はてなキーワード: 遺産とは
そこで!
マスク登場よ!
しばらくもうマスクの無い生活もやっと送れるのかしら?って思っていたけれど
でもここ何日か
口紅するの面倒だからってのがきっかけにマスクしてみたら快適なの!
超快適!ってマスク名のブランドを作って売ったら爆売れ間違いなし路線一直線だと思うんだけど、
一時期はマスク超高かったじゃない!
1箱50枚入り5000円とか!
人々は街中マスクを求めて長蛇の列!
それはもう今は昔の風景なのよ。
その国始まって以来の米不足もさることながらマスク不足に陥ってもなんとか暮らせていたの。
でも今はもう50枚入り990円とか!
社長!安ーい!って
声だけは聞こえてくるんだけれど、
結局何を売ってるのかよく分からないレガシーな過去の遺産をディーブイディープレイヤーだのカセットテーププレイヤーだの売っているのかも知れない鴨鹿。
そんな声に悪寒を感じながら、
いや悪寒を感じたのは
寒気がするのでぞくぞくもうこのタイミングでは風邪引きさん間違いなし!
きっと
風邪の引き始めに飲むでお馴染みの葛根湯ももう飲むには遅いタイミング!
あれって風邪の引き始めに飲む!ってあるんだけど、
ファイナルファンタジーのタイムアクティブバトルで
えーん!
結局パーティーが全滅しちゃうかのような私も今この時期の気付いたときには
風邪の引き始めさんのタイムバーが刻一刻ともう増え続けているの。
そのメーターが増えたときにはもう風邪引き気配を感じているので
葛根湯を飲むには時すでにお鮨!
へいおまち!
よーし!今日は大好きな光り物たくさん食べちゃうぞ!って腕まくりして腕をブンブン回して
光り物の魚のお鮨を楽しみにしている待ちきれない気分なほど遅いもう風邪を引いているの。
そう気付いたときにはね。
だから
って思ってマスク用心で着用しだしたら
凄くないマスク?
予備も念のためもうちょっと買い足しておきましょうか?って思ったけど
いまが50枚入のよく使うお気に入りの銘柄のマスクがなんと980円!
社長!安ーい!もうここまでがワンセットにしたいところ。
うーん、
無くなる間近でいいかーって思ったの。
マスク素敵!
効果抜群よ!
もう葛根湯を飲むには遅い季節になったにもかかわらず、
風邪の気配も感じることが無くなったの!
これってチャンスじゃない?
葛根湯飲むの!
私はそう思って葛根湯チャンス!と思ったけれど
今普通に元気なときに早めのパブロン級に竹下景子さんから勧められたら、
そりゃー飲むかも知れないけれど
もはや葛根湯の飲むことすら忘れていたぐらい通常体力まで
それなんてファイナルファンタジー?って思うけれど
喉の潤いを与えていたの。
マスク凄いわ。
私が忘れていた感情。
マスクの偉大さ!
国内生産が追っつかなくなったからシャープも加勢して創り出したマスク、
今はもはやマスク供給過剰とも言える状況でも今でもシャープのマスクは作り続けられているみたいで、
人類が滅びたのに
それなんてエスエフなディストピア感的なことすら感じてしまうわ。
その多分無人の工場ではずっとずっとマスクが作られ続けるのよ。
もう人類はとうの昔に滅んだというのに。
私は荒れ果てた大地を前にバイクにまたがりながら
マスクは欠かせない。
私はマスクをしっかり着用し
人類はとうの昔に滅亡したと言われているけれど
辛うじて生き残った人々がいるの私のようにね。
「さて、今日はなにかいいスクラップの掘り出し物があるといいわね」
再度私はマスクをして喉に潤いを感じると同時にバイクを今日も走らせるのよ。
うふふ。
以前のお店はタマゴ薄くなったなぁってちょっとガッカリしてたんだけど、
違うお店のタマゴサンドはたっぷりとタマゴがタマゴタマゴしているので、
こっちの方が大満足感高めね!
ションテン上がるわー!
な!なんと電気ポット朝お湯が沸くようにタイマーを仕掛けてつけておいたのに
オーユー!
私はそんなオーマイガッな気分とは裏腹にすぐ沸かせるタイプで秒でお湯を沸かして
いつものように
電源ケーブルには気を付けるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まあ、グローバル化ってのは、確かに手放しで褒められるものじゃないけど、言ってること、ちょっと安易すぎだよ。歴史を見てみれば、グローバル化がなければ今の社会はなかったかもしれないって点も多いんだ。例えば、シルクロード。あれがあったからこそ、東西の文化が交わり、知識や技術が広がった。それによって、ヨーロッパのルネサンスが起こり、近代科学の基盤が築かれたんだ。
でも、もちろん問題もあるよ。グローバル化が進むと、地元の文化や経済が犠牲になることもあるし、例えば18世紀の産業革命みたいに、機械化が進むことで労働環境が悪化したり、貧富の差が拡大したりした。でも、それを解決するのもまた人間の役目でしょ。
例えば、インディアナ・ジョーンズのような冒険者たちが、古代の遺産を発見した時、世界中の知識をつなげることで、新たな発展が生まれたわけだ。それと同じように、グローバル化も単なる問題解決の道具として使うべきだろ。自分が変えられないって言うなら、まずは自分がどう変わるべきかを考えるべきだし、他人を責めても何も変わらないよ。
あとは、「変えられない社会」って言ってるけど、歴史的にも変革って簡単じゃなかったんだよ。例えば、アメリカ独立戦争。最初は無力に見えた13の植民地が、時には血を流しながら独立を勝ち取った。だって、変化を受け入れないと、結局、現状維持が一番苦しくなるんだよ。
だからさ、しがらみが強いって嘆くのも分かるけど、まずはそのしがらみの中でどう活路を見出すかだ。孔子の言葉に「千里の道も一歩から」ってあるけど、一歩を踏み出さなきゃ、どんなに大きな変化も起こせないんだよ。
中学時代の成績はオール5、高校は地域の進学校、大学は早慶、入社した会社は東証一部上場の大企業。
人口5万人にも満たない田舎で、中卒の父から生まれた身としては頑張ってきたつもりでした。
でも、入社2年目からうつ病を発症し、抗うつ剤や発達障害の薬を飲みながら仕事をし続ける日々を送るのが辛くて休職すればよかったのに、転職活動をして、転職エージェントに乗せられるがままにコンサルに転職して更にメンタルを悪化して短期離職となり無職になりました。
この間実家では、兄がずっとニートをしていて、母親は振り込め詐欺で1000万騙しとられてからずっとメンタルを壊していたのに、自分は何もしてあげなかった。あげく自分が転職に失敗したことによって、将来に絶望した父は自ら命を絶ちました。
そこからもうすぐ5年。小さな団体の職員に就職するも3か月も続かず、そこからずっと無職。布団に引きこもり続ける日々が悔しくてFXに手を出し、自死した父の遺産をすべて溶かして、更に700万の借金を作り、それを親戚と祖父に肩代わりさせたクズに私は成り果ててしまいました。
最近、父から連絡がきた。ラインへの着信が複数回、携帯電話への着信が複数回。
意図的にその連絡を無視していると翌日の朝にも同じような着信が、それも無視していると夕方にまた着信が。
これは鳴りやまないし連絡を返さないと後から面倒になるパターンのやつか…と渋々電話すると酒に酔ったやけに上機嫌な父の声が聞こえる。
元気にしているのか、仕事は順調か、今俺はこういうことをして過ごしているなど他愛のない会話をする、そんなんじゃ人生やっていけないぞバカと説教もされる。
暫くすると死にたいのに死ねない、どうしようもない、どうすればいい、と泣きながら話し出す。
私はそれに対してそう言われてもなあ…お父さんが元気な方がうれしいけど、と伝える。
覚えている限り、私が小学生くらいのときから父はこんな感じの人だった。
私が幼稚園生のときも父は定期的に酒に酔って癇癪を起していた記憶があるが、死にたいとかどうとかの話をしていたかまでは覚えていない。
私はその年の時分なんでか酔った父に襖を投げられ顔面にクリーンヒットし、鼻血がとめどなく溢れて鼻の穴だけでは排出量が追いつかず口からも血が出てきたことにより、
人体では鼻と口が繋がっているという当時としては衝撃の事実を知ったので父がとりあえず酒気帯び暴力マンであったことだけはよく覚えている。
父は定期的に酒に酔い暴言・暴力を奮い、死にたい死にたいと泣く人だった(酒さえ飲まなかったら昭和の頑固おやじとか関白亭主とかで表現できるような人ではある)。
とはいえ父としてもこの状態を良いものとは全く考えておらず、父なりに改善のための努力をしていた。
断酒会に通って似たような境遇の人とコミュニケーションをとったり、
暴力を多少配慮のある暴力としていったり(投げる物が茶碗とか灰皿から箸に変わったり、暴力体勢に入ると羽交い絞めにして止めても止まってくれなかったが、それが多少話を聞いてくれるようになったりなど…)、
お酒を飲んでしまったら、暴力的になるより先に自分を潰すために酒をあおるように飲むようになったり、
あまりうまくいっていないようだったがそもそもとしてお酒を飲まないように回数を減らそうとしたり。
傍目で見てまあ昔よりは多少マシになったのかなあと疑問に問いかけられるレベルには努力をしていた。
とはいえこんな家にいつまでも居ては人生潰されると思い大学から地元を出て、社会人になった今でも都会の方で私は暮らしている。
私が家を出た後、父は定年も数年後に控えた歳で仕事を自主退職し、収入が不安定になった。
そのときは今までの多少の努力を水泡に帰すような荒れっぷりになったが、祖父母の遺産が懐に入ったことで家計が安定し、老後の不安が解消したのか次第とアルコールへの依存がかなり減っていった。
憑き物が落ちたかのように父の生活はより穏やかなものとなっていった。
母はこんな家庭をずっと精神的に支えてきてくれていたのだが(鬱っぽくなったときも多々あったが)、ようやくこのタイミングで父との夫婦らしい生活を取り戻すことができた。
定期的にくる母からのラインでは今日はお父さんと一緒に散歩をしたなど、ほのぼのとした一日の出来事が綴られてあり、その連絡に安堵をして意気揚々と返信をしていた。
父と母の穏やかな生活が始まってちょっとのときの出来事だった。
それ以後父はまた定期的に酒を飲むようになり、冒頭の連絡をよこすようになった。
母が他界してから私は父に多少の恨みをもつようになった。というのも、私は父に父親に対してするような相談を全くできていないのである。
父親に対して相談したい悩みならたくさんあったにもかかわらず。
父が私に対してそれなりの愛情と、うまく対応できるかどうかは別として何かあったときに尻ぬぐいしてやるくらいの器量を持ち合わせているのは知っている。
でも私がまず一番父に求めているのはどっしり構えた親の姿であって、ありがたいものの愛情や脆い器量がほしいのではなかったのだ。
父からの連絡がくる度にそれがないことが毎回分かってしまって、泣いてしまう日が増えた。
今朝がた母の夢を見た。癌で治療中の母のもとに私がお見舞いに行っているのを第三者視点でみる夢だった。
○○ちゃん(私のこと)がね、今日どこに行ってたのか看護師さんとお話してたんだよ、
お母さんね○○ちゃんが何をしてたのか知ってるんだよ、
と幼稚園生のようにたどたどしく話す母に対し、
ベッドの小脇にある丸椅子に座りながらどこか嬉しそうにそっか~そうだったんだね、すごいね、とひたすら相槌をうつ私の姿が病院の一室にあった。
音程も歌詞も良くわからないような歌なんかも一緒に歌ったりもしてた。
実際は病院でこんなに緩やかな時間を過ごしたことはあまりなかったように感じる。
詳しくは伏せるが、母は放射線治療のために入院した後、一週間過ぎたくらいでコミュニケーションがほぼとれなくなり、その三週間後には他界した。
私は母の闘病中に籍を入れたのだが結婚式をしなかったことに対して本当はしているところを見たかったのよと言われたのを覚えている。
なんで今回はこんな夢を見たのだろうと思案してみたのだが、私は母が私に大人になりなさいと伝えているのだと解釈した。
夢なんてスピリチュアルな領域を出ないものだし、確実にどうというものでもないのだが、逆に言えばどうとらえるもその人の好き勝手にすれば良いのだ。
親はいつまでも親でいてくれるわけではない。
無いものを数えては何で私にはこれが無いんだろうと嘆いてもしょうがない。
幼児退行した母と親のようにふるまう娘の私との会話で、暗にそんなことを示し、教えてくれたのではないかと感じた。
冷たく聞こえるようだが、父に私の望む親としての役を担ってもらうことに期待をしないと決めた方が心持が幾分か楽になったのだ。
そして今度は私が、そんな大人である親側の役を担う番であると決意ができた。
色々父に対して恨みつらみを綴ったが、父も父で大変な環境で生きてきたのではと思う。
父のいとこのおじさんが、父は他のいとこがちょっとしたことで大人から褒められると、よく癇癪をおこしてその子と喧嘩するような人だったと言っていた。
父方の祖母は他人のことを小馬鹿にするきらいがある人だった、私の初任給の額が自分の年金よりも低いと知ると嬉しそうにしている人だった。
父方の祖父は仕事が忙しく、夜中まで帰ってこない日も多々あったらしかった。あまり父から祖父の話を聞いたことがない。
父の職場では(そもそも昭和の時代だとどこも似たようなものかもしれないが)年功序列が厳しく、飲み会もかなり激しいものだったと聞いた。
父は若い頃酒は一滴も飲めないほど弱かったにもかかわらず、無理してお酒を飲んで帰ってきてゲーゲー吐いていたと母から聞いた。
実際のところはどうかわからないが、もう少し色んなところで色んな大人が相手のことを思いやって態度で示せれば、
私の父も何かに依存して心の安穏を保とうと必死にならなくても良かったのかもしれない。
父がこれから穏やかに過ごせるかどうかは父の努力次第である、私は助けを求められればそれ相応に対応する心づもりもある。
だがその結果に関してどうこうと思いあぐねることはもうしない。それは父の人生の結果であって私が囚われるべき人生の一部ではない、もうそういう歳になれた。
今までと変わらない様子でいるのであれば、私はお父さんが元気でいてくれた方が嬉しいんだよと伝えるだけだし、
もし頼りになる父になってくれるのであれば、そのときどきの相談事をすればいい、
もっと歳をとって老人のようになったら、夢での母との会話のように穏やかに何度も相槌をうつ。それだけでいいんだと思う。
ただ私は相手のことを考えた相手のほしい言葉をかけてあげられる大人になることをひたすら目指そうと思う。
それは父にも、パートナーにも、友人、職場の人、親戚、将来できるかもしれない子供に対しても、誰に対しても平等な姿勢で。
これまた勝手ではあるがこの目標を最後の母との約束として忘れないよう、覚書として残す。
休日に暇だったので、図書館行って東京商工リサーチのデータベースで神保町にある東京堂書店のデータを見てみたら、トーハンが25%株持っていた。歴史的には東京堂の株をずっと持っていたようだが、2011年に東京堂と東京堂書店が合併したらしく、その頃からパワーバランスが変わったのかなと思ったりした(多分、東京堂の不動産賃貸収入を東京堂書店の赤字で節税しやすくした)。トーハンは、2013年にはブックファーストの全株、2016年には八重洲ブックセンターの株を49%取得している。2023年には丸善ジュンク堂書店も裏側のシステムをトーハンに合わせた。結果として、今の日本で大型書店に行こうとすると、紀伊國屋書店か三省堂書店(現在本店は改装中)等々を除き、トーハンの影響圏のなかでしか選択肢がないようだ。
個人的には、東京堂書店の株主のデータを見て、少し納得感があった。というのも、八重洲ブックセンターにトーハンが関わってから良くなったと思える点が全く無かったので(旧本店)。あと、下記の点も多くの書店に共通すると思う。
...
折角なので鹿島出版社のデータも見てみたが、近年は売上は3億円程度を推移しているようだった。昨今の書店文化の衰退は、どちらかというと雑誌不況であり、書籍はまだ底堅いニーズはあるのではないかという言説を支持出来る一つのデータに思えた。雑誌ベースのインフラを全国に構築しているトーハンが、コアな書籍を売りたい大型書店に関わることが良いことなのかは、もう少し社会全体で考えるべきだと思われる。確かに伊藤忠がファミリーマートに関わったことで、ファミリーマートのクオリティーは上がったが、書店の場合、取次が小売に関わることで本当にエンドユーザーにとって良いことなのか。少なくとも大型書店でエンドユーザーにとって具体的に何が良くなったのか。八重洲ブックセンターの鹿島卯女氏の遺産は数百億円あったが、そういう人の「文化事業」ではないと大型書店の運営は難しいのではないか。
鹿島卯女氏の遺産は文化や学術財団の基盤になったが、次の鹿島守之助が居るであろう新興企業への投資には流れなかった。アメリカのワシントン・ポスト紙はグラハム家からジェフ・ベゾスに経営権が継承されたが、こういうところでも微妙に日米の差を感じる。
実家に老後の蓄えなんかないから、20代の今から親を老人ホームに入れるためのお金の貯金してるし、家は相続どころか解体費用がかかりそうだから親が生きてるうちに処分しないとねっていう話をしてるくらいなんだけど、もしかしてこの世って親の老後には一銭も出さなくて良い上に遺産までもらえるのが当たり前なわけ?カルチャーショック
毎年1000万の遺産もらってるチーとは?
でも遺産の1000万だよ?
anond:20241012181121週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選
↑を書いた増田です 適当に書いた増田がしばらく見ないうちにブクマ数めっちゃ伸びてて派生増田もめちゃくちゃ出ててビビった。ただのおじさんの与太話にいろいろ意見をくれてありがとう
みんなのコメントの中には恥ずかしながら読んでなかった作品もあったくらいで、今週はネカフェやKindleの50%還元セールでいろいろ読み返してました
選考基準について少し補足すると、ジャンプという雑誌の在り方への影響度がとにかく重要だと考えてます。売上とか人気とか社会的影響は考慮はしてますが、あくまで付随する要素に過ぎません。
ブコメやXで結構言及されてたのを見て思ったのは、選評を雑に書きすぎて自分の考える重要性が伝わってないところが多かったのと、20選だとさすがに網羅出来てないなということ。もともと個人的なメモ書き程度に書いたものだったのですが、色々な意見を取り入れた25選にして、一人一作縛りもなくして、選評ももうちょい見栄えするようリライトしてみました。これが現時点でのベストだと考えているので、もう異論は取り入れません。
月2回刊で始まった少年ジャンプの創刊号はわずか10万5000部しか出なかった。その9年前のサンデー創刊号が30万部、マガジン創刊号が20万5000部だったことを考えると、その始まりが実に静かなものだったことがわかる。
そんな中、大家・永井豪が描いたこの作品の絶大な人気がジャンプの売上に大きく貢献したことは言うまでもないが、それ以上に重要なのは、この時点で「読者が面白いと思うことなら何だってやる」という編集部の方針は明確であったことである。
過剰ともいえる性描写、教職への徹底的な批判からなる本作は、当時の基準でも極めてラディカルで挑発的な作風であり、批判に晒され続けた。しかし、競争原理に基づき、常に読者の方を向いた雑誌を作るという編集部の意向が、この作品を存続させた。後に「アンケート至上主義」という形で現代まで続くことになるジャンプの強固なアイデンティティは、本作の成功とともに形をなしたのである。
頭文字Dや湾岸ミッドナイトのようなクルマ系のマンガが下火になったのは、若者が誰もスポーツカーに乗らなくなったことが原因のひとつであるという。頷けるところもあるが、じゃあ不良、ヤンキー、番長と称されるような若者なんてもっと絶滅危惧種なのにどうして彼らをカッコいいものとして描くマンガは何作も出続けているんだ?東リべのような大ヒットも未だに出ているのに。
思うに、我々の脳には義理と人情、泥臭さ、そして熱さを欲する部位が生まれつき備わっているのだ。そしてこうした要素を最も効果的に表現しうる分野が不良漫画であると見抜いたのは本宮ひろ志が最初であった。
ストーリーは完全にご都合主義で、キャラクターの一貫性もまるでない本作は、しかし「男の強さ」を描くという一点のみにおいて全くブレることはなかった。どんなに反社会的な人間でも、腕っぷしと強靭な精神と仲間への思いやりさえあればクールに映るという価値観は、フィクションにおいての(もはや誰も意識すらしなくなった)お約束として今なお残り続けている。
ジャンプが国民的マンガ雑誌とみなされる要因はどこにあるだろうか?40年間一度も休載することなく駆け抜けた秋本治のデビュー作は間違いなくその一つであろう。
当初は型破りな警察官・両津勘吉のドタバタを描くコメディとして始まった本作は、その時代のサブカルチャーや政治経済情勢を積極的に取り込むことで、高度経済成長期以降の近代化していく日本の風景を余すことなく取り込んだ作品となった。
浮世絵が江戸の庶民たちの風俗を映し出す史料であるように、こち亀が織りなす物語は昭和から平成にかけての日本人の最大公約数的な心象風景を巧みに映し出した。いまや日本から失われつつある中流の庶民の日常を、我々は全200巻からなる亀有の小さな派出所の日常にしみじみと感じ取るのだ。
もともと硬派なボクシングマンガとして始まった本作は仁義や兄弟愛をベースにした極めて現実的な作風で、決して圧倒的な人気作とは言えなかった。しかし、あしたのジョーの下位互換になるくらいなら無茶苦茶やってやる、という判断のもと路線変更し、過剰さと大袈裟さを極めたことで人気を博し、史上初の最終回巻頭カラーとして、ジャンプ史にその名を刻むこととなる
───という、教科書的な本作の功績だけが、本リストに入る理由ではない。重要なのは本作が男一匹ガキ大将(=根性と漢気)、侍ジャイアンツ(=超人的能力)の要素を意識的に再生産していることである。車田正美を源流として、ジャンプ的な文脈を後世の作品が重ね合わせることでより濃くしていく流れが明確になる。我々の知るジャンプは全て車田正美以後なのだ。
同時代の作家に比べ、寺沢武一のデビュー作の視座は群を抜いて高かった。スペースオペラの世界観から引用した本格的なSFのアイデアの数々。高い等身で描かれ、まるで映画のようなポージングやセリフ回しで魅せるセクシーな男女たち。幾度もの休載をはさみつつも、本作はユーモアとカッコよさと強さをコブラという一人の男の中に共存させるという偉業を成し遂げた。
登場人物も読者も無垢な10代の少年でなくてはならないという近視眼的な幻想と、ジャンプ作家は絶対にコンスタントに週刊連載をしなければならないという既成観念を、葉巻を加えた気障な宇宙海賊のサイコガン──精神力をエネルギーに変えるアイデアも寺沢が生み出したものだ──は易々と破壊したのである。
リングにかけろが確立したバトルマンガ路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品。いわゆる「友情・努力・勝利」という実際にはジャンプ編集部の誰も公言したことのないらしいパブリックイメージを単独で築き上げた。にもかかわらず、本作は国民的作品とはみなされておらず、犯罪的なまでの過小評価に甘んじていると言わざるを得ない。マジでなんで?絵が下手だから?嶋田のSNSの使い方が下手だから?
キン肉マンはマンガとしてではなく文化的に重要なのだと主張する類いの人間がいるが、そいつらの目と脳にはクソしか詰まっていない。ゆでたまごは絵の巧拙がクオリティに関係しないことを証明し、あらゆる世代の男たちにマンガに熱狂する勇気を与え、信じがたいほど面白い作品を描いた。この作品を嫌う人たちもまず冷静になり、理解しようと試みるべきだ。
鳥山明の訃報を聞いた日、Kindleで買ったまま放置していたDr.スランプの1巻を読んでみた。久しぶりに読む本作はきっと悲しいほど古く感じるだろうと思っていたが、実際のところiPadの画面に映るペンギン村の住人達は今も新鮮味をもって感じられた。
本作は後にDBやドラクエで知られることになる鳥山明がその才能の枝葉を伸ばし始めた作品である───と書けたらどれほど楽だったろう。枝葉どころかこの時点で大樹の幹である。
言語以前の本能の領域に鋭く迫り来る現実味を携えた絵は存在するが、そうした絵を毎週16ページのマンガで成立させる人間は鳥山明以外には存在しなかった。頭の中にBlenderが入っているかのような立体的なデフォルメは、我々の住む現実世界とは違うところにもリアリティというものは存在しうることを示し、「マンガのための絵」であった劇画調を衰退させる最大の要因となった。
Jリーグ創立の流れを生み出したともされる本作がサッカーマンガ界に残した遺産はなにか?もしかしたらこのような問いの設定自体が誤っているようにも思える。高すぎるキャラクターの頭身、大真面目に繰り出される荒唐無稽な技の数々が目をくらますかもしれないが、高橋陽一が一貫して表現したかったのはひたむきな少年たちが織りなす爽やかな青春であって、こうした要素は他作品にも見られるものだ。彼がサッカーという題材を選んだのは単に「野球マンガはありふれているから」という理由だ。本作は期せずしてサッカーマンガというジャンルの中心に祭り上げられたに過ぎないのだろう。
それでも、我々はこの巨星に感謝するほかない。この作品が無ければサッカーを始めていなかったであろう日本中、いや世界中の少年たちが、みな大空翼という一つのアイコンに夢中になっていたのだ。マイナースポーツのひとつに過ぎなかったサッカーをメジャークラスに引き上げ、軍国主義に基づく根性論を相対化し、ひたむきにボールを追いかける楽しさを私たちに初めて教えてくれたのはこの作品だったのだ。
元増田を書いたとき、ブコメ欄は「ぼくのはじめてのジャンプ」にまつわる涙なしでは語れない思い出たちで溢れかえったわけだが、はてブに入り浸る層の平均年齢を考えれば当然のことである。
自分のようなおじさんにとって涙なしでは語れない系マンガの筆頭に位置するのが北斗の拳である。1980年代中盤というのは、親しみやすいポップ路線と男臭い劇画路線がちょうどクロスオーバーする時期であった。今のメインストリームがどっちかは言うまでもないが、自分にとっては線が太くてむさ苦しい絵柄こそが少年ジャンプの原風景だった。
強くてカッコいい大人の男が弱肉強食の戦場で己の命を懸け闘う...そんなジャンプ初期から続く系統の最高到達点かつ袋小路が本作である。このようなマンガが流行る時代は二度と来ないとわかっているからこそ、特別な輝きを放ち続けるのだ。
かわいい女の子を見るためにマンガを読む者と、そうでない者がいる。どちらがいい悪いということはないが、少なくとも創刊してしばらくのジャンプは前者に見向きもしない雑誌であったのは確かだ。うちには高橋留美子はいないんだよ、といった具合に。
きまぐれオレンジ☆ロードは申し訳程度の超能力要素を除けば、一貫して思春期男女の甘酸っぱい三角関係に焦点を合わせ、かわいい女の子の日常が描かれているだけだ。それのなにがすごいのか?別にすごくはない。ただ、エロくもなく大したギャグもなく荒唐無稽な展開もないふつうの男女の日常に需要があることに、誰も気づいてない時代があったのだ。
まつもと泉は早くに体調を崩したこともあり、これ以降影響力ある作品を生み出すことはできないままこの世を去った。それでも、彼の鮮やかなトーン使い、歯が浮くようなセリフ回し、そして"かわいい女の子"以外に形容する言葉が見つからない鮎川まどかのキャラデザを見返すたび、これをジャンプでやってくれてありがとう、と思わずにはいられない。
鳥山明が死してなおこの先何度も繰り返される問いだろうが、ドラゴンボールよりもワンピやナルトの方がどれほど優れているのだろうか?そしてその答えを誰もが知っているのは何故だろう?これらの問いに対してどんな議論がなされようともすべて的外れで無意味である。それはこの作品が頂点だからだ。
鳥嶋和彦の意向により、本作はバカげた後付けの設定や引き伸ばしをせざるを得なかった。それでも、マンガを金銭を生み出す道具と見做す人間たちのあらゆる商業的な意図を超えて、本作はそれ以前、以降に掲載されたあらゆる作品を軽々と凌駕する金字塔となった。
11年に渡る孫悟空の冒険をもって、鳥山明は日本のマンガ文化が世界最高のものであるという事実を叩きつけ、自身が手塚治虫、赤塚不二夫、つげ義春、萩尾望都、藤子F不二雄、高橋留美子と並び立つ歴史上最高のマンガ家の一人であることを証明したのである。
車田正美はリンかけで過去のジャンプ作品の再生産を初めて試みたと述べたが、それを自分自身の作品でやった人間も車田が最初であった。自身のやりたいことを詰め込んだ男坂が衝撃的なまでの不人気に終わった反省から、彼は自身の原点に立ち返りつつもよりスケールを拡大した再生産をやることを決めた。
彼はギリシャ神話と宇宙、子供向けと大人の女性向け、劇画とプラモデルといった要素を交互に行き来しながら、自身が積み上げた様式美の世界を前人未踏の領域まで押し上げた。聖闘士に同じ技は二度通用しないが、我々読者は何度でもこのパターンを欲してしまうのだ。
ある一定の世代の人間からは、ジョジョという作品はいつも巻末に掲載されている時代遅れな絵柄のつまらん作品という評価が下されることがあり、そこには50%の事実と、50%の誤った認識が含まれている。
荒木飛呂彦の絵柄が彼の見た目と同様あまり本質的な変化がないことについてはその通りだ。だがいくら彼より本誌での掲載順が上であろうと、革新性・才能・実験精神という点で彼より優れた人間が果たして何人いただろう?
幽波紋と、理不尽な能力値のインフレを伴わないバトル描写は、彼が残した功績の中で最大のものである。キャラクターが持つ能力を、作者の演出の道具として使うのではなく、自律したキャラクター同士の駆け引きの領域に落とし込むことに成功したのだ。
我々はフィクションの中での整合性を厳しくジャッジすることに慣れっこになっているが、それに耐えうるものを初めて生み出したのは荒木だった。彼以降、マンガを読む行為は絵と吹き出しで表現された作者の脳内世界をくみ取る作業ではなく、自律したキャラクターたちと同次元に立ちその思考を辿るものとなった。荒木は真の意味で我々をマンガの世界に誘ったのである。
遺産使い(鳥などを遣うとくに有名人を。優しげな女。FC2_PPVほにゃほにゃそこそこあたりみたいな感じ)
会話使い(ヘビとかを使う。訪問介護をやってる。磯野貴理子みたいな女。人の名前をカーミーヤーヒロシ、みたいに茶化して表記する。)
視聴覚室的なとこで一時間くらい待ってたら遺産使いがグレースーツで遠野桜?のビデオを見せに来た。カミカミで平仄あってないクソビデオ。ファンタジーバトル情報商材として、いっしょに戦おうという気にさせない。そしたら教室の左前の生徒?の出資者的な奴がおいおいどうした遠野桜カネださないぞとヤジった。令和の虎?
会話使いがカーミーヤーテー?という訪問介護の客のエピソードをもとに今回の出演の思いをコメンタリーした。
で!!!このとき、リアルで腕を鼻に回してた感じで、呼吸苦しくて、死にかけたわ!!!!!意識はあるから頑張ってどかそうとしたけど、金縛り的に身体が動かんくて!!!鼻も詰まっててガチ死にかけて、何とか動かしてクソ苦しくて呼吸しまくって、もう一度寝た!!普通に酸欠で落ちるのに近い感じ。多分数分でまた起きてまた書いてるんだが、少し頭痛いので空気をすいすいしてた。
教室はひし形、机配置はくの字で、くの字の始まりと終わりの点にプロジェクターのあるダブルスクリーンだった。俺はくびれ部分つまり奥の方、の左側机の右端で、ちょい知り合い的な旧友とふざけたり、なかなか先生がこないので寝てたりした
金縛り時に小指から動かす法とかを試したり、案外私は冷静だったが、そんな悠長なことやってる場合でもなく、右腕をどかそうと必死に動かした。途中で呼吸を強めにして待つということもした。左肩の近くに右手をまわしてて、右肘の内側が鼻の近くに来る感じ
マジで死ぬと思ったわ。こういうときって身体が緊急で動いたりしないんだ。鼻も詰まってたし。
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右手 "を" 左肩の近くに置く
左肩の近く "に" 右手を置く
プレゼントで朝日新聞の記事読んだからお礼代わりに相続関連の現場から話をすると、まあ遺族側に同情しちゃうね俺は。
ソコソコ規模が大きいからニュースになってるけど、中小企業で今後こう言う話はどんどん増えると思うよ。
あ、特定はイヤなんで以下はマックで女子大生が話していた内容でーす
朝日出版社の話は(記事を読む限りでは)、普通に親族間で感情的なもつれがあるのに、経営陣が雑な対応してやらかした自業自得な感触を受ける。
関連記事のブコメで良いヤツがあったから引用するんだけど、これ感覚的にわかりにくいと思うので、詳細に解説したいと思う。
いまいち、株主(創業者遺族)が「資産(土地含む)と照らし合わせると、極端に低い価格」で売る動機がわからないな。相続税を払わないといけないから、株を売ること自体はわかるのだけど。
まず大前提の話をするんだけど、相続税の支払いは10カ月以内に行う必要があります。
つまり2023年4月に亡くなられたなら、2024年2月までに支払う必要がある。遅れたら延滞金がつきます。すぐ利率14%超えるんでまあ普通はちゃんと納付期限までに払う。
なので、俺は相続税は既に払い終わってると思う。
極端に低い価格で売る理由は「極端に低い価格だと思うなら、じゃあなんでオマエ買わないの?」という一言に尽きる。
え、いや10憶も持ってないし、とかそういう回答になると思う。他の出版社もそうなんだよ。
少なくとも経営陣が2023年中に自社株買いで10億円かかるなあ、じゃあ資金調達して自社株買いしますわーってやっとけば、こんなことにはなってない。ハイ、ペナルティ1個め。
次に、他の出版社が実績もあって手堅い出版してる朝日出版社の買収に手をあげない理由。簡単ですね、それだけの価値が無いから。
いやいや、不動産も含めたら資産があるって話してるじゃん!と思うかもしれない。でもその土地さ、現金化できなきゃ価値無いじゃん。
じゃあさ、10億で買収した出版社がさ、九段下の本社不動産売って社員は適切な業務ができるビル借りるから移ってや、みたいな話、したい?
めんどくさいでしょ。組合の声明出してる内容は事実だよ。社員の労働環境に大きな影響を与える場合、丁寧に説得して納得してもらってからじゃないと基本やっちゃダメ。
そして、本業が黒字であっても、買収額をその黒字でペイできるまで何十年かかかるな~出版不況とか言われてんのに~とか事業計画書眺めると、まあ銀行もカネは出さないよね。
買収に手を挙げた印刷会社は相当頑張ったと思うよ。まあ、最悪土地売ればええか、とかは考えてたかもしれないけど。
時系列でまとめとこうか。
2023年4月、創業者が亡くなられた。お悔やみ申し上げます。
2023年?月、自社株買い検討で、10憶かかりそうと経営陣が見込んだ。何見込んだだけでボーっとしてんだよ。社員でMBOしろや。
2024年5月に、買い手が見つかったから売るわって遺族に言われたときに、いやいや安すぎる買い手がいるはずって言って、当初見つかってないのよ。ハイ、ペナルティ2個目。
2024年8月に、印刷会社が友好的に買収してくれそうって話になって、遺族に送った表明書が7億円でしょ。ハイ、ペナルティ3個目。
2023年には10憶かかりそうって言った口で、何3憶も値引いて売ろうとしてんだよ。ここで3億値引きの説明をまともにできなきゃ、単なる嘘つきだよね。
2024年8月末、遺族が株式譲渡契約を結ぶ。基本ココで詰み。
2024年8月末、遺族が自宅を1億で売ってくれと経営陣に言う。経営陣は売らない。ハイ、ペナルティ4個目。
『経営陣は売却に前向きだったが、取締役会の承認が必要なうえに』知らねえよ、さっさと取締役会を開けよ。せめても承認が通らなかった結果を出してから言えや。
2024年9月初め、『譲渡額を知らない経営陣は「印刷会社が10億円で買収する意向だ」と伝えた』とか、遺族からしたら馬鹿にしてんのかって話でしょ。ハイ、ペナルティ5個目。
8月に7憶って表明書の文書出しといて、9月に口頭で10憶とかって馬鹿にしすぎでしょ。ポンポン値段を上下させすぎなんよ。こんなん信頼するに値しませんわ、お話にならない。
俺は遺族側の話を聞くことが多いから同情的なのを差っ引いても、経営陣の動きがボンヤリしすぎててひどい。
コレね、額がでかいから想像が難しいと思うんで、大胆に例え話にするんだけど、実家を相続したと考えてくれ。
オマエさんは既に都会に出て独り立ちしてて家族もある。実家は叔父さんが住んで商売してるらしい。
相続したんだし金にしないとなあと不動産屋に行ったら300万っていわれたんで、じゃあ売るわって叔父に連絡したら「いやいや安すぎる1千万はする」って言われた。
もうね、心の底から「知らんがな」って言うと思うんだよね。じゃあ叔父さんが買うか相手先見つけてきてから話をしろや。
わかるでしょ?
その土地にホントに価値があるとか、そこの事業が社会貢献してるとか、心の底からどうでも良いの。
コレがね、娘にこの会社を継いでほしい、だから事業部に入れて育てて今や役員だ、社長とはうまくやってほしい。
とかって話で、娘が親父が死んだから改革じゃあ、会社がガタガタになりそう社長どうにかして~とかだったら、お家騒動と言えなくも無いと思うのよ。
単純な話で、遺族が相続した遺産を現金化しようとしてるかもわからんのに、経営陣がぼんやりしてたから買い時逃しただけでしょ。
「いやー、奥様も娘様も高潔な出版の意義を理解されていて素晴らしい」とか経営陣と社員一同で拝んどったんか。なにしとったんやマジで。
この手の話で、説明責任とか、直接話をさせろみたいな上から目線の雇われ役員とか社員すっげー多いんだけど、マジで考え直した方がええで。
面倒無く一刻も早く現金化してその現金で好きにしたい遺族に、不義理し続けたらそら不信感持たれて話聞いてもらえんじゃろ。
従業員は、オーナー変わるのかあ、大丈夫かなあ、とかでもまあ仕方がない。雇われ社員だしね。
経営陣は2023年にマジで何しとったんや。会社はよろしくお願いしますって遺族に言われて素直に受け取ってぼんやりしとったんか。
ワンマンオーナーの代替わりやぞ。下手したら遺産相続で持ち出しまであったかもしれん相手に、ちゃんと菓子折りもってご機嫌伺に行けや。
まあ、個人的な落としどころとしては、「遺族に迷惑をかけない」「だから株式譲渡先とだけ交渉する」「譲渡先は印刷会社に株式譲渡してくれ」あたりかな。
遺族としては高けりゃ高いほど嬉しいだろうけど、まずはさっくり現金化できるのが最優先だよ。事業に思い入れ無いんだったらなおさら。
そこの思いを汲み取らない限り絶対に話まとまんないよ。感情的に揉めてる場合は、値段の問題じゃなくなってることもあるし。
あとは印刷会社には、九段下の社屋は引き払って安いところに移るから、それ込みで引き受けてくれと握る、あたりかなあ。
思ったより長くなったな。
「絵に描いた餅は食えない」に尽きるな。
遺産を相続したんなら、使えるうちに現金化して使うでしょ。もうね、相続時点で敵対的買収されたと思うくらいの速度感が必要なの。
たぶん7割の株式持ってる創業者の妻を懐柔したかったんだろうなあ、というのが記事から透けて見える。日本企業の情緒的なお仕事の仕方ホントに良くない。
工場で次のオーナーのお手並み拝見だなとか社員が不敵に笑ってたら知らん弁護士が急に来て事業清算されて全部消えました、みたいな話ゴロゴロしてるから。
遺族が遺志を継いで旨いラーメンを作りたいのとか超レアだから。雇われ経営陣に危機感が足りなさすぎる会社、日本にめっちゃいっぱいあるからこういう話増えると思うよ。
もちづきさんかよ
きのうの昼過ぎに、おととい夜かって常温放置してたのり弁当1つとスナック菓子のスコーンバーベキュー味を4袋くった
もうあすけんはつけるのをやめてアンインストールした
2日坊主だった
健康になるために食事管理するつもりなんかさらさらないから、つけるだけ無駄だと思ったから
あったらある分だけ全部くっちまう
とうぶん買わないようにしよう
あと店もいかないようにしよう
つーか最近なんかおなかの調子っつか空腹感センサーみたいなのが変な感じする
朝おなかすかないのはこれまでとかわんないけど昼もそこまでおなかすかないんだ
食ったら食えるしおなかいっぱいになった感じはあるんだけど
夜もそこまでおなかすかないしなんか食いたい感がわかない
野菜食わな過ぎてることが原因のような気もするからもうちょい野菜食うかなあ
不健康で死ぬだろうからもうほんと早くしごとやめて好きなことだけして暮らしたい
凍死解約すれば1000万あるし
10年たてば親もどっちか死ぬだろうから遺産もらって無職延長できるだろうし
あああああああああ
もうほんと死んだ方がいいよ