はてなキーワード: プロデュースとは
>おしゃれな人はそこまで目立たず景色に溶け込むんだけど、ダサい人は一撃で「ダサい」という印象を周囲に振りまいてる。
自分の生活圏内でダサい人を見かけても何とも思わないし、他人がダサいかどうかについても関心が無い。
べつに人間に興味が無い無い訳ではないよ。
人の振る舞いとか人間性には興味あるけど、服にアンテナがピクリとも反応しないんだろうな。「あっあの人ダサい!」とか思った事が無い。
まぁ自分も夜のドラッグストアにジュース買いに行く時とか、部屋着にジャケット、スリッポンでで行く事あるし「さすがにこの服やべぇな」とか思う事あるけど、服の感度や解像度については女性と雲泥の差があるんだろうなとは思ってる。
そんな自分も大学生〜20代の時代は今より服装に気を遣ってたけど、あれは今思い返せば「同調圧力に怯えてファッションに気を遣ってた」だけなんだよなーと感じる。
そういう変な呪いから解放されてオッサンになった今は、周囲の目があまり気にならなくなって、良くも悪くも自然体で暮らすようになった(美意識が低くなったとも言える)。
今は妻が服から髪型までファッションチェックというかプロデュースしてくれて、妻好みの見た目で過ごす事を義務付けられてるけど、そこに自分の拘りとか一切無い。
以前会社員やってた時、会社の同僚の男の人でも服への意識が高い人は本当に高かった。
シャツにシワが無いか、革靴は磨かれているか、ネクタイの柄は背広と合っているか、めちゃくちゃ細かかったし、(車移動がデフォな土地柄)乗っている車がきちんと洗車されているか、新人の癖にイキった車種に乗っていないか、シートは清潔か、なんて事にも厳しい男の人が多かった。
>おしゃれな人はそこまで目立たず景色に溶け込むんだけど、ダサい人は一撃で「ダサい」という印象を周囲に振りまいてる。
自分の生活圏内でダサい人を見かけても何とも思わないし、他人がダサいかどうかについても関心が無い。
べつに人間に興味が無い無い訳ではないよ。
人の振る舞いとか人間性には興味あるけど、服にアンテナがピクリとも反応しないんだろうな。「あっあの人ダサい!」とか思った事が無い。
まぁ自分も夜のドラッグストアにジュース買いに行く時とか、部屋着にジャケット、スリッポンでで行く事あるし「さすがにこの服やべぇな」とか思う事あるけど、服の感度や解像度については女性と雲泥の差があるんだろうなとは思ってる。
そんな自分も大学生〜20代の時代は今より服装に気を遣ってたけど、あれは今思い返せば「同調圧力に怯えてファッションに気を遣ってた」だけなんだよなーと感じる。
そういう変な呪いから解放されてオッサンになった今は、周囲の目があまり気にならなくなって、良くも悪くも自然体で暮らすようになった(美意識が低くなったとも言える)。
今は妻が服から髪型までファッションチェックというかプロデュースしてくれて、妻好みの見た目で過ごす事を義務付けられてるけど、そこに自分の拘りとか一切無い。
以前会社員やってた時、会社の同僚の男の人でも服への意識が高い人は本当に高かった。
シャツにシワが無いか、革靴は磨かれているか、ネクタイの柄は背広と合っているか、めちゃくちゃ細かかったし、(車移動がデフォな土地柄)乗っている車がきちんと洗車されているか、新人の癖にイキった車種に乗っていないか、シートは清潔か、なんて事にも厳しい男の人が多かった。
クインシー・ジョーンズは、音楽史において最も影響力のあるプロデューサーや作曲家の一人です。以下は彼が関わった代表的な10曲です:
1. 「スリラー」マイケル・ジャクソン - 1982年のアルバム『スリラー』のタイトル曲で、ポップ、ロック、ファンクを融合させた曲です。このアルバムは史上最高の売り上げを記録し、ジョーンズのプロデュースが際立っています。
2. 「ウィ・アー・ザ・ワールド」USAフォー・アフリカ - 1985年にマイケル・ジャクソンやライオネル・リッチーと共に制作したチャリティソングで、アフリカの飢饉救済のために多くの有名アーティストが参加し、世界的な団結の象徴となりました。
3. 「ギヴ・ミー・ザ・ナイト」ジョージ・ベンソン - 1980年に発表されたこの曲は、ジョーンズの滑らかなプロデュースが光り、ベンソンにとってジャズとポップを融合させた代表的な作品です。
4. 「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」フランク・シナトラ - 1964年にジョーンズがアレンジを担当したこの名曲は、シナトラのキャリアを象徴するジャズのスタンダードとなりました。
5. 「ソウル・ボサ・ノヴァ」クインシー・ジョーンズ - 1962年のインストゥルメンタル曲で、映画『オースティン・パワーズ』で使用され、ジャンルを超えたジョーンズの創造力が示されています。
6. 「イッツ・マイ・パーティ」レスリー・ゴア - 1963年のこのヒット曲はジョーンズが手掛けた初期の代表作であり、彼のポッププロデューサーとしての名声を確立しました。
7. 「オフ・ザ・ウォール」マイケル・ジャクソン - 1979年にリリースされたアルバムで、ファンクやディスコ、ポップを見事に融合し、ジャクソンをスーパースターへと押し上げた一曲です。
8. 「スタッフ・ライク・ザット」アシュフォード&シンプソン、チャカ・カーン - 1978年のアルバム『サウンズ・アンド・スタッフ・ライク・ザット!!』に収録され、ファンク、ジャズ、R&Bを融合させたジョーンズらしい楽曲です。
9. 「P.Y.T. (プリティ・ヤング・シング)」マイケル・ジャクソン - 『スリラー』収録のこの曲もファンキーな曲調で、ジョーンズの緻密なプロデュースが光ります。
10. 「アイアンサイドのテーマ」クインシー・ジョーンズ - 1967年のTV番組「アイアンサイド」のテーマ曲で、特徴的なサイレン音と迫力あるホーンセクションが印象的です。
ジョーンズの影響はジャンルや世代を超えており、彼の代表作はポップ、ジャズ、R&Bといった音楽を形作る一端となっています。それぞれの曲が、彼の独自の音楽スタイルとトップアーティストとの協力を表しています。
はるかぜちゃんママが今はアイドルプロデュース事業やってるのだが、内幕バラしすぎて夢がない
夏用衣装をまず揃えることになり、「衣装作ってくれる人募集」と呼びかけ良さそうな個人制作の人が声をかけるもそちらとは契約せず
オーダーメイドじゃ金がかかるという現実を突きつけられたのだろう
安上がりの中国製の既製品を購入することになり、レスポンスが悪いと愚痴る
アイドルの衣装が価格優先で安物とか揉めてるとか表に出すアイドルPってどうなんだ
中国製に凝りたので今度はクラファンして衣装代170万円ぐらいを集めて国内メーカーに頼んだとのことだが、
そちらもオーダーメイドではなく2万円の既製品で、だけど入金した後で在庫がないと伝えられ返金に時間がかかって揉めているとメーカーを晒して怒っている
それはそのメーカーが悪いけど、こいついつも揉めてんな
ECRINってフランス語のアイドルグループ(今は”宝石娘”に変わった)なのに衣装が夏用も冬用もチャイナ風デザインなのもセンスがよくわからん
そんで一人ずつイメージカラー決めてるのに全員同じ衣装だから見た目じゃ誰がどの色担当なのかわからん
「推しの子の有馬かなのモデル」ってのを今のはるかぜちゃんは宣伝文句にしており、有馬かなが作中でアイドルやってるから真似してアイドル路線をはじめたが、
根本的にアイドル業に関心がなく今売れてるアイドルの研究をしていないし、さりとてすごい可愛い子がいるとか歌がすごいとかダンスがすごいとか特技があるとかの売りもない
悪い地下ドルによくある、「大手に入れる能力のない微妙な奴らの詰め合わせセット」にしかなってない
はるかぜちゃん本人はアイドルにまつわるニュース見てナーバスになり「アイドルやってるけど”女”を売りにしてるわけじゃない、ガチ恋とは距離を置いてる」と語っているが、
全くユニクロに興味がなかった私が
そこで私が得た学びをまとめてみる
元も子もないが結局は「着る人」にかかっている
詳しく言うと「髪型、体型、肌、顔の造形」
加えて「ある程度高見えする靴とアクセサリー」
以上を兼ね備えてようやく着こなせるのだと思う
なお顔の造形がオワコンな私には一生無理だが。
なぜか説得力が勝るのはなぜだろうか
それともある程度の自負があると話し方や振る舞いが堂々としてくるものだから?
それに1と関連して顔いいと着こなせるのは事実
そしてそれは間違ってなかったなと強く思う
買い漁っていたのが懐かしいもう二度と戻らない
褒めてもらえることは一番のやりがいだった、が
長く働くことを考えるとおしゃれでいたい欲望は
どんどん0へ近づく(貯金したいのもあるが)
かくいう私も参考にしているので何も言えないが
私は「人と同じが嫌」で生きている人間なので
そもそも着こなせる自信がないのだ。私に
着こなせる日はくるのだろうかとぼんやり考えて
「らっしゃいっせーーー!!」と声を張り上げる
こうして今日も1日が終わっていく。
明日もがんばろっと♩ 〜完〜
あまたのロケーションが人でごった返し、地獄と化す週末だが、高速道路はその中でも最下層である。
逸る気持ちと帰路の疲れ。
旅における負の感情が凝縮される掃き溜めだ。
走行車線(左)には連なるトラックと慣れない運転の低速走行車。
追越し車線(右)にはこれまた決着がつかぬデッドヒートを繰り広げるトラックと法定速度守るマン。
実態はバックミラーと追越し車線の存在意義と機能を理解していない、もしくは無視する単なる危険分子である。
守るマンもいる一方で、とことん煽りまくる守らないマンもいる。
前方に続く渋滞は全てお前に責任がある、と言わんばかりに車間を詰めてくる。ブラック企業の中間管理職さながらの板挟み状態を強いてくる。
ストレスしかない週末高速における数少ないエンタメといえば、覆面に捕まってる哀れなドライバーと、この守るマン守らないマンの間で時折繰り広げられる激闘である。絶対に譲らない守るマンと、絶対に譲らせる守らないマン。まさに矛と盾。
たいていは偶発的に発生するが、優良ドライバーのあなたがアジテートし、プロデュースする事でさらなる盛り上がりが期待できる。
運悪く追越し車線で守るマンと守らないマンに挟まれたあなた。絶望するなかれ。むしろ幸運ととらえよ。
しばし守るマンの後ろに尾き、後方のプレッシャーに耐えつつ時が熟すのを待つ。
一向に左に逸れる気配のない守るマンと、痺れを切らして蛇行運転までしだした守らないマンが揃ったらチャンス。
左に逸れる。
追突寸前まで詰められても揺るがぬその固い意志。もはや使命感すら感じる。
追手も負けじとパッシング、ウィンカー、蛇行運転と技の引き出しを全開にする。
MADMAXのヴィランばりにWitnessすべく、右車線に戻り、闘いの行方を追うのだ。
やっと走行車線(左)の長ーいトラックの列が途切れ、束の間の2車線体制が整う。
守るマンが根負けして左に逸れるか。はたまた守らないマンがさらなる法を犯し左車線から追い越すか。
何を以てして負けとするか。
勝ち負けの判定はあなた次第!
どちらも"A"プロデュースじゃねえかよ えーっ
ジャニーズが人気があったのと、婚活市場やマッチングアプリでチビが余ってるのは矛盾してないぞ
単身かつありのままの自然体でシンプルなファッションでも女にキャーキャー言われる
現実にそんな存在だったのは若い頃の吉田栄作や反町みたいな高身長イケメンのみ
そもそも体臭ケアや男のチビは不利だから数をこなせなど「おまえはそのままでは需要がないから頭や労力を使え」と言われただけでキレてネットリンチを始めるネットの低身長男性が
芸能アイドルを根拠に「チビはモテる」と喚いてる事自体がおかしいんだよな
本人も会社も女に受ける為に必死にイケメン宝塚的コンテンツを構築してグループや事務所内や芸能界の共演者やスタッフやマスコミ諸々との人間関係に苦慮し、関係ジムにエステにメンテに化粧と容姿に全振りし、汗塗れで歌って踊るマルチタスクを要求される
山田涼介なんてファン向けのインライなど起きてる時間は全て厚化粧白塗り状態
女の衆目を集めて課金して貰う価値をつける為にジャニーズなど芸能人ですらメンバー選考やらグループ構想や舞台装置やら売り出しやら露出やらプロデュースやイメージ操作にあれだけ金をかけるし、他事務所のイケメンを追い出してメディアに大量露出させて売り出し、事務所やグループ内の人間関係や成長物語といったストーリーを付加してコンテンツ化する
男も容姿のピークは10代なので、その頃から煌びやかな衣装やステージで踊らせて刷り込みを行い、その頃についた同世代おばさんファンの課金で生きていく
ジャニーズが人気があったのと、婚活市場やマッチングアプリでチビが余ってるのは矛盾してないぞ
単身かつありのままの自然体でシンプルなファッションでも女にキャーキャー言われる
現実にそんな存在だったのは若い頃の吉田栄作や反町みたいな高身長イケメンのみ
そもそも体臭ケアや男のチビは不利だから数をこなせなど「おまえはそのままでは需要がないから頭や労力を使え」と言われただけでキレてネットリンチを始めるネットの低身長男性が
芸能アイドルを根拠に「チビはモテる」と喚いてる事自体がおかしいんだよな
本人も会社も女に受ける為に必死にイケメン宝塚的コンテンツを構築してグループや事務所内や芸能界の共演者やスタッフやマスコミ諸々との人間関係に苦慮し、関係ジムにエステにメンテに化粧と容姿に全振りし、汗塗れで歌って踊るマルチタスクを要求される
山田涼介なんてファン向けのインライなど起きてる時間は全て厚化粧白塗り状態
女の衆目を集めて課金して貰う価値をつける為にジャニーズなど芸能人ですらメンバー選考やらグループ構想や舞台装置やら売り出しやら露出やらプロデュースやイメージ操作にあれだけ金をかけるし、他事務所のイケメンを追い出してメディアに大量露出させて売り出し、事務所やグループ内の人間関係や成長物語といったストーリーを付加してコンテンツ化する
男も容姿のピークは10代なので、その頃から煌びやかな衣装やステージで踊らせて刷り込みを行い、その頃についた同世代おばさんファンの課金で生きていく
1000投げた人がいた。
その人の名を仮にメンギフおじさんとしよう。
私は自分の最推しを盛り上げてくれるこのおじさん(以下メンおじ)に少なからず恩義を感じて
日々過ごしていた。
ある日、そのメンおじから
そしてそのギフトの二人は同じアイドルグループに入っており、メンおじはどうやらそのグループの箱推しをしているようであった。
いつものお礼にともらったギフトのチャンネル登録と高評価をしに覗きにいくと、ちょうどライブ配信中であり、そこでなんと再来週の日曜日にVtuberなのに顔出しでリアルライブを行うとのことであった。
最近そういうのも増えたよなーと思いつつ
いるとやはりというか、どうやらメンおじも参加するようであった。私の最推しは、イベントとかをするタイプではないのでファン同士で交流する機会があまりなく、できたら自分の推しについて語り合いたいという下心もあり、メンおじに会ってみたいな、せっかくなら箱推しのこのメンバーについても知っておこうと更にチャンネルを観るようになって、すっかりこのグループにハマってしまった。
そんなこんなでやってきたライブ当日
場所は5,6年前にMrs. GREEN APPLEを見たとき以来の渋谷CRAWL
ライブはとても良かった。
比べ物にならないが
人は、成長を楽しむのだ。
自分のみならず、人の成長も
素晴らしいコンテンツ、
エンタメになる。
色々酷いところもあったが、周りの人は
1stよりだいぶ良くなってるという。
1stはどのくらい酷かったのかとも思うが
うまくなればなるほど、簡単にはうまくならないし
それを分かるには見てる方にも
熟練度が求められる。
上手い下手が分かるというのは
新オリ曲ありの各々ソロ曲ありの。
泣けるのは素直でいいことだ。ストレスも減る。
色々理屈をつけるが突き詰めると結局人は
私のメンバーの印象は下記
紹介はソロ曲順
桜色の方
踊りも歌も努力の跡が多々見られ
素晴らしい。
ただし言動はどこか欠けてて
サイコパスみを出すことも。
ただ私たちは
不完全なものに恋をするのだ。
お母さん衣装良かったよ
青色の方
歌と踊りが上手い
このメンバーの中では
名実ともに支柱
支柱というか大黒柱
唯一ヒノカミカグラが踊れる柱の中の柱
彼女がいなければ
ぶっ壊れてた歌も結構あるはず。
このあふれる能力をもってして、なお
もたざるものにも優しい。
能力も高いが
本人の目標はより高く
それに向けて頑張る自他ともに
お母さんの衣装良かったよ2
橙色の方
完全に枠外の
悪い意味で爆発力あり
なんとかしてしまう力
突破力はあるが
収拾つかなくなることも多々ある
一体我々は何を見せられているのだ
と思わせながら沸かせて成立させたのは
真っ先に駆け寄って声掛けしてたのは
なかなかできることではない。
配信もうまく2週間で500人くらい
白色の方
お人形のような色白
手足長くて
ホス狂いしてそうな
可愛い顔と細さ
声も可愛いくて
甘えん坊かと思いきや
意外としっかりしてる。
やる気になったら凄い。
顔と声可愛い。
ソロ曲よかったよ。
背の高い美人さん。
蓬色の方
多分一番器用
いい意味で爆発力あり
やる気がないと、何もやらない。
この一点において
もっとも伸び代が大きいし
個人的には思ってる。
なんとかしてもっと良さを広めたい。
書いてもいいよと言われたので書くが
メンおじにもお会いできるかと思い
事前に聞いていたサーモンランのTシャツを来た方を探したのだが、ついぞ見つけられなかった。
メンおじはまぼろしだったのだろうか。
海外に住んでると言っていたのだが
このためだけに帰国してるのだろうか。
本当に参加していたのか、より謎は深まった。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌「ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。
東のゼロ年代はゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムがゼロになる」という意味らしい(「現代日本の批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか。
3 ゲンロン
ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観で編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。
ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズは2010年4月6日に創業された。2009年の秋の飲み会でアイデアが出たそうである。宇野常寛、濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜(空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズの代表に就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表に就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかったかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。
「一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月号から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿は2010年代に書かれたのですが、出版は震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代のパラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもので民意をくみ上げようというものである。ゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代とゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。
「サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画は2ちゃんねるの動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSにネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。
「一般意志2.0」の次の主著は「観光客の哲学」(2017年)であるが、サブカルチャーを批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれてから、アニメやゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客の哲学 増補版」第2章によると、観光客は二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタクは原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客も住民の暮らしなどお構いなしに無責任に観光地をつまみ食いしていく。このように観光客は現実を二次創作しているそうである。
「福島第一原発観光地化計画(思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発で事故があり、ダークツーリズムの対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズムは二次創作への抵抗である(「観光客の哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地に観光に出かけると、普通の場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである(二次創作への抵抗)。
社会学者の開沼博は福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞のウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故のイメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客の哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府の戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年に東京大学大学院情報学環准教授に就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣「脱原発の哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラーは佐藤の博論(「権力と抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤はバトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラーの著作の邦訳を担っている)。「脱原発の哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤の博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。
「観光客の哲学」はネグリ・ハート「帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学的であるとして、郵便的マルチチュードとしての観光客を対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというもの、リベラルはマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客の哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二やこたつぬこ(木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判的である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実「革命的なあまりに革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命が成功していることになるのか」(「現代日本の批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。
東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である。経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうである。ブレイディみかこ・松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルがマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田は2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員の代表を務めている。
「観光客の哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学」である。こちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢が大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念の意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能性なのだという(森脇「東浩紀の批評的アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。
こうして現在(2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身の気質を自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事を自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体と境界侵犯の欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀・桜坂洋「キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からぬものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。
宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客が結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利を宇野が要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である(映画の原作なのだろう)が、宇野のウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代の論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代の批評をふり返った本の終章なのだから、2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代の論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。
濱野智史は「アーキテクチャの生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised:情報社会の倫理と設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドルが流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年、アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史(社会学者)が経験したアイドルプロデュースの真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。
千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰と東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベントで千葉はゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀と何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生を全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。
大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。
福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談「現代日本の批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。
津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田は2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督に就任し、東は2017年10月、企画アドバイザーに就任する。しかし、企画展「表現の不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルからも顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。