「大晦日」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 大晦日とは

2023-06-07

本当にあった偶然の話

昔の話。17歳ワイ♂、大晦日に親父と大喧嘩してバイト代の4万円を握りしめて家出した。

大阪一人暮らしをするんだと意気込んで東京駅西行鈍行列車に飛び乗った。

名古屋まで着いたが、特急に乗らないとその日のうちに大阪に着かないことがわかって、金が無いけど仕方なく特急券を買おうと考えながらトイレに入った。

トイレ入口で2コ上の先輩♂と再開。ぶつかりそうになったのが先輩。本当に偶然だった。

「お前何してんの?」

家出して大阪に向かってます

婚約者実家に連れて帰る予定が、彼女体調不良でさ、お前、替わりにうちに泊まらせてやるよ」

すごい偶然だった。

うちの高校は寮のある私立関東近郊からも生徒が集まってくる。卒業後まったく交流がなかったけど、先輩は快く実家に誘ってくれた。

そして先輩の実家に到着。

先輩「ただいまー」

ワイ「お邪魔します」

先輩の家族一同「おかえり・・・!?

婚約者は男なのか?とビビる先輩家族

携帯もない時代からかい話は到着してからなんて当たり前の時代

すぐに誤解も解けたけど。

3泊させてもらい、朝昼晩、家族麻雀にも混ぜてもらって、靴まで買ってもらった。

先輩宅から親父に電話して和解

今ではいい思い出。先輩結婚したのかな?

そして、その4年後、大学生ときに仲のいい友達♂と北海道旅行に行った。

1週間かけて道内をまわり札幌に戻る。そこで友人とは別行動に。

1日かけて、一人でゆっくりラーメン食ったり、お土産を買ったり、さあ電車東京に戻るかと思っていたら、チケットが無い。

時間くらいかけて、歩いたところの探して回るも、チケットなんて落ちて無い。交番札幌駅の窓口にも行ったが届けがない。

クレジットカードなんて持ってないし、残りの少ない現金だけじゃ帰れもしないし、泊まれもしない。

携帯ポケベルもまだない時代。別れた友人とも連絡がとりようがない。

ヤツの宿泊先を聞いておけばよかったと、途方にくれた。次第に夜になる。

ともかく、実家電話してみた。

すると母が「お父さんがゴルフ今日札幌ホテルにいるよ」と宿泊先を教えてもらった。

こんな偶然ある?

親父の宿泊しているホテルにいって事情を話すと、いま外出中とのこと。仲間と飲みに行ってて不在だった。

ロビーで待っていると親父が帰ってきた。

「お前何してんだ?」

チケット失くして帰れない。家に電話したら親父が札幌にいると」

「おまえラッキーだな」

バブルの風に乗って小金持ちだった親父から、小遣いをもらい、そしてホテルの部屋も取ってもらって、無事翌日東京にもどった。

俺って運がいいんと思うけど、どうだろうか。

他にもスゲ~偶然がたくさんあるんだけど、ここまでにしとく。

その後の最大の偶然は、15歳年下の女性と偶然出会って結婚したことかな。では。

2023-05-30

友達東京から引き離したい

沢山コメントいただいたのでお返事を書きました

https://anond.hatelabo.jp/20230531204102

 

 

不運にも就職の失敗とコロナが重なった私の友達東京で食うや食わず生活を4年も続けた結果完全にぶっ壊れてしまい今や他人から借金を前提にした無茶苦茶暮らしをしているのに何の罪悪感も感じないどころか金を貸さないと自殺未遂とかして私を脅してくるようになって私もその友達依存してるのはわかってるけどどうすればいいのかもうわかりません

 

 

彼女とは高校時代に知り合ってすぐ仲良くなり同じ軽音部で3年活動し、一緒に他府県の芸大に進学、ルームシェアで共に4年間を過ごす

 

2019年新卒県内土木(造園系)の仕事に就いて2年後国家資格を取りようやく雑用卒業し、コロナ以降自宅で出来るデザイン等の副業を始めて現在年収400半ば程度で猫x2と同居中

高3の終わりに両親が離婚して色々あって父とは絶縁、母ともずっと会ってない

 

友達

同じく新卒都内大手アパレル企業就職するもデザイナー志望のはずが新米からと売り場に飛ばされ、そこで運悪くクソ上司に当たり毎日めちゃくちゃいじめられた結果バックレるように仕事を辞め、それから転職活動しつつバイト転々とするも翌年コロナ流行り始め、緊急事態宣言を期に無職

それ以後心身ともに病んでアル中になり、実家から仕送りと私を含む複数の友人から借金を財源に半年以上も綱渡り生活が続く

 

2021年初頭、電話で私にド叱られて漸く禁酒し、再び就活を始めてなんとか出版社入社するも鬱と酒で脳をやられてるので仕事が全く覚えられず、二ヶ月でクビ

その反動でまた酒に手を出すようになり、挙げ句の果てに個人売春に手を出すなど見事に畜生道に堕ちる

 

で、オリンピックやってた頃に彼女の家を訪ねたんですが、絶句しましたよ

家賃9万って聞いてたけど名古屋ならこんなの高くても3万円台だろっていう、廃墟みたいなボロアパート

そして部屋の中には食品の包装や空き缶が詰まったゴミ袋がぎっしり、その中に布団が敷いてあるという、途上国スラムの一室みたいな光景で…こんなとこ住んでたらそりゃ頭おかしくなるわ

 

幸い車で来てたんでその足で最低限の荷物積んでコイツ連れて帰ろうと思ったんだけど、無理でした

そして、そのときなんで彼女がそこまで東京に執着するのかがようやくわかった

 

要は地方でどれだけ頑張ろうが「マイルドヤンキー」にしかなれないと

でも東京に居ればマイルドヤンキーとやらにならずに済む

私は絶対マイルドヤンキーにはなりたくない、ダサいから、と

 

 

もう、心底呆れた

 

 

じゃあ私はあんたの嫌うマイルドヤンキーなの?と聞いたら「全くその通りで地方都市でダサい仕事していくら金稼いでも所詮底辺だよ」って

それで頭きてビンタしたら掴み合いの口論に発展し最終的にはご近所に警察呼ばれて署に連れて行かれその日は解散、という最悪の日になってしまったし、思い出したらまた泣けてきた…

 

大体なんだよマイルドヤンキーって知らなかっけどネットのアホ共が流行らせたくだらん造語だろうに真に受けやがって

まあ、あのコンプレックス塗れの母親の入れ知恵もあるだろうが

彼女母親大学時代に身ごもり上京してキャリアを積むという夢が潰えて以降、ずっと東京なるものに執着して地方憎悪(言っても神戸だぜ?)していたので、母親っ子の彼女はだいぶ洗脳されてたと思う

私に対しても上京しろ、男と関わるな、女は地方と男に殺される、みたいなことをいきなり言ってきてはぁ?てなったことがあったので

 

彼女父親にも相談したがお金が尽きればいずれ帰ってくるよ、とか無責任な事を言い出してこの人も当てにならない

 

私がなんとかしないともう駄目だと思ってとりあえず仲介会社経由で彼女宅の大家に連絡を取り、騒ぎを起こした事の謝罪と借主が家賃滞納したらとりあえず私に連絡してくれ、家賃は私に請求してくれ、なので追い出すのはやめてと頼んで合意してもらった

 

そうこうしてるうちに彼女twitter自分ヌード画像(辛うじて局部は隠してる)をRTするようになって「モデルしてますお仕事募集中」とか言い出してなんだそれって連絡したら「写真家スカウトされてモデルやってる、ちゃんお金もらってる」と

いや明らかにそのフォロワー数二桁の自称写真家、確実にエロ目的でお前を撮ってるしなんか裸で縄で縛られてるのもあるしいつか犯されるぞ、とは思ったけど収入を得ているのは間違いないらしく、うーん…

 

かに彼女は小さくてロリ系のかなり可愛い見だしそういう仕事なら無限に来るだろうがお前それマイルドヤンキーどころか…私なら死んでもやらないわ

 

お次は派遣会社登録してエロい格好してパチンコ屋のドサ周りしたりするイベントコンパニオンとき

ま、エロ画像モデルよりは遥かにいいけどさ

 

2022年

3月地震きっかけであのボロアパートを立ち退きになり、立ち退き料で彼女はようやく人間らしい住居に引っ越しする

が、まん延防止なんとかが解除されたにも関わらず未だ自粛ムードが続き、その影響で接客業で基本給+歩合制だった彼女仕事も振るわない

そしてtwitterでは日に日にネガティブ愚痴が増え鬱が頂点に達していたときに「月曜日のたわわ」炎上事件でブチキレてしま

 

彼女自身は何も言及しなかったものの、たわわ叩きのツイートRTしまくり、いいね欄は女性性的消費がどうとかいう、男に対しての怨嗟の声でびっしり

 

そりゃ、男に肌見せて媚びへつらうことでしか食っていけない今の状況は相当に屈辱的だろうし何か八つ当たり先が欲しい気持ち共感できるんだけど、これ以上ほっとくと今度こそ壊れちゃうと思い、私は二度目の連れ帰りを決行した

 

まずはお互い去年の大喧嘩のことを改めて謝罪し、近況を聞いてみたらやっぱり仕事が無くカツカツだと

アパレル業界も壊滅状態マネキンすら求人が無くひとまずデザイナーの夢は捨てたってことで、じゃあこっちに帰ってきたら?って言うとまたあれこれ屁理屈を並べて話を逸らしながら酒をグビグビ飲みやがる

 

そして同年夏頃から電話に出ない、LINE既読スルーtwitter更新が無くなり嫌な予感がして再び自宅を訪ねたらもぬけの殻

彼女の両親に行き先訪ねても手掛かりなしで警察に探してもらおうとしたら彼女親族連れてこないと無理だと断られ無念の帰宅、後日彼女の親に行方不明届を出してもらう

 

例の自称写真家アカウントも消えてるし彼女東京での交友関係も把握してないし警察からの連絡を待つ日々

毎日毎日心配仕事に集中出来ず飯の味もわからないし頻繁にいやな夢見るしいい加減にしろマジで

 

そう、この頃になるといつの間にか彼女の為というより私の不安払拭するために連れ戻し手元に置いておきたいという動機にすり替わっていた

 

同年年末、三度彼女宅を訪問

 

今度は結構広めの1LDKで、お、頑張ってんなと一瞬思ったけど親を始めかなり色んなとこから金を借りてようやく入居出来たと

仕事件数は盛り返して来たものの大型案件殆ど芸能人が割り振られるようでやはり稼げないらしく、給料殆ど家賃光熱費に消えてるので近いうちに詰むだろう

それと例の写真家はやはりモデルに訴えられたらしくそれで消えたみたい

 

久々に一緒に大晦日正月を過ごす予定で来たのでまずは彼女の寝具をクリーニングに出しその間に大掃除して、連れてきた猫用のトイレやタワーを設置して買い出しに行っておせちを作ったりと、年越しの準備をする

 

まあ全部私がやったんだがね

 

コイツホント家事出来ないなっていうか同居中にやらせなかった私が悪いのか

まあ3〜4日至れり尽くせりな猫のいる生活を味わえば彼女も帰ってくる気になるんじゃないかという魂胆もあったんだけど

そして彼女の好きだった料理を作ってあげて同居してた頃の昔話に花を咲かせていたらポロポロ泣き出して、遂に堕ちたか!?という瞬間もあったが…

 

そりゃ4年も居れば新しい友達も出来るし街に愛着も湧くのもわかるけど、帰り際に「困ったら私が助けてくれるから引き続き東京に住み続ける、自分も猫飼いたい」とか言い出しやがって、もう全てがぶち壊し

 

で、3月末に電気代4万円請求されたとか泣きついてきてもう私は払わないよ自分でなんとかしろつったら市販薬ODして救急搬送されやがって結局病院代も電気代も私が払っちゃって後日彼女の親に全額返してもらったけどもうどっちが困ってんのかわかんないよ私だって一家離散して後ろ盾がもうないんだからもしもに備えてお金貯めておきたいし普段生活めっちゃ節約してんのに自殺未遂とか卑怯だろ

ていうか地方田舎マイルドヤンキーだと若者劣等感を煽って無理にでも上京させようとする社会の風潮とそれを煽る連中クソすぎだし全員死んでほしい

2023-05-19

1番幸せ記憶

今まで生きてきて1番幸せを感じる瞬間っていつですか?

