はてなキーワード: 何だかとは
清水はライブハウスでソウルドアウト公演だったので入場時から何度も前へ一歩ずつ詰めるよう言われるが自分より前が詰めないので結果的に全く詰まらないと言う現象が起こっていた…。まぁ詰めたくない気持ちは分かるけど…。何だかなぁと言う気もしなくはなかった。
野音は座席表で見た感じ真ん中ら辺だったからアニキから微妙に遠いかもと思ったけどいざ入ってみたらほぼアニキ前だったので良かった(?)と言うかこういう指定席で初めて自分の名義でアニキ側を引いた気がする。大体指定席は金やん側or真ん中辺りなので…笑
とりあえず印象に残った曲の感想等。
·冥王星、c/wの割に登場率かなり高いからバンド内で気に入られてるのかな?盛り上がるしね。
·スレドニ・ヴァシュターの出だしのギター、本当にヤバかった!!清水でニヤニヤ止まらなくてずっとニヤニヤしてた(怖)
·Ready〜、何曲かやった未発表の新曲群の中で一番好きな感じだった。アニキのギターがカッコいい、あと亀ちゃんっぽい曲だな〜と感じたが実際はどうかは分からない。
·NOS、アニキと田中さんが向き合って弾く見せ場(?)があって盛り上げる為に頑張ってんのかなと思った(すごい性格悪い感想)
·想うということ、イントロのアニキのギター大好きなので聴けて嬉しい。
·雀の子、ライブ映えがすごい!!ツアーで更に進化する(であろう)のワクワク過ぎる。
·This Town、田中さんとアニキのギター息ぴったりで最高に気持ち良い。
·Good bye my world、毎回ライブでやって欲しいぐらいライブで聴くのが好き過ぎる!!清水でトリップしまくった…笑
·Glareがまたライブで聴けるとは…!!何と言う最高のセットリスト…!!
·B.D.S.でアニキのスライドギターが間近で見れて最高…。清水ではアニキ側もまん中辺りも来てくれてガン見した笑 野音は照明当たってなくて真っ暗だったの勿体なかったな…。その変わり(?)亀ちゃんにめちゃくちゃ照明当たってたの面白かった。
·清水はSPF→Reverb→放浪フリーク、大阪は放浪フリーク→SPF→Alrightだった。Reverb、キーが高くて田中さんの声が割りと限界っぽい感じなの、結構好きなんだよね。無理して出してる高音って苦手なんだけどこれは別。SPFはこの夏バズったみたいな話を田中さんがしてたけどバズってたの??全然知らないんだが…笑 放浪フリークは野外で聴くの本当気持ち良かった〜。アニキのギターがめちゃくちゃ映える。
以下、ライブを観た感想。結構微妙な事も書いてるのでお気を付け下さい…。嘘は書きたくないので…。
行く迄は結構複雑な心境で楽しみって気持ちでもなかったけど、清水で観て感じたのはやっぱりバインのライブは最高!と言う事だった。何より私はアニキのギターが大好き。そしてアニキを始め、亀ちゃんや高野さん金戸さんがここに居てくれて良かったなと強く実感した。正直まだ田中さんを沢山視界に入れるのは個人的に厳しかったけど…。ライブの楽しさも全て興醒めしそうで…。でも今はそれで良いんだと私は思っている。歌は好きだし、いつかはそんな感情もなくなりはせずとも薄れていくだろう。もう曲が良くて、アニキのギターは最高で、ライブが楽しければ現状私は文句ないので。個人的に清水の方が好きなライブだったけど、野音も良かったし何より去年のリベンジも果たせたので終わり良ければ全て良しかなと。10月新譜のライブも純粋に楽しみだなという気持ちです。
あと本当どうでも良い話だけど、清水でライブハウス横(?)の喫煙所に田中さんが居てびっくりした。ちょっと目が合った(お互い人が居たら見ちゃうよねってやつ)ので気付いてない振りして通り過ぎた。何か田中さんは結構遭遇するな〜と思ったけど(RSR、森道)アニキも何回か遭遇した事あるんだよな…。どちらも一回も声かけたことないけど…。
スレドニ・ヴァシュター
目覚ましはいつも鳴りやまない
NOS
想うということ
雀の子
This Town
Goodbye,Annie
Good bye my world
Glare
B.D.S.
E.N
SDF
Alright
いつ通りかかっても繁盛していて気になってた洋食屋のランチを食べに行った。
年5回の計画有給消化の為に休んだだけでどうせ何もする事はないし1日家に篭りっきりと言うのも何だかなと思ったので。ただそれが間違いだった。
この地域の平均ランチ価格が950円なんだが、それを大きく超えた1500円のAランチはハンバーグ・エビフライ・カニクリームコロッケと分かりやすい洋食屋!ってメニューで多少高くてもまぁハズレはないだろうと思って頼んだんだがただただ美味しくなかった。
オープンキッチンの店でキッチンの中がよく見える席に通されてランチが出てくるまでの15分、ずっとキッチンをぼんやり見ていたんだが終始丁寧に調理をしていたのに美味しくなかった。
ハンバーグも両面しっかり焼き目をつけてスチームコンベクションオーブンでふっくらさせてたのに食感も悪く味もしなかった。ただの味付けをしていない火の通った挽肉の味。
カニクリームコロッケもカニがしっかり入っているのにカニの味はせず、トマトソースもトマト缶開けたてか?と思うような角のある酸味。
エビフライはまぁ普通だったがそれについてきたタルタルソースがハズレの苦味の強すぎる玉ねぎを使ってて到底食べれたもんじゃなかった。
引きこもってるだけじゃ勿体ないからとランチを奮発するんじゃなかった。
何であの味で繁盛しているのかもわからないし、googleのレビューもおかしな事は書かれていない。
最近、取引先事業者さんたちからインボイスについてのお問い合わせを受けるようになって、いろいろ違和感を感じているので、メモがてら書き残しておくことにしました。
簡単な自己紹介をしておくと、私はしがない一会社員で、いわゆるクリエイターさんたち含め、いろんな事業者さんたちに、発注とか何とか、仕事を依頼している側の人間です。
ここからは、違和感の本体を探るために、いろいろ調べつつ記事を執筆していきますが、現時点での感想は、
です。
インボイスってのが「消費税に関する何か」だってのは社内研修受けたので何となく見えてきました。が、それにしてもめんどくせえ。
弊社は、当たり前のように遵法意識があるので、消費税をちゃんと納入している会社です(脱税はしてないはず、、、)。
で、今回のインボイス対応も、遵法意識のもと時間的、金銭的なコストをかけて対応しているようです。
とはいえ、意識があっても説明があまりないので、現場の人間には混乱しかないですが。
しかし、今になって、弊社含む発注側の会社が、そして何より我々窓口に立っている人間が、取引先事業者さんたちからやいのやいの言われる機会も増えてきました。
「クリエイターをもっと大事にしてほしい」「生活が破壊される」とかですね。
そんな中で、何だか違和感を持ったので、こうして情報や考えをまとめてみようと思ったわけです。
インボイスって何でしょ。私はちゃんと答えられません。当たり前です、よく知らないんですから。
じゃあ、目下絶賛仕事中ですけど、国税庁のHPでも見てみましょうか。エロサイトじゃないですし、怒られないでしょうきっと。
ありますねー。わかりやすいんだかわかりにくいんだかよくわからないサイト。
売手が買手に対して、正確な適用税率や消費税額等を伝えるものです。
具体的には、現行の「区分記載請求書」に「登録番号」、「適用税率」及び「消費税額等」の記載が追加された書類やデータをいいます。
<売手側>
売手である登録事業者は、買手である取引相手(課税事業者)から求められたときは、インボイスを交付しなければなりません(また、交付したインボイスの写しを保存しておく必要があります)。
<買手側>
買手は仕入税額控除の適用を受けるために、原則として、取引相手(売手)である登録事業者から交付を受けたインボイス(※)の保存等が必要となります。
※買手は、自らが作成した仕入明細書等のうち、一定の事項(インボイスに記載が必要な事項)が記載され取引相手の確認を受けたものを保存することで、仕入税額控除の適用を受けることもできます。
どうやら、適用税率とかが違う中で正確な税処理をするためには、こういうデータを残す必要が確かにありそうですね。
まぁ、それは納得です。買い物してても、あっちは8%、こっちは10%って、どうやって管理してるのか謎だったので。
「インボイスめんどくせえ」問題はまったく解決してませんが、意義としてはわかった気がします。
さて、インボイスがどうやら消費税の正しい納入に必要そうな制度だというのはわかりましたが、
買い物とかで払ってる消費税ってどこに行ってるんでしょう。そういえば。
どうやら、
みたいな構造になってるらしいですね。一部でもどっかに消えてなくてよかった。せっかく払ったのに、誰かの懐に消えてたら悲しいからね。
でも、今回のインボイス騒動で見えてきたんですが、免税事業者という消費税を申告・納入してない事業者もあるらしいですね。
インボイスは消費税の申告・納税に必要なデータだから、そもそも消費税を申告・納税していない人には関係がない、ってことみたいだし。
消費税を納めていない人なんているんですかね。事業者が分担して納入しているはず、じゃないんだろうか。ふしぎふしぎ。
その答えは、どうやら消費税法にあるらしい。
第九条 事業者のうち、その課税期間に係る基準期間における課税売上高が千万円以下である者については、第五条第一項の規定にかかわらず、その課税期間中に国内において行つた課税資産の譲渡等及び特定課税仕入れにつき、消費税を納める義務を免除する。ただし、この法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。
