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2024-11-08

レトロゲームミュージック史上最も重要作品10

https://anond.hatelabo.jp/20241106140729

https://anond.hatelabo.jp/20241106183428

https://anond.hatelabo.jp/20241106112459

このへん見てたらなんとなく書きたくなったので。

2D時代ゲームから選出したけどだいぶ偏りが出ちゃったかも。海外のものは詳しくないのでパス

ラリーX (1980/ナムコ/甲斐敏夫)

ゲーム中にBGMがついた最初ビデオゲームとも言われる。楽曲としてはおそらく翌年発売のNEWラリーXのほうが有名で、大野木宜幸が手がけたメロディは当時のゲーマーに強烈な印象を残した。

ゼビウス (1983/ナムコ/慶野由利子)

たった2小節からなるメインBGM作品神秘性を高め、日本初のゲームサントラ制作されるきっかけにもなった。細野晴臣によるリミックスも発売され、最先端サブカルチャーとして強く認知されることになった。

スーパーマリオブラザーズ (1985/任天堂/近藤浩治

おそらく世界一有名なゲームミュージック。何度も作り直したというメインテーマ絶妙テンポ感でゲームマッチしている。ゲームサウンドとしてはじめてアメリカ議会図書館登録された。

ドラゴンクエスト (1986/エニックス/すぎやまこういち)

ファミコンの二〜三和音で見事にクラシック表現し、オーケストラによるゲームミュージック演奏という道も切り開いた。また、洞窟の下層に行くほど音程が低くなるという、今でいうインタラクティブミュージックのようなアイデアも取り入れられている。

アウトラン (1986/セガ/Hiro

ハード進歩レースゲームというジャンルの特徴により、イントロからソロアウトロダクションまでを兼ね備えたおしゃれなフュージョン表現可能になった。セガ体感シリーズ系譜は後にS.S.T.BANDを産み、ゲームミュージックバンドの先駆けとなった。また”Outrun”は80年代シンセを使った音楽ジャンルひとつにもなっている。

グラディウス2 (1987/コナミ/古川もとあき)

Ⅱではなく2。ファミコンを含め、ROMカセット拡張音源を載せたゲームは数あるが、知名度が高いこちらを選出した。透明感と重厚感を兼ね備えたSCC音源MSXユーザーの自慢のタネであり、様々な方法を使い自作曲を鳴らす文化まで生み出した。

ジーザス (1987/エニックス/すぎやまこういち

映画のような演出アドベンチャーゲームは多数つくられたが、ゲームしか実現できない仕掛けによってそれ以上のものになっているのが本作。作曲にあたっては難しい条件があったと思われるが、美しいメロディでそれに答えている。

イースⅡ (1988/日本ファルコム/古代祐三永田英哉・石川三恵子)

FM音源の迫力あるドラム、うねるようなリード音が響くオープニングは当時のパソコンユーザーの度肝を抜き、以降のパソコンゲームの音のレベルを引き上げた。

PCエンジン版では米光亮によるアレンジ音源が使われ、CD-ROMの優位性を見せつけた。

MOTHER (1989/任天堂/鈴木慶一田中宏和

企画段階から音楽キーとしていたという本作は、ギターの奏法を再現するなど独自手法も編み出し、ドラクエとはまた違ったタイプRPGサントラを作り上げた。「エイトメロディーズ」は特に有名で、音楽教科書にも掲載された。

アクトレイザー (1990/エニックス/古代祐三

容量の厳しいスーパーファミコン音源を最大限に活かし、オーケストラサウンドを実現して業界震撼させた。植松伸夫がこの作品に衝撃を受け、完成間近だったファイナルファンタジーⅣの音色を全て作り直したという逸話が知られている。

2024-10-28

国立近代美術館の「ハニワと土偶近代」展がすごく面白かった

美術展示としては江戸から現代にかけての、埴輪土偶モチーフにした作品展なのだけども、テーマの切り口がすごいよかった。

展示内容についての説明Youtube動画でもSNS各所でもあちこちでされてるので、検索して見てもらえば。

https://youtu.be/bewJX1SxTbQ?si=OfLxo_uurrnHxXXE

今回、展示の構図がいちいち上手くて、

1,プロローグで「近代美術館の建築時の発掘遺物」と「近代美術館開館後すぐ考古学遺物特別展開催し現代アート文脈に早々に取り込んだこと」の対比、

2,江戸時代の舶来好古な視点で描かれた埴輪土偶明治維新近代化以降の考古学研究視点で描かれた埴輪土偶の対比、

3,王政復古で「仏教伝来以前」を求めて古墳時代習俗埴輪に求める古代を見つめる視点と、明治天皇陵のために埴輪作りを復活させたために生じた「リアルタイム埴輪作ってる」現代の肌感覚の混交、

4,日本独自性主張のために富士山と一緒に日本代表選手として海外喧伝され、愛国象徴となってく埴輪

5,敗戦創世神話アイデンティティ喪失しちゃったあと、登呂遺跡考古学という「科学による裏付け」に日本人のアイデンティティ見出しちゃう流れ

6,岡本太郎代表される現代アートオールスターキャスト縄文ブームを後押しし、考古学現代アートが一足飛びに結びつくシーン

7,弥生VS縄文の構図で縄文推しをこじれさせて「うわ、きっつ」なレベルまで「日本人の原点は縄文」へ突き進むアートシーン

8,アート縄文に突っ走って埴輪アートモチーフから外された後、サブカルチャーでカッコよく可愛く活躍しはじめる埴輪大魔神、はに丸)とモンスター、異形化する土偶諸星大二郎的な)というねじ

 

などなど。

しかも、上記のこじれねじれたストーリー解説してくれる音声ガイド田中真弓という。

国立博物館はにわ展の音声ガイドはなぜか石田彰森川智之の寸劇。正直、なぜ)

 

展示の章立てごとに全部が面白いっていう稀有な展示で、アート文脈解題についてここまでアート素人でも理解やすく見せてくれて、しかも、この特別展上野国立でやってる「はにわ展」にぶつけてくるっていうタイミング自体批評性がやたら高い。

上野の展示が、話題性に乏しいあまり無理に話題を作ろうとして「挂甲の武人の5兄弟がはじめて一堂に会します」という、一体だけだと物足りないので数を増やして賑やかししてどうにか間を持たせようという悲哀を感じる内容になってるのだけど、その背景にあるのが国立博物館美術館が独立採算で金を稼がなければならず、展覧会開催を支えてきたNHK日経新聞朝日新聞みたいな旧メディアが衰退し、さらインフレで外から展示物を持ってくるのもますます難しく今後の展覧会集客すら先が見えなくなりつつあるという苦境下、手持ちの所蔵品を中心にした展示でなんとか糊口をしのごうという涙ぐましさで。

まさに日本が転換期であることを象徴するような、国宝にしてかつて日本象徴を担った埴輪のありようの今このとき、痛烈な批評やらかししまった。

すごい面白いです。見ないと損。

 

なお、あえて言えば欠点がないわけではなく。

ハニワと土偶の描かれたサブカルチャー作品年表が展示されてるんですが、そこにア〇スソフト作品名前がない。一切ない。

サイゲグラブルまで表に載ってるのに。

ソシャゲがアリならFGOも載せなきゃ嘘だよね。FGOを出したら、まあ型月がどこからそれ持ってきたかって言ったら直近の〇リスソフトだなって皆わかってるわけで。

逆に、アリ〇ソフト無視できるくせにサイゲを持ってくるのは何すか、自治体方面に金バラまいてるサイゲサイゲ親会社忖度かなんかですか。ふるさと納税ガチャ回せるぐらいベッタリなとこならアート文脈の端っこに載せてもいいってことすか。

現代アートのそういうとこがダメなんすよ、というオチがついたあたりで以上

2024-10-26

週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ25選(改訂版)

anond:20241012181121週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ20

↑を書いた増田です 適当に書いた増田がしばらく見ないうちにブクマめっちゃ伸びてて派生増田もめちゃくちゃ出ててビビった。ただのおじさんの与太話にいろいろ意見をくれてありがとう

みんなのコメントの中には恥ずかしながら読んでなかった作品もあったくらいで、今週はネカフェKindle50%還元セールでいろいろ読み返してました

選考基準について少し補足すると、ジャンプという雑誌の在り方への影響度がとにかく重要だと考えてます。売上とか人気とか社会的影響考慮はしてますが、あくまで付随する要素に過ぎません。

ブコメやXで結構言及されてたのを見て思ったのは、選評を雑に書きすぎて自分の考える重要性が伝わってないところが多かったのと、20選だとさすがに網羅出来てないなということ。もともと個人的メモ書き程度に書いたものだったのですが、色々な意見を取り入れた25選にして、一人一作縛りもなくして、選評ももうちょい見栄えするようリライトしてみました。これが現時点でのベストだと考えているので、もう異論は取り入れません。

1.ハレンチ学園 作:永井豪 1968年創刊号 - 1972年41号

月2回刊で始まった少年ジャンプ創刊号わず10万5000部しか出なかった。その9年前のサンデー創刊号が30万部、マガジン創刊号20万5000部だったことを考えると、その始まりが実に静かなものだったことがわかる。

そんな中、大家永井豪が描いたこ作品の絶大な人気がジャンプの売上に大きく貢献したことは言うまでもないが、それ以上に重要なのは、この時点で「読者が面白いと思うことなら何だってやる」という編集部方針は明確であったこである

過剰ともいえる性描写教職への徹底的な批判からなる本作は、当時の基準でも極めてラディカルで挑発的な作風であり、批判に晒され続けた。しかし、競争原理に基づき、常に読者の方を向いた雑誌を作るという編集部意向が、この作品を存続させた。後に「アンケート至上主義」という形で現代まで続くことになるジャンプの強固なアイデンティティは、本作の成功とともに形をなしたのである

2.男一匹ガキ大将 作:本宮ひろ志 1968年11号 - 1973年13号

頭文字D湾岸ミッドナイトのようなクルマ系のマンガが下火になったのは、若者が誰もスポーツカーに乗らなくなったことが原因のひとつであるという。頷けるところもあるが、じゃあ不良、ヤンキー番長と称されるような若者なんてもっと絶滅危惧種なのにどうして彼らをカッコいいものとして描くマンガは何作も出続けているんだ?東リべのような大ヒットも未だに出ているのに。

思うに、我々の脳には義理人情、泥臭さ、そして熱さを欲する部位が生まれつき備わっているのだ。そしてこうした要素を最も効果的に表現しうる分野が不良漫画であると見抜いたのは本宮ひろ志最初であった。

ストーリーは完全にご都合主義で、キャラクター一貫性もまるでない本作は、しかし「男の強さ」を描くという一点のみにおいて全くブレることはなかった。どんなに反社会的人間でも、腕っぷしと強靭精神と仲間への思いやりさえあればクールに映るという価値観は、フィクションにおいての(もはや誰も意識すらしなくなった)お約束として今なお残り続けている。

3.こちら葛飾区亀有公園前派出所 作:秋本治 1976年42号 - 2016年42号

ジャンプ国民マンガ雑誌とみなされる要因はどこにあるだろうか?40年間一度も休載することなく駆け抜けた秋本治デビュー作は間違いなくその一つであろう。

当初は型破りな警察官両津勘吉ドタバタを描くコメディとして始まった本作は、その時代サブカルチャー政治経済情勢を積極的に取り込むことで、高度経済成長期以降の近代化していく日本風景を余すことなく取り込んだ作品となった。

浮世絵江戸庶民たちの風俗を映し出す史料であるように、こち亀が織りなす物語昭和から平成にかけての日本人の最大公約数的な心象風景を巧みに映し出した。いまや日本から失われつつある中流庶民日常を、我々は全200巻からなる亀有の小さな派出所日常にしみじみと感じ取るのだ。

4.リングにかけろ 作:車田正美 1977年2号 - 1981年44号

もともと硬派なボクシングマンガとして始まった本作は仁義兄弟愛をベースにした極めて現実的作風で、決して圧倒的な人気作とは言えなかった。しかし、あしたのジョー下位互換になるくらいなら無茶苦茶やってやる、という判断のもと路線変更し、過剰さと大袈裟さを極めたことで人気を博し、史上初の最終回巻頭カラーとして、ジャンプ史にその名を刻むこととなる

───という、教科書的な本作の功績だけが、本リストに入る理由ではない。重要なのは本作が男一匹ガキ大将(=根性と漢気)、侍ジャイアンツ(=超人能力)の要素を意識的に再生産していることである車田正美を源流として、ジャンプ的な文脈を後世の作品が重ね合わせることでより濃くしていく流れが明確になる。我々の知るジャンプは全て車田正美以後なのだ

5.コブラ 作:寺沢武一 1978年45号 - 1984年48号

時代作家に比べ、寺沢武一デビュー作の視座は群を抜いて高かった。スペースオペラ世界観から引用した本格的なSFアイデアの数々。高い等身で描かれ、まるで映画のようなポージングセリフ回しで魅せるセクシーな男女たち。幾度もの休載はさみつつも、本作はユーモアとカッコよさと強さをコブラという一人の男の中に共存させるという偉業を成し遂げた。

登場人物も読者も無垢10代の少年でなくてはならないという近視眼的な幻想と、ジャンプ作家絶対コンスタントに週刊連載をしなければならないという既成観念を、葉巻を加えた気障な宇宙海賊サイコガン──精神力をエネルギーに変えるアイデア寺沢が生み出したものだ──は易々と破壊したのである

6.キン肉マン 作:ゆでたまご 1979年22号 - (週プレNEWSで連載中)

リングにかけろ確立したバトルマン路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品。いわゆる「友情努力勝利」という実際にはジャンプ編集部の誰も公言したことのないらしいパブリックイメージ単独で築き上げた。にもかかわらず、本作は国民作品とはみなされておらず、犯罪的なまでの過小評価に甘んじていると言わざるを得ない。マジでなんで?絵が下手だから嶋田SNSの使い方が下手だから

キン肉マンマンガとしてではなく文化的重要なのだと主張する類いの人間がいるが、そいつらの目と脳にはクソしか詰まっていない。ゆでたまごは絵の巧拙クオリティ関係しないことを証明し、あらゆる世代の男たちにマンガ熱狂する勇気を与え、信じがたいほど面白い作品を描いた。この作品を嫌う人たちもまず冷静になり、理解しようと試みるべきだ。

7.Dr.スランプ 作:鳥山明 1980年5・6号 - 1984年39号

鳥山明訃報を聞いた日、Kindleで買ったまま放置していたDr.スランプの1巻を読んでみた。久しぶりに読む本作はきっと悲しいほど古く感じるだろうと思っていたが、実際のところiPadの画面に映るペンギン村の住人達は今も新鮮味をもって感じられた。

本作は後にDBドラクエで知られることになる鳥山明がその才能の枝葉を伸ばし始めた作品である───と書けたらどれほど楽だったろう。枝葉どころかこの時点で大樹の幹である

言語以前の本能領域に鋭く迫り来る現実味を携えた絵は存在するが、そうした絵を毎週16ページのマンガで成立させる人間鳥山明以外には存在しなかった。頭の中にBlenderが入っているかのような立体的なデフォルメは、我々の住む現実世界とは違うところにもリアリティというもの存在しうることを示し、「マンガのための絵」であった劇画調を衰退させる最大の要因となった。

8.キャプテン翼 作:高橋陽一 1981年18号 - (キャプテン翼WORLDでネーム連載中)

Jリーグ創立の流れを生み出したともされる本作がサッカーマンガ界に残した遺産はなにか?もしかたらこのような問いの設定自体が誤っているようにも思える。高すぎるキャラクターの頭身、大真面目に繰り出される荒唐無稽な技の数々が目をくらますかもしれないが、高橋陽一が一貫して表現たかったのはひたむきな少年たちが織りなす爽やかな青春であって、こうした要素は他作品にも見られるものだ。彼がサッカーという題材を選んだのは単に「野球マンガはありふれているから」という理由だ。本作は期せずしてサッカーマンガというジャンルの中心に祭り上げられたに過ぎないのだろう。

それでも、我々はこの巨星に感謝するほかない。この作品が無ければサッカーを始めていなかったであろう日本中、いや世界中の少年たちが、みな大空翼という一つのアイコンに夢中になっていたのだ。マイナースポーツひとつに過ぎなかったサッカーメジャークラスに引き上げ、軍国主義に基づく根性論を相対化し、ひたむきにボールを追いかける楽しさを私たちに初めて教えてくれたのはこの作品だったのだ。

9.北斗の拳 作:武論尊原作)、原哲夫作画1983年41号 - 1988年35号

元増田を書いたときブコメ欄は「ぼくのはじめてのジャンプ」にまつわる涙なしでは語れない思い出たちで溢れかえったわけだが、はてブに入り浸る層の平均年齢を考えれば当然のことである

自分のようなおじさんにとって涙なしでは語れない系マンガの筆頭に位置するのが北斗の拳である1980年代中盤というのは、親しみやすいポップ路線と男臭い劇画路線がちょうどクロスオーバーする時期であった。今のメインストリームがどっちかは言うまでもないが、自分にとっては線が太くてむさ苦しい絵柄こそが少年ジャンプ原風景だった。

強くてカッコいい大人の男が弱肉強食戦場で己の命を懸け闘う...そんなジャンプ初期から続く系統の最高到達点かつ袋小路が本作である。このようなマンガ流行時代は二度と来ないとわかっているからこそ、特別な輝きを放ち続けるのだ。

10.きまぐれオレンジ☆ロード 作:まつもと泉 1984年15号 - 1987年42号

かわいい女の子を見るためにマンガを読む者と、そうでない者がいる。どちらがいい悪いということはないが、少なくとも創刊してしばらくのジャンプは前者に見向きもしない雑誌であったのは確かだ。うちには高橋留美子はいないんだよ、といった具合に。

きまぐれオレンジ☆ロード申し訳程度の超能力要素を除けば、一貫して思春期男女の甘酸っぱい三角関係に焦点を合わせ、かわいい女の子日常が描かれているだけだ。それのなにがすごいのか?別にすごくはない。ただ、エロくもなく大したギャグもなく荒唐無稽な展開もないふつうの男女の日常需要があることに、誰も気づいてない時代があったのだ。

まつもと泉は早くに体調を崩したこともあり、これ以降影響力ある作品を生み出すことはできないままこの世を去った。それでも、彼の鮮やかなトーン使い、歯が浮くようなセリフ回し、そして"かわいい女の子"以外に形容する言葉が見つからない鮎川まどかキャラデザを見返すたび、これをジャンプでやってくれてありがとう、と思わずはいられない。

11.ドラゴンボール 作:鳥山明 1984年51号 - 1995年25号

鳥山明が死してなおこの先何度も繰り返される問いだろうが、ドラゴンボールよりもワンピナルトの方がどれほど優れているのだろうか?そしてその答えを誰もが知っているのは何故だろう?これらの問いに対してどんな議論がなされようともすべて的外れ無意味である。それはこの作品が頂点だからだ。

鳥嶋和彦意向により、本作はバカげた後付けの設定や引き伸ばしをせざるを得なかった。それでも、マンガ金銭を生み出す道具と見做す人間たちのあらゆる商業的な意図を超えて、本作はそれ以前、以降に掲載されたあらゆる作品を軽々と凌駕する金字塔となった。

11年に渡る孫悟空冒険をもって、鳥山明日本マンガ文化世界最高のものであるという事実を叩きつけ、自身手塚治虫赤塚不二夫つげ義春萩尾望都藤子F不二雄、高橋留美子と並び立つ歴史上最高のマンガ家の一人であることを証明したのである

12.聖闘士星矢 作:車田正美 1986年1・2号 - 1990年49号

車田正美リンかけ過去ジャンプ作品再生産を初めて試みたと述べたが、それを自分自身作品でやった人間も車田が最初であった。自身のやりたいことを詰め込んだ男坂が衝撃的なまでの不人気に終わった反省から、彼は自身の原点に立ち返りつつもよりスケールを拡大した再生産をやることを決めた。

彼はギリシャ神話宇宙子供向けと大人の女性向け、劇画プラモデルといった要素を交互に行き来しながら、自身が積み上げた様式美世界前人未踏領域まで押し上げた。聖闘士に同じ技は二度通用しないが、我々読者は何度でもこのパターンを欲してしまうのだ。

13.ジョジョの奇妙な冒険 作:荒木飛呂彦 1987年1・2号 - (ウルトラジャンプで連載中)

ある一定世代人間からは、ジョジョという作品はいつも巻末に掲載されている時代遅れな絵柄のつまら作品という評価が下されることがあり、そこには50%事実と、50%の誤った認識が含まれている。

荒木飛呂彦の絵柄が彼の見た目と同様あまり本質的な変化がないことについてはその通りだ。だがいくら彼より本誌での掲載順が上であろうと、革新性・才能・実験精神という点で彼より優れた人間果たして何人いただろう?

幽波紋と、理不尽能力値のインフレを伴わないバトル描写は、彼が残した功績の中で最大のものであるキャラクターが持つ能力を、作者の演出の道具として使うのではなく、自律したキャラクター同士の駆け引き領域に落とし込むことに成功したのだ。

我々はフィクションの中での整合性を厳しくジャッジすることに慣れっこになっているが、それに耐えうるものを初めて生み出したのは荒木だった。彼以降、マンガを読む行為は絵と吹き出し表現された作者の脳内世界をくみ取る作業ではなく、自律したキャラクターたちと同次元に立ちその思考を辿るものとなった。荒木は真の意味で我々をマンガ世界に誘ったのである

続き→anond:20241026155213

2024-10-18

2024年衆院選表現の自由アンケートで気になった回答

個人的に目に留まった回答をピックアップしてみました。今回もAFEEに感謝

引用元第50回衆議院議員総選挙の候補者に向けて実施した表現の自由についてのアンケート結果

東京比例

田村 智子(たむら ともこ) : 日本共産党

設問(1-a):

どちらともいえない、答えない

設問(1-b):

表現の自由プライバシー権を守りながら、子どもを性虐待性的搾取対象とすることを許さな社会にしていく必要があります。そのための自主的な取り組みを促進していく必要があります

共産党テンプレ回答。引用は現委員長。ざっくり50人くらいが採用しており、2024年衆院選公約踏襲した内容です。「子どもポルノ非実在児童ポルノ)」の法規制には反対する一方で、党公約では国連を引き合いに出していることから、「子どもを性虐待性的搾取対象とすることを許さない」には「子どもポルノ」も含むと解釈するのが妥当です。つまり「『子どもポルノ』の法規制には反対するが、それ以外の手段社会から排除されることを目指す」という立場になります

大阪17区

馬場 伸幸(ばば のぶゆき) : 日本維新の会

設問(1-a):

どちらともいえない、答えない

設問(1-b):

表現の自由を最大限尊重し、マンガアニメゲームなどの内容に行政が過度に干渉しないコンテンツ産業支援を目指すべきである現行法規の遵守を徹底したい。

維新テンプレ回答。引用現代表。10数人が採用こちらも共産党と同じく、党公約踏襲しています。設問1-bで「現行法規の遵守徹底」を謳いつつ、設問1-aの回答が「どちらともいえない、答えない」という齟齬が気になります(一応、2名が「法令規制するべきではない」を選んでいます)が、基本的には現状維持なのかと思われます

京都3区

泉 ケンタいずみ けんた) : 立憲民主党

設問(1-a):

どちらともいえない、答えない

設問(1-b):

表現物が差別や性暴力助長する場合は、ジェンダー平等人権保護観点から適切な規制はあり得る

立憲のテンプレ回答。引用は前代表10数人が採用法規制すら否定していないので、共産党以上に規制寄りと言えそうです。

ちなみに立憲の2024年衆院選公約には以下の文言があります

メディアにおける性・暴力表現について、子ども女性高齢者障がい者をはじめとする人の命と尊厳を守る見地から、人々の心理・行動に与える影響について調査を進めるとともに、情報通信等の技術の進展および普及のスピード対応した対策を推進します。

引用元ジェンダー平等

山形1区

原田 まさひろ(はらだまさひろ) : 立憲民主党

設問(1-a):

法令規制すべき

設問(1-b):

インターネットの普及により猥褻映像が簡便に入手できるようになり若年者にも閲覧可能環境となっている。フィクションノンフィクション判断曖昧な若年者に与える影響は大きいと考えるからである

設問(2-a):

表現の自由の名の元に過剰な描写散見出来る事を憂いている

山形3区

石黒 さとる(いしぐろさとる) : 立憲民主党

設問(1-a):

法令規制すべき

設問(1-b):

インターネットの普及により猥褻映像が簡便に入手できるようになり若年者にも閲覧可能環境となっている。フィクションノンフィクション判断曖昧な若年者に与える影響は大きいと考えるからである

設問(2-a):

表現の自由の名の元に過剰な描写散見出来る事を憂いている

テンプレというほど数は多くありませんが、完全に同一な回答のお二人。

茨城6区

国光 あやの(くにみつあやの) : 自由民主党

設問(1-a):

法令規制するべきではない

設問(1-b):

日本サブカルチャー海外で高い評価を受けており、クールジャパン戦略日本ファンが増えれば世界平和に繋がるし外貨獲得にもなる。非実在ポルノ児童権利侵害する行為の関連性も明らかになっていない。

争点を理解した規制反対理由だと思ったら、過去山田太郎氏と対談しており、2021年衆院選でも氏が支援している候補者でした。

栃木1区

板津 由華(いたづ ゆか) : 立憲民主党

設問(1-a):

法令規制すべき

設問(1-b):

設問(2-a):

刑法猥褻頒布規制, AV新法による規制, ポリコレ言葉狩り等, 新サイバー犯罪条約による創作規制

設問(2-b):

設問(3):

好きなアニメ漫画は「進撃の巨人」、「鬼滅の刃、「スパイファミリー」、「キングダム」、「推しの子」です!みんなの「推しメン政治家」になりますので、推しよろしくお願いします!^^ 好きなゲームは、「ゼルダの伝説」、「ドラゴンクエスト」、「ファイナルファンタジー」など、主にRPGが好きです♪仲間と一緒にやる盛り上がるゲームも大好きです!

設問3の回答がやけに軽いので目に留まりました。設問1-aで選んでいるのは「法令規制すべき」ですが。

栃木5区

茂木 敏充(もてぎ としみつ) : 自由民主党

設問(1-a):

どちらともいえない、答えない

設問(1-b):

表現の自由配慮し、規制のあり方について議論を進めていく必要があると考えています

設問(2-a):

具体的な事案をもとに判断すべきと考えます

内容自体は正直虚無で、敢えて取り沙汰するまでもないですが、自民党派閥領袖クラスが回答しているのは珍しいと思います。無内容なのでスタッフ作成し、最後OKを出しただけかもしれませんが。

埼玉5区

枝野 幸男(えだの ゆきお) : 立憲民主党

設問(1-a):

どちらともいえない、答えない

設問(1-b):

茨城3区

葉梨 康弘(はなし やすひろ) : 自由民主党

設問(1-a):

どちらともいえない、答えない

設問(1-b):

かつての児童ポルノ禁止改正反対の旗手が、実にそっけない内容。一方、その枝野幸男氏と国会でやり合い、表現規制派と目されていた葉梨康弘氏もトーンダウン。結果、同じ回答に。

埼玉13区

橋本 みきひこ(はしもと みきひこ) : 国民民主党

設問(1-a):

法令規制するべきではない

設問(1-b):

個人的保護法益とならない規制であるから

現行の児童ポルノ禁止法が、保護法益曖昧悪法であることは、同法に長けた奥村徹弁護士も指摘するところで、簡潔にして当を得た規制反対理由だと思います

東京1区

江田 万里かいえだ ばんり) : 立憲民主党

設問(1-a):

法令規制するべきではない

設問(1-b):

実在しないキャラクターであるから芸術ないしは表現形体の一種と考えるべきである自主規制組織を作り、そこで規制すべきで、法律による規制には反対。

東京都の青少年健全育成条例(以下都条例改正の昔から、一貫して規制に反対されていてブレないです。ただ「自主規制組織」は、個人的には首肯し難いです(CEROを思い浮かべながら)。

東京1区

ときた 駿(おときた しゅん) : 日本維新の会

設問(1-a):

法令規制するべきではない

設問(1-b):

創作表現実在人権を直接害さず、その影響も科学的に未立証だ。感情論や印象論のみで規制すれば表現の自由を不当に制限する。送り手・受け手権利尊重すべきであり、法による規制不適切である

設問(2-a):

刑法猥褻頒布規制, AV新法による規制, クレジットカード会社の決済制約, ポリコレ言葉狩り等, 新サイバー犯罪条約による創作規制, ジェンダー平等論に基づく創作規制

設問(2-b):

これらの規制は、創作表現の自由を様々な形で制限する可能性がある。法的規制社会圧力により、芸術言論の萎縮を招き、多様な表現抑制する恐れがある。表現の自由民主社会の基盤であり、慎重に扱うべき。

表現規制反対派らしく、争点を踏まえた規制反対理由だと思います。ろくな候補者がいない選挙区の在住者からすると贅沢な悩みかもしれませんが、東京1区の投票先は悩ましいですね。

東京7区

小野 たいすけ(おの たいすけ) : 日本維新の会

設問(1-a):

法令規制するべきではない

設問(1-b):

かつて都知事選出馬した際、不健全図書指定基準明確化を謳っており、「語れる」人だと思うのですが、そっけない回答なのが残念。

東京7区

松尾 あきひろ(まつお あきひろ) : 立憲民主党

設問(1-a):

法令規制するべきではない

設問(1-b):

表現の自由範疇で最大限保障される。人権制約原理たる公共の福祉他人人権との調整機能である。これらを踏まえると、他人権利侵害しない非実在キャラクター表現に対する規制は最大限抑制であるべき。

東京12区

阿部 司(あべ つかさ) : 日本維新の会

設問(1-a):

法令規制するべきではない

設問(1-b):

実在する人物に実害が及ぶという明確なエビデンスが無い段階で、単に過激性的暴力表現を含むことをもって安易法令規制をかけることは、憲法保障する表現の自由を損なうと考えるから

どちらも争点を良く理解した規制反対理由だと思います

東京17区

円 より子まどか よりこ) : 国民民主党

設問(1-a):

法令規制するべきではない

設問(1-b):

設問(2-a):

憲法保障する権利である表現の自由平和平等と同じくらい重要ものであり、いずれも規制する権力側が嫌悪感倫理観等の曖昧基準規制することは避けるべき

かつて成人向けゲーム販売規制請願紹介議員となり、表現規制派と目されていた方ですが、数年前から規制反対を公言しています。以前の認識のままの方は、是非この機会に情報アップデートを。

東京18区

松下 玲子(まつした れいこ) : 立憲民主党

設問(1-a):

法令規制するべきではない

設問(1-b):

児童ポルノ禁止法が所持や提供製造禁止しているのは、実在する児童を性暴力性搾取被害から守るためです。「何か影響や関係があるかも」という理由規制対象を広げるべきではないと考えます

設問(2-a):

刑法猥褻頒布規制, AV新法による規制, クレジットカード会社の決済制約, ポリコレ言葉狩り等, 新サイバー犯罪条約による創作規制, ジェンダー平等論に基づく創作規制, 政府等が何らかの表現の制約をする時は常に。

設問(2-b):

表現規制する際は、仮に正しい目的のためにどうしても必要に見えても、どこかに問題が隠れているかもしれないという視点に立ち、その目的手段が本当に適切かどうか、慎重に確認し続けることが大切だと思います

外国人参政権関連で右派から批判されていましたが、都条例改正から一貫して、表現規制反対を主張されています。反対理由も明快です。

東京20区

大西 健太郎(おおにし けんたろう) : 国民民主党

設問(1-a):

法令規制すべき

設問(1-b):

子どもに対する犯罪被害を無くすため

東京20区

木原 誠二(きはら せいじ) : 自由民主党

設問(1-a):

法令規制すべき

設問(1-b):

実在しないとはいえ児童対象とした過激性的暴力等はそもそも適法ではなく、また、当該表現に影響されて犯罪惹起する可能性があること、等から所持・提供製造を認める積極的理由がないから。

東京20区

宮本徹(みやもと とおる) : 日本共産党

設問(1-a):

どちらともいえない、答えない

設問(1-b):

表現の自由プライバシー権を守りながら、子どもを性虐待性的搾取対象にすることを許さな社会にしていく必要があります。そのための議論合意への自主的な取り組みが重要です。

規制派、規制派、できの悪いテンプレと、この中から選ばないといけない東京20区にお住まい有権者には同情したくなります

東京22区

山花 郁夫(やまはな いくお) : 立憲民主党

設問(1-a):

法令規制するべきではない

設問(1-b):

マンガアニメゲームについても、表現の自由(憲法21条)として保障されるものであり、それを制限るには、他の人権との調整であることが必要と考えられます非実在児童場合には被侵害利益がありません。

条例改正から一貫して表現規制に反対されています。バキを彷彿とさせる脱字を除いては、規制反対理由模範的で、こういう方を大切にしたいです。

東京24区

有田 芳生(ありた よしふ) : 立憲民主党

設問(1-a):

法令規制すべき

設問(1-b):

かつては都条例改正にも児童ポルノ禁止改正にも反対されていたのですが、こちらはどうも、宗旨替えされたようです。

東京29区

たるい 良和(たるい よしかず) : 国民民主党

設問(1-a):

法令規制するべきではない

設問(1-b):

様々な性癖を持つ人々が創作物を通じて情欲を解消できる環境を整えることは重要です。これにより、犯罪被害者を減少させることができるなら、適切なゾーニングのもとで自由を認めるべきです。

古株かつ筋金入りの表現規制反対派。セクシュアリティ尊重規制反対理由としている唯一の方(見落としていたらすみません)です。

続き

2024-10-14

anond:20241014173402

村上春樹は、日本および世界文学において、いくつかの重要文学的達成を遂げたと評価されています。以下、多角的視点からその功績を分析します。

1. 文学史における位置付け

村上春樹は、1980年代から現代にかけての日本文学代表する作家の一人であり、特にポストモダン文学文脈で高く評価されています。彼の作品は、従来の日本文学伝統テーマから脱却し、グローバルな感性ポップカルチャーサブカルチャー積極的に取り入れることで、新しい文学スタイル確立しました。これにより、村上日本文学世界文学文脈で再定義する役割を果たしました。

2. 小説技巧

村上春樹作品は、独特な語り口、現実と非現実交錯するメタファーシンプルながらもリズム感のある文章で特徴づけられます。彼のスタイルは、読者を異世界に誘いながらも、同時に自己反省存在意味を問いかける要素を含んでいます。また、村上作品には、オープンエンディング多義的解釈可能な要素が多く、読者の解釈を促す手法が多用されています

3. 他の小説家との比較

村上春樹は、アメリカ作家であるレイモンド・チャンドラーカート・ヴォネガットジョン・アーヴィングなどの影響を受けていることを公言しており、それらの作家たちと同様に、日常に潜む異質な出来事シュールユーモアを取り入れていますしかし、彼の作品はそれを単なる模倣ではなく、独自日本的な視点感受性を織り交ぜて再構築する点で独特です。このことが、村上を単なる「翻訳的」作家にとどまらない存在にしています

4. 後世への影響

村上春樹の影響は、日本国内だけでなく世界中の作家たちにも及んでいます。彼の作品スタイルテーマは、多くの若手作家たちに影響を与え、村上の影響を受けた「ポスト村上世代」ともいえる作家たちが台頭しています。また、彼の作品世界中で翻訳され、幅広い読者層を獲得していることから村上日本文学国際的認知度を高める役割を担ったともいえます

5. テーマ普遍性

村上作品では、自己探求、孤独、失われた時間人間関係の複雑さなどの普遍的テーマが頻繁に描かれます。これらのテーマ現代社会の不安感や疎外感と強く共鳴することにより、多くの読者が村上作品共感を抱いています特に、彼の作品に見られる現実逃避や非現実との対話は、現代人が抱える精神的な問題自己探求の葛藤を反映しています

6. ポップカルチャーとの融合

村上春樹作品には、音楽特にジャズクラシック)、文学映画などのポップカルチャーが頻繁に引用されます。この要素が彼の作品に親しみやすさと多層的な深みを与え、特に若い世代の読者層に支持される要因となっています

結論

村上春樹は、ポストモダン文学旗手として、日本文学に新しいスタイル視点をもたらし、グローバルな視点での文学交流を推進しました。彼の作品現代社会の問題に対する鋭い洞察普遍的テーマを兼ね備え、後世の作家文学に大きな影響を与え続けています。その文学的達成は、技術的な革新だけでなく、世界的な文学文脈での再評価を促す点においても顕著です。

2024-10-12

週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ20

anond:20241102083243

◆再追記

anond:20241026155116←皆さんの意見を受けてリライトしました、よかったら読んでみてね

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選考基準独断偏見で、作者一人につき一作まで

強いて言えば後世の作家への影響、社会的な影響を重視

ランキングではなく、連載開始順に並べただけです

忌憚なき意見、待ってるぜ

1.ハレンチ学園 作:永井豪 1968年創刊号 - 1972年41号

黎明期レジェンド枠。サービスエロジャンプマンガの大きな側面を担っていた事実否定できないし、そもそもこの作品の売上が無かったらジャンプが存続してたかも怪しいので入れざるを得ない。

2.男一匹ガキ大将 作:本宮ひろ志 1968年11号 - 1973年13号

黎明期レジェンド枠2。ジャンプ黎明期の売り上げを支えつつ、不良系マンガを一大ジャンルとして確立させた意味で実は物凄く偉大な作品。これが無かったらろくブルも東リべも存在しない。

3.こちら葛飾区亀有公園前派出所 作:秋本治 1976年42号 - 2016年42号

ギネス記録である40年にわたる長期連載、そしてサブカルチャー全般積極的に題材として取り入れたことで現代日本風俗文化を凝縮したような史料価値を持つ作品になった点を評価したい。

4.リングにかけろ 作:車田正美 1977年2号 - 1981年44号

黎明期レジェンド枠3。売り上げもさることながら、見開きを用いたド派手な演出の数々や、「荒唐無稽能力バトル」というジャンル確立させた点を評価したい。(このジャンルパイオニアアストロ球団なのだが、後進への影響はこちらが上かなと思う)

5.キン肉マン 作:ゆでたまご 1979年22号 - (週プレNEWSで連載中)

リングにかけろ確立したバトルマン路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品。初めてのジャンプ黄金期を作った作品で、キン消しをはじめ一般社会への影響力もすごい。いわゆる「友情努力勝利」はほとんどキン肉マンで作り上げられたといっても過言ではない。

6.キャプテン翼 作:高橋陽一 1981年18号 - (キャプテン翼WORLDでネーム連載中)

勝利友情といったそれまでのスポーツマンガの王道を抑えつつも、キャッチー必殺技を取り入れ実際のスポーツ以上のエンタメ性を付与した。マンガ史全体としてはドカベンがこのジャンルパイオニアだけど、ジャンプで言えばキャプ翼がそれ。海外で人気が爆発したほぼ初めてのジャンプ作品という点も重要。この作品がなければメッシサッカーやってなかったかも。

7.北斗の拳 作:武論尊原作)、原哲夫作画1983年41号 - 1988年35号

80年代ジャンプ象徴といえる作品。創刊以来、ジャンプの主たる系統であった劇画タッチハードボイルドな男向けの作風の最高到達点。

8.きまぐれオレンジ☆ロード 作:まつもと泉 1984年15号 - 1987年42号

ラブコメから選ぶならこれ。決して革新的な要素があったとは言えないが、当時のジャンプが唯一苦手としていた王道ラブコメで人気を得たことが重要。ポップ路線を持ち込み、ジャンプ紙面の多様性はより進むことになる。

9.ドラゴンボール 作:鳥山明 1984年51号 - 1995年25号

90年代中盤のジャンプ黄金期を牽引した作品であり、連載が終了してなおもジャンプ日本マンガ文化の頂点に君臨する作品。急激な路線変更、無理やり感ある後付け設定と引き延ばしなど、負のジャンプらしさをも象徴している。

10.ジョジョの奇妙な冒険 作:荒木飛呂彦 1987年1・2号 - (ウルトラジャンプで連載中)

国民作品として定着してきたのはここ数年って感じはするけど、現代異能バトルマンガはほぼ全てジョジョ3部の影響下にあると思うので入れざるを得ない。

11.SLAM DUNK 作:井上雄彦 1990年42号 - 1996年27号

バスケマンガ、いやスポーツマンガ史上の最高傑作勝利と成長の喜び、敗北と挫折の苦さがこれ以上なく詰まったタイムレスな名作。もし序盤の不良マンガ路線継続していたら日本バスケットボールの歴史は(恐らく悪い方に)大きく変わっていただろう。

12.るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 作:和月伸宏 1994年19号 - 1999年43号

特筆して後世への影響や売り上げがずば抜けている印象はないけど、DB幽白スラダン終了後ワンピナルトブリーチが現れるまでの柱としてジャンプ暗黒期を支えた世代代表として入れておきたい。

13.セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん 作:うすた京介 1995年52号 - 1997年40号

純粋ギャグから一作入れたかった。ナンセンスシュールさを主体としたギャグジャンプ誌上で成功させた最初マンガ下品さやエロさを排除した純粋面白さを追求した点が重要。その影響度は「マネもほどほどに...」という注意書きが当時の新人賞の要項に書かれるほどだったそう。

14.遊☆戯☆王 作:高橋和希 1996年42号 - 2004年15号

正直マンガ作品としての完成度は大したことない。だが集英社における映像媒体以外のメディアミックスとして最大の成功例であり、TCG日本に定着させた初めての作品であり、暗黒期の集英社(とコナミ)に莫大な富をもたらしたこと重要お金正義

15.ONE PIECE 作:尾田栄一郎 1997年34号 - 連載中

大河ドラマ的な作風であったり、連載中であったり、作画コストが高すぎたりで他作品へ与えた影響がまるで感じられない(マネしたくてもできない)点が評価を迷うポイント。それでもなんだかんだ国民マンガジャンプ看板地位は譲ってない。幼少期から温めた構想を週刊連載で30年かけてやる人間って歴史存在しないと思うので、そういう意味では既にマンガの枠を超えた注目度になりつつある。

16.HUNTER×HUNTER 作:冨樫義博 1998年14号 - 連載中

残酷で先の読めない展開、異常に複雑で難解な設定、それでいて少年マンガ的なシンプルな熱さを持ち合わせた稀有作品。「続きが気になるマンガ」を描かせたら冨樫以上の人間はいない。ハンタ最終回を読むまでは死ねない。

17.NARUTO 作:岸本斉史 1999年43号 - 2014年50号

まあ、国外で最も人気のあるジャンプマンガなので(適当)。

18.DEATH NOTE 作:大場つぐみ原作)、小畑健作画2004年1号 - 2006年24

サスペンス主体としたマンガとしてこれ以上ない完成度。ジャンプ作品を大別するとバトルものスポーツもの恋愛ものギャグもののどれかになるが、それ以外のジャンルで最も成功を収めた作品

19.鬼滅の刃 作:吾峠呼世晴 2016年11号 - 2020年24

ワンピース以降不在だった、圧倒的な看板力を持つマンガ趣味多様化出版不況といった逆風を跳ね返し、国民的な作品を生み出す力がマンガにまだあると示した功績がデカい。

20.チェンソーマン 作:藤本タツキ 2019年1号 - (ジャンプ+で連載中)

今のジャンプジャンルレス化している最大の要因はジャンプ+の影響であり、その代表格ともいえる藤本タツキを入れないわけにはいかない。まだそこまで顕在化してないけど、今後10年でタツフォロワー無限に産まれそうな予感がするので入れておく。

追記

一応30年くらい継続して毎週ジャンプ読んでます

ブコメでなんでこれ入ってないの?って言われた作品について

ブリーチ個人的にはリストに入れるべきか一番迷った作品るろ剣と入れ替えてもいいかも。売上的にも後世の影響的にも入っていいと思うけど、他の超長期連載作品と比べ終盤面白さを保ててなかったところがちょっとマイナス。実際掲載順もどんどん下がってたし

銀魂→人気売上的にはあり、メディアミックス成功度も高い。ただ銀魂がなかったと仮定した時のマンガ史的影響力があまり感じられないので外した

シティハンター→人気売上的にはあり、ただハードボイルドでもコメディでも上の作品複数あるように思う

テニプリ→正直候補に入れてなかったけど腐人気の拡大とテニス人口の拡大という意味ではたしかにアリだなと思った。入れ替えるならチェンソかデスノかな

ハンタより幽白→これ言うと公平性を欠いてると言われそうだが、俺は冨樫ジャンプ史上もっとも偉大なマンガであるという前提で全作品評価している。幽白は序盤の人情モノ路線打ち切り冨樫作家性が薄まっているように感じるため、より純度の高いハンタを選出。ただ未完に終わったなら幽白でもいいと思う

リンかけより聖闘士星矢→書いたように能力バトルマンガのパイオニア存在であることを重視した。1作家1作品縛りなければ入れてもいい

Drスランプ→1作家1作品縛りなければ入れてもいい

ひばりくん→もともとギャグマンガとして書かれた作品なので評価に迷う。入れ替えるならオレンジロードなんだけど、あえてオレンジロードを入れたのはジャンプギャグ要素を排した恋愛マンガをヒットさせたことによる後世への影響を重視したからなので...

はだしのゲンジャンプ掲載された期間が短すぎる

サーキットの狼ジャンプ史においてレース漫画存在感がさすがに薄すぎると思う、必然的に後世への影響力も低く評価せざるを得ない

ヒカルの碁小畑で選ぶなら流石にデスノかな

漫☆画太郎画太郎ギャグ面白いけど汎用性や他作家への影響に欠ける。なぜなら絵柄ありきで、良くも悪くもマネができないから。俺がうすたのギャグを高く評価する理由は、ストーリーににも絵柄にも下ネタにも頼らない純度の高さ(=マンガにおける笑いの一般化)にある

呪術→はっきり言って候補にも挙げてなかった。同世代チェンソ鬼滅より明確に格下だし、そもそもコンセプトがジェネリックハンタしかない以上このリストには入れられない。冨樫になくて芥見にはある面白さがあるとするならば俺とは感受性根本的に合わない

男塾→あれは劇画タッチとバトルものという過去メインストリームメタにしたギャグマンガなので、他作品の影響を大いに受けた側。このリストには入らない

2024-10-06

ヤフコメ面白いコメントあった

私の妻は腐敗しているので、魔道祖師陳情令大好きですね。エンドレス再生しているので、自然キャラ名は覚えました。

政治体制は違えど、海の向こうにも妻の同志たちがいるのか…サブカルチャーある意味偉大だなと思うと同時に、

中国にも妻の腐敗ぶりに振り回されている男性がいるのかもしれないと考えると、微笑ましい気持ちになります






ちよwww妻殺すなwwwww腐敗してるってwwww

警察仕事しろwwwwwwwww

2024-09-28

30歳超えてもオタクやってる人本当に尊敬してる

中学生位までアニヲタだったんだけど高校あたりで自然に足を洗った。

友達オタクがいなかったのと部活とか勉強アニメに打ち込む時間だんだんなくなったから。

大学入って時間が出来ても中学生の頃の情熱は戻ってこなくて、アニメをあまり見ない人の集まるコミュニティで過ごすうちにサブカルチャーではしゃぐ集団自体少し見下すような人間になっていった。

増田には小学生の頃から仲が良い友達がいて、その子は根っからオタクだ。

ブレずに好きな物を追求して美大進学して、今も好きなアニメ二次創作派生作品に夢中になっていて忙しそうだ。

高校で周囲に合わせて自分の嗜好をしまい込んだ自分とは対照的生き方をしていて、同じ趣味友達と頻繁に遊んで本音で語り合ったりしているその子増田はすごく羨ましい。

増田社会性を重視して無難人間になることを選んだけど「自分はこれが語れる」みたいなものが一つもなくて、結果本音で語り合うような友達もいない。

からかに夢中になりたくても極める集中力も関心もなくて、毎日なんとなく生きてる。

対象が何であれ夢中で居続けるって本当にすごいエネルギーがいる。

学生時代から同じトーンで好きが続いている人達は本当にすごい。

2024-09-17

異世界なろう系vs白人救世主

異世界なろう系 白人救世主
典型的プロット現代知識能力を持った主人公異世界活躍白人主人公他文化を救う物語
主人公属性 平凡な現代人が異世界特別な力を持つ。 白人男性が非白人文化を導く。
文化的背景 日本サブカルチャーに根ざす。 植民地主義異文化介入が背景。
テーマ自己成長や冒険が中心。 白人優越性や異文化救済が描かれる。
主人公の成長 力を得て異世界で成長。 異文化を救うが、自己成長も描かれることがある。
対立魔王異世界勢力と戦う。 異文化の「未熟さ」と白人指導力対立
倫理的視点 軽い倫理観で娯楽性重視。 無意識植民地主義視点
典型的メディア形式ライトノベルアニメマンガ映画文学ドラマ
成功要因 読者の願望充足と自己投影が容易。 西洋観客に受け入れられる物語構造

2024-09-10

トー横とはなんなのか?

特徴

繁華街の中にある

・有名な場所であり、不良や、家出した子供が集まる

・おのずとそれ目当ての大人犯罪者も集まる

オーバードーズドラッグ)や、売春の温床になっている

・独特な文化も育っている

警察行政の人もたくさんいるが次から次への来るので対応しきれていない

 

ChatGPT

あなた説明している場所は、しばしば「オープンエアドラッグシーン(Open-Air Drug Scene)」や「ストリートカルチャーエリア」と呼ばれることがあります。これらの場所は、主に以下の特徴を持つエリアを指します:

繁華街都市中心部位置しており、人々が集まりやすい。

若者ホームレス家出した子供などの社会的脆弱な人々が多く集まる。

非合法活動(薬物乱用、売春など)の中心となりやすい。

犯罪者ピンプなど、脆弱な人々を利用しようとする大人が集まることも多い。

•そのような状況下で独自サブカルチャーコミュニティ形成されることがある。

警察行政が頻繁に介入するが、状況を完全に管理するのは難しい。

 

このような場所の例として、アメリカの「Skid Rowロサンゼルス)」や、カナダの「Downtown Eastside(バンクーバー)」、またはオランダの「De Wallen(アムステルダム)」などがあります。これらのエリアは、ホームレス、薬物使用者、不良の若者などが集まり、関連する社会問題が集中する場所として知られています

 

Skid Row

https://www.google.com/search?q=skid+row+los+angeles&sca_esv=cd905eee47e8a54c&sca_upv=1&rlz=1C5CHFA_enJP1083JP1083&udm=2&biw=1466&bih=1168&sxsrf=ADLYWIKzOl7x7Lhq2CiXeDSL3SeI9_szAg%3A1725959774161&ei=Xg7gZq_KCZ-Pvr0P8Nfi-A8&oq=Skid+Row+l&gs_lp=Egxnd3Mtd2l6LXNlcnAiClNraWQgUm93IGwqAggAMgUQABiABDIFEAAYgAQyBBAAGB4yBBAAGB4yBBAAGB4yBBAAGB4yBBAAGB4yBBAAGB4yBBAAGB4yBBAAGB5I_G5QmkZY9F5wA3gAkAEAmAFkoAGXAqoBAzIuMbgBA8gBAPgBAZgCBqACsALCAgcQABiABBgTmAMAiAYBkgcDNS4xoAeACQ&sclient=gws-wiz-serp

 

いや、ガチすぎるだろ

ラノベ神話学」とスレイヤーズ謎本悪夢

神話学者の沖田瑞穂さんが「スレイヤーズについて研究してるし、いずれ本も出すよ」って発信したみたいだね。

https://x.com/amrtamanthana/status/1833032648148856838

Xで見た説の根拠をXの「集合知」で確認しようとしたみたいだけど、沖田さんはスレイヤーズリアルタイム読者だったけど、原作はもう手放しちゃってるらしい。

で、スレイヤーズファンの間では賛否が分かれてる感じだね。なんか適当調査を元にトンデモ本が出されるんじゃないかって不安があるみたい。

発端の質問ちょっと曖昧だったのも一因かもしれないね。「自分でも原作確認してみたけど見当たらない」みたいな一言があれば、もうちょっと印象が違ったかも。原作は手放してるみたいだけど。

リアルタイム読者なら覚えてるかもしれないけど、スレイヤーズ全盛期には便乗して出版された適当考察本、いわゆる「謎本」がたくさんあったんだよね。新書サイズほとんど無地の表紙のやつ。今も似たような本は多いけど(未完結のマンガ考察本とか特に多いよね)、当時の「スレイヤーズ秘密」はほんとにひどかったな。黄色い表紙のやつね。

具体的には、原作でリナの瞳が赤ってことはないのに、イラストなどを根拠に赤って前提でシャブラニグドゥとの関連を考察するようなトンデモ本だった。シャブラニグドゥとシュブ・ニグラスの関連にも触れてたし。スレイヤーズファンの警戒心はこのトラウマが背景にあると思う。

スレイヤーズは他のライトノベルと同じように、または他のライトノベルの先例として、神話だけでなくサブカルチャー全般パロディ要素を含んでるから学術や幅広いサブカルチャー知識があれば面白い論説ができるかもしれないね。沖田さんの本がそうなるかどうかは分からないけど。

参考になるのが沖田さんが書いた「すごい神話」って本。帯にも書いてあるけど、「鬼滅の刃」や「進撃の巨人」といった大ヒット作にも絡めて神話学の概念カンタンに語ってるんだよね。沖田さんの「ラノベ神話学」に不安がある人は、この本を読んで信頼がおけるかどうか判断するのがいいと思うよ。

具体的な例を挙げると、「鬼滅の刃は不死の鬼と死を持つと同時に愛を持つ人間の対比なのでバナナ神話」って感じ。不死と死の対比っていうテーマ鬼滅の刃に限ったことかどうかは別として、沖田さんの洞察がどうなのかは本を読んでみて判断すればいいかもね。

2024-08-30

村上隆へのオタク評価ある意味しかった

浮世絵西欧評価されたのは当時の西欧画家達が自分達の表現とは全く違う表現出会たかであるアートマーケット評価された訳ではない。同じように日本漫画アニメアートマーケットは見向きもしなかったが、一般ファン大衆文化として親しまれその独自表現映像クリエイターコミック作家達が発見して彼らに評価され影響を与えリスペクトされてきた。そのような大衆文化サブカルチャー西欧アートマーケット=ハイカルチャー価値観文脈に合うように=流通やすいように日本美術史表現技法と強引に接続、あるいは捏造したのが村上隆である村上作品を見た時のオタク達の反応はある意味しかった。浮世絵浮世絵として西欧美術史価値観とは全く別の芸術であるように日本漫画アニメは正しく漫画アニメとして世界認識してもらうべきであって立派な芸術として受け入れて貰う必要など無かった。現在ではやっとそのように受容されるようになった訳だがそれは村上のやった事とは何の関係もない。西欧権威に認められる為に戦略を考え努力して色々やってきたという村上の話を聞き実際に評価された事を受けてやっと村上隆理解できたなどというのはまさに出羽守であって植民地根性も甚だしい。そして彼の作品評価があがり村上日本でも受け入れられつつあるのだろう。だが村上はそれを本当に喜んでいるだろうか。オタククリエイターに憧れた村上自分作品が持つその恥ずかしさをわかっている。だから彼はインタビューの中で自虐的な事を何度も言う。敗戦国という発言もある。西欧基準に合わせざるを得ないいわゆる「アート」の限界を痛いほどわかっているから。

2024-08-23

anond:20240823135634

いいぞ。70歳近い俺のオヤジは「成り上がり~華と武の戦国(リンク公式HP)」とかい中国yoozooという目立たない会社の作った典型的オールドタイプソシャゲを5年以上やってることを誇ってる。

イラストテイストいかにも老人が好みそうな感じだな。略称はナリセン。

そういうチャチな娯楽に一生浸りたいならそうしたらいい。

俺はそんなタイトル人生やすのはもったいなさすぎると思うから、どうせ中国ゲームをするなら原神とかスターレイルとかゼンゼロみたいなアニメゲームサブカルチャー最先端リッチな作りのゲームPCでやるけどな。

その方がはるか文化的だと感じるし、映画やら何やらを超えたようなリアルタイムの感動体験が得られて、充実感がある上、作り手にも純粋に敬意を抱けるくらいの出来だからな。彼らの顔も知ってるし。

臭い娯楽であっても一時代を築いた立派な人々や会社組織による製品であれば、仮に現代の人目線ではそれらが評価されてないとしても、過去評価されてたもの思い出補正込みで愛し続けるってのはいいと思う。

でも新しいものを拒む人って、いろんなものに触れようとしないせいで、市場に溢れるモノの中から精髄を見抜く力が低くなるんだよ。

その結果、大昔の知ってるやつだけを選び続けるならまだマシなんだけど、大昔のもの基本的市場からはなくなっていくだろ。だから手に取るのは「昔っぽい今の製品」になる。

その領域が魔窟だから問題なんだよ。ゲームに限らずなんでも。

結局、ナリセンみたいに、何かを彷彿とさせるけどそのIP自体には思い入れはないし、作り手が何者かにすら無頓着な、アンテナの低い人をターゲットにした量産製品に吸い寄せられる。

なんとなく古い時代を感じさせてくれる、だけど中身はチャチで、「古き悪き」ソシャゲの毒が未だに残ってる製品を引き当てる、そんな貧乏くじを引きに行くことになる。

けれど本人がそれを貧乏くじだと思っていないなら、たとえそれが視野の狭さゆえだとしても、指摘はしづらいだろう。

もし本当にソシャゲ黎明期作品フリークで、あの陳腐射幸心煽ることに特化した野蛮な作りと文字画像だらけの狂気UIが好きでたまらないんだというのなら仕方ないけれども。

そうではないのに、市場の平均レベルから著しく低い水準のものをあえて選んでしまうことになりやすい、それが最新を追わない人が背負うべくして背負う業だと考えるしかない。

2024-08-07

anond:20240717044601

自分理解できないものからでしょ。

何が間違っていて何が間違っていないのか不確定なものって、無限リスクがあるから

萌え絵みたいなもん、描いてる張本人でさえ「これはこういう歴史があってこういう経緯で始まった表現技法でこういう意図で……」とか真面目に考えてないから、消費者立場じゃ結局これは何なのか知ろうと思っても知りようがない。

子どもが「ねえねえこれ何?」って訊いてきても、上手いこと返して子どもの考えが変な方を向かないように導くとかできないから。

だって何が何だかわかんねーんだもん。

まぁ、サブカルチャーってそういう曖昧なもんだからこそ面白いのだと思うし、作者が難しいこと考えてなくても責められないんだろうけどね。

2024-08-04

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

2024-07-25

anond:20240725020856

日本に対してマイナス感情を持っている人が、ブラックサムライ教材や作品に触れる機会があったとしても、

ブラックサムライ説を受け入れないんじゃないですかね?だって嫌いなのはイヤじゃない?

 

ゲームとか好きな層って日本けっこうな割合で好きなのよ

あと、黒人ラッパーはかなり日本サブカルチャー推しだったりしま

AKIRAドラゴンボール宮崎アニメなど硬派・普遍性のあるタイトルだけではなく、

美少女アニメゲームや厨二アニメもチェックしている

なんでも、子ども時代差別や逆向に負けない力をくれたそうな

特にドラゴンボール黒人アイデンティティとの親和性はなんか高いんだと

 

アニメ共振するテン年代のUSラッパーたち。響き合う作品世界

https://www.cinra.net/article/column-202106-animerap_gtmnmcl

ヒップホップアニメ両思い(カニエやリル・ウージーヴァートなど)

https://i-d.vice.com/jp/article/d3wxxm/from-kanye-to-frank-why-hip-hop-loves-anime

 

 

日本アジアに対して敵対的感情を持ってる人の場合はケースバイケースでしょ

 

というか、白人でも、ホワイトウォッシュしつつ、アフロセントリズム押し付けて、

日本人の透明化かましてんじゃねーぞ、糞レイシストが!!っておこってくれているひとたくさん見るし人それぞれよ

2024-07-14

anond:20240714115145

大体、こういうのは序盤のインパクトアイデアで読者釣ってるだけだからな。サブカルチャーダメなところ。

2024-07-08

anond:20240708072334

ネット上だと声がでかいけど、現実世界では100人に1人や2人が応援している程度の弱小サブカルチャーだということなので、無視だな

2024-07-02

anond:20240702161641

日本語マスターする

英語勉強したことあるはずだからかると思うが語学学習ってかなり大変なんよ。

日本人しろ6年以上英語の訓練受けてるはずなのに話したり聞いたり出来ないのは訓練受けてないから仕方ないが読み書きすらまともに出来ない人の方が多いやろ。

日本文化への理解を深める

いるかこれ?マナールール風習を覚えてもらう必要はあると思うが。

というか日本文化って何?マリオポケモンゼル伝やらせて、ファーストガンダム見せるとか?

身につけたスキル日本日本のために使う愛国心もつ

愛国心とか日本人の俺にすらないわ。日本サブカルチャーは好きだが国というか政府官僚組織には嫌悪感情がほとんどだわ。

2024-06-28

暇空が現れる土壌を自ら作り上げたリベラルサブカルチャー20

今では信じられないことだが、90年代10年代リベラル論壇でサブカルチャー作品作家について深く思考し語れているか?が論者として凄いかどうかの基準ひとつ。これが暗黙の前提だった。

から宮台真司東浩紀サブカルチャーについて語っていたし、そんな風にインテリレペゼンされるのが嫌な野良書き手と謎の小競り合いが起きて……とモメ事もその周辺で延々繰り返された。

このレペゼン枠争いはいまでも岡田斗司夫オタキングという通称だったりがその時期の文化遺産として名残が残っている。ユリイカがたまにマンガ家特集やったりしてる所なんかもこの名残のひとつだ。

何にせよこの戦いでは深く理解をする、少なくとも理解をしようと務めた者が勝者であり価値として認められていて、これだけは立場思想を問わず共有されていた。

これが10年代に一気にかわり、理解しているか?よりも反省させているか?が価値となった。迂闊な表象を出した作家企業をどれだけ炎上させ反省させたか? 理解の深さを競うゲームから一抜けし、かわりに誰かを反省させることをリベラルは選んだ。

これが便利だったのはサブカルチャー批評キャラの造形、関係性、物語世界観作家意図フェティッシュ社会反映、二次創作での扱い。そのすべてに目配せし応答できる知能が求められたが、反省させるのは目に入った刺激に反応するだけで良いので猿でも出来る事で、強力な利点だった。

から議員になりたての売れたい中年やバズりたいだけのNPO代表なんかがこぞってこの反省ブランディングに手を出すようになり、……このへんから後は皆の記憶に新しい内容がそのまま起きていった。

20年代には誰かを反省させた=凄い奴。が蔓延しきったのでそれに続いて、自分反省した=凄い奴と、どれだけ反省させたか競争に更にどれだけ反省たか競争までもが加わり不毛さとナンセンスさに更に拍車がかかった。

これは当初は理解の深さで勝負してたのに、いつしか反省の深さで勝負するようになったTBSラジオ宇多丸なんかが最もわかりやすい例だろう。

今の売れ筋はtoxicマスキュリニティで、反省アクセサリーとしては最近話題になった御茶ノ水の人なんかは全身これで固めていたし定番アイテムとなっている。

この辺りの時期ですでに宮台は映画語りだけを残し撤退していたし、東浩紀観光客キー概念とし、レペゼンの万能感から離れ不能さに留まることを選んだ。

このリベラルの入念で計画的な自滅によってサブカルチャーを通してリベラル的に何かを考える思想の蝶番そのもの場所プレイヤーの両面から壊れ修復不可能になっていった。

保守ヘイターの手によってではなく自分たちで壊すことを選び、現状フィールドに残ったのは壊すことで延命できるような既に賞味期限きれなのをごまかしている評論家だけになったし

新しく出てくるプレイヤー落合成田のようにITビジネス系とつきあう形を選びサブカルチャーにはそもそも深入りして言及する事自体まりない。

こうやって入念に登場の準備をお膳立てし、鍋も具材もすべてリベラルが自らの手で揃えきったあとに現れたのが暇空だった。

こういう流れがないとなぜ彼がやたらとHUNTER×HUNTERの話をするのかエロゲではランス10最高傑作だったという話をするのかも意味がわからないし

なぜ他の候補マンガ賢者ブランディングに対し対談で謎のクイズおじさんと化して企画破壊してまで暴くのかそのメリットが恥をなぜ上回るのかもわからないが

彼は要はこの系譜の忌み子として出てきており、リベラル論壇が自分から手放したここの客層を単におさえただけだ

そしてその上から保守っぽさアンフェミっぽさをメッキで後乗せして支持の総量を増やそうと形づくっていってるのだが、リベラルはあまりにも愚かなのでこのメッキを本体だと思ってミソジニー枠で処理しようとしていて、ほんとうにどこまでいっても愚かだなと感じる

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