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はてなキーワード: 画家とは

2021-04-19

本の内容と全然合わない表紙どうなの

紙の本が好きなのだけれども、漫画アニメ風の絵が表紙だと正直言って手にとりにくいのよね。それでも内容に沿うもの邪魔しない絵ならたまには良いかと買うけれども、時に内容と何の関係もない絵だと申し訳ないけど遠慮してしまます。というよりも怒りのほうが強いのです。いくら名のある画家でも人気のあるマンガ家でも、もう少し中身に寄せてくれよと。そして、勝手な絵を描くほうも描くほうだけれど、そんなのを唯々諾々とありがたく採用する編集長や著者にも腹が立つ。みなさんああいうの許せます

2021-04-17

画家名前で妻が混乱する。

私はジョアン・ミロが好きで画集を眺めたりしているのだが、私の横では妻がしょっちゅう混乱している。

妻「この人は?」

私「ミロ」

妻「?…この前、美術館で見たのは?」

私「あれはミレー

妻「??…この前、テレビでやってたのは??」

私「あれはモネ

妻「???…昔、✕✕に行った時に見たのは???

私「あれはクレー

妻「??????

私「コローという人もいるよ」

妻「???????」

こんな感じ。

2021-03-25

anond:20210325162450

教会の力が強かった時代壁画は裸の絵ばっかりじゃん

しかもそれを一流の画家に作らせて目立つ場所に設置して恥じない心

神父修道士神学校の人らってエロ漫画作者の前世みたいな連中で占められてるんだろうな

いかがわしい

2021-03-19

anond:20210319084322

私は中途半端ではなく「正規公認された正統派である

しかし、世の中を見渡すと、もうそんな人間はどこにもいない。

トータルセリーやアンフォルメルやニューペインティング嫡子すら日本からもう絶滅するだろう。

かつてはコピー機の前で一生懸命待ちぼうけで、これが勉強だった。

今そんなことをするやつはだれもいない。

画家世界だと、もう1980年代からわかんなくなっちゃってるらしい。私はその世界にいないのでくわしく知らないけど。

2021-03-08

必読書コピペマジレスしてみる・やっぱりオススメの21冊編 (2)

戻る→ anond:20210308081829

デュマ・フィス「椿姫

個人的にはオペラよりも好きかもしれない。特に、愛した女性の墓を掘り起こして遺体に直面するシーンがあるところとか。不毛愛情というか、すれ違いや失恋ばかり読んでいたことがあり、これを読んだのもそんな時期だ(「エフゲニー・オネーギン」とか「マノン・レスコー」とか)。というか、そもそもオペラって「乾杯の歌」とかすごい好きなんだけど、台詞聞き取りにくいし、台詞を同時に歌う箇所もあるし、なんか難しい。

ちなみに主人公独白に曰く、「ああ! 男というものは、その偏狭感情の一つでも傷つけられると、実にちっぽけな、実に卑しい者になってしまものです」。……バレましたか

野尻抱介太陽簒奪者」

自分日本SFを読むきっかけになった人で、ハヤカワのJA文庫小川一水とか林譲治とかが特に好きだった。

この作品は、太陽の表面に異星から物体によってメガストラクチャーが作られ、日光を奪われた人類が滅亡の危機に瀕するのだが、若干のネタバレを言うと、最初からエイリアンには悪意が全く存在していなかった。僕はそんなところが好きだ。基本的自分の好きなシチュエーションは、他者との接触により悪意はないにもかかわらず傷つく、というのがあるのだ。

ちなみに日本SF作家をより広く読むようになったのは大森望日下三蔵の年刊日本SF傑作選のおかげ。感謝感謝

オルハン・パムク無垢博物館

三十歳で婚約者がいるのに、親戚の十八歳の女の子に手を出しちゃったダメな人が主人公結婚約束をした女性から婚約を破棄されてしまい、彼は思い出の品を集めた博物館を作りだす。イヤリングはともかく、自分が家をのぞき見た瞬間を画家に描かせた作品や、下着までも集めているあたり、ただの変態である。帯には「愛に生きた」とあるけれど、愛情というか執着や妄念であったような気がする。けれども、不毛な愛のほうが読んでいて面白い

ところでトルコという国は、女性スカーフを被るかどうかだけで政治的立場の表明になってしまう国であり(ハイヒールを履くかどうかも政治的立場の表明ではあるが、トルコはその傾向が顕著だ)、その点からも読んでいて面白い作家であった。

マヌエル・プイグ蜘蛛女のキス

映画オタクゲイ政治犯の獄中での対話劇。ゲイはどうやら看守から政治犯の様子を探るように頼まれているようなのだが、いつしか二人には友情が芽生えていく。緊張感のある対話であると同時に、ゲイお気に入り映画を語るとき調子推しについて語る幸せオタクのものである安易に神という表現は使いたくないが、語りが神懸っている。ゲイの口調が女言葉なので、少し古い訳なのかもしれないが。

リチャード・ブローティガン西瓜糖の日々」

大学時代年齢不詳の友人がいて、今も何をして食べているのかよくわからないんだけれども、今でも時々強烈な下ネタメールが来る。そんな彼が薦めてくれた小説村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の「世界の終わり」パートに影響を受けた作品を部誌に掲載したらものすごい勢いで薦めてくれた。

彼は物にこだわりがないというか、読み終えた本をよく譲ってくれた。同じブローティガン絶版になった本やシュティフターの「晩夏」などもおかげで読めた。「晩夏」はくどいのでいただいてから十年後に読んだのだが、現代小説では確実に切り捨てられる長さの風景描写を含む小説を、定期的に読みたくなる。

町田康パンク侍、斬られて候

就職のために架空宗教団体によるテロでっちあげる侍の話。時代劇の形を借りているんだけど、時代考証は完全に無視している。そして、自意識過剰人間クレーマーおバカしか出てこない語りの芸だ。だが、大体町田康作品は大体そんな感じだし、人間って元来そんなもんなのかもしれない。オチ基本的に完全に投げっぱなしだが、爆発落ちや死亡オチギャグ結構好きだったりする自分がいる。文学っていうのは自由でいいんだよ。

トーベ・ヤンソン「たのしムーミン一家

ムーミンシリーズ以外のヤンソン文学作品を選ぶべきかどうか迷ったのだがこっちにした。友人からなぜかヘムレンさんに似ていると言われていた時期があったことだし。

児童文学短篇って長篇とは違った難しさがある。短い文章と簡潔な表現という制約の中で、キャラクターを端的に表現しないといけないから。そのお手本みたいな作品がここにあり、内向的人間にやさしい世界がここにある。ちなみにとある哲学者の持っている本の名前が「すべてがむだであることについて」であり、すごく笑える。

全く関係ないが僕は萩尾望都の「11人いる!」のヴィドメニールヌームにも似ていると言われたことがある。緑の鱗に覆われた両性具有僧侶で、とても善い人で行動力もあるのだが、説明するときにやや言葉が足りない。

マリオバルガス=リョサ「悪い娘の悪戯

嘘つきで利己的で、のし上がることにしか興味がない空っぽ存在に恋をしてしまった善良な青年。「悪い娘」の人生航路は語り手の人生におおよそ十年ごとに交叉するが、一貫して彼女本位な関係に終始する。

これはどうしようもない女の子に恋してしまって、四十年間ものあいだそれを引きずった男の物語だ。地位財産もなにもかもなげうって、何度裏切られてもひたすらに与え続けた。そんじょそこら悪女ものとは格が違う。シェル・シルヴァスタインの「おおきな木」のように。

バルガス=リョサには基本的にどれも面白い

D・H・ロレンスチャタレイ夫人の恋人」。

猥褻だということで昭和時代裁判になったというので読んでみたが、どこが猥褻なのかちっともわからない。しかも、作者の思想がうるさいので文学的な美を損なっている。

表現露骨というよりも、おちんちんに花飾りを結ぶみたいなのどかヒッピー文化的な感じで、エロティシズムについては性描写の無い仏文学のほうがずっとぐっと来るものがる。しかし、時代を先取りしていていたという意味では素直にすごいと思うし、この程度で猥褻だと騒いでいた時代はさぞ不自由で息苦しかったのだろうなあとも思う。

ピーターワッツブラインドサイト

最強のファーストコンタクトものひとつで、ネタバレするとオチは「意識クオリアとはときとして生存に不利かつ無駄であり、この宇宙では淘汰される可能性がある」という絶望的な結論人間の心も愛も宇宙の中では無だ! みたいなSFが大好き。

基本的構造は「宇宙ランデブー」の変奏で、未知のエイリアン遺物の中を探検するのだが、強烈な磁場の中で意識が攪乱され様々な精神疾患一時的に患うという違いがある(実際に脳に強烈な磁場を近づけると活動する部位が変化する)。言及されるコタール症候群半側空間無視といった症状もすべて実在するが、脳科学知識がないと全部作者のほら話なんじゃないかって読者が誤解するんじゃないか若干心配

それと、ハードSFとしてはすごい好きなんだけど、どういうわけか吸血鬼が味方に出てきて(人類を捕食していた類人猿遺伝子を組み込んだ改造人間という設定)、味方のはずなのにこちらに危害を加えようとする不可解な設定があり、これは作者の吸血鬼ゾンビに対する偏愛のせいだろうが、プロットの上であまり関係がないし必然性もなく、そこが無駄に思われた。そもそもなんでそんな遺伝子組み込んだ危険なやつを作るんだ?

以上。

2021-02-23

今井宗薫茶道に通じ光宗薫ボールペン画家となった

つの世も芸能は常に宗薫とともにあった

2021-02-20

anond:20210220203506

偉大な芸術家作家俳優の中には、父は売れない画家みたいなのも多いか次世代に期待しよう。

親もクリエイターじゃないと持てない素質というのもあるんだと思う。

2021-02-12

大人になってから絵やイラストを描き始めた奴がむかつく

なんで大人になってから絵やイラストを描こうとする奴は、上手い人が積み重ねてきた努力を軽視すんの?

たとえば「大人になってから水泳をはじめました!でもプロのあの人や大会出場者のあの人みたいに上手く早く泳げなくて病みそう…」って言ってる人がいても、「そりゃ仕方ないでしょ、頑張れよ」って苦笑されるだけでしょ。昔から努力してきた人と実力比べて落ち込むとかただの身の程知らずって扱いでしょうよ。

でも大人になってからお絵かき始めました!っていう奴は、そんなのでいちいち落ち込んではよしよしされたがんの、あれなに?

その素晴らしい絵が描けるまでに十万時間も百万時間もそれ以上も自分の絵や実力と向き合ってきた人と同じことができないって嘆くの、あれなんなの?愚痴ならなんでも言っていいと思ってんの?じゃあこれも愚痴からこの増田も許せよな。

失礼なんだよ。おまえらが知らないあいだも努力を積み重ねてきた人の結果と、たかが数十時間のおまえの結果を比べること自体が、ものすごい非礼なんだよ。おまえはものすごく不躾で傲慢人間だ。

それで周囲にスルーされたり引かれたりすると、「自分が下手だからみんなが冷たい!絵の上手下手で人格まで否定されるのか!」って騒ぎ立てる。

違うよ、おまえが無礼で身の程知らずなことをやらかしてるからだよ、そもそもいちいちおまえの絵から人格まで類推するほどおまえに興味ねーよ。おまえが徹頭徹尾おまえとおまえの絵にしか興味ねーだけだよ。

上手い人はどうやってその絵を描けるようになったのかな、って一度でも考えたことがあれば、上手い人と自分を比べて落ち込むなんて傲慢なことはしない。思うことはあるだろう、でもその上手い人に届く可能性のあるところには出さない。その素晴らしい絵を描いた人に対して多少なりとも敬意を抱いてればそんなことできないはずだ。

 

多分、こんなことを言うと才能がどうのこうの言い出す奴が出てくると思う。自分だって十万時間も百万時間もそれ以上も努力してきた、それでも自分は上手くなれない、だから努力なんて意味ない、才能の問題だ、そういう奴。

たぶんあんたは努力の方向を間違えている。あるいは努力でもなんでもないことを努力だと勘違いしている。

バタフライが泳げるようになりたい」って言ってる人が延々とバタ足している。もしくは、綺麗なプールで泳ぐのが好きだからってずっとプール掃除している。例えるとそういうことだ。

そこで「どうやら自分はなにかを間違えているようだぞ?」と思えないのはまあ才能の問題なのかもしれない。

でも本当に、一度も、十万時間も百万時間努力してきたのに、一度もそんなふうに思わなかったのか?思わなかったならそれはご愁傷様だ。でもこんな長文をずっと読んできたってことはいくらなんでもそのことに気がついたはずだ。なら考えろ。

そして、気がついたことがある人間が、それでもそこから目を背けて同じ無駄なことを繰り返したなら、それは努力でもなんでもない。自分のやりたいことをやってきただけ、それだけのことを努力だと思い込んできただけだ。

よく言うよな、「努力ができるのも才能だ」って。あれは正確には「適切な努力選択できるのも才能だ」だと俺は思っている。

適切な努力尊い。だが無駄努力はただの無駄だ。いや、適切な努力をする機会を奪ったという意味では害だ。それだけ覚えて帰れ。

 

それから一応、上手くなりたいけど別にそこまで頑張って努力したいわけじゃないしなーというエンジョイ勢

俺は別にそういうエンジョイ否定しようとは思ってない。身の程知らずで失礼な物言いをしなければ全然かまわない。むしろそれが一番健全だ。見てて微笑ましいからぜひどんどんやってくれ。

アドバイスは請われたらするものであって自分から行くのは説教だ。俺はこの増田説教してるが、ほかでやろうとは思わない。上手かろうが下手だろうが描いてて楽しいのが一番いいに決まってる。

  

あと、上手い人に敬意を、というと「あの人は上手いけど性格が…」とか言い始める奴。

人格に敬意を払えなんて言ってない。いや、払ったほうがいいだろうけどそこはこの際どうでもいい。ただ、その人の積み重ねた努力に敬意を払えと言ってる。俺だって嫌いな画家やレーターくらいいる。でもそれとは別に「これが描けるのはすげーよな」って思ってる。それだけの話だ、ごっちゃにすんな。

個人としては、たとえ俺のほうが上手いとしても俺に描けない絵が描ける人は全員尊敬に値すると思っているが、さすがにそこまで言うつもりはない。

 

それから承認欲求系「人に見せたい」初心者

別に、人に見せたい褒められたいちやほやされたいという気持ち否定はしない。だが、あんたのそれは因果関係が逆でなおかつ遠回りでさらに目だけ肥えてるぶん茨の道だ。

目標にする人とか好きな絵を描く人とか、そういう人の一番古くて下手な絵を探してみてほしい。そして、今の自分がその絵と同レベルの絵を描けるかどうか考えてみてほしい。

おそらくその人はそれより下手な絵やだせえ絵を描いたこともあるはずだ。だがそれはきっと公開されていないだろう。その理由はなぜだろうか。

 

最後に、タイトル釣りです。そういう奴全員に当てはまらないとはいえそういう奴になるべく読んで欲しかった。だが無礼な真似もしたことがないのにただ傷ついた人には謝罪する。ごめんなさい。

2021-02-10

クラシックガイド増田) を見やすくしたよ。

 anond:20210210062305 (クラシックガイド) を見やすくしたよ。

 はてな記法で、分類表示した。テキストは変えていません。

 

   §1600年代前半

イタリア

ドイツ

 

   §1600年代後半

イタリア

おフランス

ドイツ

イギリス

 

   §1700年代前半

イタリア

フランス

ドイツ

イギリス

以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代

 

   §1700年代後半

古典派音楽」の時代

イタリア

フランス

  • ゴセック  (日本では「ガヴォット」だけが有名)

ドイツ

オーストリア

 

   §1800年代前半  (晩期古典から初期ロマン派

イタリア

オーストリア

ドイツ

 

   §1800年代中盤  (盛期ロマン派

ドイツ

イタリア

フランス

ポーランドフランス

ハンガリー

ロシア

 

   §1800年代後半

イタリア

オーストリア

ドイツ

フランス

チェコ

ロシア

北欧

 

   §1800年代終盤から1900年代初頭  (後期ロマン派印象派音楽

イタリア

オーストリア

ドイツ

フランス

チェコ

ポーランド

ロシア

イギリス

北欧

 

   §1900年代中盤以降  (第一次大戦終了によってロマン主義印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)

ドイツ

オーストリア

フランス

いわゆる「6人組」の時代現在でも有名なのは

現代音楽私的により重要なのは

ハンガリー

チェコ

イギリス

ソ連

間違いだらけのクラシック音楽史の表を修正してみた

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1664833

↑このブコメ賞賛されている表がかなりデタラメなので修正してみた。

とりあえず同じように1600年代から始めます。「オケゲムマショーパレストリーナジョスカン・デ・プレがないぞ」とかい意見もあるようですが、それはもっと以前だから書いていないだけです。

作曲家の「生まれた年」ではなく「主に活躍した時代」で書きます。これに文句を言っている方もおられるようですが、何故かと言うと例えば生まれは1600年代終盤だけれど音楽家として活躍し世に認められたのは1700年代になってから、といったような例があるからです。

「あれは記憶だけで描いてるから素晴らしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これも資料などは参照せず、ほぼ脳内情報だけで書いております

1600年代前半

イタリア

モンテヴェルディ(みんな知ってる「私を死なせて」)、カッチーニ(「アヴェ・マリア」が有名だが実はソ連音楽学者ヴァヴィロフの贋作。真作で有名なのはアマリッリ」)

ドイツ

シュッツ(「ドイツ音楽の父」として有名)、シャインシャイト(以上3名は「ドイツ三大S」として有名)

1600年代後半

イタリア

コレッリ(「ラ・フォリア」が有名)

おフランス

リュリバロックフランスオペラ第一人者

ドイツ

パッヘルバル(「カノン」だけが有名)

イギリス

パーセルオペラ「ディドーとエネアス」が有名)

1700年代前半

イタリア

ヴィヴァルディ(「四季」の人)、アルビノーニ(「アルビノーニアダージョ」が有名だが贋作。真作で一般に有名な曲は無い)、ペルゴレージ(「スターバト・マーテル」が有名)

フランス

クープランチェンバロ曲で有名)、ラモー音楽理論とオペラ

ドイツ

バッハ名曲多数)、ヘンデル日本では「音楽の母」などと呼ばれたが女性ではない。「メサイア」「オンブラ・マイ・フ」「水上の音楽」など)、テレマン(「食卓音楽」で有名)

イギリス

ヘンデル帰化

以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代欧州における「絶対王政」の時代とほぼ重なるという見解があります

1700年代後半

古典派音楽」の時代啓蒙思想によって理性が重視され、それが音楽に影響を及ぼした時代です。

イタリア

チマローザオペラ秘密結婚」)、パイジェッロ(「うつろな心」)、ボッケリーニ(「女ハイドン」の異名を持つが男性)、サリエリオペラ巨匠

フランス

ゴセック(日本では「ガヴォット」だけが有名)

ドイツ

グルックオペラオルフェオとエウリディーチェ」)

オーストリア

モーツァルトハイドン兄弟

1800年代序盤(晩期古典から初期ロマン派

音楽における「ロマン主義」は文学絵画よりも遅れて1800年代になってから現れます。この時期は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期です。

イタリア

ロッシーニオペラウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」など)、ベッリーニオペラノルマ」など)、ドニゼッティオペラ愛の妙薬」など)

ドイツ

ベートーヴェンヴェーバーオペラ魔弾の射手」など)

オーストリア

シューベルト未完成交響曲 D 579、歌曲集「冬の旅」など)

1800年代中盤(盛期ロマン派

音楽におけるロマン主義成熟し花開いた時代

ドイツ

メンデルスゾーンシューマン世代的にはワーグナーもここに入る(この時期はオペラ「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」など)

イタリア

ヴェルディ前期(オペラマクベス」「リゴレット」)

フランス

ベルリオーズ幻想交響曲

ポーランドフランス

ショパン

ハンガリー

リスト(本人はハンガリー人を自認したが実際はドイツオーストリア人で本来ハンガリー民族要素は無いのでドイツオーストリア音楽として捉えるのが正しい)

ロシア

グリンカオペラルスランとリュドミラ」)、ダルゴムイシスキーオペラ「石の客」)

1800年代後半

1848年革命の失敗により、ヨーロッパ音楽雰囲気も暗くなって参ります

イタリア

ヴェルディ後期(オペラ椿姫」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」など)

オーストリア

ブルックナー交響曲では4番と7番、8番が有名だが初心者に聞きやすいのはむしろ1番と6番だと思う)

ドイツ

ブラームスブルッフヴァイオリン協奏曲第1番が有名)、ワーグナー後期(楽劇トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)

フランス

オッフェンバックオペレッタ天国と地獄」など。実はドイツ人)、グノー(オペラファウスト」)マスネ(オペラタイス」など。「タイス瞑想曲」)、サン=サーンス長生きしたので今年没後100年)、フランクバッハ対位法ベートーヴェンの劇的構成ワーグナー和声を融合した究極の交響曲作曲したが実はベルギー人)、フォーレ(「レクイエム」「幻想水平線」)

チェコ

スメタナ連作交響詩「我が祖国」その中の一曲が「モルダウ」)、ドヴォジャーク(「新世界交響曲」e-moll op.95 など)

ロシア

ボロディンオペライーゴリ公」、交響詩中央アジアの草原にて」、交響曲第2番など)、バラキレフ東洋幻想曲「イスラメイ」)、ムソルグスキーオペラボリス・ゴドノフ」、ピアノ組曲展覧会の絵」)、リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」など)、チーコフスキーバレエ白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」など)

北欧

グリーグピアノ協奏曲、劇判音楽ペール・ギュント」、ピアノ曲「抒情小品集」、歌曲最後の春」など)

1800年代終盤から1900年代初頭(後期ロマン派印象派音楽

イタリア

プッチーニオペラトスカ(星は光りぬ)」「蝶々夫人(ある晴れた日に)」「トゥーランドット(誰も寝てはいかん)」など)、マスカーニ(オペラカヴァレリア・ルスティカーナ」映画ゴッドファーザー PART III」のあれ)、レスピーギ交響詩ローマの松」などローマ三部作

オーストリア

マーラー11曲の交響曲歌曲)、ヴォルフドイツ歌曲の頂点として非常に有名)

ドイツ

リヒャルト・シュトラウス交響詩ツァラトストラはかく語りき」〈映画2001年宇宙の旅」のあれ〉オペラサロメ」〈裸踊りで有名〉「薔薇の騎士」〈少女漫画オペラ〉)、レーガー(変奏曲と室内楽の達人。歌曲も秀逸)

フランス

ダンディ(「フランス山人の歌による交響曲」は初音ミクが歌った冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」の元ネタ)、ショーソン(「詩曲」、フランクの影響を受けた1曲だけの交響曲など)、ドビュッシーオペラペレアスとメリザンド」、交響詩「海」など)、ラヴェルバレエ音楽「ダフニスクロエ」、ピアノ協奏曲ト長調など)

チェコ

フェルステル、ヤナーチェクオペラ利口な女狐の物語」、村上春樹のせいで何故か有名になった「シンフォニエッタ」)、スーク(アスラエル交響曲などが有名)

ポーランド

シマノフスキ(「スターバト・マーテル」など)

ロシア

グラズノフロシア浪漫交響曲集大成した作曲家として有名)、ラフマニノフ無伴奏合唱曲「晩祷」で非常に有名)、スクリャービン神智学に陶酔した交響曲第4番「エクスタシー」と、「神秘和音」を駆使した妄想ピアノソナタで非常に有名)

イギリス

エルガー(「威風堂々」が有名だが真の傑作は交響曲第2番)、ディーリアス(「春始めての郭公を聴いて」は英語圏では誰もが知る名曲)、ヴォーン・ウィリアムズ(「田園交響曲(3番)」と「南極交響曲(7番)」が有名だが5番も捨て難い)

北欧

シベリウスニールセン交響曲第4番「不滅」が有名)

1900年代中盤以降(第一次大戦終了によってロマン主義印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)

ドイツ

ヒンデミットオペラ画家マティス」と、その音楽をまとめた交響曲が有名)

オーストリア

シェーンベルク(無調音楽12音楽創始者。彼が最初12音楽による楽曲を完成したのが1921年なので今年はシェーンベルク12音楽100周年。まず聴くばきは「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「弦楽四重奏曲第3番、第4番」)、ベルク(無調音楽12音楽調性音楽的要素を取り入れて聴きやすくした人。オペラヴォツェック」「ルル」、器楽曲では「ヴァイオリン協奏曲」が有名)、ヴェーベルン12音楽の究極として有名)。以上の3人は「シン・ヴィーン楽派」として20世紀音楽を語る上で非常に重要です。

フランス

いわゆる「6人組」の時代現在でも有名なのはプーランクミヨーオネゲル交響曲第2番と第3番はカラヤン盤もあるので聴いて下さい。このほかオラトリオ火刑台上のジャンヌ・ダルク」も泣けます。実はスイス人)。現代音楽史的により重要なのはメシアン(「トゥーランガリラ交響曲」「世の終わりのための四重奏曲」「彼方の閃光オペラアッシジの聖フランチェスコ」などが非常に有名)。

ハンガリー

バルトーク、コダーイ

チェコ

マルチヌーなど

イギリス

ブリテン(とりあえず「戦争レクイエム」は聴いておくべき)

ソ連

プロコフィエフ大人は「ピーターと狼」みたいなガキ向けの曲は聴かず「交響曲第2番」の暴力的激しさにヒャッハーしましょう)、ハチャトリアン(「剣の舞」とかいう曲は子供の頃運動会で聴いたでしょうから、そんなものより「交響曲第2番」でファシストとの激しい戦いを体感しましょう)、ショスタコーヴィチ世間一般では交響曲第5番が知られていますが、高く評価されているのは4番、8番、10番、14番など偶数番号の交響曲です。真髄はオペラ弦楽四重奏曲です)

20世紀後半以降は省略。

2021-02-06

泥棒サイン増田サイン

変な泥棒の話とかってあるじゃない。

忍び込んだ家でトイレを使うとか、そういうの。

画家が描いたものサインを入れるように自分行為サインを入れたがるというか。

絶対的匿名性を維持しなくてはいけない泥棒稼業なのに足がつくような行為をやってしま泥棒みたいなの。

そういう増田っているよね。

 

嘘松かどうかよくわからないなあ、という超絶技巧増田なんだけど、あっサイン入ってるじゃんみたいなの発見するとうれしくなる。

もちろん読み手勝手解釈全然別の人が書いてる場合のほうが圧倒的に多いのだろうけれど。

2021-01-21

西野サロンメンバーがプペルを観に行ったら期待を大きく裏切られた

先日の西野研究家https://anond.hatelabo.jp/20210119143401)だが

西野研究家なのにまだ0プペと書いたところ、ブコメで「西野研究家なのに映画行ってないのかよ」という至極まっとうなツッコミが入ったので観念して観に行った

なぜあまり乗り気じゃなかったのかというと絵本のほうのプペルがいまいちハマらなかったかである

私は西野研究するにあたり西野絵本全てと、西野以外の絵本作家の本を10冊ほど購入した。

なぜ西野研究するために他の作家の本も多数必要かというと、

私は絵本について無知だったので、他の絵本を知らないと西野絵本絵本全体でどのくらいの出来なのかを中立的目線判断できないためだ。

(なお西野絵本たちはその後新たな持ち主のもとへと旅立った)

全て読んだ結果の書評だが

とにかく処女作が一番傑作で、他は凡作というのが自分の中の評価だ。

「ほんやのポンチョ」については群を抜いて中身がなく、西野主催する「しるし書店」というWebサービスへの導線とする装置以外の意味を感じなかった。

とはいえ絵本Webサービスの導線にするという発想は今までなかったのでそこには痛く感心した。

フロント企業ならぬフロント絵本だ。他に誰がこんなことをやるだろうか

プペルも例に漏れず、西野著作パターン踏襲してるだけで優れた部分は特に感じずにいた。

ということを踏まえて今回、映画版プペルを観に行った。

ちなみに席はガラガラであった。

(これでディズニーに勝てるのか?)

(いや平日だからか?土日はもっと埋まってる?)

と余計な心配をせずにはいられなかった

東宝ロゴが流れ、吉本ロゴが流れ物語は始まった。

吉本ロゴで少し嫌な気持ちになったが、最初のつかみはバッチリだった。

隕石のような謎の物体地球に飛来し、轟音を立ててゴミを吸収し、ゴミ人間の形を成していく。

こいつは一体なんなんだ。(ゴミ人間プペルであることは絵本で知ってるが)

なにが落ちてきてそうなったのか。なぜそうなったのか。

こいつはこれからどうなるのか。

プペルのタイトルロゴまでの演出には引き込まれた。

しか問題はその後だった。

突然始まる爆音ミュージカル

ノリノリで踊るゴミ人間子供たち。

まだゴミ人間に何の感情移入もない段階だ。

しか結構長い。

一体何を見せられてるのか。時間が長く感じた。早く終わってくれ。

やばい、とんでもない駄作かもしれない。

大の大人たちが作った映画が冒頭から滑ってる。

お笑いの賞レースで滑り散らかしてる芸人を見てるようでこっちが恥ずかしくなった。

そんな羞恥映像ガラガラ劇場で観ている自分。ハズレを引いて滑ってる映像を見せられてる私達。

ここに自分ひとりではなく他の人たちがいるのが恥ずかしい。これにお金を払って見に来てる自分を見られたくない。

静寂の劇場の中にそういった類の気まずさが漂っている気さえした。

ゴミ人間出会主人公ビッチ。(少年名前はルビッチでプペルはゴミのほうだ)

そして始まるドタバタアクション

絵本を経てるとはいえ、まだ冒頭で特に何の感情移入もできてない二人のドタバタズッコケ寸劇を見せられてもはっきり言って、何も面白くなかった。

絵本すら見ていなかったらなおさらだろう)

ベジータが登場時にボケて面白くないのと一緒だ。

ベジータが間の抜けた事を言ったら面白いのはそれまでのクールタカビーキャラクターの積み重ねがあるからだ。

よく知らんキャラの浅い掛け合いと寸劇を見せられている。

笑いのために用意されたかのような場面で、笑いが起きそうにないのは本当に羞恥プレイだった。


その滑ってる寸劇に拍車をかけるように、スコップというまた新たなお調子キャラクターが出てくる。

一人で喋り倒し、一人でボケ倒し、自分ノリツッコミをする。

今出てきたばかりのキャラクターで何のつかみもできていないやつがこれをするのだ。

寒いひとつも笑えない、地獄だ。

これはこの調子最後まで行くのか。

席を立って帰ることを考えたくらい見てるのが苦痛だった。

映画で席を立ちたくなったのは『スーサイド・スクワッド』以来だ。



しか最後まで観た時には何度もふいに涙が溢れていた。泣く気もなかったのに気がついたら涙が出ていた。

え、普通に悪くないじゃんプペル。むしろ良いじゃんプペル。

プペルの夢の実現の部分はあまり涙腺に来なかったが、ルビッチブルーノの親子の絆にほろりと来た。

話の良かった部分は敢えて詳述しない。とにかく良い意味で期待を裏切られた。

絵本の方はそうでもなかったが、映画プペルの中盤~後半はとてもよかった。

Nプペしたくなるというのもあながち嘘ではないなと思った。

西野が歌うと胡散臭く感じるエンディング主題歌も、ロザリーナという人が歌うととても作品マッチしていて、余韻を壊すことなエンドロールを十分に彩ってくれた。

絵作りのほうの話をする。素晴らしい。

福島敦子の描くキャラクター可愛い

説明するまでもないかもしれないが、福島敦子は「ポポロクロイスシリーズキャラクターデザインを手掛けている素晴らしいアニメーター挿絵画家キャラクターデザイナーだ。

絵本のほうの絵は正直好きではなかったが、それが映画版で福島敦子の手にかかるとものすごく可愛いデザインになっていた。

福島敦子ファンであればきっと見て損はないだろう。福島敦子の繊細なタッチデザインニュアンス3Dで見事に再現したCGスタッフに脱帽。

中でも私のお気に入りデザインは、ルビッチ職場ヒゲ生やしたリーダーみたいな人で、とてもよいキャラクターデザインだと思った。

アートワーク本が欲しくなるくらいキャラクター全体が可愛かった。

声の話をする。

ビッチ役の芦田愛菜ちゃん最初の方は完全に芦田愛菜ちゃんだった。

あー、芦田愛菜ちゃんが喋ってるとしか感じなかった。

しかし後半になるにつれ完全にキャラクターに憑依していった。終わるころには芦田愛菜ちゃんが喋ってるとは感じなくなっていた。

プペル役の窪田正孝くんはもう完全に最初からハマっていた。

全く違和感がない。窪田正孝くんが喋ってるとは思えなかった。

ブルーノ立川志の輔もハマっていた。とても声優経験がないようには思えない出来だ。

小池栄子も素晴らしかった。最後エンドロールを見るまで小池栄子だと気付くことはなかった。

声優ではなく俳優を起用するとアニメファンから反発を招きがちだが、それは必ずその中に棒読みいるからで

今回のプペルでは誰も棒読みがいなくきっちりハマっていた。

そのため声で興が削がれるということはなかった。





ということで、総評としては自分は胸の熱くなるとてもいい作品だと思った。(冒頭は苦痛

絵本がそうでもなかったので、期待してなかったんだけど、やっぱり見ないとわからないよね。

まああんまり期待してなかったからこそ楽しめたとも言える。

主人公ビッチ言葉を借りて締めとする。

「誰か見たのかよっ!誰も見てないだろっ!?だったら、まだ分かんないじゃないかっ!」

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追記欄】

>この方にとって研究家キャラ”が西野経済下の信用を得る手段なのでしょうね

前の増田でも言ったけど、西野クラウドファンディングにも支援してないし他のサロンメンバーとも一切関わりがないのでそもそも西野経済圏下にいません

サロンに入る=周りと交流してるというのは大きな誤解で、入ったとてしも向こうからは何の連絡も来ないし、自主的に動かない限り何のつながりもできない

おそらく過半数自分のようなROM専だと思う

どちらかというと自分がいるのははてな信用経済圏。はてなから承認がほしい

2021-01-16

anond:20210116231624

総じて文化的経験地が低い人に好まれがちな印象はあるよね。

J-POPしか聞いて無さそうな人が好みそうな画家

2020-12-31

読み書き 微積遠近法

1000年前とか、読み書きできる人は相当レアだったんでしょ?

微積分も無かった。

場所にもよるけどトップレベル画家とかでも遠近法すら使いこなせてなかった。

今だとそこらへんの一般市民でも結構使いこなせてるよね。ウイルス原子なんて概念も知ってる。

人間がこの短期間に生物学的な進化をしたとは思えないし、これって人類知識の蓄積と教育のおかげだよね。

ちょっと違うかもしれないけどそのうち誰でも速読やフォトメモリー的なやつを使いこなせるようになったりするのかな。

能力的には今の人類にも可能だけど体系立った知識学習法が無いせいで一部の人しか習得できてないものって何だろう?

2020-12-28

anond:20201228010350

作られた時代とセットで語られたりする時点でいつどのように育った何者が作ったのかって芸術において相当重要な要素だよな。

しろ純粋作品だけで価値が生まれることの方があり得ないことだ。

どれほど優れた作品でも有名な画家作品でもなく時代的な特徴が出ているってわけでもなきゃ誰も高い金出して買ったりしないしどこの美術館にも飾られないよ。

anond:20201227174833

アーチスト属性込みでアート評価されるなんて大昔からよくある話

特に現代芸術になってからは、創作文脈までたどらないと評価にならなかったりする

年寄り絵師だって自分属性環境文脈を含めてインパクトのあるアート創作することはできるはず

76歳から絵を描き始めてアメリカ国民画家になったグランマモーゼスとかいるし

2020-12-26

 これから書くことは、すべて本当のことです。

嘘をつく人が嫌いでした。しかしながら、人間だれしも嘘をつく生き物でありましたから、僕は億劫でなりませんでした。この世界には、いったいどれほどの嘘があるというのでしょうか。それとも、嘘というものは、人間人間である以上、離れることのできない、いわば、足枷のようなものではないのか、などと考え、毎晩、眠ろうとも眠れぬ気持ちに駆られて、それから、戸棚の天板を外し、隠していた薬を口に運んで、それでようやく眠れる、というような生活を続けていたのでした。困窮した作家というのは、概してそのような生活をする生き物なのです。

知り合いの大塚くんが、わざわざ電車タクシーを乗り継いで、東京郊外にある小さな学生向けのアパートの一室にやって来て、金が無くなった、3万でいいから貸してくれ。貸してくれなければ、僕は明日にでも死んでしまうだろう、というのです。分かりきった嘘でありました。ははん、きっと彼は僕の弱さに付け込んで、競馬か、あるいはパチンコの軍資金を手に入れようとしているに違いない。僕はそう踏んで、やれ、お前のような人間に貸す金は、一円だって無い、と突っぱねました。しかし、大塚は酷くやつれた顔に、今にも死にそうな、それこそ、病床に伏した末期がんの患者のような姿で、半分泣きながら、僕にそれをねだるのでした。僕には、それを断る勇気がありませんでしたが、しかし、彼のそれを嘘であると見抜く自分の目が、また自分に嘘をついているのではないか、という疑念に駆られて、ひどく怖くなるのでした。

 とうとう、僕は彼に金を貸す決意をしたのでした。いいえ、正確には、彼の求めた額の、ほんの数分の一でしかありませんでしたが(何しろ、このとき自分も、金には困っていたのです)、しかし僕は、その、天性のだまされやすさ、とでも言うべきか、はたまた、お人よしとでも言うべきものに従って、彼にそれだけの金を、預けたのでした。そうして、しまいには、雨の降る寒空の東京に、感謝言葉……それも、見え透いた嘘でした…を口にしながら、いそいそと出ていこうとする彼を見て、僕は彼に、

「利子はいらんよ。きっと、君はい画家になる」

といって、小さくお礼の言葉を繰り返しながら、彼の背中が消えていくのを見送る始末なのでした。

 そんな小さな嘘をつく日々が、やがて行きつけの喫茶店のツケの催促状となって、僕の生活を、ゆっくり侵食し始めたのは、今年の夏になってからのことでした。ちょうど、大陸産の……はて、確かなんとかという、新種のウイルスだったと覚えています……が、巷の人々の生活を、ゆっくりと変えていくのと同じくして、僕の生活も変わっていきました。

 まずは、ある風俗嬢の話をしましょう。僕が住んでいる町は、決して良い場所ではありません。いや、僕の住むアパートの窓からきれいな太平洋の姿が見えることを除けば、とても人が住む場所とは言えないのです。人気のない、寂れた街。住んでいるのは老人ばかりで、皆、学生運動の時代の人々です。僕のような若い人は、確かに住んでいるのもいますが、しかし、数は、とても少ないでしょう。そんな場所で、僕はもう3年も住んでいます。住めば都、とはよく言ったものですが、あれがもし日本の都であるというならば、この国は、もうおしまいです。

 そんな街にも、歓楽街はあるのでした。僕はそこにある風俗店の、とある嬢と関係があって、それも、お金を払わずとも会ってくれるような、いわゆる「セックスフレンド」というやつでした。髪の毛を長く伸ばした、雅な彼女は、僕のことを襲っては、あなたとならどこまでも行きたい、というので、僕は困っていたのでした。僕からすれば、自分欲求を満たせさえすれば、他のことはどうでもよいのでした。それに、彼女もきっと、自らの境遇を少しでも良くするために、僕にすり寄っていたのです……いや、しかし、作家生活するというのは、彼女生活よりも、はるか地獄らしい地獄であることは、言うまでも無いでしょう。

 浮浪者の数、それが増えたという些細な事実に神経が過敏に反応したのは、その彼女が、ひどくやつれた顔で、いつもは情熱的な行為も半ばに、半分泣きながら、僕の方によりかかってきた時だったのです。

「どうした?」

彼女は、僕に抱き寄りました。乳はそれほど大きくありませんでしたが、悲しくありました。華奢な体が、いつの間にか、皮膚と骨だけのようになっていました。寒かったので、リモコン暖房つけました。部屋は暗く、ぼんやりとしていました。

仕事……無くなりました」

お金か?なら僕が」

「いいえ、いりません」

 彼女はぼそりと言いました。言葉が空中で、飽和しました。

「困っているのだろう? 大丈夫。僕は作家だ」

貧乏な人に恵まれるのは、嫌なんです」

 貧乏な人。

 僕はその言葉に、ただぽかんと、宙を見つめることしかできませんでした。

「そうか…」僕はそう言って、立ち上がろうとしましたが、彼女が僕の男根を触ってきたので、そのまま動かないようにしました。

彼女は、一流でした。芸術家でした。きっと、マネも、ゴーギャンも、彼女を見たら、モデルにしたいと思うでしょう。僕は彼女なすがままに、身を任せました。気が付けば、僕の横で、彼女が倒れているのです。そう、一流の芸術は、それを見ているときには、芸術とは思えないものなのです。すべてが終わった後になって、それがそうだったと気が付いて、それで、唐突に称えるものなのです。

から僕は、称えようなどとは思いませんでした。同時に、彼女を貶めようとも思いませんでした。ただ、せめて何かの助けにならないかと、思ったのです。僕は、彼女が一流の芸術家であることは知っていたのです。僕は、隣で静かに眠る彼女を起こさないように体を持ち上げると、枕元に、なけなしの現金を添えて、着替えをして部屋を出ていきました。ホテルの受付で、彼女がまだ寝ていることを告げ、足早に去りました。

寒い朝でした。僕の心も、冷たく冷え切っていました。口から吐く息が白く濁って、真っ白な東京に溶けていきました。きっと、その息の中に、僕の魂も溶けているのでしょう。あと何十万回と息を繰り返せば、僕はやがて倒れてしまうのでしょう。そんなことを思いながら、僕は行きつけの喫茶店へ向かいました。毎朝、彼女と寝た日の翌日には、その店で一杯のコーヒーを飲んで、焼き立ての目玉焼きを食べるのが習慣でした。

彼女自殺をしたと知ったのは、その翌日のことでした。

もともと、払う金もなかったのだそうです。部屋で、薬を飲んで死んでいたのでした。ベッドの上で。僕は、そう、きっとあの時、僕が目覚めた時には、彼女は部屋で、既に死人となっていたのでしょう。「この世で最も重いものは、もう愛していない女の体である」という言葉は、案外的を射ているのかもしれません。実際、彼女の体は、ひどく重かったのです。あんなに華奢で、弱弱しかったのに、です。

彼女体重は僕が最後彼女の…生きている彼女…つまり、生き生きとしているという意味での…彼女に会ったときよりも、20キロも痩せていました。彼女の住んでいる安アパート大家さんも、同じことを言っていました。僕が作家であると言って、なけなしの三流小説のいくつかを持っていくと、取材とのことであれば、と言って大家さんは僕を家に上げてくれました。初老女性でした。しわの多い、低い声の、優しそうな老婆でした。

過食症ですよ、ご存じですか」

「いいえ、まったく」嘘。この春、僕もなったばかりでした。

「食べては吐くのです。精神的な病です。この前、私のところで、彼女のために飯を作ってやったのです。彼女は一人で、5人前も食べましたが、その後すぐに、全部吐き出しました。きっと、胃袋の中身は空っぽなのでしょう。私はそれを全部ふいてやって、それから今日は遅いから早く寝なさい、と言いました。彼女も、いくらかそれを理解したようで、その日は早く眠りました。えぇ、目の色が、死んでいましたよ。あぁ言う人は、良くこのアパートを借りるんです。きっと、そうして、死ぬのです。ここは、自殺の名所なんです。あの樹海なんかよりも、ずっとね」

 いつの間にか、僕は老婆の話に聞き入っていました。滅びゆく人間の話を聞くのが、好きだったのです。枯れていく花を見つめるのを、趣味としていた僕にとって、それは当然でありました。

「ほかにも、死んだ人が?」

「いますよ。伝染病流行ってから、もう3人目です。みんな孤独ですから、私が代わりに葬式に立ち会っているのです」

 一人は、サラリーマンでした。職を失って、いわゆる、リモートワークというやつになったのだそうです。画面越しに仕事をしているうちに、あぁ、彼は、自分が、他人に見られない場所にいられることに安堵したのだ。そうして、ふと、見られないならば、死んでもいいと思ったに違いない。アパートの二階で、首を吊ったらしい。大家の話によれば、彼の部屋に入ると、糞尿を垂らしていたという。きっと、すべてをあきらめた死刑囚と同じ気持ちだったに違いない。

 もう一人は、哀れ、まだ若い女子大生。彼女は、部屋のドアノブにひもを括り付けて、死んだそうです。生気を失った人というのは、ちょうどゴム人形のようなのだとのことでした。体液で、部屋の床が変色するのです。皮膚は、とても冷たい、冷たい。彼女遺言は、ただ一行だけで、それ以外には、何もなかったといいます

寂しい

 この一行に、どれだけの言葉がないまぜになっているのか、きっと君ならわかってくれるはずです。僕も、同じことを、何度思ったのか分かりません。

 彼女は、卒業を間近に控えていました。卒業論文を書けば、良かったのです。しかし、彼女は、家庭の都合から、泣く泣く大学を辞めたのだといいます。僕とは大違いです。たくさんの猶予をもらった、モラトリアム人間とは大違いです。彼女はまじめで、多くの人に悲しまれたといいます。それも一度だって彼女のことを見たことのない人も。

 特にテレビ報道はひどいものだったといいます。僕は、もうずいぶん長いこと、テレビなんて言うものは、俗悪で、卑猥ものと一蹴して、見てもいませんでしたから、そんなニュースを知りもしませんでした。彼女の死は、政権批判タネにされたのでしょう。大家も、今の政治はだめだ、と漏らしていました。その言葉を聞いて、僕は悲しくなりました。

 一人の死です。これほどまでに、あっさりと、人が死ぬのです。

 僕は、大家に礼を言って、その帰りに、例の少女の墓を聞きました。近くの霊園にありました。立派な墓だったのです。きっと、僕は死んでも、こんな立派な墓は立ててもらえないでしょう。立ててもらえるとしても、僕は断るつもりです。

 雨が降っていました。カエルが、一匹、彼女墓石にできた水たまりで、ゲコゲコと鳴いていました。名前は、よく見えませんでした。僕も泣いていたのです。帰り際に、僕は一輪の花を見ました。何の花かは覚えていません。でも、とても、寂しいことだけは、覚えています

949。

 この数字が、何を表すのかは、ご想像にお任せします。きっと、僕のこの文章を読んだ人の多くが、ピンと来るはずです。だってあんなに毛嫌いしていたテレビが嫌でもついていて、そうして、毎日のように流れてくれば、誰だって敏感になるのですから

「またいつか」という言葉の空しさを知ります

僕は狭い6畳のアパートにいます学生向けの小さなアパートです。大の大人が、借りているのです。近所の人はみんな、学生です。

若い人というのは元気です。今日は、お隣の音楽学校の生徒が、バイト先の人たちと、ちょっとした遊びをしに行くのだといいます。僕がそれを知っているのは、アパートの部屋の壁が、とても薄いからです。前は、男と女の、汚い喘ぎ声が聞こえて、僕はいつも、すぐに部屋を飛び出して、近くの銭湯へ行き、用もないのに、やれ、世間話に花を咲かせる老人たちと、碁を打ったりしたのです。ですが、ここのところは、彼女たちの電話する声しか、聞こえてきません。あるいは、その、例の「リモート授業」とでも言うべきものを、受けているのでしょうか。

コロナ禍において[判読不能]、あるいは、私たち自覚を持つべきです。若者が[判読不能]なことをしているために・・私たちが悪い…また今度。

そんな内容のことを、表では言いながら、例の、「遊び」には、行くのです。きっとこう書いて、そう、君、この文章ネット上で見つけた下世話な君は、ここだけを切り取って、「若者の乱れた考えが云々」という、お決まり文句を言うのでしょう。僕がこう言っても、きっとそういうに違いない。お好きにしてください。僕は何もしませんし、それも見ませんから

 大人には、彼らの気持ちが分かるはずありません。きっとあなたは、この文章を読んで、そんな気持ち、皆同じだ。お前だけ特別なことのように語るな。それに、何だこの下手糞な文章は。お前は、太宰治にでもなったつもりか、というでしょう。

 みんなと同じ。

 そうです。その通りです。僕は、みんなと同じです。みんなと同じく、孤独なのです。きっと、あの病院で遅くまで働いているナース彼女も、同じです。きっと、街中へ出て、夜まで飲んでから帰る政治家も同じです。みんな孤独なのです。孤独から、寂しいから、みんな、死んでいくのです。

 みんな同じなのです。みんな同じ気持ちなのです。ですから、みんな同じなのです。

 なんとか、なる。

 そう書いた作家もおりました。みんな同じです。

 みんなで耐えましょう。みんなで耐えれば、良くなります。今こそ、農村地帯の、あの共同で助け合う気持ちが、大切なのです。みんな、そういいます

 僕の故郷では、旅人が殺されたそうですよ。バレないように、死体は埋めたそうです。ドラム缶でよく燃やしてから、埋めたそうです。みんな同じです。

 僕は作家です。ですから、僕は今、目の前で起きたり、耳で聞いたりしていることしか、書いていません。それ以外のことは、妄想は、一行だって書いていません。僕の知り合いが、首を吊りました。僕の知り合いが、電車飛び込みました。もうすぐ、始まります。みんな、合掌しながら飛び込むのです。こんな世界に、何の希望があるというのでしょうか。

 みんな「またいつか」と言って、去りました。そのいつかに、用があるのに。そのいつか、は、もうやってこないのに。

 いつか、という言葉は、とても面白いのです。いつ、という疑問の言葉に、か、という呼びかけを付けるだけで、日本人は、未来を指せます。そして、いまでないどこか、今でないどこかに、この「現在から伸びる直線上に、架空の点を置いて、それを呼ぶのです。ひもを引っ張り続ければ、必ず訪れる、「いつか」をです。

 でも、これを英語で言うと、とたんに「See you again」という言葉になって、変わります。「またお会いしましょう」というのが、直訳です。また、というのは、いつのことなのでしょうか。僕には、わかりません。

 経験は、僕と未来の僕の間に、差を作ります。もしも僕が生きていたとすれば、そこにいる僕は「彼は昔の彼ならず」という言葉通りになります。何か大きな災害が起きて、僕は死んでいるかもしれません。何か、特別なことがあって、僕は生きているかもしれません。

 一般化された苦しみを、言葉に起こしてみました。

 それでも、あなたは、大人という生き物は「みんなと同じだ、我慢しろ」というのですか。

 僕はそんなこといいません。「僕も同じです」といって、そばにいます

 それが、今の僕が吐くことのできる、精いっぱいの嘘です。

2020-12-18

漫画家って何が楽しいのかな。イラストレーターでも画家でもいいんだけど。漫画読むのは楽しいけど、描くのめんどいじゃん。特に背景とか。

2020-12-09

模写・模倣贋作・習作・パロディ海賊版二次創作について

美術専門家でも著作権専門家でもありません。

ただ少しばかり知識を蓄えた二次創作愛好家です。

正直愚痴です。

どこのジャンルでもある程度母数がいれば往々にして発生するトレパク問題が身近で起きました。

しか公式絵の事実上トレス

厳密には計測の上描き写すタイプの模写のようですが、やり過ぎて線が重なるので実質トレスです。

言い分としては、行為自体トレスではなくあくまで模写なのだからセーフだ、とのことです。

というわけで私は今、私達が美術系の漫画アニメ漫画研究会などで当然のように触れて身に付けてきた知識や知恵を全く知らない二次創作者が少なからずいることに不安を感じています

なのでここで、そうした経験から学んだなぜ模写・模倣問題視されるのか、について吐き出そうと思います

ぶっちゃけ下手な模写なら問題無いんですけどね。

そこそこ上手いんですよ。

そこんとこ素直に褒められてると受け取って承認欲求満たして自己肯定感上げてとっととステップアップしてほしいです。

もし本当にただの無知なら。

まあここで言って本人に届くとは思ってませんが。



さて、本題に入ります

無名絵描きがいたとします。

無名絵描き練習(習作)としてとある有名画家作品の模写に取り組んでいました。

最初そっくり同じに写しとっていました(模写)が、ある時「この画家の描いたネコも見てみたい」と思うようになりました。

その有名画家イヌ派だったので、お手本はイヌの絵ばかりだったのです。

そうして無名絵描きは、有名画家作品模倣(いわゆる絵柄パク)しながらネコの絵を描いてみました(パロディ二次創作)。

それはまるで有名画家の描いたネコのように見えました。

無名絵描きは嬉しくなって、近所の人達に見せびらかしました。

「上手に描けたよ!」

無名絵描きを知る人々は、口々に褒め称えてくれます

「すごい!」「本物(有名画家の絵)みたい!」

そこへ通りがかった画商が「素晴らしい!その絵を買わせてくれないか?」と持ちかけました。

無名絵描きにとっては初めての実績です!

「絵が売れた!売れたぞ!」

無名絵描きは喜びました。

近所の人達もお祝いしてくれました。

画商は無名絵描きから買った絵を画廊に飾り、新聞社電話をかけました。

大発見だ!あの有名画家の描いたネコがあった!」

なんと無名絵描きの描いたネコの絵は、有名画家の絵と間違われてしまっていたのです!

無名絵描き無名ですから、画商は無名絵描き絵描きだということすら知りませんでした。

ですからたまたま出会ったそっくりな筆使いのネコの絵を、有名画家作品と疑いもしなかったのです。

とはいえもちろん画商も目利きです、並大抵の模倣では騙されるはずなどありません。

無名絵描きはそれほど完璧に有名画家模倣していたのです。

そうしてネコの絵は、有名画家の未発表作として多いに世間を沸かしました。

意図せぬ贋作海賊版)のできあがりです。

そういうことです。

から模写や模倣は習作と呼ばれ、公にするものではないとされているのです。

パロディ二次創作)が成立するのは、それがパロディであると受け取り手にとって明らかな時だけです。

絵柄が違えば一目でパロディであると示せます

商業的なパロディ作品場合は適宜許可取りや原案表記をしています

そこそこの年齢の二次創作愛好家は知っているでしょう、青いタヌキの二次創作が訴えられた事例を。

あれは決して二次創作を締め付けようだとか見せしめだとかのためだけに訴えられたのではありません。

それを本物、公式だと勘違いした一般人がいたから海賊版の扱いをせざるを得なかったのです。

海賊版とは、公式権利者)の商売邪魔になる商品のことです。

コピー品に限らず、著作権者に無許可で売買される、著作物を利用した製品は、全て海賊版です。

よく二次創作イラスト海賊版グッズに利用されるという被害が出ていますが、絵柄が公式とある程度異なっていれば、二次創作に関連する知識のない一般人にも容易に混同されることはありません。

逆に公式そっくりな絵柄だった場合ライセンス料の分安い当該商品は売れに売れてしまうかもしれません。

公式にとっては営業妨害どころじゃ済みませんね。

有名絵師だって同じです。

憧れた二次創作者がそっくりな絵柄で二次創作をしたとします。

二次創作者本人を知らない人がたまたまそれを見かけたとしましょう。

制作者の注意書きの及ばない無断転載を含みます無断転載もしてはいけないことですが、避けようがありません)

「有名絵師さんってご自身の手掛けた作品二次創作も描かれるんですね!」

絵師さん大慌てです。

特にゲームアニメなど集団で作る作品場合絵師さんにライセンスはほぼありません。

公式絵師非公式二次創作をする場合ほとんどのケースではまず公式許可を取る必要があります

そして多くの場合公式の目の届く範囲で、非公式と注意書きを添えた上で公開しています

この辺りは私は詳しくないので深掘りはしませんが、公式絵師非公式二次創作ファン公式同然に受け取ってしまい、トラブルになりかけたこともあります

公式絵師自身の関わる作品に関して、一般二次創作者以上に慎重を求められるのです。

公式絵師の絵柄を模倣するということは、その責を公式絵師に負わせるということにもなりかねません。

ところで、先だって二次創作漫画無断転載サイト運営者が二次創作から著作権侵害で訴えられ有罪判決となりましたが、ご存知でしょうか?

原作サイドではなく二次創作からの訴えですので、二次創作作品に関して二次創作者の著作権が認められたおそらく初めての判例です。

二次創作者の権利が認められた理由として

二次創作自身の絵柄であったこ

二次創作者の考えた公式ではあり得ないようなストーリーがあったこ

の二点が大きく挙げられます

専門家解説記事リンクを貼っておくので、詳しくはそちらを読んでください。

https://t.co/SXknUu2fRf


少し大袈裟なところもありますが、とにかく二次創作公式模倣はまずいってことがもっと浸透することを願ってやみません。

偶然絵柄が似ていることも世の中にはありますが、二次創作をする際にはあえて公式から絵柄を遠去けることが暗黙の了解と言われている程です。

二次創作にまつわるリスク回避方法が少しでも伝わっていれば幸いです。

というわけで、模写・模倣は非公開の練習に留めましょう。

場合によってはトレスよりも厄介なことになりますよ。




○おまけ

イタコ漫画家はどうなんだとお思いの方もいると思いますが、大抵は知識コネを持っています

十分な知識があり、上手く立ち回れるのでしたら、頑張ってみればいいんじゃないですか?

そこまでしてやりたいのなら、ですが。

2020-12-05

anond:20201205094301

ぜんぜん基準になってませんよ。ものさしには普遍性必要なんですよ。

会田誠ダメだった。じゃあ歌麿北斎春画やギュスターヴ・クールベ世界起源はどうなのか?

そんなの誰もわかんないから今後美大は萎縮して自衛のためにセクハラ糾弾されそうな内容はどんどん自粛することになる。

富士はいいけど蛸はダメだとかそんな偏狭価値観で偉大な画家が残した仕事を切り崩していいんですかね。

大英博物館春画展が大々的に開催されて成功を収めたのに春画故郷日本では開催できる美術館なくて小さな美術館でこそこそとやるような状況がさらに拡大しちゃいますよ。

女の子はすごくえっちな絵を見たら心が傷ついちゃうんですとか裁判官はどんだけ保守的女性観してるんですか。実にくだらない。

2020-12-03

女らしい絵

印象派には女性画家がいた。ベルト・モリゾなんかが有名だ。

画像検索して見てほしいのだけど、いかにも印象派!ってかんじはするけど、他の男性作家に比べて、絵だけを見て「女が描いたな」と思ったりはしないと思う。

印象派画家の絵を描き手の男女関係なく並べても、美術史知識がなければ、描き手が男か女か分からないのが普通だろう。

しかし、日本美大卒業展に行ったりすると、これは女子が描いたなと思わせる絵がいくつもある。名前確認するとやはり女性名前

あるいは『鬼滅の刃』も「女っぽい絵」だと感じる。

だが、萌え美少女イラスト場合は、絵だけ見ても、描き手が女かどうか判別するのは難しい。

これは何故かと考えたけど、やっぱり「少女漫画の画風に影響されているか」どうかなんだろうなあ。

女子美大生の絵が「女っぽい」のも、美大行くような人は漫画好きが多いからだろう。

美少女イラスト場合は、少女漫画とは違う様式があるから性別が分からないのだろう。

となると、少女漫画伝統様式は、日本女性の絵の描き手に「女っぽい絵」というジェンダーを埋め込んでいることになる。

2020-12-02

田舎人間を描けない

東京まれ東京育ち。

物書き……というより脚本を書くような仕事をする事がある(ぼかし)けど、田舎人間を描く事ができない。

最近増田を見てても思うけど、どう頑張っても田舎と都会の人間精神性は遠い。

自分がどれだけ田舎旅行に行っても、田舎の友人を作っても、田舎に関する文献を読んでも、多分一生わからない。

物語に置いてはより色々な人物表現できる方がいい。その上で特殊仕事、例えばヤクザとか、医者とか、画家とか。そういう特性を持った人物って世の中の大多数なわけではないから、多少脚色してもバレないものなのだ

医者医療ドラマを見てこんなのあり得ないでしょ!という事はあるんだけど、大多数は医者ってこんな感じかな、と適当に思ってくれるわけ。

ただ田舎表現はそうはいかない。田舎人間は多い。田舎特有空気適当に都会の人間表現してもすぐバレるのだ。

田舎から上京してきた22歳男性、とかも描けない。ものすごく物語という物体に適合する属性だと思うんだけど、田舎から上京した時の気持ちがわからない。田舎から上京した増田を読んでも本質的理解できない。

描けない上に理解もできないので田舎田舎者を舞台にした創作物も多分正しく摂取できてない。田舎から上京してきた友人はサマーウォーズを観てベロンベロンに泣いていたが自分はもう全然からなかった。

そういう訳で僕がストーリーを構想する時にはどうしても都会人を主役にするしかなく、まあそれでも問題ないっちゃないんだが微妙バリエーションを得られないなあと思う事があるのだ。逆に田舎の人は都会人の哀愁を描けなかったりするものだろうか。渋谷に居ると空っぽを感じる、のような。

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