はてなキーワード: 微塵もとは
tribird 学校指定の学生服やかばんはいいの?この人はどこまでなら許容できるんやろ。
その他
ultimatebreak
ultimatebreak そんなこといったら義務教育そのものが人権侵害になってしまわないか・・・?
その他
n_vermillion
n_vermillion 田舎の中学校だったけど、部活が強制入部だったのに入りたい部活がなかったのは理不尽だったといまだに思っている。新規に部を立ち上げるぐらいの柔軟性はあっても良かったと思うんよね。
その他
hiro7373
hiro7373 反論多いけど、会社で考えたら普通に嫌かな。何で学校だと許容されるんだろうね コメント
その他
f_oggy
f_oggy こういうの見ると別け隔てなく受けられる義務教育って大事だなって思うわ
その他
chinu48cm
chinu48cm 行かない自由はあるぞ。熱出ていけなかった勢ですし
その他
sekreto
sekreto 体育祭ならわかる
その他
yoiIT
yoiIT 「喧嘩せず自分が降りる駅まで平和に乗ってられなきゃダメじゃない?その訓練じゃないか、学校は。友達でもない仲よしでもない好きでもない連中と喧嘩しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。」ヒロト
その他
tuuz
tuuz 歳を重ねるほど思うということは嫌でも思い出してしまうトラウマになるような出来事があったんでしょう。でも楽しかった人も多いから具体的に書かないと同情してもらえないよ。
その他
ftq
ftq 歳を重ねてから思うことか?もっと早く気づけよ。参加するという選択をしたのは誰?
その他
lifefucker
lifefucker この辺の感覚は学校や教師や時代によって分散大きいだろうな。なのでブコメもバラける
その他
nakag0711
nakag0711 教育というのは生徒を一人前扱いしないであれこれやらせるわけで、形式的には人権侵害の面があるが、だから止めろと簡単には言えない
その他
nagahitoo
nagahitoo 年重ねてるのにまだ学生時代のこと繰り返し思い耽ってるの…
その他
ringonouen
ringonouen いや人権侵害なんか無いほうがいいでしょ。個人の人権侵害してまで県外に出る必要もない。トップブコメが軒並み「それ含めていい経験」みたいな論調なのが解せない
2024/02/19 リンク yellowyellowyellowyellowyellow
その他
rain-tree 個人の宿泊旅行が一般的になった今は本来の役目を終えたといえるかも。だが最初はそうでなかったから公教育の枠組みの中で全員に機会を提供する意味があったし、或いは恩恵を受けた同級生が増田にもいるかもしれない
その他
cl-gaku
cl-gaku 重ねるほど薄れるんじゃないのか
その他
sumanhoho
sumanhoho 部活も修学旅行もお金ないと出来ないよ(実体験)
その他
quick_past
quick_past 嫌でも参加すれば、後でいい思い出になる。なんて言い方よくあるけど、参加しようがしまいが、いい思い出もわるい思い出もあるし、人生なんて比較対照しようがない。毒親の虐待すら肯定しうる考え方。
2024/02/19 リンク yellowyellowyellowyellowyellow
その他
songe どんな齢の重ね方やねん
その他
PrivateIntMain
PrivateIntMain 修学旅行はさておき、部活は特段の事情が無い人は全員どこかに所属しないといけないとか謎すぎるだろと思って適当にやっていた。まああれも人は1人じゃ生きてけんのよって教育だったのだろうと勝手に思っている。
その他
pekee-nuee-nuee
pekee-nuee-nuee 生徒本人の希望制にしたら良いし、金の話は公立校なら公金で負担してやるべきだ
その他
eiki_okuma
eiki_okuma うちの中学、海岸から島まで6km遠泳させられたが……なんだかんだ泳げるようになったので良かったとおもう 絶対大人になってからやらないし……
その他
mirakukira
mirakukira 子供時代に仲間と一緒に何かをするという経験を積んでおくことは大事だよ、そういう仲間増田にもいるでしょ
その他
wuzuki
wuzuki 理由は分からないけど、修学旅行に行かなかった同級生いたな。私も身内の不幸と重なって行ってない修学旅行がある。まぁ、そのときは苦手な子と同じ班だったから行けなくても別に良かったけど。
その他
LethalDose
LethalDose 楽しくはなかったけど、家族旅行をしない家だったので、そういう行事がないと交通機関の使い方がわからなかったかも。本でなんとなく方法は理解していたけど。
その他
keren71
keren71 高校は任意だった。修学旅行に海外とか選択肢がある学校は羨ましい限り。
その他
Karosu
Karosu 修学旅行は、乗り物の乗り方を体験するという意味で必要かな。部活は入りたいっ部活がないなら、自分で部活を作れることを示すならば教育的に悪くはないと考える。
その他
ayumun
ayumun 修学旅行は当日病欠できるから、休もうと思えば休める
その他
atoh
atoh 中高ともに部活必須でなかったのは幸運だったな。部活してないと受験面接の時に部活やらなかった理由聞かれたりするんだって?大変やな。 増田 部活
その他
mtoy
mtoy 嫌なことから全部逃げて、人生がうまくいくとは思えない。嫌なことを経験してそこから学べることも多い。俺も部活は嫌いだったけどやってよかったと思っている。
その他
corydalis
corydalis 黎明期は日本人も娯楽が少なかったし江戸期同様生まれた土地で一生過ごす人も多かったので意義もあったが、今となっては修学旅行親のカネを旅行業者に流すためだし部活はお守りを教員にやらせてるだけ。やめるべき。 自民党の悪政大人とは世も末老害犯罪これはひどいあたまがわるい
その他
daysleeeper
daysleeeper なにをいまさら。自分は部活嫌で帰宅部、修学旅行も運動会もバックれて全く参加してないけど、授業はふつうに出てたし、ふつうに卒業して、いまもふつうに社会人です。サラリーマンではないけど。後悔もゼロ。 増田教育
その他
inuinumandx
inuinumandx ワイ中学も高校も修学旅行京都だったの。だから、別の所行きたかった。京都いい所だけど…見る所大体一緒じゃん。あとお金ないとつまらない。
その他
minaminoani
minaminoani 片田舎の公立校だが中高と部活が強制だったことは無かったなあ。今から思えば不思議だが、修学旅行はクラスメイトに恵まれたせいか、嫌な思い出がない。あの頃のまま育てば陽キャになってたのかなあ。
その他
um-k3
um-k3 あと「皆仲良くしよう」とかいうイジメの発端になるクソな考え方な。早く「皆仲良く」なんて無理だと気づいて、嫌いでもいいけど事務的な対応だけはしようねって教えるようになればいいのに
その他
natumeuashi
natumeuashi 嫌な経験や理不尽な思いもしてみないと想像すらできないから、若いうちにできるのは貴重だよ。(学校の教師はそんなこと微塵も思ってないのが胸糞だけどー‥)
その他
listeningsuicidal
listeningsuicidal 部活はそう思う。中学は特に選択肢だいぶ限られてたし。
その他
MacRocco
MacRocco 歳を重ねるほど思うけど、校則違反とかちょっとしたことでガチギレする教師達ってすべからく頭おかしいと思う
その他
hate_flag
hate_flag 修学旅行はあんまり行きたくなかったが行ったら楽しかった。でも部活動は運動部しかない上に全員強制参加で「殺す気か」と思った。幽霊部員になるというライフハックを学んだのでヨシ!
その他
kagerouttepaso
kagerouttepaso 年代にもよるのかも。上の年代は体育マットで簀巻きにして殺されてもオタクならしょうがないって価値観だもんね。
その他
plmoknijb
plmoknijb 集団行動とか社会規範ニガテだけど義務教育あれこれは辛いことも含めて良い経験になったと思っている。なお高校は行ってない。大学は集団行動とか社会規範への不思議を紐解きたいという興味で選んだ
その他
dazz_2001
dazz_2001 修学旅行は社会経験の一環だからなぁ。飛行機に乗った事がない。電車に乗った事がない人とかね。プールやスキー学習とか。学校のスキー学習がなかったらスキーとかやっていないので感謝している…
その他
beed
beed 条件的には他の授業と同じだろうと思うが。音楽や体育、数学やりたくない人もいるだろ。自分が嫌だったものだけ切り出して人権侵害とか言ってもなぁ。
その他
kettkett
kettkett 確か体調不良で行けなかったんだけど。詳細思い出せない程度には記憶から消してたんだなと。このまま忘れてしまいたかったなあ
その他
kalmalogy
kalmalogy トップブコメ、一定理解は示すが修学旅行の積み立てできなくて行けない家庭もあるから強制感を出せば行かせてもらえるような書きぶりもどうかなぁ。ケチりたい親、下手すると子供にバイトさせて賄うよ?
その他
katte
katte まあ強兵のために作られたから。
その他
exciteB
exciteB 年を重ねると、「生み落とされたこと」が圧倒的に人権侵害だとよくわかる。結局は老化して病気で死ぬ。
その他
Baybridge
Baybridge コロナで修学旅行行けなかった世代が大卒就職するまであと数年。/コンプレックスになる人と開き直ってネタにする人どちらが多いんだろう。 増田旅行人生
その他
ykktie
ykktie 高校の修学旅行のときは精神状態が激悪で、前髪を伸ばして周りから目が見えないようにしてたくらいなのに、何故か嫌な記憶がない。というより昔過ぎて細かいことは忘れたのかも
その他
porquetevas
porquetevas 小中学校つまらなすぎて行きたくなかった。この世の理不尽さを学べたことだけが良かった点
その他
oeshi
oeshi 表向きには示されてないけど行きたくないって言えば行かなくても良くなるんだよ…ちなみに一部底辺校では面倒だし仲間で行った方が楽しいから行かないって子が結構いるんだよ…
その他
lavandin
lavandin 小中と修学旅行がホントに嫌で嫌で高校でも行きたくない!!と騒いだが、実際行ってみたら面白すぎてなんだかんだで別の国だけど海外住んでるから必要だったかな。でも妹は体調崩して海外ダメになったし一長一短
その他
sukekyo
sukekyo おれは学生生活って強制的な人権侵害があったのは絶対に良かったと思ってる。「行きたくなかった」「嫌だった」って感情や記憶も込みで大事。いろいろな気づきや思いや考えを得られるから。今後も続けるべきと思う。
2024/02/19 リンク yellow18yellow 3 clicks
その他
rakugoman
rakugoman 若い頃から最適化されてると、つまんない人間になるぞ。本当に歳を重ねたのかい?
その他
tome_zoh
tome_zoh 部活は機会や課外活動の場の提供という意味で意義あると思うけど、全力以外認めないみたいなのやめてほしい、特に強制所属なら。やる気がないとかゆるくやりたい子の逃げ場はあっていい。
2024/02/19 リンク yellowyellowyellow
その他
north_god
north_god 参加してつまらなかった、嫌な思いをした、は次の反省点として向いてない事はやらないとか能動的な選択に繋がるが「〇〇やれなかった」はただの後悔にしかならない。一生向いていない事を切り捨てられんよ
2024/02/19 リンク yellowyellowyellowyellow
その他
murlock
その他
tokitori
tokitori わかる~。代表学年だけのとこもあって地域性あるんだろうけど、卒業式とか何で関係ない学年が出席して馬鹿みたいな余興みたいなのせないかんのだよ、とか小学4年生の時には思ってた
その他
deep_one
deep_one 修学旅行がなんなのかいまだに分かっていないようだ。/「全員参加の部活」がやりたいことはわかるんだが、あれは「本気で部活する人」の妨げにもなるのよね。うちの学校は確か「本を読むだけ」とかの部活があった。
その他
edam
edam 学校が嫌だった過ぎて子供産んであんなとこ入れるの可哀想は結構ある思想だと思う。
その他
valvelde
valvelde 修学旅行を希望制にするなら毎日の授業も希望者だけでいいはず
その他
ledsun
ledsun それを言い出すと「義務教育は人権侵害」も言えちゃうぞ
その他
hobbiel55
hobbiel55 それが人権侵害なら、教室にみんなで閉じ込められて勉強させられるのも人権侵害にならないか? educationtravelanond
その他
keidge
keidge 確かにまともに集団生活する機会なんて学生時代くらいしかないよね。私も苦手なタイプだったけど、得られるものは多いと思うよ。知識より経験の方が何倍も強いのが現実だし。
その他
zubtz5grhc
zubtz5grhc 学校に通わせられるのも働かされるのも金がないと生活できないのも人権侵害だわな。私は考えるのをやめてるが。
その他
mtk_inrs
mtk_inrs そう、希望制にすると親の都合で行かせてもらえない子が出てきてしまうかもしれないからね、、DX進めろ進めろ言うけど当たり前のように家にWi-Fi飛んでない家庭もあるからなかなか
その他
rna 初等教育全般が人権侵害的と言えばそうなんだけど、一定の知識とスキルを身につけないと本人が自分の権利を守れないからなぁ。軍隊教育由来の部分とか時代に合わせて何が必要かは再検討が必要だけど。
その他
songsfordrella
songsfordrella 高校の修学旅行、おそらくは外で干したのだろう宿泊先の宿の布団がブタクサの花粉だらけで、ひたすらくしゃみをしていた記憶しかない。そんなしょうもない思い出でも今となっては懐かしいもんです。
その他
その他
chihiru
chihiru 中学の修学旅行は積立式だったけどそのお金を親が出してくれなかったようで不参加だった子がいたな…お金のことよくわかっておらずみんな当たり前に行くもんだと思ってたから少しショック受けた当時
その他
mur2
mur2 拒否すれば参加せずにすんだのでは?/自分もSoundCloud聴きながら2時間でも3時間でも長風呂してしまうのでいつも最後に入るようにしてる。
その他
unakowa
unakowa いじめられていたら話は違うが、そうでないなら集団 Permalink | 記事への反応(0) | 19:51
子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。
子どもたち「絵、うま!どうして?」
親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」
子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。
こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。
ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。
最近はオタク文化が根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく)
というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…?
ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。
*
初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。
想像が目に見えるという楽しさで描いていた気がする。
しかし当時は
みたいな時代だった。それか自分の学校の治安が悪かったのかもしれん。
「うえ~wこいつ絵なんて描いてるぜ~wキッショ!」
である。
移動教室でちょっと自分の席を離れていたら、しまっていた自由帳を黒板に張り出されているし。
色鉛筆や道具箱消えているし。
女キャラを描いていたら
「おっぱい描いてるwきっも~~~www」
だ。
しばらくして図工教室に籠もるようになった。
担任も「絵なんて描いてないで外で遊ぼう!」しか言わんかったし。
その中でも絵を描く同士で集まって、出始めたころの初音ミクの衣装を考えてみたり、好みのイラスト本を共有し合っていたりした。奪われて晒されて怒られたこともあったけど。
同士がいることは本当に心強かったな。
絵がとんでもなく上手い奴がいたのだ。
マジで上手い。
な…なんだ…これ…背景?!…ぽ、ポージング?!横顔?!うま?!なんで?!
自分の絵なんて赤子どころではない。猿がかいた…いや猿の方がもっと上手い。
下手すぎる。なんだよ横顔をかけないからって逃げるなんて。
しかも鈴木は堂々と絵を描いていた。小学校時代に怯えながら描いていた自分とは違う。
「増田、どうしてそんなキャラをたくさん生み出せるの?!え、漫画も描いてる?!すごい!」
いいやつすぎる…なんだこいつ…。
私立だったからしらんけど、絵描きをいじめるやつはいなかった。
そして鈴木を中心にどんどん上手い奴が集まってくる。
「うまくならなきゃ!!!みんなに失礼のないように!」
鈴木がコミケに遊びに行こうと誘ってくれて、デジタルというのを知り親に頼んでみる。
「パソコンで絵が描けるみたいだけど、何か知ってる?」と父親に相談した。
父親は電化製品が大好きで、PCを自作するタイプの人間だった。
父親はペンタブという存在を知っていた。イラストソフトっていうのも知っていた。
「一緒に買いに行こう」と初めて秋葉原に遊びに行った。
すげぇ…あんなに迫害されていたオタクという文化が街に存在している…。
逆に渋くてかっこいいのもある!
ペンタブというものがあり、デジタルだとあんな絵が描けるというのも知った。
レイヤー?バケツ?解像度?ペンの種類多すぎじゃね?色どうやって作るの?絵の具とは違う?
でも毎日触っていた。機能がわからなくてもペンを動かすのは同じだったから。
このくらいからまわりが「アニメ絵やポップな絵が欲しいなら増田に頼む」という認識になった。
鈴木が「めっちゃ絵上手になれた。増田のおかげ」と言ってくれたこともあった。
自分にとって、鈴木は目指すところだし、憧れて悔しいところもいっぱいある。
でも一緒に上手くなっていくのが楽しかった。ライバルってこんな感じかもしれん。
鈴木にもようやく追いつけたぞ!と思った。
Twitterが盛り上がり時期で、このあたりでネットにも投稿し始めた。
ネット上にはもっともっと上手い人がいる。激うま。みんなプロじゃないのか?
でも自分の中では「自分はまだ高校だし」と思って、いつも通り適当に絵を描いていた。
大学受験が疎かになってペンタブを没収されるくらいに絵を描いていた。勉強しろって話だ。
変わらず授業中に絵は描くし、風邪ひいていても絵が描きたくて起きたり、兎にも角にも絵が描きたい!!!!!!!!!!という中高時代だった。
そう、これがやばい。
第二の衝撃。
みんな………………絵が………………うますぎる。
え?みんな先月まで高校生だよね?
え?え?
鈴木の絵は上手いと思っていた。まじでリアルの周りで頂点だと思っていた。全然だった。
鈴木の5000000000000000倍上手い奴らしかいない。(鈴木も十分上手い)
(ネット上だとプロとかもいるしと、なぜかフィルターをかけて「しょうがないよね」ってなってた。たぶんネットだから実感がなかったんだと思う)
比較して鈴木が下手の分類になると、必然的に追いつけたくらいの自分はもっと下手になる。
改めて自分の絵を見る。
へっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっただな!!!!!!!
クソみたいに下手な絵だな?!?!?!これで投稿していたんか!!!
みんななんで上手いんだ?!デッサンしたほうが良いのか?!
でも、デッサンをやっていない人ばかりだし、それでも絵が上手いってなんでだ?!
息をするように神うま激うま絵が出てくる!!
困惑しつつも、成人して鈴木と一緒にコミティアに出た。イラストと漫画。
計5部くらい売れた。終わり。
ようやく現実を突きつけられた。
「自分はうまくないんだ…」
鈴木は楽しそうだった。上手い・下手だけで生きていない聖人だったから。
「もっとうまくなりたい」とぼやいたら「向上心の塊か?なろう!もっと高みに行こう!」と言ってくれた。
何をすれば絵がうまくなるんだろうと悩んだ。
ペンを動かしても「違うよな…」となった。
塗り方を変えてみたりした。
たくさんのメイキングを見たり、ペンには何があるか、生物の構造は何があるかちゃんと勉強した。
なんとなく模写していたら上手くなっていたし、ちょっと意識すれば上手くなったからだ。
でも限界があった。
嘘みたいに絵を描く気力が落ちていった。
だって自分より上手い人なんてごまんといる。比べ始めてしまった。
絵を描いて…何がしたいんだろう。仕事にしたいわけじゃない。
どんなにインプットしても思い通りに描けない。アウトプットがうまくいかない。
授業中に絵を描くのは大学生になっても続いていたが、なんか満たされない。
片道2時間半の通学も車窓の景色を見つめてぼーっとしてしまう。
周りの真似や、メイキングをあさっても、なんかピンとこない。
「十分上手い」と言われても自分では納得できなかった。
つか、上手いってなんだ?何をもって上手いなんだ?
人体通りに描けていれば上手いのか?
でもそうじゃない人もいる。
崩しが上手い人、デフォルメが上手い人、モンスターが上手い人…。
ここで初めて「絵が上手い≠綺麗に人体が描ける」と思った。
絵が上手くなりたい。でも明確なゴールって?
鈴木を超えたら終わり?
楽しければいいと思っていたが、うまくなればもっともっと楽しい。
でも上手いってなんだろう?
『芸術は人の感情を動かすことができる。自己完結ではなく、第三者に影響を及ぼせる。
技術も科学も芸術も一人で終わってはいけない。第三者に影響させてこそ輝く。
社会貢献という形で自己の確立にもなるんだ。すでに君たちは与える側に立っているんだ』
その世界が伝わるから絵を見ることは楽しいし、すごいってなる。感動する。
絵を描き続けるだけが楽しいと思っていたが、元はそうじゃないって気が付いた。
想像を形にして、自分にそれが伝わるから楽しい。絵で感動しているからだ。
なら第三者に伝えられることができればもっと楽しいのでは?!感動させたら?!
せっかく芸術系の大学に入れたんだ!しかも他の学科も受けれる大学だ!
他のジャンルの授業を受けてもっともっといろんなものを見よう!
そこから自分が手にしたい絵柄、表現にたどり着こう!第三者に伝えられるように!
それでこそ自分の想像が完成する!自分の勘違いで終わらせない!
という結論になった。
流行りやあこがれで選んでいた絵柄は自分では表現しきれないと諦め、アニメ・ギャル塗りを極めようと絞った。
そして、好きなものは何だろう。自分が良く描くものは?と徹底的に自分が100%実力が出せるように調べた。
大変だった。
初めて絵を描いて「違う!!」「こんなの下手すぎる」となった。
漫画を描いてもストーリーはまた別の技術。これまた自己嫌悪になった。
何を描いても必ず楽しいにはならなかった。
「ゴミみたいな作品生みやがって…」と自分にキれることも増えた。
何作も描き終えては「ゴミだな…」となり、試しに小説を書いたりもした。
「くそみたいな話だな…微塵も面白くねぇ…」と二度と読み返さないのも増えた。
ふと、気が付いたらなんか想像していた通りの絵が描けた。
急にだった。どうした?
徐々に上手くなったのかもしれないが、突然意識して「あれ?上手くね?」となった。
無我夢中だったのか?
SNSでも反応が増え始めた。
完売した。50部
え…?
え……?
た、たどり着いたってこと?!
人生で積み重なって山になった自信がようやく噴火した瞬間だった。
つか作るのたのしぃ~~~!!
思った通りに!意のままに!絵が描ける!描けている!自分の勘違いじゃない!
賞をいただけて、意図が伝わっている!
伝わっているってこんなにも楽しいなんて!
20何年。ようやく堂々と絵が上手いと言え、それにうなずいてくれる第三者がいる。
なんとなく絵が上手いよねくらいじゃない、絵が上手い人にへと!
*
「「ずるい」は、自分に有利にするために、汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたりするさま。」ってgoo辞書にある。
どう見たってずるじゃねぇだろうがい!!!と叫びつつ、これをどうにか圧縮して投げつけたい。
「絵が上手いね。どうして?」と言われたら
「ずっと描いていたからね」と回答する。
とりあえずの最適解なんだよな。
でも、これを3年くらいでやってのける人間もいるしな~。世界は広いよな。
自分の絵は上手いと思うが、でもやっぱり去年の絵をみて「まだまだ」と思う。
だからおおっぴらに自慢できないけどさ、ここに残しておいてもいいよな。
AI絵とかできて自分の絵は不必要になるかもだが、それでも描いていたい。楽しいんだもん。
ちょっとでも誰かがすごいって感情が動いて、感動してくれれば、自分がこの現実に生きているって思えて嬉しい。
考えればこの親もずるいっていう感情が生まれている。嬉しいことかもしれない。
<余談>
鈴木のことは超えられない。というか超えるっていうの止めた。
鈴木も当然とんでもなく絵が上手くなっていて、すごいことになっている。
絵のジャンルは違うけど、いまだに嫉妬しつつ憧れているし、お互いの絵を褒め合って羨ましがって「いいだろ~」「お前上手いな!」と言い合っている。
インド人(日本語ネイティブ並で英語も趣味で教えてる)に尋ねたら、
公文とかでまずある程度の単語覚えるところから始めるといいと思うよって言われるレベルだけど、
なお、ネタ抜きに英語は仕事上、毎日眺めてるし、定期的に仕事で聴くし、多少なら書くぞ(なお英語出来る人の文面をコピペ)
でも微塵も出来ないやで
私のやうに諦めよく、楽天的な人間といふものは、凡そタノモシサといふものが微塵もないので、たよりないこと夥しく、
つまり私は祖国と共にアッサリと亡びることを覚悟したが、死ぬまでは酒でも飲んで碁を打つてゐる考へなので、
祖国の急に馳せつけるなどゝいふ心掛けは全くなかつた。
その代り、共に亡びることも憎んでをらず、第一、てんで戦争を呪つてゐなかつた。
呪ふどころか、生れて以来始めての壮大な見世物のつもりで、まつたく見とれて、面白がつてゐたのであつた。
私が最も怖れてゐたのは兵隊にとられることであつたが、それは戦場へでるとか死ぬといふことではなくて、
物の道理を知らない小僧みたいな将校に命令されたり、ブン殴られるといふことだけを大いに呪つてゐたのである。
ぐうたら戦記 坂口安吾
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42917_25521.html
これ→ - (半角ハイフン)を行頭に使うと箇条書き出来るよ。だからなんだ?という話でもないが
例
言いたいことがいくつかまとまりとしてあるので箇条書きの形式でまとめる。
・たとえば乙女ゲーにどっぷりだったりZEROSUM読んだりしてるような分かりやすいオタクが週刊女性とかワイドショーとか見てると思うだろうか?
むしろ彼女らは世間に疎いと言われるぐらいにはそういう井戸端会議のネタになるような、市井の地に足のついた、言い換えれば「夢が微塵もない現実的な情報」は積極的に拒絶してる感じするが。ピーターパン症候群も持ってそうだし。
(むしろそういう二次元系のオタクってピーターパン症候群的な童心が残ってることがそれになってしまう必要条件で、レディコミの生々しい内容を好める成熟した大人とは対極の存在に思える)
・琥珀の夢で酔いましょうが電子書籍サイトでレディコミに分類されているのがなんだうと思った。
「メシヌマ」よりはよほど男でも楽しめる余地ある青年マンガっぽい中身に感じるのだが、なにをもってレディコミなのか
(rentaやbookliveではレディースコミックや女性漫画に括られていて、シーモアやめちゃコミでは少女漫画に括られているので、全会一致というわけでもないが)
・フィーヤンはレディコミといわないという主張があって気になったんだが文句なしのレディコミってどんな作品だろうね。グランマの憂鬱とか認知症になった魔法使いみたいな、おばあさんが主人公の作品はほぼレディコミで確定かね。傘寿まりこは少女漫画と出版社側が言ってるが。
・レディコミには「男が容姿に対して可愛いと思うようなキャラが出てこない」というのが最低条件としてあるんだろうか?
たとえば乙女ゲーで例はひと昔古くて申し訳ないが薄桜鬼やうたのプリンスさまにはヒロインが可愛いという理由で男がヒロインだけ目当てでそういう乙女ゲープレイしてる事例はあった。
しかしレディコミだとキャラが可愛くて男のファンがつく、みたいな魅力がキャラにある作品は(ほぼ)皆無じゃなかろうか。
性的嗜好を刺激するような不細工さというのでもなく、ほんとうにただだぱっとしない売れ残りの女おばさんという感じ。
それはレディコミの定義に関する必要条件みたいなものだからだろうか?またこれにはは意図的に男性をファンから排除しようとする目的もあるのだろうか?
