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はてなキーワード: 自分自身とは

2017-11-19

文章を読むのが苦手な人はとりあえずブログでも書いてみてはどうでしょう

id:zeromoon0 さんありがとうございます

文章書くって大変ですね。

===

inoueです。

え~と、え~と、あのですね、たまにですが文章を読むのが苦手という人がいます

このスキルアップブログを読んで頂いている方の中にも、少なから文章を読むのが苦手という人もいることでしょう。

別に文章を読むのが苦手でも人生ではそれほど困ることはありません。もちろん、文章を書く仕事関係する職種についている人は困ります

からアドバイスとしては、とりあえずブログでも書いてみてはどうでしょうかということ。

何も難しく考える必要はありません。最初は見よう見まねで自分の力でブログを書いていけばいいのです。


オリジナルブログほど成長できるものはない




とにかく文章を読むのが苦手な人は、自分なりのオリジナルブログを書いていきましょう。

自分自身しか書けないブログ永遠の宝物になりますし、何よりも成長に繋がりますからね。

やはり考えることは大切ですし、受け身人間自分で考えられない人間はこれから時代では詰んでいくのがオチ

そのようなつまらない人生を送らないためにも自分しか書けないオリジナルブログドンドンと書いていきましょう。

そうすることによって、文章を読むのが苦手という短所も少なからず消えていきます自分で書いた文章何となく読めるものですからね。


最初から文章を読むのが苦手という意識を持たない




何ごともそうですが、最初から苦手意識を持つことはよくないこと。

文章を読むことが苦手でも、やはりここは何とか読まなければなりません。心の中で「苦手、苦手」と思い続けていると、いつまで経っても苦手なことを克服できません。

かに苦手なことを無理に得意分野にする必要はありませんが、やはり人生において文章を読むことはあらゆる分野で役に立ちます

本を読むことで何かを閃いたり、人生好転させることもできますからね。

からこそ、苦手意識最初から持たずにとりあえずは文章を読んでみましょう。



自分にとって読みやす文章から読んでいく





本気で文章を読むのが苦手な人はこのブログ記事さえも読んでいません。

ここまでスキルアップブログを読めたということは、文章を読むのが苦手ではないということですし、何よりも読む行為が好きなのでしょう。

文章を読むのが苦手な人でもここまで読めることは凄いことですし、これからもこの調子で読んで頂きたいもの

大切なこと自分にとって読みやす文章を読むということ。そして、自分自身が読みやす文章を書いていくということです。

その方法の1つにブログがあるというだけで、文章を書くならどのような方法でもいいということです。



文章を読むのが苦手な人はとりあえずブログでも書いてみてはどうでしょう?のまとめ




このスキルアップブログのお問い合わせにも、苦手な文章を読むのを克服したいという悩み相談がきます

かに読むことが嫌いな人にとっては文字を見ることでさえも苦痛でしょう。

それでも、克服したいと願うのはやはり素晴らしい文章を読んだり、文章を読むことで何かを得たいからに過ぎません。

私自身も過去には文章を読むのが苦手な時期もありました。

それでも、今ではこのようにしてブログ毎日書いていますし、毎日文章も読んでいます。人それぞれには苦手なことがたくさんありますが、少しずつでもいいのでゆっくりと克服していきましょう。

とりあえずは文章を読むのが苦手な人は、このスキルアップブログを参考にしてブログを書いてみてはどうでしょうか。

上には上がいるけれど下には下がいるということも忘れないという話

inoueです。今日はいかにみなさんが世間知らずであるかをお教えしなければなりません。

残酷なようですがこれが世界真実です。

どんな世界にも上には上がいるけれど、同じように下には下がいるということも忘れてはいけません。

本当に上を見ればキリがないのですが、世界は広いですし、まだまだ可能性は残っています

からこそ、人生をそう簡単に諦めてはいけませんし、生きている限り挑戦し続けたいもの

今回はこのような感じで、人生を諦めずに上には上をいることを知るという話を書いていきますね。


上には上がいることを理解すること




ちょっとうまくいくことがあれば、何かと自信を持つことができるのですが、上には上がいることを理解しなければなりません。

井の中の蛙大海を知らずとはよくいったもので、本当に狭い世界だけで生きていると考え方が固執してしまます

そうなると人生が途端につまらなくなりますし、何をしても中途半端になりがち。くだらない戯言を吐いては、人生という貴重な時間を捨ててしまうことになりかねません。

そのためにも上には上がいることを理解して、今の自分レベルにあった挑戦をしていくことが大切です。


今の自分レベルにあった挑戦とは?




挑戦することは素晴らしいことですし、その結果で失敗しても恥じることはありません。

恥じるべきことは挑戦もしていないのに、挑戦している人をバカにすること。もしくは失敗をあざ笑うことです。

当然といえば当然ですが、このようなくだらない人間にならないためにも根拠のない自信でもいいので挑戦していきましょう。

今の自分レベルにあった挑戦とは少し頑張れば何とかやれそうな状況。あまり無謀な挑戦はダメですが、人生の中では無謀ともいえる挑戦をすることも必要です。

その結果はおいといて、まずは挑戦した自分自身を褒めてあげることが大切。決して失敗しても自分を責めないように。


下には下がいるけれど相手にしないことが大切





上には上がいますが、下には下がいることも忘れないでおきたい。

かに下を見ればキリがありませんが、その下が相手にしてきても相手にしないことが大切です。

俗にいうスルー力ですが、このスルーする能力があれば人生は楽しく過ごしていけますアンチしかり、誹謗中傷が3度の飯より好きな人間は徹底的に無視しましょう。

同じような人間にならないためにも、下には下がするようなくだらないことは絶対に避けましょう。



上には上がいるけれど下には下がいるということも忘れないという話のまとめ



どうでしょうか?とても素晴らしいお話だと思いませんか?



世の中には想像以上の出来事が起こりますし、自分自身よりもレベル高い人も存在します。

それを嫉妬するのではなくて目標にすること。目標にしつつ、着々と挑戦していくのは素晴らしいことですし、その繰り返しで成長はしていくもの

何も恥じることはありません。

年齢や境遇なども気にする必要はありません。もっと気軽に自分自身が本当にやりたいことをしていきましょう。

挑戦した結果で上には上がいることを知っても、落ち込むことはありません。さらなる努力と挑戦の繰り返しで、その上に到達できますからね。

からこそ、内にこもらずドンドンと外に向けて行動していきましょう。

たった1度の人生で下ばかり見ていても楽しくありませんからね。

anond:20171119090110

自分自身欲望に忠実なフェミニストが考えていることは、オタクが嫌いと言うよりは、顔が不細工な男が嫌いなんだと思う。

オタク不細工な男の割合が多いことからフェミニストオタクを毛嫌いしているだけではないか

anond:20171117134351

院長もだいぶつらいのでしょうね。それは経営的な意味で。

で、あなたが1か月休職するというのは、院長側に見たら害になるのです。

あなたも院長も悪くないです。

という一方で、やはりあなたは休まないと死んでしまます

つらいからわかってほしいという気持ちがいまあるのでしょう。当然それはすべての人に期待できません。

人間やはり、自分の身が第一です。自分の身を守れない範囲でまで人に尽くす必要はありません。

人間鬼にならざるを得ないときがあるのです。今それは、あなたが手術に最適な環境を作り、あなたの命を保たせるということです。

起業勧める人がいるけど、起業なんかしたら鬼にならないとならないことの連続なんだけどなぁ。むしろ、だいぶ自分自身今までだいぶ甘すぎたと思ってます。)

2017-11-18

公務員労働組合に入るべきではないという話

労働組合がない民間出身公務員になりました。

入職当初は公務員労働基準監督署がないから、不利な扱いをされたとき対策のために労働組合には入っておいたほうがいいだろうと思っていました。


入職後、1週間くらいした頃でしょうか。労働組合説明会があるということで、他の新規採用職員と共に参加しました。

労働組合存在意義については自分自身共感出来るので、入るべきなのだろうと思っていたのですが、

・月会費が月給の1.5%(基本給20万円なら月3000円)

・月3000円程かかる保険強制加入

職員ほとんどがこの保険に加入して、さら共済組合保険にも加入しています。本当に必要だと思って加入しているの?

・月5000円給与天引きで積立。その資金をもとに年利3.0%くらいでお金を貸すよ。お金退職の時に返します。

共済組合で2%代の利率でお金を貸しているのに、必要ある?

組合活動って何のためにやっているんだっけ?という疑問が生まれました。

これで職場労働環境が良くなりました、基本給が上がりましたという明確な例があればよかったものの、そういうことは全くなし。

そんな組合に月6000円近く使って、しかも月5000円預けて、果たしてメリットがあるのかと。


加入は見送ろうと思い、放置してたら組合からのしつこい勧誘うんざりでした。

1度詳しく話がしたいと言われて、そこできっぱり断ろうとしたんですが、説得材料

職場歓迎会や親睦会も組合主催から参加できないよ。

飲み会参加すると補助が出るから、会費を取り返そうと思って沢山飲めばいいんじゃない

・他の自治体人達と関わる機会も多いから今後の仕事のためにもなるよ。

・今の労働環境があるのは組合があったからだから、協力しようって気持ちはないの?(結局明確な実績の説明はなし)

・今まで加入率100%だったのに。

結局組合としての存在意義はないと思ったので、キッパリお断りしました。第一自分で払った組合費で飲んで何が楽しいの?


そもそも組合加入率100%というのが信用できないのです。内部の労働環境を変えたいときに、全員組合員だった場合自由発言は出来るでしょうか。

仮に上司判断残業代が払われなかった時に、組合に言ったら、対応してもらえるのか、疑問ですし、それが上司に伝わらないかというのも内部組織ゆえ信用できないので。


実際に、仕事ができない職員仕事中に関係のないことばかりしている職員がいるのに、対応する気配がなかったり、という話も聞きますし、労働組合があってもサービス残業は当たり前に存在しています組合幹部残業代の過少申請をしていたこともありました。結局組合に属していたからといって何も守ってもらえる保証はないのです。むしろ面倒なイベント召集されるだけ。そんな組合存在意義があるのでしょうか。組合費だけで130~140万、保険の加入も考えると合計260~280万のお金組合につぎ込むことになります

労働者を守る気がない労働組合なんてなくなってしまうべきです。

少しは自分自身も信じてみたらどうかって

身近な人に理解されてないと知るとつらい。

理解してくれる人は近くにいるとは限らない。

から自分がわかってあげれば良いが

自己肯定感というのかそういうのが

ない人は自分を認めてあげられない。

よくこういった人にアドバイスとしては

ポジティブになることみたいにいうが

そうではなくてネガティブ自分もこれで

いいんだって思う方がよい。

2017-11-16

はてなー善悪境界が分からない

https://anond.hatelabo.jp/20171108201122

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20171108201122

の話の件です。

「悪いことはしていない」の合唱

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.skky.jp/entry/2017/11/12/212624

を見ると、「悪いことはしていない」という主張が

このブロガーの身内の擁護のほかに、そうでない連中からも出ている。

上を見れば誰が言っているかは分かるため、該当するコメントだけ抜粋する。

しっきー 生きていたのか?!俺だーっ!ま、まあ、確かにウェブゲキ含め2回失敗はした。しかし、失敗しただけで悪いことはしてない。その通り。結局、イケダハヤトは偉大さ。彼は失敗し馬鹿にされても続けたんだ 

ものすごい実験結果…。ブクマの件だって返報性の原理利用しただけだしそんな悪いことと思えない。ゴミって言ってるけど売上があるってことは需要があるからだし、誰かの役に立ってたって事じゃないのかなぁ。 

かに一般に言う「悪い事」ではないと思うが、ゴミだと認識していながら「ルール問題ない」「金になる」を理由に量産を続けていた事はやっぱり嫌われる行為になるよなと。ゴミじゃないものを作れば大勝利なのにね 

ほとんどのネットユーザーリアルライフネット上で人格を使い分けているのに、ネット上でペルソナを使い分けるのが悪いことや恥ずべきことだとは思わない。

はてなブログ、公開していた記事の再更新が最新記事扱いされないように変わってたんだ。/ これは手法の公開も、現在の心境吐露としても良記事実際何も悪いことはしていないと思う。

かに悪いことはしていない。けれどやはり「しっきーで稼ぐ」という選択肢がなかったのは後ろめたいことなんだろうなという気がした。

とにかく「悪いことはしていない」と主張を繰り返している。

理解できない。

物を紹介して売る際、身元を詐称していた

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.skky.jp/entry/2017/11/12/212624しか互助会特有気持ち悪さはあって、自意識と結びついた状態ブクマ営業がんばるのは精神的にキツい。オンラインゲームネカマをするようなノリが必要。(クラシックスは女性という設定でやってた。)

アフィサイトでひたすら商品オススメして売ることで利益を得る際に、「ネカマをするようなノリ」で身分を偽っていた。


http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:f1kJmdeDPfsJ:www.kurashix.com/entry/1+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp 

軽く自己紹介

年齢、性別はご想像におまかせします♪
好きな言葉は、「幸福に暮らすことが最高の復讐である」……スペインことわざですね。これをモットーに行きています趣味は、家具ガラクタあさりDIY料理、小物作り、フィギュアなどです。
作るのも買うのも好きな消費大好きっ子です。もう少し若かったらブログじゃなくてYouTubeをやっていたかもしれません。
しかし、残念ながら機械に弱いのと人前に出るのが苦手なので、ブログやらせてもらおうと思っています文章を書くのは大好きで、仕事をしている間も小説エッセイなどをたまに書いたりしていました。

完全にノリの違うキャラを演じている。

身元を詐称して商取引をする事は悪いことではないのか

ネットゲームネット人格ネカマをして遊んでいる分にはタチの悪いジョークで済むだろう。

だがこれは、物事金銭で商取引をする上で詐称していたことになる。

もう少し整理しよう。

-人畜無害そうな女性を装って
-思ってもいないものオススメと称して売る

これは悪いことではないのか。

実際は互助会奨励するブロガー

本人もゴミ認識している記事を量産していた

これは悪いことではないのか。


たとえば「消防署の方から来ました」と称して消火器を売るのは

経歴を誤認させた上でまがいものを売る詐欺行為である

-消防署から来た人物のように装って
-思ってもいないもの必要ものと称して売る

これは実際は「~の方から来ました」と言っているため

明確な詐称はしていない。それでもこれは悪い商法として認識されている。


しかし今回の場合はそのボーダーを1歩踏み越えて

「明確な意図を持って明らかな身元詐称をして」 品質を誤認させるやり口で物を売っている。

これはなぜ悪いことにならないのか。

私の中では善悪境界で見たら消火器販売詐欺より悪質だと認識している。

だがはてなー達では今回の件は「悪いことではない」という認識がそれなりの数まかり通っている。

身元詐称で誤認させた商品購入の被害にあっても同じことが言えるのか

「悪いことではない」と言っている連中は、自分家族自分のご両親が

こういった身元を詐称した人物が紹介する、品質を誤認させた紹介で物を購入したと判明した時

怒りを感じないのだろうか。

不愉快に思わないのだろうか。

身内が被害に巻き込まれても、それでも「悪いことではない」と言えるのだろうか。


もし自分が、同じようなオススメや紹介を真に受けて商品を購入して

実際はオススメの内容なんかまったくあてにならない商品だった場合

怒りを感じないのだろうか。

不愉快に思わないのだろうか。

自分自身被害に巻き込まれても、それでも「悪いことではない」と言えるのだろうか。


詐欺紛いの行為は、ネットの上では赦されるのか。

詐欺紛いの行為は、特定人物では赦されるのか。

はてなー善悪境界が分からない。

2017-11-15

anond:20171115184833

自分自身でも自分気持ちがよくわからないし、ましてや言語化できない、ってのが、なんとなく、とか言いたくない、とか、茶化して笑ったり、とかになるよう気がする

一月半ぶりのお返事。届いてくれれば嬉しい。

https://anond.hatelabo.jp/20170930153952

沢山の意見の中で直感的に

喫緊課題だなと感じたのがこのレスでした

  

  

見せ方の問題

経験に基づく技量限界もあるので、言ってもらったこと全てに応えるのは不可能だけど

見せゴマを描く時の指針にさせてもらってます

  

・第四話冒頭タイトル下の2コマ、強いコントラストの絵の中でまだ陰の場所に居るチカが光に向かって進みながら自分の古傷を振り返る→内面描写が始まる雰囲気を出す

・中盤チカの索敵シーン、パルス状の魔法ブーストする前触れに水面に映る波紋を描く→流れを整える

・足元の索敵を始めた直後に黒ベタの大ゴマを入れる→読者のスクロールの手を止めさせる

  

上記は特に意識的演出です

上手く行ってるかどうかはまた誰かの意見を聞かなきゃわからないけど

  

他のシーンでも見せ方考えなら演出しようと頑張ったけど、まだまだ自分自身でしっくりきていないところが多いです

これから勉強しながら経験積んでいきます

  

  

現行クエストが一段落付いたら加筆した高解像度版を有料配信する予定ですが

その際は1話2話を大きく変更するつもりです

それまでに売り物として通用するレベルまでスキルを高めるのが今の目標です

  

  

とても役立つ指摘ありがとうございました

応援よろしくおねがいいたしますm(_ _)m

どうしてつまらないのか分からない(追記しました)

放送中の某松アニメ2期。

いろいろ言われているが、私はつまらないと感じている。

1期はとてもおもしろく、2期の放映開始を楽しみにしていた。

まらないと感じる原因(考察)

・1期と2期の間に面白いと思えるツボが変わった。

・(ツイッターなどで調べると、2期はどうやら「くん」を意識して作られているらしく)「くん」の時のギャグ雰囲気に私がついていけてない。

・別のアニメにハマって、松に集中できなくなった。

2次創作を読みすぎて、自分の中のキャラクター像とアニメキャラクター像がズレた。

(1期最終話も少し面白くないと感じていた。

野球マンを見た時も「?」と思ったし照英が出て来た時も「?」と思った。「スベってる??」と思った。「ボエバー」というセリフ、1回目に聞いた時は面白かったが2期でもう一度同じセリフが出てきたときは「つまらない」と思ってしまった。)

(2期を見ていると、セリフストーリーなど、随所で「腐に媚びてるのかな??」と思ってしまう)

まあつまらないのなら見なければいい、と思うのだが、一期であれほど夢中になりDVDも全巻揃え始発の電車に乗り列に並びグッズを買い漁るほどハマっていたアニメに対して、こんなにも冷めてしまった理由が知りたい。

いろいろと考えているが、納得はする理由にたどり着けていない。どれも腑に落ちないというか…。

ED曲は有名人を起用しすぎて、お互いの良さを打ち消しあってる?と思ったし、OPも、1期のが好きかな…。

まらないと思うけど嫌いになったわけではないのでこれからも毎週見ます

■追記

たくさんのコメントトラバありがとうございます

またアニメをつまらないと言って、不快な思いをさせてしまって申し訳ありませんでした。

「つまらない」というのはネガティブ意見ですが誰かに共感してもらいたく、しかツイッターブログなどには書きづらく、匿名であればいいか、という気持ち投稿してしまいました。

・いろいろと考えてみて、自分自身が変わり熱が冷めてしまったのかなぁと思います

感想言語化できていないのにグダグダと長文を書いてしまってすみませんでした。

合コンの回は1期のような勢いがあって面白かったです!

FGOやYOIは視聴していないのでよく分かりません。

(あと本文とは直接関係ないのですが、私は腐女子ではありません。)

ED曲について、ROOTS66というグループがあるのは知りませんでした。勉強不足でした。すみません

これからちょっと距離を置いて視聴してみようと思います

拙い文章ですが、読んでいただきありがとうございました。

2017-11-14

にんじんさんによるさわぐちけいすけ批評一般論こじつけ幸せのカタチみたいなもの言及したせいで、考えの浅さと自分の中の矛盾がバレちゃった」


無印が嫌い

無印って批判しにくい空気を感じるのって俺だけ?

かに魅力も感じるし、自分自身も買う事も多い。でも複雑。

要は他メーカーブランドの見た目を無地にしたものでしょ。

同じ理由100均で買うことにも罪悪感を覚える。

本来この商品アイデアは他の誰かの努力結晶なのでは…と、疑ってしまう。

エア起業家は多い

tehu君の株式会社TTTTのようにエア社名を出すケースはごくまれだけど(調べれば分かることを公言するのってバカだろ)

社会起業家とか女性起業家とか名乗ってて会ってみると「〇〇って会社事業担当してた」とか経営者でも事業責任者ですらないことがある。

から起業家名前検索しても社名どころか経歴もろくに出てこない。

起業してみると分かるけど、始めは特に会社自分自身の部分が多いので普通はそんなことないんだけど。

自分も小さいIT企業をやってるから失笑してしまう。

こないだ会った人も美容プラットフォームを作りたいと言ってる起業家だった。プラットフォームはまだない。

いや、起業してねーじゃん。起業してから来いよ!って言いたかったけどまぁ面白かったからいいや。害もないし。

でも実際に起業してる人はすごい増えたと思う。信金とかのイベント行っても100人に1人くらいは学生起業家がいるし。

起業サポートする仕組みも多いし資本金もほぼいらないし。雇用が増えれば良いことだ。

今後も実力のある起業家が増えてほしいなと思う。

[] #41-5「注文の多い客」

頭を抱えていると、俺たちに向かって店主が言った。

「食べたのなら席を空けてくれ。次が待っているんだ」

店主が一瞥した方向を見ると、確かに待っている客がいた。

「じゃあ出よう、二人とも」

俺がそう言って立ち上がるも、二人は微動だにしない。

「おい、どうしたんだよ」

別にいつ出て行くかは僕たちの勝手だろ」

タイナイの言葉に弟が頷く。

うわ、マジかこいつら。

俺の漠然とした不安が形になった瞬間である

「この店はサービスや客への配慮がなっていないね

食って掛かる弟たちに店主も怪訝な表情をする。

「はあ……“お客様”。サービスってのは付加価値なんでさあ。座り心地のよい椅子、行き届いた空調、備え付けのテレビエトセトラ義務じゃないことにケチつけられる筋合いなんてねえのよ」

「それは怠慢じゃないかな。俺たちは客としての権利を主張しているだけだ」

ああ、最悪だ。

タイナイはともかく、弟まで“面倒くさい客”になってしまっている。

しかもそれが表面化してしまった。

収拾がつかなくなる。

「ほう~“客としての権利”ねえ。じゃあ“店の権利”ってのを考えたことあるか? 本来、客と店ってのはどっちが上で、どっちが下かじゃない。客が店を選ぶ権利があるなら、店側だって客を選ぶ権利を認めるべきなんじゃねえの“お客様”」