なんと。売上高が1000万円を超えない事業者は納税が免除されるのね。
国税庁や法律上は、目的が見つけられなかったけれど(あったらおしえて!)、税理士事務所とかでよくある説明としては
らしい。
勝手に中小業者の経済的支援とかだと思ってたけど、そうじゃないんだねー。
どうやら、売上高が小さい事業者さんは、免税事業者というものになるわけですな。
でも、免税事業者と取引を行っている企業的には、先方の年間課税売上高とかは知らんわけです。
単純に考えると、「納税していると思って渡してきたけど、どうやら納めていないらしいから、払いすぎだったのでは?」となるよね。
あと、税金は税金であって、あなたの収入に勘定するのはなんかおかしくない?って思ったり。
さて、ここで本丸。「インボイス反対!」な人たちの意見も見ておこうか。
免税事業者は、「このまま免税事業者でいる」「インボイス発行事業者になる」という二択らしい。まぁそりゃそうだ。
まず、「インボイス発行事業者になる」という選択肢について。インボイスは消費税申告・納入の制度なので、
「インボイス発行事業者になる」イコール「消費税の申告・納入を行わなければならなくなる」というのは当然の帰結。
本来納入は義務だからね。すでに払っている事業者としては何も違和感がない。
正直、取引先である我々からすると、どっちかわからないから取りあえず払っていた訳で、
あなたが納税すべきだった消費税、煩雑だってことでうやむやになってたけど、今後はこっちで納税しとくので、お支払いは税抜額になります、というのはまったく外れてない論理だと思うけれど。
他に、まぁこれはどーでもいいんだけれど、「今言うの?」的な点も引っかかってる。システム改修とかコストかけてやってきたのに今さら、、、、(愚痴)
今日もコンビニでの買い物で払った数十円の消費税、本来であれば「きちんと納税」しておいてほしいものだけど、
事業規模に応じて「免税」ということになっているだけで、それを「懐にガメる」というのはまたなんか違う話な気がするなぁ。
せっかく払った消費税が消費税として使われていないのは違和感。
さて、いろいろ見てみたけれど、そろそろ打ち合わせだからまとめるか。
ちゃんと申告・納税されるのにはあるべきシステムだと思います。めんどくさいけど。
とはいえ、消費税制について文句をいうのはわかる。10%って高いよねー。
なくなっちまえばいい、ってよく思うし。どんどん商品も値上がりしてる中でつらいわー。
でも、せっかく払ってるんだから、どっかの誰かの懐に入るんじゃなくて、全部ちゃんと納税してほしい。これマジ。
でも、何より。
小規模事業者の仕事について、きちんとした対価が払われていない、というのは論外。今回声上げてる人たちは、問題がそっちにあるはず。消費税じゃないはずだよ。
最後に、いろんな事業者さんに発注している一会社員として思うのは、「仕入れ額や経費が上がったりする中で、どんどん価格交渉はしてほしい」ということ。
こちらもそれでお願いしたい事業者さんには上を説得しても払いたいですよ。ただ、消費税はちゃんと国に全額納税されるようにしましょうよ。
みなさんありがとう。
所得税の控除も、住宅ローン減税の控除も、どんどん変わっていくのは世の常ですわな(税率とか、税そのものへの反対は今回は対象外)。
アカサコのお話。〇〇新聞社の2階ホールでおこなわれたパーティが夜21時で散会になって、まだ列車(22時10分が最終)まで時間があったので、そこからそれ程遠くない(平和公園の入口付近にある)居酒屋にちょっとだけ顔をだそうかなぁ(5年ぶり?)ってタクシー探してたら、いきなり「赤迫行き(居酒屋方向)」電鉄がきたから[笑う]思わず飛びのったんだけどう〜ん[ほほえむ]。さっきからこの電車反対方向に走ってる?(まぁ確かにパーティーで飲み過ぎたけど[大笑い])夜の電車逆さまに走るって?オカルトか何かなの?[びっくり]それとも変な趣味??路線図確認したけどアタマこんがらがって[泣き笑い]何だか解んなくなってきたじょ〜[ほほえむ]。それで向かいの席の多分?地元女子に「(この電車)今、平和公園に向かってますよね?」って(微妙な感じで)お聞きしたら「あっいいえ!〇〇駅の方(逆方向)に向かってます」「えっ?赤迫行きってなってましたよねっ?」「ええ表示間違ってますよね!」「わぉ」で結局〇〇駅まで乗って降車[泣き笑い]運賃箱にお金入れながら「表示が赤迫になってましたが」って私。「(乗務員)あっ!はいっ間違ってますね(満面笑み)」「(ぎゃっキッパリ言うんだ[大笑い])やっぱり?(何かオカルトより笑える[泣き笑い])」もう運賃箱にお金入れちゃったから返して!って言えないし[大笑い]ちゃんとした電鉄で戻ろうか考えたんだけど[笑う]あっそうだ!それなら駅の西側に新しくオープンしたHiltonのバーに立ち寄ってみようって。土曜の夜なのに何故だか誰も歩いていない駅からの空中デッキ。革靴の踵の音が響いて綺麗っ。ホテル入口からコンシェルジュの前を通ってバーラウンジの真新しいソファにゆったり腰を掛けました。少し酔い覚ましに[にこやか]って甘いコーヒーのお洒落なカクテル(チョコチップものってる)を頼みました。ちゃんと大人の飲みものだよっ。あれっ?バーテンダーの方って?ホテルニュー〇〇にいた方?カクテルを持ってきた子に「ニュ-〇〇の?」って尋ねたら「あっ!そうですそうです伝えます」って。いろいろあって最終電車の時間までゆっくりしました。あっ最終電車って〇〇新幹線なんだけど僅か30分乗って武雄温泉駅で特急に乗り換えて1時間(なのに値段はしっかり新幹線料金
なんか荒れててびっくりした。マジで?
死ねばいいとか、やってるところバレて捕まればいいとかご指摘ありがとう。
「死ねばいい」と「失明するまで殴りたい」は開示請求いけるかもとのことなので
早速進めさせてもらってます。こういうの初めての経験だから戸惑いつつ。
ちなみに開示請求は早ければ早いほどいいらしい。
何度も書いているけど、行動に移すことはない。
行動に移すほど振り切れた異常者じゃないからこそ、今後もまともなふりしていくのしんどいなって話であって。
伝わらなかったみたいだね。
これが普通ならよかった。みんなも対象はどうであれ、こんなこと考えながら生きているならよかった。
26歳、都内に住む女だ。164cm48kg。
高校時代から私立に進ませてもらえたし、日々の生活を振り返れば多分裕福な家庭生まれだ。
女子特有の人間関係のゴタゴタはそれなりに経験したが、基本的に「一軍女子」のポジションで学生時代は謳歌した。
今でもそこそこの年収をもらい、結婚も控えて何不自由していない。むしろ幸せだ。
そんな私は、幼稚園生のあたりから、一言でいえば「虐待欲」に苛まれている。
自分より年下の子をわざと仲間外れにしたり、ボールを異常に強くぶつけて泣かせたり。
そういうことをして、傷ついている表情や痛がっている顔を見ると、とんでもない快感だった。
小学生のころから、街中で赤ちゃんを見かけると、それはそれはとんでもない虐待欲に駆られた。
もちろん行動に移したことはない。
あれを思いっきり蹴り上げたら、つねったら、どんなに気持ちいいだろう。
母親に助けを求めて泣き叫ぶ口に、タオルを詰め込んでやりたい。
生き物苦手板には、多数の猫の虐待談(実際にやっているかは不明)が溢れている。
あれを読んで、情景を想像するのが大好きだ。
ミイミイと小さく、よちよちと歩く小さくて温かい体を思いっきりぶっ叩きたい。
一番やってみたいのは、精神的に追い詰めること。
しばらく可愛がって、安心感を抱かせて、ある日突然蹴っ飛ばしたりとか。
必要最低限の餌だけ与えて、極限の空腹状態に追い込んだ目の前で焼き魚食べるとか。
anofilesにアップロードされていた、
猫に熱湯をかける動画、子猫の尻にデスソースを塗りたくって思いっきり体を握りつぶしながら尻の皮を剥がす動画、
あれを何度も見た。
あの鳴き声はたまらない。
動画は消されてしまったが、あの鳴き声を思い出すだけで、膣内がぐちょぐちょになる。
こんなふうに、私は赤ちゃんと猫に対してだけ、異常な虐待欲がある。
もちろん、自分が異常だとわかっている。誰にも話したことはない。
友人や彼氏と一緒にいる時に、赤ちゃんが視界に入れば「かわいいね〜」という。
猫の時だってもちろん。
気が遠くなる。
私は一生、内側でこの異常性を爆発させながら、善良なまともな人のフリをして生きていかなければならない。
低年収とか、昔いじめられたとか、何か性格が歪む要因があるとかじゃない。
むしろ恵まれた人生なのにこれだから、生まれつきおかしいんだろう。
例えば、私と2,3歳くらいの女児がトイレに二人きりになったとしたら、
私はその時自分を押し止められるのか?
すれ違い側にぶつかったフリして頭を壁に打ち付けさせること、そんなことをやってしまわないか?
ぎゅうぎゅうの満員電車で、抱っこ紐をつけている母親がいたとして。
私は、電車を降りる時にバックルに指をかけてしまわないだろうか。
人気のない夜道で、母猫とはぐれた弱った子猫がいたとして。
私は、通り側に思いっきり蹴っ飛ばさずにいられるのか?
私は、常にこんな恐怖と隣り合わせだ。
赤ちゃんを見ると、隣にいる友人に「かわいいね」なんて話しかけながら、
ああつねりたい、蹴りたい、揺さぶってやりたい。そんな衝動に駆られている。
これからも移すことはしない。
一生やらないだろう。異常性と同じくらい、まともな感性が私の中にはあるから。
これから一生、まともなフリをしなくてはならない。
気が遠くなる。
なんだか色々言われているけど、行動に移すことだけはしないよ。
だめってわかってるから。
行動に移せるくらい狂うことができたら逆に楽だとは思う。
素晴らしい自己分析だと思う。
後で気が向いたらコメントを書く。
https://anond.hatelabo.jp/20230908213654
幼少の時分から太り気味で運動神経が悪く、頭も知的障害とまではいかなくても平均以下、顔立ちも極端に不細工では無いがお世辞にも褒められたもんでもない。
家族も自分を愛してはくれたが自尊心を高める様なコミュニケーションは取っておらず、寧ろ優れた所は無く何かと不利な目に合う事が多くともそれに負けず生きていけるタフな心を養わなくてはいけない、そういった教育や意識付けを行う人達だった。
そんな出自なので自分は無意識の内に他人に対して劣等感を抱いていると思われる。それ故に自分のアイデンティティーは身体や知性に依らない、純潔な価値観や思想に有ると考えている。
その結果、他人の振る舞いや思想に対して非常に潔癖な性格が身に付いてしまった。それだけが理由ではないが、それが大部分の理由で友達も恋人も居ない。
やたらと卑下する文章を書いてしまったが、自分が嫌いかと言えば全くそんな事は無い。寧ろ愛している。
先述した様に他者に劣等感を抱き、且つ毛嫌いしがちな人生を歩んでいる為、愛したり信頼したりする対象を見つけられておらず、結局自分自身が一番理想とする生き方や思想を実践出来ている存在だと思っている。
井の中の蛙であろうが、それもまた致し方の無い運命だと思いたい。
こんな浅はかな文章を長々と書いて何をしたいのかと言うと、最近の自分は他者を動物の類だと思っているんじゃないかと思ったからその考えを記録に残したい為だ。
さっきから他者への嫌悪感をつらつらと書き連ねている訳だが、人の居る場所が嫌いと言う事も無い。但し、自分に関わる人間が居るのは嫌だ。
つまり、イベント事など知らない他人が集まる場は寧ろ好ましい。連れ合いも居ない癖にお祭りが有るとフラフラと出掛けたりする。自分は誰の眼中にも入っておらず、盛り上がっている人達を観るのは楽しい。
だが、その輪の中に自分が入れられると考えるとゾッとする。グループに入れば他者の価値観に合わせなければいけない、有限である人生の一部を自分自身のアイデンティティを崩した状態で過ごさなければならない。
それが嫌で嫌で堪らないのだ。
恐らく今までの人生において、他者との関係で得られた利益が少な過ぎたのだと思う。だから自分の価値観の中で他者とのコミュニケーションで得られる幸福感が著しく低いランクに位置付けられたのだ。
その結果どうなったか、利益をもたらさない他者の存在は自分の中で自分と同価値とならなくなっている。動物園で動物を観るのは楽しい、だが家の中に動物園の動物が居たらどうだろう?ハッキリ言って邪魔なだけだ。
その上、他の動物よりも権利の主張に喧しいとくる、成すべき義務に関しては素知らぬ振りをする癖に。躾けたり愛玩でも出来れば良いが、愛護団体が五月蠅い。
こんな面倒臭い存在、もう情報だけで良い。まぁ我ながら非常に勿体無い考えではあるが。
そんな中でもどうしても関わらなくてはならないのが同僚や上司。これらに関しては言い方が相当過激になってしまうが、正直言って最早家畜の類に見えているんだと思う。
生活の糧を得るのに必要な仕事をしてくれるだけの動物。相手は畜生だから価値観が合う事など無い。それでもそれ等の存在無しには生きていけない。
だから彼らの習性を理解し、上手く誘導するべく努める。ウンザリするが畜産家の皆様はもっと大変な思いをされている事だろう。自分も我慢しなくてはならない。
そしてココにこそ、自分が業務中は愛想笑いで応対出来るのに飲み会は死んでも行きたくないのかが分かる。なんで家畜と飲まにゃならんのだ。
君達と過ごしているのは生活の為で有って、対等な存在だと思っているからじゃない。
良い商品となって貰う為に日中家畜を愛情込めて世話をし、さぁ家に帰って本来の自分に戻ろうと思った時に家畜から、『有難う!良かった飲みに行こう!』って誘われたどう思う?
いや…確かにお前が喜んでくれる様には努めたけどそれは業務だからで有って、なんでお前と対等に飲まにゃならんのだ。と思うんじゃなかろうか。
まぁ余り倫理的な考えではないかもしれんが、もう身に付いてしまったものだから仕方ない。
誤解しないで欲しいが自分は決して他者を劣った存在と思っている訳ではない。身体能力や知能指数はきっと相手のが上なんだと思う。
でも自分の価値観は思想に有る、その意味で信頼がおけると感じた相手は殆ど居ないから対等な存在と思えないだけである。
なので逆に他者からしても自分の事を家畜だと思って欲しい。単に生活の糧を得るのに利用する必要のある存在だと考えてくれる相手が自分にとって信頼のおける相手なのだ。
だからこそ、少なくとも最初はお互いの事を家畜だと思い合える相手こそ理想。そこから互いの価値観にシンパシーを抱き、徐々に打ち解けられて初めて信頼がおける。
じゃあ雑に仕事を押し付けてくるだけの同僚や上司が理想なのかと言えば全然違う。先述したが、自分も他人も家畜なのだ。
虐待紛いの振る舞いをする奴が良い畜産家か?愛情を込めて飼育する人こそ良き畜産家だろう。少なくとも家畜にとっては。
そしてヒトなる家畜にとって重要な世話とは礼儀や距離感、相互理解と気遣いなどのグルーミングの事を指すんじゃなかろうか。
何時の日か良き飼育員に出会えた時、初めて他者を人間だと思えるのだろう。まぁこんな偏った思想をしている奴にそんな日は訪れないだろうが。
一度文章を見直すと何だか魯迅の阿Qみたいだ。精神的勝利法とは空しい。それとは違うと信じたいけど…。
まぁそれでも自分は自分が好きだ。だから今こう感じた事も何時か読み返して自分自身を愛でたい。その為に備忘録としてココに残す。
幼少の時分から太り気味で運動神経が悪く、頭も知的障害とまではいかなくても平均以下、顔立ちも極端に不細工では無いがお世辞にも褒められたもんでもない。
家族も自分を愛してはくれたが自尊心を高める様なコミュニケーションは取っておらず、寧ろ優れた所は無く何かと不利な目に合う事が多くともそれに負けず生きていけるタフな心を養わなくてはいけない、そういった教育や意識付けを行う人達だった。
そんな出自なので自分は無意識の内に他人に対して劣等感を抱いていると思われる。それ故に自分のアイデンティティーは身体や知性に依らない、純潔な価値観や思想に有ると考えている。
その結果、他人の振る舞いや思想に対して非常に潔癖な性格が身に付いてしまった。それだけが理由ではないが、それが大部分の理由で友達も恋人も居ない。
やたらと卑下する文章を書いてしまったが、自分が嫌いかと言えば全くそんな事は無い。寧ろ愛している。
先述した様に他者に劣等感を抱き、且つ毛嫌いしがちな人生を歩んでいる為、愛したり信頼したりする対象を見つけられておらず、結局自分自身が一番理想とする生き方や思想を実践出来ている存在だと思っている。
井の中の蛙であろうが、それもまた致し方の無い運命だと思いたい。
こんな浅はかな文章を長々と書いて何をしたいのかと言うと、最近の自分は他者を動物の類だと思っているんじゃないかと思ったからその考えを記録に残したい為だ。
さっきから他者への嫌悪感をつらつらと書き連ねている訳だが、人の居る場所が嫌いと言う事も無い。但し、自分に関わる人間が居るのは嫌だ。
つまり、イベント事など知らない他人が集まる場は寧ろ好ましい。連れ合いも居ない癖にお祭りが有るとフラフラと出掛けたりする。自分は誰の眼中にも入っておらず、盛り上がっている人達を観るのは楽しい。
だが、その輪の中に自分が入れられると考えるとゾッとする。グループに入れば他者の価値観に合わせなければいけない、有限である人生の一部を自分自身のアイデンティティを崩した状態で過ごさなければならない。
それが嫌で嫌で堪らないのだ。
恐らく今までの人生において、他者との関係で得られた利益が少な過ぎたのだと思う。だから自分の価値観の中で他者とのコミュニケーションで得られる幸福感が著しく低いランクに位置付けられたのだ。
その結果どうなったか、利益をもたらさない他者の存在は自分の中で自分と同価値とならなくなっている。動物園で動物を観るのは楽しい、だが家の中に動物園の動物が居たらどうだろう?ハッキリ言って邪魔なだけだ。
その上、他の動物よりも権利の主張に喧しいとくる、成すべき義務に関しては素知らぬ振りをする癖に。躾けたり愛玩でも出来れば良いが、愛護団体が五月蠅い。
こんな面倒臭い存在、もう情報だけで良い。まぁ我ながら非常に勿体無い考えではあるが。
そんな中でもどうしても関わらなくてはならないのが同僚や上司。これらに関しては言い方が相当過激になってしまうが、正直言って最早家畜の類に見えているんだと思う。
生活の糧を得るのに必要な仕事をしてくれるだけの動物。相手は畜生だから価値観が合う事など無い。それでもそれ等の存在無しには生きていけない。
だから彼らの習性を理解し、上手く誘導するべく努める。ウンザリするが畜産家の皆様はもっと大変な思いをされている事だろう。自分も我慢しなくてはならない。
そしてココにこそ、自分が業務中は愛想笑いで応対出来るのに飲み会は死んでも行きたくないのかが分かる。なんで家畜と飲まにゃならんのだ。
君達と過ごしているのは生活の為で有って、対等な存在だと思っているからじゃない。
良い商品となって貰う為に日中家畜を愛情込めて世話をし、さぁ家に帰って本来の自分に戻ろうと思った時に家畜から、『有難う!良かった飲みに行こう!』って誘われたどう思う?
いや…確かにお前が喜んでくれる様には努めたけどそれは業務だからで有って、なんでお前と対等に飲まにゃならんのだ。と思うんじゃなかろうか。
まぁ余り倫理的な考えではないかもしれんが、もう身に付いてしまったものだから仕方ない。
誤解しないで欲しいが自分は決して他者を劣った存在と思っている訳ではない。身体能力や知能指数はきっと相手のが上なんだと思う。
でも自分の価値観は思想に有る、その意味で信頼がおけると感じた相手は殆ど居ないから対等な存在と思えないだけである。
なので逆に他者からしても自分の事を家畜だと思って欲しい。単に生活の糧を得るのに利用する必要のある存在だと考えてくれる相手が自分にとって信頼のおける相手なのだ。
だからこそ、少なくとも最初はお互いの事を家畜だと思い合える相手こそ理想。そこから互いの価値観にシンパシーを抱き、徐々に打ち解けられて初めて信頼がおける。
じゃあ雑に仕事を押し付けてくるだけの同僚や上司が理想なのかと言えば全然違う。先述したが、自分も他人も家畜なのだ。
虐待紛いの振る舞いをする奴が良い畜産家か?愛情を込めて飼育する人こそ良き畜産家だろう。少なくとも家畜にとっては。
そしてヒトなる家畜にとって重要な世話とは礼儀や距離感、相互理解と気遣いなどのグルーミングの事を指すんじゃなかろうか。
何時の日か良き飼育員に出会えた時、初めて他者を人間だと思えるのだろう。まぁこんな偏った思想をしている奴にそんな日は訪れないだろうが。
一度文章を見直すと何だか魯迅の阿Qみたいだ。精神的勝利法とは空しい。それとは違うと信じたいけど…。
まぁそれでも自分は自分が好きだ。だから今こう感じた事も何時か読み返して自分自身を愛でたい。その為に備忘録としてココに残す。
先週コロナにかかってしまい、寝込んだりのどの痛みに苦しめられたりしていたが、ようやく落ち着いてきた。
そういえばとふと考えたら、その間に誕生日を迎えていて、また一つ、歳を取っていた。39になったらしい。
あと1年で40歳だと思うと、何というか、もう40かというか、まだ40かというか、何だかウンザリしたような気持ちになる。
■
コロナ療養中、熱が下がってきたころに、暇だからと何か小難しい古い本を読もうとした。
読もうとしたが、ちっとも読めなかった。まるっきり頭に入ってこない。
内容が難解なこともあるが、それよりも、この本を読んだところで何になるのか。
中世のプロテスタントにあった倫理観と資本主義との関係が俺の人生にどうかかわってくるのか。
そんな風に思われて、頑張って読み進めるのが馬鹿馬鹿しくなって、結局読むのをやめてしまった。
いや、年間100冊程度の読書量だったので、我、読書家ぞとイキれる程立派なものではなかったが。
それでもとにかく、読書家であるという根拠のない自負はあったし、本を読むのは好きだった。本を手にするとワクワクした。ドゥルーズやデリダなんかも頑張って読んだ。もう一切、内容を思い出せもしないが。
今はもう、気が付けば本も読めなくなった。読んで何になる、何の意味がある、そんな倦怠感ばかり募る。
■
仕事も張り合いはない。
責任感を持って、日々取り組んでいるつもりではあるが、10年以上も勤めれば、大抵はどうにかなる仕事ばかりになる。
出世できる性格だとも思わないし、向いているとも思わない。実際管理職向けのキャリアパスには乗っていないし、キャリアの天井も大体見えている。
■
子供は、やはり欲しい。まだ諦めたわけではない。
諦めてはいないが、俺の不妊は、先天性の疾患に由来しており、医者からも厳しいと言われると、徒労、という言葉が浮かんで消えない。
妻は、俺との子供は欲しいけれど、いなければいないで、決して不幸ではないというスタンスだ。
こんな俺を選んでくれた妻には、感謝してもしきれないし、妻のことは深く愛している。
だけど、本当のことを言うと、残りの人生はあと…年…と考えると、長いな…。と、ほんの少しだけ、感じてしまう。
■
先日見たテレビ番組で、91歳の老爺がインタビューを受けていた。
その爺さんは、朝の4時に起きて、2時間かけて地元の海岸まで散歩するのだという。
それを、日に3度も繰り返すのだそうだ。
早くお迎えが来てほしいが、誰も迎えに来ない、と言っていた。
俺はそれを見て、虚しくなって、気が滅入ってしまった。
一日一日を、ただ歩いて時間を潰す、そんな毎日が終わるのをただ待っている。
俺もやがてそうなるのだろうか。そんな風に日々を送るのだろうか。
■
父のことを、最近考える。
70を過ぎた今でも元気に働いている。
小さな頃はあれこれと家族で出かけていたが、高校に入って以降は、父と親しくした記憶はほとんどない。
30代になるまでは、父のことはあまり好きではなかったように思う。尊敬できない人だと思っていたし、大した人間でもないと思っていた。
しかし、俺と姉の二人を、中身はとにかく大人になるまで育てあげたこと、俺などは大学にまで行かせてくれたこと、それを思えば、大変にすごい男なんだと少し前から思うようになった。
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父は日曜の夕方になると、自室でCDを聴いているのが常だった。イーグルスなんかの、古い洋楽ばかり聴いていた。昔は、またかび臭い音楽を流して、くらいに思っていた。最近では、なんというか、父はあれは、楽しいんだろうかと思ってしまう。
飽き飽きしたり、しないんだろうかと。
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このところ自分が感じている憂鬱について色々と調べてみたところ、ミドルエイジクライシス、あるいはミッドライフ・クライシスと呼ばれるものに、どうもよく当てはまっているようだ。中年になって、自分の人生や将来に、不安を覚えたり、なにか間違った生き方をしているのではと疑問を感じたりする現象らしい。
第二の思春期とも呼ぶそうだ。
思春期、なんて言われると、なにを、俺はそんな青臭い、幼稚な人間じゃないぞ、といらだちを覚えるけれど、そういうところが幼稚なんだよ、と言われてしまえば、それはまあ、確かにそうかとなる。
30代でそうなるのは、少し早い気もするが、子供がいないとそういうものなのかもしれない。
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どげんかせんといかんとは思う。
思うけれども、どうにかなるような気もしない。
そもそも、生活に張り合いを求めているかと言われると、そういうわけでもないような気もする。
やりたいこと、というものを考えたとき、何も、本当に何も浮かばない。
ぐっすり寝たいという望みは、先日のコロナ罹患で不本意ながら叶ってしまった。
何をするのも億劫だ。
億劫なのに、しばらくは終わりがくるような感じもない。
バスケワールドカップ面白かった(予選敗退とはいえ)。ただ、フリースロー時のブーイングしたりとかあんまり好きではなかった。NBAとかでは確かに見るのだけど。
そういえばサッカーも埼玉のどこかのクラブチームが何か問題起こしていた気がするし、フーリガンっぽさがカッコいいみたいがあったりするのかな。カタールワールドカップのときに、試合後のゴミ拾いを強調していたのも良く分からなかった。外国の目線を気にし過ぎというか。
プロ野球の応援はそうした他のスポーツと違って、自分たちで形成してきたマナーや世界観があるように思う。MLBも面白いけど、何だかんだ日本のプロ野球も面白い。そしてWBCで優勝したように、強い。
プロ野球以外の多くのスポーツの応援は日本では「地域を元気に」「チームが苦しいときを支えた」とかの要素が無駄に絡んで変な方向に行っている気もする。そして少し排他的な印象もある。
露出度の高い服装、嫌いじゃない。肌見せってやつ。でも「襲われたいのか」「露出狂」「見せられるほどの顔・身体か?」って言われるんじゃないかと迷う。
どうしてそういう服が着たいの?自問する。
今の気分なんだ。オシャレだし。流行ってるし。そういう服や着こなしが目に飛び込んできて、着てみたい気持ちでいっぱいになるんだ。
ユニクロでレースのボディスーツが売られていた。透けるメッシュのカットソーが並べて置いてあった。
ユニクロにもあるんだと思った。中高年のイメージあるけど、日本の標準的ブランドだよね?何だか許された気がした。
試着させてもらった。レイヤードしたらすごい可愛くて、着たいと思った。
ちょっと前、増田に「人間の身体は基本的に美しい」と書かれていたのを思い出した。
別に自分の顔や体に自信がある訳じゃない。でも今、似合って見える。今、これが着たい。他人に褒められなくても、自分が好きなら着ていいんじゃないか、そう思った。
ヴェルトは覚えてないけどフゲンは生きてるとして凶多吉少つってたから何だかんだ復帰する気はする
東京出身のお前らさ、付き合っててつまんねーし、仕事もできねーんだけど。何食ったらそうなんの?特に交渉とか話にならん。地方から来た奴の方が芯があって話も面白いし人間的に魅力的だからチーム仕事も進めるのが上手い。
でもお前らさ、見栄えや経歴だけはキラキラしてるよな。でもインスタでバエバエしてるくせに、電話取るだけでハアハアしてんなよ。こっちは隣でヒヤヒヤだよ。お前らのせいで何度お客様にペコペコしたと思ってんだよ。
あと、お前らの話つまんねぇ。似たような話を何度もすんな。
お前らの話は、例えるならチェーン店の可もなく不可もない味というか、コンビニのような統一感なんだよ。YouTubeのサムネのような類似性、選挙の街宣のような空虚さ、映画の予告編のような予定調和、迷惑メールのような分かりやすさ。そんな話しかしねぇから何も心に響かねえよ。
学歴トーク?留学自慢?大企業勤め?高収入あるある?資産運用だ?伊勢丹でショッピング?韓国に美容旅行?モデルやってた?モデルと付き合ってた?親がどこどこの偉いひと?何だかのコンクールで入賞した?自分、ギフテッドです?フォロワー1万人?知らんがな。全部同じ話にしか聞こえねーよ。まさか話しながら自分が尖った人材だと思ってんの?
