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はてなキーワード: 最大公約数的なとは

2022-05-10

anond:20220510001348

まさにそう。当時ネットしか見ないウブな世間知らず

職場や近隣に話のできる同年代人間がいない孤立した団塊ジュニア)の間では

2ちゃんねる世間の縮図/世の中の最大公約数的な本音

錯覚されていたのだが、就職氷河期世代悲惨が明らかになるにつれて

上記の図式が勘違いだと判明していった

2022-03-11

ファッションに興味ない人がダサい服装してるのが意味からない

ファッションに興味ないなら、服装選択情報処理能力が低いと判断されてしまリスクを避けて、プラスマイナスゼロ評価になるような、いわゆる量産型ファッションをするもんじゃないの?

オシャレしたいわけでもないのに、人と違う、世間最大公約数的な価値観の中で評価されないファッションをしたところで得しないと思うんだけど。

俺は学生時代からベースボールシャツをよく着てて、友達からパワプロくんっていうあだ名で呼ばれてたんだけど、周りの意見よりも自分のこだわり優先だから別に何とも思わないよ。

でも、ファッションに対してこだわりない人の方が世の中じゃ多数派でしょ?

せっかく量産型ファッションっていう、ファッションが原因で人格判断されないための手段があるのに、それをしない理由がわからないんだよな。

2022-02-18

Twitterの「サイゼで喜ぶ◯◯ネタ」を見てると

写真を撮った人や画像を作った人が思う最大公約数的なサイゼリヤメニュー確認できて面白い

ネタ的にはつまら

2022-02-01

人間関係コストをかけられない

こいつと飲みに行く時間であれもできるこれもできると考えてしまう。

SNSでリプ送ったりいいねつけたりする時間で他の本当に興味深いエントリを読みに行けるし、

SNS用に写真を撮ったりする時間でさっさと飯食べちゃうほうが有意義だと思ってしまう。

週末、映画に行くとして一人だったらギリギリについてればいいし、

終わった後さっさと帰ってもいいし、好きなもん食ってもいいけど、

他人と行くとなんだかんだと相手に合わせなきゃいけないし時間も取られる。

他人映画を見ること自体はいい。

そのあと、映画感想を話し合うのも面白いだろうというのもわかる。

でもそのために不必要な待ち合わせの時間とか、最大公約数的なものを食べに行く感じとか

そういう余計なアレコレがついてくると考えると、一人でいいやとなっちゃう。

 

みんなこういう感じをどうやって処理してるんだろうと不思議気持ちになる。

2022-01-15

マジで男女どっちも楽しめる作品ってどういうのなんだろう?

俺の答えはコレや!

先鋒 ブルーピリオド

次鋒 三国志横山光輝

中堅 鋼の錬金術師

副将 失踪日記2 アル中病棟

大将 孤独のグルメ

これなら3勝2敗ぐらいにはなる!!!


以下解説

先鋒 ブルーピリオド

まずブルーピリオドで速攻をかける。

先鋒の最優先条件は「バトル なし」「恋愛 なし」「ファンタジー なし」「具体的なメインテーマ あり」の4本柱。

そういった条件に合う中で比較新しくて知名度が高いのでブルーピリオドを選出。

コイツの強みは作品テーマが1話に詰め込まれていること。

「すぐ側で同じものを見ているのに伝わらなかった気持ちがふとした拍子に驚くほどハッキリと伝わってしまった。美術って凄い」

こんなものを1話で説明しきれるとかネーム天才か?となったあの1話で勝負だ。

相手オタクならまず勝てる。

これで勝てねえならもう相手が悪いので全敗を覚悟するしかねえ……。

漫画を薦めるのはやめて好きなテレビなり最近食った美味いものの話でもしよう。

次鋒 三国志横山光輝

次鋒は「人間関係まみれ」「バトルまみれ」「超有名作品」というテーマだ。

三国志キャラがアホほどたくさん出てくる上に因縁もクソほど積み上がっているし更には戦争バンバン起こるし痴情も縺れまくる。

とにかく話を動かしまくる作品をぶつけるという散弾の如き戦略だ。

もう読んでるけど駄目だったと言われても諦めるなよ。

歴史物という時点で苦手な人はいから

中堅 鋼の錬金術師

絶対負けられない中堅戦はとにかく一番強そうな奴で勝負だ。

「作者が女性少年漫画」という分かりやす路線で雑に勝率を上げていくぜ。

ぶっちぎりで売れているし女性ファンが「エドまじかわいー」みたいに言ってるのを割と聞いた気がするから多分大丈夫でしょ。

錬金術って時点で無理とか、軍隊舞台とか怖いとか、そういう話をされたらもう諦めよう。

キメラ怖いとか人が殺し合うのはグロくて無理とか言われるかも。

ちょっと待て万人向けの作品なんてやっぱないのか?

ドラえもんですらしずかちゃんのお風呂覗くからポリコレ的にアウトで弾かれうるんだぞ?

ここまでで3連敗のパターンも有るな。

無理だわこの条件突破できる組み合わせ思いついたら編集者になったほうがいい。

副将 失踪日記2 アル中病棟

副将は「もういっそ男か女か関係なく合う合わないがめっちゃ激しいのにしよう」と考えて、漫☆画太郎やえの素を選ぼうとしたが正気に戻ってこれを選んだ。

リアルエッセイ系でありながら衝撃的な内容。

人生の役に立ちそうな感じと、こんな知識一生使わないだろのバランス

1巻も面白いんだがあっちは漫画家の失踪テーマだし作者がロリコン漫画界のスーパースターである話とか出てくるから厳しいと感じてこっちに。

割とダラダラ続くのでヤマとオチとイミしか興味がないファスト映画脳な人に受けが悪そうだがそこはもう捨てよう。

大将 孤独のグルメ

大将テーマは「食べ物」と決めていたが、その中でも謎のパワーが最も強くケレン味も程よい作品を選ぶぜ。

劇画調でありながら読みやすく素朴さとリッチさが程よいこの絵柄は最大公約数的な強さを求められる大将向きのはずだ。

謎のオーラでなんとなく面白かったと思わせてくれ。

もやしもん辺りもいいかなと思ったんだが流石にアクが強すぎるので今回は抜くことに。

これでどうや!

いややっぱ多分無理だな!

平均で2勝3敗ぐらいで終わりそうな匂いしかねーぞ。

ムズすぎるわ。

漫画オタク検定1級の課題かなんかか?

2021-11-28

女性に聞きたいんだけど「暴力的な男は魅力的に見える」って本当?

個人的意見ではなくて

女性最大公約数的な感性想像してどうかみたいな答えを聞きたい

匿名しか聞けないし言えないと思うんだよ

暴力的な男がモテる姿は正直学生時代からずっと見てきて、男からすると正しいように思える

人間遺伝子の近い動物を見てもやっぱり暴力的ボスにメスが集中するわけで

本能的なところで暴力的な男に魅力を感じる感性女性には備わってるんじゃないかってのはかなり信憑性ある

実際問題としてどうなの?

もちろん男性経験をつむ中で暴力支配する男がダメだって分かるようになるってのは当たり前としてだよ

※ふと思い出したけど、中学生のとに男女にそれぞれどんな異性を恋人にしたいかというアンケートで、女性ランキング喧嘩の強い男というのが入ってたな

2021-11-03

anond:20211103075001

コメントを貰ったのでレス。(消して逃亡した模様)

「夫を支援することでアップする夫の収入分」の方が「夫を支援しない代わりに自分で稼いだ収入分」よりも大きくなければ専業主婦意味はない。

収入絶対値でいえば、そうだろうな。

ただ世帯年収800万以上は幸福度が横ばいになるという有名な統計があるから

絶対値でなくQOLの向上にシフトさせるのであれば、

専業主婦ないしパートタイムとして夫を支援するというのは、

総体的に家庭を円満幸福にする可能性がある。あくま最大公約数的な私見だが。

もちろん両親ともにビジネスマンだったら子供はその背中を見て育つだろうし、

その母数から統計をとれば社会経済貢献度はそっちのほうが高そうとは思う。

2021-08-28

アベプラ竹中平蔵が叩かれてるから

改めてなんとなくwikipedia竹中平蔵の項を読んでいたら、津田大介と親交が深い、と。

え?

津田氏は竹中氏をあいトリに招き、竹中氏も自身理事長をつとめるアカデミーヒルズ津田氏を招いた、と。

ええ?

その対談動画Youtubeにあった。

https://www.youtube.com/watch?v=873I0WdI6pI

この組み合わせが実現するのって震災前くらいならギリギリありだったのかなと想像したら、コロナ後だよ。

保守リベラルの双方から悪の権化のように叩かれ、はてななら「対消滅してほしい」とか罵声を浴びさせられそうな二人がこうして穏やかに話しているのは、今のようにイデオローグになる前からなんらかのつながりがあったからだろうと想像する。二人の名前検索しても特にこれといった経緯はわからなかったけど。

対談は外野が聞きたくなるようなお互いのイデオロギーにはもちろん踏み込まず、コロナの初期らしい、ネオリベリベラルが共有できる最大公約数的な話をしている印象だけど、イデオロギーの違いはあっても信頼関係を持って話すことができたら私たち社会もっと生きやすものになるのではないかと、切ない気分になった。

どうせ人は、信頼関係で話しているのではなくて下心で話しているんだ、くらいのことを言うだろうし、そんなものかもしれないとも思うけど、自分最近思想立場の違う人が対話する風景に飢えているのだ、と思った。

リタスTV竹中氏を呼んでもらって穏やかな議論を聞いてみたい。

実際には津田氏は竹中氏との関係フォロワーから詰められて、竹中氏と縁を切るような態度表明をしてしまったりしないか心配になってしまう。

2021-07-18

ラファンした劇場版アニメ

2017年に七千万ぐらい集めた劇場版アニメ感想noteを読んだので勝手レスポンス

Twitterに書いてたら長くてツリーにするのがめんどくさくなったので。

これは勝手な推測だが件のアニメあんシナリオになっているのは、当時の原作ゲームが出たとき

「なんで男たちは出てこないのか。ほかのキャラは出てこないのか。FDではないのか」

という声がメーカーにたくさん届いたのだろうと思われる。

ので、その当時の声に従って、当時は作れなかったそれを作っただけに過ぎないのではないか

商業メーカー的には、ロイヤリティの高いユーザーたちから多数その声が届けばそれが唯一の正解なのでは。

劇場版アニメヒロインキャラについて、メーカーは正直扱いに困っていたのかもしれない。

スピンアウト作品である原作ゲームスピンアウト作品では、男キャラたちがメインディッシュで人気がある、とされていた。

とはいえギャルゲーメーカー的には男キャラグッズをバンバン作れば売れたか、というと実際そんなに出ていないことからも、

商業的な人気」はそれほどでもない、とソロバンを弾いたのだろう。

なので彼女のグッズはたくさん出た。初出の作品が15年近く前になるのに2021年にもフィギュアが出るぐらい。

孝行娘なのだろう。版権お金がいまだに入ってくるのだ。

メーカー的にはありがたいはず。

そこの社長アキバブログがどっかで、当たり(人気)キャラは天然的に生えてくるから難しい(意訳)みたいなことを言っていた気がする。

ただそのキャラメーカー生え抜きシナリオライターからは産み出されなかった(それが何故かは識者が答えてくれると思う)。

キャラクターデザインを行った原画家を売りだすことは成功たから、結果オッケーと思っていたかも。

グッズを作るときは、キャラの中身は関係ないし必要ない。

問題になるのは、グッズ以外のものを作るときだった。

扱いに困るだろう、とはそういう意味

Vチューバー中の人交代で荒れるように、萌えキャラの中身が解釈違いになることは荒れることでしかないし。

そんなこんなで自社IPとして活用しようとしたときメーカー視点からは、かつてユーザーから出た不評を回避しようとして、

最大公約数的なシナリオにしたのだろう。アンケートネットの評判いろいろから

件の「スピンアウト作品原作ゲームのもの)」を好きな人又はそのキャラがすきな人 <