自分

大晦日長野のばあちゃんちに従兄弟と集まって

夜にばあちゃんが作ったご馳走(揚げ物、焼いた鰤、さしみおせち)を食べて

紅白観て

ちょっとこたつ寝落ちしてる瞬間が

人生で1番幸せを感じる瞬間だったと思う

兄弟とも集まらなくなって

ばあちゃんはまだ元気だが

自分家族年末長野に行かなくなって

もう過ごせない時間なんだな、と思うととても悲しくなる。。。

2023-05-16

追記しやした】ジャニーズの件で分からないこと

自分子供の頃からスマスマとかラブラブ愛してるとか学校へ行こうを見たりとか、大晦日カウントダウンコンサートテレビで見たりとかするジャニーズのいわゆるお茶の間ファンだった。

最近グループメンバーとかは把握できてないけど関ジャニ辺りまでは把握しているつもり。

ジャニー喜多川性犯罪疑惑は15年前くらいにネットで見て知った。裁判事実認定されてるとか、元ジャニーズによる告発本が出てるとか。

でも「昔はそういう事をたまにしていたのか?」とか(ほんとはたまにでも1回でもダメだけど…)、今はやめたんだろう、とか思ってたんだよな。

だってジャニーズタレントによるジャニーさん面白エピソードトークから伺い知れる愛されっぷりから、話しているタレント被害者だとは、思えなかったんだよなぁ…

でも今の告発されようからすると、ほぼ全員被害者なんだろうか。

わざわざ個人名を出すのはよくないと思うけども、森田剛とか、長瀬とか、キンキの2人とか、大野くんとか、赤西とか(すぐ辞めてるけど)、嫌な目に遭ったら即ジャニーズ辞めそうなイメージなんやけども…コアなファンではないので実際の性格は知らんけども、あくまイメージ…未だにこの辺は被害に遭わなかったのでは?と思っちゃうんだが…

でもジャニーズ内では周知の事実だったんだよね、多分…?

そんで皆散々ジャニーさんへの尊敬アピールしてたけど、あれ何やったん?

なんか盛大に葬式だかなんだかやってたし亡くなる前には大挙してお見舞いに駆け付けてたよな…?

被害に遭ったからこそ加害者を皆で崇拝するようなあれだったんか…?俺は可哀想じゃない、選ばれたんだって…?

全然からない。田口くんとかYouTubeで大暴露とかしないかしら?(元KAT-TUN大麻で辞めた人ね)

【以下追記

ブコメトラバに対して思ったこと書きます

・ただのキャラ付けだろ?作り話だろ?

かにその通りだわ。自分30代半ば女だが、30代半ば男がアイドルについて「〇〇ちゃんはそんな性格じゃない」とか言ってたらこいつ馬鹿か?と確かに思う…バラエティでたくさん見てなんとなく人となりを知った気になってしまっていた。だからって全部が嘘だとかも思わないけど。バラエティ見て馬鹿の一つ覚えみたいに「全部やらせ」とかTwitterに書いてるのもあれはあれでバカだと思うから

ジャニー醜聞が出てそれを打ち消すために事務所指示でジャニー面白トークをしてたって?やっぱそんな風に思えないんだが…ネット民の大好きなTOKIOもよくジャニーさんネタで喋ってたよね…?いや、これもイメージしかないけど多分喋ってたよね…?事務所家族からそういうもんと言われたらそうなのか…?

・ただの視聴者のお前がなんで被害に遭ってないと思うとか書けるのか?傲慢すぎ。セカンドレイプになると分からないのか?

分かってます。ただのゲスの極みの疑問を増田に書いてます。ごめんなさい…

SMAP謝罪の異常さを忘れたのか?

かにちょっと忘れてた。あの会社は異常な会社普通に考えて理解できる訳がない。まず常識通用しないしマスコミへの尋常じゃない圧力を持っていた。

自分感想

そもそも今と昔ではハラスメントへの認識全然違う。昔は職場で尻を触られたくらいで文句言うな、くらいの感じだったらしいし。世の中がそんな感じなのに、更に特殊芸能界に放り込まれ若者について、今の倫理観やら常識であーだこーだ言うのはクソだと思う。被害者被害を訴えるハードルも今よりもめちゃくちゃ高かった。男性同士だと尚更。

ただとにかくジャニーはクソ。

2023-03-26

障害児持ちの親御さんは健常の子にもちゃん心のケアをしてあげて

「殺してしまう…」「気がつくと妹の上に馬乗りに…」両親のきょうだい差別に苦しんだ20代長女が出した解決策と母に現れた「救い」

https://gendai.media/articles/-/108080?imp=0

関東在住の露木実湖さん(20代・未婚)は、2歳下に重度知的障害自閉症を持つ次女、9歳下に三女がいる3人姉妹。両親は、露木さんが上の妹から受けた被害を訴えても、「お前が悪い」と露木さんを怒る。そのため露木さんは、「上の妹を“えこひいき”している」と、両親に憤りを感じていた。

やがて露木さんが小学校に上がると、学校では一部の男子からいじめられ、母親相談しても「気にするな」と一言。やがて下の妹が生まれると、母親は幼い下の妹にかかりきりで露木さんに目もくれない。さら父親からは、虐待とも思える仕打ちを受け続ける。

2016年3月、露木さんが高校卒業するお祝いに、家族東京ディズニーランドへ出かけた。もちろん旅行は上の妹も一緒。楽しみにしていた露木さんだったが、旅行中、上の妹が手がつけられなくなるほど喚いて暴れ、他人の目が気になってしまい、心から楽しむことができなかった。

2018年12月年末年始特別支援学校冬休みに入るため、上の妹も家にいた。夜になると、露木さんはリビング家族テレビを見ていた。そんな大晦日事件は起こった。

ちょうど露木さんが楽しみにしていた番組が始まったタイミングで、上の妹が甲高い叫び声を上げながら暴れ出したのだ。当時、露木さんは20歳大学の実習についていけなくなったため中退し、通信制大学入学して就職活動を行っていた。

そんな中、楽しみにしていたテレビ番組を観ることを上の妹に妨害され、その瞬間、頭の中でプツンと何かが切れた感じがした。気が付くと上の妹に馬乗りになり、上の妹の口を必死で塞いでいた。

もちろん、露木さんの上の妹に対する悩みや、学校いじめられているとき気持ちに、少しも耳を傾けようとしなかったのは、親として間違いだったのは確かだ。しかし、露木さんの就職先がなかなか決まらなかったとき母親がただ温かく見守ったのは、子どもの頃の露木さんに対する自分の接し方に問題があったことを認め、申し訳なく思い、露木さんと和解したいと考えていた現れのように感じる。

一方で、父親の露木さんに対する扱い方には目に余るものがある。叱るとき感情に任せて怒鳴るのではなく、子どもに分かるように叱る理由を伝えなければ、躾ではなくただの虐待だ。気分で子どもを扱ってきたために、露木さんは父親と一緒では安心して生活することができなくなってしまった。

露木さんは現在、上の妹を強く嫌悪している。その理由は、両親の子どもへの接し方に問題があったためにほかならないだろう。子どもの頃も、大人になってからも、きょうだい児を苦悩させている理由の多くは、その両親に原因があると思うのだが、どうだろうか。

