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はてなキーワード: 使節とは

2022-08-06

anond:20220806105840

美國很好地利用了中國的 "面子"概念

說實話,我仍然不明白為什麼中共如此反對佩洛西訪問台灣

我仍然不清楚為什麼中國共產黨如此反對佩洛西訪問台灣,但美國可能已經決定,無論如何,這將是有效的。

訪問期間,美國和日本取得了以下進展。

・火箭的發射加深了日本對中國的看法,認為中國是一個與朝鮮一樣危險的恐怖主義國家。

∙ 預測中國海軍能力和火箭彈的移動。

創造了 "中國首先採取軍事行動 "的歷史事實。

史料記載中可以略知一二,如司馬遷的《史記》中。

春秋時期的五霸不會接受地位較低的對手的使節,如果使節地位較低。

我想這是一種意識,即對方的地位=忠誠度的高低。 反過來也是如此。

這是一個為自己作為最高統治者地位感到驕傲問題嗎?

秀吉與中國明朝談判時,他的回答是'我承認你是日本的國王'這樣的話。

換句話說,等級制度中的第三級對中國來說比我們想象的更重要

然而,它在今天的國際社會中是否有任何意義,令人懷疑。

結果,中國獨自跳舞,使日本和美國的關係惡化。

然而,這是一個困難的問題,因為如果它放棄了霸權意識,中國/中國的想法也會消失

中國的等級制度地位可能一種身份,就像日本神道教和武士道

我想更多地了解這個'面子',因為我對它的理解還不夠透徹。

通過www.DeepL.com/Translator(免費版)翻譯

2022-07-14

安倍元総理国葬にするとか発表しやがった

寝言は寝て言え。

外国から使節の受け入れもあるからそれなりのことをしなきゃならんことは理解するが、通例を上回る国葬にする意味など無い。

だいたい、現時点では灰色とされているだけのあまたの疑惑があって、縁故主義をはびこらせ、民主主義やら立憲主義やらをぶち壊すようなことをしてきた人なわけで、そのマイナス考慮したらプラスの功績とやらもどれだけのものと言うべきなのか。

2022-04-28

遣欧少年使節大河やれよ

遣欧少年使節メンバー


伊東マンショ

福岡司祭をやっていたが宗教弾圧長崎に逃れ、1年後に病死享年43


中浦ジュリアン

弾圧から逃げながら各地を流浪20年間布教活動したが捕縛され、「穴吊るしの刑」で逆さに吊るされ4日目に死亡。享年65


原マルティノ

弾圧から逃れマカオ移住し以降は平和暮らし15年後に死去。享年60


千々石ミゲル ←墓の奴

皆と共に神学を学ぶも奴隷制に疑問を持ち棄教キリストアンチ信者両方に命を狙われる。享年64

棄教定説だったが墓の発見から表向きの嘘だった可能



千々石ミゲル人生


時の大名宗教洗脳が儲かるけど仏教はもう既得権益があって新規参入が難しいのでキリスト教に目をつける

上級国民の息子4人が本場ローマへ渡って神学を学ぶ

帰国してから布教

40代になってミゲル棄教奴隷制度はクソ」

結婚し、少年使節の中で唯一子孫を残す

大名自分棄教したいと相談され、キリスト教はゴミカス人身売買組織からそうしろ発言 一緒に宗教弾圧

長年の布教で藩はキリスト教に感化された者が大量におり反発が多く、大名信仰を続けることにしてミゲル追放

身を寄せた先でキリシタンに襲われ大怪我

一命を取り留めるがまた引っ越し長崎で死去

伝承ではミゲルの墓は「憎い大名を睨みつけられるように大名土地を向いて建てられた」

長年墓が見つからなかったが伝承通りの墓が見つかる

2022-01-06

anond:20220106084344

適塾蘭学を学んで翻訳した後、これから英語だ!ってなっただよ。

オランダ語通用しない!

1858年23歳のときには、江戸の藩邸で蘭学塾を開くことになりました。

その翌年、外国人の多い横浜を訪れたところ、外国人英語ばかり使っていて、オランダ語通用しないことを知りショックを受けます

英語を教えてくれる人が近くにいなかったので、英語オランダ語対訳した辞書を基に独学で英語を学び始めます

咸臨丸(かんりんまる)でアメリカ

1860年、25歳のとき幕府遣米使節に志願して、咸臨丸渡航します。

2021-12-22

やっぱ継体天皇でしょ

崇神天皇が「実在した可能性のある最初天皇」って言われてるけど、やっぱ初代って継体天皇でしょ。

紀元前1世紀

BC97年-BC30年(日本長暦) 崇神天皇

BC37年頃 高句麗が成立

BC29年-70年(日本長暦) 垂仁天皇

弥生文化関東地方に波及する。

近畿地方を中心に銅鐸、西日本青銅武器形祭器による祭祀が行われる。

階層の秩序化すすむ。

関東地方東北地方南部縄文時代の一墓制である再葬墓が見られる。

北部九州では甕棺墓が盛行し、その中の一部のものが多くの前漢鏡を副葬する。

北部九州では、鉄器や鉄製農具が使用される。また吉野ヶ里遺跡のような巨大集落現れる。

北部九州勢力畿内勢力の間で、鉄の獲得のための軍事的緊張が高まる

1世紀

8年 前漢の滅亡

25年 後漢の成立

57年 倭の奴国王が後漢に朝献して倭奴国王印を授けられる

71年-130年(日本長暦)景行天皇

漢書地理志 倭は百余国に分かれており、その一部は前漢楽浪郡に朝献をする

弥生文化東北地方に波及する

2世紀

107年 倭国王帥升らが後漢の安帝に生口160人を献上する

131年-190年(日本長暦) 成務天皇

147年頃-189年頃 倭国大乱

192年-200年(日本長暦) 仲哀天皇

日本で石器が消滅し、鉄器が普及する(弥生時代後期)

魏志倭人伝倭国乱れ、互いに攻伐しあい倭国大乱)、長い間盟主なし

3世紀

201年-269年(日本長暦) 神功皇后 三韓征伐

220年 後漢の滅亡

239年 邪馬台国卑弥呼帯方郡使者を送り、魏の明帝への奉献を願う

248年頃 女王卑弥呼死す。その後、卑弥呼の宗女・壱与(または台与)が女王となる

3世紀中頃 古墳時代が始まる

266年 倭の女王が晋に使節派遣する(『日本書紀』の神功紀66条に引く晋起居注。『晋書』武帝紀、西晋の泰始二年)

270年-310年(日本長暦) 応神天皇

3世紀後半 大和王権誕生する

3世紀後半 箸墓古墳

日本では弥生時代末期から古墳時代初期にあたる。

樺太西端北海道北端オホーツク文化(初期)が成立する。

日本では銅鐸・武器系祭器による祭祀が終わる。北部九州の甕棺墓も衰退する。西日本各地に、特殊な壺形土器、器台形土器を供献した墳丘墓首長墓)が現れる。

4世紀

313年 楽浪郡高句麗に滅ぼされる

313年-399年(日本長暦) 仁徳天皇

316年 西晋が滅亡

4世紀半ば 百済建国

399年-404年 好太王高句麗と倭の戦い

空白の4世紀

5世紀

400年-405年(日本長暦) 履中天皇

406年-410年(日本長暦) 反正天皇

412年-453年(日本長暦) 允恭天皇

454年-456年(日本長暦) 安康天皇

463年 吉備氏の乱

457年-479年(日本長暦) 雄略天皇 考古学的に実在実証される最古の天皇

478年 倭の五王の武が宋(南朝)に使者を送る

479年 星川皇子の乱

480年-484年(日本長暦) 清寧天皇

485年-487年(日本長暦) 顕宗天皇

488年-498年(日本長暦) 仁賢天皇

大王クラス大形前方後円墳奈良盆地から大阪平野に移り更に巨大化する。

日本では倭国古墳時代中期にあたる。各地で巨大な前方後円墳が築造され、地方ヤマト王権中枢双方の首長たちの祭祀儀礼が執り行われる。この世紀の倭国朝鮮半島諸国間の紛争に活発に武力介入を行っていたことが、日本側と朝鮮半島側双方の歴史記録から伺われる。当時の5代に及ぶ治天下大王東晋から南朝にかけての江南王朝に盛んに朝貢して王号と官職を得ていたことが中国正史記述に残されており、倭の五王として知られている。

北海道北部東部では続縄文文化とは異質な海獣漁労民のオホーツク文化(中期)が拡大する。

6世紀

499年-506年(日本長暦) 武烈天皇

507年-531年 継体天皇

512年 倭が百済に対し任那の四県二郡を割譲する

527年 磐井の乱

531年-535年 安閑天皇

538年 仏教伝来(552年説あり)

536年-539年 宣化天皇

539年-571年 欽明天皇

562年 任那地方を含む加羅諸国新羅に滅ぼされる

572年-585年 敏達天皇

581年 隋の建国

585年-587年 用明天皇

587年 丁未の乱 蘇我馬子物部守屋を滅ぼす

587年-592年 崇峻天皇

593年 聖徳太子(厩戸王)が摂政となる

598年 隋の高句麗遠征

それまでのヤマト王権王統嫡流が断絶し、誉田別尊大王(後の応神天皇)五世の子孫とされ越前近江地盤を持ち尾張連草香の娘を妃としていた男大迹王(後の継体天皇)が、大伴氏物部氏巨勢氏らにより畿内に迎えられて前王統手白香皇女皇后に迎え、治天下大王として擁立される。やがてこの継体系の王家は新興の蘇我氏と結びつき、武川軍閥系の政権によって大陸華北の再統一から南北朝の統一へと向かう中、前世紀の「倭の五王」後に途絶えていた活発な東アジア外交を再開する。

考古学の発掘研究によればこの世紀の半ばになって日本列島での鉄鉱石からの製鉄遺構が初めて出現する。同時期に大陸では倭国弥生時代以来鉄素材の供給源としていた弁韓の後身加羅諸国新羅併合されている。

前世紀に九州などで造られ始めていた古墳の横穴式石室が全国規模で普及する。

この世紀の後期になると畿内では前方後円墳がつくられなくなり、前方後円墳伝統を保持していた天皇陵含む大型古墳も渟中倉太珠敷大王(後の敏達天皇)の陵墓を最後に以後方墳となる。関東でも群集墳が盛んに造られるようになる。ヤマト王権中央さらには地方首長統治下でも仏教の導入が進行し、前方後円墳と結びついていた首長祭祀は以後氏寺における仏教儀礼が担うようになる。

7世紀

593年-628年 推古天皇

603年 冠位十二階を制定

604年 十七条憲法を制定

618年 隋の滅亡、唐の建国

629年-641年 舒明天皇

642年-645年 皇極天皇

643年 蘇我入鹿山背大兄王一家(上宮王家)を滅ぼす

645年 乙巳の変

645年-654年 孝徳天皇

646年 大化の改新

655年-661年 斉明天皇

660年 百済滅亡

663年 白村江の戦い

668年 高句麗滅亡

668年-672年 天智天皇

672年-672年 弘文天皇

672年 壬申の乱

673年-686年 天武天皇

2021-12-12

君は全体的に秀吉の偉業を過小評価しすぎ

https://anond.hatelabo.jp/20211212125107

1.その場合誰が光秀に勝てるんだよ

まずそのことで明智勢力を温存できたのかどうか?

おそらくはありえない。

秀吉がやらなくても他の織田家勢力によって滅ぼされていただろう。

意味わからん

簡単に言わないでほしい。

 

そもそも当時の織田家の最も強力な軍団長は羽柴と明智であって

あのとき中国大返しと言う大胆な機動を見せた秀吉以外の誰があれほど鮮やかに明智を滅ぼせるのか。

 

一番近い摂津にいた信孝?

変の報せだけで逃亡兵が相次ぐぐらい求心力のない男だ。

秀吉中国から帰ってこないなら兵力は自前の5,000程度しかない。

一方明智史実ルートでも1万から1万五千の兵がいる。

2,3倍の兵力抱える歴戦の戦上手の光秀にどうやって勝つの

 

しか史実と違って秀吉軍がいないなら

信孝軍団からはより多くの逃亡兵が出るし反対に明智勢力は膨らむ。

おそらく山崎合戦自体が起こらない。

  

信雄?

信孝より更に遠いところに居て兵力も更に少なく合戦の腕も似たり寄ったり。

   

はっきり言ってこんな奴等では光秀の動きを制限することも出来ない。

光秀は勝家が戻ってくるまでの3週間近くを京での政治的運動宣伝に使えることになる。

 

  

2.秀吉が帰ってこないことで生じる余裕

史実では秀吉が信じられない速さで帰ってきたことや

「上様中将殿ともにご無事!」などと触れ回ったことで

明智勢力が大いに動揺したし、明智与力や姻族まで様子見を決め込んでしまった。 

 

そういうファクターが一切なくなるということは

明智光秀は見事に逆臣織田信長信忠を討ち取った

・遺された信孝信雄は弔い合戦を挑むことも出来ない

と言う状況が現れるわけで、

これを見たら筒井順慶だって洞ヶ峠から這い出てきて明智に従う。

 

そもそも光秀に与えられてる畿内軍団信長に冷酷に追放された佐久間与力

信長を討って主替えすることにいまさら抵抗感なんかない。利害が合えばついてくる。

それぐらい勢いが出たら細川すらやっぱり明智側に来るかもしれない。

 

 

3.雪崩を打って織田が滅ぶ

何より毛利上杉北条長宗我部という

これまで織田家軍団に圧迫されて存亡の危機に立ってた各地の大勢力は

こぞって明智に祝賀の使節を送ってきて恭順と連携を申し出る。

 

こうなったらもう秀吉ですら後の祭り

事情わかってる毛利に追いすがられながら撤退なんかそうそうできない。

毛利の追撃で散り散りにされたらどこで再起すればいい?姫路城まで戻れてもそこは安全か?

そもそもその状況で中国播磨大名が従い続けると思う?

  

明智と縁の深い長宗我部なんかは俄然張り切る。

信孝を討って光秀助けに京までのぼってくる。

 

そこまで織田の情勢が悪いとわかれば

北条上杉も余力を考えずに全力で追撃出来るから

滝川も森も柴田もいよいよたたでは戻ってこれない。

 

例えば滝川なんか史実では北条と一当たりして敗れたあと真田諏訪まで送られてるけど

「もう織田の再起の目は薄いな」と思われてたら同じ待遇になると思う?

昌幸「滝川首にして光秀に送ってご褒美に上野を安堵してもらお」ってなるでしょ。

もともと主家を滅ぼした織田好感情持ってるやつなんか甲斐信濃はいないんだから。 

史実ですら河尻とか逃げ帰る事すら出来ずに殺されてる。

 

 

4.信長殺しにお墨付きがくだる

織田が滅びていくのと前後して

光秀の主殺しに公的な認可が下る。

 

鞆まで逃れてた将軍様が戻って来て「大義である」って言い出すかもしれないし

もともと朝廷と繋がりが強い光秀だから帝の内意があった説すらある。

京をがっちり固めて将軍を戴けばそれより先か後かに朝廷から

「よくやりました」「各地の大名に号令を出して織田残党を討ちなさい」なんて宣下が来る。

 

英雄秀吉中国から出られないまま肝心の時に決断しなかったことを悔いながら殺されていくし

柴田は雪の中で滝川信濃山中で状況が分からないまま討ち死にして

信孝達はまあ降伏ののちに不審死三法師出家? 

 

ただ高齢デカ子供もいない光秀はどうやっても次世代に残す基盤は作れない。

衰え次第天下は再度荒れる。

国をまとめるはずだった織田もその後継勢力ももう居ない。

このルート日本てどうなるのかね。

毛利かな。  

吉川小早川がまだ生きてて若いのがいいよね。

  

 

おまけ

しかし、史実秀吉ほど狡猾に主家乗っ取りを出来るような

政治家が出現することはなかっただろうから織田家が存続する形になる。

そうなったとしても結局は信長の統率力を失った家臣団によって

勢力争いが展開され信長の遺児たちが神輿として担ぎ上げられて

結局は織田家を脅かす家臣が誕生して織田家乗っ取りが行われるのは

戦国時代によく見られた光景であり実際そのとおりに進むのは間違いない。

意味わからん

当主頓死したあとの家は必ず乗っ取られるのか?

 

(どうやるんだかわからないが)信孝が光秀を討って信長葬儀をやれば

それは何の問題もなく信孝が家督を継ぐ形でまとまるだろう。

信孝という当主がいるのにそれを蔑ろにするほど抜きん出られる家臣がそんな必ず現れるの?

  

なんか全体に言えるのは

秀吉中国大返しをめちゃくちゃ過小評価してるってことなんだよね。

あれは素晴らしく冴えた勝負手であって、

あれ以外のルートで光秀があんな早く打ち滅ぼされるなんてことはあり得ないし

その光秀成敗がなければ有力家臣に過ぎなかった秀吉があそこまで強引なイニシアチブ取れることもあり得ないんだよね。

 

ただそんなことを時間をかけて長々と展開してる間に

九州中国四国統一した地方勢力が力をつけており

その後の日本統一という意味での天下取り

現実的展望ではなくなっており

そのレベル地方統一なんてもの

織田豊臣や徳川支配とは比べられないってことをわかってないよね。

支配体制なんか確立してないか中央勢力と戦うとなった時に

滅ぼした大名勢力を手勢に使えるわけでもない。

基本的には勝負になんないよ。

 

秀吉四国九州関東東北の成敗がどんなだったのかもわかってないんじゃないの。

地方勢力に準備期間があったら対抗できたと?

フワフワしたイメージでモノ言わないでほしいんですよね。

 

織田勢力日本中央部を勢力図としての

限定的な天下政権となったことが予想される。

その政権地方政権戦国の世を続けるのか?

織田勢力地方勢力生産力や兵力ちょっと数字で比べてみたらいいと思います

秀吉であれ信孝であれ信雄であれ、あれを相続されちゃ勝ち目なんかないから。

光秀が勝って織田勢力を壊滅させつつ無責任老衰で死んで瓦解、

のようなひでえルートの時のみ地方勢力にチャンスが生まれると思うよ。

2021-02-13

anond:20210213192433

黒船はいきなりやってきたわけではない

最初はお手紙補給交渉があったけど江戸幕府無視したんだ

二度目に使節団の海軍士官が来たらその人は末端水夫にからかわれてボートからけり落されて笑われた

手紙奉行所ストッ

黒船は三度目

日本は話し合いができない国だから砲弾で脅す作戦に切り替えてそれがうまくいったから以降アメリカ日本にずっとその姿勢

2020-08-27

[]鳳雀安んぞ楠玉の志を知らんや

楠永家使節 犬縣某「殿、調略は成功です!鳳雀の荘園が、私の右手を抱いて歓迎し、物資を融通してくれました!」

楠永玉秀「その時、お主の左手は何をしていたのだ?」

https://anond.hatelabo.jp/20200823175138

2020-05-04

anond:20200504202840

よくあるはなしだな。そんで、幼児虐待な人が、施設の長に就任とか、そういう人ばっかり、やとったりな。

最初はそのほうが監獄みたいな使節っておもえば、人気が上がるだろうからな。

問題が発覚するのは数十年後

2020-03-17

ちょっとマイナーめの土着宗教の本を読んでたら、昔その国に外来宗教が入ってきたときのことが書いてあった。

外来宗教vs土着宗教みたいな対立が起きたんだけど、ちょうど同時期にその国で疫病が流行したらしく、

土着宗教側が「外様の神なんか拝んだせいだ!」的に勢いづいて、一度は外来宗教側の重鎮を国外へ追い出すことに成功したらしい。

その後結局、外来宗教が盛り返して、最終的にはそっちの方が優勢になったらしいけど。

神様のご利益云々はさておき、昨今のコロナ事情を見てると、外国から使節団や何かが入ってきたことで感染症流行したのは本当だったのかもね。

2019-09-30

anond:20190930160226

最初にやってきた丁寧な態度のアメリカ使節居丈高にふるまったら次に来たのは黒船だった歴史をね

2019-06-11

識字調査って70年ぶりなのか

70年ぶりの識字調査実施へ 未就学者や外国籍の増加受け | NHKニュース

調査を指示したのは、GHQ連合国最高司令官総司令部戦後日本教育改革を行うためアメリカから派遣された使節団です。使節団は「漢字ひらがなを使う日本語は難しすぎて負担となっている」と考え、当初、ローマ字採用検討していたといいます

そこで、日本語が国民にどれだけ定着しているかを把握するため行われたのがこの調査でした。全国の15歳から64歳までの男女およそ1万7000人を対象に行われ、読み書きや文章理解など合わせて90もの問題が出されました。

マジかよ。

日本識字率が高いってずっと思いこんできたけど、

これじゃ全然当てにならないじゃねーか。

2019-03-13

anond:20190313234624

北朝鮮だって人民の誰も脱出しないじゃん

そういうのが好きなMだっている

だってDV男が好きだろ

日本人使節手紙を渡しに来たら砲弾で返して黒船砲弾を撃ち込んだら土下座する国

国民みんな強いものにへつらうのが楽しいんだ

文句があるやつは反日売国奴から日本から出て行けよ帰ってくるなよ

2018-07-24

2018夏アニメ1話ほぼ全部観たか感想書く その3

2018夏アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その2 からの続き )

 

中間管理録トネガワ

 中間管理職お仕事アニメ制作マッドハウスキャラデザ高田晴仁なので、実質カイジ特に会長がしゃべるシーンだけ観ると完全にカイジ悪魔のような上司と萎縮する部下の間に挟まれ中間管理職の苦労をコミカルに描いていて、テーマ凡庸さに比べてすごく斬新で面白い

 1話では冒頭9分くらい使ってトネガワさんの紹介があるけど、ぶっちゃけ観なくていい。大抵の人はカイジを何らかの形で観たことがあるか、もしくはマンガアニメ実写映画も観たことがないけど、ストーリーだけは全部知ってると思うので。

 ☓ナレーション◯実況:川平慈英の「他人事だと思って楽しそうに実況しやがってこの野郎」感がとても好き。部下のボケ→トネガワさんのツッコミ→実況の「くぅ~ww」(ボケ)という流れなので、みんな画面に向かってツッコミを入れよう。

 

Phantom in the Twilight

 ロンドン日常アニメ。国際色豊かなおじいちゃん自警団の日々を描く。世界設定が

矢野俊策TRPGの人)から分かる通り、日本におけるお化けみたいな連中がテーマ作品タイトル黄昏時のなんちゃらっていう意味なのだろう。似たモチーフを扱った作品でいうと「ゲゲゲの鬼太郎」(特にいま放送してる作品)は社会の闇、「化物語」は闇の心、「魔法使いの嫁」は良き隣人としての人外を描いているけど、本作は魔法使いの嫁に近い。さすがロンドン日常。そして意外とアクションシーンの熱量が高い。さすがライデンフィルム

 

アンゴルモア 元寇合戦記

AmazonPrimeVideoのみ見放題

 アニメで観る元寇、下っ端視点対馬。6度目の使節団が日本に来たけど、結局日本が元に服従しなかったので元の皇帝侵略することを決定、900艘の軍船を準備し終わった頃から始まるお話(1274年)。基本的基本的史実ベースで進んでいく感じみたい(Wikiみながら)。

 アクションシーン(特に剣戟)が多く、めっちゃ動く。SEも良い(音響効果今野康之)し、出血表現も好き。

 

百錬覇王と聖約の戦乙女

 アニメで観る「軍師になろう」。紀元前青銅器時代舞台?戦記モノ+スマホチート。「天は赤い河のほとり」みたいな感じ?あっちは主人公軍師じゃないけど。実際にあった(ググると出てくる)戦術心理戦術が解説付きで登場する。これで君も明日から軍師だ!

 1話にして1話の内容ではない。異世界転生プロセスでグダるのを回避していくスタイルあくまで「スマホチートを使った古代戦争」を描くのがメインなのかな。

 スマホチートの描き方が面白い。忠実にggrksを実行していくスタイルで、ググっても出てこないことは出来ない。また現世と何らかの方法(で使えるスマホ)でつながっていて、元の世界に帰るという目標設定がある。現世と異世界を行き来できるわけではないけれど、「犬夜叉」みたいに「主人公にとってどっちが現実なのか問題」がそのうちテーマになるのかも。

 リアルのこの時代は子作りし放題だったのだろうけれど、どうなんだろう(一応そういう描写あり)。

 

邪神ちゃんドロップキック

AmazonPrimeVideo独占

 スプラッターギャグアニメ調子に乗りすぎたイカ娘ちゃんが裁かれる(物理)みたいなノリのアニメかわいい

 ノリとかキャラデザとか演出かいろいろ懐かしさを感じる不思議

 

すのはら荘の管理人さん

 おねショタ男性向け?ショタリードするのではなくお姉さんがリードする方。

 主人公可愛いツッコミ役だけど子供っぽさがあって、お姉さんをリードしたいという願望があるけど現実乖離しているギャップかわいい。そろそろ男扱いされたい、でもまだ子供、そして性の目覚め等忙しいお年頃である。なお私はおねショタを観たことがないので、おすすめを教えてほしい。

 ところで寮母さん=ママ化身みたいなモチーフっていつ頃からあるテンプレなのだろう。最近でも「スロウスタート」「こみっくがーるず」でおっとり寮母さんが出てきたので、すごく一般的なのかな。

 

千銃士

 銃と戦争アニメ。20xx年、世界は核の炎に包まれた→ブラザーフッド・オブ・スティール世界の秩序を支配レジスタンスが古銃で対抗 みたいな感じの話。

 銃の擬人化ソシャゲ原作なので、めちゃくちゃニッチな古銃がたくさん出てくる。現代銃を装備したブラザーフッド・オブ・スティールvs古銃というアツい戦い。戦闘シーンではちゃんと古銃特有射撃儀式も描いていて好き。あと射撃音にびっくりする。火薬多めかつ薬室の気密性が低い古銃の特性表現してるのかな。

 戦いがテーマはいえ、ファンタジー要素が多い。戦争を描く作品はたいてい不条理テーマなので、どんどんgdgdになっていくあの陰鬱とした雰囲気が強くなる仕様だけど、本作は「高貴になったら勝ち」という特殊ルールのおかげでいい感じのエンタメになってる。生き様で敵をやっつけるとかかっこよすぎない?

 

ゆらぎ荘の幽奈さん

 レーティングによって、漫画ほど表現ギリギリを攻める必要がなくなった幽奈さん。無修正版がどんだけ攻めてるのか気になる。幽奈さんかわいいシリアス要素のあるラブコメなのだけれど、ToLOVEるシリアスなんだっけ。

 幽奈さんはコガラシくんと同年代っていう雰囲気を出してるけど、あの子幽霊からもしかして(生きていれば)100歳くらいだったりして。その場合コガラシくんとの関係おねショタになるのだろうか。「夏のあらし!」っておねショタ

 

ロード オブ ヴァーミリオン 紅蓮の王

 今週の悲劇スクエニのアケゲー原作バトルアニメ。同じくスクエニのアケゲー原作アニメに「ガンスリンガーストラトス」があるけれど、あっちはチーム対戦シューティング、こっちはリアルタイム対戦トレカアニメカードは出てこない)。アニメとしては両方共スクエニ感のある厨ニっぽさ全開のキャラデザになっていて好き。内容も共に殺し合いがメインのバトルアニメ。ちなみにガンストの監督江崎慎平は今期はねバド監督を務めている。

 シェイクスピア引用世界異変というシナリオは「絶園のテンペスト」を思い出す。あっちの作品は妹の謎を解き明かす話なので、こっちのほうが血なまぐさい。絶園のテンペスト監督安藤真裕は今期の天狼で監督を務めている。

 

スペースバ

 スペースノイドアースノイド宇宙遭難する話。シナリオ地球を目指して宇宙を漂うSF王道なので、マジで先が見えない。

 ピクサーみたいな3DCGアニメを30分枠で1クールやるの?マジで?な作品。めちゃくちゃ動くので観るほどに「マジで1クールやるの?」ってなる。すごい。ディズニーチャンネルを観ているようなノリかつBGMも良い作品

 

深夜!天才バカボン

 コント天才バカボン2010年代らしくリメイクしたら」。壮大に何も始まらないので、1話は実質0話。

 0話は旧作オマージュ(というかそのまんま)を非常に高い再現度で作っていて、本作への愛を強く感じる。絶妙に荒い4:3のあの感じが観れてよかった。内容としてはかつての「おそ松さん1話のように、旧作リメイクに係るあらゆる懸念ネタ昇華していくスタイル現代っぽさがあるかどうかはさておき、バカボンパパのヤバさが際立っていて逆に新鮮に感じる。バカボンパパのヤバさは普遍的だった。旧作知らんけど。

 

ゾイドワイルド

 タカラトミーの新しいおもちゃアニメ。今回は野生解放機能付き。男の子ゾイド出会って旅に出る話。

 本作のゾイドめっちゃ小さい。でもゾイドゾイド。動きもゾイドだし、モチーフ動物昆虫恐竜等なんでもあり。おもちゃコンテンツとして無敵じゃん!

 ストーリーの中でもゾイドは畏怖の対象であったり、ゾイドを利用した軍隊帝国があったり野性味あふれる生き物だったりは旧作のまま。登場するキャラクターは全体的に、子供向けのわかりやすデザインになっている。

 旧作のゾイドは「ビビったら負け」というシステムだったけれど、本作は「動かなくなったら勝ち」になってる。わかりやすいね戦闘シーンはあのゾイドの動きがまた見れるのでやっぱり面白い

 

夢王国と眠れる100人の王子様

 異世界転生から始まるRPGファンタジー系の王道ストーリー。とはい異世界転生要素は薄味、かつ「こんな感じの魅力的な世界ですよ」的な演出も控えめ。原作ソシャゲなので、王子様集めが縦軸。かつ王子様同士の会話や戦いがメイン。

 

悪偶 -天才人形-

 中国ゴーストバスターズゲゲゲの鬼太郎みたいな社会派。でも日本お化けと比べてずっと生々しいモチーフ。「伊藤潤二コレクション」みたいな。でも1話完結でもなければSSでもないのでのんびり観るやつ。

 まさか天才はみんな体に悪偶を宿していたなんて。絶対に許せない。ついにアニメ真実に気づいてしまった。気になるのは「悪偶を宿した天才を加工した悪偶を宿した天才」みたいな入れ子構造というか天才ロンダリングがあるのかどうなのか。

 

音楽少女

 キングレコード謹製の、アイドルお仕事アニメ(実質星色ガールドロップ続編)。1話はほぼキャラ紹介だけ。おそらく「アイドル活動の中で一番楽しいであろう時期」を舞台にしてる感じがある。業界大手事務所主人公スカウトされるわけでもなく、金の問題事務所社長夜逃げするわけでもなく、長年の活動が実を結ばず、雰囲気が最悪の状態から始まるわけでもなく。みんななんだかんだ楽しそう。

 観ていて思うのは、「ファンってすげーな」という点。アウトプットに対するあらゆるリアクションが得られるのはファンのおかげで、協力して良いものを作っていこうという上昇志向を共有している姿はまるで運命共同体みたい。すごいね

 冒頭こそ3DCGアニメーションによるライブシーンがあるけど本編のライブ作画アニメーション。今後どっちを使うのかな。

 

兄に付ける薬はない!

 中国発信のショートアニメ。駆け抜けるテンポ感。化物語の阿良々木家みたいな、しょーもない兄貴と手癖の悪い妹の掛け合い好き。

 

働くお兄さん!の2!

 社畜度マシマシ。そして安定の杉田

 

総評

 AmazonPrimeVideoとNetflixの囲い込みが11作品とかなり多い。加えてAmazonは「dアニメストア for Prime Video」というd'アニメストアニコニコ支店みたいなサービスを開始、さらスカパー版やキッズステーション版なども展開している(それぞれのチャンネルで見れる作品はまだ少ないらしい)ので、そのうちAmazonNetflixだけでほとんどのアニメ網羅できるようになるかも。一方独占配信で言うと、スカパー、FOD独占配信に加えて今期からあにてれテレビ東京サービス)独占配信アニメもある(けもフレ新作もこれ)ので、アニメ視聴のVOD縛りに限界を感じる。これからは「今期は何のアニメ見てる?」じゃなくて「普段何使ってアニメ見てるの? TOKYOMX? BS? FOD? それともアマプラ?」から会話を始めたほうが良いのかもしれない。

 

最後

 新作1話全部視聴はおすすめできない。とか言いながらこれを書くのも3回目だけれど、なんでまた書いたのかといえば、単純に「アニメを観るため」だったりする。最初は「もっと最新アニメ面白さを知ってほしい一心レビューを書くため」という大義名分があったおかげで沢山のアニメを観ることができたし、今は「たくさんアニメを観るほどもしゃもしゃするから、これを増田にでも投げて気分転換しよう」という良いガス抜き手段になっているのだ。おかげで多くの面白い作品を知ることが出来たし、同時に多くの時間を失った。そう考えると、やはり新作1話全部視聴はおすすめできない。

 こんな覚え書きでも、誰かのモチベにつながれば嬉しいな。

2018-04-26

志明館便り(抜粋

志明館便り

平成28年創刊号(2016/7)】

A3裏表カラー

・2016/6/13 橋田代表山口副代表、八尋副代表三者鼎談

・2016/6/27 谷井宗像市長の思い

宗像市は古くから教育のまち」「高い教育理念を掲げる志明館小中学校の開設に最適の地」「今後、地元議会理解を得ながらできる限り協力したい」

・2016/6末 寄付金総額3088万円

建築分科会報告。建築設計シーラカンスK&Hに決定。工藤和美代表国家戦略特区WG委員。ほか、宗像市都市計画課、清水建設造成)交え協議中。

教育・総務分科会報告。名進研小、才教学園、北陸学院視察。

平成28年秋 第2号(2016/10)】

A3裏表カラー

スクールカラー山桜の色「志紅色」に決定。桜は武士道象徴

ホームページ開設。

独自設定科目「国学」を設定。日本人四要素である「和、誠、礼、勇」を身につけ、新しいもの伝統共存を目指す。

・「到知」2016年12月号に山口副代表インタビュー掲載

・2・3・3・1制の9年制

・1-2年生 偉人伝や神話を学ぶ。宗像大社里山で学ぶ。

・3-5年生 オーストラリア教育使節皇居清掃。英語GTEC GRAED(※)2、漢字検定3級を必取得。

・6-8年生 希望制で部活開始。寄宿教育スタート英語GTEC GRAED(※)3を必取得。

・9年生 卒業論文自主研修計画作成英語GTEC GRAED(※)4を必取得。

※はベネッセの検定かと思われる。綴り原文ママ

・校舎レイアウト

子供達の「知 徳 体 志」を育む。宗像市河東に拡がる悠久の森。

瞑想の部屋(国学室):落ち着いた部屋で、暗転するなどICT等に対応した国学の部屋。

寄付金財務分科会報告。橋田代表、両副代表が、東京電力数土会長数学者の弘中平祐氏、伊藤哲郎元警視総監らと東京面談

・2016/9末 寄付金総額3704万円

平成29年春 第3号(2017/4)】

A4裏表カラー

幹事副代表の八尋氏が開設準備室室長として陣頭指揮を執る。

・「志明会」を創設し、賛同者の拡大を図る。

武田薬品会長長谷川氏、フォーバル会長大久保氏、九州国際大学学長西川氏、イメージプラン代表取締役田口氏、中村学園教授占部氏の応援メッセージ

・2017/3末 寄付金総額4144万円

平成30年新春 第4号(2018/1)】

A4裏表カラー

・2017/12 費用見積もりが見込みを大きく上回るため、開校予定地を宗像市市有地から変更し、宗像市福津市周辺の用地を調査中。2022年4月開校を目指す。

2018年6月までに寄付金2億円到達を目指す。

山口副代表新刊「和誠礼勇」を紹介。

・2017/12 東京志明会発足。共同代表石原JR九州相談役が開会挨拶

台湾志明会の結成準備。

・2017/12寄付金総額4904万円

2017-05-19

原因・背景[編集]

1871年(明治4年)10月宮古島から首里年貢輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風遭難した。乗員は漂流し、台湾南部に漂着した。船には役人と船頭・乗員合計69名が乗っていた。漂着した乗員66名(3名は溺死)は先住民現在台湾先住民パイワン族)に救助を求めたが、逆に集落拉致された。

先住民とは意思疎通ができなかったらしく、12月17日遭難者たちは集落から逃走。先住民は逃げた者を敵とみなし、次々と殺害し54名を斬首した(宮古島島民遭難事件)。12名の生存者は、漢人移民により救助され台湾府の保護により、福建省の福州経由で、宮古島へ送り返された。明治政府清国に対して事件の賠償などを求めるが、清国政府は管轄外として拒否した。翌1872年明治5年琉球を管轄していた鹿児島県参事大山綱良は日本政府に対し責任追及の出兵を建議した。1873年(明治6年)には備中国浅口郡島村現在岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が起こった[1]。これにより、政府内外で台湾征討の声が高まっていた。

開戦準備へ[編集]

副島種臣

宮古島台湾遭難事件を知った清国アモイ駐在アメリカ合衆国総領事チャールズルジャンドル(リゼンドル、李仙得)は、駐日アメリカ公使チャールズ・デロングを通じて「野蛮人懲罰するべきだ」と日本外務省提唱した。

初代龍驤台湾出兵旗艦であり副島種臣大久保利通をそれぞれ、中国に運んだ。

孟春(砲艦)は三本マストスクーナー型鉄骨木皮の小型砲艦で、台湾出兵に参加した。

外務卿副島種臣はデロングを仲介しルジャンドル会談、内務卿大久保利通ルジャンドル意見に注目し、ルジャンドル顧問として外務省雇用されることとなった。当時の明治政府では、朝鮮出兵を巡る征韓論などで対立があり、樺山資紀や鹿児島県参事大山綱良ら薩摩閥は台湾出兵を建言していた。これらの強硬意見の背景には、廃藩置県によって失業した40万人から50万人におよぶと推定される士族の不満のはけ口を探していたことがある[2]。

1873年、特命全権大使として清国に渡った副島外務卿は随員の柳原前光を用いて宮古島台湾遭難事件などの件を問いたださせたが[注釈 1]、清朝の外務当局は、台湾先住民は「化外」であり、清国統治のおよばぬ領域での事件であると回答して責任回避した[1]。その後、日本ではこの年秋、朝鮮使節派遣をめぐって政府が分裂し(明治六年政変)、また、翌1874年1月の岩倉具視暗殺未遂事件、2月の江藤新平による反乱(佐賀の乱)が起こるなど政情不安が昂じたため、大久保利通を中心とする明治政府国内の不満を海外にふり向けるねらいもあって台湾征討を決断し、1874年明治7年)4月、参議大隈重信台湾蕃地事務局長官として、また、陸軍中将西郷従道台湾蕃地事務都督として、それぞれ任命して軍事行動の準備に入った[1]。

明治六年政変における明治天皇勅裁は、ロシアとの国境を巡る紛争を理由とした征韓の「延期」であったため、ロシアとの国境が確定した際には、征韓派の要求が再燃する可能性が高かった。政変下野した副島にかわって外交を担当することとなった大久保としては、朝鮮よりも制圧が容易に思われた台湾出兵をむしろ積極的企画したのである

台湾での戦闘[編集]

西郷従道

台湾出兵に対しては、政府内部やイギリス公使パークスやデロングの後任のアメリカ公使ジョン・ビンガム(John Bingham)などからは反対意見もあった。特に参議木戸孝允らの長州系は征韓論否定しておきながら、台湾への海外派兵をおこなうのは矛盾であるとして反対の態度をくずさず、4月18日木戸参議辞表を提出して下野してしまった。そのため、政府は一旦は派兵の中止を決定した。

台湾出兵時の日本人兵士

水門の戦 最も激しい戦いであった。当時の日本人による版画[3]

国立公文書館が所蔵している公文書によると1874年4月4日三条実美により台湾蕃地事務局が設置される。(以後の任命は当時太政大臣であった三条実美からの奉勅となっている)同年4月5日台湾蕃地事務都督に西郷従道が任命される。[4]同年4月6日谷干城赤松則良に台湾蕃地事務局参軍と西郷従道を輔翼し成功を奏する事を任命される。[5]同年4月7日海軍省から孟春艦、雲揚艦、歩兵第一小隊、海軍砲二門と陸軍省から熊本鎮台所轄歩兵大隊砲兵一小隊出兵命令が命じられる。[6]という経緯になっている。

5月6日台湾南部上陸すると台湾先住民とのあいだで小競り合いが生じた。5月22日台湾西南部の社寮港に全軍を集結し、西郷命令によって本格的な制圧を開始した[1]。6月3日には牡丹社など事件発生地域を制圧して現地の占領を続けた。戦死者は12名であった[1]。しかし、現地軍は劣悪な衛生状態のなか、亜熱帯地域風土病であるマラリアに罹患するなど被害が広がり、早急な解決が必要となった。マラリア猖獗をきわめ、561名はそれにより病死した[1]。

収拾への交渉[編集]

明治政府は、この出兵の際に清国への通達をせず、また清国内に権益を持つ列強に対しての通達・根回しを行わなかった。これは場合によっては紛争の引き金になりかねない失策であった。清国の実力者李鴻章イギリス駐日大使パークスは当初は日本軍事行動に激しく反発した。その後、イギリス公使ウェードの斡旋で和議が進められ、8月、全権弁理大臣として大久保利通北京に赴いて清国政府交渉した。大久保は、ルジャンドルフランス人法学者ボアソナード顧問として台湾問題交渉し[7]、主たる交渉相手総理衙門大臣の恭親王であった[1]。会談は難航したが、ウェードの仲介や李鴻章の宥和論もあって、10月31日、「日清両国互換条款(zh)」が調印された[1][7]。それによれば、清が日本軍出兵を保民の義挙と認め、日本は生蕃に対し法を設ける事を求め、[8]1874年12月20日までに征討軍を撤退させることに合意した。 また日清両国互換条款互換憑単によると清国遭難民に対する撫恤金(見舞金)10万両(テール)を払い、40万両[注釈 2]を台湾の諸設備費として自ら用いる事を願い出費した。[9]また、清国日本軍の行動を承認したため、琉球民は日本人ということになり、琉球日本帰属国際的に承認されるかたちとなった[1]。

帰結[編集]

日本清国との間で帰属がはっきりしなかった琉球だったが、この事件の処理を通じて日本に有利に働き、明治政府は翌1875年明治8年)、琉球に対し清との冊封朝貢関係廃止明治年号使用などを命令した。しか琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。

1879年明治12年)、明治政府のいわゆる琉球処分に際しても、それに反対する清との1880年明治13年)の北京での交渉において、日本沖縄本島日本領とし八重山諸島宮古島中国領とする案(分島改約案)を提示したが、清は元来二島領有は望まず、冊封関係維持のため二島琉球に返還したうえでの琉球王国再興を求めており、また、分島にたいする琉球人の反対もあり、調印に至らなかった。

また、明治政府兵員輸送英米の船会社を想定していたが拒否され、大型船を急遽購入して国有会社の日本国郵便汽船会社に運航を委託したがこれも拒否され、大隈重信はやむなく新興の民間企業である三菱を起用することに決定したが[10]、この協力により、以降、三菱政府からの恩恵を享受できることとなり、一大財閥になるきっかけとなった[11]。

台湾出兵と熱帯病[編集]

被害[編集]

日本軍の損害は戦死8名、戦傷25名と記録されるが、長期駐屯を余儀なくされたため、マラリアなどの感染症に悩まされ、出征した軍人軍属5,990余人の中の患者延べ数は1万6409人、すなわち、一人あたり、約2.7回罹病するという悲惨な状況に陥った。

軍医部の対応[編集]

1871年(明治4年)、兵部省は、陸軍省海軍省に分かれ、軍医寮は陸軍省に属し、軍医頭は松本良順(のちに順)であった。台湾出兵当時、軍医部は創立より日が浅く経験不足であったが、総力を挙げて事態にあたった。出征軍の医務責任者は桑田衡平二等軍医正(少佐相当)、隊付医長は宮本正寛軍医大尉相当)であった。他に24名の医官を従軍させた。医官は全員奮闘したが、極悪の環境と猛烈な伝染病で病臥する者が多く、西郷都督からは薬だけでも兵士にあたえてほしいと要請された。医官の多くは漢方医で、熱帯病の治療にはまったく経験がなかったという。かれらは交代の22名が到着したため、ようやく帰国できた。宮内省から外国人医師が派遣された。ドイツ出身のセンベルゲル(Dr. Gustav Schoenberg)は、東京大学医学部前身にあたる大学東校お雇い外国人医師レオポルト・ミュルレルの推挙であったが、能力がなくトラブルを起こした。しかし、彼とともに送られた6台の製氷機械は大いに役に立ったといわれている[12]。

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

 
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