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はてなキーワード: 首都とは

2017-06-16

日報隠蔽

調べなおしてたが思った以上にややこしかった

7月

首都戦闘

日報戦闘が生起」

10月

安倍稲田戦闘はなかった」

日報開示請求

11月

28自衛隊日報不存在とした判断について意見照会

12月

防衛省文書は破棄したので不開示」

26日文書発見

1月中旬

内部で公開検討

27日稲田大臣に報告

1月下旬

幹部「いまさら公開できない」

2月

データ消去指示

再調査文書発見

稲田憲法9条問題になるから武力衝突を使う」

3月

10日南スーダン撤退を発表

戦闘に巻き込まれ場合9条にひっかかって違憲になるので戦闘はなかった、あるいは戦闘ではなく武力衝突という事らしいッス

首相も「武器をつかって殺傷、あるいは物を破壊する行為はあったけど、戦闘定義国会で決まってるわけでもないし~俺ら的にはこれ戦闘じゃなくて衝突じゃね?みたいな~」とか言ってるんで「戦闘」と明記してる日報が開示されちゃったらマズいんだけど

本当に探しても見つからなかったのか最初から公開する気はなかったのか、隠蔽したなら誰がどういう判断でやったのかってのはこれもうわかんねえな…

あと開示請求9月って報道もあるんだけど10月共産党請求じゃないかなぁと思ったり

あと12月1月で2度隠蔽してるわけで、どっちの隠蔽を指してるのかわかんなくなったり

2017-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20170613181216

関連リンクメモ元増田じゃないよ)

陸自日報問題幹部の指示

陸自では削除したけど陸幕が持ってた」と同じロジックごまかすと思われます。この件は、実は防衛省幹部からの指示での削除だったことはマスコミ報道されましたが、大した騒ぎになっていないので、ディレイディフェンス有効です。


www.fnn-news.com: 日報問題 去年7月に「隠ぺい」指示 05/29 12:31

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00359599.html

今回、FNN取材で、2016年7月南スーダンの情勢が悪化した直後に、別の情報開示請求があり、この際、陸上自衛隊幹部の指示で、日報存在を隠ぺいしていたことが明らかになった。

複数関係者証言によると、「日報」に対する最初情報公開請求は、2016年7月首都ジュバで大規模な武力衝突が発生した数日後に受理され、派遣部隊司令部が置かれている「陸上自衛隊中央即応集団と、南スーダン派遣施設部隊との間でやりとりされた全ての文書」の公開を求めるものだった。

中央即応集団担当者が、「日報」のデータが残っていることを確認して、上司に報告したところ、上司は「バカ正直に出せばいいってもんじゃない」などと叱責(しっせき)し、「日報」を開示しないよう命じたという。

これを受け、担当者は、陸上幕僚監部に「『日報』は、個人保管の資料で、開示すべき行政文書に該当しない」と説明し、陸上幕僚監部も了承したため、2016年9月中旬、「日報」以外の文書けが請求者に公開された。

内閣委員会での自民による過去民主党委員長解任動議

参院内閣委員会委員長は、民進党難波議員ですから、解任動議をする可能性はあります平成25年12月に、水岡俊一大久保委員長をそれぞれ与党提出法案の採決を決定しなかったカドで解任していますから難波さんも解任した上で、参院内閣委員会のこれ以上の開催を見送る可能性はあります。ちなみに野党委員長の解任は安倍政権しかやったことが無いです、これ豆知識な。


参院民主・水岡内閣委員長を解任 与党から選出へ  :日本経済新聞

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0404X_U3A201C1000000/

2013/12/5付

 参院は5日未明本会議で、民主党水岡俊一内閣委員長の解任決議を自民公明両党の賛成多数で可決した。同委で審議中の国家戦略特区法案の今国会成立を確実なものにするため。参院はこの後に開く本会議で、水岡氏に代わる新委員長与党から選出する。

奇しくも? 4年前の解任決議の理由が「国家戦略特区」を巡る動きだったのね。

 

かつ、国家戦略特区法案の裏で動いていたのがこの時の国会での注目だった特定秘密保護法内閣委員会民主党委員長の解任決議の2日後に成立してたのか

 

特定秘密保護法に関するタイムラインビューアー:朝日新聞デジタル

http://www.asahi.com/topics/timeline/?keyword=%E7%89%B9%E5%AE%9A%E7%A7%98%E5%AF%86%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%B3%95

2017-06-05

続・山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの続き。(文字数制限にひっかかったので分割します)

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

1183(寿永2)年、義仲軍は京都に入り、食糧不足もあって狼藉を続けた。京都にとどまった後白河法皇後鳥羽天皇即位させ、寿永二年の宣旨頼朝東国での支配権を認めるとともに、義仲軍の乱暴ぶりを口実にして頼朝上京要請するなど、政治力の強化につとめた。しかし、頼朝東国支配を固めるために鎌倉を動かず、かわりに弟の範頼・義経上京し、1184(元暦元)年、二人は義仲を打ち破った。

義仲が京都乱暴狼藉を働いたという記述があるのは、意外にもこの教科書だけでした。

兵糧不足のまま進撃して首都占領しても、どうせ軍規が乱れて略奪しまくるぞというのは、日中戦争における南京事件南京大虐殺)のことを言いたいのかなと思いましたが、それは深読みのしすぎかもしれませんね。どうなんでしょう?

  

また、これは下記の引用部分になりますが、頼朝が初めて上京したタイミングがいつだったかを明記しているのは、この教科書だけだと思います

(この点はとりわけ山川の『詳説日本史』が最悪です。頼朝西国での平家追討の仕事をすべて弟の範頼・義経らにやらせ自分はその間ずっと鎌倉にひきこもって地盤を固めていたという基本的事項すらも把握できない書き方がされているんです。)

頼朝挙兵以来、北条氏三浦氏などの東国武士たちと主従関係を結んで、彼らを御家人として組織した。そして1180(治承4)年、御家人の統率と軍事警察担当する侍所を設けて、有力御家人和田義盛別当長官)に据えた。さらに1184(元暦元)年、一般政務をつかさどる公文所(のち政所)と問注所を開設し、実務に優れた下級官人らを側近にして職務を分担させるなど、支配機構の整備を進めた。

頼朝後白河法皇要請を受け、範頼と義経平家追討を命じ、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏を滅亡させた。後白河法皇頼朝権力拡大を恐れて義経を重用し、頼朝の追討を命じたが失敗した。逆に頼朝は、親鎌倉派の公卿九条兼実藤原兼実)らを朝廷重要政務担当する議奏につかせ、反鎌倉派の貴族追放し、義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた。さらに1189(文治5)年、頼朝義経をかくまったことを口実に藤原秀衡の子の泰衡を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした。こうして頼朝東国西国の多数の武士御家人として組織しながら、主に東国支配確立していった。

1190(建久元)年、頼朝挙兵後はじめて京都に入り、右近大将に任命され、後白河法皇没後の1192(建久3)年には、法皇の反対で就任できなかった征夷大将軍に任命され、名実ともに鎌倉幕府が成立した。」

当然ながら『詳説日本史』にも、侍所政所問注所地頭というキーワードは出てきますしかし、治承・寿永の乱とは別項に記述されているため、時系列が分かりづらくなっています

それに比べて、この教科書歴史の流れの中にキーワードを配置しています。だから時系列に即してこれらの言葉意味理解することができるはずです。

  

結びが「名実ともに鎌倉幕府が成立した」という記述になっているのも、味わい深いです。

鎌倉幕府の成立が何年かという論争を垣間見ることができます名目的には1192年に幕府が成立したと言えるが、実質的にはそれ以前から幕府政治機構ができあがっていたというニュアンスを含ませているのでしょう。

  

  

  

あとは、上記引用中の「義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた」という記述が最高にクールです。

一般には1185年、義経の捜索を名目にして守護地頭が設置されたとされていますし、国ごとに置かれた役職地頭ではなく守護だと暗記している人が多いんじゃないでしょうか?

例えば山川の『詳説日本史』はそうなっています。それによると、頼朝は1185年に「諸国には守護を、荘園公領には地頭を任命する権利」を獲得したとされています守護は「おもに東国出身の有力御家人から選ばれて「原則として各国に一人ずつ」任命され、「大犯三箇条などの職務を任とし」て国内御家人を指揮統率し、とくに東国では在庁官人支配することで「地方行政官としての役割も果たし」ました。いっぽう、地頭は「御家人のなかから任命され、任務年貢徴収・納入と土地官吏および治安維持」です。「頼朝は主人として御家人に対し、おもに地頭に任命することによって先祖伝来の所領の支配保障したり(本領安堵)、新たな領地を与えたりした(新恩給与)」わけですが、このことが御恩と奉公関係となって封建制度の基礎となりました。

  

ところが、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)によると、ここの説明がこれとまったく異なります。私が先に引用した項では、1185年の出来事として守護の設置には言及せず、地頭の設置だけが記述されていますしかもその"地頭"は国ごとに置かれたものだとされているのです。

私は最初にこれを読んだとき、わけがからなくて混乱しました。それでがんばって自力で調べてみて(独学なので苦労したナァ)ようやく理解できたのですが、1185年の文治の勅許守護地頭が置かれたとする『吾妻鏡』の記述には疑いがあり、実はこれがかつて学者の間でも論争になったテーマだったらしいのです。

1960年石母田正が新説を発表したのですが、おおざっぱに言うと、新説では、この時点で置かれたもの守護地頭ではなく、地頭(国地頭)だったとしています。それはわれわれが普通一般に知っている地頭(荘郷地頭)とは異なり、一国を統括する強大な権限を持つ存在です。この国地頭はすぐに廃止され消滅しましたが、守護前身となりました。

三省堂教科書は、次項でそのことが説明されています頼朝がはじめは国ごとに"地頭"を派遣して荘園国衙領のいずれからも兵糧米を徴収させていたこと、そのやり方がひどすぎたから反発を招いて、以後は"地頭"に代わるものとして守護を置いた、という記述になっています。またこれに続いて、頼朝は「荘郷地頭と呼ばれる地頭を任命し」、平氏没官領や謀反人の所領跡で「年貢公事徴収治安維持に当たらせた」としています

このように、三省堂教科書では、「国地頭」と「荘郷地頭」をはっきりと区別しているのです。

  

実教出版もこの新説を採用していますこちらも合わせて読んでおくと、国地頭のことが大変よく分かります東京出版は本文の記述が旧説に拠っていますけど、欄外では国地頭が惣追捕使とならび、守護前身として存在していた話をちょこっと説明しています。これらの教科書は「国地頭」論争の成果を取り入れており、学問的に誠実だと思います

それに対して山川の『詳説日本史』は旧説を採用し、1185年に守護地頭の設置が認められたとする断定的な記述になっています。これが他の教科書とのあいだに無用矛盾を生じさせているのです。私と同じようにこの点につまづいて、困惑してしまった高校生が少なからずいるんじゃないでしょうか。

  

なお、山川参考書『詳説日本史研究』にもこの新説の紹介はありません。同社『日本史B用語集』には「国地頭」という用語掲載されていて、そこでは一応説明がされているんですが、あたかも国地頭が荘郷地頭前身だったと思わせるような記述です。

地頭(じとう)⑪:1185年、頼朝要請後白河法皇諸国公領荘園地頭を設置することを認めた。当初は1国単位荘園公領支配する国地頭を設置したが、まもなく平家一族の所領として没収された平家没官領と謀反人跡地に限定した荘郷地頭となった。しかし、公家寺社の強い反対で、一時縮小、承久の乱後に全国化した。任務土地管理年貢・兵糧米の徴収治安維持など。

地頭⑤ 荘郷地頭

  

山川出版日本史B用語集』より

ですが三省堂実教出版東京書籍教科書によると、国地頭はむしろ守護へと発展的解消を遂げたという記述なんですから、『日本史B用語集』のこの説明とはやはり若干の矛盾が生じています

「国地頭」を教科書に載せている上記の主要3社の文脈に従うなら、この用語独立の項目として取り扱うか、せめて「地頭」の項目じゃなく「守護」の項目にいれて取り扱うべきじゃないでしょうか。

  

(追記 これはインターネット上の情報なので私は未確認ですが、現在は『詳説日本史』にも国地頭掲載されているそうです。近年改訂されたんでしょうか。

予防線として言っておくと、私は高校日本史Bを履修しなかったし、大学歴史学勉強したわけではありません。高校時代文転して受験するかと生半可に考えていて(結局やめたけどね)、興味本位教科書を読んでみただけの素人です。

さいしょの方でも書いたとおり最新版教科書を持ってません。はてブでバズっていてびっくりしましたが、このエントリ専門家レベルのものとして受けとるのは、恥ずかしいのでやめてください。

再追記。id:HRYKtbykさん、確認をしてくださり感謝。)

  

  

  

(追記2

複数教科書を読み比べすることで、『詳説日本史』を読むだけでは見えないポイントが浮かび上がってきます

『詳説日本史』では、前九年合戦後三年合戦のところで、「これらの戦いを通じて源氏東国武士団との主従関係を強め、武家棟梁としての地位を固めていった」とあります。これが後の頼朝挙兵につながるわけですが、それは時代を経てからのことだから教科書のページが離れすぎていて、この関連が把握しづらくなっています

ここで例えば山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)のような他の教科書と読み比べてみると、『詳説日本史』がこの簡潔な一文を通して伝えたかったことを理解することができるのです。(上述参照)

  

つぎは例えば、貫高制・石高制を見てみましょう。

『詳説日本史』によると、戦国大名性格は次のように説明されています戦国大名は「新たに征服した土地などで検地をしばしばおこなっ」て、それにより「農民に対する直接支配」を強化しました。そして国人地侍を取り込むため、貫高制を導入しました。これは戦国大名が彼らを「貫高という基準統一的に把握」して軍役を課す制度でした。それでここからすこし時代下り、別のページで豊臣秀吉太閤検地説明しています太閤検地により石高制が確立しました。それは「荘園制のもとで一つの土地に何人もの権利が重なりあっていた状態を整理」し、「一地一作人」を原則とするものです。農民は「自分田畑所有権を法的に認められることになった」わけです。

このような記述だけでも表層的な理解はできると思いますが、実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)は、貫高制について「荘園の複雑な土地制度は貫高に組み込まれ大名統一的な国内政治を推進」するものとしています。『詳説日本史』ではせいぜい石高制と荘園制の関係しかからないでしょうが、本書はこのように貫高制と荘園制の関係を明示しているのです。

この視点を最もわかりやす記述しているのが、三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)です。本書は貫高制、石高制、荘園制の全部を一つの項目に入れて記述しています。それによると、秀吉太閤検地を行い、「戦国大名の貫高制にかわって、それを発展させて全国に広げた石高制」を導入、その結果「荘園制を完全に崩壊させ」ました。このポイントを把握しておけば、中世から近世への社会の変化を、土地一元的支配確立荘園制の衰退・消滅という視点で見ることができます。本書の特徴は、貫高制・石高制をともにこの視点から語っていることと、しかもそれが荘園制を「完全に崩壊させ」たと言い切っていることです。

ちなみに、東京書籍日本史B』(日B 004)では、石高制を「近世封建制体制原理」と書いています。これがまったく新しい制度であることを強調しつつ、近世という言葉を使ってその射程を江戸時代にまで広げているのです。)

2017-05-19

副島 種臣(そえじま たねおみ、文政119月9日1828年10月17日) - 明治38年(1905年1月31日)は、日本江戸時代末期(幕末から明治時代佐賀藩士、政治家書家。勲一等、伯爵。初名は竜種(たつたね)。通称は次郎(じろう)。号に蒼海(そうかい)、一々学人(いちいちがくじん)。

目次 [非表示]

1 生涯

2 書家

3 栄典

4 参考文献

4.1 伝記

5 登場作品

6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

生涯[編集]

文政11年(1828年)、佐賀藩士・枝吉南濠(忠左衛門、種彰、30石)の二男に生まれる。父は藩校である弘道館教授を努める国学者で、兄は同じく国学者枝吉神陽。母は木原宣審の娘・喜勢。父と兄の影響により、早くから尊皇攘夷思想に目覚める。弘道館で学び、この間に江藤新平大木喬任と交わる。

嘉永3年(1850年)、兄・神陽が中心に結成した楠公義祭同盟に加わる。嘉永5年(1852年)、京都遊学、漢学・国学などを学ぶ。この間に矢野玄道らと交わる。さらに、神陽の命を受けて大原重徳に将軍廃止天皇政権による統一を進言する意見書を提出して青蓮院朝彦親王から藩兵上洛を求められるが、藩主鍋島直正に退けられた上、藩校での国学教諭を命じられた。

安政6年(1859年)、父の南濠が死去し、同年3月には同藩士の副島利忠の養子となる

元治元年(1864年)、長崎に設けた藩営の洋学校・致遠館の英学生監督となって英語等を学ぶ。慶応3年1867年)、大隈重信脱藩するが、捕らえられて謹慎処分を受ける。

明治維新後は慶応4年1868年)、新政府参与制度取調局判事となり、福岡孝弟と『政体書』起草に携わる。明治2年(1869年)に参議、同4年(1871年)に外務卿となり、マリア・ルス号事件において活躍する。マリア・ルス号事件では、助けを求めた中国人奴隷解放したことで、正義人道の人と国際的に支持された。

明治6年(1873年)2月には前々年に台湾で起きた宮古島島民遭難事件台湾出兵も参照)の処理交渉特命全権公使外務大臣として清の首都北京派遣され、日清修好条規批准書の交換・同治帝成婚の賀を述べた国書の奉呈および交渉にあたった。この間、清朝高官との詩文交換でその博学ぶりを評価をされている。同年10月征韓論争に敗れて下野し、明治7年(1874年)には板垣退助らと共に愛国公党に参加、同年には民撰議院設立建白書を提出したものの、自由民権運動には参加しなかった。西南戦争中は、中国大陸中南部旅行滞在している。

明治12年(1879年)、宮内省一等待講。明治17年(1884年)、伯爵明治20年(1887年)に宮中顧問官、明治21年1888年)に枢密顧問官明治24年(1891年)に枢密院副議長になり、明治25年(1892年)には第1次松方内閣において内務大臣を務めた。

明治38年(1905年)、脳溢血のため死去[1]。

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

2017-05-18

一歩間違えれば列車脱線事故100人以上死傷。自家用自動車マイカー違法化禁止化したほうがいい。

踏切待ちをしていたクルマペダル踏み間違えで列車に突っ込む | レスポンスResponse.jp

https://response.jp/article/2017/05/16/294753.html

自動車運転しないという社会貢献を広めたほうがいいと思うわこういうのを見ると。

商業車はある程度仕方ないにしても、オスロみたいに自家用自動車マイカー禁止するぐらい踏み込んで交通安全を確保するべきだ。

ノルウェーオスロでは諸悪の根源である自家用自動車マイカー禁止して、自転車公共交通優遇しているほど自動車害悪の塊なんだよな。

イギリス首都ロンドンでは自動車から通行課税徴収して自転車利用者を増やすための自転車インフラ整備に充てているほどだ。

それほどまでに自動車は減らすべき害物としてある、という事実に気づかされる。

クルマ離れは実は善良なアクションなんだよね。クルマ離れが進めば進むほど重大事故も公害渋滞も減り、人々は自然と移動しながら運動するによりなり医療費も減る。

疾病は予防が最も安上がり。実際に、自転車によく乗る人は自動車依存者よりも健康寿命が長く長寿であるという研究結果がイギリスフランスオランダ等でも出ている程。

実は日本政府も脱クルマ自転車活用拡大推進の政策を進めており、これは自動車依存脱却のコンパクトシティ政策ともリンクしている。

自動車捨てて自転車乗れ、自動車運転不要都市部移住しろ!は政府の指針でもある。

自家用自動車マイカーの乱用で拠点分散化し、公共交通が衰退し、いざクルマ運転できなくなった年寄り障がい者になって初めて『自動車乱用が地域を不便に、そして危険にさせ、公害蔓延させた』事実に気付く。

からこそ今コンパクトシティ化推進が叫ばれてるし、公共施設の統廃合が全国で進んでいることから拠点の集約化が順調に進んでいる事実がうかがえる。

自家用自動車マイカー前提の地域に執着するのは悪!な時代ということだ。クルマを捨てて都市部に住んで、自転車公共交通使って生活するのが正義であり善な時代

自動ブレーキ搭載自動車以外は公道走行違法化禁止化するべきですね。

自動ブレーキ搭載自動車以外は公道走行違法化禁止化するべきですね。

一秒でも早く!人命は何よりも尊いのですから根本的にはクルマ離れを進めるのが最善でしょう。

統計を見ても自動車の乱用と共に重大事故も公害渋滞も深刻化していったのですから、その逆をすればすべてが解決するのですから

コンパクトシティ化で脱クルマが善の時代です。

ノルウェーオスロでは自家用自動車マイカー禁止して自転車公共交通優遇し、イギリス首都ロンドンでは自動車から通行課税徴収して自動車を減らし、自転車利用者を増やすため自転車インフラ整備に充てているほど、自動車抑制はあらゆる問題改善につながるのですからね。

クルマ離れは交通安全渋滞緩和と環境保全及び向上の観点からすると最高の社会貢献になるというのは事実としてあるのですから、私達はクルマ離れを進めていきたいものです。

クルマ離れを進めれば、若き尊い命が奪われる惨事も確実に減らせるのですから自動車の車内でさえ年間約1300人死亡しています。約1600人の歩行者死亡の交通死の原因はほぼすべてが自動車であり、交通刑務所懲役囚人のほぼ全員は自動車運転手です。

各国がなぜ自動車抑制して自転車への乗り換えを政策で促しているかがよくわかりますね。

実際、統計を見ても人の移動が徒歩、自転車公共交通時代、今より遥かに重大事故は少なかったのですから

2017-05-16

痴漢根本的原因は首都一極集中

まり田舎を出て上京してきた奴らは間接的に痴漢を増やしているのだという自覚を持って欲しい。

2017-05-14

自転車通勤できる会社と、自転車で通える立地住まいでよかったわ。

http://anond.hatelabo.jp/20170513132650

クルマ電車乗らず自転車乗れば健康にも良いしね。実際に自転車によく乗る人は、自動車依存者よりも健康寿命が長く、長寿な傾向にあるのはイギリスオランダフランスなどの研究の通り。

からイギリス首都ロンドンアメリカニューヨークでも自動車の車線を減らしてでも自転車利用者を増やすための自転車道ネットワーク整備を政策で進めているほど。

だいたいからして鉄道利用での通勤費用さえも会社が出してしまっている文化満員電車元凶だよな。

そういうのを廃止して自転車道ネットワーク整備して鉄道乱用を抑制して自転車通勤を増やせば、自然満員電車問題解決するでしょうに。

ちなみに、自動車を減らして自転車を増やす渋滞公害も重大事故も減るというのは統計でも証明されている通り。

からこそ各国は自転車活用拡大推進に注力しているんだよね。

ロンドンでは自動車連中から通行課税徴収して、それを元手に自転車インフラ整備を強力に進めているほどだし、ノルウェーオスロでは自家用自動車マイカー禁止して自転車優遇しているほどだ。

2017-05-04

日本で進み続ける免許離れ。環境健康意識の高まりもあり増える自転車活用

http://anond.hatelabo.jp/20170503173102

都市部への移住が進むなか、移動手段自動車から自転車

http://www.weekly-net.co.jp/logistics/post-11318.php

運転免許受験者数は2004年の387万人から2013年には290万人へ減少している。

20―24歳男性自動車の利用率は26.3%(平成12年)から20.4%(同22年)に減少。

反対に自転車の利用率は18.9%から31%増加している。40歳までの男性自動車の利用率はすべて減少しており、自転車の利用率が大幅に上昇している。

現在若者は「クルマから自転車」に交通手段を変化させているようだ。

駐車場ガラガラ自転車駐輪場はいっぱい。都市部マンション住人の移動手段自動車から自転車シフト

https://web.archive.org/web/20150617110848/http://ovo.kyodo.co.jp/ch/mame/a-595239

近所の買い物や子供の送り迎えに使うママチャリ子供自転車から通勤休日の遠出に使うロードバイクまで、自転車に乗る人が明らかに増えている昨今。

そういえば、マンション駐輪場はいっぱいだ。一昔前の集合住宅では、駐車場抽選必死になっていたけれど、今や駐輪場争い。仕方なく部屋に一台持って上げる、という人も多い。

マンション駐輪場に関するアンケート調査でも(つなぐネットコミュニケーションズ東京)、マンション駐輪場を利用している居住者の半数が、駐輪場に不満を感じているという結果が出た。

 そもそも、自転車の所有台数が多い。マンション居住者の76.8%が自転車を持っていて、そのうち約60%が複数台を所有(2台が35.4%、3台が16.9%、4台以上が8.6%)。

94.5%の人は、マンション敷地内の駐輪場を利用しており、「スペースが狭くて出し入れしにくい」「2段式のため出し入れしにくい」「重くて上段へ上げられない」など、自転車の出し入れに関する不満が目立った。

 電動自転車など自転車の大型化や、1世帯あたりの台数増加に関する問題が主流。

自転車は「申し込み多数で順番待ちだが、逆に駐車場が余っている」など、駐輪場が設置された当時と現状の自転車利用状況にギャップがあり、ライフスタイルの変化が如実に現れているようだ。

日本政府も進める環境政策、脱クルマへ。自転車活用「推進法」成立 社会的交通手段としての自転車役割拡大

自転車活用:国の責務…脱クルマへ「推進法」成立 - 毎日新聞

http://mainichi.jp/articles/20161216/k00/00m/040/103000c

イギリス 自転車の街へ変貌するロンドン。15年間でクルマは半減、自転車=サイクリストは3倍に

http://www.gizmodo.jp/2016/02/bikeinlondon.html

ノルウェー首都オスロ自家用自動車禁止に。

http://getnews.jp/archives/1589546

そして国民電動アシスト自転車購入を多額の補助金サポートして自転車活用拡大を推進するとのこと。

オスロは「電動自転車」の街へ。購入者に最高約7万円プレゼントするほどに自転車活用拡大推進に本気腰。

http://www.huffingtonpost.jp/asaki-abumi/oslo-bicycle_b_8848840.html

脱・自動車依存社会 ドイツの取り組み 高齢化も見据え交通網整備、主役のひとつ自転車

http://blog.livedoor.jp/trike_shop/archives/1773205.html

2017-05-03

http://anond.hatelabo.jp/20170503092053

その程度の煽りなら

「ホンマに、よその方が増えたら、誰でもちょっと田舎に行きたなります(ニッコリ)

……という返しが容易に想像できるが、

だいたい「言い返す価値もないアホやら田舎モンやら」には何言われても平気なくらいに、誇りも高く煽り耐性も高く、性格もよろしい方々なので、

そんなことハナから面と向かって言ってすら貰えないだろうし、その程度の下手な煽りで「はい論破ww」って思って得意になってる増田が、

いったい彼らに陰でどう思われ、言われているかpgrされているか想像するだに落涙を禁じ得ない(皮肉)

もし、天皇ネタで悔しがらせたいなら、自虐して見せる方がずーーーっと効果的だろうね。

真顔で「いやいや日本首都京都でしょ。天皇陛下だって、きっと早く帰りたいと思っておられるでしょう。」これ。

これでオーケーあくまで真顔で。なかなか皮肉が利いてる。京都人をマジ切れさせたければ、せめてこれくらいじゃないとまず問題外やね。

その代わり、こんなこと言ったらマジで殺されるの覚悟しておいたほうがいい。軽くて絶縁は必至。たぶん一生許してもらえないから。

まあ、この程度の皮肉が使いこなせないなら、1000年間も皮肉煽りをぶつけ合い洗練させてきた彼らに口先で対抗するのは無理。

なんのために首都近郊にでかい米軍基地がいくつもあるのかということで

2017-04-27

メモ

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASK4V43MKK4VUTFK007.html

aLa 今村東北でも社会資本等の毀損は25兆円、首都なら被害額は甚大になる。地震活動期で国民不安も募っている、予算をつけてきちんと備えるべき」という内容だった。メディア集団パニックを誘発していると思う

realintentionkun 今回のブコメしろみんな”悪者を叩きたがり過ぎ”なんだよ。見事マスゴミに踊らされやがって滑稽だわ。当人反省してるなら許してやるのも心。

cider3613 何でもかんでも、許さないとか撤回しろとか謝罪しろとか、日本ホント息苦しいよ

torimal3104 実際誤解と言うか、野党マスゴミが全力で揚げ足取った感はある。でも言語フィルター緩すぎで表に立つ人としては不適格だと思う。

leiqunni 禿同阪神大震災を、社会活動が始まる前の「未明に起きてよかった」と同じだ。誰も「東北でなら地震は起きて良い」言ってない。非難してるバカ自民党今村議員が嫌いとかでなければ、日本語使えてない。

2017-04-26

東北の相対として東京を引き合いに出したために、人柱意味が強くなってしまっている。

無論あれは有事の際の責任回避するための策なわけだけど、そこを含めて当然東京が助かってよかった、

という"ニュアンス"を含めるのは傲慢だし、そもそも東電の体質を国ともども言い表しているわけでね。

東京都原発を所有して何としてでも保守管理する、という意志が感じられないわけだ。

というかね、首都機能分化しない時点で無能だよあいつら。

経済拠点国会を切り離して国会の直ぐ側に原子炉置けばいいと思うよ。

一極集中分散できるし国会議員だけ被爆して国民の命は守られるしでいいことづくめ。

2017-04-22

来週の架空戦記宇宙船地球号は!

米軍北朝鮮を爆撃した直後に北朝鮮側として中国ロシアが参戦。

北朝鮮側配備されたロシア軍の照準は北朝鮮に向いていなかった。

  

序盤こそ優勢であった米軍の誇る無敵艦隊は物量で押し寄せてくる

朝鮮中国ロシア連合に囲まれ、思うように身動きが取れなくなり孤立してしまう。

  

北朝鮮の南下を阻止する為に奮闘する在韓在日米軍ではあったが、

政治的混乱の続く韓国は初動が遅れ、北朝鮮中国軍の南下を許し

一進一退の攻防戦が始まっていた。

  

一方日本撃墜しきれない数によるミサイル攻撃に見舞われ、

首都機能を失い混乱の渦に飲み込まれていた。

  

米軍の爆撃から2日目の午後。

日本暫定首相による臨時政府発足と共に超党派で動き出すが、

既にロシア軍北海道上陸しており札幌陥落は時間問題だった。

  

止まる事を知らない北朝鮮中国軍さら朝鮮半島を南下し、

次を見据えた中国軍沖縄九州占領に向けて動き出した。

  

日本知識人の一部からは「北海道九州譲渡しよう」との声も出始め、

報復は何も産まない。対話解決すべき」という大手メディアの主張と共に、

劣勢を知らされた国内世論反戦へと向かっていく。

2017-04-15

埋め立てよりはMOB

海洋博で夢見た世代としてはそんなことを思うのだ

もう21世紀なのに

ひょっこりひょうたん島とかファフナーの竜宮島みたいなのは無理にしても

メガフロート沖ノ鳥島(東京都)あたりに係留すれば首都防衛的な予算も得られるんじゃないか

2017-04-12

朝鮮半島有事日本被害を受けないようにするには?(転載)後編




(「朝鮮半島有事日本被害を受けないようにするには」の転載記事の後編)

前編はこちら

http://anond.hatelabo.jp/20170412123643



以下転載再開。




我々が住んでいる日本被害を受けないなら、北朝鮮韓国がどれだけ対立しようが、好きにさせたらいいと思います

でも、実際は対岸の火事ではありません。

元々は北朝鮮韓国対立のはずなのに、有事の際は日本までも巻き込まれる形で北朝鮮から攻撃を受け、甚大な被害を受ける事になってしまます

これには私だけでなく他の多くの日本人が、本当に心底うんざりしているのでは?



北朝鮮日本を「有事の際には日本韓国を助けるだろう」と考えてミサイルで狙っているのはもう北朝鮮自身宣言しています

実際に北朝鮮韓国戦争状態突入すると、日本全国の自衛隊米軍基地やその周辺もいきなり攻撃を受けるのはもちろん、日本首都東京やそのほかの都市北朝鮮ミサイル攻撃をしてくるだろうし、日本各地にいる北朝鮮工作員達が色々な形のテロをしてくるのは目に見えています

地方であっても、北朝鮮工作員によるテロミサイル攻撃原発やその他の重要施設攻撃を受け甚大な被害を受ける事に。電力会社政府原発などは停止中のも含めて特にテロ対策をきちんとするよう今のうちに改めて確認をすべきでしょう。

原発に関わる人物の身元確認や、重装備での警護を24時間やり続けるなども。



首都が大きな被害を受けると、首都本社機能がある会社経営が大きく傾いたり、場合によっては経営を続けるのが無理になってそのまま倒産する事にも。

東芝を笑っていられない状態に突然なってしまます


テレビ普段見かける芸能人の多くが北朝鮮による攻撃に巻き込まれて死んだり、毎回楽しみにしていた漫画小説の作者が北朝鮮攻撃のせいで死亡して連載が止まったのを知って、茫然とする事態にもなりかねません。



結局日本が甚大な被害を受けるのを回避するには、「北朝鮮韓国戦争状態突入するのを何があっても回避させる」しかありません。

そしてそのためには、今回書いたように「情報による抑止」をしておくというのも、われわれができる一つの手でしょう。

戦争状態になると北朝鮮韓国の双方の国は確実に亡びる事になる上、朝鮮半島の大部分が放射能汚染で人の住めない地域になってしまう。」という実際に起こる事実を、北朝鮮韓国の双方の人間に前もって嫌というほど認識させるのです。

対立の果ては北朝鮮韓国の双方の国の破滅しかありませんよ?それでもなおあなた達は対立を続けるのですか?いい加減和解の道を選んでは?」と。



ロシア中国人間にも、「朝鮮半島有事で確実に起こる大規模放射能汚染は、ロシア中国領土にまで及ぶ」ときちんと認識させると、ロシア政府中国政府は躍起になってなんとしても北朝鮮韓国和解するように仕向けるでしょう。




今回私が書いたこ文章は、どうか一人でも多くの人が目にするよう、みなさんブログやツィッター、掲示板などで紹介をお願いします。

一般の方はもちろん、情報発信力が高い芸能人の方や著名人マスコミ関係者の方も「日本被害を受けるのは何としても回避したい」とお考えなら、どうか「情報による抑止」にご協力ください。

特に東京現在お住みの方は、場合によっては北朝鮮ミサイル攻撃により自分家族が命を落とす事にもなりかねないので、その点でもそれを回避するよう協力してください。

また、日本と同じく被害を受ける事になる国の方は、海外の方も、誤訳のないよう慎重に翻訳して紹介していただけたらと思います



youtubeをやっている方、動画を作れる方は、前述のような内容の動画youtubeにアップしてください。きちんと海外向けの字幕バージョンも作れば、想定以上の再生数を叩きだして、ちょっと信じられないほどの額の大金を手に入れる事もできますよ。



朝鮮半島有事は実際に起こると、北朝鮮韓国の双方の国は亡びるし、それだけでなく多くの国々が巻き込まれる形で甚大な被害を受けるという事になります

これほど馬鹿げた事はありません。

朝鮮半島の大規模放射能汚染は誇張ではなく実際に起こり、後世の歴史書では「当事者国はどちらも亡びたし、関係国も甚大な被害を受けた。おまけに朝鮮半島の大部分が人が住めない地域になってしまった。なんとも愚かな出来事だった。」と語られ続ける事になるでしょう。

そのような事態をなんとしても回避するため、どうか一人でも多くの方に「情報による抑止」のご協力をお願いします。



前述の通りの声明IAEA国連がきちんと繰り返し北朝鮮韓国に対して出せば、かなりの抑止になると思うのですがね。

もしIAEA国連関係者が見ていたら、急ぎそのような声明を出すよう動いてもらいたい。




米ソ冷戦時代も、「アメリカソ連が開戦すると核ミサイルを撃ちあって、甚大な数の被害者が出る」という状態になっていました。

キューバ危機みたいに戦争前夜になった時もありましたが、結局は「対話」によって事態解決したのです。

当時のソ連アメリカも、お互いがお互いの国を心底憎み、KGBCIAスパイが殺し合いをしたりしてたのに、きちんと対話する事で険悪な関係は解消され、今ではアメリカロシアもお互いの国をミサイル攻撃する可能性はほとんど無くなりました。

北朝鮮韓国(とアメリカ)の指導者は、いい加減「武力によって相手威圧しても、全然効果は無く、むしろ事態をどんどん悪化させていってる」という事に気づくべき。

また、中国ロシアとばっちり被害を受けるので、中ロは北朝鮮韓国アメリカ)が対話の席につくよう急ぎ動くべきです。

このままだとトランプ金正恩のどちらかが暴発して最悪の結果を生み出す事になるでしょう。




戦争回避したい人、「日本被害を受けたくない」という人は、この文章ブログやツィッター、掲示板などで紹介したり、転載してください。

もし転載場合は、この部分(転載しても良いという文)も含めて全文を転載するようお願いします。

また、日本と同じく被害を受ける国の方も、誤訳がないようにきちんと正確に翻訳した上で海外でも紹介して事態改善にご協力いただけたら幸いです。






*以上で転載終了。


ここから転載した俺の私的文章

戦争になると、日本被害を受けないならともかく、どう考えても日本も巻き込まれてとんでもない被害を受けるわな。

金正恩トランプも頭に血がのぼって馬鹿選択を繰り返しているが、実際に戦争になるとそれでどれだけの人間被害を受ける事になるか、ちょっと冷静になって考えろや。お前らは猿以下の知能しかないのか?


第二次大戦の時もそうだったが、非常に頭の悪いクソみたいな一部の人間の判断ミスのせいで、多くの人間被害を受けてしまう事になる。いいかげん歴史から学ぼうや。



2017-04-10

上京せざるを得なかった負け組東京感想

大学に行くために上京した。

最も、自分場合はてな民理想とされるような

きらびやか首都東京を目指して、見事それがかなったというわけでもない。

地元国立大学に行くこと能わず、すると東京私大に行かざるを得なかった負け組である

今の時期は、きらびやか首都を得ることに成功した人たちが

この日本第一都市を喜々として体験している時期だろうが

自分この街を失意の中歩いている。


田舎者から東京というのはどこも人が多くてなんでもあるのかと思っていた。

でも、上京してみたらどうも、そうでもないらしい。

やはり、田舎のほうが充実しているものもあることはある。

一番ビックリしたのは、電車が空いていることである

この記事も平日朝の中央線に乗って書いているが、普通に座れている。

東京中央線というのはもっととんでもなく混んでいるものと聞いてみたので、あてが外れた感じだ。

思えば地元の小さく、短い電車と桁違いの大きさであるというのもあるのだろう。

一度地元へ戻ったら、地元の方でこそよりひどい混雑に悩まされて驚いた。



しかし、東京といえば大都市、という感じだったが

自分はどこへ向かえば都市恩恵?を受けられるのだろうか。

今のところ東京で見聞きしたものは、だいたい地元にあるようなものしかない。

もちろん、自分大学は別だ。

この前の田舎東京比較する記事では、いなかはぶんかがないとされていた。

では、東京には文化があるのだろうか。

その文化とは何なのだろうか。よくわからない。今東京ですでに見つけた文化的ものといえば

自分大学がその最たるものである

それ以外には特に見つかっていない。


なんとなく、「テレビで見た東京」「きらびやか首都

と、だいぶ違うような感覚を覚えながら、負け組である自分は街を歩く。

おそらく、もうちょっと長く住めば、「首都」を味わえるということなのだろうか。

思えば、大阪風評とはだいぶ違った。

新世界けが大阪ではないのだ。

東京もまた、きらびやか都市住民だけのものではないのかもしれない。

そして、生粋田舎者であり、特に都市志向しない自分は、

首都にあって依然として都市住民としてではなく、田舎者として生きることになるのだろうか。

まあ、それもいいのかもしれない。

2017-04-09

東京観光感想 byカッペ

普段ネット上でトンキンwwwなどと煽ったりもしたが、ちゃんとしたかたちで東京を見てみた。

俺は今の日本経済についての知識が欠落しているのであくまで一個人主観的感想として見てほしい。

まあ、腐っても鯛というか、一言東京スゴイ東京発展し過ぎwwwと思った。


まず熱気が違う。どこも人に溢れ、各人が明日の夢と成功を求めていきいきと生きているようだ。

海外旅行で熱いアジア新興国へ行った帰り、日本家路につく時に感じる落ち着いた空気、冷えた空気、少し寂しさの残る空気が、東京に限っては皆無のように思われる。


そして、資本密度田舎のそれとは明らかに異なる。ここだけ異常だ。

日本全体の資本の4割くらい東京に集まってんじゃないかと目まいがするほど、東京の街は執拗ギラギラとしていた。

道を3メートル歩く度に、雑貨食べ物個性的な素晴らしいお店が立ち並ぶ。東京は街そのもの遊園地のようだ。

街中にメーカーロゴや店の看板がこれほど絶え間なく多く寄せ集まっているのを見たことが無かった。田舎繁華街が、東京では1ブロックごとに配置されていた。

麻布という言葉は知っているものの、どうしてメディアによく登場するのか分からなかった。実際に夜の麻布に行ってみてそれが分かった。

少し歩くと六本木へとつながる麻布では、日本一般的な戸建て住宅とは異なる重厚外国風の豪邸が立ち並び、日本ビバリーヒルズ?と思った。

歩いていると大使館玄関に次々と遭遇し、ここが首都であることを改めて実感した。

洒落た少戸数型マンション帰宅する人たち、1分に1回の間隔で見かける品川ナンバーの高級外車・・・

日本の上位数パーセント成功者支配階級寝床とするコミュニティ、外の世界喧騒からの影響を受けない住み心地の良い閉じたコミュニティに足を踏み入れていた。


海外エスニック料理が好きなのだが、普段日本ではそれが食べられないと嘆いていたものの、東京では全く心配いらない。

ここは本当に日本か?と思うほど海外経験したスパイシーで胃袋を鷲掴みする良い香りの熱気があちらこちらから流れてきて心が躍った。外国人の数も非常に多い。国際色豊かでカオスな感じ、料理が不味いわけがない。いつか夜の居酒屋巡りをしてみたい。


同じ日本人でも、地方田舎で住むことによって形成される日本に対するアイデンティティ東京形成される日本に対するアイデンティティは異なるということに初めて気が付いた。

田舎の落ち着いた日常の心休まる日本東京の激動の熱い日本、どちらも素晴らしいものだ。交互に味わえたらどれほど幸せだろう。

2017-04-06

自動車を減らして自転車を増やす救急車の到着が早くなり、人々の利益になるという話。

自動車抑制や削減が不十分な為に起きる渋滞で動けない救急車。間に合わなくなる救急活動。そして自動車乱用は車内外の重大事故を増やし、救急車出動要請を頻発させる。

https://www.youtube.com/watch?v=uC9IPDyFgs8

イギリス首都ロンドンでは自動車の通行に課税し、自転車インフラ整備等で自転車への乗り換えを推進し、渋滞の軽減に成功した。

イギリス首都ロンドン 渋滞元凶となっている自動車を減らすため、市街地への自動車乗り入れに関する通行課税実施

https://www.jusnet.co.jp/kusuri/edu_body.asp?edu_id=1064

ロンドン交通局の発表によると、この渋滞税の導入によって、「渋滞が30%解消」され、「交通量が15%減少」したとのこと。

自転車の街へ変貌するロンドン。15年間でクルマは半減、自転車=サイクリストは3倍に

http://www.gizmodo.jp/2016/02/bikeinlondon.html

なぜ「自転車シェアリング」が、倍々ゲームのように増えているのか (1/7) - ITmedia ビジネスオンライン

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1611/09/news009.html

自転車シェアリング自転車乗って渋滞緩和 松江市など実証実験 /島根 - 毎日新聞

http://mainichi.jp/articles/20161113/ddl/k32/010/329000c

刑務所懲役者のほぼ100%自動車運転手凶悪交通犯として実名顔面の公開報道もザラ。そして車内でさえ年間約1300人が死亡している(事故後30日以内カウント)。

http://www.geocities.jp/masakari5910/satsujinjiken_kiken_chishi.html

自転車歩行者とぶつかっての死亡事故って年間2~5件程度で餅による窒息死より少ないんだな。

そりゃ自動車減らして自転車を増やす政策イギリスノルウェーフランス等の特に都市部で進むわけだわ。

ニューヨーク自転車インフラ整備を進めているしな。結局、自動車を減らして自転車を増やす交通安全が向上して公害渋滞も減り公益になるわけだ。

自転車の街へ変貌するロンドン。15年間でクルマは半減、自転車=サイクリストは3倍に

http://www.gizmodo.jp/2016/02/bikeinlondon.html

日本でも免許返納が正義という感じになっていて、これは結局「自動車なんて運転しなければ重大事故は大きく減らせるので運転するな」ということ。

免許返納者に対しての電動アシスト自転車購入に補助金を出していることからも、いか自動車から自転車への乗り換えが交通安全を向上させるかがわかるよね。

ノルウェー首都オスロ自動車排除を強めており、自家用自動車禁止になる。そうすることにより公害渋滞も車内外の重大事故も激減させることができため。

http://getnews.jp/archives/1589546

そして国民電動アシスト自転車購入を多額の補助金サポートして自転車活用拡大を推進するとのこと。

オスロは「電動自転車」の街へ。購入者に最高約7万円プレゼントするほどに自転車活用拡大推進に本気腰。

http://www.huffingtonpost.jp/asaki-abumi/oslo-bicycle_b_8848840.html

脱・自動車依存社会 ドイツの取り組み 高齢化も見据え交通網整備、主役のひとつ自転車

http://blog.livedoor.jp/trike_shop/archives/1773205.html

日本交通統計を見ても自動車が増えれば増えるほど自動車の車内死者も増え続けている。自動車が減れば車内での死者、車外の死者も激減できる。クルマ離れは事故離れ。

http://www.nikkansports.com/general/news/1797152.html

>(昨年一年間の交通事故死者の)事故時の状況をみると、歩行中が1638人で3割以上を占め、乗用車乗車中の1042人、自転車乗車中の709人と続いた。

そして歩行者死亡における加害車両ほとんどは自動車(そして交通刑務所懲役者のほぼ100%自動車運転手で、凶悪犯としての実名報道も多い)。

http://anond.hatelabo.jp/20170326003616

からこそ自動車から自転車への乗り換えが地域全体の交通安全を高めるとして各国で自動車を減らして自転車増やそう政策が進んでいる。

人々の移動手段が徒歩、自転車バイク公共交通時代、今より遥かに重大事故は少なかった。

まり交通安全を考えれば、幅があり重量が重く速度が出る、車内でさえも危険な乗りものである自動車は減らしていくのが、交通安全における根本的かつ最大の効果が狙える施策ということになる。

2017-03-28

夢に敗れて東京を去った

夢を追って上京し、それが敗れて東京を去った。

九州帰省して、そこで働き始めたんだけど、

なんか2030年くらいにはミニ氷河期とかが来るらしいじゃないか

詳しいことは知らないけど地球全体がめっちゃ寒くなって、

日本北海道とかでは相当暮らしづらくなって、

東京も寒すぎるので首都移転とか起きて、

南の方へ人口移動が起こって、

そんで俺の住んでるあたりがまた都会になったりしたらいいのにな。

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