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2021-05-05

弱者男性差別議論に先はない

弱者男性差別そもそも弱者男性」が「被害を受けた」という主観的な主張をベースにしている以上、どれだけ議論してもまともな対策に繋がり得ないし、「みんな相手気持ちを考えて発言しましょう」以上の道徳的結論しかたどり着かない。

なぜか

例えば女性差別黒人差別などの伝統的に議論されている差別を考えてみよう

女性黒人などの属性は誰がみてもわかるし、その属性は不変である

この本人の努力ではどうしようもない属性に対して、社会集団構造的に差別を行っているのであれば、それを制度として是正していくべきだ、というように議論が発展していく

一方「弱者男性」というのは、その名称からもわかるように相対的な「弱者」という属性がついている

この強者弱者という関係性において、当然弱者には不当な扱いを受けているという観念が内在している

極論を言えば「おれは差別されているか弱者男性だ」というところにしか行き着かない

そして弱者男性自称している以上、どんな処方箋提示されたとしても

それで救われたと言ってしまえばその時点で「弱者男性」というアイデンティを失ってしま

から議論に先はない

2021-04-30

「樹齢」という、生物学的に間違った概念は捨てるべき

樹木細胞単位で考えると「生きている」のは表面だけであって、「木材」になるあの硬い部分というのは実は「死んだ細胞」という事実は、生物専攻の大学生でもなければあまりよく理解されていないと思う。

まり樹齢1000年の巨木というのは実際1000年も生きているのではなく、大体1年のサイクルで表皮が死んでその上に新しい細胞が積み重なってるわけで、喩えると「前世代の死体の上で生活」を繰り返した

結果、巨大な生活コロニーが出現しそれが1000年も存続しているというのが科学的に正しい。サンゴサンゴ虫というであって植物ではないが珊瑚礁も死んだ部分が石灰岩になるだけの話で「前世代の死体

上で生活」という部分は大体同じである

そう考えると「樹齢」は観念的には「年齢」に対応するのではなく、「市政100周年」とか「江戸幕府250年」とかのシステム的な寿命に相当するのが相応しい。あまり同意する人が周囲にいないのが少し寂しい。

2021-04-24

anond:20190915235504

お金持ちになりたいと思いながらも、よくそんな経済観念が壊れてるのと結婚できたなぁ。

金銭管理文句を言ってこないならまだしも、逆ギレとは。

会社辞めて収入あんたメインになってるなら、家事分担を多めにさせてバランスとりたいところ。

書いてあることだけ読むと、もはや3人目の子供だね。

あと「旦那ゲーム代くらい気にならないくらい稼げば良いことはわかっています。」この考えはおかしい。ゲーム代に使いたいなら、その分旦那自分で「従来より多く」稼ぐべき。

2021-04-17

anond:20210417161442

産業従事する人のうちどれだけが税金払ってないのか知らないけど、税金ちゃんと払ってる人も確実にいるだろうしその人も給付金を受け取れないのは明らかに不公平

理解してて論点ずらしてるのか、単に理解してないのか分からないけれど、問題は国が特定職業を「道徳観念に~」とか偏見にまみれたお気持ちに基づいて差別してること。性風俗従事する人の間で脱税が横行してるとしてもそれはそれで別で議論されるべき。

"性風俗業は性を売り物とする本質的に不健全営業社会一般道徳観念に反する"

https://news.yahoo.co.jp/articles/b731aa551aae00f39a0cd953ee9e3e53d33b59ce

国がこれ言う?国がこんな職業差別を堂々とすることに驚愕した。

女性専用車両差別からなくせ」「性欲がある限り痴漢はなくならない」これを同時に言う人が大量にいる国で、女性安全生活できるのは性風俗業で働く人たちのおかげだと思ってる。彼女たちだって風俗で働きたいわけじゃないだろうに。道徳観念に反すると思うなら法律禁止したらいいのに。そうなったら私がその辺でレイプされるかもしれないけど、仕方ない。いきなりレイプされるのは理不尽だけど、自分違法レイプされる代わりにどこかの女性合法的レイプされて、その女性道徳的に良くないかのように思われる状況に比べたらまだフェアだと思える。ていうか、性欲コントロールする薬でも売り出せばいいのに。

このロジックなら慰安婦利用してた軍人も『不健全社会一般道徳観念に反する』んじゃないの。買う人がいるから売る人がいる。隣国にムカついてたけど、国がこう思ってるんなら『自分とこの軍人が性欲コントロールできない道徳観念に反するカスだったせいで、慰安婦なんて職業がなりたってしまいました。ごめんなさい』って謝罪したらいい

https://president.jp/articles/-/37750?page=3

戦後、数百人の命を救うためにソ連レイプされた女性たちがいた。ほぼ強制的人身御供にされたにも関わらず差別されたと知って胸が痛んだけど、この当時から何も変わってない。気持ち悪い

親に冷たくしてしま

なにか攻撃的なことをするわけではないけど、話しかけられても必要最低限の棒読みみたいな返事で全て返してしまう。

素直に言って俺の親ってクソなので、距離を取らないと必ず自分が嫌な気分になる。

そういう過去経験から防衛反応で今の態度をとってるけど、いい人な自分にはちょっとつらい。

相続とかあるから親と絶縁はしたくないけど、クソ親だから近づきたくもない。

でもまっとうな人間として老親には優しくすべしという道徳観念みたいなものも大きくある。

なんかゾワゾワする。

2021-04-10

お世辞が苦手

お世辞をうまく処理できない。

とりあえず「ありがとうございます」とか「そんなんじゃないですよ~(笑)」とか言うと、それが偽りだとわかっているのに『自分はこういうことができてしまうのではないか?』みたいな観念が植え付けられて、調子に乗りやすい私は必ずミスを犯し、酷い失敗をする羽目になる。

自分にはそんなことはできない、とはっきりと認識しているから、ギリギリライン社会生活を営んでいるのに、お世辞を単なるコミュニケーション潤滑油程度に考えているコミュニケーション強者の人々は、無根拠褒め言葉を撒き散らす。

私は他人から評価を滅多に貰えないコミュニケーション弱者であるため、他人評価をまともに受け取れるプロトコル脳内で構築できていないのに、コミュニケーションスキルに長けた人たちは軽々しく無邪気な善意でも以てしてそんな発言をする。

私にはそんな能力が欠片もないのに、彼らがコミュニケーションする周囲の環境においては当然に有しているという勝手社会観念を持って無能な私にスキルがあるとでも押し付けようとする。

うまくお世辞を処理することが出来ない以上、私が選択することになったのは「私を肯定する意見のうち根拠がないものを全て否定する」ことだった。

中身のない勝手思い込みか、根拠薄弱で突飛すぎる提案は全て無価値で、私にとってはむしろ害悪だった。

から、褒められた時私は絶対に真っ向から否定するか、無視する。

中身のない肯定はこの世で最も有害コミュニケーションだと、勝手に思っている。

人によってはこれを愛という。

2021-04-07

anond:20210407104037

思いつきだからそこまで深く考えてなかったんやけど、外国とかの映画見るとしょっちゅう何らかの決断下すときに紙様やら聖書やら引っ張ってきてるから

そういうところがないのは日本人くらいかな、って。

良心の背景というか、核になりそうな観念がないんじゃないのと思ったんやで。

anond:20210407015220

人間は一緒にいればだいたい仲良くなるものである」という自然な前提が抜けてるかなと思う。

実際そうじゃなければ見合い婚活なんて成立してない。

婚活が成立するのは「行き遅れは恥」といった観念文化として生き残っているせいであったり、「一人は寂しい」といった個人心理的要素が強いんじゃないのか?

婚活ってのは「結婚後に仲良くやっていけるかどうかを吟味する場」だから結婚まで行くからには「一緒にいたから仲良くなった」ではなくて「仲が良かったから一緒にいられた」のでは?

見合いにしたって「見合いをする時には結婚がほぼ決まっている」なんて時代ではないし婚活と同じように見合いの後、交際期間を経て結婚にこぎつけるのが一般的だろう。

そもそも人間は一緒にいればだいたい仲良くなるものである」が「自然な前提」ってのがよく分からんな。

2021-04-06

anond:20210406154303

いいたいことはわかるけどそれは無宗教とかではなくて「無信仰信仰方法自由(とりとめのない・まとまりのない・定型でない)にしてるということではないでしょうか

信仰宗教は違うのかというとそれはもう文字意味も違うので違うのだと思います

どの神様に、と選べる時点で無宗教宗教宗派に属していないといえると感じるのは、選択できる範囲や競合をできる組織体内にあるということでもないし完全に別団体に属したものを選べることを自由(無節操さ)だといえるところからです

宗教に属す宗派に属すということが「その教義の行動規範に則る」べきであるというところからになるでしょう

宗教は人の考えや行動を縛り自由を奪うものなのかといわれたら、言い方次第ではそうだといえるでしょう


自由という範疇についてすこし絞っておくと

自由を奪うことは罪であり悪であり宗教道徳といった観念から排除されるべきものととらえるのは早計でしょう

選択肢として明示し行動として示したものを許諾の例として言葉にしなければ実質制限されていることも自由範疇におさめることができます

どんな宗教悪事自由ではなく制限され道徳権利自由からそれらを排除にむかわせるべきだとしていますが時に悪事とされる善行にあたることもあるでしょう

自己犠牲として自発的に損失を被ることについて、自己犠牲になりたいと思った本人の行動がどこからが本人の意思決定であったか、その根源たるを他の人の意思であるというところまでつきつめると洗脳による自害自損ともいえるでしょう

それがどこまで近い段階であっても言葉にしなければ「美しい自己犠牲」とも言えるわけです

自由で公平で自発的なのか、恣意的他人欲求だったのか、視野自由にできるのならどれも自己責任でありますし、どれも他人所為でもあります

この定義方法を、議論考察研究文化形成生活安全性自発性に任せる部分を安全かつ効率的に使うためには関係者認識共通させる必要があります

その基準定義宗教なわけです

Aの宗教ではこれをしていいが、この場面ではBの協議にしたがう、Cの教徒とおなじ慣習をもちつつ、Dの祝い事に参加する、これが問題なのは主催者の意に沿わない参加者が発生するということです

その土地では年齢や性別に大きく関係する分類や層づくりがあって行動様式がある、それは土地の形状や生産物文化継承方法について試行錯誤の結果できたものだとして、それをどの視野範囲からかわからないけれども否定をする必要性や異なる文化への融合を促進する必要性など、人の欲求という根源以外にないわけです

これをもとに行動を個人が大きく他人を巻き込むと、独占的な判断継承されるべき文化や人々の生活などがその人の基準のみで変化しま

民主主義多数決といった構造で全体的な存続と発展の利をとるために組織されている一つの目標団体が、多目的に他情報積極的に取り込み侵食する必要はないのです

日本は結果として無宗教という無制限で垣根のない侵食を行える体制がありますが、これが陸続きの土地ならば過去大陸を大幅に占領した戦争などに近いことになるのではないかと思います日本島国日本以外にその文化も習慣もひろまることがありませんでした

この自由という行動者にとってだけ都合がよくて状況を受ける側の圧倒的不利さをせき止める防壁として戒律などがあります

培ってきた文化財産、知恵や技が家族一族を存続させるために必要であるのに、ただ血脈のなかでも一人秀でた人がいたので対応できる新技術に乗り換えたとしたら、次の世代一族はそれを継承できるのか、できなかった場合についての対策をしなくてはならないのではないか、その保守性などが宗教という組織体自由制限自由を得るための礎となるわけです

自由自由みたいなことになってしま言葉の使い方が混乱を招くわけですが、選択権を握るためには選択できる手段をもっていなくては「自由選択することすらままならなくなる」のです

両手にあまる自由をふんだんに持ち選んだりえらばなかったりすることができる、という状態自由ともいえますが過剰な供給で十分に生活ができなくなり結果として選択ができなくなる状態においこまれることを自由とまた同じ言葉で表すのは、理解をもとめるためには効率的でもないし意味のないことでしょう

自由という状態を過剰に与えるということは選択しないという自由を与えることにもなってしまう、つまり自由侵害するために自由供給されているともみれます

選択肢を狭くすることで状況を予測やすくする、想定した状況にあわせて対策を行い対処し乗り切る、その中にある判断や行動の種類の多さについて自由という言葉を使うべきなのではないでしょうか


さてお話を戻して宗教というのが行動を縛るということ、それは状況の発生予測を絞ることで行動の選択をしやす解決をしやすい方向へ導くためのルール規則単位である宗教のあるべきところだろうと私は考えます

宗教というならば、複数の神の名の下つまりコードネームのようなもの定義にある行動規範にのっとり判断し行動するという手段複数あるということになるかもしれません

それが戒律を越えなければ可能かもしれませんが、健康文化による財産生産を失う可能性があるものだとすれば到底受け入れられるものではないはずです

日本調理方法さえまちがっていなければ牛でも豚でも鶏でも食べれます これは宗教によるものということでもありますがこれは宗教による教育と統率が必要いからです

気温が50度を超える環境冷蔵庫家屋に扉が密閉できる状態でなく、電気も家庭に全てあるわけではなく、調理方法も保管方法も十分に洗浄された水が供給されていない状態無宗教日本とおなじ文化必要とする人権を唱えたところで、人権を守るためにはその土地戒律をまもったほうがより安全ではあるということがあります

これ豆知識としてこの土地では、という情報が何年間、どの範囲でどこまで残るものでしょうか

それを残すための独立組織宗教団体です

お布施などで共同運営しだれのところに優遇されることな中立でいて安全のためだけに情報継承する立場聖人という代替概念でその尊厳意味づけて形作っているのが宗教です

これを複数またいでいいとこどりをするのが、経済力などで圧倒的に安全性保障を引き受けられる個人団体、または暴力などで制圧した強制力でなければできないでしょう

その場ごとにルールがかわるのであれば、みな知恵などなくその場で判断した欲求をそれぞれに解消していけばよいだけです


日本無宗教なのはほとんどの生活行動範囲安全なため危険回避するための教えが伝承される必要がなくなっているところです

交通安全山登り川遊びで人は死にます これを避けるために必要な教えがあるはずですがこれらの発生原因をほとんど人に置き換えられるのが現状です

まり神様によって救われたり悪魔によって害をなされたりするわけではないので概念ではなく「責任者賠償要求する」という解決方法が人のあつまりにおけるルールになっているのです

責任者不在の害を受けるところには近づかないという行動規範定義づける必要がないため宗教に縛られることがなくなるのです

個人や団体において弱みや充分に練度の高まっていない部分にほかの人が了承を得ながら近づいてきて根こそぎもっていかれる、なんて詐欺犯罪から身を守るための小規模な団体の積み重ねや知恵も裁判で公平に、などと考えているかもしれません

それぞれの個人責任において自由という自分からみて選択肢が複数あること、それが他人からみて自分を奪い取る対象にしている人からもおなじ数があることが公平、といった形でそれらの安全担保しているのが政府国家がいざとなれば自分という個人をまもってくれる、その象徴日本人にさえうまれれば日本人の象徴として存在している天皇自分日本人だとして人権自由国家を通じてまもってもらえるはずだ、と言葉にはしていませんが実質その構造をもっているのが日本人の宗教といえば宗教ではあるでしょう

その宗教に属しているからこそほかの宗教に属さないということはあるかもしれません



男性女性は、と議論をするときにまず男性女性議論であればその人数から層や傾向を定義してその話をするべきでしょう

宗教宗派戒律ルールもそうです

男性100人いればそのうち5人が、女性ならば8人が、という割合や、具体的に割合から引き出された数字で話すときは「でもそうでない人がいるでしょう」とはならないはずなのです

「それ、あなた感想ですよね」ってそれは人が人の口から言っているのでその人の責任における言動あきらかでしょう

その進めたい方向と目的にあわせて議論をすすめていくところに、ルールことな干渉があるとどうなるでしょうか

いまは「そういう例の人」という100人以外でかつ数例、1例ごとに全然ちがう数例をもちだして100人構成比較議論する基準が「人であるから」というのではお話になりません

「それあなた意見ですよね」というのは誰の意見ならば、どの意見ならば、意見とは何人がどこから出せば「その人の意見」ではなくなり、その発信者責任を持つ言動以上に求められる言葉はなんの必要があるのでしょうか

裁判官が有罪と口にしたら「それあなた意見ですよね」と言うのでしょうか そうではないとしたらどの口で言うべきなのでしょうか

裁判官は裁判所のルールにしたがって、国家ルールに従って定義されたその役職で行動をしているわけでその人が構成であるということがそれらの代弁代行に意味なすことができるわけです

一人が自己責任権利において他の人に干渉するのであればそれこそ借り物の権利でほかの人の守られるべきと大きな組織定義している範囲侵害されるべきではないでしょう

これらルールにのっとり、ルール適用範囲ではルールに従った行動をし責任を果たし権利を得るという環境づくりが宗教というくくりであったり団体定義方法なのです


日本では、海外では、といったところで海外でしていることが日本でしていいのか、といった境界安全繁栄目的のために定義する最大が国家であり、そこから法的には自治体単位で、人のより能動的な生産や貢献活動の促進のために定義していない範囲だけれども、できるだけ広い範囲で知見を共有し無駄闘争議論を省き、豊かさへ行動するのに安心できるよう定義するのが宗教で、そこから地方ルールや家ルール個人ごとの約束などがあるわけです。

まり神様を何体コレクションするかということが宗教に属するということではなく、宗教ごとの福音をいくつ得たいかということが宗教に属すということではなく、自分宗教に属することで行動範囲限定利益を最大化するということ、これについて多くの人が専属的に属しているか、もしくはしていないかということにおいて、無宗教という属さない人が比較的多くいるということです

自由時間抑制しより賃金収入を拡大し効率化するためにサラリーマンになったり、収入を最低限にして自由時間を多く得るためにフリーターとなる、それらを選べる自由という選択肢の幅が宗教自由といったところでしょうか

会社につとめながら、フリーター自由さを味わい、フリーター責任の小ささを同じ労働をしている人間なのだからと訴えるのは、その組織に属している他の人が迷惑するということなのでそれを避けるためのルール戒律罰則があるわけです

複数の神を信仰する自由は、個人可能範囲自由謳歌してもらって問題ないのですが、異なるルールをほかの定義からもってくるのを禁止し、その傾向をできるだけ排除することで安定性と安心感、長期にわたる組織体の維持にあてているわけです

いかがだったでしょうか?

日本人が無宗教という表現に、いくつかばかり参考や選択肢の候補になりましたでしょうか?

2021-04-04

痩せ型女としての24年間 - 子ども時代から続く葛藤から今、思うこと

敢えてハッキリ言うと、私は痩せている。

容姿風貌に関しては客観的指標を出すことが難しいと思われるが、体型はある程度数値で示すことができる。

24女性現在の体型は

身長157.5cm

体重37.1kg

BMI数値14.96

参考までに

身長157.5cmの標準体重(日本肥満学会では、BMIが22を適正体重(標準体重)とし、統計的に最も病気になりにくい体重とされている)は54.57kg

日本肥満学会での判定基準においては、BMI18.5未満を低体重(痩せ型)としている。

以上を踏まえると、私の体型が標準体重からも、低体重とみなされるBMI18.5からも逸脱していることがわかる。

私は摂食障害を患っていないし、ダイエット特にしていない。

しかし、あまり認めたくはないが他の人よりも食べる量が少ないのは事実だ。

酷い時は36キロ台まで体重が減る時もあり、そうなると正直、普通に生活してても息が上がり苦しくなる。

幸い、月経は毎月きちんと続いている。


私は元々から痩せ型だった。生まれた直後は3000g近くある、健康的な赤ちゃんだったが、

幼稚園時代から今日に至るまで、ずっと細い細いと言われ続けてきた。

幼少の頃はとにかく偏食で、少食だった。

給食で出されたものほとんど食べられず、当時は食事を残すことや人に譲ることは禁じられていたため、幼稚園時代小学生時代の私に昼休みなどなかった。

皆が昼休みを終え、教室掃除を始めても、隅っこでずっと給食と向き合っていた。無理なものは無理だ。そこで、見かねた教師給食室の残飯入れまで私を連れて行く…というのが日常だった。

辛かった。

どうしても無理なのに、ワガママでやってるわけじゃないのに、悪いことをしているとみなされ、同級生から怪訝な目で見られ、無理やり食べられないもの、食べきれない量のものを食べさせられることが、苦しかった。

中学校弁当制だったため、強制的に食べ切るまで残されることはなかったし、母親が私が食べられるもの、量を毎朝作ってお弁当に入れてくれたため、昼休みをようやく手にすることができた。

食べられないものを無理に食べさせられるプレッシャーから解放、他の人と同じように食事をとり、昼休み満喫できたことがとても嬉しかったのを憶えている。

ところで、私は元・優等生だった。敢えて元とつけたのは、中学校2年生の終わり頃から優等生を辞めてしまたからだ。

小学生時代、私は教師の言うことに歯向かったことはないし、何か悪さをして立たされたことなどないし、他の人がやりたがらない学級委員長などの仕事も率先してやっていたし、行事にもきちんと取り組み、宿題をきちんと提出するのは当たり前、テストは毎回100点を取らないと気が済まなかった。

真面目でいなければならない、ルールは守らないといけないと、今の私とは比べ物にならないくらい、厳しく自分自分を律していた。

それなのに。

これだけ優等生として振る舞い、教師や周りからも真面目な子だと評判だったのに、こと給食に関しては学校の誰も、私の叫びを聞いてくれなかった。

私はワガママを言うような子じゃなかったのに。

日々の生活でこうあるべきだ、こうしなきゃと考え、模範的であろうと努めていた私であっても、どうやら食事に関しては全く別の話のように扱われた。

今思うと…たとえ誠実であろうと、真摯であろうと振る舞っていても、それで周りからもてはやされていても、結局学校の誰も私の苦しみに耳を傾けてくれなかったじゃないか

「あの真面目な子があんだけ給食に関しては難儀しているということは、何か問題があるんだろうな」という発想は浮かばなかったのだろうか?

もっと言うと、いい子ちゃんでいても誰も私のこと信じてくれないんじゃ意味ないじゃないか

…と憤る気持ちでいっぱいである。

小学生の頃はそこまで考えが至らず、

自分が悪いんだ。と自身を責めるだけだったが、

今の私は…無理なものは無理なんだよ!仕方がないだろう!と開き直るし、当時の私にもそう言ってあげたい。

ここでひとつ私の大好きなTHE HIGH-LOWSの曲を紹介する。

ゲロ」(アルバムロブスター」収録)

苛立つ私の気持ちを爽やかに代弁してくれている曲だ。中学生時代に初めて聴いた時、「ホントになぁ…」と深く共感したものだ。

さて。

幼稚園小学生時代までの恨みつらみが長くなってしまったが…

中学校に入ってからは、私の偏食は少しずつ解消され、食べられる量も増えてきた。

朝ごはんは食べられてもご飯一杯だけだったが、その分昼と夜に(自分としては)たくさん食べていた。

昼は母が作るお弁当、夜は母の手料理を食べていた。

間食もしていたし、高校時代に至っては放課後、街へ遊びに行きマクドナルドサイゼリヤ、時には一蘭替え玉までしてガッツリと食べ、その後遅めに帰宅し母の作った夕食を食べる…

今の私だと確実に翌日までダメージを喰らいそうな食べっぷりだったが、胃を壊すこともなく元気に過ごしていた。

それでも痩せ型なのは変わらなかった。

身長は今と同じ、体重はおよそ42キロ弱だった。

現在よりはまだマシな気がするが、それでも低体重なことには変わりない。

周りからは「細いから何してても面白い」とからかわれ、

当時好きだった人からは「細すぎ、もう少し肉をつけた方が魅力的だよ」と言われてしまった。

その言葉がズーンと響き、ダイエットならぬデブエットを始めたこともある。

当時は「糖質制限ダイエット」なるもの流行る前、ろくな知識もない私は「タンパク質体重を増やしてくれるだろう」と何故かそう思い至り、いつもの食事とともに ご飯納豆と溶き卵をかけ、それを二杯食べる…という行動をとった。

結局それは長く続かず、体型も変わらなかった。

当時何より悲しかったのが、内科かかりつけ医が私の体型、体重を見かねて

「親御さんはきちんとご飯を食べさせてくれていますか?」と訊いてきたこと、

時々周りの人たちが母に向かって「○○ちゃん(私)にもっとちゃんご飯食べさせてやらんといかんよ」と言ってきたことだった。

冗談混じりで「○○が痩せているから私が文句言われる〜」と度々母から言われたことがあったが、正直本当に申し訳なく思った。

母はちゃんガッツリご飯を作ってくれるし、私の体のことも理解してくれているのに。

これは私の問題なのに、私が未成年ということもあってどうしても親に矛先がいってしまう。

今はもう、私もいい大人なので「自己責任」としてみなされるため、ある意味気楽なもんである

大人になっても、社会人になっても痩せ型なのは変わらないどころか余計に酷くなっていた。

冒頭で述べた通り今の私は体重が37キロしかない。最後に40キロを超えてたのはいつだっただろうか?

家族からは「そんなに体重が落ちるのはいくらなんでもおかしい、病院に行きなさい」と心配されてしまっているので、近々健康診断も控えているし…一度病院にかかり、相談してみようかと思う。

しかし、痩せ型の人に対しては医師も冷淡なものだ。

前の健康診断では体重を見た医師から「元々そういう体型ですか?」と問われ、「そうですね」と答えると、「それなら問題ないでしょう。我々は太り過ぎによる生活習慣病を問題視してますから」と言われ、それで終了である

しか生活習慣病のリスクはそんなにないかもしれないが、低体重による他の病気リスクはあるのに。

現に今、あまり体調が万全ではなく、冒頭でも触れたように息が上がり、変な動悸があり、仕事終わりには疲れ切って何もできないほど体力が落ちている。

この文章は今朝、起き抜けに勢いで書いたものだ。

私は何故いきなり4000字以上に及ぶこんな長文を書いたのか。

はっきりとした動機はないし、誰かに何かを強く伝えたいわけでもない。

ただのぼやきというか、私の個人的な振り返りに過ぎないところはある。自分語り的な側面が強い。

しかし、太っている人には

「太ってますね」「デブ」と面と向かって言ってはいけないという世間一般道徳観念があるにもかかわらず、

痩せている人に対してはその観念が欠如している人があまりにも多いことへの疑問・不満、

好きでこの体型になったわけではないのに「過度なダイエットはよくないよ」「多少肉あったほうが男ウケいいよ」というクソバイスを浴びせられたことに対しての憤り、

そして…世の中には「痩せ型」であることに悩み、体重を増やしたいと本気で思い、あれこれ考え行動している人がいるということ、その証言

このような感情で書き連ねたといったところかと思う。

世の中にはダイエット情報商品摂食障害にまつわるあらゆる研究考察が流布されているが、

元々低体重の人への言及はあまりにも少ないと感じている。

もちろんTwitter検索したら私と同じように体重を増やしたいと悩んでいる人は何名も見受けられたが、あくま当事者だけだ。

そうでない、外野の人からの真面目な考察は見当たらない。

正直なところ、「大した問題じゃない」とみなされていることを嫌でも実感させられる。

私は昔に比べて自分の体型が嫌だと思うことはなくなり、周りから色々と言われても「自分自分」と、割り切ることができるようになった。

自分のことを認めてあげられるようになった。

上記で書き連ねた言葉以外にも、実はもっと心を抉られるような発言をされたことがあるが、敢えてここには書かないしそれで自分自身が揺らぐことはない。

ただ、その人のことを一生赦さないというだけだ。

しかし、やはり体重が体温並みになってくるとさすがに日常生活に支障がでてくる。

現在、平日フルタイム仕事をしているが、こんな状態ちゃんとやっていけるのか?と不安気持ちは拭えない。

健康になりたい、と願う気持ちは強い。

自分の体質だとMAXでも42キロが精一杯といったところだが、それでも今よりはずっとマシである

とりあえず日々の生活習慣改善から進めていこう!と改めて決意し、この雑文を終えることにする。

2021-03-24

anond:20210324021704

書いている中では、家族いまいち癒しになっていないのが一番大変だなあと思う。

 

個人事業主なら、どうにかして休日家族と出かけれるよう、仕事環境を整えるのがいいんじゃないか。

家族に喜んでもらって自分も嬉しい、そういう達成感は持っておいたほうがいいのでは。

増田はどうかわからんけど、そんなにも即対応できないと食べれなくなるとか、そこまでじゃないのに脅迫観念でやってる事業主の話たまに聞くし。

さっきのエントリで消したやつ

(*)

長くなったから別個に置いたよ。

相手がどう思おうとこれからどんな風潮になろうと、自分差別されず責められなければいい論旨だった。

(ていうか自分生理的に無理なことで相手が悲しむとか苦しむじゃなく自分が責められるってなんなん あまつさえ責められたくないってなんなん あなた気持ちと同じ「生理的に無理」を向けられることを可能性さえ考えてないおこがましさなんなん その非平等さや相手への鈍感さと自分差別非難を受けたくないしそう主張していいっていう自己肥大自分への繊細さとのあまりに大きすぎる不釣り合いってなんなん。なんなん…)

(逆だとどうなる? たとえば、憧れる人がいるけどその憧れが忌避され否定される集団があって、そのなかで暮らしてくなかでその憧れが認められる風潮になってくる、だけど、とある一人からあなたたちの感性は私の感性とどうしても別のものだし受け入れられない。受け入れるのは一生無理かもしれない。あなたたちを差別しない今の風潮はおめでたいし素晴らしいと思ってはいるんだけど。こういうこと言うと差別って言われるよね。受け入れる努力ゆっくりだけど怠らずにやっていきたいと思ってる、だから差別だって責めないでほしい。お願いだから、準備できるまで無理強いしないで。あなたたちが差別しないでというならこちらの嫌悪も認めてほしい。こういう人もいるんだよ。生理的にずっと拒否してしまうかもしれないけど、それをどうか認めてもらえないかな」とか?)

(私だったらしらける 誰に向かって話しているんだ)

(同性同士の肌の触れ合い勝手想像しといてこっちの気持ち想像しとらんってことか? いやそう決まったわけでないけど)

(でも絶対私も私の気にしてないところでこういう思考やってる)

(だいたいあなたがどういう経緯でアレルギーをこじらせたのか知らないから…眉をひそめたのだろうそ相手だけに向けて書いたのなら、さっき書き連ねたほどにはひどいふうに書いてなかったんだとは思う。読む人にとっては確実差別だなとは思ったけど。正直、対話うまいこといかずに安易非難だけされたらまあ、責められる側でしか考えないかなとも思う。わかんないけどね)

(しかしなぜ「生理的に無理」なほど同性愛が無理なのか理解しかねる。異性愛めっちゃいか、なんとなく同性のいちゃつく場面を想像してしま視覚イメージ優位の人か。あと同性愛が無理なのはともかく同性愛『者』はどうなんだ? 同性愛という観念のみ無理となると、それ差別じゃなく偏見の域になるのでは)

(個人的には、同性でいちゃつく人とか思わずにいいと思うんだけど…ちょっと趣味が変わった人とか捉えていいと思ってる、もちろんその相手に初手ストレートでは言えないけど。だけどこういうこと思えるのも周りにLGBTな人ほぼいないのと自分がそれほどゴリゴリ異性愛者じゃないからなんだろうか。不思議じゃない? 男が女に/女が男に恋するって不文律が、自由意思を持つ人間における違う個体の大多数で自然と守られていくの。男と女キスシーンは特に問題なく見られるの。不思議じゃないのか…?)

2021-03-22

あは

さて、殺人事件から十日程たったある日、私は明智小五郎の宿を訪ねた。その十日の間に、明智と私とが、この事件に関して、何を為し、何を考えそして何を結論たか。読者は、それらを、この日、彼と私との間に取交された会話によって、十分察することが出来るであろう。

 それまで、明智とはカフェで顔を合していたばかりで、宿を訪ねるのは、その時が始めてだったけれど、予かねて所を聞いていたので、探すのに骨は折れなかった。私は、それらしい煙草屋の店先に立って、お上さんに、明智いるかどうかを尋ねた。

「エエ、いらっしゃいます。一寸御待ち下さい、今お呼びしまから

 彼女はそういって、店先から見えている階段上り口まで行って、大声に明智を呼んだ。彼はこの家の二階を間借りしているのだ。すると、

「オー」

 と変な返事をして、明智はミシミシと階段下りて来たが、私を発見すると、驚いた顔をして「ヤー、御上りなさい」といった。私は彼の後に従って二階へ上った。ところが、何気なく、彼の部屋へ一歩足を踏み込んだ時、私はアッと魂消たまげてしまった。部屋の様子が余りにも異様だったからだ。明智が変り者だということを知らぬではなかったけれど、これは又変り過ぎていた。

 何のことはない、四畳半の座敷が書物で埋まっているのだ。真中の所に少し畳が見える丈けで、あとは本の山だ、四方の壁や襖に沿って、下の方は殆ほとんど部屋一杯に、上の方程幅が狭くなって、天井の近くまで、四方から書物の土手が迫っているのだ。外の道具などは何もない。一体彼はこの部屋でどうして寝るのだろうと疑われる程だ。第一、主客二人の坐る所もない、うっかり身動きし様ものなら、忽たちまち本の土手くずれで、圧おしつぶされて了うかも知れない。

「どうも狭くっていけませんが、それに、座蒲団ざぶとんがないのです。済みませんが、柔か相な本の上へでも坐って下さい」

 私は書物の山に分け入って、やっと坐る場所を見つけたが、あまりのことに、暫く、ぼんやりとその辺あたりを見廻していた。

 私は、かくも風変りな部屋の主である明智小五郎為人ひととなりについて、ここで一応説明して置かねばなるまい。併し彼とは昨今のつき合いだから、彼がどういう経歴の男で、何によって衣食し、何を目的にこの人世を送っているのか、という様なことは一切分らぬけれど、彼が、これという職業を持たぬ一種の遊民であることは確かだ。強しいて云えば書生であろうか、だが、書生にしては余程風変りな書生だ。いつか彼が「僕は人間研究しているんですよ」といったことがあるが、其時私には、それが何を意味するのかよく分らなかった。唯、分っているのは、彼が犯罪探偵について、並々ならぬ興味と、恐るべく豊富知識を持っていることだ。

 年は私と同じ位で、二十五歳を越してはいまい。どちらかと云えば痩やせた方で、先にも云った通り、歩く時に変に肩を振る癖がある、といっても、決して豪傑流のそれではなく、妙な男を引合いに出すが、あの片腕の不自由な、講釈師神田伯龍を思出させる様な歩き方なのだ。伯龍といえば、明智は顔つきから声音まで、彼にそっくりだ、――伯龍を見たことのない読者は、諸君の知っている内で、所謂いわゆる好男子ではないが、どことな愛嬌のある、そして最も天才的な顔を想像するがよい――ただ明智の方は、髪の毛がもっと長く延びていて、モジャモジャともつれ合っている。そして、彼は人と話している間にもよく、指で、そのモジャモジャになっている髪の毛を、更らにモジャモジャにする為の様に引掻廻ひっかきまわすのが癖だ。服装などは一向構わぬ方らしく、いつも木綿の着物に、よれよれの兵児帯へこおびを締めている。

「よく訪ねて呉れましたね。その後暫く逢いませんが、例のD坂の事件はどうです。警察の方では一向犯人の見込がつかぬようではありませんか」

 明智は例の、頭を掻廻しながら、ジロジロ私の顔を眺めて云う。

「実は僕、今日はそのことで少し話があって来たんですがね」そこで私はどういう風に切り出したものかと迷いながら始めた。

「僕はあれから、種々考えて見たんですよ。考えたばかりでなく、探偵の様に実地の取調べもやったのですよ。そして、実は一つの結論に達したのです。それを君に御報告しようと思って……」

「ホウ。そいつはすてきですね。詳しく聞き度いものですね」

 私は、そういう彼の目付に、何が分るものかという様な、軽蔑安心の色が浮んでいるのを見逃さなかった。そして、それが私の逡巡している心を激励した。私は勢込いきおいこんで話し始めた。

「僕の友達に一人の新聞記者がありましてね、それが、例の事件の係りの小林刑事というのと懇意なのです。で、僕はその新聞記者を通じて、警察の模様を詳しく知ることが出来ましたが、警察ではどうも捜査方針が立たないらしいのです。無論種々いろいろ活動はしているのですが、これという見込がつかぬのです。あの、例の電燈のスイッチですね。あれも駄目なんです。あすこには、君の指紋丈けっきゃついていないことが分ったのです。警察の考えでは、多分君の指紋犯人指紋を隠して了ったのだというのですよ。そういう訳で、警察が困っていることを知ったものですから、僕は一層熱心に調べて見る気になりました。そこで、僕が到達した結論というのは、どんなものだと思います、そして、それを警察へ訴える前に、君の所へ話しに来たのは何の為だと思います

 それは兎も角、僕はあの事件のあった日から、あることを気づいていたのですよ。君は覚えているでしょう。二人の学生犯人らしい男の着物の色について、まるで違った申立てしたことをね。一人は黒だといい、一人は白だと云うのです。いくら人間の目が不確だといって、正反対の黒と白とを間違えるのは変じゃないですか。警察ではあれをどんな風に解釈たか知りませんが、僕は二人の陳述は両方とも間違でないと思うのですよ。君、分りますか。あれはね、犯人白と黒とのだんだらの着物を着ていたんですよ。……つまり、太い黒の棒縞の浴衣なんかですね。よく宿屋の貸浴衣にある様な……では何故それが一人に真白に見え、もう一人には真黒に見えたかといいますと、彼等は障子の格子のすき間から見たのですから、丁度その瞬間、一人の目が格子のすき間と着物の白地の部分と一致して見える位置にあり、もう一人の目が黒地の部分と一致して見える位置にあったんです。これは珍らしい偶然かも知れませんが、決して不可能ではないのです。そして、この場合こう考えるより外に方法がないのです。

 さて、犯人着物縞柄は分りましたが、これでは単に捜査範囲が縮小されたという迄で、まだ確定的のものではありません。第二の論拠は、あの電燈のスイッチ指紋なんです。僕は、さっき話した新聞記者友達の伝手つてで、小林刑事に頼んでその指紋を――君の指紋ですよ――よく検べさせて貰ったのです。その結果愈々いよいよ僕の考えてることが間違っていないのを確めました。ところで、君、硯すずりがあったら、一寸貸して呉れませんか」

 そこで、私は一つの実験をやって見せた。先ず硯を借りる、私は右の拇指に薄く墨をつけて、懐から半紙の上に一つの指紋を捺おした。それから、その指紋の乾くのを待って、もう一度同じ指に墨をつけ前の指紋の上から、今度は指の方向を換えて念入りに押えつけた。すると、そこには互に交錯した二重の指紋がハッキリ現れた。

警察では、君の指紋犯人指紋の上に重って、それを消して了ったのだと解釈しているのですが、併しそれは今の実験でも分る通り不可能なんですよ。いくら強く押した所で、指紋というものが線で出来ている以上、線と線との間に、前の指紋の跡が残る筈です。もし前後指紋が全く同じもので、捺し方も寸分違わなかったとすれば、指紋の各線が一致しまから、或は後の指紋が先の指紋を隠して了うことも出来るでしょうが、そういうことは先ずあり得ませんし、仮令そうだとしても、この場合結論は変らないのです。

 併し、あの電燈を消したのが犯人だとすれば、スイッチにその指紋が残っていなければなりません。僕は若しや警察では君の指紋の線と線との間に残っている先の指紋を見落しているのではないかと思って、自分で検べて見たのですが、少しもそんな痕跡がないのです。つまり、あのスイッチには、後にも先にも、君の指紋が捺されているだけなのです。――どうして古本屋人達指紋が残っていなかったのか、それはよく分りませんが、多分、あの部屋の電燈はつけっぱなしで、一度も消したことがないのでしょう。

 君、以上の事柄は一体何を語っているでしょう。僕はこういう風に考えるのですよ。一人の荒い棒縞の着物を着た男が、――その男は多分死んだ女の幼馴染で、失恋という理由なんかも考えられますね――古本屋の主人が夜店を出すことを知っていてその留守の間に女を襲うたのです。声を立てたり抵抗したりした形跡がないのですから、女はその男をよく知っていたに相違ありません。で、まんまと目的を果した男は、死骸の発見を後らす為に、電燈を消して立去ったのです。併し、この男の一期いちごの不覚は、障子の格子のあいているのを知らなかったこと、そして、驚いてそれを閉めた時に、偶然店先にいた二人の学生に姿を見られたことでした。それから、男は一旦外へ出ましたが、ふと気がついたのは、電燈を消した時、スイッチ指紋が残ったに相違ないということです。これはどうしても消して了わねばなりません。然しもう一度同じ方法で部屋の中へ忍込むのは危険です。そこで、男は一つの妙案を思いつきました。それは、自から殺人事件発見者になることです。そうすれば、少しも不自然もなく、自分の手で電燈をつけて、以前の指紋に対する疑をなくして了うことが出来るばかりでなく、まさか発見者が犯人だろうとは誰しも考えませんからね、二重の利益があるのです。こうして、彼は何食わぬ顔で警察のやり方を見ていたのです。大胆にも証言さえしました。しかも、その結果は彼の思う壺だったのですよ。五日たっても十日たっても、誰も彼を捕えに来るものはなかったのですからね」

 この私の話を、明智小五郎はどんな表情で聴いていたか。私は、恐らく話の中途で、何か変った表情をするか、言葉を挟むだろうと予期していた。ところが、驚いたことには、彼の顔には何の表情も現れぬのだ。一体平素から心を色に現さぬ質たちではあったけれど、余り平気すぎる。彼は始終例の髪の毛をモジャモジャやりながら、黙り込んでいるのだ。私は、どこまでずうずうしい男だろうと思いながら最後の点に話を進めた。

「君はきっと、それじゃ、その犯人はどこから入って、どこから逃げたかと反問するでしょう。確に、その点が明かにならなければ、他の凡てのことが分っても何の甲斐もないのですからね。だが、遺憾いかんながら、それも僕が探り出したのですよ。あの晩の捜査の結果では、全然犯人の出て行った形跡がない様に見えました。併し、殺人があった以上、犯人が出入しなかった筈はないのですから刑事の捜索にどこか抜目があったと考える外はありません。警察でもそれには随分苦心した様子ですが、不幸にして、彼等は、僕という一介の書生に及ばなかったのですよ。

 ナアニ、実は下らぬ事なんですがね、僕はこう思ったのです。これ程警察が取調べているのだから、近所の人達に疑うべき点は先ずあるまい。もしそうだとすれば、犯人は、何か、人の目にふれても、それが犯人だとは気づかれぬ様な方法で通ったのじゃないだろうか、そして、それを目撃した人はあっても、まるで問題にしなかったのではなかろうか、とね。つまり人間の注意力の盲点――我々の目に盲点があると同じ様に、注意力にもそれがありますよ――を利用して、手品使が見物の目の前で、大きな品物を訳もなく隠す様に、自分自身を隠したのかも知れませんからね。そこで、僕が目をつけたのは、あの古本屋の一軒置いて隣の旭屋という蕎麦屋です」

 古本屋の右へ時計屋、菓子屋と並び、左へ足袋屋、蕎麦屋と並んでいるのだ。

「僕はあすこへ行って、事件の当夜八時頃に、便所を借りて行った男はないかと聞いて見たのです。あの旭屋は君も知っているでしょうが、店から土間続きで、裏木戸まで行ける様になっていて、その裏木戸のすぐ側に便所があるのですから便所を借りる様に見せかけて、裏口から出て行って、又入って来るのは訳はありませんからね。――例のアイスクリーム屋は路地を出た角に店を出していたのですから、見つかる筈はありません――それに、相手蕎麦屋ですから便所を借りるということが極めて自然なんです。聞けば、あの晩はお上さんは不在で、主人丈が店の間にいた相ですから、おあつらえ向きなんです。君、なんとすてきな、思附おもいつきではありませんか。

 そして、案の定、丁度その時分に便所を借りた客があったのです。ただ、残念なことには、旭屋の主人は、その男の顔形とか着物縞柄なぞを少しも覚えていないのですがね。――僕は早速この事を例の友達を通じて、小林刑事に知らせてやりましたよ。刑事自分でも蕎麦屋を調べた様でしたが、それ以上何も分らなかったのです――」

 私は少し言葉を切って、明智発言の余裕を与えた。彼の立場は、この際何とか一言云わないでいられぬ筈だ。ところが、彼は相変らず頭を掻廻しながら、すまし込んでいるのだ。私はこれまで、敬意を表する意味で間接法を用いていたのを直接法に改めねばならなかった。

「君、明智君、僕のいう意味が分るでしょう。動かぬ証拠が君を指さしているのですよ。白状すると、僕はまだ心の底では、どうしても君を疑う気になれないのですが、こういう風に証拠が揃っていては、どうも仕方がありません。……僕は、もしやあの長屋の内に、太い棒縞の浴衣を持っている人がないかと思って、随分骨を折って調べて見ましたが、一人もありません。それも尤もっともですよ。同じ棒縞の浴衣でも、あの格子に一致する様な派手なのを着る人は珍らしいのですからね。それに、指紋トリックにしても、便所を借りるというトリックにしても、実に巧妙で、君の様な犯罪学者でなければ、一寸真似の出来ない芸当ですよ。それから第一おかしいのは、君はあの死人の細君と幼馴染だといっていながら、あの晩、細君の身許調べなんかあった時に、側で聞いていて、少しもそれを申立てなかったではありませんか。

 さて、そうなると唯一の頼みは Alibi の有無です。ところが、それも駄目なんです。君は覚えていますか、あの晩帰り途で、白梅軒へ来るまで君が何処どこにいたかということを、僕は聞きましたね。君は一時間程、その辺を散歩していたと答えたでしょう。仮令、君の散歩姿を見た人があったとしても、散歩の途中で、蕎麦屋便所を借りるなどはあり勝ちのことですからね。明智君、僕のいうことが間違っていますか。どうです。もし出来るなら君の弁明を聞こうじゃありませんか」

 読者諸君、私がこういって詰めよった時、奇人明智小五郎は何をしたと思います。面目なさに俯伏して了ったとでも思うのですか。どうしてどうして、彼はまるで意表外のやり方で、私の荒胆あらぎもをひしいだのです。というのは、彼はいきなりゲラゲラと笑い出したのです。

「いや失敬失敬、決して笑うつもりではなかったのですけれど、君は余り真面目だもんだから明智は弁解する様に云った。「君の考えは却々なかなか面白いですよ。僕は君の様な友達を見つけたことを嬉しく思いますよ。併し、惜しいことには、君の推理は余りに外面的で、そして物質的ですよ。例えばですね。僕とあの女との関係についても、君は、僕達がどんな風な幼馴染だったかということを、内面的に心理的に調べて見ましたか。僕が以前あの女と恋愛関係があったかどうか。又現に彼女を恨うらんいるかどうか。君にはそれ位のことが推察出来なかったのですか。あの晩、なぜ彼女を知っていることを云わなかったか、その訳は簡単ですよ。僕は何も参考になる様な事柄を知らなかったのです。僕は、まだ小学校へも入らぬ時分に彼女と分れた切りなのですからね。尤も、最近偶然そのことが分って、二三度話し合ったことはありますけれど」

「では、例えば指紋のことはどういう風に考えたらいいのですか?」

「君は、僕があれから何もしないでいたと思うのですか。僕もこれで却々やったのですよ。D坂は毎日の様にうろついていましたよ。殊に古本屋へはよく行きました。そして主人をつかまえて色々探ったのです。――細君を知っていたことはその時打明けたのですが、それが却かえって便宜になりましたよ――君が新聞記者を通じて警察の模様を知った様に、僕はあの古本屋の主人から、それを聞出していたんです。今の指紋のことも、じきに分りましたから、僕も妙に思って検しらべて見たのですが、ハハ……、笑い話ですよ。電球の線が切れていたのです。誰も消しやしなかったのですよ。僕がスイッチをひねった為に燈ひがついたと思ったのは間違で、あの時、慌てて電燈を動かしたので、一度切れたタングステンが、つながったのですよ。スイッチに僕の指紋丈けしかなかったのは、当りまえなのです。あの晩、君は障子のすき間から電燈のついているのを見たと云いましたね。とすれば、電球の切れたのは、その後ですよ。古い電球は、どうもしないでも、独りでに切れることがありますからね。それから犯人着物の色のことですが、これは僕が説明するよりも……」

 彼はそういって、彼の身辺の書物の山を、あちらこちら発掘していたが、やがて、一冊の古ぼけた洋書を掘りだして来た。

「君、これを読んだことがありますか、ミュンスターベルヒの『心理学犯罪』という本ですが、この『錯覚』という章の冒頭を十行許ばかり読んで御覧なさい」

 私は、彼の自信ありげ議論を聞いている内に、段々私自身の失敗を意識し始めていた。で、云われるままにその書物を受取って、読んで見た。そこには大体次の様なことが書いてあった。

嘗かつて一つの自動車犯罪事件があった。法廷に於て、真実申立てる旨むね宣誓した証人の一人は、問題道路全然乾燥してほこり立っていたと主張し、今一人の証人は、雨降りの挙句で、道路はぬかるんでいたと誓言した。一人は、問題自動車は徐行していたともいい、他の一人は、あの様に早く走っている自動車を見たことがないと述べた。又前者は、その村道には二三人しか居なかったといい、後者は、男や女や子供の通行人が沢山あったと陳述した。この両人の証人は、共に尊敬すべき紳士で、事実を曲弁したとて、何の利益がある筈もない人々だった。

 私がそれを読み終るのを待って明智は更らに本の頁を繰りながら云った。

「これは実際あったことですが、今度は、この『証人記憶』という章があるでしょう。その中程の所に、予あらかじめ計画して実験した話があるのですよ。丁度着物の色のことが出てますから、面倒でしょうが、まあ一寸読んで御覧なさい」

 それは左の様な記事であった。

(前略)一例を上げるならば、一昨年(この書物出版は一九一一年)ゲッティゲンに於て、法律家心理学者及び物理学者よりなる、ある学術上の集会が催されたことがある。随したがって、そこに集ったのは、皆、綿密な観察に熟練した人達ばかりであった。その町には、恰あたかカーニバルの御祭騒ぎが演じられていたが、突然、この学究的な会合最中に、戸が開かれてけばけばしい衣裳をつけた一人の道化が、狂気の様に飛び込んで来た。見ると、その後から一人の黒人が手にピストルを持って追駆けて来るのだ。ホール真中で、彼等はかたみがわりに、恐ろしい言葉をどなり合ったが、やがて道化の方がバッタリ床に倒れると、黒人はその上に躍りかかった。そして、ポンとピストルの音がした。と、忽ち彼等は二人共、かき消す様に室を出て行って了った。全体の出来事が二十秒とはかからなかった。人々は無論非常に驚かされた。座長の外には、誰一人、それらの言葉動作が、予め予習されていたこと、その光景写真に撮られたことなどを悟ったものはなかった。で、座長が、これはいずれ法廷に持出される問題からというので、会員各自に正確な記録を書くことを頼んだのは、極く自然に見えた。(中略、この間に、彼等の記録が如何に間違に充みちていたかを、パーセンテージを示して記してある)黒人が頭に何も冠っていなかったことを云い当てたのは、四十人の内でたった四人切りで、外の人達は山高帽子を冠っていたと書いたものもあれば、シルクハットだったと書くものもあるという有様だった。着物についても、ある者は赤だといい、あるもの茶色だといい、ある者は縞だといい、あるものコーヒ色だといい、其他種々様々の色合が彼の為に説明せられた。ところが、黒人は実際は、白ズボンに黒の上衣を着て、大きな赤のネクタイを結んでいたのだ。(後略)

ミュンスターベルヒが賢くも説破した通り」と明智は始めた。「人間の観察や人間記憶なんて、実にたよりないものですよ。この例にある様な学者達でさえ、服の色の見分がつかなかったのです。私が、あの晩の学生達は着物の色を見違えたと考えるのが無理でしょうか。彼等は何者かを見たかも知れません。併しその者は棒縞の着物なんか着ていなかった筈です。無論僕ではなかったのです。格子のすき間から、棒縞の浴衣を思付いた君の着眼は、却々面白いには面白いですが、あまりお誂向あつらえむきすぎるじゃありませんか。少くとも、そんな偶然の符合を信ずるよりは、君は、僕の潔白を信じて呉れる訳には行かぬでしょうか。さて最後に、蕎麦屋便所を借りた男のことですがね。この点は僕も君と同じ考だったのです。どうも、あの旭屋の外に犯人通路はないと思ったのですよ。で僕もあすこへ行って調べて見ましたが、その結果は、残念ながら、君と正反対結論に達したのです。実際は便所を借りた男なんてなかったのですよ」

 読者も已すでに気づかれたであろうが、明智はこうして、証人申立て否定し、犯人指紋否定し、犯人通路をさえ否定して、自分無罪証拠立てようとしているが、併しそれは同時に、犯罪のもの否定することになりはしないか。私は彼が何を考えているのか少しも分らなかった。

「で、君は犯人の見当がついているのですか」

「ついていますよ」彼は頭をモジャモジャやりながら答えた。「僕のやり方は、君とは少し違うのです。物質的な証拠なんてものは、解釈の仕方でどうでもなるものですよ。一番いい探偵法は、心理的に人の心の奥底を見抜

2021-03-17

 私にとっての恋愛は、奉仕献身だ。誰かと交際していると、とにかく盲目的に尽くしてしまう。何らかの目的、例えば私をもっと好きになって欲しいとか離れないで欲しいとか、そういうもののために尽くすわけではなく、ただただ目の前にいる人を失望させたくなくて、相手要求に応え続けてしまう。だから私は恋人を作るとたいていやつれる。

 じゃあなぜ恋人を作るのかといえば、これもやはり求められるからだ。私は恋人からのものに限らず、人の要求を断るのが苦手だ。さすがに知らない人から要求は断れるが、顔見知り以上から要求を突っぱねるのが苦手だ。ほとんど脅迫観念的に。そういう性格なので、例えば社内では仕事を抱えやすいし残業もしがちだ。そして、友人から彼女を探している人がいる」「合コンの人数が足りない」「飲み会に女の数が少ないから来て欲しい」と言われると、断れないで請け負ってしまう。

 男女の出会いの場に行くと、私を気にいる人が出てくる。あるいは、私が「この人ともう少し話してみたいな」と思う人が出てくる。2人で話す。相手が明らかに私を気にいる。その瞬間に、私は「私のことを気に入ってくれたこの人を失望させるわけにはいかない」という使命感に駆られる。そして私は謎のサービス精神を発揮し、彼に喜ばれる振る舞いを始める。彼が告白やすいようにあからさまな好意を滲ませるし、彼が一緒にいて心地いいように会話や立ち振る舞いにも気を使う。彼の趣味の道具を扱う店(アニメイトだったり、スポーツ用品店だったり、カメラ屋だったり。色々)の中で1時間放置された後に、間髪入れずラブホテルに連れ込まれても嫌な顔をしない。たまの休みだもんね、好きなことしたいよね🖤なんて笑ってみせたりする。一緒にいて損したと思われたくないから、お金も一銭も払わせない。結果、外から見ると「彼にベタ惚れしている女」状態だ。本当は、相手のことは「ちょっといいな」位にしか思っていないのに。

 私が全力で奉仕するので、私の過去恋人たちはそれにあぐらをかい浮気をするか、こんなに楽な関係はないと結婚を申し出る(匂わせる)のどちらかだった。でも、彼らがそうしたフェーズに入る頃には私はボロボロで、そこで大抵ギブアップをする。別れた後、私は安堵する。ああ、もう彼に尽くさなくていいのだと嬉し泣きすることさえある。

 何でこんな風になってしまったのか、私にもわからない。私だって恋人から優しくされたいし大事にされたい。私のために何らかの労力を払ってもらいたいし、私のサービスではなくて私自身を好きだって言って欲しい。だけど、私は私自身の力で男性と仲良くなる方法がわからない。

 

 

 

2021-03-10

でも、どう取り繕っても『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』は凡作の類だよね

ファンにとってそうじゃないってのは分かるよ?意地でもつまんなかったなんか言わないでしょ。

成仏したとか言ってる奴はただの信者なわけ。「何で庵野は俺たちを救わなかったんだ!!!」って方向に振り切れちゃった狂信者もいるみたいだけど、その人達の方がこの作品凡庸さに向き合ってるだけまだ誠実だと思う。エヴァのことは神格化しているけど、シンエヴァのとこは神格化してない。


世間一般の人にとっちゃ「現実大事」「現実もいいもんだ」「向き合ってみよう」なんて無茶苦茶当たり前だし、何の目新しいメッセージでもないよね

アニメ業界だって富野とか宮崎駿とかが散々そんなこと言ってそうじゃん。

社会から隔絶されてるオタクアニメ監督にとっちゃ驚きの新事実なのかもしれないけど、普通の人がこんなん言われても何言ってんだコイツ??ってなるだけ。

普通の人は、鬼滅の映画見てあー面白かったねご飯食べに行こ、って物語物語として楽しんでさっと現実に帰っていくんだよ。そういう意味じゃ鬼滅の方がよっぽど良くできてる。カッコいい人がカッコよく活躍して、泣きの要素もあって、別に観念じみてもいない。誰でも楽しめる良い作品だ。

エンタメとしても退屈、作品としても凡庸なんよ。映画館も張り切って何回も上映してるけど、悪いこと言わんからすぐ鬼滅にリソース戻した方がいいと思うな、この映画絶対売れない。

2021-03-07

ああ誰も知らない瞳の奥の碧いオアシスなぜあなたと出逢い流れ流れてどこまでゆくの

(1994)

絶望する犬は実は青空観念けが真っ黒闇に充ちている攻めるだの守るだの手に乗せる夢もなく途中経過けが力強く語られてゆく

(1989?)

2021-03-02

anond:20210301102544

中島義道の『差別感情哲学』を読むと少しは救われるかもしれません。

嫌悪はしばしば観念的でしばしば理不尽であるからこそ、それは豊かな人間性を映し出すのだ。嫌悪の完全に欠落した社会人間性の欠落した社会にほかならない」とかそういう話がたくさんされている本。

2021-02-26

anond:20210226153812

あーあー検診無料化だの育児手当とかで絶対マイナスにならないよう国が極力手を尽くしてるのに

勉強もせず観念ものいってたのね

不妊治療のほうが高いよ(まあそれも一部は国から援助でてるけど)そのうえ「治療」が成功するとは限らないし

かいうと下方婚から女の給料がないと無理とかいうんだよね

下方婚増田見てる???

下方婚我慢できないのはたいてい男

anond:20210226015459

最近思うのは~以下の文章同意

結局、その手の話をオープンに出来ない(隠さなきゃダメという)観念?風潮?がそういう人を生み出してるよな

2021-02-24

anond:20210224170633

結局は、種を撒き散らしたい男の本能を満たすための、男社会が作り上げた観念なんですよ。だから、未だに性風俗業が公的に認められてるし、「セックス愛情表現」とのたまう専門家で、万が一妊娠した後の行動まで提唱している人は、見たことがないです。本来なら「妊娠しても、中絶養子という手段がありますから安心してセックスしましょう」とまで言うべきだし、そういうことなのにね。

2021-02-23

anond:20210223224610

そうなんだよな

なぜか健康のために野菜、って共通観念があり、

肉のたべすぎはよくない、っていう共通観念があるのにスルーされてる実態がある

まあ1日トライアルとか3日トライアルとかで食費が浮く体験をしてもらい、

それで結果的健康になってくれればいいんじゃないかな

動物愛護かいっても動かんやつは動かんよ 動かそうともおもわんけど

anond:20210223171818

その増田とは別人だよ。「キモメンほど女への顔の評価が厳しい」という一般論としての観念根拠論点先取りでしょ。

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