「直感」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 直感とは

2021-05-11

anond:20210511142429

ブコメ書いた人には悪いけど、長年関わっていなかった学校事情が分からいから、学校が新しくなっていたという明確な違いが目についただけで、教育環境がなぜ改善されたかとは別に考えたほうがいい気がした。

そりゃ校舎が新しいほうがやる気でそうだなーとか直感的には思うけど。

子供が発達グレー?らしい

男の子の子供が二人いる。

表題の子は弟です。

親の私と旦那特に問題ないし、高齢出産でもない。

早生まれで小さかった兄は、早生まれハンデはあったけど平均点な子供だったと思う。

逆に弟は初夏の生まれなのに、成長がのんびりで性格もおおらかで甘えん坊だった。

まず最初にグレーを感じたのは、まわりの子供に比べて読み書きが遅かったり、会話をしていても兄の小さい頃とは違うというか、、、言葉を選ばずに言うと正直、頭が良くないなと思っていた。

好きなものへの探究心は凄くて、それが逆に病気っぽいとも正直感じていた。

小学校入学すると、忘れ物とか、テストの点数とかで気になるところが更に増えてきた。

家で勉強のことを聞くと泣いたりして、家庭教師を付けたりもした。

正直どうしたらいいのか分からなかった。担任先生が良い人で放課後サポートしてくれたりはしたけど、薄々グレーなことに気がついていた。

この春から週1だけ別の教室サポートを受けることになった。診断受けましょうとは言われてないけどそのうち言われるのかな。

漢字テストは書けないから、特例で再テストいつも受けさせていいかと聞かれたときは驚いたよ。やる気はあるけど出来ないって辛いよねきっと。

将来が心配心配で仕方ないよ。

多分私の父親遺伝な気がしてる。

父親家系高学歴なのに、突然変異と言われた父親

物凄いアホ高校出身らしいと聞いたが、好きなことで起業して成功したのに、自業自得でポシャって離婚されて貧乏してる。

今思えば父親はグレーと呼ばれる子供だった気がする。

私も夫も兄も普通なのになんでだろう。

うちの子供は高校生になったとき大人になったとき社会人になったとき、どんな姿なんだろう。年金子供を食べさせるなんて正直嫌だよ。生んだのは私なので責任取るしかないんだろうけど、気が重いよ。

お兄ちゃん迷惑とかかけないようにだけしなきゃなぁ。

ぶっちゃけ診断がおりたら障害者雇用とかもあるのだろうか。でも多分そこまでじゃない気がする。

どんな風にこれから生きていくのかなぁ。

2021-05-10

「壊れてしまった人間」を救える思想運動など存在しない。

https://note.com/mefimefiapple/n/n7d700fe79960

正直、このアカウントかなり釣りくせーな―と思うのだけれど、仮に釣りだとしても

わざわざ釣り道具一式を揃えて釣り堀にルアーを投げ込むその情熱の根源はやはりこの note に書かれてあるとおりなのだと思う。

幼少期・思春期トラウマ

自分が圧倒的に破壊されてしまった経験

こういう経験をしてしまった人間は男女や時代を問わず多い。どうも多いらしい。

ネットでたまにどうしもようなく負のオーラを放っている人間を見かけるだろう。見た瞬間に一生関わらないでおこうと誓い、ブラウザのバックボタンかその機能もつショートカットキーを押させる恐怖。あれだ。

あれらのひとびとが「壊れてしまった人間」だということを俺は知らないでいた。

それは幸運であり、幸福なことだったのだと思う。

少なくとも半径五メートル範囲では深刻ないじめ尊厳蹂躙を見聞きせずに育って(本当に存在しなかったのかは別だろうが)、フィクションで描かれる凄惨いじめ描写や「男子いじめ女子」などは完璧想像産物だと思っていたし、ネットでたまに見かける悪意と憎悪の塊のような人々を我々の生活とはまったく関係ない、外宇宙から来た得体のしれない何か、天災じみた純粋悪みたいなものと考えていた。


きっかけは大学オタクサークルを選んだことだった。

そこには二三人、「壊れてしまった人間」がいた。

「壊れてしまった」という言い方が正しいかどうかはわからないが、当時の俺の直感と語彙では「壊れてしまった」としか言いようがなかった。

まず挙動が明らかにおかしい。

オタクサークルに入る人間は大なり小なりオドオドしているものだろうが、その人たちのオドオド加減は度を越していた。

日常の問いかけにまともに応えられればいいほうで、なかにはまともなやりとりすら成立しない人間もいた。

極端に大人しい人なのかな、と思えば、時々冗談なのかなんなのか、突拍子もないことを言い出すこともあって、そのたびにこちらは面食らった。

何の連絡もなく一ヶ月も二ヶ月もサークルに来なくなったので、心配して連絡しようとしても全然返信が返ってこない。やめたのかな?と思っていたら突然何事もなかったかのように復帰する。

大学もまともに行ってるんだか行ってないんだか。

大学とは色々な人がいるのだなとその頃は思った。実際、田舎では出会わなかったバリエーション豊かな人々と遭遇していたので「壊れてしまった人たち」も「色々な人」のカゴに雑に突っ込んで適当に過ごしていた。

「壊れてしまった人たち」という認識を得たのは、ある日の飲み会のことだ。

深酒をした同期のAくん(仮名)が珍しく高校以前の過去語りを始めた。

いじめられていた、という。そのいじめの内容というのが、朝登校すると机に花を活けられていただの、机に「死ね」とほられていただの、トイレに入っていたら水をぶっかけられただの、とそんな感じ。ほぼクラス全員から標的にされていたらしく、女子にもいじめられ、かなり性的いやがらせもされたという。

直前まで全然そんな陰惨な話をする雰囲気ではなかったところにいきなりぶっこまれたのもショックだったが、それ以上に衝撃的だったのは、

「そんな『マンガに出てくる典型的いじめっ子のやるいじめ』を行う人間がいるのか!?

という事実だった。

だっていじめっ子って悪いやつであるフィクション世界においては極悪人バカで愚かな人間しか描かれているのである。それをあえて模倣するバカが世にいるのか。しか女子にも。空想上の生き物じゃなかったのか。信じがたかった。

そして、納得もした。

「ああそうか、だからAくんは”こう”なってしまったのか」と。

Aくんは基本的大人しい人物でまあいいヤツだったのだが、ネットでやっているブログでは稀に普段の彼から想像できないような憎しみを発することがあり、内心ちょっとヒイていた。かなりの部分、女性蔑視的なところもあった。Aくんはおおむね良いやつなのだけれど、そういうところはよくないな、と思っていた。


だが、彼の過去を聴いてしまたからはうかつに「よくないな」とは思えなくなった。いや、不特定であれ他人攻撃性を向けるのはよくないことはよくない。けれど、俺にはAくんを責められないな、と思った。俺もきっと同じ環境にいたら「壊れてしまった」だろう。

そして、ネットでみかける”純粋悪”たちの正体もわかった気がした。

どこかでいつか誰かから「壊されてしまった」人たち。

そのせいで(おそらくはネット限定で)呪い言葉しか吐けなくなった人たち。

そういう人たちのなかにはたまに特定思想運動に乗っかってるひともいて、まあ陰謀とか宗教とかもあるんだけど、ともかく、最初noteの人はそれが「男性としてフェミニズムを支持すること」あるいは「男性フェミニストを装うことでフェミニズム攻撃すること」だったんだろう。この際どっちでもいい。


