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はてなキーワード: 方策とは

2021-05-07

自動車税が重くて「何が持続可能社会だ!」と仰る方

そうですね…目的自動車税駐車場などその他諸々の維持費に嫌気がさして自動車を手放すことによる「自動車絶対数を減らすことで排ガスを削減する」方策じゃないかとも思えるんですね

この場合なら持続可能な開発目標に足るでしょうし

2021-05-06

zipパスワードを別メールで送る理由

「なんでzipパスワードを別メールで送るんですか?」

zip送ったメールパスワードつけて追送するのって意味なくないですか?」

という疑問を時々ネットで見かける。

なんでこういうことをするのか、IT系企業社員視点で考えてみた。

(既に何度も擦られてるネタだと思うけど)

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理由①】既にそういう運用になってるから

自社もお客様もそういう運用から、というのが一番大きな理由だと思う。

じゃあ、なんでそういう運用になったのか。

理由②】誤送信した時にzipの内容を見れないようにするため

このヒューマンエラーが多発したから、その被害を最小限にするための方策なのだと思う。

1通目でzipファイル、2通目でパスワードを追送したとする。

もしどちらかを誤った宛先へ送付したとしても、片方だけなら中身を見ることはできない。

(2通目は1通目の追送だけど、zipファイル自体は添付されてないかパスワードがわかってても見ようがない)

こちら(IT社員側)からの誤送信のケースと、

 あちら(お客様、協力会社など)からの誤送信のケースどちらも想定している。

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以上が理由でこんな運用になっているのだと思います

ちなみに、僕はこの運用に不満はないです。

(実際誤送信したことあるからまとめて送るの怖いし、誤送信しちゃったときに「なんで慣例に従わなかったの?」って責められたくないし)

あとは他によく見る意見に対する私見とか。

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合理性のないバカルールだわ」

→そうだね。じゃあ代替案は?

「誤送信するやつが悪い」

→そうだね。でも自分が誤送信しちゃったときに、上司顧客や同僚や部下からそう責められたら辛くない?

 お互いがカバーしあって負荷分散できる方が安全で気が楽だと思うけど。

リテラシー低いやつらと仕事してるのが悪い」

→そうだね。じゃあITリテラシーの高い会社に入って、リテラシーの高い顧客相手商売すればいいんじゃないかな。

 でも、世の中の大半の人はITリテラシー低いよ。低い人でも使えるようなITツール運用しかできてなくても、お客様商売さえできてればokなんだよ。

 (そもそもリテラシー問題じゃなくて、オペレーションミスいかに防止できるかの話か)

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終わり。

2021-05-03

anond:20210503204049

根拠…50歳までの死亡総数、うち自殺労災が明らかに男性に偏っている

方策…命を救うための少なくとも金銭面での支援ないしは衣食住の提供(その際、相対的に死んでない女よりもリソース分配を優先すること)

結論出てるでしょ

2021-04-29

弱者男性社会運動を起こさな理由

そもそも社会運動とは、一般的弱者と呼ばれている属性人間地位向上などによって「強者」を目指すことだよね。

弱者男性は「強者」と見なされていること自体への異議申し立てなので、社会的運動をする理由が無い。

弱者男性は、「社会的強者」と見なされることによる不利益を大きく受ける。

男性のみに経済力甲斐性を求められること、男性のみが徴兵義務を負うことなど。

なので弱者男性が進むべき方策とは、弱者男性弱者カテゴリーに入れさせるか、女性全般にも強者義務を負わせることである

女性社会進出改革によって稼げる力を得た女性は、専業主夫パート主夫配偶者に選べ、ということ。

お隣韓国では女性徴兵義務を負わせる社会運動が起きているが、これもすばらしい。

2021-04-20

anond:20210419133166

恋愛したい結婚したい子供を持ちたいという願望がある人に対して「他の楽しみを探せ」と無理矢理考えを改めさせるのはどうなんだろうか

あらためなくていいか自分方策をググればいいわけ

婚活だって出会い系だって不妊治療だってなんだって世の中にはあるよ

増田で口開けてだれかが配偶者をつっこんでくれないか待って悪口いってせっついてるやつの「願望」なんてその程度のふわふわサンタさん待ちなのよ

2021-04-18

anond:20210418144056

まあそれはそう。

個人的には少子化有効方策存在しないと思う。

子供作ってみて子育て向いてない/障害等で育てきれないとなったら気軽に他者委託できるようなシステムが実現できるなら有効だと思うけど、それは倫理的にも政治的にも経済的にも不可能だろう。

そもそも本質子育てという非金銭労働もっと多数の国民拠出してもらわないと帳尻が合わないということなわけだし。

2021-04-16

伊是名夏子さんの件でもやもやしている

もやもやしている

私は本当にもやもやしている。発端は例の伊是名夏子さんのこの投稿

http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html

バリアフリーは推進されるべきだ。その方向性異論はない。そしてバリアフリーを訴える目的はよいと思うし、その目的批判している人はほとんどいない。

でもこの記事最初に読んだ時、「これは炎上するな」と思った。

そして案の定炎上した。

私のこと

片目の視覚障碍

私は、きちんとした教育を受けそれなりの大学を出て、結婚もして家族もあるし、収入はそこそこあり持ち家にも住んでいる。

いわゆる「強者男性」に分類されるのだろうと思う。

私は自分社会的弱者というつもりは全くない。

ただ片目があまり見えない。病気というか、発達障碍というか、弱視という視覚障碍がある。ちなみに弱視というのは、眼鏡などで矯正しても視力がでないことをいう。

だが片目だけの視覚障碍なので、私は身体障碍者ではない。健常者だ。もっとも正常な方の目も、近視、乱視はいって矯正しないと0.5ぐらいなので、そんなに見えるわけではないけれど、視力矯正できるかできないか全然違う。

普段生活には全く支障はない。

もっとも、もしかすると両目がきちんと見える人よりも、遠近感の把握ができなかったり、視野が狭いのかもしれないが、両目見えていた経験がないので、違うのかは全くわからない。

視覚障碍があってよかったこ

不自由はないといいつつも、ほんの少し、両目が見えたらいいのにと思うことがある。例えばVRゴーグルをかけてみた時などにそう思うことがある。でもそれは総じて大したことではない。

逆に見えなくてよかったと思うこともほとんどないのだけど、ひとつだけ、心からよかったと思うことがある。

私は、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目を持っている。社会を、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目で見ることができる。それは本当によかったと思う。

