「規範」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 規範とは

2019-03-15

コカインって何がだめなん?

コカインって何がだめなの?

反社会的勢力に金が渡ることになるから、良くないていうのはわかる。

じゃあコカイン反社会たらしめてるのはコカイン違法からだよね。

コカイン合法だったら別に反社お金渡ったりしないもんね。

よくアルコール比較されたりするけど、コカイン違法にして、タバコや酒をセーフにしてるのは、こちらの正常っぽい人たちが、この辺!って社会的規範みたいなもんに照らし合わせて線を引いてるだけだよね。

鯨は食うけど犬は食わないみたいなね。

パンドラの箱開けちゃってんだよね。

やばいでしょ。

2019-03-14

anond:20190314141748

男様(強いオス)が望んで獲得してきた世界そいつ以外のすべてに負担を強いる世界

とんでもない。

外の世界から守られ家事育児に専念できた時代があっただけ勝ってるだろ。

それを自ら放棄したのが女様。

男は常に競争を迫られてきた。今でもそう。

あとからそのゲームに割り込んでおきながらルール変更を要求するのが女様。


既得権益?とんでもない。そんなもん今となったら微塵もない。

あるやつにはあるがそんなものは極少。

実際には既得権益の欠片もない類の男にの負担押し付けてるのが女様。

しろ保護されるべき」という規範や「セックス」という取引材料を持って生まれてくる女様こそ既得権益者だろ。

今存分にそれを振るってる

2019-03-07

anond:20190307114512

女子供知的に劣るという凝り固まった規範に立ち向かったのがフェミ

寧ろ規範証明してるのがフェミなのでは...

ゲイレズは異常者で社会から排除すべきという凝り固まった規範に立ち向かったのがLGBT

LGBT神聖ニシテ侵スベカラズ」という凝り固まった別の規範押し付けてるだけだろ

anond:20190307113743

「世の中に受け入れられない」のはロリコン差別の凝り固まった規範があるからだろ。

本来なら立ち上がる必要すらない。

このフニャチン思考の時点でフェミLGBTと同列に立とうというのがこの上なくおこがましい。女子供知的に劣るという凝り固まった規範に立ち向かったのがフェミゲイレズは異常者で社会から排除すべきという凝り固まった規範に立ち向かったのがLGBT

ロリコンはこれまで何を世に訴えかけてきたんですか?立ち上がる必要がないのなら不当に弾圧された所で自己責任でございますよね?社会成熟とともにロリコン差別されなくなる世の中が到来する未来でも夢見てるんですか?おめでとう!

anond:20190307113233

「立ち上がらないクセに一丁前に差別だ不当だと増田でカッカしてる志の低い馬鹿が嫌い(だが立ち上がったら殺す)」こうですね分かります

「世の中に受け入れられない」のはロリコン差別の凝り固まった規範があるからだろ。

本来なら立ち上がる必要すらない。

志の高いロリコンは悉く殺す社会を変える気もない差別主義者が何を言ってるんだか

anond:20190307111629

増田ロリコンを認めないのは差別と言い張る、定期的に現れるクソのような幼稚な主張に対する皮肉として元増田文章を書いた。

戦う気概もないなら一生そこで愚痴ってろとな。

拠ってたかってロリコンを殺す社会の一員さんはさすがいうことが違うわ。

「戦う気概もないなら一生そこで愚痴ってろとな(ただし歯向かったら殺す)」ってことだもんな。


そもそも性的嗜好」という区別だの、「児童権利侵害する」という規範だのからしロリコン差別のための(そしてLGBT擁護のための)ものに過ぎないわけだが。

anond:20190307100803

好みは差別じゃないよ。

ただ、そういう「好み」を社会規範化し、内在化し、教育と評して教え込んでいたら差別

 

黒人が嫌いな人がいるのはいい。

黒人を嫌いであることが、社会成功する要因の一つとなっていたら、黒人嫌いのやつが作った法律がまかり通ったりしていたら差別

 

端的に言えば、個人の心の中の問題差別ではなくて、社会問題があるのが差別

まあ個人社会接続してるから境界例はあるんだけど、大抵はそれで判断がつく。

2019-03-06

ババア差別がひどい。

横断歩道を渡れない人」が描かれるときは必ず杖をついた老婆だ。

老婆は鈍臭い存在という性規範押し付けだろう。ババア差別以外の何物でもない。

2019-03-01

anond:20190301154806

憲法学者でもなければ法学者でもない以上、現状社会でなされている妥当判断を支持するよ。

憲法学者でも法学者でもないのに、法律以上の規範オタク押し付け表現の自由を奪うんですかぁ?

あきらかにおかしいと思わない限りはね。

結局、お気持ち特定カルチャー差別する抜け道をこうして残してある

anond:20190301140619

一方的に定めた規範表現規制しようとするものがいる

一方的自分正義他人集団攻撃するものがいる

議論ではなく罵詈雑言で、レッテル貼りで、業務妨害表現の自由を奪おうとする者がいる

君のような連中だが。

単に言い負かされたってだけなら言論統制なんかなないよ?

理論を強化して言い返すとか、賛同者を広く募るとか、そうやって主張していかないと、

それが民主的社会の中での同意形成過程ってやつでしょ。

誰を言い負かしたつもりなんだ?

フェミのどこに理論があるって?ポリコレのどこに理論があるって?根拠一つありはしないが?

そして民主的手続きをどこの誰がした?

いつ選挙の争点に上がった?

一方的に、根拠もなくお気持ち押し付けるのを「民主的」というとは恐れ入ったわ。

2019-02-28

anond:20190228142532

「アレな業界」=「ポリコレバーバリアンの独善的規範に従わない者」ってこと?

関わってほしくないねポリコレ

気に入らないならやらなきゃいい。他人に指図して表現の自由を奪っていい理由はない

anond:20190228101836

性的ものイカンといってるのでなきゃ、他の趣味よりも激しい「ゾーニング」を要求する理由は?

どんな趣味にも嫌いな人、不快な人がいるのに「性的」なものだけを殊更に隔離しようとするのは「性的ものはいかん」という規範の押しつけに他ならないのでは?

2019-02-19

anond:20190219063712

S と M では

a と the は 対象についてのとき

パイロットが a か the であるときはそれ

「僕は乗ります」I am a pilot for other injured soldiers

a any among

「僕が乗ります」I am the pilot of instead

the though that

複数エヴァンゲリオンがあり複数パイロットがおりそれぞれに状況がある

その一例として怪我をして搭乗できないパイロットがいる

綾波はその例にあてはまる一人だ

私は乗る(運転するために乗る=自分パイロットから

「僕は乗ります」I, not Ayanami, will board.

i will board one of the evangelions

S 複数形のS some slave 副となるS

パレート スプリット 分断 無個性のS

個別意図をもったパイロットとして

彼女彼女と同じ境遇の者のためにでもある

敵との対決が主目的である目的遂行代行としての理由も加味されていることを含む

自身の行動が綾波を含め代行している対象に対して結果を得られるようにする

結果の還元自分になされるようにすることで登場できなかったパイロット

その役割と切断された状況にあっても役割の不達成を思慮しなくても良いように



私が乗る(私こそがパイロットだ:何のための=綾波の代わりの)

i must be pilot of evangelion

M 主体のM master main

マージ マウント 主体主張のM

敵との対決が主目的であるがそれは彼女目的遂行を代行することである

あくま綾波の乗るべきエヴァンゲリオンとその行動主体代替である

綾波のそれだ 綾波比較して 綾波ならば という規範に則る

結果の還元綾波個人還元されるように意図される

2019-02-16

百合ジャンル歴史現在 前

 本稿では、BL/やおいと比べ論じられることの少なかった「GL/百合ジャンル確立歴史と、その現状について考察する。

 はじめに、「百合」というマンガアニメにおけるジャンルを示す言葉概要説明する。「百合」とは主に、女性同士の恋愛と、それに満たない関係性も含めて描いた作品ジャンルを指す。川崎によれば、定説として語源ゲイ雑誌薔薇族」に由来する。男性同性愛を指す「薔薇族」と対になるよう、女性同性愛者を「百合族」と呼称した「百合族の部屋」というコーナーが1976年から不定期連載されるようになったのが始まりであるとされる(川崎2014:44)。当時はレズビアンを指す用語だったが、徐々にサブカルチャーに輸入され女性同性愛を扱った作品群を呼称する言葉に変化していった。

 まず、日本での「百合」のマンガジャンルとしての成立について述べる。そもそも大正ごろの日本においてマンガとしての形態以外で女性同性愛テーマにした創作物としては、性描写過激男性向けポルノか、少女向けの小説に二分されていた。特に女学生同士の姉妹関係エス」をテーマにした少女小説金字塔として、「花物語」(1925)などが代表される。しかし、大正時代少女文化として流行した「エス」の概念現代の「百合概念とは違い、上田は「自覚的女性を愛することを選択したというよりは、良妻賢母になるための安全なる予行演習という側面もあった」と述べている。(上田 2014:192)

マンガが発展し、女性同士の関係性を主題とした最も初期の連載作品1970年代ごろから山岸涼子「白い部屋のふたり」(1971)、池田理代子おにいさまへ…」(1974)、「ベルサイユのばら」(1972-73)のオスカルロザリーなどにみられはじめる。これらは、「24年組」に代表される少年愛テーマとしたマンガと同時発生的に少女マンガ誌に掲載されたものだ。藤本は、このころの百合マンガの大きな特徴として

 ①対照的な二人の容姿(中性的・くっきりとした美人可憐少女イメージ)

 ②演劇モチーフ(宝塚歌劇の影響)

 ③悲劇的なストーリー(少年愛を扱う作品対照的同性愛による葛藤描写)

を挙げている(藤本 2014:101)。これらの特徴は、1970年代女性の抱えていた抑圧感を反映していたものなのではないかと考えられる。女性作家による「少年愛」が現実の抑圧から解放として、性的未分化存在(少女)の何物にも縛られない感情の動きを描写したものなら、このころの「少女愛」はそれと対照的に、抑圧からの逃避としての悲劇的な結末が設定されることが多かったのではないだろうか。表現手法舞台設定は耽美幻想的でありながらも、当時の日本での女性のおかれる立場に忠実な閉塞感が描写されたものだと考えられる。また、この時代百合マンガ少年愛ほどの大きなムーブメントには発展せず、作品数も多くはなかったため、自然消滅的に衰退していった。

 しかし、1990年代同人誌文化の発達に伴い、百合ジャンルも急速にその勢いを復活させる。

まず、「美少女戦士セーラームーン」(1992-97)によって、女児向けマンガにおける戦う美少女という概念ジェンダー論的な観点においての大きな転換点となる。異性愛的な要素が物語の中心に関与していたにもかかわらず、同人イベントではセーラー戦士同士のカップリングを描いた作品が爆発的なブームとなった。その理由として考えられるのは、消費される客体としてではなく主体としての戦う美少女像が確立されたことではないだろうか。これにより、百合的な描写70年代における悲劇的な結末に向かう物語ではなく、少女が二人で主体的に幸せを獲得していく過程が重視されるようになっていったと推測できる。

そして、物語の中の関係から百合文脈を汲み取っていた時代から、前提として百合のもの主題においた作品も増加していく。代表的なものとして、「少女革命ウテナ」(1996-98)がある。この作品は、古典的少女マンガシンデレラストーリーを基盤に「王子様」と「お姫様」を少女同士に置き換えてなぞりつつ、70年代百合作品に見られた演劇的なモチーフや学園モノ、男装美少女といった設定を取り入れ、また絵柄としても耽美で繊細なものであったが、これらは意図して行われたパロディ化された演出だった。ストーリーの結末も、最終的には二人が離れ離れになる点は悲劇的にも取れるが、その後ヒロインたちの再会が示唆されている。アライによると、「王子様」と「お姫様」が結ばれてハッピーエンド、という構造少女同士で反復するだけではなく、最終的にヒロインたちは「王子様」と「お姫様構造破壊し、自身覚醒させ歩き出すことで、社会的女性規範を打ち砕くことができるのだ。(アライ 2015:57)それこそが「世界革命する力」であり、この結末によって投げかけられたのは、異性愛規範や家父長制へのアンチテーゼと、黒人女性解放運動日本女性ウーマンリブ運動などの背景を踏まえた社会的メッセージだった。

これらの2作品によって、社会的な動きと呼応した百合マンガの潮流が形作られはじめる。「セーラームーン」も「ウテナ」も少女マンガ誌に掲載されており、本来ターゲット層は10代の少女対象にしていたと考えられるが、ここでのプラトニック少女たちの絆がオタク層にも受け入れられ、恋愛的な文脈解釈した成年層による二次創作が爆発的に流行する。これと同時に一次創作オリジナル同人誌においても、「百合」という概念が定着しはじめ、少女同士の恋愛主題にした作品がみられるようになる。

 そして2000年代に入ると、マンガジャンルとしての百合を専門に掲載した「百合姉妹」(2003-2005)が発刊される。その後、「コミック百合姫」(2005-)に統合され、現在刊行中。専門誌の発刊は大きなジャンルの発達の手掛かりとなり、この雑誌に連載されていた作品アニメ化や二次創作流行によって、「百合」というジャンルがはっきりと定義されはじめ、広く認知されるようになっていく。しかし、その定義に関して「男性が主要人物として登場し、恋愛関係に介入する」「性的関係が生じた場合百合ではなくポルノ」などといったさまざまな議論が巻き起こったのもこの時期である

また同時期に、「神無月の巫女」(2004-05)や「舞-HIME-」(2004-05)などの少年誌で連載される百合作品が登場する。これらの作品は、少女マンガ作品よりも直接的な同性間の恋愛としての描写性的表現が強く押し出されていた。ここから現代男性向けと女性向けの要素を同時に内包した現代百合マンガ形態確立しはじめたといえる。2007年には、前述した「コミック百合姫」の姉妹紙として一迅社からコミック百合姫S」と「コミック百合姫Wildrose」が発刊。「S」は本誌よりソフトで繊細な関係性の百合を扱い、なもりゆるゆり」(2008-)が代表するような「日常系百合」の流れを作った。一方「Wildrose」は、それまで成人向けポルノとしての過度な性描写忌避されがちだった(厳密な定義での「百合」ではないとされる議論があった)当時の風潮の中、直接的な性描写掲載した作品を扱う専門誌として独立した挑戦的な試みだった。

 ここで、2008年に行われた「コミック百合姫」の読者アンケートを参照してみる。2008年7月号時点の『コミック百合姫』読者の男女比は男性27%、女性73%であるのに対し、『コミック百合姫S』の方は男性62%、女性38%となっている。つまり現在統合された「コミック百合姫」の購買層は、この男女比を単純に平均すると男女差はほぼ半々で、やや女性読者のほうが多いということになる。ここでは百合マンガの購読層を性別と消費の形態に4つに分類して考察した。

①「傍観」型女性

 女性購読層において基本的には、社会的比率を前提にすると異性愛女性のほうが多いと考えられる。彼女たちは少女同士の関係性に、「現実における異性愛ジェンダーロールによる苦痛から隔絶された「非現実的な同性間による越境快楽」を心の拠り所として愛好するのではないだろうか。なおこれについては、やおいBL ジャンルを愛好する女性においてもほぼ同じ理論適用できる層が存在すると思われる。

②「投影」型女性

 百合というジャンル性質上、他の恋愛形態をメインとしたジャンルよりもレズビアンバイセクシャルを自認する女性が購読層に多い傾向にあることは考慮するべきである彼女たちは、異性愛女性が「少女マンガにおけるロマンティクラブ」を夢見るのと同じように、自身性的指向に一致した自己投影先として「百合マンガにおけるロマンティクラブ」を享受していると考えられる。

③「傍観」型男性

 百合自分投影先の存在しないストーリーを消費するものとして受け取っている購買層。①「傍観」型女性とほぼ同じ論拠が適用できると考えられる。

④「投影」型男性

 百合マンガ登場人物自己投影する男性は、ジェンダーロールから解放と、女性との恋愛の疑似体験を同時に達成できる。この購読層の性的指向に関しては、社会的比率として異性愛男性が多いと思われるが、異性愛コンテンツNL)ではなく百合GL)を愛好する彼らに関しては、③「傍観」型男性よりさらに複雑な感情ルーツを持っていると考えられる。また、TS願望を持つ男性MtFとは区別する)や、同性愛男性共感を持って少女同士の関係性を愛好する例も、この枠にひとまず収めることとする。

⑤「乱入」型男性

 特に男性向けの性的描写の含まれ百合マンガ等においては、その世界の中に没入し登場人物の中に「混ざりたい」という観点で消費する層も存在する。これは上記の4つの例と異なり、少女同士の関係性ではなく「(男を知らない、穢れのない存在として描写される)レズビアンである少女を自らの男性性によって屈服させたい」というマウンティングによる性的欲望や、男性主人公やその代わりとなる女性キャラクター存在しない「ハーレムもの」といった受け止め方に由来するものと思われる。ただし、これらの男性百合ジャンルファンから忌避される傾向にあり、特に近年の百合主題とした作品においては減少している。

これらのファンがそれぞれ百合というジャンル定義について議論を重ね、各需要を満たすような創作物制作していったことにより、百合ジャンルが発展していった時期だった。

次に、2010年代百合文化を振り返る。このころに代表的な作品として挙げられるのはテレビアニメ魔法少女まどか☆マギカ」(2011)だろう。この作品は、「セーラームーン」にルーツもつ戦闘美少女系譜を受け継ぎながら、現代調に前提として百合意識して構成された作品ひとつで、魔法少女同士のカップリングを扱う二次創作が爆発的に流行した。

 また、少女マンガ誌において百合を扱った作品が満を持して再び登場する。70年代以降、異性間のラブストーリー(NL)に偏っていた少女誌において約30年ぶりに百合が復活した形で、「野ばらの森の乙女たち」(2011)や「ブルーフレンド」(2010―2011)が連載された。これらの作品は、少女漫画特有の筆致でありながらも明確な少女同士の恋愛関係としての描写があり、また両作品とも70年代のような悲劇的なラストを迎えることはない。少女向けの要素として、学園設定や疑似姉妹などの設定は残されているものの、これらは批判的なパロディというよりも前時代少女誌における百合作品に対する敬意からくるオマージュ解釈するほうがふさわしいだろう。これは近年において少年誌よりもジェンダーロールの強固だった少女誌界隈に百合ジャンルブームの波及がみられた、極めて注目すべき例である

<続きと参考文献リストこちら>

https://anond.hatelabo.jp/20190216025236

2019-02-12

anond:20190212230339

良いなそれ

法律社会的規範に反することしたらその場で懲罰

重度の場合即ムショ

2019-02-09

「男には、弱さを語れない弱さがある」という話

現代日本では、男性たちは弱音を吐きづらいし、なにかと「男らしくない」と言われるプレッシャーがあるのは、確かだと思う。

男たちには、現代日本では多くの「足かせ」がついているよね。

ワレン・ファレルが、1970年代に「男性権力神話」の中で「フェミニズムガラス天井ならぬ、《ガラスの地下室》に閉じ込められて男たちは危険なことを無理やりさせられている」といって、男たちばかりが致死率の高い、危険仕事従事している様相比喩したように、未だ日本社会では男性特有の困難感は内在すると思う。

あと、精神科医松本俊彦が「アルコールうつ」に関する著作の中で「女性の方が精神疾患罹患率一見すると高く見えるけど、実際の精神科医としての感覚はそうじゃない。男性の方が問題が大きくなるまで助けを求めない」と言っていたみたいに、これはジェンダーという社会構造問題だと感じたりもする。

もちろん、ファレルに対する批判もあって、「いやいや、社会構造としては、男性が有利な社会じゃん?片手落ちじゃね?」という話もある。

もちろん、それはそうなんだろうけど、もう1つの流れとして、支配力を手にして、そうした社会背景の恩恵に預かっている男性もあれば、そうじゃない人もいる、という視点もある。

dominantな男性性とか、その周辺の男性性とかってヤツ。

この辺りの議論がさ、比較的理知的に感じる、増田でさえも入り混じってしまっているのは不思議にも感じる。どうしてなんだろ。

アレかな、なんというか、そうしたこと理由には「持って生まれ身体という、簡単には変えられないものに対する無力感」がベースにあるのかもしれない。

まり男性性とその周囲の状況が批難されるとき、私を含む男性は、自分の変えられない部分が批難されたように感じてしまうのかな。

あと、もう一方で、私たち男性は「弱音を吐くのが恥ずかしいことだ」という男性規範駆動され、援助希求能力は決して高くないと思う。

女子はすごい。鍛え方が違う。

(もちろん、そうでない人もいるだろうけど、傾向として、というお話です。念のため。)

