はてなキーワード: わたしとは
私の名前は川崎浩二である。 赤ちゃんのときは、マンコで、性狂いで、相当酷かった。もし自分のことをブサイクだと思っていなければ、沸教大にいくこともなかったと思う。
私が大学にいた時代は昭和55年、学歴競争の真っただ中だった。だから、コンプレックスがなかったといえばうそになる。
どのみちわたしは、昔からいたただの貧乏人である。平成6年頃、高千穂小学校に赴任した際に、当時からかなりきつい児童はいたと思う。しかしそういうきつい児童が卒業後にどうなったかは
分からない。 元々日本人はそういう方向にいかないので、かなり女性的で残酷な性遊びをする。 その域を出るようなことはおそらくないのではないかと思う。
自転車のこと何も知らない素人にパーツをいちから組んで、しかも手組みホイールを勧めるショップはなんだかなぁ?という気はする。
結論として本人が満足ならそれでいいんだろうけど、そもそもこの彼は自転車のこと詳しくない人なのでどこまでそれを肯定していいのか分からん。
基本的に自転車は、同じ性能の自転車であれば1からパーツを選んで組み立てるよりパッケージとして売られてる完成車を買ったほうが安い。
この完成車とイチから組み立ての価格差は、まず組み立て工賃の存在がある。
フレームにパーツを組み付ける工賃は2万円から3万が相場。あとホイール手組みとなると前後で1万円になる。
あとは各パーツの値段。
シートポストとかステムとかハンドルとかあんまり性能に関係ないパーツを、完成車メーカーは大量購入でタダ同然で仕入れることができるからというのがある。
あるいはデカい資本力のあるメーカーだと安い自社で作った製品を付けてたりする。
フレームが7万円で組み立て工賃が4万円とすると残り14万円でハンドルから変速機から選ぶことになる。
リムにこだわって、さらにサドルに1万円ハンドルに8000円とかかなり金額掛けてるので、おそらく変速とか駆動系やブレーキの性能が犠牲になっていると思われる。
もしも彼が買った組み立て自転車をメーカー完成車で似たような性能のパーツ構成の完成車を探せばおそらく18万円とかそのくらいで手に入ったはずだと思う。
ハンドルやサドルの値段を考えるともっと安いモデルになったかもしれない。
もちろん「こだわったわたしだけ1台だけの自転車」というのは素晴らしいんだけど、自転車のことをわからない彼が何をこだわったのか謎ではあるのでなんとも言えない部分はある。
自転車に何をもとめるか?というのは人それぞれでしかも乗ってみないとわからないのだ。
レーシーな走りを求める人は高いホイールを買うだろうし、ツーリングを楽しみたいなら改造はそこそこに旅費に資金を充てるだろう。
基本的に自転車は安く買って乗りながら改造するのがベターだと思う。
わたしはとあるスタートアップの取締役だった。ほぼ創業期のメンバーとして入社。取締役とは名ばかりだったけどやれることは何でもやった。
自分のスキルとしてわけわからない環境で事業開発も、実装も、PMも、総務も全部いい感じにできます。全力でやれるみたいなのが強みだしスキルだと思ってる。
創業、間もないスタートアップなんて給料なんてあってないようなもの。それでも毎日土日も会社のために頑張った。
オフィスで泊まるなんてざらだし、出資を断られ続けて本気で潰れるかと思ったときもある。
社員に会社をボロクソ言われた1on1のあとにこっそりトイレで泣いたこともある。
コミットは社長と同じぐらい頑張ってた自信はある。社長の想いに共感して、社長がやりたい世界を作れるように頑張ってたと思う。
10年近く、本当に人生の大事なタイミングを会社に捧げてきたと思う。
1000億の会社になったら10億だ。頑張ろう。お金だけじゃないけど、お金も大事だ頑張ろう。
なのに!なのに!!!!
「クリエイティブ手伝います1年手伝ってSOは1%です。制作費は別に必要です」だってさ!!!!!
その分社員に配れよ!!コンサルも1%価値をなめんなよ!!!!
