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はてなキーワード: きな子とは

2017-08-04

変性性脊髄症(DM)になったコーギーと私の備忘録

うちの犬の様子がおかしくなったのは、3年前の秋、私が高校1年生のときだった。

後ろ脚だけがもつれる。ふらつく。地面に脚を擦って歩く。何か、様子がおかしい。その時点でそれなりに年を取っていたこと(当時12歳)、以前子宮系の病気になって九死に一生を得たこともあって病院先生にもよくそ存在を知られていたこともあり、すぐに動物病院へ連れて行った。

というのも我が家には昔、その子と一緒に飼っていて、小学生の頃に白血病で死んでしまったもう一匹のコーギーがいたのだが、異変に気付いていたのに大丈夫だと高をくくってしまったが為に病院へ行くのが遅れてしまったという過去があったからだった。

最初獣医さんが言ったのは、ヘルニアかもしれない、とのこと。コーギーのような胴長短足犬がヘルニアになりやすいのはよく知られた事実である。実際に、昔読んだ様々なコーギー飼育本のどれもが、ヘルニアという病気について取り上げていた。発症を防ぐために階段上り下りはさせない、だとか、そんなようなことが書かれていたことを覚えている。実際に、レントゲン写真を見せつつ説明もしてくれた。

ただ、それと同時にちらっと言われた、別の病気可能性。現段階では確定できないけれども、もうひとつ「これかもしれない」という病気がある、と、何気なく言われた。後ろ足からどんどん動かなくなっていく病気ヘルニアと違って痛みはないけれども、だからこそ犬自身は気づかず普段通り歩こうとする。今考えると、あれは変性性脊髄症(DM)のことを言っていたのだろう。

とりあえず当面はヘルニアの疑いとして治療を行っていきましょう、という方針になったが、その後の病気の進行は今考えるとまさしくDMのものであった。

まず、自力での散歩ができなくなった。後ろ脚が本格的に動かなくなってきても、犬はそれに気づいていない。だから、後ろ脚を引きずって前脚だけで歩こうとする。ちょうど、お座りの姿勢で移動しているような格好になる。そうなると、お腹のあたりが傷ついてしまうため、介助ベルトを使って後ろ脚を持ち上げて歩かせる必要がある。だけどそれはかなり負担で、かつうちの犬はあまりそのベルトで釣り上げられつつ散歩するのを好んでいなかった。もともと散歩が大好きで走り回るのも大好きな子だったから、なおさらだと思う。

またこのころ、排便がうまくできなくなってきた。後ろ脚でふんばることができないからとのことだった。獣医さん曰く、自力で出せないが為に腸の中に便がたまっており、新しい便に押されるようにして出てくるしかないため、コントロールができなくなっていたらしい。

もともと排泄はすべて散歩ときに済ませトイレシートなどは使わないのが常だったので、仕方がなくおむつを履かせることになった。ここでうっかりしていたのが、犬用おむつコーギー例外的だが、ほとんどの犬にはしっぽがついている。そのためおむつにもしっぽを出す穴が付いているのだが、コーギー場合はそれが仇となった。しっぽがないために、排泄物がその穴から出てきてしまうのだ。結局、赤ちゃん用のおむつの中でもとりわけ大きいサイズのものを着用させる方向に落ち着いた。

また、病気になる前からも誰かが家にいるとき基本的ケージから出してリビングの中を自由に動き回らせていたのだが、病気になり外へ散歩に行けなくなってからほとんどケージを使わなくなっていった。以前のように階段を昇って行ってしま心配もなかったし、そこまで部屋の中を動き回らないだろうと思ってのことだった。だが、そのすぐ後に問題に直面することとなった。

脚を擦って歩くと、おむつが脱げてしまう。これではどんなに今のおむつに優秀なポリマーが入っていても意味がない。そう考えた私たちは、仕方なく犬に服を着せてその服とおむつとをガムテープで結ぶことにした。見栄えも何もないが、仕方がない。

本当はうちの犬は服を着るのが嫌いで、幼いころに着せた時には気づいたら自力で脱いでしまっていたのだが、この時ばかりは何の不満げな様子も見せずにいてくれた。その後タンクトップスタイルの服から介護用の多機能ベストのような服を着せるようになっていったのだが、その時も何もなく受け入れてくれた。人間と同じで、犬も年を取ると丸くなるのかな、なんて考えたりもした。

ともあれ、私たち家族も犬自身も、病気うまいこと付き合いながら、いつも通りの生活を続けていっていた。

そして2年前の初夏、ちょうど私が定期考査を終える頃に、犬が体調を崩して入院した。それと同時に、獣医さんからDMのことを聞かされた。そして、DMにかかっている犬の献体を受け付けている大学がある、ということも聞かされた。現段階ではヘルニアではなくDM可能性が非常に互いが、この病気脊髄病気から生きている間にその検査を行うことはできないため、除外診断的にしかからないこと、また今はまだ治療法どころか詳しいメカニズムさえも明らかにされておらず、病気の進行を見守るしかないということ。だからこそ、もしも亡くなったときには献体に協力してあげてほしい。そう、言われた。

私はその時点から亡骸を献体として提供することをある程度は覚悟していたが、家族の思いはもっと複雑だったらしい。今年の春先にようやく意見が固まったぐらいだったのだ。かくいう私も、それが本当に犬にとっても良いことなのか、最初は迷った。もちろん遠い目で見れば、病気が解明されて多くのDM犬が助けられるようになったほうがいいだろう。

だけど、そんなそろばん勘定ではものごとは片付かない。臓器移植云々で色々な意見が出ているのと同じだ。当人意思を省いた周りの勝手エゴで、犬に嫌な思いをさせてしまわないか? 何度そう考えたか、分からない。

それと同時に、家の中では車いすの話が持ち上がった。自宅から少し離れたところに、犬用の車いすを取り扱っているところがあるらしい。それを聞きつけてほんの少し後の2年前の7月初旬、本当に車いすを作ってもらうことになった。まだ前脚がまったく動かなくなったわけでもないし、車いすを使えば昔のように走り回ることができて犬も喜ぶだろう、という考えだったそうだ。

車いすを使い始めてすぐは慣れておらずたびたび角にぶつけたり私や家族の足を車輪で轢いて行ったりしたこともあったが(笑)、犬は車いすを気に入ってくれたようだった。昔のように散歩ができることを、何よりもうれしそうにしていた。体力が落ち、徐々に前脚にも力が入らなくなってくるまでずっと、その車いすと共に外を歩き回ったことをよく覚えている。

車いすに乗らなくなって少ししてから、悪い癖がついた。目に留まったものを噛んでボロボロにしてしまう癖だった。それまではほとんどそんなことをする子ではなかったが、動けないことへのストレスがたまっていたのだと思う。新聞に始まりプラスチック製のかご、障子、畳まで噛むようになった。少し目を離したすきにやられてしまうのでどうしようもなかった。帰ってきたら新聞バラバラになって床に散乱している、なんてのはしょっちゅうだった。

同じころに、褥瘡が見られるようになった。いわゆる床ずれだ。お腹のあたりを中心に、毛がなくなり、代わりにかさぶたのようなものができていった。とても痛々しく、見ていてもかわいそうだった。せめて早く治るようにと、患部を清潔に保つことを心掛けるしかなかった。

受験勉強で私しか家にいないときは同じ部屋に犬を連れてきて、冷房の効いた部屋にいさせて熱中症を防ぐと共に様子を気にかけつつ勉強する、なんてこともあった。基本的に昼間はずっと寝ているので、そのいびきに少し腹が立ったこともあったが、それもいい思い出だ。

私が高校卒業実家を出たころから、呼吸がおかしくなっていった。この頃には胸ではなくお腹で呼吸をするようになっていて、呼吸自体も荒くなったりすることもよくあった。また、それより前ではあるものの、鳴き声も以前のように太いものではなくて、かすれたような声で鳴くようになっていた。

息を引き取る二日前、お水もご飯も摂らなくなった。大好きなおやつミルクにも興味を示さなくなり、いよいよか、と覚悟した。DM基本的には食欲の低下は見られない。ただし、終末期を除いて。病院で点滴を打ってもらってから少し食べ物を食べたりもしたそうだが、嫌な予感は当たっていた。次の日の昼、呼吸がおかしくなり、そのまま息を引き取った。

学校からそのまま急いで実家へ帰り、亡骸とようやく対面した。寝ているときの様子とまったく変わらない、いつも通りの表情をしていた。そのとき、以前獣医さんが言っていたことを思い出した。DMは、たとえ進行していても犬自身は痛みを感じない。白血病で亡くなってしまったもう一匹のコーギー最期のその瞬間以外はずっと苦しそうだったけれど、この子は苦しまずに逝けた。それだけでもずっと幸せだったのかもしれない、と思った。

翌日の朝にDMコーギー献体を受け入れている大学へと訪れ、病気の経過を伝えるとともに献体として提供した。褥瘡の少ないからだを見た大学動物病院獣医さんに、よく介護されていたんですね、と言われ、自分たちのやってきたことは間違っていなかったんだとようやく一安心した。

そして、ご協力ありがとうございます、と何度も感謝された。大学のほうにはかかりつけの獣医さんに連絡してもらっていたそうなのだが、そのどちらからもすごく感謝されたことをよく覚えている。DMコーギー大学付属動物病院でも何匹か診ているそうなのだが、あまり献体提供することに協力的な飼い主さんはいないらしい。最後最後に、苦しい思いをさせるかもしれない。そんな気持ちは、誰だってあるだろう。

献体提供後、検査をした後にはペット葬儀社で個別火葬してもらい、お骨はこちらに戻ってくるとのことだった。私が実家を出る日の朝、ちょうどお骨が家に届いた。大学を訪れて3日後だったと記憶している。人間葬儀の時のようにしっかりとした骨壺と骨袋に入れられて帰ってきたそれは、他のペットたちの写真と一緒に今も実家に大切に保管されている。

2017-08-01

木曜日、大好きな子会社を辞める可能性がある

話を聞くことになってるんだけど、一か八か告白するかもしれない。

いい年して、神頼みもしまくった。

近所のお稲荷さんから、縁結びの神社にも行った。

もっとやる事あるだろうって思うだろうけど、そこらへんは全部やり遂げたうえで・・・だと思ってる。

いい年して純愛である

ひいき目に考えても、うまく行く可能性は低い。

結果はここに書くよん

2017-07-29

きな子リコーダー舐めたとか体操服盗んだとかいう男

若い頃の共通経験のように語られてるけどきもくね?なんでそんな事するの?

俺はこち亀リコーダーの話を見てから止めた(クラスで一番可愛い子のリコーダーの先端に印しを付けてたら男子全員が盗んでたって奴)

2017-07-28

気になる子をオナペットにすると 付き合えない法則

俺、凄い好きな子ができても、付き合う前にオナペットにするとなぜか嫌われたり、縁が無くなったりするジンクスがある。

そもそも付き合った人数自体がすくないんだけど、その少ない人数に限って言うと、

好きすぎてそんな事できなかったり、ジンクスを感じ始めて我慢したり、成り行きで付き合う事になったりって時。

別にオナニーしたまま、風呂にも入らず会いに行ったりしてないからね、イカ臭いだなんだって予想される突っ込みはいりません。

ジンクスなのか、何か女性特有の霊的なもの相手悪寒がはしるのか、超常現象的なものなのかはわからんが。

こんな話他ではしないので、共感えられるといいなとおもってここ書いておく。

2017-07-24

きな子うんこをすることを知ってしまった。

今13才。

きな子がいる。

の子うんこをすることを知った。

純粋そうで、かわいい子。

うんことは程遠い顔をした子だ。

まさかうんこをしているとは。

13才でうんこを覚えたってことは今後一生うんこは治らないよな。

どうしよう。

2017-07-18

https://anond.hatelabo.jp/20170718165112

いやでもさ、ライオンじゃだめってのもナンだよ

自分の思い描く子供らしさを子供押し付けてない?

ライオンきな子純粋な子

クマきな子→技巧派が好きな子

ゾウ好きな子→冷静に物事判断できる子

(てきとう)

みたいな感じに、それぞれの子判断した所を認めてあげてほしいゾ~

2017-07-17

箱推しドルオタ現場をやめた話。

アイドルグループファンには箱推し単推しが居て、

箱推しグループ全体をまとめて推している人、単推しグループの中の個人を推す人です。

私は箱推しでした。

彼らがみんなで仲良くしていればとても幸せですし、全員の事をそれぞれ好きでした。

現場にも必ず足を運び、グループ全体のコンサートは勿論ソロイベントにも必ず足を運びました。

どの現場自分チケットを取り、抽選に当たり、当たり前ですが至極真っ当な正規方法で参加していました。

毎回とても楽しく、帰る頃には幸せ気持ちに満たされて「ああ〜やっぱりこのグループが好きだなあ」と

噛み締めながら過ごしていました。

SNSで行ったイベントの素晴らしさやグループへの愛を独り言のように語っていると、

同じような方々と仲良くなる事が出来ました。そのうち現場でもその方々と会うようになり、

普通友達にはこのグループを好きな子が居なかった私は誰かと好きを共有出来る楽しさに嬉しくなりました。

そういう繋がりを続けつつ現場に行く日々を過ごしていたある日、メンバーソロイベントが発表され、

私は喜んで応募しました。激戦だったようなのですが、有り難い事にチケットがご用意されたのです。

でもこれが私が現場をやめたきっかけになってしまいました。

間内チケット確認をし合っていた時、チケットが当たったのは私だけでした。

すると今まで仲のよかった方々が一変、私を攻撃してくるようになりました。

色々と言われました…

箱推しとか節操ない

何で何枚もCD買って応募してる私達じゃなくて1枚だけ買ってるあんたなの

個人推してる私がSNSでも一番愛が強いのに何で

間内箱推しは私だけで、現場に行く数が多く金銭的に何枚も買ったりする事は出来ない私でしたが、

それでもメンバー一人ひとりへの愛は強いつもりでした。

そんな一人ひとりが集まった家族のような彼らが大好きだったのに、この件で私のファン活動の全てを

根本から否定された気持ちになりました。

裏切られた気持ちになった私でしたが、チケットを譲ったりするのは悔しかったので意地でもソロイベントには行きました。

でも折角のイベントなのに楽しめなくて、周りに居る彼のファン全員が私のような箱推しの事を軽蔑しているのではないか

という気持ちにすらなりました。

ソロイベントをした彼は相変わらず素敵で彼を好きな気持ちに変わりはないけれど、でも帰る道すがら、これから毎回こんな

気持ちにならなければならないのかと切なくなり、泣きながら今後ソロ現場に行くのをやめる決意をしました。

SNSも苦しくてもうやめたし、

もう二度と同じ趣味の人を信用するのはやめようと思いました。

今でもグループ全体のコンサートにはこっそり行っていますが、誰とも仲良くしていないし、毎回一人ぼっちで参加しています

ソロイベントには行っていません。

どす黒い気持ちを吐き出すなら、私は思います

チケットは欲しいと思ってきちんと正規方法お金を払った人には、平等に与えられる権利だと思っています

その権利の上で、抽選ならあとは運です。

私を軽蔑した人たちは言葉を選ばずに言えば、そんな精神からチケット運も巡って来なかったのだと思います

自分が一番愛が強いから私に用意されないなんておかしい、あの子は私より応募した枚数が少ないのに、

の子はこの間も当たっていたのに…

そんな気持ちを持つなとは言いません。人間ですから、好きだからそそういう気持ちになるのも分かります

けれどそれをその当人に伝えたり差別するのはどうでしょうファンとしての行動と言えますか?

ちなみに今回の事で出て来た人間は皆分別のあるであろういい大人達ばかりです。

私も成人式なんてとっくの昔に終えた大の大人ですが、

私を攻撃して来た人は私が尊敬するべき立場であろう私より年上の人間でした。

私はあの人達のようなモンスターになりたくないし、

私に幸せが巡って来たら誰かの幸せも寝返るようになろうと、心から思いました。

そうしないとこんな人が沢山増えるから

2017-07-12

今すぐエロサイト見るのやめなさい

エロサイトを見るのをやめて1週間経つ。

エロサイトを見るのをやめるといいことがある。

それは、自分の好きな子を夢に登場させることが出来ることだ。

エロサイトに出てくる子はどれも可愛いが、整形、偽乳、使い回しで前見たことあるのばっかりだろ。

それが、夢では自分の好きな子

当然自然乳で、自分の思いのままにいじくりまわし事が出来ちゃう

お尻も普段からパンツを見せてもらっている子だから、大きさや柔らかさも想像するのも難しくない。

EDで悩まされていたが、今では毎朝ギンギンになったチンコを握って目を覚ます

単なるエロサイトの見過ぎだったってことだ。

2017-07-09

ネットじゃないと大きな声が出せないお友達が多すぎ

コミュニケーションもまともにとれないのに、ネットでは大きな声で喚くお友達が多いのです。

面と向かって言うことも出来ないチキンさんたちで溢れかえったネット世界って本当にマヌケの集まりで出来ているのです。

リアルで声張り上げられると泣いてちびっちゃうきな子供たちだらけで笑ってしまうのです。

今日お仕事もせずに病院にも行かず、部屋に篭ったままの大きな子どもたちへ

酸素無駄なのでそろそろ逝かれては?

2017-06-28

https://anond.hatelabo.jp/20170628122040

乃木坂で好きな子最近ミュージカルやってたけど、観てて全然違和感なかった。それが上手いってことなのかもしれないけど。普段ミュージカルとか観ないからよく分からない。

2017-06-26

残業半分にしろ

上司から残業が多いから半分にしろという指示が人づてに来た。

…まず言いたい事が有るなら直接言えやコラ。好きな子告白する恥ずかしがり屋の小学生じゃねえんだぞぼけが

こっちは実際は倍やってるが色々無駄もあるから半分しかつけてねえんだよ。どうやったら半減出来るかまで指導してみろよ。

何が働き方改革だ、おめえがまず無駄な社内ポーズやめろや。

しぬほど好きだった人を忘れられそうにない

めちゃくちゃ好きだけど結ばれなかった、そして今もずっと好き、みたいな人がいた場合みんなどうやってそれを乗り越えてんの?

1年半くらい前、好きな子ができた。

大学関係で知り合ったけど、友達の紹介でもなく何かのコミュニティでの出会いでもなく、共通の知人もいないので出掛けるときははじめから二人きりだった。

酒も割と強い子で同じペースで飲めたし、お互い地方出身から方言の違いできゃっきゃしたり、将来の事を真剣に話すこともあったり、とにかく楽しくて尊敬もできる人だった。

好きになるのに時間はかからなかったよ。

バカな俺は、こんなに楽しそうにしてくれてるし誘いも毎回来てくれるし、これはいけるだろって思ってた。

結末から言うと、告白しようと思ったその日、彼氏がいることがわかった。地元にいるんだって。悲しみを通り越して笑うことしかできなかった。

彼氏いるか確認を怠った俺も悪い。でもクリスマスに会いたいとか言われたら彼氏がいるなんて想像できねーよ。

当たる前に砕け散ったけど、気持ちだけは正直に伝えた。ダサくても真っ直ぐに行きたかったんだ。

あんなに可愛くて明るい子に彼氏がいないはずもないし、いつも誘うのは俺から、連絡も俺からだった。向こうから何かあったことはおそらく1回もない。

そこで怪しむべきだった。共通の友人がいなくて情報もなく、しか恋愛経験ほとんどない俺は彼女笑顔に従って完全にいけると思ってたんだ。

こうして文章にすると、完全に俺が勝手にいけると思って入れ込んで勝手に落ち込んでるだけだな。確かにその通りなんだけど。

彼氏とはうまくいっている、別れるつもりもない、だけど増田くんと一緒にいると楽しい、付き合うのは今は無理だけどまた遊びに行こう?

相変わらずバカでその子のことが大好きだった俺は、このまま友達としていればいつかは自分の番がくるんじゃないかって本気で思ってた。

もちろん俺の番が回ってくることはない。数ヶ月後にその彼氏婚約したよ。今頃地元で新婚生活満喫中だろう。

婚約が決まってからも何回か食事に行った。彼女誕生日も一緒に過ごしてる。

都合よく使われてるだけだって分かっていながらも、だけどもしかしたら?この真っ直ぐな気持ちにいつか振り向いてくれるんじゃ?って思い続けてた。バカだよなぁ、でも大好きだったんだ。

3月、笑って見送りたくて最後に飲みに誘ったけどいろいろ理由をつけて断られた。そうか、向こうはもう俺に会う気はないのか。そう思われちゃ俺ももう連絡はできない。ただただ毎日楽しく幸せ暮らしていてほしいと願うだけ。

文章が下手で断片的でうまく伝えられてる自信はないんだけど、とにかく俺はずっと好きだった。でももう付き合える可能性はない。それは諦めてる。連絡さえもできる立場にない。だけど忘れられないんだ。どうすればいい?

彼女結婚すると分かってからは、他の子デートもしてる。もう彼女依存してちゃだめだって思ったから。でも頭の中は彼女のことばっかりなんだ。あの子と来たかったな、あの子ならこんな時こう言うんだろうな、って考えてばっかり。

一緒に行った店の前とか通ると胸が苦しい。楽しい思い出がよみがえるのと、どうにもならない現実に打ちのめされる。このまま電車に乗ってればあの子が住んでた町に着くのかー、とか無意識に考えてしまう。

自分自分やばいと思ってる。一人の女に遊ばれただけで何こじらせてんだよって思う。完全に非モテコミットしてただけだったのもわかってる。

からこれを乗り越えたいんだけど、あとどれくらい時間がかかるんだろう。いつか誰かと結婚した時に、本当はあの子結婚たかったのに、とか思いたくないんだ。それは奥さんになる人に失礼だと思うから

だけど思いそうで怖い。いつまでも自分の中の1番が彼女のままになりそうで怖い。

どうすりゃいいんだ俺は。

周りに言わなけりゃ、心の中で好きだって叫んでてもいいのか?

女々しい自分が嫌になるよ。

2017-06-20

いちご100%といえば某薄い本に衝撃受けたことだなあ

中3だったか

ネットみてたら原作の絵柄とめちゃくちゃ似てるやつ見つけてめっちゃ興奮したわ

ADSL全盛なのにうちの回線まだISDNだったからすげー遅かったけど

一番最初同人誌すごいと思ったのはクリムゾンティファ本「あなたが望むなら私~」だったけどな

しか中学生なのにパソコンパラダイスかbugbugを買える店があって毎月買ってて、それの通販コーナーにのってたんだよ

最初電撃王っていう一般ゲーム雑誌で後半にエロゲコーナーがあったからそれで我慢してた)

そんでよみてーなーと思ってたらクラスの男がもってきてて興奮して読んだら中身は微妙がっかりした記憶がある

でもいまだにタイトルは覚えてるなあ

パソコンパラダイスモザイクじゃなくて金塊マークでかくされてたか邪魔くせえといつも思ってた

あと画像少ない

bugbugをしってからはbugbugにのりかえたなあ

あとはじめて読んだエロマンガアンソロで冒頭のカラーページがれん・しゅぽるとだったっけ・・・

当時はすごく衝撃うけてえろくかんじたけど、最近みてもも自分の好み変わってて全然微妙だったなあ・・・

いつかやるんだと思ってゲーム攻略記事スクラップしてたっけ・・・

airとか鬼作とか・・・鬼作は自力攻略無理だったからすげー役に立ったなあ

まりこちゃんがイク!ってマンガすきだったなあ

bugbugとかパソパラの二次元の絵を顔の部分折り曲げて卒業アルバムの好きな子写真に重ねてたっけ・・・

二次元3次元とかよくやったわ俺・・・

卒業アルバム顔写真と合うおおきさ のスクラップ大事に保存してたな・・・

美しょゲーとかいう書き方されてて、びしょびしょッぽい語感だなと思ったっけ・・・

2017-06-17

https://anond.hatelabo.jp/20170616072611

生殖は悪いということだなこれは…

あっちなみに経産省とかの省庁では女子大の子バイトとして雇う習慣があるんですが、これは若手が丁度いい歳になると「君もそろそろ…好きな子を選んで採っていいぞ」と上司から言われて採用するらしいですよ

2017-06-13

ヲタク10年、卒業

昨日の℃-ute解散コンを最後ヲタ卒した。

私がハロプロにハマったきっかけはBuono!それからBerryz工房℃-uteとどんどんハロプロ沼に落ちていった。

モーニング娘。が全盛期の時は保育園の時だからあんまり記憶にない。(ミニモニみたりハム太郎映画覚えてるくらい)

当時の私小学三年生、何かにハマったのは初めてだった。周りにハロプロきな子なんていなかったし我が家パソコンもなかったか情報あんまりなくて毎月買うなかよしだったりCMCD出るんだと知ってたくらい。

高校1年(2014)の夏ハロで初めてコンサートに参加した。お父さんと同い歳くらいの人達カラフルTシャツを着ている姿はなんとも新鮮だった。運良く℃-ute握手券getして急遽握手出来るってなってテンパった。結局何話せたか全く記憶にない。

私の握手会デビュー微妙な感じだった。

(半年後にナルチカでは事前にちゃんとシュミレーション練習をしたお陰で少しはマシに会話できた、はず。)

それから何度か現場には行ったけど段々行かなくなった。ずっと見てきたメンバー卒業だったりベリ活動休止とかBuono!解散℃-ute解散。私の青春の一部だったものが一つ一つ欠けていく感覚だった。

その中でも1番の決定的な理由ネットでのファン誹謗中傷を見る機会が多くなった事だと思う。

私は推しは居るけれど基本的にはDDだ。

最近Twitterでの加賀アンチとか上から目線発言を見てると何様…?って気持ちになる。他にも動画サイトとかで〇〇はこうだけどとか評論家気取りのコメントが嫌でなるべく見ないようにはしてたけど段々拒否反応みたいなものを感じてきた。

もちろんこういうファンばかりでは無いのは分かってる。初めてのコンサートの時私の隣の席の人はペンライトの付け方分からなかったら教えてくれたし推しのグッズ快く交換してくれた人達だって沢山いた。ネットで仲良くしてくれた人。だけどいつしかファンだったのにアンチになってたりしてて凄く悲しくなった。前は同じアイドル応援してたのにそのアイドル悪口書かれてるの見るのは特に

芸能界卒業したメンバープライベートを未だに話題にしたりするのも嫌悪感を抱いてた。もうそっとしておいてあげてよ。

昔はただメンバー達のキラキラ歌って踊ってる姿を見るだけで楽しかったのにそういう見方が出来なくなってきたしアイドルが身近になり過ぎたのかな?とか色々考えたけど自分でもよく分からない。

Twitterアカウントは消したし保存してたメンバー写真とか持ってた本、CDBD、グッズも売った。

昨日のコンサートを見てあぁ本当に終わっちゃったって思った。でも本当に本当にハロプロ出会えて良かった。

つの区切りとしてここに思いを書きました。支離滅裂だしただ吐き出したかっただけです。読んでくれた方が居たらありがとうございます。今後何かにハマることがあってもネットで繋がったり友達を作らない様にします。多分それが1番いいんだと思う。だけど今まで自分と同じ趣味人達と話した事無かったから本当に本当に楽しかったし嬉しかったです。大切な思い出です。

高校とききな子上履き興味本位でなめたことがあるけど苦くて普通にまずかった

特にフェチになることはなかった

美大に行けなかった女

祖父画家だ。

美大卒業してすぐに専業画家として独立

その道の人が喉から手が出る程欲しがる賞なんかも受賞して、

から見ると画家として順風満帆人生を送ってきたように見えると思う。

しか祖父プライベートでは周囲にかなり迷惑をかけてきた。

戦争で家が燃え盛る中、貴重品には目もくれず画材だけ持って逃げたり、

駆け出しの頃余裕のなさからちょくちょくヒステリーを起こしたりとか、

そういう話はよく祖母とその息子(=私の父)から聞いたし、

画業が軌道に乗るまではかなりの貧乏暮らしをしていたらしい。

そのせいでうちの家系アート関係仕事に対して風当たりが強い。

父が美大ではない一般大学を出、一般企業サラリーマンとして就職した際は

一族からまともな奴がでた」と周りが泣いて喜んだという。


孫の私は小さい頃よく祖父の家に預けられていた。

(私も祖父都内住みなので、母が忙しい時、面倒を見てもらっていた)

父が幼かった頃はまだ生活に余裕がなく、祖父子供の面倒を見る事はなかったが、

絵が売れるようになってからできた孫の私の事はかなり可愛がってくれた。

祖父は私にお古の画材をくれ、好きに絵を描いていいと言ってくれた。

仕事をする祖父の近くに陣取り、見様見真似で絵を描き始める。

幼稚園児の絵なんてプロの目から見なくても下手くそだし、祖父から絵を褒められた事は一度もない。

それでも下手な絵を量産し続ける私を見る祖父の目がとても優しかったのは覚えている。

やがて私は外で鬼ごっこをするよりも絵を描く方が楽しいと思うような子供に育った。

近所に住む幼馴染の友達も絵を描くのが好きな子で、

放課後はその事一緒にスケッチブックを持って公園に絵を描きに行くのが定番コースになった。




そんな私に家族はいい顔をしなかった。

小学生の頃、近所のお絵かき教室に行きたいと何度頼んでも全部無視された。

でもテレビでみかけた新体操選手を見て一言可愛いと言った次の日には新体操教室を探してきてくれた。

数学が苦手だとぼやいたらすぐにそろばん教室に行かないかと勧められた。

家族は私が絵を描く事以外に興味を持ってほしかったのだと思う。

一回だけ口を滑らせて「美大とか美術専門学校に行きたい」と言ってしまった事がある。

父は大激怒あん鬼のような形相をした父親を見たのは後にも先にもあの時だけだ。

親戚中に言いふらし、それから何人もの親戚から連日の様に

「お前に祖父のような才能はない」

美大に行くような奴はそれしか生き方を知らないろくでなしだけだ」

「お前は絵の為だけに人生を棒に振れるのか、そうとは思えない」という電話がかかってきた。

安定した仕事に就いてほしいという彼らの気持ちもわかる。

でも「美大楽しそう」は中学に入ったばかりの小娘の言葉だったのだ。

それからずっと絵を描くのが好きだという気持ち封印し、

隠れてノートに絵を描いてはいものの、普通大学に入って普通にOLとして就職をする道を選んだ。

それでも社会人になっても絵を描きたい欲が抑えきれず画塾に通い始めた。

美大の夜間コース金銭的にも時間的にも無理だった)

この頃になるともうこれから芸術の道に進む事はないだろうと安心したのか、家族から白い眼で見られる事もなくなったし、

祖父コネでもらった展覧会チケットも興味があるのなら、とくれるようになっていた。

画塾に通い始めた事も「社会人になって趣味を持つの大事な事」と肯定的な目で見てくれるようになって、少し認められた気がして嬉しくなった。

ただ一言「お前、絵描くの好きだったんだな、知らなかった」と言われるまでは。

あぁ、幼稚園小学生の頃あんなにお絵描き教室に行きたいと頼み込んだの覚えていないんだ。

後、大学一人暮らしを始めてから同人漫画も描き始めた。もちろん家族には言っていないけど。

同人イベント金銭のやり取りをするようになってから、絵一本で祖母、父、そして父の妹を食わせ、大学まで行かせた祖父のすごさを再認した。

親戚が私に才能がないと言った気持ちもわかる。私は祖父になれなかった。なろうとする事すらおごましい。

でもこの趣味出会った友人達には美大とかアート系の専門学校に通っていた人も多くて、やっぱり羨ましくなってしまう。

そしてその人達ほとんどは家族の言う「芸術の道に進むしか能がないろくでなし」ばかりではないし、

卒業普通OLとして社会人をやっていけている人にもたくさん出会った。

デザイン系の仕事をして会社に雇われている人もいれば、

祖父自営業画家として生計を立てていたように、フリーランスとしてやっている人もいる。

何より皆、人より絵を描くのが得意な「社会常識のある普通の人」だったのだ。

美術系の学校に進む人は全員頭がおかしいという親戚の言葉は、

美術を専攻するとOLという道は閉ざされるから絶対に稼げないという親戚の言葉

嘘だった。

そして思ってしまうのだ。

正直言ってしまうと同人誌はそこそこ売れているので、私に絵の才能が全くなかった訳ではないと思う。

もし美大に行けてたら…祖父の様に専業画家として大成功する事は無理でも、デザイン系のOLとかで生活できる程度に稼ぐ事はできていたのかな…と。

甘い考えだってのはわかっているけれども。

父の口癖はこうだった。

「本当に何かをやりたい人はどんなに反対されても勝手にやる。祖父は家が燃え盛る中、泣きながら画材を持ちだして死にかけた。手塚治虫戦争中、絵の具がなかったか自分の血で絵を描いた。芸術の道に進むというのはそういう事だ。」

きっとそうなのだ

私が本当に美大に行きたかったのなら、親戚中に反対された中学の時点で家出でもすればよかったのだ。

バイトをできる年齢になったらお金を貯めて、学費自分で賄えばよかったのだ。

そうしなかったのは心の底から美大に行きたいと思っていなかったからなのかもしれない。

ないとは思うけど、明日北朝鮮ミサイル東京に降ってきたら、私は真っ先に通帳とか印鑑とかを持って逃げると思う。

そして、足腰が弱ってあまり歩けなくなってしまった祖父は、それでも若かった頃と同じようにパニクりながらカンバスと絵の具を持って避難するだろう。

そういうところなのだ、親戚が「芸術家ろくでなしだ」と言うのは。

通帳は全部祖母に任せて自分画材だけ持って逃げるから

明日おまんまがなくなって、家族全員打ちひしがれていても、スケッチブック燃えなかった事を泣いて喜ぶような人だから

本物のミサイルなんてそうそう見れるもんじゃないと喜び勇んでスケッチを始めるかもしれない。

因みによく一緒に公園スケッチに行ってくれた幼馴染は高校から画塾に通う事を許され、無事美大合格卒業後は有名なゲーム会社就職した。

彼女ものすごい努力をしていたのを私は知っているし、就職の報せを聞いて私も嬉しかった。

でも北朝鮮ミサイルに対して彼女はどういう行動をとるだろうか?

私が趣味世界出会ったデザイン系の仕事に就いている人達は?

紙と鉛筆を持って逃げるだろうか?

幼馴染とは今でも仲がいい。

同人活動を通じてできた友人の中にはジャンルが変わっても付き合ってくれ、一緒に旅行に行くような仲の人もできた。

積極的美大とか専門の話はしないけれども、そういう話題になっても自分の知らない世界の話を聞くのは単純に楽しいし、新刊ネタになるかもとワクワクすることもある。

でも嫉妬心を全く覚えないと言ったら嘘になる。

日本火の海になった中で、紙と鉛筆でなくて通帳と印鑑を持って避難するような人だったとしても、彼女達が美大進学を許された特権階級である事は変わりないのだ。

そう思うと何だかもやっとしてしまう。





一時期このもやもやから逃れたくて、絵を描く事を伴わない趣味を探した事がある。

スポーツをしてみたり、美味しいご飯屋さんを探してみたり。

このスポーツ団の制服可愛いから模写したいとか、肉の「照り」の部分を絵の具でどう表現しようかとか気付くと考えてしまっていたけれども、頑張って思考の外に追い出していた。

そんな中、某韓国アイドルにハマった。

お気に入りだったのが音大出身で抜群の歌唱力を売りにしている子。

彼の美しい歌声に乗った異国の言葉は心地よくて、生まれて初めて海外アーティストの曲を買った。

ある日、彼が番組企画ファンの為にイラスト色紙を書いてくれる事になった。

その日の彼は機嫌が良かったのか、普段はあまりしないプライベートな話をしながら色紙を書いてくれた。

小さい頃から歌う事が好きだった事。

母親に勧められて合唱団に入った事。

歌手を目指し挫折した経験を持つ母が、音大合格した時泣いて喜んでくれた事。

色紙を書き終えた彼はそれを満足そうにカメラに見せ、言葉をつづけた。

「歌も好きだけど…絵を描く事も好きです。上手くはないけどね。僕の従姉妹がこの絵を見たら笑ってしまうかも、彼女美術大学に通っているんだ。」

頭を鈍器で殴られたような感覚がした。

今までアイドルと言うのは自分とは全く別の世界に住んでいる人間だと思っていた。

この世に存在しないくらい見た目が美しくて、スタイルが良くて、歌やダンスが上手で。

からどんなにイケメンアイドルを見てもこんな人と付き合いたいとか、

どんな美人アイドルを見てもこんな風に美しい女性になりたいとか、そういう気持ちが湧いてきた事はなかった。

自分人生と関連づけられなかったのだ。

特に彼は外国人だったので、そうした傾向が強かったんだと思う。

でも彼の口から美術大学」という言葉がでてきた瞬間、一気に身近な存在になってしまった気がした。もちろん悪い意味で。

音楽芸術だという当たり前の事を思い出し、生まれて初めてアイドルに対して悔しいという気持ちが湧いてきてしまった。



彼は芸術家になる事を親から応援されてきたんだ。従姉妹さんも美大に通っているという事は、きっと一族の大半が協力的なんだろう。

羨ましかった。私も応援されたかった。

美大に行きたいという言葉を発した時に、罵詈雑言を浴びせられるのではなく、彼の母親の様に応援してほしかった。

彼が歌うのが好きだと気付いた母が、彼を合唱団に入れてくれたように、お絵かき教室に行きたいとせがんだ私の事を父に認めてほしかった。

本当は新体操選手なんかに憧れてはいなかったんだ。

お絵描き教室が駄目なら新体操も駄目だろうと思って発した言葉だったのに、すぐに新体操教室を探してきてくれた親に対してショックを覚えたんだ。

美大コンプレックスから離れる為に始めた趣味だったのに、またもや同じ気持ちを味わったあの日、結局このコンプレックスはどこに行ってもついてくるんだなという絶望感を覚えた。

もちろん、高校から画塾に通って美大進学をした幼馴染、趣味を通じて知り合った美大出身友達

皆親を説得するために苦労をしたんだと思っている。

そしてただでさえ狭き門である芸術系就職活動成功させる為に、

反吐を吐く様な努力をして作品ポートフォリオを作り上げたんだろう。

きっと私には想像もつかないような辛い道のりだったに違いない。

大好きなアイドルと彼の従姉妹だって日本よりさらに厳しい学歴社会と言われる韓国音大美大進学を決めるのには相当な覚悟があったはずだ。

音大合格して彼の母が泣いたのだって、その一悶着があったからという事もあるかもしれない。

でも。本当に悪いけど。その内誰だって祖父レベルに達しているとは思えない。

祖父の様に絵の神童と呼ばれていたという話も聞かない。

祖父彼女達と同じ年齢だった頃に描いた絵を見ると、素人から見ても月とすっぽんの差がある。祖父の様な天才じゃなくても美大に行かせてもらえる彼女達。特に幼馴染は「本当は美大に行きたかった母親が大賛成」してくれて、祖父の様な絵に対する執着心もないのにすんなり画塾に通わせてもらえて、本当に羨ましかった。

