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はてなキーワード: 最大公約数的なとは

2024-04-11

レースジレンマ

本屋大賞について述べていた増田があったので関連した話を。

基本的にこの手の賞は作家の為ではあるものの、普段手に取らない”賞を取ったんなら触れてみる”層がメインターゲットになっている。となると、売れている=大半の人が楽しめるであろう作品に票が集まるのはごく自然で、むしろマイナー作品は票が分散して埋もれる。

票数が増えれば増えるほど最大公約数的な作品収束していく。本だけでなく全てのランキングで行われる現象とも言うべき着地点。こればっかりは致し方ない。

言いたいことは分かる「その埋もれた作品をフィーチャーしろ」と。ただ、こう言うのもアレだが売れない作品所詮売れない作品なんだ。いくら「俺は好き」と言っても人気の無いアニメは注目されねえし、売れねえ映画は誰も見ない。トートロジーになってしまうが売れるから売れるのだ。

 

じゃあどうするか。上記の通り票数が増えればその分個人意見は埋もれ、所謂世間意見収束してしまう。ならばその影響を受けにくい比較的小規模なサンプル数の少ない個人が選ぶ偏ったランキングを片っ端から見るしか無い。

まり書店が選ぶベスト作品!や年間ランキングを発表している個人ブログだ。個人でも仲間内でも構わないが自分達で作るしか無いしそうやって今ある賞は出来上がっていった。

ただし、その個人が好きで大量に見て読んで「これ良い」とする分には問題ないが、作品数が増えればその分負担がかかり、やはり人気作に回帰する現象が起きてしまう。我々の時間は有限でその全てを把握するのは不可能からだ。だから他人の選評に頼る。おおよそ外れのないであろう方へ行く。そしてまた同じ様にループする。

ある一定基準を設ける選択肢もある。ただ、毎年必ず売れてないが面白い作品が生まれるという前提のもとに成り立っているので恐らく大した作品を挙げない変なランキングとして世間からはそっぽを向かれるだろう。参考にする者からしたらそんなランキングなんてアテにならないのは言うまでもない。

2024-03-26

オタク村の奇怪な因習解説する|「検索避け」「鍵垢強要」など

検索避けしてください!」

「R18を投稿するなら鍵かけてください!」

公式タグを使わないでください!」

オタク界隈で頻出するワードである

オタク界隈には実に様々な内輪のルールが敷かれており、それを逸脱した人間は仲間内晒し上げられ叩かれることになっている。

その内輪ルールは決して明文化されたものではない。公式声明や各投稿サイト規約にも書かれてはいない。

オタク個々人の中でなんとなく醸成されたマナー、その最大公約数的な空気」によって非常に曖昧に定められたものである

男性オタクから見ると奇っ怪としか言いようのない女オタク界隈の内輪ルール

この奇習は一体どのようなものなのか。どういう理屈でなぜ作られたのか。

男性オタク諸兄に向けてそれらを紹介したい。

そもそもオタク界隈の内輪ルールとは?

そもそもオタク界隈の内輪ルールとは何なのか。

オタク界隈特有ルールと言えば、おおまかに

・「検索避け

・「公式タグの不使用

・「成人コンテンツ投稿する際には鍵垢にする」

・「カップリングの明記」

などがあげられる。(各ルールの詳細は追って説明する)

要は、「そのコンテンツを見て不快になる人に配慮しよう」という大義名分のもと様々なルールが敷かれているわけだ。

これだけ聞くと「良いルールじゃん」などと思うかもしれないがそうではない。

彼女らのルールは各サイト規約等の上位として界隈内で君臨している。

鍵垢の強要公式規約を守らない女オタクたち

わかりやすいところで「鍵垢の強要」がある。

Twitter上で成人向けコンテンツ投稿する際、投稿主は鍵垢でなければならないという内輪ルールだ。

オタク諸兄は信じられないと思うが、女性向け界隈は「エロ絵を投稿するなら鍵垢!」という謎ルール支配されている。

これは本当である

絵に心得のある男オタクは、試しにディズニーツイステッドワンダーランドエロ絵を描いてTwitter投稿してみると良い。

主人公(女)✕適当キャラ」のエロ絵をそのキャラ名のハッシュタグを添えて投稿すると、すぐにお局腐女子オタクの襲撃を受けることができるだろう。

言うまでもなく、Twitter規約上「エロ絵を投稿するときは鍵垢にしなくてはならない」などというルールはない。

画像センシティブ設定しておけばそれでOKだ。

しかし女オタク界隈ではそんな規約無効とされ、「エロ絵を投稿するなら鍵垢!」という謎の因習一般常識として語られる。

原作タグの不使用公式規約を守らない女オタクたち

さら面白いのは「原作タグの不使用」という謎ルールだ。

例えばpixiv刀剣乱舞BLイラスト投稿したとする。

このときイラストタグに「刀剣乱舞」と入れた場合、晒されて叩かれるおそれがある。

男性オタク諸兄は首を傾げるだろう。

「なんで刀剣乱舞二次創作刀剣乱舞ってタグを入れちゃいけないの?」と。

だが、女オタク界隈には公式タグ原作タグ使用してはならないという因習があるのだ。

刀剣乱舞の例では、BLに関しては「刀剣乱腐」、夢女子向けのものでは「刀剣乱夢」といったタグが使われる。


そもそも検索避けせずに原作名を書き入れることすら忌避されているのが現状だ。

Twitterにおいて刀剣乱舞BL語りなり夢語りなりをしたい場合、「と/う/ら/ぶ」等といった形で表記しなければならない。

先に上げたディズニーツイステッドワンダーランドでは「twst」といった隠語が使われる。(淫夢語録かな?)

オタク大義名分とその虚構

これらの謎ルールについて、女オタクはこう説明する。

原作者の目に触れないようにするため」

BLエロが苦手な人に配慮するため」

原作名で検索した一般人二次創作に触れないようにするため」

男性オタクであればこれらの主張にも疑問を持つことだろう。

以下、男性オタク諸兄が思うであろう疑問、反論を代わりに書いておく。

原作者の目に触れないようにするため」

そもそも原作だって自身作品検索したとき二次創作が表示されるのは織り込み済みなのでは?

自分作品BLなりエロなりが見たくないならセンシティブ除外等の設定をして検索するのでは?

自分作品エロ二次創作を作られたくないというなら二次創作規約禁止すればいいだけの話なのでは?

・それでもまだエロ絵が投稿されるなら通報すればいいだけの話なのでは?

・いずれにせよ原作者が二次創作についてどう思ってるかもわからないんだから勝手に作者の気持ち忖度して意味わからんルールを敷くのは意味不明では?


BLエロが苦手な人に配慮するため」

そもそもBLエロが苦手ならそれらをマイナス検索すればいいだけの話では?

マイナス検索利便性観点から言えば検索避けなんて逆効果しかならないのでは?

ネット検索したら不愉快コンテンツを目にする可能性があるってのは常識では? みんなそれを了承したうえでネットを使ってるのでは?

Twitter規約には「不快コンテンツに触れる可能性があることを了承してね」とあるんだしBLエロを見て不快になりたくないならTwitterやめればいいだけの話なのでは?


原作名で検索した一般人二次創作に触れないようにするため」

原作名で検索したとき公式以外のコンテンツも表示され得るなんて常識なのでは?

検索する側もファンアートが出てくる可能性なんてわかっているのでは?

・仮にわかっていない奴がいたのだとしたら単にそいつ情弱バカってだけの話であり配慮するに値しないのでは?

そもそも今のGoogle検索アルゴリズムから言って単語の合間に「/」や「.」を書いて検索避けしても意味ないのでは? 普通に検索にヒットするのでは?