きょうだい児は本当は障害児の一番の味方になってくれるはずの存在なのに、親の接し方が悪ければ逆に障害児を嫌悪するという本末転倒な結果になってしまう。

そうなったらやっぱり親が悪い。

きょうだい児に対しても、親としての責務をしっかり果たして欲しい。

2023-03-17

工期の短さを、一体感で乗り越える。

工期が500日ほどしかなかったのだ。木村は当時のことをこう言う。「現代なら絶対実現できない工期です。しか設計丹下健三が考えに考えてこれしかないと言ったものです。スタッフも、施工会社の方も、寝る間を惜しんで取り組んだといいます。その年の大晦日、『紅白歌合戦』のあとの『ゆく年くる年』で、あそこだけは工事を行っています放送したほど。また、施工中は、経験したことのない数多くの問題に遭遇したと聞いています。立ちはだかる問題対峙し、乗り越えることができたのは、丹下健三もそうだし、スタッフも、施工会社の方もそうだったと思うのですが、なんとかして東京オリンピック成功させるんだという熱い想いがすべての人にあったからでしょう。プランニングデザインの段階から施工、完成へいたるまで、そんな一体感ができていたのです」

https://www.tangeweb.com/project/kokuritsu/

2023-03-13

私生活での行為理由とした不採用について


大晦日掃除をしていたら昔の日記が出てきた。といっても4,5年前のものだが。

今も昔も、関東本社があるJTCの人事部採用仕事をしているのだが、珍しい体験をしたのを日記に付けていたのだ。改めて読んでみると感じるものがあった。身バレにならない程度に語ってみたい。

その彼をA君としよう。初夏の頃だったか、彼との面接があったのは。一次面接だった。当時の面接室は、白を基調とした明るい部屋を用意していたっけ。JTCといっても、うちは同業他社に比べてカジュアルな方だとされている。

面接形式は、年によって若干違う。面接官2対学生1の場合もあれば、2on2の時もある。コロナ流行り出してからは、ほとんど前者になったか

ところで、A君は関関同立ほどの偏差値大学だった。弊社を受ける学生の中では少数派であるしかし、そんなことは関係ない。もっといい学校の子がたくさん受けに来ているけれども、関係ないのだ。

採用業務効率を考えると、学校歴で選ばざるを得ないのは確かであるが、実際にその人を目の前にして学校のことを頭に思い浮かべるのは失礼極まりない。

実際、偏差値でいうと50ほどの大学の子採用したこともある。ずっと昔のことだ、北海道にある大学だった気がする。

実際、A君の受け答えはよかった。素直だったし、わからないところはわからないというし、偉ぶった態度はないし、中学の頃からずっと同じスポーツを続けていた。

うちは商社であり、特定製品で稼いでいるわけではない。仕事を取ってくる者の人間性が命の世界だ。正直いって、「この子はイケるかもしれない」というのが私の感想だったし、面接室で私の隣にいた上長意見でもあった。

しかし、人間はわからないものだ。いまこの日記を読んでいる増田民ブクマカあなたも、そういう経験がないだろうか。私にも何度かあるが、その中でもこのA君は悪い意味で際立っていた。



前置きが長くなった。ここからが本題だ。その日の面接がすべて終わって、帰りに居酒屋に寄った時のことだ。先の上長と一緒だった。

いつも行く店が悉く満席に近い状態だったため、大衆的な居酒屋に入ることにした。昔でいうと、和民のような感じだ。系列店ではない。個人営業のお店だ。

比較若者が多い店内で、上司と一緒にテーブル席についてメニュー吟味していると、なんとA君が近くを歩いていた。吹き抜けタイプの広い店だったから、彼が歩いてくるのがクリアーに見えた。

そこで、見てしまったのだ。A君が、年配のお客さんに声をかけられていた。お爺さんだった。店内にタバコ自動販売機があったのだが、使い方がわからない様子だった。

声をかけられたA君は、「ボタン押したらいいっすよ」とだけ言って、そそくさとエントランス店員インカムを付けて何か話しているところに駆けて行った。

ちょっと!! 注文来ないんですけど。取りに来ないんやけど!!」

と、恥ずかし気もなくインカムで会話中の女性店員に怒鳴り散らしていた。

後ろを向くと、上長テーブルから立っていて、お爺さんにタバコの買い方を教えていた。どこにでもあるタイプ自販機だったが、ここではちょっと仕様が違っていたのだろうか。

A君は、エントランス女性店員と何やら話をしていたが、やがて紛然とした様子で二階席に戻って行った。こちらには気が付いていなかった。



翌日、A君を選考から落とした。

危ないところだった。ああいう演技がうまい人間一定数いて、弊社も情けないことに引っかかることがある。多くは面接試験で化けの皮がはがれるのだが、ああやって潜り抜ける者がいる。

彼の場合は、エントリーシート性格適性検査も知能検査問題がなかった。ここまでされると手の打ちようがない。面接で落ちることを願うしかない。

そういう失敗がある度に、要注意大学リストみたいなもの人事部の中で作っておき、研究を重ねていくことになる。A君の場合立命館大学だった。関関同立だと『化けの皮率』が最も高い。私の体感だと、MARCHクラスでは立教大学or中央大学になるだろうか。国公立大学にはそういった要注意大学は少ない。

十年以上も人事をやっている者からすると、人格的にアウトな人間を見つけ出せる機構(システム)がどうしてもほしい。

実務能力が低い人が内定を取るのはいい。まだ許せる。そのあたりはわかっている、贅沢な望みというものだ……。が、能力が低いだけなら問題ないのだが、人格や人柄まで悪かった場合、他の社員に悪影響を与えることになる。

さて、そんな理想未来果たして来るのだろうか。それを待つまでに、私は経済社会から去っているだろう。できればだが、そういうテクノロジー誕生する未来を祈っている今日この頃だ。

2023-03-09

anond:20230309170111

大晦日ベルトをかけて戦えばいい。

双方コンディション万全で。

2023-01-10

悪気がない人にわからせる方法

私「年末コロナ感染したせいで散々でした」

上司「まあ、年末年始ゆっくり過ごせてよかったじゃん」

 

上司は何かとイラっとする言い方をする人で、時々「その言い方はやめろ」などとやんわり伝えるが(やんわり言っても伝わらないが)全然わかってくれない。

上記返答に対して「何もよくないんですが?」と返すと黙り込む。こちらが怒ってる理由もわからないのだそうだ。

「散々だ」と言ってるのだから「散々だったね」で良いだろう。わざわざ「よかったじゃん」と言う必要がわからない。

一人ぼっち大晦日を過ごす羽目になったとも話しているのに何もよくないだろ(上司も一人で過ごすことが好きな人ではない)

