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はてなキーワード: 新幹線とは

2018-12-18

四国新幹線なんていらねぇよ

あんな狭い土地新幹線なんて絶対負の遺産になるって。それより道路を整備しろ

2018-12-17

anond:20181217002134

新宿焼身自殺しても、新幹線燃えても、世界は何も変わってないぞ。

そんなことがあってもみんな忘れただろ。

2018-12-16

ふれたかったのは君らしさ

彼の住んでいるらしい町に降り立つのはもう10回目以上だった。この1年、私は自分実家がある町よりも彼の町に足を運んでいる。私の住んでいるところから彼の町なんて新幹線でも3時間半かかるというのに。彼の町に行ったところで彼には会えないけれどそんなことはどうでもよかった。

彼が、彼の人格をきっと形成した場所に、今日は初めて行った。私はものすごく寒がりで、冷え性で、体力もなくて、暗いところも嫌いで、でもいつか彼とデートするときに着たいななんて試着室で思ってカードを切った膝上丈のマーキュリーデュオワンピに履いてないも同然の薄いストッキング、8センチヒールブーツで、駅から20分私は歩き続けて、彼の痕跡今日も辿った。

野球グラウンドに降り立つの人生でも初めてだった。彼と出会う前もなかったから、初めてをまた彼に捧げられた気がして、嬉しかった。私はたくさんの初めてを彼に捧げてきたけど、彼はそのどれも、私が初めてだったことさえ知らないんだ。

グラウンドに踏み入る前、少し緊張した。一呼吸してから一歩踏み出した。数歩歩いたところで、公園電気が全て消えた。どうやら夜10時で消灯するようだった。あまりにも暗くて、ケータイライトで足元を照らしたがあんまり意味はなさなかった。

10月の末に、この公園の外から野球練習をする少年たちとコーチ大人を眺めたことがあった。彼は、野球を辞めてからもう4年が経つのに、今も野球がきっと大好きだし大切だ。そういう彼も好き。YouTubeで見た彼の声の出し方と、この時見たキャッチャー男の子の声の出し方が同じで、また彼らしさに触れられた気がして、嬉しかった。

真っ暗だし、一塁や二塁のベースも置いてなくて、でも彼の位置まで歩いた。途中、少し盛り上がってるところがあって、ここがピッチャー位置か、この前わたしキスされた彼の元相棒は、ここから彼をずっと見ていたのか、など考えた。

キャッチャーの、位置についた。なんと呼ぶのかもわからない。ホームベース、でいいのだろうか。ただ、絶対に数年前彼がいた場所だった。彼は、ピッチャーを勧められたこともあったけど真剣な顔のバッターと向き合うと笑ってしまうからだめで、オレはマウンド全体を眺める方が好きだった、と以前話していたことを思い出した。グラウンド、初めてこんな位置から見たけれどすごく広く感じた。ここで、彼はグラウンドに響き渡る大きな声を出し続けて、チームメイト鼓舞し続けて、成長してきたんだ。

なんとなく目の奥が熱くなって胸が苦しくなった。寒いからだと自分言い訳しながら、一塁ベースがあるだろう方に歩き出した。グラウンドを歩きながら、何人か覚えた彼の元チームメイト達の名前ポジションが頭をよぎった。彼は、私がこんなことまで記憶しているなんてさすがに思ってもいないだろう。

こんなこと彼じゃないとしない。家の中ですら真っ暗なところは歩けないし、中一の時男の人に追いかけられたこともあるし夜道を1人で歩き続けるなんて怖くて仕方がない。でも彼は、やっぱり私にとって特別で、大好きで、なんでもいいから彼を今夜感じたかった。

グラウンドを歩いて、そろそろ出ようと歩きながら、また彼との思い出がありすぎることを思い出した。彼を好きになって、もう2年が経つ。特にこの1年は、私にとっては奇跡運命を感じる出来事ばかりだった。でも、そのどれをとってもきっと彼にとっては運命なんてものではない。その事実が私を改めて苦しめた。だからと言って好きなのをやめる気には全くならない。

なんとなく、彼がそうするんじゃないかと思って、グラウンドを出て、振り返って一礼をした。私の中の彼はきっとそうするんだ。

2018-12-15

さらディズニーシーさら東京

とても楽しい一日を過ごすことができた

から新幹線だ。

ほっとんどただ一人で歩いているだけだったけれど、

まるで物語主人公になったかのような気分に浸れて最高だった。

相手がいればもっと楽しめるんだろうな

いつかそんな相手と巡り会いたいもの

次回はギャルと会うために渋谷に行こう。そうしよう。

っていい感じに締めくくる前に!!!

あのよおおお!

俺、ディズニー映画ほとんど見てないからこれなんだっけってしかなってなかったよ!!!

こんなんじゃ相手ができてもトークができねえのでディズニー映画見まくるわ!

おすすめがあれば教えてくんろ!

anond:20181215155820

2018-12-13

風俗のお客さんの話

常連さんがいて、わざわざ新幹線に乗って一ヶ月に一度、通ってくれていた。そのお客さんが誕生日だというので、今度店以外であってくれないかと言われた。お給料がもらえるというので、密室以外でならと会うことにした。良い子は真似しないでね。

一緒に公円を散歩して、都心の有名なフレンチに連れて行ってもらった。そこでケーキが出てきた。名前欄には私の源氏名があった。いつもありがとう、と書かれてた。なぜか涙が出そうになった。

お客さんはまた来月、と言って帰っていった。あらかじめ決めていたお給料さらに上乗せして、好きなもの買いなと言ってくれた。地獄に仏とは言うが、いいお客さんに会えたなあと思う。祖父がいたらこんな感じだったのかな。いや祖父は孫とセックスしないけど

2018-12-09

初めて失恋したら帰省してた話

☆はじめに

・滅茶長いです。数えたら4000字ありました。3000字のレポート課題は一向に進まなかったのに、皮肉ものですね。 

フツーに、私達のことを知ってる人が見たらああアイツ等のことか、と分かるんじゃないかと思います。気づいても、出来れば、自分の心に留めておいてくれれば幸いです。とはいえ、あの人はきっとこれを見ても怒ったりしないだろうけれど。



__________

20歳の冬、恋人と別れた。

あの人は違ったけれど、私にとっては初めての恋人だった。1年2ヶ月の記念日喧嘩して、1年2ヶ月と2日目に直接顔を合わせて、話し合って、2人で決めたことだった。心残りはなかった。

…はずなのに、気付いたら、私はゆうちょ銀行でありったけのお金おろしていた。そしてその足で駅へと走り切符を買って新幹線へと飛び乗った。行き先は実家の最寄駅。正直何も考えてなかった。ただただ本能の赴くままに、私は帰省してしまっていたのだ。

新幹線の中で父に「急にごめん、今から帰ってもいい?」とラインしたら、すぐ既読が付いて、それから10分後くらいに「分かりました。駅まで迎えに行きます」と返事が来た。母親にも同じようなラインをすると、「おにぎり味噌汁ならあるよ」と返ってきた。

新幹線に乗っている間、私はずっと車内の電光掲示板を眺めていた。色んなニュースが流れていたけれど、ひとつも内容が思い出せない。ただひたすらに、駅名がひとつずつ西にずれていって、目当ての駅がくるのを待った。

2時間半くらい過ぎた頃、新幹線はやっと駅についた。父から駅前牛丼屋の横に居るとの連絡が来て走ってそこまで行ったのに父がいない。ついたよと送るともうすぐ着くと返事が来た。"居る"の意味知らないのかな、父。

3分くらい待っていたら父の車が見えた。父は何も聞いてこなかった。ただ嬉しそうに、明日上司競馬に行く予定だったけど無くなりそうだということを教えてくれた。私から最近車校路上教習に突入したこととか、最近急に寒くなったこととかを話した。

からは45分くらいで実家についた。チャイムを鳴らすと母がドアを開けてくれた。お風呂沸いてるよと言われ半ば強制的風呂場に連行された。ひとり暮らしの家は狭いユニットバスで、いつもシャワーで済ませていたから足を伸ばして浴槽に浸かるのは久々だった。足先から体が温まっていくのを感じた。

30分くらいで風呂から上がり、居間に行くとおにぎり味噌汁からあげと餃子ゆで卵が用意されていた。昆布おにぎりを半分と味噌汁を少し飲んだらお腹がいっぱいになってしまたから、残りは朝食べることにした。父は知多をロックで呑んでいて、「知多?珍しいね」と言うと「中身は違うけどね」と言われた。本当の中身は過去ツイッターで不味すぎると炎上した伝説を持つトップ●リュのウイスキーだった。

そんなこんなしていると夜中の1時を回ったから、父におやすみを告げて2階の寝室に上がった。キングサイズのベッドに横になった。5分くらいすると、母が部屋に入ってきた。ベッドに座って私に一言、「頑張ったね」と言った。

その瞬間、私の両目から噴水のように涙が溢れた。元旦デパート開店直後みたいに、ものすごい勢いで色んな感情がとめどなく流れて来た。辛い。寂しい。苦しい。悔しい。なんでこうなっちゃったの。もう前みたいに遊べないの。もう好きだよって抱き締めてもらえないの。もうどの街に住もうか?なんて戯言を言い合えないの。もう、2人で添い遂げ合う人生は遅れないの。

母は、ひたすら「頑張ったね、もう充分やれることはやったもんね、辛かったね」と私の背中を撫でてくれた。そのあとに、「でも、色んな楽しいこととか初めての経験とか素敵なモノも沢山貰えたんだから、嫌な思い出にしちゃ駄目だよ。」と言った。

19歳の秋だった。

私とあの人は、同じサークルでひと夏を過ごした。かなり厳しいメニューをこなす日々で、春には名前も顔も知らなかった私達が夏が終わる頃には家族よりよく会う存在になっていた。

夏が終わるとサークル活動も一段落し、私達は顔を合わせることが減っていった。そんな時、あの人からディナーに誘われた。

他の同期も来る筈だったのに、何かと来れなくなり、2人になってしまった(これがあの人の策略だったのか、本当に偶々だったのかは結局分からずじまいだった)。2人でやっすい店に入って、色んなことを話した。好きな音楽、好きな作家高校生の頃の話、過去恋愛話。私が中高ヒエラルキー最下位大学デビュー女のため恋愛経験0の喪女であり、その当時自分アプローチしてくる人がいたのだがどう交わせばいいかからないと相談したら、フフッと笑って「ぶっ飛ばしたいなあ、そいつ」と言われた。一瞬ん?と思ったけれど、「ホントそうだよね~」などと軽く流した。

正直、全く意識していなかったのだ、恋愛対象として。ひと夏を共に過ごしたかけがえのない大切な同期、という認識だった。だったのに、やっすい店から出たあと、そんな私達の思い出の練習場で、告白された。午前2時くらいのことだった。

その時も、急に涙が溢れて止まらなかった。信じられなくて、嬉しくて、少し申し訳なくて、何より私が本当は心の奥でずっと惹かれていたことに気付かされてしまって。

あの人はそんな私の手をずっと握っていてくれた。「でも私、多分中学生みたいな恋愛しかできないよ?」と震えながら言うと、「ロミジュリジュリエットだって中学生なんだよ。」と笑って更に強く握りしめてくれた。その温もりがとても気持ち良くて、私達は手を繋いだまま眠った。

朝の6時頃に目が覚めると、夢じゃないんだと隣から聞こえる寝息に心臓バクバクした。そうしているうちにあの人が起きて、不意に抱き寄せられて、キスをした。それが私にとっての、ファーストキスだった。

その日から私達は、所謂"恋人同士"になった。数え切れないほどデートをして、旅行も行って、一緒に大学の授業を受けて、お互いの家にも行き来した。

デートは、本当に色んなところに行って色んなことをした。映画を見たり公園ピクニックしたり気になる飲食店を片っ端から当たったりショッピングモールで服やコスメ吟味したり美術館考える人の真似をしたりディズニーに行ったり(私にとっての初ディズニーだった)、割と付き合いたての頃古本屋に行ったらエロ本だらけで少し気まずくなったこともあった。

ラブホだって、行った。勿論私にとっては初めてだったけれど、何気ない会話の中であの人は初めてじゃなかったことが判明してしまってそれはもう死ぬ程泣いたな。

デート以上に、私達は沢山沢山体を重ねた。週に1、2回くらい私の家に来てくれて、近くのコンビニまで手を繋いでお酒を買いに行った。気取ったジャズなんかをかけながらお酒飲んで、ほろ酔いセックスするのが本当に大好きで幸せだった。

いつも一緒だったな、と思う。毎日のように好きとか愛してるとか言い合って、自撮りを送って褒め合ったり、記念日には詩を送り合ったりして、サイコー幸せな日々だった。

…だったけど、会うごとに、知るごとに、着実に違和感が大きくなっていったのも事実だ。

最初は、私が話しているのにスマホを見ているとか、そんな程度だった。

けれど、それは次第に、私の話になった途端全くつまらなさそうになる(電話だったら寝られる)、私の誕生日を忘れる、逆に誕生日を祝ったら明日忙しいからと電話を切られる、ご飯を食べる約束をしていたのにやっぱり家で食べるとドタキャンされる、自分が忙しくなるとライン一つくれず放置される、そして私が貴方のこういう言動が嫌だからどうにかならない?と話しても自分はこうしたいからと全く歩み寄ろうとしない、というふうにどんどん根本的なところに及ぶようになっていった。決定的に考え方や価値観が違うことに気付くのにはそれ程時間はかからなかった。

けれど、気付いたときにはもう遅かった。私は、完全にあの人に依存してしまっていた。傷ついても、傷つけても、別れることが出来なかった。本当に毎日が辛くて、耐えられなくて、覚悟を決めて別れようと言っても、本当に別れたいの?と子犬のような目をして聞くあの人から離れることはどうしても出来なかった。

 

から最後の数カ月間はお互い深い話を避けるようになってしまっていた。悩みごとや将来の話はお互い他の友人に話すようになり、2人で話すのはこのツイートがどうとかおっぱいがどうとか、本当に俗っぽい上辺だけの話題だけだった。

1年2ヶ月の記念日にした喧嘩は、それ自体はそんなに重要トピックではなかった。ただ、限界だったのだ、もう。お互いに、これまで少しずつ感じて来ていた"違和感"ゲージが、この喧嘩で満杯になってしまったのだ。

1年2ヶ月と1日の日、多分これは別れるな、と思った。頭では理解していたのだ。けれど、心が、それを受容しなかった。初めて付き合った人と結婚したい、要は一生一緒にいたいという典型的少女漫画脳と、あの人とならそれが出来る!という付き合いたての頃の自分幻想、そして何よりもまだ体験したことのない、失恋がもたらす精神的苦痛というものへの恐怖が決断邪魔をした。

から、1年2ヶ月と2日目に、決めきれずゴニョゴニョしていた私にあの人が「もう頑張らなくていいよ」と言った瞬間、スッと楽になる感覚がしたのだ。それからは驚くほどスムーズに、そしてお互い納得できる形で、私達は別れ話を終えた。最後挨拶は「じゃあ、またね」だった。

何も後悔は無かった。あれほど恐れていた失恋苦痛も感じなかった。むしろ、あの人と今までより素敵な関係性になれるのではないかという希望すら見えていた。

のに、私は、気付いたら、実家を目指して駅へと走っていたのだ。

多分、母は全部分かっていたのだと思う。父だって察していたのかもしれない。私が、初恋の人と結婚たかたことも、本気で恋人に一生を添い遂げようとしていたこと、そのために沢山沢山頑張ったこと、でもそれは結局報われなかったこと、依存や執着もあったけれど、私があの人を本気で好きだったこと。私が、本当は沢山沢山泣きたがっていること。

そう。好きだった。本気で好きなつもりだったんだよ、ずっと。ずっと一緒にいれると思ってた。だから、頑張った。初めてで、何も分からなかったけど、頑張れば一緒にいれると思ってたのに。あの人も、あの人と作り上げてきた時間も思い出も失わずに済むと思ったのに。

私はただひたすらに、思いっきり泣きまくった。そしてそのまま眠りに落ちた。母はずっと、私の横にいてくれた。

次の日、目が覚めたら昼の12時を回っていた。居間下りると父が録画した吉本新喜劇を見ていた。母はお茶を沸かしていた。私は昨日残したおにぎりと新しいおにぎり味噌汁からあげとゆで卵を食べた。餃子冷蔵庫から出し忘れていた。

その後、母と近所を散歩した。いつもより空気が冷たくて空が澄んでいた。公園について、木製の古いベンチに腰掛けた。「辛い経験や悲しい経験は全て未来自分幸せになるための布石だ」という言葉を思い出した。空を眺めがら、あのユニットバスの、小さなアパートに帰ろう、と思った。

2018-12-08

ワイ「遅れるなら連絡くれよ」

彼女新幹線には間に合ったじゃん!」

ワイ「連絡ないと心配するだろ!」バン!

彼女「机叩かないでよ!」

ワイ「叩いてねえわ!」

彼女「叩いたじゃん!」

ワイ「手が当たっただけだろ!!」

彼女「大きい声出さないでよ!怖い!」

ワイ「お前も大きい声」

彼女「お前ってやめて!!」

ワイ「いやいや、ちょっと

彼女「謝ってよ」

ワイ「えぇ…」

名古屋気になる

名古屋イヤな人は黙って出てくんだろうね東京大阪に

新幹線降りた瞬間きしめん出汁匂いを嗅ぐと「ああ名古屋だな」と思う

最賃高いし家賃安いし便利だし‥‥住もうかな

祖母名古屋人で自分幼稚園まで住んでたと言ったら少しは心の扉開いてもらえるだろうか

運転は怖くてしたくないけど

コンビニ弁当食べられない人って駅弁どうしてるの?

弁当作って持っていく?

それとも着くまで我慢する?

新幹線特急の車内にレストランとかないし。

2018-12-05

僕が電車でわざと大股開きで座る理由

僕は電車ではわざと大股開きで座っています

特に出張帰省で長時間電車にのときは極力大股開きで座るようにしています

加えて、飛行機新幹線バスタクシーでも必ず大股開きで座ります

理由は、玉袋が大きいからです。

(棒は普通サイズですが、玉袋がひとよりも大きいのです)

玉袋が大きいので、太ももの間隔を狭めて座っていると、乗り物振動ダイレクトに伝わってきます

結果、吐き気に襲われて途中下車するはめになったことがあります

それを予防するためになるべく大股開きで座っているのです。

女性にはイメージしづらいことかもしれませんが、男性生殖器デリケートで、衝撃に弱くなっています

遊び半分で蹴られてショック死したという事例が、ネットには沢山載っています

また、僕は高校生の頃は内気な性格だったので通学では我慢して行儀よく座っていたのですが、

途中で気分が悪くなって床に倒れてしまったり途中下車してホームのベンチで回復を待たなくてはいけなかったりといったことが何度かあります

さらに、大人になってからも、出張タクシーの後部座席男性3人で1時間ほど座ることになったとき

行儀よく座っていると吐き気がしてきて、途中で車を停めてもらったこともあります

(流石に股間振動して気持ち悪い、とは言えなかったので、トイレ休憩ということで停めてもらいましたが)

こうした経験が積み重なってくると、電車普通に座るのが怖くなってしまいました。

なので電車ではわざと大股開きで座っています

僕が自分の玉袋が大きいと判断している根拠

自分の玉袋が大きいことには、子供時代から気がついていました。

なので学生時代部活合宿等で浴場へ行ったときには、ひとの玉袋をチェックすることにしていました。

これまで30人以上の玉袋をチェックしてきましたが、僕ほどの大きさの人は一人も見たことがありません。

また、海水浴場へ行ったとき僕はトランクスタイプ水着を着ていたのですが、

僕だけが他の人よりも股間ちょっと盛り上がっていました。

さらに、ユニクロで股上が浅めのジーンズがあると思うのですが、あれが入りません。

正確には、物理的には入るのですが、入れた瞬間から常に股間がぐいぐい圧迫されて痛いので、履くことができません。

以上のことから、僕の玉袋は普通の人よりも大きいのだと判断しています

僕が困っていること

僕は身長170cm、体重60kgでどちらかといえば小柄な方ですし、童顔でナメられやすいせいか

大股開きで座っていると「邪魔だ」というような目つきで顔をジロジロとみられることが多々あります

また、年配の人に行儀よく座りなさいと指摘されてしまい恥ずかしい思いをしたこともあります

僕がもう少しいかつい外見ならもうちょっと楽になると思うのですが……。

さらに僕が理不尽に感じているのは、太った人への接し方との違いです。

明らかに体重100kgを越えているような巨デブは行儀よく座っていても僕以上のスペースを取っているはずです。

それなのに、巨デブには「痩せろ」と言わないのに、僕に「行儀よく座りなさい」と言ってくるのはおかしくないでしょうか。

理由理由なので大股開きで座る理由をひとに説明して弁明することができないので、

結局、居住まいを正して最終的に体調が悪くなることが多いです。

20分くらい振動を受けているだけで気分が悪くなるので、帰省電車などでこうしたことになるとかなり困ってしまます

2018-12-04

anond:20181204132810

コンクール審査にはコネは効かないけど、教育にかけられる資本それから良い先生に教えてもらえるコネ、そういうものは影響するよね。「ピアノの森」みたいなのは普通はありえない。

ピアノに関しては、そもそもついてる先生からし金持ちは違うわけで、田舎ならなおさら、そのへんに偶然すごい良い先生がいるってことはない。コンクール狙ってるような子だったら、新幹線とか飛行機東京先生にレッスン受けに行ってる。表現や音質に対するセンスだって、家で一人練習してて身につくものではない。たとえば、国外から有名なピアニスト来日したら生で聴きに出かけるような、そういう機会も金持ちだと得られやすい。あと、コンクールで弾くピアノとご家庭用のアップライトピアノだったら音の響き方もキータッチも相当違う。家にスタインウェイグランドピアノがある金持ち量産型アップライトしか練習できない子とだったら、そこでも差はついてしまう。

少なくとも、そのへんの短大音楽科とか出た先生バイエルやらツェルニーやら教えてもらって、家のピアノ一生懸命練習しても、コンクールで「勝つ」ことはできない。そういう現実はどうしてもある。

でもね、音楽って、そもそも勝ち負けではないってのを親としては教えるべきなんじゃないのかな。

聞き手が聞いて良いと思える音楽が一番良い音楽必要とされてる音楽なのだから、たとえば、親がこういう曲を弾いてくれって頼んで、娘にそれを弾いてもらって感動するような、そういう関係性の中で、きちんと娘のピアノを褒めるべきなんじゃないのかって思った。

まあ、子どものころのコンクール成績なんて履歴書にかけるようなものでもなく、有力者の娘だとしてもプロとして大成できるとは限らない。人生の大部分はコネが効かないんだよ。増田コネで不当な目にあったと思い込んでるかもだけど、たいていは実力と運なのでそこを認めたくないだけなのではないかと思うね。それよか、子どもにとって大事なのって親からきちんと認められ評価されてるって自信なんだから、そこはちゃんとしようよ。世の中コネとか間違った思い込みを植え付けるのやめてあげてほしい。

2018-12-02

話す相手のない話

美術部だった学生時代、私が恋をした相手身長が高くとても絵の上手い、メガネをかけた大森という男だった。そして、某アニメの猛烈なオタクだった。彼には篠崎という親友がいて、その篠崎もまたその作品の猛烈なオタクであった。

大森と接点を持ちたかった私は、そのアニメについて少し知識を身につけた。大森距離を縮めようとすると、必然的にその親友である篠崎との距離も縮まった。

結局ストイックで堅い部分のある彼との距離はちっとも縮まることはなく、私は想いを告げるも無かったことにされ気まずい関係となりその後の学生生活ではほぼ口をきかないまま卒業を迎えた。想いを引きずりつつ、もはや自分が彼の前に存在していることすら、私の記憶の中に大森がいることすらも申し訳なくなってしまメール履歴を全て消去した。電話番号も、メールアドレスも消して、ラインブロックして自ら連絡が取れない状況を作った。そして大森篠崎の2人は卒業後遠方へ進学し、私は近県へ進学し地元に残ることになった。卒業式を迎えた春休みのある日、私は篠崎から告白をされた。大森への想いを断ち切れずにいた上、新幹線距離へ引っ越す篠崎から想いを告げられたところで今後の展開をうまく想像することができず私は断った。その後は大森とも篠崎とも疎遠になり、さら大森は私に限らず同級生音信不通になっていた。篠崎交際相手として見みることはできなかったけれど、友人として、また近い分野の学問を学ぶ人間として尊敬できる相手であったので疎遠といいつつもその後も細々と連絡を取っていた。

それから数年が経ち、アニメの猛烈なオタクであった篠崎はその作品の「公式」と呼ばれる側の仕事に就いた。私は学んでいた資格を活かし、公務員になった。日々、失敗したり壁にぶち当たりながらなんとか生きているがうまくいかない日々が続いている。大森に関しては、どこで何をしているのか、はたまた今はどんな姿をしているのかも全くわからなかった。卒業後、部活お別れ会の後にプラットホームへ続く階段を降りて行った背中を見た後はもう全く姿を知らない。

先日、ひょんなことから大森が大好きだった作品に彼の名前クレジットされていることを知った。大森もまた、篠崎とはちがう形で「公式」と呼ばれる側の仕事に就いたことを知った。空回りしてばかりの毎日を送る私と、夢を叶えていった大森篠崎との間に隔たりを感じた。そして、身近だった彼らの活躍を耳にして背筋が伸びた。直接伝えることはできないけれど、あなたのこれまでの努力が実ったことを心から祝っています。おめでとう。それと決めたことに対し身を粉にして努力をする、ひたむきなあなた活躍幸せを遠くから祈っています。誰に話せるわけでもなく、本人に伝えられるわけでもないのでこんなところに書いてみた。名前仮名

セフレやめたら涙の海

寝汗の海の増田です。追記です。



実は昨日所用で彼の故郷に行ってきた。彼はこの春から故郷に帰る。物理距離が遠くなることが、今回別れを切り出した理由の1つです。

用事を済ませた後友人の案内のもと街を楽しんだ。彼女と別れてから自宅までの道中はずっと、路面電車の中-新幹線の中-JRの中声だけ潜めて泣き続けた。自宅に到着後泣きながら色々なものを食べ、疲れて眠った。

背中に敷いたタオルの冷たさと燃えるような身体の熱さで目覚め、日課になりつつある寝具の洗濯(ニトリでもうひと一組購入した)を済ませ、はてなログインしたら沢山反応を頂いていて驚いた。

事実を指摘してくれているもの、寝汗経験者(という表記で良いのかな)の言葉、そして労りや励ましにアドバイス、どのコメントも今の私にとってただただ優しくて、通しで読むたび涙が止まらない。本当にありがとうございます

彼は地頭が良くまた努力天才でもあり、あらゆることで余裕の合格点を取る人だった。コミュニケーション能力もとても高い。ユーモアがあり人懐っこく交友関係が広い。ビジュアル最大公約数イケメンではないものの彼の中身がその表情や所作に滲み出ていて、彼は銀河一かっこいいと私は本気で思っていた(今も)。

人生初の一目惚れだった。どんな形でもいいから一緒にいたくて関係を切られまいと必死だった。でもこの4年間、彼がその輝きを増す一方私自身は何1つ変われなかった。

オススメしてくださった書籍音楽コラムそれからコットもチェックしたい。サウナや温冷交代浴も試してみたい。

明日もっと苦しいかも。その次はもっともっと苦しいかも。でも明々後日は少しましかも。波打ちながら徐々に心身ともに穏やかに過ごせるようになりたいと思う。

唯一自分で決めて自分主体的に動けたことだ。頑張ります

2018-12-01

anond:20181201173013

その年代の連中が新幹線焼身自殺じいさんと同じく自暴自棄になって(いわゆる無敵の人)やらかしそうで怖いんだが。

そこまでやる奴はそうそういないと思うが、人口はそれなりにいるはずなのでやらかす確率は高くなる。

物騒な世の中になるなあ。

2018-11-30

悪魔飲み物

お酒の種類によって弱い・強いがある人は多いと思う。

自分ビールワイン紹興酒大丈夫でも、日本酒には弱かったりする。

少しでもピッチが早いと頭がグルグルしてきて、最後は横にならないと厳しい状態になってしまう。

なのでおせち料理みたいに、日本酒ベストな組み合わせの場合は、文字通り舐めて口を湿らせるように飲んでいる。

経験上これならどうにか大丈夫だ。


しかし、日本酒よりもヤバい物があった。

ライスエール、即ち原材料に米が含まれているビールのことだ。

こいつはビールでもバドワイザーのような非常に軽い口当たりだが、でも決して弱い酒ではない

そしてビール個人的に喉で味わう人間なので、口当たりの軽さも合わさって、勢い飲む量も多くなる。

そこに来て、中には日本酒でおなじみの米がたっぷり入っているわけで…結果、翌日昼まで残るレベルの、かなり酷い悪酔いが待っていると。

ったく、こんな危険飲み物作ったの誰だよ。

こちとら旅行先で初遭遇して敢え無く撃沈、翌日の新幹線移動は文字通りゲロ吐きそうだったよ。

2018-11-29

なにが将来不安かっていうと、

経済力も、健康もそうなんだけど、

社会的不要と思われることなんだよね。

いま中年なんだけど、すでにお前はどっかいけって空気で接しられてる。

これで老人になったら、なんで生きてるんだ?

って目で見られるわけじゃん?

おまえは用済みだって扱いされるわけよ。

なんかさー、もういやだなーって。

思い切って新幹線燃えちゃおうか。

2018-11-27

コンビニ菓子パンおむすび買うやつ

一体どういう食生活なの?今も新幹線の隣で50歳くらいの白髪オヤジが、菓子パン食べてからおむすびを食べていた。ブロイラーチキンじゃないんだからさ。

うんこ漏らしの増田実家の一人暮しの母が心臓動脈解離で倒れた

この日曜日に夜中の3時頃に実家(私は東京都内実家大阪)で一人暮らしをしている高齢母親が倒れました。その顛末を書いておくので、同じような状況の方々の参考になればと思います

なお私は過去に4回うんこを漏らした増田です。2年ぶり5回目の登場にしてシリアスです。

http://anond.hatelabo.jp/20111212011721

http://anond.hatelabo.jp/20111227010115

http://anond.hatelabo.jp/20140309231305

https://anond.hatelabo.jp/20160825223839

タイトルうんこ漏らしを入れたのは、みんな大好きうんこ話題なら読んでくれるかと思いまして。

ここ2年間は漏糞増田から漏れていました。申し訳ございません。

 

まだ母はICU生存をかけて闘っている最中です。

そんな状況で増田というのも不謹慎という声があるかもしれませんがひとり実家にいるだけでは不安もあり、今私自身が置かれている状況の整理と、今後のことについて皆様からアドバイスも頂きたく、昨日の今日のことですが増田に書かせていただきます

 

 

まず、前提状況からお話しますと母は膠原病(こうげんびょう)を3年ほど前から患っており、日頃からプレドニンステロイド系抗炎症薬)を服用しています。それの副作用で血管がもろくなると言われているのでそれも一因かもしれません。リウマチを患っている方は注意したほうがいいかもしれません。

ステロイド動脈解離 や血管系で検索するといくつか事例が出てきます

 

普段大阪の気の強いおばちゃんを地で行く母は、膠原病を患っているためこちらとしても不安なので体力のあるうちに、当方での同居や付近引っ越しなどを提案していたのですが、流石に後期高齢者に近い身としては

 

「そんなとこ行っても知り合いもおらんしあんたも毎日来てくれるわけちゃうねんからええわ!」と、環境を変えるのもストレスになるのでと、拒み続けていました。

 

そんな気丈な母から日曜日の夜中の3時に母から電話が。

 

 

 

第一声がかすれた声で

 

 

母「死にそうや・・・どないしよ・・・

 

 

普段とは異なる様子。死にそうだけではこちらもわからないので意識があるうちに状況を確認する。

 

 

私「どないしたんや?どこが痛いんや!?

 

 

 

母「風呂入っていたら背中が急痛くなって・・・苦しい」

 

 

ピーンと来たのはヒートショック。この土日は急に冷え込んだことと血圧普段から高い母はそのくせ46度設定の熱めの湯に浸かることを好んでいた。

 

 

このまま意識を失われては困る!

 

 

私「ええか!頑張って玄関のドアの鍵をあけにいき!そこで倒れてもいいからとにかく玄関の鍵をあけえ!」

 

 

救急は施錠されている場合は他の手段で入ってくるが、実家分譲マンション。鍵を持っている人間も周囲にいない環境で、この状態でのタイムロスがあると命に関わると判断

とにかく玄関の鍵を開けさせつつ、呼びかけながら妻の携帯拝借119番

携帯を両耳にあてて、片方は母のうめき声、片方は救急要請

 

 

119につながったものの、東京からかけると都内消防につながるため、母の状況を的確に伝える。

この的確というのはシンプル

実家は○○のため、そこの救急につないでほしいもしくは至急番号を確認してほしい。

実家一人暮らしをしている母がおそらくヒートショックで倒れた。

背中がいたいと言っているので血管もしくは心臓に何らか急変が起きたと考えられる。

 

 

そうして実家所在地救急電話番号を伺い、そちらに電話。その間に母のうめき声とともにおそらく嘔吐したような声とともにケータイが床に落ちるようなガコッっという音が。

 

なんとか携帯を拾ったらしいが声にならないよう。

頼む、持ってくれ!

 

救急につながった際には上記情報と母の住所と名前と年齢と電話番号、かかりつけの総合病院名、こちらの名前こちらの電話番号を伝え、玄関の鍵もおそらく開いていることを伝える。その電話の間(おそらく1分たっていない)にすでに救急車は出発したとのこと。速い。

 

 

しかしながらもう一方の電話の母からは声が聞こえなくなってきた。これはまずい。呼びかけても反応しない。

 

ここで、私は申し訳ないと思ったが寝ている息子5歳を叩き起こして、「おばあちゃんがんばれ!ってとにかく言え!」と言わせる。

寝ぼけていやいやながらも息子は「おばあちゃん、がんばえぇ~」と電話に向かって話すと電話の先からはよそいきのときの高い声で「ありがとぉ・・おばあちゃんがんばるでぇ・・・」と反応が。さすが孫のパワー!愛こそ力。力こそ愛。力こそパワー。

 

 

しかしながら数回お呼びかけたところで電話が切れてしまう。なぜかはわからないがおそらく母が間違えて切ったか電波が切れてしまったのかもしれない。かけ直しても今度は出ない。

 

 

不安が駆け巡るが仕方ない。その時点で電話がかかってきてから5分程度。

 

 

とにかく救急車が来ることを祈りつつ、こちらも実家に行く準備を至急行う。気が動転していたのか、車で行こうと準備をし、出発してガソリンを入れに行こうとしたところで、

 

 

「いやまてよ、もう3時回ってるし始発の新幹線で行くほうが早くつくぞ」といったん冷静さを取り戻す。

 

 

そのタイミング救急隊員から電話が。助かったか

しかしながらバイタルが低く、意識がほぼないとのこと。あかんやつやん!

 

 

ただ、状況を聞いてもこちらもどうしようもない。ただただ不安が広がるが、ここで焦っても何もできないのでとにかく病院搬送され何らかの処置が行われることを祈るのみ。

 

始発の時間大阪に向かおうというところで今度は病院から電話が。CTを撮ったところ大動脈解離との判断。このままでは朝までもたないので緊急手術が必要だが親族確認をこの電話としてよいか

 

もちろん大承諾。

 

そして搬送されたかかりつけの総合病院にむかう。4時間半ほどで到着。手術は人工血管への置き換えで予定では6時間ほどとのことなのでまだまだかかる。 

 

日曜日なので病院はもちろん閉院しているからか静かな状況でICUの前でまんじりともせず待つ。

 

 

手術が終わり対面。医師からシャワーホースより大動脈の一部を見せられ、剥離した箇所を示される。想像より太い。勝手に長いボールペンくらいの血管を置き換えるもんだと思っていたが、示されたそれは塩ビパイプをつなぐジョイントのような短く太い管だった。そしてうちがが非常になめらかになっているのが印象的。

 

 

剥がれた部分と言われる箇所は見ても剥がれてるかどうかもわからないサイズだがひとまず対応はした。麻酔が覚めるまではまだ状況は油断できない。また脳にも影響がある可能性がある。とのこと。

 

 

ICUには長い時間はいられないので、いったんはその場を離れ実家にもどったものの、夜にまた医師から電話があり、別の場所から出血をしているというので再度の緊急手術が必要とのこと。ううむ、きつい。膠原病で弱っているからだが耐えられるのだろうか。と。

なんかあればまた電話します。無事に進めば連絡はしません、といわれたのだが、そういうのホントやめてほしい。とりあえず連絡くれよ、と。

 

 

 

そして不安的中で電話が。

 

 

 

手術自体成功したが今度は全身に痙攣が起きた。落ち着いたが脳にダメージがあるかもしれないので再度CT明日以降の何処かで撮って検査するとのこと。

 

 

そして今に至りますCTの結果は医師が面会に伺った際に他の手術で不在だったためまだ聞けていない。

 

 

明日行くとき確認できるだろうけれど、脳に障害が起きていたらどうしようか。膠原病持ちとして、今後母を一人暮らしさせておけないとするとどうするか。などかなり考えることがあり、事例を探しながらも相談する相手もいないためこの増田に記しました。

 

 

また状況に進展があればまとめを記したいと思いますが、今回わかったことは以下。

 

意識があるうちに玄関のドアは開けさせておく

・119に電話をしても近郊の消防につながるため、最初に遠地の対応である旨を伝える

ヒートショック怖い

ステロイド系の薬の副作用はいろいろあるが、動脈硬化などもるので要注意

 

 

母が良くなりますように。

2018-11-21

交通費計算の仕方について聞きたい

武道をしているのだけど、東京に住む師範が全国行脚するという話になった。

全国にちらばる弟子師範自分道場に招くという形になっているのだけど、交通費の支払い額について若干モメている。

というのは誰がどれだけ払うのか平等ではない、という風になったから。

師範

東京(自宅)→名古屋大阪福岡鹿児島東京帰宅

と移動し、各道場で教える。移動の基本は新幹線だ。でも別に飛行機ダメなわけではない。

名古屋道場 東京名古屋

大阪道場 名古屋大阪

名古屋東京-大阪中間なので名古屋大阪道場交通費の支払いに関しあまり問題ない。

しかし、問題福岡鹿児島だ。

福岡道場大阪福岡 までの交通費をうちが負担するのか、という話になっている。東京から福岡なら直通で飛行機があり、安いのに大阪を経由するおかげで新幹線になって高くなるという具合だ。

さらに、鹿児島福岡鹿児島交通費プラス鹿児島から東京までを支払うということになるのか?と言ってきている。

こういう場合、どうすればいいのだろう。全ての交通費を足して割れ平等だけどそうなると名古屋大阪文句いうのは目に見えている

こういう場合どうすれば平等になるか意見が聞きたい。

2018-11-20

先週末、友達桃鉄を遊んでいました

15年目の秋、釧路に一番乗りした私でしたが、

直後浜松目的地になったためにボンビーを付けられてしまいました

そこまでトップだったのですがこれではいけないと、新幹線カード特急周遊を使い追いかけたのですが

あろうことか、皆ぶっとびやうんちカードで私の合流を阻止しようとするのです

これは差別ではないでしょうか。傷つきました。ボンビーハラスメントです

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