はてなキーワード: わたしとは
2話以降も書けたら書きたい。
というものだと思われる。
これには幾つか理由がある。
まず、いづみは玲央の店の原価率を調べるシーンが出てくる。
これはおそらく飲食店を経営した経験がある人にしか出来ない発想だろう。
朝子は端島で「銀座食堂」の看板娘をしていたため、おそらく飲食店経営のノウハウが多かれ少なかれあるのだろうと思われる。
次に、朝子は鉄平に片思いしていたが、おそらく最後まで鉄平とは結ばれる事は無かっただろうと予測している。
鉄平はリナの事をこの先想って行くシーンが描かれるのではないかと予想している。
どこか割と金持ちの相手と見合い結婚でもさせられるのでは無いかと考えている。
もしくは、鉄平とリナが結婚したことによって鉄平を忘れるため、
何れにせよ本作にまだ登場していない、それほど重要ではない男性人物と結婚するのではと思われる。
完全なる妄想になってしまうが、その金持ちの旦那に心から愛情を抱けなかった朝子は、
子供達を育てながら何かしらの事業、おそらく飲食関連の事業を立ち上げるのではないかと読んでいる。
その事業が成功し、現在の地位があり、おそらく旦那とは死別したか何かで現在は独り身、という状況ではないのだろうか。
そして、その飲食事業の関連かなにかで、玲央の働くホストクラブを突き止め、
鉄平にそっくりの玲央に声をかけた・・・のでは無いかと思われる。
いづみは玲央を長崎に連れて行き、ちゃんぽんを食べるのだが、ここにヒントが1つ隠されている。
おそらく朝子は飲食事業の出発点として長崎本土に銀座食堂を出店し、今は別の人物が経営しているのではなかろうか。
「うまい、うまい」とちゃんぽんを食べる玲央の横でいづみは「普通よ、普通」と言っていたのでは無いか。
もし、朝子=いづみでなければ、いづみも玲央と一緒に「美味しいわね〜」などという感想を語るはずである。
おそらく鉄平とリナの孫にあたる人物が玲央ではないか、と予想している。
ただし、リナと結婚し子を授かった鉄平は炭鉱の事故で死んでしまうのでは無いかと予想している。
独り残されたリナは幼子を抱え、端島を出たのでは無いかと思われる。
そう、冒頭の海で赤子を抱いたリナが夜小舟で独り島を出るシーンだ。
リナの子供はその後家庭を築き、そこで生まれたのが玲央、つまり鉄平の孫だ。
鉄平の血を引く玲央に端島の歴史を伝えたい、もしくは何かしらの理由でいづみ自身の財産を鉄平の孫に渡すため、
いづみは玲央に「結婚」を持ちかけたのではなかろうか。
さて、最後に大きな疑問が残る。
2話の予告最後の嵐のシーンで、暗くてはっきりとは確認できなかったが、
進平とリナと思わしき人物が見つめ合うシーンが映っている。
配役的にも、斎藤工という大御所を単なる主人公の兄という脇役だけに留めておく訳がない。
いづみが語り出した「あれは何角関係だったかしら・・・」という「X角関係」の中におそらく進平が絡んでくると思われる。
だとしたら、リナが結ばれた相手は鉄平なのか進平なのか、謎である。
以上、稚拙な考察ではあるがどこかに書き残して置きたいと思い書いてみた。
そして、個人的に端島へただならぬ思いを抱えている筆者としてはおそらく一生涯忘れられないドラマとなるだろう。
「まぁ、皆さん、少し考えてごらんなさいな!頭の良し悪しが会話の基本になるなんて、あたくし、聞いたこともありませんわ!」
「その通り、アリス嬢。会話というものはね、紅茶の砂糖の粒と一緒で、頭数の多さと関係があるのだよ。わがはいの帽子に砂糖が何個入るか試してみなさい、無限にね。だが決して満杯にはならないのだ。」
「無限というなら、もしかして、砂糖も帽子もAIが数え切れるほど賢くなるのかね?」
「およよ、だが皆様!AIに任せてしまうと、女王に怒られまするよ。『AIに首をちょん切られよ』などという命令が、あってたまるか!」
「そうさ、そうさ、AIがやったほうが良いことと、そうじゃないことがあるにゃ。でも、君たち、頭の良さなんて関係ないのにゃ。大事なのは、どれだけ迷わせられるか、だにゃ。」
「首をはねよ!AIに知恵を貸す者の首を!あたしの意見がAIよりも一番大事に決まっておるわ!」
「皆さん、落ち着いて!専門的な議論に踏み込もうとするときに重要なのは、まずその議論が何の役に立つか考えることですわ。」
「役に立つ?だとすると、毎日毎日、お茶を飲むことが最大の議論ではないか!それがわたしの答えだ!」
「つまり、わがはいが紅茶を淹れ続ける限り、それが一番の役割というわけでござるね。ふむふむ、AIが何も口を出さずとも、わがはいの茶は完璧に美味しく仕上がるのだ!」
「およよ、ですが女王様が!女王様が満足するAIの茶など、おそらく存在しませんでおじゃる!」
「そうにゃ、結局のところ、頭が良くても悪くても、迷いこそがこの国の醍醐味にゃんだから。議論なんて、なくてもいいのさにゃ。」
「じゃあ首をはねよ!アリス、お前も首をはねられたくなければAIの議論なんて言わぬことだな!」
「分かりましたわ、女王様。では、AIの議論など、もう少し控えめに……それより、紅茶のおかわりをいただけますか?」
「おや、次は15杯目だぞ、これは、砂糖を一つ増やすべきではないか?」
「にゃんでもいいさ、どうせ君たち全員、いつか首をはねられるんだからにゃ。」
最近、二十歳をこえて親に部屋が汚すぎると怒られた。
正確には、臭くて汚くて耐えられないと言われた。
私は自分の部屋が臭いとも汚いとも思ったことはなかった。床一面何層にも荷物が重なっていて散らかっているとは思っていたけれど、衛生的に汚いと思ったことはなかった。空気がこもっていると思うことはあったけれど、換気不足だろうと窓を開ければたいして気にならなかった。
私はごく普通に自分の部屋で寝ていた。親に聞くとベッドにもゴキブリがたかっていたらしい。それでも私はそれにも気が付かず、汚いと思ったことがなかった。
しかし、私も多少は普通の感性を持っているのでゴキブリがベッドに湧いていたと言われると嫌な気持ちになる。躁鬱だか統合失調だか病院を転々としすぎてよくわからないが、なんか病気なので元気がないときがほとんどなものの、突然やる気が湧いてきたので掃除をしてみた。
親の言うとおり、カバンの中にはウジ虫が湧いていたし、部屋の中を裸足で歩いたら足の裏が真っ黒になった。窓のサッシになぜかたくさん土が溜まっていて、何かの糞っぽいものもあった。なんで土が入るのかわからないしこれは私が汚したわけでもないしと放置しているけど、多分すごい汚いっぽかった。
とりあえず部屋中に散らばった鼻炎鼻水ティッシュを捨てて、いらないものを捨ててみた。ゴミ袋四袋分くらい捨てたら床が見えた。
床にまだ荷物は散らばっているものの、ゴミすぎるゴミは片付けてところどころ掃除機をかけられるようになったので少し満足。そのあたりでようやく埃がすごいことに気がつき、申し訳程度に掃除機で掃除。
カバンの中の虫やら虫の死骸やらをとりあえず掃除機で吸う。そのまま洗濯機にかけるとまずいらしいので、なんとなくオキシ漬けしてみる。
そこで、部屋の片付けからまずやればいいものの他のカバンが気になってくる。なんだか他のカバンも全部掃除したくなって普段使っているカバンの掃除をはじめる。
普段使っているカバンは持って行きやすいように玄関の近くの棚に置いているのだけれど、いちいち荷物を出してカバンを綺麗にすることができず毎回新しいトートバッグを出してきて使うため、7個くらい荷物の入った鞄があった。
中身がゴミだらけで怖い。でもゴミじゃないような気もする。使いかけの電池とか、ピンとか、そういうもの。これがゴミなのか分からないしどこにしまえばいいかわからない。しかし、半年くらい放置しているのみかけのジュースや水が全部で13本くらい出てきたのでまずそれを片付ける。
ちなみに、これらのペットボトルは他の場所に出かけに行く時もカバンに入れっぱなしだった。すでに飲み終わっているペットボトルを持ち歩いて出かけていたわけだ。キモすぎる。
ペットボトルを捨てて、最後、ゴミ以外の物を片付ける。片付けないと。そう思った途端急に具合が悪くなって希死念慮が爆発しだす。猛烈に悲しい。
思えば昔からそうだった。今日も「それだけ掃除するとすっきりするでしょう、よかったね」と言われたけれど、毎回そうやって言われてきたけれど、私はそもそも掃除ですっきりしたことがない。
掃除をすると苦しくて悲しくて動けなくなる。だから掃除は嫌いだ。片付けも。
掃除を始める前はそれで大丈夫なのに、私の世界なのに、掃除を始めると全てが汚いものになってしまう。私の部屋だったのに、ただの汚い空間になってしまう。かなしい。
それに、掃除をしていると過去と向き合うことになる。ものを見ては昔のことを思い出して悲しくなる。嫌な思い出が付随しているものほど部屋の隅に投げておいてしまうから、掃除すると堆積した悲しい思い出がたくさん出てくる。そこでまた動けなくなる。
ようやくまあまあ片付け終わっても、そこはもう私の部屋ではなく、汚かった部屋であり、汚い部屋なのだ。掃除をすると、部屋が汚く感じる。散らかっていた時は虫やほこりなんて気がつきもしなかったのに、掃除する中でそれらに気がつき、掃除が終わった頃には汚くて汚くてそこにいたくなくなってしまう。
多分、掃除している途中に疲れ果てて嫌になるのはきっとみんな同じなんだろうけど、胸に鋭く突き刺さるような痛みと希死念慮はなんなんだろう。掃除をした後に部屋が嫌いになるのはなんなんだろう。
ずっとわからないし、苦しい。ストレスがかかって希死念慮が湧き出てくるのかな。完璧主義だから、掃除を途中までするとどこもかしこも汚く感じて全部綺麗にしなきゃ汚いと思って苦しいのかな。わからないけれど、本当に掃除が苦手だ。こんなに苦しくて悲しくて怖いことをやらなきゃいけないのだろうかと思ってしまう、だって掃除をする前の部屋は私にとっては臭くないし汚くなかったから。
わかっている。人から見て汚くて臭かったら迷惑だから、掃除しなきゃいけない。人から見て汚くて臭いのは、いけないことだ。
くるしい、すごくくるしい。私には何がゴミかも何が汚いかもわからない。まだカバンの中身が散らばっているし、部屋だって埃だらけだ。ベッドのマットレスを外したらきっとカビだらけで、ベッドの下に虫がいるんだろうな。やらなきゃいけないことがたくさんある。
私だってできないことしかないわけじゃない、なのに、わからないことが多すぎて、全部できない人みたいになる。わからない。お皿はどんなに洗ってもまだヌルヌルする気がして、どこまで洗えばいいのかわからなくて、洗うのがやめられなくなってしまうから洗えない。できないことが多すぎる。「これを片付けておいて」と言われても、いつまでに片付ければいいのかわからないとわからなくて動けなくなる。
私には掃除をしてすっきりする気持ちがわからない。終わったという達成感を得ることすらできない。元気な時にやっても苦しくて胸が痛くてダメになる。掃除のできない友達は何人もいるけれど、みんなこうなのかな、もっとちゃんとして見える。みんな突然泣き出して動けなくなったりするのかな、掃除機でウジ虫を吸ったりするのかな。
頑張れば普通にできると思って頑張ってきた。必死に勉強してなんとか名のある大学に入った。勉強だけはできたのが救いだった。けれどやっぱり私の部屋は汚い、私に見えている世界はどうやら全くもって世間にとっての世界とは別物らしい。私はいつもみんなと同じものを前にして別物を見てしまっている。間違ったものを見ているのだ。
どんなに勉強を頑張ってもダイエットして化粧を覚えて髪の毛を綺麗にして荷物だって小さな小さな鞄にはいるように頑張って減らして、会話だってついていけるように必死に合わせても、いつも私は間違っているのだ。
わたしはこれからもずっと、掃除ですっきりできない人のまま、みんなと一緒に同じことで同じ喜びを得られない人のままなのだろうか。致命的な欠落をどうにもできずにやっていくことになるのだろうか。
(追記)
夫が今さらリュウジにはまって、レシピ本買って急に料理を始めたんだけど、正直やめてほしい
まず生まれてこの方、ほとんど料理してこなかった人間には「献立」という概念がない
100%の力でワンパンパスタだの至高のから揚げだの、1品だけ作ってドヤ顔してる
それから、リュウジのレシピって味が濃すぎて全然家庭向けじゃないと思う
男が一人で酒飲みながら食べるにはいいのかもしれないけど、味の素を使う、使わないに関係なく、とにかく全部味が濃い
「週末は自分が夕食を作る」と言い出したときには嬉しかったけど、
味の濃い1品しか作らないから、結局わたしが追加でサラダ出したりしてて意味ない
会社とか友達間で旧姓使うのは好きにしたらいいと思うよ。それって法的なこととは関係ないし、他人…というか子供に迷惑かけないじゃない?
子供いるなら話は別。姓が揃ってた方が子供も過ごしやすいと思う。
ついでに言うなら子供がのちのち「あっちの姓が良かったなあ…」って思ったとき、恨まれるのは制度じゃなくて親になるんだよ。
自由と選択はそれだけの責任があるわけで、わたしは子供にそんな面倒なこと押し付けたくないなって思う。親を恨むってしんどいしね。
子ども産まないなら全然いいと思う。ただ人生何が起きるか分からないわけで、そんなつもりないのに子供ができちゃった!とか全然起こりうるでしょ。
ちなみにわたしの周りの友人はみんなLINEとかも苗字変えて登録してるし子ども産んでるし、みんなとてもちゃんとした人だよ…
「あら、皆さん!こんな興味深い話を聞いたわ。ある人が『選択式夫婦別姓が個人の自由なら、選択式安楽死も同じく個人の自由じゃないか』なんて言っていたの。」
「およよ!そ、それはまた難しそうな…でおじゃる!あぁ、女王さまがこの話を耳にしたら、『首をはねよ!』と言い出しそうでおじゃるが…」
「選択、自由、決断、あぁ、この国じゃあどれもあっちこっちで絡み合うにゃ。例えば、選べるのは帽子かお茶かだけで、いつも首を切られるのが“唯一”の自由かもしれないにゃ。どっちも、なんだか妙に似ている気がするにゃ〜。」
「うむ!決断とは大切なものだ、だがね、わが輩の帽子を選ぶ時は、ふつう右向きに選び直すことにしている。夫婦別姓だろうが、別れのカップだろうが、お茶の選択は自由に越したことはない!」
「わたしもそう思うさ!だって、どうせならお茶も別姓も別々でいいさ!けど、安楽死のお茶なんてものは聞いたことがないけどねえ!」
「……自由は良いけど……夢の中なら選択も安楽死も……自由なのよね……ふわぁ……」
「自由というのも、たしかに難しいわね。全員が好き勝手に自由を選べるのか、それとも何かに制限されるべきなのか、どうなんでしょう?」
「そんな話にくだらない自由なんぞは必要ないのだよ!お前たち、女王に従うことが唯一の選択肢だ!『首をはねよ!』がある限り、自由なんて無用で、選択も安楽死もあるもんか!」
「おやおや、女王さま。選択の自由がない世界で自由に安らぐのは難しいにゃ。でも、ここでは自由とは“首をはねられないこと”なのかもしれないにゃ。」
「うーん、自由と選択の問題って、まるでクローケーのフラミンゴみたいに曲がりくねっているのね。進むべき方向がわかるような、わからないような…」
「まあ、自由とはあれさ、決断の果ての自由なんだよ。それで毎日お茶を飲む自由をもらえるなら、安楽死茶会でも開こうではないか、というわけだ!」
「な、なんとも気が遠くなりそうな結論でおじゃるが……お茶の選択肢だけは自由にしてほしいものでおじゃる…!」
かごが白い柔らかいつばさをひろげて波の上を飛んでいつてから幾日たつたであらう。いつ迄も黙して続いてゆくと思はれた冬の逝かうとする日、珍らしくその鳥の飲む水を見た。何処か冬のさみしさはひそんでゐたけれど沖から渡つて来る鳥らは、繊細なつばさに春を持つて来たのである。冬にわかれて、移りゆく私の心は美しい動揺のうちに冬と親んでゐた。沈黙のうちに何をかさゝやいた冬であつた。荒れ狂ふ波のひまにも何か私を育んでくれるやうになつかしさを持つた冬であつた。
冬にわかれて春に帰つてゆかう。
さう思ふとき、終りの冬はぢつと私の心を抱いて呉れた。さうして、その夜、浪にくれゆく海にむかつて、波に漂ふ白いつばさにむかつて長いあひだ冬を思つた。住みわびた冬だつたけれど。
その夜から長い雨がつゞいた。宵から夜へ、夜から黎明へと降りつゞく雨に私は清い寂しさに取り巻かれて入江の波の静けさを見つめてゐた。細いあめの糸はひとすぢひとすぢにあをい浪の上に吸はれて行つた。只ひとり此の雨の中をかさをさして、みぎわを行つたら、どんなに淋しいことであらうか。なかにも、かごのぬれたつばさは白く渡つて行つた。何処ともない淋しさに疲れてからだを臥床に横たへるとき、夜のなみのひゞきは雨のひまにもかすかに伝わつてきた。そのひびきのひまに私の眠りは安らかな夜へとひろげられていつたのである。寂しい思ひのうちに来たねむりののちに、私が目覚めた時、長い雨からのがれた美くしい朝がよみがへつてゐた。
「明日も斯うしてさびしう雨に降り込められて一日を送ることであらう」
さう思つた宵のこゝろは朝の美しいそらに限りないようにふるへた。その朝私は久々ぶりに柔かい砂の肌ざはりを味はつた。広い浜には若い漁夫がすこやかに肌を見せて、網の目から魚をはづしてゐた。銀色に光る新らしい魚はひとつひとつ砂の上へと落されていつた。目をあけて沖を眺めたとき、青谷の岬が濃い水色に海を隈取つてとほくかげを引いてゐた。雪に閉されてたゞ寂しさをのみ語つてゐたみさきが何といふうつくしさに目覚めたことであらう。その朝は、しづかな浪の上をかん槽をこいでいく人が多かつたけれど私はつばさの美しいかごを一羽も見なかつた。冬の終りの極みじかいあひだ此の海にあらはれて、波が春のあたゝかさを湛へるころには、又何処へか移つてしまふ鳥と聞いたけれど、わたしはその見得ぬかなしみに閉ぢられて、渚に立つてゐた。
冬と共に移つた鳥。その群は今、何処の海を渡つて行くのであらう。冬にわかれるかなしみをのみ渡して再び翼をみせないのか。
冬にわかれて――私の春に住まなければならない。淋しい冬の追憶に私はいつまでも砂を歩んで、春はもう私の周囲すべてにみちてゐた。
https://note.com/p_and_w_books/n/neee921ea91a9
https://note.com/p_and_w_books/n/nf373db52eab9
・そうですか、といったところ。
■鯨井氏のジャッジ
・まえがきでは個人的な狂気を重要視するというようなことを言っている。要するに、ユニークでぶっ飛んだものを読みたいということ。そういう欲求をカッコつきとはいえ「狂気」という言葉に託したのはよくなかったとおもう。「おまえら創作者はみんな創作に情熱を燃やしてそれに狂ってるはずだろ!なあ!」というのはいかにも一昔前のフィクションに出てくる「天才」像で、古臭くて偏狭ではないか。
・それでいて、最後に他者への回路としての「コミュニケーション希求力」を評価基準に置くのがよくわからない。いや、わかりはする。閉じているように見えつつもその暗闇のなかで他者を求めもがくのが人間の普遍的なあり方であり、そうした情熱を持っているように見える作品に惹かれてしまう。その気持ちはわかるが、この文章内にかぎればあんまり文脈的につながってないのでは、と感じる。
・「コミュニケーション」を謳うのなら作者の側から歩み寄りばかりでなく、評者からの歩み寄りもすべきだった。というか、それが評論行為であるように思う。最終的に「これは自分の感情です」というような文言で閉じたのはよくなかったというか、開かれた場のコンテストでは落とされてもしょうがない。
・固有名詞問題。固有名詞の持つ読者との「共犯性」を指摘し、作品内で用いられている下北沢」「フィッシュマンズ」「クリムト展」といったワードの「共犯性」が東京中心主義につながっているのではないか、といったようなことを言っている。
・固有名詞の「共犯性」についてはそのとおりだが、基本的にはその固有名詞を使うことでどういった層と共犯関係になれるかという戦略の問題でしかないとおもう。それが気に食わなさにつながるんならそうですね、あなたは不快なんですね、としか言いようがない。
・「「下北沢」「フィッシュマンズ」「クリムト展」を使って真にその意図が伝わるのは、それを知る都会の人びと、「カルチャー」の民のみである。」→これはそうは思わない。下北沢はぼざろなどを例に出すまでもなく東京以外のひとびとにもある一定のイメージを形成しているし、フィッシュマンズやクリムトに至っては別に東京固有でもなんでもない。
たしかに並べられると東京中心的な貴族性⋯⋯というかヴィレヴァン的なサブカルクソ野郎っぽさが鼻につくところはある。
しかし、それが「カルチャー」を愛する人びと特有の一段上から世を眺める視点、優越性」に直結するかは微妙なところで、それこそ共犯者に選ばれなかった疎外感といえばそれまで。そして、そこから地方差別へとつなげるのはちょっと無理筋だと思う。
・関西弁を含めたトータルのパッケージに差別性を覚えたという感じだとおもう。作者の意図しないチャンネル(固有名詞)でヘイトが溜まっていったところで関西弁の歌が出てきて「怒り」が爆発したというところか。
・全体的には論点の設定の仕方があまり開かれていない。差別性を感じるというのであればもう少し広くわかりすい議論を行うか、あるいは関西人であるという当事者性を突き詰めるべきだったと思う。現状の文章としては後者よりなのだが、あまりに「関西人である自分」が自明のものとして最初から展開されているので、読者には「で、関西人であるあなたがなぜそこまで怒ってるんですか?」がわかりにくい。
・いろんなところで中途半端な評だと思う。
・「『見下し』ではなく関西弁の語りのある種の味わい(「特権性」という雑な表現をしてなぜか自分を「関西」に対して下位に置こうとしていたが)に対する憧憬なので『見下し』じゃないんだよ」という言い分はそうなのだろうが、それをただしくオリエンタリズムと呼ぶのだよな。
・中盤の「ここまで説明をしたうえで、「本気で思っていたらこんな書き方はできないだろう」と思われるでしょうか。」に至るまでの説得のロジックがよくわかんない。
冒頭で「なるべく感情的にならないように書く」と宣言しているのに「ここまで説明〜」までは、基本的に「自分はこうおもってこう書きました(あんたや読者の気持ちなど知らん)」と自分の感情や行為しか書いてない。
本当は全部関西弁にしたかったけど、自分の技術じゃ無理→すげえわかる。
(なんか「一首だけにしといてやった」が非関西人としての譲歩だった、とも読める。マジでこれは意味がわからない。)
・「関西の人の反応を探るために歌会に出した」パート。実際に当事者から方言に関して否定的な反応が返ってきた、と自分で言ってる。
それを「連作という文脈で解消できるのではないか」と考えたらしい。なんで読者がああいう作品の連続性を確認しにくい場で連作であることを前提に読まなきゃいけないのか意味がわからない(鯨井さんはジャッジだからそこらへんい対してはある程度の義務はあるとは思う)というのはまあ置いといこう。
で、「連作という文脈」がなんなのかというと、「作品の主体(視点人物)が東北人の上京者」であること。
「主体も東京出身の人間ではないということを明示することで「標準語/方言」の権力構造をとっぱらえないかと画策しました」
というのがほんとうにわからない。視点人物が東北出身だと関西弁に対するオリエンタリズムが解消されるの? 標準語と方言の権力関係が無効化されるの?? なんで???
むしろ、この作品の場合は主体が標準語の権力性に乗っかって(実際、歌の大半が標準語で書かれている)、方言を搾取してますって構造に見えませんか???
さらに問題なのは「今回の文化盗用かどうか、わたしには判別できませんでした。」とか言っているところで、いやわかってないって自覚あるなら「連作で解消できてるとおもう!」とか言うなよ。
「関西弁をマイノリティといってしまっていいのか〜」のあたりはなにがいいたいのか不明瞭だけど、つまり「東北弁は関西弁に比べてよりマイノリティ性が高いから、俺には関西弁をいじる権利がある」って言いたいの? なにそれ?
・そのあとの文章はぐだぐだしてるけれど要約すれば「憧れだから差別じゃないんです」というようなこと。サイードを読め。平凡社ライブラリにある。
・「そこに「無意識的な共犯性」「優越性」があると断罪できる根拠がどこにあるのかよくわからない」はクリティカルな反駁だとおもう。そこらへんは前述のとおり。このへんの反論内容もいちいち書き出さないがリーズナブルだと思う。
「夫婦別姓があるとお互い自由に選べて、どちらも納得できるのじゃなくて?」
「およよ、それはそうでおじゃるが、時間がな! どちらにせよ選択に伴う手続きが、およよ…想像しただけで日取りが狂ってしまうでおじゃる!」
「ふむふむ、君たちどちらかがネコの姓にすれば問題は解決だにゃ。ほら、ネコには姓も時間もいらないにゃ。呼べば来るけど来ないにゃ。」
「ちょん切りなさい!時間の問題などはあたしが解決してあげる!やはり同姓でよろしい、選ぶなど無駄の極み!」
「わがはいは茶会だけに時間を合わせておればよいが、姓にまで合わせるなど何と不便な…まて、わがはいなら『茶会帽』という姓にするぞ!」
「でもね、選べたら皆が自分のアイデンティティを保てて、無理に名前を変えなくても…そう思わない?」
「アイデンティティとはいったい何だにゃ?わたしなんぞはいつだってどこだって消える、あるときには足があってまた別のときには尾がない。姓があろうがなかろうが、ネコはネコでにゃ。」
「だからそんなたわごとを言うからすぐに混乱するのだよ!姓を選べるのならまず『お辞儀をしなさい』姓をつけて、権威を見せつけるのが先決!」
「おお!ならば『永久茶会』姓がよろしい!こうしてわがはいも世の中の姓をまたぐぞ!」
「待つでおじゃる…姓が永久というのは終わりがなくなるでおじゃる!時間の破綻で女王さまの怒りを買ってしまう…!」
「でも、どちらかの姓を取るのがいやなら、二つの姓をそのまま使えば?子供はどうするか、ですって?そうね、どっちかを一つ選べばいいじゃない。」
「二つだろうが三つだろうが関係ないにゃ!名前が二つあっても迷わないさ、どうせ誰も君を忘れないにゃ。むしろ誰も覚えていないのが一番楽しい。」
「首をはねなさい!選ばせるなど無意味である!皆が同じ名前を持てば済むことだよ!『あたしの命令を守れ』が姓でよいのだ!」
「では、わがはいは『あたしの命令を守れ』茶会と名乗ろうぞ!実に優雅でございますな、これでどんな帽子も迷わぬであろう!」
「およよ、終わりがない、時間がない、姓もない!もうどうすれば良いか、頭がぐるぐるでおじゃる!」
「…あたくし、こんな話になるくらいなら姓なんて名乗らない方がずっとましですわ。」
トランス女性が「戸籍は男のままだけど、トイレや風呂は女として扱って」と盛んに主張し男性戸籍の維持をするカラクリの一つがこれ
@melon_twist
想定通りだけどかなり厳しいね
無理に押し通したら路頭に迷うことになりそうなので諦めるよ
えふてむさんは女性であるってことで受ける社会的不利益に違和感が強いって印象
わたしだってそうだ。女性戸籍にしたら年収150下げるって社長に言われてる
元々ひとり社内SEなのでほとんど表に出る仕事でもないですし、やることは変わらないはずです
扱いにするみたいなこと言われてまして...
営業さんは稼いでくるけどその他要員は利益を産まないみたいな考えもあって...
うちの事務チームのお給料、めちゃめちゃ安いって噂で聞いたことあるので恐ろしいのです
SRS、改名と来まして残すは戸変を残すのみの状態です。声オペの有給申請をした際この先移行進めるなら女性として雇用契約を結びなおすって、その際今の役職は全て解いて総合職の見込み残業代はカットになって内勤扱いにするって言われて、4万と8万の減額になります。なお声オペはキャンセルしました
会社としての看板とか職位だとか、周りの社員への示しだとか、いろんなことがあるから放置はできんって、うちは小さな会社なので社長からストレートに言われてますよ
降格や配置転換もチラつかせてくる
今回の社員旅行で社長にやっぱり髪伸ばしてるの完全にバレたみたい
私のいないところでそういう話があったみたい、同僚が守ってくれたみたいだけどそこでも給与体系について話出たみたい
明日が怖い
いくり💎宝石娘P
@info_amagoi
いま、物凄く悩んでいます
わたしの力では娘をその実力に見合った場に立たせてやることが出来ない
売れない時代は糟糠の妻に支えてもらい、売れたらその妻を捨てて、自分よりネームバリューのあるトロフィーワイフを迎えるというのが悲しいかな芸能界あるあるだったりもするのですが
才能ある人や作品を見つけて協力しても、その作品が世に出る頃には一切関わる事が出来ないの、何かそれに似た感じになってしまっているなあと。
ネットを初期からやっていることもですが昔からずっといち早く良いものや売れるものを見つける目があって、けれどそれらが世の中で流行り出した頃にその恩恵を受けたのを見た事は一度もなく、まあ本人はそれで良いと思ってるんでしょうけど不憫だなと
なら、わたしの事務所(オフィスあまごい)で何とかサポートしよう!と試みたのですが、また今も同じような事態になってしまっていて😞
力足らずで申し訳ない限りです
売れるものにいち早く目をつけたのに恩恵がないのはおかしい???
株買ったわけではなく、ただの利用者や消費者なら恩恵なくて当たり前じゃ????
「推しの子のモデル」をキャッチコピーにして活動しているのにメディアミックス全てで呼ばれなかったことへの恨みつらみだろうか
Twitterには参入が早く「実力に見合った」以上の評価を得られたと思うが、tiktokやYouTubeはむし遅くてコロナで暇だから誰も彼もがやり出してからようやくはじめていた
先行者利益がない分そっちで伸びなかったのが「実力に見合った」評価だろう
https://suttta.blog.fc2.com/blog-entry-230.html
セルマ「ク・ジ・ン・シーーーー!ウソーッ!七英雄カッコいい!」
クジンシー「正真正銘のロックブーケだよ。ワグナスやノエルの前じゃ、おしとやかに振舞ってるけど、本当は超高飛車な怖い女。」
ロックブーケ「うるさい、クジンシー!あんたなんか格好だけイケメンになっても、中身はダメオのままじゃない。ワグナスさまもノエル兄さまも何でこんなのが付いて来るのを許してるのかしら。」
セルマ「ワグナス!ノエル!ロックブーケ、二人に会わせて。彼らなら、きっと理解してくれるわ」
ロックブーケ「なんか微妙に馬鹿にされてる気もするけど・・・わたしじゃよく分からないのは事実だし、ノエル兄さまとワグナスさまを探しましょう。ワグナスさまに会えるなんて、考えただけでドキドキしてくるわ。」
エンサガだとクジンシーがイケメンの色男になってて、不細工だからというよりff6のエドガーみたいだから嫌われてるんだが…
それがRSにも反映されたようだ
ある日、私の母が義両親の家に行っている隙に、夫が自室でスピッツのチェリーをウクレレで弾き語りしていた。
なんどもやり直していて、多分録音か録画かしているんだろうと思った。
私のことをこんな風に追い詰めておいて、自分は他の女にラブソングを歌ってる余裕があるのか。夫のスピッツのチェリーを贈られる女は、もはや私ではないのか。
そう思うとカッとなって、気づいたらわたしは包丁を出して、夫の自室に向かっていた。
逮捕されていた。
ここいいよな。大サビ
なんでこういう人って氷河期負け組はとっくに切り捨てられる事を受け入れている事を理解できないんだろうなあ
@action_jackson3
わたし45歳氷河期世代だから国民民主、維新、何なられいわもだけど、ああいうのが台頭して実際に老人を切り捨てようとなった頃に切られる「老人」というのは正に自分らの事だろうとわかるよ
大した実績のないwebデザイナーが稼げるっつってオンラインスクール開いてんすよ....
講師の求人出してるんすよ...相手素人だから大したこと聞かれないので大丈夫ですって書かれてんすよ.......いらつく〜〜〜〜初手、ナメ〜〜〜
薄っぺらい量産型のバナー1つもろくに作れないwebデザイナーもどき量産しやがって
特に女性が目につくんで悪態ついちゃうんだけど頑張ってるわたし☆彡理解ある旦那に収入は依存してる☆彡カフェの方が集中できるな☆彡ってSNSに流す人種〜〜〜〜相容れねえ〜〜〜〜
クソみたいな教育体制も就職体制も整ってないオンラインスクールに入るくらいなら、専門学校とか、せめて職業訓練に入ってちゃんと教育受けて欲しいしタダだしキャリコンの面談つくし、薄っぺらいごっこ遊びしてちょっと出来ただけで満足しちゃう使えない人材量産してんじゃね〜〜〜〜〜
大体なんで世の学生さんたちが2年かそれ以上使って勉強して、会社入ってさらに働きながら勉強するところを、良い大人が1ヶ月から半年でマスターして食っていけると思うんだよ......情弱がよ....
も〜〜〜〜ほんとクソ
「暴力をひとつにまとめるってどういう意味かしら。暴力には痛みや強制がつきものでしょうけれど…」
「およよ、痛みと一緒でおじゃるか?それではあのハートの女王の『首をはねよ!』も同じようなものになるでおじゃるか?いやいや、それはあまりに…!」
「ふむ、暴力は暴力にゃ。が、性質がいろいろあるにゃ。普通の暴力は物理的にゃけれど、心や精神を壊す暴力もあるにゃ。殺されることがあるとしても、違うと感じるからにゃ…どう?」
「たしかに、それぞれの暴力には異なる側面があるわ。でも、すべて“力”を使って人を傷つけたり支配したりすることでしょ?」
「待って、わがはいには全く違うように見えますぞ。お茶会の時間が止まるのも暴力の一種かもしれませんぞ?あっちに行きたくても行けないのだからな、なにせずっとお茶なのだから!」
「暴力って…お茶が冷める前に次のティーカップを配らないことも、立派な暴力ですとも!冷めたお茶は最悪だ!」
「およよ、何が言いたいのかさっぱりでおじゃる!これは、やはり時間が関係しているのか?時間を強制されることも暴力にあたるのでおじゃろうか?」
「じゃあ、わたしが消えるのも暴力かにゃ?消えてみせて、残された者たちが困るにゃ。いや、混乱するにゃ。ほら、次は君が消えてみてはどうかにゃ、ウサギ君。」
「みんな落ち着いてちょうだい。性暴力や暴力について考えると、身体的だけでなく、精神的な影響も多いわ。だからこそ、この違いが重要だと思うの。」
「ならば、クローケーで殴られるのも一種の暴力ですかな?女王の命令だが、彼女も含めて皆が暴力を楽しんでいるように見えますぞ!」
「暴力を楽しむなんておかしな話よ。でも、ハートの女王の場合、恐怖で人を操ろうとするところも含めて、彼女の暴力の一部かしらね…。」