 

時々言い方が原因で仕事中も揉めて先輩が間に入ってくれることがしばしばあるが、「なぜ怒られてるのかわからない。傷つくような言い方じゃないだろう。自分なら傷つかない」と言い張る。

他の部署から上司へのクレームが多いらしいし、最近入社した社員上司の言い方のキツさに耐えられなくて転職を考えてると話していた。

私も正直限界が近い。

 

本人は全く悪気がない。

悪気がないからタチが悪い。

こういう人間に「普通はこういうときその言い方をしたら嫌な思いをする」とわからせるにはどうしたらいいのだろう。

2023-01-04

年末旅行の思い出

12/31から1泊2日、車で3時間ほどの温泉街へ。旅館に泊まりたかったけど予約取れずビジネスホテル泊(ドーミーイン)。

連れ合いと泊まりがけで旅行するのは、コロナ禍の自粛もあってほぼ初めて。

15時チェックインを目がけてのんびり出発。

昼ごはん土地名物を食べたい。温泉街といっても地方なので、大晦日でも確実に開いてそうな店を調べた結果、やけに広くて空いているドライブイン入店

15時にチェックインWiFi繋ぎ各々ネットサーフィン

16時に温泉に出かける。外湯。

夕食は、年末で休業している店が多く、半ばヤケになって近くにあるアメリカンダイナーに駆け込む。

赤と白の内装入店後しばらく他の客はいなかった。ビールハンバーガーが美味しかった。

帰りにコンビニで買い物。

連れ合いポテチハリボーグミベアを買っていた。「グミベアよく買うの?」と聞くと「一年に一回くらい。」とのこと。

自分もあまりたことない缶ビールを購入。

部屋に戻ると紅白が始まる頃だったが、少し見て後はBS1でグレートレースを観ていた。前編、後編計4時間。前代未聞のハイペース、土井陵。4連覇のレジェンド望月将悟。荒れる天候。見応えあった。グミベアをつまむ。

自分は途中でめちゃくちゃ眠くなり、連れ合いに「(1位の人)ゴールしたよ」と起こされる始末。

その後何回か寝落ちしたが、ゆく年くる年は見た。

次の日、朝風呂に入って朝食9時半、その後チェックアウトの11時まで部屋でダラダラして、観光して帰宅した。

2023-01-03

anond:20230103202711

デスゲームものが全世界で天下取るって最悪だね

テレビ大晦日逃走中、鬼タイジと一応バラエティから死なないけどデスゲームみたいなもん

幼稚だなぁ

母が重い、35歳女の脱出

2023年1月1日、私は限界を迎えて、東京ホテルを予約した。元々3日から予約していたのだけれど、1日からに変更した。実家で絶え間なく続く母の愚痴に耐えられなかった。



子どもの頃のまま、中1のときに貼ったアヴリル・ラヴィーンポスターこちらを見つめる部屋で荷物をまとめていると、ドアから父がその様子を覗く。


「どこ行くの?」

今日から東京に行こうと思って」

「3日からじゃなかったっけ」

「やっぱり今日からにしようと思って。いろいろやることがあるし」

「そう」


しばらくするとまた父が来る。

「なんで行くの? お母さんが泣いてるから理由を教えて」

泣くのか……少しは想像してはいたけれど。

仕事とか渡航準備の関係があるから

「そう…」


父は去ってしばらくすると、今度は母と登場した。

ユニクロの縞模様のフリースを着た母は、部屋にはいると、ドアの前で正座をした。その後ろで、灰色のだるだるのパジャマを着た父が立っている。

私はベッドに座って、ポーチ化粧水を詰めているところだった。


「なんで?」

悔し泣きのような顔で、正座をした母が言う。


仕事とか渡航準備あるから、やっぱり早めに行こうと思って」

「なんで? 私がなにか悪いこと言った? なにがだめだったか、教えてください」

正座した上半身ゆらゆらと前に屈ませながら、母が泣いている。


「いや、別に……」

「教えてください。私があなた子供の頃からしていた所業が悪かったのはわかっています。謝ります。ごめんなさい。でも、言われないとわからないんです。私ばかなので」


正座ゆらゆらと頭を下げる母。泣いて頭を下げる親を上から眺めるなんて、最悪だ。自分が本当に人でなしのように思える。


これが嫌でこれまで距離をとってきたんだったなというのと同時に、これが予想できたとしても最悪のタイミングで拒絶をしたかったんだとも思う。


「5秒ごとにネガティブなことを言われるのに、疲れただけだよ」

ネガティブなことってなに? 教えてよ」

「どれというより、本当に息を吐くように言ってるから、一度録音してみたら…」

「そのときに言ってよ。言われないとわからないよ」


母の涙声の語気が強くなる。本当にわからないのだと思う。それは2人で暮らす両親の習慣なのだ


***


母は父の一挙手一投足に文句を言い、ときに声を荒げる。父はかなり雑で無神経なほうなので、文句を言いたくなるのもわかるときはあるけれど、母の謎のこだわりに沿っていないかったり、さっき母が自分で言ったことを忘れていたりという理由での文句も多い。

煮物を真ん中から食べたとか、思っていたのと違うお皿を使っているとか。


文句を言うとき、母は私のほうをちらりと見る。一緒に文句を言ってほしいという合図だ。祖母ご近所さん芸能人を悪く言うときも一緒だ。


子どもの頃は、これに必死賛同していた。賛同したほうが、家庭内平和だし、「やっぱり父に似て鈍臭くて雑」と言われたくなかった。私は母のなかにあるお皿のルールを覚えて、完璧対応できるのが、誇らしかった。


母の文句合理的ではないと気付いたのは、中学生になった頃だろうか。反抗期を迎えた私は、母の「ちらり」に反応しないことにした。子どもの頃の癖もあるから、反応しないのには一定のパワーがいる。


20年ほど経つのに、未だに母は私の賛同を待っている。目を逸らすと、「冷たい」「つまらない」と残念そうに言うこともある。私は私で、いまだに反応しないのには、パワーを使う。



母は自分にも、ネガティブ言葉を投げかける。料理の味付けが薄かった、もっとこうすればよかった、失敗した……。「そんなことないよ」「おいしいよ」と父はすかさず言う。「心にもないことを」と母が言う。


私も基本的には「おいしいよ」と言って、自分が実際に食べたいと思う以上に食べる。実際にそんなにまずいと思うことはない。おいしいことも多い。絶対に言えないけれど、もっとこうしたらおいしいのにな、夫だったらここはもっと丁寧につくるなと思うことはある。



母と父は2人っきりで、ずっとこの関係を続けているから、自然なのだろう。父は天然で人の話をよく聞かないタイプだし、何十年も家庭を放棄して母に苦労をかけてきた負い目もあるのだろう。なにより退職して、今かまってくれるのは、母しかいない。


そうして自然に任せると、5秒ごとに母が、父の批判か、フォロー待ちの自分批判をすることになる。


「そうだそうだ」と母に賛同しているときは、楽だった。そういうものだった思っていたから。でも、なんだかおかしいなと気づいてからは、食事3回分、24時間くらいが限界らしい。


最近は、夫や弟夫婦帰省することが多く、彼らがいたから、なんとか耐えられていた。

弟の奥さんや夫を気遣う体で、物理的に距離をとれたし、外の目がある手前、母のネガティブも多少減る。

彼らは空気を読むタイプなので、波風を立てない形で、母をなだめ、父へのフォローもできる。弟と私が、そういう伴侶を共通して選んだのは、偶然ではない気がする。



そんな夫が「あんなに失敗したって言われながら、食事を出されると反応に困るんだよなぁ」と、いつかの帰り道にぼやいた。

それで私は、やっと自分がいつも母の絶え間ない自虐に疲れていることに気づいた。


12月29日の夜に帰省した私は、24時間が過ぎた30日の夜に、電池切れしてしまった。


31日はタイミングが悪いことに母の誕生日だったけれど、その日は私はなにも話すことができなくなっていた。そうなると、私は思春期に戻ってしまう。


こうならないように、ここ何年かは、それっぽい理由をつけて一人のとき自分が耐えられる時間だけの滞在にしてきたし、長い時間ときは夫や弟夫婦と一緒に行動するようにしていたのに。

今回は急遽海外への引っ越しスケジュールがずれこんで、直前に長く実家滞在することが決まった。私以外は皆海外にいて、一人での帰省だった。


ゆっくり実家にいれるようになって、よかったね」というまわりの言葉になんとなくそうかなぁと思ったけれど、やはりどうしても私には無理だったらしい。


年末に駆け抜けた引っ越し渡航準備、仕事で、疲れきっていた。さらに悪いことに、家族緩衝材役を担ってくれていた犬が、最近病気で寝たきりだ。

私は母と話せなくなると、犬に話しかけて、場を和ませて、なんとか大人自分に戻っていた。



私は実家にいるとき、3つのモードがある。


①母の文句や笑いに喜んで賛同し、適度に甘える、7歳の無邪気な自分 ←母はこれを一番期待している。25歳くらいまでは、違和感を持ちつつも、これで仲良くやっていた。


②母に反抗して黙りながらも、我慢してその場にとどまる15歳の自分 ←母はこのモードに、世話を焼くのも嫌いではなさそうだ。私はかっこわるくて最悪な気持ちになる。


③母の愚痴ニュートラルに聞き、親切にする35歳の自分 ←母は物足りなそうだけど、自慢の娘というかんじでご機嫌。私も心が安定する。心の余裕がないと、長時間できない。


もちろん、基本的には今の自分の年齢と一致する③でいたい。①は楽で平和だけど、自分のなにかが死んでいく気がして、絶対にやりたくない(実際この形でうまくいっている母娘はけっこういる気がするけど)。


③が崩れそうなときに、①を断固拒否すると、②になり、今回は頼みの綱の夫、弟夫婦、犬の不在で、③に戻れなくて、耐えきれず、物理的な脱出をはかったわけだ。


***


修羅場に戻る。


「なんで嫌ならそのときに言ってくれないの!? 私が子どもの頃、すぐヒステリーになったから、それがトラウマで、普通言葉もすごく嫌に聞こえるんだよね? そう、私が悪いの……」


母は一人で話しつづけている。

しかに、そうなのかもしれない、と思う。


「どうせ私は虐待親ですよ。そう思ってるんでしょ。この家に足を踏み入れるのも辛いんでしょ」


こんなふうに母が言うのは、弟が4年ほど前に、そう言って母に反旗を翻したからだ。


から見て、弟は弟でわりと極端な思い込みがあるほうなで、それは言い過ぎではと思いつつも、面倒なことを伝えてくれて助かったなとも思っていた。


虐待とまでは言わないけれど、母の臆病さや不安定さに、随分振り回されたなと思う。母の年齢に近くなり、いくら大変でも、大人の私はそれはしないなぁということがいろいろある。時代も違い、私には子供がいないから、未体験領域ではあるけれど。


ただ今になって本人を責めたいとも思わないし、お金と労力をかけてもらったぶんそれなりに自分人生を生きらている自覚はあるので、のらりくらりと、どちらの側にもつかずに距離をとっていた。


その間に結婚して、夫という防波堤ができて、このまま平穏にほどほどの距離感でやっていけそうだったのに。ここにきて、こんなことになるとは……。


「ずっと嫌だったんでしょ。無理してこの家に来てるんでしょ」

「まぁ、それはそう」


弟ほど実家に寄りつきたくないわけでもないけれど、母の雰囲気におされて肯定してしまった。実際、いればいるほどエネルギーが吸い取られるかんじがするし。


「嫌なら、なにが嫌かはっきり言ってくれたらいいのに。なんで教えてくれないの?」

「こういうふうになるってわかってるからおかしいなと思っても指摘できないよ。子どもの頃から、言えないように、あなたがしてきたんだよ!」


一度肯定すると、私も感情的になって、涙がでてしまう。


「指摘できないなんて、思わないけどなぁ」

父がとぼけて言う。

だって家にいなかったから、知らないじゃん」


ついでにした父への批判は、なんとなく母が言ってほしい言葉を言ってしまった気がする。


だって、いなかったし、そのうえ、気に入らなかったら、怒鳴ったり暴力振るったじゃん。アル中DVだったときのこと、忘れたの?

と本当の私は言いたかった。


宙吊りにされてテーブルの角に頭を打った母が頭から血を流したことも、ベランダガラスを蹴って割ってくるのを、弟と部屋のなかで怯えて見たことを、私は忘れられない。

部活から帰ってきて眠っていたソファから、突然投げ落とされたことも。

日曜の昼、ウィスキーを飲み始めたら、今日は怒鳴りだす合図だったことも。


でも、それはこの家ではなかったことにされているタブーだ。母の思う「うちは、幸せな家庭でよかったね」の規範から、明らかに外れているからかもしらない。


今の父は穏やかで、母を落ち着かせる役割を担っているし、あの頃のことを申し訳なさそうにする素振りをしているので、私も言わないことにしている。


ある一定の期間だけだった気がするので、仕事ストレスもあったのだろう。その仕事で、大学まで行かせてもらったわけだし。だからって、許されることとも思わないけれど。


そんなことを考えて黙っている間も、母は話し続ける。


「私はひどい親かもしれないけど、あなたのことが大好きだから、楽しみにしてたくさん準備して」


楽しみにしていた誕生日とお正月に、大好きな娘にこんなことをされるなんて、母はとても可哀想で、そんなことをする私はなんてひどい娘なんだろう。

母の憐れさに飲み込まれていく。罪悪感で、頭がぼんやりする。


あなたがしていることは、はっきり言って暴力だよ。無視されることって辛いんだよ。お父さんと同じことを、あなたはする。なんで?」


母は悔しそうに泣く。父にされたことも、思い出しているのかもしれない。


しかに、15歳のモード言葉を話せなくなってしまった自分は、不甲斐ないし、申し訳ない。もう35歳なのに、なにが嫌か言葉でなかなか説明できないなんて。それでも。


「そんなふうに被害者っぽくされるのに、もう疲れたので…」

被害者面なんてしないよ! 絶対しない。でも、被害者って言うなら、言わせてもらうけど」


被害者」というキーワードが、なにかの引き金になったらしい。母がここぞとばかりにまくし立てる。子どもの頃、どれだけ私や弟に尽くして節約し、我慢し、プリントを整理し、時間をさいてきたか自分がこんなふうに拒絶されるのが、どれだけ辛いか


プリントの整理、私嫌いじゃなかったし、別にしてもらわなくてもよかったんだけどなぁと思う。


節約して5歳から18歳まで行かされていた塾も、今思えば先生子供たちに人格攻撃をするやばいやつだったので、あの先生のために節約しなくてよかったのにねとも、思う。

どんどん人が辞めていくなかで、私は一番長くその塾に通った。今思えば、あそこにいた子どもたちは、みんな無表情でか細い声をしていた。


母にも辛くあたった塾の先生祖母を黙らせた私の全国模試順位に、母が満足気にしていたのも思い出す。私に勉強の機会を与えたのは、私のためだったのだろうか。


母がヒートアップするほど、だんだんと冷静になってくる。


母は絶対否定しない父を後ろに据えて跪き、私が絶対罪悪感を抱く言葉を泣きながら放つ。

この人は、本当に自分可哀想で仕方ないんだなと、思う。


過去やってきたことを否定したいわけじゃないよ。ただ今、愚痴を聞き続けるのが疲れたっていうだけだから

「本当に行くのね?」

「うん」


これまでの私だったら、ここで東京に行くのをやめていたかもしれない。そもそも行事を大切にする母の手前、大晦日とお正月実家家族から離れる選択肢なんて、一昨年夫がコロナの濃厚接触者になった一度以外、なかった。


海外駐在中も両親が自宅まで来たし、濃厚接触者になった翌年の新婚ニ年目も年末がちょうど誕生日から義実家より私の実家を優先した。「失敗したかもしれない」と呟く母のおせちづくりを毎年手伝い(「おいしいよ」とフォローしながら)、きれいにできた重箱やお正月風景を撮ってアルバムにして、プレゼントした。


今年は弟夫婦も夫も海外で、犬は寝たきり。それでも母は、親子水入らずでのお正月を楽しみにしていたのだと思う。急遽伸びた海外行きと、それに伴う実家滞在の長期化を、母はもちろん喜んだ。


私は夫と会うのがお預けになってがっかりしたし、なにより自分実家滞在に耐えられる自信がなくてとにかく不安だったけれど、そんなこと、まったく思いもしなかっただろう。



「私はお正月家族で過ごすものだと思ってるから。こんな仕打ちってないよ。〇〇ちゃんの家は母娘でおせちをつくって、●●さんの家ではもっと……」


母が地元に娘が残って、べったり子育てサポートしている家族を羨ましく思ってるいるのは、わかっている。


それが嫌だから上京してよかったと何度思ったか。一方でその願望に多少は答えなくてはと思って、お正月誕生日と、GWお盆帰省した。旅行もした。

でも、今回は無理だった。弟夫婦や夫がいてくれる年を過ごしたら、もう1人では耐えられなくなっていた。



「もう何十年も、十分やってきたでしょ」


そう言うと、母は静かになって、去っていった。


私が喜んでやってきたと思っていたことを義務のように言われて、母は心底悲しくなったのかもしれない。私だって、いつも100%嫌々やっていたわけではない。ある程度、楽しんでいた。


母は本気で自分を直そうとして、泣いて質問しているのもわかる。


それでも、「まだほしい、まだほしい」と千と千尋カオナシのように、やればやるほど依存されて欲しがられるかんじに、耐えられなかった。

母が変わるのを根気強くサポートする気力が、私には残っていない。



母が羨ましがる〇〇ちゃんや●●さんの家だって、娘が気を遣っているところはあるのだろうと、私は思う。彼女たちが一時精神を病んでいた原因に、母との関係がなかったと言えるだろうか。


娘同士で話すと、娘側が母にリップサービスをしたり、話を合わせたり、距離をとったりしていることは多い。

10代の頃は本当に仲の良かった「友達母娘」でも、いつまでもそのままでいられると思っているのは、たいてい母のほうだけだ。それでも、娘は母をがっかりさせないように、大人の振る舞いで和やかに過ごす。


だって、本当はスマートに、本人には気づかず幸せでいてもらったままで、ほどほどの距離感で過ごしたかった。


誕生日やお正月を楽しみに、食材を考えていた母を思うと、胸が痛む。とても。涙がでるほど。

こんな最悪のタイミングで反抗しなくたってとも、思う。しかも、こんな年齢で。


それでも、今、私は自分のために、自分をどうしても逃がしてあげたかった。

脱出した私は、その夜、東京銭湯に行って、ホテルのベッドでぐっすり眠った。

2023年、はじめの自分へのプレゼントだった。


——-


けんか(?)を片方の立場から書くのって、フェアじゃないよなぁと思いつつ。

まずは自分のなかの混乱を整理するために書きました。だからか、うまく削れず、とても長いです。


迷いつつも、シェアするのも悪くないかなと思ったのは、信田さよ子さんの本や記事にでてくる人たちの具体的なエピソードに、私自身が背中を押されたからです。

https://www.amazon.co.jp/dp/4393366255

https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0022/topic025.html


もうおばさんという年齢なのに、いつまで私は子どものようにじたばたするんだろうと思うけれど、自分選択して、書いて、振り返って、前へ進めば、大人としてドライなほどほどの関係を築けると信じて…。

自分ブログ用に書いたけど、さすがになぁという内容なので、ここに載せます

anond:20230102181944

明治から始まった(少なくとも「初詣」という言葉が初めて確認できるのは明治)のは本当だが「賽銭目当て」というのは微妙

それまでは神社・寺ごとに決まった縁日に行くのが基本(今でも西宮神社とかの十日戎えべっさん)なんかには名残がある)だったのが(地方によっては大晦日から二年参りみたいなのもなかったわけではないけど)、

明治に入って日曜休日正月祝日制度ができて日付固定の初縁日に行くのが難しくなった。

そんでその頃できはじめた鉄道会社が「正月休み初詣に行こう!」ってキャンペーンを打ってこれが全国的流行って今に至る。まあ娯楽のない時代レジャーやね。

詳しいのは『鉄道が変えた社寺参詣』とかの研究書があるんでそれ読んでくれ。

2023-01-01

初体験

歳を重ねて何でも馴染みのある選択ばかりして冒険や挑戦をやめてしまうのは良くないなと思って2022年からはあえて今までと違う選択をとるようにし始めました。

・一人ラーメン

トッピング選びとか店ごとのルールとか分からなくて常連に怒られたら怖いと思って寿がきやしか行けなかったけどいくつか行った。どうとでもなった。台湾まぜそばも初めて食べた。美味しかった。

・1人コンサート

割りと一人で来てる人多かった。ホールコンサートだったけど一人ライブハウスもしてみたい。

紅白以外の大晦日

コンサートライブビューイングに行って家族と過ごさなかった。家にいないといけないと思ってたし、なにか言われるかと思ったけど普通に送り出してくれた。

自分の中の選択肢が増えて良かった。

今年はどんな初体験をしようか悩んでるけど、1人で飛行機乗ってみたい。

釣りも気になるけど魚の顔が苦手だから魚の顔が大丈夫な人がいないと無理かな。

なにかおすすめがあれば教えてください。

やっぱり子供、欲しくないわ

大晦日だと混むので、早めに帰省した。

3兄弟のうち一人が子持ち(兄。男女一人ずつ)、一人既婚子無し(自分)、一人独身(弟)。

子どもたちを連れての帰省は大変そうだ。兄夫婦たちは未就学児と乳児抱えてまともに食卓も囲めない。床はこぼした米とみかんの粒でぐちゃぐちゃ。仕方ないから先に食べ終わった自分たちが子守役になるけど、なんの遊びしても落ち着いて遊び続けてくれない。すーぐママがいいママがいいと泣かれ、途方に暮れた……

から終電とか適当理由つけて早めに帰宅した。

十月十日最悪の状態で過ごした上に、社会復帰のレールも外されて、飲み食いする時間にも不自由する金食い虫抱えるくらいなら、もう今のままでいいや。

仕事してたら年明けとか辛い

エッセンシャルワーカーでもなければ、正月に稼ぐ職種でもなく、

 

ただ、1月上旬納期仕事がこのままだと終わらんから大晦日ZONE飲みながら仕事しているわい。

 

夕食食う時間もなく、18時にクリーム玄米ブラン食べて、20時前にスーパー閉まる前に、あれこれ書いに行ったら、天ぷらそばセットが500円が50円。800円のにぎりが400円。

これを今から食べる。

 

あぁ弱者男性は辛いよ。

2022-12-31

ちょっと見ただけで言うのでテキトーだが、

日テレの笑う大晦日(だっけ?)は笑ってはいけないの後継となるのは難しいかなと感じた。

・人数が多すぎ

芸人いっぱい出ててもわちゃわちゃして今何が起こってるかわからない。

生放送

テロップがないのでパッとテレビ見たときに今何で笑いが起こってるかわからない。

大晦日バラエティ番組で最適なのは

家族や親戚でお喋りしながら飯食ってて話題が途切れた瞬間パッと見ても笑えるし、

ストーリー性や流れがあって継続して見続けちゃうこともできるものだと思った

笑ってはいけないは場面場面で単発でも笑えるし、テロップもあるので声が聞こえなくても笑いが起きてる理由が把握しやすいし、流れがあるので継続して見続けちゃうしで最適だったんだなと思った

から笑う大晦日やるくらいなら千鳥が街ブラやるロケ番組だったり、いっその事笑神様スペシャルとかが丁度いいんじゃないかと思った

ダーツの旅スペシャルでもいいけど時代が逆行してる感があるのでやめた)

大晦日

ハッピーターン

食べまくる

それにつけても

金の欲しさよ

大晦日うんこ漏らした

といってもごく少量だ

スーパー年越しそば買ってる途中にちょっと実が出た

お尻の間がジトっとしたので分かった

子供の頃の経験大人になって生きた

なんでも経験しておくもんだな

そして幸い、臭いもなさそうだ

いける

そもそもうんこ漏れて何の問題があるのだ?

それより年越しそばの方が大事では?

うんこをなぜ恐れる?

いけ

止まるな

さっと会計をし、トイレにも寄らず家に直行した

帰宅後、すぐにトイレ確認

なんだ、こんなもんか!

たわいもない

さっと脱いで手洗いし、パンツを干した

よし、作るか

恐怖に勝って食べる蕎麦はきっと旨いだろう

良い年を迎えられそうだ

例年の大晦日

今ぐらいの時間仕事納め

誰もいない帰り道を歩いて

どこからか香る蕎麦ゆの匂い

ああ、今年も終わるんだなって感傷に浸ってた

[] そのごひゃくにじゅうはち

ハグモラドサメアハーッス

 

本日大晦日でございます

カトリックでは聖シルウェステルの日で、その為ヨーロッパではジルヴェスターと呼ぶ地域もあるのだとか。

あとは日本著作権保護期間の最終日だとか。

 

さてさて、なんだかんだ年越しも間近でございます

仕事納め今日で、仕事始め明日って人も多いでしょうね。

今年は月初めに目標書くとかやってた気がしま

スローガン的なもの股間のDXから変わっていないと思います

それもこれも私がズボラなせいですが、皆様は股間のDXを達成されましたでしょうか?

よく考えたら突然出されたスローガンをそのままにしてスローガン認定したのもあの一回きりだったと思います

まり十一ヶ月は股間のDXに臨む期間があったということ!

ではなく!

そこまでスローガンに本気ではなかったということですね。

年末股間股間言うもんじゃありませんね。

皆さんは股間だけじゃなくていろんなところがデラックスです、それでいいじゃありませんか。

目標は達成しました。

スローガン遂行しました。

からまぁ来年もきっとうまくいくでしょう。

馬鹿どころじゃない十一馬鹿な我々がギリギリのところでなんとかやってるのです。

そりゃうまくいきますよ、きっと。

それでは、良いお年を

 

ということで本日は【運任せよいか】でいきたいと思います

運任せよいか!運任せヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん