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2019-01-16

姉の話を聞いてほしい

私には年子の姉がいた。

正確に言うと、姉はこの世に生まれて来れなかった。姉が亡くなった直後に私が妊娠したため、親や親戚からは「姉の生まれ変わり」「姉と一心同体」と言われここまで生きてきた。


姉のことは20数年間生きてきて1度も見たことがないし、声も聞いたことがない。

でも、姉の存在を感じることは多々あった。


小学校2年の頃、学校廊下を歩いていたら後ろから頭を突かれた。でも振り返ると誰もいない。

当時ビビリだった私だが、何故か怖くなかった。

これが姉との出会いだった。


姉は、私が弱っていると助けにきてくれていた。

本当になんども助けられた。

私は親から「姉の分まで幸せに生きないとね」なんてことを20数年間ずっと言われてきたので、「ふたりで生きていこう」と思っていた。

私は昔からトラブルに巻き込まれやすい体質だった。

小中高、いろいろなトラブルに巻き込まれた。

どうしようもないぐらい辛くて、死にたくなった時、いつも姉は助けにきてくれていた。


高校時代不登校になった時も、姉はいつもそばにいてくれた。



大学に入り、ちょっとメンヘラお姫様気質彼女に振り回されて死を覚悟した時だった。

この頃になると、寝る前に真っ暗な部屋の中で泣きながら姉を呼び「こんなことがあってしんどい。助けて。」なんて訴える日もあった。しっかりと声に出して。

から見たら「独り言を言うやべー奴」だが、私はしっかりと姉の存在を感じながら話していた。

その夜も訴えた。泣きながら「死にたい」と言ったところで意識が途絶えた。



夢の中で姉と会った。

もちろん顔は覚えてない。何を話したかも覚えてない。

でも、姉は私に会いにきてくれたのだ。

そのことだけは衝撃的すぎて忘れられない。



姉のために「永遠幸せ」を求めて生きてきたけど、そんなものがないってのを教えてくれたのも姉。

幸せではないし、むしろ今すごく辛いけど、姉がいるから私は生きていける。


ふと文章にしたくなったので書いてみた次第。

ちゃん、見てくれるかな。

2019-01-15

酔っぱらいホテルへ連れて行けなかった

ことの後悔を延々としている。

Yさん送別会でのことだ。

バイト先の、一つ年上のYさんの話。

Yさんは地頭が良く知識技術があるのに、ギャンブルにハマりネズミ講に手を出して借金を抱えている元フリーターだ。

面白く優しい性格や、決して欠勤しないタフさからバイト仲間からの人望も厚かった。

私も彼のことがとても好きで、もっといろんな顔を見たいとちょっかいを出していたし、向こうからも時折構ってくれていた。


会って2ヶ月くらいの時に、ご飯行きましょとダメ元で誘ったことがある。

「いいよ、行こうぜ」という快諾に心躍らせたのも一瞬、彼の背後にはバイト仲間の暇な男性陣がニヤニヤ立っていた。

私の乙女心まんさいピュアピュアラインメッセージは、知られたくない所に晒されていたらしい。

悔しくもあったけど、みんなで行ったカラオケもまぁ、楽しかった。


その一ヶ月後に私はとある男性と恋に落ちて、付き合うことになる。

筋肉で攻められるセックスがすごくて、私は彼に夢中になったけれど、バイト中にYさんに絡むことはやめなかった。

バイト仲間との飲み会の時にカレシができた報告をすると、誰よりも目を丸くさせていたのは隣の席のYさんで、間髪入れずに「どこが良かったの??」と聞いてきた。

「てっきりYさんのこと好きなんだと思ってました」と年下の子に正解を言われて、彼氏最上級に持ち上げた後、Yさん、好きですよと雑に告白した。


そこから季節が一巡しようとしている。

Yさんとシフトの日には気合を入れて化粧をし、深夜に店を閉めた後はYさんの家の方角までちょっと付き添って適当に話をして、踏切の前でさよならして少し遠い家までチャリ飛ばして、大雨の日にはYさんが「今回だけだからな」と車を出して家まで送ってくれて、二人で暇なバイトの休憩時間は一緒に動画をみて、みんなでよく行くボーリングラーメン屋でも食べて遊んで笑って、酔ったYさんからラインがきても動じずに返して、飲み会で私の足を舐めてきても笑顔で許して、ふと「動物園行きません?」って聞いてみたらめちゃめちゃフラれて、

トータルで言えば仲良くやってたと思う。

でも私は常に、もっといろんな顔がみたいと思っていた。


Yさんの送別会があったのだ。

時間ギリギリに入って行った私はYさんからは遠く、でも楽しい席だったのでワイワイ喋っていると、向こうからあいつうざいんだよな」「服の色同じじゃん」と絡んでくるくるくる。

後半戦になり気づけば彼は隣に移動してきていて、顔やスタイルを褒めてきたり、反対に性格をこき下ろしてきたり、女子が送った花束を私に持たせて写真を撮ろうとしてきたりと、随分私のことがお気に入りのような動きをしてくれる。

宴会の場で、彼も調子がよくなっていたし、私もまた調子よくなっていた。


二次会カラオケで彼の酔いは加速し、本能のままに動く妖怪のようになってしまう。

隣に女の子が入れば抱きしめ、頬にチューをし、寝言のようなことを囁き、知ってる曲が流れればマイクを求めて這い始める。

言うことは支離滅裂で、全てを百楽しんでる姿、私はそれが面白くて仕方なかった。

うるさくて聞こえないって顔を寄せれば「チューしちゃうからこっち寄ってくるな!俺チューしちゃうから!」と理性と戦う所とか、急に理性に負けてチューしてくる所とか、普段絶対言わない言葉で顔や仕草を褒めてくる所とか、頭を撫でてると急に手首を噛んでくる所とか、無闇矢鱈に踊り出す所とか、また急に理性に負けて押し倒して首筋を舐めてくる所とか、人がお酒に飲まれた姿を記録するのって最悪だと思うけど、言葉にして思い出しただけでも笑えてくる。


ただ、私がどうしても笑えないのが廊下でのキス

廊下で今更真面目な顔をして「キスしていい」と聞いた妖怪からキスは、とろけてしまうかと思うほど柔らかくて、びっくりした。

柔らかさもそうだし、圧や動きもすごく気持ちよくて、べろはふれてないのに、なんでこんなに動揺してしまうんだろうっておもった。

彼氏のこととか明日就活のこととか全部忘れてセックスしたいって、おもった。

妖怪はなおも続けようとしたけど、後ろからバイト仲間にみられているのを伝えて終わりにした。

とにかく気持ちのいいキスだったので、帰りのエレベーターにYさんと二人乗り込みもう一度させてもらった。

今度は入り込んできた舌が熱を持っていて、とてつもなく気持ちよくて、もう多分会えないであろう寂しさが溢れて、ドアが開く前に「私Yさんのこと好きだったんですよ」と言ってみた。

「でも俺ホテル行く金ないよ」と返されて爆笑した。

笑って、冷たい外気にやっと触れて、ようやく私は冷静になって、もう素直にYさんを家に送り届けて自分も帰ろうと決意した。

Yさんは皆の目を盗んで二人で抜けよう、ホテルに行こうと必死に画策してた。

そして他の仲間の協力もあり、無事に半勃起のYさんを家まで送り届けた。

帰りにラーメンを食べて、方向が同じ人とタクシーに乗って帰宅した。

タクシーの中で携帯を開いたら、Yさんからの不在着信が2件と、私の彼氏disる内容のメッセージが入っていた。おやすみなさいって返しておいた。

翌日になると彼は綺麗さっぱり昨日のことを忘れていて、ただ何かあったことだけは察してきちんと謝ってきました。ちゃんちゃん


ただどうしても私は、あの唇の柔らかさだけは忘れられない。

二人で遊ぶのは全て断られたし、きっと今後私が今の彼氏と別れて誘っても無理なんだろうなぁ、もっかいキスしたい。

2019-01-14

ぼくの公立中学校の荒れた実態

インターネットで「子供公立中学校に通わせて多様な階層の生徒らの中で人生経験を積ませたい」という意見を見ることがあるので、

公立 / 私立選択の参考として、ぼくが通っていた(2006年度~2008年度)地方公立中学校の荒れた実態を書いておきます

当時は普通と思っていたが、犯罪レベル出来事もたくさん起きていました

必要人生経験も多いんじゃないかなあ、と思います

3割不良、1割不登校

残りの6割の中にも軽い不良や不登校には至らないものいじめられている子がいるので、、

皆さんのお子さんが公立中学校へ入ったとして、普通暮らしていければラッキーという感じですね。

(じゃあ私立中学校のほうが教育に適した文化なのか、は知らない)

2019-01-13

のらやん、あるいは

学生時代からの友人に金を貸していた。

やっと返せるとLINEがあったので、よく一緒に飲んでいた東梅田居酒屋まで足を運んだ。

「すまんな」と私の姿を見るなり彼は謝った。「これきっちり返す。ほんますまんかった」以前より痩せて、顔色が悪くなっていた。

目が血走っている。「東京行ってたんや」そういうとビールを飲み干した。

「そうか。まあ返してもらうつもりもなかったんやけど。仕事見つかったなら何よりや。今何してるん」

「あ、また仕事なくなってもたんやけど・・まあ当分金あるから・・」「いや金あるからって」なかなか本心を話さない男だ。昔からそうだけども。

退職金結構な額でな。」と薄く笑う。「いや、お前何してたん?東京で。」「あ、うん、俺、実は…やっててん…」「ハイボールお待ち!」どでかい声の店員に音声を消される。

ちょっと聞こえへんかった。何やってたん」「ん…単語ではわからんと思うから説明するわ」そういって彼はポツリポツリ話し始めた。

派遣先東京仕事があると言われ、彼は新幹線で向かったが数日でミスが多すぎてクビになってしまった。派遣会社とも揉めて、そのまま無職になり。

持ち合わせていたお金で酒を飲み、ゴールデン街入口で座り込んでいたという。

「ほなら、ええ服来た若いちゃん声かけてきたんや。君、うちにけえへんかって」

彼は、怪しいと思いながらも、男についていくことにしたのだった。

男はマンションの一室の鍵を開け、大声で叫んだという。

「大変だお母さん!てね。なにゆうとんねん思ったんやけど。ほなら女の人が出てきてな。手にぬいぐるみ抱えてるねん。ほんでな。裏声っていうんかなそれで、おかえりとかいいおるねん」

彼はどうふるまっていいのかわからなかったので突っ立っていた。すると、男に別室に連れて行かれた。

「今から約束を守ってもらう。君は一切彼女に話しかけてはならない。そしてぬいぐるみにもだ」

そして黒いぬぐるみを渡された。「これを私の言うとおりに動かしてくれ」と言われた。

意味が分からなかったが、男の言うとおりすれば、金ももらえる。

彼女はどうやらぬいぐるみ子供だと思い込んでいたらしい。そしてその子供にいろんな経験をさせてあげたいと考えているそうだ。

男は少し涙ぐんで彼に伝えた。

彼は男の指示どおりふるまった。ぬいぐるみを男の言うとおりセッティングする。時に男は写真を撮った。

しかしそれを何に使うのかは聞いてはいけなかった。スマホも取り上げられていたのだという。

そしてある日突然、帰っていいよと言われたのだった。男に聞いたが「ストーリー上の都合でね」という返事があったのみで、

ここでの出来事公言しないことを条件に、金とスマホを渡され、彼は大阪に帰ってきた。

「ほんでな、まあこないして自分に金返せたわけやねんけど」「ようわからんけど、なんやてんやろな」

「さあ…あ、ちょっと待って」そういうと彼は椅子から降りて廊下に出た。

しばらくして戻ってきた彼は支払いを済ませようとする。「ありがとうな、いやアニキが迎えに来たよってに」

「え、アニキって?」「うん、なんかごめんとかかっこええお兄ちゃんになるとかいうてる。入り口のとこで待ってるやん、ほら」

彼の指さす先は、立ち入り禁止のボイラー室への入口だった。

階下は真っ暗で人の気配もない。

彼は嬉しそうに階段下りて行く。

「おい、待てや、どこいくねん」返事がない。

「おい」私の声は闇に吸い込まれていく。

下の方から、ヒタヒタ…という音が聞こえた。

彼の足音もそれに同調する。

女性裏声がとぎれとぎれに響く。

「はぱ!」彼の元気な裏声が聞こえたようだが。

私はどうしても降りることができなかった。

2019-01-12

猫登場

廊下の方でニャーンと声がしてからワンテンポ遅れて

再びニャーンという声と共に、引き戸の隙間から猫が現れる

効果音と共に舞台の袖から役者さんが出てくるときみたい

かわいい

2019-01-10

anond:20190110234610

温泉だと家族温泉ってのがあるし別にそれでいいと思うんだよね

トイレ障害者用個室が男女わけられてない廊下から入って使える

 

あとはLGBTにビタ1文も得させたくないやつらが自爆に気づくのをまつだけ

2019-01-09

オー・ヘンリー怪作選

マドレーヌ専門雑誌

人類初の十字架

暮らし芸者

風に飛ばされない研磨剤

色あせた成長記録

トイレ洗剤の父

奈良漬ガンマン

メスシリンダートイレ

点字で書かれたランボルギーニ

鉄粉コーティングしたNo.1アメリカン

総務様来訪中

スケルトンカフェオレ

日本海武器輸送

続・CM

大衆爆薬

指導者計測機

神父の見抜き方

タイツ診断書

自動ドア用水

溶接タイプ表現者

画材病室

プロペラをまわす素数

屋台奮戦

ガイガーカウンターフェスティバル

卵をあたためる釣り

消火栓タイマー

交付金navi

洪水のような金屏風

会員限定どんぐり

むにむに神社

ちゃんとしている移民

飛行場民宿

ズボンしか履かない面接

田舎ゴルフ会員権

心霊音叉

せせらぎ委員長

食器演算子

ベビーカー生誕の地

マッサージチェア上手

ロレックス合唱

母性添加剤

促進センターはどこへ?

土俵ティンパニ

金曜研修

空一面を覆うスーツケース

逆利きミニ四駆

地の果てアップルパイ

コーンポタージュ商品券

闘争経験

辞表見張りサービス

人材育成センター

棋士

ドイツ仕込みの水銀

本格派の二人組

しおりを挟んだブルドーザー

イヤリング型の宇宙ステーション

来店検知震度計

記事劇場

カーネーションバレエシューズ

介護養蜂

経験信号機

かつお旅人

落武者の周辺が騒がしい

毛筆時間です

デートで使える修正ペン

ネクタイ宇宙ステーション

砂漠新聞

引き出しがついた基準

愛犬シロップ

未亡人剥製

地図入り大論争

襟と灯台

裁判官経済特区

マリア品評会

防塵試写会

路線図教習

組み込み内閣

アドバルーン製本機

実業家鹿鳴館

歌姫出生届

後味の悪い船旅

多摩平団地を支える南京錠

石油王派遣会社

マインド祭列

通電稼業

宣教師部品

インベーダーフェア

煉瓦猟師

恐縮仕様書

埼京線地球儀

うなぎ従事

イオン裁判官

水かきはしご

トーク(西フランスより)