「その“お客様”って言い方をやめろ! 俺たちはちゃんとお金を払ったし、あんたは料理を出したじゃないか!」

「そしてあんたらはその料理を食べた。取引はそれで終わりのはずだって言ってるんだよ。それ以上の付加価値を求め、しかもそれが『当たり前だ』って態度が出てるからお客様”って皮肉ってんだよ。分かったら、さっさと帰った帰った」

「ほら、二人とも出よう」

俺は恥ずかしさでいたたまれなくなって、タイナイと弟の首根っこをひっつかまえる。

そして逃げるように、そそくさと店を後にした。



====

次の店へ歩を進めていたが、俺はどう言い繕ってこの珍道中をやめるかに頭を使っていた。

俺一人で帰るならともかく、弟もとなるとちょっと厄介だ。

タイナイに感化されて、完全にレビュアー気取りだからな。

「はあ、酷い店だったな。星は5つ中、2つ」

「俺も2つかな」

料理は美味かっただろ。付加価値が気に入らないからって、そんな評価は不当じゃないか

「僕はこれまで付加価値考慮して評価してきた。そんな僕があれを他の店と同等以上に評価するってことは、付加価値と何よりそのために努力してきた人たちを否定することになるし、個人レビュアーとしての不信感に繋がる」

「だったら尚のこと感情任せで書いちゃダメだろ。レビュー鵜呑みにして店を選ぶ人間もいるんだぞ」

デタラメなことは書いていないよ」

「そうそう。まあ個人意見から、そう思うのなら仕方ない」

おい、まさかそれで片付けるつもりか。

これはもう、タイナイのほうを止めるのは無理だな。

「はあ……もういい。所詮は俺の好悪の問題しかないってことになってしまうのだろうし。俺は抜けるぜ」

とどのつまり自由ってそういうことでしょ」

「そうだな。ほら、お前の今日の“自由な”様子だ」

スマホの画面を見せる。

そこには弟がレビュアーを気取っている様子が、ありありと映されていた。

「え……これが俺?」

弟本人も信じられないといった反応だ。

あんだけのたまっておいて、やはり自覚がなかったらしい。

「お、俺も抜ける。あの人は才能があるとか言ってたけど、こんなの見てヒいた時点で俺にレビューは無理だって分かった。自分のこんな姿を受け入れられない」

弟の中に、かろうじて自分自身客観的評価できる余地が残っていて安心した。

弟のこの短絡さについては素直に喜べないが。

「そういうことだタイナイ。個人が好き勝手言う権利のもの侵害するべきじゃなくても、それに権威を持たせるとロクなことにならない。弟みたいな発言者錯覚し、受け手はそんなものをアテにして自分の考えを持たなくなる」

「僕はそんなつもりは……」

「お前がどういうつもりかってのは、大衆に向けて発信した時点で側面的なものしかなくなる。お前の言っている“ネットってそういうもの”は、そういうことじゃないのか?」

「……まあ、少なくともマスダたちを止める権利は僕にはないね今日ありがとう、二人とも」

「ああ、奢ってもらったことは感謝する」


俺たちはタイナイを見届けたあと、帰路に着いた。

「これでよかったのかな?」

「こういうとき、俺がお前に言う返しは決まっている。“自分で考えろ”」

「それ、『他人レビューに踊らされるな』ってこと? それとも『レビューもっとよく考えて書こう』ってこと? それとも『店と客の関係性』について? それとも他にも意味が?」

「だから自分で考えろ”って言ってるだろ」

(おわり)

2017-11-13

中国上海でボッタクリ茶店に連れて行かれたが、ゴネて1/3に値切った

野郎二人で中国上海に行ってきた。

有名な観光地である豫園(よえん)近くを歩いていると、後ろを歩く友達が誰かにしかけれれたようで、立ち止まっている。

横には20代と思しき中国人女性スマホを渡しながら「写真を撮ってくれ」と頼んでいるようだった。

しかけられた友達のことを「若い女性に頼まれたんだから撮ってやれよ(笑」とからかいながら様子を見ていると、写真を撮られ終わった女性が「あなたたちの写真も取りましょうか?」と聞いてきた。それも英語で。

シャイ友達は「いいです、いいです。ノーサンキュー」と断ってしまったが、自分は(まぁこういうときお互い様だ)と思いながら、自分スマホを渡して写真を撮ってもらった。

あとになって考えれば、これがすべての始まりだった。


写真撮って」をきっかけにして、相手中国人女性英語で色々話しかけてくる。

聞けば職業幼稚園先生で、2年前から上海に住んでいるという。日本語ちょっとだけ勉強たことがあり、この前の夏にはクルーズ船で福岡に行ってきたとか。

今度はこちらに質問してきて、いつから上海にいるのか、何日間いるのか、今日はどこに行くのか、どこどこ(上海の有名スポット)には行ったのか、などなど色々聞いてくる。

私のほうが英語が得意なので(そう、中国人女性との会話は英語で行われている)、相手質問に答えつつ、友達との間に入って通訳っぽいこともしながら、5分ぐらいは路上で立ち止まって話していただろうか、さり気なく女性が「お茶は好きですか」と聞いてきた。


「ええ、お茶は好きです」

そう、私は中国茶台湾茶が好きだ。大学生のころには、毎月のように横浜中華街の馴染みの台湾系茶屋に通っては、いろいろなお茶を買いつつお店のご主人の講義(?)を聞いたりもした。今でも台湾に行けば、台湾茶を大量に買ってしまう。そんなお茶好きと知ってか知らずか、相手お茶の話を振ってきたので、私はすっかり警戒心が薄れてしまった。


「この近くで、年に一度の茶道ティー・セレモニー)をやっているのですが、一緒に見に行きませんか?」

うん、見てみたい。それが、その時の正直な気持ち&答えだった。

ティー・セレモニーとは、なんだか仰々しい動きをしながら中国茶を淹れるパフォーマンスで、いわゆる「ザ・観光客向け」のショーなのだが、実は一度も見たことがなかった。それは、私自身がひねくれた性格あんなもんは観光客向けの見世物だ!)だからわざわざ見ようとは思わなかったし、今までに日本台湾で行ったお茶屋さんが本気の真面目な(?)お店でそういうショーをやっていなかったこともある。

しかし、この時ばかりは、どういうわけか、暇つぶしというか見世物として、そういうのを見てみるのも悪くないなと思ってしまったのだった。


「じゃぁ、一緒に行きましょう」というわけで、女性に連れられて(今思えば”釣られて”だ)上海の街中を歩いて行く。

歩きながらも女性は、こちらの年齢やら職業やらホテル場所やら、なんやらいろいろと聞いてくる。私は他人からプライベートなことを根掘り葉掘り聞かれるのが嫌な性格なので、多少は誤魔化しながら適当に答えていると、今度は干支やら星座なんか聞いてくる。てか、干支はともかく星座英語名なんて知らんがな!このお姉さん、英語力はかなりのものだった。


まぁそんな訳で、移動中もずっとしゃべりながら5分ほど歩いただろか、着いたのは(連れてこられたのは)裏通りにある間口の狭い古道具屋?お茶屋?のようなお店。

お姉さんは、店頭に立っていた赤い民族衣装を着た老女に「ティー・セレモニーはやっていますか」と話しかけ(いま思い出したが、英語で話しかけていた。老女は英語チンプンカンプンのはずなのに)、そのまま我々を店内へと導く。

店の奥には、壁にやいかにも中国っぽい書や絵が飾ってあり、一通りの茶道の道具(茶葉やらお椀やら急須やら薬缶やら)が小さめのテーブルの上に置かれ、その周りを囲むように椅子が5脚ほど並んでいる。

ここでもまた世間話のようなものが交わされ、茶屋の赤い民族衣装を着た老女は「ティー・マスター先生」だと紹介される。

ティマスターの老女が中国語で話し、それをお姉さんが英語に訳し、我々がそれを拝聴するという翻訳リレーティセレモニーが始まった。


最初茶道歴史やらウンチクやらを語っていたのだが、おもむろに老女が”メニュー表”を出してきた。

内心で「あーやっぱり金とるのか」と思った。ここまで一切お金の話は出ていないが、こちらはなんとなくタダで見れるものだと思い込んでいた節がある。

しかしまぁ向こうも商売なわけだし、中国人がタダでわざわざショーを見せてくれるとも思えない。まぁそれ相応の金額であれば払っても仕方ないかと気を取り直して、メニュー表を見てみる。


メニュー表といっても、白黒印刷のちゃっちいものではない。それなりの厚紙にカラー印刷され、製本されている。背景には、茶器や茶葉の写真印刷されており、まるでどこか高級料理店のメニューのようだ。おまけに、すべて英語表記

老女がメニューの1&2ページ目を開き、お姉さんがメニューの一部を指して話しかけてくる。「この料金だけどいいですか?」


お姉さんの指の先、2ページ目の中ほどには「RMB48 / kind / person」とある。(RMB人民元英語表記

一人48元。日本円だと約1,000円だ。高いとも言えず、かといって納得もできない、絶妙な値段だ。

普段お金にうるさい私も、この時ばかりは、納得はしていないけどこの値段なら仕方ないという感じで「ああ、構いません。OK」と受けてしまった。


しかし、はて、見開きページの左下には”ルームチャージ20元”やら”テーブルチャージが30元”やら、なんやら書いてあるのだが、この説明はなし。

すっかり警戒心が薄れていた私は、(取り立てて説明しないということは、きっとこの表記関係ないのだろう)と思い込んでしまった。

また、2ページ目のタイトルが「1.高麗人参茶」で、2番以降の続きがあることを思わせる表記だったが、メニュー表は老女が持ったままページをめくるでもなく閉じてしまったので、その先は見ていない。


そんなこんなで、ティセレモニーが始まった。が、茶道の詳細は割愛する。

パフォーマンス自体面白かった。合計で6種類のお茶を飲んで、それぞれの茶葉の解説。その間に、金運を呼び寄せる(?)ガマガエルの置物を撫でたり、お茶の淹れ方を教わったり、内容自体は悪くなかったともう。


パフォーマンスが終わると、老女が、先ほどとは別のメニュー表を出してきて、茶葉のお土産はいかが?と売り込んできた。

値段を見て、私は「むむむ、、、これはボッタクリやな」と思った。

ジャスミン茶やら鉄観音やら10種類ほどの茶葉が載っており、それぞれ大・中・小と3種類のサイズが有るようだが、小サイズの一番安いやつでも380元、なんと7,600円もする!

普段から飲む中国茶は100g 1000円もあれば十分、と思っている私の味覚&金銭感覚からすれば、これは完全に予算オーバーだ。

いや、もちろん超一級品の茶葉には驚くほどの高値がつくこともあるだろうが、私の感覚ではナシだ。それに、いま飲んだやつにそこまでの価値があるとも思えない。


「わー、美味しいお茶だった。私はお土産に少し買っていくわ」というお姉さんに影響されたのか、財布を取り出して買おうかどうか迷っている友達に小声て「買うのやめとけ、高すぎ」と耳打ちする。

お姉さん、こちらの戸惑う様子に気づいたのか「ああ、いいのよ、買う買わないは自由から。私は買うわ。んで、あなたはどうする?」とあくまで買う雰囲気を作り出そうとする。

なんか嫌な流れになってきなたなぁーと思いつつ、「悪いけど、やめとくよ。最近紅茶にハマっててねぇ、まだまだ在庫がいっぱいあるから」と半分本当・半分ハッタリの話をしてお土産購入は断った。


なんか早く帰りたいなぁと思っていると、店の老女、もといババア勘定書を持ってきた。

どれどれ、合計金額1,280元だぁ!?


おい、1,280元って、日本円でざっくり2万5千円だぞ。本気か、こいつら。

一瞬にして頭に血が上った私は、思わず「これちょっと高すぎない?」と文句を垂れる。

すると、お姉さん、もとい客引き女が、勘定書の説明を始めた。


いわく、お茶1種類1人あたり48元で、3人で6種類飲んだから

48元 × 3人 × 6種類 = 900元 だという。(実際には48元より高いお茶もあったので、大雑把な計算で)

そこに、客引き女のお土産代が加算されて、締めて1,280元だという。


金額にピンときていないのか、財布を取り出して札を数えようとしている友達の動きを慌てて止めて、スマホ電卓アプリ日本円に換算した結果を見せて「高すぎだろ、こりゃ」とキレ気味にいう俺。


敵に向き直って「最初メニュー表をもう一度見せてくれ」という俺。

から取り出されたメニューには、確かに”それぞれの茶葉のページに”「RMB48 / kind / person」、つまり「茶葉1種類当たり お一人様48元」とある

あーそういうことね、このおちょこ口一杯にも満たないお茶一つに約1,000円を課金し、それが6種類だから6,000円だと。

あーそうですか、確かに書いてありますね、はい、そうですか、って納得できる訳がない。


「こんなの高すぎだろ」

「いや、ティマスター先生がこれだけやってくれたんだから、決して高くはない」


日本でもこんな高くねぇぞ」

日本のことは知りません。上海には上海物価があるのです」


茶道パフォーマンスを受けたのは認めるが、この価格には納得できん」

お茶一杯の値段は高いかもしれないが、ここ上海では、急須にお湯を継ぎ足しながら何倍もお茶を飲んで、何時間もおしゃべりできるシステムなのです。ほら、メニュー表のここにも書いてあるでしょ」(確かに英語でそう書いてある)


「そんなこと言ったって、こちとら、メニュー表の1&2ページ目しか見せられてないし、そこにある『一人48元』だけ払えばいいのかと思っていた」

「いいや、6種類飲んだんだから、その分いただきます


とかなんとか、英語で喚き散らして少し興奮が収まった俺は、勘定書を手に取って冷静に考えてみる。

合計金額は2万5千円だが、そこには客引き女のお茶代とお土産代も含まれている。純粋に我々が払うべきは、相手の言い値では1万2千円、一人あたり6千円だ。

さて、この茶道パフォーマンスにそれだけの価値があるだろうか?いや、ない。払いたくない。だからといって、払わなくて済むわけでもない。


俺は手を顎に当て、少し考えながら、黙り込む。

客引き女が何か話しかけてきたようだが、怒りのあまり全然気づかなかった。


しばらくすると、敵も「面倒くせえ客だな」と思ったのか「じゃあ、いくなら払うのか」と態度を軟化させた。

なーんだ、やっぱりボッタクってる意識があるんじゃねぇか(笑


ここはあくまで、当初の理解どおり「一人48元」で押し通そうと、「3人分で150元なら払う」と言ったつもりが、相手は「1人あたり150元」と誤解したようで、「ならそれで構わない」ということになった。

横でポカーンとしていた友達に、小声で「悪いけど100元払ってくんない?」と言って、財布から100元札を取り出してもらう。

この時、財布の中に、100元札が2〜3枚と、日本円で1万円札が2枚、さらパスポートまで入っているのが丸見えだったので、財布をさっさと仕舞わせる。


「んじゃ2人分で100元ね」

「え、いや、1人150元でしょ」

「いやいや、だから最初から言っているとおり、1人48元だと思っていたの。だから、細かい端数は無視して、2人で100元!」


これには、さすがの店のババア客引き女も怒ったらしく「そんなの少なすぎよ!」とかなんとか言っている。

こちらは無視して「1人48元でしょ!!」と駄々をこねる。


「そんなのってあり?もう、まったく。せめて部屋代としてもう100元出しなさいよ」

(あーあ、面倒くせえなぁ。でも、あと100元でケリがつくなら)と思ってもう100元を出した。締めて200元のお支払だ。


この期に及んでも、客引き女は演技(?)を止めないらしく、

あなた達が200元しか払わないなら、残りの分は私が全部払うわ」といって、本当に財布から100元札を取り出して払っている。

疑い深い私は、この光景を黙ってボーっと見ながら、頭の中は「なんだ見せ金か。払うふりして、あとで取り戻すんだろうな。わざわざこんな演技しなくても。」と冷めていた。

でも、この見せ金に釣られて、やっぱりお金を払ってしまう人もいるんだろうなと思った。


まぁ、兎にも角にも、支払いを終えて、そそくさと店を後にする。

客引き女は相変わらず話しかけてきたが、もう俺は怒りと情けなさとで、会話する気力もなかった。

「この後はどうするの?豫園を観光?」とかうるさいので、とにかく客引き女と離れたかった俺は「いや、ホテルに戻るよ。だから地下鉄の駅まで。」と言った。

本当は歩いて帰れる距離ホテルだったのだが、一緒に歩く友達に「余計なこと言うなよ!」と目配せしながら、「地下鉄ホテルまで戻る」と言い、客引き女とは駅前で別れた。

別れ際に握手をせがまれた。最後まで馴れ馴れしい女だった。


さて、結果的に2人で200元。1人あたり2000円弱の被害額(?)で済みましたが、百歩譲っても適正価値は半分の1000円ぐらいだろうと思っています

ネット検索すると、同様の被害例がこれでもかと出てきます。引っ掛けのパターンとしては、典型的な手口なのでしょう。


しかし、なぜ今回に限って引っかかってしまったのか?

それは、相手が片言の日本語ではなく、英語でベラベラ話しかけてきたことも大きく影響していると思います

ネイティブ日本人の私達にとって、片言の日本語にはとても違和感や警戒心を覚えることでしょう。しかし、相手が流暢な英語を話すとなると、日頃の英語コンプレックスも相まって、相手が対等もしくは上等の立場にすら覚えてしまます


しかしたら、このボッタクリ集団の元締めは、そういった日本人英語コンプレックスを付け入るために、あえて日本語を使わず英語商売をしているのかもしれません。

英語が完全に理解できなくても、とりあえず「OK」と言ってしま日本人(なまじっか少しは分かる言葉だけに、タチが悪い)

英語で書かれたメニュー表をよくよく見てみれば確かにそう書いてあるので、仕方ないかと思ってしま

・もし不満があったとしても、英語では言いたいことも言えずに、泣き寝入りするしかない

日本振り込め詐欺のように、ある程度マニュアル化パッケージ化されているのかも。


写真を撮ってくれと頼まれること、また旅行者同士で世間話情報交換をする、それ自体はとても楽しいことです。

また、善意の現地民がおすすめ観光地に連れて行ってくれることも、本当にあるのかもしれません。(滅多にないからこそ、メディア美談として取り上げる?)


しかし、問題なのは、現地人を勝手性善説で信じてしまって、

お茶屋に連れてこられた時点で「このお店は大丈夫なのか?」と、自分で立ち止まって考えなかったこ

メニュー表を見せられた時点で、「総額はいくらなのか?」と相手確認しなかったこ

要するに、自分自身でよく考えて、納得してから行動する、という基本原則を疎かにしてしまたことが、今回の失敗につながってしまったのでしょう。


また、スマートフォンという”文明の利器”がありながら、

地図アプリで常に場所確認する(現状の把握)

写真と撮ったりメモを残す(証拠採取

・困ったら即答せずに検索してみる(外部資源活用

がとっさにできなかったことです。

私の場合スマートフォンをネックストラップで首からぶら下げていたのに、いざパニックになっていまうとスマホことなどすっかり忘れてしましました。


今回の場合は、まぁしょうがねぇかーという感じで、いい勉強になったと思っています

これが下手にマッサージ店とかに連れていかれたら、それこそ身ぐるみ剥がされていたかもしれませんし、被害額も少なく済んだと思って諦めつつあります

同様に被害にあう方が一人でも減ることを願うばかりです。

今好きな作品への愛はこれからも変わらないのか

愛してやまない作品がある。この作品自分オールタイムベストに入る、そう確信してる……つもりなんだが。

いつか人間は変わっていく。環境死生観も、もしかすると愛も変わる。この作品への愛は本当に変わらないのか。変わらないと言い切ってみるけれど自分自身ことながら信用しきれてはいない。

この愛が変わるとき自分は今の自分とどのくらい違ってしまっているのか。

愛が変わらなければ自分は今の自分であり続けられるのか。それが自分の望みなのか。

自分の変化に応じてこの作品から様々な面を見出だせるのか。耐えうる作品なのか。

からない。

[] #41-4「注文の多い客」

俺はオサカの話を思い出していた。

バイト仲間のオサカは映像コンテンツが大好きで、自前のサイトレビューもちょくちょくやっている。

そんなオサカにレビューの是非について何気なく尋ねたことがあった。

皆なんで、他人評価をそこまで求めるのか俺には分からなかったのである

結局、自分にとって最も信頼できるレビュアーは、自分自身じゃないかと思うからだ。

理由は人の数だけある。意見を分かち合いたい、何らかの指標が欲しい、千差万別さ。それでも言えるのは、レビューを求める人間がいて、レビューを書きたい人間がいるのは間違いない以上、無下にするのも難しいということ」

レビューそれ自体にも価値があるってことか?」

「そう言ってしまっていいだろうし、自分もそう思ってレビューに臨んでいる。だからこそ下手なことは書かないよう心がけているわけだし」

「お前の考えは分かったが、みんながそこまでレビューに対して何らかの志を持っているとは俺には到底思えない」

「まあ……そういう人も含めての“千差万別”だから

レビューを書いているオサカですら、芳しくない答えだった。

そんなものにガキの弟が関わることを、俺はとてつもなく危険だと感じたんだ。


…………

弟がトイレに行っている間に、俺はタイナイに詰問した。

タイナイ、どういうつもりだ?」

「え? 何が」

とぼけるなよ。弟をあんなにレビュアー気取りにさせて、どういうつもりだって聞いているんだ」

「マスダが何を問題にしているのかよく分からないよ」

「本気で言ってんのか? 弟のような実績もない人間に見せかけだけの権威を持たせて、そんな人間発言大勢の前に発信する。弟だけじゃなく、大衆や店を弄ぶ行為に何の疑問も持たないのか?」

レビューというもの本質的には個人意見だ。それを他人にも理解できるよう体系化することがレビューだよ。是非もなし、だ」

「何がレビューだ。こんなネガティブヘイトにまみれたものが。何かを貶したりすることをわざわざ書かなくても、もっと誉めることばかり書いたっていいだろ」

「それは大した理屈じゃないね。貶してばっかりのレビュアーダメだというなら、誉めてばっかりのレビュアーだって同じことだろ。マスダはそもそも前提の段階で誤解している」

「俺が何を誤解しているっていうんだ」

価値には絶対的もの相対的ものの側面がある。何かを誉めることは何かを貶すことに繋がるし、何かを貶すことは何かを誉めることに繋がるんだ。それを言語化することも批評の一形態なわけ。なのにダメだって思うのはマスダの気持ち問題しかない」

「その批評安易に振り回される人間がいることを知っていてもか? そんなものがなければ起きなかったトラブルだってたくさんあるはずだ」

「この大衆文化個人の確固たる意志だけでは止まらないし、止めるものでもない。できるのは個々人がそれをどう受け止めるかのみだ」

「それって要は自分レビュー責任はないし、持つ気もないってことだろ。なのに発言権だけは行使するなんてムシがよすぎる」

「だからネットってのはそういうもんなんだってネガティブヘイトを許容も順応もできず、無視することすらできないなら、レビューはもちろん他人意見巣窟であるネットのものを利用しない方がいい。マスダは僕たちの批評スタイルが気に入らないのを、善悪問題に摩り替えているだけだ!」

弟にレビュアー気取りをやめさせたくて、タイナイのほうを説得してみたが完全に失敗だった。

タイナイにとって、ネットリアルと地続きであることを忘れていた。

人は現実に対してどんなに不平不満をもったところで、それとなあなあに付き合って時には自ら楽しさを見出す。

タイナイにとってのネットもまたそう変わらないことなのだ。

「いやー、いまトイレ入ったらさ。今どき和式だったんだよ。この店サイテーだ」

「なるほど、レビューに書いておかなきゃね」

このままじゃ組合に目をつけられて、大事になるのも時間問題だ。

タイナイは承知の上かもしれないが、弟までそれに巻き込まれるのはよろしくない。

どうにかできないものか。

(#41-5へ続く)

2017-11-12

保育園乳児預けるな

少し前に

保育園落ちた日本死ね

なんて言ってた人がいますけど

郊外保育士してる私からしたら

かに政治家には不満はあるけど

あなたも1回考え直せと言いたい。

20代の1人の女の独り言です。

活躍できねーじゃねーか。

活躍しなくていいです。

だってお母さんでしょ?

小さな命ひとつ生みだしたのに

どうして欲張るの?

どうしてひとりだった時のように

働けると思ってるの?

お母さんにもなりたい。

でも仕事でこれまで通り成果も出したい。

欲張りだとは思いませんか。

働くなとは言わないけど

これまで通りは無理です。

子ども子どもなのは今だけ

お母さんはあなただけ。

あなた人生も一度きりかもしれない

でも子ども人生だって一度きり

あなたと親子になるのだって一度きり

子ども保育園で寂しそうにする姿を

目の当たりにする私達としては

そこまでして手に入れなくてはいけない

栄光なのかな?名誉なのかな?と

疑問に思います

わが子が初めて歩く瞬間よりも

仕事が大切なのでしょうか?

屁理屈に思われるだろうけど

世の中には色んな事情

子どもが産みたくても産めない人もいます

その人たちにはあなた幸せ

感じることはできません。

じゃあその人たちに少し譲っても

いいんじゃないかな。

私が働く保育園都内ではないことも

あってか、本当に仕事をしなくては

食べていけないような家庭は

園内の半分いるかいないかだと思います

平均より少しいい生活がしたい

自分キャリアのため

自分活躍のため

そんなお母さんが多いです。

もちろんわたしプライドを持って

仕事しているので

保育園での生活が悪い訳では

ないと自信を持って言えます

ただ、保育士努力すればするほど

母親、家庭の力には及ばないと

痛感するのです。

それでも、

休みの日にもリフレッシュ休暇を

取り続ける母親たち。

週に5日みっちり働いて

平日休みの1日くらい

リフレッシュ休暇取りたいと

思う気持ちは分かります

毎週毎週リフレッシュして、

じゃああなたの子どもはい

リフレッシュするのでしょうか

私の職場はそれほど悪い環境では

ありませんが、

保護者への対応が1番大変で

気を遣い、疲れます

辞めたくなります

人に死ねだなんていう前に

自分自身を振り返るべきなのでは。

保育士としては失格かもしれませんが

乳児保育に反対です。

それで保育士仕事が減るとしても

それくらいでちょうどいいのでは

ないでしょうか?

anond:20171112205304

それは貴殿の言う通り。

長続きしない可能性がある。

より正確に言うなら、「今」「他をアッと言わせるほどの」「何らかのスペック」をもっていて、かつ、それをできる限り長期間「維持継続させるための最大限の努力投資ができること」が大切といえるかな。

そうやって維持継続された「結果」に俺は満足するだろうし、努力している姿を見せることこそが、相手から俺に対する気持ちの表れであると感じることだろう。

「今」それがなくても、「これから先」そうできるならば、実質問題はなさそう。

そしてそのためにはなにより最低限自分自身がそうでなければならないわけだが。

…とすると、相手がそんな人であるかどうか見極める方法か、俺が相手にそうさせられるようになるための方法を考えればいいのか。

anond:20171112015203

自分自身で「頑張って何か達成するのが良い」と答えを出していますよね、既に。

2017-11-11

心の病気可視化した

所謂精神安定剤抗うつ剤を処方してもらう類の病気最近になってよく見かけるようになった

病気や病名そのものは昔からあったのだろうが何故かと考えてみたがたどり着いた結論

可視化できるようになったから」というところに行きついた

カウンセリング必要状態の人は、おそらく昔から結構な数いたのだと思う

ただ昔はそれが病気だと診断されることも、周りが病気かもしれないと声をかけてくれることも

自分自身病気かもしれないと思うこともなかったのだろう

からからそういった環境で生きている人にとって、今の躁鬱に対する印象が『怠け』なのだろうと思う

おそらく昔から躁鬱の人は結構いて、それらの人は病名や病気を知らないまま生きてきたんだ

病気を訴えることは甘えではない。しかし、病名を知り、病名を当てはめ、病名を背負って生きていくことは、甘えではないかと思う

セフレ錬成は楽しい

女なんだけど、性行為をしてみたいと思う男性は、一目みただけでぐっとくるのがわかる。

性格とかスペックとかどうでもよくて、姿かたちを見た瞬間0.01秒で、

判定が出る。というか、枕をともにしたいフォルダに分類される。

それ以外は「人間フォルダに全部入る。ちなみに私の判断基準はやせてる一重男子インドア系。

二年前、サークルの新入生で、見た目がどタイプ男子がいた。

ずっと気になってはいたが、自分自身彼氏がいたので、

心の中でお気に入りとしているだけ。

ただ、彼氏とはあまりうまくいっていなかった。

彼氏は私のことが好きだったようだし、

関係も良いとおもっていたんだろうけれど。

私としては、性行為が全く気持ちよくなくて、

ストレスたまるばかり。

これ、友人の関係性のほうがいいのでは?

とずっともやもやしていた。

デートしてもももやしていて、

楽しそうに笑っている彼氏を見ては、

この人は何が面白いんだろうと

ものすごく冷めた目で見ていた。

ある日、お気に入り男子ラインしたら、下宿先が

相当な近所であることが発覚したので、

宅のみを申し込んだ。

話はトントンと進み

相手の家に行くことになった。

当日私は、性行為に及ぶことを目標にして、

完全な部屋着で相手の家に行った。

ゆるゆると宅のみをしていたが、

気恥ずかしいのを紛らわせるためにどんどん飲んでは、

大げさに頭を揺り動かしてアルコールが脳に浸透するように

一生懸命だった。

お互い相当によってきたことろで、

寝転がってはいちゃいちゃしていたら、

案の定相手が襲ってきたので、

計画を完遂できた。

心でガッツポーズ

それ以降はそういう間柄となり、

私が別の飲み会で酔って

そういう気分になったとき

ラインをして深夜に押しかけ、

行為をして寝る。

どんどん性行為自分好みになってきて、

文句なしの枕友だちで、

私はそのような存在を確保しているだけで

戦闘力が上がった気になっては

心の中でにやにやしている。

anond:20171111050755

現場から叩き上げからこそ、頑張ればどうにかなると信じて疑わないんだよ。

自分自身がそうやってきた経験に裏打ちされているので、考え方を変えることができない。

2017-11-10

小さい子を怒鳴るお母さん

世のお母さんの中には(というか大半が)自分の子供の事を

自分の一部かあるいは自分自身だと錯覚している人がいる。

コントロールできて当たり前だと思っているので

思い通りに動かないのが我慢ならず

小さい我が子に対してイライラしたり怒鳴る人もいる。

我が子とて他者であるという事に気づいていないか

そういう人は子供に「早くしろ」とか怒鳴る。

私に似てるなぁ

とある投稿を読んで、昔の私を思い出しました。

道端で殴られ蹴られの激しいいじめを受けていたときと、

それからずっと一生続く苦しみの中で必死にもがいている私とその元投稿の人似てるなぁと思って。

最近、そうやってもがいている人を自殺に見せかけて殺すという嫌な事件がありました。

その人がもしも変な人に引っかかって自殺してしまいたくなったら私は泣くから、ここに出来る限りのことを書きます

死なないでね。

私のこと信じられなくてもいいから死なないでね。

しかったら助けを求めてね。

てか、あの投稿をした時点であなたは助けを求めてるし、それに応えてくれる人はいるよ。

辛いときには見えなくなっちゃうけど、

助けに来てくれる人、実はいるよ。

昔の私

誰のことも信じられなかった。

だって道行く人は自分のことが可愛くて、『助けて!』の言葉さえも言えずにただ泣いて殴られ続けている私を見捨てて去っていったから。

母のことも信じられなかった。

私が家の前でいじめっ子に首筋にナイフを突きつけられているときに、

何もできなかったから。

ナイフって言ってもね、すごいナイフじゃないの。

当時鉛筆削りとして使われていた折りたたみ式のプラスチックケースが着いていたもの

肥後守に似てるけど、それよりももっとチャチな、当時の小学生普通に買って使ってたようなもの

もう机にくくりつけて使う大型の安全鉛筆削りも普及していたけど、

まだナイフ鉛筆が削れる能力普通に求められていたと思う。

今の人だと感覚がわかりにくいかな?

ちびまる子ちゃん時代です。

そんなチャチなナイフでも首筋に突きつけられたらそりゃ怖い。

動脈の近くだったし。

今の私だったら当時の母やそう、近所のおばさんもそばにいたけど、手を出したら私に命の危険があるから何もできなかったってわかるけど、

当時の私にそんなことわかるわけがない。

助けてもらえなかった

それしか頭に残らなかった。

もうさ、朝は近所の子なんかと一緒に登校できるから怖くなかったけど、

帰り道はいつ襲われるか不安でならなかった。

学校にいるときも同じ。

安住の地とは思えなかった。

ものを隠されたり、ハブられたり?

まあ色々ありました。

本当に誰のことも信じられないから、成人して仕事についても同僚のことが信じられないのね。

全部悪い方に捉えちゃう

よくニュースでいい人が出てきたり、仲の良いクラスの話が出てきても、

同じ世界のこととはとても思えなかった。

とてもじゃないけど信じられなかった。

護身用にビクトリノックスナイフを持ち歩いてた。

(念のため。

今そのナイフは持っていません。

持ち歩くのをやめてからも保管してたけど、自分にはそのナイフを使う資格がないと思ったので警察に持っていって正式処分しました)

私がナイフを持ち歩いていると知ったとき止めてくれた人がいましたが、その人のことも完全に信じたわけではありませんでした。

でも一応、持ち歩くのはやめました。

本当に誰のことも信じられなかったのよ?

誰も私が困ったときには助けになんて来てくれない、そう思い込んでいました。

それが変わったのは阪神淡路大震災ときでした。

被災地大勢の人が助けに向かったでしょう?

そのとき、アレって思ったのね。

あれ?あの人たち本当に助けてもらえてる。

すごくビックリした。

しかしたら声を上げたら助けてもらえるの?って生まれて初めて思った。

その直後に起きたのが地下鉄サリン事件でね。

オウム真理教教祖のことを連日テレビで報道してて、

あるとき彼の実験を知ってしまったの。

それは信者左脳破壊するものでした。

ショックだった。

私は人を信じられないけれど、それでも自分の子時代と同じような思いをする人が出ないように、自分だけは助けるんだ、助けることでちっちゃかった頃の私も喜んでくれるに違いない、そう思って仕事を選んでいたから。

その仕事は脳の研究をする人たちのお手伝いで、生活できるようなまともなお給料なんてもらえていなかったけどね。

でも、必死になって働いてた。

その私と教祖が合わせ鏡のように見えたのね。

別の言い方だとドッペルゲンガー

鏡のお化けかな。

見たら死ぬと言われるもう一人の自分

ほんのちょっと砂一粒分違っていたら、私はこの人になっていたのかもしれない。

その時、それまでの自分が壊れました。

それで初めて人に助けてと言いました。

それまで自分が心の中で憎んでいた恵まれた頭と恵まれ環境にいた人に助けを求めました。

信じてはいない人に助けを求めました。

それからいろんなことがありました。

もうとっくにその仕事はやめてます

まれ土地を逃げ出して、よその土地を回りました。

どの土地も私には故郷よりも優しい人が住んでいるように感じました。

しがらみがないから新鮮な目で見られたのでしょう。

初めて人を信じることを覚えました。

で、もう大丈夫だろうと思えた頃、故郷に帰ってきたのだけれど、やっぱり昔の傷がうずくの。

それでも私が子供の頃から比べると通学路は随分と安全になっていました。

大人があちこちに立ってて、通学中に襲われる心配をする必要はないように思いました。

それでも傷はうずく

精神安定剤が欠かせません。

なんで自分いじめ人間が苦しむのではなくて、私が苦しまなくてはいけないのか!

そんなことを考えると耐えられなくなるときもあります

でもね、辛かったときには思い出せなかったことがありました。

一度だけ小学生の頃に助けてもらえたことがあったの。

道端でベルトをムチ代わりにしてぶたれていたときに、家の中から飛び出してきて助けてくれた人がいたの。

そのときたまたま私ショックで吐いてたのよね。

吐けば助けてもらえるとでも刷り込まれたか、苦しくなるとそれ以降吐くようになっちゃいましたが。

最悪の結果にならずに大人になれたのはその時のことがあったからかもしれないと思うことがあります

投稿の人、勘違いしないでね。

お前は助けてもらえたじゃないか自分はそんな経験ないぞ!って思ったでしょ?

うからね。

あなた投稿を読んで、どれだけの人がブックマークしたと思ってる?

助けてもらえないなんて嘘だからね。

信じられなくてもいいから助けは求めなさい。

助けは来ます

今の私だってあなたを助けるのに必死になってる。

効果があるのか、それとも逆効果なっちゃったらどうしようなんてことを考えながら、必死になって言葉を紡いでる。

気づいてください。

助けは来ます

でもって傷ついたままでも、

あいうのが流行語になっても、

生きていけます

とりあえず、酒飲んで精神科の薬っつうのはやめて、

いのちの電話でもなんでもいいか電話しよう。

私が今やってるみたいに増田に書き込んでもいいと思う。

毎回じゃないだろうけど反応があるかもしれない。

本当に助けは来るのよ。

うつヌケ?

そんなもん信じられなくてもいい。

助けは来る。

それでも信じられないなら、自分が人を助ける側に回れ。

そうしたら少なくとも例数1確保できるから

何度でも言う。

助けは来る。

自分自身のことさえ信じられなくてもいい。

それでも助けは来る。

私のことも信じられなくてもいい。

それでも助けは来る。

から助けを呼ぼう!

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