母子家庭で死ぬほど働いてお母さんを楽にさせるって言って8年働いてる社員が0.01%だぞ!!!
適当な外部にいきなりSO発行するとこっちの数年間はなんだったのよってなるんよ!!
上場前にこういう判断にムカついて、言って揉めて結局なにがしたいのかわからんくなって辞めたわ。
そしたらSOなくなるってなにそれ???わたしの10年間死ぬほど死ぬほど死ぬほど働いたのはなんだったの??????
あのサービスの企画考えて、営業して、お客さんに怒られながらひとりで営業して営業して、
はじめての売上できたら泣いて。怒られてまた泣いて。
売上の最初支えたのは誰だと思ってるの?
お金は正直ほしい。けどお金以上に自分の10年近くの頑張りを否定されてるようですごく悲しい。
上場前にやめたSOもってた創業間もない時期のメンバーたちの想いをどうにかしてほしい。
立ち上げが得意な人だっているんだよ!安い給料で頑張ってた人たちにも尊厳をくれ!!!
とある有名経営者が「SOはリスクをとった対価」って言うけど、
3人目とかで入社して手取り18万とかで働いてたのリスクとってない???
この辺りを最近できたNstockは解決してくれるんじゃないかと思って
死ぬほど期待してる。
クソみたいなSOの現状の制度だと創業者とVC、クソコンサルしか儲からない。
ジャニーズWESTはかれこれ1年半?もっと?くらいずっと売れかけているんですが、売れかけている今がオタクになるにはいちばん楽しいんじゃないかな?と思うし、彼らのパフォーマンスはどこをとっても素晴らしく、7色の魅力があるので必ずどこかしら、なにかしら刺さるところがると思います。今、めちゃくちゃオススメです。最新アルバムが発表されたばかりなので、是非気にかけてみてくれたら嬉しいです。
いろいろ種類あって選び方わからないですよね??
そんな風に彼らを布教してみた口で、台無しかもしれないことを言ってしまいます。
ジャニーズWESTというピッチャーは今、ちょっと、投げることを追求することに、熱くなりすぎちゃっている感じはします。
いうなれば、地に足ついてない、力任せでひとりよがりな球を、1日150球くらい投げてきます。よく肩壊れないなって思います。
わたしは少し、それを捕ることに疲れてしまったかな、という気がしています。
昨年から少しずつ、そういうファンの声が目立ちはじめて、夢中でキャッチングしてる多くのファンの皆さんは嫌な思いをすることもあったりするかと思います。
この日記が万が一そういうファンの方の目に入ってしまったら、そんなこと言うなら見なければ良いのにって思うと思います。
わたしの大好きな漫画に、ピッチングはピッチャーとキャッチャーが一体となって作り上げる作品だ、という台詞を言うキャラクターがいます。
なんか、色々もやもや考えていた時にふと、この言葉を思い出しました。
ああわたし、地に足ついてない、力任せでひとりよがりな球を捕ることに疲れてたんだなーってすっきりしました。
なのでかきました。
少しだけスッキリするキャッチャーがいるかもしれないと思って。
それだけです。
最高のピッチングつくりあげようね!(怖)
わたしは啓蒙がキライだ。他人から啓蒙されるほどアホではないし、他人さまを啓蒙するほど傲慢でもない。
フェミニズムの運動は、自己解放から出発したはずなのに、いつのまにか「すすんだワタシ」が「おくれたアナタ」を
フェミニズム啓蒙主義には、リブ度に応じて女たちを「ススンデルーオクレテル」に序列づける権威主義がある。
ススンダ方はオクレタ方に正義を押し付け、あまつさえフェミニズム十字軍よろしく女の正義を「輸出」しさえする。
フェミニズム先進国ー後進国の関係は、たとえば「アメリカの正義」を押し付けようとする抑圧的な植民地主義と
変わらない。大きなお世話だ。何が解放かはテメェが決める。他人様のお世話になんかならない。それがフェミニズムの
出発点だったはずだ。
おんなの運動は抑圧的な男権社会に対する対抗文化として、成立したとたん「対抗的価値」の尺度ができあがる。
法律婚をしているかしてないか。化粧するかしないか。夫を「主人」と呼ぶか呼ばないか。さまざまな尺度が「踏み絵」になる。
MK✝️ほんものだよ
@Mari21Sofi
