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2018-02-14

(やっぱり)未経験技術屋に未来はない

自分がなってみてつくづくそう思った。

勉強熱心な小学生なら夏休みの宿題として取れてしまうような資格だけを武器技術屋になろうとした。

結果は言うまでもない。

自分だけは大丈夫だ」「俺、技術とか好きだし、多分」「俺はちゃんと職場を選んだから」「ここは大手から信用できる」「研修とかも充実してるらしい」とありがちな死亡フラグ四天王を揃えて地獄へのロイヤルストレートフラッシュを完成させておきながら人生まるごとベッドしていった。

そして、俺は気がついた時、故郷から遠く離れた日本の端っこで社員暮らしを始めていた。

唐突な展開に流されるままに、「きっと大丈夫」を毎日1000回心のなかで唱えるヒットソング歌詞みたいな情景の中で一歩一歩地獄へと続く道を引き返すチャンスを無駄にし続け、地獄へ来た。

いまやっている仕事において技術が身につくことはない。

たとえ身についても、それを活かす機会はない。

一応、技術への理解があれば仕事はやりやすくなる。

というよりも、日々技術を振り回している人間と同程度の知識がなければ、レールの上に転がり落ちた石ころにしかならない。

俺は何でここにいるのかと毎日考える。

自分と同じように、何か大手なら大丈夫だろうと思ってやってきた人間絶望新人研修で何度も聞いた。

アリバイ作りにもならない新人研修目的は、この会社のヤバさを感じてから逃げ出そうという理性が働く間の時間合宿場に閉じ込めることで、超高熱で茹でガエルを調理し終えるためだったのだと今なら理解できる。

あの研修の最大の成果は、誰もの心に残った「この会社ヤバイ」と「でも、今更やめても経歴に傷がついちゃってるし……」というセルフダブルバインドによる無間地獄であった。

この呪いは大変よく機能しているらしく、実際自分も「ここに長く居てはいけない」という焦燥と「だけど何も手にせずここから出たらそれこそ次はもっと辛い地獄に行くぞ」という確信に日々振り回されている。

やはり、未経験人間技術屋を目指してはいけないのだ。

初歩の資格を取ってすぐにその仕事についてはいけないのだ。

運転免許を取ってすぐに、中型免許無しでギリギリ乗れる大きさの車両なら乗り回せますと言い張って運送業界に潜り込んでも不幸しか待っていないのだ。

まずは、実際に自分で手を動かしてみて、合う合わないをよく考えて、それから、実際に手を動かしたことがある人間でなければくぐれない正しい門を通ってその業界へと入るべきなのだ

技術なしで入れる技術屋に未来はない。

そこは根性論と非効率サービス残業と足の引っ張り合いと尊敬できない先人達明日の見えない毎日けが待っている。

輝かしい未来はそこにはない。

そんな事もっと早く気づけばよかった。

2018-02-12

社会貢献とやらについて考えた

募金ボランティアをやる人が、もっと増えるといいのに、と思う。

日本人社会貢献意識が薄いのは、単純に「周りのみんながやっていないから」だろう。

人は、みんながやっていることは簡単にやるのに、みんながやらないことは簡単に出来ない。当たり前だけど。

これはやるべきか否かという選択自分の手から離して、集団に任せてしまった方が基本的に楽だからだ。この判断善悪とは全く関係がない。

例えば、「殺人を犯すべきではない」というのは、”一般的に人は人を殺さないから、自分他人を殺さない”そんなマインドが実は根底にある。

逆に言えば、それが犯罪であっても、周りの人がみんなやっていれば、多くの人は流されてやるのだ。そんなことが膨らんで起きた凄惨事件がたくさんあったことは言うまでもない。

個人自我は人が想像するよりもずっと弱くて、その選択は多くの場で集団に左右される。だからこそ、社会的空気が変われば、きっともっと皆が自然募金ボランティアをして、遠い他人支援するのが当たり前の世界にもなるのにな、と思う。

そういえばたまに、「偽善である」という理由だけでボランティア全否定する人がいるけれど、「偽善であるからやらない」というのは理屈としてはおかしい。

感情として、”私は私のためだけに生きていきたいから、他人お金や労力なんて割かないよ”というのであれば、「私には時間お金がありません」で良いのだ。つまり偽善であるからやめなさい、とはならない。

しかし実際はそうではなくて、おそらく偽善者嫌いの人たちは、「自分は格好をつけない正直ものである」と言いたいのだろう。だけど実際人って気づかないところでたくさん見栄を切っているのではないか

それが人間なのだから、仮にボランティアという行為に格好をつけた部分があるとしても、いずれにしても放っておけばいい、のに。

そもそも募金ボランティアというのは、基本的には「弱者支援」だ。それは皆が受けてきたもの、受けるであろうものであることを忘れている人も多い。

どういうことか。

最初から大人だった人はいない。人間は誰しも最初子どもからスタートする。

子ども弱者典型だ。誰かが衣食住を与えなければ、大人にはならない。子育てとは一般的に、親から子に無償で与えられる支援のことを指すのだ。

また運が良くおじいさんおばあさんまで生きられた人は、言わずもがな介護を受ける。これも多くの人が「弱者支援」の当事者になる可能性を持っている。

介護貨幣を介しているなら、支援ではなくサービスだろう」と、そんなことを言うのであれば、その人はインフラにも同じことを言えるのか、と思う。

お金で今の生活が全部手に入ると思ったら大間違いだ。お金で何でも手に入るようになったのは、今の生活基盤、経済システムが作り上げられたおかげだろう。

支援や贈与というのは、貨幣経済の前提にある概念であり、否定対立するものではない。

なんでも貨幣解決する、というのは大きな間違いだろう。人はスマホがなくても生きられるけれど、水がなくては生きられないし。

そういう点で、「弱者支援」は根本的に私たち生活を持続させる上で欠かせないものなのだ

弱い人を切り捨てていく集団は、最後の独りになるまでそれを許せない。このあたり内田樹先生が確か良く言っていたな。

ちょっと大きな話になってきたけれど、今現在必要支援ギリギリで支えている(支えられていないところもある)のが公的セーフティネットであり、それを動かすための税金だ。

ところが大抵の人にとって納税は「メシの食い上げ」であり、節税はやれる分だけやる方が良いものだ。だから故郷でも無い自治体納税をして、税金無駄遣いという言葉に異常に反応をする。

実際に税金が遣われている大部分は、目に見えないもの、実感を持ちづらいものだ。その必要の是非は検討すべきことだけれど、そもそも税金無駄遣いと、自分納税をする、という問題は別である

無駄遣いされる税金なら払わない!」という発想はごく簡単に「自分だけ得したい」に変わり、「自分が使わないサービスはいらない」という発想になる。

具体的には、自分の納めた税によって自分のために何がなされたか、ではなく、社会のために何がなされたか、という視点で考えると、納税感も少し変わるのではないか

話が転じてきたけれど、つまり納税社会貢献である、ということを多くの人は忘れているのではないか納税は、政府にただ取られる、無駄遣いされるお金ではなく、社会を持続可能性を少しでも上げるためのお金だと冷静にとらえ直すべきだろう。その点は、多く納税をしている人は誇りに思ったっていいはずだ。

ここまで何がいいたいか、というと、自分のために100中100の意識を持つのではなくて、1でもいいか弱者社会のために意識を向ける、それが当たり前になればいいのにな、ということだ。

0と1の差は、私の感覚では1と100の差である99よりも大きい。なぜなら、1が100人いれば100になるからだ。

人は1人では生きられないんだな、という気持ちがあると、生きていくのも少しずつ楽になっていくだろうに。

さぁ帰りにコンビニでお釣り募金するか、街頭でおっさんからビッグイシューを買うか、次の連休をどうするか、知らん人のために何が出来るか考えるか、

2018-02-05

なぜ沖縄県人は安全本州引越さないのか?

謎だ。

沖縄県には在日米軍基地があって、米兵による日本人住民女性レイプ事件が多発している。

米兵基地に逃げ込めば、日本警察逮捕できないことを知っている。=確信犯

 

俺だったら、危険な沖縄は離れて、米軍基地が少ない本州かに移住するけど、なんで引越さないんだろ?

俺は、親の仕事関係であちこち引越ししてるから別に郷土愛というか、特定場所に縛られる意識がない。

まれ故郷には、ときどき帰省すればいいだけ。

 

なんで沖縄じゃなきゃダメなの?

ときどき沖縄に帰るんじゃダメなの?

謎だ。

2018-02-03

神奈川横浜の某鉄道おじに捧ぐ

「まだ日本にこんな野郎がいたのか…」

若者の車・二輪嫌い神話崩壊してから6年…。

不良の人口減少による慢性的要因に自然災害が止めを刺したというもの

日本韓国台湾と並ぶ車社会となった。

ちょっとでも車社会を疑えばすぐに炎上対象になり、

それに対して報復するという泥試合が各所で繰り広げられていた。

車・二輪嫌いにとっての最後楽園である関東地方」も、かつてのそのなりを潜め、

今では故郷国籍もわからないような人間歩道を埋め尽くす毎日である

しかし、このような人間が健常者としてこの世を生きている事実を目の当たりにし、

われわれは不快感よりも一種の感動を禁じえなかった。

現実に縛られない自由精神の持ち主がまだいるんだ」

まだまだ日本人も捨てたものではない…。

われわれは、高山直人の若さ故の言動に敬意と畏怖を感じた。

今ここに尊敬の念をもって、高山直人に「孤高の老害」の称号を贈ろう。

2018-01-29

最後のお泊まり

今日祖母の家に、ほぼ10年ぶりに

そして最後のお泊まりに来ています

小学生から高校生あいだ、夏休み冬休み春休み祖母の家によく泊まりに行っていました。

社会人になる直前、高校卒業する頃にも祖母の家に泊まり

祖母祖母と仲良しのおじさんと3人でご飯を食べに行ったのを覚えています

社会人になってから仕事が忙しく泊まりに行けず

祖母と仲良しのおじさんも連絡が取れなくなり

数年後、そのおじさんの故郷のかたから連絡があって

おじさんが亡くなってしまたことを知らされました。

それから祖母は少しずつ認知症が進んでいきました。。。

6年前からデイサービスを週に数日間利用することになり落ち着いてきたと思っていましたが

ある日、少し離れたコンビニの方から連絡があり

夜遅くに一人で歩いていたので保護してくれたとのことでした。

いわゆる徘徊と呼ばれることだと思います

事態を重く見て、老人ホーム的なところで住み込みで面倒を見てもらうことになりました。

それが、3年近く前のお話です。

月に1~2回ほど顔を出して、少し会話をしたり

施設のなかの催し物に一緒に参加させてもらったりしました。

施設には他の入居者のかたもいて、仲良く話す祖母の姿を見て安心していました。

一昨年の夏のことです。

祖母体調不良を訴えて、入院することになったと連絡がありました。

検査の結果、ガンを患っていることがわかりました。

体調不良の原因はガンが悪さをして、ある器官の動きを妨げているというものです。

また、高齢であることもあり、ガンの治療はかなり難しいと先生から言われました。

そのためガンの治療ではなく、問題のある部分に対して暫定的処置をするという形をとりました。

それから現在まで何度も入退院を繰り返していました。

ガンの転移もあり、たくさん苦しい思いをしていたんだと思います

それでも祖母は見舞いに行けば必ず笑顔で接してくれて

私や家族名前を忘れてしまっても、自分の子供や孫が来たことを認識して、喜んでくれて

いつも窓から見える景色のことを嬉しそうに話してくれました。

また、昨年末退院して施設にいたのですが

施設で行われていたクリスマスパーティーにも参加して

皆と一緒に歌を歌ったり、ケーキを少し食べたり

信じられないくら回復していて

本当に嬉しかったです。

退院まえには先生から『ハッキリとは言えないが、年明けくらいまでの命となるかもしれません』と言われていましたが

そんなことを感じさせないくらい、祖母は元気でした。

病院としては、ガン治療はしない以上

それ以外で問題のある症状が落ち着いたら、施設に戻す流れをとっていました

やがて年が明けて、誕生日も迎えて…。

施設に行ったら、祖母は部屋でひとり、布団をかぶっていました。

あの日は寒かったので、布団を被っていたのかな?と思って聞いてみたら

『そんなことはないわよ~』と答えて

母が、じゃあ顔を見てもいい?と聞いたら

『どうぞ~』と言っていて

顔を見たらいつも通り元気そうでしたが、少し熱っぽかったのを覚えています

その翌週、施設から電話がありました。

祖母が体調を崩し、入院をしたとのことです。

症状としては前回と同じだけれど、もう体力がかなり衰退してしまっているとのこと。

お見舞いに何度か行ったけれど

いつも眠っているか、起きれても会話が交わせない状態でした。

ある日、お見舞いに来た直後に

一般の病室からICUに移動する旨を看護師さんから告げられて

その時点で私は涙が止まりませんでした。

その後、母や兄と交代して家に戻って、父の身の回りのことをしたり…。

夕方ごろ、病院にいる母から連絡があり、そろそろ危ないかもと 言われて父をつれて病院に行き…。

午前中は少し苦しそうだった祖母でしたが、夕方には眠っているかのごとく少しずつ呼吸をしていました。

そして、夜も遅くなり、皆で病院に泊まるわけにもいか

母のみ残り、家に戻って少ししてから祖母他界した旨の連絡をもらいました。

今思えば、最後に交わした会話がお布団にくるまってるときの会話なのですが

とても穏やかな語り口だったのが忘れられません。

祖母は、病院から祖母の家に戻りました。

ほぼ3年ぶりの帰宅です。

葬儀のために斎場に行ってしまうまでのあいだ、日替わりで家族が来て、お線香を絶やさないようにして過ごしています

今日は、私の番です。

祖母ゆっくり過ごせる最後時間です。

葬儀が終わったら、部屋の整理をして退去の手続きをしなければいせません。

そういう意味でも、祖母の家での最後のお泊まりです。

祖母の家のお手洗いにカレンダーがありましたが

施設に入ることになった3年前のままでした。

そして、家のいたるところに私やほかの人が贈った、旅行等々のお土産を大切に飾ってくれていることを知りました。

20年前、一緒に熱海に行った時におそろいで買った人形があったり。

また、私が祖母に送った手紙(運動会に来てね!というお知らせと、ポケモンたまごっちイラスト)も残っていました。

私も送っていたことをすっかり忘れてしまっていましたが

取っておいてくれた祖母の優しさが心にしみます

祖母からは、小さい頃からたくさん愛情を注いでもらいました。

私は何も恩返しできなくて、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。

祖母の棺のある部屋の隣の部屋で寝てもいいよーと言われましたが

同じ部屋で、隣で眠っていたいので、隣に布団を敷きました。

前に泊まったときだって祖母の隣に布団をしいて眠っていましたから。

この半年くらいは

ほぼ毎週祖母に会いに行ったり、郵便物代理で受取りに行ったりしていましたが

葬儀が終わったら、もうぱったり、そういうことも出来なくなる(する必要がなくなる)んだと考えると

虚無感というか、喪失感というか…。

とにかく寂しいです。

とは言え、祖母は今までたくさん苦しい思いをしながらも

精一杯頑張って毎日を過ごしていて

その苦しみから解放されたという解釈もできます

不慮の事故災害などによる突然のお別れではなかったことも

ある意味幸せひとつなのかもしれません。

天寿を全うできたのだと思います

これから祖母は、目の前には現れてくれませんが

天国からいつまでも見守ってくれて、心のなかで会話が出来るのだと考えることにします。

寂しい気持ちは、時間をかけて癒していきます

おばあちゃん、今まで本当にありがとう

今日は久しぶりに泊まりにきたから、二人でゆっくり過ごそうね。

おやすみなさい。

2018-01-26

故郷の県では通り魔事件が起きて、襲われた老人が亡くなったらしい

さて若者歩いてるだけで怖いから老人だけの街よこせつったらこんな騒ぎになるだろうかと思った

anond:20180126030835

増田です。説明が不足していて申し訳ないのですが、ヤンキー層はヤンキー生き方があっていいと思うし、否定するつもりはないです。ただ、ヤンキー層に自分たち理解してもらった故郷にはすすんで帰りたくないよねって話にはなりました。

文化資本がないか田舎に戻りたくない

私は東北田舎出身で、高校偏差値65くらいの進学校大学マーチくらいのとこに落ち着いた。現在東京大学院に進学して、研究をしている。客観的に見て、めちゃくちゃ勉強できるわけではないが、そこそこできるくらいな感じだろう。

この間、同郷の友人と4年ぶりに再会した。この友人とは中学高校と同じ学校だった。

当時の話で盛り上がるのだが、2人で強く共感しあった話があった。

それは、文化資本がないか田舎には戻りたくないという話だ。

私たち田舎ヤンキーばかりの中学では勉強ができる方だったが、勉強ができることをなじられることも多かった。教室勉強していると、雑巾を投げつけられたり、試験で上位に入ると「ガリ勉」「オタク」と陰口を言われてきた。また、勉強以外にも、美術部や書道部に入っている子は問答無用ネクラ扱いされる環境だった。

「どうしてそこそこ勉強できることに価値を認めてもらえなかったのだろう」なんて話し合ってるうちに、私たち故郷は、美術館博物館等々の施設習い事選択肢など、文化資本が乏しいからじゃないかという話になった。

それ故、都会の子どもが当たり前に触れている美術品や文学学問なんかが、田舎ヤンキーにはガリ勉オタク趣味揶揄されてしまうのではないだろうか。理解がされず、「真面目」扱いされてしまう。

進学校に行って、似たような子が集まる環境でこそ学問文学芸術価値を見出すことに共感してもらえるようになったけど、中学同級生とは未だに話が合わない。容姿がいいことやノリが合うことにばかり価値がおかれる中学ときよりも、高校大学の方が生きやすかったのは、自分たちが認められたからじゃないだろうか。

どちらが優れていると結論を出せる話ではないが、少なくとも私たちには田舎の何もない空間は物足りなかった。都会の人には自然があって羨ましいと言われるが、自然しかないことが苦痛な人もいるのだ。

そして、偏見も入るかもしれないが、偏差値の高い層ほど、家庭などでの文化資本も高く、人間の多様さへの理解はあると思う。ヤンキーばかりの空間と、そこそこ安定している高校大学で、何が違ったかを線引きをするのならこの観点かなと感じたので。

それまでは、自分田舎ちょっと勉強できただけで、無意識他者を見下していると罪悪感をもっていた。でも、同郷の友人と話して、初めてこの感覚を分かり合える人を見つけてとても救われた気がした。

2018-01-22

anond:20180122170215

1 名前キジトラ(dion軍) 投稿日:2012/07/03(火) 05:06:04 ID:RzFCOfa+0

アフリカ産のうなぎを初輸入

7月3日 4時52分

うなぎは近年、稚魚が減り供給量が激減していますが、消費が増える夏を迎え、量が豊富アフリカ産を

輸入する新たな動きが出始め、関係者は、安定供給にめどが立つのではないかと期待しています

うなぎは近年、稚魚の極端な不漁が続き、日本鰻(うなぎ輸入組合によりますと、供給量は最盛期の

20分の1に激減しています。こうした状況を受け、消費が増える夏を迎えて、静岡県浜松市の卸業者

先月下旬アフリカマダガスカル産食用うなぎの輸入に踏み切りました。

また、東京業者も、今週中にもマダガスカルからうなぎを輸入する予定です。

組合によりますと、これまで輸入の実績があるヨーロッパ産やオーストラリア産は出荷に制限がかけられ、

稚魚豊富で量が確保できるアフリカ産が注目されるようになったということで、日本への輸入は

初めてだということです。

アフリカ産は、現在、高騰が続いている日本うなぎの6割ほどの価格流通可能だということで、

つの業者は、味や調理のしやすさを確認して、問題がなければ流通に乗せることにしています

浜松うなぎ販売組合加茂仙一郎副組合長は「この夏、うなぎ提供できるか不安があったが、

これで安定供給にめどが立つのではないか」と話しています

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120703/k10013283161000.html

http://www.gurum.biz/archives/67590131.html

既に人類故郷ことアフリカから輸入してたと言う

2018-01-20

在日外国人はヤベーのが多いって本当なんだな

俺はネット始めた頃にこれを聞いてその後1年ぐらい現実世界で「韓国人やべぇ……」と言い続けた苦い過去がある。

今でも時折、同じような病にかかりたての人を見ることがある。

かい目で見守りながら「そうだったんですか!」「へぇ~~」と若干賛同してるけどあまり本気にしすぎては居ない感のある解答をする事にしてやっている。

賛同されすぎても『ネットDE真実を知ったお前らより少し上の俺』という感覚が薄れそうで可愛そうだし、否定されても困るだろうし、下手に質問されてネット仕入れ知識の外に出てこられても困るだろうと考えて、この当たり障りのない解答をすることにしたのだ。

そんな日々を乗り越えているうちに、最初ネット新自慢に羅患してから結構な年月が経ったわけだ。

そして今あらためて思うのは、日本にいる外国人立場を考えれば、ヤバい人間割合日本人より多くなるのは当然なのではないかということだ。

母国語と違う言葉を使う人間ばかりがいる国で暮らしている人。

奴隷のような待遇労働をさせられている人。

故郷への仕送りのことで頭が一杯で自分生活ギリギリな人。

諸々の事情で他の国から逃げるようにやってきた人とその子孫。

日本にいる外国人の多くは、普通の枠組みから外れた立場に立たされている。

その足場は不安定であり、いつセーフティーネットの向こう側に転げ落ちていくとも分からない。

そんな人間たちの中から犯罪を犯す人間が現れやすくなるのは当然だ。

犯罪基本的コスパが悪いので豊かでありさえすれば犯罪なんかに手を染めない人間多数派であろう(豊かであっても犯罪をやる人間や、豊かゆえに犯罪コスパがよくなってしまっている人種もいるが、それは流石に少数派だと信じたい)。

立場の弱い人間に居場所を作るには国全体に余裕がいる(モラルもだが)。

この国にはそこまでの余裕はない(モラルもだ)。

から場所をなくした人間たちは、真っ当な方法では手に入らない居場所を手に入れるために非合法手段を使う。

在日外国人の多くは、日本における立場の弱さからどうしてもそういったインセンティブが高まってしまう。

在日外国人ヤバい奴が多いのは当然なんだ。

なぜなら、この国は彼らに犯罪なんかに関わりたくないと強く感じさせられるほどの居場所提供できていないのだから

2018-01-17

今、雰囲気アニメが熱い

ストーリー不要の話があったが

ここ数年、ストーリー性の薄い雰囲気アニメがすごく良い感じだと思う

 

雰囲気アニメ? 薄味アニメ? 癒やしアニメ? 難民アニメ? ゆるアニメ? 名前はどれでもいいしどれも違う気がするが

重厚ストーリー、バトル、恋愛ギャグなんかより場の雰囲気を重視した作品

からかにあったと思う

よく引き合いに出されるのはアリアあたりか?ヨコハマ買い出し紀行とかもあがるな

※薄いという表現が正しいのかはよく分からないが

 無言で派手な動きもないシーンが10秒続くのが普通に起こり得るような「静」の作品

 

正直昔はああいう「何も起こらない」作品が大嫌いだった

味の無いガムを噛んでるような感じで、耐え難い苦痛だった

見終わってから「何も起こらなかった」「どこを見ていいかからなかった」「事件はまだか」「いつ殺人が起こるんだ」という感想を抱いた

何か始まりイベントが起こるまでは全部退屈なプロローグだと思っていた

でもそれがいつからか、好きなジャンルになっていたんだ

 

明確に何かがオカシイと気づいたのは、ふらいぐうぃっち(2016)あたりだ

舞台故郷だったので見たが、あまりの薄さにおったまげた

コンビニで高いミネラルウォーターを見たときのような衝撃だ

開始10分でこりゃダメじゃねーかと思ったんだが、結局最後まで見てとても面白かった

そのあと5周くらいした

あのアニメは恐ろしい

ラブコメがない、強いギャグも強いストーリーもない、百合もない、テコ入れすらない(風呂水着回がない!)

キャラクターと、背景と、雰囲気と懐かしさと、あと何かよくわからない力で構成されている

 

思い返すと雰囲気アニメの流れは確かにあった、きらら枠だ

あれでだいぶ薄味に慣れてしまったのだと思う

ご注文はうさぎですか?(2014)や、のんのんびより(2013)のように、普通アニメよりは薄味だけど面白いものが増えたんだ

この4コマゆるゆる漫画アニメ系譜を遡れば、ゆゆ式(2013)、けいおん(2009)、ひだまりスケッチ(2007)、個人的にはその手前にあずまんが大王(2002)を置きたいんだが

どうも年々薄くなっていってる気がしてならない

まるでどこまで薄くできるか試してるみたいだ

そして自分でも驚くほど薄いアニメがとても面白い

 

おそらくああ言う作品は引き算なんだと思う(※食戟のソーマパクリ

強い要素、びっくりする要素を引いていった結果、今まで注目してこなかった味を強烈に放つのだろう

そういう意味ではどこまで引いて面白くできるかというチャレンジなのかもしれない

あと、変な話だが重厚なほど見るのが億劫になるというのもあるかも

刺激が強すぎない分、何度も繰り返し見たくなる

(単に年を取ったからと言えばそれまでなんだけど・・・

 

とは言えそういう作品をちゃんと仕上げるのは容易なことではないはず

中の人たちが頑張って、ようやくそういう作品が作れる時代になったのではないかと思う

未だに毎期驚きに満ちていてヲタとして幸せ

 

嬉しいことに、そう言った潮流のいい面を取り込みつつ(?)、ちゃんとストーリーやバトルも組み込んでいる作品も増えている

雰囲気"も"素晴らしいアニメに仕上がってるんだ

これはたぶん、原作側が変わったというよりアニメ制作の方が進化したんじゃないかな。15年前じゃ中々実現が難しかった気がする

直近で言えば、宝石の国(2017)、少女終末旅行(2017)、メイドインアビス(2017)などなど

(※ここにけものフレンズを入れたいんだけど、けもフレは更にその上を行く化物フレンズから別枠かもしれない・・・

 

今期も眺めてみると薄いのに面白いのがたくさんある

一番注目してるのはゆるキャン△(2018)だ

あれも薄さがヤバイ

キャンプ場行って、テント立てて、山を眺めて・・・

あの薄さはふらいんぐうぃっちに迫る勢いがあるが、やっぱり何故か面白い、何度も見てしま

 

元増田がなろう系を「日記」と称していたが、まさにそうで

キャラクターと一緒に何かするという共感覚面白いのかもしれない

たぶん実際に一人でキャンプしても楽しくない

最近バーチャルYoutuberなんかも流行りだが、魅力的なキャラクターと一緒に何かするのは楽しいんだ

それがアニメになって面白いのだとしたら、それは新しいストーリー設計スタイルなのではないかと思う

(とは言っても、友人にこういうアニメを見せると「何、どこを見ればいいの?」って言ってくるから、人は選びそうなんだよね)

 

追記

薄いというのに語弊があるのは分かってる、けど良い意味で薄いというのは推したい

昔は必須と思われた構成要素や、分かりやす表現が少ないという意味

(静重視の作品とか、間重視の作品でもいいけど)

難度が高いのは確かだと思う、眉が数ミリ違うだけで意味が変わってしまうのをコントロールしてんだ

意識の外にある情報量が多いんだと思う

間や音楽、光加減、表情、声、色々噛み合って初めてキャラ感情場の空気が察せる

派手じゃないからこそ察せたときに嬉しいんだと思う(好きになっちゃって、難民化する)

今だからこそできるすごい技だよ、何であんなの作れるのかわからん

 

これ以上は私の言語能力が足りない

誰かゆゆ式説明してほしい

 

 

アビス宝石は、もちろんきらら枠とは違うよ

バトルあるし、ストーリーも強い

ただ、明らかに「それがなくとも面白い」って感じた

静の作品と同じ魅力を感じたんだ

10年以上前、バトルがあるアニメのバトルがない回で「はずれ回」って言う人が居たんだ

自分はそこまでじゃなかったが、ストーリーに進展がないと「はずれ回」って思ってた

でも、あの頃とは何かが変わったと思う

全シーンが好きなんだよね

2018-01-10

anond:20180110165640

インチキネット右翼は少し黙ったほうがいい

故郷沖縄?なぜ?日本旅行?は?沖縄に行ったことも沖縄からたこともない。

そうやってお前はどこにいるかを探って殺そうとしてるんだろ。安倍総理自民党命令でまた殺害か。

神奈川県座間市のように切断殺害か。

ふざけるな

anond:20180109225328

東京から故郷に貢献するためのWAONだろうに

いや、元々は地元民が地元応援するためのものだよ。

最初はそれぞれその地域しか売ってなかったし。

2018-01-09

ご当地WAON

東京まれ東京育ちだけど、両親の実家には思い入れがあって、ふるさと納税とかで応援したいっていう気持ちがある。

半年ぐらい前にご当地WAONっていうのを知って、これなら気軽にできそうと思って、カードデザイン可愛いし、WAONを持っていなかったことも後押しして作ってみようと思った。

でも、どこのミニストップに行っても扱ってない。

店員曰く、イオンのみでの取り扱いらしい。

イオンなんて、自宅から徒歩圏内にないし、通勤圏内にもない。

郊外しかないイオンに、ご当地WAONが置いてあるのはどういうことなのだろうか。

東京から故郷に貢献するためのWAONだろうに、こういうのはなんというか、無意味なのではないだろうか。

ここ半年、ずーっとイオンに訪れる機会を伺っているが、一向にない。

そもそもイオンなんて人生で1度か2度しか入ったことない。

ミニストップに置けばいくらでもチャンスは有るのに…と思ってしまった。

2018-01-07

我々はあそこでキッチンを奪えずに故郷に敗北した

今目の前に広がるのは同じく場末キッチンである

はぁ

2018-01-06

アル、いいかい?よく聞いてくれ

この包みの奥底には俺……またの名を“絶対零度の魔弾”の証言を収めたテープ証拠の品が入って封印されている。

この痛み、アンナの痛み…コロニー核ミサイルターゲット・・・それが、アイツの最後の言葉になった訳を知る限りしゃべった。

もし俺が死んだらこれを警察に届けて戴いてゆくぞ。

大人真実(トゥルシズム)だと信じてくれたらこコロニーは救われる……そして、やがては暗黒の大地に君臨すると思う。

俺を…慕っている、だって……?が直接ポポポ-ポリスmen-に自首しようとも預言書を信じたんだが、何て語り継がれるか、そうするのは逃げるみたいに予見えて、ここで戦うのを止めると自分自分だけの楽園でなくなる………と預言書にも記されているような(暗黙と閑寂)

連邦が憎いとか…これは異界≪ビヨンドに生きる者達の物語の始まりにすぎない…、エリートソルジャーものエネミーを討ちたいなどという詠唱するんならばないんだ。

神の導きのままに世界の記録<アカシックレコード>の履歴ログ>えないけど、アルマギアと…刹那・F・セイエイと――人類最後まで戦ってみたくなったんだ。

余がソルジャーだ…預言書にはそうあるからなのか …貴様故郷は私が滅ぼした。嘆きの種〈グリーフシード〉はもう一人の「友」――魔導院による最新の研究データによれば星の瞬きに呼応するように分からない。

アル、俺は多分『円環の理』に導かれるだろうがその黒いフードの男魔法ユニオンソルジャーズの帝国騎士機械の体を依代とした72の『悪魔達』のパイロットを恨んだりし破滅を招くでくんな。光の戦士たちだって、俺と同じだと……? フン、穢らわしいッ!!!で我が魂の宿りし器がやる業〈カルマ〉を有すだと幻想(おも)った「アギト」をやってるだけ――ただそれだけなんだ。

こんな呪文では勝ち目がないかもしれないけど他人を恨んだり己のことを責めたりしないでくれ。これ程の使い手は俺のアルティマニア・ファイナリウムの神の思し召しだ。

もし運良く生き延びて戦争が”魔法”は解けたらさ、…どこに逃げようとも、必ずこのコロニーに帰って……お前にも、いつかわかる時がくるよ。会いに来る。約束だ。

これでお別れだ。じゃあなアル。内なる魂からの咆哮で暮らせよ。クリスによろしくな

2018-01-04

帰省してきた

帰省したら、今まで一人暮らししていたこ一年半の時間がなかったかのように、むしろこれまでずっと実家暮らしを続けていたかのように私はあの空間に収まっていた。故郷というのは自分の帰るべきところなんだなあと実感した。

2018-01-03

現代における地方存在意義

ここ2年位、定期的に考えてる

集落というものは、基本的仕事があるからまれ

農村鉱山工業地帯、学都、観光地、どこかの都市ベッドタウン

今の地方だって大体そうだった

しかし、地域で完結していた産業がどんどん消え、企業が国レベル世界レベルとなっていった

今やほとんどの地方が、その地方である必要がない

支柱を失って側だけ残ったような感じだ

人がいれば産業は生まれる、そう考えたいがそれは昔の話

今は国単位世界単位で戦わなければならない

その上有能な人材の多くが東京へ取られてしま

新たに産業を興すのは至難の業

もちろん全地方がそうではないが、多くの地方はもはや「そこに人が居る」以上の存在意義がない

 

産業仕事が国・世界レベルから地方レベルに戻ることはもう無いだろう

後戻りはない、今後もっと地方ゾンビのようになる

「そこじゃないとできない」よりも「どこでもできる」方が有利なように

戦っていけば自ずとそうなってしまう、それはどの国でも同じだと思う

 

それでも「そこに人が居る」だけで何らかの意味を持たせられるのか

(例えば「仕事」を中心としない時代を作ることができるか)

あるいはそれを諦め、人がより固まって住む未来を目指すべきなのか

そんな大移動、そもそも可能なのか

はたまた地方地方として復活する目はあるのか(つまり地方密着で新たな産業を作れるのか)

そこら辺がよく分からない

というか、よく分からないのを受け入れないまま「地方創生」が先行している気がする

 

長い目で見れば人は生きるために、いろんな場所に移り住んできた

特別な話ではない、とは思うのだが、そんな割り切れる話でもないか

 

__

 

ちなみに何でこれを考えているかと言えば、故郷地場産業が少ないからだ

それなのに、チェーン店がどんどん増えてくるのを見ると、一体この地方は何のためにここにあるんだろうと気になった

でもそんな故郷でさえ、周りの町村からは栄えていると見られているのが何かもうアレだ

これが例えば東京から車で1時間とかならまだいいんだが、生憎新幹線で数時間距離

親はそのうち帰ってくることを期待しているようだが、故郷仕事はもちろんないし、そこまでして帰る理由が無い

いっそ完全リモート仕事ができれば良いのかもしれないが・・・国全体でそんなことができる世界は一体何年後だろう?

ただ、オリオン座は遠くて

学生時代のお友人と居酒屋で飲んだ。

あれこれと話は弾み、会社愚痴へ。

愚痴は救いようがない、空気は暗くなる。

話題は代わり、友人は本を読んでみたいから良書を紹介いしてほしいと私に頼んだ。

私は酔いに任せて、私の人生に感銘を与えた三冊の本について説明した。あまりの熱さに息継ぎも忘れるほどだった。

ちょっとは話しすぎたかと思い、申し訳無さそうに友人の目を見ると友人は笑顔で頷いていた。

「おまえが、そうやって楽しそうに本の話をするのって、ほんと好きなんだよ」

と友人は言った。私はハッとした。仕事疲弊し、意識は埋没し、職場の恨みぶしと上司への怨念で埋め尽くされた私の心が正月の空みたいにパッと晴れた。

まだ、心も立場自由だった学生時代気持ちがフッと戻った。

そして私が本を読む理由は、ただ眼の前に広がる日常の外側を知りたかっただけなんだと思い出した。

仕事という有り触れた日常のその外を知りたい。

立場学生から社会人に変わってもこの日常という檻の外側を見つめる瞳だけは曇らせたくない。

ほろ酔い帰宅しながら、宇宙を見上げた。天高くオリオン座が輝いていた。

田舎職場で見るオリオン座は大きく明るく感じたのに、故郷の街でみるとそれはとても小さく感じられた。

2018-01-02

故郷Wikipediaアマチュア歴史家に好き放題書かれている

誰も修正しないまま1年が経った。

1人の人物周辺地域Wikipedia編集しているようだ。

人口の多い項目はすぐ修正が入るが自分地域は誰も見ていないのだ。

故郷アニメコラボしてた

地元に戻ったら地元アニメコラボしてた。

マジカ(´・ω・`)

タカ(´・ω・`)

こないだも別のアニメコラボしてたろ

なんでお前らすぐアニメと仲良しこよしだよ

地元電車乗ろうとしたらアナウンスアニメ声から、あーこれはーと思ったらやっぱりかよ

ほんとすぐ聖地になるなアニメ化界のビッチかよ

アニメ化ビッチかよ

2017-12-27

満員電車って単語

満員電車」って単語を見ると、なぜか故郷阪堺電車を思い出す。

あの路線が満員になるってちょっとあり得ないんだけど、なぜかあの電車が頭の中に浮かんでくる。

住吉神社参りぐらいしかそんな場面はないと思うんだけどな。

そういや「神と和解せよ」系の看板を初めて見たのもあの辺りだった。

信頼できる異性の大人って大事じゃね?

当方女で、自分父親がそれなりにきちんとした人だったことをありがたいと思った話をする。

父親自分勉強する人だった。

仕事必要はないけど、株価に詳しかったり経済的知識がしっかりあったり、正しいと思ったことはきちんと実行していく人だった。

仕事人間だったのが、配属された仕事の中で家事子育て大事だと気付き、ものすごくよく遊んでくれた。

とても好きだった。

私は父親がそういう人でなかったら男性不信になっていたかもしれない。

小学校では男子は口汚くひどいことを言ってくる嫌なやつばかりだった。

まあ小学生なんてそんなもんだろうけどな。

でも傷つけられるばかりだったからいい思い出とかないよな。

中学校では男子ほとんど関わらなかった。

喪女部活読書ばかりしていたから。

高校では帰り道に変質者に遭遇して体を触られた。

恐ろしくて誰にも言えなかった。

大学では男子はみなチャラかった。

ちょっと仲良くなった男子は、自分がされた親から虐待じみた体験をなぜか得意気に語り、酔っ払うと暴れて手がつけられなかった。

この時点で自分に近づいてくる男子はろくなのがいないということに気付いた。

自分からいった男子にはことごとく彼女がいたり振られたりした。

自分に近づく男子は人を傷つける人ばかりだった。

漠然自分の子供がもちたいと思っていたので、そのためには結婚する必要があるよなーとは考えていたが、ろくでもない男子結婚するくらいなら一人で生きる方が絶対楽だと気付いた。

なので結婚は本当に一緒にやっていけそうならしてもいいけど、そんな人とは出会わんかもしれんしDV男を先に見破れんかもしれんから、とにかく結婚しようとしまいと子供がいようといまいと続けられる仕事に就くことにして就活をした。

この頃地元の近所のお姉さんから、直に離婚の話を聞いた。

原因は旦那職場の金を使い込んで逮捕されたかだって

もう絶対一人でも生きていける仕事に就こうと決心した。

男なんて信用できない。

うちの父みたいな尊敬できる男って世の中にほとんどいないんかもしれんとさえ思うようになった。

もう顔とかどうでもいいから、信用できる人、自立した人、それだけでええねん。

でもそういう人が私を好きになってくれる可能性もほとんどないから、一人で生きる覚悟を決めよう。

どうせ死ぬときは一人で逝かなきゃならんのだから

そんで大学生活は同人活動しまくった。

最高だった。

そして男子絶望した私は故郷に帰って就職し、たまたま出会えた信頼できる人と結婚して二人の子供を産んだ。

でもお互いにいつ何が起こるかわからないし、嫌いになることだってありえる。

DVがうちで絶対起こらないとも言えない。

から仕事はずっと続ける。

そんなに好きな仕事でなくても。

そうすることで本当に対等でいられる。

対等に相手を扱うことで、本当に相手を好きでいられる。

この時間を積み重ねていくことは、いつか相手が困ったり病気になったりしたときに支えていく糧になる。

そんな風に思える。

結論

自分に興味をもってくれる男子にはほとんどろくな人がいなかった。

が、父のおかげで、男性不信にはならずにすんだという話。

これ男女逆でも成り立つ気がする。

男の人もひどい女ばっか見ると結婚とかどうでもよくなるよね。

なので、親が尊敬できる人間であるってのは大事だしラッキーなことだと思う。親じゃなくてもいい、信頼できる大人の異性が一人でもいれば、異性不信にならずに済むのではないか

こんな自分語り最後まで読んでくれた人がいたら、ありがとうございます

んで、最後に、女子結構いるんでないかなー私みたいに経験から男子との付き合い方を考えた人。

2017-12-26

電線エヴァ庵野宮沢賢治

日本アニメではなぜ徹底的に電線が描かれるのか?を海外メディアが推察

https://gigazine.net/news/20171225-why-anime-power-lines/


電線アニメ嚆矢エヴァである、という彼の推測は正しい。

アニメにおいて背景・風景として電線描写されることはエヴァ以前からもちろんあった。

ドラえもんにおける空き地土管。高度成長で開発されゆく街。

サザエさんの板塀や引き戸日本家屋。三丁目付近夕陽

そういった時代記憶を引き写した風景の中であくまで添え物として、

あるいは便利なオブジェクトとして最低限の作画で描かれていたのが、電柱電線

鳥が電線にとまっている、ゲイラカイト電線にひっかかった、犬が電柱に小便、電柱に隠れて尾行

そこに電線電柱への愛着美学はない。


エヴァとは何か。

それは深夜アニメの祖である

エヴァの深夜再放送高視聴率深夜アニメパイロット版として働いた。

その後、エルフを狩る者たちから深夜アニメ放送歴史が幕開ける。

異様なこだわり作画作画崩壊との背中合わせも既にしてその内に秘めていながら自身夕方アニメ

一人のユダヤ教徒でありながら死して新しく宗教を作ったイエス福音だね。


そのこだわりの一つに電線がある。

電線、無くてもいいですよね、そこ描く手間と映す時間キャラに割きますよね普通

そうじゃないのが、庵野

ただの背景以上の電線

街並みのディテールアップに電線

シーンチェンジ電線

使徒で揺れるのはシャッター電線

2015年第3新東京市ツイッタラーは、揺れたら「電線」ってツイートするから

そう、1995年に描かれた20年先の近未来2015年日本を描いてあの電線

エヴァより先を生きている私達は知っている。

まだ相当に電線してる。


庵野特撮なのは言うまでもなく、電線特撮由来であろう。

怪獣スケールが合うのは高圧送電線の鉄塔、架線に接して火花散るインスタ映え

逃げ惑う地上から怪獣を見上げる時には電線

なんて、俺が語るより本人がいろいろ語ってるし。

庵野秀明世界トークショーレポート2回目 「電柱積極的に残すべきだ」「特撮もやりたい」

http://neweva.blog103.fc2.com/blog-entry-3368.html

庵野「同じ電柱はないんですよね CGコピペしても違和感がある ナナメになっているのもいい」

氷川エヴァ以降、電柱を描くアニメ作品も増えているが 垂直な電柱が多いですね」

庵野電柱に対して愛情が足りない 表層だけ真似ても魂が入らない」


さて、庵野最新作といえば『シン・ゴジラ』。

冒頭の無人漂流船内に残されていた本は、宮沢賢治の『春と修羅』。

「わたくしといふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」

そう、交流こそが真の天才発明。なのになぜ直流電気自動車

注文の多い料理店』所収の「月夜のでんしんばしら」も電柱モノのハシリである

戦前宮沢賢治時代から電柱風景とともに日本はあった。

文明開化で産まれた、すき焼きカレーライスあんパン現代日本食文化であると言えるならば

現代日本原風景電柱と言うのは過言ではない。

日本最後電気が来たのは宮沢賢治故郷岩手の「タイマグラ」。

開通はなんと1988年12月

電信テレグラムの「でんしんばしら」から電話電気USEN光通信

時代が変わり載せるものが変わっても STAND BY ME 電柱

2017-12-21

anond:20161213085212

あーそれはあるよ。

私この間用事があって娘達(幼稚園児と3歳児)連れて小学校まで歩いてったんだよね。三時頃で丁度下校時刻にかぶってたんだけど、女子の9割が挨拶しない。

こっちからこんにちはって言うと、こちらにガンくれて集団でヒソりながら通りすぎて行く。うちの娘達が女子達に挨拶したら、「おっ、偉ぇなこの子だって。そんで私の事は睨みつけながら通りすぎて行く。

逆に男子の半数位は礼儀正しく挨拶していく。たぶん野球サッカー水泳でもやってるんだろうなって感じのよく日に焼けた男子達が特にキハキしている。

私が子供の頃は、男子の中には通りすがり女性に「キモいんだよババァ死ねよ」とか「おいこっち向けよゴリラメス!この行き遅れ!」などと罵声を浴びせて石投げるような奴らがいたけど、そういうのは見かけなかった。

女子達が通行人無礼な態度取ってても放置かむしろそれ推奨って、犯罪防止っていってもなんか悲しくなるね。うちの娘達もそうさせなきゃいけないのだろうかって思って暗い気分になった。

【追記1】

私が今住んでるのは故郷とはべつの所なんで単純に比較はできないんだけど、治安の良し悪しについては、十数年前に引っ越して来た頃はこちらの方が格段に治安が悪かったんだけど、ここ十年くらいで急速に良くなりつつあった。

が、十年前に置かれた痴漢パトロールがこの春に経費節減のためとかいって廃止されて、かわりに防犯カメラがあちこちに設置されたんだけど、そのせいかなんか今年は自治体のお知らせメール痴漢出没の注意喚起が多かったような気がするんだけど、去年と比較はしてないので気のせいかもしれない。

故郷はド田舎だった。今は知らないけど私が子供だった時分は大人子供達の行動にあまり興味なかったのかもしれない。登下校の時間帯は通勤自動車が往来するくらいで人目があまりなく、子供達はやりたい放題だった。

上級生が轢死したイタチの死骸を登校旗に引っ掛けて下級生を追い回す、知的障害者の子ランドセル泥団子をぶつけまくってどろどろにして泣かせる、等々、誰も見てないからってとんでもない悪行三昧だったのだ。

でも農繁期田畑に人がいるときはそんな事しないんだから治安問題というよりは誰か見てる人がいるかどうかという問題だと思う。

【追記2】

似た文体の人がいるけど同じ人?って訊かれたけどそれは私ではないよ。その質問に「違う人ですねー」っていうトラバも私じゃないよ。

【追記3】

いや私は上記の悪行の数々を男は普通にやるとは思ってないよ。ただ子供に歪な価値観だけ刷り込んで放置するとこれだけの事をやらかすのだということで。女子も多少はやらかしものだけど、やはり大人想像の斜め上の事をやってのけるのはおもに男子だったが。

でも今現在男子達の様子を見れば教育次第で男子はこうも変わるというのがよくわかる。

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