はてなキーワード: 古都とは
日本の都道府県で打線を組むと、各地域の特長や「強さ」を野球チームのポジションに置き換える形で楽しむことができますね!以下は、日本各地の有名な観光地や産業、魅力に基づいて作成した打線です。
広大な大地と自然が豊かで、リードオフマンとしてチームにエネルギーを与える存在。四季折々の観光地も豊富で、どの場面でも活躍できる万能選手。
歴史と文化の中心地であり、日本の「古都」。テクニックに優れ、堅実にプレーする役割。チームを支える縁の下の力持ち。
日本唯一の亜熱帯エリアで観光地としても人気があり、チームのムードメーカー的存在。独自の文化や明るい気候がチームに明るさをもたらす。
日本の中心地で、経済や文化の核。圧倒的な存在感とパワーで打線の中核を担うエース。どこからでも打てる強打者として、チームに絶対的な安定感を与える。
5番・レフト:大阪府
商業とエンターテインメントの街であり、派手なパフォーマンス力もあり。チームの人気を高め、観客を盛り上げるムードメーカーでもある。
自動車産業など工業の中心地であり、堅実で頼れる存在。パワーも兼ね備え、攻守でバランスが取れている。
九州地方の中心的存在であり、食文化が豊か。バランスの取れた攻守が魅力で、攻撃面でも守備面でも頼れる存在。
平和のシンボルとしての役割があり、献身的でチームを支えるポジションにぴったり。広島のグルメや観光も充実しており、守備力が高い。
首都圏に位置し、観光名所も多く多彩な投球が可能。東京を支える大都市としての役割を持ち、安定したパフォーマンスを発揮する。
関西から引っ越してきて、鎌倉に何度か日帰りで行ってみたのだけど。
鎌倉、人の多い関東の観光地だから仕方ないけれど、それにしても人が多すぎる。
山科くらいの狭い土地に大量の外国人・日本人観光客がごった返してて、ビックリする。
そのわりに、関東の歴史遺産を一手に引き受けてるのかもしれないけど、正直京都や奈良の1/10くらいしか、見るものがない。
古いものが残ってないのは仕方ないとしても、数少ない古建築だって、江戸時代の悪いところを凝縮したような、頭でっかちの建物ばっかり。
唯一の国宝、円覚寺の舎利殿なんかは、もう少し見せてくれてもええやんか…と悲しなる。
関西みたいに、そこいらに国宝がボンボンある場所とは違って、貴重なんやろけどなあ。
まあ、古都として考えるんやなくて、海沿いの今風な観光地として考えると、洒落た店は多いし楽しいんやけど。
田舎者の関西人としては、江ノ島の方が楽しかったなあ。最初からいかにもな観光地然としてて。
ちょっと、思ってたんと違ったなあ。
関西に限ってみるぜ! 行ったことがある中で、特に印象に残ったところ(あるいは定期的に足を運んでるところ)をリストアップ。増田は今は阪神間在住なので行きやすいところがどうしても多くなる。
京阪神+奈良以外は日頃の行動範囲に入ってないので、だいぶ適当。
俳句が"情念"や"私"を盛る器たり得るか? というのは、増田の言う通りあるあるネタだと思うが、正直情念マシマシの俳人もいるので、情念一本槍で説明するのはちょっと難しいんじゃないかと思う。というわけで、自分の好きな情念系の俳人、三橋鷹女の句を紹介したい。
あまりにも有名なこの句。なんというか、余りにもぎょっとする一句だ。作者は秋の夕方に燃え上がるような紅葉の樹をただ見ているだけだ。しかし、その樹の美しさが作者の心中と出会って化学反応が起きる。「この美しい秋の夕暮れの紅の陽の中で、こんな燃え上がるように輝く紅葉の樹に登ったら、私の中の何かが身を焦がし、たちまち目はつり上がり口元は避け頭には角が生え私は鬼になってしまうのではないかしら……」と考えるという、そんな俳句だ。想像できるだろうか?
たとえば妖艶な女性が秋の夕暮れ、紅葉を見ながらほんのり微笑んでるわけだ。(できれば舞台は京都とかその辺の古都であってもらいたい。)やあ、紅葉がきれいですねえ、なんてうかつに声をかけると彼女はにっこり笑って、「そうですね、きれい……あんまりきれいで…」と何か言いたげに言葉を濁す。ここでついうっかり、え、紅葉好きなんですか、なんて下心を出して聞いたが最後、「いえね、あんまり燃え上がるようにきれいだから、この樹に登ったら全身火に包まれてしまいそう、そうして大声で叫ぶ私は、まるで鬼になったように見えるかしらなんて思うと面白くて……」などとやべー妄想を全開でぶちかまされるからだ。考えてみてほしい、鬼になるかどうか、とか以前に、美しい紅葉を見て「その樹を登ったら…」なんて想像をする時点で(まともな大人でそんな奴、いるか?)もうこの人尋常じゃないヤバい系の人なのだ。紅葉を見たら、駆け上る想像をせずにいられないくらいの、この人の身を焦がす情念っていったい何だろう? 恋か。恋だとしたら、どんな恋なのか想像するだにオソロしい。一方でこの「燃え上がる樹に包まれて鬼女になる」というその妄想自体は、余りにも凄絶で美しくてカッコいい。自然・風景と一体化しながらも、この人の情念はまったく矮小化も定型化も減量もされず、読む人の心を打つ。
これにビビっと感じてくれたかもしれない人のために、もう一句だけ鷹女の名句を紹介しておく。
ただそれだけ。まあ、露ははかない人の命の比喩でとか、白露はことに露が美しい秋の季語だとか、そこから作者の人生も秋にさしかかっている立場で詠んだ句であろうとか、まあそういう教科書的な講釈はいい。いいと言いながら一応一通り言ったけど、それより、スッとこの句を眺めてほしい。そこに立つ、一人の女性の姿が鮮やかに立ち上ってこないだろうか。
和服の着付けというのはなかなかの苦労だが、帯を締めるというのはその仕上げの工程に当たる。この句で「帯を締める」というのは、普段から服の手入れもぬかりなくし、朝からきちんと身支度をし、化粧もふさわしくして、そして最後にキュッと帯をしめるまでの一連の工程の総称だと考えられる。これまでも、これからも、そしていつか死んでゆく日にも、私はこうして帯を締めて(そうして死んでゆく)、という( )内の聞こえない言葉が、「帯締めて」という言い差しによってかえって響いてくる。女性としての自身、当時の社会との軋轢、様々なものを一身に引き受けながらすっくと立つ一人の人間としての強い思いが伝わってくるようだ。
「死ぬにはいい日だ」なんて言葉もあるけど、常在戦場の心構えというのはそういう何気ない言い回しの中にあるものなのかもしれないと思う。それになぞられるというわけではないのだけれど、この「帯締める」行為も何だか戦いに備えて自分自身を隙無く装っているような、そんな雰囲気が漂っている。こういう「私はオンナよ」みたいな、固定化されたジェンダーの内面化って昨今あまり流行らないんだけど─まあ軽やかに変化し続ける自己というのもそれはそれでもちろんよいのだけれど─人が成熟の深みとでも言うべきものに到達するには、ここまで強く深く「私は○○○だ」という意識を自身に刻み込み、時を重ねる必要があるのだろう。そんなこの人の「覚悟」みたいなものを、「死」の一字がぐっと引き締める。誰にも文句は言わせませんよ(ニッコリ)、という体で、これまた見事な情念の世界だと思う。
どうだろう、こういった情念・個性の強さ深さというのは、なかなか短歌のそれに劣ったものではないのではないだろうか。
そうしてみると、結局増田の言う”情念”も、それぞれの作家性に拠る部分がかなりあるということも理解していただけるのではないだろうか。鷹女の句は、俳句の王道を決して踏み外してはいないけれど、輝くばかりの個性と情念に満ちあふれている。もちろん、増田の言う、短歌と俳句の出発点となる発想・捉え方の違い(ほとんど真逆)、それに基づく「短歌やりすぎると俳句作れない」という主張もそれなりにもっともだと思う。ただ、だから俳句には情念が盛れないと言われると、いやいやそんなことはないんだけどなあ……と思ってしまうんだよね。
keidge 「ことり」は最近はそんなに珍しい名前ではない。琴莉とか何度か見た事はあるし、年をとっても問題ないと思う。ただ増田の旦那が使っている漢字のパターンは見た事がないなあ。
domimimisoso 知り合いにいるよ。ことりちゃん。ウチの子の同級生のお姉ちゃん。周りからは「ことちゃん」って呼ばれてたな。今や30才目前で立派に社会人やってるよ。ちなみに表記はひらがな。
sangping “人名としては一般的じゃないと思うけど” とりあえず、私は知人にいるわ。n=1ではあまり意味はないけどな。
deztecjp 私が女の子だった場合の命名案が、「古都里(ことり)」だった。これまで、この漢字表記の「ことり」さんには出会ったことがない。店名、会社名などでは、よくある名前なのだが……。
しゃあっ
てか6000年かけてずっと隆起してることが海岸段丘で判明してるわけだし
そのうち日本海が以前そうだったように埋め立てなくても全部陸地に戻るほうがあり得るとおもうよ
そしたら古都扱いになるかもしれんやんけ
結論に同意。鎌倉と京都では、歴史の厚みの面でも空間のサイズの面でも、古都としてのスケールが違い過ぎる。例えば観光するにしても、京都のように少なくとも一週間はかけて見て回りたくなるほどに壮大な総体は鎌倉にはない。せいぜい一日か二日で十分だ。
・報国寺
海と山があって、都会じゃないのに、東京の洒落たものが入ってる。
良い景色と美味しいもの。懐かしい昭和の古民家の中に、こだわりのフレンチがある。
それって、面白い。
もうひとつ。
戦争を前提として作られている。
岩をくり抜いたお墓だったり、自然をそのままに活かしてるところが、近江の石の文化に似てる。
鎌倉五山は、京都五山に比べると、まだ公家の洗練を受けてない感じがして、なんだか生っぽい。修行って感じ。
そういえば、鎌倉には京都のような日本の美しさを凝縮したような庭園はないけど、高台から見える海は最高。
神戸に少し似てるけれど、もっとひっそりとして、秘密の場所みたいだ。
鎌倉文学館に、小さなワゴン車のカフェがきていて、芝生の上で飲むコーヒーはおいしかった。
海の方まで伸びた参道は、こじんまりとした鎌倉に珍しくスケール感がある。
素朴でおいしい。
関西は、文化的な趣味(美術や音楽、古伝を基礎にした先端の感性に触れる)機会があって、けっこう楽しかった。
大阪、京都、神戸。どこも自分の住んでいた古い町よりも深くて大きくて驚いた。驚くことで調べて地元の深さ広さ高さ長さも知った。「大阪」や「東京」という一語にくくれない。どんな都市の文化だってそうだ。自分の街も関西についても0.4%だって知らなかったなってイキり散らした間抜けな自分にダメージ。
最先端のものを追いかけて、日本初上陸のサムシングに群がる有象無象のクルクルパー・ムーブって虚しいなと思った。彼/彼女らは、たいてい東京に3店舗くらい来て3年待たず撤退する不良債権みたいな事業ばかりを追いかけてる。殺虫灯に走っていく夏の夜の虫みたい。
もちろん、東京にしかないものもあるだろう。人口が多いから成立する商売だ。たしかに5%くらいは東京のものかもしれない。でも5%なら、その他の市町村にも固有性はあるんじゃないだろうか。語彙「文化」は、まさに、そういった普遍性と固有性を汲み上げるための教養であり、それを支え、そこに参与していく主体性と不可分ではないだろうか。
だから、東京に住んでいることだけで、自分たちを文化の中心にいると勘違いしてる人を見ると哀れだなと、としみじみ思った。
出張に行くことも増えてきた。
そうすると、福岡だったり、仙台だったり、札幌だったり、熊本だったりと、それなりに栄えた地方都市の豊かさに心打たれるようになった。
ここには、東京でやった展覧会の巡回展も来てくれない。海外アーティストのライブだってやらない。でも国会図書館にはアクセスできる。
こういう場所に暮らしている人々もまた、それぞれに趣味を楽しみ文化をつくっている。自分のいる場所が中心じゃない。
大人になると誰でも、この程度は判る話だ。
辛くならないんだろうか。東京に住んでるだけ、海外文化の消費者の第一人者を自称することで、文化つくってる気になるなんて。
まあ、地方だって展覧会には行列ができる。でも東京で数時間ならんで観るくらいなら、その時間で、もっと文化的で豊かなことできそうだけど。
なんか、悲しくなってきた。
【追記】
地方の文化なんて単なる消費じゃないか!みたいな意見が大きな釣り針で垂らされていて、すこし驚いている。
聞いてみたいんだけど。
いい?
「海外から東京地方の人たちのところまで降りてきた"文化"が、最初から"文化"として存在していたと思ってるの?」
まだ評価が定まっていない、新しいモノ・若いモノの中から、未来にコンテクストとなるような本物を自分の目で見つける。
自分と同世代の人たちのあふれる才能にビビりながらも影響を受けていく。
もしくは深く長く高く広い伝統文化と、そこから湧出する人類普遍の文化的性質との邂逅。
そのスリリングさ。
そんな文化の創出を支えていくのが人間の醍醐味だし、現場にいないと、感じとれない大切なモノってあるでしょ?
「文化」は東京に住んでるだけでつくれるモノじゃ、ないんです。
評価の定まったもの、枯れた文化の上であぐらをかける人々にも出会えない程度の人脈と教養しかなかった君のどこが文化的なの?
まあ東京に4世代前から住んでいて、かつての東京の深みのようなものを、ある程度まで理解してるなら別だけど、住んでるだけなら、もはや首都神話や観光業界が生み出したファンタジーだって分かると思うけど。
東京はサロン文化だなんて言うけど、どこでももサロン文化あるからね。明治維新の頃に、日本が近代化したの知ってるかな。
東京の文化なんて単なる流行りモノじゃないか!みたいな意見が多くて、すこし驚いている。
聞いてみたいんだけど。
いい?
「地方の人たちのところまで降りてきた"文化"が、最初から"文化"として存在していたと思ってるの?」
まだ評価が定まっていない、新しいモノ・若いモノの中から、未来にコンテクストとなるような本物を自分の目で見つける。
自分と同世代の人たちのあふれる才能にビビりながらも影響を受けていく。
そのスリリングさ。
そんな文化の創出を支えていくのが都市生活の醍醐味だし、現場にいないと、感じとれない大切なモノってあるでしょ?
美術は美術館だけで見るモノじゃ、ないんです。(巡回展の例えは皆にわかりやすく書いただけだよ)
評価の定まったもの、枯れた文化の上であぐらをかくことの、どこか文化的なの?
まあ京都に4年住んでみて、かつての京都の深みのようなものが、ある程度までは現存していても、あとはもはや観光業界が生み出したファンタジーだって分かったよ。
関西でも、文化的な趣味(美術や音楽、最先端の海外文化など)って、けっこうキツかった。
最先端のものはほぼないし、日本初上陸のサムシングも、たいていは東京に3店舗くらい出来てから、関西に来る。
もちろん、趣味の95%はカバーできるんだと思うけど、上澄みの5%は東京にしかない。
言ってみれば、京都が首都だった頃の一級品は京都にしかないのと同じだ。
だから、東京に戻ってきたときは、ああこんなに恵まれてるんだな、としみじみ思った。
そうすると、福岡だったり、仙台だったり、札幌だったり、熊本だったりと、それなりに栄えた地方都市に行くわけだ。
ここには、東京でやった展覧会の巡回展も来てくれない。海外アーティストのライブだってやらない。国会図書館だってない。
そういう場所に暮らしている人って、どうやって趣味を楽しんでいるんだろうか。
辛くならないんだろうか。
なんか、悲しくなってきた。
【追記】
東京の文化なんて単なる流行りモノじゃないか!みたいな意見が多くて、すこし驚いている。
聞いてみたいんだけど。
いい?
「地方の人たちのところまで降りてきた"文化"が、最初から"文化"として存在していたと思ってるの?」
まだ評価が定まっていない、新しいモノ・若いモノの中から、未来にコンテクストとなるような本物を自分の目で見つける。
自分と同世代の人たちのあふれる才能にビビりながらも影響を受けていく。
そのスリリングさ。
そんな文化の創出を支えていくのが都市生活の醍醐味だし、現場にいないと、感じとれない大切なモノってあるでしょ?
美術は美術館だけで見るモノじゃ、ないんです。(巡回展の例えは皆にわかりやすく書いただけだよ)
評価の定まったもの、枯れた文化の上であぐらをかくことの、どこか文化的なの?
まあ京都に4年住んでみて、かつての京都の深みのようなものが、ある程度までは現存していても、あとはもはや観光業界が生み出したファンタジーだって分かったよ。
ぃゃぁ、一年前のこの日のこと思い出しますね。日本も物騒になったものだと。しかも、奈良の古都で起きるとは。これから戦争でも起こるんじゃないかと。じっさい当時には既にロシアとウクライナはもう戦争していましたが。一年経った今はなんとか平和ではあります。コロナ禍も落ち着きつつあるし。ただ、タモリ氏が鉄子の部屋で言っていたように『新しい戦前』に現代があることも完全否定はできません。いや、外れろ、悪い予感は。
鎌倉、いいところですね。
関東に来たばかりの頃は、鎌倉にきて、こんな"古都"もあるんだなあと少しばかりびっくりしたけれど。
古都という色眼鏡を外せば、鎌倉の良さがすこしずつわかってきた、気がする。
鎌倉というと歴史都市と思われがちだけど、案外関西なら西宮から西側、須磨とか塩屋あたりまでくらいの雰囲気に近いのかもしれない。
あそこまでハイソな雰囲気はないけれど、東京の文化が入ってきていて、それなりに洒落た店も多い。
京都のように深い伝統の香りはしないけれど、まあ、いい感じの海沿いの街としては、ありなのではないかな。
春の晴れた日に海沿いの古い路地を歩くと、これが漱石の味わった鎌倉かもなあと、嬉しくなる。
関東風の中華そば(甘すぎず美味しい)とか、無骨な力もちとか、そういう、言ってみれば滋賀の片田舎で感じるような、素朴な良さが鎌倉にはただよっている。鎌倉野菜は京野菜のパクリみたいで笑ってしまうけれど。
最後に、寺社仏閣としては、見るべきものはそれほど多くないけれど、禅寺の荒々しい雰囲気はなかなかよい。京都の禅寺は洗練されすぎていて、貴族の宮殿みたいなのだ。ああいうのは、本来の修行の場としての寺ではないんだろうなと思っていたから、鎌倉くらい無骨な雰囲気の方が、らしくてよい。
鶴岡八幡宮は、廃仏毀釈で見る影(それは石清水八幡宮もそうだ)もないけれど、それでももう少し建築年代が古ければ良かったのに、と思う。石清水八幡宮だってこないだ国宝になったんだから。あれ、近世建築としても、洛中のものからすれば格落ちすると思うけれども。
サーフィンでも、はじめようかな。
ワイの過去の就労先で就労先が代替わりしたやつで、繁華街の交差点角地という超一等地なんだが戦後くらいから借りてるだかで二十数年まえで月額に!じゅうまん円だった、超ボロ長屋造りの真ん中で狭小木造三階建だが、すでにして右肩下がり業績だったのでなんとか穏便にと就労先経営者が請願してたの思い出した
隣が初老の三兄妹が住み込みで経営している甘栗屋!で、とおもってたらあるとき初老だが割りと整った容貌の老婦人が三兄妹と談笑してるの見てたらワイの就労先経営者がアレあの四人は兄妹やねんとあの老婦人は実の妹という情報をブッ込んできて驚愕した
反対側の隣はコロコロ業務形態の変わる店舗で一時めちゃくちゃ適当な名称のイカ焼き屋だったことしかもうおぼえていない
話もどしてその時の就労先の代替わり前の創業者が戦前の大阪で写真機業を営んでいた(国産初の懐中時計型カメラの発売元)とこの兄弟()だかで店内で昔話にキミが一旗揚げる気があるならワシは○紅に知り合い居るから相談にノるでとよく(誰にでも)話していたのも懐かしい想い出
ちな後継ぎの婿の人は同窓会に写真機屋だからと写真係押し付けられて店頭在庫のなかなか売れない高額新品の古都陶磁器会社謹製ブランド(素材は八州光学)一眼レフを持ち出してた
そうそう、それの仕入先のエラい人が転勤上洛して来てしばらくして、建物の庭園?に水やりしてて元栓閉め忘れで帰るという大失敗やらかしたという話もきいた