はてなキーワード: 西欧とは
海外非日本語話者が日本語を学ぶにあたっては漢字かな混じりは最大と言ってもいい障壁だからその面ではやや残念。
海外で日本語を学ぶ人は今も昔もほぼビジネス上の必要性から(技能実習生とかも)ってパターンが多いけどそれだと生活がかかってるからまあガチ勉で乗り越えられる。
でも日本の経済的パワーの衰えに従っておそらくその絶対数はどんどん減っていくと思う。
今だとその流れを補うかのようにアニメマンガとかコンテンツ力が上昇してるから「文化が好きで」日本語を学びたいという人は増えてはいるけど悉くひらがなかたかな・文法あたりで挫折して諦めている。
その点韓国語は文法的難易度は日本語と一緒くらいだけどハングルのおかげで書き文字を学ぶ難易度が日本とは段違いで簡単なのでKPOPとかを入り口にしても日常的読み書き会話までマスターするとこまで行ける人の率が高い。
そういったこともあって英会話アプリとかで西欧圏の人と話すとかなりの確率で韓国語を学んでいるという人に出会う。
宗教的に(特にカトリック)離婚が犯罪と等しいような文化の国では
今の日本の社会制度は欧米から多大な影響を受けているので、まずは西欧諸国の話をすると、
エリザベス1世やブラッディ・メアリーでお馴染みのメアリー1世の父親であるイングランド王のヘンリー8世は
自分が離婚したいがために国教をカトリックからイギリス国教会へ変更したくらい、カトリックでは婚姻は重要なものであるといえる
その頃にはもはやカトリックの価値観を社会制度にするには時代が変わってきていたわけで、
その後にはプロテスタントが勃興していくんだけどね。
で、第二次世界大戦敗戦後にいまの婚姻制度が日本に入ってきたんだけど、
当時の日本では愛人がどれくらいいるかが男のステータスになるというくらいガバガバで、
これは私は2点あると思っていて、
・古くから農村部にあった儒教的価値観(家族や一族を大切にする)を持った人が都会へ出てきた
これらによって、男性は一人の女性と一生寄り添うことが美徳という価値観が生まれたのではないかと予測する。
この感覚は現在の婚姻制度をはじめとする社会制度ととても相性が良かったんだよね。
そして現在、増田のような世代が現在の社会制度と現実との乖離に違和感を感じていると思うんだけど、
実際に政治を動かしているのは今のままが良いと思ってるおじいちゃんなんだよね。
単に俺が知らないだけなのかも知れねえけど、少なくとも俺は聞いたことがねえんだよなあ。
満州国とかラスト・エンペラーとかあの辺はやっぱかなりクソでさ、そういやラバウルとかの方にも大分謝らなきゃいけねえ気がするんだよ。
でもその辺を西欧諸国による侵略から救ってやったんだからトントンじゃねーかむしろお釣りが出て感謝されるぜってふんぞり返ってるようなイメージがあんだよ。
なんかニュースでも事あるごとに日本が昔「解放」した地域の人達が「ニホンジンダイスキーアリガトー」と言ってますよみたいな話が聞こえてくるのがなんか大本営発表の続きみたいだよなって。
まあゆーて謝罪半分開き直り半分でやってくしかねえのが歴史との付き合い方だってのは分かるよ。
アメリカが今更インディアンにどんなに謝っても戻せねえものが多すぎるし、侵略の象徴たる銃の携帯を正当化するのを辞めて成立させられる社会構造にするにはあと200年ぐらい必要だろうってこともな。
日本と満州の関係もそういった曖昧な道の途上なのかも知れねえ。
でもさ、なんつーかもうちょい「我が国はちゃんと謝りに行きましたよ。エライ!」ってニュースを定期的に聞きてえんだよなあ。
そこに漬け込まれそうだから謝らないじゃなくて、謝った上で漬け込ませないっていうアメリカナイズされた外交的強さを持って欲しいんだな
5chのスレが立ってて気付いたのだが有名なサイバーロッカー(昔の言い方だとアプロダ)サイトのZippyshareが今月末での閉鎖を発表したという。
Inofrmation about the closure of the project | Zippyshare.com
https://blog.zippyshare.com/?p=1211
BingAIに聞いてみるとZippyshareはポーランドの法人によって2006年に開設された。問題ある海賊版サイトとして西欧諸国では利用できないようにアクセス規制されていた。
公式の声明では閉鎖の原因として・新規の競合サイトが増えたことによるアクセス減少、・アドブロックで減った収入を広告を増やすことで補い更にユーザビリティが下がりアドブロック利用が増える→広告増やすという負の循環疲れ、・電気代が昨年から2.5倍に高騰、といった理由を挙げている。
自分自身は保守だと思っている。8valuesやIDRlabsの政党座標テストなどでは中道的と判断されたが、日本特有のこととかがなかったりする関係でそうなっているだけで自分自身はれっきとした保守だと思う。
では、本題に入ろう。
自分的に左派やLGBTQ+活動家が掲げるジェンダー平等は逆効果、つまりLGBTQ+の人々が生きづらい社会にしてしまうのではないかということである。なぜならこの政策は「心の性別が男」「心の性別が女」の定義を決めつけることになってしまうからである。つまり左派やLGBTQ+活動家がこの政策を主導する目的である「多様性を認めること」とは逆のことをしているということになる。金子みすゞは「みんなちがってみんないい」と詩の中に書いていて、自分はこの言葉こそが多様性を認めることだと思う。また、LGBTQ+の中にはXジェンダーやノンバイナリーといった人達もいる。Xジェンダーとは心の性別が男か女かはっきりしていない人、ノンバイナリーとは心の性別がない人のことを指す。この人たちのためのジェンダー平等とは心の性別を気にしないことではないだろうか。
ここで読者に質問がある。「心の性別」はどうやって判別するのか。
おそらくほとんどの人が「?」となったはずである。上にも書いたように心の性別の定義はそもそも存在しない。性的指向は存在するが、「心の性別」という言葉についてはどう考えてもレッテル貼りに過ぎないのではないか。いくら性格が似ている人間でも全く同じ人間は一人たりとも存在しないはずである。心の性別での男女の基準は何なんだろうか。自分には到底わからない。でもこれだけは言える。心の性別というものは存在しない。心はみんなそれぞれ違う。そもそも「性別」というものは生物学的なものであるというのになぜ心理学的な側面で使おうとするのか。自分には到底わからない。そもそも「男らしさ」「女らしさ」の概念をなくすべきである。
「心の性別」というものが存在していても、浴場やトイレといった性器を露出する場面では生物学的な性別で分けたほうが適切だと言える。心の性別で分けていいのはそのような場面を除く場面のみだと思っている。(そもそも心の性別は存在しないのだが。)また、日本国憲法には「公共の福祉」というものがある。この観点から言っても浴場やトイレといった性器を露出する場面では生物学的な性別で分けるべきである。そんなに入りたいのであれば性適合手術を受けるべきである。
このような長過ぎる本文になってしまったが、要点をまとめると、
ということである。
なお、これまでなんか違うなと思ったことを書いてきたが、流石に賛同できるところも書いたほうが説得力があると思ったため箇条書きで書いていく。
ちなみに同性婚について一言言っておくが、どう考えても誰と誰が結婚するかについては全くの他人事として気にしないほうがいいと思う。気にすると他の家庭への干渉になってしまうから。
あとは西欧の方々に言っておきたいことがある。男の娘とトランスはぜんぜん違う言葉である。性自認が男であろうが女であろうが男の娘であることには変わらない。後者であると決めつけるのはやめてほしい。
...と長くなりすぎたが書くことは書いたので終わろうと思う。
では。
chatGPT の回答
”””
左派の人々が平和や人権の重要性を主張しながら、中国の人権侵害やロシアのウクライナ侵攻を批判しない理由は多岐にわたります。以下は、一般的な理由の一部です。
まず、左派の中には、アメリカや西欧諸国など、先進資本主義国家の影響力に反発し、彼らが支配する国際社会に対して批判的な立場を取る人々がいます。このような人々は、中国やロシアなどの社会主義・共産主義国家を、資本主義諸国に対する反抗の象徴として見ることがあります。そのため、中国やロシアが人権侵害を犯したとしても、彼らに批判的な立場をとることができず、あるいは批判することができないという場合があります。
