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はてなキーワード: 観念とは

2018-07-19

anond:20180719234910

男は遺伝子レベル自分犠牲になっても女・子どもを守らなくてはいけない、という観念が刻み込まれているので弱い男であっても人前で弱音を吐けない。

世の女が男をクズ扱いしてしまうのは、どちらかというと団塊の世代が男女どちらもクソな上に、今会社上司経営陣がその団塊世代から

当然圧倒的に男が多いので、無能なのに権利だけ持っている男=男は屑という図式になる。

そういった男を作り上げてしまったのも、同年代団塊の女たちなのに彼女たちは被害者面している始末。

anond:20180719004557

営業部門だと経費管理観念が薄いか

それでも良いかもね。

でもノルマとか目標とか試算の方が正確だと思うな

2018-07-18

ジャップは全員マンスプレイニング大好きだから

知識を持つ方が人間として上、という観念があるので、

語る時点で上になった気分ではしゃげるから

日本人は全員マンスプレイニング大好き

anond:20180718065555

2018-07-16

anond:20180716185538

絶滅危険はあるが現状維持で今食っていたい」と「今は損失を出しても絶滅を避けて永遠に食い続けたい」はどっちが執着が強いって話じゃないだろ

現実的方法論の違いの話なのに執着の強弱なんて観念的な話が出てくるのがわからん

2018-07-15

実妹持ちは妹を恋愛対象には思わない、みたいな偏見

anond:20180714203618

上の増田で「実妹持ちは妹を好きにはならない」みたいなツッコミが多数されていて、なんというか悔しい思いだ。

兄妹、互いに成人済みで相思相愛だが、社会的観念のせいで多大な葛藤を抱え、「自分は頭がおかしいのではないか」と苦悩する人たちがいるのを忘れてはいけない。

家庭内DVを指摘する声があるものの、妹をほんとうに愛する兄は決して妹を傷つけようとはしないし、むしろ「兄が妹に恋愛感情を抱くことそのものが、加害性を持ちうる」ことを十分に理解葛藤しているからこそ、自分気持ちを決して表には出そうとしないし、誰にも悟られぬよう自分のなかで押し殺しているんだよ。

性的少数者について議論するのなら「実妹恋愛する兄なんていない」と決めつけるのではなく、そういう少数者も現実として存在するのだ、ということをどうか忘れないでほしい。

2018-07-13

anond:20180713010906

フェミニストあるある

普通に対象である女なのかどうかで見ているだけのものを「男大人は汚い、女子供キレイ」という偏見解釈してしまうというね

同意してるブクマカ自分こそが男はこういうものだという観念投影してると気づいたほうが良いぞ

対象にならないやつから好かれるのはキモい!と連呼してたのにこうやって批判されたとたん男の恋愛は汚いものからだ!とゴールポストルールを動かすおなじみのクズ様式である

2018-07-10

anond:20180710175748

それは結婚しない幸せになれないっていう脅迫観念だな。

捨てても大丈夫だ。

義務っていうのは「国民として」とか「少子化のために」とかそういうやつだろ。

2018-07-09

医療現場における倫理パターナリズム

https://anond.hatelabo.jp/20180709194600

元増田です。鋭いコメントありがとうございます。本筋から少し外れますが、仰る事に同意です。

看護師を含め医療従事者の多くは、自分達の行為が、形式的には暴行罪傷害罪逮捕監禁罪といった犯罪行為構成要件に該当する、患者法益侵害し得る行為であるという認識が「無い」

 多くの看護師は、その認識が欠如していると思います結果的に、日常的にそういう感覚のまま、人間性というかモラルの低下につながっていきます

 私なりに具体的な論理を補足させて頂くと、

 看護師刑法第174条という法律規定されている「わいせつ罪」の行為、つまり普通人の正常な性的羞恥心を害し」を患者に対して行うのも仕事です。(洗体とか陰洗とか直腸・・以下省略)

わいせつ要件

・通常人羞恥心を害すること

・性欲の興奮、刺激を来すこと

・善良な性的道義観念に反すること

 それが犯罪にならないのは、もう一つの構成要件である「善良な性的道義観念に反すること」でない純粋看護行為の一環として行うこと、に患者が暗黙の社会的合意していることになっているゆえに法律違反という犯罪から特別免除されていると言ってよいでしょう。

 もし、「わいせつ」の最後構成要件である「徒に性欲の興奮、刺激を来すこと」をした時点で看護から逸脱していることから「善良な性的道義観念に反すること」に抵触しかねない。看護師職務行為は「わいせつ罪」と本当に紙一重の事を、社会からの信用「信頼を基盤として成立している」という事ですね。

 必然的にこういった事について、医療従事者・看護師達は、無感覚になりがちです。

 具体的には、ひと昔前に副業風俗嬢をやる看護師達の事が議論となりました。

http://blogos.com/article/86641/

 私の結論は、風俗売春行為をする看護師は、社会の人々からの信頼を毀損する ー 「看護わいせつ行為と同じではないか」、「そんな事に同意した覚えはない」と。そして看護は、"看護必要とする人々からの信頼なくしては存在しない"からして、看護師風俗嬢として副業すべきでない、と(実際は、似たようなもん、と言ってバイト感覚キャバ嬢風俗嬢やる看護師が非常に多いらしいですが)。ゆえに、キャバクラ含む風俗で働くような看護師免許返上すべき、と。

 しかし、看護師達は何が悪いと言って反発しました。

 また、

無条件に正しい行いだと思って、患者問答無用医療押し付け

 というのも、その通りで、これは、パターナリズムと言います

パターナリズム」という言葉父権干渉主義などと訳されます。本人の意思にかかわりなく、本人の利益のために、本人に代わって意思決定をすることを意味し、父と子の間のような保護支配関係を指します。相手無知存在として扱うパターナルな押しつけ

 患者が望んでもない医療行為勝手押し付ける、という問題です。患者自己決定権否定につながります日本ではまだまだ「お医者様様・看護師様様」状態で、全然だめですね。一般、つまり患者側の権利意識が無さすぎます

 医療側がとる「あなたのことは何でも分かってる」とでもいうような態度はパターナリズム典型ですね。パターナリズムは、パトレ(pater)つまり牧師父性。つまりは、「子らよ、私の言うことを黙って聞き入れなさい。これは神からのお告げなのです。すべては子らの幸福のためなのだ」というやつです。医者自分より目上の大人をまるで子供扱いしてしま自己陶酔状態看護師なら「知らないでしょ、あなたの為なのよ、やってあげてるのよ」、という"上から"の態度をひけらかして患者自分の思い通りにさせようとします。

 英単語の「patronize ペイトロナイズ」という同じくpaterを語源に持っていて、直訳すると「保護者ぶるー>(転じて)子供騙しな扱いをする」となる。これは英語圏でも相手侮辱する行為である。だからDon't patronize me!”というのはよく聞かれるフレーズ

 そして患者をpatronizeすることは、患者自尊心品位を奪い、患者の生きる気力すら奪いかねない行為です。

 しかし、日本医療現場では、未だに多いです。看護師側に認識が足りないから。

2018-07-08

これって何かの病気かな

身近な人に奇妙な癖の持ち主がいる

それは「ドアや扉の類を閉じるとき少しだけ隙間を空けてしまう」というもの

ドアは必ず数センチほど開けるし、箪笥や机の引き出しの類も指が入る程度の隙間をどうしてもあけてしま

一度当人を注意してきちんと閉めさせようとした事があったのだが、なぜか相当な躊躇をしていた

トイレを出る時のドアはきちんと閉めてといつも言ってるよね」

「うん…」

「でも、また少しだけ隙間空けてるじゃん」

「…」

「とにかく、ちゃんと閉めて(ドアを指さしながら)」

「わかった…」

目の前のドアを10cmほど軽く押すだけで良いのに、それだけになんと数十秒を要した

途中、私の方を振り返って、私に「閉めなくていいよ」と言って欲しそうな素振りを見せたが、私は何も言わずドアが閉まるのをひたすら待った

それを察したのか、相手観念たかのようにドアを押し込み、ガチャリと音をさせて完全に閉じられた事を示した

相手さら不安げな顔でおそるおそる私の表情を見た

「今度から気をつけてよ」

しばらくしてトイレへ入ろうとしたら、なんとドアが少しだけ開いていた

トイレ、また入ったの?」

「え、いや…」

トイレのドア、また開いてるんだけど」

「え、それは…」

「また開けたの?」

「え、いや…」

「さっききちんと閉められてたのに、どうして開いてるの」

「…う、うう」

どういうわけか、相手は立ち尽くしたまま嗚咽を漏らし始めた

なぜいつも隙間を空けようとするのか、何度も尋ねるのだが下を向いて黙りこくってしま

どうにかならないものだろうか

三島由紀夫金閣寺」について


金閣寺』という小説が何を表しているのか、単刀直入に語るとすればどのような言い方になるだろうか? それについて敢えて率直に語る事はすまい。

 とは言え、勿論その文章の中心的な部分は割に簡単言葉で表す事ができる。つまりは「美しさ」と「地獄」という二語によってである。ただし、これだけだと余りにも簡単説明でき過ぎてしまう。実は、金閣寺はこの二語のみによって説明できる小説なのであるが、それではあまりにもざっくばらんすぎて、説明が詰まらなくなってしまいかねないのだ。その為、少しだけ読者を焦らす事にする。


 金閣寺1956年雑誌新潮』に掲載され、年内に単行本化し15万部のベストセラーとなった――また、現在に至るまで文庫を中心に300万部以上を売り上げる日本の伝統近代文学の内の一つである海外においては複数言語翻訳され、日本文化を緻密に描いた三島由紀夫文章は各地で絶賛を浴びた作品でもある。しかし、無論この小説には難しい部分がたくさんあって、一朝一夕で読み解くにはハードルが高い。

 しかし、繰り返すようにこの小説は二つのポイントをさえ押さえるならば十分に理解することができる。

 つまりは「美しさ」と「地獄である

 この言葉はあまりにもこの小説を語る際に便利過ぎる。

 金閣寺は美しさの象徴であると同時に地獄象徴であった。これが三島由紀夫がこの小説において語ろうとしていた全てである小説金閣寺』は1950年に発生した、青年僧侶による「金閣寺放火事件」を下敷きにしており、三島由紀夫はこの青年僧の犯行根底に「美への反感」があることを読み取った。そして、そのコンセプトを元に書き上げられたのが、当の大作『金閣寺』なのである


「美への反感」。

 つまり、人は美しいものを時に憎むのである。そのような感情一言に言って地獄の現出に他ならない。

 何故ならば、人は美しいものに中々なれないかである

金閣寺放火事件」の主犯となった青年は幼少より吃音の症状を呈しており、恐らくそ吃音症は彼の人生に薄すらとした重たげな影を投げかけていた。

 吃音症は美しいか否か、と語るとするならば、恐らく人は吃音症を称賛するよりも嘲笑するだろう。いや、これもまた偏見なのかもしれないが、少なくとも三島由紀夫はその吃音の症状一つ取るに、青年僧の人生に降りかかる薄すらとした影の姿をまざまざと感知したのであった。そして、青年僧は自身が美という観念からはやや隔たった存在であることを自覚すると共に、美に対する拭い難い憎しみの存在を抱え続けることになるのである。――自身の美への憧れの象徴として、自身父親から長く「美しい」と語られていた金閣寺存在を、憧れと同時に、憎悪対象とし始めるのである。やがて、青年僧は最終的に犯行に及ぶ――金閣寺放火し、その美の象徴たる美しい建造物を、焼き払ってしまうのであった。

 美に対する憧れ、そして憎しみ、そのような薄すらとした影が、青年僧の人生には降り掛かっていた――これが、この金閣寺という小説を書くに至って、著者である三島由紀夫本人が青年僧に対して抱いていたイメージ重要な箇所であるだろう。そして、もはやこれは自明のことであるとは思うのが、その薄すらとした影――つまりは「美への反感、憎しみ」――とでも言うべき影は、三島由紀夫人生のものをも固く包み込んでいたのである

 三島由紀夫本名平岡公威(ひらおかきみたけ)は1925年に父、梓。母、倭文重(しずえ)の元に生を享ける。

 幼い頃は虚弱体質であった三島が、長じてからは肉体強化のトレーニングに励んでいたことは周知の事実であろう。

 三島心中いかに「美」に対する執着と、そして同時に反感とが存在していたか推して知れることである小説仮面の告白』においても語られていた通り、三島由紀夫心中には鬱々たるものがあった。そして同時に、そこには複雑な、文章によって表現することの憚られるような感情が幾つも幾つも存在していた。恐らく、彼はそのような歪な感情存在する理由を、人生において追究していたに違いないと思われる。

 でなければ誰があん小説を書こうとするであろうか?

 ともかく、三島由紀夫はその人生において複雑な美意識を持っていたし、同時に、その美意識に対する反感を抱き、自分自身感情を飼い慣らすことに苦労していた――そこには美に対する憧れと、同時に美に対する反感、そして美を中心とした地獄があった――これはおおよその三島由紀夫研究者が抱いている彼に対するイメージであろうと思う。三島由紀夫は彼の小説において、彼の人生のものを率直に表そうとしていた。彼の人生というものは、恐らくは彼の書いた小説以上にわかやすものだったのかもしれない。


 金閣寺の作中において、柏木という名の登場人物が現れる。この人物は跛足であり、つまりは歩行に困難を抱える身体障害者であった。

 そして、小説金閣寺』においては明確にこの人物が、当小説における極めて重要な部分を語る鍵となっているのである

 作中における柏木キャラクターについてはここでは敢えて詳細に語らないが、しかし彼が主人公青年僧に対して口にしていた、『金閣寺』という小説の根幹を成す極めて重要台詞について語ることにする。それは、以下のような台詞であった。

地獄の特色は、すみずみまで明晰に見えることだ。しかも暗黒の中で!」(文庫金閣寺、p.129)

 柏木というキャラクターはいわば「地獄」に関する伝道者としての役割果たしている。「地獄とは暗闇の中で一切が明晰に見えることである」。この言葉意味曖昧模糊としている。そこには、語るまでもなく明らかな矛盾がある。暗闇の中では一切が曖昧で、決して明晰になど見えはしないのだ。しかし、このような矛盾物語の後半において一挙に解消されることとなる。そう、ここにおいて柏木の語った一節は、当小説重要テーマである金閣寺の「美的側面」、ひいては、金閣寺の「地獄としての側面」に対して、判明な解答を与える重要キーワードであるのだった。


 飛んで、物語の後半。主人公青年僧は、ついにその目的を実行に移そうとしていた。

 彼の中にある美への憧れの根源――金閣寺存在のものを一挙に焼き払おうというのであるしかし、時刻は夜であった。そこは全くの暗闇であり、暗黒であった――。しかしそれでも主人公の目には、暗闇の中にある筈の金閣寺がまざまざと視認され始めるのである

 そう、正に「暗黒の中で」「すみずみまで明晰に」金閣寺が浮かび上がったのだ。

金閣寺は雨夜の闇におぼめいており、その輪郭は定かではなかった。(p.318)

が、私の美の思い出が強まるにつれ、この暗黒は恣まに幻を描くことのできる下地になった。(p.319)

ついには昼とも夜ともつかぬふしぎな時の光りの下に、金閣は徐々にはっきりと目に見えるものになった。これほど完全に細緻な姿で、金閣がその隈々まできらめいて、私の眼前に立ち現れたことはない。(同)

 そう、ここで暗闇の中で明晰に知覚できたのは、美の象徴として語られる金閣寺の姿そのものだったのである

 金閣寺はここにおいて、彼の記憶に根差した「美」の象徴として語られている。そして、同時に、かつて語られた柏木警句が浮かび上がらせるのは、金閣寺の「美」としての側面と同時に立ち上がってくる「地獄」としての側面だったのである


 小説金閣寺』は、青年僧の中に存在する「美」への屈折した感情を描き切った名作であった。そして彼はその「美」をも、「地獄」をもまた共に焼き払ったのであった。

 そこには、純粋な憧れと同時に、地獄としての大きな側面が描かれていたのである

2018-07-06

anond:20180706221416

物理的や認識において現実でいうと証拠というのは直接それと結びつく認識個人にあるだけのもの

何であっても「証拠」と説いたいであろう「直接因子の物理的結びつき」は見つからない

ビデオにとっていようがそれが全員に知られていようが文章でのこっていようが物理的な反応として存在していようが

「それをそのように認識してしまっている」という現象個人が苛まれ可能性はゼロではない

集団で全員がそれに陥る可能性もゼロではない

それを踏まえて「本人に私がしましたといわせる」ことが最重要でそれを代弁させるために

「本人はそれをすることができないので代理人しましたとみとめます」と判断をさせる

それを社会的にみとめどう扱うかとするのが裁判

まり裁判判決が下ると冤罪だろうと犯人だろうと「犯人」になる

証拠がこれだけあるんだから認めろといって認めるか

これだけありますからみなさん犯人だと思いませんか

判断させるための材料証拠なわけで

吹聴してみんなが納得するものであればそれが「証拠」でもあるし

証拠」をつきつけて観念するそれが証拠でもあるし

証拠をつきつけられても無罪を平然と答える真犯人もいる

冤罪であろうとなかろうと何度でも追及すれば追及の仕方で逆転が見込めることもあるだろうし

誰がどう見ても納得せざるをえない状況もある

完璧な状況での冤罪もないとはいいきれない

なので回数制限を設けることにもなっているし証拠証拠としてみとめるかどうかも

厳密に規定があり判断する者も「社会的にみて常識的である」という認可のある人間にさせる

精神的な疾患があるからといって裁判官ができないのは不平等ではないか、と言われるのであれば

その「証拠は?」と質問されている

絶対無二の確実な判断を下すべきそれ」を「証拠」と言えるだろうけれども

現時点で人間証拠と言えるのは「有罪判決にいたった要素」までが証拠しかない

実際に犯罪者として扱われている人間について証拠はなにかと問うてもそれは存在していて

検討され判断材料につかわれ結果「証拠」だった結果ものがあった故なので

今でている結果は冤罪であろうとなかろうとそれがだれかにしくまれものであろうとなかろうと

当人純真無垢犯罪意思がなかったとしても 行動をさせられていまもそんな事実認知できなかったとしても

その行動の責任があると証拠によって結果がでているので

証拠があり犯人だった」という結果しかない

もっと調べれば、真犯人がでてくれば、と無限陰謀論を展開すればいくらでも証拠はでてくるだろうし

それをどれほどの人間判断材料使用して無罪有罪かを再度判断したいと申し出るかはわからない

人が有罪である無罪であるか 永遠に問い続ける必要があるみたいな哲学的もの社会機能として

有用ではないためそんなことは行われないということは想像に容易いだろう


宗教なんかでもそうだが救われるのは非常に容易い また罪に溺れるのも非常にたやす

ジャッジ絶対的だということだけが厳密でさえあれば現実に罪かそうでないかは大した問題ではない

証拠というちりばめられた事象は傾向こそあれ関連するなにもかもが証拠となりえる

厳密にそれを起因として結果がでるという要素を確定させる定義もつこと自体重要なのだ

証拠があるから犯人だ という犯人犯罪者なのかということや証拠真実なのかということは

納得する人間が多ければそれはそうであるとなる

毎日祈りさえすれば救われる 信じさえすれば許される そういう定義が結果につながると定義されることで

証拠を得ることになる

それが実際他者に影響を及ぼすことができる存在というものまり証拠」たりえるかというと

当人には証拠だけれども他者にはそうなりえないこともある

これは人間限界で 絶対の真理というものにたどり着いた人がもしいるとしたら

罪とただしさと証拠についてそれぞれが自己なかにあるそのそれそのものを取り出して人に見せることができるだろう

たとえとして心臓だったりする表現などが文学的にあるけれども現実的にはそれは無理な話

anond:20180706151127

あーちゃりーと言えば、観念崩壊セミナー

内容は次第にエスカレートし、縛り蓮華座では足を紐でぎっちりと縛りつけられあまりの苦しさにのたうち回ったり、絶叫する者もあったが「逃げてどうする。地獄に堕ちてもいいのか!」と言われ「地獄に堕ちてもいいから、ほどいてくれ!」と叫び出すものなどが続出。長時間にわたる「縛り蓮華座」の結果、足部のうっ血が原因で毒素が内臓に達し、救急車病院へ担ぎ込まれ、その後もびっこをひく身体障害者となる者、両足切断寸前となる者、酸素吸入を受ける者、熱射病にかかる者、死にかける者、意識不明となる者や負傷者も続出、脱会者も多く出したという。「突っ込み」と呼ばれていたものでは、1人の信者を数人の信者がで取り囲み、罵声を浴びせ、当人の弱点や悪行を涙を流すまで責め続け、三女が「いい」というまで続けられた。

怖すぎるぞ。アーチャリ

2018-07-04

児童相談所から施設に送られてこの世の闇を見た話 ①

今となってはもう笑い話だから書こうと思う

俺の幼年期時代はよくある話だった

「両親が離婚し、母親に引き取られ、母親おかしくなり、祖母に引き取られたが祖母が急死した」

不幸の連鎖である

そうではあるが、謎の明るさを発揮していた

かくして当時中学生だった俺は引き取り手がいなくなり、児童相談所が速攻で俺のことを発見した

祖母葬式が終わり、とりあえず学校に行って下校している途中だった

二人組の男女が現れて

児童相談所から来た」「一時保護する」「車に乗ってね」

まあ端的に言うとそんなことを言ってきた

すっかりひねくれていた俺は何をしたかというと、全力疾走で逃げた

俺は一人で生きたかった。お婆ちゃんの家で一人で生きていくんだ(中学生安易な発想だけど、かわいらしいだろ?)

俺はそのまま近くの公園に行った

学校同級生シンジいたことを覚えている

ヤツとは友達の友達と言った具合で、そこまで仲がいいとも言えない関係だったが、何故かキャッチボールに誘われてキャッチボールをした

「お前のばーちゃん死んじゃったんだってな。頑張れよ」

キャッチボールをしながらシンジはそう言った

公園あと家に帰ると、パトカーが何台も家の前に止まっていた

祖母が死んだときよりも来ていた

俺は何食わぬ顔で家に入ろうとしたが、警官ゾロゾロゾロっと現れて地面に押さえつけられて取り押さえられた

そのままパトカーに乗せられ警察署に連れて行かれた

俺は警察に捕まってからずっと号泣していた

「なんでこんな目に合わなきゃならないんだよ」

それだけだった。ただ家に帰りたかっただけだった

警察署でしばらく待っていると例の児童相談所職員二人組が現れて俺を児童相談所に連れて行くことになった

こざかしい俺は涙と鼻水まみれの顔で

拒否権は?」   

的なことを言っていたが、そんなものはいらないような強制力が一時保護と言う制度には与えられているようで、本人が拒否することはできないということを説明された

俺は相変わらず泣いていたが、観念して連れて行かれることにした

もう前通っていた学校には通えないと言われたのは児童相談所についてからだった

笑えるぜ

続きは別に書きます☆(ゝω・)vキャピ

2018-07-02

anond:20180702171839

肉体強化・念力・ビーム・火炎・雷などを操る存在

いわゆるRPGキャラクタスーパーマンドラゴンボールキャラクター。

秘中・無敵・不死・無効化運命などの能力に多く、発動した時点で結果が確定するような能力を持つ存在

エターナルフォースブリザード相手死ぬ

2018-07-01

anond:20180630202501

レズから仕方ないだろ

いやレズカップルなら片っぽはボーイッシュっていうの偏見だけどな

ゆうきまさみ観念は変えられないから仕方ないな

2018-06-30

https://anond.hatelabo.jp/20180630181900

第一に、売春をしている女性人格を害することが多い。恋人以外の男性セックスすると病むというのは風俗嬢体験談(本のインタビューTwitter書き込み、ホスラブ書き込み等々)から明らか。

第二に、女性性をカネで買うということが、買い手の男性女性商品と見なす誤った観念を植え付け、人格を害するというのが一つ。これはもう検証のしようがないが、風俗に長年ドハマりしている男性なんかを見ていれば明らかだろう。

第三に、匿名性を重んじる職種である性質上、店側と風俗嬢との間で交わされる契約あいまいで、風俗嬢が店側に不当に搾取されてしまうことが多い。これについては管理売春制度によってクリアできるかもしれない。

2018-06-28

anond:20180628154855

増田にいいことを教えてやろう。

世の中の「普通の人」「変じゃない人」は自信を持って自分人格を善良だと思っている。

根拠はない。適当意味づけして完璧自分が善人だと信じ込んでる。

「飼い犬可愛がってるし」とか「友達いるし」とか「子供笑顔見ただけで疲れが吹き飛ぶような愛情深い心あるし」とかなんでも根拠にしてる。

普段の行動や言動善悪観念とをいちいち照らし合わせたりなんかしてない。

部下を自殺させようが、駅員や店員喧嘩売ろうが、私立小学校の子供にアクシデントを装って蹴り入れようが「俺は良い人」だと当然に自己評価してる。

世間大人なんてそんなもん。

それで悪人だと責められることはないし、むしろ善悪にいちいち悩んでるお前こそ反社会的だとして非難されるくらいの風潮がある。

お前も早く大人になれ。

正規雇用で妻子がいて他人からバカにされにくいオーラさえ持ち合わせていれば犯罪以外の全てが許されるし、問答無用で良い人として通る、それが世の中だ。

2018-06-27

anond:20180627140901

キミの頭の中に浮かんだ「観念」を言葉に変換して、他人説明しても、他人理解されるとは限らない。

試しに3行で要約してみて?(無理?)

株式会社はてな自分達のサービスの汚い部分に一切目を瞑ってるように見えるのが気持ち悪い

とうとう殺人事件まで起きちゃったし、未だに触れないのも運営企業としておかしいと思うんだけど。触れ辛いのは同業者からよくわかるけどさ…。(ユーザー同士のいざこざまで責任持てんよね、と思うのは同意)。でも放置し続けた結果人が死んじゃったしなあ。俺だったら観念してコメント出してしまいそうだ。セミナーは中止したみたいだけど、それも言ってみれば逃げただけだしなあ。

別に今回のことがあったからじゃなくて、日頃から問題スルーするはてなの態度には違和感を感じていた。スタッフブログはどうでもいい技術のこととか、当たり障りのない事しか書かないし、新着情報メンテとかのお知らせばかり。ユーザーが不満やヘイトを溜めていることについて、どう思っているのか全然見えて来ない。

創業者開発者はもう会社にいないみたいだし、今いる社員仕事して給料もらえればそれで良くて、どういうサービスにしたいとかそんなのがなくて、ユーザーなんてどうでもいいのかもしれないが、明らかな有事の時ですら何を考えているのか全然からないというのはなかなかに不気味だ。ネットの向こうには感情を持った人間がいると言うが、サイト運営してるのも人間のはずなのに。

2018-06-26

anond:20180626203643

命令じゃないだろ。なんでそこを取り違えるのか。

「こうしたらどう?」っていうサジェスチョンだよ。Amazonプライムビデオでやってるスティンキーとダーティっていうアニメを見てみろ。

あそこにはそんなマウントなんて観念のない優しい世界が広がってるぞ。オススメ

(上から目線スマソ!)

2018-06-22

anond:20180620193354

言いたいことはわかります

しかし、学が足りないのか言いたいことに対して知能が追いついていないので批判ではなくただの暴言から進化していません。小学生喧嘩で負けそうになると暴れたり「うんこー!うんこー!」と奇声をあげる感じですね。

大多数の方が誤解をしているからと追記で簡潔な結論書いてる時点で端から人に読ませようとせず世直し批判する自分に酔っているだけの小物ということになります

善悪しか物事を捉えられないからか頭脳が幼少期に観ていたであろう昭和特撮観念から成長してないように思えました。

最近の方は野原ひろしの「敵もまた違う正義」のような方向を変えた考え方もいるのでもう少しフィルターを緩くして物事を考えてみてもいいと思います

貴方人類平等偽善世界平和に繋がると思っている平和ボケした頭の持ち主なので日本人より日本人らしい考え方持ってると思いました。

これまで通り貴方の熱いジャパニーズ魂を持った日本人らしい日本を誇りに思った生き方を貫いてほしいです。

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