視覚障碍の目で街を歩く

私は、時々、自分の健常者の目をつぶり、視覚障碍の目だけで街を歩くことがある。特に、今回は、もやもやし続けているので、いろんな場所で何度もそうしている。

通しでやったことはまだないが、眼帯などで健常者の目を隠し、視覚障碍の目だけで自宅から会社まで通勤するのは可能と思う。

記憶と音や他の感覚で補いながら歩く

なぜ可能と思うかというと、私は、自宅のドアを開けたところから会社入り口まで、健常者の目で何度も通勤しているので、途中の、道路通路の硬さ、すべりやすさ、段差、②曲がるときの角度、直線で歩くべき距離、③階段のおおよその段数やエスカレーターなどの位置、こういうものを覚えている。

見えないものは、記憶で補いながら歩く。ゆっくり歩けば、弱視の目でも歩くことができる。

そして音は重要だ。自動車が近づいてくる。こういうものは音で判断する。

自転車は、音が小さいから、怖い。電気自動車も、音が小さいから、怖い。

大変なのは情報を得ること

電車時間も、発着ホームも、だいたい覚えているので、目的電車に乗ることはできる。ただし、遅延などが発生し、行き先が違う電車普段とは違う時間にやってきたりすると、困る。

そういう時は駅員さんしか頼りにできなくなるだろう。

本当の視覚障碍者の人は、情報を得るのにとても困るだろうなと思っている。ホームに駅員さんがいれば聞くことができるのだろうけど、いつもいるわけではない。視覚障害者はそうたやすホームを歩けないので、同じホームに駅員さんがいても、距離が離れていたら聞くのは難しくなる。

少なくとも私は、視覚障碍者の目で歩くとき普段と違う状況になると状況を把握できず、いらいらする

声をかけて

私が、視覚障碍者の目で歩くときは、記憶と、耳と、手と、足の裏の感覚と、それ以外の感覚も総動員しながら、歩く。

から情報が少ないのを、全身の他の感覚で補おうとする。

集中しているので、いきなり肩や腕をつかまれたりすると、とてもびっくりするだろうと思う。怖いと思うかもしれない。

もし皆さんが視覚障碍者に何か情報を伝えたい、手助けしようと思ったら、白杖身体をいきなり触るのではなく、まずは声をかけてほしい。もし声をかけて手助けを断られたり、声をかけるのを躊躇するなら、見守ってほしい。

ホームの端が見えにくい

私の弱視は、光線の具合で、見えたり見えなかったりすることがある。

広い平坦な場所で、突起に気づかずつまづくぐらいなら笑い話かもしれないが、ホームの端がみえにくくて転落することがあれば、それは生命問題に直結する。((ホーム線路の彩色、彩度が似ていると、ホームの端がわかりにくい。))

その対策だが、蛍光色で10cmぐらいの幅のラインを描くことで、ホームの端の視認性はかなり上がる。これをCPラインというらしい。

一部、導入されつつあるが、まだまだ普及がすすんでいない。

https://ameblo.jp/milkyht2/entry-12244392124.html

ホームドアがあれば死なずにすんだ命も多い

CPラインよりももっと効果的な方策がある。ホームドアだ。

ホームドアは、視覚障碍者のためだけではなく、酔っ払いなど一般の人の転落事故も防止する。ホームドアがあれば死なずにすんだ命は多い。できる限りペースを速めて、設置してほしいと思う。

ネックは、ご存じの通り、多額の費用がかかることだ。

でも、生命にかかわることだから優先順位は一番高くていいのではないかと思う。

日本視覚障害団体連合ホームドアの設置を求め続けている。2020年7月の阿佐ヶ谷駅での視覚障碍者の転落死亡事故をうけて、同年9月にも国土交通大臣要望書を提出している。こういう働きかけは大切だ。政治企業への働きかけは、絶え間なく行わないといけない。

働きかけを行うべき先は、政治企業しかるべき権限もつ者=責任者であるべきだろう。「なんでホームドアがないんだ!」と現場で駅員さんに怒鳴っても、何も改善しない。

http://nichimou.org/notice/200923-jimu/

ホーム上の点字ブロック

歩道施設などの通路ホーム上にある点字ブロック日本発祥のものだ。これはよい発明だと思う。かなり普及しているのも評価したい。

また、2016年に近鉄大阪線河内国分駅ホームから視覚障害者が転落死した事件をうけ、対策として「内方線付き点状ブロック」設置を推進していたが、これはかなり進んだと思う。評価したい。

https://www.sankei.com/affairs/news/161017/afr1610170045-n1.html

でも、「なんでこうなった?」というような謎な点字ブロックも多々ある。そんな役に立たない点字ブロックや、かえって危険を作っている点字ブロックがある。

ホームなどの点字ブロックの配置についてはガイドラインがあるが、まだそれが守られていないことがある。2019年の京成立石駅視覚障碍者が転落死した事件は、規格外ブロック問題と指摘された。

https://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=14s53i742ax788in6

ガイドラインに沿っていても、転落事故(死)が起こることがある。視覚障碍者は、目から情報が少ないため、点字ブロック認識しつつも、現在地と歩く方向を間違い転落することがある。

点字ブロックはとても有効設備だが、点字ブロックだけでは転落事故はなくせない。

https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/437710.html

次に、弱視から視点追記したい。

点字ブロックは、黄色のものが多い。(私も健常者の目で見た時はそう思うが)黄色ブロックは、色がガシャガシャして、うるさく感じないだろうか?

そこで、街並みをおしゃれにするため、点字ブロック歩道の色と合わせて設置することがある。最近増えた感じがする。

でも弱視者には、これがわかりづらい。

視覚障碍者全盲の人ばかりではないという認知もっと広まってほしい。

視覚障碍者は見えないのだから点字ブロックは何色でもいいのでは?」と思わないでほしい。

少ない視力を使って点字ブロックの上を歩きながら、足の裏の感覚などで点字ブロックの助けを得て歩く視覚障碍者もいる。

私には、色がガシャガシャしていても、黄色の方がありがたい。

白杖について

視覚障碍者は、道路交通法によって、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることが義務づけられている。(第14条第1項)

また、視覚障碍者でなければ、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることを禁止されている。(第14条第2項)

さきほども書いたが、視覚障碍者全盲の人だけではない。ロービジョンといわれるのだが、若干の視力はあるのだが日常生活に支障がある人がいる。白杖の使い方は、人それぞれだ。

ところで、視覚障碍者白杖を持つ理由は次の3つとされている。

https://nippokai.jp/wp/formembers/canes/

  1. 視覚障害を持つことを周囲に知らせる
  2. 触覚を通じて路面の情報収集する
  3. 路面上にある障害物を検知する

障害物もなく、路面が確かな場合ロービジョン視覚障碍者は、白杖を「視覚障害を持つことを周囲に知らせる」だけに使うことがある。つまり周囲の人に自分存在を知らせるために、白杖を動かさず抱えることがある。

それを白杖を使っていないと思わないでほしい。白杖で地面を叩いていないからといって、「こいつは視覚障害ではないのでは?」なんて思わないでほしい。

白杖を持つ人が近づいてきたら

点字ブロックの上や近くで立っていたり、荷物を置いていたりしていないだろうか?

