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はてなキーワード: 西欧とは

2017-11-21

anond:20171121120359

ポリコレ現在進行形進化してるので数年前は良かったことでも今ではダメみたいなことになってる

基本アメリカを中心とした西欧で起きてることで

日本企業海外活動したとき批判されることはあっても国内では盛り上がってない

ごく一部の人問題視し、左派リベラルはまさに「政治的に正しい」ので反発はしないが

かといって積極的に関わってもいない。従来の差別への批判はあるけど積極的平等化には欧米ほどには熱心でない

今後どうなるのかは予測不可能

喫煙がひと昔前まで大人のたしなみとして普通であった(中国では今でもそうだが)

のが今では害悪視されてるように急激に世論が変化するかもしれない

2017-11-02

西欧諸国日本喫煙事情を未開人扱いしていることに、いやタバコはお前らが持ち込んだんやろ!

と思ったけど流石に数百年前のことに責任を求めるのはどうかと思い直した。

2017-10-31

anond:20171031124245

魅力に乏しいジャップオスがやるからダメってだけなんだよな結局www

逆に言えば西欧白人様ならイタリア人マザコンドイツ人の男女役割意識の強さも全て許される

2017-10-26

右から左

我々日本人横書き文章を書く場合、左から右へ書くのが普通だ。

戦前右から左へ書くのが主流だったが、戦後から西欧に習って左から右へ書くのが主流になった。とウィキペディアに書いてあった。


先日横書きで「右から左へ」と書かれた文を読んで一瞬違和感を感じた。

から右へ「右から左へ」という文を読んだことでどちらが右でどちらが左かわからなくなったのだ。

我ながら阿呆だとは思うが、きっと全く同じような現象で左右がわからなくなった阿呆存在するだろう。いなかったら少し悲しい。

アラビア語では横書き右から左へ読むそうなので、アラビア語で「左から右へ」と書いてある文章を読んだアラブの人たちの中にもきっと同じ阿呆仲間がいるに違いない。

ここで少し脱線するが「左右」という熟語現代に適していると思う。

横書き場合から右へ「左」「右」という漢字が続くので先述のように混乱する阿呆もでまい。脱線終わり。

本題に戻る。ではいったいどのようにかけば「右から左へ」で混乱しなくなるだろうか。いくつか考えたのでここで披露する。

①「左←右へ」      とりあえず矢印を使ってみた。意味としては通じるが、文章のなかでこれがでてきた場合どうだろう。

            例:「左←右へ受け流す」   うーん…なんかイマイチ

②「←へ」        いっそ矢印だけにしてみた。だがこれでは例を出さずとも文としておかしくなるのはわかるだろう。やはり「左」と「右」の文字はないとダメか?

③「へ左らか右」    本末転倒

どうやらダメみたいだ。③を書いていて気づいたが「右から左へ」という文の左側に「右」、右側に「左」という漢字があるのが悪いような気がする。そこで次のように書いてみた。

④「みぎからひだりへ」 いっそひらがなで書いた。②での考察無視。「左」「右」の漢字が登場しないことと読むときのまどろっこしさのおかげで若干混乱しにくくなっているように感じるのは気のせいだろうか?


・・・・・・・・・だんだん自分でもどこが混乱するラインかわからなくなってきた。そもそも毎回「右から左へ」の文を読んで混乱しているわけじゃないし、多くの阿呆仲間だってそうだろう。なのでここで一応考案終了。

うーん、ここまで書いたはいものの、うまいオチが思いつかない。ので、これを読んでいるあなた質問します。2秒で答えてくださいねあなたが今マウスを(あるいはスマホを)持っている手はどちらの手ですか?右手?それとも左手

2017-10-25

ミクロ弱者マクロに救われるとは限らない

anond:20171023212011

弱者であれ強者であれ個人ミクロ存在なので、マクロから見た場合統計的しか補足できない。

「(マクロ意味で)弱者(の総体を)救えば、(マクロ意味で)強者であるあなた(の属する強者総体)も(一定範囲内で)利益を受ける(可能性が高い)」ってのが真実で、()の中が省略されているだけだよ。

でも個人人生あくまミクロベースなので、個人レベルでの生活論で言えば上記理論に私財(生命しろ財産しろ自由にせよ)を投入すれば、多くの場合不利益のほうが大きい。例えば金持ちが全財産をまるごと寄付して、即座に寄付総額よりも大きな利益を受け取れるってのはまあ、概ね間違いだ。そんな事例は検討する必要が無いほどレアだ。

どっちかって言うと確実なのは弱者虐待しすぎると自暴自棄になった弱者強者をぶち殺しに来るぞ」ってことで、宗教テロにせよ経済格差テロにせよ本質的にはこれだ。強者弱者に気を使う必要があるのは、別の、そして決定的レイヤである物理的な暴力」で逆襲をされないようにするという一点にかかっている。

そもそも最初の「弱者を救えば強者も救われる(利益がある)」ってのにおける「強者が得る利益」ってのは「殺されない(その可能性が低下する)」って言う利益だ。文明が進んで先進国になった現在個人間の格差ジャンルによるけれど、数十倍から数百倍にたっする。例えば資産とか、生涯賃金(稼ぐ能力)とかがそれ。先行者富裕層)絡みて一番イヤな種類の公平はファイトクラブ的な裸で拳な暴力世界であって、その世界では彼らのアドバンテージはなくなってしまう。それはある意味とても公平ではある世界だ。そして現代社会だって一皮むけば中身は全くそのまんまなのだ

でも「すべての人民の間には物理暴力がある」っていうただの現実は、先進国において強者(多くの場合経済的知的富裕層)にとっても、弱者(同じく経済的教育貧困層)にとっても不愉快事実だ。強者から言えば自分たち脅迫されうるっていうのはストレスだし、そもそも弱者側にも武器があるってことを知らせるのが不都合だ。弱者の側から言えば自分たち要求武力を背景にした強請りたかであるってのは不都合な事実だし、人権だとか考えておいたほうがストレスがない。そもそもこの件をほじくり返せば共同体(この場合国家)に「分断」が発生してしまって、それが国力低下を招くのは西欧見ればあきらかだ。臭いものは蓋をしてなあなあにしておいたほうが全員にとって都合が良い。

みんなが自分利益を最大化したいと思いつつも、自分以外の参加者を決定的に怒らせて団結を壊すのは全員の不利益であるので、なあなあでみんなが少しずつ我慢できる結果を模索する――その現場福祉政策政治的合意をさぐる国会であり、今回のような選挙だよ。

2017-10-13

anond:20171013151143

からそういうのが単に西欧猿真似じゃねえかって言いたいんですよ

自分の頭で考えてない

2017-10-05

2017年歴史に残る

日本西欧並みの現代民主国家へと脱皮する歴史的プロセスを我々は目にしようとしている。

そのきっかけの一つが、専制的な体制へと時計を戻そうとする一部の政治家の策略であったことは、まさに歴史上の皮肉である

枝野幸男歴史教科書に書かれると予言しよう。

2017-10-01

anond:20171001092816

当事者が声挙げるのは理解できるんだけど、それに便乗してる奴らは少なからずそうだろうな

ゲイ(に限らず、西欧白人認定弱者マークつきのマイノリティ全般)のことなんかどうでもいいけど、

弱者をダシにすれば一方的に殴れて気持ちいいってのが相当数いる

2017-09-30

そうですねえ西欧の尻馬に乗る独裁者とかねえ切りが無いですからねえシリアはどうなってるんですかねえ

他にも迫害されている属性など山ほどあるのに、なぜホモに限ってやたら肩を持つのか?

それは「海外でそう決まったから」「ホモ棍棒にすれば気楽に他人罵倒できるから」に過ぎない

西欧の尻馬に乗るしか能のないお前らの、さらに尻馬に乗ろうなんて思わんわ

2017-09-29

何かのマイノリティにやたら肩入れしてる奴に限って

よそのどうでもいい集団に「お前らも徒党組んで運動したらいいだろ」とか言いがちなんだけどさ

そもそもお前が彼らに肩入れしてるのは、別に彼らが運動したその結果というわけじゃなくて、

単に海外(というか西欧の一部)でそう決まったもの猿真似してるだけじゃねえか

お前らの存在のもの運動なんて無駄って言ってるようなもんだぞ

ソ連崩壊以来やっと

政界からソ連北朝鮮リベラルが消えるチャンスが来ている

とてもとても時間がかかったけれど

これで全滅するわけじゃないけれど

それでも良いことだ

これは西欧リベラルを望んでる人達にとっても良いことなんやで

まだまだ言論界や学界にはうんざりするほどいるけどな

anond:20170929112710

しろ彼らはキリスト教価値観(当初と全然違う気もするけど)がバックボーンにあるだけマシで

ジャパニーズリベラルなんかそれすらない、単なる盲目西欧崇拝でしかないじゃん

2017-09-27

旧宮家を復活しても、男系の維持なんて無理なんですよね〜・・・

単純な算数問題

統計見方にもよるが、一家庭内において男子が産まれ確率というのは、

「子をX人授かる可能性」その中からさらに「男子である確率」となり、

一般的出生率(⇓)など用いて算出すると、どうしても減少傾向(右下下がりの傾き)とならざるをえない。

(参考: http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei15/index.html


これらを鑑みると、純粋に「男系男子」だけで家を維持しようとした場合は、

確率的に「3〜5世代」のどこかで、維持が困難という事になってしまう。

なので、旧くからある商家などは、早い内に丁稚やら、婿養子候補などを招き入れ、家が存続できるような仕組みを担保するようにしていた。

(今となっては考えられないが、それ故、「妾」といった存在が、時と場合に応じては許容されていた時代もあった・・・


もう一寸、分かりやすくまとめると、

旧宮家を復活 → 分母を増やす

再婚OK分子を微増(西欧では重婚が不可なので、この形式をとった王室がある)

側室制度の復活 → 分子の数を増やす(増やしたければ、いくらでも調整可能

分母が増える策は、確かに、一時的な維持確率を引き上げる事が可能だが、減少傾向(傾き)を留められるような策ではない。

(増加傾向に転じさせる事は不可能


いま、皇統継承者4名中、50代未満の男子は `悠仁親王殿下` お一方だけと・・・、なんで、これもっと問題にならないんだろうか。


左翼方は、最早、叩く必要すらなく、天皇制を廃する事ができる所まできていて、御の字なのかもしれないが、

右や保守よりの方々は、もうちょっと騒いでも良さそうな気はする。

2017-09-23

anond:20170923054139

そういう人は西欧世界の全てだしもっと言うとフランス北欧びいきなだけなので

何言っても無駄でしょう

2017-09-17

文化剥奪文化の盗用についてのメモ

ブログに書こうと思ったんだけど、どうもよく理解できないので、メモのままここに残しておく。将来利用するかどうかはわからない。


文化」とは、社会に共有された生活様式。この場合社会とは、コミュニティであったり地域であったり、場合によっては国家支配する領域であったりする。生活様式には、言語伝承なども含まれる。

文化的同一性」とは、その社会の成員がその社会に属しているものとして自覚できる文化社会に共有されたものであると同時にその個人のものでもあるため、所有意識が生まれる。

「所有」とは、他者排除して占有する権利のこと。権利であるがゆえに社会的に定まるものであり、社会的に定まるがゆえに社会によってその範囲は異なる。また、抽象的な存在に対する占有可能にするためには、何らかの概念が共有されている必要がある。例えば著作物に対する所有は、複製や営利に関する一定概念が共有されなければ無意味になる。

剥奪」とは、社会的強者社会的弱者権利を奪うこと。奪われる権利が物品財貨の所有権である場合搾取となる。

文化剥奪」とは、ある社会集団所属するひとの文化的同一性を保持する権利を奪うことである。例えば狩猟社会において狩猟禁止することや伝統的に行われてきた祭祀禁止することなど、旧来の生活様式禁止することは文化剥奪にあたる。創氏改名文化剥奪典型である

文化の盗用」(cultural appropriation)とは、社会的強者社会的弱者文化をあたか自分のものであるかのように占有する現象


文化の盗用が問題になるのは、盗用によって本来のその文化の保持者の文化的同一性が脅かされるからである。すなわち、自分自身所属する社会集団文化が他の社会集団のものとされることにより、自分自身同一性を脅かされる。すなわち、文化の盗用問題は、文化剥奪問題一種であるということができる。

文化の盗用問題に対する抗議が文化的標識(例えば特定民話伝承)の使用権問題として表面化するのは、弱者強者に対抗する論拠がそこに求めやすいからでしかない。実際の問題は、使用権にではなく、社会的支配・被支配関係にある。


文化剥奪問題は、弱者側の自主的同化を伴うため、外見上、単なる時代変化と線を引きにくいものになる。たとえば明治日本欧化政策は、軍事的経済的政治的に圧倒的強者であった西欧世界による日本文化剥奪であったが、それが日本社会の側から強者に対する弱者の対抗策として実施された主体的ものであったことも事実である。その際に、「和魂洋才」といった文化的同一性保持のための辻褄合わせが提唱されたことなど、分析すべき点は多い。

朝鮮人に対する創氏改名は強権的な文化剥奪であり、戦後在日朝鮮人韓国人通称使用第一の原因であるが、在日側の日本国内在住のための利便性からの選好という側面があったことも否定はできない。そのような姿勢経済的社会的権力関係が強い影響を与えたことも事実である。このあたりは非常に重層的で、軽々しく断じることができない。


いずれにせよ、文化剥奪強者弱者に対して行うものであり、このような議論が昨今日本人から発せられているという点は、社会集団の力関係の変化を考察する上で興味深い出発点になるかもしれない。

差別する自由なんてねーよクソが

差別する自由」はある

https://anond.hatelabo.jp/20170916180720

共同体ルール尊重すべきもの差別ではない」と言う人がいる。

しか因習という言葉で示されるような差別的ルールは、元増田が示したように現に存在する。確かに私たちからすれば、それは差別である

はいえ、それは今自分らが属する共同体から見た意見であって、実際には共同体同士の意見の相違、西欧に端を発する価値観に身を浸した自分らが勝手に「差別だー」と言えるだけかも知れない。その定義からして差別であることに違いはないにしても、その共同体には差別以上に大切なことがあるのかも知れず、それを無視して私たち価値観押し付けるのもいいことなのかどうかわからない。

そういうふわっとした文脈で見るならば、この問題は「差別するのも自由ね」ということではなく、「その風習が「差別」だとしても気にしないある共同体価値観」が尊重されている、ということになる。つまり単純に、差別云々よりも優先される大きな枠組みがある、ということだ。

話は変わるが、「男女は違うのだから区別必要だ」などと言いながら無根拠ジェンダーロールを押し付ける人がいる。これは一つの例えで、「◯◯は区別差別ではない」ということを言う人が、そのじつ差別をしていることは多い。だから差別区別根本的に同根だと主張することには「あなた区別だと思っているそれは差別かも知れませんよ」という啓発の意味がある。実際問題区別する以上はそこに区別する意図があり、その意図区別される側からすれば不利益を被るものである場合、更にそのことに区別する側が無自覚場合(事実、往々にして無自覚である)は、こうした啓発には十分な意義がある。

しかし、差別区別は違う。何が違うって、単純に言葉が違う。区別差別と考えることは(ある意味で)わかりやすいかも知れないが、それでは人類差別主義者となってしまう。「生きるのは罪なことだ」と嘯いているうちはまだいいが、そこから「だから私も当然差別をする」までの論理的距離ゼロである。「差別」という言葉告発されるべきアホみたいな現実は山ほどあるし、それは生きる上で「区別」することを避けられない人間において、それでもこりゃあないよと言いたくなるような、一線を超えたものである

ちなみに、以上のような話題になると、「私も当然差別しているが、差別していることを自覚している」という人が現れる。自覚の有無で人間としての高貴さを測ろうとするこのタイプは、実のところ、自分差別-区別スキーム他人押し付けているだけで、過去の人たちが作った「差別」という言葉には興味がない。その「自覚した差別」を「区別」と呼び、「無自覚差別」を「差別」と呼べばいいだけなのに、なぜか自分用語法に拘る。それは、彼らが本当は差別に興味がない、あるいは差別をなくそうとは思ってないからだ。「差別がなくならない世界を知っている私」を誇っているだけである

長々と関係あるのかないのかわからない話をしたのは、「差別する自由」というのは、「差別がなくならない世界を知っている私」のどうでもよいアピールの亜種でしかなく、本当にクソみたいな話だと思ったからだ。別にそれだけなら勝手に言ってろという話だが、改めて言うと、そこから「だから私も当然差別をする」までには何の論理的手続き必要としない。その結論を止めるのは、ただ現実にクソどうでもいいことでアホみたいな差別されて不利益を被っている人の声を聞くことだ。

がんばれクソども。

2017-09-03

https://anond.hatelabo.jp/20170903062913

こういう時は被害に遭った年頃の少女を担ぎ上げればいいんだよどっかの誰かみたいに

あ、それでも西欧のみなさんは取り上げちゃくれないか

ジャップさあ

古代には中華文明に影響を受けて

近代には西欧文明の教えを受けた

なのにこの体たらくだよ

中華の狡さも西欧の賢さも無い

ただの土人

2017-08-29

ミサイルを撃ち込まれても憎しみの心を燃やさな日本人世界最強民族

ISISが各地で巻き起こすテロによって、憎しみと不安を煽られ報復ムードの中疑心暗鬼と混迷を極める西欧諸国

一方、極東の地には、隣国独裁者武力誇示として撃ちこんできたミサイルを笑い飛ばししま民族が居た――――

2017-08-14

https://anond.hatelabo.jp/20170814191715

性教育ってあくまで薬物で言う所のハームリダクションにみたいに行われるのが良いんだと思ってる。性行為に関わる様々なリスク回避しようと思ったらしないのが一番なんだけど、なくすことができないか対策を教えるみたいな。そういうスタンス以外ありえないでしょ。

その思想はたぶん明治期か戦後か知らないけど西欧で劣勢になって日本に逃げ延びてきたプロテスタント系潔癖主義で、真理とかではなく舶来品崇拝と精力的な布教で進んだ観念のように思い込まれているだけの、認知的不協和から快感を引き出す一種性的嗜好だと思う。

生殖を最低限必要な限度に抑えた形が生物として優れているというのはおかしいでしょ。繁殖しろよ。旧約聖書だって「生めよ,増えよ,地に満ちよ,地を従わせよ」って書いてあるだろ。DQNのように増えろよ。そして確実に増やす算段をしろよ。

2017-08-12

https://anond.hatelabo.jp/20170812153928

これが西欧キリスト教民主主義社会であれば、自分の子供の裸をうっかり公開してしまっていた親族検挙される。そういう事例はいくらでもある

本当?

Youtubeみると第二次性徴前の女児上半身裸で遊んでる動画は山ほどあって削除される様子もないんだけど。

女児の裸は基本エロいものじゃないけど性的ポーズをさせたり性的に見てはいけないってのが

向こうの考え方なんじゃないかと思うんだけど。

日本のあらゆる問題児童ポルノ取締り象徴されてる

Google 画像検索で「ボディペインティング」で検索してみてほしい。

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%9C%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiFgYOgiNHVAhUCVbwKHRsXCM0Q_AUICigB&biw=1600&bih=894

裸の児童写真が大量に得られる。これらの画像がどういうコンテキストインターネット上に公開されているかというと、保育園とか親とかが完全に善意で公開しているにすぎない。

そして、保育園運営者とか、親とかが児童ポルノ公然陳列で摘発されるということはない。

が、これらの画像児童ポルノマニアらが、児童ポルノとして扱ってまとめサイトみたいなものを作ると、それは児童ポルノ公然陳列であって違法だ、ということに日本ではなっている。

これが、これこそが日本のあらゆる問題象徴している。日本国憲法第19条には「思想及び良心自由は、これを侵してはならない。」とあるしかし、ここで問題にされるのは、児童の裸の写真をどういう気持ちで扱っているかというまさに「思想」の問題であって、つまり日本では内心の自由がない。

児童性的被害をこうむらないためにはどうすべきか。何も考えずに自分の子供の裸の写真インターネットに公開する親たちの、その「行為」を問題にして断罪しなければならないはずだ。実際には、児童ポルノマニアたちの「思想及び良心」を問題にして検挙ターゲットを絞ってしまう。これが日本だ。

これが西欧キリスト教民主主義社会であれば、自分の子供の裸をうっかり公開してしまっていた親族検挙される。そういう事例はいくらでもある。

平均的な日本人はこれを「杓子定規すぎる」「堅苦しい」と感じるはずだ。そして児童ポルノマニア内心の自由が侵されている点を問題視する者はあまり多くないのではないか(すくなくとも国会議員裁判官はそう考えている)。

マッカーサーはこの問題理解していた、しかマッカーサーあくまでも「行為」を問題視する世界観のみを持っていたから「憲法に"思想良心自由不可侵タルヘシ"と書けば十分」と思ってしまった。もちろんそれは間違っていた。

日本人が「行為」ではなく「内心」を裁く民族であるというのは、それはそれでよい。というか俺が「よい」とかなんとか言う問題じゃない。それを所与の条件として日本人にとってより優れた社会を築くため個々人が努力をすればよい。優れた社会を築きたくないのであれば、それはまあ、各自やっていけばいい。ただ、その事実を皆が直視したほうがいいと思うんですよ。

俺が一番いいたいこと

Google児童ポルノフィルタを開発してる奴らはもうちょっと真面目にやれ

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