からさ、男たちも「自分たちの苦悩」を安心して話せる場が必要なんだと思うのですよ。

それが、それこそが、よりよい多様性のある社会を作るための、橋渡しになるじゃないかなぁ。

まあ、個人的には弱音を吐くことって、スキル必要だなぁとは思う。

少なくとも僕は弱音の吐き方が分からないし、自分気持ちなんて、蔑ろにしてきました。

(2/9 1:48追記 修正

2019-02-08

親にどう対応するか

親に言われて、未だにわだかまっているものが2つある。

一つは高校生うつ病になったときのことだ。一日中部屋にこもり、食事ほとんど取らなかった私に対して父親が部屋へ押しかけて言った。

「みんな一度は死にたいと思うこともあるが頑張って生きているんだ」

私は発狂した。

もう一つは社会人二年目になって帰省し、転職したいと相談したときのことだ。両親は口をそろえた。

「三年は働け。おまえはまだ仕事を分かっていない」

その後の母から届いた手紙には、自分が頻繁に仕事愚痴を言ったせいでおまえに仕事への悪感情を植え付けてしまったと言う謝罪と、仕事愚痴が書いてあった。

私は三年目の終わりに再度うつ病にかかり仕事を辞めた。

悪い人たちではないのだ。年齢にしては進歩的な考えも持っている。ただ、規範大事にする人たちでもあった。

そして、一番の問題子供たちと上手くコミュニケーションが取れていないことだ。

家庭を持って気がついたが、両親との会話はほとんどがどう標準や規範に沿うかに終始して、当事者気持ちや考えは扱われない。

私は高校卒業後早々に家を出て、弟も同様に家を出て音信不通になっているのはそのせいもあるのだろうと今になって思っている。

直近の帰省で、母が余命一年のがんだと知らされた。LINEの連絡先も交換している中で帰省するまでそのようなことを知らせなかったディスコミュニケーションぶりに頭が痛い。家を出たからもう無関係だと思って良いと言うことだろうか。

出来ることはしてやりたいという気持ちはあるが、前述のことを思い出すともう関わりたくないという気持ちもあり、両親の連絡不足がそれに拍車をかけている。

どうしたものか。

2019-02-07

恵方巻起源

恵方巻花街の艶遊びをルーツにしている」という説がある。

要するに、太くて黒くて長いブツ女の子かぶりつくさまを見て、品の良くない楽しみ方をしていた、という説。

平たく言うとフェラチオメタファーですわ。フェラチオ

かに太巻きかぶりつく様子はあんまし品が良くなくて、そう言う連想をしてしまうのは解る。

しか聡明な私はここで違和感を覚える。

・そんなんわざわざ節分の日にやる理由ないやん

恵方巻が始まった頃は性的テクニックとしてのフェラチオ一般的ではなかったのでは

まず1点目、 「節分の日に太巻き遊女かぶりつかせる」という遊びは、いきなり発生するにはハイコンテクストすぎるように思う。

仮に花街でそういう遊びがあったとしても、それ以前に太巻き風習自体存在し、そこに艶遊びの要素が付与されたと考えるのが自然ではないだろうか。

2点目、もの資料によると、日本フェラチオが普及したのは、昭和中期(1972年)のアメリカ映画であるという。

江戸時代にはフェラチオ一般的だったという話もあるが、日本における性規範明治時代に一旦リセットされているため、恵方巻が始まった時期(よくわからんがおそらく明治以降戦前)には、性的技術としてのフェラチオ一般的ではなかった可能性が高い。

上記2点より、巷でまことしやかに囁かれる「恵方巻ルーツ花街の遊び」説は疑わしい、と判断するのが妥当ではないかと思う。

どうだろうワトソン君。


こちらからは以上です

2019-02-06

anond:20190206095040

バカだなあ、「女は性欲を前面に出してはならない」という不文律規範社会にあるだけ。

ブスの性欲を抑圧するには、その不文律があった方が男社会にとって都合がいい。

それから読みにくい書き方を止めろこの与太郎

2019-02-04

anond:20190204170910

ポリコレで詰まんなくなったかどうかは個人主観につき何とも言えんが、

ポリコレによる暴力的規範の押しつけが表現の枷となってるのは事実

2019-02-03

anond:20190203170627

そもそも自称反差別の側に「男性排除差別ではない」って異常な前提があるから

あいつらが規範を牛耳ろうとするのを全力で止めるべきだわ

2019-02-01

anond:20190201153541

からそれはお前

なろう系異世界ハーレムロリ結婚やってるのを「日本の性規範はこんな」って言ってるようなもんやぞ

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん