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2019-03-21

横浜市「RPAの有効性検証の成果について」を読んで、仕事とは何かを思い知らされる - orangeitems’s diary

それはプログラマー寄りの考えですよ。

この3番目。

勤務時間集計事務

市職員の勤務時間を集計している事務。〇〇システムで出力されている帳票から対象職員手入力で集計表に転記している作業

・利用環境:〇〇システムExcel

マニュアル有無:無し

たくさんの報告書作成してきたから私から言わせると、「SAMPLE」はサンプルではないっ。絶対この仕事ずっとやってきた人いるでしょう横浜市!?主観)。勤務時間集計システムからクエリーして、Excelに勤務時間の集計を作成する仕事!。

このアウトプット労務管理必要なのはわかるし、〇〇システムカスタマイズする予算もないから、定期的に作らされていたんでしょうね・・。

もちろん、労務管理は立派な仕事なんですが、労務管理に行きつくまでにシステムをさわってExcelに転記するという仕事創造的な仕事では決してない・・ですよね。この業務長期間ハマっていた人がいると思うと。

じゃあ、RPAを使って○○システムExcelに転記するとしますよね

まず、問題なのは「○○システム使用に改変はないのか?」ということです

例えば、○○システムが外部のWebサービスだった場合HTMLの内容をちょこっと書き換えることは有り得ます

有り得ますが、RPAスクレイピングなどの自動化する側からすれば、DOM構成ちょっと変わっただけで、あれ?ということになります

ここで大切なことは異常検知や例外処理ですが、私が思うに大手RPAベンダーが売りつけてるシステムはその時点で怪しい

本当は今は綱渡りをして成功しているだけ、という気がしま

その他にも、WindowsExcel仕様変更も考えられます

Microsoft保守的からそれはないだろう、と考える方がいるかもしれませんが、表面的なGUIは変更されてなくてもAutomationIDが変更されている等は有り得ますし、日本語訳も滅茶苦茶です

担当日本マイクロソフト側のはずですが、電卓の要素のNameとか酷すぎます

MSDNも酷いですが

昔はCD数枚組で売ったりしていたころはMSDNも丁寧な訳がありましたが、最近機械翻訳文句があったら書け、みたいになってしまいました

まあ、これは仕方ないです

仕方ないですが、日本語で先に読んで意味勘違いして、英語を読むまで気付かないぐらいだったら、日本語訳いらないやん

話がそれましたが、RPAちゃんとやると採算が取れなくなる可能性があります

結局、大規模なシステムを開発以上の労力が発生している上に、多くの危険を孕んでおり、効果が怪しい

先ほどのDOMの変化にAI人工知能対処する例はすでにあり、ビジネスとして成立し始めていますが、それは納品時のテストなどの話であって、RPAでなんとなくは業務ですので間違いは許されず非常に危険です

人工知能機械学習を誤解している人がいると思うのですが、大抵は「機械にいい感じになんとかしてよ」というものであり、機械によるミスはありえます

自動運転もLIDARなどを使わない完全自動運転可能ではありますが、私は怖くてそんなの乗りませんよw

なんでもAI人工知能OCR機械学習ディープラーニングでなんとかなるでしょ?という人ほど、まったく理解していないのだから滑稽です

滑稽ですが、世の中は喜劇であり悲劇です

と、私は常日頃からそう思っているんで、まあ、その点はいいんですけどね

結局、RPAなんかやらん方がいい、という結論しかならない

現場の人たちがプログラミング習得して、最低限自分と同じぐらいのレベルだったら、まだ考えようがありますが、無理でしょう?

逆に、私が役所現場の人とか、総務の現場の人の代わりにすぐなれと言われたって無理なのと同じです

どう努力したところで成果がでない分野は有る

自分はコツコツ努力することが好きなほうなので、あまり認めたくないが、どこをどう努力したところで成果が出ない分野は人それぞれ有る…むしろそのような分野だらけだと思う。

芸術芸能スポーツの分野は可視化されやすいうえに、無謀な挑戦に対して周りが止めやすい。しか普通社会人場合、無謀な挑戦だとしてもむしろ奨励されてしまうことが多い。しかもなんか頑張れば必ず出来るような言い方をされることが多い。これが厄介で、元々得意な人が1日ぐらいで済ませられることでも、苦手な人が「努力します」「頑張ります」と宣言したせいで、その人が半期かけてやっとアウトプット出して、しかもそれがショボいということが結構ある。

あんたそのスキルポイント振っても成果出ないよ、元々持ってるスキルポイントとか得意な武器で戦おうよ、と言ってあげる人が必要だと思う。

2019-03-17

優秀な人がアメリカに行くのを国はどう思ってるのだろう

GAFA以外にもアメリカに優秀な人が行ってしまっている。

攻殻機動隊では射殺もやむなしとされていたわけだが、アメリカのほうが進んでいることもあり、

来日本に帰ってきた場合国益になるとか、個人の移動を尊重するとか、

そういう理屈自由になっていると思っている。


もっとGoogleAmazon日本法人があるわけで、人は国内にいるがそこでのアウトプットデータとして輸出できてしまっている。

それでなくともGithubに集約されているわけで。

2019-03-15

架空タイトルをあげると粗筋を誰かが書く

まだ5ちゃんねるが2.5倍されていなかったころ、こんなスレがよく経っていた

色んな人がタイトルをあげて、時には受け手に回って架空小説を、映画を、本を作っていく

突出した出来栄えのものは注目を浴びるし、ひねられて考えたものには舌を巻いて称賛される

今思えばクリエイターはおろか、ワナビですらない人がほとんどだっただろう。それでも、そこには創作があった。


昨今そういったスレは立たなくなったものの、多分完全に無くなったわけではない。

例えばTwitter能登たわし氏が製作している「ない本」も同じ系譜を汲んでいるのだろう。

最も画像から表題と粗筋をアウトプットし、体裁を整えたブックカバーにまで昇華させる技術力は遥かに氏の方が上だし完成度も高いけれど。

そういったものを作る人がいて、しかも幅広い人に興味を持ってもらえている。その事実だけでも十分である

まだ、この手の創作娯楽は死んではいないのだ。


願わくば、この源流はまだまだ続いてほしい。

欲をいえば、こういう娯楽に触れて、わたしの様に国語創作に興味を持つ人が一握りいてほしい。

かつて遊んでいたフィールドで、まだ遊ぶ人々が残り、あわよくば増えているのなら、物書きの端くれとしては至極重畳である

2019-03-14

anond:20190314121659

一見すごいことのように見えて、実は、毎日、一日中ずっとその文章を考えているだけだたっとしたら?

彼の人生アウトプットがそれだけだったとしたら?

クリエイターへの偏見

漫画家とか小説家とか

ある作品クリエイターだと思ってるから、そのクリエイターは四六時中その作品のことだけを考えているかのように考えてしま

から、読んでる作品とは別作品を連載開始とかしちゃうと、えっえっ!?作者の魂はどこにあるの?と思ってしま

作者コメントとかで、ゲームしましたとかどこどこ行きましたとかあっても、いやそんなことやってる暇あるなら書けよ作れよと思ってしま

いやおかしいのはわかってる

アイドルうんこするわけないってのと同レベルのことだって気がするけど

でもなんかもやもやして納得いかない

複数作品同時並行でやられると一個あたりにかける熱量はそんだけ減ってしまうってのは絶対あると思う

他のことでインプットしてから作品アウトプットってのもあるってのもわからんでもないんだけどでもなんかくやしくもある

おれがみついだ金で何あそんでんねんみたいな

いや俺がおかしいのはわかってんだけど

作品への魂のコメ方っつーかブラック企業社畜並に働けと言ってるんだ俺は

そうあるべきだしそうあれるからクリエイターでくっていけてるんだろって

いってることわかってくれる人はきっといるはず

2019-03-13

日記

相変わらず妻のことがわからない。絶望的に口下手なのか。直接話すとレスポンスのなさ少なさにイライラしてくる。ほとんど無視、無表情、超声が小さい。機嫌が悪いのかと思ってほうっておくとメッセージアプリで育てている植物の花が咲きそうとのことで写真を送ってきたりする。娘に関する話以外は意図的に抑えている。見聞きしたことテレビネット話題などは心底嫌そうな面倒そうな顔をするだけだ。

まぁ、別に今に始まったことではないので半ば諦めているが、娘がもう少し大きくなって母親との話題が広がってきたときにどういう反応をするのか心配しかない。僕に対する反応と同じだと娘はきっと大きなフラストレーションを抱えることになる。家庭内で母が存在するにもかかわらず父と娘だけが話すという状況は根本的になにか欠けた状態になるのではないだろうか。わからない。少なくとも僕ら夫婦は娘にとってロールモデルとして問題があるが解決方法もよくわからない。とにかく話すペース、言葉が思い浮かぶペースが違いすぎる。妻はよく本を読み歴史中世美術などに造詣が深いにも関わらずそれを語ることもない。彼女を観察しているとテレビ展覧会などで目にしても自己完結している節がある。にしてもアウトプットがなさすぎるのではないか

