はてなキーワード: 毀損とは
インターネット中毒を解消するにはどうするかと色々考えてノートにも対策法をまとめていたのだが、なぜか反動でFacebookに登録してしまった
自分の自由が毀損された時、反動で取り戻そうとするのを「心理的リアクタンス」と言うらしい、チコちゃんが言っていた
それはそうと、やることを増やすから疲れるのだとすると、論文を書く気もブログを書く気もないのに数学をやるのは、意味のないことに思えてきた
数学とは社会に成果を残してこそやる意味があるのではないか、部屋で孤独に「真実」を発見したとして、それがなんだというのか
この考えがベースにあると、何かを学ぶときには、実際にそれを日常で実践して効果が存在する事柄か、または学んだことを応用して社会に成果を残すしか学ぶ価値が存在しないように思うのである
別の考え方もある。つまり、純粋に楽しめればそれはやる意味があるということである
ただ、登山家さえ、成果を社会に提出することで満足感を得ている。誰にも共有せずにエベレストに登っても、苦しいだけだろう
では漫画はどうか。私が子供の頃は、漫画の内容を誰かと共有しなくとも楽しめていた。いや、子供の頃はSNSなんてなかったから、楽しいと思うものは自分だけで楽しんでいた気がする
「社会から反応がなければ虚しい」という状態は、もしかしたら異常なのではないか、あるいは社会を意識するのは大人になった証拠か
人類はどこで間違ったんだろうか
そこ由来の習慣というのはおそらくかなり問題がある
あれらの宗教というのは自陣営が挑戦者の間高効率に働くルールばかりが多い
支配側に回ると強者から転落した弱者を強者呼ばわりして殴りつづける存在になってしまう
そういう南蛮のルールを十分な検討無しに近代化だと思って受け入れた日本も制度がおかしくなってしまった
行政の最小単位は家にして近代化のために家というのは株式会社のような組織であると明治の時にすればよかったんだと思う
法人というのは家のことである、会社というのは家というホールディングスが運営する事業であると
家基準で相続したら相続税無し(現行制度で社長交代時に相続税とられない)家潰れたら国が丸取り
起業なんてなくて家興しする
生活保護なんてのはなくて家が福祉を行う、家が福祉をやり切れない場合や家に属せない者は地方自治体の運営する家や国の運営する家に構成員を引き抜いてしまい構成員なくなったら家潰し
女が寄って立つ群れを消してしまったから子育てが無理になったのではないか
家の事業として取り潰されないために後続を作らねばとなっていればあるいは
中華ゲーのガチャはガチャというより別の概念のシステムなんだよな
国産ガチャが石を溜め込んで(または課金して)物量で運を乗り越えるギャンブル的キャラ配布システムだとすると
中華ガチャは一連分貯まるごとに回してようと貯めて一気に回そうと得られる限定キャラ数や獲得周期は変わらない
なんなら特定の強キャラを何体も重ねるよりも満遍なく確保していったほうがゲーム性を楽しみやすいからユーザーのガチャへのスタンスが真逆になる
特定のキャラを狙おうとするときも、物量に頼るんではなく、排出周期(天井カウント)を見ていれば天井引き継ぎによって計画的にキャラ取得できる「ゲーム」へとガチャ要素が昇華してる感じなんだよ
国産ガチャは「ガチャはガチャでしかないギャンブルもどきだよ」と割り切って公然とevilをやってる感じで、その射幸性ゆえに「ガチャを回すこと」が主目的になりやすい
中華ゲーは「ガチャはゲームの追加要素にすぎんから本編をちゃんと遊ばないと回せないよ、その分中身凝って作ってるからね」という意思を感じる
実際にガチャを一切まわさずに配布キャラだけでも攻略可能なように作ってあることを節々に感じる
その分、育成要素がキツくて時間をかけるか石割って育成リソースを集めるかバトルパス等を頼るかって感じになっている
でもそういう月額的な課金を継続してくれるファンを増やす作りの方が、ギャンブル性を煽って理性を失った0.何%の廃課金者をカモにするソシャゲビジネスよりも未来があると思う
ガチャが主目的になっちゃう古いソシャゲ的な作りだと、ログインだけでもらえるようなインスタントな石バラマキをしたり、毎日10連無料みたいなことをして呼び込まなきゃいけなくなるが
まあ中華ゲーも広告上は日本の頭の古いソシャゲユーザーに訴求するために配布アピールの広告を出してたりはするけども、実際は日本ユーザーが想像するような直接的な配布はなくって、ゲームをやり込んで石回収すると○連分になる、的なオチだったりする
でもそのほうが逆に良いと思うんだよ
インスタントなバラマキが恒常化するってことは、過去に課金して得たキャラの価値がすごい勢いで毀損されていく(インフレ前提)ってことだから
中華ゲーは全体的にコツコツプレイが最重要な積み重ねゲーになってて、国産みたいにぽっと出の新規ユーザーが人権キャラを無料ガチャで○凸できちゃったらモテモテみたいなことはあり得ない
後者は一見いいことのように思えるけど、既存ユーザーを蔑ろにしてることの裏返しとも言える
ビジネスだけを考えるならスマホゲーはいかに新規を取り込むか、いかに新規を優遇するか、という部分が重要なのは分かるんだけど
それが行き過ぎてゲーマーとしての心を失っているかのようなものが量産されてきたから「ガチャゲー」「ゲー無」「ソシャゲはダメ」みたいな刷り込みにつながっていく
モバゲーグリー時代からシナリオだけは評価できる作品等はあったにせよ、ゲームとしてどうなのって意味ではPay2Winの札束ゲーかつ廃課金のカモが無課金乞食を蹴散らすくだらん構造のものとして侮蔑は免れなかった
でも今のモバイルゲームで存在感を示してるタイトルってのはちゃんと時代の変遷とともに悪い部分を脱却して進歩しているものも出てるんだよ
まあ日本のマーケットでは未だにちょっと古い時代古い作りの「ソシャゲ」がセールス上位に来てることもあるから「変わらんなあ」と思ってしまう人が多いのは分かるんだけど
一番進歩的な二次元、アニメ調、このへんの作品の在り方を正しく評価できる人がいないってことならまさに老害化しているとしか言えんよな
ーーー追記ーーー
これでも中華ガチャの何が優れてるか分からんって人のために一目で設計思想の違いが分かるグラフを紹介しとく
https://starrailstation.com/jp/warp#global 統計サイトだが、ここの中段にある「引く回数別の星5跳躍」に注目
低い基礎確率と確率変動によって獲得周期がコントロールされることでギャンブル性を抑えてるわけだな
ただ中華アニメ調ゲームの本当の良さは中身が作り込まれてること
モバイルというハードウェア制約があってもなおコンシューマを超えるようなゲーム体験がある
さらに運営型であることを最大限に生かしてて更新のたびに、動画公開のたびに、想像以上の感動をくれる
漫画連載やドラマをリアルタイムで追っているときしか味わえない類の感動があるだろう?
そういう要素が運営型オンラインゲームにあることを思い出させてくれたのが中華ゲー
なぜ古いソシャゲにそれがなかったのかというと、ないことはなかったんだが
古いソシャゲは揃いも揃って「イベントを走らせる」。つまり毎日特定の作業に長時間拘束される
そこで消耗してしまい、ゲームが与えてくれる芸術的余韻に浸ってる間もなく性能や効率に向き合わされる
これが(青少年保護に手厚い)中華ゲーにはなくて、イベントで反復的な張り付き周回を求められない
まあスタミナ消化部分は反復になるが、スタミナという上限があるしすぐに終わるようになってて、古いソシャゲほど頻繁なログインが求められない
DAUを上げるために古いソシャゲが執心してた小細工部分を、膨大な開発力によりゲーム本体への魅力を感じてもらうことで持続力に代えて、一定の成功をしてる
VTuberはRAINBOW GIRLを歌わないでくれ|YASSU
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/yasssssu_/n/na7f186f26977
もちろん消すのは書いた人の自由だ。それを止めることなんてできやしない。しかしながら、インターネット上のコンテンツが集合知の結晶と考えると、一度アップした物を消すのはインターネットが持つ価値を毀損させるように思えるのだ。
もちろん、個人情報の流出や個人の中傷やデマの流布などは消すべきだ。誤った情報についても、間違えたままアップし続けることには感心できない。だが、文化に対する個人的な感想に関しては感情の問題なので正誤などない。
個人がブログ等で発信する感情的な情報にこそ、インターネットにおいては大きな価値を持つと私は考える。単に正しい情報を知るだけならば、役所や大学などの公的情報なり学術情報なりにアクセスすればいいのだから。たとえ個人的な感想に反対意見が集まったとしても、それだけ多くの人を関心を集めたということで価値を持つことの証左なのだから。
私はあまり記事の主張に同意できなかったが、そのような価値を持つ人がいることは参考になったし、ブクマで集まった情報でも参考になるものが多くて感心することがあった。だが、元の記事が削除されてしまった今となっては、せっかく集まったブクマ等の意見も意味が分かりにくくなってしまい残念な気持ちになる。
増田でも、ちょっとブクマが集まったりトラバで意見が集まっただけでも、すぐに日記を削除する人が多く見受けられて残念な気持ちになることが多い。
こんな時には、私は『西海岸で飲む、いつもの味。』というX(Twitter)の投稿を思い出す。実際にアクセスをして、その投稿が消えないまま残っているのを見ると安心する。もう9年半も経過するが、いまだにそのまま残っているのだ。
今さら説明するまでもないことだが、書いていることには間違いがある。しかしながら、間違いがあったとしても、それを契機に正しい情報が知れ渡るようになったことになったし、(投稿者にとっては不本意なことかもしれないが)エンタメとして楽しく消費することにも繋がったのだ。
私は増田が好きだ。
読むのも好きだし、書くのも好きだ。間違ったことを書くこともあるし、意見が賛同されずに反対意見ばかりが集まることもある。
一度インターネットを通じて世界中に発信した情報は、(著作権法上は私の物だが)全人類に対する集合知の一端を担う情報になったと考えるからだ。その代わりに、増田に投稿する際はしっかりと考える。
といった具合にである。
記事をすぐに消す人は、全人類に対して情報を恒久的に発信するということの覚悟が足りないのではないか。
思ってたよりも堅苦しい主張になってしまったが、間違いがあっても反論を受けてもいいじゃないか、とも思う。『西海岸の人』みたいに、悠然と構えていればいいのだから。何を言われようとも、しょせんはインターネット上の文字情報だからそんなに気を病む必要もない。
これを読んだ人に対して、一度消してしまった記事や日記を再UPしろなどとは主張しない。だが今後は、記事や日記など一度発信した情報を削除するのは控えてほしいと願っている。
これが一部で批判されてる。
このリサってのは韓国でK-POPアイドルとして活動するタイ人。
活動歴的には全く日本関係ないがリリックに唐突にJapaneseが登場する。
本人サイドから真意はアナウンスされてないがリスナーの受け止めの大勢としては
”タイ人なのに日本人と間違われて、あるいは彼女の母国を軽視する意図を持って「日本語教えてくれない?」と聞かれることがあるが「はいはい」と答えてあしらっている”
みたいな意味と捉えられている。
LISAは日本語も話せるため「はいはい」は拒絶の意味ではなく同意だという解釈をしている人もいた。
ただその場合もタイ人なのに何故という戸惑い込みでの同意という解釈。
批判として多いのはアジア人が欧米で間違われるとしたら「中国人」がほとんどなのにあえて日本を登場させたのではないかというもの。
中国市場も今後重要になるし中国人の世論も刺激したくない(反撃されると面倒)から何も言ってこない日本を選んだのでは?という疑惑。
ちなみにMVで踊ってるのはチャイナタウンで、余計になんで日本語?となっている。
反論としてはLISAが日本人によくある名前だとか、韻踏みの関係等憶測含めていろいろ挙げられている。
ただ案の定日本のIQ低そうな音楽メディアでは「日本への愛と国際感覚のセンスが感じられるリリックとなっている。」などと批判派の予想通りかもしれない反応をされていた。
個人的にはハイハイで結局日本語を教えたのか教えなかったのかで変わってくると思ってて
LISAが主体的にハイハイと答えて軽くあしらう(日本人を騙った上でネガティブな対応をする)のであれば、
あーなんかわかったかも
お友達が元増田を舐めまくりで誠意のかけらもないっていう現実を受け入れると美しい思い出も毀損されるから受け入れられないのでは?
そして、「日本国債はただちに格下げが生じる状況ではないが、注意は必要」とか最近発言があったとはいえ、日本は通貨の強い先進国です
通貨の弱い国ならともかく、先進国で通貨の強い国で無限に選択肢があるのだから、やらないという選択肢はありました
(というか通貨の弱い国の人は、逆の立場だったら、無限にやらない人いると思います)
あと真っ当な職業であれば、性病になったり、ヤバ客に付き纏われたり、経験を積むほど価値が下がるとか無いです
若さが失われるほど価値が落ちる・ヤバ客に付き纏われたりは、アイドルとも通じるものがありますが、業務中に性病になる職業はセックスワークだけです
なので、性病にならない・年齢で価値が毀損しない・身分を隠せる、バーチャルセックスワークなら消極的に有りだと思います
ただ、比較的人権的にマシな形態にしても、結局はイメージ商売なんで、芸能人パワーが弱かったり・慈善家アピールが弱かったら、キックされると思いますけどね