を飼っている。

この撫で心地を一瞬でも多く体験したいと思って、コンパクト姿勢にまとめて、体から熱が去らないようにバスタオルで包みながらずっと撫でていた。

やがて家族が飯の支度が出来たと呼びに来たので、二回目の呼び立てで立ち上がって猫を置いた。いつまでも続けているわけにはいかないのは分かっている。ただ、失われるものを少しでも得たいという、やはり飼い主の勝手欲望であって、そんなものは不純な気もしたが別れの儀式なのだと思えば許されるのではという気もした。

寝る時はベッドのそばのローテーブルに安置した。なかなか寝入れないので無料ガチャを回そうとソシャゲを起動したのだが、そういえば一昨日もこれをプレイしつつ俯せになっていたら猫が胸の下に入り込もうと邪魔をするので追い払っていたなと思い出した、とその時は泣かなかったが今泣いている。そのことは特に後悔はしていない(猫は実際に邪魔な時は邪魔だ)のだが、失われた瞬間の尊さときたら途方もない。猫が生きている時は「寂しい」の気持ちは押し込められていて、ともかく理不尽な病に苦しめられている猫の「運命」が「可哀想」だという気持ちで頭がいっぱいだったのだが、死んでしまうと寂しいに浸ることが許される。寂しいは自分状態への反応なので、順番を間違えてはいけない。

翌朝、猫の体は冷えていたが、水が溜まった下腹部がぶにぶにとしているせいで毛並と相まって生前の手触りを保持していた。腹に顔を埋めると猫本来香りは一切しなかった。発症してから口臭や小便の匂いもせず、口鼻や肛門に詰め込まれている綿と、昨夜寝かせる前に口元を拭った時の消毒剤の匂いがした。

その後、猫を弔ったわけだが長くなりすぎたので割愛する。

私が猫を看取ったのはこれで六匹目になる。回数を重ねるにつれ慣れるものだと感じていたのだが、正確ではなかった。この最後の一匹になる前は多々飼いをしており、一匹が死ぬことで猫の気配がなくなるということはなかったのだ。

最後の一匹になってから四年。この一匹だけは老衰でヨボヨボになりボケてあちこちに放尿するのを世話しながら息を引き取ることになるのかなと、なんとなく考えていた。



ペットロスという単語検索してみたら気が滅入った。

例えばこの文章を書きつつ号泣するというのはよくわかる。自分体験を振り返り、気持ちを盛り上げて文章化するものからだ。

だが、なんの切っ掛けもなく涙がこぼれることがあって、その時の心境は確かに「悲しい」だから心体は一致しているものの、ささいな刺激で表出するので本当に困る。「悲しい」には悲しいし、寂しがっているのだが、そうしたいと思っていないのに気持ちが昂ぶってしまい困る。

その一方でその気持ちから断ち切られたくないと考えている自分もいる。猫の感触仕草を声を忘れたくない。何度も振り返って記憶に焼き付けたいと願っている。その中でその愛している相手がこの世のどこにも存在しないことを感じて自動的に涙が流れる

時間解決することはわかっている。涙がなくても気軽に思い出せる日はたぶん遠くない。でも今はいっぱい悲しい。悲しいので涙が流れるし鼻水は垂れるし、一昨日からずっと目蓋が腫れぼったいしおでこまわりが熱いし、今年はもう必要ないなと思っていた鼻セレブを買った。

猫のことが悲しすぎない心持ちになったら、また新しい猫を引き取ろうと思う。一匹目の生まれた時から一緒にいた猫と死別した後、猫はあの一匹だけだと思っていた自分を変えたのは昨日看取った猫だった。

猫は猫それぞれで全然違い、個性や猫格を持っている。上手く付き合える確証なんてない。でも捨てられたり放棄された猫と暮らすのはどんな相手だろうと悪くないものだし、そのことで幸せになれる猫がいるなら今までの飼い猫たちにも報いることにならないだろうかと、そうも思うのだ。それこそ飼い主の勝手解釈で猫にしてみたらどうでもいいだろうが、一匹でも多く飯で腹いっぱいな猫が増えるなら猫好きとしては嬉しい。




一匹目の猫は乳癌で死んだ。

腹が腐る匂いと一緒に眠っていた。腫瘍の膿を拭って消毒液をかけないといけないのだが、大きく身をよじって嫌がるので雑な対処しかできなかった。爪を切られるのさえ嫌がる猫だった。

最期が近くなるとトイレがうまくできなくなり、尻まわりに糞をつけていたので臭かったが、その頃になると体もうまく動かせなくなっていたので拭き取ること自体は楽だった。しかし、腰が抜けて糞尿の上でのたうつようなことが度々あり辟易した。

最後の日、私が居間インターネットをしている時に「ニャア」といつもの声で呼びかけてきたが、私は怒っていたので相手をしなかった。

学校から帰って死んだ猫を見つけた時、ついに来ものが来たということはわかっていたが、そのことが理解できなかった、というのが当時のノートを読み返してよくわかる。生きていた時なら絶対にしないことを猫にした。首を持って持ち上げた。そのまま持ち続けていたが、反応がなくて、手を離した。床に落ちた。現象として確認した。信じられないものを目の当たりにしたあの時の気持ちを私は今でも忘れていなかった。紙から取り出せる。いつでも。

風呂場に遺体を持ち込んで糞と膿を荒い流している間、全世界への呪詛を吐きながらずっと泣いていたことも覚えている。初めて触れた身近な死だった。なんて残酷なんだろうと思った。

あの頃のように大声を出して泣くことも、荒々しい気持ちになることも、もうないだろう。

供養もなにもかも、飼い主の勝手で、寄り添ってくれたあの瞬間だけが本物だった。

2018-02-13

バイオテクノロジーが発達したら

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/orangestar/20180212/20180212175140.jpg

↑これ見て思ったけど、2, 3mくらいの身長人間が好きですでたまらない生物を作ってほしい。

それに面倒をみてほしい。甘えさせてほしい。

anond:20180213091438

増田は「テセウスの舟」を知らないのかな?

今でこそアズールレーン艦これ美少女化されて有名になったテセウスの舟だけれど、

実はテセウスの船っていうのは実在した船ではなくて仮想的なものだったんだ。

ヴァーチャル空間舞台とした戦記物の登場艦だったんだね。

それはともかくとして、ガチャピンさんの中の人が変わってしまってもそれはガチャピンさんであり続けられるのかという問いに答えよう。

増田毎日ご飯を食べるよな? それは何のためだろうか。

ご飯を食べると元気が出る。ご飯を食べないと栄養が足りなくなる。

人間の体は水や食べ物エネルギーに変化させることで生きながらえている。これを代謝という。代謝エネルギーを変換したり消費するだけではなく、体全体のダメになった個所を修復したり老廃物として排出したりもする。

増田の大好きなうんこも代謝がなしうる技ってわけさ。

で、だ。体っていうのは皮膚も血液も髪の毛も、寿命が来たら死んで新しいやつが代謝によって生成される。増田はもしかしたら髪の毛はもう代謝していないのかもしれないけど、それを含めなかったとしても例外なく生物っていうのは体のパーツすべてが代謝されていく運命にある。

ということは、いずれ増田の体は代謝により「全く知らないパーツ」にすげ変わってしまうことになる。

ガチャピンさんも同じだ。時がガチャピンさんを変える。

ガチャピンさんも恐竜一族であることが公式で認められている。恐竜はもちろん肉食動物であるから人間の子供も食べるだろう。ガチャピンさんが人間の子供の声を持つの人間の子供を食べた結果だからだといえないだろうか?

まりそういうことなである

ガチャピンさんの中の人が変わっていくのは、それはガチャピンさんが生きているかである

ということなんだ。

ちゃんと生命設計されてるんだよ。角度とかが。

2018-02-12

anond:20180212221429

南国の生物だったよね。寒波で死んだんじゃね?

容姿能力

経験則しかないけど、容姿能力は比例している

身なりに気を使う人、そうでない人はいるけども地からブスの能力がある人はそうそうみない

から容姿がいい人は何をしても出来上がるものクオリティが高い

生物的に容姿がいい人は人気があるとも言うけどもその他のブスでも子孫を残せているわけだから遺伝の話ではないのではないか

おそらく人間容姿を良くする何かが能力に影響しているのではないか

2018-02-11

少子高齢化には試験官ベイビーしかない

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54304 を読んで

少子高齢化進化過程

生物進化観点で考えると、少子高齢化は増えすぎた生物種を絶滅においやる自然の摂理と感じられる。

生物両性具有から役割を分担した方が種の保存の観点から効率的であったので”性別”を手に入れた。

主に運動性能を向上させた性と、新しい個体を生み出すことができる性である

しかし、人間社会成熟し、肉体労働割合が減少するにしたがって、

役割分担が意味をなさなくなってきている。

ホワイトカラーであれば、女性男性と同じパフォーマンスを発揮できるのだ。


働く女性パフォーマンス男性以上でなくては意味がない

新しい個体を生み出す機会(これは産む産まないの1か0かではなく、産む”機会”の話)を損失して、

社会に出て働くことを選択した女性パフォーマンス男性と同じでは意味がない。

ヒトという種全体の系ではマイナスなのだ

あくまで種の効率性の観点では、男性と同じパフォーマンスなら男性がやればいい。男性には子供が産めないのだから

女性の皆さんは「そんなの派遣社員やらせればいい」というおじさん上司の口調で読んでいただきたい。)

ホワイトカラー観点で、本当に女性男性の知性が全体として同等のレベルにあるならば

男性女性下位互換しかない。

男性権益を守るには、肉体的疲労を伴う仕事を増やすしかない。AI化なんてもってのほかである

 究極は戦争。いろんな意味マッチョにいくしか男性権益は守られない。)


組織的女性差別をしたものの勝ち

イスラム圏や発展途上国に残る女性差別は、人間という生物プラットフォーム仕様

ユーザー側が忠実に合わせている状態なので、種の繁栄という観点では効率的である

ホワイトカラー仕事が増えようが、組織的女性選択肢を絞り、男性選択肢の数と等しくする。

女性から見ると、女性男性に働かせ、自分たちしかできないことに専念する。

(そこに選択の自由がないことの是非は人権の話)

そうすることで安定的個体数を増やし、勢力を拡大することができる。


いまは次代も繁栄する種になれるかの賭け

日本を含めた多数の先進国では女性社会進出を推進している。

まり、今までの進化で得てきた生物プラットフォームを壊そうとしていると言える。

運動性能(経済活動)の役割分担を平等化することができた。

次は「新しい個体を産む」役割分担を平等化することが不可欠だ。

妊娠-出産という行為女性しか担えないのは不平等だが、

男性もできるようにするのは役割分担以上の効率化とは言えないだろう。

どちらにも負担がかからないためには試験官ベイビーしかない。

しかも、今あるような体外受精のあと子宮内に戻すような方式ではない。

完全に人工的な子宮の中で育てるものだ。

http://tocana.jp/2017/05/post_13109_entry.html

男女の”性能差”がなくなった時、人類には次代の繁栄約束されるだろう。

割とマジで女性生理男性射精欲求なんじゃね?

よく女性生理を男に例えたら…みたいな話あるけどさ

肉体的な苦しみの強さじゃなくて

日常生活におけるハンデ…というかデバフ的な意味でいったら

女性生理に相当するのは男性射精欲求なんじゃないかと思う

自分コントロールが難しく

それによって日常生活に支障がでたり、正常な思考が妨げられるという点では同じだし

肉体的な苦しみは少なくとも、射精欲求によって不倫犯罪行為に走ってしまリスクもある(もちろん悪いのは理性でコントロールできなかったその本人だが、射精欲求がなければそもそもコントロールする必要がない=「理性」のリソースを他のことに使える)

また、生物としても

生理繁殖能力を維持するために必要であると同様に

射精もまた必要である

不妊について考えたことがある男性ならご存知かと思うが、不妊を予防するにはいわゆる禁欲逆効果であり、最低でも2,3日に1回ほどの射精が推奨されている。また、定期的な(確か月20回以上)射精前立腺がん男性更年期などのリスクを下げることも有名である

ある人が豊かな生活を送るには「運動睡眠瞑想野菜」が必要と言っていたが

男性場合にはこれに「射精」が加わると言っていいだろう


この生理射精欲求という考え方はあまりピンと来ない人もいるかもしれない

何故なら後者対処法が「気持ちいいこと」だから

でもちょっと考えてほしい

睡眠欲」の対処法は「気持ちいい」ではないか

にも関わらず「寝なくてもいい身体になりたい」と思う人は結構多い

まったく寝なくても問題ない人がいるとしたら

その人と比べ毎日7時間寝ないといけない人は大きなハンデを背負っている

(あるいは前者に大きなアドバンテージがある)

射精欲求に関しても同じことが言えるのではないだろうか

さて、ここまで長々と語ってきたが

結局何が言いたいかと言うと

男性女性生理に対して理解するのも大切だけど、女性男性射精欲求理解してね!」

ってことだ

月子供が生まれ、妻が退院してから一ヶ月射精できてない俺からのお願いだ

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