はてなキーワード: 西欧とは
当然、市と住民が対立して平行線のままらしいのだけど、流石の俺もそんな無茶なと思ったのだけど、
反対派の市民団体にやっぱり変な人が混ざっていたりして、なんだかなー、と思ってる
平常運転だよなぁ
住民を立ち退かせてデカい道路を作りたいらしいが、今は道路が細いのに交通量が異常に多いので、デカい道路作りたい気持ちは分かる
分かるが、別にうちの近所だけでなく、この国には西欧みたいな都市計画が最初にあるケースはほとんどないと思う
名古屋駅の前とか、青函トンネルとかも含めるとあるんだろうけど…
バブル時代はヤクザが地上げでトラックで家に突っ込んだり色々あったなぁ、と当時子供だった自分もテレビで見たのを覚えてるけど、
今の時代にそれは無理だろ、もう普通に多くの人が住んでるし、既に以前の再開発で多くの世帯が立ち退いてる
これ以上、立ち退きを要求しているなんて、近所にまったく興味がなかったら、最近まで知らんかった
流石に無理があると思う
うちの近所は盛大な再開発が進んでいて、市は税金を全額ベットするような勢いで、中途半端に田舎なこの街を都心みたいにしたいらしい
それだけの経済効果を見込んでいるからだけど、色々な意見があるけど、俺にはやっぱり疑わしい
この街は既に過去にも再開発をしているわけだけど、それが可能だったのは、そこには何もなかったから
その代わり、何もなかったので再開発された地区と元からあった地区とで道路の幅がまったく違ってしまったり、
つまり、再開発地区を走っていると道路は凄い広いんだけど、途中で旧来からの地区に入ると急に道が狭くなったり、そんな感じなのだ
北朝鮮にハリボテの街があるという話があったが、あんなイメージである
今回の再開発は、その旧来の地区も立ち退かせて、再開発地区の幅の広い道路網を作りたいように思える
気持ちは分かるが、流石の自分もそれはやりすぎだろ、という感じがしてる
でも、反対派には変な人が混じってる
ほんと、モヤモヤする
儒教が人として終わってない、より優れている、という話をしろよ。
あれらは基本、退廃して大敗した中国王朝や朝鮮王国を、作った思想だからな?
おまえは保守なんかじゃないよ。
歴史ってのは起きたことの羅列じゃないって、大学で習わんかったのか?
自分の自由のために他者の自由をうばうのは、民主主義の本質なんかじゃない。
民主主義がなかったら革命(内戦)は起きなかったとかいう嘘っぱちは辞めろ。
侵略戦争を西欧以外が起こしてないとか言うやつが歴史知ってる訳ないだろ。
日本は封建制を捨てたのは、近代化のために望んでそうしたのであって、強制なんか誰もしなかったよ。植民地になったわけじゃないし。
ほんまにお前はアホだな。
ポストモダンの亡霊か?
西欧中心主義を批判したら、別の何かを中心にしないといけないんだぞ。お前にはそれがない。イスラム社会を維持しようとか、封建制にもどそうとか、多様性を大事にとか思ってるわけではない。批判しか言うことのないクズだ。
「どっかの国のどっかの連中にも見習って欲しいものだね…。」ってキモイ言い回しだな
日本のことか?何を見習うってんだ?
見習うのは友好的に見えても信用するなってことでしょ
今回の「友好」は経済制裁くらってるロシアの弱みに乗じての中国のロシアへの経済侵攻で
プーチン後かもしれんが必ず反発が出てくるよ
社会主義体制下のチェコ。深い霧。重い空気。曇天。街ゆく人の目に映るのは自らのつま先と石畳だけ。
私たちの目に映る彼らの日常は、空虚で不条理でグロテスク。しかし体制下で生きる市民にとってそれは笑いあり、涙あり、退屈ありのまさにかけがえのない日常。
真実を教えてくれる新聞はないが、体制の網目をくぐり抜けた物語がある。コカコーラはないがブドヴァイゼルがある。ハリウッド映画はないが滑稽劇がある。信頼できる役人や警官はいないが自分を必要としてくれる友人たちがいる。生きる上で、他に何が必要だと言うのだろうか?