(ほぼ、と書いたのは「アラサー独女シマちゃんのベランダレシピ」)はレディコミならが可愛いヒロインだったから」
・レディコミには今流行りの画風からは外れたひと昔以上前の画風の作品が多い気がする(流行りの絵柄と一致しないのは、逆に画風が流行りにはいままでなかった未来に進んでいるからという場合も想定されるが、そういうわけではなさそう)
とするなら、レディコミを読むのは懐漫を読む感覚を、味わいたい、あるいは懐漫の雰囲気で新作の物語を読みたいからという人も多いのだろうか。
・レディコミや、コアブックスの風刺漫画などが「漫画」という主語で言及される資格を持っている違和感。
たとえばカズオイシグロのようなノーベル賞作家の小説を読む人と、フランス書院のエロラノベ(だけを活字主体の媒体としては)読む人がいたとして、
前者は当然「小説を読むのが好き」というだろうが、後者の人が「小説が好き」とは言わないと思う。
形式的な分類では純文学もエロラノベも確かに「小説」なのだが、あまりにも書き手読み手双方が持つ文化の間では隔たりがある。
そして前者やSFでもミステリーでも大部分はそれを読んでいることに対して、「小説が好き」ということには違和感は感じられないが、エロラノベをもっぱら読んでる人が「小説を好き」といっては、単に媒体だけ共通項の文化圏が他の小説好きの文化圏を侵してるかのような感じになる。
だからこの場合は「小説好き」というのは別に他の「小説らしい小説が好きなわけではない」ことからも自己認識に遭わないから、「エロラノベが好き」というより狭い括りでの言及の仕方になるんじゃないかと思う。
同じことはレディコミ等と他の漫画のあいだの関係にも言えそうで、レディコミはジャンプに比べれば「漫画らしい漫画」というところからかなり遠いところにあるものだと思う。
夢を見せる漫画や不条理をみせるにしてもドラマティックな展開があるのが漫画の多数派ななかで、レディコミは読者投稿に基づいたりするから淡々と現実を描写するだけになる。夢も希望もない。
作者がpixivもやっていてその作品が熱心なファンの萌え語りの対象になるような漫画と、作者がインスタやっててネット記事のおまけコーナーで中年主婦のリアルを描いてるような漫画では、それを取り巻く文化圏は全く相反して交差することもないと思う。
前者は漫画の代表(求心力の中心)たりえるが、後者は漫画のコマ割りや吹き出しや感情の記号化という形式だけを倣っただけの内容面では全然別物を描いてるのにその分類に対して間借りしているだけに見える。
まさに、学習漫画や進研ゼミの販促漫画を読むのが好きだった人が「漫画好き」にあてはまるのかなあ?と同じような感じ。それに対する態度も文化も典型的な漫画好きとは全然異なっていると思う。
あるいは「絵」とは形式を抽象すれば「色の違いによって平面に表現する」ことで、この点で油絵の風景画かラノベイラストレーターも絵描きで、作られたものは絵なのだけども
そこで「絵が見るのが好き」というとき、前者と後者を両方同時に内包し得るのかなあと。両者はその供給も需要もひっくるめて生い立ちの時点で全く異なる文化圏にいるもの同士だろう(もちろん美大出の漫画家レーターもいるっちゃいて前者の文化にもなじんでる人もいるだろうがむしろ例外的)。
そういう意味で、レディコミを読んでる人に向けての「漫画好き」と、少女漫画を読む人に向けての「漫画好き」(あえてレディコミを漫画という総称的用語で言及してよいのならだが)は、言葉が同じというだけで実質別物の意味合いと捉えた方が自然じゃなかろうかと。
・大人にとっては「向け」などないようなものなのに、漫画に対して出版社がいちいち手間かけて性別の年齢で分類するのはなぜか考えたが、まさに子供のためなのだろうと思った。
つまり「少女漫画」は子供の女から読めるが、男の子にはわない。「ヤングレディース」は高校生とか大学生じゃないと楽しめない確率が割とあるし、これまた男の子やその高校生大学生は楽しめない。
そして「レディコミ」は大人になってからじゃないと楽しめないが、逆に大人からみれば少年漫画も青年マンガもルポ漫画も楽しめるという具合。
だからこそ大人の視点でみるとこういう分類ってなんの意味があるんだろうと思えてしまうことがあるが、視点を切り替えればいいのだった。
「子供にとって自分に合うものを探すには便利な目安」なのだと思った。ラノベという分類の定義はほんとうにあってないようなものだが。
「やっぱりギャンブルは悪」 「ギャンブル中毒者はクソ」と盛り上がってるところに水を注すようで申し訳ない。
「ギャンブル中毒は際限なく金を使ってやばいよね」という意見はちょっと脳みそオメデタすぎです。
最近の話だと、コロナ給付金をネットカジノで使い切ったなんてニュースを覚えている方も多いと思うのだけど、「横領したお金をギャンブルで使いきった」は横領したお金を手元に残したい人間の常套句でしかないです。
そういうことも疑おうとせず、「ギャンブルやばい」「中毒終わってる」という偏見で変人あつかいすることは、相手の犯行を成功させる後押しにしかなっていないということを理解しましょう。
24億5千万という金額が送金されたということですが、果たしてこれは本当に彼が「負けた」金額なのでしょうか。
ギャンブルというのは勝つ瞬間があるから楽しいのであって、負け続けるギャンブルに熱くなる人間はいません。
つまり水原氏も、総じて負けていながらも、どこかの瞬間では大金を勝利していることだってあるはずです。
そう考えると、24億というお金を使い切るには、その8~10倍くらいの金額を使っていないとおかしいということになります。
例えばパチンコで、1日に1万円程度何も当たらずに使い切ったとします。
でも、翌日は1万円で5万円勝ち、その次の日では1万円で5千円取り戻したりと、投資額と負け額とで少しずつ差が生じてきます。
こんなことを繰り返しながら1ヶ月でトータル3万円の負けとなったとしても、そこまで負けるためには20~30万円程度の投資金額が動いていたことになります。
普段は財布の中に残ったお金しか気にしていないかも知れませんが、実際には財布の中をお金が出たり入ったりしているわけです。
つまり水原氏も、24億の大金を負けるためには、200億近い賭け金を動かしていた必要があります。
ここで話が戻ると、24億5千万円は本当に「負けた」金額の総額だったのかという疑問が残ります。
報道では、アカウントにチャージした上で賭博を行い、負債額を精算するという形が取られていたようです。
勝った金額も全てアカウントに戻ってきて、ゲームを繰り返すごとにチャージが底をつき、それを繰り返しながら24億の負けになったと考えることもできますが、例えば、ゲームに勝ったときだけ自分の口座に出金して、賭け金だけチャージを繰り返すということも不可能ではありません。
つまり、24億5千万は水原氏が「賭けた」金額で、勝った金額だけを手元に残そうとしていた可能性だってあるわけです。
もともと返すつもりがあるなら増えたときは口座に入金することで損失を埋めようとしたはずですし、そういった行動なく負け続けたなら、もともと返すつもりなんて微塵もなかっただろうことが考えられます。
いずれにしてもアカウントからの出金を調べればすぐにわかることでしょう。
例えば人対人のギャンブルであれば、相手と結託することで自らの負け額を意図的に取り戻すことも可能です。
大谷氏の口座からの送金→水原氏がギャンブルで負ける→水原氏が負けた相手と結託して金額の一部を別の手段で受け取る
ましてや今回は胴元ともかなり距離が近いとされていて、二人で結託して大谷氏の口座からお金を盗み出すことが目的だった可能性だって十分に考えられるわけです。
仮に協力者がいなかったとしても、自らが複数のアカウントを使い分けることで、水原氏本人のアカウントから勝ち取る形で他のアカウントへ送金することも不可能ではありません。
水原氏本人が全ての金額を使い切ったといくらいっていようが、自分の手元にお金を残す手段はいくらでもあったわけです。
24億円全てを手元に残すことはできないとしても、例えば半分でも、さらに5分の1でものこれば普通の人間にしてみれば大金です。
直接全ての金額を手にすることはできなくても、できる限り証拠が残らない形で手元に残すことができるなら、それくらいのことはやってのけてしまうのではないでしょうか。
それに、いくら人の金だからといって、24億もの大金をただただその場しのぎの刺激がほしいだけで使い切れるものかどうかという点にも疑問が残ります。
仮に水原氏が大谷氏に対して他人では理解できないほどの恨みをつのらせていて、自らを犠牲にしてでも負債を負わせたいと考えていたなら有り得る話かもしれません。
しかし、いくら重度のギャンブル中毒者だとしても、その刺激以上に、その大金を自分のものにして経験したことのないような贅沢を味わってみたいと思わないわけがないのではないかというのが個人的な見解です。
個人的には、彼がチームメイトに向かって開口一番に「自分はギャンブル依存症である」という言葉を使ったことがずっと引っかかっています。
一つは、診断も受けていないのに犯罪の免罪符のように依存症という言葉を軽く口にすることに対して、本当に依存症で悩み治療を頑張っている人にレッテルを貼り付ける悪質な行為であると感じたこと。
一つは、そうして宣言することで、だから自分はブレーキをかけることなく負けに突っ走ってしまったのだという印象につなげようと意図的にその言葉を選んだのではないかという疑惑です。
いずれにしても、現段階で24億の全てをギャンブルで使い切ったと考えている人は、一度冷静になってもいいかも知れません。
水原氏本人にそこまでのずる賢さがなかったとしても、彼を駒として利用しようとしていた人間がいないとは言い切れません。
今回の件を、「ギャンブル中毒者がスーパーヒーローの大金24億をギャンブルですった」という視点ではなく、
「裏組織がスーパーヒーローの身近な人間を利用して24億もの資金調達を成功させた」という視点で見てみると、色々と見え方が変わってくるかも知れませんね。
老人とか治りようのない障害じゃなくて、怪我(骨折)と同じで時間経過で状態解除されるものなので
ついでに、自分の子どもの命や安全を他者の配慮に委ねる感覚わかんないです
ただ、老人や障害者には譲って欲しいと思ってるし、DQN親の子どもはどうなっても良いとは微塵も思わないので、
なんとかなるっしょとは微塵も思ってなくて
今までと同じようにその時その時で出来る範囲で楽しむだけのつもり
極端な話し数が増えすぎて限界なのでカスは処分ですな世が訪れたとしても
自ら命を絶ったり無敵の人と化してひと暴れなんて度胸は持ち合わせてないんで(多分99%の人がそうでしょ)
「うぇーん辛いよキツイよヤダヤダ助けてデモデモダッテー」
を鳴き声にして骨になるだけだと思う
ただ歩いてるだけなのに「コフーコフー」ってやたら息が荒い。H×Hにそういうデブいたけど本当にそういう呼吸するんだな〜って感嘆(?)したのはいいが気持ちが悪い。何か食べてるとクチャクチャペチャペチャ音を立てるのでやはり気持ち悪い。階段の昇り降りはトットットッ……という軽快さは微塵もなくドス、ドス、ドス……と重量感と一歩ごとの妙な間が存在する。さっさと歩けデブ。あ、デブには無理か。
お菓子の箱や袋を捨てるのが嫌なので「まだ入ってますよ」という建前のつもりっぽくカスだけ残す。麦茶のボトルを洗って新しいのを作るのも嫌なのでボトルにミリ残しで冷蔵庫に放置する。トイレットペーパーを取り替えて空の芯を捨てて予備の補充をするのも嫌なのでミシン目ひとつ分の何も使えない紙だけ残す。という具合に些細なことすらやりたがらない。歩いて5分10分の場所すら車に乗る。何か用事ができると最初の一言は「めんどくさいなあ〜」である。とにかく動きたがらない。だからデブなんだろうけど。
「痩せたい」が口癖だが根本的な食生活を見直す気はない。この頃はダイエットするのだと意気込んでジムに行き始めたが、ジムへ行く前にプロテイン入りのシリアルバーを貪り、1時間ほどしてジムから帰宅すると「お腹空いたあ〜」とポテチの袋を開ける。それを一人でモリモリ食べると今度は「頑張ってきたし休憩する」などと抜かして寝始める。この一連の流れを見ていると脳みその代わりに脂肪が詰まってるのかと思うほどである。
- 400万以上は別に高卒でも中卒でも都内の中小・ベンチャー/地方の地場の企業/地方で派遣でも余裕でイケます。
何故ならわざわざ大学を卒業してこの給与じゃコスパ最悪だからです。
でも現実には中卒・高卒と同じ給与で働いている人たちがたくさんいますよね?それは何故か?
新卒時に中規模以上の企業の幹部候補コースから外れたからです。
それから外れたら研究職・公務員以外は、高卒・中卒の技術職(建築・電気含む)と給与が変わらないか下手したら安いです。
それは世界的な傾向です
- 現時点で、『何かの研究がしたい欲求』、『何かの専門家になる目的』がないなら、先進国で通貨の強い日本において、無理に大学行く必要性は微塵も無いです。オーバークオリフィケーション(overqualification)という概念。
イラストレーターの「画風」に相当するのは、俺たち文章書きにとって「文体」だろう。
「〇〇さんっぽい文体で、他の誰かが執筆」を文章書きは問題視しない。たまたま似ていたら「文体が似てるね」だけだし、意図的に似せてきたら「すげえ、上手い」と思うだけだ。
私は30代後半の男性である。結婚していて子供が一人(もうすぐ二人目が産まれる)、埼玉の郊外の戸建て(35年ローン)に住んでいる。車も一台(ただし残クレ)。仕事はIT系。
年収は1200万程度。30代後半の男性の平均年収560万くらいらしいので、一応2倍以上もらってることになる。この平均自体、個人的には眉唾だと思ってるが、一応ここではこれが真実だという前提で話す。
この「平均年収」かそれ以下のやつらって、将来どうやってい生きていくつもりなの?
まじで疑問。
どうやって生きていくつもりなのか、純粋に考えを聞きたい。
(一応)世代平均の2倍の年収もらってる俺ですらカスみたいな年金しか貰えないだろうし、というか貰えるとも思ってなくてNISAやらなんやらの投資で今から老後に向けての資産形成してるけど、それをやりくりするので精一杯なんだ。
俺の年収でだ。
まあ家計のやりくりが多少ザルってのもあってもうちょっと効率的にやれば生活は豊かにはなりそうだが、それにしたって決して余裕があるわけじゃない。
世代平均の2倍以上の額の年収をもらってる俺ですらそう感じるってのに、年収560万とかそれ以下のやつらはどう感じてるんだ?
年金は、仮にもらえるとしたって、そんな年収じゃ俺以上にカスになるだろうし、NISAやるにしたって、雀の涙みたいな超少額を絞り出してるだけで老後資産に役立つほど育たないだろう。
あんたらが70、80とかのジジイやババアになったとき、手元には本当に何もないぞ。
どうやって生きていくつもりなんだ?
結婚前からの趣味でアイドルとかミュージシャンとかのライブによく行ってて、その趣味のつながりで同世代か少し下の世代の友人が何人かいて、ちょいちょい顔を合わせるが、話聞いてる限り、多分全員この「平均年収」かそれより下だ。
そもそも正社員ですらないし、よくて派遣社員、悪いとただのパートか下手すりゃバイトで生活してる連中だ。
30代前後になってすらそんな状況なんだ。
君ら、月に何度もライブにいくし、例えば千葉やら神奈川やらに住んでいながら、平気で何度も地方(大阪、名古屋、仙台、北海道、etc)に遠征してるよな。
俺より低い年収で、俺より大量に浪費してるんだから、俺以上に将来に向けて備えられているわけがないよな。
個人的には君らとの接点は「趣味」の範疇で十分なので、それ以上のことにはそれほど興味はないが、「いつまでそんな刹那的な生き方しているつもりなんだ?」というのは純粋に気になる。
中には30後半にさしかかってるやつ、下手すりゃ50代の人もいたな、そういう人らって本気で何も将来のこと考えてないのか?
「なんだかんだ国が救ってくれるでしょ」とかなんの根拠もなく楽観的に考えてるのか?
「いよいよ無理ってなったら死にます」とか厨二なこと考えてるのか?
それとも「そのうち安楽死法案が可決されるはず」とか考えてるのか?
この業界だと俺の年収は普通だし、ITエンジニア全体でみたらむしろ低いほうだとすら感じる。
一応今の貯蓄や第一子が産まれて以降に組んだ学資保険、投資のペースで、子供たちの大学までの学費や自分たちの老後の生活が成り立つ程度の試算はできてるが、これもギリギリだ。
俺が突然死んだり、あるいは大病を患ったりしたら計画も総崩れだし(保険はあるけど)、そうならないために健康にも気を使っている。
俺レベルの「庶民」はこういうセコくてチマチマした気構えと準備が必要なんだ。
俺より相当稼いでるはずの、スタートアップのCTOやってる人とかは、俺よりもっと真剣に考えてがっつり備えているようだし、そういうの見たら焦るったらない。
俺は焦ったところでその人と同レベルに「備える」だけの金がそもそも捻出できないのでどうしようもないんだが、同じ焦燥感を「平均年収560万(あるいはそれ以下)の人たち」は感じているのか?
純粋に気になる。
君たちの考えを聞きたい。
将来どうするつもりなんだ?
何も考えてないんだよね、多分。
君らを見てるとそう感じる。
地方のライブで珍しい曲を聞けた、地方の駅でライブ後に飲み会、月額数百円するファンサイトでお便りが読まれた。
うんうん。
楽しそうで何よりだね。
それは俺もそう願うよ。
君たちがそういう刹那的な楽しさを感じていられる生活が一生続けていられるならどれだけ幸福なことかと、心からそう願う。
現実はそうじゃないはずだ。
俺も君たちも同様に年を取るし、そう遠くない未来社会のお荷物になる時期が来る。
そうなったときに、その時代の若者から疎まれ、憎まれる存在になる。
今、君らがまだ若い時、家庭も築かす、実家に寄生し、資産も形成せず、何も考えずただ日々過ごしてきた君たちは、将来本当にただの「お荷物」になる。
多分、俺の子供たちが、今の俺の年齢と同じか近い年齢になったとき、君たちのように「若い時何もしてこなかったまま老化した人たち」を、すごく疎み、憎むようになると思う。
まあでも世の中ってそういうものだしな、とは、大人になってから思いはするものの、同じ趣味でつながりを持った俺からすると、君らは将来「社会のお荷物」のカス老人になっちゃうんだね、と思うと、とても悲しい。
この件に関して同じように疑問に思うのは国の対応だ。
社会保険料は上がり続け、年金制度は実質破綻、そんな状況下で「老後2千万は自分で稼いでネ!」とか馬鹿正直に言っちまってるが、現場の連中の大半は↑だぞ。
30も後半に差し掛かってなお、「今度の全国ツアーは全通します!」とか「新グッズに10万くらい使っちゃった!」とか能天気にヘラヘラ言ってるんだ。
「今が良ければそれでいい」を地で行く連中で、将来のことなんか多分微塵も考えてない。
そんな連中がうんざりするくらいいるんだ。
将来そういう、「富を築いてこないまま年を取っただけの老人」で溢れかえるのは目に見えてるぞ。
そういうリビングデッドまみれになったらどうするんだ?
稲中でやってたみたいに、「複数の老人を合体させて一人のマッチョマンにする機械」でも作って処理すんのか?
それくらいやってくれるよな。
期待してるぜ。
とにかく、あんたたちの今の政策基準は俺レベルの年収と資産でようやく成り立つものだ、というのをもっとちゃんと真剣に考えたほうがいい。
もう手遅れっぽいけど。
選択的子無しなだけだよ
子供作るかどうかなんて夫婦の問題なのに旦那の方は完全スルーなのがいかにも
清野とおる: 若い頃は漠然と結婚したら、当たり前のように子どもを持って、それが自分の幸せにも親孝行にもなるんだろうなとは思ってはいたのですが、考えが変わったのはいつ頃だろうな。もし、今のこの日本の経済下や地球環境含めて、自分が生まれていきたいかと言われたら、僕は生まれたくないなと思うんですよね、いろんな意味で。そう思っている時点で、子どもを持つ資格はないと勝手に思っているので。しっかり子育てされている方々は立派だなと思います。僕なんて、親になる自信は微塵もないです。これに関しては結婚前から壇さんも僕と同意見でしたね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1d9d94991e5ef851be4e858563b514d025861205?page=3
籍を入れる前に、清野さんは自分のことを「末代意識高い系だから(自分の代で終わってもいいじゃない、ということ)」と言いました。私もそうだと同意したのが、お互いに子供より2人で生きることを優先していこうという確認の表現でした。両家にも挨拶の時点で伝えましたよ。完全に理解していただけたかどうかは分かりませんが、「あなたたちが決めたなら」と言ってもらえました。
子供をもうけないことを伝えるのにも、勇気と気合が必要でした。何だかんだ言っても、孫の顔が見たいと言われる時代はまだ続きそうですから、流れに逆らうのは正直怖かったです。その代わり、私より年上の家族は必ず助け、看取る、先に逝くようなことはしない!と誓っています。母や父は少し安心してくれました。
2024年3月、某大学大学院の修士課程を修了した。2024年4月からは同大学院の博士課程に進学する。
さてここで、折角なので、ここまでの自分の人生を少しだけ振り返ってみようと思う。
俺は、地元の自称進学校の中学校を出て、地元の商業高校に進学した。そこに行った理由は、高校を卒業したらとにかく働きたかったから。
小学校高学年の頃から、家を出たくて仕方がなくて気が狂う寸前だった。そんなんだから生きることに意味なんか見出せなくて、「ちょろっと働いて小金を稼いで、趣味のサッカーをそれなりに楽しみ、さっさと人生畳んでしまおう」というのが中3で進学先を考えていた時の完璧な人生設計だった。
何故そんな設計かと言うと、毎日死にたくて堪らなかったから。今でも少し。本当に、死にたくて堪らなかった。生きてる意味がなかった。ほとんど毎日、親や学校の教員からは理不尽に責められ、侮辱され、殴られた。友人と思っていた人間からも屈辱を受けた。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人や友人、社会への怒りだった。大好きなサッカーだけはその感覚を少し忘れさせてくれたけど、それが続くのは90分だけだった。
本当に、死にたくて堪らなかった。今でも少し。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人や社会への怒りだった。それは今でも変わらないし、たまに自分の内側から顔を覗かせる。何かがずれていたら新聞の一面を鮮やかに掻っ攫っていただろう。
だから、家を出たかった。サバイブするために絶対に抜け出さなきゃいけなかった。そのために、働いて家を抜け出して1人で生きる金を稼ぐために商業高校に通った。そこなら、高卒で働くのに有利だってって聞いていたから。3年耐えれば良いんだって、少し希望が見えた気がした。
20代後半まで生きてるつもりは想定してなかったし、できなかった。やりたいことなんてあるわけがないから、どうやって生きていけばいいのか、ほとんど分からなかった。
大学進学なんて微塵も興味がなくて自分には関係のない、想像もつかない世界の話だと思っていた。現在通っている大学院が旧帝大と称され、世界で有数の教育・研究機関だなんてマジで知らなかった。
仰々しいかもしれないけど、もう本当に、とにかく目の前の一日を誰にも脅かされずに、心穏やかに慎ましく生きるために必死だった。そんな一日だけが欲しかった。その一日を安定して手に入れて、噛み締めるためには最低限の金が必要だった。
運が良いことに、その高校は自分に合ってて、自分を受け入れてくれる最高に面白い友人達にも恵まれた。バイトもして、稼いだお金は家の外で過ごす時間に充てた。そのおかげで家にいる時間も少しずつ減らすことができるようになってきていた。
さて、こうなると「意外と楽しくなってきたし、もう少し長く人生やろうか」なんて考えそうだが、それでも当初のプランに変更はなかった。心の渇きは潤わず、やり場のない怒りが消えるわけもなく、遅くても30歳で終了だと漠然と考えながら日々の空虚感を味わっていた。
3年間耐えれば全ての苦しみから解放されるはずだと、そんな未来を祈りながら高校時代の生活をサバイブしていた。高校はマジで毎日が楽しくて仕方がなくて、今更すぎるけど本当に関係者に超感謝してる。
そしてどうしてか、家を出て関東の大学に4年間通うことになり、入ったゼミで最高の恩師と先輩・友人・後輩に出会ってしまった。
毎日が楽しくて仕方なくて、自分の居場所が少し見つかってしまった。自分が役立てる瞬間だとか、できることに気がつく瞬間にどんどん遭遇してしまった。ここでも人間に恵まれてしまい、人生を取り戻したいモードに心が傾いてしまった。大学時代の出会いは、本当に、人生が変わってしまうほどのものだった。感謝してもしきれない。
本当に、大学生の時は明日が来るのが全く怖くなかった。何なら楽しみで仕方がなかった。高校生までは、あんなに嫌で堪らなかったのに。眠っている時間と学校にいる時間のみが心の安寧が保たれる時間であることに心底腹が立ちながら、勘弁してくれよって思いながら、そのまま一生起き上がらないことを祈りながら床についてたのに。
働いてさっさと死ぬつもりが、気がついたら大学院まで行き、修士を修めていた。今は博士になろうとしている。こんな人間が大学院に進学しているなんて、人生はわからない。本当に運が良くて、人に恵まれたと思う。
といった感じで、俺はこんな人生を送ってきた。
俺について、周りの友人からは「よく分からない人間だ」と言われることが多い。
自分のことを基本的に話さないから当然だ。こんなことは話せないし、話すのが怖くて堪らない。話したところで何かが変わるわけでもないし誰も助けてくれないから、自分で解決しなきゃいけないことだから、話す必要がないと思っていた。話してはいけないとも思っていた。それに、それでここまで上手く立ち回ってこれた。
けど、人に自分のことを話せないって超辛いんだなって最近理解できた。
俺は、自分のことを誰かに理解してほしかった。「君は悪くない」と誰かに言ってほしかった。
そんなことは人に伝えられないから、自分はタフで強いんだと言い聞かせて、そうあらねばならないと思っていた。自分1人で生きていけるように振る舞い、悩みを隠してなるべく人に頼らず生きていた。そのせいで「悩みがなさそう」とよく言われる。そんなことはない。
大学院まで進学して、完璧に強い奴はどこにもいないんだと気づいた。周りにその強さを求めていたけど、そんなの無理なんだって気がついた。自分が一番苦しい思いをしているって驕りがどこかにあった。そんなことなくて、何かしらの傷を皆が抱えていて、それでも必死に生きているんだと気がついた。反省した。そう思うと同時に、少し心が軽くなった。
今、少しずつ自分を大事にして、心が充電されてきている。ようやく失った人生を取り戻せるところに来ている気がする。
博士課程に進学が決まり、少なくともあと3年間は生きてることが確定した。残りの人生設計はこれから考える。それくらいがちょうどいい。多くは望まないから、俺はそれで良いんだ。