オタク諸兄、ご安心いただきたい。

これらはすべて正論である

オタクの掲げる大義名分虚構なのだ

「苦手な人に配慮しよう」というのは創作者側個人勝手判断するべきことであって、他人強要できるルールではない。

オタク界隈の「検索避け」「原作タグの不使用」「エロ絵の鍵垢化」等のルールは、他人押し付けられるだけの理屈を伴っていない。

上記の疑問反論はすべて正論である

オタクの大半もそんなことは百も承知なのだ

それでも女オタクたちはこの無意味因習に囚われ続けている。

それはなぜなのか__。

地雷持ち」とかいう繊細厄介クレーマー

地雷」というワードを聞いたことはあるだろうか。

オタクの言う地雷とは自分の好みでない作品のことである

自分の好みでないカップリング作品にうっかり触れてしまった」

BLを漁っていたらうっかり自分の苦手な夢女子向けコンテンツに触れてしまった」

そんな状況のことを「地雷を踏む」などと言う。


まともな人間なら地雷を踏んでも見なかったことにして終わりだろう。

例えば「純愛ものエロ漫画を漁っていたらうっかり陵辱ものに触れてしまった」なんていうとき、男オタクの大半は好みでない作品スルーしてさっさと好みの作品を漁る作業に戻るはずだ。

あるいは、アイドル恋愛スキャンダル

大半のオタクは多少傷心するだろうが「変わらずに推し続ける」「推し変する」といった選択肢をとって終わりだ。

無論、発狂して醜態さら過激派オタクもいるが、こういったキ◯ガイTwitterスクショを貼られて周りから馬鹿にされるのがオチだろう。

しかし、女オタクは違う。

オタクの中には「自分の好みの作品以外に触れてしまった」という程度のことで発狂し暴れまわるやつが非常に多い。

オタク界隈でそんな醜態を晒せば当然Twitterスクショを貼られて馬鹿にされる流れになるだろうが、女オタク界隈ではそうならない。

しろ、「気の毒に」「わかる」「辛いよね」などといった同情と共感の声が寄せられるのだ。

そして「地雷持ちにも配慮があって当然」「傷ついている人がいるのだから配慮すべき」等の言説が優勢を占めて因習ルールに繋がっていく。

そう、女オタク界隈には繊細厄介クレーマーを許容する土壌があるのだ。

一部の繊細クレーマーに抑圧される女オタク界隈

「男オタク界隈は羨ましい。あんなふうにもっと伸び伸び創作活動をしたい」

最近特に若年の女オタクがこんなことをつぶやいているのを目にするようになった。

オタク界隈の因習規定しているのは全体の1割の繊細クレーマーだ。(1割でも多すぎるほどだが)

そして2割の女オタクはこの繊細クレーマーを眺めるうちに「創作活動では他人配慮しなければいけない!」などといった意識を内在化してしまたかわいそうな人たちだ。

そして6割の女オタクは内心繊細クレーマー共をめんどくさいと思いつつ叩かれるのは嫌なので渋々界隈のルールに従っている人だろう。

では残りの1割は?

実は最近、女オタク界隈でも「因習めんどくさい!」「明文化されてもないルールを破ったら晒されるとか頭おかしいのでは?」といった真っ当な声が聞かれるようになってきた。

これはおそらく、女オタク地位が向上したこと無関係ではないだろう。

30代以上のおばさん腐女子は「BLは隠れて楽しむもの!」「夢創作は隠れて楽しむもの!」などといった「オタク趣味は隠れてやるべき論」を聞きながら育ってきた世代だ。

だが、BLも夢創作も今では隠すべきものではなくなった。

店頭広告BL本がどんと置かれていることも珍しくない。

ネットサーフィンをしていれば女の欲望だだ漏れ女性向けエロ漫画の広告普通に流れてくる世界になったのだ。

自身オタクであること、腐女子であることを打ち明ける女性芸能人も数多くいる。

オタク趣味が広く世間膾炙して久しい世の中なのだ


オタク因習村の謎ルールは「オタク趣味は隠れてやるべき論」を背景に育ってきた。

そこに時代的な女オタク特有の要素__つまり自己肯定感を育てられなかったかわいそうなカースト底辺女が、大人になってから「〇〇ちゃんが買い食いしてました!よくないと思います!」といった、あの頃のカースト上位女の真似事をして自尊心満たしたいという欲望__が悪魔合体して育まれてきたのだ。

だが、今ではオタク趣味一般化しており、クラスカースト上位者腐女子オタク趣味をやっているなんてことも珍しくない。

そんな抑圧のなくなった世界で生きてきた若い女オタクから、ついにこの奇っ怪な因習を打ち破ろうという意識が現れてきた。

10年後の女オタクは今のオタク事情を見て腹を抱えて笑っているかもしれない。

「え、検索避けとか馬鹿じゃん笑」「原作タグ入れないと検索とき不便でしょ」

そんな真っ当で当たり前の声が大勢を占めていることだろう。

逆にいうと、この女オタク因習も滅びゆく定めであるかもしれないのだから、堪能するなら今しかないという考え方もある。

男性オタク諸兄。再度告げる。

試しにツイステッドワンダーランドの夢女子エロ絵をキャラ名のタグを付けてTwitter投稿してみてくれ。

絶対面白いことになるから

2024-03-03

anond:20240303030413

のしょうもないコメント書いた増田だけど、試しに「成人向け漫画に置き換えて」って言ってchatGPTに放り込んだらちゃんと置き換えてくれたから置いておくね。

■ 成人向け漫画に置き換えた文章:

娯楽で一番大事なのは要素・濃度の調整と表明、そして読者層の絞り込み。エロ漫画だろうが、グロテスクストーリーだろうが、ギャグ漫画だろうが、最も重要なのはここ。

そして、絶対的最適解はない。

読者毎に求めているものも違う。

重要なのは、事前にタイトルや表紙で宣言した内容に合致した要素・濃度になっていること。

たとえば貴方エロ漫画を買ったとする。

過激すぎれば「安易エロを盛り込んでる安っぽい作品だ」と感じるだろう。

薄すぎれば「もっと濃厚な表現を期待していたのに、物足りない」と感じるだろう。

エロ漫画』という作品に対して求めている濃さというものが、それぞれの読者の中に漠然とあるってことだ。

そこに対して作者はおおむね最大公約数的なもの提供するし、それに満足できない読者は勝手に「濃いめにして」とか口にする。

エロ漫画なんかは性描写の強弱を巧みに調整することで、読者に合わせたもの提供する仕組みを作っている。

漫画はまだいいんだが……これがアニメゲームなんかになると途端に面倒くさくなる。

スリリングな展開が続くアニメ集中力のある読者からすれば密度が高い体験になるが、ストーリーに興味がない読者からは「無駄過激意味不明だった」というクレームがやってくる。

ゲームで敵を弱くしすぎると退屈になり、強くしすぎても不満が出る。

同じようなモチーフを繰り返し描く漫画は退屈だと言われるが、それを一切やらずにエロシーンばかりになると読者はしょっちゅう飽きてしまうばかりで嫌になってくる。

絶妙バランスが読者毎に変わるのならば、もう出来ることは事前に「これは過激ですよ」「これは穏やかですよ」とアピールするしかない。

如何にソレを魅力的に、かつ不要な読者層にはアピールしすぎないようにやるかだ。

たとえばエロ漫画なんかには『エッチなシーンが満載!とにかくエッチなシーンが満載よ!』で売っている作品があり、そういった作品エッチな要素を楽しむのに邪魔にならない程度のストーリーしかない。

そういうった作品を「エッチだけじゃない!ストーリーも魅力的だ!」なんて売り方をすると、大失敗をする。

余計な要素を入れてしまたことが、本来の読者層を遠ざける要因になるからだ。

なんでもかんでも増やしまくればいいという発想をするのは、クリエイターとしての基本がなってないアホだ。

1冊100円ぐらいのエロ漫画が欲しくてコンビニに行って、1冊500円の4冊セットしか置いてなかったら……必要な買うかも知れないが、どうしても満足度は下がるだろう。

必要ものを適切な濃度で提供するためには、余計なものいかに削るのが重要になる。

これが出来ないと、読者は離れる。

足すことばかり考えて引くことが出来ない奴は、無能ということだ。

娯楽で一番大事なのは要素・濃度の調整と表明、そして客層の絞り込み

ゲームだろうが、ラーメンだろうが、音楽だろうが、アニメだろうが、最も重要なのはここ。

そして、絶対的最適解はない。

客毎に求めているものも違う。

重要なのは、事前に看板宣言した内容に合致した要素・濃度になっていること。

たとえば貴方飲み屋チューハイを頼んだとする。

薄すぎれば「何度も注文させて客単価あげようとしてるケチな店だ」と感じるだろう。

濃すぎれば「単位酔いたいだけならもっとキツいのを飲んでるので、ちゃんと味のバランスを考えて欲しいな」と感じるだろう。

飲み屋チューハイ』という商品に対して求めている濃さというものが、それぞれの客の中に漠然とあるってことだ。

そこに対して店はおおむね最大公約数的なもの提供するし、それに満足できない客は勝手に「濃いめにして」とか口にする。

カレー屋なんかは辛さを段階的に示すことで、客に合わせたもの提供する仕組みを作っている。

飲食店はまだいいんだが……これが映画パズルゲームなんかになると途端に面倒くさくなる。

テンポよく謎が深まっていく映画集中力のある客からすれば密度が高い体験になるが、話を聞くのが下手な客からは「難しすぎて意味不明だった」というクレームがやってくる。

ゲームで敵を弱くしすぎると簡単クリアされてしまうし、強くしすぎても不満が出る。

同じような敵を繰り返し倒しまくるゲームは水増しと言われるが、それを一切やらずにボス戦ばかりになるとプレイヤーしょっちゅう強敵に倒されてしまうばかりで嫌になってくる。

絶妙バランスユーザー毎に変わるのならば、もう出来ることは事前に「これは難しいですよ」「これは簡単ですよ」とアピールするしかない。

如何にソレを魅力的に、かつ不要な客層にはアピールしすぎないようにやるかだ。

たとえばドラマなんかには『イケメンが沢山出てくる!とにかくイケメンが沢山出てくるよ!』で売っている作品があり、そういった作品イケメンを楽しむのに邪魔にならない程度のストーリーしかない。

そういうった作品を「イケメンだけじゃない!ストーリーも魅力的だ!」なんて売り方をすると、大失敗をする。

余計な要素を入れてしまたことが、本来の客層を遠ざける要因になるからだ。

なんでもかんでも増やしまくればいいという発想をするのは、クリエイターとしての基本がなってないアホだ。

1本100円ぐらいの黒のボールペンが欲しくてコンビニに行って、1本500円の4色ボールペンしか置いてなかったら……必要な買うかも知れないが、どうしても満足度は下がるだろう。

必要ものを適切な濃度で提供するためには、余計なものいかに削るのが重要になる。

これが出来ないと、客は離れる。

足すことばかり考えて引くことが出来ない奴は、無能ということだ。

2024-02-18

中学受験成功させる秘訣

目標としている学校に通うイメージ子供に固めさせる

地頭至上主義ではなく、結局暗記が重要であるという現実から目をそらさせない

学習まんがをアホみたいに買い与える

・字を早くキレイに書くスキル重要なので鍛える

・これを4年生までにやっておく

ちょっと細かく言うと、

まず子供勉強する気にさせないと話にならないので、勉強する目的をハッキリさせる。

そのためには子供と相性がいい学校を見つけるのが大事

親の「ウチの子供がこんなだったらカッコイイゼ」というイメージではなく、子供の「こういう学校に通ったらカッコイイぜ」でもなく、子供が通って人生がいい方向に導かれそうな学校を探す。

偏差値の高い学校にとりあえず入れておけばいいは最大公約数的な正解なので、まずは子供と相性のいい学校探しをする。

これが出来てない状態スタートすると、子供モチベーションいつまでも上がらないので厳しい。

まあ中学受験組は元々頭がよくて「学校勉強アホらしすぎワロタwww教師馬鹿ばっかな中で俺だけ頭がいいから虐められてて草wwww」みたいな状態の子も多いから、「じゃあ馬鹿が少なそうな学校に行こうか」でモチベあげときゃいいことは多いんだがな。

暗記最重要はマジのガチなんだが、なまじ地頭がよくて学校の授業楽勝な子供はこの辺舐めてることが多い。

小学校テストは暗記出来なかった子を救い上げるために問題文にヒントもりもりな事があったりして、地頭があるとそれだけ拾ってれば落第回避余裕なので暗記舐めてることがある。

暗記しないと話にならない状況を浴びせてショック療法叩き込まないとスタートラインに立てない状況がままあるので、ここはなんとかしたい。

まあ歴史系の暗記ゲーをやらせ現実からせるのが早いっちゃ早いが。

逆に暗記に偏って頭使うの慣れてない子の場合は、とりあえず放置でいい。

地頭ゲーと認識するより暗記ゲーと認識してたほうが圧倒的に有利なので、変に地頭を鍛える方向に意識を向かわせるより、暗記で全部押し切る方向を目指させよう。

暗記ゲーと言っても子供に「とにかく覚えろ」と言っても中々やれるもんじゃない。

そこで学習まんがを買って読ませる。

まんがに出てきた内容が全部頭に入らなくても、イメージぐらいは頭の片隅に残る。

たとえば、コロンブスがどっち周りでアメリカに行ったのかなんて、文字で読むより絵で見るほうが分かりやすいし、なんでそうしたのかは漫画で読んだほうが分かりやすい。

基礎の基礎に対してなんのイメージも持ってない状態での暗記ほど苦痛ものはないので、まずは基礎イメージを固めてもらうためにひたすら漫画を読ませる。

学習まんがも相性があって子供にあったものを与えたい所。

くだらんギャグが出てくるのから人間模様が激しいもの受験に出てこないような細かい所まで踏み込む作品、とにかく駆け足で進むものまで色々ある。

どう選べばいいのか?答はシンプル。たくさん買え。

漫画10冊で1万円、100冊でも10万円。

塾の特別講習の値段と、学習に得られる効果を考えれば、まずは漫画を揃えるべきなのは明白だ。

早めに買っておいて子供適当タイミングで読んでくれることを願おう。

字をキレイに書くスキルについては、そもそも最初から出来てる子は問題ない。

早生まれで発育不十分なまま勉強ばかり先に進んだ子とかが、「字なんて読めればよくね?」で完全に舐めてるパターンがあったりするからその場合だけ鍛えておく。

キレイな字を書くのが早ければ早いほど問題を解く時間に余裕が出るので出来たほうが絶対にいい。

中式を振り返ってみて自分で読めないとかになると添削にも時間がかかる。

字の書き方については、もしも身についてなかった場合学校教科書は投げ捨てた方がいい。合ってなかったということだから

最初に大枠を説明せずに「あ~ん」までの書き方をいちいち丁寧に教えてひたすらなぞらせるタイプ教科書とかは、地頭がいい子には苦痛だろうからマジで投げ捨てた方がいい。

理論的にしろ感覚的にしろ、永字八法みたいな所からスタートするようなタイプの方があってる。

受験には高度な戦略必要になる!」みたいに言われることは多いが、むしろこういった地道で基礎的な所を固める方が大事だと思う。

4年生までって書いたけど、正直いつから始めても遅くはないよ。

でも高校2年生までにはやっておいた方がいいかな。

そこまでに済ませないと流石に大学受験には間に合わないからな。

2024-02-12

推し文化違和感

アイドルvtuber推し活は理解できるのだが、ホスト推し活は違うだろう。

ホストに対して客は接待される側だから生々しいんだよな。

アイドルvtuber接待の要素はあるもの最大公約数的なものに収まるけど、ホストのは1対1だからだろうな。

風俗嬢に入れあげてる男と同じぐらいみっともない印象があるんだけど、なんか女はホスト推し活してることに後ろめたさを持ってないのが不思議

2024-02-06

令和最初の5年間を代表するゲームゼルダ・ブルアカ・パルワールドの3つで決まりっぽいね

3つに共通

・親しみを感じるが唯一無二でもあるビジュアル

アクションRPG

暴力による問題解決

・ほのぼのしてて割りと残酷

ソロプレイ最後まで攻略可能

2作に共通

インターネット環境対応

・協力要素あり

女の子可愛い

なるほど。

今のゲームネット環境が前提であるとでもほざくつもりだったが、よく考えたらブルアカもパルワールドソロクリア可能なんだよな。

ぶっちゃけパルワールドマルチがメインってほどではなく、ソロの延長としてマルチがある感じだな(ARKと比べてサクサクから皆で協力しないと何も始まらんって状態じゃないのがデカイ)。

まあ売れるゲーム最大公約数ぐらいは語れそうではあるな。

ビジュアルでまずプレイヤーを惹きつけられないと何も始まらないってのは間違いない要素だろうな。

どこかで見たことがあるようなビジュアルでは似たようなゲームに埋もれて終わりだ。

ゼルダが毎回チマチマちょっとずつデザインを変えるのもユーザーに飽きられたら終わりだと思っているのだろう。

変にビジュアルが毎回一緒だとユーザーに新しい体験をさせようとしているうちに変な方向にズレてくか、ユーザーガチで飽きて終わりだからなあ。

映画が3作目ぐらいかおかしなことになりがちなのも、ユーザーを飽きさせない工夫が迷走した結果だろうな。

からといって全く真新しいものが来るとユーザーの警戒心が高まりすぎるので、どこか既存の物に近い感じにする。

そうすることで個々人の頭の中にあるクラウド的な所に保存されたイメージでどういうゲームなのかがキャプ画像を見るだけで想像もできて相乗効果だ。

絵柄とゲームジャンル乖離してないってのは大事だろうな。

たとえば、パルワールドコミカル雰囲気えぐいことをするというゲーム性と絵柄はマッチしている。

全部アクションRPGってのも見逃せないな。

コマンドポチポチ型のRPGはいい加減飽きられてきてるんだろう。

客を熱中させたいなら画面にずっと釘付けにさせた方がいいってことだ。

プレイヤースキル要求が低いゲームは段々とダレてくるのもあるな。

からといって難易度が高すぎるとプレイヤーが絞られすぎるのでアクションオンリーではなくRPGにする。

遊ぶ側が自然自分レベルに合わせた進行度で遊べるように勝手に調整されていくのがアクションRPGの魅力なんだろうな。

上手くなれば早解きが出来るし、下手くそでもいつかはクリア出来る。

でもこれをちゃんとやるならゲームバランスの調整は難しくなる。

正直この辺は運も絡むかな。

まあゼルダは流石に人海戦術とかでいい感じにやってそうだが。

アクションRPGの忘れちゃいけない要素に暴力がある。

敵を暴力で倒すのがアクションRPGだ。

これは実にシンプルで爽快だ。

ゲームルールがすぐに分かる。

敵を全部倒せ。はい終わり。

何よりこれは現代人に未だに組み込まれっぱなしの狩猟本能を適度に解消してくれる。

現代社会で獲物を堂々と狩れる場所なんて早々ないからな。

からハンマーガラクタを壊す店なんかが開かれる。

敵を殺して問題解決というシンプル世界現代人は求めているんだなあ。

世界観における残酷さは現代における重要要素だ。

一見すると暴力支配する世界に見えるが、やってみると意外と牧歌的な部分もある。

だけどやっぱこの世界暴力が全てを解決するんやっていう割り切りがある。

その割り切りの元でエグいことが色々起きていて、そのエグさを眺めてプレイヤーは安全愉悦に浸ったり可愛そうな被害者を笑ってたりするわけだな。

繰り返す暴力麻痺させないための適度な暖かさ。

そうしてリセットされた意識に再び暴力を叩き込むことで新鮮な脳内物質が出てくるわけだ。

甘味塩味で交互に楽しませるようなバランス感覚

娯楽としての重要気遣いやね。

なにより重要だと思うのが、結局のところソロクリア出来るのかってことだ。

ゼルダはほぼ完全にソロゲーだが、ブルアカソーシャルゲームだし、パルはオンラインゲームだ。

もしここで「このゲームは4人用なんだ。でもネット友達が見つかるから大丈夫だよ^^」と言われたら、ビビって遊ばない引きこもり日本には大勢いる。

ネット出会う仲間たちはクソの役にも立たない初心者だったり、説明を聞かない文盲挙げ句99999ダメージ無限に出し続けるチーターだったりの可能性がワンサカだ。

こんな状態ではクリアしたときにあるのは達成感よりもクソ味方を引かなかったことへの安堵感だろう。

まあそれはそれで独特の快感があるが、万人向けじゃない。

自分のペースで、自分の手で、ラスボスを手に掛けるっていう体験がやっぱ求められているんだろうな。

あくまで、ゲームが売れるための最大公約数的な意味でだけど。

こうしてアレコレ言ってみたが、なんかこうマジで「売れているものありがちな要素」って感じだな。

振り返ってしまうと売れるべくしてく売れているものが売れたって感じは強い。

そりゃそうだ。

刺さる人にはめっちゃ刺さるとしても、その刺さる範囲が狭いほどに売れなくなる。

スレスパはあのジャンルにおいて売れる要素の塊だが、それでもあのジャンル自体が刺さらない人が大勢いる。

アクション要素がないなら遊ばないとか、やるたびにリセットじゃ嫌だとか、そもそもカードゲームルールがごちゃごちゃしてて嫌だとか、ストーリー重厚じゃないと嫌だとか、売れなくなる要素が目白押しだ。

ストーリー的なゲームアーケード的にぶつ切りで遊ぶのは不可能ではないが、アーケード的なゲームストーリー的に遊ぶのはそもそもが無理という構造上の代替不可能性なんかもこの辺に絡んでくる。

たとえば、ブルアカエッチな見た目だから皆の前では遊べないけど、スマホゲーだから一人でこっそりは遊べるし、人前に見せて自慢したいならスクショを裏垢で公開すればいいわけで、ユーザー側の自由裁量で好きな遊び方が選べるゲームほど最大公約数的な条件下で有利って話だ。

こっからが、この話のオチなんだが、そもそもゲームの良し悪しを売れた売れてないで測るのはやっぱ無理なんじゃねえかな。

狭い範囲しかさらないけど、俺には滅茶苦茶刺さったか神ゲーだって作品が皆にもいくつかあると思うわけだ。

それこそ、outer wildsやLoL人類全員が遊ぶべきだって主張するやつがいたら、そいつが今後変なイデオロギーに染まる前に人格矯正されて欲しいと願ってしまうだろ?

売上はゲームの良し悪しを測る重要指標じゃない。

レビューの点数でさえそれぞれの好き嫌いが延々と喧嘩してるわけだ。

まあでも強いて言うなら「一見してイメージした内容から少しでもズレがないゲームであって欲しい」と思ってしまうよ。

そういう意味じゃ、ゼルダの最新作も、透明感のある学園銃撃スマホゲームも、ポ◯モンっぽい見た目のマイクラARKも、ちゃんと見た目や看板PV広告通りのゲームになってる。

そこは本当に立派だったし、そういう誠実さを持てるかは創作商売においてやっぱ重要なのかも知れねえなって。

2023-12-27

はてサ投票行動おかし過ぎる件

はてサ最大公約数的な考え方ってさ

自民党政治はノーである

しかし、野党にも支持すべき政党が見当たらない

こんな感じだと思うんだよ

実際過去ブコメ見ててもそういう内容のコメント多いし、スターも沢山ついてる

けどさ

それなら普通白票での投票になるでしょ

無条件で自民党以外のって理由で、野党投票してたら、それは今の野党のあり方に信任を与えてることになるぞ

自民が変わるには自民議席が減る必要があるのと一緒で

野党のあり方も議席が減ってやり方変えなきゃってならないと変わりようがないと思うんだがその点どう考えてるの?

2023-11-29

anond:20231129085424

どんな制度本来は各個人幸せを最大にすることがスタートラインだけど

その中でも一人一人に個別対応してたら制度が成り立たないか

最大公約数的なラインを「制度」として敷いていくことはどうしたって必要になるよ

例えば雇用平等とか給与平等とかね

そういった明確に定量化できる目標に対してはロビー活動を続けて制度化していく必要があると思う

でもそれとは別に有害な男らしさ」だとか「性的目線」とかそういう

個々人の価値観に大きく左右される部分に対しては正直な話、制度化することは難しいとも思う

2023-10-31

anond:20231031094516

もしTVがなくなってエンタメインターネット摂取する世の中になったら

「いる人」「いない人」の完全に二極化すると思うから

ざっくりした最大公約数的な総合エンターテイメントとしてのTVはそんな悪くないと思ってる。

2023-10-21

ちくハラ(ちくちく言葉認定ハラスメント)辞めて欲しい

カメラ好きなんですか。電車とかも好きそうですもんね」と言ったらちくちく言葉扱いされた。

なんで?

なんとなーく電車好きな人たちの最大公約数的なオーラがあったからそう言っただけなのに。

実際に電車も好きだったらしいけど、それを他人に指摘されたら嫌ってどういうこと?

2023-09-19

anond:20230919195640

最大公約数的なコミュニケーションと公平さを望むいわゆる普通の人と、最小公約数的に伝わればもう構わないマニアが噛み合わない理由

2023-08-27

anond:20230827193232

漫画広告は「きっとこういうものウケるだろう」って思考の元に作られているのであって

漫画広告に書かれている欲望=男オタの欲望 ではない

まずこれを理解してほしい

その上で言うなら男にとってエロ最大公約数的な欲望って前提があると思う

売るためのものなんだから少数の男オタにしかウケない表現を使うのは効率が悪い

女性向けに必ず金持ちイケメンが出てくるのと同じように

広く浅くウケるジャンルエロってだけじゃないか

2023-08-24

anond:20230824022352

人間には社会性があるからだろうと思う

人間の考える正しさは絶対ではないけれど、最大公約数的な正しさを維持できた方が、社会の中での信用は上がるのがメリット

2023-07-22

原作未読のアニメチェンソーマンファン感想を読んだ

元ツイは消されてる

https://togetter.com/li/2189001

この方は原作読了後にも同じ主張だった。

原作ファンからは圧倒的に不評だった部分に理解を示し、「何が不満なのかわからない」とした。

このアニメについて、監督のやったことに対して全面的な支持をしている感想を初めて見たので驚いた。

面白い作品というものには人それぞれ琴線に触れる部分が違うとは言え最大公約数的な解釈存在しており、メディアミックスの際はそれを表現するだけで大多数の人間は納得するものだと思っている。

特にこれだけ人気な作品であれば“面白さ”のサンプル数も豊富にあるのでみんなが求める像をイメージするのは難しくないと考えてしまう。

しかしこの方のように世間大衆の“面白さ”の感覚を持たない人間一定存在しており、あまつさえ監督なんかに抜擢されてしまった暁にはこんなに恐ろしいことが起きてしまうんだと…

誰であれ商業に振るか作家性に振るかで結果は大きく変わるものだろうが、この方と監督に関しては本当に面白いものを追い求めた結果としてああなってしまうのだなと悲しい気持ちになった。 

製作委員会みなみなさまにおかれましても商業的な失敗は望むものではないと思うので、是非メディアミックス作品監督選びの際は大衆を汲んだ人選をお願いいたします。

2023-06-10

AIイラストで抜いてる

最近pixivにアップされてる、絵師さんたちがAIに出力させた作品群で抜いてるんですよ。

AVだと局部が見えちゃってるのと、男優が映ってて没入できないので、グラビアアイドルIVで抜く生活をずっと続けてきたんですよね。アニメとかイラストでも没入感がなくてだめ。もう10代の頃からずっと。

それでも、性癖にビシッと合う作品なんてないものから最大公約数的な性的興奮で対処してきたわけですよ。

それが、最近AI技術進歩で、ありとあらゆる性癖に向けた、レベル解像度も高い作品が次々にアップされるようになってきたんですよね。

自分は体格のいい女性物理的にも精神的にも見下されるのが最高に興奮する性癖なんですけど、それを満たしてくれるAVIVもなかったんですよ。あったとしても、「う~んもう少しこういう女性だったらな…」とか「こういうシチュが欲しいんだよな…」みたいな些細な不満があって、まあそんなに理想作品なんて無いわけで、ある程度興奮できればよしとしてきたんです。みなさんそうですよね。

ところが、AIの出力したイラストだと、性癖ドンピシャのものゴロゴロ出てくる。しかもぱっと見リアルと見紛うような解像度リアル度だから、もう迷うことな絶頂を迎えることができるんです。

妥協した作品で抜いてしまうと、事後に「どうしてこんなもので興奮してしまったのか…」と自責の念が湧き上がってくるのに対して、性癖にぴたり合ったものだと、事後でも「いやこれは興奮するでしょ…」となって、全然落ち込まないから、気分が全然違うんですよね。まるで、パートナーとS○Xした後のような、心身ともに満たされる感覚

しかも、子どもは二人までにしようと妻と話し合っていて、二人目の子どもが2月に生まれて、その子育児真っ最中なので、言ってみたら自分生殖機能はもうあってもなくてもみたいなものなので、「精子無駄にしちゃった…」という背徳感にも襲われないのも大きいと思う。

ここまで来たら、後は自分プロンプトを書けるようになれば好みのイラストを出力できるわけだからさらにこの道を究められるかもしれない。そのためだけにPythonプロンプトエンジニアリング勉強してみようかとも思ってる。

2023-05-06

anond:20230505234846

本当にわかってないんだな

好みのイラストを描いてくれる絵師を探して、窓口を通して依頼して、お金を払って、みたいなことをしなくてよくなる。勿論「この絵師さんの作品でなければ駄目だ」という好みの問題はあるが、「そこまで拘らなくても最大公約数的な可愛さがあればいいかな…」ぐらいのレベルだったら、目の前のPC呪文を打てばいい。

その「好みのイラストを描いてくれる絵師」が学習されて消費されてるって話なんだが・・・

この話はプロアマ問わない

模写してみるのはある程度許容されるが、トレース忌避されるのと、似たような理屈

模写するという「努力」はある程度許容されるが、トレースするっていう手抜きは嫌悪される

作品として発表したときに、それが「トレース」だったという話をしてるからな)

ここに馬鹿どもは「AIトレースじゃねぇんだよ」という頓珍漢な回答をするが

好みのイラストを描いてくれる絵師を探して、窓口を通して依頼して、お金を払って、みたいなことをしなくてよくなる。

という使用者感想イラストレーターの嫌悪感を肯定してしまっている

本来はそのスキルを持つものが求められたものが、無償で許諾なくそスキルが吸い取られ、不要とみなされる

もちろん、産業革命機械化)とかもそうだし、いろんなものはそうした犠牲の上で成り立っているんだが

そこに目をつぶって、とれ~すじゃないしぃ~、とか言ってる奴ら醜悪

「これはいわゆるコラテラルダメージといい技術発展のための致し方ない犠牲だ」

と言ってのけるべき

2023-05-05

画像生成AIを使ってみて感じたこ

所謂ヘタレ底辺絵描き。「ペン持って自分で描くこと自体楽しいので…」とかそんなことを思っているので画像生成AIブームスルーし続けていたのだが、ここまでブームになり、かつ物凄い議論が日夜繰り広げられているのを全く知らないでいるのも如何なものかと思って、先日ローカル環境にStable Diffusionを導入した。

実際に使ってみて色々と思ったので、まだ全く使いこなせていないし完全に今更だが現時点での感想を書き残しておく。


まず結構パソコンスペックを喰うということ。自分場合持て余し気味だったゲーミングPC有効利用にもなるかなというぐらいのノリで導入したのだが、2,3年前にPC屋の店員さんと色々相談してかなり盛ってもらったPCでも、導入には時間がかかった。

また、軽量化措置を取っても、画像一つ出てくるまでにPCの箱の中身が結構な音を立てるので、寿命を消費しているなあとリアルに感じ取れる。買って数年経った以上ゲーミングPCからとあぐらをかいはいけない……。


だが、その導入を乗り越えていざ絵を作ってもらうと、本当に「それっぽい絵がちょっとした呪文でどんどん出てくる」のだ。右も左もわからないままとりあえず可愛い女の子作るか~と適当に打ち込んだ英文で、本当にそれなりに可愛い女の子イラストが出てきたのには結構感動した。

どっかのソシャゲで見たような小道具や服を着てはいるが、あくまでも「見たような」範囲に留まっているし、「見たような」ものを寄せ集めて出来上がった画面の中の女の子は、今文字通りのこのPCの画面内にしか存在しないキャラクターなのだと思うと、それはそれで謎の感動が湧いてくる。指が溶けてるとか足の向きが何かおかしいとかいった違和感は、正直この感動の前にはささいなものだった。


何度かボタンぽちぽちして気に入ったキャラクターが出てきたら、そのイラストの「seed値(イラストに発行されるidみたいなものと私は理解した)」とイラストを作るときに使った呪文メモにとっておく。

seed値を指定して、呪文重要な部分はコピペして、あとは新しいシチュエーションを付け加えたり何なりすると、全く同じキャラクターとは言わないが、保存したseed値のキャラクター面影をそこそこ引き継いだまま、様々なシチュエーションの絵を出力することができる。

この作業をしているとき、好みのモデルに注文をつけてあれこれ写真を撮ってるような気持ちになった。

このあたりはAIキャラクターイラスト学習させるなど本気で取り組めばもっともっと精度を上げることが出来るようになるのかもしれない。多分結構頭の悪いことをやっているんだろうな~とは思っている。


総じて、「イラストを描いている」という実感は薄い。というか皆無だ。

イラストを描いてくれる人をPC内にお迎えして、その人に注文をつけてあれこれやってもらう」「気に入ったキャラクターモデルになってもらって、設定したシチュエーションで指示を出して色々衣装を替えてもらったりポーズをとってもらう」みたいな感覚である

何をいまさら、といった感じだが、実際に操作してみるまで実感として理解することが出来なかった。学習元のモデルにもよるのだろうが、出てくるイラスト引用元がなんとなく察せられる程度にはどっかで見たようなものだし、これを「自分作品」として世に出そうという気は全く湧かなかった。


イラストを描く趣味とはそもそもジャンルが違うというか、これによって「イラストを描いて、上達して、発表して、交流する」ことへのモチベに悪い影響が出たかと聞かれたら、正直それは関係ないなと自分は思った。何故なら出てくる絵は(自分の絵を下書きにする拡張機能も導入してみたが)やはり自分の絵とはかけ離れて「上手すぎる」ものであり、結局今の自分の絵を上達させるには、自分で描いていくしかないと逆に強く実感させられた気すらあるからだ。


だが、「綺麗な絵を自分のために使う」という点で考えると、とにかく物凄い便利である

例えばスマホ壁紙とか、TRPGの自キャラ立ち絵とか、SNSアイコン(これはもしかするとアウトかもしれない)とか、あるいはオカズエロネタであるとか、とりあえず何らかのキャラクター自分のために手元で作っておきたいとなった時、呪文を打ち込めばAIにそれっぽいものを用意してもらえるのは本当にお手軽だ。

好みのイラストを描いてくれる絵師を探して、窓口を通して依頼して、お金を払って、みたいなことをしなくてよくなる。勿論「この絵師さんの作品でなければ駄目だ」という好みの問題はあるが、「そこまで拘らなくても最大公約数的な可愛さがあればいいかな…」ぐらいのレベルだったら、目の前のPC呪文を打てばいい。

カード絵が綺麗なだけのソシャゲ(と言ってもそういったソシャゲ自体メジャーどころではあんまりない気がするが)にはもうお金つぎ込めないな……と正直思ってしまった。ぶっちゃけいくらでも作り放題だからだ。


導入して数日なのでまあこんなもんという感じだが、とにかくこの分野の進歩は凄まじいので、イラスト趣味とは別として新しい技術として追いかけていかなければならないな~と。

いつか出力したAIイラストキャラクター自分の絵柄でリファインとかやってみたいものだが、そこに至るまではまだまだ自分の腕が足りない。

まずは溶けてしまったAI絵の女の子の指をちゃんと治してあげるところから始めた方が良いのかもしれない。


2023-05-04

AIイラストで抜いてる

最近ピクシブにアップされてる、AIが生成した作品群で抜いてるんですよ。

AVだと局部が見えちゃってるのと、男優が映ってて没入できないので、グラビアアイドルIVで抜く生活をずっと続けてきた。アニメとかイラストでも没入感がなくてだめ。もう10代の頃からずっと。

それでも、性癖にビシッと合う作品なんてないものから最大公約数的な性的興奮で対処してきたわけですよ。

それが、最近AI技術進歩で、ありとあらゆる性癖に向けた、レベル解像度も高い作品が次々にアップされるようになってきたんですよね。

自分は体格のいい女性物理的にも精神的にも見下されるのが最高に興奮する性癖なんですけど、それを満たしてくれるAVIVもなかったんですよ。あったとしても、「う~んもう少しこういう女性だったらな…」とか「こういうシチュが欲しいんだよな…」みたいな些細な不満があって、まあそんなに理想作品なんて無いわけで、ある程度興奮できればよしとしてきたんです。みなさんそうですよね。

ところが、AIの出力したイラストだと、性癖ドンピシャのものゴロゴロ出てくる。しかもぱっと見リアルと見紛うような解像度リアル度だから、もう迷うことな絶頂を迎えることができるんです。

妥協した作品で抜いてしまうと、事後に「どうしてこんなもので興奮してしまったのか…」と自責の念が湧き上がってくるのに対して、性癖にぴたり合ったものだと、事後でも「いやこれは興奮するでしょ…」となって、全然落ち込まないから、気分が全然違うんですよね。まるで、パートナーとS○Xした後のような、心身ともに満たされる感覚

しかも、子どもは二人までにしようと妻と話し合っていて、二人目の子どもが2月に生まれて、その子育児真っ最中なので、言ってみたら自分生殖機能はもうあってもなくてもみたいなものなので、「精子無駄にしちゃった…」という背徳感にも襲われないのも大きいと思う。

ここまで来たら、後は自分プロンプトを書けるようになれば好みのイラストを出力できるわけだからさらにこの道を究められるかもしれない。そのためだけにPythonプロンプトエンジニアリング勉強してみようかとも思ってる。

2023-04-20

現実的な解を探している人に理想論マウント取るのをやめろ

周回遅れの議論をしているのはお前だ。

人(労働力)は無からまれるわけではないので、その考え方は目先のことしか考えない結論ですね

人がいなくなれば経営も成り立たず会社も存続せず増田などの一般人の生涯収入が減るので現状維持増田の得ですね

批判増田の指摘は的外れ

育休制度趣旨に関してはその通りで、社会インフラ恩恵を受ける企業一定範囲人口維持にコストを割くのは理にかなっていますしか大元増田はそれを否定しておらず的外れな指摘です。

大元増田は『勤務年数が成果に繋がりづらい事務職においては出産育児を経ても職員継続して勤務してもらえるという企業側のメリット享受できず経営者や他の職員理解を得づらいので利害調整が難しい』という話をしているのに、突然『あえて言うなら「国という会社利益のための制度」です』とか言って殴り始めるのは日本語読めてるか心配レベルです。大元増田が求めているのは育休制度のものメリットではなく、経営層やしわ寄せを受ける職員が納得できる理由や、理解を得やすいより具体的なメリットの発生する制度改革であるとまともな国語教育を受けていれば読み取れるはずです。

育児休業制度現実的にどのように運用するのかが現在課題

現実の『仕事』は単一価値観に基づいて物事が決まることは少なく、管理職経営層や職員、育休制度を含む規則など相反する複数価値観に基づいて利害関係を調整した上で最終的な制度や手順に落とし込まれます。育休制度複数ある制約の一つでしかなく、大元増田管理職であることから様々な制約の中で最大公約数的な解答を見つけるのが『仕事』であり、そこでもがき苦しんでいます

育児休業制度趣旨のものは良いことであり正しいですが、『他の職員派遣社員労働環境の維持・改善』、『事務業務の質の向上』、『利益を出して給与を払い納税する』といった価値観もまたいいことであり正しいことなので、育児休業制度のものの正しさを語るだけでは不十分です。また大元増田は少なくとも育児休業制度がある社会を前提として現実制度の落とし込むために汗を流しており(それが管理職業務として理解ある態度を取っているのか本心なのかはわからないが、その差異については今回の問題実質的な影響はないだろう)、そういった人に対して「何周遅れの話をしているのか」と侮蔑言葉を投げかけるのは非常に失礼なだけではなく、無用な断絶を招く悪しき行為だと感じますので撤回謝罪をされたほうが良いのではないかと思います

特定価値観しか物事を語れないのは周回遅れ(のことが多い)

そもそも論なのですが、価値観多様化した現代において現実に発生している問題殆ど利害関係の調整が難しく、現実的な落とし所としての解がみつかっていないものであると私は考えています。その中で実際に問題解決に当たる人というのは、個別価値観の正しさは認めた上で多くの人が納得できる解を探すことがほとんどです(担当者個人の心情はどうであれ、仕事としてはそのようにしか進まないことがほとんどだと思います)。そういった人にとっては盲目的に個別価値観のみに則って「~する人は全員バカです」とマウントを取る人間は周回遅れであり、「それはそれで正しいけれどもいきなりは変えられないし現実的にどうやって実現できるか考えてるんだから黙ってろバカ」というのが本音であることも多いと思います。ただそういった人たちがいることで世論が動き、世間価値観がどちらかに寄ることで着地点が見つかることも多いので、特定価値観のみに基づく言説それ自体が悪とは思いません。ただ今回の批判増田によって大元増田会社意識が変わって問題解決することはないと思いますが。

また現実問題解決しようとする人がそれを理解していればいいのですが、仮に特定思想が強い『活動家』が仕事を始めてしまった場合自身の信じる理想にのみ基づいて仕事を進めるため大抵はうまくいきません。例えば利害が衝突する価値観に突っかかって多くの敵を作ってしまったり、理想関係の薄い業務を軽視しがちになり税金を使っているにも関わらず経理が疎かになったりといったようなことが起こりえます

anond:20230419052018

2023-04-08

skebクライアントAI絵に手を出した結果

結論 skeb欲がなくなった

自分2021年ごろからskebで絵描きさんに依頼をしていた人間だ。

毎月のskeb予算を決め、毎月1~3本、ボーナスが出る月は自分へのご褒美で5~10本程度のリクエストをしていた。

skebで依頼をしていた理由は、単純にファン絵描きさんの絵が欲しいから。あと、好きなキャラの絵が自分専用に描かれるというのがワクワクしたからだった。

依頼をしても断られたり放置されたり、時にはリクエストを受けて貰えたのに締め切りを過ぎて返金されるなんて事も多々あったけど、そんなもんだと思ってた。


で、去年の秋ごろ。NovelAI話題になり、AIの絵がガンガン出てきてpixivやらDLサイト汚染されるとTLでさんざん騒がれたあたり。

Twitterアカウントの表側ではAI否定派、絵描きさんの手描きにこそ価値がある論者をしていたんだけど、実はAI絵に興味があってこっそりAI絵を始めていた。

最初は指がおかしいとか、腕が3本あるとかで滅茶苦茶だったんだけど、時間が経つにつれて徐々に思い通りの絵を出せるようになってきた。

Twitterでは他人の絵をi2iで改変する迷惑ユーザー話題になっているが、あんな事をしなくても高品質な絵は十分に生成できると知った。

openposeの姿勢制御やら、Loraやlatentcoupleを使った構図制御やら、色々な技術を取り入れた。

そして今ではローカル環境AI絵の出力環境を設定して毎日500枚、休日2000枚以上を出力している。


正直、AI絵は革命だ。イラストを消費する側としては、これはもう革命だとしか言えない。

今まではskebでリクエストをして、決して安くない金額を払い、それでも納品されるかどうかは運しだいだったというのに、今は毎日好みの女の絵を無尽蔵に出力している。

欲しい絵があるなら描ける人にお金差し出す。相手次第でOKがもらえる。そして待つ。納品されなくても仕方ない。納品締め切り日だというのにソシャゲ生放送で騒ぎアニメ実況をし、作業が進んでいなさそうな様子を見ても決して不満を口にしてはいけない。

そんなskebのルール絵描きさんサイドに限界まで寄り添ったルールだ。

一方、AI絵は環境さえ構築すれば実質無料20秒もあれば絵が出てくる。そしてリテイクし放題。背景も頑張って描いてくれる。

この性質消費者限界まで寄り添っている。

このブログを書いている今もグラボが音を立て、俺の好きなソシャゲキャラの絵が出力されている。


この前久々にskebを見たら、トップにズラリと並んでいるクリエイターの新着絵がどれもこれも似たように見えた。

去年なら新着絵を眺めてどの人に依頼をしようかなとワクワクしていたのに、

今は金を払ってもこの程度なのか…とか、背景が適当だな…とか、この画力でお任せ一万円かよ…など、

失望や落胆に似た気持ちを抱いてしまっていた。


AI絵はどれも画風が同じだとか言うが、ありゃ嘘だ。正確には、手描きも同じだ。

売れ筋の人気絵描きは似たような画風に収束している。そしてAI絵はその画風に肉薄している。

最大公約数的な人気画風を求めれば求めるほど、その需要に対してAI絵の供給がこれ以上ないくらいにマッチしてしまう。


俺は今日も隠れてAI絵を出力しながら、Twitterでは手描き絵最高でAI絵は邪魔だと主張する絵描きに「〇〇さんの絵は最高です!」なんてリプライをしている。

skebで依頼をしようとしていた絵描きAI絵を敵視しているのを見てしまったし、赤松健議員クソリプをしているのを見てしまい、何ともいえない気持ちになった末に何も見なかったことにした。

pixivAI汚染邪魔だと不満を口にするツイートバズるのをそっとRTしながらも、pixivで高品質AI絵を見つけては保存をしている。


手描きの絵には温かみがあるのかもしれない。手料理ファストフードを同じ扱いにはできない。

が、消費者としては一枚でも多く高品質な絵が欲しいのだ。手料理を待っても作ってくれる保証が無いならコンビニカップ麺を買うのだ。

これは絵を消費する側のエゴだ。そんなことは理解している。


言ってることとやってることが正反対だ。でも、消費者は正直だ。だって便利なんだもん。安いんだもん。早いんだもん。

俺に無限給料があればskeb依頼を続けただろうけれども、残念ながらそうじゃないんだもん。

まるで隠れて肉を食うヴィーガンだ。

あるいは国際的貧困問題意識高く議論しながらも、途上国で不当に安くカカオ農家搾取して作られたチョコレートを食べているみたいだ。


で、こんな事をしていたら、skebで絵描きさんに絵を頼まないまま2月3月が終わってしまった。

バレンタインお花見シチュの絵を頼む事もなく、春が終わろうとしている。

skebをしなかったせいで浮いたお金で両親に贈り物をしたらすごく喜ばれた。


AI主義アリバイ作りのために久々のskeb依頼をしようかとも思ったが、そんな動機で依頼される側もたまったもんじゃないだろう。

俺はどうすればいいんだろう。

自分がわからない。

2023-02-21

モノの良し悪しが本当に分からない

味覚、音楽映画ファッション、その他諸々。

絵画なんかは文脈依存も強いから単に教養に欠ける部分もあるんでしょうけど。

定量化できないもの評価が非常に苦手。「適切な評価」をつけるのではなくて、そもそも評価のものをするのが。

からと言って、定量化できる部分だけを見て、マック世界一売れてるから世界一美味しい、とかは思いませんが。

「適切な評価」は、「これが世間的には良しとされるんだろうな」というのが過去経験から何となく察しがつくのですが、自分自身の思う「良し悪し」は全く浮かんでこない。

もちろん「好き嫌い」はあります

しかし、例えば食事なら気分による所が大きい。唐揚げの口の日に望みのものを食べてざっくり90点の満足度だなと思っても、別の日には全く同じものを食べて70点だったりもする。この数字も、他の料理満足度とざっくり順番に並べ、相対的整合性から適当に弾き出したきわめてアバウトなものです。

料理としての完成度も、何を以て良しとするかは「人による」としか言いようがない。人間なんて個体差はあれほぼ同じ構造なので、ある程度の普遍的感覚というものはあるのでしょうけれど。

例えば映画なら、この映画面白い面白いが、☆がいくつかと言われると困る。「普通面白さ」なら3つで、「手放しに全てを褒められる面白さ」なら5つなんでしょうけど、そうはっきりする事なんてそうそうない。そのグラデーション境界を引くのはあまりにも難しい。

ましてや「良し悪し」となれば、恐らくは個人の「好き嫌いから離れ、普遍的視点に立たなければならない。

1点刻みの100点満点で評価するとか絶対に無理です。5段階でも怪しい。悪い、普通、良いの三段階でも、大半が普通に入ってしまいそう。

その辺の人を捕まえてその場で描かせた漫画と週刊連載されてる漫画を比べたら、流石に優劣はつけても良いだろうとは思いますしかし「なぜ優れていのか」を突き詰めていくと、結局「好き嫌い」に収束してしまうのではないかと。この例での「好き嫌い」にはかなり普遍性がある(ほとんどの人が恐らく後者評価する)でしょうけど、そう極端な比較ばかりではありませんし。

感性を磨くという事についても疑問があります

ファッションに興味を持ってから、今まで変なのと思っていた服や靴をかっこいいなと思うようになった事なんかはあります

しかしそれはネットでよく言われる「情報を食べている」状態なのではないかと自問した時、違うとはっきりは言い切れない気がします。

実家が割と余裕のある方だったので、色々なものに触れる機会は与えられてきました。それが「適切な評価」を下すのに役立ってはいるのかもしれませんが、「私の評価」の基準にはなっていない気がする。

自分自身があまりに「良し悪し」が分からないもので、世の中の人間もそこまで分かってないんじゃないかと勘繰ってしまます

やれこの映画は名作だの、この料理は不味いだの、点数をつけてはいものの、ざっくりの印象を10単位でつけて、詳細の加点減点部分を表すそれっぽい1点単位数字を合わせているだけなのではないかと。

他者の顔色を伺わず、プリミティブな感性と積み上げてきた経験だけで瞬時に「あ、この料理は87点だな」なんて浮かぶ人がいるとは信じがたい。いるのかもしれませんけど。

イデアなんて言葉がありますが、物事本質的な良し悪しなどなく、(例えば服なら耐久性や透湿性、手入れの手間といった明確な評価軸であらわせないような)あらゆる評価は突き詰めると「個人的な好き嫌い」に収束するのではないかと思っています。「社会的な選好」もまた個人のそれの最大公約数的なものに過ぎないとも。あるいは、誰かしらの好き嫌いがその人の立場によって権威づけられたか

批判批評においても、対象の細部について検討はされるものの、その細部を何を以て良しとするかは価値判断がついてまわり、つまる所は好き嫌い問題になるのではないかと思います

どれだけそれらしい理由を並べて普遍性正当性を強調しても、根底個人好き嫌いしかない。

しか遡及的に見出された理屈であれ、それを言葉にして他者の「好き嫌い」を知り、時に理解し歩み寄る事は大事なのかもしれませんね。

追記

この世で本質的存在する絶対不変の軸なるものはないんじゃないかと思ってはいますが、個人好き嫌いが積み重なって形成されたある程度普遍的評価軸の存在否定していませんし、対外的には尊重しますよ。

究極的には全てに意味がなければ物差しもない、ハイ終わり。というニヒリズムではなく、無意味を認めた上でそこから価値を積み上げていく実存主義的なスタンスという事です。冷笑と言われ少々カチンと来たので、念のため。

追記

定量化できないもの数字にしたり相対評価したりするのは難しい

(以下全ての「評価対象」は定量化できないものを指す)

評価対象について知識を積み重ねて吟味することは、他者のモノの見方、感じ方を知り、時に自分の中に取り入れる事で捉え方が重層的になるかもしれない

一方で、「情報を食べる」と言われるように、良し悪しを考えるという事が他人評価軸に合わせる、他者の顔色を伺うような事にもなってしまわないか(それが全面的ダメだとは一言も言っていない)

評価対象にまつわる知識を積み重ねても、結局良し悪しを決める軸は好き嫌い帰結しないか

・「世の中一般で好かれる≒良いもの」でもない、「私が好きなもの」でもない、「私が良いと判断するもの」なるものは、何を以てして決まるのか

まとめると私が思っているのはおおよそこんな所です。

それに対して、初めから好き嫌いとはまた異なる「良し悪し」なるもの存在する事を前提として、それが分からないのは理解が足りないからだ。という反応が多かったので、あまり噛み合っていないのではないかと思いましたね。

その「良し悪し」が人々の好き嫌いが集まって作られたものを指すのなら、それは好き嫌いと同じとは言えませんが、全くの別物とも言い難い。さらに、では結局良し悪しとは「情報を食べる」事に過ぎないのではないか、という話に繋がる。

しかし、全ては好き嫌いに過ぎないという態度では美という概念をいささか否定するようで、矛盾するようですがそれもまたどうなのかなとも思ったりします。

2023-02-13

斜に構えた感性お笑いについて

ガキの頃藤崎マーケット小島よしお流行った。今や何が面白いのかはさっぱり分からないが、ゲラゲラ笑っていた。小学校ではラララライだのそんなの関係ねーだのが流行りまくっていた。ハードゲイは今でもちょっと面白いと思う。

中学の気難しい頃は居間テレビを見る事も減り、キャッチーギャグで笑う年でもなかった。友達同士でお笑い話題になる事もなく、漫画の話が多かったと思う。銀魂とかギャグ漫画日和ユーモアは新鮮で、一周回ってとかではなく逆張らず、順張りのノリで素直に面白いと思っていた。

オタクじみたのが多い男子校だったからか、グループ内ではニコ動を観てネットスラングで会話する事がクールな風潮があった。くだらないMADだかやらないかだかの話をして、PSPに落とした動画を観て盛り上がっていた。

スマホを持ってから家でまとめサイトを見るようにもなった。テレビでは見られないようなブラックでエッジが効いている「尖った」おもしろコピペを読み漁った。友達ネット受け売りで話したおもしろトークはウケが良かったが、自分言葉で喋るのが下手になったし、今でも尾を引いている気がする。

総じてテレビお笑い芸人の「浅い」笑いから、「ディープ」でマニアックな笑いを好むようになった頃だと思う。まあ誰しもムキムキのアンパンマンドラえもんのような「シュール」さを好むような感性の年頃でしょう。

一度姉に連れられて新宿ルミネ劇場へ行った事もあった。既に芸人への不信感(?)があったので、嫌々。当時の感覚で、退屈というほどではなかったが、フフッと笑える程度の面白さだった。ずっとムスッとしてるのも感じ悪いかなと思いそうはしなかったが、まあ我慢しようと全然耐えられる感じだ。一切笑えないコンビも少なからずいた。偉そうに素人素人言ってプロ面する癖にこんなもんか、というのが感想だった。

高校の頃にはすっかりネットに毒され捻くれまくったガキになったので、順当にテレビお笑いが嫌いだった。「マスゴミ」が大嫌いで、バラエティ番組を観てるいような人間低俗に思えた。捻くれた性格インターネットへ導いたのか、本当にネットに毒されたのか、あるいは相乗効果なのかは分からない。

この表現は嫌いだけれど、高校にもなるとクラスで「陽キャ」と「陰キャ」とがかなりはっきりと分かれる。それについて色々と気にかける事も多い年頃だ。無論自分後者で、それが「捻くれた自分」をアイデンティティにしようと思わせた部分もあるのかもしれない。

昔よくあったネタ見せ番組は消え、芸人を名乗りながらネタも見せない(劇場での興行が基本という感覚がなく、ネタテレビで見せるものだと思っていた)。ロケで飯を食ったりスタジオトークするだけ。こちらは芸人の先輩後輩など知りもしないのに、内輪ノリでくだらないギャグ愛想笑いする彼らに嫌悪感すらも覚えていた。

思春期の焦燥に強く駆られる時期で、「低俗である笑いを求める事自体が減った気がする。などと言いつつ、学年中で淫夢流行り、とにかく会話に語録を挟むのがクールだった(最悪)。最初は「は?野獣先輩?114514って何?おもんな……」と心の底から思ったたものだが、無事イキスギィでゲラゲラ笑う身体になった。今思えば凡庸オタク高校生だが、当時はゲイポルノで笑うヤベー俺ら、みたいな意識があった気がする。

大学生になり、流石に対外的社会性の大切さに気が付き、斜に構えた態度は内面SNSで大切に留めておくようになった。

普通」になりたいとは特に思わなかったが、普通の何たるかは知っておいた方が良いと思い立った。その一環として、人気バラエティの「相席食堂」を観てみた。面白いと言われている回を選んで観たところ、これが中々面白かった。いつしか素直に楽しむようになり、シリーズ最初から通して観ていた。その最中かまいたち山内が出た回が強烈につまらず、不快感すら覚えた。つまらない癖にsupremeを着ていたのに余計腹が立った。消えかけていた芸人への嫌悪感が急激に吹き出した。

まり不快で、逆に興味が湧き色々と調べてみた。M-1なるお笑い漫才)界最大の大会存在と、かまいたちがそこでかなりの結果を残している事を知った。

自分漫才特に嫌いだった。コント面白いと思った事はあるが、漫才で笑った事はそれまで人生で一度も無かった。これはよく言われるエンタの罪なのかもしれない。ジャリの頃好きでよく観てたので。

こんなにつまらない芸人が最大の大会で良い結果を残せるなんてどれだけお笑い界はレベルが低いんだと思い、ネタを観てやろうと思った。2018だか19だかのM-1を観た。

かまいたちネタを見て、初めて漫才で声を出して笑った。面白かった。優勝したミルクボーイよりも面白かった。この時完全に芸人への嫌悪感が吹き飛んだ。内輪ネタや共有されたミームに頼らない、最大公約数的なお笑いでここまで面白くできるのかと。毎年M-1を観るようになった。良いと思う芸人バラエティも。

その後数年経ち、やや熱は冷めてきた。テレビお笑いつまみ食いして、自分芸人テレビ的笑いが好きというよりは、単にかまいたち他数コンビが好きなだけだったのだろうなと思った。

ただ、得られた事がある。フン、つまんね。これでプロなのか。などと思いながら品定めをするように観るのが間違いだった。笑いを求める人間が、「我慢しようと思えばできる」などと喧嘩腰になるのがおかしい。

あと、内輪感に入り込むという事を知った。確かに大して知りもしない芸人内輪ノリは、見ていて不快さを覚える事も少なくないだろう。でも、前提となるミーム空気感を知り、彼らのノリに慣れてしまえば中々面白いものだ。たまにくどいなと思う事もあるけれど。ネットユーモアとて、所見で笑えるようなキレのあるものもあるが、前提となる感覚や風潮を要するものも多いだろう。

漫才コント下ネタ内輪ネタより高尚な笑いだとは別に思わない。テレビではとても出せないような下品でエッジの効いた笑いも未だ大好きだ。しか最近、(多分ほぼインターネットだけで)流行っているオモコロ的なユーモアが苦手に感じるようになってきた。マイナーだけど特定層に深く刺さるようなあるあるや、気の利いたシュールさは、つい上手いなあと思ってしまう事もあるものだ。これも今までずっと愛してきた捻くれたユーモアの類だろうに。結局逆張りじみた感性のものは変わっていないのだろうか。

逆張りがいけないとは思わない。自覚的逆張りを貫ける人は好きだ。でも自分価値観や信念に基づくというより、単にミーハーものへの嫌悪感がそうさせているのなら、少なくともそれに自覚的であった方が良いと思う。芸人がよく言う「批評家気取りの素人」は、そういう素直さの大切さを言っているのではないかと思った。もちろんポジショントーク的なマウンティングもあるのだろうけれど。一度素直に受け止めて、それでも合わないなと思ったらその気持ちは大切にして良いと思う。嫌いは好きと同じくらい大切だ。

画一さや没個性を嫌う気持ちは誰にでもあると思う。その気持ちは大切にして良いものだとも。ただ、単にメジャー逆張りをした所で、それはメジャーの裏返しでしかない。マイリノティにはなれるかもしれないけれど、それもまた没個性的なものだ。ありきたりだが、個性とは自分好き嫌いを大切に重んじた先にあるのだと思う。

笑う時くらい小難しい事は考えない方が良いですよ絶対

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