はてなキーワード: 旅館とは
柳原白蓮(1885年10月15日 - 1967年2月22日)、本名は燁子。
大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。
1910年11月、上野精養軒で燁子と九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門との見合いが行われた。
燁子は当日、それを見合いだとは知らされていなかった。
伝右衛門は50歳、親子ほどの年齢差・身分・教養ともあまりに不釣り合いであり、
地方の一介の炭鉱主が「皇室の藩塀」たる伯爵家から妻を娶るのは前代未聞のことで、「華族の令嬢が売物に出た」と話題になった。
異例の結婚に新聞では、柳原家への多額の結納金や媒介者への謝儀、宮内省への運動資金など莫大な金が動いたことが書き立てられた。
背景には貴族院議員である兄義光の選挙資金目的と、一代で成り上がった伝右衛門が後妻に名門華族の家柄を求めたことがあったと見られている。
翌1911年2月22日、日比谷大神宮で結婚式が行われ、帝国ホテルでは盛大な披露宴が行われた。
『東京日日新聞』では結婚式までの3日間にわたり、2人の細かい経歴などを書いた「燁子と伝ねむ」というタイトルの記事が連載され、“黄金結婚”と大いに祝福された。
燁子は遊廓に入り浸ることの多かった伝右衛門に病気をうつされ大きな屈辱となり、夫婦の間の亀裂は深まった。
そんな歪んだ結婚生活の懊悩・孤独を燁子はひたすら短歌に託し、雅号「白蓮」の名で、竹柏会の機関誌『心の花』に発表し続けた。
1917年暮れ、福岡鉱務署長・野田勇に炭鉱主から贈収賄が行われた疑いで大規模な検察の調査が入った「筑豊疑獄事件」が起こる。
1918年4月初頭、野田夫人の友人である燁子は贈賄側の証人として出廷した。
公の場に現れたことで話題となり、『大阪朝日新聞』は4月11日から「筑紫の女王燁子」というタイトルで10回にわたる連載記事を載せ、大きな反響を呼ぶ。
この連載記事がきっかけで「白蓮」が燁子であること、「筑紫の女王」という呼び方が全国的に知られるようになる。
1919年12月、戯曲『指鬘外道』を雑誌『解放』に発表する。
これが評判となって本にすることになり、打ち合わせのために1920年1月31日、『解放』の主筆で編集を行っていた宮崎龍介が別府の別荘を訪れる。
龍介は7歳年下の27歳、孫文を支援した宮崎滔天の長男で、東京帝国大学法科の3年に在籍しながら新人会を結成して労働運動に打ち込んでいた。
新人会の後ろ楯となったのが吉野作造ら学者による黎明会であり、『解放』はその機関誌であった。
両親共に筋金入りの社会運動家の血を引き、時代の先端を走る社会変革の夢を語る龍介は、燁子がそれまで出会ったことのない新鮮な思想の持ち主であった。
別府に2晩宿泊し、打ち合わせを終えて日豊本線に乗る龍介を、燁子は小倉まで見送った。
その後、事務的な手紙の中に日常の報告と恋文が混じる文通が始まる。
燁子の上京の機会は伝右衛門に同行する春秋2回で、京都などで限られる逢瀬の中、2人は頻繁な手紙のやり取りで仲を深めた。
やがて龍介の周囲で燁子との関係の噂が広まり、華族出身のブルジョワ夫人との恋愛遊戯など思想の敵として、
1921年1月に龍介は『解放』の編集から解任され、4月には新人会を除名された。このことは燁子の心を一層龍介に傾かせた。
燁子は秋の上京の際に家出を決行する準備のために、伝右衛門のお気に入りで博多花柳界で名高い芸妓であった舟子を、
自分の身代わりの人身御供として舟子を伝右衛門の妾にしたのである。
龍介は新人会時代の仲間である朝日新聞記者の早川二郎や赤松克麿らに相談して、燁子出奔の計画を練り、決行した。
1921年10月20日、伊藤伝右衛門は夫婦で滞在していた東京府日本橋の旅館「島屋」から、福岡へ帰るために車で東京駅へ向かい、
妻・燁子は親族を訪問する予定で東京に残り、伝右衛門を見送った。しかし、燁子はそのまま日本橋の旅館に戻らず、行方をくらませた。
22日、大阪朝日新聞朝刊社会面に「『筑紫の女王』伊藤燁子 愛人宮崎法学士と新生活?」と失踪の第一報が伝えられる。大阪朝日の単独スクープであった。
伝右衛門は福岡へ戻る途中で立ち寄った京都の宿「伊里」で、22日朝刊の報道を知って驚愕する。
その頃の燁子は東京府下中野の弁護士・山本安夫の元に、伊藤家から伴った女中と共に匿われていた。
山本は龍介の父・宮崎滔天の友人であり、子供の頃から親しい龍介に相談を受け、燁子の身柄を預かっていた。
22日夜、山本は新聞各社に燁子の居所を連絡し、記者が押し寄せて取材が行われ、23日朝刊には記者に対応する燁子の写真が掲載される。
朝日のスクープは、姦通罪を逃れるため、龍介が新人会の仲間で友人の赤松克麿や朝日新聞記者の早坂・中川らに相談し、
マスコミを利用して世論に訴え、人権問題として出奔を正当化するために仕掛けられたものだった。
女から男に宛てて、新聞という公器を使って縁切りの宣言を行うという前代未聞の出来事に対し社会的反響は大きく、
大阪朝日24日夕刊には、5百余通の投書が殺到した事が書かれ、世間を大いに揺るがす事件として受け止められた。
柳原家や燁子が身を寄せた山本家には多くの賛否の手紙の他、脅迫まがいのものも届いた。
10月24日に福岡に戻った伝右衛門は親族会議を開き、友人の炭鉱主らも同席する。そこで宮崎龍介・赤松克麿らの思想的背景が問題となる。
伝右衛門ら炭鉱主は当時頻発していた米騒動やストライキに神経をとがらせており、彼らによって労働争議の標的にされる恐れがあった。
また姦通罪で訴える事は、今上天皇の従妹である燁子を投獄する事でもあり、宮崎側に関与する事は避け、問題は柳原家と伊藤家の両家の間のみに絞られた。
11月1日夜、東京丸の内の日本工業倶楽部の一室に伊藤・柳原両家関係者が招集される。
この席で燁子を伊藤家から正式に離縁する事が決められ、伊藤家に残した燁子所有の調度品や衣類・宝石類を柳原家に託し、
燁子名義の土地・家屋・株券などは名義を変更して伊藤家に返還する事などが決められた。
11月2日、仲介役の奥平伯爵が築地精養軒で新聞通信社に燁子と伝右衛門の離縁を発表し、3日付の新聞に掲載される。
事件からわずか10日後、伊藤家側は極めて寛大な処置で迅速に身を引いた。
伝右衛門は一族に「末代まで一言の弁明も無用」と言い渡し、「上京して姦夫姦婦を二つに重ねて四つに叩き斬る」と息巻く地元の血気盛んな男達にも「手出しは許さん」と一喝した。
福岡天神町の銅御殿落成の翌日、11月27日に伝右衛門と燁子の離婚が成立する。
駆け落ち騒動の最中に生まれた長男・香織と共に宮崎家の人となった燁子は、それまで経験したことのない経済的困窮に直面する。
弁護士となっていた龍介は結核が再発して病床に伏し、宮崎家には父滔天が残した莫大な借金があった。
裁縫は得意であったが炊事洗濯は出来ない燁子に代わり、姑の槌子が家事と育児を引き受けた。
燁子は小説を執筆し、歌集も出版、色紙や講演の依頼も引き受け、龍介が動けなかった3年間は燁子の筆一本で家計を支えた。
この頃、吉原遊廓から脱出した花魁の森光子が宮崎家に駆け込んで助けを求めている。
その後も娼婦の救済活動は続けられ、1928年にも吉原から子持ちの娼妓が宮崎家に駆け込んでいる。
この活動は暴力団に狙われる危険なものであったが、燁子にはかつて伊藤家で舟子ら同性を
身代わりの人身御供にした罪の意識があり、娼婦の救済はその罪滅ぼしもあったと見られる。
1944年12月1日、早稲田大学政経学部在学中の長男が学徒出陣し、
翌1945年8月11日、所属していた陸軍・鹿児島県串木野市の基地が爆撃を受けて戦死した。
龍介の手厚い介護のもと、娘夫婦に見守られ歌を詠みつつ暮らした穏やかな晩年であった。
月3000円くらいかかる。
なんで飲んでるかと言うと、元々生理不順で、旅行とか脱毛とか予定入れる時、いつ生理になるかわからないので憂鬱だったのが一番大きい。
生理中の腹痛とか吐き気は2日くらいだったけど、一年換算で24日生理のせいで体調悪いのってアホらしかったなってピル飲んでから思ってる。
彼氏ができてからは、望まない妊娠を防ぐためっていう理由も加わった。
でも生理があるせいで月3000円って高いなぁって思う(ナプキンとか含めればもっと高いけど)
年36000円って、わたし年収300万だから1.2パーセントじゃん…ていうか、手取りはもっと低いんだからもっと割合しめてるじゃん…
お金に困ってるとかじゃないけど、36000円あったら箱根辺りでいい旅館泊まれるのに、そんな機会分をただ生理に使うのがもったいない
いや、枕営業てのは生保レディだけじゃないよ。もちろん客とのパワーバランスだけどね。
向いてないタイプだったけど、けっこうイイ体してたので(w)、おれも下心あって
かなり注文だしてやってたのよ。つうか営業成績の半分くらいは俺の注文だったと思う。
だから誘ったら断れないだろうと自信があったw。だって野○は成績わるいとすぐアレだからね。
旅館にチェックインして、「とうぜん分かってるよね?」と聞いたら、うつむいて「はい」と答えたので
とりあえず一緒に風呂に入ることにした。脱衣場ですでにビンビンに勃起してもうた。
だって服ぬいだら想像してた以上にナイスボディだったし、緊張してる顔が妙に色っぽいんだもんw
でフェラしてもらったのだが、あんまり男に慣れてなかったんだろうな。
すげー下手くそで全然気持ちよくない。一生懸命さは伝わってきたんだけどね。
で、「もういいよ」て言ったら、「すみません」てちょっと涙目になってて
木曜日の午後および金曜日全部有給休暇取得して二泊三日の旅行した。その時の全記録を試みる
午後出発→面白施設に到着。貸し切り状態。俺は園外でサイクリング。同じ場所をグルグルしてた。→夕方五時過ぎ料理旅館に到着。→あわただしくお風呂(家族風呂だった!)→午後六時食事開始、お魚居酒屋的なメンツだった。→腹いっぱい→午後九時就寝(子どもと一緒に寝落ち。
午前五時起床→朝ごはんが午前七時(昨日、鍋の残りを雑炊にしてもらった。魚の頭など煮込んだもの)→午前八時過ぎ旅館を出発→山の中腹にある薬草園到着→スーパーにクーポン券消費=買い物→午前十一時遊覧船搭乗に付き合う→芝生広場でランチ→博物館見学→車移動→道の駅で踊り食いする子どもに付き合う(自身はその間コーヒー)→車移動→玄○○公園に到着。→そっからミニベロを積み下ろし、この日の旅館までサイクリング。→旅館で酒飲んで待機する→外湯めぐり(一か所)→夜ご飯が午後六時→食後外湯めぐり(三か所)→子どもの射的に付き合う→子供を寝かしつけ→妻と一緒にテレビ見る→就寝
午前六時過ぎ起床→朝ごはんが午前七時→外湯めぐり(一か所だけ)→旅館の部屋で読書→旅館を出発→車移動→観光地に到着。レンタルサイクル→自転車で遊園地にまで移動(登山)。→子どもが遊んでいるのに付き合う→下山→サイクリングで○○まで移動(死ぬほどきつかった)→途中のスーパーでランチ(といってももう午後三時すぎてた)→○○に到着。景色を楽しむ。船に手を振る→サイクリングで元の場所に戻る→借りたものを返す→車移動→ファミリーマートでいろいろな買い物→車移動→○○で土産物を購入→車移動→帰宅したのは午後九時過ぎ→軽食→風呂→就寝
3/27~3/28編
(夜中の1時半くらいに目が覚めたけどもっかい寝た)
間取りは実際の自分の部屋とよく似ていて、ちょうど布団の足元にふすまがあり、その奥が部屋の入口になっているようだ。
寝ているという自覚を持ちながら寝ている、という奇妙な状態。夢あるある。
部屋も真っ暗なはずなのになぜかそれが着物を着た女性だということが分かる。夢あるある。
着物の女性は布団で寝ている自分の横を通り過ぎ、枕元に置いてあった荷物を漁り始めた。
「なるほど、物盗りか。」
寝ているが意識はあるというよくわからない状況にいた自分は、よし、とっちめてやろうと決意する。
女性が用を終え立ち去ろうとした瞬間、布団から起き上がって「おい!」と呼び止めた。
というところで、聞いたこともない自分の低い声が喉から発せられて飛び起きた。
もちろん現実の部屋の枕元に荷物は置いていないし、着物の女性はどこにもいないし、そもそも和室ではない。
ていうか現実でもし夢のような場面に遭遇した時、とっちめてやろうとか思っちゃだめだろと思う。
体格に自信があって格闘技の覚えでもあるなら話は別だが、深夜に他人の部屋に入り込むような輩がこちらを物理的に襲わないとも限らないのに。
中学高校と男子校だったこともあり、女性に免疫ができず、自己嫌悪もあって青春とはかけ離れた学生生活。
童貞を捨てれば自信がつくかもしれないと思って、大学3年のときにネットで知り合った年上女性と会った日にホテルに行くも、緊張でたつものもたたず撃沈。
その女性のおかげで3ヵ月後に捨てることは出来、なあなあで結婚する事情があって2年で離婚。
25にして再び独身生活が始まった。
Aというオンラインの友人がいた。
彼女は学生のテレホ全盛期にゲームのサイトで知り合った同じ年の女性。
プログラムの仕事を自営でしている私は、夜中仕事をしながら彼女とメッセをするのが日課だった。
学生のときから一度も会ったことが無かったが、私は離婚、Aは結婚破談、なんとなく環境が近かったのだろう。
何かのきっかけで会おうということになった。
少し暗そうな感じのAだが、ブツブツと小さい声で面白い冗談をしゃべる子だった。
お互い緊張してチャットのように話せなかったが、思ったよりかわいい子だなという印象だった。
そしてお互い人肌恋しかったんだろう、勢いで二人で旅行に行こうという話になった。
やれるとおもった。
旅館に一泊で旅行にいったが、車の中での会話はチャットのようには弾まず、自分の緊張やの押しの弱さが原因で、結局別の布団で寝て何も無かった。
Aは私が寝るまでタバコをふかして窓の外を見ていた。
自己嫌悪いっぱいの旅行から帰って一週間後、男性に告白されて付き合うことにしたとAがメッセで言ってきた。
別に好きでもなかったと思ってたのに、人の手に渡るとすごく悔しかった。
Aは別れたり、ダメって分かってるのに離れられない、悪魔だわと私に愚痴を言いながら付き合っていた。
そう思って自分のモンモンとした気持ちを整理をつけようとしていた。
結局半年位して別れたらしい。
そして、モンモンとした気持ちは消えていった。
Aは私のことを「いいんだけどなんか残念な感じ」という印象だったとチャットで聞いた。
月日は流れて30になった。
友人の少ない自分には、Aとのチャットが日課であり生活の一部だったのだろう。
ある日なんだかチャットで落ち込んだ感じのAに、久しぶりに飯でもいこうと誘った。
がんばってちょっとこぎれいなレストランを予約して、久しぶりに会った彼女は前より少し綺麗になった感じだった。
しゃべり方はあいかわらず、ボソボソとしていたが冗談をいって私を笑わせてくれた。
食事の後彼女が誘ってくれたバーにいって話していたら、ろうそくに照らされた彼女の顔が一段と綺麗に見えた。
そこで恋心に火がついてしまったのだろう。
よく分からないけどこの気持ちはたぶん好きに違いないと思った。
彼氏がいないのも知っていた。
次の日言いたいことがあると告げて、彼女のマンションまで片道高速2時間。
好きだから付き合って欲しいと伝えた。
40の単なるおっさんだという。
私は帰り際に1度だけ抱きしめさせてといって抱きしめて、車の中でばかやろーっていいながら家に帰った。
初めてソープにいって気を紛らわそうとしたりもした。
そのあと私がAに対してとった行動は「5万で一晩ともにして欲しい」というとても最低なものだった。
Aと1度でも寝たら、この張り裂けそうな気持ちがスッキリなくなるのではないかと思ったのだ。
Aは一蹴した。
何度もお願いをして5日目くらいに今すぐ来るならいいよといわれたので、夜中高速をすっとばしてAの家でそういう行為をした。
Hうまいねといわれた。気持ちがこもっていたから事実だったのかもしれないし、みんなに言うのかもしれない。
4,5回そういうことをしたのを覚えている。
私の中であった変化はというと、毎回5万円はきついなというのと、帰る時に俺名にやってるんだろうと朝帰りに思うこと。
朝、Aに「帰らないで」といわれたけど、仕事をサボれない私はごめんといって帰ったのを覚えている。
払わない日もあった。
私は性病にかかった。
今思えばソープが原因だったわけだが、そのときは彼女から移ったと思った。不倫相手がもってたに違いないと。
Aに検査するように薦めたが、結果Aはシロだった。
私は薬を飲んで1ヶ月ほどで治った。
一緒に食事に行くことはあってもその後の展開は無かった。
手に入らないようになると、麻薬が切れたかのようにAが欲しくて欲しくて仕方が無くなった。
Aのことで頭がいっぱいになって、Aの不倫相手が恨めしくて、Aがメッセから落ちたら不倫相手と寝てるのかと妄想した。
もはや病気だった。頭の中は仕事と彼女のことだけ。半年~1年はその状態が続いた。
そんなとき、数年ぶりにあう学生時代の友人がホーパーティーに誘ってくれた。
きょどりながら参加した。
その後もその友人は合コンにも誘い出してくれた。
人数あわせもあっただろう、当時の自分を誘ってくれたことに感謝している。
きょどりながらもパーティーや合コンに参加していると、最初はオブジェでも少しずつのりがよくなってきて、女の子のメールアドレスや電話番号を少しずつゲットできるようになってくる。
お互い興味が無い同士でも、その子と自分で幹事をすればまた合コンができることが分かる。
既婚者にも声をかけた。
そうこうしているとAのことはすーっと心の中から無くなっていった。
いろんな経験を経て、1年位して素敵な人に出会い、30後半の私は今再婚して子供がいる。
Aとのことが無かったら、パーティーに参加していなかった。
Aと寝なかったら、彼女が欲しいとかやりたいとかも思わなかった。
きっと再婚することは無かっただろう。
Aには幸せになって欲しいと願っている。
数年に一度は自分に襲い来る長野まゆみ作品ブームにはまっている最中のため、あまり商業BLを読めていない今日この頃。残り少ないお小遣いも、長野先生の新刊(非BL)を買うために温存中。
ちなみに、長野まゆみ先生の書くものの多くには男×男の恋愛要素があるのだが、「非BL」作品扱いなのは何故なのかというと、BLレーベル以外から出版されており、商業BLの定義にあてはまるようなBLではないからというだけ。商業BLには面倒臭いルールがあるのだ。例えば、基本的にハッピーエンドとか、攻めの浮気厳禁とか、無駄に女を登場させてはいけないとか。
世界は人の住まう「現世」と人ならざる者の住まう「常世」に別れている。主人公の天野は、常世から来た者たちが利用する人里離れた旅寓(旅館)で働いている。
ある日、常世の王・ツクヨミが旅寓に骨休めにやって来た。傍若無人なツクヨミに天野は振り回されるが、ツクヨミにかつて自ら命を断った友人の面影を感じ、気になってしまうのだった。
これはある特定の層にピンポイントでぶっ刺さるやつなのだろうと思うが、生憎私自身はこういう系を好きこのんで漁って読む方ではないので、せいぜいハジ先生の『坊主と蜘蛛』を読んだくらい。BL外の作品ではたとえば『千と千尋の神隠し』とか『しゃばけ』とか『蟲師』とか『夏目友人帳』とか『モノノ怪』とか『家守綺譚』とかそこら辺が好きな人向けなんじゃないか。あ、私の好きな『左近の桜シリーズ』(長野まゆみ)もこういう系だな、そういえば。
特定の層にピンポイントでぶっ刺さる系なので、『極夜』のレビューを某BLレビューサイトで見るとけっこう良さげなのだが、泣いたとか感動したは言い過ぎなのではないかと、私は思う。そこまですごくはない。まあまあ良い話だとは思うけど。
事前調査なし・試し読みなしで買って読んだら、表紙めくって出てきたカラーイラストが『鴆――ジェン――』のフェイ将軍とツァイホンの絵だったので、私は買う本を間違えたのか? と一瞬慌てた。調べたら、この『極夜』というタイトルの単行本、文善やよひ先生が『鴆』の大ヒットで人気作家になったために、絶版になっていた過去作品を『極夜』と改題して復活させたものだった。表題作の他に『鴆』の番外編も同人誌から再掲。なるほど、今の文善先生はかなり手練なプロ作家という印象だが、『極夜』は確かに若いなって印象だ。『鴆』はpixivコミックで2話まで無料で読める模様。
文善先生の大ファンの人で過去作品全部コンプしたい人向け。文善作品にちょっと興味があるくらいなら、回り道せずに『鴆』シリーズか『蟻の帝国』を読むといいのでは。
エロシーンがしめやかでいいな。私はあまりこれ見よがしな感じのエロシーンは好まないので。それと、ベタとスクリーントーンが少ない為にエロシーンの白抜きが煩く見えなくていい。
しかし、シンプルめな画風でもごっそりと白抜きのかかるのって。以前、某お気に入り作家さんのBL作品がシーモアで無料になっていたので読んでみたところ、修正レベルがシーモアだったのでKindleでは輝く白さに消されるべき所が薄ぼんやり見えていたのだが、薄ぼんやり越しにもそこがかなり生々しい描かれ様なので驚いてしまった。な……BL作家さんって、キャラの顔はめっちゃ漫画でもおちんだけはこんなにリアルに描くもんなのか……なんでここまでおちん描写に執心してるのかわからない……と、電子書籍派Kindle使いな私は愕然とした。そんな所どうでもいいと言い切ってしまうのも何か違う気もすると思いつつ、正直どうでもいいよなあ、どうせ消される所なんだし……と思わずにはいられない。
16ページしかない掌編なので、あらすじは省く。掌編アンソロジー『掌編歳時記 秋冬』に収録された作品。サラリーマンのほんのりオフィスラブ。現代の現代的な話だから、幻想なし。エロもなし。しかし非BLなので安定のインモラル上等ぶり。
普通に現代ものなのでビビった。登場人物がちゃんと今時のサラリーマンだなんてすごい! 漢字の字形にやたら拘るところはいつもの長野先生だけれども。
こんな短い文章でボーイズがラブしているのすごい。文章は簡潔だけど、短いなかに情報量が多く、なのに情緒と風景描写が死んでいないとは。熟練のプロ作家恐るべし。と、これを読んだ時にちょうど小説投稿サイト・フジョッシーで開催されていた掌編コンテストに応募すべく四苦八苦していた私は、震え上がり畏れ平伏叩頭したのだった。プロすごい。
ところでBLとも長野先生とも関係ないけど、『掌編歳時記 秋冬』のトップバッターが先週亡くなった西村賢太先生。訃報を知ったあとに読むとほろりとしてしまう、切ない掌編だった。
猫のチマキは飼い主のマダム・ロコとはぐれてしまい、まだ赤ちゃん同然の弟・ノリマキを連れての放浪生活ののち、小巻おかあさんの家に流れ着いた。小巻おかあさんの家・宝来家は大所帯。おかあさんの息子でありまかない担当のカガミさんの他、おかあさんの亡夫の前妻・マダム日奈子、日奈子の娘の暦さん、暦さんの兄・樹の娘のだんご姫、だんご姫の叔父の桜川くん、そしてジャン・ポールが住んでいる。
そんな複雑な家庭でクセのある人々と共に暮らすチマキは、小巻おかあさんのエッセイ『コマコマ記』を真似て『チマチマ記』を書くことにした。これはチマキが宝来家にたどり着いてから約一年間の記録。
だいぶ極まった感じのロハス生活を描いた作品だが、長野まゆみ先生らしく背景には桜川くん×カガミさんのほんのり(悪魔的な)BLがある。
長野先生がこんなにふんわりした感じの森ガール(死語)が喜びそうな文章を書くなんて意外な気がする。しかも「にゃん語」とか「萌え」とかいう単語が長野作品に登場するとは、その事自体が萌え萌えしい。
だが、文体はふんわりしているのに、ことあるごとに美味しい食べ物はカロリーが高くしかも健康に悪いという現実をビシバシ突き付けてくる。なんなの長野先生サドなの? そんなに言わなくてもいいじゃないカロリーのことなんて! 普段は現実離れした作風なのになんでそこだけリアルでシビアなのか謎。極力カロリーと塩分を抑えてしかも美味しい料理を作ろうとなった時にまずは極上の食材を調達してきてそれを干す、という異様な難易度の高さ。救いなどなかった! しょうがない、貧乏人はポテチ食ってデブるしか……。
昔、向田邦子か誰かの随筆で、戦中にこっそり隠れて読んでいた婦人雑誌に「シュウクレエムのいただき方」という記事が載っていて腹を空かせながら読んだが、結びに「淑女はシュウクレエムなど食べてはいけません」と書かれていてがっかりした、とかいう内容のがあったと思うのだが、きっとその時の向田邦子か誰かの気分が『チマチマ記』のお料理場面を読んだ時の私の気分に近いんじゃないかなと思う。
難易度高過ぎロハス暮らし描写に勝手に心折られてしまったが、桜川くん←カガミさんのBLは良さげに納まったっぽいのでいいや。