もし、私の祖父画家じゃなければ。天才じゃなければ。

しかしたら説得できたんじゃないかって思ってしまう。

家出なんかしなくたって、絵の具の代わりに血を使わなくたって、北朝鮮ミサイルが降り注ぐ中、愛用の画材を泣きながら探し回らなくたって。

しかしたら、私にも美大に行かせてくれと説得できたのかもしれない。

彼女達が本当に羨ましい。泣くほど羨ましい。

祖父の様に絵を描く事しかできないわけでもなく、(少なくともデザインOLをやれる程度のコミュ力はあって)、でも祖父の様な並外れた才能があるわけでもない彼女達が

家族から美大進学を許されたのが、本当に悔しい。

祖父天才じゃなければ。数回頭を下げただけで私も美大に行かせてもらえたかもしれないのに。


祖父の事は聞かれない限り他人に話してはいない。父の職業ならまだしも祖父の事を聞かれる事は稀だし、自分から言いふらすような事でもない。

でもごくたまにある。お祖父ちゃんは何をしている人なの?と聞かれる事が。

そして答えると大抵「だから増田さんも絵が上手いんだね!」と返ってくる。

(もちろんお世辞だ。私は下手ではないと思っているけれども、上手くもないと思う。ただ、そういう仕事をしていない限り社会人になってまで絵を描いている人は案外少なく、相対的にそう見えるだけだ)

そんな時自分がどんな顔をしているのかはわからない。

絵を描く楽しさを教えてくれたのは祖父

お金にならないのに、今まで絵を描き続けてこれた情熱を持てたのも、祖父遺伝なのかもしれない。

でもそれを仕事にしなかったのも間接的には祖父が関わっている。

そして何より、私には祖父ほどの才能がなかったのだ。

2017-06-07

きな子の弟と名前が同じだった

好きな女の子の弟と名前がおんなじだった。

まあまあ仲良くなって2人で遊びに行くこともできるようになったのに、まさかの展開。

俺は妹も姉もいないけど、おかん名前同じ女の子とは付き合えないし、その子も俺のこと恋愛対象としては見てない気がする。

家族と同じ名前の人のこと恋愛対象に見れるのかな

10ヶ月くらいがんばってきたのにこれはかなしい。いやあ

2017-06-04

私が子どもが嫌いな理由

私は子どもが嫌いだ。

子どもというのは、弱い。

弱いということは、強いということである

今、女で、若い部類に属しているが、たとえば銀行強盗などがあって、私の代わりに子ども犠牲になったら、「いや子どもを守れよ」と言われるだろう。

子どもは、年若いというだけで特権階級なのである

今、私が子どもに嫌な目に合わされたとして、なにができるだろう?

せいぜい学校通報するくらいか

大人である私が、子どもに対して、私のほうが圧倒的に被害者であると立件できるのだろうか?

一方的に惨殺されるくらいでないと、「大人の私ではなく子どもが悪い」とはならないだろう。

では、子ども時代はどうだったかと言えば。

女の子どもというのは相当な弱い立場にいると思うが、それが最弱だから最強かと言えば、そうではない。

「なんでも許される子ども」というのが存在する。

要するに、金八先生に出てくるヤンキーみたいなやつである

男の子女の子スカートをめくるのは、好きな子に意地悪したくなっちゃったから、だから、許してあげてね」みたいなやつである

なんで許さなきゃなんねーんだよ。

大人にとって、好ましく扱いやす子どもは、許される。

大人にとって、好ましくなく扱いにくい子どもは、許すことを強要される。大人になることを強要される。

さないほうが、心が狭く、嫌なやつなのである

こういう気持ちで、子どもながら「私は許されない」と思いながら、許される子どもを見ながら生きてきた。

そのまま大人になったら、無条件で子どもを許さなければならなくなった。

要するに、私は、うらやましいのである

許される存在がうらやましい。

大人になっても、「許される」人はいる。

きっと、「許される」子どもだった人間だと思う。

私にとっては、許される存在代表子どもから、うらやましくて、嫌いなのである

2017-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20170602164747

好きと下半身が直結←だいたい合ってる

下半身が反応する=抜ける←まちがい

エロい気持ちになってもオナれる状況になければオナらないだろ

きな子を思い浮かべるというのは、下半身も反応するが神聖な場でもあるので、オナれる状況ではないのだ

http://anond.hatelabo.jp/20170602164747

こういう事言うと差別的からあんまりお外じゃ言えないけど

自分の好きな女の子自分の中でAV女優と同じ扱いしたくないか

本当に好きな子じゃ抜けない

きな子で抜けない?

きな子で抜けないってどんな感じなの?

男の人って好きって感情下半身が直結してるイメージから「本当に好きな子じゃ抜けない」っていうのが想像できない。

好きな女キャラエロ絵が見られないって感覚はわかるんだけど、それと同じなんだろうか。

でも私自身どうして好きな女キャラエロが見られないのか上手く説明できないか感覚の共有は難しそう…。

強いて説明するなら「エロいことするために生まれキャラではないはずなのに、エロコンテンツとして使われている」っていうのが嫌なのかなと思う。(エロゲキャラを好きになってもその子エロ別に平気なので)(あとToLOVEるも平気)

リアルの女はエロいことするために生まれたわけじゃないと言い切ることができない存在なので微妙なとこな気がする。

きな子で抜けないって男性がいたらその理由を教えて欲しいです。


「汚してる感じがするから無理」っていうのはよく聞くけど、抜くのは無理でもセックスは出来るよね?

頭の中でエロいことしてる相手を思い描いて抜くよりもセックスする方が物理的に汚してるじゃん!っていう違和感があるので、ここも疑問です。


エロい目で見たくないのに下半身が反応して死にたくなるっていうのは聞いたことあるけど、なんでエロい目で見たくないのか、なんで死にたくなるのかが知りたいとこ。

神聖視」とは一体何なのかが謎。

2017-05-29

寝れない日が続いて

河川敷でなんとなく君とサイクリングしたい、できることなら、Mr.Childrenが好きな子でいてほしいし、でも、1番好きな歌は「HANABI」じゃなくて、「箒星」がいいし、そんな理想彼女を頭の中で作り込んで、寝れない日が続いてる。

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