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2018-08-15

親の本棚で思い出したこと

親の本棚子供読書に影響うんぬんという話が盛り上がっている。

それとはあまり関係ないが、人間の本の趣味というのは大きく変わってくるんだなぁという話。そして再度交われるんだなぁというお話

自分父親歴史ものとかノンフィクションであれば政治、国際情勢の本を昔から読んでいた。

高校生くらいの頃はたまに自分も読んでいた。

大学に入ると、自分理工系に進んだこともあり、あまり本の趣味が合わなくなってきた。

たまに実家に帰ったとき父親が「この本面白かったぞ」と紹介してくれるのだが、政治家のルポだったり、アメリカ情勢だったりで読み始めても数分で本を閉じてしまう。

自分は専門分野だけでなく、どちらかというとサイエンス寄りの本を読むことが増えていた。

もちろん一般書で、例を挙げればHONZサイエンスで紹介されるような本。

昔は父親が勧めてくれた本を面白く感じてたが、いろいろ知ると父とは好みがずれてくるんだなぁ、感慨深いなぁなどと思ってた。

それから10年以上経ち、自分博士課程まで進んでしまい、その後しばらく働いていると父が倒れた。

入院中で元気をなくしている父にお見舞いする際に、読書が好きだから、なんか本を持って行ってあげようと思った。

父の好きそうな本を持って行ってあげたいが、もう好みはわからない。

仕方ないか自分の手持ちの本の中から、がんばって父にも読みやすそうな本を3冊くらい見繕ってもっていった。

自分が帰った後、母の話によると父は食い入るように本を読んでいたそうだ。

無事手術が終わり、父と話したら、そのときに持って行った菌世界紀行という本が大層お気に入りだったようで、

岩波科学ライブラリーって面白い本いっぱいあるんだなぁ、岩波新書くらいしか読んでなかったよ。退院した後にいっぱい買ったよと笑っていた。

60過ぎた父親に、新しい面白さを見つけてもらってすごく嬉しかった。

次は、大学生のときに勧められた本を自分が読むべきだな。

2018-08-08

anond:20180804152511

歴史人口学で見た日本』はともかく、『ユーゴ紛争』って、体系的な読書入り口になるか……?

いや、ユーゴ紛争とか国際政治かについて関心を持つ糸口にはなると思うけど、良くも悪くもルポルタージュなので、体系的な読書入り口になるかっつーと微妙では。

ルポルタージュルポルタージュとして興味深いものだけど、往々にして「入り口」というか「とっかかり」であることが多い。本当に相手に体系的にものごとを知ってほしいなら、導入は別の本がいいんじゃないの。

もし国際政治とかそういった話に興味を持ってほしいなら、ナイ&ウェルチ国際紛争』(http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641149175)とか、あるいは有斐閣政治学入門のやつ(http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641150256)とか。

東大出版会最近政治学の入門シリーズ出してるな>http://www.utp.or.jp/book/b297525.html政治学の入門としてはお手頃かなと。

民族問題とかそういうテーマにいざないたいなら、『民族ネイション』(https://www.iwanami.co.jp/book/b225944.html)とか、『民族紛争』(https://www.iwanami.co.jp/book/b226218.html)とか。『ナショナリズム論・入門』(http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641123359)はちょっと初心者にはとっつきにくいかな。

ユーゴ紛争に興味を持ってほしいなら、『ユーゴスラヴィア現代史』(https://www.iwanami.co.jp/book/b268264.html)とか、最近出たやつだとマゾワーの『バルカン』(http://www.chuko.co.jp/shinsho/2017/06/102440.html)なんかがいいんじゃないの。

国際紛争』はレベル的にも大学新入生がちょっと背伸びして読んでみるくらいだから青二才さんにちょうどいいと思うんだよね。色々おもしろエピソードが紹介されてたりするし。やっぱり英米教科書はおもろいわ。

あるいはどんな入門書が適切かわからん問題もあるのかもなー。青二才さんが何かの入門書を探したい、となったときには、だいたい、

この辺をチェックして入門書探して、そこから参考文献を芋蔓式にたどっていくのがいいと思うんだよね。

ただまあ最終的には青二才さんに興味がないとどうにもならんところはあるので。You can lead a horse to water, but you cannot make him drinkですよやっぱ。

2018-05-30

anond:20180530171716

マスコミ就活経験からすると

「ああ何としても紹介状をもぎとってこいっていう選考ね」という感じ

別に不公平だとは感じない。岩波だったらそれくらいのハードルありそう。

anond:20180530165207

そりゃコネで実力が保証されてるならその点では問題ないし、実際岩波なら保証されてもいるんだろうけど

不公平という問題だけは残るよね

仮にコネで入れる人と同等の実力があっても、しかるべき伝手がなければそれを証明する機会すら与えられないわけだから

何より、進歩的文化人根城がそういうのを肯定するっていうのがギャグじゃない?

コネ入社

https://toyokeizai.net/articles/-/222250

この記事に対して着いているコメントを見て、批判している人が考える「コネ入社」とどうでも良いと思っている人の「コネ入社」が基本的に違う物ではないかと思い当たった。

批判している人が考える「コネ入社」というのは「コネの人脈で入社する」というものなのだが、どうでも良いと思う人が考えるコネ入社とは「コネ人物保証する条件での入社」なのである

入社試験というのは「人物能力確認するもの」なのであるが、「会社が信頼する人物候補者能力保証してくれるのであれば試験をする必要がない」というのが、その考え方である

かつて炎上した岩波書店問題がそれで、「岩波書店から出版した)著者の紹介状あるいは社員の紹介があること」はつまり「当社が認めた人が能力保証すること」が前提条件という事である

なお、Wikipediaによれば岩波書店社員数は200人であり、そこに千レベルの応募があったというのだから対応しろというのは無理な話である

https://www.j-cast.com/2012/02/03121164.html

岩波書店の「コネ採用」に対する当時の用語記事であるが、この記事の考え方はまだ甘い。

しろ、全社で200人の会社採用する人間なんて通常は年に数人。岩波が最終的に採るのは「先輩に電話して紹介状を書いてもらう」とかのレベル普通学生ではなく、「著者の先生研究室にいる食い詰めたので就職したい万年院生」とかであろう(笑)

社員の推薦というのは、おそらくアルバイトからの登用とか、古巣研究室からのつながりということであろう。

何も教えなくても専門書が読めて、ちょっと教えれば校正作業に入れるような奴を採っているはずだ。

2018-05-06

anond:20180506165715

岩波文系観点からも非常に重要で、いわゆる「基本的古典」はかなり岩波文庫にはいってるんだよな。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神とか、ケインズ一般理論とかの経済系もだし

哲学存在と時間とかまあほぼすべてって感がある。

あとドイツ語ではないけど「国際政治」もあるし。

岩波新書の方もかなり重要ものが多いし。大学書店なんだから基本的古典小説もあってしかるべきだとおもうし。

理学部ローカル問題ですらとてもない。

anond:20180505191545

リンク先を読んだけれどもあまりにもひどい。

言及している人が少ないけれども

岩波書店の本は返品できないから注文するなというくだりも狂っているとおもう。

岩波が注文できないということは

が買えないということ。

どんな大学であろうともこの二つは必ず物理科の参考書指定されているはず。

他にぱっと思いつくだけあげてみても

理工学系の教科書というと

岩波朝倉吉岡丸善裳華房/培風館 などがあるけれども

この中で初学者向け入門書を扱っているのが岩波というイメージ

立教教授に教えた方が良い。

理学部死ぬぞ。

2018-05-05

http://b.hatena.ne.jp/entry/363523680/comment/uunfo

「本が売れないと騒いでる出版社人達は見て見ぬ振りをしてるみたいだけど」

単純に疑問なんだけれど、この人は出版社人間が何をするべきだと思っているんだろう。

言うまでもなく、出版社書店は別の会社だ。つまり出版社人間書店に対して「あの人を店長にして待遇改善裁量を持たせろ」みたいに口を出すことは基本的にできない。「あなた方の経営方針最悪ですね」とか営業の場で言えるわけがない。品揃えに対して「うちのこの本をもっと置いた方が売れますよ」とかはそりゃ言うけれど……例えば岩波人間が「岩波文庫ちゃんと置いてください」と言っても、お店が「置かない」「その分の棚は用意しない」と方針を決めてしまったら難しいんじゃないかなあ。少なくとも長期的な交渉になる。棚を頻繁に大幅に変えるの大変だしね。

出版社営業関係者の間でも「あの店のあのベテランが辞めてしまった」と溜息をつくことは、けっこう前からけっこう多い。大きめの書店でも知識のある店員がどんどんやめて、経験の浅いバイトとごく少ない社員で回しているところが多くなっている。版元関係者にとっても悩ましいのだ。

そういう話をするべき相手は、出版社ではなく丸善雄松堂親会社である丸善CHIホールディングスとか更にその親会社大日本印刷とかなんじゃないかなあ。

できない話ばかりしてんじゃねえって言われそうだけれど、この状況で出版社人間書店にできること、するべきことって何だろうなあ、と思ったんですよね。

2018-02-01

anond:20180131204850

古くは、はてしない物語岩波ハードカバー限定)とかかな。

あと個人的にはハチワンダイバー増田が探してるのとは違うと思うが、あれの谷生の情熱第四の壁を超えて俺に届いた。読み終わった後、気がつけば人生で初めて詰将棋を真面目に解いてた。ああ、俺にこれをさせたかたからお前はあんなにも人生をかけていたのか、と感動したよ。

2018-01-23

週刊文春のくだらなさ

かにくだらないと思うが(エロ小説の抜き出しコーナーとか本当にくだらない)、別に好んで読みはしないが、病院の待合室に岩波科学週刊文春があったら週刊文春を手に取るよ。科学がどんなに言いたい事がいっぱいあってマジメな雑誌自分にとっていい雑誌とは思わないが)だろうと、あえて読みたくない気分の時って多いんだよ。

2018-01-20

シリーズ不寛容社会』0001 日本人が「ネットバッシング」を止められない理由に「日本人が元来持つ特性」があった

 日々、ネット世界悪人が仕立てあげられ、ネットバッシングネットリンチが繰り広げられている。確かに、叩かれるほうには否があり、叩くほうの意見に理がある場合が少なくない。しかし、バッシングが開始され、その流れが定まってしまうと、にわか大勢が参加し、過激さが加速度的に増していくさまは、脅威を感じるときすらある。

 『他人非難してばかりいる人たち バッシングいじめネット私刑』(岩波 明/幻冬舎)は、こういったネット住民たちの多くは一見正義派」を装っているが、目的他人を徹底的に糾弾し、傷つけ、ひねりつぶすことにあるという。

そうだとすると、なぜ、「バッシングすること自体自己目的化したバッシング」が横行しているのだろうか。本書によると、これには「世界が小さくなっていること」と「社会の変化」、そして「日本人が元来持つ特性」が関係しているという。

 まず、「世界が小さくなっている」というのは、インターネットSNSが大きな役割果たしている。“隣人”の範囲が広がりつつあると共に、個人秘密を保つことが難しくなってきている。

新しいデバイスを得たことで容易に他人の弱みにアクセスし、付け込むことができるようになった。また、匿名性が声を過激にしている。

 「社会の変化」については、社会で「コンプライアンス」が重視されるようになってきたことを挙げている。昨今の「クレーマー」は、“普通の人”や“善人”が豹変する特徴があるといわれる。

なぜか。内面的には「他人を許せない」「非難せずにはいられない」という不寛容日本人が増えてきているからだ。背景にあるのが、社会の「コンプライアンス重視」らしい。

 社会で「透明化」が推奨され、会社などで「コンプライアンス」が強調されることを、マジメな日本人は表向き良しとしている。一方で、「コンプライアンス」によって、これまでの慣行が突如「悪」として否定されることがしばしば起きている。

コンプライアンスを遵守するということは、不自由煩雑手続きを伴うということだ。ルールが細かく決まっているほど、余裕がない現場では「違反」も生じやすくなる。もちろん、コンプライアンスは遵守すべきだが、「違反」が発覚したとき他者は「自分は守っているのに」という抑圧された気持ち反動で、バッシングの火を過剰なまでに燃え上がらせる、というのだ。

 「日本人が元来持つ特性」とは、「差異に敏感」なこと。日本という島国の“閉鎖的空間”が培ったものだという。

閉鎖的な空間ではしぜんと同質集団形成され、「微妙差異に敏感」になる。たとえば、多様な民族宗教的背景を内部に持つアメリカに比べると、同質集団である日本には大きな「安心感」があるが、バックボーン価値観が似たようなものになりやすいため、すこしの異質でも排除しようとする働きが起きるのだ。

「アイツはどこか浮いている」「同期で能力はたいして差がないはずなのに、アイツだけ出世した」「あのガンダム作品好きが気に食わない」など、学校職場とかで生じる「妬み」や「憎悪」が「イジメ」や「ハラスメント」に発展しやすいのも、この日本人特性と深く結びついている、と分析している。

 以上の3つの要因が複雑に絡み合い、「ルサンチマン(常日頃から感じている悔しい思いやねたみの気持ち)」を抱えやす日本人は、攻撃できるはけ口を見つけると、ボルテージが一気に増幅。日常は抑えている攻撃的な衝動があらわになる、というわけである

 バッシングをすることによって、物質的な利益を得られるわけではない。むしろ、相当の時間エネルギーを消費してしまう。非合理的な行動なのだ

本書によると、そもそも人の行動の多くは、合理性よりも「快、不快」あるいは「好き、嫌い」の感情で左右されるものだという。攻撃的で不寛容な人たちは、自らの感情に忠実な人たちという側面も併せ持つ。

 閉ざされた狭い島国において、似たような顔をしたものどうしがお互いを監視しつつ、ほんのすこしの差異のために競い合い、憎みそねみ合っている。

私たち日本人は、こういった状況を世界的にみて特別だと気づくこと、特殊だと認めることから始めるべきではないか、と投げかけている。

https://anond.hatelabo.jp/20180120162858

https://ddnavi.com/news/270886/a/

2018-01-16

anond:20180116001948

「Also sprach Zarathustra」をどう訳すかというのはただの翻訳問題でしょ。

「昔は『かく語りき』だったけどそれじゃ通じないから『こう言った』に変わった」とするには

岩波の「ツァラトゥストラはこう言った」は1967年だしさあ。

2017-11-21

anond:20171120100004

ああ、なんでこんな前向きな言及ばかりなのかと思ったら岩波が売れないって話か。

 忙しいからよく噛んで味わってる暇ないし、女子は顎が張ったら嫌だからね。

だいたい増田は小うるさいし、noteだってお手軽ライフハックばっかりになってきてんじゃん。

 マウントするから避けられるんだよ。「俺は顎が丈夫だ、硬いものでも噛み切れなきゃダメだ!」ってさ。

みんなスマホでスィーってやってツンツンしてラインでふわーってやってるのに、なんでマルクス論とか構造主義とかヴィトゲンとかウケると思った?

 まずそこから考えようよ。俺は参加しないけど。

小畑健が表紙にラスコリニコフ描いたら売れたんだろ? 気取り過ぎなんだよ固パン屋は。w

2017-11-14

Amazonレコメンド、他のサービスのものと比べるとだいぶ精度いいんだけど

"同じ商品"だという判断が甘くて、イライラすることがある

たとえば文庫本を買ったら、違う出版社から出ている同じ書籍を勧めてくる

しかになんとかコードは別物が付いているんだろうけど

一度読んだ本を、じゃあ今度は岩波でとか読み直したりしないでしょ

またラノベとかのシリーズものだと、読んだこともない本の6巻とか突然勧められるんだよね

ああこれ聞いたことあるなと思ってリンク踏んでみるんだけど

そのページのどこにも1巻への導線がない

最新巻がいま一番売れてるから最新巻をリコメンドするのはわかるんだけど

そうしたら1巻へのリンク必要でしょ

突然6巻から書い始める人なんてめったにいないでしょ

Amazonさんにはそのあたりの区分をどうかうまくやってほしい

2017-11-01

岩波と中公は新書をやめたほうがいい

岩波と中公が新書を出し始めた当時、新書知的で刺激的な読み物だった。

だが新潮の『バカの壁』あたりから他の出版社が続々と新書市場に参入してきて、

粗製濫造時代になってしまった。今や新書高卒本の代名詞だ。

岩波や中公の新書でさえ、ただ新書であるだけで悪いイメージを持たれてしまう。

二社は新書市場から離れて、新しい判型を打ち出すべきではないか

2017-07-25

艦艇名っぽい出版社

駆逐艦岩波 なんか夕雲型あたりに混じってても違和感はない

駆逐艦新潮 字面だけだと朝潮型にいそう

軽巡洋艦角川 あ、これ普通に川の名前

軽巡洋艦山川 響き的にはかなりありな感じ

2017-06-30

https://anond.hatelabo.jp/20170630110359

元増田です。中国思想専攻でない私のいっちょかみ投稿にとても叮嚀に注を付けて下さって深く感謝します///

文字の異同について出土資料と併せて詳しく解りやすく整理していただき、大変勉強になりました。

「晩」と「免」なんてどうせ互いに通用する文字だろ、という(勝手な)思いがあり「晩」「免」の対立(にみえ構造)を超えて考えられないかと、先行研究も読まず諸橋大漢和もひかず増田に書いてしまいました。

金谷治氏の本、岩波の『論語』『荘子しか読んだことなく、これを機会に『老子』もちゃんと読みますリンク先の他の書籍面白そうなので、まず手に取ってみようと思います

本当に叮嚀に解説・紹介いただきありがとうございました! 多謝。

2017-06-27

棒銀って強いんだっけ

https://anond.hatelabo.jp/20170626192037

こんばんは、id:sugimurasaburo さんからIDコールいただきました。ありがとうございます船橋海神id:cj3029412)です。本職はねこちゃんの保護趣味ブログで嘆くこと、在野で中世古文特に助詞助動詞研究を行っておりますキャッチフレーズは「(´;ω;`)」「でかいです」。将棋も大の好物です。

以下は私の私淑する大野晋先生およびその決定的名著/集大成であらせられますところの(敬語誤用)「岩波古語辞典増補版」(2016/1/12補訂版第23刷)に依ります

よろしくお願いします。

けりの基本性質=回想の助動詞

加藤一二三という男、ありけり」を訳してみましょう

(A)~(D)は上の引用解説を便宜的に分類した符号。【訳】は私のもの(一部、戯れ)です。

失礼かどうか

元増田氏の理解(「加藤一二三という男がいたそうだ」)(「伝聞の過去」になるんじゃないだろうか?)とは少うし違いますけれど、私も第一感、失礼…というか、そんなに遠い昔の話だっけ、という印象です。端的にいえばアホバカクズ受信料払わねえぞと申し上げています

現代語に残る「けり」

ちょっと一休しましょう)ちなみに、この日記に私が付けたタイトル「強いんだっけ」の「け」がそうです。「けり」の「り」が落ちました。

もし強引にありえるとしたら

米長邦雄永世棋聖くらいでしょう。米長先生が戯れに「加藤一二三という男、ありけり」とおっしゃる、これはありえます。「君たちは知らないだろうが、私もいま思い出したのだが、加藤一二三という男がいましてね」あるいは「あら、こんなところに加藤さん、(ずっと)い(らっしゃっ)たんですね(気づきませんでした)」。しかしこれも(ジョーク以外では)無理がありますね。ありえるとしたらかなり特殊な状況ということです。

(参考) https://www.youtube.com/watch?v=pr6-Bv3RVTw

場合によりけり」の「けり」

https://anond.hatelabo.jp/20170626193212

トラバ増田氏、慧眼です。古文研究をやっていてよかったなあと思う瞬間です。筋違いながら御礼を。

ネットスラングの【場合によるんだ(よ)なあ】で訳すのが一番しっくりくると思います。(過去)回想/気づきの原義は退き、(自分も気づいた)から同意/強意/念押しのニュアンスが全面に出てくる、その変化点が味わい深いですね。ちなみに、この線でお題の「加藤一二三という男、ありけり」の出るような状況を無理やり設定するとしたら、棒銀のことを話題にしているのにスレのだれも加藤先生のことを話題に出さない。そんなときに【加藤一二三という漢がいたんだよなあ】と、誰かがきっと書き込むでしょう。例えば、そんな感じです。これも、やっぱり例外的ですね。

まとめに代えて

「けり」は、幅の広い、陰影に富む助動詞です。それを、おそらく伊勢物語から(あるいは、伊勢であることすら忘れて何となく)「昔、男ありけり。」をただ引っ張ってきてNHKは使ったのではないか想像します。ここから物語論範疇ですが「昔、~けり」とやると、一気に作品世界が遠い昔/架空物語に飛ぶ。その効果を古人はよほど気に入ったのでしょう。いろんな作品が「昔、~けり」を使っていますNHKはさすがに「昔、」とやるのはおかしいということまでは感じた。ならば、もう一歩、脚を止めて考えるべきだったと思います

  • 降る雪や明治は遠くなりにけり(草田男、昭6)

お粗末さまでございました。

追記:翻って元増田氏へ

「けり」の思い出し(回想)効果は、いちど忘れていたことが前提になります。いま、加藤一二三先生のことを忘れてしまっている人はいませんね。ですから失礼というのは正しい直観だと僕は思います

「けり」を使うくらいですから、7/1のNHKは「神武以来の」と形容されたデビュー当時の、みんなが直接体験過去としては忘れてしまっていたところにフォーカスするのでしょうか。あるいは第19期名人戦大山康晴先生こてんぱんにやられたことを加藤先生述懐していただき秘話を発掘するといった「気づき」があるのでしょうか。よもや、升田幸三米長邦雄冥土鷺宮から召喚するのか。期待しないで待ちたいと思います

いずれにせよ、今回、元増田氏が感じたような、現代人の古語の扱い方に対する「もやもや」は、古語研究もっとも大切な礎の1つです。ぜひ今後とも大切になさってください。楽しかった\(^o^)/

2017-04-18

アカデミズムへのルサンチマン

中途半端な学識経験をもった人が、大学への私怨を溜め込んでいることがある。

そういう人は、学術論文を書いて研究業績を増やすよりも、論壇誌やブログネットメディアなどにせっせと文章を書いていたりする。

特に保守系文章を書いていれば、そういうのが受ける時代なので、論壇誌には載る。中公や岩波でなければ、新書を出せることもある。たとえ学術的にはお話にならないレベルの暴論であっても。

だが、そういうレベル原稿を書いていると、アカデミズム世界はどんどん遠くなる。公募に出しても、選考委員敬遠されてしまい、まず通らなくなる。公募はいえ、一緒に働く同僚を探すのだからツイッターで暴論を吐きまくっているような人はできれば避けたいと思うのはやむを得ない。TS大学など、その手の人に甘い大学もあるにはあるが、なにせ数が少ないので、ポストも限られてしまう。

結果、その手の人は大学への私怨を溜め込むようになる。「自分大学就職できないのは、サヨク連中が大学を牛耳っているからだ」みたいな話になる。実際には学術的な業績が乏しいのが最大の理由なのだが、そこには目を向けない。

ということで、お気軽な論壇デビューは、アカデミズムへの遠回りになることもありえるので、特に若い人には十分に注意してもらいたい。

2017-01-22

進路が決まら大学卒業した女な訳だが[4]

※前回

http://anond.hatelabo.jp/20170121220211

〜これまでのあらすじ〜

転職エージェントには見捨てられた。そう思っていた時期が私にもありました。

でも、違ったんです。

あのエージェントさんはこんな私にもたくさんの仕事を紹介してくれて…

あれ?私、卒業後のアルバイト歴は11ヶ月っていいましたよね?

これ、ココ、実務経験3年以上って書いて…ちょっとちょっと!!「あとはやる気アピールで頑張れ」ってちょっとー!!そりゃないですって。

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家に帰ってひとり。どうぶつの森の一番初期状態の部屋みたいな何もない部屋で、分厚さにして岩波文庫本(薄め)ぐらいある書類の束をパラパラと眺めていた。どれもこれも、私の職務経歴では無理な気がしてならない。

困り果てた私は、担当女性に助けを求めた。しかし、担当さんは「だぁいじょうぶですよ。とりあえず気になったものエントリーするところからはじめましょう」と言う。

私が油なら、彼女は水だ。完全に弾かれてる。私、担当さんの表面を浮いてる。ジョイCMのアレみたいになってる。

そこまでいうなら、エントリーしようじゃないの。

私専用の転職活動マイページには、真っさらグラフ棒人間イラストが表示されていた。何件かエントリーすると棒人間が歩きはじめ、グラフが伸びた。

ほらほら。私応募したぞ。お返事は?

…ほらほら。

あ、きた。

「経歴が弊社の求めるものマッチしないためホニャラララ……」

ほらほらー。ほらー。

こうなるじゃないですかー。何がマッチですか。ギンギラギンにさりげなくお祈りしてきやがってー。そいつが俺のやり方〜ってやつか。

そこから私はなにか吹っ切れた気がした。これは地獄エントリー千本ノック。的な…(最終的に千件もエントリーはしてないけど。)

かのキリストが説いた「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」の如く。右のエントリーが落ちたら、すかさず左のエントリー差し出す日々が続いた。

そんな中、面接まで漕ぎ着ける事ができた会社がやっと出てきた。

ウキウキクワクで会場に赴いたところ、何故か面接官は外国人英語面接を仕掛けてきた。クリアアサヒじゃなくて、肝が冷えてる。

英語が得意なんて一言も私はアピってない。「簡単語学力テスト」があるとは聞いていたが、もしかしてこのことか。

面接官「"هدف مدرسة كيئو" فوكوزاوا يوكيتشي」←よくわからない英語

と、終始こうで、私は完全にパードゥンしか言えない壊れたオモチャ状態だったため、途中から面接官が普通に日本語を喋りはじめた。

やる気アピールなんてこれじゃ無理だ。

もちろん結果は…。

とまぁ、最初面接でかなりブットビだったため、後々の面接はあまり緊張せず臨めたのは良かった点だったが…。

その後も、逆転裁判しか見たことのないような四角形の謎のフォーメーションのおじ様×6に囲まれての超圧迫面接や、やる気のなさすぎる人事の面接と呼んではいけないシロモノを体験したり

キンギョを吐いたり ロウソク消したり

コウモリ吹いたり ペンキで塗ったり

お店のカートで激走

ラヴィ!

でも何となく、そんな中で、自分に求められているのはあってないようなスキルの無理矢理なアピールではなく、今後の展望と今までの自分を照らし合わせてしっかり伝えていく事だと分かりはじめた。私みたいにアルバイター上がりの若者には、ハナからその点を期待して人事も面接をしていない。

そこに気づいてから新卒の時にはなかった落ち着きを持つ事ができた。

最後の方には逆に人事を私がこっそり面接(?)するくらいの余裕まで持てて、つまるところの“モテキ(明朝体・斜体)”である。持て持て。

就活をはじめてからいくつもの面接を語り明かした はちきれるほど My Dream

リクルートバッグひとつだけで 面接会場へIn the sky

みたいな感じで、飛び回っていたら、タイトジーンズねじ込む私という戦うbodyがすこし減量に成功していたり…そんなこんなで上京して2ヶ月が過ぎる頃。

遂に私は最終面接というゴール地点まで到達することに成功した。

次回[5]がおそらく最終回です。

2017-01-05

学校名前がかぶった話

小学校の時、同姓同名の子がいた。

うちの田舎はよくあることだけど、特定名字が多い。

私は増田隆だったが、同級生増田隆だった。

その他に、増田孝雄がいて、増田貴子もいる。

そんな小学校だった。

そんな田舎なので、クラスが30名1クラスしかない。

そのクラスの生徒のうち、増田姓が半分ぐらいいた。

増田隆が同じ学校に2名存在した場合

普通なクラスをわければ混乱は少なくなるだろう。

でも1クラスしかないここではそうはいかなかった。

先生は困り果て、生年月日のはやい順に増田隆A、増田隆Bと呼ぶことにした。

ところが、これが親からの猛反対にあった。

子どもものみたいに記号をつけるなと。

じゃあ、どうして欲しいのかという意見は親からでなかった。

先生さらに困り果て(代わりの教師はいないのも理由だ)、

教室には「増田隆くん」は1人しかいませんとみんなの前で発表した。

突然はじまったその説明によると、

朝登校して、机の上に三角錐でできた「当番」とかかれた木材を置かれたほうが「今日増田隆」ということだった。

ボク達は、ちょっとわくわくしてそれを受け入れた。

もちろん「親には内緒だよ」という先生の教えも忠実に守っていた。

から、当番札が置かれなかった増田隆は、

教室存在してはいけない増田隆になった。

ボクが「非番」の日は、図書室で本を読むことにした。

江戸川乱歩シリーズや、岩波児童文学を片っ端から読み漁っていた。

勉強が好きではなかったので「非番」が少し寂しい気もしたが、嬉しくもあった。

もうひとりの隆くんは、授業も先生も好きで、当番になると素直に喜んでいた。

二人はそれぞれの好みにあわせて、しばらくはうまくやっていたようにも思えた。

そんなある日の放課後、背後からやってきた隆に、

傘の柄を首にひっかけられ、殺されかけたことがあった。

その時は、たまたま通りかかった先生に助けられたが、

隆には低酸素脳症障害で脳が一部壊死したため、今でも人並みに話したり、歩くことが苦手という。

隆は「ずっと当番でいたいから隆が邪魔になったんだ」と泣きながら弁解していたが、

まわりには聞き入れてもらえず、この事件きっかけに名前を孝に変え、親戚の家へしばらく引き取られた。

先生のこの企みが白日の下にさらされて、先生も他校へ異動となった。

そしてこの週末、成人式で隆に久しぶりに会うことになっている。

どんな顔をするんだろなぁ。

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