「故郷」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 故郷とは

2019-04-17

好きなミュージシャンが亡くなった。

好きなミュージシャンの一人が亡くなった。

ツアー中止が発表されてそれっきり2、3日アナウンスが無かったので何が起こってんだと気にしていていたらボーカルが亡くなったことが発表された。

はいずれ死ぬ

テレビ有名人が亡くなろうがいつも思うことは一緒だったけど、今回は違った。

公式サイト訃報文章を読んだ時、信じる信じないとかではなくハテナマークが頭を埋め尽くした。

亡くなった。ただそれだけのことを理解するだけでいいはずなのに、文章を読み返してもなかなか脳が情報を処理できずにいた。

グランドセフトオートサンアンドレアス主人公カールジョンソンが母の訃報を聞き故郷に帰って母親写真を見たときに似てる。なぜかそんなことを思った。

凄いバンドだった。

時代を先取るとか懐かしむとかではなく、そのバンドが一つの音楽ジャンルとして存在しているようだった。

最近出したアルバムはこれまでの音源と桁違いに良くて寝る前に毎晩聞いていた。

こんな凄い音楽を作れるなんてと一人で勝手に感動してはこれからもっと凄い音楽を聴かせてくれるんだろうと勝手に期待していた。

亡くなってから一週間くらいは「死にかけました」とか「実は生きてました」とか言ってまた活動が始まるんじゃない?なんて考えては、でもそれだとあまり不謹慎すぎるから上手いことやってくれよな。なんて考えたりもした。

Twitterを見ればまだ体温があるように感じるし、なんだかんだ曲作ってんじゃないかななんて思っていた。

あれから10日余り経った。

思うのは、 バンド音源聴くたびに「でももういないんだな・・・」くらいだ。

時間というのは人それぞれ差はあれどそういうものなんだろうと思う。

ずっと覚えていられるだろうか、こんなに凄いバンドがいることを。忘れないうちにいまの感覚を残しておこうと思った。

anond:20190417104652

国の中央部南北縦断する地下鉄トムソン建設工事に携わる一人の女性技術者故郷同級生に想いを馳せながら

なんだから会社とは関係のない集まりなのでは

2019-04-12

私は上司からママになることを求められている部下だ

業務中に、インターンの子が気分が悪くなったことがあった。

無理するなと伝えたが、体質だから問題ないとのことで外の空気を吸うことですこしスッキリしたようだった。

もう1週間きてもらっていたが、初めての事だったので、その子が帰った後上司に伝えた。

私「おそらく暖房か何かで、悪くなった空気を吸って気分が悪くなったようです。体質のようですね…」

上司「そんなんで、会社勤めなんかできるのか?」(少し機嫌悪めな言い方)


これ読んだ人はどう思う?あなたなら、上司に対してどういう返事をするのかマジで聞きたい。


私はそんな言い方しなくても…と思いながら、こう答えた。

私「まあ、体質は仕方ないと思います…」

ここで20分ほど一切喋らなくなる上司

そして突然ものすごく不機嫌な声で問いかけられた。

上司「お前、なんで俺のいうこと否定するわけ?」

???

突然なんなの?何が起こった?

その後続いた言葉はこうだ。


上司「あの子の気分が悪くなったことがパーソナルな問題なんて誰だってわかる。

なのに、なんで俺がまるで悪口言ったみたいな言い方するわけ?!

俺が、個人的な体質を全く考慮せずにあの子否定したと思ってるの?

俺のことを全く分かっていないじゃないか

俺は全体のことを考えているんだ、そんな体質なんてわかりきったことを言いたいんじゃない。

病院に行くなりなんなり、そういう対策をしなければならないんじゃないか?という事を

アドバイスしたいんだよ!!

なんでわからないんだ。

こないだ退社したアイツだってそうだ。皆全体を考えていない。」


いや、わかりますか?

コミュ強ならわかるんですか?そうなんですか?

もう私にはわかりません。

それとも、私の言い方がよほど悪いの??

あんた昔から人のこと散々disる人間じゃん。

二言目には声を荒げるじゃん。

退社した人をブスだのこれから生きていけないだの、あんなんじゃ無理だ死ねだの、病気だの、だいたい否定から入るじゃん。

そうやって何十人も(私から見て)否定していたよ。

私のことも散々人格否定してきたじゃん。

それら全部私のためだったって言うわけ?

女だとか、故郷だとか、長女だとか、血液型だとか、どうにもならないことを否定してきたじゃないか

私は最近それらのことにかなりうんざりしていて、拒否反応があったから確かに態度が悪かった可能性も否定できない。

からと言って「会社勤めなんかできるのか?」なんていう言葉肯定的にとれるのか?

釈迦になればいいのか?

ガンジーになればいいのか?

お前のママになればいいのか???

「よちよち、ボウヤはいい子だからね。そうやって否定から入ることで相手問題提起させようとしているのよね〜。はいはいおっぱいみまちゅか〜〜」

なれるわけねーーーーーーーーだろ!!!!!!クソが!!!

2019-04-11

[]キャプテン・マーベル

キャプテン・マーベル』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ

総評

ほどよく100点。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。ふむふむ満足であるぞ、と思いつつ帰路についた。とは言え、帰路において考察が止まらないとかはなく、色んな部分が程よく狙ったように及第点ではある。

MCU(マーベルヒーロー映画シリーズ程度のことだと思いねえ)ファン的にはくすりとわらえたり、ほろりと出来たりする要素はありつつ、全体としてのアクションCGバトルの派手さも有りつつ、脚本もウザくならないように欠点塞ぎつつ、いい感じというのが個人評価。大傑作じゃないけど程よく佳作。

ゆえに以上で感想終了である

ヒーロー内面資格

というわけで、ここからさきは感想じゃなくて感想風になる。

キャプテン・マーベル』は良かった。しかし、実はその良かった部分が自明じゃない。様々な要素が程よく及第点から全体合計で佳作なんだけど、何か突出した、訴えかけてくる部分が見つけづらい。

でもそれって無いわけじゃない。無かったら上映後もっと気持ちが尻すぼみになったと思う。だから良かった部分をちゃん言語化しておくほうが良いと思ってのメモだ。

いろいろ考えてたのだけど、『キャプテン・マーベル』は空っぽなところが良かった。その内面というか、背景が、他のヒーローに比べてポジティブに空白だ。そこが素晴らしく良かった。

ヒーローというのは超越的な存在で、それは能力的なものもそうなのだけど、内面的にもそうである必要がある。「信じられないほどの苦境や絶望に対して敢然と立ち向かう断固たる決意」みたいな部分だ。しかし一方で、ただ超越的であるだけではなく視聴者である凡人の僕らと地続きである必要もある。そうじゃないと視聴者ヒーロー感情移入することが出来なくて、彼らの苦悩や活躍他人事の白けた話だとしか思えなくなってしまうからだ。

アイアンマンキャプテン・アメリカというスーパーヒーローであっても、彼らの抱えた周囲から無理解へのいらだちや、内面孤独や、大切な人を失ってしま絶望という様々な苦難は、もちろん具体的な状況は違うのだけど、僕ら一般人生活を営む上で出会うそれらと変わりがない。ヒーローヒーローでありつつ僕らと同レベル人間存在であって、その同類が困難に向かって立ち上がるから胸が熱くなる。

マーベルというアメコミ企業は、扱ってる商品性質上、ヒーロー専門家であって、ヒーローについて多分毎日毎日めちゃくちゃ真剣に考えているから、そういうドラマの基本を十分に研究していてヒーローを生み出している。

その結果、例えば肉親を悪の襲撃や事故で失ったり、自分の将来の希望を奪われたり、社会からの拒絶で友を失ったり、両親との関係コンプレックスがあって取り戻せなかったり、愛を交わしたパートナーに去られたりする。……よくあるなー。

そういう内面的な危機を乗り越えた「から精神的に強いヒーローなのだー! ばりばりばりー! みたいなシナリオは本当に多い。でも、それってなんかこう……やりすぎて陳腐になったり、これみよがしな悲劇ドラマになったりもする。

言い方は悪いが「こんなにひどい目にあったんだから超絶能力を手に入れてもええやん?」みたいなエクスキューズにも見えてしまうのだ。ドクター・ストレンジお前の映画のことだゾ。

この「1)なんだかんだで凡人→2)内面的な困難や絶望の超克→3)不思議出来事が起きてヒーローパワー入手!(2と3は順不同)→4)乗り越えた主人公の爽快なアクション!→5)解決!」というドラマ構造はすごく強力なテンプレなのであらゆるメディアで見ることが出来る。

この構造において、ヒーロー内面的な資格は「不幸とその超克」だ。

でもたぶん、『キャプテン・マーベル』はそこに対して距離を取った。

ドラマを支えるために一応取ってつけたようにその構造はあるのだが、その部分には明らかに重心をおいていない。

主人公キャロルダンヴァース(キャプテン・マーベル)は、たしかにクリー人に洗脳されて傭兵扱いされてたわけで、そういう意味で裏切られていた(っていうか洗脳されてたって相当ひどい過去だよな。エリア88風間シンよりやべーだろ)わけだけど、じゃあそれが彼女内面悲劇であり彼女の中心か? というと別にそんなことはない。

リー指導者である超AIにたいしても自分を騙していた直接的な上官にたいしても、別段そこまで復讐意思はなさそうだ。現に上官のヨン・ロッグは叩きのめしたけれど宇宙船にわざわざ乗せてクリー星へ送り返している。

映画を見終わったあとに振り返ってみたけれど、彼女内面的な意味ヒーローになったきっかけというか契機となるイベントは実は本作のメインな時間軸中に存在しない。そのイベントの欠如は、従来の判断によればドラマ設計の失敗を意味するはずだ。でも、設計失敗の割にこの映画破綻してないしちゃんドライブされている。

これってどういうことなのか? 内面葛藤を経ていないキャロルは前述のヒーロー資格においては失格であるはずだ。しかし画面の中の彼女はさっそうとしてて格好いいし、見ていて気持ちいいし、応援も出来るしヒーローに見える。これってどういう設計なのだろう?

結論から言うと、その資格論にたいする本作の返答は「主人公キャロルダンヴァースは最初からヒーローだった」だったいうものだ。

この「最初から」というのは、文字通り子供の頃からという意味で。

作中でインサートされるように、キャロルは、子供時代記憶としてカートレース事故にあう。子供野球三振する。軍の教練において体力勝負で負けて周囲から笑われる。つまり、僕ら凡人がするような挫折を一通り普通にやっている。

そして彼女はなんだかんだ人生につきもの紆余曲折を経て、当時まだまだ女性に対しては門戸を閉ざしていた空軍パイロットエリート象徴でもある!)に実験部隊ということで潜り込んでテストパイロットになる。

その実験部隊トラブルが起きて、キャロルは恩師ウェンディローソン博士を助けるために飛行任務立候補し、その騒動の中であわや命を失うというところまで行くのだが、それはさておき。

その実験部隊で同僚でもありキャロル親友黒人女性パイロットマリアランボーセリフに「その時(恩師を助けるためにパイロット立候補したときの)のあんたはまさにヒーロー登場! って感じだったよ」というものがある。過去を回想する形で親友主人公を思い返した言葉だ。

この立候補ときキャロルスーパーヒーロー能力を持たない普通地球人だったわけだけど、にもかかわらず、「まさにヒーロー」だったわけである

能力のみならず、内面危機においても主人公キャロルはこの時点で、ヒーローにつきもの特別悲劇経験していない。恋人を謎の組織に殺されたりしてないし、四肢を切断されて生きる力を失ったりしてないし、故郷帝国に焼き尽くされたりしていない。

この作品は「それでもいいんだ」と言っている。そこが良かった。

まりカートレース事故から負けん気で立ち上がったとき子供野球三振したけど凹まずに再挑戦したとき、軍の訓練の綱登りで落下してもへこたれなかったとき、そのときキャロルダンヴァースはすでにしてヒーローであった。あらゆる困難に「なにくそ!」と立ち向かったとき、「すでにしてヒーロー資格を得ていた」わけだ。もちろんアクションバトル映画であるので、主人公キャロルヒーロー能力を得たあとにも虐げられたスクラル人を助けようとして銀河規模の争いに身を投じる訳だが、それはなにも特別なことではなくて、「眼の前の困難に対して意地や義侠心で立ち上がる」ことそのもの子供時代と変わらない。

あらゆる人のあらゆる人生につきものの、しかし本人にとっては重要な、日常の無数の挫折や失意から立ち上がること、諦めずにチャレンジするその姿勢、それこそがヒーローであると『キャプテン・マーベル』という作品は主張している。

それはつまり主人公キャロルだけではなく、広く開かれた一般凡人である視聴者への無言のメッセージでもあるのだ。「ヒーローになるにあたって特別巨大な悲劇喪失必要ない」。「この映画を見ている圧倒的多数普通の人々も十分ヒーロー足りうるよ!」と言っている。

これは脚本家が、従来のヒーロードラマに対してまだまだ満足せずに、ドラマ構造として一歩先に進もうとした野心の結実のように思える。

そのチャレンジがとても良かった。

ハリウッドアメリカロールモデル

アメリカ映画において、とくにハリウッド映画において、さら子供ターゲットに含めたヒーロー映画において、ロールモデルっていうのはすごく重要ポイントだ。ロールモデルっていうのはざっくり「目指すべき人物像」とでも言えると思う。「こういうのが良い人間です」という制作側の提案、という側面がハリウッド映画には確かにある。

日本ではちょっと馴染みのない考え方かもしれないけれど、要するに子供の頃に課題図書で読む偉人伝と同じような役割文化装置だ。二宮欣二とか野口英世とか夏目漱石とか聖徳太子とか。あのような人々の物語と同じようなジャンルとしてキャプテン・アメリカアイアンマンがいる。

人々は彼らに憧れるとともに、彼らを通して、正義や公や仁愛や克己を学ぶ。どういうモデルが「目指すべき人物像」になるかっていうのは、当然制作側/脚本側の提案によるんだけれど、その背景には当然制作当時の(主にアメリカの)世相が反映されている。

近場で言えば『アクアマン』では主人公アーサー・カリー が抱えた苦悩は、まさに「移民二世が抱えるアイデンティティ問題」「おれはどっちの子供なのよ?」であって、すごく現代的だった。

アントマン』においては「娘に愛されたい父親としての俺と、金を稼ぐ社会の中での俺のどっちを選べばいいの?」というこれまた現代的でヴェットな問題が提起されている。『インクレディブル・ファミリー』においては「あっれー。なんか嫁さんのほうが稼ぎ多くて俺ってばヒモみたいな生活になりつつあって、家庭内での俺の地位とか、俺のオトコとしてのプライドとか、どうすればええん?」という現代的な――なんか世知辛くてしょっぱい話になってきたなあ。

MCUにおける二大ヒーローキャプテン・アメリカアイアンマンは「能力を持つもの社会貢献」をめぐる物語対立する。世界を救う能力を持つヒーローは、なんで救う義務があるの? というわりと古典的で、でも正義をめぐる物語としては避けて通れぬ踏み絵のようなテーマだ。

その問答に『キャプテン・マーベル』は踏み込まない。主人公キャロルは行動するが、行動に前だつ問答はない。それこそが彼女提示したヒーロー像で「アメリカ人の目指すべきロールモデル」だ。

困難を前にしてくじけない。不撓不屈。弱者に対して自然に寄り添う慈愛と、押さえつけてくる不当な力に対する反発。しかしそれらは、そういう問題がなにか特別大きな悲劇から、滅すべき悪だから立ち上がるというわけではなく、ごく自然に「それが私だから」というスタンスで、重く扱われない。そこで重要なのがくだらないユーモアと友人と日常であって、災厄を目の前にしてもひょうひょうと立ち向かう。ただ、絶対にくじけない。破れても失敗しても「もう一度」チャレンジする。

主人公キャロルはその戦闘能力においてMCUのなかでもかなり最高峰位置すると思うのだけど、政府超人兵士計画で生まれキャプテン・アメリカよりも、悲劇を背負った社長発明家大富豪ちょいワルモテ親父のトニー・スタークよりも、その内面姿勢において一般的な視聴者に近い。「顔を上げて誇り高く自分らしく生きる」だけでヒーローとして立っている。

その軽さ、明るさ、が心地よい映画であったと思う。

2019-04-10

弟が優先された(と私が感じた)ことが地雷なのだということ。

親に介護についての話をされた。それはまあいいのだが、弟には家族があるし、私は実家暮らしだし女だから、私メインでやるようになるだろうと。

はい地雷です。

弟には家族がある、これはれっきとした事実だし、まあわかる。

でも、私は実家暮らし家事手伝いかというと、違う。一応フルタイムで働いてはいる。収入についてはむしろ弟より低い気がする。これは弟と同じ条件ではないか? 

また、私が女であることは確かだが、だから介護しろというのは意味が分からない。なら子宮を取ったら? 卵巣を取ったら? 結紮したら? どこまでいったら女じゃなくなる? XX染色体をもっている限りは介護を優先的にしないといけないのか? その理由がわからない。

今まで散々弟を優先してきたのに、介護だけは私が優先しないといけないのか?

私の地雷は、理不尽理由で弟と比べられ、差をつけられることだそしてそれが、介護にまで来るというなら、姉は捨てる。家は捨てる。家族は捨てる。

「弟と一緒に介護頑張って」ならわかるが、私だけ、私が優先的にがんばれというなら、そんな家族いらない。絶対に捨ててやると決意した。

一応言っておくと、母親は嫌いではない。むしろ好きだ。感謝もしている。

高校私立だし、大学にも行かせてもらった。奨学金は使っていない。ことお金については、弟と同様に出してもらっている。女のくせに大学に行ってなどと言われたことはない。

女は大学に行くなとか、弟のために高卒で働けとか言われていないのだから世間の女だから損をしたと言っている人間よりはよほど恵まれている方だと思う。それは、頭ではわかっている。しかし、それでも、弟の方を優先された記憶があり、それを今でも恨んでいて、平等に扱ってほしいと切望する。

私が我がままなのだろう。お金平等にかけてもらったことで満足すべきだ。

快活で家族誕生日にはプレゼントを贈るような弟と比べたら、陰湿で、誕生日メールで済ます自分が好かれるような要素はない。親だって人間だ。好き嫌いくらい出てくるだろう。好き嫌いによって扱いに差が出てくるのはある意味しょうがない。

わかっているつもりだが、それでも憎いと思ってしまう。

負の感情を抱くのは自分のせいだが、もう家にいる限り負の感情を抱き続けてしまうだろう。

故郷が嫌いではない、むしろ好きだが、自分にできることは親は自分独立させるためにわざと介護押し付けようとしたのだと信じて家を出ることだけだ。

anond:20190410171528

そうでない理由はないでしょう。その可能性に委員会は賭けたんです。

よくご存じですね。委員会の人ですか?

医者に出来ないことはありますが、医者行くのやめたら健康になる可能性に賭ける、という主張に合理性はありません。

よくできたアニメ、よくできた物語は、ある程度人の心を動かす力があります。それで足りないと思うなら、それ以外の方法論を捜すことはできますが、「単にテーマ追求をやめる」ことには意味がないです。

作品のゴールが、売上やエンタメ作劇論でいう面白さ以外にあるとしたら、けもフレ2が失敗だったのかさえまだ判断できないでしょう。

私は前に「商業作品なのだからファンへの悪意で作品を作るわけはないだろう」と主張しました。

もし、けもフレスタッフ商業以外の目的のために、エンタメ基本的面白さ、そこから来る売り上げを捨ててるというのなら、彼等は要するに、商業的な基準で動いてないわけです。だとすると、彼らが一期および一期ファンへの悪意で作ってるという推測も同程度に合理的ということになります

他の目的もあるけど、商業的な目的も重視してる、というのなら、商業的な面では失敗ですね。

すいません。アイデアの語を選んだのが誤解を招きました。「一般的な作劇として...そこに意味を持たせるわけです。キュルルが人類の罪深さを知って、それを贖罪しようとするとか」について言ったつもりです。

「とか」と書いた通り、キュルルが贖罪する必要はないのです。意味を持たせろと言っています

俺も生死は問題視していません。けもフレ2作劇の方向性がみてとれる判断材料として取り上げたつもりです。

なるほど。それはそれとして、ビーストの生死を隠す作劇のために、キュルルを薄情に見せたら、作品評価が下がるという点は変わりません。

そうでしょうか。意思のない怪獣が大暴れするとか… 観念的な代理役がアクションを行う作品はあると思います

お話の流れ的にはキュルルの「解りあえなかったとしても、解ろうとするのは別にいいじゃん」から来てるのに、全然解り合おうとする様子も、解り合った様子もないところが、まず肩すかしです。

次に怪獣人格がない場合は、「家族怪獣のせいで失って復讐鬼となった男」とか「怪獣によって故郷を失った人々」とか、そういった感情移入要素を起きますビースト場合特に何とも誰とも繋がってないので、感情移入が、ほとんど、できません。

必要がある”とまで言える理由がありますか。俺のようなネット考察班が表立って声を上げにくいのは、養護即悪の空気があるからです。

必要」と書いたのは書きすぎかもしれませんね。初見面白くないと感じる作品の、考察は、されにくく、されても特に人気に繋がらない、と、訂正します。

不快感を与える行動をしたヤツが酷い目に遭うのが気持ちいいわけです。

違います。「酷い目にあって当然だ、と、思えるキャラが酷い目に遭う」のが気持ちいいのです。「酷い目に遭って当然だ」と思えるのは、悪いやつ、嫌いなやつだったり、悪いことに対して責任があるキャラクターです。

不快感を与える行動をしたとしても、そいつ責任がないと同情できるキャラは、酷い目にあってほしくありません。

より細かい話をすると、そいつに全く責任がなくても、あまりにも疫病神キャラに対して「酷い目に遭ってほしい」と思う場合もありますが、そういう場合は、そのキャラ自体が嫌いになっています

ところでキュルルちゃん評価下落はある程度は、けものフレンズ全体として問題ないのではないでしょうか。売りたいのはサーバルカラカル・ペパプといった動物擬人化キャラクターでしょう。人気アンケートをやったらけもフレ2が生み出したイエイヌは、かばちゃんサーバルと二位を争えるレベルの人気になるのでは。

前にも述べましたが、主人公キャラ不快感を感じると、作品全体の評価が下がるんですよ。またイエイヌ相対的に人気が出たでしょうが、「イエイヌは好きだが、けもフレ2という作品は嫌い」という人は、イエイヌグッズとかを買う可能性が低いので、ダメです。

区別がつかないのはそのとおりだと思いますしかしもともとのお話は”悪意”かもしれないが”無能説明がつく”だったでしょう。どちらでもあり得るわけです。「いい加減な脚本ではない」と説得はできませんが、「現実的な厳しさを描いた」で説明可能と申し上げています視聴者の悪意説を推していますが、確かに、退屈だったから説にも説得力を感じました。実態は両方なのかもしれません。

ですから現実の厳しさを描く」ために、わざわざ伏線放棄してつまらないと思わせる必要はないのです。

現実の厳しさを描くからといって、面白作品を作ろうと思えば作れるのに、わざわざ、つまらない作品制作者が目指した、というのは、私から見て悪意のある解釈です。

「また会おうね」「約束だよ、かばちゃん」。これは通常のドラマであればどちらかが旅立つときに言うセリフではないでしょうか。でもこの後は両者ともパーク内に留まるわけで、これは作劇的にはおかしいといえるのでは。「遊びに来てね」「行くよ… 絶対」などのほうがふさわしいように思います素人でも秒で思いつき、しかも尺も取らず演出も変わらない。制作無能では説明するのは厳しくないですか。

そのセリフについて制作者が無能だと言ってるわけでも、現実の厳しさを目指すのが悪いと言ってるわけでもないです。単に、現実の厳しさを目指しながら、伏線を処理して、面白物語を作れるでしょうという話です。

ポスター的な告知絵(なんていうんでしたっけ?ああいうの)は楽しそうにしてるサーバルカラカルですが、あれを例えばカラカル腕組みさせるとか… そのような感じでしょうか。でもそれはどれほど効果があるのでしょう。

もっと全く違う印象のものにしたほうが良いでしょうが、さておいて「これはけもフレ1とは違う作品で、違う切り口で作っているんだな」と視聴者に心構えをさせ、けもフレ1と違っても、単なるミスではなくて、何か意図があるのかなと考えさせる効果があります。つまりけもフレ2をけもフレ2として評価やすします。

アンチするやつはするでしょうが、そういう層の数や説得力が減るでしょう。

そうでしょうか。けもフレ1の最終戦リピートする視聴者はそんなに多いと思わないです。

けもフレ1の最終戦闘は、感情的にも、アクション作画的にも非常に盛り上がるところであり、かなりリピートされてるかと思います

そのため前期では戦闘の期間を一話くらいに短く収めた。今期では長くして多くのフレンズ交流を絡めた代わりに、緊張感を抑えたのでは。ホテルでのパンダの振る舞いやペパプへの妄想など、戦闘中にさえ気を抜ける掛け合い漫才が入ってきます

けもフレ1でも、これまでのフレンズが、これまでのかばちゃんとの思い出を生かす形で大勢出てきますし、フレンズとの交流を絡めることと、緊張感を保つことは両立します。

戦闘中に長い掛け合いや、ほのぼのとしたコントはやりにくいですが、戦闘中にやらなきゃいいだけの話です。

エンタメドラマ的には失敗。そのご意見には納得できました。これはエンタメドラマではなく… ミステリを目指したと考えるのはどうでしょうバラエティ漫才ミステリの間の子です。視聴者タイプを A.漫才で和む B.ドラマを楽しむ C.考察する の3つに分けて考えて、A,C を重視したためにBへのフォローが疎かになってしまったのでは。

ミステリなら、「謎の存在であるキュルルが、スケッチブックという手がかりを追って、おうちを捜す」という話で、キュルルの正体もおうちも見当たらない時点で、零点です。

漫才で和むのはいいんですが、「恐ろしい敵との生死を賭けた戦闘中に、緊張感のない漫才をやる」は、両者の良いところを打ち消しあってます

Bだけがおろそかなのではなくて、AもCもダメなんですよ。

アニメ料理に例えるのに躊躇はないけど、それぞれで想像しているものが違う。これを面白いと思いました。でも看板にハッキリ”優しい世界”ですと書かれてはいなかった。観客側の受け入れられる間口が狭すぎるのが問題かと申し上げています(その狭さを作った責任が観客にないとしても)。

観客に問題があるとしても「商品内容をはっきりさせて誤解させない」ことは商売原則倫理であり、そっちはそっちで問題だというだけの話です。

2019-04-09

anond:20190409141024

核家族って人類歴史上でも非常に新しい形態家族だよね。

からあなたの実感は正しい。

それでもあなた大人になるどこかのタイミング故郷を捨ててしまった。

子供にとっては、あなたあなたの夫が作り上げる家庭が故郷となっていくのです。

2019-04-06

anond:20190406131516


 

緊急寄稿

「令和」から浮かび上がる大伴旅人メッセージ

品田悦一

 

 新しい年号が「令和」と定まりました。典拠文脈を精読すると、〈権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない〉という、おそらく政府関係者には思いも寄らなかったメッセージが読み解けてきます。この点について私見を述べたいと思います。なお、この文章は「朝日新聞」の「私の視点」欄に投稿したものですが、まだ採否が決定しない時点で本誌編集長国兼秀二氏にもお目にかけたところ、緊急掲載のご提案をいただいて寄稿するものです。

 

 「令和」の典拠として安倍総理が挙げていたのは、『万葉集』巻五「梅花歌三十二首」の序でありました。天平二年(七三〇)正月十三日、大宰府長官大宰帥)だった大伴旅人が大がかりな園遊会主催し、集まった役人たちがそのとき詠んだ短歌をまとめるとともに、漢文の序を付したのです。その序に「于時初春令月、気淑風和」の句が確かにあります。〈折しも正月の佳い月であり、気候も快く風は穏やかだ〉というのです。これはこれでよいのですが、およそテキストというものは、全体の理解と部分の理解とが相互依存し合う性質を持ちます一句だけ切り出してもまともな解釈はできないということです。この場合テキストは、最低限、序文の全体と上記三二首の短歌(八一五~八四六)を含むでしょう。八四六の直後には「員外思故郷歌両首」があり(八四七・八四八)、さらに「後追和梅花歌四首」も追加されていますから(八四九~八五二)、序と三八(三二+二+四)首の短歌の全体の理解が「于時初春令月、気淑風和」の理解相互に支え合わなくてはなりません。

 

 さらに、現代文芸批評でいう「間テキスト性 intertextuality」の問題がありますしかじかのテキストが他のテキスト相互に参照されて、奥行きのある意味を発生させる関係に注目する概念です。当該「梅花歌」序は種々の漢詩文を引き込んで成り立っていますが、もっと重要かつ明確な先行テキストとして王羲之の「蘭亭集序」の名が早くから挙がっていました。この作品書道の手本として有名ですが、文芸作品としてもたいそう味わい深いもので、「梅花歌」序を書いた旅人知悉していただけでなく、読者にも知られていることを期待したと考えられます。「梅花歌」序の内容は、字面表現された限りでは〈良い季節になったから親しい者どうし一献傾けながら愉快な時を過ごそうではないか。そしてその心境を歌に表現しよう。これこそ風流というものだ〉ということに尽きます。「蘭亭集序」の語句構成を借りてそう述べるのですが、この場合、単に個々の語句を借用したのではなく、原典文脈との相互参照が期待されている、というのが間テキスト性の考え方です。「蘭亭集序」は、前半には会稽郡山陰県なる蘭亭に賢者が集うて歓楽を尽くそうとするむねを述べており、ここまでは「梅花歌」序とよく似ていますが、後半には「梅花歌」序にない内容を述べます。人の感情は時とともに移ろい、歓楽はたちまち過去のものとなってしまう。だからこそ面白いともいえる。人は老いや死を避けがたく、だからこそその時々の感激は切なく、かついとおしい。昔の人が人生の折々の感動を綴った文章を読むと、彼らの思いがひしひしと伝わってくる。私が今書いているものも後世の人にそういう思いを起こさせるのではないか……。

 

 「梅花歌」序には、人生の奥深さへの感慨は述べられていません。続く三二首の短歌も、〈春が来たら毎年こんなふうに梅を愛でて歓を尽くしたいものだ〉(八一五)やら、梅の花は今が満開だ。気の合うものどうし髪に飾ろうではないか〉(八二〇)やらと、呑気な歌ばかりが並んでいるのですが、そしてそれは、旅人大宰府役人たちの教養の程度を考慮して、「蘭亭集序」を理解したうえで作歌することまでは要求しなかったからでしょうが旅人自身は「蘭亭集序」全体の文脈をふまえて歌群を取りまとめました。その証拠に、上記「員外思故郷歌」は

  わが盛りいたくくたちぬ雲に飛ぶ薬食むともまたをちめやも(八四七)

   ……わたしの身の盛りはとうに過ぎてしまった。空飛ぶ仙薬を服用しても若返ることなどありえない。

  雲に飛ぶ薬食むよは都見ば賤しきあが身またをちぬべし(八四八)

   ……空飛ぶ仙薬を服用するより、都を見ればまた若返るに違いない。

というのです。人は老いを避けがたいという内容を引き込んでみせている。

 しかも、ここには強烈なアイロニーが発せられてもいる。旅人にとって平城京はもう都でないのも同然で、「都見ば」という仮定自体が成り立たなかったからです。

 

 都はどうなっていたか皇親勢力の重鎮として旅人が深い信頼を寄せていた左大臣長屋王――平城京内の邸宅跡から大量の木簡発見されたことでも有名な人物――が、天平元年つまり梅花宴の前年に、藤原四子(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)の画策で濡れ衣を着せられ、聖武天皇皇太子呪い殺した廉で処刑されるという、いともショッキング事件が持ち上がったのでした。この事件は後に冤罪と判明するのですが、当時から陰謀が囁かれていたでしょう。旅人もそう強く疑ったに違いありませんが、遠い大宰府にあって切歯扼腕するよりほかなすすべがなかった。『万葉集』の巻五は作歌年月日順に歌が配列されているのですが、梅花歌群の少し前、天平元年のところには、旅人藤原房前に「梧桐日本琴」を贈ったときのやりとりが載っています事件は二月、贈答は十月から十一月ですから、明らかに事件を知ってから接触を図ったのです。〈君たちの仕業だろうと,察しはついているが、あえてその件には触れないよ〉〈黙っていてくれるつもりらしいね。贈り物。はありがたく頂戴しましょう〉と、きわどい腹の探り合いを試みている――あるいは、とても太刀打ちできないと見て膝を屈したとの見方もありえるかと思いますが、とにかく、巻五には長屋王事件痕跡が書き込まれている。

 

 巻五だけではありません。巻三所収の大宰少弐(次席次官小野老の作

  あをによし寧楽の都は咲く花のにほふが如く今盛りなり(三二八)

は、何かの用事でしばらく平城京滞在し、大宰府に帰還したときの歌でしょうが、『続日本紀』によれば老は天平元年三月、つまり長屋王事件の翌月に従五位上に昇叙されていますから、たぶんこのときは都にいて、聖武天皇から直接位を授かったのでしょう。すると、大宰府に帰った老は事件後の都の動向を旅人らに語ったと考えられる――そういうことが行間に読み取れるのです。また巻四には、長屋王の娘である賀茂女王大宰府官人だった大伴三依との交情が語られていて、三依は事件に憤慨しながら大宰府に向かったようです(五五六)。さらに巻六。歌を年月日順に配列する中で天平元年に空白を設け、直前に、長屋王嫡子事件ののさい自経した、膳王の作を配しています(九五四)。

 これらはみな、読者に長屋王事件喚起する仕掛けに相違ありません。偶然の符合にしては出来すぎている。

 

 「梅花歌」序とそれに続く一群の短歌に戻りましょう。「都見ば賤しきあが身またをちぬべし」のアイロニーは、長屋王事件を機に全権力を掌握した藤原四子に向けられていると見て間違いないでしょう。あいつらは都をさんざん蹂躙したあげく、帰りたくもない場所に変えてしまった。王羲之にとって私が後世の人であるように、今の私にとっても後世の人に当たる人々があるだろう。その人々に訴えたい。どうか私の無念をこの歌群の行間から読み取って欲しい。長屋王を亡き者にした彼らの所業が私にはどうしても許せない。権力を笠に着た者どものあの横暴は、許せないどころか、片時も忘れることができない。だが、もはやどうしようもない。私は年を取り過ぎてしまった……。

 

 これが、令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人メッセージなのです。テキスト全体の底に権力者への嫌悪と敵床心が潜められている。断わっておきますが、一部の字句を切り出しても全体がついて回ります。つまり「令和」の文字面は、テキスト全体を背負うことで安倍総理たちを痛烈に皮肉っている格好なのです。もう一つ断わっておきますが、「命名者にそんな意図はない」という言い分は通りません。テキストというものはその性質上、作成者意図しなかった情報を発生させることがままあるからです。

 安倍総理政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。一つは、新年号「令和」が〈権力者の横暴を許さないし、忘れない〉というメッセージ自分たちに突き付けてくること。二つめは、この運動は『万葉集』がこの世に存在する限り決して収まらないこと。もう一つは、よりによってこんなテキスト新年号の典拠に選んでしまった自分たちはいとも迂闊(うかつ)であって、人の上に立つ資格などないということです(「迂闊」が読めないと困るのでルビを振りました)。

 

 もう一点、総理談話に、『万葉集』には「天皇皇族貴族だけでなく、防人農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌」が収められているとの一節がありました。この見方はなるほど三十年前までは日本社会の通念でしたが、今こんなことを本気で信じている人は、少なくとも専門家あいだには一人もおりません。高校国語教科書もこうした記述を避けている。かく言う私が二十年かかって批判してきたからです。安倍総理――むしろ側近の人々――は、『万葉集』を語るにはあまり不勉強だと思います。私の書いたものをすべて読めとは言いませんが、左記の文章はたった一二ページですから、ぜひお目通しいただきたいものです。東京大学教養学部主催の「高校生のための金曜特別講座」で語った内容ですから高校生なみの学力さえあればたぶん理解できるだろうと思います

 

【記】

品田悦一「万葉集はこれまでどう読まれてきたか、これからどう読まれていくだろうか。」(東京大学教養学部編『知のフィールドガイド分断された時代を生きる』二〇一七年八月、白水社

2019-03-31

国という括りは僕には大きすぎる

日本馬鹿にされても、ああ、そうですかとしか思わないし良い国だと褒められても特に何も思わない

けれど、故郷馬鹿にされたらムッとなるし良い所だと言われると嬉しいし著名な出身者を誇らしくも思う

根っから田舎者なのだろう

2019-03-30

田舎者貧乏人〜を見て、自分の居場所がわからなくなった

自分でも何が言いたいのかわからないんだが、自分の居場所がわからなくなる感覚がしてしまった。

どうすればいいかからず混乱している。助けて欲しい。

自分関東とある県の田舎から東京大学に通うために上京した。

その後就職し、しばらく埼玉神奈川に住み、ここ2年都内に住み始めた。

米国西海岸にも1年ほど住んだりしていた。

自分引っ越し魔で、上京してから15年間で9回引っ越ししている。

仕事の都合で引っ越したことは一度もなく、パートナーの都合もあるが、何となく環境を変えたくなったらすぐ移動してきた。

こんな感じだから、あまり地域の人と深い付き合いをしてくることがなかった。

から「好きな街」や「第二の故郷」といったフレーズにまったくピンとこない。

田舎のやることの無さや会話レベルの低さは体感しているし、東京の素晴らしい利便性23区民のマウント体感している。

また郊外生活も長いため、23区に憧れを持つ人々の、「中間」な雰囲気にもどっぷり浸かってきた。

前置きはこのあたりにして、あの投稿を見たら自分の生い立ちというか人生に全く根が張っていない感覚を覚えてしまった。

医者を目指しているあの学生さんは、きっと自分の生い立ちに確固たる自信を持っていて、戻るべき場所のようなものを持っているように感じた。

自分にはそれがない・・・ように感じてしまったのだ。

かといって故郷に戻りたいとも思えない。こんな性格から、人付き合いを強制されたり、常に見られているようなあの感覚がどうしても嫌なのだ

何を言いたいのか自分もよくわからないのだが、根が張っていない、戻るべき場所がどこにもないことに猛烈に不安になってしまった。

わかる人いるかな。どうすればいい?

東京にも郊外にも地元にも海外にも、どこにも自分の居場所が無いみたいに感じてしまうんだ。

助けて欲しい。

妖怪ってどういう生態系なの

ゲゲゲの鬼太郎見てると

色んな種族妖怪単独行動してるし

全く違う外見上の特質を持っていて

それなのに妖怪同士で連携したりもする

種族全体に対する個体の数が異常に少なくて

同種で集団行動していないのどうやって生殖してるか?

ゲゲゲの鬼太郎に出てくる妖怪たちは

種族がたくさん住んでいるそれぞれの故郷があって出稼ぎみたいな感じで単独行動してるのかな

意識低い系ってのがどのくらい意識が低いか教えてやる

http://naomi14.hatenablog.com/entry/2019/03/28/154957

上記ブログを見て「これで意識が低いだと!?」ってマウントしたい気分になったので書いてみる。下には下が居るって教えてやる。

わたしはだれ?~

男性地方工業高校

・身内優先、地元大好きだが運動できなくてヤンキーとも言い難い。かといってマイルドヤンキーというには人付き合いが狭い。何事にも中途半端な三流オタク

ネトウヨではないと思うがフェミニストリベラル胡散臭い地に足のつかない余所から来て喚く無責任野次馬連中だと思っている。

愛国心愛郷心の切れっぱしという認識。国より地元首相より地元首長に関心がある感じ。

卒業後、進学の道もあったがこれ以上勉強したくない、かといって仕事したい訳でもないが勉強よりマシという理由就職。幸い、リーマンショック前だったので就職にはまっっっったく苦労せずに温く中規模製造業就職

10~15年くらい同じ部署仕事してた。キャリアとか言われても2カ月先の事も考えてないのに何考えろっての?

・将来の夢は宝くじ一等前後賞を当てること(人の夢とかい儚い、なにか物悲しいわね……)

最近ソシャゲに手を出した。ああ、コレは金食い虫だわ、こわいこわい

仕事勉強とかしたことない、プログラマーとか家に帰ってから勉強してるんだろ?すごくねーか?仕事終わって発泡酒なりチューハイ突っ込んだらもう何もする気にならなくない?

就職のためにやったこと~

スーツ買った

面接対策本買って読んだ

履歴書を書いて出した

ぶっちゃけかると思っておらず、東京まで交通費だしてくれるので遊びに行きたかっただけ

面接

当たり障りない受け答え。今思えば会社名前を知ってるから受けてみましたくらいの薄い内容だったと思う

受かったのはそのテキトーさ、図太さが買われたのか?

帰りにアキバに寄りたい気持ちで心がいっぱいだったのは覚えている

~ただいま転職活動中~

家族の都合やら何やらで地元に帰ろうかなーと考えてはいたがめんどくさいので動いていなかった。

偶々今の会社取引先が地元に伝手があり、なんやかんやで線路が敷かれた。流れには乗る性質(正確には流れから降りれない性質)なので「まあいっか」で転職を決意。面接の日程待ち。

ちなみに勉強も何もしていない。腹が出てきたのでスーツ新調しようかってくらい。コネ万歳

~思うこと~

人生のかなりの部分は偶然と幸運に頼って生きてきた自覚はある。

大学にいってたらリーマンショック就職はえらく困難だったろうし、就職先の人間関係が肌に合わなかったら酷いことになっていたかもしれない。

とは言え努力とか苦手だし自主性を発揮してうまくいったことは稀だし、言われたことをやって、乗った流れから降りず(降りれず)にやってきた訳でそれ以外にどう生きていいかからない。

なにかやらなきゃなーって気持ちが無い訳じゃないが、帰宅途中のコンビニストロングゼロ一本ひっかければどうでもよくなるしまあいっか。

たぶん、自分みたいな人間地方地縁血縁がんじがらめだからこそやってこれたんだと思う。

自分能力選択責任を持つ都会式のやり方だととうの昔に脱落してただろうなって感じる。

地元に戻ろうってのも東京が合わないなって感じるところが大。遊ぶには素晴らしい場所だけど根をおろして第二の故郷にしていい場所じゃないと思った。

転職が終わって落ち着いたら「地方から見た東京」とかそんな感じの匿名ダイアリーに書いてもいいかもなー(たぶん書かない)

2019-03-29

anond:20190325162337

Refunct

定価310円だけどよくセールやってて二桁円で買える。何なら現時点で96円になってる。

1時間もあれば1周できるミニマムパルクールゲームだけど、心地よい音楽と美しい光表現の中で黙々と小島を飛んだり跳ねたりしているとじんわり癒されてくる。

EDちょっと感動的で、初プレイの時は50円で買ってすまん!1000円くらいなら払うが!?という気持ちになった。

ABZÛ

風ノ旅ビト」を作ったクリエイター作品といえばピンとくる人も多いのでは。

圧倒的に美しくて穏やかで雄大な海を、多種多様海洋生物たちと共に泳いで探索するアドベンチャーゲーム。ちょいちょい寄り道しながらプレイしても2~3時間ほど。演出音楽も素晴らしく、ゲームというよりインタラクティブ映像メディアに近い。

技術的な話をすると魚群で全く処理落ちしなくてすげーって思った。

PS4版もあるよ。

Machinarium

機械たちの街で暮らすとあるロボットを操るポイントアンドクリックアドベンチャーゲーム。これもまた音楽が良いし、手書きグラフィックも愛らしい。

基本的にはパズルを解いて先に進む、の繰り返し。正直パズル難度はかなり高いがヒント機能もあるし、何ならミニゲームクリアすれば解答を見ることも可能。そこは各々折り合いをつけてやっていきましょう。

Brothers - A Tale of Two Sons

中世ヨーロッパ風のファンタジー世界で、病に倒れた父のために兄弟が薬を求めて旅に出るアドベンチャーゲーム

コントローラーの左半分で兄、右半分で弟を操作するというかなり特殊システムになっていて、多少癖はあるもの兄弟をきっちり連携させられた時の嬉しさはひとしお。絶対にこいつらを故郷に生きて帰すぞ!という親目線になる。パズル難易度も高すぎず低すぎない良バランスグラフィックも美しい。1周3~4時間ほどで、5~6時間あれば実績コンプ可能

-------------------------------------------------

とりあえずぱっと思いついたやつをぱぱっと書いた。後で追加するかも。しないかも。

良いSteamライフを!

トラバにもあるけど「Portal」「Portal2」はしょっちゅうセールしてて安いし超傑作だし買って損しないよ。ご褒美にケーキもあるから是非プレイしてみてね。

2019-03-26

今日、この日から、あたらしい日本のみ

この日記には、とても特別意味があります。なぜなら、単なる世代交代をしているわけではなく、東京から国民である皆さんへ、世代の主役を取り戻しているからです。

まりにも長い間、東京にいる一部の人たちだけが社会から利益恩恵を受けてきました。その代償を払ったのは残りの国民です。東京繁栄しましたが、国民はその富を共有できませんでした。政治家などは潤いましたが、職は失われ、会社は閉鎖されました。権力層は自分たちを守りましたが、日本国民を守りませんでした。彼らの勝利は、皆さんの勝利ではありませんでした。彼らは首都東京で祝福しましたが、日本全土で苦しんでいる家族への祝福は、ほとんどありませんでした。

すべての変革は、この場所からまります。今、ここで始まっているのです。なぜなら、この瞬間は皆さんの瞬間だからです。皆さんのものです。今日、ここに集まっている皆さん、地球のどこかでこれを見ている皆さんのものです。今日という日は、皆さんの1日なのです。これは皆さんの日記です。そして、この今の日本の国は、皆さんの国なのです。

本当に大切なことは、どの勢力実験を握るかということではなく、政府国民により統治されることです。2019年3月26日のこの記事は、国民がこの国の治める日として、これからずっと記憶に刻まれるでしょう。この国の忘れ去られた人々は、もう忘れ去られることはありません。誰もが皆さんに耳を傾けています。何千万の人々が、歴史的運動に参加しています

今まで日本の人々が見たことのない動きが起きています。この動向の中心にあるのは、とても強い信念です。それは、国は国民奉仕するために存在しているということです。日本国民は、学生子供たちのために素晴らしい学校を望んでいます。また、家族のために安全を、自分自身のために良い仕事を望んでいます。正しい人々、そして、正しい国民がそう望むのは正当で、当然のことです。

しかし、多くの市民には、異なる現実存在しています家族子供学生貧困憎悪に苦しみ、産業は錆びき、日本全国に墓石のごとく散らばっています労働低賃金かつ劣悪で、輝かしい成人たちは、社会活躍できていません。犯罪差別病気があまりにも多くの命を奪い、花開くことのない可能性をこの国から奪っています

こうしたこの国の殺戮は、今ここで終わります。今、ここでです。

私たちひとつ国家であり、彼らの痛みは、私たちの痛みです。彼らの夢は、私たちの夢です。そして、彼らの成功は、私たち成功です。私たちは、ひとつの心、ひとつ故郷ひとつの輝きに満ちた運命を共有しています今日、私がした就任の誓いは、すべての国民の忠誠の誓いです。

何十年もの間、私たち日本産業犠牲にし、他国産業を豊かにしてきました。他の国々の教育を援助してきました。一方で、日本教育は、悲しくも枯渇しています私たちは他の国の生活を守っていますが、自分たち生活を守るのを拒んでいます外国に何兆円ものお金投資しましたが、日本インフラ絶望に陥り、腐っています。他の国々を豊かにしましたが、自国の富、力、自信は、地平線のかなたへ消えて行きました。ひとりずつ、貧しい若者移民になり、あるいは自殺者となり、この国を去りました。数百万人の日本労働者が置き去りになることなど考えもしないで、そうしたのです。平均的な日本人の環境が、その家庭から奪われ、日本のあちこちないし世界のあちこちに再分配されました。

しかし、それは過去です。今、私たち未来だけを見据えています私たち今日、ここに集まり、新しい決意を発し、すべての街、すべての日本都市、すべての政党にそれを響かせます今日、この日からまります。新しいビジョン日本を治めるでしょう。今日、この日から、あたらしい日本のみになります新しい時代のはじまりです。

経済福祉政治生活についてのすべての決定は、日本労働者と家族利益のために下されます他国暴挙から国境を守らなければなりません。彼らは私たち資源産業生産し、私たち資産産業を盗み、私たち仕事破壊しています保護こそが偉大な繁栄と力に繋がるのです。

私は全力で皆さんのために戦います。決して失望させません。日本は再び勝利します。これまでにない勝利です。雇用を取り戻し、国境回復し、富を取り戻し、そして、夢を取り戻します。このすばらしい国の隅々に必要最大限のインフラを整備します。生活保護を受けている人たちに仕事を与え、日本労働者の手と力で国を再建します。貧しい学生教育を与え、日本を再び輝きのある国にします。

私たちは2つの単純なルールに従います日本国民は常に日本社会に向き合っていくことです。世界の国々と友好的な善意関係を築きますが、すべての国には自国利益を優先させる権利があることを理解した上で、そうします。私たち自分たち生き方をすべての人に押し付けることはしませんが、模範として輝やかせたいと思っています私たちはすべての人が追随するような輝きを放つでしょう。私たちは古い同盟関係を強化し、新たなものを形づくりますマフィアのような悪質なアウトローに対し国民を結束させ、日本から完全に根絶させます

私たち政治の基盤は、この国への完全な忠誠心です。国への忠誠を通し、私たちはお互いへの忠誠を再発見するでしょう。愛国心に心を開けば、偏見など持たないはずです。私たちは隠さずに思っていることを語り、相違について討論しますが、いつも団結を求めなければなりません。国民が団結すれば、誰もこの国を止めることはできません。

恐れることはありません。私たちには未来保障されています。そして、私たちはこの先の未来保障されているでしょう。私たち学術界や社会の素晴らしい人たちに未来保障されています。そして、最も大切なのは未来国民が常に追求し続けることです。

最後に、私たちは大きく考え、さらに大きな夢をみなければなりません。この日本で、私たちは分かっていると思うのですが、国家は、努力してこそ存続するのです。口ばかりで行動が伴わない人間をこれ以上受け入れることはできません。彼らは文句ばかり言って、何もしていません。意味のないお喋りは終わりを迎える時です。今、行動の時が来ています。それはできない、と言うのはやめましょう。どんな課題も、心を開き、戦うという精神を持てば、乗り越えられます。失敗することはありません。私たちの国は再び繁栄し、栄えるでしょう。

私たちは、新しい時代誕生に立ち会っています。この世界神秘を解き明かし、未来産業テクノロジーを利用する準備をしています。新しいこの国の誇りは、私たちの魂を揺さぶり、視野を高め、分断を埋めるでしょう。今こそ、思い出す時です。成人男性、成人女性未成年者、誰であろうと、同じ愛国心の赤い血が流れています私たちは同じ輝かしい社会享受しています。みんな同じ偉大なこの社会に忠誠を誓っているのです。子供ビル文化の発信地の都市部で生まれようと、緑豊かな田舎で生まれようと、同じ夜空を見上げ、同じ夢を心に抱き、同じ全知全能の創造主によって生命の息吹が吹き込まれます

ですから国民の皆さん、すべての街に住んでいる同胞の皆さん、それが近くても、遠くても、小さくても、大きくても、山から山まで、海から海まで、この言葉を聞いてください。皆さんは再び無視されることは決してありません。皆さんの声、希望、夢が、この国の歩む道を決めるのです。そして、皆さんの勇気善意、愛が、その道を永遠に照らすのです。

一致団結して、私たちはこの国を再び強い国にしましょう。この国を再び富める国にしましょう。この国を再び誇り高い国にしましょう。この国を再び輝きのある国にします。そうです。ともに力を合わせ、この国を再び偉大な国にします。ありがとうございます

2019-03-25

anond:20190325143813

設定として生きれるのか分からんけど、実はキリコ故郷を守るために立ち上がった愛国心あふれる少年だったらしいな。

まあ、本編のあいはとことん自分のために生きてる気がするけど。

2019-03-22

旅行のできる年齢

こんどのGWに車で3時間半ほどかかる祖父母故郷に、四世代祖父母、両親、自分、妹、自分配偶者及び子(幼児2人))で旅行をしようと計画していた。祖父母も楽しみにしてくれていた。

なんとなく祖父母と行く最後旅行かな、と思い、少し良いホテルも予約した。(私が小さい頃は共働きの両親に代わって、祖父母がよく旅行ドライブに連れ出してくれたが、私が大きくなるとそれもなくなっていった。祖父母孝行がしたくなった頃には、私には小さな子供がいたため、なかなか余裕がなかった。子供が少し大きくなって旅行も楽しめるようになった今がチャンスだと思ったのだ。)

ただ昨日祖母から電話がかかってきて、祖父最近失禁をするようになってしまったので旅行は難しいかもと言われた。祖父昭和一桁生まれなので、まぁもういい年だし、しょうがないのだけれども、やっぱりすごく残念だ。

とりあえず、迷惑にならない範囲で定期的に顔を見せないとな。

あと、私の母(祖父母の娘)が我関せずの態度をとるのが気になる。祖父母電話をかけてもいつも出ないらしいし。まぁ親の老いに向き合うのは難しいのかな。

2019-03-14

いま東京一人暮らししてる

親が退職するしこちらに深い人間関係もないんで、故郷に帰ってもいいかなと思うんだけど

そうすると今話題の子供部屋おじさんになりそうなんだけど

バシーンする姪もいないしやっていけるんだろうか

anond:20190313235046

俺昨日こんな事書いたんだけど

https://anond.hatelabo.jp/20190312142719


多分、元増田はこれに反応して、今日自分は夏には海外脱出する設定で書いたんだと思うわ

夏になっても日本から脱出はしてないと思う


あとひょっとしたら、日本人じゃなくて

どんな方法でも良いかこちらの国力を削ごうとしてる故郷半島の上か下の人なんじゃないか

いくら左翼だとしても、こんなに毎日日本は駄目だ日本は駄目だ

って騒ぐ必要ないもの

それか病気の人だね(言わんでも知ってるか)

2019-03-03

anond:20190303214637

地元とか故郷とか言ってるけど


← って、そりゃ一般論として語ってるんだろ。

そういうのが嫌なら最初からその辺の事情も書けよ......

anond:20190303172537

地元とか故郷とか言ってるけどそんな事一言も書いてない

家族も友人も居ないし職場も無いから戻ってもどうしようも無いんだなあ

あはは

anond:20190303143553

あなたにはたくさんの心を通わせている、お仲間がいらっしゃるじゃない。素晴らしい。

故郷には尊敬すべき美しいご両親、ごきょうだい。最高。

anond:20190302004438

帰る場所があって、そこがあなたにあってるなら帰ればいいよ。

素敵な故郷でお育ちになったんですね。いいなぁ。

東京が嫌いな(都会が嫌い)友人がいたんだけど(彼女はいつも自然の綺麗な土地旅行する人)

私が東京暮らししてる時、他の友達と一緒に泊まりに来てくれたよ。

嫌いな東京に、仲良しの私が住んでたか気持ち複雑だったみたい。

そしてやっぱり都会はごちゃごちゃしてて苦手とずっと言ってた。

選択肢が多すぎて、混乱する、という表現もしてた。

書店でもビルフロア全部使ってたりするでしょう。

2019-03-02

上北沢

京王線上北沢という駅がある。

新宿から15分程度の、各駅停車しかまらない小さな駅だ。

世田谷区と言えどお世辞にも華やかとは言えず、駅前唯一の商店街はもう何年も前からシャッターが閉まったままの店が多い、寂れた駅だ。

駅前の桜が有名ではあるものの、駅から伸びる道沿いに木が映えているだけなので、満足に花見も出来やしない。

他に特筆すべきは、自動車教習所があるとか、色々な逸話のある巨大な精神病院があるぐらいで、日常生活で楽しめるような施設は本当に少ない。

僕がそんな上北沢に住んで、もう18年になる。

上北沢について聞かれた際に、僕はいつも自虐を込めて「下北沢と間違えられる為に存在している駅さ」と応えている。

事実、金の無いバンドマンだった僕は電車代すらも惜しんで当時仲の良かった女の子たちに上北沢まで来てもらうことも多かったのだけれど、初めて来る子が「駅に着いたけれど何処に行けばいい?」と電話を掛けてきた際に、その後ろに喧騒が聞こえたりしようものなら、大概は下北沢にいるのだ。

この下北沢というのが曲者で、どちらかと言えば下北沢にとって上北沢曲者というのが正しい表現かもしれないが、二つの駅は隣り合う駅などではなく、上北沢京王線下北沢京王井の頭線と、乗り換えも必要結構離れた駅なのである

この二つの駅が離れているのは、どうやらこの辺りには地下を通る北沢川という川があり、その上流と下流位置しているかららしく、その北沢川をずっと辿っていくと目黒川まで通じているらしいのだ。

こんな豆知識も、住みたい街ランキング上位に名を連ね、音楽の街だの古着の街だの様々な二つ名を持つ下北沢に対するのが全く無名上北沢では、話したところで「そもそもそんな駅あるんだ」で終わってしまうのである

散々なことを書いてきたが、僕はこの上北沢という場所が嫌いではなかった。

駅同士の間隔が狭い京王線新宿寄りの区間において、上北沢急行まで止まる桜上水快速まで止まる八幡山に挟まれて、乗り降りする人は朝のラッシュ時ですら疎らだ。

意味も無く学校サボりがちだった高校生の頃、二度寝した後の昼過ぎ上北沢駅のホームは端から端まで人の姿が無く、蝉の声や風で揺れる木々の音がいつもより大きく聞こえた。

終電を過ぎた時間になれば、コンビニこそあれど休日オフィス街より静かな駅前で、集まった音楽仲間と無駄に大きい銀行駐車場に座ってカップラーメンを啜りながら叶いもしない夢について語り合った。

何も無い、人もいない上北沢にも、唯一自慢出来るお店が在って、いつの間にか出来た駅前ベーグル屋だけはそれなりに有名で、インターネット情報によると国内でも随一の実力派の店舗らしく、確かに美味しかった。

バンドマンという肩書きに騙されてクズ男の実家にこそこそと泊まりに来る女の子を連れては、朝食代わりにベーグルを一つか二つ買って、上北沢駅は素通りして隣の桜上水まで歩きながら食べるのがたまの楽しみだった。

そんな記憶ももう何年も前の話である

社会人として働き始めてからは日々が過ぎ去っていくのはあっという間で、僕がくたびれたおっさんになっていく一方で、件のベーグル屋は同じ上北沢の中で移転して大きく綺麗になっていた。

因みに、移転先には元々和菓子屋があって、カフェオレ大福という何だか不思議お菓子名物で一度食べた記憶はあるもののそれが美味しかったのか美味しくなかったのかは定かでは無いが、まぁ、そんな些細な変化があった。

上北沢と同じように大した変化は訪れないと思っていた僕の人生にも意外や転機は訪れるもので、結婚という人並みに幸せそうなイベントや、就職した際には一生この仕事を続けるなんて思っていた癖にすんなりと決まってしまった転職で、僕はこの上北沢を、東京を、関東からも離れることになったのだ。

離れることが決まると、大した思い入れもなかったはずの上北沢という街が、急にいとおしくなってくるのが不思議だ。

大学時代に長期休みが来ると故郷に帰る友人を羨ましく思っていたが、この山も海も無い、何も無い街が、僕にとっての故郷なのかもしれない。

2019-02-26

聖書ってなろうのパクりじゃん

神様からチートもらいました←なろうじゃん

まれただけで賢者がなんかくれました←なろうじゃん

特に勉強しないけど十二才の時天才でした←なろうじゃん

三十過ぎて救世主転職しました←なろうの読者に媚びてるじゃん

正論老害ども論破しました←なろうじゃん

何をやっても貰ったチート解決です←なろうじゃん

気づいたら仲間が増えて慕われてます←なろうじゃん

故郷に帰ると何だかバカにされます←なろうの読者の同情誘ってるじゃん

気づいたら救世主として指導地位を期待された←なろうじゃん

裏切られるのは実は知ってた←なろうじゃん

ほんとに裏切られて死んじゃう←かわいそう

でもチートのお陰で復活しました←なろうじゃん

聖書から改題して

「え、ただの大工の息子が救世主?ほんとのパパは全知全能で世界を救っちゃいました」

に変えるべきだよな?

悲報

ほねしゃぶりとかいブロガーのパクりだったと判明する。

面白かったです。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん