はてなキーワード: 立法とは
無断駐車に対して、法律上の正攻法でいこうとすると時間もかかってしまうし、お金もかかってしまうし、相手方からそれが回収できる見込みも決して高くない。
自分だったら、自分の駐車スペースに無断駐車された場合、その車に徹底的に嫌がらせをする。
ドラレコがついてないか確認して、ばれないように細心の注意を払いながら、ありとあらゆる嫌がらせをする。
ドラレコがついている場合でも、変装して顔を隠してやればばれない。
無断駐車したやつが自分に抗議してきたら、知らぬ存ぜぬで通す。「いやぁ最近このあたりで車にいたずらされるケースが結構あるんですよねぇ」とかいってとぼける。無断駐車したやつが裁判起こしてきても自分がやったということはどうせ立証できやしない。
反対に無断駐車したことについて駐車料金をその裁判の中で請求する。
論理的意見であるならばどの立場における意見もちゃんと聞いて判断するべき派です
規制反対派はさっきのお前みたいな規制立法を誤解した反論しか見当たらず、上観点に対する論理的言及が見えないので、利権屋とアホが結託してるだけの非論理的な意見だと考えている。
意見が論理的で反対意見でも理解を深める努力があり、学問や議論に誠実であるならば主張する人間の属性は問わないのが議論です
お前のやってるのはただのレッテル貼りして耳塞いでるだけ、非論理的な子供の感想文でしかない
ワイの言葉で短く説明してもワイの意見を正確に反映したものにはならない。ワイはあくまで論理的な検討かどうかしか気にしていない。反対意見を述べるなら上の本を読み、規制派の言及内容や論点について把握した上で的確に反論すべきです派です
たとえば醤油を海洋放出する際、直前に海水で薄めるとする。それを海洋放出する際、醤油成分だけに着目して「醤油を放出する」という表現は可能だよね?
実際に放出するのは「薄められた醤油」なんだけど、「薄められた」という形容詞を省略して「醤油を放出する」という表現は可能なわけよ。
つまり、「ALPS処理水を放出する」とか「 安全基準を大幅に下回るALPS処理水」いう巷にある文章は、「薄められた」を省略しているわけ。
だいたいさ、
経産省の上記の定義文を素直に読めば、トリチウムについては基準を満たさないんだな、と解するのが普通でしょ。
数学の文章ならトリチウムについては何も言及してない、って考えるのが普通かもしれないけど、これ日常の文章だよ。
日常の文章なら、その言葉を発せられた背景を鑑みるのが普通でしょ。法律とかでいうところの立法趣旨ってやつ。
まあこの定義分にどんな背景があったか知らんからこの話は深堀りしないけど。
最後にこれだけは言いたい。
そんなアホなことを我が国が誇るエリート集団である経産省がやるわけないでしょ。
そんなことしたら、ディスコミュニケーションが発生して事故るよ?
環境活動家は一般市民の機嫌取りをするべきだとか、○○活動家は一般市民から好意的に思われるようにその辺の市民に機嫌取りをして好かれるべきだとか。
頭が悪いと、社会常識がないのでアイドルの握手会とか友達感覚だと勘違いしてしまうらしい
いるよね、炊き出しで支援者を友達だと思ってるタイプの人。ブラックバスに漁業権をって署名した人。まさにあれだわ。
そうしないとボクチンたちはフェミニズムに賛同してあげないかもよー?フェミニズムを理解してあげないかもよー?構ってやらないよーん?とでも言いたげな。
政治リテラシーがゼロの無知無能なボンクラには理解するのはそもそも難しいやろう、プロパガンダに簡単に煽られてる愚民の妄想に付き合ったり、ボンクラを教育することまでフェミニストの仕事ではないんですね
アンチフェミで溢れてるのはフェミニストの態度が原因ではなく、ヘイトビジネスが金になるからで原因自体が違うんですね
韓国や中国やアイヌ叩きなどもかつては盛んでしたよね?日本でそこまで暴れた韓国人がいました?殆どガセか誇張ですよね。
それ以上にひどい日本人がいっぱいいるのに韓国人だけを叩く理由なんてないのになぜ韓国叩きになるのか?歴史的には日本は韓国を侵略した側、植民地化した側なんですけど?嫌われる理由は山ほどあるが差別する理由なんてないですよね
米兵は現地でトラブル起こしてますけど日本にアメリカ差別はありますか?韓国ほどないですよね
かつては雑誌や集会で、ラジオで、SNSやYouTubeで小銭稼ぎやアフィしてる人たちがわざと発達障害や学のないの女性の個人snsなどをフェミさんガー!として祭り上げる、誤読で無理やり文旨を捻じ曲げて祭り上げる、手頃な差別を煽動してチャリンチャリンする、バカは真に受ける、バカがそれを信じてどんどん増長する、バカが唯一理解できる面白い娯楽が差別というだけですね。
ちなみにこの手のアンフェミ言論人・アンチフェミ的言説の歴史は非常に古く、詳しくはありませんが70年では効かないでしょう。それ以前から存在します
しかしネットのフェミニストが流行り出したのはここ数年の話です。
頭が悪い人がいればアンチフェミはどんどん生まれます。一般女性フェミニストが反対言論を垂れ流さないとエコーチェンバー極まるので状況はさらに悪化します
日頃から男性社会にうんざりしてるのにSNSで滅茶苦茶なことを言いまくるバカなアンチフェミやその信者一派の言動を見た一般女性が、心中穏やかでいられるわけないですよね。怒るに決まってます
普通に考えればわかるんじゃないですか?
この人たちに、素行悪いよ、そんなこと言ったら嫌われますよとか言っても無駄ですよね。被害者や被差別者じゃなくてやってきた側、あっちに言えよ、言いやすいから被害者に文句つけるならお前もあっちと同じだよ!と言われるのは当然です
当然反発した一般女性がクソども憎しでカウンターする。その中でも最もズレたことを言ってる一般女性を取り上げて、バカな信者に分かりやすく加工して、そこをまた祭り上げて、信者がさらに盛り上がり、アフィの輪がグルグルするわけです
一般女性に過激な態度はやめろと言ってもこの循環が解決するわけないのは幼稚園児でもわかります。
韓国叩きもいくら韓国の善行や日本人の素行の悪さを伝えても、親切で穏やかな韓国人が口汚いバカども相手にも忍耐強く日本語で発信しても、善人が韓国叩きはやめてと発信しても消えませんでしたが、ヘイトスピーチ規制がかかって金儲けができなくなったら一瞬で消えましたね^^
過激ネットフェミは嫌われるぞとかネットフェミの過激な言動やめろとか言えば言うほど反発はさらに大きくなります。そんなの幼稚園児でもちょっと考えれば分かるような当たり前のことです
差別是正の成功というのは、「ボンクラ市民様から理解して頂き、賛同して頂き、『良かろうお前たちを少しは理解してやろう』とその辺の何の権力もない物知らずなボンクラ市民様からのご慈悲をいただく」みたいなことではない。
その辺の一個人から、このフェミは偉いとかこのフェミは偽物とかジャッジされたところで、どうでもいい話なんですよ
その辺の人から好かれたとか関わりたいと思われたとか嫌われたとか、その評価がフェミの処世術になるみたいな物言いがキツすぎですね
そもそもフェミニズムは日本が自分で決定や条約等に批准して「女性の権利向上のための目標達成します」って他の国に約束したことだし
そもそも日本が自分で憲法に差別の禁止を制定して、性別による差別の禁止を例示でわざわざ挙げて決めていることだからね。
フェミニストは、差別に反対する人なので、つまり日本で法に従う人政治してる人が全員そう
議員や官僚や行政の人たち、他の国の人権団体や人権派組織の人たち、政治圧力や経済的圧力でフェミニズムをやらざるを得ない民間企業の人たち、関連団体の人たち、そこに賛同する人たち、
法改正や立法をするよう働きかけたり、企業や団体に性差別的扱いで訴訟を起こしたりする人、差別的CMをやめさせようとする人
啓蒙する人もいるけど、別に『ぼくちんもフェミさんの態度によってはフェミニズム理解してやろう』みたいなことを大真面目に言ってしまうボンクラで知能がとても低いリテラシーゼロのアホ市民に「好かれる」ことは目的ではないし、こんな奴らがデタラメ理屈でデタラメガバガバ反フェミ理論を叫んでいても「バカだな」「何言ってるかわからない」「政治上の意見としては機能しない。対応はできない」でしかない
何の意味もない。
状況を履き違えている
https://www.tepco.co.jp/decommission/progress/watertreatment/alps01/
新潟のダムの総貯水容量が、47,800千立法メートルと125,500千立法メートル。
https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/murakami_seibi/1204650959887.html
どのくらい足りないのか知らんけど、焼け石に水なのでは。
あるなら出してください。
そうだよね?
日本国憲法 第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
『内心の自由は絶対的に保護される』と主張する人がいるが、それは『実際に憲法に書いてある』わけではなく『解釈として』そうなっているだけに過ぎない。『自衛隊は日本国憲法に違反しない』というのと同レベルに過ぎない
弱者男性が性欲を持つこと自体が女性の幸福追求権に反していると考える人もいる。となると最終的には公共の福祉の問題になる。
二十代後半に差し掛かったストレートの男性で、女友達もいて、社会性もあり、リベラルで、しかしセックスの圏外にいる。恋人がいたことはなく、もちろん童貞で、性風俗にも縁がない。
恋人が欲しいか、とか、セックスがしたいか、と言われると、子どもは欲しいと思う。とりあえず結婚して、子をこしらえて大切に育てる方が後々の人生で利になりそうだから。少なくとも制度的につがいを登録した方が良い設計になっているらしいから、という程度だ。
客観的に見ても温厚で、そこそこ善良なほうの人間だとの自負がある。フェミニズム(といっても立場は様々あり闘争の歴史もあるみたいだけど)への理解も、あらゆる差別への反感もある。常に自分の言動が差別的になっていないかという超自我的な検閲がある。その上でどういった立場のものであれ、流行りの、強い言説に自分の言葉や思考を乗っ取られてはいけないという危機意識もある。そういう意味で、かなり丁寧な生活を心がけている。
ところで、セックスは話題に事欠かない。最近も性的同意が確認できるアプリが開発中で、それに反対する声が上がるのを見たし、そのちょっと前だと『射精責任』の著者のバックグラウンドを訳書で明示する責任について議論があった。そのもう少し前には人工妊娠中絶をめぐるアメリカのどこかの州でのひどい立法が話題と運動を呼んでいた。AVを見て勉強をしている男の独りよがりなセックスへの批判なんかは何度となく見た。もう本当に過去の話題を半年も覚えてられないくらい、定期的にみんなセックスの話に夢中になる。
もう勝手にしてろよと思う。確かに、それぞれの問題には程度の違いはあれ被害者がいて(AVセックス男もゴムをつけてたら生中出し強要中絶反対男の悪行よりはマシなはずだ)、解決すべき社会課題だし、社会課題の解決には関心を集めるのは重要な要素らしいのは分かる。
でもまあ、勝手にしてよと思う。セックスさせろとか、俺に女を当てがえとか、そういうことを言いたいのではない。「お前はそういうことを本当は言いたいのだがカッコつけてたり本音を抑圧してたりしているだけだ」と言う反論が正しかったにしても、結局のところ私はそういうことを言わないのだから、意味をなさない。
勝手にしてよ、とだけ思うのだ。遠い国の小競り合いを見ている気分になる。セックスはどうあるべきとか、性交同意のあり方とか、みんな一生懸命議論しているのがバカみたいに見える。バカみたいに見える自分が愚かしくも見えるので、そこだけ最悪だ。セックスの圏外にいるストレスは、こうした議論の分からなさにある。
「勝手にしてよ」と涼しい部屋で独り言をいってもられないな、と思ったのは次の記事を読んだから。
「なぜ男は「ゴム無し無責任射精」にとらわれてしまうのか?【藤澤千春×山下素童 射精責任対談】」https://yomitai.jp/special/shirodo-fujisawa/3/
『射精責任』の邦訳版編集者の藤澤氏と、「素人童貞」だったライターの山下氏の対談。藤澤氏によると、声優の黒沢ともよさんが夫と『射精責任』を読んだというツイートに、「もう忘れたい」と嘆くものや、プロ意識のなさを糾弾するものなど、ひどい引用リツイートがかなりついたらしい。藤澤氏が紹介したエピソードについて、山下氏は引用をした人 (女性ファンの好意的な反応に対照させて、否定的な反応をつけたのは男性であることに自然になっているが、私も正直そう思う)にいったんは同情的だ。しかし、「目の前にいる女性のことを考える」ことができるようになると、男性社会で負けたこと(=黒沢さんが特定の男性と結婚したこと)、つまり自分についての言葉より、黒沢さんの微笑ましい夫婦生活への祝福の言葉が出てくるはずだという話になり、山下氏が「目の前にいる女性のことを考える」ことができるようになったきっかけとして、恋人との二年間の同棲生活があったという話になる。これが特殊な経験であることは氏も強調しているのだが、要は女性をめぐる男性社会の競争やコミュニティ内の男性的コミュニケーションみたいなものから降りて、セックスや快感のことについて自分と相手でちゃんとコミュニケーションをとろうぜという話になる。まるでセックスに圏外が存在していないかのようだ。なんかこの人たちはセックスの圏外の圏外ぶりを侮ってるんじゃないかという気分になる。黒沢ともよさんのエピソードからこの話が展開しているから余計にそう思うのだ。醜い引用リツイートの数々は、果たしてセックスの圏内から発されていたのか。セックスの圏内から、セックスの圏外を眺めることは可能なのか、これは思っていたより深刻な断絶があるのではないかと、いろいろなことを考えさせられてしまった。
まあだからどうしろという話でもないんだけど、セックスの圏内に声を届けたくなったときがきたら、こんなに大変なことはないだろうと思った。
私は法律の何が凄いのか知らないが、警察に公文書開示請求をすると、時々、開示できない理由として、凄いことが書いていますが、そこの、記載された文章の、激臭っていうか
感想として、読んだときに「お!」じゃなくて、「ぐわぁぁぁ」っていう理由の記載ですが、植田一石が言っている「なんだこれは」ではなくて、「きっつ」っていうところがやばいと思うんですが
植田一石が、なんだこれはって言ってるような最高裁判決とかがやばいのではないか。むろん、条文だけをとっても、なんだこれは、という条文もありますが、判例の中にも、なんだこれは、
というものが大量にある。しかし、どの立法なり、どの解釈が、どの程度にエレガントであるとかですね、そういうことを専門に解説したような書籍はみたことがない。それは数学でみたことが
ないのと同じですが、50年前は大量にあったのかもしれないが、最近は全然ねーな。特に数学はないですね。私が読んでないだけかもしれませんが、法律でもコンメンタールとかにも、
少なくとも、当該証明とか解釈、立法が、どれくらいに華麗であるか、などを解説するような本自体をみたことがないしね。裁判官の高野伸とか、佐藤もぐらが、それを知ってると自慢になるというので
すがなるわけねだーろというかね、そもそも俺が知っているだけで、本はねーわけだから。少なくとも俺から言わせたら、数学のいくつかの証明の種類は凄まじく最終必殺技という感じで興味があるが
自慢にはならねーな。
パブリックコメントは今まさに立法化されようとしている法案に一般人が口出しできる場だ
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/Public
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000257983
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000256683
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000255495
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2200899
に関して
食品販売施設に必須だったので形だけつけてある。カウンター下手洗い場で手洗いするのは困難。
各都道府県の条例により設置義務が決まるが、平成19年通達により設置義務緩和のガイドラインが定められたので、以後開業のコンビニなどでは無い場合がある。
コンビニの客用手洗い場設置義務は緩和されたが、店内に客席がある場合は設置の義務がある。
逆に言うとカウンター下に客用手洗い場があるコンビニでは無工事でイートイン席を作る事が出来た。
コンビニカウンターの向こう、壁側にもカウンターがあり、肉まんホットケース、タバコ棚が並んでいるが、一部は天板取り外しが出来てその下には二槽式シンクがある。食品を売る店舗では複槽シンクが必須だったため(自治体による)。
先述のガイドライン策定により、洗うのが器具だけで食品を洗う必要がない場合は複槽である必要なしと規制緩和。
二人乗りをあまり考慮していないレーサーレプリカやスーパースポーツタイプのバイクの後ろシートの前の部分には目を凝らさないと判らないようなバンドが存在する。
例:NSR250R https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Honda_NSR250R_in_the_Honda_Collection_Hall..JPG
これはデザイン上の飾りではなく、後部乗員用が手で掴まる「シートベルト」で、道路運送車両の保安基準(道路運送車両法の政令)で定められた乗車装置である。撤去すると車両法違反となり車検がある車種では車検が通らない。
切符の発行、購入は目的地に輸送するという旅客運送事業の契約成立であるので、不通が生じた場合には振替輸送が供される。契約不履行としての代替手段である。
Suicaなどではこの契約が成立していないので振替輸送を受益する事が出来ない。
しかしそのSuicaで切符を買ってしまうと旅客運送契約が成立するので振替切符を交付してもらえる。
運輸業には旅客と貨物の免許がありそれぞれ別物である。故に旅客免許しか受けていない鉄道会社、バス会社は貨物輸送を受ける事が出来ない。フェリー航送は車の持ち主の乗船が必須。
だが客の手荷物を別料金、別列車で輸送するという建前で単独輸送する託送手荷物制度が存在する。
また、託送荷物には速達性が求められる新聞も加わり、その流れで映画館で放映するニュースフィルムも託送された。
ところでセルロイドは爆薬(硝化綿、無煙火薬)から作られるものであり、易燃性で暑い時に勝手に発火することもある。この為に担ぎ屋が持ち込んだタバコパイプ等が発火して火災になる車両事故などが多発して持込が禁止されていた。
だが昔の映写フィルムはこのセルロイド製であったので、夏にバス運転席前に置かれた託送手荷物の映写フィルムが突然激しく発火、バスの出口が前一か所だけなので満員の乗客が逃げられずに多数が焼死という事故が何件も起きている。
国鉄が廃止したのを皮切りに今は手荷物輸送は殆ど行われていないが、夕方などに客室の一部をロープで締め切って新聞を託送する電車はいまだ存在する。
売春は禁止されているが、ソープランドでの性行為は「自由恋愛が発生したので」黙認されている。
男性の売春であるウリ専は認められている。売春は異性間性交であるとの暗黙の了承による。
明治文明開化以降、大量の外来語が入ってきた為に、小文字カナの使用が始まる(捨てガナという)。
明治政府は、政府の公文書や法令での捨てガナの使用を禁止。これに新聞社や大企業なども倣ったため、お堅い業種や監督官庁がある分野では外来語表記に捨てガナが無い表記を工夫するようになった。
機械や自動車工学では整備士など国家試験があるので「ディー」と書けず、「ヂー」を使うようになった。
この捨てガナ規制は昭和63年に解除された(昭和63年7月20日 内閣法制局総発第125号 『法令における拗よう音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記について』)。
よく「キューピー社の正式名称は『キユーピーだ』というトリビアが開陳されることが多いが、以上の経緯からナンセンスなインチキトリビアである。「キューピー」や「QP」で登記できなかったからであって、古い外来語名企業は全て捨てガナ表記されていない。(ローマ字やアラビア数字で登記出来るようになったのは2002年11月1日:商業登記規則改正)
裁判では判決は言い渡しし、口頭弁論などは陳述する事になっている。
その為に準備書面を予め提出し、廷内で「書面の通り陳述します」と言うと書面の中身を法廷で話した事になる。
一般的なインターネットとはWWWの事で、ハイパーテキストによる出版であるから出版が準用されて、ネットを通じた選挙活動というのは禁止されていた。が、ガバガバな状態であった。
だが公職選挙で出版が制限されるのは出版や印刷には金がかかり資金の差が獲得票数の差になる事を避けるための規制であるから大して金が掛からないWWWでの運動を規制するのは立法趣旨に反する。
という事でWWWでの文書図画の公表、頒布は限ってはOKという事にした。
但し電子メールアドレス表示必須である(守られてない)。電子メールでの活動は候補者以外は禁止のままだ。
数々の車両火災によりバスの後部、出口と反対側には脱出用のドアの設置が義務付けられている。
だが外国製バスには無いものが多い。普通は改造しないと型式取得が認められないが、連接車など特別な用途のモノの場合、ガラスカチ割り用のハンマーを後部席に設置してあるから特例的にKという形になっている。
計量法は日本の旧尺貫法での表記がされた計量器具の製造販売を禁じている。
だが建築内装などでは旧尺貫法に準じた長さが未だ標準となっている。
そこで、差金の裏に尺に準じた目盛りをメートル表記したものが売られている(尺相当目盛り付き長さ計)。国会で審議されてこれは合法というお墨付きが出た。
海外で製造された三輪トラックなどを日本に輸入する場合、普通自動車としての型式は取れないので、ドアを撤去してサイドカーとして登録する。ドアを撤去するのは、サイドカーの条件として「ドアが無いこと」となっているから。
冬は寒いが幌は禁じられていないのでビニルレザーでドア型幌を作って付けても大丈夫かと思われる。
なお、50ccの場合はミニカーで登録できるのでピアッジオ・アペ等はドア付きでOkである。
A重油は殆ど軽油で軽油9割、重油1割から成る。軽油には32円/Lの軽油税が掛かるが、道路を走行する車両に搭載されないエンジンで使用する場合その税金は払う必要が無い。その為の油種。トラックが使用したら直ぐに判るように蛍光剤が混ぜられている。
エタノールには酒税が掛かるがイソプロピルアルコールを少量混ぜて不可飲処置させてあるので酒税が掛からずに安い。
酒に塩や酢を混ぜて不可飲処置されているので酒税を回避。つまり不味い。
以上、三つだけ選んでお届けした。
民事訴訟法は民事訴訟の手続きに関して関係者に必要な規則を定める法律なので、立法者である国会の政治家、我が国では、結局、法務省民事官室の官僚がアイデアを出して
制定するわけだが
法律は殊更に多くの者が実生活上に使用するものなのでその実体についてほとんど教える者がいない。
結局、民事訴訟法は、実際の民事訴訟に関して、迅速かつ遅滞なく事件を整理しなければならずしかも、その目的は複雑高度化した社会を整理するものなので、
極めて実務的で実務的な事務処理能力がないとやっていられない分野である。
数学の場合は、当該分野からある偉大な定理を1つ予測し、それに対する華麗な証明を数学者が与えるのであるけれども、
むろん、財務省の場合は、様々な職員がいるが、その中で単に事務処理能力が高いだけの職員、もしくは、法令自体をエレガントに構成する、ないし、法令上の問題について発見する
知能指数の高い職員も想定されるかも知れないが、それがどのようになってるかは定かではない。