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はてなキーワード: 訃報とは

2018-05-26

芸能人訃報を見てVtuberは全員合成音声でなければならないと思った。

朝食を摂りに一階まで降りてみたところ、いつものようにリビングテレビ意味もなく流れていた。

ニュースによれば、誰か有名な人が死んだらしかった。

よく聞いていなかったから誰が死んだのかは知らないし、仮によく聞いていても社会不適合者の私は誰だか分からないだろう。

例えば私は阿藤快が死んだというのは知っているが、それを知ったのは今月のことだ。しかTumblrで流れてきたからで、その偶然が無ければ私は阿藤快が死んだ事を向こう3年、いや5年知らなかったかもしれない。付け加えれば、阿藤快いかなる人物であるかについて私は何も知らない。失礼ながら、名前を少し入れ替えれば加藤愛とかいう人になるという系列のアレでしかお目にかかったことがないし、もっと言うとその加藤愛とかいうのが誰なのかについても勿論分からない。下の名前からして女性だろういう事はいくら私でも分かる。

まあ阿藤快のことはどうでもいいんだけど、さておき、Vtuberは全員合成音声でなければならないと思った。

想像してみて欲しい。何十年か後、我々がすっかりボケ老人と化して全国の介護施設ハルヒらきすたけいおんが延々流れている未来。「おじいちゃんチョココロネの頭がどっちなのかの話はもう見たでしょう」「チョココロネ……横から食うか……下から食うか……」「はいはい」なんて会話がお茶の間で繰り広げられる地獄のいつかにおいて、ある日突然キズナアイ中の人死ぬ

アナウンサーが伝える。電脳少女シロの中の人が死にました、電脳少女少女シロの中の人が死にました。死亡者の中に日本人がいました。業界人コメントする。「月ノ美兎の中の人は当時のVtuber界において非常に貢献をした人物で……」我々老人達はその訃報に、一瞬だけふっと脳内電流が走り正気を取り戻し、樋口楓、ああ若かりし頃に追っていたアイドルだった、そう思いながら涙を流す。でも頭がボケいるから実はそれも30回目の事だったりする。

このまま誰も何もしないのなら、これがVtuberに待っている未来だ。だけど良いのか。お前それでいいのか?私の中のブロントさんがそう告げる。

お前らVtuber電脳少女だ。死んではいけない。老いてもいけない。老いるのも死ぬのも人間がする事だ。有機生命体であり定命の者である我々がする事だ。こんな哀しい業を背負うのは我々人間だけで良い。代わりにお前らは何十年経とうと何百年経とうと電子の海を漂っていなければならない──インターネットか、あるいは何らかの電磁的記憶媒体がそこに存在する限り。そして保存された動画の中でしか動かない「死んだ」存在ではなく、誰一人見ていなくとも永遠に自律的に動き続ける存在として。そう、私がかつて管理人だったサイトで未だに喋り続けている人工無脳のように。

中の人は死んではいけない。とりあえず中の人は死んではいけない。というか、そもそも中の人なんて存在してはいけない。中の人などいない。

Vtuber中の人がいるべきではない」というのは相当数のVtuberファンの楽しみ方を否定するような思想だろうし、実際私も1人のVtuberファンとして中の人はいた方が楽しいと思っている。しかしながら、キズナアイ代表されるように、もしあるVtuberが「私AIですよ」という路線を執ったのなら、彼か彼女かに中の人がいてはならない。中の人はいつか死ぬからだ。中の人初代が存命だろうと死んでいようと秘伝のタレの如く人材を継ぎ足し継ぎ足しして別人に切り替えても誰にも分からないようにしなければならない。永久に回り続けるシステムにしなければならない。Vtuberは全ての属人性剥奪されその存在を維持するためだけに人間集団使役するマザーコンピュータに成り果てる。いつか本物の人工知能が出来るまで。

これを実現するのに何が必要か。

とりあえず肉声があってはいけない。

Vtuberの声はナマモノであってはいけない。

ナマモノの声はいつか老い、あるいは死に、代替が効かなくなり、それは同時にVirtualにして永劫不滅であるはずのアバターの死をも意味するからだ。

声の死を回避するために声真似を利用するという手は、なくもない。たしかに声真似が得意な人間、というより、出せる声幅の広い人間というのはいるし、特に山寺宏一水橋かおりみたいな人間練習されたら概ね常人には区別がつかなくなるだろうし、「水橋かおり半年かけて練習したキズナアイと本物のキズナアイ、どっちがお高い方でしょう!」なんてクイズを出されたら自信を持って正解出来る人間ほとんど居ないだろう。いやギャラがお高いのは水橋かおりの方なんだが。そして何故水橋かおりの話をしてるかって言えば私は水橋かおりくらいしか声優名前を知らないからなんだが。ヘィ!ルゥク!リッスン!あと裏名義はやめろ。誰とは言わないけど裏名義はやめろ。裏名義は良くない。裏名義は良くないぞ。話が逸れた。

いずれにしても声真似というのは極めて限られた専門的技術者にだけ為せる事であり、出来る人間の数は限られている。それに、声質が特徴的な一部のVtuberは本人以外誰にも出せない声を発しているという事もあるだろう。話し方やトーク問題だってある。どうモノマネを試みても僅かに違いが出たりして、そして我々人間はその塵のような違いにさえ敏感だから、「キャラクターの声がイメージと違う」と思ってしまった瞬間に「中の人が死んで交代しているのでは?」と疑わざるを得なくなる。先天的に首が締まっていたりするのもVirtualの世界ではにはよくあることだし今年のエイプリルフールにアレはキズナアイではないとすぐに気付いた人間殆どのはずだ。あとコラボおめでとう。

他にも芸風の問題とか趣味方向性とか知識量とか課題は山積みだけれども、とりあえず「生声でやっている」という事実ただそれ一つを以てすら、我々は必ず何十年か後に「微糖カイジ中の人が死にました」という話を聞かざるを得なくなる。あるいは数年もしない内に、中の人が誰か交通事故死ぬかもしれない。いや微糖カイジについては中の人より先に微糖カイジが死んだんだけど。

生声Vtuber未来永劫にVirtualな電子生命体ではないのだ。それがなんとなく今朝思ったこと。誰も読みやしない、誰かの日記。のらきゃっとやげんげんみたいな存在Vtuberとしては一番正しいのかもしれない。私はちゆ12歳様を応援しています

2018-05-22

有名人訃報

実力がある人や世間に貢献した人は

色んなところからエピソードやこぼれ話が溢れ

悪名高い人は

ネットで散々叩かれる

世知辛い

2018-05-21

anond:20180521152530

「80名がいいね!しました」が笑うわ

Facebookって訃報を伝えるのに向いてないよね

anond:20180521134016

中継開始予定数時間前に訃報が届くのはさすがに草

2018-05-19

日本なんか滅びろ

政権による不祥事隠し、高プロへの無関心、被害者叩き、毎日うんざりだ。



政治失望したんじゃない。

あん政治を許す、日本人の愚かさ、卑しさに、もううんざり



みんなで幸せになるより、足を引っ張り合う地獄が好きなんだろ。


きじゃなくてもそうなる未来だよ

クールジャパン?なんだそれ?

フールジャパンの間違いなんじゃねえの


日本人失望だよ。韓国人に生まれたかった。

いや、もう日本以外の先進国ならどこでもいい

戦争中の国とか、後進国の方がマシじゃないか、とっとと死ねから


医療いくら手厚くても、未来がないなら、死んだ方がマシ

毎日訃報が羨ましい

自殺迷惑かかるからいやだ

こうやって、日本を呪うのが嫌だから

もっと真剣に世の中のことを考えてくれよ


っていっても、どうせ無理だろうな


2018-05-18

富野にめちゃめちゃ長生きしてほしい

最近訃報で立て続けに富野名前が出てきて怖い。

富野めちゃめちゃ長生きしてほしい。

少なくとも俺が生きてる内は死なないで欲しい。

 

新作作らなくてのんびりしてていいから、

頼むから体に気を付けて永遠に生きてくれ。

 

いやでも新作作ってくれるなら見ます

2018-05-17

同じチャンネルで同じ内容の報道一定時間禁止にしてほしい

ラジオもな。延々リピートして流してる有料チャンネルネットのは除外

地上波場合事態の進行しないニュース時間で繰り返し流さないで欲しい

誰それの訃報とか、何某が賞取ったとか、そのコメントとか、その他いろいろ

一度流したら6時間くらい無しな!

おたくらがそんなに躍起になって流さなくても、どうせ余所の局がやっててそれが目に入るから

同じチャンネルの別ニュースとかだと、全く同じ映像コメントが流れてくるし

嫌になる

ニュースを入眠用BGMにしてて気になる人の愚痴でした

2018-05-16

またメディア犯罪者オタク趣味を無理やり紐づけて叩いてる

新潟事件に関する報道で、表題のようにいろんな人が吹きあがっているけど、

この件について、オタク趣味が原因の犯罪みたいに明確に叩いているメディアって実際にあるの?

そういうプロフィールを紹介したメディア名前は目にするが、叩きに至ったメディアの姿は見えてこない。

もしかして切りとられた一部の画像ネットの反応を紹介した記事を見ただけで、

またメディアオタク叩きか!と頭に血が上っている人達が、ありもしない事実を作りだしているなんてことはない?

まさか紹介しただけで叩きになるって判断してないよね?


また批判の中にはスポーツ属性なら紹介していない!っていうのもみたが、これは明確に誤解でしょうよ。

例えば何年か前、ラーメン店暴行に及び、警察が来るまで食事をしていた男の事件センセーショナルに報じられていたが、

彼の素性に関して元ラグビー選手と紹介されていたよ。元高校球児犯罪だって過去に幾度も報じられている。

わかりやす属性ジャンルわず紹介されるんだよ。犯罪訃報関係ない。

それが必要かどうかはなはだ疑問なのだが、決してオタク趣味に限った話ではないといいたい。


もちろん俺は確認出来ていないだけで今回の件でそういう叩きをしたメディアがあったかもしれない。

が、それは主語を大きくしていいほど多数の媒体で行われていること?

宮崎勤事件のことや、ネットで定期的にあがるオタクバッシングに見える切り抜き画像のせいで悪印象だけが強くなってない?

怒りをぶつける前に少し冷静になった方がいいんじゃないかな。

2018-05-15

自殺も出来ないくせに毎日死にたい気持ち

社会人になって6年になる。

家庭の事情大学中退したけど会社には恵まれたし、先輩も驚くほど良い人だ。仕事内容も楽しいし、自分には分不相応なくらい素敵な恋人も、数は少ないけど大切な友人もいる。

でもいつのからか「もういいな」と思うようになってしまった。目の前に死神が現れて、「今死ぬか?」と聞かれたら絶対死にたい。一時期は自殺方法を探しまわったけれど、尊敬している両親に対してそれはあまり仕打ちだなと思い自殺はやめた。

事故にみせかけて、と思い何度も車道に飛び出そうとしたが、自分を轢き殺した人のことを考えるとそれも出来なかった。

毎日料理趣味など楽しいこともある。でも毎日出来たら死にたい、と思いながら生きるのに疲れてきてしまった。

一度あまりに辛くて親に話してみたが、客観的に見て幸せな状況だと思うし自殺は余りに辛いからやめてほしい、と言われた。

死ぬほど辛い、ではなくもうこれ以上毎日生きていたくないのでもう死にたい、というのはおかしことなのだろうか。

考え方を変えて前向きに生きようとも思ったがもうずっと、出来れば死にたいと思うくせに自殺も出来ず、毎晩突然死ぬ日を夢見て眠りについている。毎日ニュースで見る死にたくなかったであろう人の訃報を見るたび代わりたいような、申し訳ないような気持ちになる。

2018-04-22

Waiting For Love

ちょうどこの曲にはまった時にあの子へ恋してた。

他愛もないやりとりだけど毎日が本当楽しくて、もう一生経験しないと思っていた恋愛の高揚感を感じて、24時間彼女の事ばかり考えて、この子自分人生で大きな決断必要運命の人ではとか勝手に思ってたりして。

歌詞では憂鬱月曜日から週末に向けて気分がアガっていくわけだが、当時の自分月曜日彼女に久々に会えるので Thank the stars it's Monday! だったな。

ただ、悲しいか彼女はそんな気は毛頭なく、一人勝手に熱にうかされてた俺はとんだピエロだったわけだが。

こんなにも人を好きになる情熱自分の中に存在していたことを気づかせてくれ、まだ見たことのない景色を見せてくれ、楽しい時間をくれた彼女にはただただ感謝しかないけど。

Avicii訃報を聞き、何か無性に書きたくなった。R.I.P.

2018-04-14

ほとんど作り話のような話がニュースとして報じられるから

殺人事件報道など、ひょっとすれば本当の話かもね、と思う程度になる

それに誰かみたいな訃報マニアになりたいわけでもない

2018-04-12

平成狸合戦ぽんぽこ』雑論――高畑勲監督訃報を受けて

平成狸合戦ぽんぽこ』の肝は、何と言っても権太(CV:泉谷しげる)というキャラクターにある。

粗暴で乱暴な若手急進派狸のリーダーであり、人間へのテロルを声高に主張し、最期には無謀な特攻により文字通り玉と砕ける玉砕を遂げる。

端的に言って愚かなキャラクターである。なぜそんな権太が肝なのか。

『ぽんぽこ』という映画は、勝者である人間側の作った映画である

何を言おうと人間たちの上から目線にならざるを得ない構造になっている、恐ろしい映画である

勝者である我々は、狸が急進路線を取ろうと穏健路線を取ろうと結局敗北していく運命にあることを知っている。

幻術で人間を誑かすという「欺瞞的」な穏健路線に対し、人間を殺し殺される権太の急進路線は、人間視聴者にとって受け入れがたい。

キンタマ武器にするという冷静に見ればギャグのような玉砕シーンは、人間たちに「権太の愚かな戦略嘲笑う」という逃げ道を与える。

「狸の気持ちになって考えなきゃ」「自然を大切にしなきゃ」「平和大事だよね」そう言いながら人間は権太という狸を嘲笑する。

人間たちが応援する正吉たちも結局は権太同様に敗北し、人間社会への同化を選ぶ。人間たちはそれが賢い選択だと微笑する。

高畑監督は明確な悪意を持って(言い換えれば義憤を抱いて)権太という愚かなキャラクターを配置した。

「権太を嘲笑うてめえらは、結局多摩丘陵住宅街で安穏と『ぽんぽこ』を見ているじゃねえか」

これが高畑監督がこの映画に込めたメッセージであり、権太がこの映画の肝である所以だ。

……なんてことをブログに書こうと思ったが文章力がなさ過ぎて飽きてきたので増田に投げることにする。

2018-04-05

日高晤郎氏の訃報に対する感情

あの人に対する好き嫌いとかじゃなくて、

道外に出た元道民にとっては故郷市町村廃合でなくなるとか、母校が廃校になるとか、

そういったとき感情がすごく強くなったような感じ。

私が住んでいた北海道が、そうでない北海道に向かって大股でジャンプしたような...そんな感じ。

2018-03-21

好きなバンドボーカル自殺してから

バンドボーカル自殺

たぶんこれでどのバンドか察してくれる人もいると思う。去年の七月のことだ。

最近ちょっと心の整理ができてきたと思うので、長々書いてみたい。

その日、頭が痛くて昼まで寝ていると、友達からLINEが何件か来ていることに気が付いた。

「これ、お前が好きって言ってたバンドだよね」そんな言葉とともに、ニュースサイトリンクが貼りつけられていた。

その時の自分は、まさか訃報だとは思わず、十一月に予定されている来日ライブの話かと思い、何の気なしに開いた。

『米・人気ロックバンドボーカル自殺か』

あ、これが頭が真っ白になるってことか、と、何か他人ごとのように思った。

暑い日だったし、部屋のロフトも最高に暑かったけど、一気に指先が冷えるのを感じた。

いや、嘘だろ、誤報だろ、と心の中で繰り返しながら、Twitterを開いた。トレンドはそのボーカル名前と、バンド名前で一杯だった。

いつもなら昨日の深夜アニメハッシュタグだとか、〇〇の日、だとか、そんな言葉が並ぶトレンドが。

こんなことになるならきっと本当だと思う冷静な自分がいる反面、誤報だと思いたい自分もいた。

30分くらい、いろんなニュースサイトを回って、海外ニュースまで見て、どうやら本当らしいということを理解して、初めて涙が出た。

あのバンドと会ったのは小学生の時だった。

何かの帰りに寄ったCD屋で、何に惹かれたのかはもう覚えていないけど、とにかく響くものがあって、なけなしの小遣いをぜんぶ出して買って帰った。

まれて初めて自分で買ったCDだった。

それがファーストアルバムで、初めて触れる洋楽にそれはそれは衝撃を受けた。

彼らの音楽はいわゆるバンドサウンドではなかった。もっといろんな音が入り混じっていて、そして何より心を奪われたのは、ボーカルの声だった。

こんな風に歌えたら、と思った。それだけ、かっこよかった。

かれは間違いなく天才で、おそらくあんなふうに歌えるのは地上でもかれの他にいないとようやく気付いたのは、かれの真似をしすぎて喉を潰してからだ。

三週間ばかり声が戻らなくて、クラスメイトから散々笑われたのを覚えている。

中学生になって、自分でもバンドを組んだ。

あのバンドを知っている人なら分かると思うけれど、中高生のやるバンド程度の構成では、あのバンドの曲のコピーは難しい。

自分バンド例外くそうだった。そのときはもうボーカルを諦めて、キーボード担当していた。

ひっそりとかれらの曲の耳コピをして、練習の合間に弾くのが好きだった。

自分たちが学生をやっている間に、いろんなことがあった。

かれらの音楽は大きく路線変更した。『古参』を名乗るファンから散々叩かれていたけれど、かれらは気にも留めていないようだった。

かれらはチャリティライブで集まったお金を、東日本大震災被災地小学生たちに寄付した。

かれらは来日公演で、東京千葉だったかも)と大阪を回った。

その時は何かの用事で行けなくて、悔しくて泣いた覚えがある。今思えばそんな用事なんて放り出して、行くべきだったと思う。

記憶している限りは、それが最後来日公演になった。

高校卒業して、元いたバンド解散したけど、別のバンドを組むことになった。洋楽を中心にやるバンドだ。

そうして数年、かれらがふたたび来日公演を行うと知った。日本とあるバンドとの対バンだ。

そのバンドボーカルはかれらの音楽がやはり好きで、大きく影響を受けているというから、そんなに対バン相手には詳しくなかったけれど、興味があった。

何より一度も見たことがない生のかれらが見たかった。チケットの発売時間に合わせて友達パソコンの前で待機して、しっかりとチケットを確保した。

そのころ、もしかしたらその少し前だったかもしれないけれど、かれらが来日した。新しいアルバムプロモーションのためだったと思う。

新しいアルバムはかれらの中では少し毛色が違っていた。

歌詞は少し暗い作風で、いま思えば、本当に後付けだけれど、首吊り自殺を思わせる歌詞の曲もあった。

来日たかれらがニュース番組のゲスト披露した曲もそれだった。その時の自分はもちろん、ボーカル自殺するなんて思っていなかったので、この歌が十一月には生で聞けるのかと楽しみに思っていた。

それで、かれは自殺した。奥さんも子どももいる。バンドメンバー問題なくみんな元気だ。それでも死んだ。

Twitterトレンドは、その日の夜にはもう別のものに塗り替わっていたけれど、それでも世界の一部はしばらくかれを悼んでいた。

CD屋はかれの曲をかけたし、一時期話題になったドラムを叩くご当地ゆるキャラは、ファーストアルバムの曲をどこかのイベントで叩いた。

それも一ヶ月くらいで終わった。

自分はというと、かれの名前も、もちろん曲も聴くのがつらくて、しばらくTwitterも見なかったし、テレビも点けなかった。外出も最低限にした。

キーボードの前に座るといろんなことを思い出すので、バンドも休んだ。かれらのCDは全部布に包んで、戸棚の奥にしまいこんだ。

YouTubeライブで中継されていた追悼ライブも見られなかった。対バン予定だった邦ロックバンドボーカルはわざわざアメリカに出向いて出演したらしい。

『どんなに辛いことでも 耐えていればずっと強くなれる』と歌っていた男が、死ぬのか、と思った。

さすがにバンドには復帰したし、Twitterもぽつぽつと見始めた。それでも街に出て、店内BGMふいに彼らの曲が流れ始めると、ついその場を早足で離れてしまう。

人間死ぬと声から忘れられるらしい。確かにさいころ、あれだけ世話をしてくれた祖母の声を、もう自分はまったく思い出せない。

歌を歌っていたひとだったから、かれの声は永遠に記録されて、ずっと誰にも忘れられず残っていくだろう。それなのに。

死んだ人間の声を聴くのってこんなにつらいものなんだろうか。

いまでも完全には消化できずにいる。

2018-03-15

改竄スティーブン・ホーキング

改竄」と書かれていると、どうしても「かいそ」と読んでしまう。殺鼠剤や窮鼠猫を噛む等の表現をなまじ知っているから、鼠は「そ」と読むという頭になってしまっているのだ。鼠を含む漢字から「そ」と読むんじゃね?的な発想になるのだ。他社の記事で「改ざん」という表記を見てはじめて、ああそうだ「かいざん」だと気付く。でもこの次の機会にはまた間違えるのだろう。少なくとも、「改竄」と書く機会などないのだから

間違えて読むのは漢字だけにとどまらない。昨日スティーブン・ホーキング訃報が流れた。海外ソースをあたっていると「Stephen Hawking」とある。「Stephen」をスティーブンと読むのは明らかだ。でも俺はついつい「ステッペン」と読んでしまう。となるとステッペンウルフが頭をよぎって仕方ないのだ。ボーントゥービーワイルドだ。

ステッペンウルフ、今調べたらSteppenwolfじゃないか全然違うのにStephenをステッペンと読むなんてな。雑な思い付きに引きずられる頭はなんとかならないものか。

2018-03-14

ホーキング博士死去

高校博士の著書に出会って物理学科へ。

自分は才能の欠片もなく研究の道へは行けなかったが、人生に大きな影響を与えてくれた。

訃報に接し、仕事中ながら涙が止まらない。

冥福を祈りたい。

黙祷

2018-03-09

眠れないか祖母の話をしたい

祖母は優しかった。いつでも私のことを可愛がってくれたし、私も祖母の前では良い子でいられた。怒られたくないというよりは、悲しませたくない気持ちが強かった。自分のことを、いつまでも可愛い孫だと思って欲しかった。

自分が嬉しかたことを伝えたら祖母も嬉しくなると思っていた幼い頃の私は何かある毎にすぐFAXを送ったし、すぐ電話した。手紙もいっぱい書いた。遠方に住んでいたから、とにかく自分存在を忘れられないように一生懸命だった。(今考えたら疎遠でもない孫を忘れるはずがないとは思う)

祖母手料理ほとんど作らなかった。作れなかったのか作らなかったのかは分からない。いつも祖父母に会いに行くときは2.3日しかいれなかったので、外食をすることが多かった。きっと子供から外食を喜ぶだろうと思ってたのだと思うけど、私は祖母の作るご飯が食べたかった。結局祖母手料理は1回だけしか食べられなかった。おにぎり。誰が作っても美味しいのかもしれないけれど、私は今でもあのおにぎりの味を覚えている。

祖母刺繍が上手だった。亡くなってから知ったことだけど、祖父母の家にあるのれんリュックポシェット額縁に入った布の作品すべてが祖母刺繍作品だった。少し大きい象の人形のようなもの祖母刺繍を施していた。本当は色々やりたかった刺繍があったらしいけど、段々と細かいものが見えなくなって諦めたらしい。やりたいのに出来ないってどんなに悲しいことだろう。

私が高校生になってなかなか祖父母に会いに行けなくなっていた。一般家庭におけるFAX文化も廃れ、電話祖父母のお誕生日敬老の日、お正月くらいに減っていた。それでもたまにする電話祖母は私がする話を嬉しそうに聞いてくれた。習い事を続けて頑張っていたことも褒めてくれた。

祖母は段々足が痛いというようになり、歩けなくなった。父と祖父母の3人で旅行した時、祖母はすぐ疲れたといい椅子に座っていることが多かったらしい。せっかくの旅行なのにごめんねと謝る祖母を見て、父は涙が出そうになったと言っていた。私は聞いているだけで胸が詰まり、お風呂で泣いた。

祖母は寝たきりになっていった。動くのがしんどいと言い、会いに行ってもずっとベッドで横になっていた。足の筋肉は衰えて、私の二の腕くらいになっていた。また私はこっそり泣いた。

祖母記憶をなくしていった。電話をした時、私のことを伯父と間違えた。話が噛み合ってないような気がしたけど、訂正することが良いことなのか悪いことなのか分からず誤魔化した。電話を切ってから父に気付かれないように泣いた。

祖母ものを食べることができなくなった。この頃になると祖母祖父以外の人を誰なのか判別できなくなっていた。新幹線に乗り久々に会いに行った祖母は、祖母だけど祖母じゃない別の人のように感じた。いくらしかけてもこっちを見てくれなかった。そりゃそうだ。毎日何も口にしていないから首を動かす力もないのだ。そこで急に祖母がいなくなることが怖くなって家族の前で泣いた。まだ目の前に祖母は生きているのに。

そして祖母は息を引き取った。祖父も父も伯父も家族みんな揃って最期を看取れたらしい。父は仕事柄頻繁に全国出張に行くので本当にタイミングが合った奇跡だったと思う。

通夜は次の日だったので、その日は普通に仕事に行った。上司に報告して、訃報連絡の書類などは自分で作った。みんなに全然悲しくなさそうだねと言われトイレで泣いた。悲しくないわけがない。

棺で寝ている祖母は安らかな顔だった。ガリガリになっていたから綿を詰めていたのがすぐ分かった。祖父が、棺に入れようと言って私がいっぱい書いたFAX手紙を持ってきた。中には祖父宛に書いたものもあったが、祖父は構わず全部入れてしまえと言った。ちょっとそれはないわと思って笑ってしまった。

祖母に送る最後手紙はいつまでも私のことを可愛い孫だと思ってもらえるような内容にした。天国で再会した時に可愛がってもらわなくちゃいけないから。

おばあちゃん、ご飯はいっぱい食べれてますか?私がそっちに行った時は豪華な手料理食べさせてね。

あと、おばあちゃん刺繍の本と糸もらったよ。1年かけてまだほとんど何も作れてないけど、一生の趣味にしたいんだ。おばあちゃんの血が入ってるから才能はあるはず。数十年後、私の棺に作品を入れてもらう予定だからその時にまた見せるね。

一周忌仕事で行けないような孫でごめんね。おばあちゃんいつまでも大好きだよ。

2018-03-04

MAD文化はきちんと研究されるべきなのではないか

ビリー・ヘリントン兄貴訃報に対するネットの反応を見て思った。

でもこんなこと言うと、ニコニコの「例のアレ」を例示して「マイノリティを笑いものにする差別的文化なんて認めちゃいけない」と言われるのは目に見えている。

さらに、著作権肖像権で大いに問題があるというのも同様。

まあ自分も散々この辺のネタに慣れ親しんできたクチだが、個人を笑いものにするようなネタダメだろうと思っている。

ところが、こういうネタインターネットのある種の文化を作り上げてきた面があるのは事実なのだ

日本インターネット文化を語ろうとするとき絶対避けられないのが、FLASH動画コラージュ画像MAD動画だ。

とりわけ、はてなの人たちは淫夢などの性的マイノリティ馬鹿にするような文化を毛嫌いしてるだろうし、実際アウトなことをやっているのは事実だ。

でも、文化史的には絶対無視できないものなのも事実

MADの原点であるMADテープ漫画アオイホノオ」の舞台と同時代にあるという話もある。

日本の文化史において、完全なアウトローであるヤクザ」が非常に重要な面を持っているのと同じように、MAD文化研究対象になりえないかな。

2018-03-02

anond:20180301221023

かつて続編や名前を聞かなくなったエロラノベ作家をふと検索したら、投稿サイトの片隅で訃報を見つけたことを思い出した…

2018-02-26

anond:20180226062543

大正まれの大祖母最近逝ってしまって新聞訃報出したんだけど、

印刷所が対応出来なかったのか名前が旧かなじゃなかった。

あのぐにゃぐにゃした文字、なかなか見る機会がないかがっかりした。

2018-02-22

anond:20180222213736

なるほど。ありがとう

ちらほらカード引いてもらうことが好きなんだけど、対面だとどうしてもその人自身との相性がものを言うような気がして、その点増田さんはフラットな感じがして興味深いです。


とある人に働きかけるかどうか迷っていて、完全な自己満足で終わると分かっていてもきちんとレスポンスをくれる相手なだけにどうしようかと考えてしまっています

それ以外にもやらなければいけないことは山積みなのでそれが一段落してからのほうがいいのか、それとも思いついたのだからひとまず働きかけてみるかどちらが良さそうですか?

最近身の回りでも芸能界でも訃報に目がいきがちなので、いつどうなるかわからないなと思っています

つい数日前、親族葬儀に参列した。

火葬場で別のブースから泣き叫ぶ声が上がっていた。

と思ったら、姻戚が突如泣き崩れ立ち上がれなくなりご焼香に車椅子が持ってこられた。

小さい子が、それまで少しぐずっていたのにその直後から冷静になっていた。

待つ間の精進落としでは何事も無かったかのように過ごしていた。

自分も近しい人が亡くなったらああやって泣き崩れはしなくとも、泣いたりするのだろうか。

割と近しい親族葬儀では、親族間で問題が起きたりしているので、亡くなったことへ弔いの気持ちはあるけれど、行事としては何なんだろうなと思ってしまう。

あと、内外の人柄のちがいについては、気配だけを垣間見るに過ぎないが色々あるんだなと感じた。


そして俳優の急な訃報

直接の知り合いではないにせよ、残念な気持ち

これが特別ファンだったり知り合いで華々しく活躍されていた方だとしたら、どうなってしまうんだろう。


などを思いながら自分は早めに死ぬ準備をしている。

2018-02-21

anond:20180221224644

ブログブームの頃

久々にブログネタができたぞーって嬉しそうな書きだしか

訃報書いてるパターン結構見かけたし

現代日本人の死生観て割とエンタメ寄りなのかもしれません

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