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2021-07-04

パリ在住34年でフランス通訳資格ある人も「差別」って言ってるのに、意訳しかできない辻仁成の言うことを鵜呑みにして疑わないブクマカってなんなん?

八代タカ》隆司

@taka_paris

デンベレグリーズマン日本人アジア人差別

最悪、劣悪、言葉にならない。

でもね、これが現実ですよ。

あたしたちは声を挙げていかないといけない。

黙っているのはもうウンザリだ。

#StopAsianHate

https://twitter.com/taka_paris/status/1411356177322106893

八代タカ》隆司

@taka_paris

パリ在住34年目、同性婚したフランス人夫レミイとの日常映画展覧会劇場レストラン旅行)、母国への郷愁、在住国への繰言も…ケセラセラ&根なし草&Amour toujours赤色ハート文化施設勤務、仏政府公認通訳ガイド資格有(Guide-conférencier agrée)、TV出演、雑誌連載。お問い合わせはDM封筒

郡山福島)→京都飛行機の着陸パリ(⇄アルザス/⇄大阪

2021-06-21

2021年アニメ、ほぼ悪口

シャドーハウス

原作改変したことアニメ版を見た身からも途中が飛んだことがはっきりわかる印象に。

ラム可愛い

ゴジラS.P<シンギュラポイント

ハードSFらしいかったるい説明と、学者だけで全て済ませてしまう展開はどっかの小説で見た印象。小説家が脚本を描くとSFを使ったサスペンスに終止してエンタメを考えない悪例として刻まれたと思う。基本有川と銘だけが事件解決してゆく形式で、ほかがおまけ、という雑な配分もハードSF小説くさくて正直ある意味では小説作法無視しまくってる。都合の良い狂言回し人間使い捨て無駄字数を増やすのがハードSF作法に見えて仕方がない。加藤侍とかいらんでしょ、狂言回しにすらなってないし。SF解説サスペンスに仕立て上げる、という手法古典SFで見られる手法だけども、映像分野に合わないんですよ。ずーっと地味なやり取りが続くだけだから

ゴジラじゃなくても成立しただろ、という印象を受けた人が少なからずいたはず。

ヒロアカ五期

個人的には好きです。オールマイトからエンデヴァーに移り変わったあとの一戦も熱く、オールマイト不在の隙間を埋めてくれましたし、潜入捜査しているホークスや隠された能力に目覚める未だ成長途中のデクくんなど普通に面白さが継続できてるのが良い。今期はきのこがかわいかった。

SSSS.DYNAZENON

前回よりも惰性で作っちゃった感じ。過去に思いを残した人々が精算し、狭っ苦しくて制限だらけの今に戻るという普遍的テーマ

Vivy -Fluorite Eyeʼs Song-

SFカテゴリで見ちゃだめです。少なくともはてなでは。ただし物語としてはリゼロの作者だけあって過去改変や世界の変容をテーマ化していて、タイムリープものとしては(同一人物と遭遇するシーンの記憶がないのでリープかな)まあまあだったんじゃないかと思う。この作者の肝は熱血と涙にあるので、そこを受け取りたかった人は刺さったと思う。筆者はおっさんだし壮大なヒロイズム自己同一視できるほど夢は抱いていないので、若い人が感動してくれたら宜しいかと。こういうナウシカみたいな壮大な世界を一人で背負う、ってことに聖女性を見いだせません。だって増田だってクズばっかなのに人を救いたいと思いますかって話。

ちなみに物語的になんで人を救いたくならないかって、Vivyとその周辺にいるのがAIばっかだからです。AIに対する人権とか、Vivyが苦しかった際に救ってくれた人間とか、そういう感情移入させるシチュエーションがない。だからVivyやマツモト博士勝手に一人で戦って死んだ話にしか見えない。物語を作る際に思い入れる「環境」を作れてない。Vivyが救うトァクのメンバーの実情もスピンオフにしなきゃならないほど語られない。そんな意味では24構成にしてもいいくらいなんだけど、削りながらでももっと感情移入できるキャラを増やせたとは思う。トァクなんて敵対してただけなのに救いたくないですよね、あんなもん。感情移入と逆のことやってんですよ。

仕組みに振り切るのか、人間ドラマに振り切るのか作者も配分に頭を悩ませたんじゃないかな。

ぐちゃぐちゃ言ってます悪感情はないんですよね。ただ佳作感しかないというか。

戦闘員派遣します!

途中まで見て予約がかぶって潰れちゃったのでそのまま放置。このすばよりパワーダウンしてるので見逃してもいいかな感しかなかった。なんかぼんやり見てても頭に入ってくるタイプじゃなく、他のことしながら見てると頭に入らなかったのでそれもまずかったなと。要するにこのすばを期待した層をある意味で裏切った感じがするというか。ほんとよそ見しながらなので的はずれなこと言ってる可能性あり。

ドラゴン、家を買う

ダークホースじゃないかとぼけドラゴンと飄々とした魔王、アホの姫が物件を買い求めながらじんわりと旅する。騒がしすぎないのもいい。力を抜いて見られるコメディで、深夜アニメの本道だと思う。

憂国モリアーティ二期

女子向けだが正直見たかったのに一期見逃した枠。

ひげを剃る。そして女子高生を拾う

単なる男子よしよしアニメかと思いきや、実は子育てアニメだった件。誰もが途中で「あーもういいからやっちゃえば?」と思っただろう。でも実のところ、このアニメは男のナイト気取り欲求を満たす効果を持っていて、安易ヒロイズムに酔いやすいやつがハマるアニメの一つだと思います普通あん女子高生みたらヤバそうだから関わらないほうが良さそうだ、という思考が最適解として頭をよぎります

ちなみに、ヒロインエアーズロックまっぷたつに割れレベルのブスだったらどうするんでしょうか。これはもう無理でしょう。成立しません。何が成立しないかって、物語的にブスでも通用するかってこととルッキズムは別問題からです。

MARS RED

国の上層部が作り出した金剛鉄兵と、別に組織された零機関。そして物語中に挿話される舞台サロメなど。これらの話はキャラクターの背後にある一人の女の話に絡んでいて、デフロット君と前田義信の奇妙な縁など明らかになる。

丁寧な作りなんだけどいかんせん小粒な感じがある。サロメや他の挿話を十全に知らないと理解できない気もする。原作知ってる人なら言いたいことが山ほどあるんじゃないだろうか。

天スラ日記

天スラはキャラ楽しいので日常系に耐えうるのもわかるものの、延々とやられると中だるみするんだなという話。

聖女の魔力は万能です

マイン司書やるあれの空気感をなんとなく感じつつ視聴。かなり王道少女漫画的で、イケメンのあれと仲良くなってゆく過程うつむきながら逃げ回るなど、まあそりゃ受けやすいと思います。ただしひねくれた女子以外。イケメンに気に入られない自分と比べてしまって辛いらしいね。なんでそんなところに自分が登場するのか謎ですが。おっさん的にはありだと思います

擾乱 THE PRINCESS OF SNOW AND BLOOD

地味だけど今期で一番人情に振り切った作品じゃないかと。時代劇意識した作り、子連れ狼などのモチーフ復讐と許しの葛藤という普遍的テーマ古典的ながら骨太だとは思います。ただ、名作かって言うとそうじゃなくて、今となってはなくなった形式を今やってみたという作品かと。

究極進化したフルダイブRPG現実よりもクソゲーだったら

中身がニコニコ旧2ch的。ヤンデレクズ陰謀家など嫌な感じのキャラをやり尽くしてんだけど、嫌な性格って実はテンプレ化しやすいな、という印象。話自体おバカ系なんだけど、それ以外に感想は出てこない。エンディングの「だいだいだい好き」の部位はおそらく「Die」だと思います

スーパーカブ

なんか良さげだと持って見始めたら、作者が炎上して延焼すらせず燃え尽きて終了した悲惨アニメ二次絵もどういうわけか自分の周辺では見ません。渋のランキングにもあまり見なかったような。中身も深みがありそうでなにもない作風で、原作文体も正直うまいとは到底言えない文章力なので、「増田カブ」というふざけた二次創作がはかどりました。これは単なる雰囲気アニメでしょう。礼子と小熊がでかいカブを引っこ抜いて、や~ん大きい、などという下らない同人誌が出ることを期待しています。あと、恵庭嫉妬のあまりコーヒープールを作って小熊の殺害を企てるエピソードも見てみたいですね。

ゾンビランドサガ リベンジ

うーん。安定しちゃったかな。はっちゃけてほしかったですね。メディアミックスとかスケベ心が出たんでしょうか。

普通です。面白いともつまらないとも言えない。リーゼントの回くらい毎回ふざけてほしかった。

異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術Ω

見た。普通。例のヒールみたいにエロに振り切っちゃったほうがいいのでは。

妖怪ウォッチ

メタネタパロディが減りすぎててあんまり。もともと大人用じゃないのだな、という厳しい現実のしかかる。

BLUE REFLECTION RAY/澪

ロジックが画作りと構成に追いついてない。キャラ原案ありむー岸田メルなんだけどまるで原作絵を再現するつもりがない。やりたいことは明らかにまどマギ系やゆゆゆの類似品。駄作だったアサルトリリィ以下。こうなると何がやりたいのかわからない。低予算が透けて見えるのが悲しい。

スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました

この系は絵面さえ良ければだいたい面白いと相場が決まってんだけど、これは本当につまらない。前回の魔女の旅々を思い浮かべたり、その他日常系を思い浮かべるとその退屈さに驚く。退屈なのに驚くってどういうことなんですかね。

86エイティシックス

もう一つのVivy枠。作者に失礼なんだけど、多分原作の方はもっと悲壮感溢れる感じなんだろう。

日本人の大好きな悲観的なメロドラマで、みんなと心が通じてるのに世界システムが許さなくって、という内容。ちなみにこれを男女の恋愛に置き換えると不倫ものになりますし、断絶をボーイ・ミーツ・ガールに置き換える事もできますロミオとジュリエットがその原型です。そして断絶と死はとても相性がよく、実際レーナさんたちと86ピアヘッド部隊出会えません。あとはそれにハマるかどうかという話です。

EDENS ZERO

一話だけ。これは糞だなと思ったので取りやめに。SFとしても中途半端少年漫画としても王道を履行しすぎてなにもない。

美少年探偵

画作りがすごい作品。まあ、あの人監督なら当然でしょう。内容はびっちり西尾節なのでそれ以外に感想はない。やってることが怪異普通探偵かの違い。

東京リベンジャーズ

新宿スワンの作者なのでヤンキーバリバリになるのはやむを得ないでしょう。ただ、キヨマサくんの本物感は声優ともどもよくできてんなと思います。他のヤンキーがいなさそうなのに、あれだけ田舎にいた感じというか。たちの悪そうなボス感もよく表現できてますね。マイキーくんは完全に創作です。あんヤンキーもいるにはいますが可愛がられる立場で、トップはったりしません。せいぜいトップ腰巾着です。そして連絡係程度のチビは背後の権力を傘に来て偉そうな態度を取ります。なんでそんな事知ってるかって、もともと田舎者だからです。

タイムリープものというより、キャラものとして見るのが正しいかと。なぜなら彼女だけでなく、ドラケンマイキー二名に死んでほしくないタケミチ、というラインがしっかり描けているから。

不滅のあなたへ

原作よりわかりやすく、かつ原作踏襲してるのでおすすめ感はあります。ただ原作は大作感のある無味乾燥とした物語なので、見続けることによって激しく感情を揺さぶられるとか、涙が流れすぎてトイレ便器から離れられないといった現象に見舞われることはありません。それはまあ、二期三期と続けてみればこの意味がはっきりわかると思います。作者が感動させに走ってないので。フシというサーガではなくフシという歴史を通した群像劇という立場なんでしょうね。

幼なじみ絶対に負けないラブコメ

もうこういうのはいいかなと思ってさっさと切った話。一話目も覚えてない。むしろ見たつもりで見てないかもしれない。

長瀞

まあこういうもんでしょう。だって他になんか言うことありますか?

