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2023-12-07

鬼太郎映画感想

見たので感想を書く。

まあまあ面白かった。

けど売れなそう。地味で暗くてエンタメ性がそんなに高くないし、アニメーションとしての凄さ、新しさは特になかったから。

 

で、まあ本来はこれ以上書くことないんだけど、

奇しくも昭和生まれの特大IPゴジラと、同じく昭和生まれ長寿IP鬼太郎がほぼ同時期にどちらもプリクエル的な作品を公開したということで、せっかくなので比較して語りたいと思う。

 

映画としてのエンタメ性や、興行収入話題性邦画史におけるインパクトなどはゴジラー1.0の圧勝だった。これは両作品を見た人ならだれも異論はないと思う。

でも、本当の「昭和」を描けていたのは鬼太郎だったと主張したい。

ゴジラ1947年の話なのに対して、鬼太郎1956年の話と10年程の開きはあるんだけど、まあそこは置いといて。)

ゴジラの戦中戦後描写登場人物の行動原理ってほぼパラレルワールド昭和だったと思うんだよね。

色んな人が散々指摘してると思うので細かくは書かないけど。

あん昭和昭和じゃない。

一方で、鬼太郎昭和はよく知ってる昭和だった。あのタバコまみれの空間明日を信じて疑わぬ企業戦士たち、犬神家のような農村、狡賢い狸おやじたちに支配された社会

先にゴジラを見ていたからこそ、あーこれが本当の昭和だよね、となった。

鬼太郎ちゃんとこれまでの「昭和」(それは実際のリアル昭和だけでなく映画小説で描かれてきたフィクション昭和を含むものだけど)のイメージ踏襲して紡がれたストーリーであり演出だった。

 

ゴジラ商業的に成功するだろうし、世界でも戦える評価を得られると思う。鬼太郎はたぶんそんな売れない。

けど話の出来のよさでいえば戦後昭和という時代真摯に向き合ってたこっちじゃないかと思った。

2023-08-31

バーター

少子高齢化社会保障ヤバい訳だけど、なら少子化解決のために同年代で同レベルの女と結婚するか?

ジェンダーロールを果たすために自分を捨てて昭和企業戦士と呼ばれたような男になれるか?

と聞かれると正直無理。

税率の高さは自由とのバーターだと思って諦めております

Xだと盛んに少子高齢化解決のために現役世代もっと金使えって論調が強いけどさ。

それで手にするのは上記した二つ。

たとえ古来の見合い制度とか復活しても来るのは自分と同レベルだもんな。

俺の女版とか恐ろしいぜ。

怖いものみたさでちょっと見てみたい気もするけど。

2023-07-02

育児父親クソリプが辛い

先日娘が生まれた。

私と妻共に初産で、互いの両親から離れた地方都市で、新生児の娘と3人で暮らしている。

強い違和感を覚えたのは、娘の出生後に私の両親が訪れた際のこと。

ミルク育児を選んだ妻に対して、「母乳でなければ健康子供が育たない」「愛情が育まれない」などと平気で悪態をつく。私が居ればその場でフォローするなり嗜めるなりのことは簡単なのだが、私が赤子の世話で外している時に限って言ってくるのでタチが悪い。

母親ミルク育児理解はあり、妻の味方になってくれようとはするが、その場で強く父親否定できない様子だったそうだ。

その時点では妻もそんなに気にしていない様子だったが、問題は続く。

幸いにも無事に娘が生まれたことは、互いの両親や親戚に祝福され、様々なお祝いもいただいた。妻の両親にとっては初孫ということもあり、日頃の感謝を伝える意味でも「みてね」という写真共有アプリで、互いの両親に日頃の娘の成長を共有している。結論から言うと、これが良くなかった。

動画写真を共有を開始してまもなく、私の父から母親笑顔がないので赤ちゃん不安になります」「ミルクは太りやすいです」などのクソリプが、連日私や妻の投稿した写真動画に紐づいたコメント投稿されるようになってしまった。コメントは妻の両親も見られる仕様になっており、私が「娘は妻のことが大好きなので何も問題ないです」「余計なお世話😎」と応戦するも、まるで意に介さない。さすがの妻も気にせずにはいられない様子で、次第に娘の状況を報告することが少なくなっていった。

私の父親典型的SNSをさせてはいけない部類の人間で、ネットリテラシーはおろか、普段コミュニケーションでも相手の状況や価値観などを想像することもなく、思いついたことをその場で発言してしまう。無論本人には悪気はなかろうが、故にタチが悪い。離れて暮らすには支障は無いが、親戚や、特に奥さんの両親や親族のいる場所に出してしまってはいけない人。

増田諸兄も同様の経験はないだろうか。Twitter晒しあげられるクソリプ見て、一体どんなやつが投稿しているのやらと笑っていたら自分の親だったという絶望感を味わったという話だ。

以上で話はいったん一区切り。この状況について、今すぐにどうこうする気はないし、対処療法的な策は少し考えれば思いつく。その気になれば父親アカをBANすることも容易い。いったんはそれで解消する程度のいざこざである

---

一言で言えば、私は父親との関係ミスっている。振り返れば関係構築の機会が十分に与えられることがなかったのかもしれない。

父は高度経済成長期の只中に生まれ首都圏大学卒業後にメーカー営業一筋40年間。定年まで勤め上げ、高校卒業後に専業主婦となった母親と共に3人の子供を育てた。何せ企業戦士という言葉ポジティブに使われていた世代よろしく、私が小学校入学して以降は単身赴任で全国を転々とし、思い返せば思春期以降にまともに話をした覚えがない。そして、私が高校卒業後に家出同然で地方移住してしまって以降、その機会は完全に奪われてしまった。

様子がおかしいこと自覚したのは、父の定年後に久々に実家に帰ったときのこと。父は大概リビングで無言でスマホをいじっている。何をしているのかと思えばyoutube右翼コンテンツの類をヘビーリピートしているのだった。ちょうど『ネット右翼になった父』というwebメディア記事がバズった頃。当時の私にとってはそのことがひどく憂鬱で、同世代の友人にそのことを共有したりしてとりあえず笑うことにしたのだが、父とは特にコミュニケーションすることはなかった。

家族経済的に成立させるという点において、父は立派な人間だった。子供の頃はよく遊んでもらったし、海外旅行外食はほぼ無かったが、進学費用をはじめ経済的に苦しかった記憶は無いし、不倫DVなど、いわゆる毒親と呼ばれる要素は皆無だったので、総合すれば素晴らしい父親に恵まれたと今でも思う。一方でコミュニケーションに難があり、また、個人思想ライフスタイル多様性尊重される時代において、価値観アップデートする機会に恵まれなかった結果として、前述のような問題として表面化してしてしまったと感じている。

勝手にアプデ済ませとけと思う一方で、父にとって最も身近な若者である私と兄妹が、その役目を果たすことができなかったことに責任の一端を感じないでもない。父同様に、これまで私も父との会話をサボってきたのは事実なのだから

こうした問題世代間における価値観ギャップと切り捨て、ともすれば縁を切れと脊髄反射発言する輩がいるが、私はそれをサボりたく無いのだ。現実的には、両親のサポート必要な場面は今後も生じるだろうし、観念的には、そうした家族の面倒ごとは大袈裟に言えば私のアイデンティティのものに関わってくる問題だと思う。こういう事象をサボった結果として、自分が将来娘と絶縁する世界線もないとは言えない。無論、努力した結果絶縁されるのは仕方ないとして、それをせずに絶縁するのは違くない?と。

少し極端な物言いになってしまったが、要するにアプデに失敗した老人の暴走という問題として片付けたくはなくて、家族コミュニケーション不全を見直す良いきっかけにしたいと思っている。昭和の終わり〜平成の初めにかけて生まれ人間にとって、同様の問題を抱えている人は多いと思う。死ぬほどだるいしムカつくけど、一緒に頑張っていきましょう。

最後に妻よ、私と父親サボりによって被害を被ってしまって本当に申し訳ない。時間はかかるし、今後も問題は起こるかもしれないけど、少なくとも今よりは改善できるよう努力します。

娘よ、私の至らぬところで君の祖父という人間について、希薄情報しか残すことはできないかもしれないけれど、父ちゃん頑張るので許してくれ。

2023-05-03

FF14自分の鬱に効いた話

先に言っておくと、FF14ネガキャンではない。あと個人差も当然あると思う。

職場起因でいろいろあって鬱発症、復帰したと思ったら1年経たずに再発し休職

医師曰く、季節性かもしれないとのことで、そうなると体質上治りが悪いらしく。いろいろつらい。

飯以外の娯楽を全部受け付けなくなった結果、UberEatsばかり頼んでしまい、結果体重が15kg増えた。靴下はくのが大変になるとは思わず。これもつらい。

もうボロ雑巾ゴミかなにかになっていたが、人間単純にできているらしく、休んで時間が経ってくると気分は良くならないくせに暇を感じるようになった。

が、体力はガタ落ちで、食費もバカみたいにかかって金も無く、

ぼうっとYoutubeTwitter更新して眺める以外なにもする気が起きず、スワイプして画面が更新される度に、

なんだかよく分からないがなんか違うんだよなぁ、と再度スワイプする日々。受動の局地にいた気がする。

1ヶ月もそんなことをやっていると、さすがにそれにすら飽きが来てしまい、ゲームでも遊ぶかと思い立ち、

拡張を全部買ったくせに、ずっと放置してしまっていたFF14を起動した。これが本当によかった。

シンプルに膨大なコンテンツ量があり、かつそれらがちょっとずつ他のプレイヤーと繋がっているのが非常に心地よかった。

かと言って、強制的に人と一緒になる必要が無いのもありがたかった。

MMOの癖にNPCと一緒にダンジョン攻略ができる仕様は、昔遊んでいた頃は何がしたいんだと思っていたが、今は本当に感謝している。

別に倒れても暴言は飛んでこないのだが)ひりついた緊張感を楽しみながら攻略することも、しないこともできる。その選択肢があるだけで凄く気楽に遊ぶことができた。

ちょっと横道に逸れるだけで無限時間を使うことができるのも、普段だったら恐れるところなのだろうが、休職中で暇を持て余している身には都合が良かった。

1日に10時間近くプレイしていれば、世間的にはネトゲ廃人だなんだと言われるかもしれない。

だが、別に仕事していた頃もパソコンの前で虚無を生産していたので、そう大差ないように感じている。

医者もそれを察したのか分からないが、あん大分良くなっているか仕事復帰しても良いのでは、と言われたのが昨日のこと。

まだメインクエストが終わっておらず、一人前の光の戦士にはなっていないのだが、その前に企業戦士になるらしい。

どうやらあと60時間ぐらいで最新のストーリーに追いつけるらしいので仕事しながらもちまちま続けたいと思う。

これで終わりで、別にオチは無いのだが。

関わってくれたプレイヤー開発者の皆様に感謝を。みなさんのおかげで社会復帰できそうです。

2023-04-05

anond:20230405083415

いわゆるバブルの頃までは、経済全体がおおむね右肩上がりだったので、労働環境が多少悪くてたって、給与もそれなり以上に上がってたように見えたな。

 

低賃金社員を擦り切れるまで使い潰す」っていうケチくさい会社あんまり認知されてなかったと思う。認知度が低かったから名付けもなかった。

 

認知されてたら絶対ホイチョイプロダクションネタにしてたろう。

 

仕事はきついが給料は良いんだからしょうがない」って人が多く、今のような怨嗟の声はそんなに聞こえてこなかった。(そもそもネットがなかった頃なのでそういう声が伝わる術もない)

 

からブラック企業的な企業風土形成されたのは、バブル崩壊以降の九十年代以後、経済企業の成長が約束されなくなった頃かねえ。

そのころのマンガ、『企業戦士YAMAZAKI』(富沢順)なんか読むと、当時の労働環境雰囲気は分かるかもしれない。

ブラック企業って昔はどう呼ばれてたの

・過重労働

残業代が出ない

ハラスメント多め

みたいな会社に対して10年前ぐらいから「ブラック企業」って一括りにされてるけど、昔はなんて呼ばれてたのか気になる。

"ブラック"な概念自体はあったと思うんだ。想像だけれど。

たとえば働き過ぎな人に「企業戦士」や「モーレツ社員」てのはあったらしい。

宗教みたいとか軍隊みたいとか言われてたのかなあ。

24時間戦えますか」の時代もっと前か?

俺はバブル崩壊も知らない若年増田からよく知らない。親も企業勤めではなかったし。

だれか詳しい人がいたら教えてください。

2023-02-02

anond:20230202231253

通勤中や勤務中に催さないように体が適応したんだな

お前こそが企業戦士

2023-01-06

anond:20230106005721

netanetia 素直に待遇の良くない普通会社に行け。普通会社で褒めてもらえ。親のために、実家とは距離を置け。

うわぁ…絶対昭和生まれだ…

ピアノを狭い部屋に押し込めた団地家族のために多摩から時間通勤して社内でも電車でもタバコぷかぷか。長時間労働会社にほぼ無償奉仕家事子育ては嫁に押し付け。そんで「俺たちゃ企業戦士待遇だなんだ甘ったれるな!」ってか?

元増田は好きに生きるといいよ。不満のある待遇パンのために身をすり減らす必要ない。この世に生まれたのは増田親の選択だ。子供のことで苦労するのは快楽の業だ。

2023-01-03

フェミニスト自分たちのことを棚に上げて感がすごすぎて辟易する

NHKフェミニズムについての100分で名著をちらっと見たんだが、男たちはホモソーシャル組織を作り、男から称賛されることを望んで生きているみたいな話で男を揶揄していて辟易した。

あの人たちはきっと、企業戦士として生き、戦場に立つなら女を捨てろみたいなことをやっていた男は知っている。

でも、あの人たちは家に入り、家事育児をしている数多くの今時の男性たちを知らない。

時間昭和で止まっていて、多くの男性が家のことをやるのが普通になってきている平成・令和の男性像を知らない。

そして、その数多くの男性たちがかつて女性たちが企業でされたような不当な扱いを家事育児でされていることを知らない。

件の番組はいかに男たちが自分たちコミュニティを作り、女を支配して来たかを熱く語っていたが、それ、分野を変えれば女たちもそうだから

父親乳幼児向けのイベント子供を連れていくと、完全にお客さんって感じ。二級市民感がものすごい。

男たちが、「おぬし、できるな」で喜ぶなら、女たちは「あなたも大変ね」に無上の喜びを感じるのではないだろうか。

異性に「愛している」と言われるより、同性に認めてもらえるほうがずっと喜びが大きいのは何も男性に限った話ではないから女たちだけで延々不幸自慢するのではないだろうか。

その辺をさっくり忘れて、男たちを小ばかにしたような話が延々と続くのを見て、フェミニストはすでに時代遅れで、公共電場を使って流す意味もないと感じた。

2022-09-17

anond:20220917073936

でもブームが去ったらみんなあんなのあっさり捨てて企業戦士なっちゃったわけじゃん

「その時代トレンドがそんな感じだった」というだけで、本質的にはFGOウマ娘やってるのと大して変わらないと思う

2022-08-24

メタバースって大変だよな

ニュースで「〇〇がメタバース作りました!」って話題で出てくるやつ、みーーーーーんなクソグラじゃん?

こないだのMetaのアレもそう。

日頃からPCゲームやりまくってるオタクの我々からしてみれば、

「デュフwwザッカーバーグ殿wwwwこれはひょっとしてPS1のゲームですかな?wwwwwコポォwwwww」とか思っちゃうのよ。

でも、世界企業戦士達の中にはメモリ4GB!Celeron!みたいなモンスターマシンでの仕事強要されてる人も少なくないらしいじゃないッスか。

こんなゴミでも最低限動くもんを作らなきゃ儲からんのだから大変だよなぁ。

2022-08-18

ポケットピカチュウが欲しかった話

みなさんはポケットピカチュウというゲームをご存知だろうか。

正確にはゲームというより、ピカチュウが出てくる万歩計といった方が良いかもしれない。

万歩計の歩数に応じて、画面の中のピカチュウがさまざまな動きをする。

たまごっち万歩計ピカチュウを足して3で割ったようなかんじだ。1998年に発売された。

https://www.nintendo.co.jp/n09/pokepika/index.html

いまは東京ビル街で日々精神をすり減らす企業戦士となった私だが、1998年幼稚園に通っていた。たしか年中だった。

おにいちゃん、おねえちゃんのいる子たちが幼稚園に持ち込んできたのが「ポケットモンスター」というゲーム(アニメ)だった。

それまではミッキーくまのプーさんハローキティくらいのキャラクターに囲まれて生きてきた幼児たちにとっては刺激的な世界観だった。


当時は周りでゲーム(ポケモン 赤/緑)をやっている子は珍しく、アニメを見ては翌日感想を言い合ったり、出てきた新しいポケモンの真似をしたり、サトシカスミタケシごっこをして園庭を走り回って遊んでいた。

ーーーでもやっぱりゲームが欲しい。

残念ながら、4歳児が「ゲームボーイ買って!欲しい!」と言っても大体は親から一蹴される。

ある日、発売されたのがポケットピカチュウだった。

当時大流行していたたまごっちスピリットを受け継ぎキャラクター(ピカチュウ)を育てられる(かつ、万歩計という健康的な側面ももつ)。

価格も2500円。ゲームボーイ+ソフトを購入するより断然安い。

流行らないはずがない。

スイミングスクールに行くバスの中で一番の仲良しだった子が宝物を見せるように、小さな手に包まれたそれを見せてくれた。

ポケットピカチュウかってもらったんだ。・・・えへへ」

「えーいいな。ずるい」

「たんじょうびだったか・・・

あっというまにポケットピカチュウ所持人口が増え、街中の幼児が歩くたびカチカチ万歩計の針が進む音がするようになった。

ーーーー私はまだ買ってもらえない。

ポケットピカチュウスイミングスクールバスの子どもたちの半分くらいが持つようになった頃、事件が起こった。


ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのである

https://www.nintendo.co.jp/n09/pika_kg/index.html

ざっくり説明すると画面がカラーになったことに加え、なんと赤外線通信機能がついた。

ポケットピカチュウ同士で通信ができるーーーー。

もう爆発的に流行した。持っていないとお話にならない。

スイミングスクールに行くバスの中で持っていない子は私一人になった。

私は母に相談した。

ポケットピカチュウがほしい。みんなもってる。つうしんこうかんしてる」

「みんなが持っているからっていう理由で欲しいのはダメ」 (ーーー今に通じる母の精神だ)

「でもバスのなかでわたしだけやることがない」

「外の景色を見てたらすぐ着くでしょ」

想定通り蹴られた。

しかし、少し不憫に思ったらしく、アドバイスをくれた。

サンタさんに頼んだらもらえるかもね」

さっそくサンタさんに長い長い手紙を書いた。

手紙を書くために、一生懸命ひらがなカタカナを書く練習をした。

クリスマスを、楽しみに、楽しみに、待った。

スイミングスクールバス仲間にも言った。

サンタさんポケットピカチュウのんから、もうすぐわたしもつうしんできるから!」

「たのしみだね」

「うん」


そして1999年12月25日の朝ーーーーー

朝起きてクリスマスツリーの下に駆け寄ると、小さな包みを見つけた。

絶対に、間違いなく、ポケットピカチュウサイズの包みだ。


これで、やっとみんなと遊べる。


ポケットピカチュウが発売されたのが1998年3月で、ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのが1999年11月からざっくり1年半は待っている。

5年ちょっと人生のうち1/3はポケットピカチュウを待ち焦がれて生きていた。

はやる気持ちを抑えて丁寧に包みを開ける。


出てきたのはーーーーーー





想像していたグレーの万歩計ではなかった。


ピンクだった。

ポケットハローキティだったのだ。

https://www.nintendo.co.jp/n09/pokekitty/index.html

もちろんここまでの話のほとんどは記憶を補完している。

でも、包みを開けた時の「あっ・・・」という気持ちは何十年経っても忘れられない。

親の気持ちもわからなくはない。

ピカチュウ」といかいう、一過性キャラクターより、何十年も生きている「ハローキティ」の方が飽きずに使えるんじゃないか

キャラクター同士が戦闘をするようなアニメゲーム教育に良くないし、どうせすぐ流行も終わるだろう。だったら女の子らしくキティを持たせた方がいい。

私は2000年小学生になったので、幼稚園メンバースイミングスクールバスで通っていたのは3ヶ月ほどか。

みんながポケットピカチュウ通信交換を楽しむ中、私は一人ポケットハローキティキティを育成していた。当然、ポケットピカチュウポケットハローキティでは通信はできない。

親は「みんなと同じカチカチ(万歩計)がもらえて良かったね。欲しかったもんね」と言う。

私は「うん、とってもうれしい」と嘘をつく。たぶん、親に嘘を初めてついた。

現実はそんなに甘くないんだなあと言うことを知った5歳の冬だった。

いま思うと、なぜポケットピカチュウが欲しいのか、の説明が不足していたのかな、なんて思ったりもする。

もっと説得力を持って論理的に話せていたらよかったのだろうか。

ーーーー上司からよく言われる「お前は説明が足りない」というのは、幼児から私のダメなところだったのだろうか。

このお盆実家を整理していたときたまたまポケットハローキティが出てきた。

親は今でも、子供のころ待ちに待って買ってもらって大事遊んだおもちゃだと思って大切にしている。

少し日焼けして色褪せたピンクを見て思う。

ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。

*****

追記:

読み返して思ったのだが、この話には問題人物が3人いる。

1人目は、間違いなく今の私だ。

20年以上前の幼少期の記憶を引き摺り、今の自分がうまく行っていないことのこじつけにしている。こじらせも良いところだ。もうすぐ30代なのに。

2人目は、当時の親(サンタさん)だ。

私はポケットハローキティがほしいとは一言も頼んでいない(むしろ包みを開けるまでポケットハローキティ存在を知らなかった)。お手紙の中にはポケットピカチュウ(カラー版)とピカチュウの絵を添えていた。

公園を飛び回っている子どもを観察すれば、カチカチ振り回しているモノがグレー(もしくは旧版であれば黄色)であることは一目瞭然だ。

あるいは、公園の片隅でママ友とお喋りしているときに「うちの子ポケットピカチュウなんかを欲しがるのよねえ」と呟けば、ピカチュウがどれだけ大流行していて、幼児の心を掴んでいたか周りのママ友から聞けたはずだ。

そういえば、我が家ポケモンアニメポケモン同士が戦い合うという暴力的であるため、赤ちゃん(4歳下の妹)には見せられないと言って禁止されていた。

アニメダメなのでグッズも当然ダメといえばダメだったのかもしれない。

3人目は、当時の私だ。

包み紙を開けた時に泣き叫べは良かったのだ。「これじゃない!」と言えば良かったのだ。

親は自分判断が正解だったと思っていたと思う。ピカチュウハローキティになろうが大した問題ではない(むしろ大成功だ)と思ったはずだ。

私は自分気持ちを押し殺してしまった。いい子であろうとしてしまった。

これは30歳を手前にした今もずっと同じだ。親に言われたら「そうかもなあ」と思ってしまう。

2022-05-30

https://anond.hatelabo.jp/20220530143228

増田の言ってること、分かりみが深い。共感する。

俺も酒場で色んな人の話を聴くのが好きだ。色んな人に色んな人生があって、そういうものは興味深い。

しょぼくれたおじさんが昔は一流企業バリバリ企業戦士だったけれど、そのレールから外れた経緯とか、中年女性の語る「今までつきあった男のアブノーマル逸話ベスト10」とか、普通サラリーマンに見える人が若い世界を旅してびっくりした思い出とか、そういうの。

もっと地味な「あそこの酒場は良い」とか、「あのスーパー仕入れ担当は優秀」みたいな小ネタさえ面白い

酒場というのは皆、誰も彼も、少し誰かと話したい。というか、誰かに自分の話を聞いてもらいたいんですよね。だから俺とか増田のような「聞きたい」という人は聞き上手として好かれるのです。多くの人は聞きたいのではなく話したいから。

書籍でそういう色んな人生体験できれば酒場に通わずに済むので、多くの人は小説を読む。そこには嘘の話ではあるけれど、誰か参考にしたモデルがあったりして色んな人生を疑似体験できるから

小説でないものなら岸政彦さんの『東京生活史』なんていうのは、色んな人生を知ることができる稀な本だと思うが、これも岸さんが酒場をお好きなのと関係しているのではないかと思っている。まあ、その分野の専門家からってのが一番でしょうが

増田質問にもお答えしなければいけないな。俺が話したいことばかり書いてもいけない。増田は聞きたいのだから

一例を申し上げると、俺は少しの間だけヤマハ大人音楽教室ヴァイオリンを習っていたのですが、グループレッスンのそこには色んな人がおられました。最初は「ヴァイオリン意外と難しいですよね」みたいな話で仲良くなって、なんでここに通うようになったのかとか、その人の人生譚みたいなのも聞かせてもらえるようになった。これはアルコール抜きで話ができる場所ではないだろうか。でも毎週違う酒場に行って色んな人と出会って話を聞かせてもらうというわけにはいかないですね。メンバーが固定してるかもね。毎週違う楽器を習いに行くわけにも行かないし。

もう一つはボランティア。市のボランティア事務所のようなところに登録しておくと色んなところに行ける。そこで出会う人は様々です。

ボランティア作業をしながら少しずつ仲良くなって、やがてその人がどうやってこの活動に参加したのか、どんな人生を歩んできたのかを話してくれる人もいる。それも興味深い。

ただし、ボランティアに参加している人はやっぱり優しい人が多いんですよ。労力を無償提供してくれるくらいだから土木会社社長みたいな人はいない。社長と名のつく人にボランティアで会ったことはないですね。あいつら自己利益に邁進してるから

まあ、それ以外だと病者の会とかかな。『ファイト・クラブ』って映画であったでしょう?俺は精神障害者だったことがあるので、そういう場所で色んな人の話を聞く機会にも恵まれたけれど。映画みたいに嘘ついて潜入するのは、やめた方がいいかもね。

ぜんぜん違う話で締めくくるけど

冒頭で「分かりみが深い」と書いたんだけど、あれって「分かり身」?「分かり味」?

どっちなの?

2022-02-22

anond:20220222175311

そんなに仕事にかけてどうすんの、昔の企業戦士死語)じゃあるまいし。そこまでやって会社が報いてくれるならいいけどね。

女性仕事活躍できるようになったのは最近のことだから、まだ仕事に過度に理想見出している人が多いのかもしれないなぁとは思った。

2021-11-20

anond:20200727122236

IBM産業スパイ事件を知らんのか?

昔のサラリーマンがどうして企業戦士と呼ばれていたかといえば、本当に軍人だったからに他ならない

2021-09-21

anond:20210921230449

24時間戦って来た企業戦士に「長時間労働についてどう思いますか?」って聞くようなもん

2021-08-23

とんでもない説に気づいてしまった

日本大企業が「城」「国」のようであり、企業戦士はそこのサムライとして働く・・・

そして「国」と「国」の言語として「命をささげる」サムライたち・・・

今気づいたが、これは戦国明治までの魂たちが企業という形で発現しているのではないか・・・

とんでもない説に気づいてしまった・・・

から日本企業効率とかを否定したいのね・・・

まり企業戦士とは、全員が憑かれてると・・・

2021-04-08

昭和サラリーマンって楽な仕事してたくせに偉そうだなと思う

パソコン導入前のオフィスで、仕事って何してんの?

計算電卓と紙とボールペンでしょ

電話だって相手につながらなけりゃ終わりだし

ファイル整理もお茶汲みも女性社員が代わりにやって、

メールもないから直接営業先に移動して仕事してるから、1日があっという間に過ぎる

現代みたいな効率化なんて思考そもそもいから、仕事は足で稼ぐ!とか言って時間無駄にする

昇給ボーナス終身雇用まで保証されて、至れり尽くせり

仕事はめちゃくちゃ楽なのに、家に帰れば家事は全て妻任せ

そんな奴らが「自称 企業戦士

今の若手の仕事量を昭和サラリーマンに与えたらぶっ倒れるんじゃないか

2021-03-11

なぜ日本企業だけ「テレワークによって生産性が落ちる」のか? その根本的な理由って記事読んだけど…


自分が年長または上役なら目の前の人をチェックできる対面の方が仕事効率が高く感じ、年下または下の立場なら小言や「いるだけの仕事」が減るから効率上がる。


「いるだけの仕事」が慢性的存在する職場はね、監視しないと安心できない上役やゴマをすりたい人が仕事の中心にいる証拠なんですよ。

仕事の質が高い低いの評価基準に「上役を安心させる/ゴマをする」みたいな【安心させる】という要素が入ってる証拠

そうなると企業戦士(笑)介護だよね

そういう時に自分けが

介護じゃなくて、中身のある仕事をしたい」

仕事効率を上げるために、あなた安心メンツって重要?」

みたいに振る舞うと…だいたい「いるだけの仕事」がある職場では顰蹙を買う


効率なんか求めてない人の声が大きいから、介護するように求められる。



ごめん、言葉選ばない言い方すると「子守」の方が近いわ。

老人は自分介護しなかったからと言って泣いて駄々こねて攻撃する元気もないし、そこまで人間ができてないわけじゃないから、「子守」の方が正確だわ。

母親向いてる人が仕事向いてるなら…そりゃ出生率増えんよ。職場で子守は金もらえるし


10年以上無職で親から介護されてる人間

この文章を書いていると思うと

書いてる人間のご両親が気の毒すぎて涙が止まらないわ……

2021-02-03

地方で「秀才」と呼ばれた母親が、現代日本の子育てに絶望した理由

子どもの手がある程度離れてから気づいた衝撃的な事実がある。

それは「社会は容易に親に子離れをさせてはくれない」ということだ。「子どもの“成功”は親次第」というプレッシャーハンパない

国内最高峰と言われる大学複数の子どもを入学させた母親育児法(学習時間を捻出するために母親ドライヤーで髪を乾かしてあげると文字で読んだときには仰天した)はメディアでもてはやされるし、天才児の親、成功者の親は幼児期教育法を紹介する。「スマートチャイルド」を育てようと、意識の高い親の多くは必死だ。

受験に特化した塾はますます専門性を高め、合格するために正解に最短距離でたどりつくための効率よい学びを提供する。そして、効率の良い学習法に巡り合えた優秀な子どもたちは、「子ども能力を伸ばす」と評判の人気校に集まっていく。

子ども勉強をし続ける根気があるかどうか親が自信を持てない場合には、経済力によって下駄をはかせる方法もある。私の知人では教育理念にほれ込んだ小学校子ども2人を受験させるために「高級車1台分」の塾費用を払った人、のびのびとした雰囲気学校に通わせるために3人の子もの教育に年間800万円かけていると噂されている人もいる。

子ども人生選択肢を増やすためには、経済力情報収集能力育児リソース実家バックアップ体制など)がモノをいう。

ちなみにこのような傾向は、日本だけに限らない。

「“良い”教育経済力」の構図は、多くの国で顕著になっている。

仮に自分成育歴が育児に影響するのなら、男も女も農作業にいそしむ貧しいムラで適度に放っておかれ、勝手にやりたい勉強を見つけ、先生がすすめてくれた奨学金によって今よりずっと学費の安かった国立大学になんとか進学できた自分は、子どもを放っておく以外の方法を知らない。子どもご飯を与えて抱っこをして体を使って思い切り遊ばせ、今日を無事に終えるための「ケア」はできるが「現代教育の正解」を提供することができない。

学校先生は昔のように「君の偏差値なら、このくらいの学校受験しよう」とはアドバイスしてくれないから、親が主体的学習塾を選び、進路選びをサポートしなければならない。

良い大学に入り、良い会社に入れば、一生安泰だと考えられていた頃には、学歴競争過熱していた時代もある。多くの父親が「企業戦士」に徹する陰で、「教育ママ」が奮闘していた家庭もあっただろう。

一方、現代の「良い教育」とは、子ども自分らしい人生を歩み、人生選択肢を増やすための「生存戦略」という一面がより色濃くなっているようだ。そして、その戦略には金もエネルギーもいる。親と子が一体化して、教育のための情報収集をして、親が子ども鼓舞し、叱咤激励し、共に進路を選んでいく必要性がある。

結果、平等と仲良しが建て前の教室の中で、子どもたちは、見えない競争に常にさらされている。

勉強しろ、と言ったことはない」

「とにかく自主性を大切にしました」

中学受験は、子どもがやりたいと言ったから」

教育メディアで、成功体験とともに頻出する親の言葉だが、はっきりいって、そんなケースはほとんどない。

教育基本法では「教育の機会均等」の条項に「すべての児童生徒に同一の教育を与えることを意味するものではなく、個人差に応じる教育を施すものである」という補足がある。この「個人差」が「経済力の差」「親の意識の差」となっている現実がある。

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