地下水くみあげ方程式

女子忘年会肌着

借用書今川焼

半月スポンサー

編集部員大画面時代

通り雨コピー機

ビジュアル系渡り廊下

スカーフ島耕作

決定戦3級

生々しいアパート

広告代理店短冊

怖すぎるネット書店

ランニング相場

ゴマだれ選挙

少数民族日記帳

高等学校別料金

美人スクワット

拝みソムリエ

背中を支えるセメント

丸腰試作車

ボウリング球御膳

VR体験する渡り

パノラマ勉強会

夜の海

なりすまし祭り

働き者競争

売り切れ上司

三本足がついた発光体

貢献アトム

一家揃って漁港

中身を隠す深呼吸

立地羊飼い

富士山貸金庫

ストーン重量挙げ

ヤシの実ショートムービー

リンパ慕情

朝ドラインターホン

日光杉の乾物

異常をメールで知らせる応接セット

年度末電力

極貧レスキュー

勝ち逃げ同窓会

上げ底ホームパーティー

蚊取りパーツショップ

鉱山ティー

年功序列入会申込書

もも課長

心拍ハイライト

個人向けモンローウォーク

海外視察ツアー重唱

横須賀海軍ゼミナール

ビギナー向け討論番組

ベーカリー住民投票

とうがらし合宿

焼き色をつけたショッピングカート

9つの機能を備えたトンネル

解毒作用のあるレシピ

スタジオ列島

落語家生活

一億総ガンマン

桜田門観光バス

自らを育てる体育館

産卵さら

グラフィック投票所

YMO狩り

世渡りミニバン

ヒッチハイク進行中

女将重量挙げ

タイヤホイール講師

岩肌ロータリー

わかりやす企業案内

カプセル型の卒業アルバム

宙返り商談

サッカー部印鑑証明書

感想抽出

見よう見まねコンデンサ

職場に設置したルー

家賃ステッキ

おかえり鍾乳洞

CG格納庫

エアコンつきの外車

インベーダー消しゴム

三三七拍子POP

ファシスト接待

忘れ物が減るTシャツ

世俗心理カウンセラー

テレビ支援センター

担当役員ファッションショー

世界最古のスコアラー

鉄道業界向けホットケーキ

残念なスイートルーム

ドリンクチキン

交通ルー睡眠

助言を求めてくる合格発表

神経細胞楽譜

粒貝Gメン

未亡人の正体

インクを使った処理

お宿デー

よろしく採用活動

アフィリエイト馬主

から吹き矢

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遠征の胃袋

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ぐっすりくじ

正体不明の売買

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瀬戸内定食屋

バレエ猛虎

宅配便で送れる特急

ピコ宿泊

部屋の半分が担架

ダビングできる土佐犬

未来都市促進剤

ストライクゾーンの広い学長

損益分岐12ヵ月

手品難民

2019-01-08

コミュ障初恋片思い6年間の一部始終

コミュ障婚活マッチングアプリ出会い別れるまでの一部始終」(anond:20190106214218)という日記を書いた者です。

前回の日記を通じて、自分経験文章に落とす作業をしている間はすごく気分が晴れるということに、生まれて初めて気づきました。文章を褒めてくださる方もいらっしゃったので、調子に乗ってもう1本、投稿してみます(読み手を選ぶ内容なので、さほどブックマークはつかないと思いますが)。また、前回の日記では、あたかも僕が恋愛経験コミュニケーション能力以外の点において完全なる真人間であるかのような印象を与えてしまったので、ちょっと彼女に対してアンフェアだったな、という懺悔の思いもあります

僕が中学生高校生時代に、人生で初めて好きになった方の話をしたいと思います

僕が通っていたのは、中高一貫男子校でした。所謂進学校で、有名大学進学率がKPIになっている、勉学を重んじる厳しい校風でした。

中学校の登校初日入学式を終えた新入生は、疲れた足取りで初めて行く自分教室へ向かっていました。殆どの生徒はお互い初対面なので、会話もまばらでした。1人で居ても目立たなくて良いな、ずっとこのままなら良いのに、などと思いながら、僕は人の波から少し外れたところを歩いていました。

廊下の角を曲がった時、僕は斜め前を歩いていた同級生の1人に気づきました。サラサラストレートの髪に、小さな顔、大きな瞳、長い睫毛。人生で見たことのある誰よりも格好良い男の子が、そこには居ました。

これが、一目惚れか、と、冷静に思ったのを、はっきりと覚えています

彼と僕は同じクラスでした。彼は、才色兼備な人でした。文武両道で、サッカー趣味。優しい性格で、愛嬌があり、話は面白く、友人も多い。笑顔キラキラしていて、王子様のように見えました。過去を美化し過ぎだと言われるかもしれませんが、アイドルグループ所属していてもおかしくなかったと思いますクラス文化祭に出店した、大して美味しくない割高なタコ焼きも、彼が声を掛けた女子学生は全員買ってくれました。

僕は、絶対に彼には自分の心の内を明かさない、と決めていました。傷つくのが怖かったのもありますが、彼の人生劇場の登場人物として、僕はあまり分不相応だと思ったからです。僕は、彼が僕を抱きしめ、名前を呼びながら優しく髪を撫でてくれることを想像し、時に嗚咽しながら床に就きました。僕の人生は泣いてばかりです。今思えば、この時の涙の理由自己憐憫でした。努力放棄し、自分自分のことを追い詰め、思考停止して悲劇のヒロインを気取り、自身を慰めて、精神的な安寧を得るのが日課になりました。幸せと虚しさが入り混じった複雑な気持ちで、彼と時空間を共有できない夜をやり過ごすことしか、できませんでした。

僕は「好きな人の好きなものを好きになる」タイプでした。彼があるアイドルファンだと聞けば、プロフィールを暗記し、出演するテレビ番組を観ました。彼がよく口ずさんでいた洋楽アーティストCDは全部借りて聴き、歌詞まで覚えました。そうして仕入れ話題で彼に話しかける勇気もないのに、です。

ある日僕は、彼と彼の友達教室の窓辺で繰り広げる雑談に聞き耳を立てていました。彼は、塾で出来た初めての彼女ファストファッション店に行き、お揃いのトレーナーを買ったと、少し恥ずかしそうに、しかしとても楽しそうに話していました。僕は彼に彼女ができていたことさえ知りませんでした。完全に狼狽しました。彼は彼女のことが好きで、僕が知ることのできない存在であるその彼女は、僕の見たことのない彼の表情を知っているのです。結局、その日は何もやる気が起きず、トイレに籠って残りの授業をサボってしまいました。泣き腫らした顔を誰にも見られたくなくて、放課後、日が沈んだ頃に個室を後にしました。親には怒られましたが、何も言えませんでした。

でも、サボってばかりいたわけではありません。むしろ勉強には必死で取り組んでいました。彼と同じクラスになるためです。入れ替わりの激しい特進クラスを6年間ずっとキープし続けたのは、とうとう彼と僕だけでした。彼は文系コース、僕は理系コースでした。本当は彼と同じコースに進みたい気持ちもありましたが、無理して高い授業料を払ってくれている両親の顔を思い浮かべると、人生を棒に振る可能性のある決断をする勇気は出ませんでした。それでも、少しでも多く彼と同じ空気を吸っていたくて、受験必要のない文系科目まで、教頭に頼み込んで時間割の許す限り履修していました。ただ、残念ながら僕の学力は彼に遠く及ばず、別の大学に通うことになるのは自明でした。最終学年になって勉強モチベーションを失った僕の成績は、急に翼を失った鳥のように落ちてゆきました。教師全員にひどく心配されたのを良く覚えています

高校3年の1学期の席替えで、僕の席が彼の後ろになりました。夏休みまでのたった数ヶ月だけですが、世界中の誰よりも彼と一番物理的に近い場所占有できる喜びで、胸がいっぱいになりました。居眠りの振りをして机に突っ伏し、いつの間にか仄かに甘い香りを纏うようになっていた彼の背中に近づきました。息をするたびに、彼と一体化してゆくような、幸せ気持ちが溢れました。放課後、憶えた匂いだけを頼りに、彼と同じ香水を探しました。塾を休んで、お店を何軒も梯子しましたが、結局見つけることはできませんでした。

ある授業の小テストで、僕が酷い点数を取ったことがありました。回収の号令が掛かり、自己採点した答案用紙を、前の席に座る彼に恥ずかしそうな顔で差し出すと、彼は僕の眼を見て「可愛い」、と言いながら、優しい笑顔で受け取ってくれました。どういう意味を持つ言葉なのか、しばらく理解できませんでした。その声色は、今でも耳にこびり付いています。辛いことがあった時に、何度も、何度も心の中で反芻して、その度に涙を流し、頬から耳まで真っ赤に染めました。

彼が僕の気持ちに気づいていたのかどうかは、卒業するまで、ついに分かりませんでした。

この日記は、彼の好きだったEric Claptonを聴きながら書きました(この日記では固有名詞を一切出さないという自分縛りがあったのですが、これだけ例外にさせてください)。自分の中で強く記憶に残っているエピソードを集めてみたのですが、結果として完全なる狂気という印象になってしまいました。常にこのような変態行為に走っていたわけではないことだけ、申し開きをさせてください。この時期にできた数少ない友人の一人とは、年に一度、母校の文化祭に行く間柄を保っています

彼とは、高校卒業以来、一度も会っていません。大学に進学すると、僕は別に男性が好きだったわけではないのだということに気づきました。ただ、6年間、彼という重いアイロンを掛け続けた心の折り目はなかなか消えず、随分とひねくれたまま大学生活を送ってしまいました。

客観的に読み返すと、僕は本来的には恋愛依存体質で入れ込みやすタイプなのかな、と思いました。これをコントロールできるようにしないと婚活中に精神病みそうですね。

この日記をどうしても書きたくなったもう一つの理由は、前の日記の「彼女」が、3次元ボーイズラブ小説執筆をこよなく愛していたからです。彼女は、本当に親しい人にしか言えない秘密だと言って、4度目のデートで僕にその趣味を打ち明けてくれました。彼女に僕の経験を伝える機会はついにありませんでしたが、あの時僕が彼女の良き理解者として振舞えたのは、中高時代の彼との思い出があったからこそでした。

この日記を、「彼」と「彼女」に捧げます

《2019/01/10 追記

ブックマークコメントを読ませていただきました。「まともな人かと思ったらヤバい奴だった」みたいなことを云われるのではないか心配していたのですが、杞憂でした。お薦めしていただいた漫画面白そうなので読んでみようと思います。あと、「明治文豪が書きそう」とあって笑ってしまいました。読書量の少ない人間がそれらしく文章を書こうとすると、学生時代に読んだ著名な本にしか影響されていないことが透けて見えてしまものですね。僕は「こころ」が好きでした。この日記遺書にならないよう精進します。

2019-01-06

anond:20181224154501

今更だけど追記です。

はてな女子に会いたい」という記事を書いたものです。

id:mokkoda4 “人を人として見てくれる女子がいる”じゃあ私たちのことも「女子」じゃなくて人として見てくれ。

女子という言葉の使い方を誤ってしまいました。自分一般的女性という意味で「女子」という言い方をしたのですが。。

不愉快に思われてしまった女性の方々には大変申し訳ございません。

もちろん、人としてみています。そしてあなたは人であり、女性なのです。

どんな年齢、容貌の方であろうと(おそらく気にされているところはそこだと思うので)"女性"が人として見てくれることが大事なのです。

自分女性性を否定するところから始まっていますが、どうしようもなく私は男で、あなたは女であると言う事実は覆りません。


私は、どんな女性に対してもコミュニケーションを取ることができなかった。

しろキモい根暗と嘲られ、虐げられてきた。

教室女子目線が合っただけで、目線が合った女子たちの話題自分が如何にキモいかという話題に変わり、

廊下ですれ違うときは思いっきり避けられて、侮蔑視線が突き刺さった。

キモいと言われる原因は容姿以外にはわからないが、自分でもわかっていないところで何かしてしまっていたのかもしれない。

それが何かわかっていないか自分ダメなんだろう。彼女たちを不愉快にさせてしまたことを今なら謝ることができる。

しかしたら、どれだけ罵しっても反撃どころか、涙目になって机に突っ伏すだけの、征服できる「弱い男」という存在彼女たちを増長させていたのかも知れない。

これは最近のすれ違いにわざとぶつかる男の話を聞いて、それを逆にしてひどくした版だったのかなと思った次第。

何にしろから女性とは、畏怖すべき対象であり、また憎むべき対象となった。

帰り道の間、見かけて女性いかにどうやって殺すかについて考えることが、唯一のストレス発散だった。

学校では何もかもが辛くて怖くて、そんなことを女子に対しては考えられなかった)

その思考実験社会人になっても続いた。どうやったらあいつらを苦しみ抜いて殺せるのかと。

年齢とか関係なくに。何故ならあいつらが成長したところで、その悪性は変わらないから、と。


私が、はてぶ女性(語呂が悪い。。だから女子にしていたというのが一番の理由)に会って感謝を述べたいというのは上記気持ちがだいぶ和らいだからです。

女子とかおばさんとかババアとか関係なく、女どもはすべからく苦しみ抜いて殺されるべしという考えができなくなったのは、はてぶ女性のようなまともな女性も殺すの?というカウンターが私の中に芽生えたから。

まり、だからあなた生物学的に女性であるという事実大事なのです。

あなたたち自身が、自分女性であることについて、また男性についてどう考えているかはわかりません。もしかしたら、私と同じようにコンプレックスの塊で、実は男なんて殺したいと思っている人かもしれません。

ただ言えるのはあなた達は、それでも、あの時の女どもよりは「まとも」だと。

これは一方的感謝です。感謝押し付けです。

気持ち悪がろうが、私は感謝したい。はてぶに女性がいてくれることを。

2019-01-05

anond:20190105141422

中学校廊下フェイントの練習やってるヤツがいたかコートファサアって羽織るようにしてたよ

まあ視覚障害者をこけさせ大怪我させるまでやめないんだろうから早めに別れるか

師匠筋がまともそうならそっちに告げ口して絞ってもらえ

2019-01-03

anond:20190102063518

北大の人がいたので懐かしくなって自分も書いてみたが、どうやら消してしまったらしい。勿体ない。

だがまぁ見かけたので僕も自分語りなどしてみようと思う。もう20年は前の話なので話半分程度に聞いて欲しい。あ、とくに受験に役立つ話とかは無いです。自分語りのみです。

中学時代

 関東のどこにでもある公立中学に通っていた。

 成績は良い方だったが先生にウケがいい方だったかというと別にそういうわけでもない。虐められていたわけでもないが、自分にはよく分からない理由からかわれることがあった。

 当時は少し不思議がる程度だったのだが、今にして思えばクラスの中でも割と、いやかなり浮いていたのだとは思う。

 成績はトップクラス運動もできた(サッカー部で足が速かった)から大事に至らなかっただけで、先生にも同級生にも興味が無く、他人不快にさせても気付かず、いつもぼんやりとしていて一人遊びが好きな子供だったらしい。昔、母親に「あんたは自分が虐められていても気付かなそう」と言われたことを今でも覚えているが、つまりはそういう子供だったようだ。今でも他人の心が分からないのは変わっておらず、割と苦労することが多い。

 暢気な性格であり、行く高校も学区内で近くて偏差値が高いところ(親が文句を言わないところ)であればいい、と思っていた。滑り止めも受ける気がなかったので調べもしなかった。今なら分かるが、そういうとこやぞ。

 その上適当でも受かるのが分かっていたので真面目に受験勉強もしていなかったところ、みかねた両親からとにかくお前はもっと偏差値の高いところを一校受けろ、と言われ学芸大附属高校を受けることになった。

 自主学習では限界があるということで近くの塾にも行ったが、バイト大学生先生過去問を見せても的確な解説が帰ってくるでもなく困った様子だった。そこで使っていた教材とのレベル差も大概だったしまぁ仕方ない。というかそこはあくま学校の授業について行けない生徒の補習的な個人塾だったようで、よく考えれば筋違いである。高難易度受験校に受かろうとするならそれ相応のところに行く必要があったはずだ。まぁ当時は僕も両親もそんなことはよく知らなかったし、塾ならどこでもいいだろう、という程度の発想しか無かった。

高校時代

 学芸大附属高校には当然かすりもせず、第一希望公立高校入学する。

 世の中には自分と似たレベルあるいはそれ以上で勉強が出来る奴がいるんだなぁ、というのをようやく理解するが、この頃でも生来ぼんやりした性質は変わらずにのほほんと学校生活を過ごしていたらしい。変人の多い学校だったのであまり浮いていなかったようだがたぶん中学の時と余り変わっていなかったはずだ。

 今でも覚えているのだが、廊下ですれ違った先生挨拶をしながら「この人どこかで見た顔だな……」と思っていたが、よく考えたら一年世界史の授業をしてくれた先生だった、という事があった。他人の顔や名前を覚えるのが苦手だと思っていたが、そもそも他人に興味が無いのだ、という事に気付かせてくれる出来事であった。今でも仕事で会う人の顔と名前が一致せずに苦労しているし、これはどうにもならないのだろう。

 大学受験という物に本腰を入れ始めたのは三年からだった。

 といっても例によって「まぁどこでもいいかな……」という感じだったのだが、両親から「国公立」「一人暮らし」「浪人は一回まで」という条件を出され、紆余曲折合って北大を志望することになった。

学校に進路相談をするでもなく、成績とのギャップに悩むでもなく、軽く決めたので相変わらずアレな性格だったらしい。

 友人に東大を受ける奴がいて、そいつ天才だったので自分の分というのはよく分かっていた。数IIIの定期テスト理系コースの学年平均点が30点くらいだった(僕もそんなものだった)のに、そいつだけ満点近くを取っていたし、暇つぶし数学の高難易度問題集をやるような奴だった。世界が違うなぁ、というのが正直なところだったから妬むこともなかった。

 受ける模試はいいとこD判定(一度だけCが出た)、予備校には行ったが授業が身になった気はせず、もっぱら図書室や自習室でひたすら自習する日々であった。

 どこに自信があったのかは知らないが、センター何となく取れると思っていた。実際目標ラインの点数を取れた。

 過去問を解いていても2次試験がイケる自信は全くなかったが、恐ろしいくらい焦ることがなかった。他人事のように淡々勉強をし、まぁなんとかなるでしょ、と楽天的な構えを取っていた。……もっとも、この性質のツケは後で受け取ることになるのだが……

 試験から帰ってきてから溜まっていたエロゲー(年齢がアレだがもう時効だと思うので勘弁していただきたい)をプレイして春休みを過ごし、ネット合格通知を見ることになった。合格祝いに買って貰ったノートPC月姫プレイしたことを良く覚えている。

 勉強自体特別なことは何もしなかった。テキストを読んでもよく分からなかったのでひたすら過去問を解いたことくらいだろうがそれだって目新しいことではないはずだ。

 まぁ、北大程度の人間から画期的な物を期待されても困る。そういうのは東大京大に行った人達に任せておきたい。

【その後】

 入ってからものほほんと過ごしていたところ、4年の時に8割受かるはずの院試に余裕で落ちて途方に暮れるという事になった。人生適当に過ごしていたことのツケをここで受けることになった……が、結果的には塞翁が馬という奴で何が幸で何が不幸かは分からない。

 冬の再試験を受けるかそれとも今から就職活動するか、と教授に言われたが、どうやら自分にはアカデミックな才能は無さそうだ、というのに薄々気付いていたので就職活動をすることにした。人間にも物事にも興味が薄く執着の無い人間にとって研究の道はあきらかに向いていないのでこれは正解だったと思う。

 といっても時期は既に秋、適当一社だけ受けてダメなら就職浪人でもするか、と思っていたところを拾って貰い、そのまま就職して今に至る。

 適当に選んだ会社だったが気付けば海外を飛び回ることになり営業のような技術のようなよく分からない仕事をしている。しんどいしんどいしさっさと仕事辞めたいとは毎日思っているが、給料がそこそこいいので未だに辞められていない。

 ソーシャルゲーム課金し、声優を追いかけ、両親に「あん結婚は」と追い立てられる普通ヲタク人生を送っている。誰か結婚して下さい(

2018-12-30

幼馴染が失恋した

きな子失恋した

学生時代から小食で華奢な子だったから、ショックでご飯が食べられなくなるとあっという間に痩せて、ついでに風邪をひいて動けなくなっていた

近くに住んでいたのでお見舞いに行って、数日間は人恋しいという彼女廊下に寝泊まりして看病して食事を作るようになった

自分彼女と同性、でも学生時代から彼女のことが好きで、でも彼女は恋多き人で彼氏が絶えなかった。なので親友という立場で諦めてこうして押しかけ世話を焼いている

彼女が新しい人と付き合う報告を聞くたび、プチ失恋を繰り返し、別れるたびにあれこれ世話を焼いてるのがありもしない「彼氏枠」を狙ってるみたいでみっともないなーと思いながら、自分彼女に作るおかゆが炊けるのを待っている。

2018-12-25

9歳で痴漢にあった記録

最近痴漢があるって信じてもらえない」みたいな記事が上がってたので、私の経験も書いてみる。

痴漢って結構ひどいんやで、って少しでも共感してもらえれば、

愛しの愛娘が9歳になる頃にはもう少し世の中が良くなってるかもしれない!…と思ってカーチャン頑張って書くよ!

ピアノお稽古の帰りだったと思う。

青と白の縞々のポロシャツ黄色の短パンはいていた事を覚えてるので、多分夏のこと。強い西日が差し込んでいたので16~17時くらいかな。

実家マンションの1階廊下を歩いていた時、「すいません」と男の人に声をかけられた。

グレーのスーツを着て黒ぶちのメガネをかけた人。気弱そうな感じだけど、普通ちゃんとした大人って感じだった。

ちなみに顔は見れなかったので覚えていない。他のことは全部目に焼き付いてるんだけど。

男は「小西さんってお宅がどこにあるか知ってるかな?」と聞きながら私の目の前にしゃがみ込んだ。

「知りません」と答えたら、突然股をモミモミされた。

(あれ、何これ?何してるの?何か小西さんと意味あるのこれ?)

フリーズする私。

男は段々スハーースハーーと鼻息荒くなっていく。

その間「そっかー知らないかー…そっかー」

みたいな事を言っていた。

2分くらいで立ち上がってどこかに消えた。

この時は恐怖とかじゃなく、「は?」って感じだった。

けど、何が後暗いことの標的になってしまった事は判ったので、謎の罪悪感から高校生になるまでこの経験を誰かに話すことはなかった。

これを書きながら何度も消そうと思った所を見ると、未だに恥ずべき記憶と捉えているんだろうな。

匿名から言えるけどこんな話誰にもできないよ(だから痴漢経験談は少ないのかな、書いてて吐きそうである)

夕方実家マンションエレベーターにて。

白いワンピを着て、ピンク自転車エレベーターに乗せて、自宅の階まで上がろうとしていた時だった。

エレベーターを閉める直前に男の人が乗り込んできた。

デニムに白いTシャツ。髪はちょっとボサボサ風で、無精髭を生やしていた。

この時はほんの少し嫌な予感がしたのを覚えている。

エレベーターが動き出して実家の階につくまでの数秒の間に、男は私のそばにしゃがみこんで、ひたすら太ももを撫でてきた。

「ごめんねー ごめんねー」

と何故かずっと謝られていた。

その間私はずっとフリーズしていた。

正確に言うと、男が私の横にしゃがみ込んだ時点で体に電流が走ったみたいにゾゾゾッてきて、「あ、やられる」って一瞬で理解すると同時にめちゃくちゃ体が硬直した。やられてる間はひたすら絶望しかなくて、自転車グリップをぎゅーーっと握りしめてた。

森でヒグマに会って突進された時とかって、ああなるんじゃないかなと思う。

しかも笑えるんだけど、エレベーターが到着して私が降りる時、私は男に「さようなら」と声をかけた。

エレベーターで一緒になった人には挨拶するようにと親に言われていたから。

さっきまで勝手に太もも撫でてきたやつにご丁寧に挨拶してしまうほど私の頭はフリーズしていた。

男が私と一緒にエレベーターを降りて家までついてこなかったのが不幸中の幸いだった。(鍵っ子だったから)

両方とも、やられてる時の事とかもっと詳しく言えるんだけど、20年以上経っても手が震えるから簡素描写になってる。

ちなみに、年齢が1桁だった頃の記憶でここまで鮮明に覚えてるのはこの2つだけ。

多分死ぬボケるかするまで忘れないと思う。

これ以外の痴漢もあるけど、この2つは幼少期だった事もあってか、何か自分自身がグチャグチャに踏み潰された気持ちが強かった。

怖いよね、9歳で自尊心とか全能感とか全部グチャグチャにされるのよ。

性犯罪もっと厳罰にして、GPS埋め込んで更正プログラムビシバシやってもらいたい。

この男達は絶対に私以外にもやってるだろうし。

あと子供に、性犯罪にあった時は罪悪感なんか持たなくていい、1人で抱え込まずにすぐ親や先生に訴えること。って教育した方がいいと思う。

まー長くなったけど、

男の人の協力がないとこういうのは改善されないだろうから、少しでも共感してもらえるといいなぁ。

自分で「ヒグマに突進される」って書いてて結構しっくり来たので(最近見た「レヴェナント」でディカプリオが熊に襲われるシーンに感じた絶望感と似てた)痴漢は捕食される恐怖と似てるかもしれない。

参考までにー。

2018-12-24

聖夜に童貞が、ソープで舐めだるま親方になってきた

年齢(30代)=童貞。 私の中の北方が「ソープへいけ!」と頭の中でリフレインしていた。

今年で平成も終わるので、平成のうちに童貞切ろうと初めてソープに行ってきた。

クリスマス自分へのご褒美もかねて。クリスマスプレゼントなんて人生で一度ももらったことないからな。

予約しないで行ったのだが、年末から繁盛してるらしい。待合室でかなりの数の利用客が待機してた。

女の子は待ち時間が一番少ない子を指名したのだが、それでも1時間半近く待った。

やっと時間になり、プレイ部屋へ通してもらう。

廊下女の子が「こんにちはー」と挨拶をして、手を繋いでくれる。

女の子は、写真でみたよりも若干ぽちゃ気味だった。たしか年は20と書いてあったが、26,7くらいだろう。でも全然可愛い

部屋に通された。プレイ部屋は教室イメージしてるので、部屋に机がおいてあり小さな黒板まである

童貞なので初めてです」と言い、さっそく服を脱いで風呂に入る。

女の子名前はまゆちゃんだったかな)がお湯を出している間、雑談

マンガが好きなのでマンガの話をしたが、まゆもマンガをよく読むようで、新井英樹の話をした。新井英樹名前を知っている女の子に初めて出会った。

まゆが上半身を洗うために上半身をくっつけてくれたので、抱きついて鎖骨を噛んだら「がっつかないで」とたしなめられた。

洗ってくれている間はこちから触ってはいけないのがマナーらしい。上半身を洗ってもらう。

そしてついに下半身を洗ってもらう。これが有名なスケベイスプレイか。アナルに指が這うのが気持ちいい。

泡を流して体をふき、ベットに上向きに横になる。まゆが体におおいかぶさり、ベロチューしてくれた。舌圧がすごい。これが人生初キッス。気持ちいい、というよりなんかヘンな感じだ。自分必死で舌を舐め返す。ベロチュー疲れた

次に、乳首なめと脇腹なめ。乳首は丁寧になめてくれたのだが、そんなに気持ちよくなかった。

次に膝の骨を噛む。「あっ…」と初めて声が出た。こんなところに性感帯があるなんて知らなかった。

次にフェラ気持ちいい。フェラの間、まゆの髪の毛や耳をさわっていた。女の子の髪の毛ってすげー柔らかい

そして今度は自分が攻める番。

横になったまゆのおっぱい(Bカップくらい?)を揉んですぐに乳首を口に含む。舌の中ではどこが乳首がわからなかったけど、乳首を舌で転がした。30秒ほどなめたら、おへそをなめて、ついにおまんこ。

初めてみるので、どこがクリ?穴はどこ?ときいてから、クリにむさぼるようにしゃぶりつく。

「しょっ…ぱい!」これがはじめてクリをなめての感想だった。『バキSAGA』でバキが梢江のおまんこを舐めて言った台詞だ。これがまんこの味か。でも全然臭くない。

左手人差し指中指おまんこに入れる。指への締めつけがすごい!おまんこがうにょうにょ動くのがわかる。これがおまんこか!

あとはただひたすら、クリをなめて吸い、なめて吸い、おまんこの指を動かしてた。

まゆは「ああーイク、上手!クンニ上手い!」とよがってる。もちろん童貞には、これが演技かどうかの見分けがつくはずもない。

でもとにかく、やることは一つだけだ、とクリをなめて吸い、なめて吸いを続ける。私はさながらなめだるま親方になった気分だった。

体感時間的には20分(だから正味時間10分くらい?)ほどなめたと思う。

まゆがよがりながら股で私の頭をはさむので、まるでMMA総合格闘技のこと)の攻防のようだった。クンニはとりあえず疲れた

クンニが終わると「そろそろ次行く?」といよいよ本番。ゴムをつけてくれた。

私は「初めてのエッチは正常位」と決めていたので、正常位で入れてみたのだが、入っているのかどうかよくわからない。

「入ってる?」「入ってるよ」と言われ腰を動かしてみるが、どうも具合がよくない。私は正座がうまくできない(膝が全部曲がらない)からだろうか。

正常位は断念して、騎乗位に変えてもらう。

騎乗位でちんぽが入った。しかし「これがセックスか」と期待以上の気持ちよさではなく、フェラや手オナニーの方が圧力は強く気持ちいいと思った。

それでも30秒ほど騎乗位で腰を振られると(腰を振りながらまゆは「ああ~イク」と言っていたが、これは演技だろうと思った)、ちんぽから精子がとろ~と出てしまった。

「イク!」でドバっと出る射精ではなく、「あれ?出る…?」でとろ~と出る射精だ。前者より気持ちよくない、「なんだか出ちゃった」的射精だった。

「あれ、もういっちゃった?」としぼんだちんぽを見て言われたので、「少しだけイった」と答えた。

「少しだけって何?」「あんまりよく分からなかった」と答えると、「じゃあ、手でするね?」と手でしごいてくれた。気持ちよかったが、もうイカなかった。

時間がきたからもう終りね、とまゆは言った。1時間、丁度いいプレイ時間かもしれない。

「まぁ、初めてのときはよくわからないって人も多いからね」と言いながらまゆが背中をふたたび流してくれた

私は服を着て、部屋を出てまゆと別れた。私が階段下り最後までバイバイしてくれてうれしかった。

そういえば「クンニが上手いって言ってくれたの、あれは演技?」と訊くのをためらって、ついぞ訊けずじまいだった。

これが私が聖夜に童貞を切った話だ。

最後に、料金。ここらへんの格安店の相場の、60分2万4千円。実感としてやや高いと思った。

もし自分が適正値つけるなら、2万2千円が限度かなぁ、という気がする。まぁ、この値段は妥当なのだろう。

おいそれとは行けないが、もし機会があったら、「童貞です」と言ってまた利用したい

2018-12-21

anond:20181221054140

電話玄関とか廊下とか、人に貸しても部屋の中を見せなくて済むところに置く

2018-12-19

文春 ぶんしゅん

ぶんしゅう だと思ってた人は、廊下に立ってなさい!

2018-12-16

anond:20181216211213

ヒント:暖房は部屋=房を温めると書くんだよ!

気温差を60度分も底あげする暖房では5度とかの微調整が効きにくい

効いたところで廊下は-5度とかなって不合理

入院するかもしれない

からよく高熱を出す子供だった。

小学生の頃よく吐いてしまい、親に迎えに来てもらうことなんて当たり前で、点滴を打った回数も覚えきれないほどだった。

中学生の頃に過敏性腸症候群で何時も無自覚にオナラをしてしまい、クラスメイトに遠巻きにされた。ファブリーズをかけられたこともある。

緊張するとお腹が痛くなり、運動神経がない(バレーのレシーブもできないレベルで)から体育が憂鬱で緊張するものになって、結果お腹が痛くなる。見学になったり保健室で休んだり。体育の先生には嫌われていたと思う。

3年生になると受験ストレスで体調を崩してしまった。自律神経がおかしくなった。3学期にはほぼ毎日早退。過呼吸をよく起こし、授業も受けられず先生には心配された。数少ない友達にも焦りから辛辣にあたってしまい、遊びに誘われることもなくなった。

受験は倍率2倍の高校入学でき、さて新生活だと意気込んでいたけれど、膨大な課題につき寝るのは12時、7時からの朝学ための5時起き、満員電車ストレスコンボ5月意識を失ってしまった。救急車で運ばれ、一体何が原因なのかと色々質問されたが結局はなにもわからなかった。親に心療内科に連れて行ってもらったけど、何もわからず。その1年はただ眠って過ごした。次の年になったら復学できるように祈ることしかできなかった。

結果から言うと、復学はできなかった。それどころか体調はもっと悪化した。体がそわそわと落ち着かず、ずっと吐いていたし、海にいけと何度も何度も幻聴が聞こえた。行ったけど何もなかったが。

そして1番最悪だったのは夜中に外に出ることだった。記憶にはないけれど、親によると雨の日の深夜2時に大きな通りの1歩手前でぼうと立っていたらしい。もしかしたら車に轢かれていたのかもしれないと思うと今でもぞっとする。

これはさすがにおかしいと心療内科先生相談、即日保護入院が決まった。一応と頭のレントゲンを撮って、肉体的な病気ではないと診断される。

そこから3ヶ月の精神病棟での入院生活が始まった。

私は隔離病棟に入れられた。

最初はずっとトイレで吐いて、歩き回らないと足が死んでしまいそうで、心臓が嫌に跳ねていた。落ち着きがなく、貰えないとは分かっていたけれど(一日2回4時間あけての薬だから)ナースステーションで何度も薬を強請った。

あとご飯が美味しくない。高齢者が多いから納得ではあるのだが、若い私はもっと洋食を出して欲しかった。しかも量が多くて食べ切れない。残したら食べた方がいいよと言われ、口に詰め込んだがすぐにトイレで吐いてしまった。

夜寝る頃になると相部屋の人がボソボソと呟き出す。お母さんごめんなさい、とか、なんでそんなことせないかんと、とか、あんたらが悪いから私はこうなったんだ、とか恨みつらみを一通り呟いて泣いていた。私は眠れなかった。

そんな生活にようやく慣れたのたとき仲良くなったのは自傷癖のある人(今後Aさんとする)と二重人格の人(今後Bさんとする)。どちらもいい人なんだけどBさんは被害妄想が酷く卑屈だった。

お見舞いに来た私の父(初対面)に突然「生きててごめんなさい」って言ったぐらい卑屈。3人で話している時に「私その話苦手なんでやめてくれませんか」とか言ってくるしAさんと話してたところ入ってきて「私の悪口ですよねすみません」って言って勘弁してくれって思った。「私年下の子を見ると嫌悪を感じるんですよね」私もその時精神的に不安定だったからしんどくて。私も年上の方と話すの苦手です、ぐらいしか言えなかった。とある日、ふいに人格が現れた。どうやら主人格のお兄さんらしい。暇すぎて何往復もしていた短い廊下で呼び止められ「こいつお前の社交性があって素直な性格嫌いだから」って言われてそうなんだ…とちょっとだけ傷ついた。

1ヶ月経たころ、人数の関係で病室移動。アルコール依存症かつ躁鬱病の人、統合失調症の人、夫に自殺きっかけに鬱になってしまった人と相部屋になった。色々身の上話をし合って、色んな人がいるんだなあと思った。

今日は眠れなかった」は挨拶みたいなもので、決して不健康アピールではないのだと知った。

いきなり叫び始めて八つ当たりし始めたおばあさん、食後お腹痛くなったらしくて看護師さんに「ご飯に毒を盛りましたよね」とか言ってる人などもいた。

私はパーキンソンの症状が出て体の震えが止まらなくて常に視線が上を向いて口から泡が出そうになった。夜になっても眠れない時に看護師さんに言ったら「我慢出来るならしてほしい。皆そうだから」って言われた。あいにく土日を挟んでいたので、その2日間はその状態が続いた。出勤してきた主治医に症状が辛いから何とかしてくれと頼んだら「えっ、なんで」との反応。パーキンソンの薬はちゃんと出すように言ってあるとのこと。「あー、薬が切れてるみたいですね…ナースセンターにっと言っときますね」っていう明らかに病院側の過失だった。

特に謝られることもなく薬は出された。飲んだら治ったから、まぁ、よしとしよう。

入院して3ヶ月目、高校はどうするかのはなしに。さすがにこれ以上留年するのは…と思い通信制高校を探し始めた。

退院間近になると外泊や外出で外からの刺激を受けて大丈夫かどうかのテストをした。そこで何も無ければOK。私はポケモン映画を見に行った。

何も無かったから無事に退院することが出来た。

退院してからはなるべく刺激を受けないように、テレビ動画を見ないようにと忠告された。眠たくて眠たくて、昼も夜もひたすらに寝ていた。

すると指で広げないと目が開かないという状況に。眼科に行ったけど、ドライアイの薬しか貰えなかった。

通信制高校は登校が楽そうなところを選んだ。暫くはゆったりとそこに通っていた。しかし今年の2月悪夢をよく見るようになった。人を殺す、人が死ぬ自分が殺される、など。しかもどれもがリアルで起きた時に感覚が残っていた。首が痛かったり、虫が肌を這いずる感覚があったり。

それがきっかけだったのか、私は記憶をなくした。

小学4年生から記憶がなくなっていたのだ。朝起きると難しい漢字が読めない。上手く計算もできない。けれど記憶をなくしたのは3週間程度だった。よかった。

記憶が戻った今も精神年齢は10歳な気がする。その頃から家族に、それこそ子供のように甘えるようになった。

それからはまた家でのんびりしたり登校したりしてゆったりと暮らしていた。開かない目のことが気がかりだったが。

しばらくすると6月になって、また幻聴が聞こえ始めた。今度はひたすらにしねしねしねと耳元で囁かれるような幻聴

鬱が酷くなる。

それからは高い建物を見るとあそこから落ちたら死ぬかな、風呂に入ってるとここで寝たら溺れるのかな、睡眠導入剤をたくさん飲んだら眠るように息絶えるのかなとずっと死ぬパターン妄想していた。

そこで現れたのはヒョウモントカゲモドキ

ペットショップ一目惚れをした。元々爬虫類が大好きな私にとってその子はとても魅力的に感じた。親と相談して買ってもらい、毎日かごを眺めるようになった。すると生活が一変する。ヒョウモンに餌をあげるために、と義務感が湧いていたのか、今まで夜型だった生活から夜8時に寝て朝4時に起きるようになったのだ。毎日3食、十分な睡眠時間の確保など健康的な生活を送ることが出来た。

そうなると気になってくるのはやはり目が開かないこと。神経内科はどうだろうかと主治医に言われ、紹介状を書いてもらい行ってみた。結果は特に異常なし。それを主治医に報告すると、もしかしたら薬が悪いのかもしれない、とのこと。あまり主流じゃない副作用から確信は持てないけれど、これ(薬の名前は忘れた)減らしますねと薬を出された。それから体調が悪くなった。吐いて寝込んで精神的に不安定になって泣き出して。1週間後に予約を入れたのでふらふらとしながらも病院へ。目は開かない、具合は悪い、最悪な状況だった。次の薬で良くならなかったら入院してもらいますね、と薬の量を増やして服用している。

それで今日に至るのだが、目は開くようになった。吐き気もない。ただ睡眠時間が狂ってるだけ。

これは入院しなくていいのだろうか。そう思う午前1時。

2018-12-08

奢ることはセクハラ免罪符なのか?

忘年会シーズンがはじまった。

週末になれば、お酒に酔っぱらう人が駅前にあふれている。

お酒を飲んで年を振り返るのは悪くはない。

しかし、先日職場男性からうけた洗礼により

すべての飲み会を断りたいと思った。

秋、「お礼がしたい」と会社の同性の先輩と呼ばれて

男性社員食事をした後、スナックで飲んでいた。

そのとき、酔っ払ったのか執拗に手を握ってきたりした。

秋のときは、次の日に謝罪をしてきたのでその場で許した。

職場の人でもあった事が大きい。

冬、再び「お礼がしたい」と食事をした。このときにやめておけばよかったのだ。

冬の鍋をお酒を飲みながらつつき、この1年を振り返り大変気分が良かった。

会話の折々に男性社員が手を振り上げることは気になっていた。

店を出て、急に頭をなでられた。肩も組まれた。

この前の手を握ってきたときよりもまして不快であった。

わず相手を振り払った。酔っていた男性社員はよろけた。

セクハラですよ、やめてください」とうったえた。

それでもやめないため、前を歩いてほしいと頼んだ。

前を歩いているうちに、急にその男社員がブチ切れた。

「お店でおごってもらって、頭をぽんぽんしたり肩に手を回したくらいでなんだ!

セクハラというなんて俺を小馬鹿にしているのか!そんなことくらいじゃ訴えられないぞ」と。

路上で殴られそうになった、その場にいた数人が掴みかかられた。

周囲にいた女性にもその男社員罵倒をしていた。

「何見ているんだよ!どけ!ブスが!」と。

近隣住民である女性は断固として

「この近隣住民に対して迷惑行為はやめなさい、大人でしょう!?」と。

同様に駆けつけた女性も、「そんな男をほっといて逃げて」と。

結局職場の人なので自分たちでおさめることにした。

最寄りのタクシー乗り場まで連れて行った。

随分とひどい暴力暴言で傷つけられた。なのに帰り道では号泣意味がわからない。

絶対にこんなこと今後しない」巷によく聞くDVあるあるである支配欲の塊だ。

こんな人が同じ職場環境にいるだけで恐怖である

食事を奢れば身体接触が許されるという発想がよくわからない。

こちらも支払うと言っているのにカッコつけておごっているだけである

その場の料金を支払えば、女性相手に何でもしていい、免罪符なのか?

歯向かう相手には暴力をふるうのか?