社会に出てから、他にも「壊れてしまった」男女に少なからず会った。

少なからず。意外と多く存在していることも知った。壊れ具合の結構差が出ることも。

そういう人たちに危害を加えられることもあった。まともな人間関係を築けることもあった。

でも常に共通して、互いに一線を引きあっている感じがあった。俺とあの人たちは違う。どこかでそう思ってしまっていた。


Aくんは大学卒業した後、縁もゆかりもない地方都市就職して、しばらくそこそこに暮らしていたらしい。

直接にやりとりすることはほとんどなかったから具体的に何を考えて生きていたのかはわからない。

ただ社会人になるころはブログでの攻撃性は薄れて、あのアニメヒロインは良い、声優かわいい最近Vtuberにハマっている、といったようなことしか書かなくなっていた。学生時代週三ペースだった更新頻度も隔月更新みたいなゆるやかさになっていた。漠然と、いい兆候のように思えた。俺にも俺の生活があり、彼のことは漠然しか心に留めていなかった。

Aくんが自殺したと聞かされたのは、サークルOB連絡網を通じてだった。サークルの現会長に親御さんから連絡があったらしい。息子がそのサークルに属していたことだけは知っていたから、もしかしたらそのツテで友だちをたどれるかもしれないと。

葬式に行くと案の定親御さんに捕まり、「大学時代の息子のことをきかせてほしい」と頼まれた。

良いやつでしたよ、楽しかったですよ、よく笑っていましたよ。

やさしいウソをつくつもりでそういうことを言ったのだが、よくよく思い返してみれば、たしかに彼は良いやつで、サークルでは笑って楽しそうにしていた気がする。

まあしかし、その程度では救われなかったのかもしれない。

どうすればよかったのか。どうしようもなかったことも、自分がどうする気もなかったこともわかっているのだが、その疑問がどうしても消えない。

anond:20210510215131

老人目線的には、いまの50代から下が過剰情報量ネイティブとでもいえるのかな

UI直感にわかるやろって思うやつも、経験あってのものからなぁ

眠れない夜と、ダムタイプ「S/N」について

深夜に殴り書いた言葉を公開させてください。

--------

私は夢見る、私の性別がなくなることを。

女友達手作り料理を持ち寄って会った。母親に男かと揶揄されるたび居た堪れない気持ちになる、と話したらいつのまにか女性の生きづらさの話になって、社会で圧迫される自分自身のことについて話してた。

絵の中で無性別になれるようになったこと、裸を描けるようになったこと。それは昨年唐突に訪れた解放で、ふりでない、本当の意味での理解が訪れた瞬間だった。昔から友達に突然カミングアウトされたり、周りにいろんなセクシュアリティの人が増えて、そこに対して何も思わなかったけど、一方で私はどう考えてもシスヘテロで、ただ家族強制する性の価値観あんまり理解できなかった。

--

女の子らしさはガサツで割と男性的とされる趣味の多い私にはハードルの高い問題で、170cm近い体躯王子役を押し付けられまくった経験からLGBTなの?」「腐女子なの?」と言われることも多々あり、それが耐え難き苦痛に感じる私自身も嫌だった。

普通であることに安心する家族普通であることに怯えるわたし曖昧言葉には常に適度な距離感必要で、冷静さを欠いた議論には意味がない。そういう話をするたび、周りの“いい人”たちはみんな私のことを考えすぎだと言った。そんなに思い悩むから生きづらいのだと。

思考をやめる気はさらさらないが、一方で年々神経を蝕まれつつあるのも事実だった。精神科にかかったことはないし、これからもお世話になるつもりはないが、胃痛で薬を飲むという意味がわかるようになってしまった。自傷的に何度か手を出した煙草のせいだが、倦怠感で身体が動かなくなったりもした。腹痛で意識を失いかけた。神経症で人は死ぬんだと思った。

--

「S/N」を見たのは好きな人の影響だが、どうしてあの人を好きになったのかを思い出した。どうして彼じゃなきゃだめだったのかを。酷い時も、辛い時も沢山あったし、客観的に考えればこうした方がいい、とかもいっぱいある。ただ、それが重要なわけではなくて。愛の器官が母親の甘い束縛と重め(笑)の虐めで壊れて、他人から暴力罵詈雑言を崇拝の一形態だと感じるようになってしまったんだと思ってた。精神的に魘されないと安心できないのかと。でも違う。

--

わたしはきっと、何者にもなりたくなかったんだと思う。透明になりたいし、全てになりたい。もう殴られたくないよと強く願ったら17歳になる頃には殴られなくなったけど、真綿で締め付けられるような虚無が残ったからいつも首に縄をつけてぎりぎりで生きてる。側からはそう見えないはずだけど。好きなトラックメイカー音楽よりもいつか結婚した時の愛する人の方が大事だよ、と言っていて、すごく驚いた。私はずっと、天啓のような何かを信じることでしか、辛い過去を受け入れられずにいたから。いまもそうだし、そうでないといけないと思うの。

--

本当にばかばかしくて、ちょっと幼い話だけど。わたしは、好きな人わたしの目をじっと見て、「眼鏡でもかわいいよ」と言ってくれたその一言で22年近くの呪いが解けた人間である。でも、親の呪いがこんなに深くわたしの中にあるって知らなかった。

小さい頃から蝶よ花よと育てたられた私だけど、母は写真を撮るたびに眼鏡を外させた。かわいくないから外しなさい、と言った言葉はいつの間にか習慣になって、眼鏡さえ外せば最強なのだという行きすぎた自尊心すら生んだ。実際に眼鏡の有無で同一人物だと気付かれないことがあったのも遠因だろう。わたし眼鏡諸悪の根源にすることで耐えていた。

--

恋愛にもそんなに恵まれず、高校で軽い虐めに遭った際「わたしかわいいからでしょう?」と母の言葉確認をとったら、途端にキョトンとした顔をされ、その時から全てがわからなくなった。ルッキズムの最下層に突き落とされたような気分だった。

当時の私は髪のとかし方も知らず、見えている世界レイヤーが少なすぎたので、たしかに見目麗しくはなかったと思う。でも好きなバンドインストアイベントで憧れていたギタリストに前の女の子と明らかに異なる冷たい目を向けられたこととか、そういう体験が、私の不安を加速させた。何をやっても痩せなかったし、服屋の服は全部小さすぎて似合わなかった。最悪だった。

大学生になって古着にハマって、ようやくアメリカサイズの服を着ることでサイズ問題解決したけど、やはり可愛いという言葉が怖かった。私から一番遠いところにある気がした。

--

好きな人言葉は頭の先から足元まで響くような衝撃で、衒いのないトーンは私を惑わせた。本当に、本当に、誰に言われても嘘だろうと、嫌悪感しか抱かなかったその恐怖が、ようやく解放されたような気がしたのだ。それ以降は人の褒め言葉を、きちんと信じられるようになった。

まあ今もコンタクトはたまにしてるけど、選択肢眼鏡を含められるようになったのは、あの時好きな人が認めてくれたからだった。それだけで意味がある。私は体質的に目が乾きがちで、眼鏡ですら頭痛眩暈がすることがある。健康被害よりも強迫的なコンタクト依存から解放されたのは、本当に嬉しかった。

--

「S/N」を見た時に自覚した。わたしは他の人では満たされない渇きを、好きな人ならわかってもらえる気がしたのだと思う。ジェンダーの話はわたしも後追いだし、LGBT当事者でもなくて、フェミニズムに明るいわけでもない。どちらかと言うと旧体制的で、内心少し男根主義に傾いてるけど、でも、多様性を締め付けられる社会が本当に息苦しかった。私が可愛いものを好きなのはかなり異常者で、可愛くないことは罪だって、ずっと見えない誰かの声が聞こえて死にたかった。でもそれを人は幼いという。若気の至りだと。本当にそうだろうか?

好きな人に会う前から男性に恋をしても、きっと眺めるのが好きなだけだった。男性男性性は愛おしくはあるが恐怖で、私は母の教育方針もあって、結構性をタブー視してた。ちょっとフィクトセクシュアルの気もあるせいか虚構を覗き見ることだけが唯一許されてる気がして、それ以外は全部怖かった。そこがギリギリライン

--

それでもようやく付き合ってもいいかなという人に告白されて、焦りであっさり色んなことを済ませてしまったわけだけど、思ったより呆気なくて、何も感じなくて、その行為はいつの間にか虚無感に満ちた義務になった。心がない行動は演技で、いつも断れない自分も嫌だった。でも私というキャラクターが彼を承認した以上、そのキャラクターには責任を持たなければならない。告白承認する、他人人生を背負うとはそういうことだと思った。

そこには頭では納得していたけれど、ある時期から本当に、他人身体に触れられること、好意を抱かれることに恐怖を抱くようになった。何度か背筋が凍るほど嫌な思いをしたせいもあるだろう。私を世の中に貸し出すのが無理になって、人が信じられなかった。そしてどこかで、プツンと糸が切れた。

--

好きな人もその一人といえばそうだし、それは最悪の搾取の仕方ではあったけれど、あれよあれよと巻き込まれプライベート時間は、たぶん優しさであったように思う。私は余りにも臆病で、そして彼の傷は大きすぎたから、私たちは付き合うという選択を保留することにしたけれど、彼は私に好意を伝えてくれたし、たくさん泣いていた。

なんかもう、それだけでよかった。

セックス搾取じゃなくて優しさで、きっとお互いを信じ合うことで、小さな希望で、だから好きになってくれる人たちに怯えるのは私が間違ってるって思う。でも怖かった。

--

好きな人は、私が今まで誰にも話さずに来た、心の穴を知っていた。きっと直感的に。運命いたことを言うとキザだから言わないけど、彼は他の誰にもない魔法で、私を狂わせるけど、よく考えたらそれが無ければ痛くて痛くて生きてられなかったかもしれないし、また勉強が好きになれたからとか、恋心で作品が作れるからとかそんな現金理由よりも、なによりも私が感じていた性の不安とか、かわいいに怯える切実な揺らぎとか、そういう感情無理解でいなかったから。普通に属してるひとたちは…家族も含めて、気づいてなかったのだろう。私が泣くたびに宥められて惨めになる。好きな人だって適当な時あるけど、もしかしたら私のその不安を、あなたならわかってくれるんじゃないかと。

そういう、希望だったんだ。

--

私の部屋はいま彼がくれたお洋服とか、お揃いのものとか、ドローイング、筆跡で満ちている。ちょっとファナティックだと自分でも思う。

でもこれしかなかった。彼になりたかったというよりか、嘘でもいいから愛されてみたくて、その嘘を嘘で終わらせるのが本当に耐えられなくて、本人の知らないところでそれを実現させるために、彼を統合失調的に創造しようとしたのだ。なぜか告白されたり、結局関係性がよくわからなくなったりして、側からみればきっと軽い地獄なんだろうけど。毎日家でも学校でも暴力を振るわれたり表現手段を持たなかった頃よりは、全然幸福だよ。

わたしあなたが好き。

それそのものが救済なんだ。

私はセックスのない世界に行きたかった。それが思い出せたことだけでも、(私が生まれる前に作られた)この作品はとても、とても深い爪痕を私の身体に残したと思う。

anond:20210510114539

つっても、「これエロである必要あったか?」「この風呂シーンいらんだろ?」と思う作品が多くあるのは事実であるし、読んでこのエロは無理やりだと感じたら、だいたいその直感は正しいだろ。

特に石鹸枠ファンタジーバトルとかはそう。書きたいのはファンタジーバトルでヒロイン風呂ではないはず。

2021-05-09

やっぱり弱者男性差別なんて存在しないんじゃない?

https://note.com/mefimefiapple/n/n6b712e954db8

持論



以下記事引用コメント

 同じ同性愛者でも、「女性」で「同性愛者」のレズビアンより、「男性」で「同性愛者」のゲイのほうが差別され、暴力され、殺されています(人数の違いを考えてもそうだと思います)。トランスジェンダーでも、トランス男性よりトランス女性への風当たりが強く、これは「アイディンティティ女性である」よりも、「体が男性に見えること」や「本当は男性なのではないかという疑念」が原因でしょう。

これはデータ的には真だと思うが、同性愛者の仮想敵が同性であるのに対し、トランスジェンダー場合は(肉体の性と)異性が仮想敵になるので、同列に語るのは難しい。ゲイの方が殺される、というのは仮想敵である男性女性より暴力であるだけではないだろうか。トランス男性も同様に殺されているというなら話は別だが。

 それと同じように、「男性」に「障害者」、「貧困者」、「外見が悪い」などが付くと、「女性」にそれをつけた時より状態悪化するということがあります。これが「弱者男性差別」です。

これには二つの反論がある。

女性差別男性差別弱者差別もあるけど、そのうち「男性」が「弱者」になった時の当たりが一番キツいよ!

という論調増田でも何度か見かけたが、上の理由も含め考えれば考えるほどナンセンスなのではないかと思う。何故なら、これを救済しようとした時、

すなわち、弱者男性弱者女性という属性自体は(大分ざっくりしているが)存在している一方で、これを「弱者男性差別」「弱者女性差別」と表現してしまうのはナンセンスなのである。むしろ本質的問題と離れた所で言葉意味で争うことは、本来解決すべき差別問題から人々の関心も離れてしまうし、害悪しかない(と言い切ってしまうのもちょっとヒドイかもしれないが)。

余談。

ゲイも、トランスジェンダーも、在日コリアンも、ハーフも、黒人も、障害者も、相手を「キモい」と言って正義の名のもとに糾弾する光景をあまり見ない

うーーーん、せやろか。差別されている側も生理的な拒絶で相手罵倒することくらいあると思うが。もちろん、だから許されるというわけではないが、フェミニストのみを例外的糾弾するのは無理筋では。

2021-05-08

不勉強批判

父親発言が気がかりで仕方がない。それが命取りになるのではないかと。

  • ~~インド人がたくさん死んでいるのは貧しいから。引き金だけを捉えて全部ウイルスのせいにするのはどうかな

こんな発言が聞くに耐えない。自己矛盾に気がつかないのだ。

父は60代も後半である。僕の中には存在しない差別意識スタイルをいくつも抱えている。歳とってアンテナはすっかり錆び、周りに甘える様になった。「老いて間違うようになったが、常日頃から他人に良くしてきた。だから周りが教えてくれるし正しく導かれるだろう」といった調子。そして父の情報源iPadで唯一使えるYouTubeと、茶の間TVだけだ。父は狭い世界自分の答えを出してしまった。

これはまずい。生死に関わるかもしれない。直感的にそう思った。俺か?俺が守ってあげる番なのか。絶対に死なせたくないが気が重い。大の大人思想否定などしたくないと言うのが正直なところ。めんどくさー。陰謀論は昔から嫌いで心配していなかったが、コレもあやしい

唯一の救いは徹底的に自粛している点。自律することで精神的に安定しているわけだ。人様に迷惑かける事を極端に嫌う、不勉強批判者となってしまった。が、その事は許そうと思う。そう思っていた最中だった。

え?ワクチン打たないの?

世界で人死にまくってるよ、思ったよりも多いよ

テレビオンリー高齢者が何も知らないのは仕方ないじゃん。バカにしても仕方ないよ。誰かのせいにしても仕方ないよ、人は感情優先で動くバカな生き物じゃん。ワクチンを打たないことは社会悪と見られるかもしれないよ。人様に迷惑かけるよ

体を思いやり、一つ一つまじめに意見を言ったが、心に響いた手応えがない。

オリンピックに関しては僕の持ち得ない特別な熱を持っているようだ。医療従事者が手一杯だと言う事はなぜか楽観

こっちも父の組み上げたロジック理解するのに必死だ。ロジックの終端は全て「俺は人一倍自粛していて人にはうつさない。うつしていない以上誰にも後ろ指さされない」なのだ

オリンピック経済を回すことと、抜け駆けして営業している店舗感染した人をこき下ろすことが父の中で両立できるのは「俺はちゃんとしてる」から。それで良いのだろうか。

もし、その辺のどーしようもないジジイの一人としてあっさり死んだとしたら、なんとも無念だし失望すると思う。

「おじいちゃんはね、君たちがまだ小さい時に死んじゃったんだよ(歳とって我儘になったから死んだんだよ)覚えてないか〜」という未来がチラつく

2021-05-06

近代オリンピックというカルト

もはや近代オリンピック新興宗教に近いんじゃないのかしらん.


こんな発想に至ったのは,この記事を読んだのがきっかである

https://www.abc.net.au/news/2021-05-05/tokyo-olympics-hypothetical-questions-athletes-should-be-asking/100116448]

要約すると

東京オリンピックへの参加により発生した損失の補償IOCに求める権利放棄するよう,IOCオリンピック関係者署名を求めている」

ということらしい.



このニュースサイトがどれほど信頼に値するものかは知らないし,裏も取っていない.

でもこれまでのIOCの態度を見ると,あ~やりそうだよねと思ってしまう.

そしてふと,もはや近代オリンピック新興宗教に近いんじゃないのかしらん,と思ったわけだ.



始めは誰もその団体が「ヤバイやつ」だなんて気づかない.時期になれば団らんの間ではオリンピック映像流れるオウム真理教だってはじめはテレビに出ていた.

IOC平和を掲げてオリンピック開催を目指す,その莫大な開催費用開催地負担になる.でも開催地の「信者」たちはそれでも必死に「うちで開いてください」って.神聖化された「特別オリンピック」のために選手たちは無茶な署名を飲み込むかもしれない.こんなIOCのことしか考えられていないような内容でも.

祀り上げられた「信仰」のために信者お金を払い,内容のヤバさを飲み込んで,あるいはそもそも気づかないままに宗教幹部の教えにしたがう.これとおんなじ構造なんじゃないの,今のオリンピックって.

別に宗教に詳しいわけでもないので,直感的に思っただけなんだけど,



今までは収賄とか色々あったけれど,結局なんやかんやオリンピックは「4年に1度の特別な祭典」としての位置を保ってきてた.

だけどコロナウイルス蔓延による異常事態の中で,徐々に「信仰から遠い人間ほど現実が見えてきてる.

「大変なこと」になる前にどうにかなるんだろうか.

続・物語作家になりたい人たちへ

【1】

 まず、私の投稿に対して「こういう規則押し付け創作の芽を摘む」というような声が有ったので、以下ではその声に答えたい。

 日本では割りと「創作においては『論理』に頼らない『直感』こそが正義である」という信仰が強い。しかし、現実は逆である。きちんとした創作を生み出すためにこそ、創作家には規則論理必要なのである

 例を挙げよう。映画業界の話である欧米をはじめとする諸外国とは異なり、日本には映画に関する専門的な教育・訓練を行うまともな機関が無い。そのため、映画仕事を志望する人間は、専門的な教育や訓練を受けたくても受けられない。業界全体が、昭和時代と何も変わらない『徒弟制度』に頼りきりである業界志望者は、論理的・合理的ノウハウも身に着けられないまま、無駄に年月を重ねる。結果として、まともな監督脚本家スタッフも育たない。つまり「まともな作品」を撮れなくなり、現在日本実写映画は「まともなビジネス」として成立しなくなった。

 映画役者供給する演劇業界も、実写映画業界と似たり寄ったりである。大半の劇団は良い演劇をすることよりも、地方自治体を唆して税金寄生することや、稽古や親睦を名目にして性的関係を結ぶことの方に熱心で、肝心の本業である演技や演出学芸会レベルのままである

 日本実写映画業界演劇業界は、指導名目スタッフ役者に灰皿を投げつけたり暴力を振るう類いの人間たちが「名監督」や「名演出家」扱いされている始末である。片や出演する演技者の方も、演技の専門的な訓練を受けていないミュージシャンとかが大役をゲットする。こういう紛い物たちが日本映画業界演劇業界蔓延っているのは「論理的・合理的ノウハウの訓練を行うシステム」が無いかである論理的な指導ができない人間は、監督演出家を辞めるべきだし、演技の訓練をしていない人間は、演技の仕事を去るべきである

 それはともかく、漫画小説作家を目指す人間は、実写映画業界演劇業界が手遅れに近い状態になってしまっているのを「他山の石」として、まずは「論理的・合理的ノウハウ」を身に着けるように努めてもらいたい。

 そうすれば、日本実写映画ドラマで頻繁に見かける「よく考えもせずに『何となくそれっぽいから』という理由だけで、悪人たちが悪企みの会議をしている場面で部屋を暗くしてみた」とか「とりあえず竹中直人佐藤二朗ムロツヨシに滑稽な表情と動きをさせておけば、それでコメディっぽくなるだろう」といった馬鹿描写貴方物語作品の中でしなくて済むだろう。

【2】

 次に「セオリーから外れているけどヒットした作品も有る」というような声も寄せられた。これに対しても以下で答えたい。

 野村克也インタビューで言ったことで有名になった「勝ちに『不思議の勝ち』有り。負けに『不思議の負け』無し」という喩えが有る。論理に依らない成功の例は確かに有り得るが、それは謂わば「宝クジが当たる」ようなものである。もしも「宝クジに当たる人間も世の中にはいるのだから自分はあくせく働くのは止める」と言い出す人間がいたとしたら、その正気を疑うだろう。

 物語を書くこと、創作活動をすることは、宝クジを買うように運任せの行為なのか?それは違う。人間頭脳を使う営みなのである。ならば、創作活動において頭脳を使って論理規則活用することの、いったい何が悪いというのか?そんなに頭を使って書くのに抵抗を覚えるならば、いっそコックリさんに頼って自動書記でもしてはどうか?それは冗談だが、仮に偶然に頼るにしても頼り方が有る。

 蜘蛛という生き物がいる。その中でもコガネグモジョロウグモなど、網を張って獲物を捕らえる種類がいる。網に獲物が掛かるか否かは偶然であるしかし、網を張らねば偶然を捕らえることはできない。創作活動において論理規則活用することは、謂わばクモが網を貼るようなものなのだ理解してもらいたい。

【3】

 「とりあえず最後まで書くのが重要」という声には強く同意する。物語作家の志望者は、まずは作品を一本書き上げてもらいたい。しかし、そのためにこそ、論理規則有効なのである登場人物生命の息吹を与えて、物語を完走させる上で、論理規則活用することは、手助けにこそなれど決して枷にはならない。むしろ始めにきちんと考えないままで何となく執筆に着手してしまい、結果として執筆の途中でガス欠になって未完成で投げ出す人の方が、物語作家の志望者には圧倒的に多いのである。それを避けて最後まで書き切るためにこそ、論理規則活用して欲しい。

【4】

 「文章力画力があれば、何も起きない平凡な日常生活描写でも読者を惹きつけられる」というのは、嘘ではないが、しかし本当でもない。それだけの力を持つような文章力画力というのは「何を書く・描くべきか」を把握していなければ、物語作家志望者も身につけようが無い。そして、何を書く・描くべきかを把握するには、やはり論理規則に則った思考必要なのである。また、何も起きない平凡な日常生活は、無手勝流簡単に書ける・描けるものではない。観察力もまた出発点は論理規則である

2021-05-05

https://anond.hatelabo.jp/20210505153913

   我々は、この問題に対して、次のような解法を取る。

          1+1/2+1/3+1/4 + 1/5+ 1/6 + 1/7 + 1/8 +  ・・・   1/n

          1+1/2+1/4+1/4 + 1/8+ 1/8 + 1/8 + 1/8 +  ・・・   1/n

= 1+1/2 +1/2+1/2 ・・・

       すなわち、題意の数列は、1/2ずつ無限に増加していく数列によって、下から押さえられる。そうすると、追い出しの原理はさみうちの原理)により左辺は発散する。

    したがって、左辺の数列を上から押さえる定数cは存在しない。つまり、題意の数列は、上に有界ではない。

      The proof is complete.

comment    我々は、問題の数列に対して、その数値が極めて小さいこから、この数列を無限に続けていくと大きな数になると直感的に予想しない。しかし、本件の命題はその

           直観的な予想を裏切るものであり、しかも、証明法は、数学的にも手さばきが良く、鮮やかなものであり、優れた問題の一つに入る。

2021-05-04

anond:20210422213855

インドを筆頭に、南アジア感染急上昇が続いている。

パキスタンネパールバングラデシュスリランカ

そのなかで、ベンガル株とも呼ばれる今のインド株の影響をもっとも直撃している可能性の高いバングラデシュの動向はやはり興味深い。


3月から4月上旬にかけ、インド感染拡大に連動するように、バングラデシュの第2波での新規感染者数は過去最高を簡単に塗り替えた。

バングラデシュインド関係は深い。バングラデシュにとってインド独立支援してくれた恩からの50年来の付き合い。

陸続きであり、政治経済的な関係が強い地域3月バングラデシュ独立記念日の行事にはインドのモディ首相が来訪し、さらなるワクチン供給約束したほどだ。

もっとインド感染拡大に伴い、現在バングラデシュワクチン接種は停滞してしまっている(それでも日本の7倍は接種済みだが)。

ワクチン工場供給国としてのインドの影響はかなり大きい。

しかし、にもかかわらずバングラデシュ感染状況は4月中旬を境に、現在にいたるまで新規感染者数は減少を続けている。

お酒を飲まない文化が効いているのか?とか、南アジアのなかでは肥満が少ないからか?エッセンシャルワーカーに率先してワクチンを打った戦略か?

それとも、実はまだインド株の影響を受けていない?

昨年の第1波のとき、よくささやかれたのは平均的なバングラデシュ人が持つ自然免疫の力。だからり患するのは富裕層が多いのだとか。

いろいろと考えるなかで、カースト社会階層の分断)も大きな要因なのかなと思い始めた。

そう思ったきっかけは、8割おじさん、西浦先生集団免疫落とし穴として3月に書いた以下の文章

マスコミが伝えない「集団免疫」の“本当の意味”…ワクチン接種で流行は収まるのか?(西浦 博) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

現実予防接種では、接種が行き渡りにくい層の方が固まって接触しつつ暮らしていることが多い。例えば、行政が決めた接種ルール上で予防接種が行き渡りにくい人(一例として在外邦人一時帰国者や不法滞在者など)へのケアができるかどうかは未だハッキリとはわからない。

また、何らかの理由で接種に反対する方が空間的に近しい地域に固まって住んで暮らす、という状態が起こる、という可能性もなくはない。

すると、地域レベルで接種が行き渡らない人たちが固まって残ることになり、その人たちの間で集団発生が続くことになる。様々な他の感染症の予防接種を見ていてもこれだけは避けがたいのである。こういった流行は、国全体で75%の接種をしても起こり続けることは忘れてはならない。


バングラデシュの人の流動性の高さが案外、重要なのかも。イスラム社会であるバングラデシュにはカースト存在しない。

接種優先順位に目立った差別があるとは思えない。

バングラデシュ政府公認風俗産業にいち早くワクチン接種が進められたくらいだ。これにはさすがに驚いたが。

バングラデシュ風俗はそれはそれで闇が深いのだが、感染対策に関する限り、政府合理的物事を考えていることがわかる。

バングラデシュは、近年、もはや最貧国とはとてもいえない経済的な急成長を遂げている国。

その成長の原動力になっているのは、超過密都市ダッカコックスバザールだ。

バングラデシュ産業構造都市集中型だ。

労働集約的な縫製産業都市に集中した人口1500万のダッカでは、徒歩で何千人もの工員が工場に通える人口密集度。

工場違法建て増しが横行し、6階建てを13階建てに増築を画策している途上で崩壊し、数千人の工場労働者が犠牲になった事故記憶に新しい。

そんな3密どころではない急速な都市化の進んだ、超過密状態都市で、コロナ蔓延しないわけがない。

そう思っていたら、案外そうでもなかったというのが昨年の第1波だった。

新規感染者数のピークは4千人足らず。人口1.6億の国。日本比較しても少ないといえる。

2月には新規感染者数は200人台まで落ちた。

しかし、3月に訪れた第2波では、4月初旬、7千人を超える数字に一気に急上昇。インドの拡大と同時期。

バングラデシュ政府ロックダウンなどの措置を講じたが、コントロールがもう効かなくなったかもしれないと思った矢先、

少しずつ減少に転じ始めて1日平均(7日間移動平均)2100人程度まで下がっている。

なぜなんだろう?

感染者が都市あぶり出されやすく、補足しやすい。都市の保健衛生は割と整備されている。

カースト存在せず、農村都市家族の絆で結ばれ、

社会的弱者に手が届きやす社会構造にあるのでは、というのは

案外、ちょっと心にとめて考え続けていい視点かも、と思っている。

もっとも、感染者数が減ったといってもまだ2千人(1日平均)。

もうちょっと様子を見ようと思う。



追記ブコメへの反応(それにしても皆さんのコメントはとても参考になった。どうも)

人口動態

ブコメで、人口ピラミッドに言及しているので、調べてみたところ

バングラデシュインドと似た構造だった。平均年齢でみると24歳(バングラデシュ)、25歳(インド)つまり若年層が多い。

インド

https://www.populationpyramid.net/ja/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89/2020/

バングラデシュ

https://www.populationpyramid.net/ja/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%B7%E3%83%A5/2020/

何か大きな違いがあるだろうか。

逆にいうと、じゃあ高齢化が進んだ国の罹患率が高いかというとそうでもないのでよくわからない。

ワクチン忌避

イスラムワクチン接種への忌避はひょっとするとあるのかもしれない。

でも、情報ソースとして参照したロイター英語版のみワクチン接種状況の分析がある)

https://graphics.reuters.com/world-coronavirus-tracker-and-maps/countries-and-territories/bangladesh/

を見る限り、5月初旬時点、

Bangladesh has administered at least 8,625,350 doses of COVID vaccines so far. Assuming every person needs 2 doses, that’s enough to have vaccinated about 2.6% of the country’s population.

860万回は少ないとは言えないと思う。

検査数・陽性率

情報ソース

https://corona.gov.bd/

日本に比べて、検査数が少なすぎるということもない模様。

仕事上知りえたこからいうと、ホテル従業員はすでにワクチン接種済み(アストラゼネカ)、定期的なPCR検査という体制

公務員ワクチン接種も優先された模様。

ラマダン

ロックダウン中のラマダンというのは想像できないが、昼間は水も飲めず免疫力低下に寄与し、

かつロックダウンで夜の活動停止。とても可哀そうなことになっていると思う。

平素のラマダンは、日が暮れれば爆食い。茶で夜な夜な語り合う。ロックダウン中は集うことができずと思われる。

社会の分断

もちろん、これが運命を分けているのかも、というのは直感の域を出ないが、気に留めておきたい。

感染対策経験値

バングラデシュ場合、なんといっても金融を巻き込んだ組織力を持つNGO存在がでかい。古くは結核対策から住民へのエントリーポイントを熟知。もうちょっと調べてみたい。アフリカはわからない。

5月10日)

https://anond.hatelabo.jp/20210510133514

へつづく

次元」は整数値だけではない。無理数次元だって有り得る

世の中ではあまり知られていないようだけど、「次元」というもの整数値だけじゃないんだよ。

すなわち、1次元(直線)、2次元(平面)、3次元(立体)、4次元(時空間)…のような整数次元以外の図形も有り得るんだ。

いや別に、これは私が勝手に構築した妄想内での話じゃない。ちゃんとした数学での話だ。

一般フラクタルと呼ばれる図形では、無理数次元というものが考えられるんだ。

まず、フラクタルとは何か。

それは、図形全体がその一部分から再帰的に定義される図形のことだ。

まあ、これじゃ何言ってるかわからないよね。でも、具体例を見ればピンと来るだろう。

有名なのはシェルピンスキーのギャスケットというやつだ。

こいつは三角形なんだけど、その中身が細かくくりぬかれた図形であり、そのくりぬき方に規則性がある。

まず最初に、三角形中央をくりぬく。くりぬく形は元の三角形上下反転させて、半分の大きさにしたもの

すると、上、左下、右下に3つの三角形が残る。

これらも同じように、さらに半分の大きさの三角形中央をくりぬいていく。

これを無限に繰り返したものが「シェルピンスキーのギャスケットのギャスケット」というわけだ。

無限に繰り返すため、最終的にはそれこそ「骨しか残らない」ような図形になる。元々は三角形だったのに、線みたいな図形になるわけだ。

また、この図形は、例えば真ん中より上側を見るとわかるんだけど、図形の一部分と元の図形が同じ形になっている。

例えば、元の図形は、中央に逆にした三角形のくりぬきがあるが、その上側でも同様に、中央三角形のくりぬきがある。

また、そのくりぬきの左側をそれぞれ見てみよう。

元の図形でも、その上側でも、やはり小さい逆向きの三角形でたくさんくりぬかれた三角形が、全く同じように存在するだろう。

というふうに、「シェルピンスキーのギャスケット」は、その図形全体がある一部分の繰り返しで形成されるわけで、

先の定義のとおり、同図形はフラクタルの仲間というわけだ。

ここまで、「シェルピンスキーのギャスケット」は同じ形の繰り返しということを述べたが、この後、無理数次元の話をするために、もうひとつだけ注意しておく。

それは、同図形は大きさを2倍にすると、同じ図形が3つに増えることだ。

先に述べたとおり、同図形はその上半分と同じ形をしている。そして、同じ形が上半分、左下、右下に現れる。

まり、辺の長さを2倍にした「シェルピンスキーのギャスケット」を描こうとすると、

元の図形を真ん中以外の、上半分、左下、右下に3つ配置した図形になるわけだ。

もう一度繰り返すが、「シェルピンスキーのギャスケット」は辺の長さを2倍にすると、図形全体は3倍になる(★)。

これは、後で無理数次元の話をするときに、もう一度出てくるから、よく理解しておいてほしい。

さて、この増田無理数次元について述べるものだった。

それでは、次元とはなんだろう。

突然だが、ここで、正方形立方体を頭に思い浮かべてほしい。

その1辺を2倍にすると、正方形の面積、立方体の体積はどうなるか。

正方形は、縦の長さと横の長さが2倍になるので、面積が4倍になる。

立方体は、縦の長さと横の長さと高さが2倍になるので、体積が8倍になる。

さて、面積や体積は1辺を2回または3回かけ算すれば求められるので、

この4倍や8倍という値も、2の2乗から4倍、2の3乗から8倍として求めてもよいことがわかるだろう。

これをまとめると、

2を次元乗すれば、図形が何倍になるかがわかる(☆)

というわけだ。

例えば、立方体場合は、立体なので次元が3で、図形は8倍になるだった。

一方で(☆)の考え方でも、2を次元乗、つまり3乗することで、図形が8倍になることがわかる。正方形場合も同様だ。

すなわち、わざわざ正方形立方体を頭に思い浮かべたり、面積や体積の公式を思い出さなくても、

(☆)の関係を考えれば、辺を2倍にしたとき、図形が何倍になるかがわかるのである

そして、数学では(☆)を次元定義とするわけだ。

(これは「ハウスドル次元」と呼ばれる。なお、ここでは簡略化のため、単位長さを2倍にする場合だけ考える。)

すると、無理数次元についてようやく説明ができる。

ここでは、前述の「シェルピンスキーのギャスケット」の次元を考えてみよう。

(★)で述べたとおり、同図形では「辺の長さを2倍にすると、図形全体は3倍になる」のだった。

よって、「シェルピンスキーのギャスケット」の次元をdとすると、(☆)から、2のd乗=3が成り立つはずだ。

d=1とすると、左辺は2の1乗なので、2となり、左辺の方が小さい。

d=2とすると、左辺は2の2乗なので、4となり、左辺の方が大きい。

から、dは1から2の間にあるだろうことがわかるだろう。

まり、「シェルピンスキーのギャスケット」は直線(1次元)と平面(2次元)の間にある存在だというわけだ!

これは、直感的には以下のような理解の仕方が可能だ。

同図形は三角形(平面)で構成されたものであるため、ベースとなるのは2次元である

しかし、先に述べたとおり、その中身は無限にくりぬかれていく。

まりほとんど中身はスカスカになっていく。「骨しか残らない」図形で、線みたいになっていく。

から、「シェルピンスキーのギャスケット」の次元も、2次元よりは線(1次元)に近いのだから、少し小さい値になるだろう、というわけだ。

ちなみに、このdを実際に計算するには対数log)が必要だが、おおよそ1.58となる。

この場合log無理数となるので、一番最初に述べたとおり、無理数次元というものが本当に存在するというわけだ。

シェルピンスキーのギャスケット」は部分的には三角形の組み合わせなので、平面である2次元のように見えるが、

細かくしていくとさらにその中に空白があるため、2次元よりは少し小さいだろう…

その感覚を数式化したものが、先に挙げた無理数次元というわけだ。

2021-05-03

当時の自分アドバイスできることがあるとすれば、とよく考える

婚活の前に交際、その前に友人付き合い、その前のコミュニティ付き合い そういったところから考えを修正してやるべきだったのかもしれない

人の輪には無理して入る必要ない、友人はいればいるで良いが、気が合わないところを無理に付き合うなら一人でいればいい… この考えは間違ってるとは言わないが、婚活に至る一番大きな道をぐっと狭める考えだなと今は思う

コミュ障チキン自身性格を踏まえつつ、人は社会で生きるものから交流は持っておくと良い、気の合う友人を見つけて楽しく過ごしなさい、無理に合わせる必要はないが、自分から閉ざすようなことはなるべくしない方がいい… くらいのことは当時の自分に言ってやるとよかったかもしれない

男女交際についても、通り一遍のいわゆる良い結婚相手を、という価値観以外に、何より気の合う相手・一緒に楽に過ごすことができる相手が良い、というのは当時の自分に言ってやったら良かったと思う

それと、夢とか人生目標のようなもの、これが結婚によって否応なく終了させられるというような直感のようなもの、これもきちんと否定してやる必要があった

自分の事で頑張ることができなくなる、全て家庭と子供お金のための労働になってしまう、夢を見ることが許されなくなる、そう感じていた

他にもいろいろ、当時の自分に言いたいこと、思い出したら書き出しておきたい

anond:20210502153541

書き方が煽りすぎだけど、わかるな。

要するに、「こんなのとなら結婚しない方がマシ」なことが直感的にすぐにわかるんだよな。

もちろん全員ではないんだろうけど、その希少者を選ぼうとするリスクと労力は、報われない可能性の方が高いだろうとわかってしまうんだよな。

2021-04-27

anond:20210427113849

その回転軸に対して太陽の光の当たり方によって気候が定まるんやから赤道を中心と捉えるのが直感的やろ

2021-04-26

100%の女の子に出会う

何年も前の話。初夏の晴れた午前中、北参道駅を出てすぐのスターバックス100%女の子出会ってしまう。

それは客先への来訪時間を気にしながらわずかな時間を使ってPCを開いている時だった。2人がけの向かいあった席の片方に座りキーボードを叩いていると、10人は座れるであろう大きなテーブル荷物を置く人影が視界の端に見えた。

直感のようなものを感じて、レジへオーダーをしにいく姿を見届けた。「ああ、100%の女の子だ」とすぐにわかった。村上春樹小説にある、短編の一節のタイトルだ。正しくは「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて

好みということでも、取り立てて美人というわけでも、何かをカバーするほどの愛嬌でも、何にも当てはまらない。純粋に、自分の中の100%の女の子がそこにいた。驚いた。思わず開いていたPCを閉じて深呼吸した。

「すごいなあ、見ることが出来た、出来てしまった」そう感じた。存在を知ってしまった。だからと言って何か出来るわけではない。自分には家族があり何か行動を起こすことなんて出来ない。

自分に今できることは、目に焼き付けることでもなく、声をかけることでもなく、ただ視線を外すことだけだった。時間にして5分か10分か。残りの冷めきったホットラテゆっくり飲み干して、100%の女の子存在を視界の外に感じながら、何を見るでもなく「いたんだなぁ」と深く考え込む。

客先へ向かう時間になり、席を立つ。結局その女の子の姿をしっかり見たのは10秒にも満たなかったと思う。ぼんやりと思い出せるのは、鎌倉の海の近くに住んでいる大人の女性というラフであり自分をしっかり持っている、なんとなくそんな人だったような気がする。年齢は27-8というところ。髪はロングで洗いざらしのような。だが、そのファッションも見た目も、何でもよかった。ただ、ただ、100%だった。それだけだった。

2021-04-23

婚活を4年やって昨年結婚した

相手のことはすごく好きで婚活でこんな出会いがあるとは思わなかった

ピンと来ないというのは言葉ではアレだけど、違和感があるということで、無理に続けても結果的には終了になるもんだなと今は思う

当時は付き合っているうちに解消するかも、と努力を続けたがどうもならなかった

ノウハウとして、条件より、とにかくたくさん会うこと、というのは間違いない

間口は広ければ広い方がいい

一方で、なんとなく違う、という直感重要だなと思う

2021-04-20

anond:20210420203721

だよなあ

距離だと一見普通に走れてもコンマ3秒とか遅れるだけで全然違うわけやもんな

距離での影響の方がむしろ直感にわかりにくいのかも

anond:20210420181759

同じ1kgのハンデが短距離走と長距離では後者のほうが影響が大きい というのは直感でもなく実際そういう結果になるだろう。

短距離走では数cmの差、0.01秒の差で勝負が決まるけどフルマラソンだと数百mとか数分の違いが出る。

anond:20210420181759

いや、直感的には距離を伸ばすならより重いハンデ付けないと男子が早くなる気がするのだが。

100m 男子女子=9:10 男子+1kg女子

3000m 男子男子=8:10 男子+1kg女子

みたいな

スポーツ詳しい人教えてほしいんだが

100 m 走の世界記録見ると、もちろん女より男のほうが速いよね

男は9.58秒、女が10.49秒で、男の記録は女の91.3%だ

で、距離を伸ばして記録の違いを見ていくと、

400 m で男は女の90.4%、1500 m では89.5%、3000 m では80.7%になって、だいたい距離を延ばすほどに記録の違いの比率は増えていく傾向が見えている

ほんでだ、本題

100 m走で、男と女の差がなくなるように、男におもりを背負わせるとする

ボルトジョイナー同着になるように、ボルトにおもり入りのリュックを背負わせる

これはまあ、可能だろう

で、次に、そのおもさのリュックをそのまま3000 m走の男性選手に背負わせるとする

直感的には、そんなことすると男のほうが女より遅くなるんじゃないかなって思うんですよ

記録の違いがより大きい種目なのに、記録の違いが小さい種目と同じハンデを背負わすとかえって不利になりそうなこの現象

なんでなんだろう?

いや、実験してないから本当にそうなるかはわからないよ

直感的な疑問

2021-04-18

教育格差がその人の人生を決めるのだから論には納得してやらん

納得できないのではない、納得してやらんのだ。

北海道人口100人にも満たない集落にある漁師の家に生まれ、将来は家を継いで世間知らずであり現金収入は少ないが食うのに困らない一生を過ごす。
そんな選択が俺にはあった。

だけれど、そんな人生に納得できなかった俺は中学卒業と共に実家を飛び出した。

小学校同級生3人、自転車で2時間先にある中学校は何とか1学年2クラスを作れるという少子高齢が進む地域
中学では腕っぷしの強くヤンチャな生徒、つまりは不良が幅を効かせているような文化圏はてブで都会住みの連中がイメージするステレオタイプなド田舎と言って良い。

その当時の大人世界では義務教育パソコンを習わせたほうが良いという機運が高まり、各校へパソコン配備されるようになってきた時代
しかしながらド田舎公立高校でそのような先進的な機械活用されることはなく、暇を持て余したガキだった俺のオモチャへとなるのがせいぜいだった。

田舎には田舎ルールがある。
それは例えば「中学では後輩は先輩に喧嘩で勝ってはいけない」というのもルールの1つだが、クソ真面目にも早朝から起きて実家の漁を手伝い、授業が終われば部活動野球へ日々精を出していた俺の身体能力は、年上であっても体育の授業をサボるような不良連中より劣っているわけもなかった。
田舎の古い価値観を持った父親のありがたい教育方針であった「男がナメられるんじゃねぇ」のもと、先輩たちが売ってきた喧嘩を買いまくり、不良の先輩たちを不登校へ追いやってしまった結果、晴れて俺は学校からハブられ中学野球試合にも出られなくなってしまった(野球部には所属してて毎日練習はしていた。先輩たちは卒業まで学校に来なかったが)。

ハブられてしまったため日々暇な時間を過ごすようになった俺が出会ったのが図書室の本と、前述したパソコンだった。
最初プリインストールされていたソフトで遊んでいるだけだったが、教員書類ワープロ専用機で作る時代だったのでパソコン知識がなく管理がザルで、俺はそのパソコンパソコン通信とインターネット接続できることに気が付いてしまった。

Yahooからリンクサイトを経由し、電子掲示板という存在を知った俺は日々電子掲示板サイトアクセスし、誰とは知らない人たちと会話をして時間を潰した。
話題には事欠かなかったし、専門性の高い話題が出ると「ちょっと待ってね。ここ図書室なんだ」と言ってソレ関連の本を引っ張り出して、パソコンの先に居るお兄さんなのかお姉さんなのか知らないが、興味深い話を日々聴くことが出来た。

増田クン、これからPerl時代だよ」
「いやボク最近やっと思い通りBASIC書けるようになってCの勉強中なんですけど」
「もちろんCは大事だよマイコンに使えるし。でもさサービス提供するならPerlが向く。DoCoMoiモードだって裏ではPerlだよ」
「ボクの住んでるとこピッチ圏外ばっかり、田舎だもん」
iモードピッチじゃないよ周波帯が違う」

特にコンピュータ関連の話は面白かった。
ゲーム自作できると教えて貰い、プログラミングを始めるようになり、BASICやC、PerlPHPJavaをよく触るようになった。
図書室が我が王国のようになり、問題児図書室に籠もっていてくれているし、図書室通いの結果から試験の成績も悪くないどころかトップクラスであり教員たちもずっと放置してくれた。

そんな生活の中で知れたのは学区に依存しない高校存在だった。
寮もしくはアパートなどで一人暮らしをしつつ通える高校が世の中には存在することを知ったのだ。
これだと直感的に思った俺は親父へ直談判することにした。
俺の故郷未来はないと薄々勘付いていて、正直なところ青二才だったため「じゃあ俺がいい大学入って故郷へ錦を飾れば良いじゃん」と出稼ぎ感覚でいた。
親父は俺の話を無言で最後まで聞いていた。

親父の回答は「勝手しろ

今思えば何をアホなこと話してるんだと思ったが、一応は国立高校だったため学費はそこまで高くなく、何だかんだで小さなから家業を手伝っていた俺がバイトしながら高校へ通うことに関しては古い価値観の「苦労は買ってでもしろ」的な面から了承されたのかなと思う。
おそらく一番困らせたのは高校入学祝いに当時の最新パソコン引越し先でインターネット回線を引く費用を求めたことくらいだったのではないかと思う。

右も左もわからない状況から一人暮らしを始め、訛りのひどさにクラスでイジられ、バイト先に勤めている大学生の兄ちゃんたちに世話してもらいながらも毎日新しい体験をして過ごした。
世の中は広く世間の移り変わりは早い。着メロ和音が鳴るしディスプレイカラー携帯電話電波田舎にまで届く。

甲子園を目指したが強豪校はやっぱり強く負けてしまい、人生で初めて望んだ結果が得られないことを経験した。
しかしそれでも俺は何となくコレは真理なんじゃないかと思い始めていた。
そして国立大学合格したことを期にコレは真理だと確信したんだ。

人一倍努力人生を豊かにする。

今の俺は別に故郷へ錦を飾れたわけでない。
しかし俺は不良が風を肩で切るようなド田舎出身脳筋漁師の子だ。根本は変わってないと思っている。
それが今やG社に勤めているって言うんだから人一倍努力は裏切らねぇなと。

自分が持ってないものが欲しいならば努力するしか方法がない。
学歴が欲しいならば年収が欲しいならば地位が欲しいならば努力するしかないんだよ。
誰もお前のために人生なんかかけてくれない。
お前の人生にかけてくれるのはお前自身しか居ないんだよ。

俺はネット上で忌み嫌われる努力教徒だろう。
でもこれだけは忘れてくれるな。
俺の献身的努力を捧げた先は俺自身だ。

2021-04-14

anond:20210414085807

ペン入れてみる

感情論根性論以外エビデンスのある知的発言をほぼ聞いたことがない

そうですね。

まじで芸人コメントさせるな

知的発言コメント因果関係が語られてないね

発言を見た人は驚くよ

雰囲気でモノを語るんじゃねぇ

コメントって言葉辞書で調べたことがある?

どっかの関東落語をしない落語コメンテーターもどきがいるけどあいつはあえて調べないで直感コメントするとか言ってるけどそいつもどうかしてる

国民目線でとか抜かすなボケ

それは何も知らないただのアホで国民ではあるが一般的ではない

アホな国民目線で語るな

考えて物を言え

アホな国民でも一応は国民なので国民目線で話すことに問題ないけど?何がダメなの?

全体評価

文章全体を通して繋がりがないので知的ではない。

知的発言でなければコメントしてはいけないと主張するなら、まずこの文章を消さないと話にならない

やり直し 20

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん