はてなキーワード: 商社とは
小売りの販売員やがメーカーの販売会社のその専門の卸業から仕入れて個人商店から注文受けた商社に見積り出して買って貰う仕事しとるやで(o´・ω・`o)ナニシテルコッチャワカラヘンワー
まずこれを書き込んでいるネット、遅い。格安SIMをスマートフォンに挿して、テザリングでPCからネットを見る。昼時など混雑時間帯はほとんどネットに繋がらないこともある。
食事、煮込みうどんが多い。特に冬。暖かくて野菜が摂れて、簡単なものといえばこれぐらいしか思いつかない。スーパーで3玉88円のうどんを買えば3日もつ。あと、うどんは煮込むと量が増えるので、乏しい食材の量を誤魔化せる。
朝食は袋の菓子パン。チョコチップスナック6本入りの袋を買ってきて1日2本づつ食べる。これだけだと昼前には空腹で頭がぼんやりしてくるが、量を増やすこともできないので我慢している。
交際、できない。もともと誰も頼れる人がいない。深夜など、高校の同級生は今頃どうしているだろうか、立派な仕事を持ち、家庭を築いているだろうかと考えることがある。そして自分自身の状態を考えると、連絡などできない。人付き合いが一切できなければ、もちろん結婚もできない。
移動、徒歩か電車。以前自転車を中古で買ってアパートの下に停めておいたら盗まれた。それ以来徒歩に切り替えている。職場との往復のために買った定期(もちろんテレワークなどできない)と自宅との間、途中下車できる区間であらゆる生活の用事を済ませるようにしている。
部屋、ゴキブリがすごい。建物が古いと、いくら部屋を掃除しても無駄。どこからか染み出してくるように、ゴキブリがいつも部屋の中にいるのでもう見慣れた。
トイレは昔のポットン便所を無理やり様式に改修したタイプで、臭い。貧困の屈辱を感じることがあるとしたら、このトイレの臭さを嗅いだ瞬間だと思う。トイレの床は古いタイルがそのまま。
木造アパートなので、下の階に住む人間の声が聞こえる。なんの病気なのか知らないが、下に住んでいる男性は真夜中に突然吠える。吠えるというしかない鋭い声を突然発する。
娯楽、ネットの動画か図書館の本。これにはとりたてて不満はない。これしか知らないので、他のことをやってみたいとも思わない。
もともとはもっと収入がある生活をしていた。大学を出てから食品関連の商社みたいなところに勤めていた。
重要な商談でフランスパンのことをバケットといったら、バゲットですと直されて終わった。会社が大口の顧客を失った後、自分は逃げるように退職した。それ以来、非正規の仕事を転々としている。今でもあの商談の夢を見て、目が覚めることがある。この先どうなるのかわからないが、今と同じような生活が続いていくのかもしれないとは思っている。
30前半、年収450万ぐらい、身長170ちょい、普通~やや太めぐらいの体型、顔面は中の中と思いたい、バツイチ
求めてるスペック
28~40前半、年収は300~同程度、容姿は極端に太ってたりしなければまぁ、趣味があって欲しい、子供はあんまり欲しくない
・1戦目
男性20代~30代前半、女性30代~40代前半、歳上好きさんの婚活パーティーみたいなヤツに参加。
いざ顔合わせしたら、45~49歳が7割、一番若くても41歳とかだった(もっと上に見えたけど)、男性側は始まる前からお通夜の空気、28歳の男の子とか終始帰りたそうだった。
最終的に45歳の自称総合職爆モテ美女(?)とマッチング、そのまま軽く飲んだ後どうする?ってなって流れでホテルへ。
Lineで軽くやりとりするが、次に相手の行きたいというお店が超高級店かつ奢れという感じだったので、やんわりお断りしてフェードアウト。
・2戦目
女性のレベルは1戦目より格段に上がったが、男側も年収1千万越えや商社勤務など、とても自分じゃ敵わないような人らばかり。
全体的に和気あいあいと話しつつも自分は諦めムードだったが、何故か参加してた24歳のわりと可愛い子とマッチング、連絡先を交換して解散。
可愛いけど自分が求めてる相手とは違うんだよなと思いつつも後日食事へ、結構楽しく話も弾んだが途中でムードが変わって「ルームシェアしてた子が失踪して家賃が払えない」という一言からお金が欲しいという話に。
ここで理解した自分は低賃金なのでパパ活は無理とお断りして、その日は終了。
ただ、その後も月に2~3回は飯に行っている(奢らされている、彼氏はいるらしい)