褐色JKって創作物の中で何匹いるんでしょうね。

メガロボクス NOMAD

単なる雰囲気アニメと言われた一期ですが、二期も割とそうです、ただし、音楽美術センス、造形どれをとっても渋くて、昭和テイストを残しながら現代的という良い意味での線引を果たしている佳作だと思いますエンディングテーママリアッチを思わせる歌声郷愁を誘いますOPベンチャーズ的なギターサウンドも良い。肝心のボクシングシーンがしょっぱいと言われた前作ですが、少し改善してます。むしろボクシングを通したジョー人生を描く作品なので、ボクシングシーンこそおまけかも知れません。

追記NOMADノマド以外に「俺はマトモさ」という意味が込められていると思います

セブンナイツ レボリューション -英雄継承者-

実は零と同じ轍を踏んでいる作品。要するにストーリーの骨組みはちゃんと考えてあるのに、舞台が同じ場所の繰り返しだったり、キャラが多い割に話に広がりがなくラスト二話程度で一挙に情報量が増えるという、昔のアニメにあった悪いパターンが戻ってきている印象です。舞台勢力、そして敵と味方両方を映し出すだけでちょっと面白くなったことでしょう。

やくも

視聴者をお舐めになってるのでしょうか。

ましろのおと追記

久々に俺節風の人間ドラマが見られる傑作かなと思いきや、いきなりトーナメント化してしまい、某カルタ漫画か! と手に持ったバチを画面に投げつけた思い出。いえ、実際には投げつけてません。三味線持ってませんし。ハイセンスなお母様の全く方言が抜けきってないのはやりすぎじゃないだろうか。自分の音を鳴らせ、じっちゃんコピーになるなで終わったので二期あるんですかね。

ThunderBolt Fantasy 第三期(追記

これですね、個人的に好きなんですけど増田ボッコボコだったのでまあいいかなと思って書きませんでした。個人的には見れば面白い類で、キャラに馴染みが必要なので1期からおすすめしたい感じ。トリックスター役の凜雪鴉(リンセツア・鬼鳥)の奇っ怪さが今作の面白さの一つだと思ってる。どうも虚淵玄って名前出すのがいかんらしいですね。

ODD TAXI追記

地方AT-Xに入ってないんです。おわかりください。ちなみに超絶低速回線です。お察しください。

入間くん(追記

うーん。この手のいわゆる勘違い成り上がり系って80年代からあって、ある意味では普遍的ものなんだよね。でもこの入間くんはその古典芸を古典芸としてでしかやれてなくて、一期の一話目から俺は真顔で見ました。終始真顔でした。それでも頑張って一期の4話まで見たんだけど、どうしても真顔でした。これは二期も真顔に違いないと思ったので見ませんでした。

セスタス追記

幼少期編……三浦先生も死んじゃったのにこっちも酷い扱いにしてはだめでしょう……。

バック・アロウ追記

中島かずき脚本で、ガイナックスを忘れられなかった中村が再びガイナックスをやりたがった作品。この人のテーマ性はBNA以外、底辺場所から天を目指す、という部分に集約されていて、そのモチベーションが「人の持つ無限希望」にある、と本人の中で解釈されてんですね。しかしこれって彼の最も得意とするところなので、ある意味最も保守的作品なっちゃった感じがします。細胞の一部っていう仕掛けもありきたりでもありますし。

魔道祖師追記

用語が超わかりにくい。あとコンテの構成(シーン)がバンバン過去現在を交差しまくるので今何が起こっているのか飲み込みにくい。カメラワーク効果音と演出などは映画風で大変高度だとは思うんだけど、とにかくわかりにくさで損をしている。メモ取らなかったのを後悔しました。絵は美しいし、中国アニメ本拠地になりかねない別の意味での恐怖を感じさせる作品かと思います

7 SEEDS(ネトフリ→BSMX枠)

これ面白いんだけどアニメ知名度ゼロ過ぎて悲しい。基本的に作りは古いです。何しろポストアポなんちゃらで少女漫画SF黎明期匂いを強く残している。サバイバルといえばさいとうたかおサバイバル自殺島などでも既出なので新規性もありません。ただ、女性作者ならではの繊細な人間関係の描写や、ほんの些細な出来事から気づきを得て成長してゆく姿は、無人島生活ものと相性がよく飽きにくい構造かと思います。作者の目線人間の身勝手さを越え、人間の暖かさを信じる気持ちが伝わってくる点も良いかと思ってます

バトルアスリーテス大運動会 ReSTART!(追記

これ語っていいんだろうか。なぜなら1期見てないから。この期に限って言えば運営側陰謀陰謀に立ち向かいながらも自らのアスリートとしての矜持を貫こうとする女性たち、という組み立てで、よくよく考えると一番フェミ枠なんじゃあるまいかと。やんなくてもいいのに時代機微な気がします。なぜならおそらく一期はそういう作品じゃなかったであろう予測がつくから

ともかくね、尻がエロい。それだけですよ。尻のために全話見るのが正解です。

2021-06-19

昨日みた夢の覚書

 夢のはじまりは夜だった。私は友達三人とどこか温泉街のような場所旅行に来ていて、ホテルチェックインを済ませたところだった。私に一緒に旅行ができるような友達は三人もいないはずだから、その友達が誰だったのか、どんな顔だったかはもう思い出せない。あるいは高校修学旅行で同室になった同級生たちだったかもしれない。

ホテルは十四階建てくらいの、温泉街にしては大きくりっぱなホテルで、私たちは四人で一部屋の和室に泊まった。皆で浴衣に着替え、宴会場のようなところでにぎやかに夕食を食べた。酒を飲んで心地よくなった私は「先に部屋に戻るね」と言って、友達三人を残して宴会から抜け出した。私には昔からこういう空気が読めないところがあって、だから友達もいないわけで、やっぱり三人もの友達旅行になんて行くわけがない。

部屋に戻ると、すでに四人分の布団が敷かれていた。食事の間に用意してくれていたようだ。私は自分の布団に潜りこんだ。眠気はすぐに訪れた。

さらに夜が深くなり、あのまま眠ってしまったらしい私はうっすらと目を開けた。部屋の電気はついたままで、けれど室内に他の三人の姿がみえない。敷かれていたはずの他の布団も見当たらない。まだ微睡んでいる意識の端でふと、私はもどる部屋を間違えたのかもしれない、という可能性を考えた。アルコール思考が鈍麻していた私は、それでもいいかと思ってそのまま目を閉じた。

翌朝、目を覚まし、今度は完全に意識覚醒した状態で室内を見渡した。何度みてもやはり、其処には私一人しかいなかった。

思ったとおりだ。私はもどる部屋を間違えてしまったんだ。

とくだん焦ることもなく私は冷静に自分荷物をまとめ、スマホの充電がいっぱいになるまで少し待って、部屋のドアを開けた。

ホテル廊下が続いているはずのそこには、明るい外の景色があった。それも、よく見慣れた、私の実家玄関を開けたときに見える畑と砂利道と住居と、そういう眺めが目の前に広がっていた。

私はさすがに驚いて、たった今まで自分が寝ていた部屋を振り返る。ホテルの部屋だと思っていたそこは、私の実家に替わっていた。もう誰も住んでいない、置いていかれた家具がなんとか朽ち果てずに残されているだけの、異質な存在感を放つ廃墟が私の背後にあった。

私は酔っぱらって、ホテルの部屋に戻ったつもりが実家に帰ってしまっていたんだ!

情けない気持ちになりながら、とりあえずホテルまで戻ろうと外に出たところで足が止まる。実家からあのホテルまでのルートなど私が知るはずもない。途方にくれたが、私はそれでもホテルを目指して歩いた。そしてすぐに気づいた。あのホテルは私の実家ほとんど真裏に建っていた。

視界にあらわれたホテルは来たときよりも小さく、ペンションのような見た目に変わっていた。

しばらくホテルを見あげて立ち尽くしていると、入り口から引率の先生のような中年男性がでてくるのが見えた。いなくなった私をさがしに来てくれたらしい。友達四人の小旅行だったはずの旅行がいつの間にやら、修学旅行か何かに変わっている。気づけば私は当然のように学生服を着ていた。

「一体どこにいたんだ?」

小走りで駆けよってきた先生が私に尋ねる。私はその瞬間、廃墟となった実家で一夜を明かしたことを話せば奇異の目で見られるのではないか不安になり、曖昧に口ごもった。まごつく私に先生もそれ以上追及することはなく、私をホテルロビーまで連れていってくれた。

ホテルロビーでは、先生に付き添われて私は誰かを待っていた。友達三人のことを待っていたような気もするけれど、はっきりとは分からない。それでもただ、私は待った。ロビーには私のように先生に付き添われ誰かを待っている人が他にも何人かいた。あてどないような、茫洋な表情を皆そろって浮かべている。それを見るうちに私は、昨夜の出来事をすべて先生に話してしまいたくなり、これまでの経緯をとつとつと先生に打ち明けた。

「私、本当はやっぱり、実家出るの嫌だったってことなのかなぁ」

最後にそうつぶやくと、先生は私を見て黙った。それからゆっくりと、正面の大きな窓に目をやり、その向こうに見える立体駐車場を指さした。あの駐車場は昔は駐車場じゃなかった、あそこには誰かの住居があった、でも今はもうない。そうやってすべては変わっていくものだと、先生はしょぼくれた私を励ますように喋り続けた。

私はぼんやりと、良い人だなあこの人、でも、たとえ話は上手くないなあと思いながら、熱心に語られる話を右から左へ聞き流した。

 

目が覚めた。今度こそ本当に、そこには現実の朝があった。

まだ夢の記憶が鮮明な私はしばらく体が弛緩したようになり、とても起き上がる気になれなかった。まったくなんて夢だろう。

来月、転職が決まっている。新生活スタートだ。もうあと半月と経たずに、私は生まれから二十数年を過ごしたこの家を出る。夢の中ではすっかり空っぽ廃墟になっていたあの家に、現実の私は今、まだ、あともう少し、住んでいる。

住み慣れた我が家の廃れきった姿、それでもそこに帰ろうとした夢の中の自分を思うと、切ないような気持ちがこみあげてたまらない。

そう遠くない未来に私が抱く郷愁の味を、私は既に知ってしまったのだ。

2021-06-16

anond:20210616183641

でも、生配信面白さってラジオハガキ職人と一緒で、視聴者が減ると番組自体微妙になるやん?

素人投稿コメほとんどしょーもないけど、膨大な数があれば稀に輝くオモシロがあって、それをセンスあるパーソナリティが拾い上げることで番組全体が面白くなるわけでさ。

配信だけ見てても、人が減ったらおもんなくなってくるのが感じられると思うで。

けどまー、お気持ちしちゃったのは申し訳ないわ。

もう配信は見なくなってても、昔好きだった人のことは郷愁交じりで愚痴りたくなっちゃうもんやね……。

2021-05-22

anond:20210522015732

女達というよりそれぞれの復讐と野望と立身出世の話なので

それも含まれる、程度だと思う

もちろん背後に描かれるのは人間のものの姿

人間味を欠いたグリフィス人間的な弱さによる崩壊と、いつまでも正気を保ち続け、いつまでも人間だったガッツの対比がある

から描きたかったのはあるときは欠け、あるときは野心に燃えしかし中心は人間しかなかった人たちの群像劇だと思う

全体のテーマ性で言えば上の通り

グリフィス人間を捨て、まさに非人間的な存在になったことで、(ある意味では気が狂ってしまった)グリフィスの頬を張るためにガッツいつまでも食い下がってゆく、という古典的な熱さはなぜにあったか

それはガッツが欠けてしまったグリフィス自身を信じていたからこそいつまでも食い下がったのだ、と言ってもそれほど間違ってないと思う

ガッツ妄執ゴッドハンドに鷹の団と自分青春をめちゃくちゃにされたゆえの怨念もあろうが、グリフィスへの郷愁というか、望郷というか、そのような懐かしむ念も強くあったと思う

そしてスキあらばはっ倒したいと、目を覚まさせたいと思っていた

自分彼女レイプした親友に正面から向き合ってはっ倒したいだとか

これはすごい話だと思う

人間性の対比で言えば、グリフィス進歩主義者で常に自分自身を別のものへと変化させようとした過去を持つ。これは彼自身が下賤の出自を持つからで、いつでも逆境にあって自分自身で有り続けたガッツと、自分から逃げ続けて涼しい顔をしていたグリフィスという対比なんだ。つまりその根底にはやはり人間回帰へのテーマ性が見え隠れする。

グリフィスはどこかで深く傷ついているので、フェムトになった際にも嫉妬憎悪などが渦巻いて素晴らしい云々と他のゴッドハンドの蛇女に評されている。グリフィスガッツという人間が羨ましかったのに、その羨ましさをガッツを保持する、という手段で止めようとした。しかガッツ決闘のち彼の手から離れる。これはガッツにとっていつまでも自分であり続ける旅の始まりであったと同時に、グリフィス自分でない何かになるための焦りを加速させてしまった。同じ人間としてもがいていた二人のベクトル真逆に向いた決定的瞬間がスムーズに描かれている。

この筆力は漫画家としても、あるいは文章として書き直しても色褪せないまとまり方だ。

元増田の女の戦いをテーマに入れるなら、エレーン(キャスカ)と娼婦たちの話も語らなければ片手落ちじゃないか

こっちのテーマは虐げられている者達の根性だと思う

三浦自身生前アイマスキャラで頑張ってる子が好きと言ってるので、頑張る女像が出てくるのは自然なことだと思う。

2021-05-20

anond:20210520000331

kings of convenienceMVが好き

特にこの2本

https://www.youtube.com/watch?v=WOxE7IRizjI

https://www.youtube.com/watch?v=aFwZDNsG-Os

別に映像的にはこれといった面白みもないんだけどとにかく風景とか空気とか時間の経過とか

まりにも美しくて美しくてこの数分間に映ってる世界の中で暮らしたすぎて死にそうになる

この人たちの音楽あんまりドラマチックな映像とかなくていいんだなってよくわかるところも好き

かといえばこんなヘンテコなMVもあるとこも好き

https://www.youtube.com/watch?v=OczRpuGKTfY

室内だけどこれも本当に美しい…

行ったこともいたことも持っていたこともないもの場所のはずなのに映っているもへの憧憬郷愁にやられて死にそうになる

https://www.youtube.com/watch?v=c-ppARtcQfo


そもそも風景が美しいMVはい

最近だとソヌジョンアのin the bedが良かった

https://www.youtube.com/watch?v=cl9_Nl2bbgA

これはドラマがあるタイプ

ソヌジョンアのMVは全部良い 

百合を感じたりとかのやつ

https://www.youtube.com/watch?v=x-k8gL_r__U

Khruangbinのこれもなぜか舞台日本風景の美しさとヘンテコとエモの組み合わせでよかった

https://www.youtube.com/watch?v=lo4KMGiy--Y

2021-04-22

ただただ終わりを感じさせる曲が好きだ 

終わりの予感を感じさせる曲が好きだ

その曲が始まった途端、そして聞いている間、それまでの幸福時間が終わり、ああこの時間も終わってしまうんだという著しい郷愁、切なさと、この時間は二度と帰って来ないんだと感じさせる曲が好きだ。わかってもらえるだろうか?おすすめを教えて欲しい。それをもだえ聴きながら今週末を過ごしたい

例として以下をあげる

Prince / PurpleRain

終わりを感じさせ方としては完璧特に3分45秒前後の歌が終わった後のギターソロ以降。世紀の名盤が終わってしまうという感じと、演者側がとにかくたたみにかかっている感がたまらない。

Stone Roses / I am the resurrection

これも名盤ラストを飾る曲でPurpleRainに類似。私は復活するという歌詞とも相まって強く終わりを感じさせ素晴らしい。特に3分40秒前後ギターソロから始まる怒涛で至福なセッションタイムいつまでも終わって欲しくないけど、確実に来る終局を感じさせて、身悶える

ナンバーガール/ OMOIDE IN MY HEADサッポロOMOIDE IN MY HEAD 状態

絶頂期を迎えたバンドの突然の解散ラストライブのほぼ最後を飾り、歌詞演奏ともにバンド象徴する曲。

観客のああ終わってしまうんだという感じと、この時間が最高潮という空気パッケージされており素晴らしい

初期スタジオ版のスカスカアレンジから最後の鈍器と刃物で殴られるような凶暴なアレンジの違いにも成長と歴史を感じさせ郷愁を感じる

フィッシュマンズ/Long Season (98.12.28 男たちの別れ)

これもバンド絶頂からの終わりを感じさせる曲。上記と違うのは、ただのバンド解散だけでなく、その後の復元できない完全な喪失を知ってしまっている点で、ただただ切なさを感じさせ、たまらない

aiko/くちびる

完全に涅槃音楽死ぬ寸前にかけて欲しい。

何たって『あなたのいない世界には、あたしもいない』であるaikoにこんなこと言われるなんて、aiko情念呪い殺されているようなものである。最高じゃないですか。地獄の責苦と天国の祝福を同時に味わえるような曲でたまらない。

cocco/焼け野が原

これも情念の呪殺ソングである

何たって『だから抱いて だから抱いて この体に残るように強い力で』である。ああ、とてもたちが悪い。aikoとどっちがたちが悪いんだろうか。わたしaikoだと思います活動停止の前の最後の曲という印象も強い。

補足 下記も終わりを感じさせ素晴らしいが、上記カテゴリに当てはまらない曲

宇多田ヒカル/one last kiss

エヴァ最終章と素晴らしいマッチを見せ、終わりを感じさせるが、映画ラストと相まって終わりの先にリスタート/新しい物語を感じさせるので違う

Monty Python / Always Look on the Bright Side of Life

これも映画ライフオブブライアン最後白眉となる場面で流れ終わりを感じさせるが、人生讃歌により過ぎていてちょっと違う

Vera Lynn / We will meet again

映画博士の異常な愛情ラストを飾る曲。終わりを感じさせ素晴らしいが、映画での使われかたが、ユーモアにより過ぎているのでちょっと違う

これらとは別に ただただ涅槃を感じさせる曲も好きだが、これはまたの機会に

2021-03-04

ジブリ3D映画出たけど、これからジブリ3Dシフトしてくんだろうか?

