はてなキーワード: 兄貴とは
俺は嫉妬深く、逆恨み精神が強く、いつも妬み嫉み、僻んでいる。
自らの状況を改善する努力はしないくせに、眠る前に目を閉じれば、浮かんでくるのは妬ましい奴らの妬ましい生活ばかり。
インターネット上には、妬まないためのマインドの持ち方やら、すっぱいブドウ理論で己を慰めているような奴らの文章ばかりだ。
俺はただストレートに、まっすぐにこの薄汚い嫉妬心をぶちまけたいんだ。そして聞きたいんだ他人のそれも。
俺は従兄弟が憎い。
こうしんちょうこうしゅうにゅうこうがくれき。
びじんな、おくさん、かわいいむすめ。
『せっかく東京に来たんだから上野美術館や◯○大学のキャンパスを見学にいきなよ。俺が案内するし。あ、いや、✕✕君は埼玉の鉄道博物館の方がいいかもな』
おまえはこの台詞、なんの悪意もなく言ったんだろ?
なんの悪意もなく、田舎者で頭も悪いオタクの俺は、美術館での芸術鑑賞や絶対に合格したりしない大学の見学なんかより、
お前はこんな風にしゃべったことすら覚えてねぇだろうな。
俺はお前が妬ましくて毎晩この台詞を思いだしてイライラして眠れなくなる。
お前が五体不満足になって家族に捨てられてもうこんな人生嫌だ死んでしまいたいってそんなふうになる日が来ないと俺は救われない。
小さな趣味や幸せを見つけろだって?自分の人生を楽しめってか。そうできるならもうしてるさ。
できないから苦しんでるんだろ。
俺にDEATH NOTEがあれば、お前を真っ先にむごたらしいやりかたで56したい。
専門に関しては確か一回入り直してる。
金がないから子供出来てからもちょこちょこ実家の世話になって、勉強机やベッド等使えるものは何でも持ってった。
だけど今、家族のゴタゴタで何でも長男の俺ばかりに迷惑掛けるな!みたいなこと言い出した。
親の縁を切るだなんて啖呵切るなら、今まで世話になった分全て精算してからにしろと言いたい。
成人してからも脛齧るだけ齧って、いざメリットなくなったらもう関わりたく無いだなんて。
実際歳の差もあったし、ある年齢までは頼られても仕方ないのでは?
自分は害は少ないかもしれないけど、反対に受けた恩恵も少ないんだ。18以降親の世話になってないし。
お互い状況が違うので、声でかい奴だけ有利に動いてる現状に納得がいかない。
専門に関しては確か一回入り直してる。
金がないから子供出来てからもちょこちょこ実家の世話になって、勉強机やベッド等使えるものは何でも持ってった。
だけど今、家族のゴタゴタで何でも長男の俺ばかりに迷惑掛けるな!みたいなこと言い出した。
親の縁を切るだなんて啖呵切るなら、今まで世話になった分全て精算してからにしろと言いたい。
成人してからも脛齧るだけ齧って、いざメリットなくなったらもう関わりたく無いだなんて。
実際歳の差もあったし、ある年齢までは頼られても仕方ないのでは?
自分は害は少ないかもしれないけど、反対に受けた恩恵も少ないんだ。18以降親の世話になってないし。
お互い状況が違うので、声でかい奴だけ有利に動いてる現状に納得がいかない。
岡山県鴨方町(現・浅口市)の私立おかやま山陽高校の野球部で、当時35歳の監督が「メンタルトレーニング」と称して、部員に対して全裸でグラウンドを走ることを強要していたことが、2005年9月に発覚。
全裸ランニングは、2002年から3年間にわたっておこなわれていたという。2002年にも部員から学校に苦情が寄せられたが、学校は「部員の悪ふざけ」と軽く考えて問題を放置したという。監督は2005年5月にも全裸ランニングをさせていた。
体育会系の指導者が、男子生徒を虐待するケースは割と発生していて、被害者が名乗り出る率の低さから明るみにならないことが多いんですよね。
岡山県浅口市の私立おかやま山陽高校の野球部で2005年、部員に対して全裸でのランニングを強要したり、部員の顔を殴るなどの暴行を加えたとして起訴された、当時の監督・池村英樹被告(35)に対する初公判が2006年5月23日、岡山地裁倉敷支部で開かれました。
池村元監督は「全裸ランニングは部員の気分を高揚させ、一体感を醸成する目的だった。従わないと暴力を加えかねないと部員を畏怖させた事実はない」などとして全裸ランニングを強要したことを否認し、また暴力についても「指導に必要な範囲」として一部否認したということです。
https://kyouiku.ldblog.jp/archives/8748994.html
https://news.yahoo.co.jp/byline/takagiyu/20200814-00193119
教員免許を持たない外部指導員という形だった池村の立場はあまり良くなかった。野球に没頭してしまうタイプでもあったし、監督就任の経緯もコーチをしていたところ選手から慕われるようになっていったからであったが、学校側からは「前の監督を追い出した」というように見られる向きもあったのではないかと語る関係者もいる。
原文
https://lb.ua/culture/2022/03/18/509953_cancel_russia_yak_instrument.html
ヴォロディミール・シェイコはウクライナ研究所(日本の国際交流基金にあたる)の長で、ウクライナの文化外交の責任者。訳者の感想は最後に。
ロシアの侵略開始からわずか数日後、ウクライナの文化関係者および団体は、国際社会に対してロシアに対する「文化的制裁」を実行し、プーチン政権やロシア資本から直接的・間接的に支援されている人物・団体に対する協力の停止を呼びかけるアピールを出した。
ウクライナ研究所は、国内・海外のパートナー団体や専門家のネットワークの代表500人以上に対してアピールを送って拡散することを依頼し、それとは別に欧米の学術団体や大学に対しても書簡を送ってみた。この「文化的制裁」に対する公開書簡には3800人以上のジャーナリスト・人権活動家・教育関係者・文化人たちが署名していて、在外のウクライナ人たちも同様のアピールを拡散している。
ウクライナの主張に反論することはできないだろう―――ロシアによって仕掛けられた戦争は、明らかに国際法に違反しており、罪のない人々を数千人も理由なく殺害し、歴史的建造物を意図的に破壊しているのだから。この状況で侵略者と文化的に協力することは戦争犯罪を正当化することであり、ロシアによる印象操作のために新たな場所を提供することに他ならない。ウクライナ研究所は声明の中で、ロシアが数十年もの期間にわたって文化を政治的プロパガンダの手段として利用して国際的評価を高めることで、世界の注目を他国への戦争犯罪から逸らしたり、人文学において帝国と植民地のヒエラルキー体制を確立してきたことを指弾した。このロシアの行為に高名な学者、キュレーター、美術史家、財団理事、美術館、フェスティバル、フィルハーモニーたちは加担してきた。彼らは2014年以降もロシアの政府機関に進んで協力してカネの出所を無視して見なかったことにしてきたし、そんなロシアの芸術的プロジェクトを通じて広められた有害で非科学的な主張に対して反論することもなかった。その象徴的な事例が、ニューヨークのMoMA、ロンドンの王立芸術院、パリのグラン・パレで十月革命百周年の2017年に開かれた「ロシア芸術」の豪奢な展覧会だろう。ロシアから「最恵国待遇」を受けてコレクションを借り出したキュレーターたちは、ロシアがウクライナその他の国の芸術を盗み出してきたことを見なかったことにしたし、その全体主義的な芸術を無批判に美化することを止めようとしなかった。
ウクライナに爆弾が落ちた2022年2月24日、「素晴らしいヒューマニズムのロシア芸術」というメタファーはようやく消し飛んだ。それでも、文化をプーチンの政治や戦争責任と切り離して考えることができるという信じている数百万の海外の人々にとって、トルストイ、ドストエフスキー、ショスタコーヴィチあるいは「ロシア・アヴァンギャルド」は心の中で生き続けているようだ。
全世界とウクライナとの連帯は過去に類を見ないほど広がっており、世界の文化界は言葉と行動によってウクライナに大きな支援を送っている。しかし「ロシアに対するキャンセルカルチャー」に対して西側が示した反応は、ウクライナの文化外交に課題を投げかけた。
メトロポリタン歌劇場、カーネギーホール、バイエルン歌劇場などの多くの団体は、指揮者であるゲルギエフや歌手のネトレプコとの契約を打ち切って、ロシアのアーティストと協力しないことを公表した。カンヌ映画祭はロシアの代表団と政府関係者の参加を拒否した。それとは裏腹に、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスはウクライナの戦争を「人道危機」とした上、ロシアについては何も言及しないという恥さらしの声明を発表した。私たちがコンタクトを取った人々の多くは、ウクライナの難民を支援することを口約束する程度で、ロシアとの協力を停止する呼びかけには大した反応を見せなかった。思っていた通り、ポーランドとリトアニアの団体が最も毅然とした態度をとって、ドイツペンクラブは「真の敵はプーシキンではなくプーチンだ」という声明を出し、フランス人たちは沈黙した。
そして、西側の文化学術団体はウクライナとロシアの「和解」や「異文化交流」を推進する事業を始めたようだ。注目すべきは、彼らがどうやら戦争が始まって4週間でのウクライナにとっての「和解」の必要性への無関心だろう。ロシア人を「プーチン政権の犠牲者」と位置付けることで、戦争の犠牲者となっているウクライナ人と同じ「犠牲者」として等しくとして扱うような形で、ウクライナ人、ロシア人、ベラルーシ人を一緒くたにした沢山の事業が始まった。
こうして、23年もの長期にわたってプーチン政権が継続してきたことや、ウクライナでの起きている戦争や、ロシア社会の政治的受動性、あるいは市民の抵抗が失敗し敗北してきたことにに対して全てのロシア人の責任をなかったことにしたいのだろう。他にも図々しい連中はいる。フリードマンとカーンというロシアのオリガルヒによって資金提供を受けたことにより度し難い妥協的施設となったバビ・ヤールのホロコースト・メモリアル・センターの芸術監督イリヤ・フルジャノフスキーはプーチンの犯罪と戦うことを要求する書簡に署名した。これがウクライナ世論の怒りに火をつけたことは言うまでもないが、逆にブリュッセル、ワシントン、ベルリンでは歓迎されたようだ。
これは偶然そうなったわけではない。西側はウクライナとロシアの関係を完全に誤解してるし、ウクライナには独自の文化もアイデンティティもない軽視すべき存在だという考え方を持っているのだから。よって、国際社会にはロシアによる戦争が新たな植民地主義であることや、ウクライナが脱植民地を目指して何世紀にもわたって独立運動を繰り広げてきたということを理解してもらう必要がある。ロシアの帝国主義とウクライナの独立は絶対に両立しない。ウクライナは武器で遊んでいるのではなく自らの独立をかけて戦っているのである。だからこそ、軍事だけではなく文化も同様に重要な最前線なのだ。
ウクライナがロシアへのボイコットを呼びかけていることへの見下した反応や、侵略者とその犠牲者を「和解」させようとする一際魅力的な欲望は、西側が持つ植民地主義的な考え方を強く反映している。この考え方の根底にあるのはロシアが中心でウクライナが辺境であるという先入観で作られた世界観だ。これは権威あるロシアの文化は周辺の人々の生死よりも重要なことで、ロシアの言うことは聞くべきだが、周辺の人々の言うことに価値はないという考え方だろう。そのようなパラダイムの解体なくして「和解」や「対話」もあるべきではない。
ロシアとの和解は遠い遠い未来に始まる―――まずはロシアがドンバスとクリミアを含むウクライナの領土から完全に撤退し、国際法廷で戦争犯罪が裁かれ、ウクライナに賠償金を支払わなければならない。プーチン政権は打倒しなければならないし、その後に生まれる民主的な政府、市民社会、メディアはウクライナへの犯罪を認めて謝罪しなければならない。そのようなロシア社会の自己批判と深い反省があって、ようやくその時になって始まるのである。
もちろん、こんなバラ色のシナリオが待ち受けていることは分かっているが、だからといってウクライナが今日にでも妥協しなければならないということでもない。ロシアとの「和解」を急ぐことは危険なことだ。それは旧来の考え方に基づいたロシアによるウクライナの再植民地化が開始されることを意味している。要するに、ウクライナを再び文化的辺境へと押し戻し、ロシアが「スラブ」「ポスト・ソビエト」「ユーラシア」の中心であり続けるということだ。世界はロシアの帝国主義や植民地主義の知識人とさらに深く和解することを望むだろう。そうすれば、ウクライナは自分たちの意見を反映した和解のあり方を作るチャンスを失ってしまう。
「戦後のロシアをどうするか」は、ポストコロニアル研究には重い宿題となる。ロシアは脱植民地化の苦痛という歴史を経験しなかった不幸なほど時代遅れの国だが、なぜかは分からないが西側はそのことをよく理解していないらしい。この戦争はそんな西側の目を覚ます機会となるだろう。新しい視点、コミュニケーションや共存の新しい在り方を作っていく機会なのだ。それは理論だけではなく、より重要なのは法的、経済的、人道的な政策として具体化されるべきで、ウクライナはその創造者の一人とならなければいけない。
これが現在のウクライナの文化外交が目指すべき到達点だ。これは長期的な目標になるだろう。ロシアとの戦争という状況下においての文化外交は、対話や和解を促進するべきではなく、ロシアの文化的・言語的な支配という脅威に対して抑止力として機能することで、私たちのアイデンティティを守らなければならない。
訳は下訳を作って機械翻訳とも照らし合わせて作りましたが、あいにく初学者なので文責は持ちません。
ウクライナ研究所はそのブリティッシュ・カウンシルに範をとった機関として2017年に設立されました。ヴォロディミール・シェイコはブリティッシュ・カウンシルで働いた経歴のある人物ですが、日本語wikipediaで所長として示されている指揮者の人とは同姓同名の別人です。
lb.uaはそこそこウクライナでは有名なニュースサイトで、元々は週刊誌のweb版です。
で、このコラムは前半はアリキタリで面白くないんですが、後半からの西側批判は面白い部分かなと思います。特に文化界にありがちな既存のヒエラルキーを温存した形の「和解」を強要しようという流れを戒めているわけですな。
最近流行りのネオナチ問題に絡んでウクライナの右翼問題に言及しておきますと。
途中のバビ・ヤールについてですが、このメモリアルセンターは地元ウクライナのユダヤ人たちによって反対運動が起きたほど国内では評判の悪い施設です。要するにロシアによる情報操作の一環として「ウクライナが反ユダヤ主義的な国であるかのような展示」をするのではないかと考えられていたようで、ウクライナの情報機関SBUが「その証拠は今のところ存在しない」という文書を出すに至り、センターがその御墨付をWebページに掲載しているほどです。フルジャノフスキーもセルフプロモーション目的のクズ扱いされてました。まあドンバスで内戦やらせてる奴の身内連中が集まってきて虐殺を記念するセンターを作ろうなんてグロテスクな話ですわな。
それと、元からウクライナのユダヤ人というのはロシアはもちろんのことイスラエルを中心とした西側のユダヤ人社会とも折り合いが悪く、この反対運動の先頭に立っていたYosyf Ziselsなんかは西側でネオナチ扱いされているほど評判が悪いようです。なぜかといえば、このYosyf Ziselsを始めとしたウクライナのユダヤ人というのはソ連時代に反体制派の経歴を持つことも多く、独立以降はウクライナ人意識が強烈だったりするんで、平気でWW2時代の「ナチス協力者」を擁護しちゃったりするんですな。まあ自分たちユダヤ人が建国した国という意味ではイスラエルに負けてへんぞ!みたいな意識があるんでしょうな。
なのでウクライナ右翼の金主の一人であるコロモイスキーがユダヤ系だったりするのは、それほどおかしなことではありません。
よってウクライナの極右というのは、西側のネオナチよりも、日本の「任侠右翼」と類似しています。靖国神社とか橿原神宮に集まってる右翼のお兄ちゃんが数年後に民団の役員やってるのとかと同じで、思想的背景にはほとんど意味ありません。欧米の学者やジャーナリストは「犯罪的組織の公然部門としての右翼団体」みたいなものが理解できないので頓珍漢な「サッカーフーリガン起源説」を唱えるのですが、そんなものにコロモイスキーが金主になるわけもないし、戦闘力が高い説明がつかないでしょう。要するに軍事的経験のある右翼のアニキが愚連隊を抱えて作ったお国のための組織という説明で日本人ならすぐ分かると思うのですが、これが西側の人には理解できないようです。
鈴木智彦さんがちょっと笑い話みたいな形で織田絆誠のPMC構想をウクライナと絡めて話していましたが、ウクライナの極右グループは実際にチェチェンやグルジアで得た戦闘経験を元に国家機関までのし上がったわけで、割と笑い話にもできません。まあ日本の暴力団と同じで、なんだかんだお上には絶対に逆らえない性質があるので、ナチスの紋章がどうだとかは暴走族が旭日旗振り回してるのと同じだし、奇妙な儀式とかやってるのはヤクザの盃事みたいなものだと思って受け流せばよいと思います。
というわけで反乱の懸念もないどころか、国家親衛隊は普通の大隊の方がヤバい奴多いと思ってるんですよ。なんせ2014年には自腹でも戦争したいって連中が集まってたわけで、金目当てだの兄貴分に言われて参加しただのの方が理由としてはいくらかマシでしょう。ただまあ、いつか武装解除した時には犯罪者を野に放つようなものなので、単純に治安が悪化することを懸念してなくもないです。
奨学金って名前付いてるけどそれ借金だからね。借金ある人とは結婚できないとか、早く返せば?と友達や恋人などに返済繰り上げを促す人が増えている感覚がある。
twitterの東洋経済の奨学金記事についたリプを見てほしい
https://twitter.com/Toyokeizai/status/1501379771359383552?t=KhKv0sDWuPaxaF5ePOroLA&s=19
彼氏から指輪もらってたけど奨学金借りてることがわかって関係解消したとかの書き込みもある。
ワイの友人も、兄貴のお嫁さんになる人が奨学金ありなのを新郎である兄貴以外の家族全員がモヤモヤしててあいつを結婚させていいのかと相談に来たこととかもあった。
なんか意外だよな。超低金利で金を借りられるってお得なことだから、それで大卒資格なりを得たならワイは「やったじゃん」という感じだし、なんとも思わんのだけど。はてな村的にはどうなのよ?
元記事を読んでも嘘だなんて思わなかった。俺だってもっと金持ちの家に生まれていればとか、兄貴がもうちょっと頭良ければ俺にもっと教育に投資してもらえたのに、とかは考えたことはあるよ。私大トップクラスの大学にしか入れなかった。仕事するようになってから、学生時代もっと真面目に勉強してればこんなアホどもと仕事しないで有能な人と研究とかやれてたかもしれないのになって何度も思ったよ。
でもさ、生まれの不公平さを言えばそれこそキリがないじゃない。仕事でフィリピンに数年住んでたけど、あっちで生まれてたら明日食う食事の心配しないといけないような人の方が多いんだよ。フィリピン人にも金持ちからホームレスファミリーまでいろいろあって、日本みたいに児童保護施設もない(あるかもしれないけど足りてない)からホームレスの子供もいっぱいいる。日本に生まれただけでも大分得してるじゃない。