 「スピンアウト作品」を好きな人

みたいに解釈した結果にすぎないのではないか

(多く見積もって前者は3~4割、後者は6割と勝手想像している。)

このロジックはつまるところ、原作ゲームの忠実なアニメ化は不可能である、という命題の前に、ディレクターだかライターだかが頭をひねったのだろう。

TVアニメ版はそもそもギャルゲーなのに友情ゲーといわれてるから恋愛描写を削ったぐらいで、そこから派生してるのだから当然の流れではある。

とはいえ、件のクラファンは「原作ゲームアニメ化」を謳って資金を募ったわけで、最初からスピンアウト作品拡張OVA作ります

にしておけばnoteひとみたいな悲しみを生まなかったのではないか

そうであれば多数派以外のひとも笑って見られたのでは。

なぜそうしなかったか、の回答はやっぱり最初に戻る。

「なんで男たちは出てこないのか。ほかのキャラは出てこないのか。FDではないのか」

ユーザーの期待に応えるのは商業義務である

100%ほめられることな商業的にはありえない。

六割取れれば勝ちである

と、メーカーは考えたのかもしれない。 

それだけの話のような気がする。

2021-07-11

幸せのために

最大公約数的な幸せ結婚して子供を作ることだとすれば

良い大学に入って大企業に務める以外に選択肢ってないんだよね

安定して高収入を得るためには好きな仕事がどうのとかやりがいとか言ってる場合じゃない

2021-04-12

バス路線が分かりにくすぎる問題

バス路線が分かりにく過ぎる問題の原因って、客の需要に沿い過ぎていることが原因の一つのような気がするんだよな

 

ほとんど同じ経路の路線でも、

 通院の高齢者が多い時間帯は病院に寄り…

 平日の昼間だけは市役所に寄り…

 通学時間帯は学校に寄り…

 通勤時間帯はニュータウンをくまなく巡り…

という風に、需要に応じて経路を細かく変えていたりする。

そして、その分、路線系統数が増える。

これが分かりにくさの原因のような気がする。

 

かい需要の違いをあまりわずに、最大公約数的なルートにして運行することはできないのだろうか。

そうしたら分かりやすくなるし、路線統合されるので、一路線あたりの本数も増やせそうな気がするのだが…

2021-04-04

anond:20210404130501

言ってリベフェミがかつて要求していたことはほとんど実現しているからな。彼女ら/彼らは真っ当に受け容れられる最大公約数的な主張をしてたので。

既にリベフェミを考える必要性もない気がする。

2021-03-19

シン・エヴァ

シン・エヴァの(特に後半以降に関する)最大公約数的な解釈として「この映画虚構!」「もう何も残っているものはない」「お前らも現実に帰って結婚したら?」という見立ては、おそらくおおむねその通りの解釈可能だと思います。それは至極まっとうな話ではあるんですが、しかしそれを物語登場人物に託すことなく、また映像演出的にも暗喩をもちいることなく、かなり直接的な表現(具体的には特撮撮影スタジオで動くエヴァンゲリオンや登場人物たち・あるいは宇部興産)として出してしまう(ゴルゴダオブジェクトなる代物を出す、あるいはマイナス宇宙なんて大層な世界まで行ったのに!)、そういうことをやってしま制作者たちがこれから手掛けるであろう「映画」や「物語」がつく嘘は信用することが出来るのだろうか。

映画/物語の作り手・物語世界に対して最も重い責任を負う立場人間が、映画/物語もつ現実やその確からしさを一切合切放棄する・新劇場版4部作の物語世界に対する不義理を、「よくやった庵野秀明さん」「成長したな庵野秀明さん」「やっと解放された庵野秀明さん」あるいは「エヴァってもともとこうだから(笑)」「あれのよさが分からん劇場版至上主義(笑)」「早くお前らも成長したら(笑)」と考える人びとが思いのほか多いのでかなりつらい。いいのか...

「この映画物語虚構」というのをその物語世界のなかであからさまに出してしまった、撮影セットの中でエヴァシンジ綾波に演技をさせてしまった(ここは旧劇場版では比喩的表現としてギリギリ踏みとどまっていたように思います)、この演出制作側のだれも疑問に思わなかったのだろうか。事象の地平線まで行った先がミサトさんの酒瓶だらけの部屋で暴れるエヴァ2体なの、あまりあんまり映像じゃないですか?

前述のような物語世界現実性に対する不誠実と思える演出や、碇ゲンドウ下車以降の「アスカ、おまえはケンケンといけ」「綾波、お前は田植えしろ」「カヲルはもうええ」というような、(カウンセラー碇シンジにとって)一切葛藤も迷いもない、エヴァ完璧に終わらせるための物語進行や、あるいはエヴァ世界に対する「他者」としてのマリ(初手で乳を押し付けてくる顔のいい「他者」、これ世間一般で言えばかなり視聴者に対して都合のいいアニメキャラ虚構のものでは?)の導きによる物語進行と宇部興産エンド、こういった要素がそのまま映画としてでてきてしまう状況(誰も「いやマイナス宇宙まで行ってエヴァミサトさんの部屋で動いたら笑うだろ」「ゲンドウ以降のカウンセリング早すぎないか」「冬月研究室出身と乳がでかい以外の来歴がいっさい不明キャラがなぜこのような大立ち回りを演じられるのかの部分っていつ説明したのか」とならなかったのか)、それに突っ込み入れず「よく終わらせた!」で肯定的に受け止めるファン含め、現状は庵野秀明さんにとって、旧劇場版シンジくんが否定した「自分他人存在しない曖昧脆弱世界」「他人の恐怖が存在しない世界」そのものになってないですか

追記)マイナス宇宙ゴルゴダ、これウルトラマン特撮スタジオの進行か、いやそれって庵野秀明さんが好きだから以上に選択できる演出なのか?シン・として必要だったのか?

2021-03-04

anond:20210304083509

興味なくても耳に入るようなメジャーヒット曲って昔からそんなモノじゃない?

ラブソングに限らず、また音楽に限らず、広く大衆にヒットするコンテンツって刺さる人には刺さるっていうような尖ったモノより、誰でも共感できるような最大公約数的な内容のモノが多いし。

あとは、ラブをテーマにしたコンテンツ漫画アニメだとリアリティがある恋愛ストーリーより萌え萌えした女の子キュンキュンさせてくるイケメンとのラブコメみたいなのが流行ってるし、音楽もそれ同じで具体的な固有体験からくるリアリティよりも絵になる恋愛像みたいなモノの方が受けが良いっていうのもありそう。

それこそ童貞でも書けるような理想妄想が詰まった恋愛像の方が。

2021-02-22

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

2021-02-13

anond:20210211235731

やっぱりエンタメ供給されてる物語って、人が求めるもの、そうであったらいいなっていう欲望最大公約数的な方向にいくからかな。

誇大妄想というか、承認欲求というか、自分特別でありたい、あってほしいという願望は普遍的だし、エンタメに重なるのも偶然ではないのかもしれない。

2021-02-08

anond:20210208173034

コンビニのいまの戦略は「ビュッフェ買い」って言われてて、

客は弁当単品では買わず、小さめの商品を組み合わせて買うようになってる。

からパスタサラダスープとかのサイドメニューにめちゃくちゃ力が入ってるんだよな。

一方でスーパーでは、特に麺類サラダデザートについては、他社の既製品仕入れしかないので、

最大公約数的な定番メニューしか並ばないし、なかなか新メニューが出てこない。

弁当にしても店内調理やすいように「大盛りごはんと肉系のおかず」スタイルになりがち。

まあ大学生ならそれでもいいんだけどな。

うちの近所のサミットだと、ごはんものはいろいろ頑張っていると思うが、惣菜・揚げ物・サラダに芸がない。

そのごはんものにしたって、スーパーは長らく同じ商品勝負しているわけで、

コンビニが次々と新製品を投入してくるのには対抗できないんだよね。

2021-02-04

実際女の多い会議は長いことから目を背けるのは良くないよね

女性割合が多い企業で働いている

会長発言差別的だなあと思うんだが

実際問題女性割合が多かったり、女性が中心になる会議って長い

長いってか結論がでないっていうか悪い意味完璧主義というか

例えば最大公約数的な案を出そうという会議

「これなら8割の人を幸福にできるようになるな」

って案がでたとき

「それじゃ2割の人がカワイソウじゃないですか!!」

みたいなこと言い出すんだよね

ひどい場合

「その案じゃAさんが救われないじゃないですか!(なおAさん以外の全員は救われる)」

みたいなこと言い出す

具合の悪いことに他の女性たちもそれに同調しだすもんだから会議が一向に終わらない


もちろん全員が幸せになるのを求めるのはいいけど

それが現実的に無理だから幸せになる人の割合を少しでも増やそうって会議してるんだよね。無理なこと叶えようとしたら一生会議終わらないよね

ってなっちゃうわけ


特に中高年やあまり学歴が高くない女性はこの傾向が強い

会議愚痴個人的な不満をぶつけあう場と化してしま

一言で言えば「学級会」っぽくなりがちなんだよ




もちろん上記のようなことを言って会議を長引かせる男性もいるし、いい感じで妥協点を提案してくる女性もたくさんいる

ただ、全国転勤でいろんな支店に行ったけど、こういう言動会議が長引くのは圧倒的に女性が多い会議

他にもいわゆる「職場いじめ」が発生するのは圧倒的に女性比率の高い職場職種)だ

これに対して公の場で「女が集まるといじめがおきる」と言うのは明らかに問題だけど

女性が多く集まる職場はいじめが起きやすいという現実をなかったことにするのは間違ってる


男女逆にして言えば

公の場で「男は暴力的だ」と言えばその発言自体非難されて然るべきだけど

男性女性と比べて暴力的性質を持っているということ自体無視しちゃいけないよね





女性によくある傾向」や「特定個人女性に抱くイメージ」を「すべての女性がそうだと公の場で発言すること」を非難することとはもちろん間違っちゃいないんだけど

女性ならではの悪いところをなかったことにしたり「男でも同じ問題は発生するだろ」とか話そらすのはより分断を招くだけだし、永久男女平等に到達できない思うんだよな

2020-12-27

無難かつ喜ばれる手土産ってある?

シロクマ先生記事 https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20201227/1609053494 を読んで思ったのだ。今のコロナの状況で誰かの家を訪問する予定もなにもないが何となく思ったのだ。手土産に選ぶなら、たとえば郷土名物、俺の場合ならままどおるを選ぶと思うが、それはどれだけ喜ばれるのか。

おかずにもなるハム漬け物、あるいは酒、菓子ならもうちょっと高級な虎屋ようかんあたりを選ぶべきか。しか子供たちはそれを喜ぶか。

だいたいの人がそこそこ喜んでくれる最大公約数的な手土産があれば知りたい。

2020-12-06

家庭料理個性出すクズ人間、それを煽るメディア死ねよ頼むから、まじで死ねゴミうんこ

今日ある料理一般的レシピってのは人類の叡智なんだよ。

長い年月をかけて最大公約数的な、誰が食っても美味いと納得のいく基本的ものなわけ。

なんでその枠からはみ出そうとするゴミクズがいんの?なんで一般的じゃないことすんの?

今日嫁が作った餃子に「大豆」が入ってて、まじで美味くなかったのよ。

まずいわけじゃないんだけど確実に美味くないし餃子の皮とひき肉をマジで無駄にしてるわけ。

テレビでやってたから〜とか言うわけ。

マジで死ねゴミ地上波

全員死ねよ、クソみたいな料理を吹き込んでじゃねえよ、美味くねえからそれ、大豆なんか普通に煮た方がうめえから死ね

どうせ家庭料理は余り物の処分が面倒だから〜とか言うんだろ?言い訳すんなカス、じゃあ普通にそのまま食うわ。

お前がさも新しい料理として世に紹介してんのは誰も思いつかなかったものじゃなくて邪道から誰もやらなかったことなんだよボケ

頼むから世間一般に誰が見ても普通だと思うような一般的レシピから逸脱した料理を作るな、そして邪道レシピメディア流行らそうとするな。

全員皆殺しにしたいほどムカつく。

死ねよ頼むから

2020-11-09

anond:20201109200121

市場規模が大きくなって鬼滅みたいなアニメ映画一般レベルで大ヒットするくらいかつてオタクコンテンツだった分野が普通存在になったからでない。

オタクという世間から白い目で見られながらもまあまあお金を使うマイノリティだけで成り立っている市場で独特な生態系が成立してたか実験的な作品を作りやすかったんだろう。

一般化すると最大公約数的なものを作るのが一番人気が出る。

2020-10-29

anond:20201027133109

気持ちハチャメチャによく分かる。

全部個人妄想だとしてもそのキャラの背景をなぞったら絶対に出てこない言動、というものはやはり絶対にあるので……。

ただ、二次創作個人的には願いの文化だと思っていて、こうであってほしいという気持ちはどうしても乗っかっちゃうと思うんだよね。

そしてその『こうであってほしい』の最大公約数的な解がナヨナヨメス受けと性欲に頭支配された攻めの惚れた腫れたなのかもしれない。

(思うに、年齢層若めの作品とそうじゃない作品ではたぶん二次創作空気感も違うので、それも影響していそうな気がする)

人間という生き物はヒジョーにいろんな面を持った存在なので、どこを切り取って誇張するかでキャラ感が180度異なるということはママある。

正しい解釈だけでは描けないこともあって、解釈と書きたいことと、需要の間にはそれぞれ断絶があるんだよなぁ。

自分もこのキャラ絶対に泣かないだろうと思ってたけど、物語の緩急とウケ狙いで涙するシーン挟んだこととか、ドスケベが見たくてオスキャラのメス堕ちエロとかこさえた事があるので、あんまりどうこう言える側ではないかなと自戒したりした。

まぁでも自分自分解釈こそが一番正しくて原作理解完璧天才だと思って生きてるので…………強く生きよう!!!

2020-08-11

anond:20200811103304

米津さん、インタビューとか昔のブログだとか読んでても、奇をてらってやろうとか自分の内相世界を克明に描ききりたいみたいなアーティスティックエゴあんまり感じないんだよね。

曲聴いてても社会ちょっと意見してやりたいみたいな態度に出てくることもない。

影響受けたものとかはまっているものとかその時々流行っているものを素直に受け入れている印象。

なんかそこら辺が藤原基央野田洋次郎のような先駆者や、常田大希、山口一郎あたりとは違うところだよなと思う。

ハチ時代からマスの中で自分の作ったものが共有され楽しまれることを第一に掲げてるように僕には見えた。

曲の中に広がる世界にしても「面白い話を思いついたんだ」と友だちに話すことの延長線上にある気がして、米津さんがやることや言うことを聴衆が「面白い」とか「カッコいい」っていってその気持ちを共有していることが軸になってるんじゃないのかな。

じゃないとあの時代ニコ動ボカロ文化にのめり込まなかっただろうし、メジャーデビューからタイアップソング量産体制に舵を切らなかっただろうと思う。

米津さんがすごいのは独特な感性を持っているのに大衆性を全く取りこぼしてないところで、逆に言えば大衆的なアプローチ意識してもどこかしら独特な風合いを帯びてしまうことだと思う。

そしてどんなアプローチでも米津玄師らしいマインドというものが奥の方でブレなく残っているように僕には聴こえる。

また、おそらく本人は自分が素敵だと思ったものを無邪気に曲に盛りこんでいるだけだったり、みんなが楽しめるポップソング真摯に作り上げたいと思っているだけで、最初から独自の米津ワールドを展開したいとは考えていない気がする。

結果的にそうなってしまうんだろうし、それでいて気負わずに聴けるポップソングとして未だに破綻していないか米津玄師は支持されるのだと思う。

僕は昔から宇多田ヒカルが好きなのだけれど、宇多田ヒカル米津玄師はどこか近しいものを感じる。

宇多田ヒカルが今さらFirst LoveDistanceの頃のテンションで曲を作ることはありえないし、それに反してFirst loveのような曲を求める人がいることも理解できる。

マスメディアの中に鎮座しながらも、最大公約数的な共感世界に生きていない。作者の個人的感情自分けが持つ脳内イメージを、聴き手の心情に照らし合わせフィットしていくようなドアtoドアの世界

そういうベッドミュージックアーティスト然とした態度が僕にとっては米津玄師の魅力に思える。

2020-07-25

総務が扱っている伝票類を帳票作成システムを利用してすべてペーパーレス化するというプロジェクトに途中からアサインされた。

俺が転職前にシステム系の会社にいたかららしい。なお、営業

プロジェクトが発足してから半年、成果が見えずに上の連中がブチ切れているらしい。

 

入ってみると既に3つの伝票がペーパーレス化されており、「成果がない」という状況でもない。

課長(自称PM)に「進捗度ってどんなもんですか?」と確認したところ「30種類の伝票のうち3種類が終わったから10パーセント」という回答が返ってきた。要件定義や基本設計の部分は除いた進捗かなと思い確認すると「半年かけて3種類の伝票をペーパーレス化した。具体的には2か月で1種類の伝票をペーパーレス化した」という意味らしい。

いや、そうはならんやろ。俺も具体的にはわからんけど、伝票なんか細かい箇所は違ってもある程度のパターンが決まってるはずだから最初最大公約数的なひな形を作ってそれを元にレイアウトとかを変更して量産していくもんじゃないんか?

的なことを聞くと「伝票が30種類あるのは聞いたけど具体的な実物は見てない。今は成果を出すのが大事から一個一個の伝票に集中している」という回答。しかシステム見積もりで一番安い(おそらく課長コネ会社)やつを採用しており、うちの会社で扱っている伝票の形式に沿っていない部分が多々あり、その部分を無理やり仲介するプログラムを組んだりしているらしい。それも伝票毎に。

 

プロジェクトとしては今の1枚2か月のペースをマンパワー解決しようという意図での俺のアサインのようだが、俺としては一度白紙に戻して定義設計からやり直したほうが結果的に早く終わるんじゃないかと感じている。そもそも俺にだって

責任部署部長にそう提案したが「半年もかけてしまっているから今更そんなことは言えない」と返ってきた。まさかコンコルド効果かいう使ってみたいけど案外使わなそうな日本語とこんな身近で出会ってしまうとは。

一応、郷に入っては郷に従えの精神ポチポチプログラミングしているがあまりに非効率でばかばかしいし、会社に貢献できているという実感が全く湧かない。つらたん

 

こういうことって他の会社でも日常的にあることなんだろうか。

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