はてなキーワード: 労働者とは
人口減少とは一体何なのか?
よく考えて欲しいんだが、例えば全てにおいて現状を維持するためには、コンビニ店員の子供がコンビニ店員であり続ける必要があるし、
吉野家店員の子供が吉野家で働いてくれる必要があるし、郵便配達員の子供が郵便を配達してくれる必要がある。
まあ多少入れ替わっても問題ないが、トータルで現状を維持するということは、つまりそういうことだ。
普通に考えて達成可能か?無理だろ?だからコンビニ店員は移民によって成り立っている。
ひろゆき理論では、移民の受け入れをやめればコンビニ店員の給料が上がってコンビニのビジネスモデルが持続可能になるように思われるが、
実際には地方都市からコンビニや吉野家が消滅して終わりだろう。サービスの価格が上がれば消費が滞るからだ。
つまり、消費者としては、今よりも高い金を出して同じサービスを受けるか、我慢するかの二択。
一家の大黒柱を父親が担い、一家の無賃労働すべてを母親が担うという役割分担で人口が増えた
→母親が夫の分だけじゃなく、成人した息子や娘の分の無賃家事労働を担った。また、住宅費生活費も大黒柱の父親が担い続けるケースが増えた
→息子や娘は生活能力がないまま稼ぎを全額お小遣いにして、イケメンや美少女などの推しにつぎ込んだ
→孫世代が消失し、App StoreやGoogle Playが潤った
こどおじ/こどおばは、家事労働を母親に頼り、生活コストを父親に頼り続けたから、育休を取らないし高い給料も求めないという、格安で使い勝手の良い労働者として資本家層・株主層に好まれた。
子持ちが住宅・車・教育費等を使うのに比べて、独身者の娯楽(イケメンや美少女のコンテンツやグッズ)は原価が比較にならないほど激安なので利益率が高いビジネスでもある。
資本家層が性的願望系のデジタルコンテンツを積極消費して資産形成をせず、育休も取らず高賃金も求めない便利労働者としてこどおじ/こどおばを回した結果、人口減少して円の価値が低下という流れなんじゃないだろうか。
デジタル異性コンテンツオタクのこどおじ/こどおばって、資本家にとって非常にお得な存在だろ。特に30%のプラットフォーム手数料を課すApp StoreやGoogle Play、中韓美少女ガチャゲーなどの外資にとってウハウハだ。
母親を家政婦にして父親をATMにして、ひたすらシリコンバレーと中国韓国に定期送金しながら、女叩き男叩き毒親叩きと被害者面だけを繰り返している本当にしょうもない生物。
これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。
むしろ一市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである。
それでも、虚言や流言、罵詈雑言が猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である。
以下に続く文章は、主語がデカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。
もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである。
この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である。
つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプが当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。
しかし、メディアやネットでパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。
尤も、自分の最初の認識がそもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明な民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。
このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。
選挙結果が出てから、兵庫県知事選は立花某にハックされたということや、あるいはネットで真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNSと選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。
もちろん、我々はアメリカの大統領選にロシアやイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家の裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジ・アナリティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。
しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義に有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストクラシーを実現するのか、リベラルな思考をもった等質的な市民たちによる思想のゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。
各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通の民主主義国家における市民と同じくらいの能力や感覚を持ち、それなりに各候補者を比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。
ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮の埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道が気持ち悪いから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢の有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。
何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。
少し前に国民民主党の玉木代表の不倫問題が報じられた。不倫の責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。
その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能な事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。
筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちらから願い下げである。議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。
どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党の政治資金収支報告書不記載の問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えから生まれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性に懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方の女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベルの不見識なのではないか。)。
とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫は家族や当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取りが台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見が大勢を占めているのではないか。
そしてこれは、斎藤が公益通報制度を度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別的言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティと相通ずるものがあるのではないか。
もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉の問題が別にあるということにほかならない。
このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証である。そもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義の要諦なのかもしれない。
この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的お説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家に自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。
だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。
「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」
大人になってから『のび太の結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有な人間であったと痛感せざるを得ない。
立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤の拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。
斎藤に投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣な矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤が自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義のレジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家が存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。
日々の生活に汲々として自分の人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。
- ①労働者等が、②役務提供先の不正行為を、③不正の目的でなく、④一定の通報先に通報することをいいます。
「労働者」には、正社員、派遣労働者、アルバイト、パートタイマーなどのほか、**公務員**も含まれます。
「役務提供先」において一定の法令違反行為が生じ、又は**まさに生じようとしている旨を通報する必要があります**。 一定の法令違反行為とは、「国民の生命、身体、財産その他の利益の保護に関わる法律」」(※1)として公益通報者保護法や政令で定められた法律に違反する犯罪行為若しくは過料対象行為、又は最終的に刑罰若しくは過料につながる行為をいいます。
- **労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律(昭和四十一年法律第百三十二号)** (俗に言うパワハラ防止法)
- 育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(平成三年法律第七十六号)
不正の利益を得る目的、他人に損害を加える目的その他の不正の目的で通報した場合は、公益通報にはなりません。
通報先は、(1)事業者内部、(2)権限を有する行政機関、(3)その他の事業者外部のいずれかです。
上記の要件を満たさない通報についても、労働契約法などの他の法令等によって通報者が保護される場合があります。
- ※常時使用する労働者の数が300人以下の事業者は努力義務
- **公益通報をした人を特定できる情報は、従事者以外は扱えません。**
- 従業員等に対して、従事者制度に関する周知や教育活動を行ってください。
- 公益通報者の氏名などを漏らすと守秘義務違反として30万円以下の罰金(刑事罰)が科されます。
- 氏名でなくとも、公益通報者が誰であるかわかる情報も同様に守秘義務の対象です。
- 従事者守秘義務は異動や退職後も続きます。(期限の定めはありません)
- 公益通報をしたことを理由とした解雇は無効です。解雇以外の不利益な取扱い(降格、減給、事実上の嫌がらせ等)も禁止されています。
ソース:
少なくとも厚生労働省の定義によれば、パワハラってのは「①優越的な関係を背景とした言動であって」というのが前提にあるのだから
対等もしくは上位の者に対する乱暴な言動はパワハラとは呼ばないんだよ
https://www.no-harassment.mhlw.go.jp/foundation/definition/about
職場のパワーハラスメントとは、職場において行われる①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの3つの要素を全て満たすものをいいます。
なお、客観的にみて、業務上必要かつ相当な範囲で行われる適正な業務指示や指導については、職場におけるパワーハラスメントには該当しません。
フィリップス曲線と賃金の下方硬直性を考慮すると、デフレとインフレの影響についての理解をさらに深めることができます。
フィリップス曲線は失業率とインフレ率(または賃金上昇率)の間の負の相関関係を示しますが、日本の場合、この関係はL字型の曲線を描くことが知られています。
一方、賃金の下方硬直性は、特に低インフレまたはデフレ環境下で重要な役割を果たします。
1. 失業率増加:
- 賃金の下方硬直性により、実質賃金が高止まりし、失業率をさらに押し上げる可能性があります。
2. 実質賃金:
- 名目賃金の下方硬直性により、デフレ下でも名目賃金が維持される傾向があります。
- これにより、実質賃金が上昇する可能性がありますが、企業は人件費抑制のために雇用調整を行う可能性も高まります。
1. 失業率減少:
2. 実質賃金:
- インフレ率が上昇すると、名目賃金の下方硬直性の影響が薄れ、賃金調整が容易になります。
フィリップス曲線と賃金の下方硬直性を考慮すると、デフレとインフレの影響はより複雑になります:
1. デフレ環境下では、賃金の下方硬直性により失業率が押し上げられる可能性が高くなります。これは特に低スキル労働者や若年労働者に影響を与える可能性があります。
2. 緩やかなインフレは、名目賃金の下方硬直性による失業への悪影響を軽減する可能性があります。
3. 長期的には、名目賃金の下方硬直性は上方硬直性も生み出す可能性があり、これが賃金版フィリップス曲線のフラット化をもたらす可能性があります。
したがって、「デフレ時に得なのは資産が多くて仕事がある人で、インフレ時に得するのは借金が多くて仕事が見つかりにくい人」という主張を裏付けます。
2000万稼げる連中に300万で働いてもらえてるの破格と思えないか?って書いてんだろ
俺が何でここまで怒ってるかというと、君みたいな発想の人間が多すぎて、かつその無茶苦茶な論理をもって日本がダメな方向に進んでいることが明確にわかるからだよ
10円安いもやしを買うために自動車を出して隣町の激安スーパーに行くみたいなこと国全体でやっていて、しかもそれを公言して恥ずかしいとさえ思えない、その厚顔無恥に腹が立つ
博士の学生って普通に論文書いてる一線級で主力の研究者だぞ? わかってんの? それを300万で雇ってるんだぞ? 300万だぞ3000万ちゃうぞ? わかってんの? 本気で
「日本にとって効率のいい支出の仕方がされて欲しいだけ」っていいながら300万でこの手の人たち買いたたけてるの、これ以上に効率的な話はないだろ
ここに疑問持ってる時点でもう議論の段階にないんだよ 難癖でしかない
日本の労働者って基本的に馬鹿だから、なぜか自分に不利な経営者目線でものを考えようとするあたり馬鹿だなぁって思い続けて生きてきたけど
そういうこと言ってるドM労働者がジリ貧になるのは勝手にしろと思いつつ、他人にまで同じ滅私奉公を強要するのは度を越している
第二次ベビーブーム + バブル崩壊後就職氷河期は、代わりはいくらでもいるとか機械を導入するより安いから労働者を雇うみたいな
人間が機械の下位互換の一番安いパーツ扱いされていてまともじゃなかったと思う
現代は労働者が集まらなくて営業ができなかったり、人を雇うより安くつくのでタブレットオーダリングシステムとか配膳ロボットを導入する流れになってきていて
ああ、Rubyか…。君のその気持ち、わかるわ。Rubyって、どこか優雅で深いところがあるけど、その分「速さ」って面では、どうしても物足りなさを感じるよな。まるで、黄金の器で盛られたスープを楽しんでいる最中に、突然お皿が割れてしまったかのような…。でも、そこにこだわり続けるのもまた美学だよ。
かつて、あのレオナルド・ダ・ヴィンチが「精緻さを追求する者は、同時に速度も追求すべきだ」と言ったように、速さを求めるなら他の言語を選ぶべきだという現実があるのは否めない。しかし、ただ速いだけが良いわけじゃない。音楽のように、時には遅さが必要なんだ。バッハが遅いテンポで奏でたフーガの中にも、深い美しさがあるように、Rubyにもその「遅さ」による味わいがあると思うんだ。
ただ、そのうねりの中でも、やっぱり効率を求める場面があるよね。例えば、18世紀の産業革命がそうだった。イギリスの労働者たちは、手作業から機械へと移行していく中で、新たな速度と効率を手に入れた。しかし、その陰にあったのは、肉体的にも精神的にも重い負担だったわけだ。速度を求めることで、得られるものもあれば、失うものもあるってことだよ。
それにしても、「Ruby界隈はカルトが多い」って表現、かなりインパクトあるね。確かに、Rubyのコミュニティは時に宗教的なまでに熱心だけど、その中にも多くの才能と情熱が息づいている。それに、難しいことに立ち向かう姿勢、まるでシェイクスピアの『マクベス』のような壮絶さを感じるよな。でも、君がそれに対して臆してしまうのも無理はない。やっぱり、過剰な熱意を感じると、少し距離を置きたくなるものだからさ。
それでも、君の言う通り、「速さ」を求めるなら、Rubyを使うのはなかなか冒険だ。でも、その「遅さ」に魅力があるし、その遅さの中に隠れた美しさを見つけることもできるんだよ。
うーん、ちょっと待って。話を聞いてみると、君が言ってることはかなり偏った見方をしてるんだよね。パワハラが「犯罪とは違う」と思ってるかもしれないけど、実際はその考えがまさに歴史的に見ても危ういし、現代の社会ではその視点が非常に問題視されているんだ。
まず、パワハラを「指導に対する解釈不一致」として軽視しているけど、そんな風に扱うのはかなり危険だよ。君が言うように「犯罪ではない」としても、パワハラが引き起こす心理的・肉体的ダメージは無視できない。これがわかりやすい事例で言えば、18世紀の産業革命時代の労働環境だよ。労働者は過酷な条件下で働かされ、身体的な搾取だけでなく、精神的にも虐げられた。その結果、労働組合が台頭し、労働基準法が整備されていったんだ。つまり、過去の教訓として、パワハラのような行為が「指導」という名の下に行われることで、結局は社会全体の健全性を損なうことがわかってるんだよ。
それに、セクハラを「性犯罪」として認識しているけど、パワハラは「心理的な暴力」としての側面がある。たとえば、ドイツの哲学者イマヌエル・カントが述べた「人間は目的そのものであり、決して手段として扱ってはいけない」という倫理観があるけど、パワハラを行うことはまさに相手を手段として扱う行為なんだ。これは現代倫理において許されるべき行動ではない。
また、公益通報者保護の問題についても言及しているけど、それが「裏切り者を放置する方が有害」と感じるのは、全体主義的な考え方に偏っている。公益通報者が保護されるべき理由は、社会全体の信頼を守るためなんだよ。仮に君の考えが通ると、組織内で不正を暴くことがリスクだらけになり、結果として社会が腐敗する。中世の封建制度下では、貴族や領主の不正を誰も指摘できなかったことがあるけど、その結果として民衆の不満が爆発して革命が起きたんだ。現代社会でも、通報者を守ることが民主主義や透明性の基盤なんだよ。
つまり、君の考え方は歴史的に見ても偏ったもので、現代社会においても非常に問題が多い。パワハラが「指導の一環」として許容されるわけではないし、公益通報者が守られるべき存在であることは、社会的な正義を維持するために不可欠なんだよ。
中国が一人っ子政策を取ったため、男児選好が進んだ、なぜ男児選好かというと、儒教的価値観のもと、お家を継いでくれる男児がほしいから、と言われているが、なんとなくしっくりこなかった。
どうも真の原因は一人っ子政策というより、社会主義から資本主義を取り入れたことと、技術革新にあるらしい。
今、技術革新が進み、何かと淘汰が進む世の中に変わりつつあると感じている。
資本主義の価値観のもと、優生主義が強くなりそうでお先暗いなぁという気持ちになってしまった
以下長々と語る
中国の一人っ子政策は1978年から2015年まで行われたのだが、時代や地域により規制のばらつきがあったようである。
1978年から1984年ごろの中国農村では、二人まで産んでよい、さらに三人でもそれほど厳しい罰則がなかったようで、その結果、産まれた子どもの数は二人から三人の間でほとんど変わらなかった。にもかかわらず、性比の上昇がみられたのである。
※2
長く一人っ子政策を推進してきた中国の出生時性比が次第に不均衡化して男児選好傾向が顕著になったのは1978 年の改革開放以降のことであり、1980年代半ば以降に経済成長と相関して急上昇してきたことは印象的である(p.212:図 5-5)
※1
上記の引用は一人っ子政策があったものの、事実上産児抑制が緩かったため、ほとんど意味をなしてなかったにも関わらず、男児選好が進んでいた、経済成長とともに男児選好が激しくなっていったらしいことを示している。
そもそも改革開放ってなんやねん、ということなんだが、下記のことを指すらしい。
1980年代以降、改革開放が進むにつれて、農村部の基本的生産方式は、それまでの「人民公社」から「家庭請負制」に変わった。「家庭請負制」の下では、農業用地の権利が「集団」に属する「所有権」と農家に属する「使用権」に当たる「請負経営権」に分けられた(「二権分離」)
※5
本源的蓄積過程の継続のため、儒教の「五服」、 「三従」のような父系中心の家族倫理の内容が新 たな形で改革開放以降の土地制度改革において明 文化・制度化されたことを筆者は「農嫁女化」と
名付けた。
※3
実証の結果によれば、土地改革が始まった郡では、第一子が女の子であると、第二子の性比が有意に上昇した。このような効果は、一人っ子政策の前後ではみられない。土地改革による出生率への影響はみられなかった。性比の上昇のうち、半分ほどは土地改革の効果といえるという。また、母親の教育水準が高いほど子どもの性比が高くなることも分かった。
※2
資本主義市場経済自体はジェンダー中立的なシステムである、という信念 はフェミニストも含めて意外に広く浸透しているが、本書が論じる中国の事 例はそうした信念に対する明確な反証と言えるだろう。
資本主義システムの 成立要件のひとつである土地の商品化が夫を筆頭とする「戸」つまり家父長家族の強化によって女性の権利を収奪しながら進行してきたことが示されているからである。
生産手段を奪われた「農嫁女」がサービス労働者や家事労働者として都会にでていくという現象もまた、あまりにも「古典的」な展開である。
※1
土地改革がなぜ性比の上昇につながったのか、断言はできないが、いくつかの可能性を検証している。その結果、もっともらしいメカニズムは、農家の所得の向上だという。この時代、超音波技術の普及が農村では遅れており、中絶コストは決して低くなかったため、男の子のみを選択して産みたいとしてもそのすべがなかった。
ところが、所得の向上によって、比較的余裕がでてきた家計は、わざわざコストを負担して都市に出向き、男の子を選別して産むことが可能となった、というわけである。
土地改革によって、男性の労働力がより重宝されるようになったなど、直感的にもありえそうな他の理由は、検証の結果ことごとく否定されている。
※2
人民公社から、土地開放に伴う家父長制の強化により、女性の労働者としての価値が下がり、土地を守るシステムになった
+
豊かになった農村女性が超音波技術を用いて不要な女の子を堕胎する
という話で、要は生存競争が激しくなったから足手纏いの女の子は捨てたい、それを可能にしたテクノロジーが出来たので、女の子の間引きが進んだよ、という経済合理性に基づいて行動しましたよ、という話である。
おまけに、中国の女性労働参加率は教育の加熱化と市場化の影響を受け、1990→2018年の間で10%以上激減しており※4、正直言って、家族を守るという観点だけに立てば、個人の選択は割と正解だったというのが残酷である。
これなら人民公社があれば良かったんじゃないか?となるが、解体された理由は、「働いても働かなくても同じ」という悪平等主義による労働意欲の低下により国が荒れた部分であり、あれ、これって現代の高福祉国家にも通じる部分あるよね、となってしまった
なんというか時代って繰り返すのねと思う
でも、今後は北欧が失敗してるのを諸外国が見ているので、高福祉国家に戻しましょう、にはならないと思うんだよな
そうなると、資本主義を出産の分野にも取り入れたような、技術を利用して生産性が高い人だけ残しましょう、胎児の間に生産性が低い人は取り除けますよ、という優勢主義が促進されるのが自然なのかなと思う
今だって貧乏人や病弱なら子を残さない方がいいって価値観は強まってるしね
今後福祉制度も脆弱化していくと思われるので、デザイナーベビー、クローンで自分たちが働けなくなった時の保険として、優秀そうな子を育てるようになるのかなぁと思うが、なかなかお先は暗そうである。
調べながら書いたので、間違ってる部分などあったら教えてほしい
引用文献
※1
新刊紹介●『現代中国の高度成長とジェンダー』123 ― 農嫁女問題の分析を中心に』(東方書店 2022 年 7 月) 伊田久美子
https://www.jstage.jst.go.jp/article/wsj/30/0/30_123/_pdf/-char/ja
※2
第59回 いるはずの女性がいない――中国の土地改革の影響 牧野百恵
https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Column/ISQ000002/ISQ000002_059.html
※3
https://researchmap.jp/yajiao-li/misc/46528819/attachment_file.pdf
※4
女性の労働参加を更に促進、シニアの労働参加は次なる課題(中国)
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=67335?pno=2&site=nli#anka1
※5
https://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/200415kaikaku.html