いわゆる歩きスマホはしていないだろうか?

視覚障碍者は、器用にぶつからないようにしたり、避けたりするのが苦手だ。

視覚障碍者安全に歩くためには、健常者の人の協力が必要だ。

もやもやしているのはなぜか

伊是名夏子さんの投稿とその後の議論、動きなどみて、私がもやもやした理由は主に次の3つになる。

バリアフリーとは?

私が、ここに書いた話題は、全部が「視覚障碍者にとってのバリアフリー問題だ。

伊是名夏子さんの投稿は、さまざまな議論を呼んだが、その議論は、エレベーターとかスロープとか、「車いす利用者にとってのバリアフリー」だけしか議論されていないでは?と感じた。

かに伊是名夏子さんは自分自身の障碍のため、「車いす利用者にとってのバリアフリー」を問題にしている。それは当然だと思う。

でも、「バリアフリー」を必要としている人は、車いす利用者だけではない。視覚障碍者も、聴覚障碍者も、妊婦精神障碍者なども、「バリアフリー」を必要としている。

それぞれの障碍やハンディキャップが違えば、「バリアフリー」として求めるものは違う。でもそこまで広く捉えた「バリアフリー議論ほとんどなかった。

いつでもどこにでも自由に行ける自由はとても大切なことだと思うけど、毎日、命の危険を感じながら鉄道を使う人のことも思い出してほしい。

からもやもやした。

伊是名夏子さんの手法をもてはやすことは何を呼ぶか?

案の定、伊是名夏子さんの投稿炎上した。あの投稿批判的に見る人は、来宮駅を巡るトラブル作為性を問題にしている。作為性とは、バリアフリーを訴えるために、わざとトラブルを起こしたのではという見方だ。ご本人は否定している。しかし私も実は、作為性はあっただろうと思っている。

現場でのトラブルを、乗車拒否などの強い言葉を使った非難を行い、耳目を集める手法というのは、そのトラブル作為性を巡って反感を買いやすい。

伊是名夏子さんご本人が、それが戦いだとお考えになることは、批判できない。こうしなければ、耳目を集められないという気持ち理解できる。

しかし、何かバリアフリー課題改善したいと考えた時、この手法が一番効果的となってしまえば、他の障碍者も(少々作為性があろうと)トラブルを起こし、それを声高に訴えないといけなくなってしまうのではないか? 私は、そういう状況が本当のバリアフリー社会とは思えない。

そして、あの手法に反感をもつ人と、支援する人との分断は、更に広がったように思う。

分断されたバリアフリー社会とか、笑えないブラックジョークだ。

からもやもやが続いている。

個人攻撃している人にも協力を願う矛盾(心の中のバリアフリー

伊是名夏子さんの投稿に対しては、私も批判的だし、批判する人の気持ちはわかる。

一方、こういったネット炎上が生じると、その人の過去の行動を洗い出し、それらも併せて執拗非難するような行動がよく見られる。晒しと呼ばれる行為だと思う。

かに、伊是名夏子さんの過去の行動で、「それはよくないな」と思う事例はいくつか見つかった。

しかし、既に法的には時効を迎えたと思われる古い過去を、声高に非難する合理性はないように思う。

話は変わるが、視覚障碍者投稿を読むと、白杖を持って歩いている時に誰かとぶつかった後、その人から心無い言葉を浴びせられたという投稿がいくつも見つかる。

他の障碍者ハンディキャップを持つ人も、そういう経験をしているのだろうと思う。

そんな心無い言葉を浴びせる人は、たぶんその人の心の中に、障碍者への「偏見」というバリア障壁)を持っていると思う。

心の中のバリア障壁)は、目に見えるものではないので、取り除く=バリアフリーを作るのはとても難しいと思う。

インフラは整っているが、人の心の中はバリア障壁)だらけのバリアフリー社会って、何かのアイロニーだろうか?

今回、伊是名夏子さんの過去の行動を非難した人の心の中に、障碍者に対するバリア障壁)ができないことを願う。そして本当のバリアフリー社会を作るには、あなたの協力が必要だと訴えたい。

インフラけが整っても、バリアフリー社会にはならない。

たくさんの人の理解と協力が必要だ。

私はまだもやもやしている。

2021-04-06

彼女が欲しいとき方策

前提としてセックスのみとか逆に結婚までってのをまず切り離して考えて「付き合う」って話のとき

彼氏に求めるものは優しさ、というアンケート結果に対して嘘だなんだイケメンに限ると言う向きを観測したので、それはそんなことねーと思うな、ってことを書きたい。

まず容姿入口難易度を決める。例えば同じ部活サークルなどで否応なしに何度も会う関係ならここはあまり重要にはならない。バスでたまに会うとかだとブサはちと厳しい。そういう意味で、コミュニティへの参加は非常に大事

優しさってのはマジ回答だとは思うが、これは付き合った後の継続率にかかる部分と考えている。

付き合うにおいて2つ大事なところ、1つ目は尊敬できるところがあること。それが優しさでもいいんだが、なにか特技があるとかそういうことでもよいし、分け隔てないとかでもよい。他にも例えばクラス合唱(今はない?)で男子に対して頑張ろうよ的なアプローチ継続してるとかでもよい。人を動かすような器でなくとも、ひたむきであることは見てくれている。

2つ目は所謂相手普通に接する」こと。コンプレックスはあっても良いが(というかあるのが自然)、それで引いたり逆に押しすぎたりしない。緊張しても問題はないが、取繕おうとはしないこと。

結局選んだ者に選ばれるってのは非常に難しい(たまに狙った獲物は逃さない者もいるが、別世界と考えるべき)。選んだ者に選ばれないことについては諦めは必要彼女が欲しいということを意識しすぎず、一人に固執せず。一人に固執するとどうしても恨みが出る。それは悲しいがマイナスしかならない。それができれば誰も全く寄ってこないということはないはず。もちろん、そもそも人がいるところには行かなければならないが。

2021-04-05

弱者男性への救いとは、具体的に何か

ブクマカー諸氏のやり取りを見るに「女をあてがうことだ」という意見は、それなりにメジャーなのかもしれない。しかし、仮にそれが弱者男性への救いであるのなら、それを実現できるのは現代の、少なくとも先進国では不可能であり、なれば現実的にそう主張する人は少ないのではないだろうか、と考えられる。過激意見の方が目立つのは珍しいことではない。ネット言論で露悪的になることも。

しかし、より現実的な、具体的な'弱者男性への救い'が何であるのかは、諸々のやり取りや記事を読んでみてもあまりピンとこない。

なので、私は'弱者男性への救い'が何であるのか、具体的にどのような社会的状況が実現されれば、弱者男性は救われるのか、という点について意見を募りたい。

それが一つの方策や状況である必要はない。部分的にでも'救い'になるのであればかまわない。

よろしくお願いします。

2021-04-04

anond:20210404154614

テラケイとかすももある意味弱者男性の最大の敵だと思う

あいつらは弱者男性扇動するだけ扇動しておいて、弱者男性の生きづらさを解消するための方策を一つとして打ち出さな

本来解決に向けるべきエネルギーを単なる

発散に向けさせているだけ

「怒り」や「自己正当化」「フェミリベラルなど己と敵対する勢力への嘲笑」などの娯楽を与え時間や機会を奪ってるだけ

anond:20210404153954

貧困当事者意見無視した貧困支援とかアカンで

ソーシャルワーカー希望をなるべく聞く方向で貧困からの抜け出す方策実践しないと当事者積極的に取り組まんのも分らんならいっちょ噛みすな

2021-03-15

anond:20210315004435

差別解消とコスト論はよく議論されているトピックだ。

差別解消のための方策は、かけられるコストがないから、などという理由でよく却下されている。

しかし大抵の場合、本当にそうなのかの検討は足りないか、あるいは全く行われていない。

2021-03-07

村上春樹文章は「うまくはないが読みやすい」(補足あり)

https://note.com/historicalmoc/n/n284957b96801

出したな! 俺の前で! 村上春樹文章の話を! 

村上春樹作品はほぼ読んだので大体同意だけれど、肝心の文章について全く語られていないのは片手落ちしか言いようがない。こういう何かを語っているようでその内実がわかりにくい言葉を並べるからハルキストだのなんだの揶揄られるんだ。ファンなら真面目にやれ。村上春樹以外の人間村上春樹の真似したら中身がない駄文しかならないって小学校で教わらなかったのか。

つーか村上春樹文章別にうまくねえから。特徴的で読解大好き人間ほいほいってだけ。

  1. リズムがあり、断定調である(巧くはないが読みやすい)
  2. 比喩表現を多用し、不思議モチーフをたくさん取り入れるが、書いてることの中身について説明しない
  3. めちゃくちゃはっきりした含意が含まれていることがある(ないこともある)

というこの3点が村上春樹文章もっとも印象に残る要素である。本気で語るなら時期によっての文体の変化とか、もっといえば情景描写についてもまとめたいのだけれど、とりあえず書き散らす。なお、3に関しては他作品に関する読解を含み、ひとによってはネタバレ解釈しうるものも混じるので注意。

1.リズムがあり、断定調である(巧くはないが読みやすい)

実例を挙げてみる。

四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセント女の子とすれ違う。

正直言ってそれほど綺麗な女の子ではない。目立つところがあるわけでもない。素敵な服を着ているわけでもない。髪の後ろの方にはしつこい寝癖がついたままだし、歳だってもう若くはない。もう三十に近いはずだ。厳密にいえば女の子とも呼べないだろう。しかしそれにもかかわらず、3メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。

村上春樹4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて

1文1文が短い。技巧的な表現を使うわけでもない。文章から浮かんでくるイメージ閃烈鮮烈なわけでもない。日常語彙から離れた単語を使うこともない(「閃烈鮮烈」とか「語彙」といった単語が読めない人間は思いの外多いからな。ここでの「外(ほか)」とか/悪いATOKに頼りすぎて誤用なの気づいてなかった。指摘ありがとう)。ただただ「シンプル」だ。わかりやすい。

また、冒頭の1文の次にくるのは「~ない」で終わる文章連続だ。テンポがいい。あと、どのくらい意図的なおかわからないが、↑の文章音読していみると適度に七五調がまじっているのがわかる。そして、大事なところで「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ。」という断言を入れる。リズムで読者を惹きつけた上ですっと断定されると、その一文がすっと印象的に刺さってくるのである

まり別にうまい」わけじゃないんですよ。ただ「読みやすい」。それにつきる。読みやすい以外の褒め言葉あんまり信用しちゃいけない。「うまさ」って意味なら村上春樹をこえる作家なんてゴマンといるし、村上春樹の「文章」がすごいなんてことは絶対にない。うまいとか下手とかを語るならナボコフあたり読んだ方がいい。

とはいえ個人的な所感だと、この「読みやすさ」は村上春樹発見あるいは発明した最大のポイントだ。「リズムがよくわかりやす文章で圧倒的リーダビティを獲得する」という、一見してみんなやってそうでやっていない方策村上春樹が徹底しているせいで、誰でも座れそうなその席に座ろうとすると村上春樹と闘わなければならない。

2.比喩表現を多用し、不思議モチーフをたくさん取り入れるが、書いてることの中身について説明しない

で、そのあとにくるのが「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。」という文章である村上春樹比喩表現は独特で、たとえば『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を適当パラパラめくって見つけた表現として、「不気味な皮膚病の予兆のよう」「インカの井戸くらい深いため息」「エレベーターは訓練された犬のように扉を開けて」といったものもあった。この、比喩表現の多様さは彼の最大の持ち味であり、真似しようにもなかなか真似できない。

そして何より、「100パーセント女の子である。何が100パーセントなのか、どういうことなのか、この6ページの短編ではその詳細が説明されることはない。ただ、語り手による「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ。」という断定だけが確かなもので、読者はそれを受け入れざるをえない。それはこの短編に限らない。「かえるくん、東京を救う」におけるかえるくんとは。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』における〈世界の終わり〉とは。「パン屋再襲撃」はなんでパン屋を襲うのか。「象の消失」で象はなぜ消失するのか。「レーダーホーセン」でどうして妻は離婚するのか。羊男ってなに。

こういった例には枚挙に暇が無い。文章単体のレベルでは「読むことはできる」のに対して、村上春樹小説比喩モチーフ物語様々なレベルで「言っていることはわかるが何を言っているかがわからない」ことが、ものすごく多いのだ。

3.めちゃくちゃはっきりした含意が含まれていることがある(ないこともある)

じゃあ、「村上春樹作品ふわふわしたものを描いているだけなのか?」と言えば、そんなことはない。村上春樹作品には「答えがある」ものが、地味に多い。

たとえば、「納屋を焼く」という作品がある。ある男が恋人の紹介で「納屋を焼く」のが趣味だという男性出会いふわふわした会話をして、ふわふわとした話が進み、語り手は時々恋人セックスをするが、そのうち女性がいなくなる。読んでいるうちは「そうか、この男は納屋を焼いているのか」という、村上春樹っぽいよくわからないことをするよくわからない男だな……という風に、読んでいるうちは受け入れることができる。

だけれど、この作品問題は、「納屋を焼く」とは「女の子を殺す」というメタファー可能性がある……ということを、うっかりしていると完全に読み飛ばししまうことだ(あらすじをまとめるとそんな印象は受けないかも知れないが、本当に読み落とす)。それが答えとは明示されていないけど、そう考えるとふわふわとした会話だと思っていたものが一気に恐怖に裏返り、同時に腑に落ちるのである

その他、上記の「レーダーホーセン」においてレーダーホーセンが「男性にぐちゃぐちゃにされる女性」というメタファーでありそれを見た妻が夫に愛想をつかした、という読みが可能だし、「UFO釧路に降りる」でふわふわゆきずりの女と釧路に行ってセックスする話は「新興宗教勧誘されそうになっている男」の話と読み解くことができる(『神の子どもたちはみな踊る』という短編集は阪神大震災地下鉄サリン事件が起きた1995年1-3月頃をモチーフにしている)。

勿論、これらはあくまで「そういう解釈可能」というだけの話で、絶対的な答えではない。ただ、そもそもデビュー作『風の歌を聴け自体断章の寄せ集めという手法をとったことで作中に「小指のない女の子」の恋人が出てきていることが巧妙に隠されていたりするし(文学論文レベルガンガン指摘されてる)、「鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。」と書かせた村上春樹がその小説の中で実は死とセックスに関する話題を織り込みまくっている。近作では『色彩をもたない田崎つくると、彼の巡礼の年』で○○を××した犯人は誰なのかということを推測することは可能らしい。

何が言いたいか

まり村上春樹は信用できないのである

たとえば、『ノルウェイの森』で主人公自分のことを「普通」と表現する箇所があったが、村上春樹作品主人公が「普通」なわけない。基本的信頼できない語り手なのだ。信用できないからしっかり読み解かないといけないようにも思える。

(なお、なんなら村上春樹自分作品について語ることも本当の部分でどこまで信用していいのかわからない。「○○は読んでない」とか「××には意味がない」とか、読解が確定してしまうような発言はめちゃくちゃ避けてる節がある)

ただ、勿論全部が全部そうというわけじゃなく、羊男とかいるかホテルって何よとかって話には特に答えがなさそうだけれど、『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』あたりは何がなんだか全くわからないようにも見えるし、しかし何かを含意しているのでは、あるいは村上春樹本人が意図していないことであっても、読み解くことのできる何かがあるのではないか、そういう風な気持ちにさせるものが、彼の作品なかにはある。

このように、村上春樹メタファーモチーフには、「答えがあるかもしれない」という点において、読者を惹きつける強い魅力があるのである

増田も昔は村上春樹を「雰囲気のある作家」くらいの認識で読んでたんだけど、『風の歌を聴け』の読解で「自分作品ちゃんと読んでないだけだった」ということに気づかされて頭をハンマーで殴られる経験してから村上春樹には真面目に向き合わないと良くないな」と思い直して今も読み続けてる。

……なお、それはそれとして、セックスしすぎで気持ち悪いとか(やれやれ。僕は射精した)、そもそも文章がぐねぐねしてるとか(何が100パーセントだよ『天気の子』でも観とけ)(なお「4月のある晴れた朝に~」が『天気の子』の元ネタひとつなのは有名な話)、そういう微妙な要素に関して、ここまで書いた特徴は別にそれらを帳消ししてくれたりする訳じゃないんだよね。

たとえば『ノルウェイの森』は大多数の人間経験することの多い「好きな人と結ばれないこと」と「知人の死を経験し、受け入れること」を描いたから多くの人間に刺さったと自分は思っているが、だけどそれが刺さらない人だって世の中にはたくさんいるのは想像に難くない。

から、嫌いな人は嫌いなままでいいと思う。小説は良くも悪くも娯楽なんだから

余談

マジで村上春樹論やるなら初期~中期村上春樹作品における「直子」のモチーフの変遷、「井戸」や「エレベーター」をはじめとした垂直の経路を伝って辿り着く異界、あたりが有名な要素ではあるんだけれど、まあその辺は割愛します。あと解る人にはわかると思いますがこの増田元ネタ加藤典洋石原千秋なので興味ある人はその辺読んでね。

文章うまい」に関する長い補足(「小説文章」に限定

「うまくない」って連呼しながら「『うまい』のは何かって話をしてないのおかしくない?」 というツッコミはたしかにと思ったので、「この増田が考える『うまい』って何?」というのを試しに例示してみようと思う。村上春樹に対する「別に文章うまくない」とはここで挙げるような視点からの話なので、別の視点からのうまさは当然あってよい。

小説家の文章が読みやすいのは当たり前だが、「文章が読みやすい」なら「文章が読みやすい」と書けばいいのであって、わざわざ「文章うまい」なんて書くなら、そこでの文章」は「小説じゃなきゃ書けない文章であるはずだ。

じゃあ、増田が考える「(小説の)文章うまい」は何か。読んでる間にこちらのイメージをガッと喚起させてくるものが、短い文章のなかで多ければ多いほど、それは「文章うまい」と認識する。小説のなかで読者に喚起させるイメージ情報量が多いってことだから

具体例を挙げてみる。

 長い歳月がすぎて銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらくアウレリャーノ・ブエンディーア大佐は、父親に連れられて初めて氷を見にいった、遠い昔のあの午後を思い出したにちがいない。

 そのころのマコンドは、先史時代怪獣の卵のようにすべすべした、白く大きな石がごろごろしている瀬を澄んだ水がいきおいよく落ちていく川のほとりに、竹と泥づくりの家が二十軒ほど建っているだけの小さな村だった。

ガルシアマルケス百年の孤独』の冒頭。大佐子どもの頃を回想して大昔のマコンドに話が飛ぶ際、「先史時代の」という単語を選んでいることで文章上での時間的跳躍が(実際はせいぜいが数十年程度のはずなのに)先史時代にまで遡るように一瞬錯覚する。

津原泰水バレエメカニック』1章ラスト昏睡状態のままで何年も眠り続ける娘の夢が現実に溢れだして混乱に陥った東京で、父親世界を元に戻すために夢の中の浜辺で娘と最期の会話をするシーン。

「お父さんは?」

「ここにいる」君はおどける。

彼女は唇を尖らせる。「五人兄弟の」

「さあ……仕事で遠くまで出掛けているか、それとも天国かな。お母さんがいない子供は いないのと同じく、お父さんのいない子供もいない。世界のどこか、それとも天国、どちらかに必ずいるよ」

 彼女は君の答に満ち足りて、子供らしい笑みを泛べる。立ち上がろうとする彼女を、君は咄嗟に抱きとめる。すると君の腕のなかで、まぼろしの浜の流木の上で、奇蹟が織り成したネットワークのなかで、彼女はたちまち健やかに育って十六の美しい娘になる。「ああ面白かった」

 理沙は消え、浜も海も消える。君は景色を確かめ自分腰掛けていたのが青山通り表参道形成する交差の、一角に積まれ煉瓦であったことを知る。街は閑寂としている。 鴉が一羽、下り坂の歩道を跳ねている。間もなくそれも飛び去ってしまう。君は夢の終焉を悟る。電話が鳴りはじめる。

作中の主観時間にしてわずか数秒であろう情景、ありえたかもしれない姿とその幸せ笑顔から夢のなかで消えて一瞬で現実に引き戻すこの落差、そこからまれる余韻の美しさですよ。

あるいは(佐藤亜紀小説ストラテジーから受け売りで)ナボコフ「フィアルタの春」という小説ラスト

フィアルタの上の白い空はいつの間にか日の光に満たされてゆき、いまや空一面にくまなく陽光が行き渡っていたのだ。そしてこの白い輝きはますますますます広がっていき、すべてはその中に溶け、すべては消えていき、気がつくとぼくはもうミラノの駅に立って手には新聞を持ち、その新聞を読んで、プラタナスの木陰に見かけたあの黄色自動車がフィアルタ郊外巡回サーカス団のトラックに全速力で突っ込んだことを知ったのだが、そんな交通事故に遭ってもフェルディナンドとその友だちのセギュール、あの不死身の古狸ども、運命の火トカゲども、幸福の龍どもは鱗が局部的に一時損傷しただけで済み、他方、ニーナはだいぶ前から彼らの真似を献身的にしてきたというのに、結局は普通の死すべき人間しかなかった。

ふわーっと情景描写ホワイトアウトしていって、最後にふっと現実に引き戻される。この情景イメージの跳躍というか、記述の中でいつの間にか時間空間がふっと別の場所に移動してしまうことができるというのがナボコフの特徴のひとつである

散文として時間空間が一気に跳躍して物語世界を一気に拡張してしまう、この広がりを「わずかな文章」だけで実現していたとき増田は「文章うまい」と認識する。自分村上春樹文章を「うまくない」って書く時、そのような意味での「小説としての文章」を判断軸にしてた。

村上春樹は下手ではない。村上春樹に下手って言える人いるならよっぽどの書き手だし、その意味村上春樹に関しちゃ言うことはないでしょう。しかしごく個人的私見を言えば、「文章」って観点だと、文章から喚起されるイメージに「こちらの想像を超えてくる」ものがめちゃくちゃあるわけではないと思う。

日本語文法に則りシンプルで誤解の生まれにくい文章を書くことは高校国語レベル知識可能で、その点村上春樹文章プロとしてできて当たり前のことをやっているに過ぎない。平易な文章を徹底しつつその内実との間に謎や寓話モチーフを織り込んで物語を構築するところがすごいのであり、そこで特段褒められるべきは構成力や比喩表現の多様さだろう。その際に使うべきは「構成力がうまい」でも「比喩表現うまい」であって、「文章」などという曖昧模糊とした単語で「うまい」と表現することはない。小説=散文芸術において「文章うまい」と表現しうるときもっと文章としてできることは多いはずなので。そして、このことは、村上春樹がしばしば(「小説」ではなく)「エッセイ面白い」と言及されることと無関係ではない。

ちなみに、増田津原泰水ナボコフ文章技巧には翻訳村上春樹じゃおよぶべくもないと思ってるけど、面白いと思うのは圧倒的に村上春樹ですよ。技巧と好き嫌いは別の話なので。

ここで書こうとした「うまさ」は佐藤亜紀がいうところの「記述運動」を増田なりに表現したもので、元ネタ佐藤亜紀小説ストラテジー』です。

2021-02-26

anond:20210225224433

おまけに何かそういった統計でもあるのかと思えば(あればまだ統計的差別としてく警戒の必要性を説けなくはないが)、単なる個人的経験ときたもんだからな、あれ。

実際に「障害者が多い街は性犯罪が多い」かどうかも定かではないし、実際にそうであったとしても何か別の要因で障害者向け施設性犯罪がともに多くなっていて障害者忌避することが性犯罪あいにくくなるわけではないケースもありえる。

でも、「女性男性からの性被害にあわない為の方策」という絶対正義の前では、障害者ヘイトすることなんて朝飯前に受け入れられてしまうんだよ。

2021-02-25

anond:20210224154916

なかまをふやすためにいじめをしたり敵をつくって反抗したり悪態をついたりするけどいじめられる側ってなかまをふやそうとも問題解決するための努力をしようともしていないようにみえるけどいじめられる側になにも非がないとしてなにも対策を講じないのはいじめが悪いことだと言っているかとるに足らない事だとしているのとかわらないのでは?

問題をまず問題だとするのに自分がうけているいじめをともに不快だと感じてもらうための方策必要だよね

自分がつらいのとかってどうやれば共感できるのか 共感に関しては男子よりはるかに秀でているといわれる女子いじめのほうがより陰湿凄惨なことを考えるといじめで仲間をつくる方法はすでに正解が見つかっているようだけれども「いじめられていることについて問題性を共感する」方法がいまだになにひとつないという証明になっているかもしれない

ということはつまりまずなにより「いじめが悪い事である」ということを解決に向かわせるべくなにより問題であるということと、具体的にどう解決するかを対策すべきなのじゃないか

かわいがり」と称して常識出来ではない練習量を課すことがいじめなのかどうか おきもちなんじゃないのってことを本人の限界第三者勝手推し量って無理って言っていいかどうか

無理を繰り返すことで成功した偉人の話はいじめを正当化させかねないか禁止とか

実際いじめみえる程度に指導しないとどうしようもない性格してたとかしてなかったとか

その人に与えたストレスが将来的に得になるか損になるかを総合的に判断できてしか予知的な事に補償も用意できる第三者的な組織がそれをいじめだと判定できないと

どのみち個人がそうおもったから助けたとか手をだしたとかしてもあとから考えたら望みをかなえてもらったおかげでいま不足していることや損がでてるということになるかもだよね

その善意いじめだといえないこともなくない?

ひとりにしといてとかほっといてとかをリーダーにさせたり仲間うちで話題にしたりからんできてうざくてそれっていじめだよっておもってたけど社会にでてから役立つとかあるかもしれないし

逆にほっといてあげたらコミュ障でひきこもって毎日子供部屋からオンラインゲームに常駐してて軍師みたいなアドバイザーになりたいとか言ってるそれって「望みをかなえてもらった」結果なのか疑問だし

傍観してるってのは個人が何人あつまって傍観しててもとめようもないし止めたらいいのか止めないほうがいいのかそれがどの程度悪くてどこまで関係性を突き崩すべきか判断しようがないと思うんだ

ガイドラインとかつくってそれ以上のストレスは与えられるべきでないとしたり 基準値をこえたらどう対処するかを明示していてそこに圧倒的な力量で介入される準備がないと傍観者って何人あつまっても結局傍観者でしかいか最大数傍観者でいうところの「当事者以外のみんな」が傍観者で しかも無言なら肯定といわれたらもうそれは世界肯定していることになるのでいってみたらいじめ正当化されてるともいえなくもないよね

ガイドラインがあればね 本人も選択できると思うよ 基準値以上のストレスがないことについて問題を考えるようなら過度なストレス個人選択で得られるようにしてもいいと思うし

与えることがいいことだとおもって指導目的いじめをしている人はいないと思うのでコミュニケーションの達成目標もわかりやす自己批判他者押し付け鏡像の敵づくりとして行動化してるいじめをほかの目的共通意識を育むように指導すればいいのだろうし たとえば軍隊的な特訓をなかよしチームに課していじめとかよりも強い団結心を養わせるとか

ガイドライン作成するにあたっての環境調査でそういうのってわかるかもしんないよね

実際のところわたしたち個人が何人あつまっても政治世間もかえられないので民主主義っていう同じ意見人間があつまって10人が10アイデアを持ち込んだら合計で100のアイデアができてしまうけれども

共通認識としてお互いがまもりお互いが出し合ってお互いが守り合うというコミュニケーションが生まれるところのまずゼロポイントともいえる最初のあるべきあたりまえの多数決10人のアイデアのうちの共通している

一つを一つのルールとして、段階的にほかの各のこり9アイデア優先順位と譲歩内容をくみ上げていくべきなんじゃないの?

個人不快だといったから、権利違反しているといったから、人権ひとつ10の平均よりも重いといきなり判別してなんでも言ったもの勝ちにしているとそれこそ

いじめをうけている人間いじめられているっていわないから、そんなの存在しないことになってしまってる」傍観者も存在しないし傍観者が個人裁量でいいと思っていることを行うと

それ自体いじめかもしれない あとからいじめだっていってもおかしくないと考えることもできるとかいうことになりえるんじゃないのかな

最終的におもったことまとめると

個人がそれぞれ大きく声をはりあげたり、声のでかい人がまわりを巻き込んでそういう状況を局所的につくったとしても、そこだけの正義とかそこだけの悪とか判断してもそれはその局所的でのみ言えることで「いじめ」だとかそういう広義の単語意味合いについてなんら影響するものはい

環境構成する個人たちが団体として行動をする指針をとりきめ、それを介入させる条件を作成し行動しないと意味ないのでは 意味ないってつまり言っても無駄だしやろうと個人でとりくんだところでそれが救済になるのか迷惑行為になってしまうのかもしかしたらいじめのものであるかもしれない

・そういうとこから 意見があるなら意見を出すってだけはいじめとか迷惑行為のものとかわらんし 悪い事をみつけて問題だと思ったり言い事だと考えて行動したいときにはまず「団体をつくろう」という行動に出るべきなんじゃない?

ってこと思いました

2021-02-23

anond:20210223180203

それはそうだ

フェミニズムの手だけで家父長制が解体されたわけではない

フェミニズムどころか女性には人類社会を動かす力などないからね

だがフェミニズムは家父長制の解体に賛成していた、手を貸していたということ

そして家父長制は解体されたがそれに代わって父親メリットを与える方策を打ち出されることもなかった

から父親は終わった

それだけの話

罰則規定だけ設けて形だけ父親を演じさせようとしたところで男性それからメリットを得られないのであればどう厳しくしたところで終わる

2021-02-21

anond:20210221092519

沖縄基地負担分散して」

?「そうだそうだ」

男「自殺圧力分散して」

?「建設的な話をしよう。自殺自体を減らすような方策を云々」

2021-02-17

DV男と結婚した女の子供だけどあいつら結婚妊娠まで本性隠すからなぁ、仕事辞めさせて囲い込んで逃げられなくなってから暴力振るうんだよなぁ

今ならその状況から逃げる方策もなんぼがあるけどちょっと昔だと大変だったんやで

心優しい非モテ諸君はもちろんそんなことしないと思うしそのままでいてくれよな

さすがに暴力的な男がモテるっぽいからって端から女殴っていけばええんやろって発想にはならない程度に君らもお行儀はいいだろうしな

2021-02-14

anond:20210214173656

しか現場居合わせた人が直ちに声を上げるのが効果が高いが、

からと言ってその態度を強要するのも被害者らに対するセカンドレイプ的な厳しい振る舞いだろう。

ネット事態を詳らかにして賛同の声を集めることで社会を変えていく方策の方が、ローカル問題を収めるよりずっと強力な方策だ。

被害者の苦しみが理不尽に倍加することもない。

2021-02-02

そもそも保育園支援ってのが保育園足りない都市部にのメリットある方策

保育園余ってる地方にとっちゃどーでもいい事だけどな

貧しい地方から税金取って豊かな都会につぎ込むって意味じゃこれも逆進性ありまくりなんだよな

2021-01-27

やたらと老人叩いてる奴らって不老不死なの??

https://anond.hatelabo.jp/20210126211637

これ読んで思ったけど、老人叩いてる奴って不老不死自分絶対歳とらないとかそういう人間なの?

などと言うことを書くと、これを書いている私に対して「こんなけしからんことを言う奴はどんな老害だ!」といきりたった奴が押し寄せてくるかもしれないけど残念だが私は三十代だ。

この件に限らずネットでは老人叩きが多い。その要旨をあげると大体こんな感じではないだろうか。

1, コロナから老人を守るために自粛して経済犠牲にしなければならない

2, ただでさえ老人のせいで社会保障費や年金が増大していて若い世代負担になってる

まあ他にもあるかもしれないが自分が見る中で目立つのは大体こんな感じだと思う。こう言う事言ってる奴らに言いたいのだが、おまえら未来永劫歳をとらないのだろうか?

仮に老人を敵視している奴の言うことを全面的に受け入れて、上記の1,2を解決するために、

1, 自粛を全くせずコロナにかかった老人は治療も受けさせず見殺しにする

2, 老人のための社会保障費や年金カットする

これらをやった場合どうなるか? 

まず1のコロナに関しては、これによって老人は大量に死んで老害論者はウハウハかもしれない。しかし、数十年後、我々が歳をとった時にまた未知のウイルス流行した時、前例があると言う理由で老人(つまり現在の我々若い世代)は見殺しにされるだろう。その時、1の政策を支持していた者たちは「じゃあ我々は老害なので潔く死のう」となるのか? 断言するが、絶対にならないだろう。普段どれだけ「俺は今すぐ死んでも構わない」などと嘯いている人間も、本当に死ぬしかない状態ならともかく、まだ生きれる可能性が多少なりともあるにも関わらず「死ね」と言われた時、絶対抵抗するだろう。これはもう惨めたらしいくらいに死を避けようとするだろう。人間生存への欲望などと言うのは、そんなに簡単に踏み潰すことはできないものだと思う。繰り返し断言するが、お前は必ず惨めたらしいほどに命乞いをするだろう。

また、2に関しても1と同様のことが言えるだろうが、老人への介護費用年金などは別の側面もあって、介護に対して公的補助が出るから、その分現役世代負担が減っている。老人への社会保障は老人だけでなく、その面倒を見なければならない下の世代を助けるものだと思っている(それでも「俺は親に死んで欲しいから助けるつもりはない」と言い張る奴がいるかもしれない。毒親を持ったのは可哀想だが、残念ながらそのような人は多数派ではないと言うことを理解して欲しい) そして、2に関してはそもそも社会保障カットするなどと言うハードランディングな方策をとらなくても、健康寿命を伸ばして、介護医療費用をかからずにし、あわよくば長く働いて老人も一緒に社会を支えてもらうと言う回避策もありこれなら皆比較ハッピーである政府の指針としても概ねこのようなもの理解していて、自分は支持するのにやぶさかではない。

と言うわけで、老人に対して犠牲になれと言う議論は全く無益で役に立たない。

それでもなお、1ミリでも反駁余地があると信じている人間はきっと不老不死か何かなのだろう。

2021-01-10

anond:20210110122833

いまも辛いんだな。それがこの先解消されるといいね

現状は数3Cやその上位分野に取り組んできて、それでも全然ダメで今は諦めてる状態

抽象的な「数3C」という表現のみで話してきたが、貴方が立ち向かってできるようにしてきたことは

生き辛さを解消するためには、何が必要で今何が足りないのかを考えた上で出てきた方策を元に取り組んだこと?

全然ダメ絶望しかない?

元増田ネガティブ感情無力感から完全に諦めて固まってしまってるように見えたから、自分とよく向き合い思いを整理し思うまま動いてみることをしてみてほしいと伝えたかった。

貴方はそれに対して、頑張って動いてたくさん経験をしたけど、そもそも1番の目的は生き辛さを解消することで、それは全く変わらなかったと言っている。

貴方の具体例がわからないので何とも言えないのだが

元増田に例えて言うのならば、

元増田の辛さの本質は、数3Cができないことは表層的な事象であり

できないことを劣等に思う気持ちや、それによって周囲の人間に低く見られたり、和やかな関係を築けないとかそういうところにある。

言ってしまえばそもそも、できなくても自身が納得していたり、それを認めてくれる良い仲間が居たりすれば辛くはない。

数3Cをできるようにすることは、その本質に影響するためのアプローチの一つであるだけだ。

俺が言いたいのは、元増田には何の制約も考えずに心に正直になったとき自身が本当になりたい自分の姿は一体どんな姿なのか、そこで見える今とのギャップ原動力になる。原動力という意思を持つだけで全ては始まり展開していく、まずはそれだけでいいということだ。

貴方に言いたいのは、もしまだ諦めていないのなら、全てを尽くしてダメだったのか

目的を達成するためにできることは本当にもう何一つ残っていないのか。

元増田のために言ってあげられることって「何をやっても駄目だった」ってこと?

きっとそうではないんだよね、ということだ。

2021-01-08

anond:20210108210457

この人、「考えましょうね」ばっかり言って何一つ具体的な方策さなイメージある

2020-12-22

中国日本より明らかに優れているところ

CCTV国営放送が多チャンネルであること。

ニュース以外に経済軍事音楽チャンネルなどがあり、

それぞれ専門的な放送を24時間している。

自分が好みなのは農業チャンネルである

言葉がわからないが、字幕漢字なのでおおまかな内容はわかるし、

国土が広く、人口が多いのでテーマが広く飽きない。

日本だったらそれぞれの県の産業などほぼ理解しているので、

ああ、こういうものだよねという程度の面白さだが、

中国はさまざまな農業方策が常に新しく新鮮である

もちろんそれらは人の手で行うことも多く、

伝統的な農業と、新しい技術の融合という意味で非常に面白い。

最近になって、「困っている農家が、専門家に教えを乞う」

という番組発見したが、これが案外面白い。

日本番組のようにゴテゴテ作りこんでおらず、

うるさい字幕もなく、やらせメッセージをしゃべらすこともない。

最近では、「シカ畜産農場で、小鹿が死にやすくて困ってる」という番組を見た。

シカ農場がある、というのにも驚きだが、

プロ見立てたところ、温度寒いことと、トウモロコシの粉砕飼料

栄養不足であることがわかった。そこで出演者3人で、

ビニールハウス手作りし、温度管理をする、というようなことをしていた。

番組最後には小鹿がビニールハウスミルクを飲んでいるシーンで終わる。

こうしたシンプル番組が非常に面白いのである

日本番組芸人がギャーギャー騒ぐのとは雲泥の差である

すべてに平均的な視聴率を求められる日本とちがい、中国人口が多く、

こうしたマニアックな分野でも十分に放送としてなりたつのである

日本人は民度が高いと天狗になっているが(自分反省しているが)、

こうした中国の老百姓一般人民)が培った農業技術をみていると、

その知恵や民度日本より高いと感じることがある。

あくま人権弾圧をしているのは9000万人の共産党である

ポンペオ次期大統領がいうように、中国共産党中国人民は分けて考えるべきである

残りの13億人はすばらしい民族であり、

人間としての価値に違いなどないことを忘れてはいけない。

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