また、左派の中には、日本の過去の戦争犯罪についての反省と謝罪を求める立場にある人々もいます。彼らは、日本が他国に対して犯した人権侵害や戦争犯罪に対する反省と謝罪を求める立場をとっているため、他国の人権侵害について批判することができないという場合があります。
さらに、左派の中には、国際社会の力関係によって、一部の国々が人権侵害を行っても批判されない現実に対して、懐疑的な立場をとる人々もいます。彼らは、人権侵害を行っている国々を批判することが、その国々への敵意や攻撃を助長することにつながる可能性があると考えている場合があります。
これらの理由以外にも、個々の人々がそれぞれの立場や信念に基づいて、批判するべき問題や、批判しないべき問題が異なる場合もあると思われます。
”””
https://twitter.com/ginirorider/status/1618749734881210370
猫目石🐾🧷💍💙💛猫柱・猫の呼吸
@ginirorider
千葉美裸さんや伊藤詩織さんのような性暴力被害者に粘着して誹謗中傷した連中や変な陰謀論でcolaboを叩いて女性へのヘイトスピーチをする #暇アノン 、その暇アノンに便乗してバスカフェを妨害した煉獄コロアキ
@frompoison
21時間
性被害者の女性を死ぬまで追い詰めた、名指しされた #暇アノン 。どう責任取るつもりだ?
消すなよアカウント。
園子温を告発していた女性は二度も三度も殺された。男たちによって。 twitter.com/Nyaho2c/status…
https://twitter.com/kon7110_0701/status/1618724188625444868
こんな人0701@自民党政権打倒
@kon7110_0701
このツイートにあるように、北米・西欧に限らず世界的にみれば、ミソジニーに凝り固まった男性である岸田、菅義偉、麻生、ひろゆきらは、信用されていない一方で、伊藤詩織さんのように女性差別や性暴力に抗議した女性は、特別な敬意が払われていると思う。 #colaboに連帯します #StopFeminicides
@kenjiitojp
フェミニストが嫌われているというのは日本語圏SNSとか、男性中心の企業等での話では。国際的には、少なくとも北米ヨーロッパでは、むしろ日本のミソジニストの方がはるかに嫌われているだろうし、彼らのことが知られれば知られるほど嫌われるだろう。
※以下に書くことはサッカーファンにとってはほとんど常識と言って良い内容だが、そこまでのサッカーファンでない、日本代表の試合くらいは見るけどJや海外サッカーまで追ってないような人たちのために書いている。
つい先日、レアル・マドリードの先発にスペイン人が一人もいないという状況が起きた。
と聞くと「リーガ・エスパニョーラって外国人枠無いの?」と思うかもしれないが、半分は正しい。今のリーガ・エスパニョーラやセリエAに『外国人枠』はない。というか作れないのだ。
ボスマンという選手が移籍を巡って提訴した裁判の判決が1995年に出て、「EU内での労働者の移動の自由」はサッカー選手にも適用されることになった。
だからそれ以降、セリエAやリーガ・エスパニョーラに存在するのは『外国人枠』ではなくて『EU外選手枠』に改められた。
逆に言うと”EU加盟国の選手であれば外国人でもいくら取っても可能”ということになり、2010年にはとうとうイングランド・プレミアリーグの試合なのに両チームでピッチに立っている選手にイングランド人が1人もいない試合という事態も発生した。むしろレアル・マドリードはよく持った方だ。
とはいえ、ここまで来ると『チームのアイデンティティとは何か』という概念にも関わってくる。スポンサー料や放映権料も重要だが、クラブチームにとっては入場料も決して無視できる収入ではない。
そして、入場料を一番多く払い、あるいは国内向けの放送を熱心に見てくれるのは、自分のクラブを『おらが街のクラブ』として長年応援し続けてくれる人たちだ。
(余談&完全に増田の私見だが、この『おらが街のチーム』として熱心な固定ファンを掴むのに最も成功している日本のスポーツチームは、プロ野球の阪神タイガースである)
そういう人たちが『外国人ばかりのチームでは自分たちのチームと思えない』と思うのは地域密着の理念から当然のことであるか? それと排外主義の差別主義者か?
少なくとも簡単に答えの出せる問題ではないし、『自分たちのクラブと思えないから”自分は”スタジアムに行かない』というのを止める権利は誰にもない。
だがそんなことが多く起こるようになったらサッカーの将来にとってあまりプラスにはならない。スタジアムに観客が少ないとやはり盛り上がりに欠ける。
そういうわけでここ数年「ホーム・グロウン」という制度ができた。欧州のカップ戦(チャンピオンズリーグおよびヨーロッパリーグ)に登録できるシニア(22歳以上)の選手は25名までで、
そのうちの最低8人までは、21歳までに3年間は『自国内のクラブに所属した(≒育てられた)』選手でなければならない。国籍で問うとEUの判例に引っかかるので『育った場所』を基準とすることになった。
チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグに出ないクラブには関係ない(プレミアリーグのように、同様の制度を自国で用意したリーグを除く)が、
資金力が小さくヨーロッパのカップ戦に届かないクラブほど自国出身選手が多いのが常なので問題は少ない。
これも「EUの理念」からは後退なのかもしれないが、「地域に根ざしたスポーツクラブ」という理念からはむしろ正常化とも言える。
とはいえ、アメリカ大陸やアフリカやアジア出身の選手から見れば『EU外選手枠』の中で争うよりは『EU内のどこかの国の市民権持ち』扱いになった方が色々と有利なのも確かだ。
そういう時に有効活用(?)されるのが先祖の血統だ。南米やアフリカの選手の場合、先祖を少したどればどこか西欧の国に行き着くことは珍しくない。
そういう場合は血縁を理由に先祖の国の市民権を取得し、代表は変えず(というかFIFAのルール上変えられない)にEU内選手として潜り込むということが多い。
日本や韓国の選手はそういうことが基本的に出来ないから不利ではある。ハーフナー・マイクや酒井高徳はもしかしたら可能なのかもしれないが……。
少しFIFAのルールに触れたが、現在のサッカーではA代表(年齢制限のない代表)で試合に出たら他の国の代表として試合に出ることはできない。
オリンピックだと、前の大会で卓球の中国代表として出場していた選手が次の大会ではアメリカ代表として出ていたりするが、サッカーでそれはできない。
もちろん、ユーゴスラビアのように国そのものが分裂した場合は別である。
逆に言うと、『A代表で試合に出ていなければ』2つ以上の国を天秤にかけて代表を選ぶこともできる。
(ちなみに以前カタールが『代表に選ばれない程度の、ブラジル人などの有力選手(カタールとは縁もゆかりもない)』
に声をかけてカタール代表にし、手っ取り早く代表を強化しようとしたこともあった。流石にFIFAがそれをさせないルールを作ったが)
だが一方で、フランスが若手の育成組織を整備して1998年にW杯を制して以来、どこの国でも多かれ少なかれ”サッカー選手の育成”に金をかけて取り組んできた。目的はもちろん、自国代表の強化だ。
そんな中で上述したような『南米やアフリカと、EUの国の多重国籍』の選手が、必ずしも自国の代表を選ぶとは限らない。
2000年前後にトルコが強かったのは、『ドイツで生まれたトルコ移民の子孫が、トルコ代表としてプレーする』ことが多かったからだ。
最近ではドイツ代表にもトルコ系の選手が出てきたが、今度は”国策育成の本家”フランスの方で問題になってきている。
2011年、フランスサッカー協会の技術委員会役員が『アカデミーに入れるのは白人を中心とし、黒人やアラブ人は25%以下に抑えるようにできないか』と委員会で発言したことがリークされて物議を醸したが、
そのような発言が出るのは委員個人が極端な差別主義者だったからではなく、『フランスの金で将来のフランス代表として育成したのに、最終的には母国のアフリカ諸国の代表になる』
選手が無視できなくなってきたからだ(もちろん、だからといって許される発言ではないが……)。
アフリカ諸国の協会とEU諸国の協会ではEU諸国の協会に金があるのは成り行き上当然のことであり、最終的には才能なのかもしれないが育成のために金があった方が効果的なのは事実だ。
そんな中で協会としては『アフリカの協会は欧州の金で育てた選手に”ただ乗り”している』という被害者意識が出てきている。
https://togetter.com/li/1869089
こういうまとめ見ててもさあ、単純に「ロシアは蛮族なんだ、野蛮なんだ、おかしな連中なんだ」(=自分達は正しく西欧側・自由民主主義側の枠内にいられるんだ)みたいなコメントばっかり出回ってるわけだけど
西欧・自由民主主義側が絶対に正義で疑ったりしてはいけないことになってるのか、なぜ自分が安心できてるのか(ロシア人・〇〇人はそういうもんだって嫌韓の焼き直しみたいなことをいえるのか)、そこまで踏み込んで考える奴全然いないよね
別にロシア万歳!ロシアの戦争正義!とか、大日本帝国万歳!アメリカ倒せ!みたいなことを言いたいわけじゃなくて(ロシア国内で今「何でロシアの戦争が正義なの?なんで俺達が徴集されなきゃいけないの?」と思ってる人は大勢いるだろうし)
もうみんな忘れてるだろうけど数か月前にアカデミー賞の式典でウィル・スミスが妻を侮辱したコメディアンを殴った時の日米の反応の差の時(反応差があること自体が悪い、みたいな)も思ってたし、前々から機会があればずっと思ってたんだけど
何でそう、何か「日本」という国名が付いてるだけで後の中身はヨーロッパや北米のごく一部からしか発していない風習に染まり切らなきゃいけないのか、それがごく当然の事となってんのか、全然分んないんだよな
「今、そうなってるから」「今それで発展してるから」ってのは追認とか気休めであって説明じゃないよな
西欧諸国もアメリカもある時点までは海外に力で自分達の力を押し付けまくって(戦前日本もその列に加わったり、都合が悪くなると看板替えて「大東亜共栄圏」とか言ったりして)た時期があって、別にその時点で「自由民主主義」が正義だった事は無いわけで
そんである時点から「なんか力ばっかり押し付けるのは止めにしたることにしたわ、ウチの若いもんも死にまくるし評判悪いから」ってなって一応西欧の一部諸国が勝手に体面だけ取り繕うようになっただけだよな
(旧植民地はそれに感謝しないといけなくて、感謝しなかった国は解放時に事務机まで取っ払われないといけなかった)
枝末になるけど別に「アメリカやイギリスの自由民主主義」が無くても中国も日本も世俗的には発展してたし、独自の政治参加や人命尊重の概念は発展させてたし、アメリカインディアンはアメリカ独立やフランス革命と何ら関係なく自前の高度な民主主義を持っていたわけで
そんで侵略とかは一応しなくなった後も、「アメリカでは親は子どもと同じお風呂に入りません!」(までならともかく)→「同じお風呂に入る日本は野蛮!」みたいなバカみたいな文化の解釈と押し付け(宮城遥拝の押し付けと変わらん)を官民一体でしてくる訳だろ
(あとこういう時に引合いに出される「アメリカ」ってごく一部のWASP・セレブのものであって絶対にインディアンやラテンや黒人や混血の文化なんて参照されないよな)
相対主義って最近叩かれがちだけど、それも程度問題で、何でここまで卑屈とすら言えるレベル(しかも「前からロシア人は気にくわなかったんだ」みたいなスネオ精神丸出し)で自分の境遇に満足したり疑いを持たなくなるのかを考えると、
結局その「政治的」か否かを判断するのは誰なんだって話なんじゃないかね。
「何事も政治と無縁ではない」は政治厨の偉そうなお題目だがことFIFA関係では一蹴できるものでもないと思うわ。
正直なところ今のタイミングの「スポーツに政治を持ち込むな」は「FIFAが許さない政治的パフォーマンスがダメだ」にしかならんのよ。
2020年アフリカ系アメリカ人のフロイドが警察に殺された事件に対してドイツのブンデスリーガで抗議パフォーマンスが行われた時、
FIFA President Gianni Infantino adds: "For the avoidance of doubt, in a FIFA competition the recent demonstrations of players in Bundesliga matches would deserve an applause and not a punishment.
(訳)FIFA会長のジャンニ・インファンティーノはこう付け加えた。「疑義を避けるために言えば、FIFAの大会においては、ブンデスリーガの試合での選手による最近のデモンストレーションは罰ではなく賞賛に値するでしょう」
全文を見るとこの直前に競技規則の適用は競技主催者に委ねられていると言った上でこう付け加えているので、つまるところ規則の罰則を与えないようにとFIFAが直々に示唆したわけね。
それでこれは「政治的」ではないんですかね?この会長、賞賛(applause)に値するとか言っちゃってますけど。
FIFAはSTATUESで人権の尊重(第3条)を掲げ、あらゆる種類の差別は固く禁じられ(strictly prohibited)る(第4条1項)としている一方で、
FIFAの目的に影響を与えるものを除い(matters affected by FIFA’s statutory objectives)て政治や宗教には中立を維持する(第4条2項)としている(FIFA STATUES 2022)。
これ自体は2020年時点でも存在しているのでフロイド事件の抗議についても政治的中立性を守らなければならないはずで、
適用除外に言う目的(statutory objectives)とは同第2条に制定されている目的が具体例だと思うが基本的にはサッカー関係の運用についてでありこの件で関係あるとも思えない。
これをFIFAが「政治的/非政治的」または「許される/許されない政治性」だと判断できるというなら何と傲慢な価値観だろう。
そもそもFIFAという組織が公式サイトに"SOCIAL IMPACT"という項目を作って、そこで政治団体のように"Sustainability"(持続可能性)"Safeguarding and Child Protection"(児童保護)"Human Rights & Anti-Discrimination"(人権と反差別)などと高邁な政治的理念を掲げている有様である。
あくまでサッカー競技の運営上必要だからだと言うならそれ以外の「政治をスポーツに持ち込むな」という理屈も分からんでもない。
「加盟団体や試合上の差別は競技の発展という目的上許さない。しかしそれに関係ない差別には何も言わない」のならそれはそれで一貫してもいる。
しかしFIFAときたら"SOCIAL IMPACT"などと言い出すのだからその理屈は罷り通らんってわけ。
会長は「西欧はカタールに道徳を説く前に3000年を反省しろ」と言うがよくもまあこんな状態のFIFAの人間がこんなことを言えるものだと感心したよね。
フロイド事件への抗議が許されるのはFIFAが大会中に行っている反差別デーとかいう政治的キャンペーンに合ってるからなんかね?
FIFAが掲げている政治的な綺麗ごとは正しくてFIFAに都合の悪い話は大会の場で排除されるべき「政治」なのか?
政治がそんなに嫌なら一々そんな高尚な政治的理念を掲げるなよ。なーにが"SAY NO TO RACISM"、"SHOW RACISM THE RED CARD"だよ。
それともこの明らかな西欧由来の「アタラシイカチカン」は非政治的で正しく中立的で普遍的な価値観なんですか?そりゃポリコレ超えてんな。
普段リベラルのダブスタや傲慢性を糾弾する人までもが、FIFAの欺瞞を無視して「FIFAも正しい」ってブコメに賛同してる様はあまりに滑稽だわ。
スポーツに政治を持ち込むな、って「紛争のきっかけになるものを持ち込むな」の意味だよな。リスク管理の話。
元増田が言うように興奮状態では不測の事態も起こりやすいし、本当に紛争化したら大変だから(例:サッカー戦争)。
だからすでに戦争が起きていて、どうやっても平和的に参加が困難なロシアは拒否、はおかしなことではない。
「人権は政治ではない」も通らない。人権は普遍的でも、人権の解釈は政治対立につながる問題だから。
どちらも左派が大好きな抽象的な神学論争や正義の問題じゃなくて、実際の運営上対処できないからってのが大きい。
紛争を生みかねない問題がピッチに持ち込まれ、それが原因でサポーターやチーム同士が衝突を起こして人死にが出た場合、
FIFAがどんな裁定をしてもどちらかもしくは両方が不満を持つだろうし、その年がワールドカップの最後になりかねない。
だから試合ではかなり厳しく政治対立のリスク要因を回避していた。
ドイツの行動は自分たち西欧が圧倒的強者で反撃を踏みつぶせる確信があってのことだし(だから中国にはしない)、そんな立派とは思わない。