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はてなキーワード: 原風景とは

2021-06-19

七里ヶ浜高校に通いたかった マジで

ミーハーというか、俗な欲だとはわかってんだけど、俺は七里ヶ浜高校に通いたかったんだ

校舎から海が見えるようなところに通って、でもその景色の美しさをちゃんアプリシエイトすることはせず、「こんな景色のどこがいいんだか!」みたいなナメた口をききながら灰色青春を送ってさ

でもその後の人生高校時代を思い出すとき、そこには必ず青い海があるんですよ 懐かしいものとして、海と青春が結びついている

そういう人間になりたかったんだ

実際に俺の行ってた高校のヘボさといったらないですよ

ビジュアル的な思い出、マジでなんもねー 台風の日に、教室から見えるところに植えられたヤシの木がすっげえしなってて、アレ折れるんじゃねえか?と思って注視していた その程度の思い出しか出てこないんだ

からは遠く離れていたが、かといって山奥にあったわけでもなく、じゃあ都市部で便利かというとそんなことは全然ない 地方都市とすら呼べない規模の、「街」と「町」の間みたいな、なんとも言えない、イメージカラーとしては灰色みたいな、地味〜なところにあったんだ 俺の高校

灰色場所灰色高校生活、ということになってくると、本当に全部灰色で、ダメなんすよ

というか、"灰色"って表現はカッコ良すぎるな

そんなにいい色じゃないんだ本当は 茶色 厚揚げみたいな茶色ですよ

厚揚げみたいな色なんだ 俺の青春はよ 目に楽しい要素が一切ねえの だから、具体的に思い出すことが何もねえ

ネットでちょいちょい盛り上がってる、いわゆる「感傷マゾ」 あんなのも全然響かねー

足掛かりになるものが何もなく、ほんの少しの共感すらできないってワケです 入道雲すらパッとしない、本当につまらない街だった 町というべきか?

そういえば、くるりの『街』って歌を高校生のとき初めて聴いて、"この街は僕のもの"っていう感情入りまくった歌い出しに感銘を受けたことがあったな

その次の日の朝、登校するときに、駅の歩道橋から"街"を見渡してみたんだけど、見えたものはといえば、どこからどこが街なのかわかんねえ感じの、ただ道路沿いに民家がへばりついてるだけで、まとまりもなにもない、惨めな場所だけだった

街、ないやんけ〜ッ!と思いながら歩道橋を降りた思い出がありますね これはもしかすると比較的思い出らしい思い出かもしれない

とにかく、とにかく俺は七里ヶ浜高校に通いたかった

七里ヶ浜高校存在を知ったのが遅かったし、そもそも神奈川とは死ぬほど離れてて、どう考えても下宿なんかをしてまで七里ヶ浜まで行く理由はなかった

俺が七里ヶ浜高校に通えないことはなかば宿命だった 

でも悔しい!悔しくないですか?

なぜ俺は、高校時代の思い出の景色として「踏切の向こうの海」とか「窓から見える水平線」、あるいは「冬のしけた海」みたいなのを持ってられないんだ

思い出の持ち駒がマジでなにもない 帰り道、通学路にあったGEOに入っては、「○○さん(好きだった人)が入ってきて、一緒にCD選ぶみたいな展開にならねえかな!」と思ってた というような、カスの思い出はある でも違うんだ

もうちょっとこう、ローカルで、固有な感じのある、原風景的なものが欲しいんだよなあ

何もねえ 何もねえよ

あいいのかそれで いいのかもしれないが

2021-05-19

anond:20201229161052

>そろそろ、どのギルド職員のねーちゃんがどの作品だか分からなくなってきた

・・・「異世界」は我々の原風景となったのだ

2021-03-25

はてな自称リベラル勢、理念捨てすぎでは?

選択夫婦別姓や「呉座先生事件」関連のエントリブックマークコメントをみつつ連想したこと

呉座先生個別失言は、まあ擁護は難しいしするつもりもないが、リベラル自称する界隈の先鋭化が気になってしょうがない昨今。

最も気になるのは、保守派の主張を全面的に不合理なものとしてバッサリいく態度。

多様性尊重社会的公正の基礎はどこいったんやと。

一見不合理かもしれんけど、保守思想というのはそもそも現状維持が基本姿勢で、その背景は「経験歴史尊重」「人間理性に対する懐疑」にあると思ってる。

これ自体リベラル根底にある理性の信奉と根っこでは矛盾しないはずで、「歴史に耐えた制度にはなんらかの合理性があるはず」と考える態度は、科学的に見ても「合理的」でしょうに。

まあ政治思想理念的な背景は明るくないのでこれくらいにしとく。

リベラル勢に聞いてみたいのは、

例えば選択夫婦別姓が成った後に、一族天皇制といった概念希薄化し、日本民族性文化愛する人々が少数派になったとき、彼らをどう扱うつもりなのか、ということ。

そこまで来てからマイノリティとして手厚く遇するの?

他者自由を阻害しない範囲思想信条自由尊重されるべしというのが、リベラルの基本理念だと思うんだけど、マイノリティになってから初めて尊重します、っておかしくね?

現状において支配的な思想信条が、女性性的少数者自由侵害しているという主張はわかるし、それを解消すべく制度設計を行いましょうというのもわかる。

でも、「現状の戸籍や姓・婚姻制度にも機能利益があるはずで、性急な改革伝統文化を損なう可能性がある」という反論をバッサリシャットアウトするのはダメだ。

現状の被害者と同レベルとまではいかずとも、理解を示して妥協点を探るべきでしょう。

少なくともその伝統を拠り所にしている人々がいて、あなたがたは、かれらを「少数派」にしうる政策を支持しようとしているんだから

想定問答をあげておくと、

選択的なんだから問題ないだろう」というのがまず返ってくる反応だろうけど、保守派は「文化伝統」を問題にしているのであって、選択肢が発生すること自体に対するデメリット危惧している訳だから

その反論相手文意を読むつもりがないと言わざるを得ない。

「姓が別になった程度で文化は損なわれない」という反論もありえる。ここは保守側の仮定なので一定妥当である。「文化」の定義カバーする範囲が広すぎるので合理的説明が難しい。

でも、自分祖父祖母世代とのコミュニケーションから保守派の心情を勝手に代弁するなら、もう彼らは相当に妥協しているし戦線を後退している。

日本文化米国文化に塗りつぶされ、最後の一点で耐えている」という世界観現代高齢者世代は持っている。

(親父がネトウヨにいつのまにか傾倒していたなんて話がよくあるが、それもこの流れの一旦だと思うし、呉座先生高齢者ではないが歴史学者としてこういう流れに影響を受けていそうな気がしている)

彼らの世界観からすれば、今も米国文化によるマイルド同化政策は続いているし、それは一面では事実でもあるだろう。

かれらの青春時代にはリベラルなんて影も形も無かっただろうし、「家を継ぐことが至高命題」として育てられた彼らが、生きているうちにここまで世界が変わるなんて思いもしなかっただろう。

それは同情すべきこと・尊重すべきことではないのか?

日本文化もできるだけ維持し継承します、そのうえでみんなが活躍できる社会にしていこうとしてるんです」と、言い方だけでも寄り添ってあげようよ、という主張は、トーンポリシングとして糾弾されるべきことなのか?

自分自身は、ムラ社会の嫌な面を経験してきているので、家を継ぐべしというような思想は消えていいと思っている。

一方で、ムラ社会最後世代になるであろうジジババが寂し気に「私は親にそう教育され家を守ってきたしそれを誇りに思ってきた、子に受け継ぎ家を守りたかったがもうあきらめている」と語るのを聞くにつけ、かれらに「わきまえたマイノリティ」の像を重ねることもある。

(まあかれら自身保守政党に投票するだろうが、世代が変わればいずれムラ社会解体されるだろう)

ムラ社会総論として害が大きいと思っているが、それでも私の原風景は「田舎のばーちゃんちでジジババに載せてもらったトラクターからみた風景」であり、自分はそれを享受しながら、自分の子世代にそれを残せないことの寂しさや後ろめたさも感じている。

なんというか、そういう対抗派閥に対する共感配慮なしに、一方的断罪する論調は、先鋭化が行き過ぎているし、リベラル根底に置く理念矛盾していると思う次第。

2021-03-14

シン・エヴァンゲリオン碇シンジ宇部興産就職した意味

シン・エヴァンゲリオン面白かったですね。ラストシーンではシンジマリイチャイチャしたあとカメラがひいていくと宇部興産宇部興産専用道路(興産大橋)がドカーンと大写しになって終わり、というシンジくんが宇部興産就職したことを強く示唆するものでした。

これについて、多くの人が「宇部宇部興産景色」が庵野秀明原風景の一つであることを指摘しています(もう一つの原風景身体障害者父親でしょう)。ただ、それだけでエヴァンゲリオンというコンテンツ宇部興産で終わらせるとも思えないですし、パンフなどをみたかぎり実務(特に脚本解釈編集)を担当したのはどうも緊急登板である前田真宏監督であり、マヒローの視点が多く入った、庵野英明だけの映画でない、ということも考慮しなければいけないと思う。

というようなことを考えたときに、やはり田植綾波にたいしておばちゃんが発した「働くとは汗水たらすこと」というセリフにたいする反論として、現代文明日本社会象徴として宇部興産という要素が使われている、という面が大きいのではなかろうか。それがいいことかわるいことかは別として、現代文明社会は砂の加工製品たるコンクリートを基盤にして形成されている、というのは確固たる事実です。みなさんが住んでいる家だって大抵はコンクリートの基礎の上にたっているでしょう。そして宇部興産という会社は、日本におけるセメント象徴のような存在であり、そしてスーツ宇部興産に出勤する神木隆之介碇シンジあきらかに「汗水たらす」仕事をしていない(まあ建築資材部門じゃなくて化学部門とかで働いてるかもしれませんが、そうだとしても汗水たらす仕事ではない)。

シン・ゴジラでもそうだったと思うけど、今の庵野秀明にはあきらかに現代文明日本社会比較的素直に肯定するような面があり(それが誰の影響でそうなったかみたいな話は俺よりもっとエヴァ好きな人にまかせる)、その象徴宇部興産であり、宇部興産専用道路だったのではないか、というように俺には見えた。

言いたいこととしては俺は宇部興産というか宇部興産専用道路が大好きなんだ。工場の配置の非合理を力業で無理矢理ぶちぬくそ精神性、そして連結されたオーストラリアみたいなクッソでかいトレーラー道路道路ある意味不明踏切エヴァンゲリオンに興産大橋が出てきて本当にうれしかった。

2021-02-07

求職大学辞めて増田就活しま

 増田です。29歳、一橋大学社会学部10年生の増田です。

 ふわふわした夢を追いかけてこんな歳まで学部にすがりついてしまいました。

 一般的に在学年限は8年までですが、自主退学して単位を引き継いで再入学すると年限が増えるというライフハックがあります。皆さんも試してみてくださいね

 いや、夢だったんですよ、大学教授が。「夢別名呪い」とはよく言ったもので。

 現状卒業必要単位は9割程度しか取れておらず、本年が在学年限なので、4月から無職になる予定です。

 ちなみに増田高校も辞めてるので最終学歴中卒である。うける。

 (この文章を書いている最中複数社会学者によるやらかしが発生しましたが、増田は冷ややかな目で眺めつつ、自分が好きなのは社会学じゃなくて100~50年前の社会学者が描いた原風景だったのかもなあと思いました。酸っぱいぶどうだろうとは思いますが)

 というわけですので、どなたか増田のことを雇っていただけないでしょうか。

 2年とすこし前までは豊田ノートパソコンの裏蓋をひたすらに開け続けるという仕事などをしておりました。光り輝くMADE IN TOKYOのラベル豊田で貼り付けるのは最初ためらいを覚えましたがすぐ慣れました。

 2年前からキャバクラ(時給が良かったため)でボーイとして数店舗渡り歩きました。パワハラ耐性はかなり高いです。駐車場に呼び出されてタイマン張らされる程度は日常スパイス

 雇う側から見て心配になるのは、こいつに継続的な出社が可能なのかという点が真っ先に浮かぶと思われますが、多分大丈夫だと思います豊田バイトキャバクラバイトも当欠遅刻無しで3年ほどやれていました。

(仮に、仮にですよ。仮に本当にですね。そのバイトへの体力を。いやぁ、もう止めましょう、こんな話は。ボクは今、こうやって窮まっていることがね、全てなわけですよ。だからね、仮にとか、もしもとか、もう止めようじゃありませんか。)

 こちらの希望としては、ライター編集者などとして、フルタイム正社員として働かせて頂きたいと考えています。もし仮に贅沢を許されるのであれば、社会学・(科学哲学含む)哲学将棋お酒音楽特に日本語ラップといったテーマでも書かせて頂ければ何も不満はありません。

 増田がこれらの職種希望する理由は、それが私の能力もっとも活かせそうだと考えるためです。下で改めて紹介いたしますが、大学の出席がピンチときでも、つい書きたくなってしまう瞬間は多かったです。書くための生活の糧を書くことで得る、というのは一つの理想的構造ではないでしょうかl。

 なお、日常的な英会話、ある程度専門的な英語の読解、ごく簡単Webフロントエンド簡単作曲編曲Adobe Photoshop・AfterEffects CS5での業務経験などのスキルを所持しております

 増田自身希望条件の提示ばかりしていても仕方ないでしょう。まずは増田増田に書いた増田のうち代表的増田ざっと並べてみました。ポートフォリオってやつです。

ABEMAトナメ将棋界がお祭りになってる件 (1132users)

https://anond.hatelabo.jp/20200419201827

ABEMAが主催する、超早指し棋戦の楽しみ方を書いた記事

これまで書いた記事の内ではもっとも多くのブックマークを得た。

アンチフェミのための本当の社会構築主義入門 (675users)

https://anond.hatelabo.jp/20191103163514

大学研究している、社会学についての解説

Twitter上で社会学に対して誤った批判が行われていたので、それを受けた記事

フリーブックスだけではない違法エロシンジケート (640users)

https://anond.hatelabo.jp/20170503155706

当時問題視されていた成人向けコミック共有サイトについて調査を行った記事

グループによる複数サイト運営ネット広告問題点など独自事実を指摘した。

プリセット・低音圧」批判かいう「今時Flash使ってないサイトとかw」的議論 (518users)

https://anond.hatelabo.jp/20210120145245

音楽評論家による、YOASOBIに対する雑な批判を受けての記事

自身音楽経験を生かし、独自観点から実証的な批判を行った。

藤井聡太二冠に観るAI時代将棋の楽しみ方 (312users)

https://anond.hatelabo.jp/20200822071725

将棋界とAI関係を、藤井聡太二冠を軸に前後歴史について語った記事

これまでプレイヤーAI関係については多く語られてきたが、ファンAI関係に踏み込んだのが独自点。

市民的公共性存在する(が千田氏の思うようなものではない)(294users)

https://anond.hatelabo.jp/20181005160437

フェミニズム寄りの社会学教授による、社会学概念の誤った使用批判した記事

当時インターネット上ですでに批判は行われていたが、それもまた極端で誤ったものであったため、文献に当たり正確な批判を行った。


 増田長所として、「社会構築主義入門」「市民的公共性」あたりに顕著かと思いますが、難しいことをわかりやすく書く、というスキルが優れているのではないかと思います。あるいは将棋関係記事のように、楽しいことをきちんと楽しさが伝わるように書ける、という点も挙げられるかもしれません。

 その他の興味関心としては、バー巡りと日本語ラップあたりでしょうか。

 バーは今のところアジアTOP10バーテンダー氏がいる店が行きつけ。好きなお酒アードベッグウィービースティーとフェルネットブランカ

 増田ラップSpotify他で配信中です。

 https://open.spotify.com/album/3T3li6NVsoKTt41J2gDGOL

 キャバクラでのアルバイトの先にあるチャンスを掴みたい、と言うリリック

 まあそのキャバクラ先月末で潰れちゃったんですけど。

 従業員向けに「退職2週間前には申し出ること」と署名させておきながら、そっちが1週間で潰れるのはセーフなのか……。


 近いうちに自主退学の予定ですが、当分は通じると思うので大学メールアドレス身分証代わりに連絡先としておいておきます。お気軽にお問い合わせください。

 なお以下のメールアドレスにおけるやりとりは、絶対に両者の合意無く第三者に開示しません。増田晒したりしません。

 また、トラバブコメ等で「お前は増田にこんな文章書く前にこれやれ」「こっちに問い合わせてみたら」などのアドバイスを頂けたら幸いです。

 何卒よろしくお願いします。

 4114370bアットマークg.hit-u.ac.jp

(2021/2/7 15:00追記)

 ホッテントリありがとうございます

 「書いたと主張する増田が本当にお前のものかわからない」というご意見を頂いたので、各増田の末尾にこの増田への誘導つけました。

 メールアドレス本人確認の方は実際に送ってみてください。「これお前?」とか雑な質問でも返信するつもりなので。

2021-01-25

anond:20210125090020

それは「心の原風景」ではなく、思い出すと布団に潜り込んで悶絶するような「黒歴史」になっているべきものだろ

そうなってないなら全く成長していないって事だよ

ひろゆき野獣先輩で笑ってる大人って頭弱いと思うんすよ」

https://www.nicovideo.jp/watch/sm38121099

ひろゆき「ぼく野獣先輩ネタ面白いと思ったことないんですよ」

ひろゆきゲイの人がでて喋るだけで何が面白いのかわからない」

ひろゆき子供ってうんこ性器で笑うじゃないですか、それを見た大人があたふたしたり止めなさいというリアクション面白いってのがあって」

ひろゆきゲイの人をいじるのは小学生の子供の遊び」

ひろゆき小学生がそれを笑う分には僕も子供のころだったらそんな感じだったと思うんすけど」

ひろゆき大人になってからそれを引きずってる人ってちょっと頭弱いのかなって思ってたりします」



・・・。なんだろう、ロジハラやめてもらっていいすか?

例えば先ほどの『野獣先輩』がはやったころ、僕は中学生でした。

あの時傷ついていた人がいたなんて、当時想像もしていなかった。

毎日の夜9時に淫夢MADを見て、大笑いして寝て、翌朝同級生と『見た?』と話して。

当時の僕らは、女子が夏服になったら下着が透けて見えたとか、ほんとしょうもないことで盛り上がるような、純朴なバカでした。

そういう思い出って、心の原風景みたいなものなんです。

後になって『あの時傷ついた人に気付けなかったあなたは罪人です』と言われると、『うち実家花畑キレイだなあ』と思っていたら、いきなり戦闘ヘリが飛んできて機銃掃射で荒らされる、みたいな気持ちになるんですよ。

2020-10-03

専業主婦/夫は寄生虫

世代より圧倒的に稼げる30代である

稼げると言っても、ただの労働者からサラリーちょっとマシってだけのアッパードルの域を出ないわけだが。

人より稼げるわけだから、人よりいいとこに住むわけじゃん。通勤やす暮らしやすちょっとお高いとこに。

で、車とか家具とかこだわるわけよ。学生の頃のどこまでもチャリで行く、ニトリの安物に囲まれ生活とは違うのよ。

でも所詮ただのサラリーマンなわけで、周りより稼ぐには周りより働かなきゃいけないわけ。激務の犠牲の上にある高給なわけ。

からいくら金があっても使い道がない。趣味バカスカ使えれば幸せなんだろうが、忙しくて趣味ももう疎遠になっちまったし。で、家具とか車とかぐらしか金をかけるとこがないわけよ。あっ、歯列矯正はしたな。まあ、そのぐらい。

あー毎日何のために働いてんのかな、とか虚しくなるんだよ。駐車場に止めっぱなしの外車とか、素敵な家具に囲まれてぐったり寝るだけの休日とか、広くて素敵だけど使われることのないキッチンとか、何のために集めたんだろって。

レベルを上げて上げて上げて、コツコツステータス値を増やしていって、やっとこさ年収いくらに届いて気づくのは、別に高いマンション外車地位ステータスもなにも求めてなかった自分なんだよ。

大学入って一人暮らしを始めたときピークだった。あんときに欲しかったもの全部が手に入っちゃったんだよな。自由時間自由お金、それだけで充分だった。

ともかくステータスを上げるために結婚した。スタンプラリーみたいに、全部集めれば上がりで幸せになれると思っていたから。

配偶者、顔よし稼ぎよし育ちよし。申し分ない。配偶者のことは愛している。この人以上に愛せる相手はいない。でも、顔を合わせる時間はほぼない。まず休みが合わないし、出勤時間も異なる。あちらは日も昇らないうちに出かけるし、帰りも遅い。喧嘩はないし仲も良好だが、関係希薄からそうなっているだけなのではないかとと時々思う。ぶつかり合うこともない、ぶつかれるほどそばにいない、そんな関係なのではないかと疑ってしまう。これでは何のために一緒に暮らしてるのかわからない。一緒に高い家賃を払うため?ほとんど居ない部屋の?などと考えると虚しくなる。

家事折半だが、お互い忙しいからあまりしない。洗濯クリーニングに出すし、食事弁当デリこちらが自炊するときは米刺身味噌汁、あちらがするときパスタラーメンうどん掃除はお互い綺麗好きじゃないのでほとんどしない。月に一度掃除機をかけるかかけないか。髪の毛は落ちてるし埃はつもってるが気にはならない。

丁寧な暮らしには程遠い、雑な生活だ。タイムイズマネーだというなら、確実にうちの夫婦は貧しい夫婦だ。雑で散らかった貧しい暮らしをしている。

実家暮らしていた頃はそうではなかった。専業主婦の母が家を快適にキーピングしていたし、稼ぎはそう多くないぶん時間のある父がそれを手伝い、自分は両親によく構われて育った。思えばあれが自分にとっての幸せ原風景だったのだ。

結婚を前提にした恋人を探していたあのとき、なんとなく周りの風潮に飲まれて「専業主○はないよな」「寄○虫だし」と思い込み、がっつり働きがっつり稼ぐ相手を選んでしまった。配偶者恋人としては最高の相手で、夫婦になる相手とても申し分ないが、結婚生活は望んでいたものとは全く異なる。もしかしたら、自分幸福に本当に必要だったのは寄生虫の方だったのではないだろうか。寄生虫がかえって体内環境を整えてくれたりするじゃん?アレ。アレが必要だったんじゃないか

他の人にとってはどうかわからないが、自分は養う相手がいたほうがきっと仕事意味を見出せる。誰かの為に何かするの自分結構好きだ。

配偶者の傷一つない素晴らしいキャリアを今更邪魔するわけにもいかない。誇りと情熱を持って働く仕事が生きがいの人なのだ。専業になって欲しいなら初めから稼がない人間を選ぶべきだった。とはいえ離婚したいわけではない。働く配偶者は素敵で愛おしい。

から今更どうってことないのだ。金もある地位もある結婚もした、でも1番欲しいのは時間だった。

いっそ自分仕事をやめて専業になろうかとも思った。一度「やめちゃおうかな。そしたら家事もできるよ」と冗談めかして言ってみたところ「えー!?いいの!?大歓迎!」と言われたことがある。たぶんあの調子なら許してくれるだろう。

が、かつて自分が人に同調して吐いた言葉寄生虫」がリフレインして踏み出せない。かつて友人と言い合った「自分が身を粉にして働いてる時に家にいる奴ってどうよ?」とか「経済的依存するってありえないわ寄生虫じゃん」だとかの言葉が今尚自分を縛り付けている。過去自分矛盾するのが恥ずかしいし、仕事を辞めるのも恥ずかしい。他人否定することが自分可能性を狭めるだなんてだれも教えちゃくれなかった。

2020-10-02

スウェーデン若者に絡まれwww

追記すみません。あるブログ転載です  

  

スウェーデンの夜を覚えている。2月スウェーデン坂道を歩く。サーブフォルクスワーゲントヨタ、表情豊かな車が路肩に並び、眠っている。不思議とどの車もくすんだ色になる。

  

北欧の夜には不思議な静寂がある。凍ったアスファルトが音を吸いとってしまうのかもしれない。街灯の光子彫刻のように止まっている。

  

あの冬、仕事北欧にいた。同業者と一緒に北欧を回る出張だった。みな、巡礼者のように、同じような黒のダウンジャケットに身をつつんでいる。凍った道に足を取られないよう、歩幅を狭くして、冷気で化粧した街を歩く。

ペリカン」という名のレストランに入ったのは、北欧に着いてから何度目かの夜だった。タイル張りの床、チークの壁、スカンジナビア特有の、あのとろけたような飴色の照明。ビアホールスタイルペリカンレストランダンスフロアのように広く、笑い声とグラスを打ちつける音に溢れている。今までに見たどのレストランよりも薄暗いが、しかし、今まで見たどのレストランよりも客の顔が明るい。

  

僕らは4つのテーブルをくっつけた一角に座る大所帯で、めいめいが好きなビールを、あるいはワインを、ぶっきらぼう英語で注文した。テーブルろうそくが子熊のダンスのようにゆらめく。人の瞳を大きく見せる、不思議な炎だった。スウェーデンで覚えた「スコール!」の掛け声とともに、琥珀色の液体を冷えた胃に流し込む。

  

ざらざらとした紙のメニューは、スウェーデン語と英語の2つが印刷されていた。チーズ、魚、マッシュポテト、そして子猫の頭ほどの大きさがあるミートボールテーブルに並ぶ。肉厚な白磁の上で、てらてらと光る料理を見ていると、夢と現実境界曖昧になる。メニューに刻まれた”smaklig spis!”の文字が滲んでいく。

  

ふと隣のテーブルを見ると、やけに騒がしい。スウェーデン若者が盛り上がっている。年の頃は20代テーブルではしゃぐ8人全員が屈強な男たちだ。不思議なことに、全員が純白のナプキンを頭にかぶせている。ナプキンの四隅を結び、帽子のようにして。

  

水夫のようだ、と思った。彼らはだいだい色の髭と睫毛をろうそくの光に透かし、歌を歌い始めた。樽いっぱいの勇ましさに、ひとさじの寂しさを混ぜたような合唱。なぜかその歌と、その力強い瞳と拳とは、バイキングを思い出させた。

  

アルコールの助けもあるのだろう、バイキングのひとりが、僕らに話しかけてきた。君たちはどこから来たのか?トウキョウだと答える。すばらしい!乾杯!と男が叫ぶ。テーブルでできた国境曖昧になって、アジアスカンジナビアが溶け合った。トウキョウの明かりは闇を削る。北欧の光は、闇をぼかすようなやわらかさがあった。

  

日本の歌を聞かせてくれ!——スウェーデン若者テーブルの向かいから叫んだ。僕らは困り果ててしまった。この異国の地で、ここにいる日本人が詰まらず歌えて、しか日本代表するような歌……それは一体なんだろうか?

  

君が代。いや、堅すぎる。「翼をください」はどうだろう?しっくりこない。誰かが言った。「『ふるさと』だ」

  

そして僕らは、声を揃えて歌った。

  

兎追いしかの山……小鮒釣りしかの川……夢は今も巡りて……忘れ難き故郷……

  

北欧の地においても、当然ながら僕らは日本語でコミュニケーションをしていた。でもそれ以上に、「ふるさと」は日本語で話していることを意識づける歌だった。

  

8000キロ離れたスウェーデンの地で、この歌の持つ郷愁は凄まじいものがあった。僕らは住んだこともない日本原風景を思い浮かべて、目頭を熱くした。バイキング若者たちはその大きな手で拍手する。ペリカンレストランの客にとって、「兎」や「小鮒」からかぶイメージは、僕らのものと随分違っていただろうが、歌の持つなにかは伝わった。

  

そして彼らは返歌とばかりに、彼らの故郷の歌を歌った。いや、実際は故郷の歌ではなかったかもしれない。けれど、僕らが言葉メロディ故郷表現したことを、彼らは彼らなりに感じとって、故郷の歌を口ずさんだのではないかと思う。そう思いたいだけだ。独りよがりかもしれないけれど、ペリカンレストランの光は、そう思わせるに十分な魔力を持っていた。

  

歌の交換が終わり、場が落ち着いて、ひととおり肉と魚とアルコールを胃におさめた後、僕らは三本締めを派手に決めてやった。これもスウェーデンにはないものだ。隣のバイキングに威勢を張るため……あるいは、友好の意を示すため、僕らは目配せし合いながら手を掲げた。「イヨォーオ!」という掛け声とともに掌を打ち付ける。スウェーデン若者がワッと歓声をあげる。「俺にもやらせてくれ!」誰かがスウェーデン語で叫んだ。「よし!」日本語が応える。片言の「イヨーオッ!」、それに呼応する柏手。そして都合3回の三本締めを終え、スウェーデンの夜はふけた。

  

あれは夢だった、と言われても信じてしまうくらい、全てが出来すぎた夜だった。

  

ホテルに戻り、ベッドに倒れ込む。

  

頭の中に、凍りついた道と、白い息と、温かなテーブルと、チョコレートのようなミートボール、人懐っこいスウェーデンの男のきらきらした眉毛がこびりついている。

2020-09-20

anond:20200919031903

カッコ良すぎ!言ってみたい!

その光景はいつどんな時にみたの?

なんで原風景といえるの?

2020-06-15

anond:20200615193937

箱に入れて捨てられた産まれたばかりの年若い愛玩動物が眺めてたような原風景だな

夜の街には興味ありません

黄昏住宅地、薄明の小路黎明ロードサイド原風景を持つ者は私のところに来なさい。

2020-05-20

anond:20200520132855

ネトウヨがよく叩いているミサンドリストと、「左」巻きを叩いていることから左巻き意味勘違いしていると推察されてるのであって「左巻き」が「左翼」と「頭のおかしい人」の両方の意味では伝わっていない。

ダブルミーニングとしても

その考えが異端者だからダブルミーニングなんじゃないの?

あいつらとはちがう!」ってノリで資本主義否定したおれカッコイイの大2病からくる変わり者アイデンティティが「左巻き人生原風景だったのに今更それを捨てるのダサくね

「もしかして」という形でしか伝わっていなかったので、そもそも伝わる文章にはなってなかった。

まり伝わると思ってるやつが左巻きなだけ。

anond:20200520105548

その考えが異端者だからダブルミーニングなんじゃないの?

あいつらとはちがう!」ってノリで資本主義否定したおれカッコイイの大2病からくる変わり者アイデンティティが「左巻き人生原風景だったのに今更それを捨てるのダサくね

2020-05-09

anond:20200425144157

自由詩の谷川俊太郎をみたらすごいと言わなきゃいけない風潮が文芸界隈に強くて、大変生きにくかった覚えがある。

元増田のいう詩を殺した要因は、ただ単に日本原風景が消えたにも関わらず、原風景を思わせる美しい単語を入れなきゃならない基本が短歌の575にあるからとか、情景よりもキャラクター性が重視されて小説すら情景がカットされるようになったとか、そもそも短歌俳句の敷居が高くテクニカルであるとか、一様ではないと思う。

ただ一つ言えるのは、メディアが古来の文化を殺していってるともいえるし、単なる流行の移り変わりともいえる。Twitter自由詩なんて情景で感情表現してるものなんてない。殆ど自己感情比喩もなく叫んでるだけ。あれを見てると無批評で発表する癖のついた人たちが山ほどいて、検索性のみならず文化まで潰していってるんだなと思う。つまりこれは、文化から文化の交代が起こったというより、システムによって(文明によって)文化が潰されてるってことなんだろう。文明文化を生むと考えていたけど、翌々考えたら旧来文明文化は潰えるわけで。レコードみたいなものでほそぼそ生き残るだろうけど。

2020-01-27

テン年代俺的最強ゲームベスト10

いちゲーオタ中年男性ハートのど真ん中の最奥部に抜けないほど深く突き刺さった「テン年代ゲーム10本をランキング形式で挙げていきます。お付き合いください。

特別賞『Doki Doki Literature Club!(ドキド文芸部!)』(2017/PC

のっけから特別賞」から始めることをお許しあれ。ランキング発表後だと、1位よりもスペッシャルな空気を醸し出してしまいそうで。それを避けたかった。

でも、本作がとくべつな1本であるには違いない。だから悩んだ挙句の……「特別賞」。まんまでごめん。

個人的には『ノベルゲー」って昔からあんまやらないんです。ノベルゲーやる時間あったら小説を読むほうが(たいてい)有益だろう、という長年の思いこみ集積のせい。でも、『Doki Doki Liteature Club』は例外ゲームらしいインタラクティブな要素があるわけじゃないのだけど、小説でもマンガでもアニメでもこの表現絶対不可能

本作の凄さについてはもはや語り尽くされている感があるし、強く深い思い入れを持っている方が世界中にいらっしゃることも存じておりますし、まだプレイしていない方のためにも、内容については何も言いたくない。

でも、これだけは言わせてほしい。

本作は「神は存在を愛している」ってことをギャルゲー/ノベルゲーのガワで見事に顕してみせた一大叙事詩である。ここには生があって、性があって、詩があって、死があって……愛がある。さらには現象学的「彼方」をも開示してみせる。

その(一見破天荒、かつ強烈な内容に憤怒するかもしれない。ショックのあまりマウスを壁に叩きつけるかもしれない。号泣するかもしれない。戦慄するかもしれない。でも最後にはきっと宇宙大の愛に包まれる……絶対

ああ、すっきり。

では、こっから心置きなく2010年代・心のベスト10を発表させて頂きます

10位  『ASTRO BOT Rescue Mission』(2018/PSVR)

「……なんか妙に懐かしいな。子供の頃、お前と行った鵠沼海岸をまざまざと思い出したわ」

ゲームと本の山でとっ散らかった僕の部屋にやってきて、このゲームをしばらく遊んだ君は、いかにも重たいPSVRヘッドギアをつけたまま、そう呟いた。

僕はかなり潔癖症から、君が顔じゅうに汗をたっぷりかいてることがひどく気になって、除菌ティッシュ片手にそれどころじゃなかった。

けどさ、あの頃君と一緒に見つめた空と海の青さに、まさかVR新規アクションゲームの中で出会えるとは夢にも思わなかったよ。

ハタチん時、『スーパーマリオ64』を初めてプレイした時の驚きと、海辺自分の子と君の子が一緒に遊んでいるのをぼんやり眺めてるような、そのうちに自分たちも同じくらい小さな子供に戻って、一緒に無邪気に冒険してるような……切なくて温くて微笑ましい気持ちじわじわこみあげてきた。そのことに、僕は本当に心底驚いたんだよ。またいつでもやりに来てくれ。

9位  『ショベルナイト』(2014/PCほか)

「あー、なんかシャベル持ったナイトのやつでしょ。古き良きアクションゲームへのオマージュに溢れる良質なインディーゲーって感じだよね、え、あれってまだアップデートとかやってんの? なんかsteamセールん時に買って積んでんだけど、ま、そんな面白いならそのうちやるわー」

あなたが『ショベルナイト』をその程度のゲームだと思っているのなら、それは大きな大きな間違いだ。

プレイ済みの方はとっくにご承知と思うが、本作はレトロゲーもオマージュゲーもとっくに越えた、誰も登れない山頂に到達した類い稀な作品であるアイロニーと切り張りだけで作られた、この10年で数えきれないほど溢れ返った凡百のレトロゲームとは、かけ離れた聖域に屹立してゐる。

そして3つの追加アプデ(大胆なアイデアに溢れた全く新規追加シナリオ。今月でようやく完結)によって、本作は10年代下半期にリリースされた『Celeste』や『ホロウナイト』の先駆けとなる、傑作2Dアクションとしてここに完成したのだった。さあ、ショベルを手に彼の地へ赴け。

8位  『Undertale』(2015/PCほか)

このゲームの印象を喩えて言うなら、

久し振りに会って酒でも飲もうものなら、いちいち熱くてしつっこい口論になってしまう、共感嫉妬軽蔑と相いれなさのような感情腑分けするのが難しいくらい綯い交ぜになっている面倒きわまりない幼なじみ、みたいな。

正直、ランキングにはあまり入れたくなかった。が、初プレイ時の衝撃をまざまざと思い出してみると、やっぱり入れないわけにはいかぬと悟った。

もし未プレイだったら、このゲームはできればPCsteam)でやってみてほしいとせつに願う。当方バリバリコンシューマー勢なので、ゲームPC版を薦めることは滅多にない。だが、コンシューマー機ではこのゲームの持つ「鋭利ナイフ」のような「最後の一撃」が半減してしまうだろう。

作者トビー・フォックス氏は、かつての堀井雄二糸井重里系譜に連なる倭人王道シナリオコピーライターと感じる。

確認のために本作の或るルートを進めていた時、初期ドラクエと『MOTHER』と『moon』が携えていた「あの空気」が30年ぶりに匂い立ってくるのを感じて眩暈がした。会えば会うほど凄みを増す狂人のような作品だ。

2020年内に出る(であろう)2作め『DELTARUNE』において、トビー氏は堀井/糸井が書け(書か)なかった領域確信犯的に踏み込んでくるにちがいない。それが半分楽しみで、半分怖くて仕方がない。

7位  『デラシネ』(2018/PSVR)

その山の森の奥には古い洋館があった。

庭は川と繋がっていて、澄んだ水が静かに流れていた。

君は川沿いにしゃがみこんで1輪の花を流していた。

俺は黙って君を見つめていた。

君は俺に気づかない。

俺は木に上ったり、柱の影から君を見守ったり、触れられない手で君の髪を撫でたりしているうちに……君の可愛がってたシェパード犬がこちらにひょこひょこやってきて、ワン、と小さく吠えた。

ああ、なんだかこのゲームやってると批評目線がどんどんぼやけていくのを感じる。まるで透明な死者になってしまったような、奇妙で懐かしい感覚に否応なしに包みこまれるような……。

本作は「VRで描かれた古典的AVGアドベンチャーゲーム)」であると言われている。個人的には、そんな持って回ったような言い回しはしたくない。

VRしか描けない世界情緒に対して、あまり意識的な本作。その手腕はあざといくらいなんだけど、実際に本作をやってみるとあざといどころじゃない。泣くわ。胸の内に熱いものがこみあげてくるわ。

『Deracine』はプレイヤーの原風景をまざまざと蘇らせる。かつて失ってしまった友人を、失ってしまった動物を、失ってしまった思い出を、「ほら」とばかりに目の前に差し出してくる。そのやり口はほとんど暴力的でさえある。

6位  『バウンド 王国の欠片』(2016/PS4/PSVR

もしVR対応しなかったら、知る人ぞ知る良作(怪作)止まりだったであろう本作。

かくいう俺もPS Storeで見つけて何となく買った時は、まさか2010年代ベストに入れることになるとは思わなかった。怪しい仮面被ったバレリナ少女サイケ空間を飛び回ってんなあ……製作者はドラッグでもやってんのか?くらいの。

しかPSVR対応した本作を再度プレイして驚愕した。怪作がまごうことなき傑作に生まれ変わっていたのだ。あるいはコンテンポラリーアート作品としての本質を露にしたとも言える。ああ、VRというハードではこんな事態が起こり得るのか……。

画を作っているサンタモニカスタジオゴッド・オブ・ウォー風ノ旅ビト他)の仕事はいだって凄まじいクオリティでため息が漏れるのだが、VRとの相性は抜群だ。とりわけ今作での仕事白眉と言える。

とにかく、思わず自分少女の頬をつねりたくなるほど美しい。少女が、景色が、色彩が、確実に「もうひとつ世界」(夢、とは言いたくない)を現出させている。

そして本作は本質的な意味で——究極の恋愛ゲーでもある。誰も認めなくても、俺はそう強く感じる。あの少女と過ごした時間を、あの少女が内に秘めていた闇の部屋を、あの少女が戦っていた怪物を、そしてこの狂気と色彩にみちみちた世界日常生活の中で思い出す時、この胸に去来するのは——それは「恋」しか言い様のない儚い感情だ。

5位  『INSIDE』(2016/PCほか)

書き始めるまで、本作がここまで自分内上位に食い込むとは思わなかった。

が、確認のために軽くプレイしてみたら、やっぱりとんでもなかった。

実験施設内部に、そして自分の内側(Inside)に展開するめくるめく不穏な景色ディストピアの先にある、吐き気をもよおさせると同時に、穏やかな安寧に包まれるような、唯一無二のビジョン——を完璧に描ききった本作。

終盤の怒濤の展開と比類なき生命描写インパクトに心奪われるが、本作の真骨頂木々や空や雲や雨、海などの自然情景(それが何者かによって造型されたものであれ)の美しさだと思う。荒んだ世界の中、思わず立ち止まって、天に祈りを捧げたくなるような敬虔心持ちを強く喚起させる。

俺にとって『INSIDE』とは、自己内面に深く潜るための潜水艦、あるいは哲学書のページを繰っても繰っても掴めない、自分世界との乖離自覚するための尖った注射針であり、神なき世界宗教である

灰色にけぶった空の下、雨降るトウモロコシ畑で無心で佇んでいた時のあの安寧と絶望感に、これから先もずっとつきまとわれるだろう。

4位 『スプラトゥーン』(2015/WiiU

人の生には「もっと幸福な時期」というものがたしか存在するようだ。そして、それは必ずしも幼少期だったり青年期だったりする必要はない。

俺にとっては、傍らに愛猫がいてくれて、WiiUと3DSが現役ハードで、仕事から帰ってくると毎日のように今作にあけくれていたこの頃が——生涯でもっと幸福な時期だったと言いきってしまいたい。なぜなら、幼少期や青年期と違って、その記憶ははっきりと想起できるから

そして後から振り返ってみて、その時期がどれほどありがたいものだったか確認し、やるせない気持ちに包まれるのだ。「ああ、やっぱり」と。

プレイ時間は生涯最長となったし、この作品を通じて(自分にしては珍しく)老若男女多くの「オンラインフレンズ」ができた。

が、続編『スプラトゥーン2』は発売日に購入したものの、ろくすっぽプレイしなかった(できなかった)。

その理由は(おおざっぱに書くと)3つ。

ひとつは『2』発売時、先に述べた、俺にとってもっと幸福だった時代が過ぎ去っていたこと(ごく個人的理由だ)。

ふたつめは、初代スプラトゥーンが持っていた、俺を夢中にさせるサムシングが『2』には欠けているように感じられたこと(批評記事ではないので、それについてここでは掘り下げない)。

3つめは、次に挙げる同じく任天堂開発の対戦ゲームの登場である

3位  『ARMS』(2017/Switch

それは35年前に夢見た未来の『パンチアウト!!』だった。そして20年前に夢みた『バーチャロン』と『カスタムロボ』の奇跡的融合であり、同時にそれらとは全く別次元昇華された「理想的格ゲー」であった。

スプラトゥーン』で「共闘」の愉しさを味わった俺に、本作は「見知らぬ相手とサシで戦う」ことの妙味と厳しさをばっちり思い出させてくれた。

そして画面内のキャラをこの手で操る——そんなあまりにも原初的「ゲーム」の喜びが本作には隅々までみちていた。こればかりは「Just do it」(やるっきゃない)。

やがて俺は日々のオンライン対戦では飽き足らず、リアル大会にまで足を運んだ(あっさり敗退してしまったが……)。そんなゲームは、おそらく生涯最初最後だろう。

余談だが、Joy-con特性を生かした「いいね!持ち」による操作こそが本作の革新であると信じているのだが、革新性よりも「合理性」と「勝率」を求める猛者たちには殆ど浸透しなかった。

いいね!持ち」メリットをうまく調整できてさえいれば、本作は『e-sportsゲーム初の従来型コントローラーから離れた(両腕全体を用いた)操作形態を実現していたはずで、それについては至極残念だが、現在開発中であろう『ARMS2』に期待したい。

2位 『Rez infinite』(2016/PSVR

2010年代下半期は、俺にとっては「VRに初めて触れた年代」としていつまでも記憶されることになるだろう。

2017年冬、とにかく『Rez infinite』をプレイしなければならない——そんな義務感でPSVRを勇んで購入した。配線がややこしい機器PS4に繋げ、想像していたよりもさらに重たいヘッドセットを被り、本作をプレイすると——すぐに「ここには未来がある」と思った。いや、正確じゃないな。「未来に至る——今の時間自分」をばっちり感じたと言うべきか。現在可視化され、360度方位に顕在し、俺をユニバーサルに包みこんだ。

AreaXを初めてプレイした時の、重たい身体感覚から自由になり、魂だけが宇宙に放りこまれたような未曾有の感覚は、ゲームなるものと関わってから過去30数年を振り返ってみても、5歳の時に生まれて初めて電子ゲームに触れた時の体験と並ぶ、あるいはそれを越えかねない、空前絶後体験だった。

それは精神開放であり、身体解放だった。言葉遊びに非ず。

これだけ長いこと「ゲーム」なるものを続けてきて、ゲームからそのような感覚を初めて得られたことに深く感動し、ラストではほとんど泣いていたことがつい昨日のように思い出せる。

そして『Rez infinite』の「次の体験」を今か今かと待っている。

1位 『とびだせ どうぶつの森』(2012/3DS

Rez infiniteからまさかの……自分に驚き、何度も自身に問うた。

あれだけ昔からどうぶつの森』嫌いだったお前が。とび森を。テン年代1位に。据えるつもりか? 

お前はそんなにぶつ森好きだったのか? ありがちな中年男性みたいに「しずえ萌え」になったのか? それとも親子くらい歳の離れたフレンドと時々会えるからか? おいおい、かあいこぶってんじゃねーぞ、と。

だが本作を1位にした決定的な理由——それは、テン年代初頭に放たれた今作から仮想世界」における、人間存在理想的な在り方の萌芽をひしと感じたからだ。

一発で脳内に凄まじいヴィジョンを注入した『Rez infinite』と比べると、まるでアリが餌塚に砂糖を運ぶようなゆったりとした足取りだが、本作は確実に世界中ゲームファンに「もうひとつ世界」をキュートな顔つきと口調(しずえ嬢のような……)でじわじわと浸透させ、人々の無意識をしれっと変容させ、もうひとつ生活を愉しませ、ネット接続により文字通り「飛び出させた」。

どうぶつの森』は今年3月に発売する次作『あつまれ どうぶつの森』においてさらなる大きな広がりと変化を見せてくれるだろう。

が、俺は本作をとくべつに、個人的に、偏執的に、限定的に愛しているのだ。

それは故岩田社長が生み出した『3DS』というハードへの偏愛と、ゲーム機では3DSだけが備えた「裸眼立体視」——ARVRを折り合いし、先取りした——唯一無二の機能によって『どうぶつの森』というクローズド世界をまるで飛び出す絵本のごとく彩り、「夢の中で他者の森を訪ねる」という奇妙かつ魅惑的な通信世界を生み出し——

要は、全シリーズを振り返っても今作『とびだせ どうぶつの森』だけが持ち得た、この奇妙で牧歌的神秘的なアトモスフィアに由るものだ。

カフカ『城』や村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』主人公のように、俺はある時、この森の中に、夢の中に、村の中に、これからも留まり続けることを選んでいた。

そういうわけで、本作を迷わずテン年代1位に据えたいと思う。

※※※※※※※※※※

長々とお付き合いくださって本当にありがとうございました

余談ですが、最初は「順不同」にしようと考えていたのです。これほど自分にとって大切なゲームたちに順位なんてつけるのは相当失礼な気がして。

でも、敢えてつけてみた。並べてみたら、なんとなく自分重要度みたいなものぼんやり浮かび上がってきたので。

異論提言はもちろん、よかったらあなたテン年代ベスト(5本でも20本でも1本でも)教えて頂けると、いちゲームファンとしてめっぽう嬉しいです。

ああ、10年はDECADE(でっかいど)。

2019-11-05

東京人として、残念だけど関西のほうに魅力を感じるよ。

外国にも訴求できるような観光スポット関東存在しないことは否定できない。

誰でも「日本」といえば京都の町並みを思い浮かべるんじゃないかな。

日本原風景というか、やっぱり伝統を残しているよね。

それと比べたら東京歴史のない町。文化のない町。魅力のない町。

そこは認めなあかんで。

2019-09-19

自戒をこめて

ちょっと前に二次の字書きが絵師に表紙を頼んだ話を読んで自分も思い出した話。

少し前に長年付き合いのあった絵師との縁が切れた。

ことの発端は私だから仕方ない話なのだけど、ずっと心の中に燻っているものがあったので匿名者の日記として吐き出してしまおうと思う。

私と彼女との出会いは前ジャンルに遡る。所謂マイナーCPというやつで全盛期をとうに過ぎたジャンルで細々と小説投稿し10年過ごした場所だった。

彼女からの熱い感想メールをもらったことが切っ掛けでメールのやり取りをする仲になった。投稿した小説感想イメージイラストをくれたりと、当時ネット上のみで小説投稿していた私にとってはとても貴重で有難い存在でありモチベーションをあげてくれる人でもあった。

しかし段々と交流が続くにつれて彼女に対して心に引っかかることが増えていった。私は基本的に他の字書きさんや絵師さんとの交流もない引きこもりで、イベントオフ会も参加したことがなく10年もの投稿を続けいていたにも関わらず、知り合いが全くといっていいほどいない状況だったので、彼女から聞くことが創作人口の少ない界隈での全てだと思い込んでいた。

私が○○さんのお話好きだなと言うと「あー…でもあの人さ、他の書き手さんから嫌われてるんだよね」とネガキャンが始まる。そう言われてしまえばお話を読む際にどうしても書き手さんの印象が脳裏に過り素直に本を読めなくなった。そういった流れが何回か続き少し疲弊し始めていた頃。

ある時、彼女小説内容のリクエストをしてもらった。日頃、イラスト感想を下さる感謝気持ちを込めて此方からお願いした形だ。彼女はとても喜んでくれて俄然やる気になり彼女希望した内容で小説投稿した。けれどあれだけ感想をくれていた彼女からの反応は一切なし、むしろリクエストしたことすら忘れているのかと疑いたくなるほどこの件はスルーされてしまった。折角書いたのにという気持ちと虚しさで心が折れつつも「書いたよ」と連絡すると、少し時間をおいて「あー…あれか」という反応。どうやら彼女リクエストには添わなかったようだった。

その件が引き金になり「人に媚を売るような小説を書いてはダメなんだな」と、今までそのCPが好きで小説投稿していたものが、誰かの反応が欲しくて、感想がもらいたくて投稿しているという自己承認欲求の塊のような自分に嫌気がさして小説を書くことが嫌になってしまった。

小説から彼女からジャンルのものから距離を取りはじめた頃、SNSが普及し始めた。久しぶりに連絡が来た彼女から登録しなよと言われるがままSNSアカウントを開設したものの、有難いことにフォロワーさんが徐々に増え以前よりも交流が出来るようになった。それが嬉しくてSNSでよくコメント投稿していたところ、連絡が取りやすくなったからか彼女から頻繁に連絡がくるようになった。

DMで届く内容はオフでも活動する書き手さんへの愚痴が主だった。「あの人とオフで本を作ったり、プライベートでも仲良くしてるんだけど段々と失礼な態度をとられるようになった。ある日急にSNSブロックされた。なのにアチラは私のアカウント監視していて文句を言いまくっている、ひどい」という相談事もあり私は私なりに親身に話を聞いていたと思う。

ただ私には彼女がいう突然ブロックされたという言葉には違和感があった。彼女は割と積極的交流をする方なので多方面で付き合いが多いのだが、とにかく物忘れがとても多くまた人にマウントをとりたがる節があった。彼女イラスト絵師でもあり、字書きでもありグッズ製作をしたりと活動内容が多岐に渡るのでオフでのノウハウがあり、それを人に吹聴するところがある。私のようにオフ素人人間指南をするのが楽しいようでもあった。そういった面で人を不快にさせてしまうところがあったり、物言いが直接的で逆鱗に触れてしまい縁が切られるということが何回か続きジャンル撤退を考えているようだった。

私はとめなかった。ジャンル撤退には人それぞれ様々な理由がある。二次での交流で嫌気がさして撤退する人も少なからずいるのは分かっていたので、そうなってしまうとジャンル愛も枯渇してしまうのも納得だったからだ。

私は私で別件でジャンル愛が枯渇していた。そんな時に今のジャンルに目移りしてしまった。

そのジャンルは全盛期を迎えていて活気づいていた。私は一番人気のCPに傾倒し、久しぶりに思うがままに小説投稿し続けることが出来た。その熱意なのか投稿した小説ランキング入りを果たしたりと嬉しいことが重なり益々現ジャンルにドハマリしてしまい前ジャンルアカウントを閉じてしまった。

心機一転、自ジャンルで新しいお仲間さんとワイワイしていた時、見慣れたアカウント名と特徴的な絵柄が私の小説ブクマしていることに気付いてしまった。

私は新しい名前アカウントにも関わらず私の小説ブクマしてくれた彼女に嬉しくなってしまってついつい自分から声をかけてしまった。

苦い思いをしたにも関わらず懲りない人間だなと今は痛感しているのだけれど、新天地でも出会たことに盛り上がってしまジャンル愛が勝って初めて彼女から「表紙描くから本を作ってよ」という言葉に頷いてしまったのだ。

はじめてのオフ活動にやる気になりWEB上で書いた投稿作に書下ろしを加えて本にすることにした。

彼女と何度も連絡を取り合い表紙の進行なども聞きながら書下ろし部分の調整をしていると、彼女から一枚のイラストが届いた。

とても美しい大好きなCPが手を繋ぎ歩いている原風景。私はその美しさに感動して何度も賛辞のコメント送り、表紙の二人を思い浮かべて小説を書き続けた。

しかし数日後その素晴らしいイラストが別の字書きさんの本の表紙になったことを、その字書きさんのSNSコメントで知ることになった。

私に見せた表紙案といって送られてきたイラストSNS投稿されている。

私は何も聞いていなかったので内心かなり取り乱しショックで何も手につかない状態だった。彼女がその字書きさんを神のように崇めていたことも知っていたし、絶賛していたことも知っていたけれど本の表紙を頼まれいたことは知らなかったので「どうして言ってくれなかったのか」という勝手な思いに苦しんだ。そんなこと彼女が私にいう必要なんてない。けれどじゃあ何故、表紙案といって私に送ってきたのか。

結局、私の本の表紙は全く違うものになった。私は最初に見せてもらった表紙案をかなり気に入ってしまったので、その表紙を見ることが少し悲しかった。何よりその表紙は私の小説のシーンに一度も出てこない場所で私が小説の中で着せている恰好ではない装いの二人の日常的なシーンで「なんでこの表紙なんだろうか」と思ってしまったのだ。

とても丁寧に描いてくれた表紙だということは分かっている。けれどCPの二人よりその場所を目立つように描かれた表紙が好きになれなかった。それでもいい顔をしたい私は彼女に有難うと謝礼を振り込み、菓子折りを送った。

本は有難いことに完売した。再販希望してもらえたが私の事情で出来なかったので悲しいことにオークションでかなり高額に転売されてしまった。

オークションで買わないで欲しい」とSNS上でコメントをすると「再販しないお前が悪いんだろ」と匿名で何通もお怒りのメールをもらってしまった。

私は自分自己満足で本を作った。一度もオフ活動したことがなかった私にとって誰かに表紙を描いてもらい本を作ることは夢の先のことだったから。

でも本を作るということはそれで終わってはいけないのだと痛感した。「なんで再販しないのか」というDMに心が折れてしまった。

一度に何十万と支払う本の制作にはリスクありすぎる。私はしがない主婦なのでそんな大金を一度に使う趣味に気が引きてしまう。

結局、どうしても欲しかったけれど買えなかったという方になけなしで手元に置いておいた1冊をお譲りすることにした。その方は私がとても敬愛している書き手さんでSNS上でお付き合いのある方だった。

そのことは伏せて現ジャンル活動を続けていたある日、彼女から連絡があった。以前私が大好きだった表紙で本を出された字書きさんに「突然ブロックされ、縁を切られた。ひどい」という内容だった。

私は以前にもこんなことがあったな、と前ジャンルのことを思い出していた。

こんなニッチで複雑な感情が絡み合った世界から同じCPが好きだからといってウマが合うとは限らない。解釈が違えれば逆CPより地雷になる人がいる世界

最初は仲良くやれていても上手くいかないこともある。付き合いがプライベートにまで進めば仕方ないことかもしれない。

長いこと二次創作を続けていればこういうことは起こりうる。私は彼女を慰めながら色んなことを考えるようになった。

一番大事なのはジャンルを好きでいられること、そのCPを好きでいられること。

好きなことをする為に始めていることで大元を嫌いになるようなことをするくらいなら、人付き合いは一定距離があっていい。そう思うようになった。

深く関われば関わる程、悲しいことも増えていくくらいなら私はSNS上のお付き合いだけでいい。

彼女のように活動の幅を広げる度に誰かと衝突し縁を切り、ジャンルを嫌いになりそうと言い出すくらいなら。引きこもりのままで構わないと。

彼女は頻繁に私と会いたいと言い出していたが、結局一度も会うことはなかった。

10数年つかず離れずを繰り返し、彼女私生活からジャンル内のごたごたを時には夜中の2時3時まで付き合って聞いたりもしたけれど彼女の顔を見たことは一度もない。

そんな時間を過ごし、一定距離感を持って付き合いを続けていたある日。

彼女に私が最後の1冊だった本を手放していたことがバレてしまった。自分から言ったのだけれど、それが彼女逆鱗に触れてしまった。

「この10数年間付き合いを続けて来たけど、貴方と私は会ったことがない。だからニュアンスは違うのかもしれないけれど、貴方最後の1冊を手放したというその不躾な態度は、創作である私のプライドを傷つけた。許せない、涙がとまらない」ということだった。

私はその一言に物凄く腹立たしさを覚えた。彼女に全く同じ感情を抱えたことがあったからだ。「前のジャンルでさ、リクエストした内容も忘れたけど誰かから頂いた小説内容が超地雷でさ、あの解釈はないわって思ったんだよね」と送った相手(私)に堂々と言った(物忘れの多い)貴方にめちゃくちゃ傷つき凹んだことがあるからだ。その時私は面と向かって言われていないかニュアンスが違ったのかもしれないって思うようにしてやり過ごしたのに。

山ほどあった言いたいことを飲み込んで「ごめんね、こういう思いをした相手とずっと縁を続けていてもいずれまた嫌な思いをさせてしまうかもしれないから、もうお互い連絡をとることはやめよう」と伝えた。

「泣くほど嫌な思いさせられた相手となんか趣味で繋がる必要ないよ」と「どんだけ私が謝ろうと、言い訳をしようと貴方は納得しないだろう」旨を告げて連絡手段を断つことにした。

彼女に今までのお礼と好きな創作を続けて欲しい。今回は嫌な思いをさせてしまったけど、貴方の素敵なイラストの表紙の本を今後も楽しみにしていると告げてブロックした。

きっと私次第で彼女との縁を続けることは出来たのかもしれない。

でも毎回聞いていた彼女の「突然ブロックされた、縁をきられた」という連絡を思い出してしまったのだ。

なんでだろう。ブロックした人の気持ちが分かってしまった。怒りよりも悲しみよりも先に「疲れた」と思ってしまった。

「ずっと本当はわだかまりがあった相手ではないかSNS上では仲良し、大好きアピールを続けていたけど、本当はずっと思うところがあったじゃないか。それをずっとないことにしていい顔をしたい自分自尊心尊重してしまった結果がこれなのではないか」と気がついた時に、私は自分の至らなさを実感した。

彼女は時折、激しい自己嫌悪承認欲求で鬱に近い状態になっていた。幼少期のトラウマを切々と語り今の人生への疲弊を漏らしていた。

感情の起伏が激しく、よくSNSの呟きを全部消したり、鍵をかけたり、いなくなったりしてた。

きっと今日もどこかで誰かに私にブロックされた時の愚痴を言っていることだろう。

もう誰かに振り回されてジャンルもCPも書き手も嫌いになりたくない。

そのためには「相手に何かを求めない」「自分の為に小説を書いていることを忘れない」「好きでいられる為に最良の選択をする」ことを忘れないようにしよう。

新たに興味の出てきたジャンルに見慣れた名前と絵柄があったので自戒を込めて。

好みの傾向はドンピシャなんだね私たち

まぁもう二度と連絡をとることはないだろうけど!!

2019-08-31

NHKを見るか」は階級分断の指標になるんじゃないか

いわゆる「N国」やら「受信料」が話題になるたび,「自分NHKなんて普段見ないのに」という声をTwitterなどで目にする。そんなことあるか?と僕はいつも思う。ところが,僕が普段接しているコミュニティの中には,NHKをよく見る人ばかりのコミュニティと,民放をよく見る人ばかりのコミュニティがある。「NHK普段からよく見るか」という問いは,何故かコミュニティによってキッパリ綺麗に回答がまとまる(と僕は感じている)。

NHKをよく見る」人が多いのは,大学関係コミュニティだ。僕が通う大学国内大学受験で最難関クラスと呼ばれる大学で,都会/地方出身わず所得の家庭出身の子弟が多く通う大学でもある。彼らは当然のように何も流すものがなければNHKを点けるし,NHKドキュメンタリーの話をよくするし,実家でもNHKしか流れない,なんて話もする。

一方で「民放をよく見る」人が多いのは,両親を含む親族地元公立中学関係コミュニティだ。両親は地方出身ブルーカラー地元公立中学というのは都会から電車で40分くらいのベッドタウンにある,そこまで豊かではない家庭の子弟が多く通う学校だ。彼らは民放ドラマバラエティの話をし,民放が映し出されたTVこそがお茶の間原風景だという。

僕はこの観察から富裕層とそうでない層との間に存在する経済的知的階級格差の一つのあり方が「NHKをよく見るか」なのではないかと思っている。もっと踏み込んで言うと,親から子に受け継がれる所得学歴品性や習慣の一つとして,「よく見るTVチャンネル特にNHK民放)」があるのでは,ということだ。

自分の見える範囲だけで推測した思いつきにすぎないんだけど,どうなんすかね。

****

僕はというと,フ○テレビを筆頭とした民放を好む両親とは違って,NHKをよく見る方だ。特にNHK特集番組情報収集とそのまとめが素直に上手くて,知的好奇心を満足させてくれるから好きだ。反対に民放に溢れているような,他人を虚仮にして取る笑いとか日本スゴーイとか芸能人の惚れた腫れたとか可愛い動物動画とか少しも楽しめたことがないし,作る方も見る方も品性を疑ってしまう。こういう消極的理由で,とりあえずTVを点けておきたいときNHKにするというのもある。

ということで,裕福ではないけどNHKをよく見る人,裕福だけど民放をよく見る人,というのももちろん存在すると思うけど,あくま指標として……という話です。

2019-08-15

女はデフォルト女好き男嫌いな気がする

人間は、基本的にみんな女が好きで、男はそんなに好きではないという気がする。

初期設定はそうであって、そこから女が男を好きになったり、男が男を好きになったりするんだろうけど。

原風景というか生来の目指すところは女って感じがする。

格好も誰だって女になりたいし、女に抱っこされたい

から世は基本的百合である

2019-07-27

趣味とは

20代男です。

会社飲み会で「趣味は?」と聞かれたとき対応に悩む。

世界の果て、もしくは心の中にある原風景とでもいうもの現実に求めて、そこらへんを彷徨うのが好きなんだが、これを厨二臭くならないようにどう言えば良いのか。

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