2019-03-10

anond:20190310221320

どうせこれからしばらく生き甲斐絶つなら、これまで抱えてきた感情とその感情を向けてきたあらゆる対象もろとも心中するくらいの心づもりでいようと思ったので巨大感情をぶつけてから一時撤退することにしました。

誰が見てくれなくてもいいけど見てくれた誰かが刺されてくれたら、それで好きだったその人から嫌われてももう良いやという気持ち文章します。

遺書かな。もうそれでもいいや

後を濁す気満々で申し訳ない。

私としては巡り巡ってファンレターだと思って書きます

(一部方々におかれましては重複してお伝えしている内容ではありますが良かったら今一度受け止めて下さい。)

(一度鍵垢でべらべら喋って怒られたことをまた喋ってるのでいよいよ距離を取られたら寂しいなあと思っていますが極力これきりにしたいので許して下さい、出来ればやっぱり嫌われたくないです)

私は根本的にSNSに向いてないと常々思っていました。

というのも数値や関係が一目で可視化されている文化圏の中で交流を兼ねながら創作活動をするということが自分には致命的に向いてないと思ったからです。

数値が見えるというのは時として嬉しいものなんですが時としてすごく残酷だと思います

とりわけ数値で自己他者とを比較できてしまうという点においては自身の実力を図る手段であり、時として自信になり得る要素でもありましたが、交流していくにあたっては自分にとってはデメリットしかありませんでした。

まず、自分創作物というのは贔屓目も謙遜も抜きに見ても、描けない人から見たら描けてはいもの、絵の上手い人から見たら稚拙だと思われる傾向のものだったと思っています

なまじ創作物解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたので、そのときジャンルCPによっては目に留めてくれる人が多く、その中にはとても絵の上手い方もいらっしゃった、くらいの。

その辺りの側面はひとまず抜きに、「好み」とかの話でなく、絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を私は持っていませんでした。

主観的ものなんだから一概にそんなことはない、なんて言い出せばそうなんですが創作活動を続けていく中で「絵を描く層」を限りなく客観視したとき自分が感じた自身立ち位置は少なくとも「どちらかといえば上手くない」というものでした。

(「上手くない」「どちらかといえば上手くない」「「どちらかといえば上手い」「上手い」の4段階として)

私が今から話すのはフォロワの中でも上記4段階において「上手い」に属する人=神絵師の方々に対しての感情です。

「神絵師」という判定こそその人の主観いくらでも変わる認識ですがpixivで1千ブクマを安定して得てるとかフォロワが何万居るとかそういう数値的なものでなく、此処で記す「神絵師」というのはあくまで『絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を持てていると私が判断している人』というものであることをまず始めにご理解下さい。

前述の通り、私は自己脳内ヒエラルキーにおける絵が上手い人種ではありませんでしたが、

前述の通り、なまじ創作物(主に漫画ことなんですが)に解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたのでそこを見てくださった方であったりあるいは横の繋がりであったりで神絵師の類にあたる方々との繋がりがそこそこにありました。

絵がどうとかどうでないとかありにしても無しにしても、とにかく自分と繋がって関係を築くことを良しとしてくださった方なわけですから、その時点で神絵師だとかそうじゃないだとか抜き交流していければ完結する話なんですが、自分に関してはそれができなかった為しちめんどくさいことになりました。

好きな作品についてや日常雑談について語るにあたっては「同じ路線感性」があれば絵の良し悪しとか関係なく楽しめます

でも、関係を持った人たちが「絵を描く人」である以上、日頃の会話の中にはどうしても「自分たちの作品について」の話題が時として出てきます

特に女性間で顕著なんですが作品を作る人という括りであればどっちにしろこういった話題が出てくる瞬間が私はとにかく苦手でした。

「Aさんは本当に絵が上手い」「そういうBさんの絵に私は憧れてるんだよな」

フォロワの間でそういう話になる度に私は心底しんどくてたまりませんでした。

そういう流れになるたびに身を潜めて出ていかないようにしました。

実際Aさん、Bさんは自分の中では神絵師で、私自身本当に大好きな作品を生み出す方々ではありましたがその流れで私が「わかる、AさんもBさんもどっちも最高なんだよな」とか話題に乗るなんて死んでもできませんでした。

万一にでも「そういうムツさんだって漫画上手いじゃん」とか言われたらそれがその人にとっての本心であろうと私は本当に死にたい気持ちでいっぱいになるからです。

それがその人にとっての本心であろうと。

何でしょう、流れの中とかでなくふと出てきた言葉だと真に受けられるんですけど。

万一にでも気を遣われたという可能性が拭えない流れの中で褒め言葉を貰うのは作品に限った話でなくて苦手なんですけど作品に関しては過剰になってしまいがちです。

というのも私は自分の中で完全に勝手に「神絵師」と「そうでない自分」とを区切ってしまっているからだと思います

はいくら親しい人であったとしてもその人が自分の中で神絵師という括りとして認識されているだけである一定話題に対してはその人達に対して勝手距離感を感じてしまっているように思います

そういう垣根抜きに自分作品を良いと思って下さってる方に対してその認識が失礼なことなんだと分かりながらも区切らずにはいられませんでした。

自分のことを目に留めてはくれない神絵師が多いのは自分が神絵師ではないから、という落とし所が必要だったからです。

…例えば、金銭的な問題を考えなくて良いものとするのであれば安くて味はそこそこのものより高くておいしいものばかり食べていたいと思うのは普通感覚だと思います

性格が同じような人であれば顔が普通の人より良い人を選びたいと思うのも普通感覚だと思います

自分の絵は誰が見ても上手いものではないから絵の上手い人が自分作品を見てくれているというのは基本的にすごいことだと思っていて、ありがたいことだと思っています

(絵を描く人描かない人関係無しに、自分作品を見て下さってる方々には感謝しかないのですが「顔の良い人達とばかり付き合いのある顔の良い人が普通自分と付き合ってくれている」ことが特にすごいという話です。)

普通、神絵師はそうでない自分作品をまず目に留めようとしないんだという当たり前の現実をそれでも私には受け入れて納得するための理由必要でした。

作品柄であったり人脈であったり、万人が見てくれる創作物なんてまずありません。

ただ、割合的な問題としてやはり「自分と繋がりのある神絵師達」と繋がりのある神絵師には私は見て貰えない傾向にあったなと思うので。

尚、ここまで誰がどうとかそういう話でなく自然の摂理の惨さを私が受け入れるのが下手くそという話です。

誰も悪くはなくて強いて言うなら勝手意識している自分ただ一人が悪いです。

作品を見てくれる人が一定数いる」という事実がまず本当にありがたいことでその点については本当に本当にありがたいと思っていて、

正直、神絵師でない括りの中で自分作品を見て何かを感じて下さった方は本当に多い方だと思えていて、自分はむしろ贅沢な類なのだと思っています

贅沢な類だと思えていたからこそ神絵師の括りには居なくても自分創作者としての現状にはとても満足していました。

それでも自分が神絵師の括りには居ないことで発生する「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」に対する現実は神絵師とそうでないもの区切りがあるという根拠を踏まえておかないと納得しきれませんでした。

から私は神絵師になりたいとかそういうわけでなく(いや朝起きて気付いたらなってたとかならなりたいですけどそもそもとして私は絵を描くのが好きなわけでなく自己解釈アウトプットする手段として絵を描いてるタイプなので絵を描く努力とかしたくないか結論として「なりたいわけではない」になるんですが)、それでも「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が自分より大きいという意味で「神絵師」という人達が羨ましいと思っています

(ある神絵師に先日とうとう「神絵師になる努力もしてないのに羨ましいって感情一方的にぶつけてくるのはずるいと思う」的なことを言われてしまいましたが神絵師になりたいわけでもない(=厳密にはなるための努力を諦めきっている)のに一方的理不尽感情をぶつけるのは確かにずるいなと思いました。本当にごめんなさい。)

そんな具合で、私は自分の中で持てているものを見て頂けてることを最大限ありがたいと思いながら、それでも自分では持てないものを持てる人達を私は心底羨んで憧れていて、大好きだと思いながらも一線を引いてしまっていてそんな一線が交流をすると、時々とてもめんどくさい感情自分の中で生み出していました。

完全に特定できる物言いでめちゃくちゃ申し訳ないんですけど、

最近だと神絵師分類のフォロワ2人と限界さぎょいぷで盛り上がっている最中「次のイベントどうする~~申し込もうぜ~~」みたいな流れでやいやいするまでは良かったんですけど

「隣接しよう~~~」ってなったとき正直私は心底死にたいと思っていました。

そこで嫌と言えば良かったのかもしれないですけどフォロワ2人的には「仲の良い人が隣に居て欲しい」以上も以下もない感情から出た提案しかなくて、そこに自分みたいな神絵師だとかそうでないだとかの汚い区切りとか全然加味されていないことが完全に分かっていたので自分の薄汚い感覚でNOとは言えなかったし言ったとしてその理由が「神絵師の隣は現実を思い知らされて嫌だから」だとか完全に「えっ…」て感じだと思うし自分自身、垣根抜きに親しい付き合いをしてくれる二人と気の合う関係を築けてることが何より嬉しかたからNOなんて言いようがなかったんですけど。

絵師サンドされた日には死ぬと思っていましたが実際サンドされて死にたいと思っていました。

ジャンルでの活動が長く、自分の本を楽しみにしてくださってる方が一定数いてくださったことは知っていたので両隣は大盛況で自分のスペースだけ閑古鳥なんて事態にはならないことは分かっていたんですがそれでも胃は少し痛かったです。

実際、両隣のフォロワと繋がっているもの自分とは繋がっていない神絵師の方が自分のスペースを避けて両隣に挨拶しているとことか見えたりしたので。

よく見てるなって感じですけど私はたまに神絵師フォロワのフォロワを覗いてわあ、こんなに神絵師からフォローされてる…とか思いながら薄暗い感情になったりとかする性悪自滅くそ野郎なので

(いやでも必要なんですよ…とある絵師(私は一方的に好きなだけ)の作品についての話を神絵師フォロワ(神絵師とは相互)とするにあたって相手相互フォロワの気安さとして喋るけど私は一方的好きな人としての温度差がそこにあることを予め認識して精神を防護しておく必要があるから…)

この辺りをくまなく喋ると大体「見なくて良いとこまで見て、考えなくても良いとこまで考えすぎてるところが生き辛そう」って言われます

本当にその通りだと思います

いやそれでもそうやっていろんなところに目を向けるからこそ自分を見てくれる一人一人に対する有り難みを感じられているとも思っていて、だからこそ持てる力の範囲でも自信を持てているとも思っているので私は一長一短なんだと思っています

逆に自分なんかよりよっぽど「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が遥かに広い神絵師のはずなのに自己肯定感の低い人達見ると本当に嫌になります

大体そういう人達って軒並み「ネットの外のリアル自分人間的に問題がある」ところを引きずってるんですけど、そうでなくて、少なくともネットにおける「絵が描ける」ことそれだけで「描けない人」がどう逆立ちしても手に入らない沢山の自信の種と関係の間口がごろごろしてることに気づいて欲しいなあと常々思います

いやまずフォロワの多さといいねの多さとブクマの多さに目を向けて欲しい。

あいつら大体「カップリングの力だから」「旬のジャンルから」「女の子から」とか何とか言うんですけど、過大評価を真に受けない保険にしてるんだか知らないですけど、私からしたらその発言は軽はずみだとしても本当に好きな人も多くて付けてくれてるであろう何百何千の人達からいいね蔑ろにしてるようにも取れるから私はそうやって付けられる自信を一向に付けない人を見るのが腹立たしくて嫌いです。

(と思う感情すら自分劣等感正当化するためのエゴだと言ってしまえばその通りだとも思うので押し付けるのは良くないですよね、本当に各位には申し訳ない。でも言わなかったとしても内心そう思ってることには変わりなかったです。)

でも気の合う話ができて一緒に居て楽しいと思う人達だってその人達です。

私はその人達の人柄が好きで作品が好きで絵柄が好きで、何より一緒に居て楽しいと思えるからこそ、少しでも自信を持って欲しくてついついそういう感情吐露しがちなんですが先日いよいよ怒られました。

そういう感情ネット上では見せたくなくて、少しでも信頼してる自分からこそ打ち明けた部分だったのにSNSで鍵垢で、主語こそださなかったもの特定されかねない形で引用してしまったので。

本当に申し訳ないことをしてしまったなあと思うと同時、それでもやっぱり私は大好きなその人がいつまでも持てる自信を持てないままでいることが嫌で嫌で仕方なかったです。

という感情だけ主張しておけば何かまだ良い感じな風に見えなくもないんですけど私そこに対して「自分の持てないものを持ってる人が自信が無いと惨めな気持ちになる」ってろくでもない私情までぶつけてるから駄目なんですよね

すいません、ごめんなさい、結局私は自分感情エゴ込みで吐き出さずにはいられない性分のクソ野郎でした。

でも本当に、もうどうしたら伝わるのか私には分かりませんがそういう感情を吐き出した人達のことが、自己肯定感が低いところを除けば私は本当に大好きです。

前述したようにその神絵師当人にとっては「親しい人との関係」の中に自分の神絵師物差しみたいなくそ概念を突っ込まれ区別した上で会話をしてしまうから、私個人が抱く劣等感由来のあらゆる感情って本当に仲良くしていく上で心底不要ものなんだなと痛感しています

それでも私にとっては自信の糧になった部分もある切っても切り離せない要素です。

そこを踏まえない友達付き合いを私が徹底できれば何よりなんですけど、付き合いを続けていく中でどうしても一方的劣等感押し付けしまう場面というのは今後どうしたって出てきてしまうように思っています

冒頭で述べたように極力これきりにしたいとは思いますけど性根としてそういう感情根付いてることには変わりないです。

ああ、なんか、そういう見方をされていたんだなあと感じてしまったらどうしようもないのかもしれませんがこんなくそみたいな性根を抱えた自分とも、また喋ったり遊んだりして頂けたら嬉しいなあと思います

本当に一方的で身勝手感情だとは思いますが。

自分のことだと思ってる思ってないに関わらずとにかく私というろくでもない人間関係を築くことを良しとしてくださってるあらゆる方々、本当にいつもありがとうございます

本当にろくでもない性悪なので自分から遊びに誘うことも憚れる上、実際これからしばらくイベントを断つ身の上でお会いできる機会なんてフォロワが関西に遊びに来てくれるときくらいしかないと思いますが遊びに来た際には誘って頂けたら喜びます、と誘い受けをして締めたいと思います

あと良かったら前述の記事同様に拡散の上、思ったこと述べて貰えたら嬉しいです。

賛否や縁を切りたい等内容は問いませんのでご意見感想お待ちしております

最後最後までろくでもないな

ここまで吐き捨てきってしまって、またSNSというかツイッターフォロバする形で性懲りも無く再開するかは正直ちょっとからなくなってきましたが、ひとまず今まで本当にありがとうございました

またお会いできたら嬉しいです。

それでは。

交流してくださっていた神絵師の皆々様へ

どうせこれからしばらく生き甲斐絶つなら、これまで抱えてきた感情とその感情を向けてきたあらゆる対象もろとも心中するくらいの心づもりでいようと思ったので巨大感情をぶつけてから一時撤退することにしました。

誰が見てくれなくてもいいけど見てくれた誰かが刺されてくれたら、それで好きだったその人から嫌われてももう良いやという気持ち文章します。

遺書かな。もうそれでもいいや

後を濁す気満々で申し訳ない。

私としては巡り巡ってファンレターだと思って書きます

(一部方々におかれましては重複してお伝えしている内容ではありますが良かったら今一度受け止めて下さい。)

(一度鍵垢でべらべら喋って怒られたことをまた喋ってるのでいよいよ距離を取られたら寂しいなあと思っていますが極力これきりにしたいので許して下さい、出来ればやっぱり嫌われたくないです)


私は根本的にSNSに向いてないと常々思っていました。

というのも数値や関係が一目で可視化されている文化圏の中で交流を兼ねながら創作活動をするということが自分には致命的に向いてないと思ったからです。

数値が見えるというのは時として嬉しいものなんですが時としてすごく残酷だと思います

とりわけ数値で自己他者とを比較できてしまうという点においては自身の実力を図る手段であり、時として自信になり得る要素でもありましたが、交流していくにあたっては自分にとってはデメリットしかありませんでした。

まず、自分創作物というのは贔屓目も謙遜も抜きに見ても、描けない人から見たら描けてはいもの、絵の上手い人から見たら稚拙だと思われる傾向のものだったと思っています

なまじ創作物解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたので、そのときジャンルCPによっては目に留めてくれる人が多く、その中にはとても絵の上手い方もいらっしゃった、くらいの。

その辺りの側面はひとまず抜きに、「好み」とかの話でなく、絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を私は持っていませんでした。

主観的ものなんだから一概にそんなことはない、なんて言い出せばそうなんですが創作活動を続けていく中で「絵を描く層」を限りなく客観視したとき自分が感じた自身立ち位置は少なくとも「どちらかといえば上手くない」というものでした。

(「上手くない」「どちらかといえば上手くない」「「どちらかといえば上手い」「上手い」の4段階として)

私が今から話すのはフォロワの中でも上記4段階において「上手い」に属する人=神絵師の方々に対しての感情です。

「神絵師」という判定こそその人の主観いくらでも変わる認識ですがpixivで1千ブクマを安定して得てるとかフォロワが何万居るとかそういう数値的なものでなく、此処で記す「神絵師」というのはあくまで『絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を持てていると私が判断している人』というものであることをまず始めにご理解下さい。

前述の通り、私は自己脳内ヒエラルキーにおける絵が上手い人種ではありませんでしたが、

前述の通り、なまじ創作物(主に漫画ことなんですが)に解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたのでそこを見てくださった方であったりあるいは横の繋がりであったりで神絵師の類にあたる方々との繋がりがそこそこにありました。

絵がどうとかどうでないとかありにしても無しにしても、とにかく自分と繋がって関係を築くことを良しとしてくださった方なわけですから、その時点で神絵師だとかそうじゃないだとか抜き交流していければ完結する話なんですが、自分に関してはそれができなかった為しちめんどくさいことになりました。

好きな作品についてや日常雑談について語るにあたっては「同じ路線感性」があれば絵の良し悪しとか関係なく楽しめます

でも、関係を持った人たちが「絵を描く人」である以上、日頃の会話の中にはどうしても「自分たちの作品について」の話題が時として出てきます

特に女性間で顕著なんですが作品を作る人という括りであればどっちにしろこういった話題が出てくる瞬間が私はとにかく苦手でした。

「Aさんは本当に絵が上手い」「そういうBさんの絵に私は憧れてるんだよな」

フォロワの間でそういう話になる度に私は心底しんどくてたまりませんでした。

そういう流れになるたびに身を潜めて出ていかないようにしました。

実際Aさん、Bさんは自分の中では神絵師で、私自身本当に大好きな作品を生み出す方々ではありましたがその流れで私が「わかる、AさんもBさんもどっちも最高なんだよな」とか話題に乗るなんて死んでもできませんでした。

万一にでも「そういうムツさんだって漫画上手いじゃん」とか言われたらそれがその人にとっての本心であろうと私は本当に死にたい気持ちでいっぱいになるからです。

それがその人にとっての本心であろうと。

何でしょう、流れの中とかでなくふと出てきた言葉だと真に受けられるんですけど。

万一にでも気を遣われたという可能性が拭えない流れの中で褒め言葉を貰うのは作品に限った話でなくて苦手なんですけど作品に関しては過剰になってしまいがちです。

というのも私は自分の中で完全に勝手に「神絵師」と「そうでない自分」とを区切ってしまっているからだと思います

はいくら親しい人であったとしてもその人が自分の中で神絵師という括りとして認識されているだけである一定話題に対してはその人達に対して勝手距離感を感じてしまっているように思います

そういう垣根抜きに自分作品を良いと思って下さってる方に対してその認識が失礼なことなんだと分かりながらも区切らずにはいられませんでした。

自分のことを目に留めてはくれない神絵師が多いのは自分が神絵師ではないから、という落とし所が必要だったからです。

…例えば、金銭的な問題を考えなくて良いものとするのであれば安くて味はそこそこのものより高くておいしいものばかり食べていたいと思うのは普通感覚だと思います

性格が同じような人であれば顔が普通の人より良い人を選びたいと思うのも普通感覚だと思います

自分の絵は誰が見ても上手いものではないから絵の上手い人が自分作品を見てくれているというのは基本的にすごいことだと思っていて、ありがたいことだと思っています

(絵を描く人描かない人関係無しに、自分作品を見て下さってる方々には感謝しかないのですが「顔の良い人達とばかり付き合いのある顔の良い人が普通自分と付き合ってくれている」ことが特にすごいという話です。)

普通、神絵師はそうでない自分作品をまず目に留めようとしないんだという当たり前の現実をそれでも私には受け入れて納得するための理由必要でした。

作品柄であったり人脈であったり、万人が見てくれる創作物なんてまずありません。

ただ、割合的な問題としてやはり「自分と繋がりのある神絵師達」と繋がりのある神絵師には私は見て貰えない傾向にあったなと思うので。

尚、ここまで誰がどうとかそういう話でなく自然の摂理の惨さを私が受け入れるのが下手くそという話です。

誰も悪くはなくて強いて言うなら勝手意識している自分ただ一人が悪いです。

作品を見てくれる人が一定数いる」という事実がまず本当にありがたいことでその点については本当に本当にありがたいと思っていて、

正直、神絵師でない括りの中で自分作品を見て何かを感じて下さった方は本当に多い方だと思えていて、自分はむしろ贅沢な類なのだと思っています

贅沢な類だと思えていたからこそ神絵師の括りには居なくても自分創作者としての現状にはとても満足していました。

それでも自分が神絵師の括りには居ないことで発生する「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」に対する現実は神絵師とそうでないもの区切りがあるという根拠を踏まえておかないと納得しきれませんでした。

から私は神絵師になりたいとかそういうわけでなく(いや朝起きて気付いたらなってたとかならなりたいですけどそもそもとして私は絵を描くのが好きなわけでなく自己解釈アウトプットする手段として絵を描いてるタイプなので絵を描く努力とかしたくないか結論として「なりたいわけではない」になるんですが)、それでも「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が自分より大きいという意味で「神絵師」という人達が羨ましいと思っています

(ある神絵師に先日とうとう「神絵師になる努力もしてないのに羨ましいって感情一方的にぶつけてくるのはずるいと思う」的なことを言われてしまいましたが神絵師になりたいわけでもない(=厳密にはなるための努力を諦めきっている)のに一方的理不尽感情をぶつけるのは確かにずるいなと思いました。本当にごめんなさい。)

そんな具合で、私は自分の中で持てているものを見て頂けてることを最大限ありがたいと思いながら、それでも自分では持てないものを持てる人達を私は心底羨んで憧れていて、大好きだと思いながらも一線を引いてしまっていてそんな一線が交流をすると、時々とてもめんどくさい感情自分の中で生み出していました。

完全に特定できる物言いでめちゃくちゃ申し訳ないんですけど、

最近だと神絵師分類のフォロワ2人と限界さぎょいぷで盛り上がっている最中「次のイベントどうする~~申し込もうぜ~~」みたいな流れでやいやいするまでは良かったんですけど

「隣接しよう~~~」ってなったとき正直私は心底死にたいと思っていました。

そこで嫌と言えば良かったのかもしれないですけどフォロワ2人的には「仲の良い人が隣に居て欲しい」以上も以下もない感情から出た提案しかなくて、そこに自分みたいな神絵師だとかそうでないだとかの汚い区切りとか全然加味されていないことが完全に分かっていたので自分の薄汚い感覚でNOとは言えなかったし言ったとしてその理由が「神絵師の隣は現実を思い知らされて嫌だから」だとか完全に「えっ…」て感じだと思うし自分自身、垣根抜きに親しい付き合いをしてくれる二人と気の合う関係を築けてることが何より嬉しかたからNOなんて言いようがなかったんですけど。

絵師サンドされた日には死ぬと思っていましたが実際サンドされて死にたいと思っていました。

ジャンルでの活動が長く、自分の本を楽しみにしてくださってる方が一定数いてくださったことは知っていたので両隣は大盛況で自分のスペースだけ閑古鳥なんて事態にはならないことは分かっていたんですがそれでも胃は少し痛かったです。

実際、両隣のフォロワと繋がっているもの自分とは繋がっていない神絵師の方が自分のスペースを避けて両隣に挨拶しているとことか見えたりしたので。

よく見てるなって感じですけど私はたまに神絵師フォロワのフォロワを覗いてわあ、こんなに神絵師からフォローされてる…とか思いながら薄暗い感情になったりとかする性悪自滅くそ野郎なので

(いやでも必要なんですよ…とある絵師(私は一方的に好きなだけ)の作品についての話を神絵師フォロワ(神絵師とは相互)とするにあたって相手相互フォロワの気安さとして喋るけど私は一方的好きな人としての温度差がそこにあることを予め認識して精神を防護しておく必要があるから…)

この辺りをくまなく喋ると大体「見なくて良いとこまで見て、考えなくても良いとこまで考えすぎてるところが生き辛そう」って言われます

本当にその通りだと思います

いやそれでもそうやっていろんなところに目を向けるからこそ自分を見てくれる一人一人に対する有り難みを感じられているとも思っていて、だからこそ持てる力の範囲でも自信を持てているとも思っているので私は一長一短なんだと思っています

逆に自分なんかよりよっぽど「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が遥かに広い神絵師のはずなのに自己肯定感の低い人達見ると本当に嫌になります

大体そういう人達って軒並み「ネットの外のリアル自分人間的に問題がある」ところを引きずってるんですけど、そうでなくて、少なくともネットにおける「絵が描ける」ことそれだけで「描けない人」がどう逆立ちしても手に入らない沢山の自信の種と関係の間口がごろごろしてることに気づいて欲しいなあと常々思います

いやまずフォロワの多さといいねの多さとブクマの多さに目を向けて欲しい。

あいつら大体「カップリングの力だから」「旬のジャンルから」「女の子から」とか何とか言うんですけど、過大評価を真に受けない保険にしてるんだか知らないですけど、私からしたらその発言は軽はずみだとしても本当に好きな人も多くて付けてくれてるであろう何百何千の人達からいいね蔑ろにしてるようにも取れるから私はそうやって付けられる自信を一向に付けない人を見るのが腹立たしくて嫌いです。

(と思う感情すら自分劣等感正当化するためのエゴだと言ってしまえばその通りだとも思うので押し付けるのは良くないですよね、本当に各位には申し訳ない。でも言わなかったとしても内心そう思ってることには変わりなかったです。)

でも気の合う話ができて一緒に居て楽しいと思う人達だってその人達です。

私はその人達の人柄が好きで作品が好きで絵柄が好きで、何より一緒に居て楽しいと思えるからこそ、少しでも自信を持って欲しくてついついそういう感情吐露しがちなんですが先日いよいよ怒られました。

そういう感情ネット上では見せたくなくて、少しでも信頼してる自分からこそ打ち明けた部分だったのにSNSで鍵垢で、主語こそださなかったもの特定されかねない形で引用してしまったので。

本当に申し訳ないことをしてしまったなあと思うと同時、それでもやっぱり私は大好きなその人がいつまでも持てる自信を持てないままでいることが嫌で嫌で仕方なかったです。

という感情だけ主張しておけば何かまだ良い感じな風に見えなくもないんですけど私そこに対して「自分の持てないものを持ってる人が自信が無いと惨めな気持ちになる」ってろくでもない私情までぶつけてるから駄目なんですよね

すいません、ごめんなさい、結局私は自分感情エゴ込みで吐き出さずにはいられない性分のクソ野郎でした。

でも本当に、もうどうしたら伝わるのか私には分かりませんがそういう感情を吐き出した人達のことが、自己肯定感が低いところを除けば私は本当に大好きです。

前述したようにその神絵師当人にとっては「親しい人との関係」の中に自分の神絵師物差しみたいなくそ概念を突っ込まれ区別した上で会話をしてしまうから、私個人が抱く劣等感由来のあらゆる感情って本当に仲良くしていく上で心底不要ものなんだなと痛感しています

それでも私にとっては自信の糧になった部分もある切っても切り離せない要素です。

そこを踏まえない友達付き合いを私が徹底できれば何よりなんですけど、付き合いを続けていく中でどうしても一方的劣等感押し付けしまう場面というのは今後どうしたって出てきてしまうように思っています

冒頭で述べたように極力これきりにしたいとは思いますけど性根としてそういう感情根付いてることには変わりないです。

ああ、なんか、そういう見方をされていたんだなあと感じてしまったらどうしようもないのかもしれませんがこんなくそみたいな性根を抱えた自分とも、また喋ったり遊んだりして頂けたら嬉しいなあと思います

本当に一方的で身勝手感情だとは思いますが。

自分のことだと思ってる思ってないに関わらずとにかく私というろくでもない人間関係を築くことを良しとしてくださってるあらゆる方々、本当にいつもありがとうございます

本当にろくでもない性悪なので自分から遊びに誘うことも憚れる上、実際これからしばらくイベントを断つ身の上でお会いできる機会なんてフォロワが関西に遊びに来てくれるときくらいしかないと思いますが遊びに来た際には誘って頂けたら喜びます、と誘い受けをして締めたいと思います

あと良かったら前述の記事同様に拡散の上、思ったこと述べて貰えたら嬉しいです。

賛否や縁を切りたい等内容は問いませんのでご意見感想お待ちしております

最後最後までろくでもないな

ここまで吐き捨てきってしまって、またSNSというかツイッターフォロバする形で性懲りも無く再開するかは正直ちょっとからなくなってきましたが、ひとまず今まで本当にありがとうございました

またお会いできたら嬉しいです。

それでは。

ツイッターアカウントを消すにあたって

1文にまとめると勉強を頑張る為に同人活動を休止してツイッターを消すことにしました。

というだけの話です。

ただ自分にとっては同人活動ツイッターも、生半可な気持ちで断てるようなものではなかったのでここから語る事の経緯は自分感情を整理するための自己満足です。

えらく長い上読んでもこれっぽっちも楽しいものではありませんが、それでもお付き合い頂ける方は読んでみてください。


勉強を今一度頑張ってみたいと思いました。

思ってみたもの、今まで散々頑張ってこなかったことなので正直既に全然自信がないんですけど。

本当に自信がないです。散々頑張らなかった人生なので。

ただ、自信無いなりに、まず頑張る為に今まで頑張れなかった原因たる要素を外的要因から潰していこうと思ったのです。

その1つが自分学費を持った上で、勉強をする為に学校に入ることでした。

ざっくり勉強と申し上げましたが4月から資格を取得するために専門学校に通うことにしたのです。

資格を取得するにあたって大学に行っていたのですが、親の金で通っていた当時は正直な話どこか甘えていた部分があったと思います

実家から独立して社会に出て数年、時間お金も有限なんだと本当に今更痛感しました。

勉強する為にお金を出して与えてもらった時間を使って勉強をろくにしてこなかった今まで、本当に勿体ないことをしてきたなと思いました。

大学当時、資格取得の試験に落ち、翌年仕事をしながら自主学習しても身が入らず結局試験は以来受けていませんでした。

フルタイム勤務に月20~40の残業が発生した状態で実際時間もなかったのですが、結局仕事をしているから、と勉強から逃げていたと思います

今一度、腰を据えて勉強する為に学校へ行きたいのだと親に伝えたとき父親からは甘えていると言われました。

本当に、その通りだと思いました。

私が社会に出て数年働いても全く届かない数百万というお金を出してもらい4年間大学へ通い、試験には落ち、卒業しても得られたものは何もない状態社会に出てのんべんだらりと数年を過ごした私には2、3年だとしても学校へ通う為の資金などはなく。

またどこか親に頼ろうという気概自分の中にはあったように思うので。

実際、学費学校へ通う間に生計を立てていく問題を本気で考えたのはその後でした。

まず、今年から資格取得の為に受けられる給付金制度が拡充したことを知りました。

次に、検討していくうち決めた4月から行くことになった専門というのが本来2年制の学部でしたが、大学で同資格取得の為の科目を専攻していた関係前例もある特例として1年制として受け入れて頂けるということでした。

資金的にも現実的な額面になってきたこと(それでも情けない話ではありますが結局親に前借りする形になりましたし、口座の残高はパート勤務でもしないと工面できない程度にしか残せていませんが)、

特例の1年制というのは学費的にも大きかったですし何より親の金で無闇に過ごした時間が多かった大学での4年間が少しでも無意味にならないように思えたこと、

新年に引いたおみくじ末吉にしてかつて類を見ないレベルの手厳しさであった上で「学問自己の甘えを捨て全力を尽くせ」と言われていたこと、

年齢も正直先日27になりまして、あと数年で三十路というところまで差し掛かっている身としてはあまりにも将来性のない日々を送っていたこともありました。

ともかくその他いろいろ踏まえても今踏み切らないともうどうにもならない気がしました。

フルタイム勤務はもう無理なので今の仕事は今月いっぱいで辞めます

前述の通り隙間時間で入れるバイトを探して当面はやっていきます

学費を振り込んだ今残った口座の残高数十万円は試験半年から数ヶ月前にはバイトも辞めて勉強だけ集中するためのお金なので来年の今頃には本当にほとんど一文無しの予定です。

口座に余裕がなくて本当に良かったです。

これでもうイベント遠征はどうしたって行けなくなりました。

長い目で見ればリターンがあるからとか言って本でも作れば向こう数ヶ月はご飯が食べられなくなる寸法です。

資格が取れなければ本当に何も残らない状況で、これで頑張れなければ本当にただの屑だと思います

要は、自主的に意欲を持って頑張れない自分が頑張る為にまずあらゆる退路を断つ必要があったのです。

もう後が無い環境意図的にでも作って追い込まないと自分は間違いなく何かに甘えてしま人間だったので。

そんな感じで経済的・将来的な逃げ道を絶つ環境を整えることを決めたからにはしておかなければいけないと思ったもう1つ。

それがツイッターを消すことと同人活動を休むことでした。

この文面を此処まで読まれる方でしたら私が見事なまでの限界同人オタクなことはご存知のことと思います

高1頃から同人活動を少しずつ始め、彼此10年以上同人誌を作ってきましたが、作成ペースは年々悪化の一途を辿り、前年では15冊発行してましたし、もうここ何年も年間10冊超ペースで発行している有様でした。