養子に性的虐待を加えた罪で起訴された同性愛者のカップルも、彼らを小児性愛者のリングに貸し出してた、と報告http://trib.al/kSoat1b
https://twitter.com/Mari21Sofi/status/1616984505675571202
New York Post
@nypost
Gay couple charged with molesting their adopted sons also pimped them out to pedophile ring, report claims https://trib.al/kSoat1b
https://femimatsu.com/article/497238255.html
アメリカ·カリフォルニア州の10代女性がYMCA(キリスト教青年会)のプールを利用していたところ、女子用シャワー室に「裸の男性」が出現。トラウマとなってしまうほどショックを受け、YMCAのスタッフに知らせたのだが、叱られたのは彼女の方だった。
「私とは無縁のところで、私とは違って鬱屈とせずに生きているOLが腹立たしかった。」気づいていると思うけど、これ典型的な思い込みだし、認知が歪んでいるよね。そのOLだって何か抱えてるかも知れない。
健常と障害のいう苦しみはちゃうよ。明確に違うもの。断言できる。常習的に首に縄かけて2時間迷ったりしてないやろ。
ま、「あなたの認知は歪んでますね」と、ウエメセで偉そうなこと言えるのは、健康で鬱屈とせずに生きてるからだよ。よかったね。嫌味半分だけど普通に羨ましいよ。
それと。
こーゆー人認知の歪みとか行動認知療法とかほんま好きよね。自分が正しいと思っててさ、葛藤も苦悩もない。ずるいからほんまきらいです。
薬飲んで寝るね。おやすみ。元気でね。
・着飾ったOL
・同い年ぐらいだと思われる
・背筋が伸びていてキラキラした感じ
・憂鬱な気分で座席に座っていたところ、満員の通路から押し出されたOLのお尻が接近してきた
・ちょうど視界に尻があったので眺めていた(尻を見るのが自然な位置に尻があった。不可抗力である)
・OLが着飾っていてムカついた
→ストレスフルでまともに洋服を買えていない、化粧も適当であることに負い目があったことが原因だと思われる
・うまくいってそうなOLが嫌な目にあって欲しいと思った(妬み)
・バスがあまりに満員なので、ここでテロが起きたらどうだろうと思いを巡らせていた
・OLが急に殴られたらどう反応するか考えた
・ふとOLの尻を思いっきり揉んだら人生終わるやろなあという考えが浮かぶ
・急に尻を触りたい衝動に襲われた
・痴漢衝動に感動し、しばらくは「初めての衝動」をテーマに思いを巡らせる
・昼食のことなどを考えていたところ、バスにさらなる乗客が乗り込んできたことで、OLがわたしの鞄に尻をぐいぐいと押し付けてきた
・鞄の中の書類がくしゃりと音を立てた
・鞄と尻を見ていると、鞄を押し付ける「バレない痴漢」が可能であることに気づく
マスクで表情の見えない乗客は、満員のバスの中で押し合いへし合いしながらも身を縮め、スマホの中に没入し、誰にも迷惑をかけない置物のように並んでいた。
こちらに干渉してこない、こちらも干渉できない、バスの一部のような乗客に囲まれていることに気持ち悪さを感じた。
私の力の及ばない、ときには眺め、ときには耐えるしかない「秩序ある社会」。
私とは無縁のところで、私とは違って鬱屈とせずに生きているOLが腹立たしかった。
OLが嫌な目に遭って欲しいという妬み。出社したくない・全てを放り出したい・日常など壊れて仕舞えばいい、という逃避願望。その2つが合致して痴漢衝動になったと思われる。
幸い痴漢には至らなかったが、今の3倍程度のストレスがあればやっていたかもしれないと思う。
気ままな独り身ではなく、養うべき子供や払わねばならないローンがあれば。役職について仕事の重圧に押しつぶされていれば。
「ストレスから痴漢に至る」その身勝手さは、女の立場として重々承知だ。しかし、ストレスを溜め込み痴漢衝動におそわれた人間には、(痴漢の欲求を持つ)自己の否定も、衝動を抑え込むことも難しいのかもしれない。痴漢の気持ちがわかり、哀れに思った。
わたしはその戦士ではないが、この質問文だけでは質問内容が伝わらないと危惧するので確認させてほしい。
原因とは直接の要因であろうか。
悪口を言われたので、怒り、殴ったとなれば、それは原因と言えるだろう。
だが性犯罪において問題となる描写を見て即時行動を起こしたといった事例があるとは考えにくい。
それに金品目当ての物とりの犯罪に対して、原因は高額な貴金属そのものの価値であるとか、それを身につけてからであるとはならないはずだ。
増田は質問に記載した「性的表現が原因」についてもっと詳しく条件を説明すべきである。
ついでながら増田は犯行者の主張を鵜呑みにしてはいないだろうか。
かつて殺人を犯した人間が「悪魔が乗り移った」と主張した事件があったが、増田とて悪魔によるものと認める前に十分な検証が必要と考えるだろう。老婆心だが一応この点も指摘しておく。
質問を一般化するなら、違法行為・社会規範に反する行為を描写する表現を規制すべきとなる。
窃盗や殺人だけでなく、悪口・嫌がらせといったハラスメントなど、ネガティブな表現はドラマや漫画などに多数ある。
また性表現については映画のR18レーティングといったものが既にある。これらとは違うのだろうか。
もし同じなら「R18レーティングを撤廃すべきとは主張しないのか?」といった問いが適切だろう。
増田が定義する新たな規制なら、その内容を列挙してほしい。その規制案を提唱してほしい。
最近身内のことで動き回ってんだよね。
妹と親は一緒に住んでるけどもうめちゃくちゃ関係が悪い。親が長期で入院するってなったとき早く死ねって言うとか、用があって話しかけても一切口聞かないとかモラハラな妹。デリカシーないから傷つける言葉をポロッと言う親。この親にしてこの子ありって部分もあるけどそれにしたって子、濃縮しすぎやしないか。
わたしは少し遠いところで暮してるから普段のことをぜんぶは分からないけど、とにかく一緒にいるのに向いてない2人だと思う。どっちも「ストレス溜まる」ってわたしに言ってくるもん。
そのうえ妹はちゃんと仕事してるのに家にお金も入れてないみたい。収入が激減した親に養ってもらってる状況。それなのに少し前に親からもらったそれなりの額のお金をぜんぶ遊びに使い込んだり、もう分からない。
お金も入れないし家事もなんもしないどうすれはいいって相談されて、きちんと毎月かかってる費用払うことを話し合いして取り決めしたけどそれでも文句言ってくるとか。そんならとっとと追い出せって言うけどなんにもできない親。
親も親で言動やらに問題ありなのでどっちが100悪いとかはないんだけど、せめてお金くらいはきちんとしといてほしい。そして間に入る私の身にもなってくれ。この家私いなくなったら包丁向け合ってしんでそーだな。
仲良くなってくれとは言わないけどさ〜解決する方法思いつかないんだよね!食欲ばっか減っきますわ〜オチがいつか着いてくれることをねがいます
20前半女です。
ポジティブだし、悪口や下ネタは言ったことないし、嫌いな人もいません。落ち込むことがあっても自分で自分の機嫌をとれます。
人からは「ありがとう」「コミュ力高い」「楽しそう」「面白いね」「興味の幅が広いね」とよく言われます。
我ながらけっこう人間として出来てるなぁ、お父さんお母さんありがとう〜!とか思ってるんですが、異性から告白されたことがありません。
同性の友だちがめちゃくちゃ仲良くしてくれるから、それだけで毎日が充実しててすっげー欲しい!ってわけじゃないけど、ふと男の人と恋愛関係になったことないなぁ〜って思いました。
男性からLINEは来るし、ずっと前に私が話したことを覚えてくれてたり、それについて調べてくれますし、話してるときや食べてるときは色んな人と目が合います。
ご飯に誘われたり、「オススメの○○について教えて!」ってお願いされることも多いし、同じゲームをやってることが分かった人からは「フレンドになろ!」って言われるのでフレンドになります。彼氏いるか聞かれたこともあります。
考えてみても、けっこう路線を爆走してて「いい感じでは!?」ってなるんですが恋愛イベントが発生しません😂
かといって自分から発生させるほど彼氏欲しいわけでもないし。誰でもいいなんて失礼すぎるし、きちんと向き合いたいし。
周りの子たちは、男の子からアピール・告白されて「彼氏できた✌️」って言ってます。私は仲のいい友達ばかり増えてて(有難いですが)、告白とかされません。楽しいけどね!!!
このままじゃ独り身です。
お父さんお母さんどうしよう〜〜!
これは、部下をマネジメントすることになって困っている人向けの記事です。タイトルは過激ですが、よろしければお読みください。
twitterで「from:@Books_Apps 無能」などで検索してみるとわかりますが、この人のように、月1、2の頻度で無能無能といっていると、1つ1つは大したことのないツイートですが、ツイートを全体としてみると少し残念な感じになります。彼の中では、2015年ごろから2023年にかけて、ずっと無能への怨嗟がテーマになっているように見えます。
「自分は真に有能などではないが、少なくともこの人々よりはマシで、選ばれし人間である」という邪悪な思考を持つと、闇に引きずり込まれがちですし、「真に有能な人」がどんどん離れていき、世界が狭くなっていって最悪です。買わなくてもいい恨みも買うでしょう。
仮に他人が真実無能であったとしても、より建設的な考えを持つべきだと思います。憎悪を抱いた瞬間に「自分にはストレスがかかっている」とメタ認知するといいかもしれません。
これは侮蔑の意味ではないです。「無能であることに気付いていない人いるよね」「おまえこそが無能なんだ」という意味ではないです。私自身、私は無能であると思います。自分で自分のことを「あぁ、本当に自分というのは無能だったのだ」というように気付くことが実は大切なことだと思います。基本的に人間というのは誰も彼もが全員無能であって、自分という存在は1人ではまともに生きていくこともできない無能だと気付かなければいけません。「無能」という言葉があまりに侮辱に寄りすぎているので、どちらかというと「無力」という方が正しいかもしれません。
俗に言う無能有能というのは相対的なものにすぎないはずです。自分がもっとも苦手とする分野に行けば、そこでは自分が相対的に無能になってしまいがちです。
「相対的に有能かどうか」「相対的に無能かどうか」を気にするのは、ある意味自分というものがなく、他人を軸にしてものごとを考えているのかもしれません。そんなことは本当はどうでもいいことのはずです。
ここでブツブツと「自分は無能である」と小声でもいいのでなんとなく声に出して言ってみるといいかもしれません。言えないということは、まだ自分が無能であることを認めることができていない証拠だと思います。ちなみに、わたしもブツブツと今言いました。
人生において、自分に配られた資源のみを使って何らかの目的を達成しなければならないということは多くあります。ここにおいては、資源不足が現状で、目的達成が課題であり、目的達成のための資源をいかに獲得するかのみが重要です。人にはそれぞれ人生の目的や考えがあるので、その他者のパワーを最大限引き出してもいいし、べつに引き出さず一人だけで解決してもいいと思います。
配られたカードでやるしかないということです。嫌なら変えればいいし、変えられないのなら、やはり自分の無力・無能が悪いわけです。悪いというより、自分の無力が1つの原因であり、世界の理は一夜にして変わらない以上、変えることができるのは自分の行動のみであるということだと思います。他人というのは自分という人工物ではなくて、自然の一部です。「そんなこと言っても…」「そうは言うけど…」ではなく、どれほど嘆いても何かが変わったりはしないということです。
これをよく「人を諦める」「甘えを捨てる」「現実を見る」と表現するのだと思います。これだと言い方は悪いですが、要は「もはや自責のものとして飲み込む」「雨が降っても自分のせい」ということだと思います。「人を諦める」という表現には、まだまだ「自責だけど……(でもこうならざるを得ないのは無能たちのせいだ)」という心が残っていそうなので、わたしはあまり好きではありません。
極論になってしまいますが、イーロンマスクが上司で、全然やる気がなくてよくサボるアルバイトが部下になり、クビにはできないとします。これほどの格差がある場合は、もはやマネジメントするしないというのは問題ではなくなっていると思います。無理なものは無理と割り切らなくちゃいけません。これは「相手が無能だから」という侮辱的行為をしているわけではなく、単純な人員配置の失敗であるので、人員配置を変更する権限がない場合はマネジメントは不可能であるということだと思います。「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」や「敢闘精神」も、ときには大切なことですが、そればかりに頼っても、無理なものは無理だと思います。
単純に「無能」という言葉は不愉快であり、他者を排除しがちの言葉だと思います。他者を「無能」と言うとき、少し気持ちよくなるかもしれません。自分の自尊心が「一方、自分は無能ではない」という考えによって満たされるのかもしれません。
しかし、聞く側がこの言葉を聞いて思うことは「自分は無能だと思われたくない」か「この人は簡単に人のことを無能だ有能だというふうに差別する人なんだな。近寄らないでおこう」かのどちらかになると思います。損が大きいと思います。
「自分もまた、有能な人材から見たら、大したことのない無能というふうに見られるかもしれない…」という恐怖と今後永久に戦うことになるかもしれません。むしろそういうふうに戦わされてきて、蠱毒を勝ち抜いてきた結果そうなってしまったのかもしれません。ただ、このような連鎖をおこなうのは、子育てでいう虐待行為の連鎖(条件付きの愛/アダルトチルドレン)に近いと思います。「レベルの低い子と遊んではいけません」という思考もありそうです。これは断ち切るべき遺物だと思います。
この記事では、やたらと無能無能と使っていますが、そうしないとあまり読まれないと思って入れています。
また「有能」という言葉も、あまり使うべきではないと思います。対になっているからです。「有能あれば無能あり。無能あれば有能あり」みたいな感じでしょうか。今後の社会で生きるにあたってはあまり良い言葉ではないため、今のうちに心の中ですら控えるべきかもしれません。
これは「無能な部下側」に属する人を応援して、サイコパス上司を攻撃するためのものではありません。「仕事ができていないのに、自分は仕事ができる人間だと勘違いしている人」「給料に見合った利益を全く出せていない人」「コストパフォーマンスが悪い人」「やる気があっても全く結果を出せない人」「人に仕事を押し付け続けているのに自分はちゃんと仕事をしていると勘違いしている人」「自分以外の誰かがどうにかしてくれると思ってずっと他力本願な人」「教育してもずっと反抗的な人」「誰にもわからないと思ってこっそり手を抜いている人」というのは、いくらでも存在すると思います。そういう自分が周りからどう見えるかに気付いておらず、傍から見たらダメに決まっているのに、本人視点では「なぜダメなのか」と世界を恨んでいるいる人はそれなりに多いです。
「いるよね、そういう人」ではなくて、「自分がそういう人間になっていないか?」と、ときどきは反省することが実は重要だと思います。あまりにやりすぎるとインポスター症候群になってしまいますが……
わたしは、良きカリスマがあれば、人の人生は結構変えられると思っています。なぜなら、すべての他人は本来とてつもなく有能だからです。「私はこの人に命を懸けたい」と思わせられない自分が原因なのです。ただ単に、自分がそれほどの人間ではないだけです。ちなみにわたしはまだそんな人間ではないです。
えらそ〜に書いていますが、わたしは大した実績を残しているわけではないですし、べつにこれはマネジメントの奥義とかではありません。超短期的には、マイクロマネジメントの命令型組織の方が成果を出しやすいですし、もっといい考え方も当然あると思います。「もっとこう考えたら、もっといい方法なんじゃないか」とか、読んでおくべき本などあれば、ぜひ参考にしたいです。
タイトル酷いですが、そもそもあまり部下だと思って接しなくてもいいのかなと考えています。ただ他人を信じて託し、ときに支援をすればいいのだと思います。