頭を撫でるなど男尊女卑だけでなく目下に見ているということであろう。

二度と少人数の飲み会は行かないと思う。職場飲み会は致し方ない。

被害届は念のために出しておいた。そう、3度目が訪れた時のために。

後日談

相手男性職場に当たり前のように出勤している。

こちらは島に近づかれるのも廊下ですれ違うのもロビーで待たれるのも苦痛である

被害届を出し、先日現場検証を行い、防犯カメラ映像も確保してもらった。

殴られて怪我をすれば立件ができたと思うと、なぜだか悔しい。

ひとまず、こういったことがあったときは、警察被害届を出さないまでも

自分の連絡先と相手名前、特徴、電話番号警察の記録に残してもらうのが得策である

破れた恋と屋上

中学生の頃、僕は好きだった子に告白をした。恥ずかしさが勝って直接言うことはできなかった。授業中や放課後にやり取りしていたメモ書きの延長線上で、思いの丈を書きつづった手紙をこっそり渡した。

その翌日、下校しようとしていた僕はその子から手紙を受け取った。

「じゃあね」

そう言うと彼女は足早に帰ってしまった。

間違いない。告白の返事だろう。結果は何も分からないのに、勢い余った嬉しい気持ちが胸にこみ上げてきた。

下校するのを止めた僕は、滅多に人が来ない最上階の踊り場に駆け上がると、すぐに手紙を読み始めた。




「好きになってくれてありがとう。」

手紙はそんな言葉で始まっていた。天にも昇るような気持ちになったものの、読み進めていくうちに徐々に冷静さを取り戻していく。

雲行きが怪しい。手紙最後は「ごめんね。」という言葉で括られていた。

じわじわと別の波が押し寄せてくる。悟った。ふられた。

優しい彼女は、言葉を選びに選びつくして、僕ができるだけ傷つかないように手紙をしたためてくれたのだろう。彼女真意にすぐに気づくことができず、それだけ失恋反動は大きかった。



しばらく独りになりたかった。日の当たらない最上階の踊り場は、陰鬱気持ち拍車をかける。ここではないどこかへ行きたくなった。



階段を駆け上がると、目の前に渡り廊下が伸びていた。

僕の通っていた学校は、最上階の渡り廊下から校舎の屋上を眺めることができた。そして廊下の付け根から手すりを乗り越えると、屋上まで歩いて渡ることができた。もちろん、そんなことをしてはいけないのは明白だった。

それでも、好きな子から手紙を受け取った高揚感とふられてしまった喪失感が妙に入り混じったその日の僕には、冷静な判断ができなかった。

渡り廊下の手すりを乗り越えた。




人生で初めて屋上に立ち入った僕は、屋上の床が見た目と違って意外とふかふかしていることに感動した。いつもは教室渡り廊下からしか見下ろせなかったグラウンドを見渡してみる。部活中の生徒が小さく見えた。周囲には学校以上に高い建物はなかった。空が広かった。

ふかふかの屋上に寝転がって、ポケットに突っ込んだ手紙を広げてみる。何度読んでも結末は同じだった。




つの間にか日も暮れかかって、少し肌寒くなってきた。下校時刻だ。屋上侵入したときと同じ手すりを乗り越えて、渡り廊下に戻ってきた。

その時、死角にいた初老先生と目があった。普段高等科担当で、週に一回は中等科でも授業を受け持っている数学先生。お互い顔は見知っていた。

血の気が引いていく。どう言い繕ってもごまかすことはできない。叱られる。終わった。

そんな絶望感に苛まれた僕に、先生がかけた言葉は意外なものだった。

「ピピーイエローカード。次にやったら怒るからね」

そう言うと先生は、何事もなかったかのように渡り廊下を抜けて職員室の方へと歩いていった。



何が起こったのか、しばらく頭の中で整理がつかなかった。

何となく落ち込んでいる雰囲気を察して、今回は見逃してくれたのかもしれない。先生ちょっとした優しさが、今の僕には嬉しかった。

この恋は諦めよう。彼女にお礼の手紙をしたためよう。踏ん切りのついた僕は、夕闇迫る校舎を後にした。

2018-12-07

中学の時の頭が逝った教員

最近実家に帰った時に自分が通っていた中学の前を通った時に思い出して、イライラがぶり返してきたので、書きます

私は運動がめっぽうできない人間で、100m走や3000mの持久走などの走る系の競技は必ず学年でビリ。持久走大会は全校生徒全員で走るのだが、それでもビリになるかならないかレベル

中学1年の時の体育教員は定年直前のおじいちゃんで、「頑張ることに意味がある。記録なんか気にしなくていい」と言ってくれていたのですが、新年度になりその先生が定年し、新しい体育教員が来ました。その教員脳筋の頭が逝っている教員でした。

私の通っていた中学は某球技が全国でトップ10に入るほど強豪で、日本代表が出るほどでした。新しく来た教員は、この中学卒業し、その後も某球技が強い高校に行った後、体育系の大学に行って某競技研究をして、教員免許を取って来た教員で、某球技部活顧問として呼ばれたような教員でした。(教育委員会のお偉いさんが送り込んだらしい)

見た目は一般的20台後半みたいな感じで(実際20台後半)、おかしい人だとは思わなかったのですが、体育の初回授業で豹変しました。新年度最初の体育の授業は体力測定なのですが、その結果を見た後、生徒ごとへの接し方の態度があからさまに変わりました。

運動が出来る生徒(クラスの上位5~6人くらい)には友達のような態度で接し、運動が全くと言ってできない私と数人にはいじめと捉えられるような態度になりました。体育の授業終了前の10分程度で器具の片付けをしなければならないのですが、それをいつも私達数人に命令をするような形でやらされました。その間、私達以外の生徒は先に解散させられ、その教員もそそくさと職員室に帰ってしまます最初のうちは他の教員心配してくれましたが、1ヶ月もすると誰も気にしなくなりました(というより体育教員になにか言われたと思われる)。

そのうち、運動が出来る出来ないの序列で生徒に上下関係をつけ始めました。私達、運動が出来ない生徒は運動が出来る生徒に対し、敬語で話すことを強制させられました。体育の授業中だけだと思っていましたが、廊下などでも注意をされるようになり、ひどい時(学年で一番運動能力が高い生徒と話していた)には指導室で怒鳴られたりすることもありました。

この状況はおかしいと、運動が出来ず私と同じ扱いをされている生徒と相談し、担任教頭相談をしたのですが、全くとり合ってもらえず、口を揃えて「校長には黙ってろ」と言われました。

この頃、ちょうど定期考査の時期だったのですが、体育教員に「お前らは実技の点数が無いに等しい。筆記テストでそれなりの点数を取らないと、通知票を1にするぞ」と脅されました。

さすがにこれはおかしいと思い、友人の親(役所勤め)のつてで市の教育委員会に訴えを出したのですが、揉み消されたか子供の言うことなんかを聴く必要はないという判断だったのかで、なにもアクションは起こりませんでした。

結局、これ以上何も出来ずに、親に相談するのも当時、嫌だったので、我慢するしか無いと決意を決めて、2年間 卒業まで持ちこたえるしか無かったですが、今考えてみれば、新聞に投書するなどの方法もあったのかなぁと思う次第です。

2018-12-05

anond:20181203230130

40代半ばくらいの人たち、中学生の時は学校廊下バイク乗り回すとか、薄く潰して鉄板を仕込んだ鞄で殴り合いとか、そんなアホな事ばっかりやってたんだもん常識なんかあるはずないのでは。

2018-12-03

anond:20181203175123

テレビなりゲームなりのエサがないと

起きてる時間中厄介な行動を取る幼稚園児はおおい・・。

しずかにしないと映画を途中でやめて帰ってしまますよとか、

夏休み帰省で従兄弟とのわがまま合戦我慢できたらご褒美にライダー映画つれていきますよ、

とかの交渉で折り合いつけた結果やね。

それでも交渉失敗して映画館の廊下でパパママとお話し合いになっちゃうお子さん沢山おるけどな。

 

まあ大人も男女も好みは千差万別から

ディズニーファンの成人女性というとこになんでそんなに拘るのか疑問だけど。

 

子供が1ミリも好きでないコンテンツ大人の都合でつれていっても

絶対に良い結果にならないということは、

子育てしたことがあればすぐに予想がつくよ。

 

最大限の工夫として、パパと子供ライダーポケモンプリキュアジバニャン映画をみてるという前提で、

ようやくママ一人で出産前以来数年ぶりに好みの俳優映画

映画館でみられたなんて話はよくあるよくある。

ママが見たかったのが相棒や走査線やジャニーズキンプリでなく

運良くジブリディズニーなら(たぶんママ友にほかの全員が見たから履修してこいっていわれたんだろうね)、

子供も多分楽しめるから無理にもパパ無しで子供と母だけで行こうかって言うひともいるだろうね。

それでもどうせ一番いいシーンで子供が退屈だってごねだすから

光らないゲーム音楽の入ったアイフォンももっていって。

本当なら1人で楽しみたかったなーとかブツブツ言いたくもなるよね。

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