正直、学生時代勉強に身を入れきれなかった大元の原因が同人活動にあったと思います

原稿をしている間は人間的な生活が送れない、みたいな限界同人オタクあるあるも私からしてみれば「人間的な生活を送らない理由にするため原稿をしている」ような節がありました。

自己解釈アウトプットすることが人生で何よりの生き甲斐なのは間違いないのですが、それが同時に生活を怠る免罪符にもなっていました。

イベントに参加して自身の本を取ってもらう、気の合うオタクと喋る、時として感想を貰う。

同人イベントサークル参加されたことのある方であれば分かる方もいると思うんですけどこの一連の流れって本当に癖になってしまうんですよね。

ただでさえ自己解釈アウトプット生き甲斐だった私に関してはもはや本を作ってイベントに出る行為依存症みたいなものだったと思います

原稿にかける時間人生で何よりの優先事項で、次点が最低限の生活を成り立たせるための労働、あとは気が向いたときに行う基本やれなくても仕方のないこと。

自分の中では完全にそういう考え方ができていました。

自己思考アウトプットすることそのもの生き甲斐自分にとってツイッターでのツイート行為もまたある種の依存行為だったと思います

自分の交友関係社会に出ている間に学生時代関係がほぼ残らず、今やツイッター形成されているものでほぼ占められていたのでツイッターを完全に消してしまうことは自分人間関係の大半を喪失させてしまうことのように思っていて、それが余計に自分の中でこのツールを離しがたいものにしていたようにも思います

というか消すまでしなくても程々に運用したらいいのではって話なんですが。

少なくとも自分に関しては無理だと思ったからこその判断です。

物事を切り替えていくのが本当にへたくそで、特につの思考に耽るのが楽しい性分だったことも助長してツイッターでひとたび1つの話題を見つけると数時間でも半日でも延々とそのことについて考えてはツイートをして時間を浪費する日々でした。

共通話題で盛り上がる人が居ると余計に、自分以外の誰もその話題をしていなくても一人でもいつまでも

やらなければいけないものできればやりたくないことが後に控えている程にその傾向が強かったように思います

その手軽さが現実逃避すらも容易にさせてしまっていたと思います

自身思考共感を得てくれる存在が数値として見えるこのツールでは欲している感情簡単に満たされてしまって、少しでも苦しさを感じる現状に対する手軽な逃げ場になっていたと思います

息抜き現実逃避というのはニュアンスとして紙一重だと思うんですが私は息抜きのつもりで一度楽しいことを始めるとそのまま本来の楽しくない作業には戻れなず逃避になっているタイプでした。

人生において欲している感情を与えてくれる要素は現実から逃げる為の要素でもあると思います

自身にとってツイッター同人活動人生において欲している感情を与えてくれる要素のほぼ全てでした。

から、本当に本当にすべきことを前にツイッターを、同人活動を並行するという可能性を少しでも残せないと思ったのです。

から同人活動ツイッターもやめることにしました。

今生の別れでも何でもない、本当に一時的措置であって数年後の私が目標を達しているいないに関係なくきっと私はツイッター同人活動も再開すると思うのです。

人生の中でみれば些細な制限に対してここまで長文の記事を作るなんて自分でも正直馬鹿げているなとも思うのです。

これは少しでも隙があればきっとまた今までのように現実にある目前のすべきことから逃げだしてしま自分に対して仕方ない、仕方ないと言い聞かせる為の文章です。

ここまでしないと、ここまでしても尚駄目かもしれないどうしようもない自分をせめて戒める為にこの文章を作っています

いくら生き甲斐だったとしても生き甲斐を続けるだけの人生に将来性なんて何もありません。

自分生き甲斐あくま趣味であって、万に一つでも趣味を続けた先にそれが将来性のある何かに繋がるとは微塵にも思っていません。

自分の中で此処まで分かってるなら私は学生時代からもっと勉強をする習慣に慣れておくべきだったと今更のように思います

結局、その場で満たされる感情やもしかするとなんて夢を見ることでこのままでは良くないと分かっていた現状から逃げ続けていただけだったんだと思います

手遅れだと諦めるには何もしてこなかったですし半端な気持ちで居続けて「もう手遅れだろう」とか「どうにかすべきだった」なんて言う前に、私はまだどうにかなるものならどうにかしたいと思っています

やる気の問題が大きいとは思います

逃げ道をいくら塞いだところで1日寝て過ごせば日々は過ぎてしまうわけですから自分が本当に頑張らない限り、どうにかしたいと気持ちだけ口にしたところで結果には何も繋がりません。

ここまで包み隠さず全部言って、それで1年後試験に落ちたら何かもういよいよどのツラ下げてという感じなので正直、どう転ぶにしても後々くまなく喋りすぎたことを後悔すると思ってるんですけど、こうして状況を明記すること事体が退路を断つ一環でもあるので致し方なかったのでした。

本当に長くなってしまいましたが本記事は以上となります

最後に「頑張ろうと思います」なんて口だけ言っても仕方ないので自分では言わないでおきます

(今見直したら冒頭1行で言ってましたけど)

なので此処まで読んでくださった方におかれましては「頑張ってください、応援してます」なんて軽はずみにでも本気でもどんな心づもりでも言えるその言葉自分に向けては出来れば言わないで頂けたら助かります

それでも結果を残して戻ってこれたときには軽はずみでも良いので「おめでとう、お疲れ様、おかえりなさい」などのお声を頂けたらとても嬉しいです。

最後最後に、これからの1年、このブログフォロー数0のアカウント、もしくは本垢のものが浮上しても息抜きレベルだと思えるものでしたらどうか見逃してください。

最後まで現金感情にお付き合い頂いてしまってすいません、ありがとうございました。

それでは。

表現の自由戦士に肩入れしない理由について述べる

毎回フェミ晒しあげられる光景を見る度にモヤモヤする。ブコメだけではではいつも言いたい事が何も言えず、一度そのモヤモヤを雑ではあるが増田アウトプットしてみたいと思い、不慣れな長文を書いてみる。当方フェミに同情的な商業クリエイター、オタ男性

フェミの主張の大筋は要するにエッチものを世に溢れさせるなという主張だと何となく考えている。この問題は非常に議論しづらい難しさがある。例えばエッチものとはそもそも何なのか誰が決めるのかという切り口だけでも大変複雑な難問であり、それに対して「表現の自由侵害」「お気持ち押し付けるな」という反論だけでは有効カウンターになってないのではないかというのが俺の見解だ。後に詳しく説明するが、この問題において議論されるべきだと俺が考えているのは公共空間デザイン表現の自由バランスについてなのである。ところが当のフェミからもオタからもそのような議論がされている様子はほとんど見られず、見るも無残な中傷合戦に終始している。クリエイターからはそのような話が出る事が多々あるのだが、オタもフェミもこれらの問題に対して無関心を貫いていると言わざるをえない。ある意味で我々の価値観の過渡期であるにも関わらず、肝心の論点が置き去りになるその不毛な状況に対しての失望こそが俺が感じるモヤモヤの正体なのだ、とようやくこの文章を書きながら気づいた。

例えば近年、学校官公庁公園などといった公共空間に設置されている裸の少女の像や裸婦像の絵画などがフェミによって問題視されるケースがある。一見するとそれは荒唐無稽な主張かもしれない。しかし裸の女性というモチーフ西洋芸術文脈においては古くからの一大ジャンルではあるが、一方ではエッチモチーフでもあり、我々は単にそれをエッチものと捉えてはならないと繰り返し教育を受けてきただけに過ぎない。パブリックアート公共空間における彫刻や造形、絵画のあり方としては、すでにエッチものには疑義が生じているという状況と考えてもいいだろう。

言うまでもなく公共空間というものは幾多もの他者自分とが相互に関わりあう空間であり社会のものである。そのような場にエッチ創作物がさも当然のように鎮座する事が保証されるのが表現の自由というのはいささか暴論だ。他者と関わりあう場だからこそ公共空間における表現は常に綱渡り的なバランス取りを強いられる。仮に頭のおかしフェミによる病的なクレームであるにせよ、クリエイターは観客のリアクションを受け止めざるをえない。おそらく世の大抵のプロアマ含めたクリエイターはそれを十二分に自覚しているはずだ。つまり表現の自由公共空間社会という危うい綱渡り最初から常に晒されており、真なる表現の自由というのはそもそも幻想なのである。真なる表現の自由がもし完全に存在する空間があるとするなら、それは引き出しの中の鍵付き日記のような私的領域における創作という場において以外はありえず、フェミがそこまで創作行為批判しているようにはどうにも思えない。公共空間作品を送り出す以上、我々は常に公共空間にとってセーフかアウトかを社会に対して問いながら、あるいは喧嘩を売りながら生きていく他なく、現代においてエッチもの忌避されるならばそれは綱渡り判断材料の一つと捉える他ない。それは別に表現の自由侵害でも何でもない。元から創作活動というものはそういうものなのだ

そんな議論ができればいいなとは思うのだが、フェミもオタもそういう話には興味がないらしい。公共空間からこそ快不快という主観のぶつかり合いが大切なのに、一番のキモであるお気持ち」が軽視されている現状は何なんだろうな。

2019-02-23

anond:20190223142346

逆逆。

非モテはスネたのであっちが好意を示してくれるまで動きません~っていうことでしょ。

お母さんというなにもしなくても好意を示してくれる女性基準なんだろうねっていうこと。

友達から始めるとかの中間段階すっとばしてて、「身内(まちがったおかあさん)」か「害意」の2つしか認定段階がない人は非モテ以前に人間としてこわいわ。

自分アウトプットも「尽くす(まちがったお父さん)」か「非モテとしてのスネ行動」の2とおりしか作れないんだろうな。

 

増田も10年くらいみてきてるけど、なんか一回目のお見合いデートなのに腕を組んで歩こうとしたら断られた、母親ならすぐに腕くらい組むだろ!ってキレてる人とかいたなあ。(肘でおっぱいぐいぐいするのがお見合い目的だったんだろうか)

即袋叩きにされて消えてたけど、どうなったんだろう(当然報告はない)

何度でもくりかえさる非モテ愚痴の場が増田当人が気づくまで叩かれるのになんで来たんだ。

距離感が測れない非モテってほんと大変だとしかいいようがないね

2019-02-22

連絡

メールラインで連絡を取ることができない。

自分で言うのもアレだけど、僕は多分割と仕事ができる方だと思う。メールラインで連絡を取ること以外は。

僕はまだ学生だけどちょっとした特技があり、それを生かしてちょいちょい仕事をしている。アウトプットした物は割と好評で、口コミ等を通じて新たな仕事を受けたりもする。

でも、クライアントメールラインで連絡を取ることが物凄く苦手だ。返信をするのが怖い。もっと言うとメールボックスを開くのも、ラインアプリを起動するのも怖い。スマホの通知の音が鳴ると毎回ガタガタ震えて、ラインGmailじゃないとわかるとホッとする。

特に依頼でも締切の催促でもないただの確認メールでも怖い。返信できない。特に理由はないのに返信ができない。

最近までは死にそうになりながら返信してたけど、遂にメール放置しすぎて(クライアントが知り合いだったので)家族に連絡が行き、家族と連絡を取るのも嫌になってしまった。

今も返信を催促するメールが来て、腹痛に身悶えています病気ですかね?同じ様な人はいるんでしょうか。

2019-02-21

改善思考収入1000万超えた件

お前らみたいな批判思考のやつには一生無理に下さいだろな

俺は常に問題点を見つけたらどう解決するかを考えてメモしてきた

そのメモをもとにブログSNSでその知見を紹介してきたんだが、遂にその収入が1000万超えた

お前らみたいにぶつくさブコメ増田愚痴ってる間に

常に俺は改善への糸口を考え実行し、それをアウトプットし続けた

その差がこの収入に繋がった

批判ばっかしてないでもっと生産性のある改善思考を身につければ俺みたいに金持ちになれるぞ

バカ晒してないでもっと改善しろ

改善

2019-02-20

不登校でも大学に行きたかった

初めに言っておくと、これは田舎育ちのメンヘラ自己正当化のために吐き出した愚痴しかない。

1年以上前に書いたものだし当然フェイクも混ざっている。

貧乏遺伝する。

あの頃、私は誰にも理解されないと思っていたし誰にも理解されたくないと思っていた。今考えれば当たり前過ぎて馬鹿馬鹿しい話だが。

私が高校を変える前に同じような不登校気味の友人が2人いた。その子たちは私よりも早く高校を辞めていった。

どうにもならない現実に折り合いをつけるのは、特に学生のうちなど容易なことではないのだと思った。

私は通信制高校転入するまで進学する気でいた。授業はまともに受けていなくても成績はそこまで悪い方ではなかったはず。人並みかそれ以上に勉強をすれば、おそらく希望した大学に入れるだろうと考えていた。

しかしその進路は自分理想しかない。家の人間から大反対を受けてすぐに諦めることになった。

奨学金を借りる、学生ローンを組む、バイトをする。どれも私の進路を認めてくれるだけの力はなかったようだった。

中学から反対はされていた。それでも私は大学に行きたかった。小学生のころからの夢だったのだ。大学に行って一人暮らし、そうして専門的な勉強ができること。とてつもない贅沢だった。

興味のある分野の勉強ができたら、詳しい話が授業として一から聞けたら、ずっと憧れていたのだが現実に叶うことはなかった。

ずっと勉強の仕方がわからない子どもだった。しかし本を読むのが好きで、たぶん当時周りにいた友人たちの中で一番読んでいたと自負している。

興味のない勉強ができなくても、興味のある本を読んで内容を覚える、理解するのはできる。だからこそ私は大学に行けるものだと思っていたし、大学に行きたかった。

自分が興味のある分野について調べて理解して、それを自分の中で組み立ててアウトプットする。そんなことが許されるのは大学くらいだと思う。

一般的普通の家庭を維持するために生きていたら、社会人になってからそんな機会を持つのは難しいだろう。当然、中学高校などでも自分ひとりの意思で興味のある分野に絞って活動することは難しいと思う。

から大学というものは私にとって最大のチャンスであり最後のチャンスだった。

中学の時にはすでに半ば諦めていた夢だ。それでも、高校の頃ようよう今後のことをどうするか、となった時に私は当時の担任に涙ながらに「高認を受けてでも大学に行きたい」という話をした。当時の担任も「ここで終わるのはもったいない大学に行ける力はある」と返してくれた。

そこからなんだかんだと親を交えて話した気がする。正直そのあたりのことは記憶にない。いっぱいいっぱいだった。

結局その後私は高認を受けるという選択ではなく、通信制高校へ行くという選択をした。

通信制高校へは10月から通うことになった。決まった時はまだ1学期だった。なので10月までの期間は当時の高校を休学するという形を取った。

「もう学校に行かなくていい」そうなった時、私は糸が切れたようにほとんど寝たきりのような状態になった。ほんとうにこの辺りの記憶曖昧で、そんな状態だったのは3日だったような気もするし3ヶ月だったような気もする。

そしてここで、私の夢には死刑宣告が言い渡された。家族の中で唯一、進学に反対はしていなかった父親が「そんな状態では受かっても通えないだろう」と反対してきたのだ。父親は「お前が本当に進学したいと言うなら、借金してでも行かせてやろうと思っていた。しかし通えないならどうしようもない」と言う。

私は反論できなかった。そもそも進学に賛成でないことは薄々わかってはいたのだ。こうして私は最後命綱も失った。夢は死んだのだ。

大学へ行きたかったと今でも私は思う。何故物分かりの良い子どもなんてものを選んだのかと今でも葛藤する。

仕事学校も、辞めようと思えば辞められる。しか家族は辞められない。家庭の事情というしがらみから逃れるには、必死に逃げ続けるしかない。その選択をできる覚悟は私にはなかった。

こんなクソみたいな人間の、おそらく自分の頑張り次第で叶えられたであろう最後の夢を、この先何十年もかけて私は弔っていく。10年以上経っているはずの現在でも、大学へ行けなかったことが悔しくて悔しくて仕方がない。

2018.01.

2019-02-13

社内に作った簡単な仕組みをShutDownする

増田存在するエンジニアに見せたら鼻で笑われるようなチープなものだったが、ShutDownすることを決めて色々思うことがあったので増田に書き殴って供養する。

■内容

ベースExcelマクロCRM専門家に見せたら切れられそうなOne to Oneメールを送る仕組み。

作成の背景

7年前。リーマン後に業績が悪化し、顧客との関係性強化する方針が出た。

幸い、案件対応は上手に出来る人が多く顧客の評判は悪くないモノの営業フォロー関係維持が出来ていなかった。

■こだわり

MA?なにそれ?という会社で、新たなシステムを入れるのは時間的にも金銭的にもNG

背景にあるように関係性が良好なので、一括メールを送るような形ではなく各担当個別カスタマイズしたいという要望があった。

なので使い慣れているExcelで表形式メール文章を作って、人によって一言二言追記してメールを出せるようにした。

キレイに言えばCRMの仕組みだが、ただの迷惑メール送信機だったかもしれない。

それでも、個別営業メールや定期的な情報交換メールを出す風土を作りたく、ユーザーが使いやすい・編集やすいを最優先し作った。

■結果

マネジメント層にはうけた。評価もされた。一部のヘビーユーザーも出来た。受注や集客にも繋がった。

一方で当初狙った営業フォローが強く根付くことは無かった。

簡単メールを送れる仕組みがあれば、使ってくれると思ったが甘かった。

メールを送る気恥ずかしさやコンテンツなどの提供、送る必要性などの訴求は甘かったと反省

7年経って、Salesforceを導入してMAなどを徹底的にやるという気風がおき顧客名簿などもExcelアウトプットできなくなってShutDownに至った。

基本は上位互換Salesforceの方が多機能。仕組みとして顧客DBなども内包されるので良い方向に進んでいると思う。

一方で、誰でも簡単Excelメールを送れるというコンセプトは間違っていなかったと思うし、Salesforceですべてが代替出来るとは思っていない。

なので、ShutDownが決まってから寂しく悲しい気分になっている。

2019-02-09

[]28日目

今日は57話と58話を投稿した。

アイディアが思いつかない時があるんだけれど、机の上に座って

いざキーボードで打ち込みをしてみると、突然思いついてすらすらと

打ち込んでしまう時がある。やはり自分は、このように何かをやらなければ

いけないと追い込まれないとやれないのだと思った。

  

こうして最近小説投稿しているが、その前までは結局自分の中にある

色んな妄想なんかをアウトプットが出来ずにいたので一人だけの世界

篭りっぱなしだった気がする。

自分作品が人々に受け入れられるかどうかなんて分からないけれど、

明日明後日も頑張って投稿しようと思う。

中国技術者が高い給料もらって技術書や開発キット買い漁ってトライアル繰り返しているの羨ましい

中国技術者ウォッチすることが多くなってきた。

給料が高くなっているのと、覚えながらアウトプットできる環境があるようで、技術書を買い漁って勉強している。

羨ましい限りだ。

日本だと技術者世界を変えてやろうというと青二才とみられるか、それってお金にならないよねといわれるだけだが、本気で自分が作ったもの世界を変えられると信じられる。



売上はわからないが、中国Amazon(https://www.amazon.cn)で技術書を見ていると、出版も多くあるようで、

技術書新刊チェックをしていると、日本だとニッチ過ぎて知っている人は知ってるが書籍になってないものも出ており、多様性も確保できているっぽい。

2019-02-05

anond:20190205204547

よく働く人かなあ

共働きみたいな意味じゃなくて主婦業でもなんでもよくて「アウトプットが多い」感じの

もうジョギング行って寝るし

予防接種は受けといたほうがいいよ

2019-02-04

差別についての個人的アウトプット2019(長文)

最初Twitterのサブ垢で軽く呟こうかなと思って書いてたけど、テーマテーマなので、熱いお客さんを呼ぶと面倒だなと思った。

でもせっかく日頃考えていたことを言語化したので、この形で残しておくことにした。

元々は女性差別の流れから、「美人だという理由差別されることもある」という趣旨の文を見かけて、これは常々そう思っていたことだったので、差別について個人的に考えていたことを書き始めました。

(※私は美人ではない)

=====

私は性別による役割分担については、肉体の構造や脳の仕組みの違いがある以上、あって然るべきだという考え方だ。

ある程度人を見た目で判断区別するのも、生物本能から仕方ないことだと思っている。

それとは別に、人が決める枠によって自分ポテンシャルや意欲を阻害される体験をして、それをハンデだなぁと感じることもある。

私は結構いい年の女性だが、技術職なので年齢由来のハンデは受けにくい。それでも経験が長くなるにつれ、性別由来の固定概念の枠(ハンデ)を感じることも増えてきた。

枠に柔軟性がない人や、そもそも自体認識しておらず、自分が枠を設けて外を見ていないという自覚もない人もいて、そんな人達自分理解してもらえるようアピールしても、見えてるはずなのに認識されなかったり、スルーされたり、一時的理解されたと思っても、翌日には忘れ去られたりする。

そんな時は、性別や見た目という枠なしで見てほしいなぁと思う。

特に、枠外にあるもの自分本質に近ければ近いほど歯がゆい

人が慢性的不利益を受けたりストレスを感じるような枠組をつけられることを差別というなら、私も日頃、差別経験していると言っていい。

ほとんどはストレスを感じながらも、仕方ないことだと思えることなので、声にすることはないですが。

性別は枠の切り口の一つであって、もちろん男性差別されることがあると思うけど、女性のほうが、填められる枠が強固というか、本人の意にそぐわない、社会性も強い類の枠の種類が多い気がする。

それが感じる側の問題なのか、区別する社会側の問題なのかは意見が色々あるだろうけど、感じる側が我慢するより、受け入れる側を(可能な限り)柔軟にするというのが、社会が目指してる方向性だと思う。

なので、枠の存在を忘れがちな人にリマインドすることは必要だ。

多少うるせえなと思われても、度々リマインドされることで、枠の認知度は上がっていく。社会全体の方向転換に少しずつ繋がるだろうと思うので、活動家の方々の頑張りには意味がある。

個人レベルでいうと、各々自分が持っている枠を柔軟にしたり、枠を持ってるということ自体自覚して、意識することは、基本的不利益はないはずだ。人間関係は円滑になるし、相手だけじゃなく自分メリットにもなる。

少し話は変わるけれど、社会性が低めな事柄でも、枠に填められることで感じるハンデがあると思う。

劣っている側が、優れている側を差別するということも、間々あると思う。

例えば身分が違ったり、めちゃくちゃリア充だったり、凄い美人だったり、ハイパー洒落人間だったりすると、わかり合えない気がして距離を取られる。

またはやたら崇めて理想化する。

そうすることで、本当は似たもの同士なのに親しくなれなかったり、欠点もあるのになんでも簡単にできてると決めつけられたり、振る舞いを過剰に期待されたりする。

これを差別と呼ぶかは人によると思うけど、見てほしい本質が枠の外側にある人にとっては辛いことだろうと思うし、根本人種差別と同じだ。

美人であることで困ることなんて大したことじゃない」と決めつけるのはフェアじゃないと思う。

こんな偉そうなことを書いていると、まるで私が、誰にでも分け隔てなく接することができるかのようだけど、まったくもってそんなことはない。むしろ人をジャンル分けするのが好きな質だ。(語弊があるかもしれないけど事実そうだ)

単に枠組みで見た時には、リア充ハンサムも過剰におしゃれな人も苦手だし、外人も(たとえ日本語が喋れても)わかり合うのに障害があると思う。「男は」「女は」という切り口で性質を語ってしまうこともある。違いがある以上、多少のステレオタイプ事実存在する。

ももしも個人レベルでご縁があった時には、できるだけ自分の中にある枠をなくして、フェアに接することができるようになりたいとは思っている(できてるとは言ってない)。目下取り組み中だ。

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余談だが、「(500)日のサマー」という映画で、私は初めて美人のハンデについて考えた。私はサマーがとても可哀想に感じたんだけど、フラれた主人公側に感情移入して、彼女小悪魔だ気まぐれ女だとレビューしてる記事も見かけた。(主人公視点ではそう見える)

もちろん彼女自由な基質だったけど、あんなふうにYesマンに崇められたら、そら付き合い続けることはできない。

結局彼女自分普通女性として扱ってくれる人のところに行った。

サマー差別されているとまでは言わないけれど、始終色眼鏡で見られたら、そこに相互理解は生まれないなと思う

2019-02-03

[]22日目

今日は、45話と46話を投稿した。予定よりも文字数が増えている。

今の話の完結が50話くらいになるかもしれない。そのあたりで12文字となり

小説1巻くらいの長さになる見込みだ。

塵も積もれば山となるというのは本当なんだなと実感している。

とにかく自分は、頭の中で作り出してしまった世界アウトプットしたいという

思いでガンガン書いているが、こうしたいああしたいという表現がなかなかうまく

まらないのがやはり不満だ。もっとうまい表現を思いつきたい。

あと、知識がないのが辛いので、図書館にでも行って調べ物をしたい。

だけど平日も時間はとれそうにないのが悲しい。

もっと色々なことを知りたいなあ。

2019-02-01

anond:20190201190739

あるも何も、普通に子供の数をアウトプットとしたとき生産性ということなんだから、そういう意味しかならんだろ。

お前こそ「生産性」の意味ちゃん理解してないだろ。

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