はてなキーワード: 濫用とは
https://twitter.com/usamimn/status/1772658494606291462
要はね、法的にどう評価されるか、いやそれでも原則通りやれと判断されるかもしれないが、福祉局の業務負担は相当なもので職員は疲弊している。その負担をもたらしている張本人である暇空が、再度請求で開示されたのに文句つけるばかりか国賠提訴したというのはあまりにもなんだよ。
https://twitter.com/usamimn/status/1772926270717808796
暇空らによって生じている福祉局の業務ひっ迫状況は相当なもので(そもそも職員が疲弊したため昨年4月人事でほぼ総とっかえになった)、手間を省けるからとやり直してその不当な業務負担の重さに基づく判断を取り下げなかったという部分はあるのかもしれないと推測しています。
このように担当部局の疲弊を原因として、公文書開示請求の問題点を指摘するものがあるが、
問題視するのは勝手にすればいいにしても、それを理由に「権利の濫用」として不開示決定をするのにはかなり問題がある。
https://www.soumu.go.jp/main_content/000041438.pdf
仮に職員1名を専従作業員とし、1日8時間全く休憩なしで、同じ作業効率で作業を進めたとしても、
9か月以上かかることとなり、業務に著しい支障を来すのみならず、他の情報公開請求に対応する余裕がなくなり、かえって法の立法趣旨が没却される
ような事例であっても、それを理由に「権利の濫用」であるとは言えず、裁判所は不開示決定を無効とした。
この文章の後には開示請求権の濫用と認められるケースについて、量を問題にする場合には
対象文書は特定されているものの、その量が膨大で、担当者がその担当業務を遂行しながら、すべての行政文書について諾否の決定をするには、おおむね1年以上の期間を必要とするような開示請求を行う場合
字詰めの指摘にしても同じだが、すぐ間違いを疑って指摘しようとするいつものはてなしぐさ。本当に鼻持ちならない。
ほかの部分を読めば書いてるのは「濫用」の意味を間違うような語彙力の人間じゃないことくらいわかるだろ。それがわからないなら、お前の日本語力のほうが低いの。
世の中の印刷物をあれこれよく眺めてみろ。和文は縦書き横書き関係なく等幅を原則として組まれてるだろ。理由もなくそうなってると思うか?
お前は自分がちょっと頭いいと思ってるから他人の言う事がなんでもかんでも間違いに見えてきてしまってるんだと思うが、全然そんなことないからな。
「お父さん間違いにツッコんじゃおうかなー」じゃねーんだよ。間違ってるのはお前。
お前のほうがバカなの。
いい?
自分は人よりちょっとバカなくらいかもしれない、くらいの意識で暮らしたほうがいいぞ。
思い上がるな。クズ。
Windows10 以降のWindowsに標準搭載されるようになった「UDデジタル教科書体」というフォントがある。游ゴシックに並んで書体が美しいフォントで、そこらへんのチラシや張り紙などで濫用されているのをよく目にするだろう。
だがUDデジタル教科書体はバリアントが6種類もあって、それぞれがどんなフォントなのかわかりにくい。Word でバリエーションを選ぼうとすると、一覧にはこんな風に並ぶ。
フォント名を単純に昇順で並べただけで、バリアント順になっていない。これでは何がなんだかわからないので整理してみよう。
書体名 | 和文 | 欧文 | ウエイト |
---|---|---|---|
UD デジタル 教科書体 N-R | 等幅 | 等幅 | 標準 |
UD デジタル 教科書体 N-B | 等幅 | 等幅 | 太字 |
UD デジタル 教科書体 NP-R | 等幅 | プロポーショナル | 標準 |
UD デジタル 教科書体 NP-B | 等幅 | プロポーショナル | 太字 |
UD デジタル 教科書体 NK-R | プロポーショナル | プロポーショナル | 標準 |
UD デジタル 教科書体 NK-B | プロポーショナル | プロポーショナル | 太字 |
各バリアントは
という順列組み合わせになっていることがわかる。
日本語の文面は等幅フォントが読みやすく、英文・英単語はプロポーショナルフォントが読みやすいからだ(メイリオや游ゴシックなどもこの組み合わせである)。その組み合わせの NP ひとつでオールマイティにいける。
なお、和文に強いてプロポーショナルフォントを使う場面はなく、せいぜい見出しやタイトルなどの短いセンテンスや、UI部品のメニューなどスペースが限られる用途などに限定して使うべきだろう。
また、英語の等幅フォントも同様で、桁が揃っていないと見にくい表の数値や、プログラムのコードくらいしか一般的には使い道がない。
つまり「N」や「NK」の出番はほとんどないのである。(誤字訂正しました。指摘サンクス)
繰り返します。UDデジタル教科書体は NP-R/B 一択です。
ちなみに、はてな匿名ダイアリーをWindows環境で閲覧すると、本文の表示には「Meiryo UI」が使われています。この書体はOSのUI用に作られた省スペースフォントで、文字幅を強く圧縮した独特の形状をしています。ファイル名やメニュー項目を表示するには省スペースで重宝ですが、ブログの本文などの長文を表示するような用途にはまったく適していません。ごちゃごちゃと詰まっていてとても読みにくいです。こんなもの、普通は読みものコンテンツの最優先フォントに使ったりはしません。
なぜこんなことになっているのか、スタイルシートを読み解いてみましょう。
font-family: system-ui, -apple-system, BlinkMacSystemFont, "Helvetica Neue", "Hiragino Sans", "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", "Noto Sans JP", sans-serif;
まず先頭に "system-ui" という総称フォントが書かれているのが噴飯ものです。
総称フォントとは「指定された固有フォントがひとつも見つからなかった時に最後の手段として代替できるような一般名」のことで、本来はフェイルセーフとして font-family 値の末尾に書き添えます。ブラウザは総称フォントに対しては必ず何らかのフォントを割り当てていますから、どう転んでも何かのフォントは見つかり、最低限の表示が保証されるわけです。
ところがそれを先頭に書いたりしたら一発でフォントが見つかって、それ以降のフォント指定は読み飛ばされてしまいます。system-ui の後ろのカンマ以降の情報は実質的にただのゴミです。書く意味がありません。
なぜこんなスカタンなフォント指定になっているか、だいたいの想像はつきます。
このフォント指定は、MacOS付属の「San Francisco」という粋なフォントを呼び出す裏技として一部で流行していた方法なのです。すごく使いたかったんでしょうね、San Francisco を……。
しかしMacOS以外のOSでも、system-ui にはそのOS固有のフォントが割り当てられています。Windows の場合は長文の表示にまったく適さない Meiryo UI だった、というわけです。
どっちみち San Francisco は記事内の半角英数記号くらいにしか使われませんが、Windows の和文表示をすべて台無しにしてでもそうしたい何か強い理由があったんでしょうか。私には合理的な理由は思い当たりませんが。
俺と水道代
https://goldhead.hatenablog.com/entry/20090528/p3
ここで水道代が定額なのをいいことに常識外れの水の使い方をしてる隣人にお気持ち出してますよね?
俺は食べ放題を定額サービスと見てるがそれをいいことにリソースをむさぼる連中を本気で軽蔑している
たとえば通信サービスだ。光にしろ携帯通信にしろアホみたいにトラフィックを使う一部のユーザーのせいで全体が迷惑するというのは往々にしてある
俺が住んでいたマンションもかつてファイル共有ソフトを濫用するユーザーがいたせいで滅茶苦茶遅くなった時期があった
これに限らずルール内だから何をしても良いと言い放つ輩とは共生できないと思ってる
節約のためと言い放って公園の水道水をすべての市民が使用しだして果たして維持できるだろうか?
なぜ、インターネットに悪口を書きにくくなったのか。私はその原因を知っている。匿名がどうとかいう問題ではない。簡単に結論から言えば人気者の巨大化だ。
「推し」という言葉が流行っている。本来「推す」はある地位に推薦するという、限られた意味の言葉であるが、昨今単に「好き」を置き換えたとしか思えないような形で濫用されている。この「推し」という概念は言うまでもなく欺瞞である。悪辣なアイドルグループが双方向性を捏造するために広めた概念だ。コンテンツの消費者を数字ではなく、一人の意思のある人間として扱いますという嘘だ。人のことをなんとも思っていない「人気者」とコンテンツ産業が、人々から承認を奪うために蔓延させた害悪である。
人気者とは、限りある人の認知リソースに食い込む能力に長けた人物のことで、要は好かれる性質を持った人間のことだ。インターネットはこの好かれる性質を使って金を稼ぐ狩り場に成り果てた。なぜ私が、「限りある」と強調するのかというと、人が人に抱く感情は有限の資源だと考えているからである。つまり、「人気者」に向けられる感情の総量が多くなればなるほど、私達が身近な人たちに無関心になっていくということだ。ビジネスという動機付けによって狂ったように加速していく双方向性や身近さ、帰属意識の捏造は、私達のコミュニティを破壊している。私達はコミュニティから得ていたものをコンテンツから摂取するようになり、身近な人と人との繋がりに感じる価値は絶対的に低くなり続けている。身近な他者との繋がりではなく、「推している物事」が自己を規定するようになる。限られた一部の巨大化した人気者に人間の感情は集中して向けられる。つまり自己規定も、その多様性を失いつつある。
アイデンティティが商業的に画一化された社会で、何か物事に対してネガティブなことを発言するのは、その物事に存在を依存した大量の人間を傷つける行為だ。インターネットの人気者に対して有象無象が友達のような態度で褒め称えたり慰めたりする光景を見たことがあるだろう。遠く離れた手の届かない人間に友達だと勘違いさせられた哀れな人間が、友達の成功を喜び、友達の悪口を見聞きして傷つくわけだ。なんて馬鹿らしいことだろう。コミュニティが破壊され、「推し」が自己を規定するようになった人間が増えると、悪口の影響が不必要に大きくなる。これがインターネットに悪口を書きにくくなった大きな理由の一つだ。
私はインフルエンサーの悪口を書くべきだと考えている。誹謗中傷をするやつは画面の向こうに人がいることを忘れた~とか間抜けなことを抜かすやつがいるが、それは人から好かれる性質を楯に欺瞞を広め数字を稼いで人間の生活を破壊しているインフルエンサーにこそ当てはまる指摘だ。巨大化した人気者に人間の、限りある負の感情を集中して、巨悪を打ち倒すべきだ。自分の行為と人々に感情を向けられて得た利益を棚に上げて、受けた被害ばかりをことさら強調する悪党を、許してはいけない。そして悪口によって沢山の人を傷つけることで、「推し」が自己を規定するようになってはいけないという、極々普通の当たり前のことに気付かせるべきだ。そして、嫌いなものがある人間は面白いという、当たり前のことにもう一度立ち返って、私達は、私達の隣人と慎ましく暮らそうではないか。もう一度、愛と尊敬の念を持って、私達の身近な人々と日々の生活を形作ろうではないか。インフルエンサーを駆逐せねばならない、と強く思う。
「私はいいけど、他の人が傷つくかも知れないから」論法は好きじゃない。
記事の要旨:
「私はいいけど、他のひとが傷つくかもしれないから」論法は(不当な)説得力のドーピングである。
「○○という表現はリスクがある、こういった属性の人が不快に感じるかもだから」という意見は、(不当な)説得力のドーピングではない(意味がある)。
例として、「私自身はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体はリスクがあるように見える」、
したがって、「私はいいけど、表現自体はリスクがあるように見える」という指摘は、(不当な)説得力のドーピングではない。
そのため、本来適切でない「ハゲの例」を引用してしまっている。
論点:
「ほかの人が傷つくかもしれないから」という論証を行うことで、"説得力の添加"を行っており、それが問題なのだ、という点である。
しかし実は、誰かをハゲと表現することは、「私、あなた、もしくは特定の誰か、もしくは不特定の誰か」を前提するまでもなく、リスクある表現であることがわかっている。
したがって、「私はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体はリスクがあるように見えます」という主張は、
"「私はいいけど」論証による説得力の添加"が行われていないことになる。(どこかの禿げた他人を前提せずとも、ハゲなじりは失礼である。)
なんらかの他人を前提せずとも、ハゲなじりはリスクがあるのだから、
もともとの議論で強調されている「なんらかの他人を規定して"説得力を添加"することの是非」の話を無視した例示となっている。
「ある属性の人が不快に感じるかもしれないから、指摘することには意味がある」
実は、ハゲとなじられることに不快感を覚える人は、「実際に禿げている人」にとどまらない。
「今現実に禿げていない人」であっても、もしくは「禿げているかどうかすらわからない不特定多数の人々」を指す上でも、不快感を覚える可能性はある。(というか、高い。)
すると、「現実に、なんらかの属性(ハゲ)を持っている人が実在するかどうか」すら関係がなく、
したがって、「ある属性の人が不快に感じるかもしれないから、ハゲなじりの不適切性を指摘しますね。」という説明は、
その論証が"「誰かを規定する手法に基づく説得力」の添加が成されていない(ハゲなじりはその属性を持つ対象が実在していなくても成り立つ)"がゆえに、「私はいいけど」論法の擁護になっていない、と言える。
まとめると、
誰かをハゲとなじるのは、特定の誰かであろうが、不特定の誰かであろうが、
また、禿げた何者かが実在するかどうかにすら無関係に、失礼で、リスクある表現である。
これは、「○○論証により、ハゲなじりはリスクがあることが分かる。したがって○○論証は(リスクを論ずる上で)健全な論証である。」と言ってるのと変わらない。
「ディズニーランド論法」、「(私はいいけど)ディズニーランドが好きな人が不快に思うかもしれない表現は慎むべきだろ!」という論法においては、
「不特定の対象」を規定することで、"説得力の添加"を行っており、そのような論証は本来濫用されるべきではない(と元記事は主張する)。
一方、「ハゲなじり論法」、「私はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体にはリスクがあると指摘します」という論法においては、
私はいいけど論法の問題点である"何者かを想定することに基づく説得力の添加"が実質なされておらず、私はいいけど論法の擁護になっていない。
NHKのインタビュー取材メモ流出問題で相変わらずのダブスタ反応を左翼やらリベラルやらフェミニストやらがしていて
仮にも不偏不党を謳うNHKが、民事訴訟中の当事者の内、片方だけの主張を一方的に取り上げようとしていたなど
ジャニーズに忖度しまくってたNHKに元よりジャーナリズムがあるとも思えませんが
こうも堂々とズブズブっぷりを見せつけられると、さすがに反応に困りますよね。
これ、リベラルが本気で怒らなければいけない、権力者による権利の濫用だと思うですけど
何故かリベラルがキレてるのが主に暇空側に対してなのが本当に不思議ですよね。
当時から既に出家信者問題や詐欺商品販売問題でガチ反社疑惑があったオウム「側からの要望」に
何故かTBSが忖度して情報流出させたTBSビデオ問題と、下っ端の社員が勝手に当事者にリークして
暇空側も半信半疑で世間に対し拡散した今回の問題、全然違うじゃないですか。
100歩譲って「マスコミが外部に情報を流した!」という点でオウムと同一視しているのならまだ分かりますが
(それにしてもマスコミ関係者が外部からの情報を「リーク!」とするのに、同じ事を一般人がやると大事にするのはどうかと思いますが)
左翼リベラルフェミニストの皆さん…どう考えてもそういう観点で語ってない人も多いですよね?
暇アノン=オウム、暇空(水原)=麻原、みたいな論調で叩いてる人の方が多いですよね?
ミソジニーだのナチスだの、ワードの強いレッテル貼りから始まるリベラル仕草全開で凄いなって思いますよ。ある意味ね。
これが俗に言う「暇空狩り」(@東京弁護士会)なんでしょうか?
平和主義な一般市民には、思想野蛮人の考えがよく分かりませんね。
結局、主張が正しいのであれば訴訟で堂々とやれば良いというのが世間一般の感覚であって
デマゴーグと盤外戦術で相手の評判を貶めて社会的評価を「そういう事」に持っていきたいのは
正々堂々と戦うと後ろめたい事が多すぎて勝てないから、別の手段で攻撃していうのだな、と思ってしまいますよ。
暇空は普段の言動はお察しですがリーガルに関しては極々正当な手段を用いているので
暇空=オウムだと、リベラル=オウム以下の何か、という事になってしまいますが、それで大丈夫?
そもそも「逆」に考えてみて下さいよ。
何かの間違いで暇空だかなるだかがNHKのインタビューを受けた。
当然彼らは好き放題Colaboや仁藤夢乃氏に対して放言しまくった。
そのインタビュー内容を見て、思う所があった派遣社員が仁藤夢乃氏にリークした。
仁藤夢乃氏が、「これは酷い!」といつもながらの勢いでXツイートしまくった。
この流れで、リベラルやら左翼の人達がColabo=オウム、仁藤夢乃=麻原彰子、だなんて主張します?
絶対に、しないですよね?暇空酷い、暇空は悪だ、好き勝手主張しやがって!
こんな感じで騒ぎますよね?仮にリークを受けたのがColabo側だった場合は、絶っっ対にインタビューの対立相手の方を叩きますよね?
500億円かけても良い。
「逆」にすると、途端に対応を変えて攻撃仕草に走るリベラルのダブスタが、たまならく、キショいんですよ。
「俺(私)らは何を言っても良いし誰を殴っても良いけど、お前らが俺(私)らに文句言うのはNGな」
という、ジャイアンを超えたジャイアニズム仕草を、令和の時代になっても昭和の亡霊かの如く押し通すのは
一般社会的に迷惑だし党派性に思想がやられてる姿も浅ましく醜悪もキモくてキモくてキモ過ぎて気持ち悪いし
真面目にこういう所が、左翼・リベラル・フェミニストが、エコーチェンバー界隈以外からの支持や共感をどんどん失っている根源なんですよね。
さて、今回インタビュー内容流出の被害にあったのは、元漫画家の片倉真二氏。(代表作:グリーングリーン、キラ☆キラ、忘却の旋律)
元暇アノンで暇空が色々ヤベー奴というのを最初から最後まで見抜けずに仲間面して
ウザがられ最後には蹴り出され、その後は速攻でアンチ暇空軍団に寝返ってColaboの手先として
活動家デビューしたという、非常に恥ずかしい類のお人なのですが、
かと言って一方的に恨み節を捲し立て、取材相手にも小馬鹿にされているにも関わらず
その事に気がついてる様子すら無く言いたい放題しているという恥ずかしいインタビューを流出されて良い訳ではありませんよね。
それにしても、何であの界隈って元某な人間を持て囃しがちなんだろうね?
元ネトウヨの雨宮や古谷、元性犯罪者のマギー、元男の金尻や自称トランスジェンダーの変質者共、
元テロリストであり凶悪犯罪者の重房とかさ。昔から真面目にリベラルやってきた人達が可哀想じゃん。
100歩譲って、坂本弁護士一家事件の時から既にジャーナリズムとして死んでるにも関わらず
ゾンビ状態で生き続けながら統一教会認定🏺マニア教の伝道師や信者達に忖度し続けるTBSがやらかしたのなら、まだ分かるんですよ。
仮にも不偏不党を謳ってるNHKが、民事訴訟中の当事者の内、片方だけの主張を一方的に取り上げようとしていた。
どう考えても不偏不党とは程遠いですよね?だいぶ偏ってますよ。公共性なんて皆無じゃないですか。
仁藤夢乃氏は、対暇空氏に限った話でも無く、平素から企業や民間団体に対し恫喝まがいの誹謗中傷を繰り返し迷惑や損害を与え続け、
通行人の顔を晒して「性犯罪者」「性犯罪者予備軍」呼ばわりする名誉毀損・プライバシー侵害も当たり前の様に行い、
当然の如く草津冤罪ホロコースト事件にもノリノリで加担しているという、どちらかと言えば加害者サイドの人間です。
そういった方に懺悔して手下になった元漫画家の片倉真二氏こと避難所氏も、まあお察しの様に誹謗中傷を繰り返す迷惑Xユーザーです。
そもそも限度を超えた誹謗中傷が原因で暇の人にキレられて蹴られたんですよね。逆サイドに立って同じ事繰り返してるだけじゃないですか。
NHKは、不偏不党を標榜しているにも関わらず、この様な加害者側の人間の主張を一方的に拡散しようとしていたのですが
情報流出問題というよりは「報道被害問題」なんですよね。正確に言えば報道被害未遂問題ですが。
令和のご時世に一般人の名誉を不当に毀損しようとした報道被害を発生させかけたなんて、昭和の亡霊にも程があるのでNHKは完全民営化してどうぞ。
TBSと同等の存在に成り下がって下さいとしか言い様が無いですよね。
というか、NHKですら自分達の主張が出来てしまう、自称一弱小団体って何なんでしょうか。
すげーコネとか権力とか持ってる様に思えてならないのに、何故か民衆の反権力側を気取っている不思議。一般市民から程遠い存在なのにね。