冒険する作家アーネスト・ヘミングウェイ。ロスト・ジェネレーションから生まれたアメリカの父。誰もが認める大作家となったものの、晩年の彼は自らの老いを自覚し、苦悩し、そして闘っていた。広い海の中、たった1人で無数のサメと戦う老漁師のように。
そんな彼の心に蘇るのは、記者として赴き作家としての歩みを始めた若き日のパリでの生活。そして最初の妻ハドリーであった。
「もし、きみが、幸運にも、青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、それはきみについてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日だからだ.」
不良少年、官立大学の学生、大学院生、そして教授の婿。紆余曲折を経ながらも順風満帆に見えたバードの明るい人生はアルコールによって閉ざされた。義父や妻、かつての学友たちの憐れみの視線から目を背けながら予備校講師で食いつなぐ日々。しかし若きバードはアフリカ冒険を夢見ていた。広大なジャングル。壮大な夕焼け。見たことのない動物たち。それらは想像するだけで彼の目を輝かせた。そんな中、彼は妻の出産により現実に引き戻される。
脳ヘルニアを抱えた新生児、妻、義父、職場。苦悩するバードが向かった先はアルコールと女。青年は現実を受け入れられるのか。それともさらなる深い闇に落ちていくのか。
大江健三郎の長男は脳に障害を抱えて生まれており、その時の心境を基にして執筆された作品。
中産階級の青年ロビンソンは大海原に駆り立てられ、父の忠告を無視して旅に出る。案の定、彼の船は嵐に遭遇し、無人島に漂着する。たった一人で無人島に投げ出されたロビンソンを襲う疲労、病気、空腹そして孤独と後悔。
しかしロビンソンは自分を奮い立てる。この島は私の国だ。私を邪魔する者は誰もいない。ロビンソンは今やこの島の君主であり法である。トンネルを掘り、家を建て、家畜を飼い慣らし、その生活を豊かなものにしていく。
そんなある日、ロビンソンが浜辺を探索していると自分以外の足跡があることに気付く。
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と共に読んでほしい。なぜ世界の辺境である西欧諸国が地球上のほとんどの土地を支配することができたのか。ロビンソン・クルーソーにはその問いに対するヒントがロビンソンの行動の随所に散りばめられている。
いいよね! 西日本の美術館・博物館! 関西というくくりからは外れちゃうけど、ワイは以下が好き。
琵琶湖の「生活の場」としての人文的側面と古代湖としての自然的側面を両方堪能させてくれる超贅沢な博物館。琵琶湖湖畔で営まれた長い年月にわたる人々の暮らしを堪能したあとに、古代湖という環境で育まれた多種多様な固有種が展示されていて、歴史も生物も好きなワイは大歓喜だった。ビワコオオナマズとかイワトコナマズとかホンモロコとかワタカとかニゴロブナとかの琵琶湖固有種、どれもここで初めて見たし、水槽での遊泳の展示だけじゃなくて固有種を使った郷土料理についての展示もあるのがもう文理融合って感じで素晴らしいのよ。さらにさらに古代湖繋がりで世界各地の古代湖の生き物が展示されていて水族館としても楽しめる最高の施設。マラウィ湖の色とりどりの熱帯魚キレイ~~~~~バイカルアザラシかわいい~~~~~!!1!!! ……あれ? ヴィクトリア湖の展示には1種類の魚しかいないぞ? あっ……(察し)
言うまでもないやつ。1日じゃ足りない。早足で回っても6時間以上かかったんだけどどうなってるんですかね。日本にいながらにしてこれだけの美術品の原寸大レプリカを見ることができるの、最高すぎますわ。おいおい西欧だけじゃなくてウラジーミルの生神女とかの正教文化圏のやつまであるのかよ。世界史の資料集で見たことある名画が勢揃いしすぎていて興奮せずにいられない。しかもレプリカだから傷めないように大事に遠いところで保管されてる本物と違って鼻がくっつきそうな距離でまじまじと見れるというのも良い。西洋美術史を一望できる素晴らしい美術館。ありがとう大塚製薬。
これも言うまでもないやつ。山奥の宗教儀式から現代アフリカの都市生活まで幅広く世界の民族文化が扱われていて最高。ヨーロッパから南米・アフリカまで、はたまた朝鮮・琉球から日本の山村まで、ありとあらゆる地域がカヴァーされていてまったく飽きない。あと途中にある世界の様々な言語で書かれた『はらぺこあおむし』とか、日本各地の方言で読み上げた『桃太郎』とか面白い。
ここほんとすき。四国各地から移設した伝統的な建築物が立ち並んでいて、海沿いの漁村から山奥の秘境まである四国という島の多様性を体感することができるし、そもそもの「日本家屋」自体の地域性を感じられるというか、気候や生業や階級によって家屋の形って違ってくるんだよなぁっていう当たり前かもしれないけど忘れちゃいがちなことを思い出させてくれるというか、いやー、良い博物館です。日本文化について勉強してますっていう海外の学生さんにはぜひここを訪れてほしい。源氏の君や富嶽三十六景とはまた違った日本文化の多様性を目にすることができるので。
銅剣の展示がすごすぎる。圧巻というほかない。荒神谷遺跡しゅごい……他にも、出雲神話についての展示が充実していたり、石見銀山の展示があったりと、神代~中世くらいまでの出雲国の歴史を知る上ではすごく良い。タタラ場体験コーナー良かったです。あとワイが行ったときはちょうど隠岐についての企画展やってて、なかなか知る機会のない隠岐諸島の歴史も勉強することができて大満足だった。明治維新のときに松江藩の郡代を追放して島民が自治政府を結成した(隠岐騒動)とか、もうたまらないよね。わぁい離島の自治政府。あかり離島の自治政府大好き。
日本に古代オリエントの研究拠点を整備したかった某皇族が県立美術館に対抗して市立美術館を持とうとした岡山市に声をかけてできたという由緒のある美術館。古代メソポタミアからペルシャ美術まで、各地域各時代の中近東の美術品が並べられていて目の保養になる。えっペルシャに影響受けた中央アジアの陶器のデザインめっちゃ好きなんですが……
平安文学の世界に入り込める博物館。ここ古文の授業でやったところだ! とか、古文の授業でやったあれってそういうことだったんだ! とか、えっ何それ知らない……みたいなのがいっぱい押し寄せてきて楽しい。あとトイレのマークが平安装束なのオシャレでいいよね……女子トイレが十二単で、男子トイレはどんなんだったっけ? 直衣? 狩衣?
京都精華大学の本気を見た気分。日本が誇るマンガ文化についての圧倒的な展示。『キャンディ・キャンディ』とか、超レアなやつじゃん……オタクなら一度は行っておきたい博物館っすね、はい。
城下町だけあって武家屋敷を模した建物(そして敷地内には実際に家老屋敷が現存している)で大変よい。やっぱ博物館は展示品だけじゃなくて雰囲気も大事っていうか、西洋の博物館が靴のまま上がりこむのが普通なら日本の博物館では靴を脱いで畳の上で展示を見るんだよ! っていうコンセプトを感じられて好もしい。そして中世後期~近世以降の松江の歴史が丁寧に展示されていて、たぶん古代出雲歴史博物館とセットで見てまわることで出雲国の通史がわかる構造になってるんだと思う。面白かったです。
美観地区の高台にある旅館を改装した美術館。和風の町並みの真ん中にある和風建築で浮世絵を見るの、雰囲気があってとてもよいし、展示されてる絵がどれも贅沢。さらにキャプションが完全な日英バイリンガルなので「インバウンド狙ってます」感が強く(なおオープンしたのはコロナ禍の真っ最中だった模様)、実際外人さんにはウケると思うので日本に行く人には紹介してあげたい。ミュージアムショップも充実しててよき。相馬の古内裏Tシャツ買っちった。
小豆島の町中にある古い家屋を改装して美術館にしたやつ。1つの家屋じゃなく、ご近所に点在する複数の家屋が1つの美術館になっているので、順路に沿って巡るイコール小豆島の街歩きになるという、一石二鳥な美術館。実際ワイも順路に沿って見て回ってる最中に美味しそうな和菓子屋さん見つけて名物の大師まんじゅうとか『からかい上手の高木さん』とのコラボお菓子とか買っちゃったもんな……。注意点としては、あくまで「博物館」ではなく「美術館」、つまり妖怪アートを展示しているところであって妖怪の学術的展示をしているわけではないということ。なので現代の作家が考えたオリジナル妖怪とかSDGs妖怪(何だよそれ)とか妖怪コンテストの入賞作とかも展示してあるんだけど、いや現代美術の展示として見るとめっちゃ楽しいなこれ。妖怪に仮託したイマジネーションを楽しむ施設です。上の国芳館と同じくインバウンドの外人さんに強くオススメしたい。あと入館方法がハイテクで良い。
この規模の美術館にしては立地がパーフェクトでは。マジでJRの駅の真横とかにあるぞ。そして外観がまず目を惹きつけられるし中に入ると濃厚な現代美術空間で、日本のあまり広く知られているとはいえない現代美術作家の作品が色々あるし、瀬戸内国際芸術祭で展示された作品なんかもあったりして(そういえば丸亀市の市域にはけっこう離島があるんだよな)、いや自分の知らない文化っていっぱいあるんやなと。夭折した作家や認知症にかかった作家の特別展とかもやってて、作家の人生込みで味わえる美術館になってるなぁ。
小さくてすぐ見終わってしまうけど、竹久夢二の絵に包まれて大正ロマンに浸ることのできるプチ贅沢な美術館でしゅき。ミュージアムショップは夢二グッズが充実していて何を買おうか悩んでしまう。クリアファイルとか普通に普段遣いできるオシャレさだわ。猫のイラストのやつ買っちった。
日本酒の作り方に関する展示がすごい丁寧な上に、酒蔵直営だからミュージアムショップという名の酒屋がめっちゃ充実してて良き。酒が飲める飲めるで~酒が飲めるで~♪ いや本来の意味でのミュージアムショップもいいんだけどね。日本酒グッズがいろいろ置いてあって楽しい。
展示品が1つでも美術館を名乗っていいんだ、っていう勇気をもらえるよね!
小説の世界と現実の世界が渾然一体となった感がすごい幻想ミュージアムとして見るとなかなか面白いよね!
小学生が書いた竹島についての学級新聞とかが飾ってあってドン引k……いやいや、日本の領土を守ろうとする姿勢に好感が持てるし、アンケートに答えると無料で竹島が描かれたエコバッグをもらえるから、松江城とか松江歴史館とかを観光する前にここに立ち寄るとついもらって荷物になっちゃうパンフレットとかを持て余さずに済むから便利だよ! めっちゃオススメ!
千里市じゃないよ吹田市だよ。恥ずかしい。訂正しときました。いや知ってたんですよ? 吹田市だっていうのは知ってたんですよ? でもなぜか書くときに千里市とかいう謎の自治体が出現してしまったんだ……
「反動」という言葉にはマイナスイメージばかり付くけど、揺り戻しとか修正とか微温的な対応ではなく確固たる意志を持った、批判的意思と抵抗を突き進める立場として私は評価している。
西欧のある地域から発祥したとしかいえない、曖昧で定義できず、そしてマイノリティの手そのものからすら離れた、ついでにキリスト教色(プロテスタンティズム)が強いくせにそれを否定しようとする、奇妙な概念がすでに十数年も猛威を振るい続けている。
SNS上で過大に増幅され、誰もそれを正確に数値化できず(正確にできないのだから「適量」も当然わからない)、ひたすらポリコレは配慮という贅肉にまみれながら膨れ上がり続けている。
定義も数値化もできないものに対して、我々は卑近な例を挙げるしかない。
我々の生まれ持った素質や外部から定義される優劣を笑いに転換して何が悪いのか?
本当にその芸能人の過去や起した事件は舞台を奪われるに相応しいのか?
なぜ「子ども」が関わると様々な表現が規制されなければならないのか?
アングロサクソン・プロテスタントの一部の道徳基準とその差別の歴史からしか発していない基準をなぜアジアの日本人が採用する必要があるのか?
地上波で裸体が流れてなぜ悪いのか?
芸能人が顔を黒く塗ったとしてそれはWASPのミンストレルショーとは違うものであると何度も説明しているのだが?
そのポリコレを続けたところで、では果していつ、大衆労働者や、地方の人々や、同情されない部類の障害者が尊重される日が来るのか?
その大半の人々の癒しや笑いを不明確に奪い続けてきたのがポリコレではないのか?
上述の通りここでかくポリコレとはとても曖昧なものだ。ブームであり、ムーブメントであり、あるいは野蛮人に対する蒸気機関や機関銃のような物である。
原理はどこかにあるのかもしれないが、それが我々には明かされない。便利なのかもしれないが、ここでは我々を殺す道具にしかなっていない。
そしてそれに対する反発が起きるのは当然である。そして、起きるからには、それこそは明確に「曖昧なものを拒否する。我々は我々の、そしてあなた方より広大な基準がある」というものを示す必要がある。
個別の「昔はよかった論」「弱者男性・女性論」あるいは「不適切にも程がある論」などを乗り越えて、明確な反動を打ち出す必要がある。
そしてそのためには、ポリコレに対する配慮を全く必要としない、確固たる地盤も持つ必要がある。
数ある「炎上」騒動の中でも、自活できる基盤のある会社・個人は、そもそもの圧力を無視するという最高の解決方法を見出せた。これを業界全体、国全体に拡大していく。
日本より立場の弱い、アフリカやラテンアメリカの各国でも、例えば西欧一辺倒によるメディアの支配に対する大衆の反動は行われ、メディアが奇妙な論理に捉われていないかの「逆・監視」が行われている。日本でもそれは出来るはずだ。
そしてポリコレへの反動は大衆やマジョリティのためのものだけではない。具体的に、マイノリティのためにもなる。例えば障害者も障害者で、「ポリコレ」によって牙を抜かれてきた背景がある。
我々を取り巻いている曖昧な空気を取り払うことによって、始めて、例えば映画館や交通機関における障害者の権利問題も、川崎バス闘争の様に明確に語ることができるようになる。発達障害者も、定型発達者の欺瞞をつくことが可能になる。
障害の不便さを笑う芸と、障害者の権利。異性愛であれ同性愛であれそれぞれの機微をポルノに出来る社会と、性的マイノリティ。男女の裸が平然と流れるメディアと、フェミニズム・男女論。それらは同時に生存しているべきだ。それが我々の社会の強さになる。
ゆうて「西欧が絶対」なのは西欧リベラルもそうだと思うけどな~
奴らだって内心ではうっすらアジア人を馬鹿にしてるし、西欧(男性)的価値観でもって、その地域の文化なんて考えずに、「ジェンダーギャップ指数」なんて作っちゃうんじゃん
・「西欧」が絶対。西欧の進んだ人権意識についていけない「野蛮人」(日本人、特に九州などの田舎者、アラビア人など)を差別しまくるのが「人権意識」だと堅く信じています。
・「対立と分断」。「フェミニズム」とは男性の人権を否定し、差別されて良い属性を男性の中にのみ求めることで十分達成されることだと信じています。ルッキズムも学歴差別も収入差別も年齢差別も、女性にやってはいけないだけで、男性にやることはむしろ「良い差別」だという固い信念を持っています。
・「選択的反知性」。こういう没論理、言葉のねじ曲げ、無責任な屁理屈を、「正しい目的(表層的なアップデートのアピール)」のために行うことは「良い屁理屈」だと本気で思っています。日本の人文系学会ではそれこそが「学術的に正しい行い」なので、大学人が率先してこの反知性行動に邁進します。
このように、日本では「リベラリズム」「人文科学」というものが、単に古臭い脱亜入欧意識を強化し、夏目漱石が「間口だけ立派なものを拵えて中身はガタガタ」と評したまんまのいつもながらの薄っぺらな真似事に終わりました。
欧米に追いついたつもりで馬鹿な侵略戦争に邁進した戦前、バブル景気に浮かれてまともな経済政策を放棄した失われた30年、それと同じことが日本では学術界でも起こってしまうのですね。
なぜこの「コロンブス」というタイトルの曲とMVを作ろうと思ったのかが、いまだにわからない。
想定されるのは以下3パターンだが
色々な解釈が出回ったし、少なくとも 1 はないというのは、合意が取れていると思う。ま、一般的な人気勝負のメディアでアンチ・ポリコレを攻めに行く意味がない。
一般的なマスコミの批判などは 2が多そうだが、はてな界隈ではロマン優光氏 https://bunkaonline.jp/archives/5214/ や他の増田の考察など猿人の文明他への指摘もあり、さすがに単純に 2 もなさそうという話になっているように思う。
そうすると 3 ということになるが、それがわからない。ある程度知識があるなら、センシティブなトピックだという理解はあっただろう。可燃性が高いのは理解した上であえてその題材を選ぶのだから、何らかの意図があることになる。
しかしだ、MVがなくとも、コロンブスというタイトルで曲を作るだけでハードルは高い。歌詞や各種考察を読んだが、リスク承知で表現したかった何かがあるとは思えなかった。
そこにMVでの、コロンブスを含めた西欧人3人の選出と、猿人のビジュアルが加わる。元々可燃性の高いコンテンツの発火点を上げるビジュアルを突っ込んで、延焼を防ぐ仕組みとして猿人は十分な文明があるとしたのだとして、万人がストレートにそれを受け取って発火しないと現場が思っていたのだろうか。
しかも、大変勉強になったがユロックの母 https://www.yuroksmomlife.com/mrs-green-apple/ によると、私の浅いレベルの知識では気が付かない火薬がさらに色々埋まっていたらしい。猿人の色だとか、バッファローだとか、乗馬に関する指摘とか、これは日本国内においてはWikipediaでちょっとコロンブス(やナポレオン等)をかじっただけでは気がつけない人が大多数ではないか。
そうした埋設された火薬に気が付かなかったことまでは責められないかもしれないが、だとしても、である。
可燃性の高いコンテンツに踏み込んだ意図がまったくわからない。
少なくとも社会的に何を訴えようという意図があったと解釈するのは難しい。
例えばこれがアメリカの黒人問題であれば、普通の神経であればよっぽどの意図がなければ避けるだろう。本邦でも黒人の苦難の歴史は多かれ少なかれ認識されているが、私はBLM運動が盛んになるまで、例えば黒人という言葉をアフリカの人に使っていけないという認識すらなかった。黒人という言葉は、歴史的文脈の中であえて使われているのだと。可燃性が高く、自分のフィールドでもない話題に突っ込むには、相応の意思と覚悟が必要と思われる。
結論、最初の3つのうち、3ではないか、という話もあったが、相応の意思と覚悟がないということであれば限りなく 2に近いとしか思えないのだ。
小説家や映画監督が意図を持って議論が巻き起こるであろう主題を投げかけるような、深い主題があったのだろうか。仮にあったとしても(私はないと思うが)こんな秒単位で分析されたとて https://rna.hatenadiary.jp/entry/2024/06/15/110134 明確に出てこない時点で完全に失敗していると思う。
この話を持ち出すか悩んだのだが、最近だと是枝監督の「怪物」を対比として出してみる。あの映画はプロモーションの仕方を含めて、色々な議論があった。そしてその価値と意味があったと思う。
「コロンブス」にそれはあったか。炎上してすぐ引っ込めたことも含め、私はあったというのは苦しいと思う。
であれば、コロンブスは大航海時代の英雄程度の認識で作った作品との違いはどこにあるのか、というのが私の問いなのだ。好意的な解釈をして、コロンブスや現代人への風刺だったして、可燃性の高いコンテンツでそれができると思ったのはおこがましいであろうし、大した可燃性はないのだと想定したのであれば、コロンブスに対する近年の歴史的認識がなかった場合と何が違うのかがわからない。
結局アーティストとMV作った人たちはリスクを冒してまで何を表現したかったの?
植民地主義への批判だろって増田が散見されるが、そんな社会派アーティストなんだったんだっけ、というのもあるし(社会派じゃなければ作っていけないということではないが)、繰り返しになるが、可燃性の高い素材でそれをやるなら、土俵際で踏ん張る覚悟はほしい。ナチスの軽いパロディで失敗してテヘペロ、とはいかないでしょう。
元増田よ。英語の国名はあくまで「英語読み」に過ぎないのであって、日本語読みが現地語に寄せてるものまで英語でジャッジしようとするのはどうよ。
ウクライナ語ではУкраїнаと綴って「ウクライーナ」と読むので日本語読みは現地語に忠実です。何でもかんでも英語読みを基準にすんのやめろ。っていうか英語ならユークレインだろ。
スイスには4つの公用語があるけど、そのうちフランス語ではSuisseと呼ぶので日本語の「スイス」はむしろ現地語に近いぞ(4つの公用語のうち1つに基づく呼び方を採用しているのは中立的ではないのでは? という異論はあってよい。ちなみにスイスでは4言語で国名を併記するけど、切手とかで4言語を併記するスペースがないときにはラテン語の「ヘルウェティア」を使う。日本もヘルベチアって呼ぶべきなのかもだけど今更無理だよね……)。
ドイツ語だとDeutschlandと綴って「ドイチュラント」と読むので、「日本語読みは英語読みよりマシ」とドイツ人にも好評だったぞ(n=1)。
ロシア語のМоскваを綴りに忠実にカナ表記すると「モスクワ」になるんやで。まあ発音は「マスクヴァー」だけど(アクセントのない母音оはаのように読まれるから)。
いや、メヒコはスペイン語読みでメキシコが英語読みだからね!?
ついでにブコメにも。
モスカウってなんだったんや…
ドイツ語のMoskauでは。
北京(ペキン)はそのうちに、Beijing呼びになるかも。
東アジアの固有名詞については相互主義が取られている。韓国では日本語の固有名詞を日本語に即して発音するので我々も韓国の固有名詞は韓国語読みを取り入れているが、中国では日本語の漢字を中国語読みするので、日本でも中国の漢字は日本語で読んでいる。だから金大中は「キム・デジュン」だけど習近平は「しゅう・きんぺい」なのよ(中国語なら「シー・ジンピン」になる)。
ギリシャ→エリニキ
フィンランドではフィンランド語とスウェーデン語の2つが同格の公用語で(『ムーミン』を書いたのはスウェーデン語系フィンランド人の作家)、フィンランド語での呼称がSuomiでスウェーデン語の呼称がFinland。なので「フィンランドは現地語ではスオミ」と「フィンランドは現地語でもフィンランド」は両方正しい。
ギリシャの正式国名はΕλληνική Δημοκρατίαで、これは「エリニキ・ジモクラティア」と読むけども、「エリニキ」は「ギリシャ」という意味ではなくて「ギリシャの」という形容詞なんだよね(後ろにある「ジモクラティア=共和国」を修飾して「ギリシャ人の共和国」という意味)。なので「エリニキ」を単独で国名として使うことはできない。単独で使うときは「エラザ(Ελλάδα)」。
国名が形容詞になってる例としては、他にもチェコがある。正式名称はČeská republika「チェスカー・レプブリカ」で「チェコ人の共和国」。要するに、もともとギリシャやチェコという国があったわけではなくて、近代以降に民族主義が芽生えてギリシャ人やチェコ人が住んでるところを1つの国にしたという順序なのでこういう国名になっているのね。
同じ反ロシア仲間のウクライナではフルジヤ(Грузія)、ポーランドではグルジヤ(Gruzja)、リトアニア&ラトヴィアでもグルジヤ(Gruzija)なのに、日本語でわざわざ変える必要あったの? ってなるよね。ウクライナがフルジヤって呼んでるんだから日本でもグルジアのままでよくね?
(キリル文字のГはもともとガ行を表すんだけど、ウクライナ語とベラルーシ語ではハ行を表している。スラヴ語圏の真ん中に「gの音がhの音に変わったエリア」(チェコ・スロヴァキア・上ソルブ・ウクライナ・ベラルーシ・ルシン)があって、そのエリアでは本来ガ行だった音がハ行で読まれるんだよね。たとえばスロヴァキアにある世界遺産のスピシュ城はSpišský hrad「スピシュスキー・フラト」って綴るけど、後ろのhradは語源的にはgrad、つまりベオグラードとかスターリングラードとかと同じ。だからロシア語の「グルジヤ」をウクライナ語やベラルーシ語では「フルジヤ」って読むんやね)
ミュンヒェン、ワルシャワは英語読みよりも日本語の方が原音に近い事例。「アテネ」は結構面白い事例で、まず古典ギリシャ語ではἈθῆναι「アテーナイ」。ギリシャ語は長い歴史を経て発音が変わって、Ηの文字は古典語では「エー」を表す文字だけど近代語では「イ」に変わった。さらに、θの文字も、古典語だとタ行で表されることになってるけど、近代語では英語のthに近い音というか、要するにサ行で表すのが相応しい音になっている(Θεσσαλονίκη「セサロニキ」がキリスト教関係文献では「テッサロニケー」と表記されてるのは古典語読みだからなんだよね)。で、現在ギリシャで使われてるジモティキの語形はΑθήνα「アシナ」……あれ? 「アテネ」の最後の「ネ」ってどっから来たん? 現代ギリシャ語ではαιと綴って「アイ」ではなく「エ」と読むので、古典語(あるいはカサレヴサの)Ἀθῆναιを古典語と近代語のちゃんぽんで読むと「アテネ」になるのかな? それとも西欧人の読みをそのまんま取り入れたん?
(近代ギリシャ語には2つの正書法がある。1つ目が、現在広く使われている「ジモティキ/民衆語(Δημοτική)」で、もう1つが「カサレヴサ/純正語(Καθαρεύουσα)」。近代ギリシャ語の標準語を作り出すときに、古典ギリシャ語を参考にして古文っぽさを残して作られたのがカサレヴサで、20世紀前半までは公用語として用いられていたんだけど、話し言葉からかけ離れすぎててわかりづらいわ! ということで、より言文一致(当社比)したジモティキが作られて、現代のギリシャではこちらが「現代ギリシャ語」として流通している。まあ、明治時代の日本語と現代日本語の違いを想像してもらえれば)。
そもそもカタカナで表記できない発音があるのにそれを使って記載するのが間違っている。外国語教育がそもそも問題だろうけど日本語読みで役に立つ場面なんかほぼないよね。全部現地語で表記、現地読みすべきだと思うんだけどなぁ。
「საქართველოは、Україна侵攻後のРоссияに対する経済制裁には参加していません」っていうニュースを流すことが日本人のためになるとはまったく思えない。多少厳密さを欠いたとしても、「グルジアは、ウクライナ侵攻後のロシアに対する経済制裁には参加していません」って書いたほうが日本人の外国理解に資するんだから、日本語の媒体では基本的に日本語の文字を使って表記すべき(だいたい、英語圏の連中だってニュースで日本の固有名詞を漢字や仮名で表記せずにラテン・アルファベットで書いてるんだから、当然、我々も日本語のニュースでは英語圏の固有名詞をラテン・アルファベットではなく日本の文字で書いてよい。真に公平な世界というのはそういうものじゃないだろうか)。
BBCラジオを聴いていると非英語圏の人名をわざわざ英語読みしていてそのまま現地語読みすればいいのに…と思うことがよくある。
これはしゃーないと思う。我々にはカナという便利な文字があるから、Richardをリチャードとリシャールとリヒャルトに訳し分けることができるけど、英語母語話者はラテン文字しか知らないんだから、そりゃ英語読みしかできないよ。我々だって、たとえば「『マイケル』と綴って『まいこー』と読んでクダサーイ」って言われても困るっしょ? 「いや、『マイケル』って書かれたら『まいける』としか読めんだろ」って思うっしょ? Michaelをミヒャエルと読めと言われた英語母語話者の気持ちもそれと同じだと思う。だいたい、我々もDonald Trump「ダナー・トランプ」を「ドナルド・トランプ」と書いて恥じないわけで……
えー、我々だってMcDonald’sを「まくだーのーず」じゃなくて「まくどなるど」って発音してるんだから、英語母語話者がIKEAを「いけあ」じゃなくて「あいけあ」って発音しててもよくない? 悪いのは 「英語では『あいけあ』と読むんだから日本人の『いけあ』っていう発音は変!」みたいなデタラメな理屈を振りかざす英語かぶれの名誉白人どもであって、英語母語話者が身近なものを英語ふうに発音すること自体は何も悪くないよ。彼らが身につけた綴りの規則からはそう読む方が自然なんだから。
英語中心主義が悪いのであって英語自体が悪いわけじゃない、という精神でいきましょう。へぇ、ヨーロッパの隅っこにある島々で話されてるローカル言語には変わった発音の規則があるんだなぁ、面白いなぁ、程度の受け止め方をするのが一番適切な付き合い方だと思う。あのへん、デンマーク語とかアイルランド語みたいに発音と綴りの関係が複雑な言語が多いからね……
ドナウ川の語源はラテン語のDanubius「ダヌビウス」だから英語Danube「ダニューブ」の方がドイツ語Donau「ドナウ」よりも語源に忠実だよ! あんまり英語を馬鹿にするのはどうかと思うぞマジで。
ちなみに、チェコ語・スロヴァキア語・ポーランド語・上ソルブ語でドナウはDunaj「ドゥナイ」っていうんだけど(ウクライナ語でもДунай「ドゥナイ」だね)、スロヴェニア語のDunaj「ドゥナイ」はウィーンって意味なの面白いよね(ドナウはDonava「ドナヴァ」)。
ほぼ現地語読みを尊重してるのに「ドナウ川」だけ語源で語るのはブレでは。現地語読み>>慣習読み≒英語読み≒語源くらいのウエイトでよいような。
まるで英語が変わった呼び方をしているかのように書かれていたから、いやいや英語読みは語源に沿った呼び方であって変な呼び方というわけではないのよ、と書いたのであって、英語読みが現地語よりも尊重に値するとは書いてないっす。ところでドナウ川は国際河川なわけだけど、「現地語」ってどの言語のことだと思う?
ジョージア州はジョージ2世にちなんでつけられ両方現地言語読みだからOKと思えば、グルジアも由来の聖ゲオルギオスの現地読み風に読めば良いのでは。
いや、現地語の名称サカルトヴェロは「カルトヴェリ人の国」という意味であって聖ゲオルギオス何も関係ないんよ……素直にサカルトベロと書くべきだよねぇ、やっぱし。
それを言ったらそもそもはカナク人の土地をフランスが植民地化したんだからカナク語でKanaky「カナキ」って呼ぶべきじゃない? 英語もフランス語もどっちも侵略者の言語でしょ。
新カレドニア、いいと思う。アルバニア語のKaledonia e Re「カレドニア・エ・レ」とかトルコ語のYeni Kaledonya「イェニ・カレドンヤ」ももろに「新カレドニア」だし。ただ、そうすると、カナダのノヴァスコシア州は「新スコシア州」にするのかとか(ちなみにアルバニア語ではSkocia e Re「スコツィア・エ・レ」、トルコ語ではYeni İskoçya「イェニ・イスコチヤ」)、プリンスエドワードアイランド州は「エドワード王子島州」にするのかとか(アルバニア語Ishulli i Princit Eduard「イシュリ・イ・プリンツィト・エドゥアルド」、トルコ語Prens Edward Adası「プレンス・エドワルド・アダス」。なお中国語だと愛德華王子島省)、ニューファンドランド・ラブラドール州どうするんですかとか(トルコ語だとNewfoundland ve Labrador「ニューファンドランド・ヴェ・ラブラドール」って日和ってるけどアルバニア語はToka e Re dhe Labradori「トカ・エ・レ・ヅェ・ラブラドリ」で「新しい土地とラブラドール」になってて強い。日本語化するなら「新疆・ラブラドール州」とか「新開地・ラブラドール州」は……駄目?)、色々と楽しいことになるので……
いいよねウェールズ語Seland Newydd「セランド・ネウィズ」とかエストニア語Uus-Meremaa「ウース=メレマー」とかソルブ語Nowoseelandska「ノウォセーランツカ」とかバスク語Zeelanda Berria「セーランダ・ベリア」とかハンガリー語Új-Zéland「ウーイ=ゼーランド」とかマダガスカル語Zelandy Vaovao「ゼレンディ・ヴァウヴァウ」とかラトヴィア語Jaunzēlande「ヤウンゼーランデ」とかとか……ところでニュージーランドは本来マオリ人の土地で英語は侵略者の言語なんだからマオリ語Aotearoa「アオテアロア」に統一で良くない?
節子それフランス語読みちゃう、単に自分らの言葉で「低地の国」って呼んでるだけや(英語でthe Nederlandsっていうふうに定冠詞+複数形になるのは、もともと「低地」っていう普通名詞だから。the United Statesと同じやね)。イタリア語Paesi Bassi「パエシ・バッシ」もカタルーニャ語Països Baixos「パイズス・バシュス」もスペイン語Países Bajos「パイセス・バホス」も全然フランス語Pays-Bas「ペイ=バ」とは違うじゃん?
ちな、ウェールズ語だとYr Iseldiroedd「イール・イセルディロイズ」、ギリシャ語だとΚάτω Χώρες「カト・ホレス」、クロアチア語・スロヴェニア語だとNizozemska「ニゾゼムスカ」、チェコ語だとNizozemsko「ニゾゼムスコ」な。どれも「低地の国」って意味。
なお、沖縄語の「ウランダ」は「西洋」という意味だったりする。沖縄語をしゃべるオランダ人の動画おもしろいから観て(「ウランダ出身だけど、国の方のウランダね」って断ってるの草)>https://www.youtube.com/watch?v=SB1x8iqqSto。
増田にしつもーん
・コートジボワールの象牙海岸表記をやめたような変更したほうがいいなと思う国名ある?例えば中央アフリカをサントラフリケーヌにするみたいな
クロアチアは別にクロアチアでよくね? ただ世界史の教科書とかで「クロアティア」って書いてるのは無駄に煩雑だから高校生のためにもやめてあげた方がいいと思う。現地語がCroatiaならそこにこだわるのもわかるけど、それ現地語でもなんでもないじゃん、ってなるので。現地語を尊重してフルヴァツカと書くか、大人しく慣用に従ってクロアチアと書いておけばいいんじゃ。
変えたほうがいい国名はまさに「ジョージア」だわw 既に日本語で定着した複数の固有名詞(アメリカの州、コーヒー)とバッティングしてややこしいことこの上ないので、「グルジア」に戻すか、先方がどうしてもロシア語読みは嫌というなら現地語を尊重して「サカルトベロ」にすべき。
西欧による植民地の侵略ガーとかポリコレのバカが噴き上がってるけどそれを言うなら奴隷制度がダメとか言い出したのも連中でおしつけでしかないんじゃないんかね
文化的な生活をしてるサルに似た人たちを、劣ってると決めつけて一方的に使役したりしたけど、最終的には融和しました。って、西欧中心主義でも植民地支配の肯定でもなく、むしろ皮肉だと思うんだけどな。
日本人がコロンブスに扮してが叩かれるならわからんでもないけど。
やっぱ、白人が黄色人種の格好したら、あるいはその逆とか、絵になるよ。
中国の皇帝(でも金髪)の命を受けて、チョンマゲと弁髪(でも2人とも白人)が大船団で出発!
インドネシアやスリランカの土人たち(でも金髪)と飲めや歌えやをしながら、大航海。する気になればヨーロッパの船団なんてまとめて撃破もできたのに、どこも征服しないで、呑気にアフリカでゾウやキリンを狩って帰る。