婚活パーティーの主催にやんわりと年齢設定が守られていないという愚痴と、自分の年収じゃ無理かなという弱音を吐いたが、若い人が来て嫌がる人はいないとか、別に年収を確認出来る書類の提出は求めていないので皆盛っていると悪びれもなく返され、以後は参加を止めることに。
確かにパパ活女子に何でもっと年収高い人を狙わなかったの?と聞いた時に、キモいし話が面白くないし年収1千万はあんなヨレヨレのシャツを着ないと言っていたので、流石だと思った。
3戦目
待ち合わせしてまずはカフェで話すことに、ルックスは普通で事前に見ていた写真とも大きく違いは無かった。
ただ話していく内に、デザイナーは自称で絵を描くのが好きなフリーター(バックレ歴多数)、主な収入はたまにシフトを入れるデリヘルということが分かる。
この時点でもだいぶキツかったが、自分のテンションが下がっているのがバレたら描いてるという絵を見せられ、等身の狂ったアニメ調の女の子の油絵を5万で買えと迫られた為にコーヒー代として5千円を置いて逃げた。
4戦目
食べるのが好きなのは良いことだから、と思っていたが、奢りを良いことに水族館で食べまくられ、貧民は泣く。
話の内容が霊が見えるとか、神の声を聞いて将来が占えるなどのスピリチュアルな感じで(自分はそっち系が苦手)、また実家から追い出されそうになっているので早々に結婚したいと言われ、自分は収入が低いので共働きじゃないと厳しいと話してお断りして解散。平和。
戦いはまだ始まったばかりだ…!
大学4年生になる。先日私は、晴れて希望していた総合商社から内定を得た。
第一志望ではないけど、ずっと入りたいと思っていた会社のひとつだ。最高にうれしかった。
大学生活では学際サークルでの活動をとにかく頑張った。民間企業と折衝することが多いイベントサークルで、いろいろと相手の社会人から馬鹿にされることが多かったけど、でもやり遂げてよかったと感じている。
でも、ひとつ許せないことがある。同じグループ面接の部屋の中で、堂々と嘘をついて内定を取った人がいる。
今からならまだ間に合うかもしれない。あんな最低なやつは内定取り消しにしてもらいたい。でも、今の私では力不足なのがわかったのでこんな駄文をしたためている。
ちょっと前にあったことだ。ドキドキしながら書類選考の結果を待って、なんとか通過して、なんやかんやでその会社のグループ面接(内容は伏せる)に呼ばれた。
そこにとんでもない奴がいた。なんと、「自分は京都にあるイベントサークルで、○×部門のリーダーをつとめ、音楽会社との交渉を~~」と、面接官の前で堂々と嘘をついていた。
どうしてわかるかというと、私自身がそのサークルで大学1回生の時から活動していて、このうそつきがやっていたような仕事をしていたからだ。
3年以上、くやしい想いや苦しい経験をしてようやくつかんだポジションだった。それを、あの嘘つきは虚偽の活動を語っていた。
いちばん悔しいのは、その団体は歴史ある京都市にある歴史あるイベントサークルで、普通の大学生では到底できないような、テレビに出ていて何百枚もシングルやアルバムを売っている歌手やバンドを呼んでライブの運営をしているところだった。
なのに、許せない。みんなが頑張って歴史を紡いできた団体をばかにする行いをしたことが。
上のグループ面接はなんとか乗り切った。そいつが何者なのか最初はわからなかったけど、私の記憶の中には印象が残っていた。同じグループになった人同士で連絡先を交換したのだけど、名前に見覚えがあった。
正体は、そのイベントサークルに1年だけ参加して、ずっと下っ端として機材の搬入や会場警備をしていた子だった。ぜんぜん主体的じゃなくて、彼のグループのリーダーからの評価も低かったので、2年目以降はイベントスタッフに呼ばなかった。京都の北の方にある、中堅大学の学生だった。
それが、こんなところで遭遇して、しかも経歴を語って、私達をばかにして。許せなかった。グループ面接が終わって、何週間か経って、そいつのことを忘れかけていたところで、私は第一志望の県営コンサルタントからお祈りメールをもらい、第二志望だった総合商社からの内定をもらい、受けることにした。
最終面接までにいろんな人と連絡先を交換していた。それで、内定者同士のSNSのグループができていて、それに入って、ちょっと名簿を眺めていたら、最初に書いたようにそいつがいた。
あろうことか、メッセージのやり取りでも、イベントサークルで幹部として活躍したという真っ赤な嘘をついていた。
私は、その子に個別に連絡を取った。「あなた嘘ついてるよね?」「1年目でやめたよね」「嘘は許せない。人事部に連絡する前に辞退して」と伝えた。
そしたら、「何のことかわからない」「あなたが嘘をついているのでは」「人事に連絡した場合、あなたを名誉棄損の疑いで逆に人事に訴える」と悪びれもせずにあのうそつきは、また私達をばかにする発言をした。
許せない。絶対に許せない。
ほかの人、友だちだけじゃなくて、信頼できるOBやOGにも相談したけど、いい返事はなかった。「ほっとけば。ダメな奴なら試用期間でクビになるよ」というものだった。
でも、私にはやっぱり許せない!! あんなに頑張って、大学生を鼻で笑ってくる大きい音楽会社の人とも必死で交渉を重ねて、広告会社とも、ライブスポットである京都大学とも連携して、あんなに努力してイベントを成り立たせてきたのに、あんなやつに名声を利用されてしまった。
お願いします。彼を内定取り消しにする方法で、私にでも実行できることがあれば教えてください。
実行できる方法がない場合は、それでもいいです。諦めます。社会がわかってない、みたいな意見もぜんぶ受け入れます。
でも、精一杯にがんばって積み上げた実績をほかの他人に奪われることの苦しみだけは理解してください。お目汚しすいませんでした。人生の先輩方の助言をくださると幸いです。
6/25
人事にきっちり通報しておきました。
重ね重ね、ありがとうございました。
非モテ男は喪女の苦しみが分からない、不可視化しているという意見が根強い増田だが、ここで私が「女性の人生は楽だな」と感じてしまったエピソードをひとつ語らせてほしい。数年前、喪女の妹がある男と結婚をした。
私と妹は特筆することもないありがちな家庭に生まれた。両親はともに不細工で、勉強は多少できたが運動神経は悪く、私も妹も例に漏れずそうだった。ともに発達障害の傾向があり、幼稚園から小学校に進学するまではカウンセリングを受けた経験がある。小学生になってからは、その挙動不審な言動が原因で、小中高どの学校でも虐められていた。
私は国立の理系大学を卒業してSEになった。弱者男性とまでは言えないかもしれないが、非モテのお約束というやつで、彼女いない歴=年齢であり、女性の友達は一人たりともおらず、趣味は女性Vtuberのゲーム実況を見ることくらいしかない。
妹はというと、大学受験に失敗して滑り止めの私立大学に入ることになった。卒業後は地方の中小企業に就職した。事務の仕事で、聞いた話では年収は300万弱だった。狭いアパートに住んでいて、ゴミを適切に捨てることができずにいつもペットボトルの空き容器とゴミ袋が4〜5袋床を侵食しており、食事はパック野菜と肉を炒めた野菜炒めばかり食べていた。(私も似たような生活なので人のことは言えないが)
私は兄なりに妹の将来を心配していた。妹は当たり前だが私を女化したような不細工で、特別気立がいいわけでもなかった。転職活動はしていたが、経歴や容姿から雇ってくれるホワイトで給料のよい会社などなかなかなさそうだった。このままでは経済弱者として一生を過ごすことになるのではと想像していた。
そんな折、妹が25歳の頃、彼氏を連れてやってきた。彼氏はもちろんイケメンではなかったが素朴で真面目そうな男だった。どこで出会ったのかは分からない。マッチングアプリだか合コンだかそんなところだろう。ともかく、彼と妹は流れるようにして結婚した。
私が驚いたのは彼の経歴で、親は名前を聞けば誰でも知っている会社で重役をしていた。彼も慶応大学を卒業していて、少しは名のある商社に勤めているらしい。(世間に疎い私は知らなかったが、両親は知っていた)年齢は私の1つ下で、給料は私の2倍弱あった。
妹は都内で彼のマンションに同棲するようになった。会社は辞めて専業主婦になった。持ち前の手際の悪さで家事には苦労しているということだったが、それはともかく都内でも月一で食事に行くくらいの贅沢な暮らしができるようになった。
私は妹に嫉妬した。「女性の人生は楽だな」と思ってしまった。N=1の話を敷衍するなと言われればそうかもしれないが、実際に、妹は何はなくとも働かなくていい暮らしを手に入れたのを目の当たりにしたのだから。(これは専業主婦を蔑視していると言われるかもしれない。その思いが私にないと言えば嘘になる)
「妹さんは隠れて努力していたから結婚できた。お前とは違う」と言う人がいるかもしれない。少なくとも私が結婚報告のときに会った時点では、妹は相変わらず化粧しても不細工のままで、隣に座ると腕毛が見えたからそういう努力はしていないと判断した。
「そんな機会があるのは女性の一握りだ。万人にチャンスがあると思うな」と言う人がいるかもしれない。それは確かにそうだと思う。だが男の私にそんな出会いを期待できるだろうか。一握りかもしれないが、生まれながらの性別でクジを回す券を持つものと持たざるものに分かれていると感じる。
この投稿が伸びるとしたらだが、私には多くの他の批判が寄せられるだろう。「この話は嘘っぱちだ」「妹を見下していて、性格が悪くて不快だ」「そのレベルにすら到達していない喪女もいる」「お前は本当の喪女から目を逸らしている」「非モテの男がモテないのは容姿だけでなく性格も下劣だからだ」などが想定されるだろうか。私が言いたいのは、この話は正体がバレないように多少脚色しているところはあるものの事実であり、そして私は兄として妹の結婚を祝福しているということだ。
妹の将来が明るくなるのを望むことと、私がミソジニー的な「女の人生は楽だ」という思想を持つことは両立する。私はTwitterでアンチフェミ的な思想を垂れ流すなどはしていないが、このような思想を持つ男は意外とたくさんいるのではないかと思っている。間近で女性が救われる姿を見ていればなおさらそうした思いを抱くことになるだろう。喪女の人には、それを知っておいて欲しいがためにこのトピックを書いた。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2021/dl/05.pdf
『男女別にみると、男性では「金融業,保険業」(485.1 千円)、女性では「電気・ガス・熱供給・水道業」(327.7 千円)が最も高くなっており』
多分いわゆる商社とかでしょ?
それに対して
『男性では「サービス業(他に分類されないもの)」(283.5 千円)、女性では「宿泊業,飲食サービス業」(215.0 千円)が最も低くなっている。』
となっているから、男も女もおそらく学歴不問でつける接客業の賃金が安いものと思われる
たぶんお前はそこの中学時代の上位グループを恨んで低学歴とか言いたいんだろうけど、オレは中学時代は上位グループだったけど高校も成績上位高に行って最終的に旧帝大に行ったぞ。
さすがに大学行ったら同じような遊びはしなくなったけど、意志が弱いやつらをコントロールするスキルは大人になっても重要。特に働くならめちゃくちゃ重要だぞ。
実際、旧帝大レベルでも上位商社に就職してたのは、オレのように自然と上位グループになって他の弱いやつらをコントロールできる人間ばかりだった。
他の中学時代の上位グループだったやつらも、たしかに学歴が悪いやつらもいたけど、気合いが入ってるから今では自分で起業したり自営したりと成功してるやつらばかりだからな。
幼少の頃、俺には親友がいた。
俺が通っていた幼稚園にそいつは転入して来た。俺たちはすぐに仲良くなった。
未熟児で早生まれだった俺は人一倍体が小さく、何をするにも周りに遅れを取っていた。いじめられることも多かった。
そいつはそんな俺にいつも付き合ってくれた。何をするにも二人一緒だった。
一緒に行った入学式。校門で一緒に写真を取り、二人でドキドキして列に並び、名簿を見た。
俺たちは同じクラスだった。
放課後は補助輪の取れたばかりの自転車を漕いで、お互いの家を行き来した。
家に遊びに行く前には必ず電話をした。
当時は携帯電話も無かった時代だ。きっと電話の前で待っていたのだろう。
「今から行っていい?」「いいよ、早く来てね!」
社宅の庭で、よくボール投げをした。縄跳びをした。鬼ごっこをした。かくれんぼをした。
夏休み、一緒ドラゴンボールの映画に行った。二人で特典のジャンボカードダスを片手に、20円のカードダスを回した。
ある時、そいつの家で、そいつの兄が持っていたドラクエ2をやった。
まだ小学校2年生になったかならないかの頃だ。あの難しいゲームを進められるわけがない。
どうすればいいかわからなくて困っていた時、なんとなく俺が言った一言。
「その緑のやつ話しかけたら仲間になるんじゃない?」
知っていたわけじゃない。ただの偶然だ。
でもその緑のやつ、クッキーという名のサマルトリアの王子は本当に仲間になった。
「すげー!」「なんでわかったの?!」
俺は仲間になったこと、役に立てたことが嬉しくて泣いてしまった。
2年生の夏を過ぎた頃、残念そうな顔をした親から告げられた。
そいつが転校するということを。行き先は海外だということを。帰ってくるのは6年後だということを。
俺は泣いた。嫌だと喚いた。7歳の子供にとって、6年は永遠に近い時間に感じられた。
俺とそいつは手をつないで館内を回った。楽しかった。もうすぐ会えなくなるなんて信じられなかった。
船の舵の前で、2人で一緒に写真を取った。それは宝物になった。
3月になり、ついに別れの日が訪れた。
初めて乗る始発の電車。ガラガラの席に2人並んで、いつもと変わらない話をした。
どうか着かないで欲しいと願いながら、やっぱり行かないと言って欲しいと願いながら。
「バイバイ」「手紙書いてね」「6年後絶対会おうね」「約束だよ」
5年生の頃だ。
俺には障害のある伯母がいる。障害は軽度ではあるが、少し言葉が不自由だ。
クラスメイトが、その伯母の口真似をしだした。
俺は子供ながらに、これは絶対に許してはいけないことだ。人として怒らなければいけないことだ、そう思った。
そして口真似をされたら、瞬間湯沸かし器のように怒り、殴りかかった。
当時の俺は学年で一番体が小さく、力も弱かった。
殴りかかられても怖くもなんともなかったのだろう。皆面白がって伯母の口真似をするようになった。
その度に俺は泣き、顔を真っ赤にしてそれを言ってきたやつらを追いかけた。
親には言えなかった。泣いて帰って来ても、「チビと言われた」と嘘をついた。
その時自分を庇い、寄り添ってくれる友人は一人もいなかった。
俺は思った。そいつが、親友がいればこんな辛い思いはしなかったはずだ。
泣いている俺に寄り添ってくれたはずだ。皆に止めろと言ってくれたはずだ。
シールにはにっこり笑ったイラストと、「ゆっくり育っていくんだよ」と文字がプリントされていた。
俺はそのシールを、自分にとって一番大切なものだったスーファミの本体に貼った。
なんて返事をしたかは覚えていない。
時は過ぎ、中学2年生になった。
あの別れから6年後。ついにそいつが帰ってきた。同じ学区内。同じ中学校だ。
その頃はもう周りも悪いことだと気づいていたのだろう、伯母の口真似をされることはなくなっていたが、
未だからかいの対象になることも珍しくなく、鬱屈とした気持ちはずっと抱えていた。
俺は早く親友と会いたかった。親友と再会すれば、きっと俺の味方になってくれる。
あの頃のように人生はまた楽しくなる、そう思っていた。
始業式の日、ドキドキしながら学校に向かい、クラス分けの名簿を見た。そいつと同じクラスだった。
教師からの紹介が終わり、下校の時刻になった。俺はそいつのところに行った。
俺たちは手を取りあって6年ぶりの再会を喜んだ。
どんな音楽を聴いていたのかを知らない、どの野球チームが好きだったのかを知らない。
そいつが誰と仲が良かったのかも知らない。いや、どうしても思い出せないんだ。
そいつは昔とは変わっていた。カッコつけたがりで、多少勉強ができることを鼻にかけ、
スクールカースト上位グループに絡みたがる痛々しいやつになっていた。
いや、それは俺の負け惜しみなのかもしれない。実際にそいつはリア充だったのかもしれない。
そいつは部活も同じテニス部に入った。俺がいるから入ったと、初めにそう聞いたような気がする。
俺は部活に熱心では無かったが、それでも何回も一緒に練習しているはずだ。
一緒に他校に試合に行っているはずだ。一緒に合宿に行っているはずだ。
でも俺にそいつと話した記憶は、笑いあった記憶は、共に時間を過ごした記憶は、一つも残っていない。
何故そうなってしまったのか。拒絶したのはどちらだったのか。恐らく、お互いに失望していたのだろう。
俺は当時、歩み寄らなかったのはそいつだと思っていた。自分の気持ちは変わっていないと思っていた。
でも本当は拒絶したのは俺だったのかもしれない。変わってしまったのは俺だったのかもしれない。
いけ好かないやつになってしまった、そう思うことで自分のプライドを守っていたのかもしれない。
ドラクエVをやって、隠し部屋のヘンリーを見つけて、「あいつ仲間になるんじゃない?」って言い合って、
そして人生で一番辛かったときに、そばにいてほしかった。俺を救って欲しかった。
そうして育んだ絆の上に、「それ以降」が続いてほしかったんだ。
俺の部屋の、そいつから貰ったシールが貼られたスーファミは、その頃にはもうプレステに代わっていた。
先日の話だ。登録しただけで何も書いていないFacebookに気まぐれにログインした。
今でもドラクエで誰かが仲間になった時の音楽を聴くと、少し涙が出そうになる。
「あの緑のやつ、話しかけたら仲間になるんじゃない?」「すげー!」「なんでわかったの?!」
俺には幼少の頃、親友がいたんだ。