はてなキーワード: 邪悪とは
相手の立場に立って考えるってことができないんだろうね。俺が好きだから、俺に変な理由がある訳ないから、理由を解説するべきだ、俺が好きな気持ちを尊重しない奴らは傲慢で邪悪だ
って知らないおじさんが一方的に言ってくるんでしょ?
恐怖じゃん
元増田が変な事件を起こしそうなマジな怖さを持ってる理由は何?
正直何も無いと思うし、粗悪に振舞っているのはフった女性たちの何人かでしょう。
理由を一切解説しないで、勝手に諦めてもらって、などと一方的に指図する傲慢さは邪悪だ。
結婚して娘さんが生まれると人間は自然に、快楽で加害するようになるのか。だとすると娘を持ってなくてマジでよかったという他ない。
日頃「○○人は嘘つきで泥棒」とか批判してるやつが、陰で○○人のふりして嘘ついたり泥棒して、その○○人への悪評を煽り立てようとするのと同じ。
この部分、そのようなことを青識氏が言ったのか? さもなくば誹謗中傷による名誉毀損だが大丈夫か。
もし「○○人は嘘つきで泥棒」と言っている人がいるのなら、その人がまず差別している悪人だし、世間の人々がそう思っているなら、その人々も同様に邪悪だ。差別主義者の妄言などスルーして、ただ「誰が言ってるかじゃなく何を言ってるか」を貫けばいい。別の次元の問題だという見解は否定しないが、その次元の存在がそもそも問題だろう。差別主義者たちの世界にウソつきがいるか・いないかなど枝葉末節に過ぎない。
「悪を成していると声高に非難すること」と「相手を雑魚認定して馬鹿にする」が過剰に結びついている人種がいるんだろうなって改めて感じるんだよな。
勝てば官軍という感覚が捻れていつの間にか「悪いやつ=弱い」という等式が脳内で固まりきってるんだと思う。
だから「ロシアは悪い奴らなので皆で非難しようぜ!」って流れから「つまりロシアが弱いことを馬鹿にすれば良いんですよね!」と解釈してしまう残念な人達が。
実際問題として正しさもまた強さのための手段であり、正しくあるためには強くある必要があるってのも事実なんだが、相手の邪悪を避難するための手段として相手の弱さを嘲笑うってのは論理の飛躍がすぎるように思える。
ヒーロー物であればスペシウム光線なり合体ビームなりアベンジャーズパンチなりで怪人を蹴り飛ばしてバイバイキンして「正義は勝つ!」の決め台詞を持ってこっちが勝ったから正義ですよ相手は負けたので悪ですよと未就学児童向けの理論を語るだけで済むだろう。
もちろん君の言うことは正しい。ただし、その場合障碍のある子を育てるための100%のサポートを社会が十全に保証している、というのが前提になるよね。現代社会はその前提を満たせているのか。
一般的に障碍は運次第なのだから、障碍のある子が生まれても自分達ではサポートしきれない…と悲観した親が中絶を選択したとしたら、彼らは差別主義者なのではなく、ただの社会的不公正の犠牲者だね。運次第で降りかかる状況を全体で引き受けてこその社会なのだから。ならば、そんな人たちを「差別主義者」と切って捨てるのは、正しいことではないよね。たとえば、障碍のある子は神の子である、と祭り上げる文化があり、もしそういう子が生まれたら社会が全面的にサポートするしその親も一生尊重される、そういう社会だったとして、それでも「いや、私は障碍ある子をもつことは認められない」と中絶を選択するなら、それは差別主義者と言われても仕方ないだろう。だが、そんな人が一体どれだけいるかな。そんな社会になれば、ほとんどの人は中絶を選ばないのではないか。ならば、彼らに中絶を選ばせているのは社会の方なのではないか?
だとしたら、あなたの提案する政策は、現実には差別主義者ではない人たちを差別主義者として糾弾するばかりか、現に社会自体、言い換えれば我々全員が暗にもっている社会的な差別の構造を覆い隠して、その責めを彼らだけに負わせようとするものですらあると言えるね。それは極めて邪悪だ。つまり、現に障碍のある子を中絶する親がいるとして、彼らの選択に自分がまるで関わっていないかのような顔をすることこそ偽善だってことだ。なぜなら、彼らにその選択をさせているのは、ほとんどの場合まさに我々が合意しているこの社会そのものなんだから。
だから、現状を憂えて解決策を考えるなら、行うべきは個々人に責を負わせるような改革ではなく、社会全体で可能な限りの福祉的政策を推進し、個人が中絶の決断をしなくてよい環境をつくる、という、地道で困難ながら真っ当な道筋だろう。それが、この問題の多い現代社会に生きる人間の負うべき責務というものであり、安易にそこから目を背けるべきではないと思うね。
セルフプロデュース盛りすぎじゃないの?というのがたたきポイントなのかと思った。
ビリギャルも徳島スタンフォードも地元では知られた有名進学校に通っていた子供たちで、親からの教育投資もそれなりに手厚かったのに、そういうのは全くなかったかのようにして、すべて自分が苦労しながら頑張ってやったみたいなことを言っているのが叩かれるところなのかな。
そして、本来そういうことを諭すべきだった大人たちがこの子たちに文章を書かせ、商売にしたうえで炎上すると我関せずでほっかむりしているのが邪悪だなと思う。
例えば、「教授からは何もしてもらってないから教授の名前を共著者名に入れたくありません!」とか言う学生を見たことないか?
そんな時は共著者である助教なりが学生を諭すのだが、この子たちの周りにそういう大人がいなかったのが悔やまれるね。
若者は往々にして近視眼的にものを見てしまう。いわば、若気の至りってやつをする。
周囲が環境を整えていても、そういうのは全く見えてなくて、全部自分でやった、自分頑張った、すごいみたいに思ってしまうことも多々あり、それは仕方ないこと。
本人は休まず働くって言ってたけど、直属の上司に「休みなさい休みなさい」と言われて折れて(?)た。
そしてその仕事は私に回された。忙しすぎて先週は休日出勤した。
当の上司は休んだ先輩のことを「あいつは仕事放り投げて後輩に押し付ける無責任なやつだ!」って言いふらしてるみたい。
なんだかな。
そんなに言うなら「休みなさい」とか言うなよ。
というか、
そんな風に言いふらすために休ませたんだろうなって分かってしまう。
確かに先輩が休んだせいで私の仕事が増えたけど、今回の場合は私に仕事押し付けたのって上司じゃね?
だって上司は「俺がやっておくから」休みなさいとは一言も言ってないし。
なんだかな。
はっきり言って先輩のことは嫌い。悪い人じゃないけど馬鹿。メンタル弱そうでナヨナヨしてる感じがムカつく。
でも上司のこともかなり苦手。こっちは仕事はできる(風を装うのが上手いだけかも)けど人として邪悪すぎ。
なんでみんな先輩の悪口ばっかり言って上司のことは問題視しないんだろ。
私は上司に気に入られているので居心地がいいと言えばいいのかもしれないけど、いや居心地良くない。
上司はいつも私をヨイショするために先輩を落とす話し方するし。
休日出勤した時も断ったのに「俺が見てあげなきゃ」とか言ってやることないくせに出勤してきて職場で2人きりになったの気持ち悪かった。
それをまた先輩のせいにされるんだろな。
めんどくさ。