そうだとしたらジブリも終わるんだろうな

ジブリの良さは2D郷愁感にあると思ってたから悲しいや

2021-01-30

小松左京日本沈没

辛酸にうちのめされて、過去の栄光にしがみついたり、失われたものに対する郷愁におぼれたり、わが身の不運を嘆いたり、世界の〝冷たさ〟に対する愚痴呪詛ばかり次の世代にのこす、つまら民族になりさがるか……これからが賭けじゃな……。」

2021-01-18

なぜ私は聖地巡礼をするのか(の話をかくはずだったが)

聖地巡礼とは中世ヨーロッパ封建社会においてキリスト教徒あいだで流行した、キリスト教聖地であるエルサレムを訪れる宗教的行動である

転じて、現代においてはアニメ映画などの熱心なファンが、創作物キャラクター縁の地を訪ね歩く行為を指す言葉として使用されるに至った。

私も昨年度から今をときめくアイドルグループ乃木坂46好きが高じて、(暇を持て余していたことも手伝い)彼女たちが番組ロケで訪れたり雑誌メディアで紹介したりしていた場所を巡ることが退屈な日常を彩る楽しみの一つとなっている。

大塚天祖神社バッティングセンター千歳船橋喫茶店ぱおーん、五反田デニーズ……

思い起こしてみたがそれほど多くはなかった。

それはさておき、この日記(?)で私が考えたいのは「人はなぜ聖地巡礼をするのか」その理由だ。

聖地巡礼には楽しさがある。

思えば私は日本史世界史も好きなので、歴史上の史跡を巡ることが旅行に行く際の主目的の一つだったりする。映画ロケ地を訪れることもある。

(前提として書き加えておくが、行ったことがない土地を訪れるのが好きな方であると思う。「まだこのへん歩いたことがないから」という理由で6時間ぐらい散歩することがざらにある)

今も『世界史をつくった海賊』(竹田いさみ著)なる本を読んでいて、大航海時代マゼランに続いて史上二度目の世界一周航海を達成した海賊フランシス・ドレーク(ワンピースのドレークのモデル)に関する記述を読んで、「彼の航路を船で辿ってみたいなあ」などと空想に耽っていた。

そう、私はフランシス・ドレーク足跡を辿りたいのである

乃木坂メンバーが参詣した神社自分も赴きたいし、バットを振るったバッティングセンターで、彼女らがそうしたように、自分バットを振るいたいのだ。

そして、「ここに彼らも、自分と同じように立っていたんだ」などと感じたいのである

この衝動はなんなのだろう。何故、こんなことをしたいと思うのか。

バッティングセンターで行ったバッティングは、それ自体として面白かった。乃木坂のことがなければ、私はバッティングセンターに行きはしなかっただろうが、バッティング最中乃木坂のことは忘れて純粋ボールバットで的確に打ち返すことに集中していたし、それが成功することに喜びを覚えていた。

しかし、やはりその一連の行為には、「メンバーも同じ場所で同じことをした」という事実認識によって特別意味を付加され、それが私の心に満足感をもたらしている。

私の記憶には、明らかに「ただのバッティング」以上の色が付いて、この思い出が保存されているのだ。

この違いは何に由来するのか。

まず一つ、見逃せない重要な点は「私は乃木坂が好きである」という事実だろう。これは明らかに聖地巡礼動機に深く関わっている。

私は何も藤田ニコル西野亮廣の訪れた場所に行きたいとは微塵も思わない。ニコるんはどちらかと言えば好きだが、出演番組をチェックするほどではない。西野に至ってはどちらかと言えば好きではないし、好きではない人間の縁の地を訪ねたい、その足跡自分足跡を重ねたいとは思わない。

フランシス・ドレークのことも、まあ好きになりつつある。(暇があれば伝記を読んでもいいかなと思うぐらいには)

では、好きな人なら誰でも聖地巡礼したくなるのかと言えばそんなことはない。身近な友人のことは好きだが、彼らの足跡を辿りたいとは思わない。

これは極めて重要着眼点である

恐らくは、その人物との関係性および距離感聖地巡礼に向かわせしめる大きな引鉄の一つなのだ

想像するに乃木坂メンバーでさえ、もし私が直接的に関係性を構築してしまえば、聖地巡礼したいという衝動はなくなるだろう。

同じ場所を訪れて、同じことをしたいという気持ちの裏にあるのは、「近付きたいが手の届かない者の存在」を少しでも身近に感じたいという欲求なのだ

友人という生々しい関係は、最早相手をそういう「聖なる存在」にしておかない。

ただし、友人との関係が何らかの理由で解消され、手の届かない存在になった場合はその限りではない。その最も単純な例は「死別である。死が二人を分かてば、当たり前な存在は当たり前でなくなり、会いたいのに会えない、焦がれ求める対象になる。

「手の届かない特別存在を思うこと」が聖地巡礼の肝なのだ

そしてその感慨は、対象と同じ空間的座標に立つこと、そこで同じ行為追体験することで増幅される。ただ、家でスマホをいじりながらその人のことを考えているだけの時間よりも、その人に少し近付けたような気になる。

その対象は人に限らない、作品、ひいてはその世界観全体も対象になりうる。

私は宮崎駿監督映画が大好きで、監督ハウルを撮り終えた後に数ヶ月間療養し、次回作の『崖の上のポニョ』の構想に繋がった広島県鞆の浦や、『耳をすませば』の舞台となった聖蹟桜ヶ丘も訪ねているが、ポニョや雫個人をそこまで好きかといえばそんなことはない。

フランシス・ドレークのことは好きになりつつあると言ったが、やはり人物に対しての好意それだけというよりは、世界史的な偉業であるという点の魅力が大きいように思う。俗な言い方をすれば世界一周ロマンを感じるし、楽しそうである(実際は辛いことの連続だろうが)。

しかし、ドレークな先立って世界一周航海を達成したマゼラン足跡を辿りたいと考えたことはないことを踏まえれば、やはりドレークには読書を通して僅かながら彼の功績やエピソードに触れたことにより、マゼランに感じる以上の魅力を感じていること、それが巡礼への衝動を後押ししていることは間違いない。マゼランのことは何も知らない。何も知らないので魅力も感じなければ、より深く知りたいという動機も起こらない。

(どうやら相手のことを「知りたい」と思うには、まず相手のことを知ることが必要らしい。少なくとも私にとっては。難儀なことだ。)

「手の届かない「聖なる存在である対象をその足跡を辿り行為をお手軽に追体験することで、少しでも身近に感じること」が聖地巡礼の意義であると一旦結論付けてみる。

ここで唐突に「お手軽に」という制限を付け加えたのは、私はバッティングセンターバッティングをする程度の追体験はしたいが、乃木坂メンバーが日々の研鑽を重ねたダンスレッスン場で一年間同じレッスンを受けたいかといえば真っ平御免だなということに思い至った。

一年彼女たちが受けたレッスンと同様のレッスンを受けることは、彼女たちの辛さや頑張りをよりリアル追体験することになる。追体験としての質は高い。だが時間がかかりすぎる。ダンスよりもやりたいことがあるし、辛そうなので、暇潰しに週二程度通うならチャンスがあればやらなくもないが、それはもう追体験としての価値は薄れて、一年間におよぶダンスレッスンそのものが持つ価値が問われている。(追記そもそもこれ、巡礼ではなくダンスでは?)そういう意味で1000円分のバッティングには十分その価値があったし、世界一周航海も同様である。(追記:これも巡礼と言えるのか?場所を訪ねる行為限定するべきだったかもしれない)

聖地巡礼はお手軽でなければならない。言い換えるなら、その行為自体を楽しめないのならやりたくはない。滝行は楽しそうなのでやりたいが、例えば彼女らが受けていた辛い仕打ち自分も受けたいかというと難しい。

例えばメンバーの誰かが過去イジメを受けていたとして、それと同様のイジメを受けたいか。これに関しては少し受けたい。マゾヒスティックな願望ではなく、多少なりとも彼女らの苦労を追体験することは彼女らを理解することにつながるからだ。

しかし、紛い物のそれはやはり本当のイジメ体験とは辛さの質が大きく異なるし、よりリアルに状況を再現するために半年継続してイジメを受けてくださいと言われればお断りする。あくまでもその一部を、私が本当には辛くならない程度に体験することで、辛さに思いを馳せたい、という程度に存在への接近願望は留まる。

キリスト教徒だってエルサレムには行きたくても、ゴルゴダの丘の上で十字架に磔にされたいかと言えばそんなことはないだろう。ごっこ程度にはやってみたいが、それはごっこ遊び自体が楽しさを持つからである。高所に磔にされて「こえ~」などと言ってるのは楽しいが、手足を本当に釘で打ち付けられるのはたまったものではない。(追記:これも巡礼の話ではなくなっている気がするが、でも巡礼先で対象が何かしてたら同じことやりたいよなあ。(追追記:でもやらなくても巡礼は成立するからやっぱりおかしいねはい。))

体験総体として楽しくないならやりたくない。少なくとも私は。この「楽しく」は何も笑顔になったり、興奮したりするといった類の楽しさである必要はない。

心地よい感情が動きがあればよい。

郷愁に浸るとか、感慨に耽けるとか、今風に言えばエモさがあってもよい。「泣く」ことによる感情の発露も、人間にとっては快感であるので、ここで述べる「楽しさ」に含まれる。

いや、違うな。

上に述べたエモさは体験のものに由来する(既出の例をとればバッティング行為によって引き起こされた)感情ではなく、「行為追体験している」という事実に付随する感情の動きだ。そこは切り分けるべきだろう。

例えば「同じ場所に立つ」ことも、聖地巡礼に伴う追体験行為の一形態だが「立つ行為のもの」には特に何の楽しみもない。(立っているだけで楽しい場所もあるが、必ずしもその必要はない)(追記:この例の方が純粋巡礼っぽい)

先例のイジメのように行為自体許容範囲であれば不快であっても構わない。これは個人差があるし、対象に対する思い入れの深さによっても許容範囲が変わってきそうだが。

追体験行為包含する巡礼行為」が総体として満足感をもたらす体験であればよい。(追記:「巡礼追体験包含する」よりも「巡礼追体験が付随する(ことがある)」が正しい)

距離重要な要素だ。ここで言及する距離とは、対象との関係性としての距離ではなく、その聖地との物理距離感である

遠ければ遠いほど、巡礼を達成した際の体験価値は高い。エルサレムが近所の公園にあったら巡礼の有難みも霞むだろう。

「ここまで来た」という感覚聖地巡礼には必要である

私は電車移動含めて一時間もあれば十分であるしかし、ここまで書いて想像してみたが、家の隣にあった昔馴染みのなんでもない祠が実は家康が足繁く通った祠であったと発覚すれば、そこにはそれなりの感慨が生まれるように思える。巡礼と呼ぶにはあまりにも短距離だし、巡礼としての価値希薄化するものの、完全に失われることはない。いや、とはいえやはり価値の減少は免れないな。

遠ければ遠いほどいい、というものでもない気がするが。例えば、乃木坂メンバーが訪れた場所比較として、私の現在地から大塚バッティングセンターパリ街角にあるカフェとの物理距離には圧倒的な差があるが(もちろんパリの方が遠い)、パリカフェを訪れた際の感慨がバッティングセンターに比べてそれほど深いかといえば、あまり変わらないような気がする。

これは、「パリ旅行のついで」にカフェを訪れるのか、「乃木坂メンバーが訪れたカフェを主目的に」パリを訪れるのか、物理距離を越えんとする直接的な動機がどちらにあるのかによっても異なりそうだが、メンバーが通った小学校とか、生まれ育った地域ぐらいの重要地ならともかく、たかだかロケで立ち寄っただけのカフェ目的渡仏する気にはならない。

いや前者でも渡仏する気にはならないが、(追記:というかメンバーの母校って言うほど感慨深いか?その頃のメンバーが好きな訳ではないし……)するにしてもそれはやはりそもそもパリ自体が好きで巡礼を抜きにしてもパリに行きたいからであって、パリの一地域を訪ね歩く行為のもの乃木坂とは無関係に楽しみを見出している。その意味巡礼行為は「ついで感」が否めない。(追記:「むしろ行きたくない場所への巡礼」を考えてみようと思ったが、思いつかなかった。(追追記日焼けと車酔いに弱いのでそれらが伴う場所には積極的行きたくない。苦労した分、到達時の達成感はありそうだが、それは聖地が持つ意味とはやはり無関係目的地に至る行程に由来する価値を抜きにした純粋巡礼価値は何によって決まるのか。))

これはもしかしたら聖地巡礼も、エルサレム旅行のものに少なから体験としての楽しみが含まれていた可能性もあるが、中世を生きる農民の長旅の過酷さや宗教に対する敬虔さはとても無知蒙昧な私の想像のおよぶところではないので、お叱りを受ける前にこの説は引っ込めておく。

でも伊勢参りとかは楽しそうだよね。明日(もはや夜が明けたので今日なんだが)近所のブックオフ聖地巡礼事情に関する本でも漁ってみよう。

眠いし目も疲れたので「過去自分への巡礼」とかまだ考えたいことはあったが、このへんにしておく。

おやすみなさい。

2021-01-15

anond:20210115075520

事件当時ロマン・ポランスキー監督は不在で(映画でもその通り)、犯人たちに襲われていない。

現在も存命で去年も作品を出している。(少し昔の作品だが、戦場のピアニストはかなり話題になった作品

殺されたのは妻で女優シャロン・テートと、友人。

しか殺人犯とは何ら関わりがなく、以前に引っ越した住人と勘違いされて彼女らは殺された。監督らの素性は事件関係がない。

この映画が救ってみせたのは監督ではなくその妻、シャロン・テートだ。

今でも語り継がれる悲劇女優だ。

劇中でも説明される通り、当時売り出し中の女優で、監督の子供を妊娠中だった。

この映画ではシャロン・テートの魅力的な姿が何度も描かれ、しかし最終的にディカプリオが彼女の家に招かれる場面ではインターホン越しでのみ会話し、ディカプリオと同じフレームには映らない。

とても誠実な描写だと思う。

この映画が憎んでいるのはマンソンファミリーだ。

実行犯殺害を指示したチャールズ・マンソンは額に鉤十字タトゥーを入れているが、タランティーノ過去イングロリアス・バスターズで憎きナチの額に鉤十字を刻んだ。(ちなみにこのナチ将校役の俳優ポランスキー監督映画おとなのけんかで主演してる)

そしてイングロリアスバスターズでは「映画を使って」ナチどもを焼き殺したように、この映画でもマンソンの手下を「映画小道具を使って」焼き殺す。

イングロリアスバスターズの隊長は、ブラッド・ピットだった。

1969年は「ロックが死んだ年」ともいわれ、アメリカにとって大きな節目だったことには違いがない。

しか監督タランティーノは「ハリウッド監督」ではないし(アメリカ映画ハリウッド映画ではないのがややこしい)、彼はハリウッドアメリカなどメインストリーム以外の映画も浴びるほど見ていて、それこそ中国香港日本などアジア映画に多大な影響を受けた人間である

デビュー作も香港映画オマージュなくらいだ。

キルビルが急遽テイストの違う二本立てになったのも、チャイニーズオデッセイという香港映画の影響である。(チャイニーズ~は一作目がコメディで、二作目が恋愛もの

(タラオールタイムベスト一位に挙げている続・夕陽のガンマンイタリア産マカロニウェスタンアメリカ映画ではない。ちなみに監督セルジオ・レオーネが撮ったワンスアポアタイムインアメリカも長いけど大変な名作。セルジオ・レオーネ監督の大ファンでもあるし、タイトルからもわかる通りタランティーノはかなり影響を受けている。~インアメリカについては、ラストデニーロの微笑みの解説を見ると、また味わいが増す)

ブルース・リーの話が出てきたが、タラキル・ビルでは死亡遊戯衣装を真似し(何の説明もなく出てくる「カトーマスク」も、グリーンホーネットブルース・リー演じるカトーがつけていたマスクのこと)、主人公ブライドの使う技はブルース・リーワンインチパンチで、必殺技は(ブルース・リーに影響を受けた)北斗の拳の技のようだ。オーレン石井へ敬意を示す闘いは、ドラゴンへの道のチャック・ノリス戦を思い起こさせる。

キルビルで描かれる復讐暴力の虚しさは、燃えよドラゴンブルース・リーが奇妙な泣き顔で表現したのと同じものだ。

そして敵役ビルには、ブルース・リードラマ企画を奪った俳優デヴィッド・キャラダインを配している。

キルビルはある種、ブルース・リーを主演に見立てているのだ。

タランティーノは、そういう監督なのである。ちなみにブルース・リーの主演が叶わなかったドラマ企画が、ちょうどワンス~の時代の頃の出来事でもある。

ちなみに、キルビル前後編になった元ネタチャイニーズオデッセイの主演はチャウ・シンチー少林サッカーが有名)であるが、彼もまたブルース・リーマニアだったりする。(ドラゴン怒りの鉄拳パロディや、少林サッカーカンフーハッスル等、ブルース・リーネタ多し)

少し脱線するが死亡遊戯という映画もまた、「ブルース・リーという俳優の死後に、彼が生きているかのように撮られた」特別作品で、その点がワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド共通している。

(すでに香港ではスターだったが)ブルース・リーハリウッドでの売り出し中にこの世を去った人なのだ。(ワンス~劇中でシャロン・テート自分映画を見るシーンがあるが、ブルース・リー燃えよドラゴンの公開やそのヒットを目にすることがなかった)

ちなみに作中で喧嘩していたブラピ本人もブルース・リーおたくである。楽しかっただろうなあ。(ファイトクラブでの物真似が彼のアイデアというのは有名)

あとワンス~作中のブルース・リー調子こいてるのは、実際の彼がああいキャラだったためでむしろファンとしては大喜びするポイント。(ブルース・リーの物真似をするときは、顎をしゃくって半目で相手文字通り見下したように眺める。服のセンスも、実際にああいチンピラのようなダサいファッション

何より、タランティーノは「超」がつく映画狂で、大げさではなく映画から人生のすべてを学んだような人間だ。

あらゆる映画を吸収し、現実にはモテないスーパーボンクラだったくせに、(映画から知識だけで)玄人好みの渋い「中年恋愛映画」すら物にしてしま監督である

落ち目だった俳優を「自分が好きだから」という理由で起用し、劇的にカムバックさせたりと、フィクションの力で現実を変えたこともある。

(※ネタバレ注意:この俳優とはジョン・トラボルタのことだが、タランティーノの好きな某映画ではヒロインを救えず、せめて「映画の中だけで生かす」ことを選ぶ。言うまでもなく、ワンス~を思い起こす)

(というよりもともと映画のものが、亡くなった俳優の生きている姿を見られるタイムマシンのような装置なのだろう。そういう評論はよく見る)

そして、前述のイングロリアスバスターズではユダヤ系の、ジャンゴではアフリカ系の観客の心を、荒唐無稽フィクションで熱く揺さぶった。

ヘイトフル・エイトでは差別主義者と黒人和解をそれこそ「フィクション」という小道具を介し、素晴らしい形で描いてみせた。

日本ではネタにされがちなキルビルも実に真面目な女性映画である。「五点掌爆心拳」などという冗談のような技で、男女の歪な恋愛関係を誠実に描いたのだ。この映画では男はみな弱くて使えず、女性は強く逞しい。

タランティーノは「強い女性」を描く監督としても有名だ。殺人鬼変態スタントマンが、女性スタントマンたちにボコボコにされる映画デス・プルーフも撮っている)

タランティーノフィクションの虚しさも当然知っているだろうが、同時にフィクションの力を強く信じている人間でもあるのだ。

虚構の無力さをただ嘆く監督ではないと思う。

(ちなみにデス・プルーフの主演であるゾーイ・ベルキルビルユマ・サーマンの「スタント」をしていた女性で、ワンス~にも出演。例の「ブルース・リーとの喧嘩」で車を壊されたひと。死亡遊戯キルビルワンス~と考えてみても面白い)

(ディカプリオについては、ある種かなり本人に近い役。若手時代から演技力が高かったのに、レヴェナントで受賞するまでアカデミー賞からは長年ずっと無視され、色んな人に揶揄されてきた。アカデミー無視されてきたのはタランティーノも同じ)

もちろんワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは、ハリウッドやその他の「アメリカ黄金時代」への郷愁が詰まったお伽噺ではある。

しか元増田は表面的な考えで映画を語っていると思う。

歴史を描いた作品理解するには、ある程度の知識必要だ。

2020-12-31

パプリカ」と嵐の「カイト」と米津玄師

アイドルグループ「嵐」2020年いっぱいで活動を休止する。最後テレビ歌唱12月31日の「紅白歌合戦」だろう。

おそらく「紅白」で披露するメドレーにはNHKの「NHK2020ソングキャンペーンタイアップしていた「カイト」も含まれるはずだ。

本来ならば7月24日東京オリンピックが開幕し様々な種目の試合結果に世間一喜一憂しているはずであった。

嵐が7月29日に発売した「カイト」はオリンピックを初めとするNHKの各所キャンペーンで大々的に使用される意図があったことは明白だ。

また嵐自身活動休止という事情を踏んで、20年以上に及ぶその活動の総決算ファンへの忘れ形見として製作陣やリスナーはこの「カイト」を据えてもいた。

そして国家総力を挙げた一大イベントアンセム日本トップアイドル記念碑を兼ねたこ楽曲トータルプロデュース制作したのは、これまた稀代のカリスマとして君臨しているシンガーソングライター米津玄師である

まあ、ここまでは周知され切った事柄であり別段僕が説明する必要もないのだが、日本という国の2020年という時代を背負うことを予め定められたこの激重プロジェクトに「カイト」はどのように応えようとしたのか僕なりに感想を書き連ねた。

合唱曲としての親しみやす

米津は前年にもNHKタイアップソングとして「パプリカ」の書き下ろしプロデュースを行っている。

結果として「パプリカ」は2019年を代表するヒットソングとなったが、その一要因として歌唱グループであるFoorinの愛らしさと無邪気なダンスがあげられる。

バズヒットの現代において「パプリカ」も例にもれずそのダンスを真似するムーブメントが起きた。「パプリカ」がEテレで繰り返し流されたことやFoorinメンバーと同年代である小学生が親近感を覚えたことも相まって、運動会の催しとして「パプリカ」のダンス披露する小学校が続出したことはこのヒットの象徴出来事であった。

おそらく「カイト」のキャンペーンはこの流れを踏襲していた。「パプリカ」と同じように運動会使用される想定はもちろんとして、「パプリカ」に親しんだ子どもたちの門出を激励する卒業ソングとしても使われることをNHKサイドは期待していたように見える。

ともすれば「高度な技術を持っていない素人でも合唱伴奏がそこまで難しくない曲を」という注文が米津側に与えられたはずだ。現に「パプリカ」にせよ「カイト」にせよ歌唱音域は1オクターブ半以内にコンパクトに収まっている。コードもところどころ4和音がでてくるものの実際に演奏すればわかるとおり、転回系を利用すればほとんどコードフォームを変えることない上に指の移動も少なくスムーズな運びとなり難易度の高くない造りになっている。

(そうはいっても「パプリカ」の”晴れた空に種をまこう”のノンダイアトニックコード、「カイト」における”高く飛んでいくカイト”の激しい跳躍やサビでの拍の取り方など、個性的な米津節に我々は始め戸惑うのだが)

また学校教育の場での合唱曲として「カイト」を見たときコーラスワークの絶妙塩梅は見事。基本ユニゾンだが、要所要所で二宮が3度上、松潤が1オクターブ下を歌っている。嵐はユニゾン主体だが大野がメイン、桜井ラップ二宮が上ハモ松潤が下ハモ相葉ファルセットという役割分担がありアレンジしだいでは主メロとは別フレーズを歌うらしく、このメンバー構成を活かしたようだ。なにより飽きが来ないよう工夫しつつもそれを不特定多数素人が寄せ集められて歌ったとしても収集がつく程度の複雑さに収めているのがいい。ブルーノマーズプロデュースの「Whenever You Call」ではブルーノ自身も加わりふんだんにコーラスを織り交ぜ比較的高レベルパフォーマンスを見せていたが、とっつくやすさで比べると格段に「カイト」が勝っていた。

カイトというモチーフ

なぜ米津玄師カイトというモチーフで曲を書いたのか。未来を切り開くポジティブさや成長のイメージとして飛翔体モチーフに据える曲はあまたとあるがなぜ凧なのか。

同じくNHKテレビ番組とタイアップしヒットした「地上の星」や「365日の紙飛行機」も飛翔するものから見た世界を歌っている。

これらと「カイト」の大きな違いはカイトは出発地点と着地地点が同一であるということである

地上の星」は上空を見渡すことのできる渡り鳥超人的な視座をもった存在として捉え、それに動乱する世界を切り抜ける道筋を教えてくれと訴える曲である。「365日の紙飛行機」は惰性で飛ぶしかない紙飛行機を世相に揉まれる人の人生に準え愚直に一日一日を丁寧に過ごすことを説いた曲である。どちらも世界は常に変動的なものであり人は同じ環境に居続けられないという前提がありそれを踏まえてリスナー冒険心を鼓舞する内容なのだ

対照的に「カイト」におけるカイトは作中では常に同一のものとして描写されているため変化がない。そもそもカイトは糸で繋がれているため自由に飛んでいけない物体である

さら面白いのはこのカイト最初から空に浮かんでいるということだ。”小さな頃に見た”からの冒頭4フレーズは、かつて”憧れた未来”は別世界一番星の横に鎮座しているようだったとその様をカイトに例えて”ぎゅっと強く握りしめていた糸”というフレーズで夢に邁進していたことを説明している。それが二番に入ると成長した今では”カイト”や”憧れていた未来”は”とても古く小さい姿”で”右ポケット”に忍ばせておく程度のものになってしまったと幻滅に近い感情吐露する。そして大サビでそれでもこの小さいカイトが嵐のように厳しい世間を生き抜く指標であり心の拠り所であることを告白する。

まりカイトとは未来に向かって邁進する人間のもの象徴ではなく彼らの先進の当たる親や先輩といった人々なのである。この曲が巧みなのはカイトを地上から見上げる立場であった主人公もまた今は後進から憧れを背負ったカイトであるという双方向性を示している点だ。

カイトへの郷愁や憧れを語りつつもサビでは”君の夢よ叶えと願う”。大サビに至っては”嵐の中を”からの2フレーズカイトの先に焦がれた自身の憧れを歌いつつ、続く”悲しみを超えて”からは人々の模範となるカイトの先から視点に移る。何よりすごいのは憧れを一身に集め自身の悲しみすら超越して前に進んでいけと言った直後に”糸の繋がった先まで”帰ろうと優しく口添えしているところだ。

人は絶えず不安孤独に苛まれ瀬戸際で生きている。そんなきりきりした思いを汲んで「幼年期に自分形成した、自分が無邪気でいられた場所や人はカイト手綱を握る人のように自分の足元にある」「自分カイトとなってもカイトを揚げる側だった頃の場所はなくならない」と安心感を与える文句を曲のハイライトに持ってくる米津玄師の慈悲深さや度量の広さには舌を巻くし、米津玄師がこの時代に指示される所以垣間見た気がする。

パプリカ」との関係

パプリカ」と「カイト」には”らるらりら”や”一番星”など共通するワード散見される。また「パプリカ」出だしのキーはA、「カイト」出だしのキーはEであり下属調関係となり、DかD#かの違い以外は殆ど同じ調である。サビでは短3度下のメジャーキー、つまり平行調同主調に移るという同じパターンの転調を両曲とも行っている。

これは「パプリカ」と「カイト」は同じ世界観にあり同じ事象を取り扱っているとみていいのではないだろうか。「パプリカ」も先人から思いを受け取ることや後進に託していくことについて語った曲であり、幼少期のシンボルとしてAやEのキーが設定されそこからの成長として短3度下への転調があると。

そう考えれば「パプリカ」内でミステリアスな”誰か”や”あなた”の存在、また”パプリカ”という言葉意味も合点がいく。「カイト」の世界に照らし合わせればこの”あなた”は自分たちが進む道を作り上げたこれまでの先人たちや自分たちが歩む先の未来にいる自分自身のことだと見なすことができる。

パプリカピーマンには明確な違いはない。ただ主観的に派手な色味であることや比較甘味があること等で区別されている。ピーマン実像象徴とすれば、パプリカ子どもが憧れる華やかな夢のようなものなのだ。そしてパプリカ花言葉は「同情」「憐み」「君を忘れないである。僕の解釈では”パプリカ”もまた子ども次世代を見守りかつて子どもだった自分郷愁を寄せる歌である

よって「パプリカ」はサビにおいて、”花が咲いたら”つまり夢が叶えばその立場で私欲を満たすような「実になる期間」をすっ飛ばして後進育成のために種を蒔くことを誓い、自分の描いた夢が自分が憧れた上の世代に伝わっていてほしいと願っている。

カイト」が下世代への決意を固める歌であれば「パプリカ」は上世代に向けた誓いを告げている。

パプリカ」の”会いに行くよ”から始まるCメロは、憧れの先人がいる「カイトの先」の次元まで自分もたどり着いてみせるという宣誓なのだ。そして「パプリカ」の宣誓に対し「カイト」は”君の夢よ叶えと願う”と励ましのアンサーを告げている。

これに加えて5人組の子集団であるFoorinと、ローティーンから20年以上活動を続ける5人で構成される嵐という、歌い手自身の対比や世代間の違いにも意識して両曲が制作されたとまでいうのははたして考えすぎだろうか。

 

カイト」という曲は「パプリカ」の続編であり無邪気に夢を語っていた子どものその後を捉えた曲なのだと思う。荒れ狂う嵐のなかで傷つくことがあっても、かつての空を見上げていた自分のように下から羨望の眼差しを向ける子どものためにメッセージを発信し続ける姿を描写し、「パプリカから託された”らるらりら”がしっかり自分たちに届き溢れ出していると返答している。

そしてそんな自分を見守ってくれた親の様な存在や友人や”あなた”が投げかけてくれた思いは不変で誰でもそこに甘えたっていいと働きづめの同世代も励ます

様々な期待を抱え自分を追い込みながら高みを目指すトップアスリートや人気絶頂アイドルが抱えるドラマテック感傷のみならず、信条のもと日々頑張る人々や未来に向かって前進する若者なら誰でも共感できる叙情が「カイト」にはある。

この物語徳島実家から独立ニコニコ動画からトップクリエイターへと様々な場面や人々を経ながら飛躍していった米津玄師自身にも当てはまる。

そして「カイト」はファンにとって嵐からの餞別でもある。

ジャニーズではデビュー以前で持ち歌のないJrメンバーコンサートテレビ番組で歌唱する場合披露されるのはもっぱら先輩の曲だ。このレパートリーには今は活動していないグループや退所した者の曲も含まれる。歌い継ぐことをテーマにした「カイト」をジャニーズJrが歌うときそこには確実に嵐のメンバーの幻影が守護霊のように現れる。この先何があろうとジャニーズ存在する限り嵐という存在が薄れていくことはないのだ。

オリンピックというドラマに加えるエッセンスや嵐というアイドルグループメモリアル的な意味合いをしっかりクリアしながら、普遍的人間感情を見事に描写しただけでもとてつもないが、それでもなお米津玄師作家性は微塵も薄らいでいないことでその才能の大きさを再確認させられた。ただの合唱向けのバラードとして割り切れないエッジがこの曲には確かにあって、そういう細やかなセンス米津玄師足らしめているのだなと唸ってしまった。そしてそれだけの才能の上に立ちながらこの曲を自分のものにしている嵐のタレント性にも感心してしまった。

2020-12-14

anond:20201214153910

エモいって言葉郷愁や趣などと並ぶ複雑な感情を表す言葉だと思ってるのエモい

でもエモいという言葉批判で「ダサい」とか「ワード」とか使ってるのは控えめに言ってダサい

エモいってワードダサいよね?

郷愁や趣だけでは言い表せない複雑な感情を表す言葉が生まれたのは凄く良いことだと思うけれど、それが「エモい」とかいう気色悪いワードになってしまったのは本当に残念だと思う。

anond:20201214002155

横浜が今よりずっと内陸にあった頃、祖父に連れられてブックOFFに行ったことがある。当時のブックOFFは四方が赤煉瓦で囲われていて、確認した訳ではないが6面全部が赤煉瓦で囲われているに違いなかった。店に入ると地平線まで長い廊下が続いていたが、結局私がその廊下を渡ることは一度もなく、いつも入り口の側にある階段を使って地下に降りていた。私は地上の生まれだが、地下には不思議故郷郷愁を感じさせるものがある。不透明な空。錆の匂い砕けたガラスの破片。気圧で耳がツンとする感覚。目にするもの全てが新鮮さと懐かしさを兼ねそろえていた。

2020-11-16

同窓会の思い出

もう10年以上前の話。中学同窓会の案内が来た。

陰キャとして存在感のない中学時代を送っていた自分は当然そんなものに出る気はなく、出欠の返事すらせず葉書を何処かへやっていたのだが数年経ったあるときふと見つけた。

そこにはとある同窓会サイトURLパスワードが書かれており、何の気なしに開いてみたら開催された同窓会写真が幾つか掲載されていた。

もうすっかり初老と呼べる姿になった担任の姿、殆ど雰囲気が変わらない陽キャ達に僅かばかりの郷愁の念を抱かなかったといえば嘘になる。

そのサイトには掲示板機能もあり、当時の出欠の連絡や交流書き込みが残っていた。

懐かしい名前とその近況を流し読んでいたらふと目がとまる。子供いるから欠席する、という連絡に対して幹事陽キャ自分子供がいて大変だみたいなことを書いているのだ。

それはそうだろう。別に何もおかしくもない。なのに、中学時代スクールカースト上位として好き勝手に暴れていた陽キャ結婚して子供もいる。そんなのおかしくないか?真っ当に中学生していなかったような奴らがなんで?そんな疑問しかかばない。

神様不公平だ。

2020-11-04

プリキュア映画感想無駄に長い)

映画プリキュアミラクルリープ〜みんなとの不思議な一日

見てきた。

テレビでは初代〜フレッシュゴーゴーあたりまでしかちゃんと見てなくて、今回の映画ミリしら…までは行かないけどペギたんというのがいるくらいしか知識なく行った。

なんかもうね、はじめからじわじわ涙が滲みっぱなし。

小さい子供たちに「映画館では静かにしてね」を語りかけるキャラマスコットたち。子供たちはきっと「うん!わかった!」って意気込むんだろうな。鬼滅の影響か、プリキュアスクリーンは客がそれ程いなくて、自席からは親ごさんたちの背中しか見えなかったけど。

子供たちの反応を想像するだけで涙ぐみそうになるし、もっと小さい子のぐずる声もまた良い。親御さんは周りに気を使って困ってるだろうな、と思いを馳せる。

映画館ではスマホを切っていたから、あやふや記憶しか書けないのが残念だ。実況したいくらい楽しかった。

まずはペギたんかわいい

の子ちょっと真面目なのかな?そして桜の描写がきれい。これ春に公開する予定だったやつ?

恒例の、応援グッズもちゃんと出てきた。今回は声を出しちゃダメで、「心の中で応援してね」と最初のお願いのときに言われてた。あ〜でもきっとクライマックス応援したくなるよねえ〜!でも心の中で!

              

プリキュアのオープニングソングも良い。声ものびやかで強く、曲は転調とかやや技巧的で歌い甲斐がありそう。サビに入るところでカタルシスがある。

              

映画で知ったけど、今のプリキュアって舞台地方都市なんだね。信州とかあたり?の観光地の隣の町くらいの雰囲気?ですごくよい…。そうだよねえ、プリキュア見てる子供日本全国にいるんだから舞台東京都下のおしゃれ住宅街みたいなところばかりじゃなくていいよね。もしかしてしっかり所在地の設定あったりする?聖地巡りを想定してるとか?(調べてない)

              

そして、今回の映画過去プリキュア総出演じゃなくてスタートインクプリキュアHUGっとプリキュアが出てくるのね。スタートインクルの、TOKYO MXのゆめらいおんみたいなスカートの子がいる〜!と嬉しくなった。キラやば〜〜!

              

ゲストキャラミラクルン、クックルンみたいな名前やな…みらいが来るからミラクルンなのね。

基本ミラ〜しか喋らないけど要所要所で話が通じるように少し喋る。ぬいぐるみサイズのペギたんたちと並ぶとさらお人形さんサイズで縮尺あってるか不安になるけど、主人公のどかちゃんの手のひらサイズらしいので合ってるっぽい。主人公名前映画でしったよ!

              

モブキャラが合体して襲ってくるの、妙な既視感あるな〜、アレだ、あの形は使徒っぽい。てか、エヴァ以降ああいオブジェ的造形の敵って割と一般化してるんです?それとも親世代に訴求するべくあの形なんですかね?

プリキュアたちそれぞれの変身バンクも堪能しました。いいねぇ、各キャラを区切る枠にお花やら星やらが散って華やか!スタートインクルはセラムンかぶらないように名前を良く考えたんだろうねえ。キュアソレイユが好きです!

戦ってる時にHUGっとの男の人(よく知らない)どっか行っちゃうというか元からいなかったような扱いなのはチトもやるな…。

              

ボスリフレイン、でかい!?……いや、そうでもなかった。目がいろんな色が入ってて、小さい子には怖いかも。今よく考えたら、あの目は時計だね。

リフレインのシーンに出てくる時計機械重厚でかっこよい!

(以降、ネタバレするかも。)

              

リフレイン下半身ウエットスーツのような、魚河岸の胴付き長靴のような…肉厚で防水性ありそうな。中身の質量感はあるのに、そこに生身の人間身体は感じられない。どっかで見たことある。腰つきがベルク・カッツェみたいだ。中性的ではないけど。でも人間ではない感は目もそうだし足がずっと爪先立ちなのとかでもわかる。あ!あの爪先立ち、あれも時計の針じゃんね?!今気がついた。

              

のどかは何回か土曜日を繰り返し、毎回ちょっとずつ変化する。繰り返してることに気づきパンを焦がさなくなり、水たまりにハマるのが片足だけになる。ついには巻き込まれではなくて自分意思で最終決戦に臨む回にはパパの見た映画名前ママ同窓会に行くのもわかるし、交通事故は未然に防ぐしサブミッションオールクリアだ。ゲームで習熟してくみたいに。

それは繰り返しだけど繰り返しじゃない。ちょっとずつ前に進んでいるんだ。

              

SF的には〜〜あ〜〜う〜〜、ほかの2チームのプリキュアたちの記憶は……、繰り返しで分岐ごと消滅するのはそこまでの人格の死では?特にこれから時間が戻るよ!私達は忘れちゃうけどまた一緒に戦おう、みたいなシーンは、えぇそれでいいの?その意識消滅ちゃうけど大丈夫?!と思っちゃったけどまあそれ言い出すと収拾がつかないので棚上げする。

              

何も知らない3回目くらいのスタプリ・ハグプリたちに事情説明するとすんなり受け入れるのもまあそうだよね。黄色い子の説明メタっぽくて笑った。「あなた達がプリキュアだって知ってるし何なら私もプリキュアだし〜!」みたいな。

              

そして明らかになるリフレイン目的動機ちょっと泣けるのは個人的に似たような思い出があるからだな…

今、少子化からそういう親御さんも多いんじゃなかろうか。

リフレイン動機は迫る破壊から自己保身というより郷愁にしがみつき幸福過去に留まりたい成長拒否と思えるが、確かに日々すくすくと成長する小さな子供たちとその親御さんにとっては、あってはならないのぞみだろう。

けど、リフレインて「過去精霊」とか言ってませんでしたっけ?!仕方なくね?そもそもそういう存在なんじゃ…と少し思ったり。

              

でもまあ、プリキュアたちは皆の応援もあり、だって私達はプリキュアから!って一瞬初代から総出演ピラミッドもあってリフレインを倒し、お大事に…ってキメて、大団円

ここで同窓会に出てたママ登場して、小学生ママたちの幻影と穏やかな微笑みのリフレインミラクルン。このシーン、リフレインは口元だけなんだけど、それがよかった。うまく言語化できないけど。

              

同窓会ママたち(ママ同窓生がでてくるわけじゃないけど)視点二次創作をすごく書きたくなった!

どんなに過去幸せでも、一歩を踏み出したから今がありのどかちゃんがいるんですよ、てな話が書きたくなるね〜。

              

そしてエンディング。踊る踊る。みんなで踊る。楽しい。泣ける。

結局何が泣けるのか全然説明できなかったけど、いちいち「おお!」「よい!」と心の中でつぶやきながらうるうるし続けていた。

              

しかったです。

2020-10-15

[]10月14日

ご飯

朝:なし。昼:海鮮丼。ネバネバサラダ。夜:人参大根玉ねぎシメジと溶き卵のコンソメスープフライドチキン。間食:ブルボンのプチシリーズクッキー

調子

むきゅーはややー。お仕事はそれなりー。

今日散歩おやすみ

○プリコネ

初日ルナの塔登りきる快楽がプリコネで一番気持ち良い。

ただ今回のEXクソむずかった。多分、ユイランクとかストーリー解放ボーナスとかその辺の細かいところが重要になってるんだと思う。

グラブル

ドバの周回。いやーソロ団が無理して遊ぶコンテンツじゃないな。天星器は取りきりたいけど、うーむ。

○ワーフリ

シナリオイベント妖怪図鑑編纂記」を読んだので感想を書きます

毎回のことだけど、シナリオタイトル出るところが素敵すぎて一気に引き込まれた。今回は「紅葉」が映える絵で、ドット絵郷愁と相まっててしゅきしゅきだ。

ドット絵での物語の魅せ方を磨きつづてるワーフリならではの絵作りの気持ちよさが映えるところなので、ここは毎回褒めたい。

お話は、和の国(でいいのかな?)を舞台にしたガールミーツガールもの

絵の才能はあるが新米リョウキと、絵にまつわる謎の力のせいで絵を描くのを怖がっているクグイの二人が主役なのだけど、まずこの二人の性格対照的なのに根っこの芯は同じという構図が大好き。

ワーフリの女性同士の関係を書いたシナリオは、ステラディアバレッタラヴなどがありましたけど、また違った魅せ方がされてて素敵でした。

二人が絵を好きでそれを磨くもの同士でかつ、互いの絵が大好きな関係からこその物語になっていて、メインシナリオで再来訪は難しいだろうけど、何度もイベントシナリオでこのエピソードが見たいなあ。

特に今回の加入キャラでもあるクグイの方が、リョウキに対して絵の先輩だし妖怪と戦う力も持ってるのに精神的には未熟で引っ張ってもらうところが好き。

シナリオ後半、リョウキが「描くことに理由必要なら、私がなるよ」と啖呵を切るシーンなんかは大量スクショしまくりました。(グラブルでいうルリアノート的なの欲しいなあ)

物語構造としては、強い力を持ちながら悩むクグイと、力はないけどまっすぐひたすらに進むリョウキの二人の関係が主なのだけど、ここに未だ何も持たないことがキーワードアルクステラ関係オーバーラップするシーンもあったりして、ワーフリの積み重ねも活かしたいいシナリオだった。

ベストシーンはクグイの「生意気な後輩に、先輩の意地を見せなければなりません。そのために…… 返してもらいます。絵が好きだっていう、気持ちを!」です。

毎回、シナリオイベントはこういう決めシーンから逆算したような丁寧さがあって、今回もバシッと決まってて最高だった。

マナサ六層解放とか超級武器などゲーム的なアップデートも気になりますが、やっぱり僕がワーフリを遊ぶのはシナリオなんだなあと再認識できました。

2020-10-02

スウェーデン若者に絡まれwww

追記すみません。あるブログ転載です  

  

スウェーデンの夜を覚えている。2月スウェーデン坂道を歩く。サーブフォルクスワーゲントヨタ、表情豊かな車が路肩に並び、眠っている。不思議とどの車もくすんだ色になる。

  

北欧の夜には不思議な静寂がある。凍ったアスファルトが音を吸いとってしまうのかもしれない。街灯の光子彫刻のように止まっている。

  

あの冬、仕事北欧にいた。同業者と一緒に北欧を回る出張だった。みな、巡礼者のように、同じような黒のダウンジャケットに身をつつんでいる。凍った道に足を取られないよう、歩幅を狭くして、冷気で化粧した街を歩く。

ペリカン」という名のレストランに入ったのは、北欧に着いてから何度目かの夜だった。タイル張りの床、チークの壁、スカンジナビア特有の、あのとろけたような飴色の照明。ビアホールスタイルペリカンレストランダンスフロアのように広く、笑い声とグラスを打ちつける音に溢れている。今までに見たどのレストランよりも薄暗いが、しかし、今まで見たどのレストランよりも客の顔が明るい。

  

僕らは4つのテーブルをくっつけた一角に座る大所帯で、めいめいが好きなビールを、あるいはワインを、ぶっきらぼう英語で注文した。テーブルろうそくが子熊のダンスのようにゆらめく。人の瞳を大きく見せる、不思議な炎だった。スウェーデンで覚えた「スコール!」の掛け声とともに、琥珀色の液体を冷えた胃に流し込む。

  

ざらざらとした紙のメニューは、スウェーデン語と英語の2つが印刷されていた。チーズ、魚、マッシュポテト、そして子猫の頭ほどの大きさがあるミートボールテーブルに並ぶ。肉厚な白磁の上で、てらてらと光る料理を見ていると、夢と現実境界曖昧になる。メニューに刻まれた”smaklig spis!”の文字が滲んでいく。

  

ふと隣のテーブルを見ると、やけに騒がしい。スウェーデン若者が盛り上がっている。年の頃は20代テーブルではしゃぐ8人全員が屈強な男たちだ。不思議なことに、全員が純白のナプキンを頭にかぶせている。ナプキンの四隅を結び、帽子のようにして。

  

水夫のようだ、と思った。彼らはだいだい色の髭と睫毛をろうそくの光に透かし、歌を歌い始めた。樽いっぱいの勇ましさに、ひとさじの寂しさを混ぜたような合唱。なぜかその歌と、その力強い瞳と拳とは、バイキングを思い出させた。

  

アルコールの助けもあるのだろう、バイキングのひとりが、僕らに話しかけてきた。君たちはどこから来たのか?トウキョウだと答える。すばらしい!乾杯!と男が叫ぶ。テーブルでできた国境曖昧になって、アジアスカンジナビアが溶け合った。トウキョウの明かりは闇を削る。北欧の光は、闇をぼかすようなやわらかさがあった。

  

日本の歌を聞かせてくれ!——スウェーデン若者テーブルの向かいから叫んだ。僕らは困り果ててしまった。この異国の地で、ここにいる日本人が詰まらず歌えて、しか日本代表するような歌……それは一体なんだろうか?

  

君が代。いや、堅すぎる。「翼をください」はどうだろう?しっくりこない。誰かが言った。「『ふるさと』だ」

  

そして僕らは、声を揃えて歌った。

  

兎追いしかの山……小鮒釣りしかの川……夢は今も巡りて……忘れ難き故郷……

  

北欧の地においても、当然ながら僕らは日本語でコミュニケーションをしていた。でもそれ以上に、「ふるさと」は日本語で話していることを意識づける歌だった。

  

8000キロ離れたスウェーデンの地で、この歌の持つ郷愁は凄まじいものがあった。僕らは住んだこともない日本原風景を思い浮かべて、目頭を熱くした。バイキング若者たちはその大きな手で拍手する。ペリカンレストランの客にとって、「兎」や「小鮒」からかぶイメージは、僕らのものと随分違っていただろうが、歌の持つなにかは伝わった。

  

そして彼らは返歌とばかりに、彼らの故郷の歌を歌った。いや、実際は故郷の歌ではなかったかもしれない。けれど、僕らが言葉メロディ故郷表現したことを、彼らは彼らなりに感じとって、故郷の歌を口ずさんだのではないかと思う。そう思いたいだけだ。独りよがりかもしれないけれど、ペリカンレストランの光は、そう思わせるに十分な魔力を持っていた。

  

歌の交換が終わり、場が落ち着いて、ひととおり肉と魚とアルコールを胃におさめた後、僕らは三本締めを派手に決めてやった。これもスウェーデンにはないものだ。隣のバイキングに威勢を張るため……あるいは、友好の意を示すため、僕らは目配せし合いながら手を掲げた。「イヨォーオ!」という掛け声とともに掌を打ち付ける。スウェーデン若者がワッと歓声をあげる。「俺にもやらせてくれ!」誰かがスウェーデン語で叫んだ。「よし!」日本語が応える。片言の「イヨーオッ!」、それに呼応する柏手。そして都合3回の三本締めを終え、スウェーデンの夜はふけた。

  

あれは夢だった、と言われても信じてしまうくらい、全てが出来すぎた夜だった。

  

ホテルに戻り、ベッドに倒れ込む。

  

頭の中に、凍りついた道と、白い息と、温かなテーブルと、チョコレートのようなミートボール、人懐っこいスウェーデンの男のきらきらした眉毛がこびりついている。

2020-09-17

anond:20200917083501

そのパチ動画ってのは見て感動できるもんなの?

ただの機械が見せる確率の癖が機種によって違う程度の差と、インタラクティブ性の欠片もない動画が流れているだけのものを、遊戯(ゲーム)と言えるのか?

癖だとか筐体のデザインだとかにマニアは味を感じるんじゃないかと思うけど、それは遊戯関係ないところにある物理的な、時代的な郷愁にすぎないよね?

2020-08-21

「しみじみ」好きにはたまらない年

何かと「しみじみ」するのが好きだ。

子供の頃遊んだ公園、振られたデートで使ったレストラン、昔住んでたマンション…。

近くに行く用事があると、何とはなしに寄って「しみじみ…」としてしまう。

自分でも理由はよくわかっていないが、郷愁の年と時の移ろいを感じられるのが好きなんだと思う。

建物がそのまま残っていて年月を感じさせる風貌になっているのも良いが、駐車場とかの全く別の形になっているとなお良い。

という前置きで、今年のコロナ禍だ。

つい半年行ったばかりの店でもこれを感じることが出来る。

休業してたり、テイクアウトに活路を見出そうとしてたり。

どこに行っても「ああ、あの頃はもう帰ってこないのだな…」という感じがして、なんかもう、たまらないのだ。

寂しい気持ちもあるが、「しみじみ」感を感じるにはうってつけの年になった。

願わくは、ここからコロナが過ぎ去って、「コロナの頃は…」としみじみ出来るようになると良い。

同じようなこと考えてる人居ませんか。

2020-08-12

素晴らしき我が人生

承認欲求がない。他人にどう思われようと全く気にならない。

自分価値があることは自分自身自身と近しい関係の者が理解していれば、その他の人間がどう評価しようとも変わるものではないと思っている。

人間にあまり興味がないと言うのもあるだろう。大衆は愚かであるが故に努力信仰しているとも思っている。

寂しいと言う感情が欠如しているのもあるだろう。実家にいても遠方で一人暮らしをしていても郷愁も人恋しいと言う感情もない。

週に3〜4日、4〜5時間ほど働いて月給は16〜17万程度。休みの日は睡眠ゲーム、友人との時間などの趣味に費やす

2020-07-31

anond:20200731024507

残念ながらかわいいんです。

……と言いたいが残念ながら既にBBA なんでそういや昔はかわいかったな…って郷愁。すでに現実の性欲消えて久しい消し炭デブスより最悪なパターンでごめんやで。

2020-07-27

朝の海(別増田修正してみた)

朝の海には一度も訪れたことがない。だけどボクの脳裏には、焼き付いて離れないほどの郷愁が映る。

太陽はまだ水平線の向こうで眠っている。空は色づいていて、夜の帳を押し広げてゆく。

静寂の海岸は波音以外の音が消えている。波音を時折かき消すかのように背後の国道を車が通り過ぎ、やがて再び潮騒に紛れていった。ああ、鳥の鳴き声も目を瞑ると聞こえるし、今しがた羽音を鳴らし始めた蝉の声もかすかに響く。

水平線は霞がかっていて息は白い。空は橙から紫へと移り変わってゆく。

夏の初めを思わせる雲は、入道雲には程遠い。それは扁平で、紫立ちたる雲の細くたなびきたる――そんな一文を片隅に思い浮かべるほどには劇的じゃない。

海岸は冷たい空気にかき消されたかのように人を拒んでいる。だからきっと人は少ない。遠く小さく見える恋人たちは、この場所に招かれたみたいだ。現地のおじいさんは犬に導かれて駆け足になる。もし鴨川がとても大きいのなら、こんな風になるだろうか?

ボクは堤防の先にたどり着いた。太陽が目の前に迫ってくる。うん、いよいよ日の出が見える。そう思ったのだけれども、雲の流れがこちらに挨拶する陽の光を細く遮り、やがて太陽は見えなくなってしまった。ボクは仕方なく堤防の下を覗き込むと、退屈まぎれに小石を蹴って魚群を驚かせてみた。

魚が人懐こい顔を覗かせる頃、ボクの顔は真っ白になる。目を細めて、手のひらをかざして。

太陽と空の境目にある虹色は青い銀河のように左右両手いっぱいに広がっている。そんな風に思えた。 

ボクにはそんなイメージがあります。いきたいなー、朝の海。

朝の海に行って何をすると思う?

モチロン増田をするのだよ。

波音を聞きながらさ、早朝ののんびりした増田を見るんだーよ。

最高ですかー。

壱弐参ダーッ!

anond:20200727205134

なんにょ?

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