いいか、お前らは尖ってなんかいなくて、まんまるなんだよ。競争に揉まれ、効率的に人より優れる方法を叩き込まれ、試験やシステム、整えられたステージでだけ勝てるように最適化された都市型ロボットだ。お前らなんかな、水流に揉まれた岩石が下流で丸くなって見つかるように、ツルツルで、小粒で、手に取りやすいだけなんだよ。ちょっとのヒビも目立つからびくびくして生きてんだろ?厚化粧に脱毛、整形、加工で自分磨きする奴もいれば、ルッキズムみたいなのをでっちあげて他人を引きずり落とそうとする奴もいるよな。お前らみんな生き物としてよわっちいし、生き方はセコイし、生き様はダセーんだよ。だから話もつまんねーし、人も付いていかねーんだよ。
いいか、お前らご自慢の東京の多様性はそんな丸石の寄せ集めだし、そんなのは画一性の見間違いだからな。丸くて灰色の石ころ同士背比べして、まさか自分らがカラフルだと思ってんの?お前らなんか石石混淆だよ。まあ逆に言えば、そんなつまんねぇ場所で病んでるそこの東京人は目を覚ませってんだ。
お前らが相手にするプロ東京人なんてな、都市に適してるだけの、コンクリートジャングル大帝だよ。まっさらな場所に放てばコイキングだかんな。そんな奴らは、ダイバーシティ東京でレインボーブリッジをバックに、仲良く手繋いで一生跳ねてろってんだ。でもたまにいるんだが、赤色ギャラドスに進化して、ポリコレを盾に破壊光線吐き散らかすやつらは、お願いだから線状降水帯の下で雷に撃たれてくれ。
あのな、多様性とかSDGsとかフェミニズムとかを地方相手に偉そうに説くまえに、お前らの居座る快適な高層ビルを建ててくれた、汚くて臭くて危ない思いをしながら低賃金で働く野郎どもに思いを馳せてみろよ。そいつらはお前らの多様性に含めてんのか?あーあ、また東京人が金髪白人と英会話して多様性気取りしてるよ。東京が誇るコンビニで働くベトナム人たちは、安い賃金で使いたい放題してんのにな?そうやって子宮を途上国や地方に外注しなきゃ成り立たないくせに、女性を解放したと思ってんの?SDGsを学ぶべきなのはお前らだろ。
せいぜいアホ東京人どもは、手始めに、てめぇらが高い金払って食べる寿司が、誰がどこの海でどうやって獲られて、どう東京まで運ばれて調理されるか、想像でもしてみろってんだ。文明はお金で買えないんだよ。
まあ無理か。子供時代から東京なんかにいたら想像力乏しくなるよな。どうせ親父はホワイトカラーだろうから、肉体労働の親父の汗臭さすらも知らないんだろうな。外行っても管理されたサンドボックスで遊ぶしかないから、アリを潰し回ったり、バッタを千切ったり、トンボの羽をむしったこともないんだろ?だから痛みなんか学ぶ機会もなければ、生と死も知らないんだ。草を掻き分けて腐葉土を踏みしめることもないまま、カブトムシより先にヘラクロスをサファリボールで捕まえたんだろ?そんな奴に世界の本来の姿は見えねーよ。ARやらVRメガネなんか付けてないで裸眼で世界をよく見てみろよ。
この前、六本木ヒルズレジデンスの公園行ったら驚いたね。地面がふわふわの特殊加工の床材で出来てて転んでも怪我しないようになってるんだわ。そこで防災頭巾みたいにバカデカい日除け帽子被ったお子様たちが銀のスプーンを咥えながら、「バルス、バルス」って遊んでたけど、お前らなんか、どちらかと言えばムスカ側だかんな。さらに言えば、これからそのムスカにもゴミ呼ばわりされるような、バルスなしで始末できるモブどもに育って人混みの一部に消えていくんだわ。
そしていつかそれに気づいて惨めな気分になった奴らから、カラオケで汚ねえダミ声で地上の星を涙目で披露するようになるんだろ?アホか。本当の地上の星を知らない人間にその歌を歌う資格なんかねぇんだよ。お前らみたいな夜空のお星様はな、たとえ六等星でも、中島みゆきのファイト対象外なんだよ。残念ながらアスファルトに落としたお前らの涙で育つ芽はないから、せいぜい東京の夜景に負けないように無理してキラキラしてろよな。
レイプ、性暴力、性的暴行、セクハラといった言葉は昔から使われてきたが、
きっかけは、去年8月に週刊新潮が香川照之の件を「性加害」という言葉で報じたことだ。
ホステスの胸を触るとか、下着を剥がすといった行為は、従来なら「セクハラ」という言葉で表現されてきた。
香川照之の件がきっかけで急速に「性加害」という言葉が広まった。
問題なのは、香川照之の件がなければ、ジャニー喜多川の行為は「性的暴行」「性暴力」と呼ばれたはずだった。
ジャニー喜多川の行為を「性加害」と呼ぶと何だか軽い感じがして、とても違和感がある。