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2019-02-05

anond:20190205131604

それな。

大半は、自分がこうあってほしい筋書きや演出がされてないと途端にすべてが憎くなるみたいなちょっとおかしい人がさも自分は賢い風に批評家を気取ってるだけ。

そのこうあってほしい像も好みにすぎんレベルだし。そんな考えがよくプロの何十人もの人たちが話し合って決めた表現より優れてると思い込めるなっていう。

思い通りに行かないと怒り出す人ってかなりの割合ASD傾向だし、そもそも想像力洞察力が人より劣っているから変な所で理解が途切れてしまって、視聴につまずいてしまうんだよね。

いかにもそういうハンデのある人たちの上げたような主張(というか難癖)が大きく聞こえてしまうのがネット特性でもある。

特にキャラクター言動文句を言う人はいつも人間性自分基準で、いろんな性格、いろんな倫理観精神的な未熟さとかの発達具合が様々であること、そういう多様性に関する想像力が働いていない気がする。

あとストーリー上の衝突、すれ違い、喧嘩みたいな作劇上必要から描いているものをなんでもシリアス展開といって嫌がる人。

表現者が描こうとしているもの自分が求めるものが違うことをほんと理解してほしいよね。素直に日常系みたいなのだけ見てて。

そもそも作品鑑賞ってのは作者が描こうとしている世界に、思想に、どっぷり浸かってあげる、そこで自分の知らない価値観を得て、自分を広げる、っていう受容の娯楽なのに。

受容する態度が根本から無くて、逆に自分の美意識作品におしつけようとする人って致命的な勘違いをしてると思うんだけどね。

2019-01-28

名探偵が嫌いだ

勿体ぶった言い回し

容疑者たちを一堂に会した場で事細かにトリックを明かし犯人を当てる茶番

作中では洞察力に長けているとされながら、その状況で犯人がどういう行動を取るか予見できない浅ましさ。

現にポワロなんかは何度も(犯人自害人質取られた挙句恋人無理心中など)痛い目に遭っているのに、一向に悔い改める素振りがない。灰色の脳細胞とか言ってる場合かよ!事件はお前の脳内で起きてんじゃねえんだよ!

なぜああい物語一定の支持を集めるのか理解できない。

anond:20190128111851

あなたこそいろんな意味があるとまでわかってるなら

相手がどういう意味で使ってるか洞察するか質問する程度の知性があるべきでは

2019-01-25

anond:20190125181438

タランティーノに誠実さを感じる()人は、相当人経験というか洞察力というか、いろんなものが足りないと思う。

彼の映画を見れば見るほど伝わってくるのは、小心で、勇気名誉のようなこととはまるで無縁の臆病な人格だ。

強い者に立ち向かっていくようなガッツが全くない人間なのがはっきり伝わってくる。

例えばリアルに女や黒人が怖そうな人間いじめられてる場面に出くわして自分一人しか止められる人間がいないというときには、汗をだらだら垂らして薄笑い浮かべながら誤魔化してなにもしないような男だろう。

それが面白いから俺はタランティーノ映画をみるんだけど。

2019-01-13

オタク同士なら仲良くなれるかと思ったらみんなパリピだった件

オタク文化の大衆化に少しだけがっかりした話

上記エントリを書いた増田であるチラ裏のつもりで書いたのに反響が多くて驚いた。しかし己の気持ち文章で伝えることがいかに難しいかということも実感した。何点か補足・追記したい。

何人かの方が、昔VS今という文脈文章を読まれたようだ。それは少々違う。昔に戻るかと聞かれれば私は否と応える。豊富コンテンツが溢れる現在オタク生活は最高だ。十分に楽しんでいる。しかコンテンツ方面問題はなくてもコミュニケーション方面では多少齟齬があるという話だ。タイトルに書いたように"少しだけがっかり"であって"大いに絶望"ではない。あまり二元論的に捉えずに頂けると有り難い。

ライトオタクに対するディスだ、と反応された方もいる。私は思う。ライト層をディスって気持ちよくなれるならとっくにそうしている。ライト層を見下し異物として切り離すことが上手くできなかったからこそここで長文を書き散らしているのだ、と。

私が「今のオタクほとんどはオタクコンテンツを嗜むだけの一般人である」と書いたのは、オタク気質のある人だけがオタクだとアピールするためではない。大げさに言えばそのように認識しないと精神を安定させられなかったためだ。ただの苦肉の策だ。

異国の地で日本人に会うとなぜか親近感や安堵を覚える。同じ日本人という共通言語文化常識などの背景の文脈を共有できると思うからだ(その文脈がどの程度共通しているのかはさておき)。オタクという言葉にもそれと似たような作用があると思う。相手自分オタクだと紹介してきた場合オタクという言葉に含まれ文脈を背景として共有できるものだと思っていた。それは研究熱心さ、多少変わった人であること、後ろ指を指されがちであること、また劣等感であったり、周囲に馴染みにくいことなど、ネガティブな側面とポジティブな側面を雑多に含めたイメージだ。オタクであることを隠して生きてきた私にとって、相手属性ひとつオタクがあるということは安堵を感じさせる要素だった。同じオタクの前では自分を過度に虚飾しなくてもいい、劣等感を感じることなく己のコンテンツへの造詣を語っても構わないという安心感だった。

その感覚を抱いてSNSを始めたのが良くなかったのだろう。相手オタクだと名乗ると、オタクとしてのもろもろの背景を相手も共有しているだろうと勝手に期待してしまった。そこから先はお察しである。もはやオタクネガティブニュアンスなどなく、皆パリピだった。

私は自分オタクに対する認識アップデートする必要に迫られた。彼らをオタクである、と認識すると勝手に同一視して期待してしまう。期待することをやめられない。ならば彼らはオタクでない、オタク趣味を嗜む一般人である定義したほうが勝手な期待をせずに済む。しかしその定義には副作用もあった。同じ文脈をひとり共有できていないという孤独感をもたらしたのである。なので一抹の寂しさを感じていると書いた次第だ。

これはオタク論のような大きな話ではない。パリピになれない陰キャの悲哀とでも述べた方が正しいだろう。そしてオタ気質人間/そうでない人間のすれ違いもそれと並列に存在している。この話にオタク関係ないと看破したブクマカがいたが、素晴らしい洞察力だ。ネガティブ気質文脈として共有しないと他者に対して自由に振る舞えないというコミュ障の話でもあるのだ。そしてオタク文化大衆化する前は文脈の共有が容易かった。

何人かの方からは、気の合う人間とだけ付き合えばいいというアドバイスを頂いた。正論だ。しかし私の場合、絵を通じて人と関わることも多いのでなかなか難しい。私の絵が好きだと言ってくれる人を気質が違うから関わるなと門前払いすることはどうにもできそうにない。私は彼らのことが嫌いではないのだ。ただ寂しさを感じるだけだ。しかし昔オタ趣味に耽っていたころは一人が当たり前で寂しさなど感じなかった。SNSを始めた途端に寂しさを感じ出したというのはなんとも皮肉ものだ。

それでは各自楽しいオタクライフを!

2018-12-25

アニメ化直前ブギーポップシリーズ現状報告(ある程度の既読者向け)

(全て個人的見解です)

アニメの開始で、ブギーポップ懐かしい!原作いまどうなってるの?ていうかまだ続いてるの?という人々も少なからずいると思われるので、シリーズを振り返りつつ現在の大まかな状況を説明する。

今のところ明確にブギーポップシリーズとして刊行されているのは以下の22作。

  1. ブギーポップは笑わない
  2. ブギーポップリターンズ VSイマジネーター PART 1
  3. ブギーポップリターンズ VSイマジネーター PART 2
  4. ブギーポップ・イン・ザ・ミラー パンドラ
  5. ブギーポップオーバードライブ 歪曲王
  6. 夜明けのブギーポップ
  7. ブギーポップミッシング ペパーミント魔術師
  8. ブギーポップカウントダウン エンブリオ浸蝕
  9. ブギーポップウィキッド エンブリオ炎生
  10. ブギーポップパラドックス ハートレスレッド
  11. ブギーポップアンバランス ホーリィ&ゴースト
  12. ブギーポップスタッカート ジンクスショップへようこそ
  13. ブギーポップバウンディング ロスト・メビウス
  14. ブギーポップイントレランス オルフェの方舟
  15. ブギーポップクエスチョン 沈黙ピラミッド
  16. ブギーポップ・ダークリー 化け猫めまいスキャット
  17. ブギーポップアンノウン 壊れかけのムーンライト
  18. ブギーポップウィズイン さびまみれのバビロン
  19. ブギーポップチェンジリング 溶暗のデカダント・ブラック
  20. ブギーポップアンチテーゼ オルタナティヴエゴの乱逆
  21. ブギーポップダウトフル 不可抗力ラビット・ラン
  22. ブギーポップ・ビューティフル パニックキュート帝王学

(新作「ブギーポップオールマイティ(仮)」来春発売予定)

電子書籍ストアなどでは、作者本人が執筆イラストレーター共通しているスピンオフビートのディシプリン』『ヴァルプルギスの後悔』各4巻もブギーポップシリーズとして扱われているが、ここでは除外する。

ブギーポップシリーズは、刊行順の並びで大雑把に三つに区切ることができる。

12/26追記:この区切り自分個人的勝手にそう思ってるだけの便宜的なものです)

第一期(98年〜00年)
1.笑わない〜9.エンブリオ炎生

第二期(01年〜13年)
10.ハートレスレッド〜18.さびまみれのバビロン

第三期(14年〜)
19.デカダント・ブラック

各時期の特徴を見ていこう。

ブギーポップ第一期(笑わない〜エンブリオ

一般的な「ブギーポップ」のイメージを形作った初期作品群。

一見ありふれた現代日本日常の背後で、巨大な組織が絶えず暗躍し異能者が世界を変革するべく活動する、謀略論世界観。

思春期不安定な心と世界危機がいっとき交差する、叙情的・詩的な青春小説としての側面。

五人の主人公視点による五つの章で一つの事件を立体的に語る、という第一作の笑わないに代表される、トリッキー構成

ごく一部の準レギュラー的な存在を除いて、基本的新規キャラクターもしくは既存の脇役が主人公となって毎回半ば独立した物語が展開される、いわば全ての巻がお互いの「外伝であるようなシリーズの組み立て。

緒方剛志の洗練されたイラストと、鎌部善彦によるシンプルかつ洒脱なブックデザイン

少女達の間でささやかれる都市伝説であり、普通女子高生の別人格?として現れ黒づくめの格好で口笛を吹きワイヤーを操る死神もしくは世界の敵の敵……という、その他の世界設定からは遊離しているとしか思えない謎の、しかビジュアルデザインも含めて圧倒的に魅力的な存在ブギーポップ

などの点が読者から評価され、人気を呼んだ。

ラノベ流行TRPGベース異世界ファンタジーから現代ものに塗り変えただとか、現在大人気のあの作家やこのゲームライターも影響を受けただとか、当時の存在感については既に色んなところで言われているので各自Wikipediaなどを参照のこと(大げさだったり紛らわしかったりする情報もあるので眉に唾をつけながら)

ブギーポップシリーズ - Wikipedia

具体的なデータは分からないが、売り上げ的にも恐らくこの時期が絶頂だったのではないか。今回アニメ化の対象となるエピソードも、ほぼこの範囲からと見ていいだろう。

この時期で注目すべき巻、という話になると、一作目の笑わないはもちろんのこと、それ以外も全部と言うほかない。

王道ボーイミーツガールを軸に、前後編同時発売というボリューム作品世界が大きく広がった、リターンズ1・2。

予知能力者の少年少女によるささやかコミュニティがたどる儚い運命を描く、もしかしたら謎部活もの残念系の先駆と言えるかもしれない?パンドラ

閉ざされた高層建築というアクション映画を思わせる派手な舞台設定で、最終巻となる可能性もあったためか一旦シリーズを総括するような大団円が心地良い、歪曲王。

笑わないに近い連作短編構成で、シリーズ重要キャラクター炎の魔女」とブギーポップ誕生を描く、ブギーポップオリジンとも言える、夜明け。

ジレンマを抱えた創作者の心をアイスクリームに託した、ペパーミント魔術師

屈指の人気キャラクターの登場巻であり、二人の男が巡り会い激突する、シリーズ中では比較ストレートに「熱い」展開が見られる、エンブリオ二作。

以上の9巻はわずか二年の間に刊行されている。ほとんど月刊ペースで新刊を出すような恐るべき速筆ラノベ作家存在する現在ではさほど目を引く数字でもないが、当時としては驚異的なスピードだった。それが一世を風靡する大人シリーズであればなおさらだ

次に述べる第二期では、複数の他シリーズと平行して執筆していたとはいえ一期と同じ巻数を出すまでに十年以上かかっていることと比べると、初期はどれだけ筆が乗っていたのかよく分かるだろう。

ブギーポップ第二期(ハートレスレッドさびまみれのバビロン

ちょうど一度目のアニメ化、実写映画化の時期を境にして、やや作風に変化が見られた。

異能による戦闘の重視

能力存在のものは以前からさほど珍しいものではなかったが、それまでは物語の中の一つの要素でしかなかった戦闘に、武器として用いるのが半ば当たり前となった。

各巻の主人公格にはたいてい非能力者も一人は配されているし、エンブリオのような異能者対異能者の直接的な戦いがそんなに多いわけではないが、それでもいわゆる「能力バトルもの」という印象はかなり強まった。これを理由作品から離れた読者も多い、らしい

かい部分だが、能力に(多くの場合洋楽由来の)名前がはっきり設定されることが多くなったのもこのあたりからだ(言うまでもないがブギーポップジョジョの影響を大いに受けている)

・「敵」の扱いの変化

世界の敵、もしくは敵候補側の視点が薄くなり、一期のように主人公の一人として扱われることが少なくなった。これと同時に、世界の敵の動機に世直しというか率直に表現すると「人類補完計画」に類するものがほぼ見られなくなった。

異能バトル化の進行と併せて、表面的には「邪悪敵役主人公たちが討ち滅ぼす物語」という単純な構図にやや接近することになる。

構成の素直さ

多くの場合複数視点で展開されること自体は変わらないが、各視点をそれぞれ一つの章(短編)にしたり、時間を大きく前後させたりというような凝った構成はあまり見られなくなった。

霧間凪の(一時)退場

数少ないレギュラーキャラである霧間凪が、二期半ばの13作目のオルフェの方舟以降、ブギーポップ本編に登場しなくなる。恐らくは、凪が主人公スピンオフヴァルプルギスの後悔』との兼ね合いによるものだと思われる。この不在は、21作目のラビット・ランで再登場するまで長く続いた。

テーマの複雑化

言葉にしにくい部分だが、一期においてはまだ、各巻が主に何を題材にしているのかが、なんとなくではあるが伝わるという印象だった。それが二期では、テーマ的により込み入った話が多くなり、分かりやす共感や盛り上がりからは遠ざかった感がある。そのぶん作家性がより強まった、とも言えるが。

第二期の注目作としては、

霧間凪ライバル?的な存在が初登場する(以降の出番はほぼスピンオフ)、ハートレスレッド

設定上最大に近い「大物」の登場巻であり、以後、他シリーズも含めて作中世界に大きな影響を及ぼす出来事が語られる、ジンクスショップ

暗い森の中を延々と歩き回る閉塞感と晦渋さのせいか読者の賛否が極端な、ある意味で二期らしさを象徴する作品といえる、ロスト・メビウス

本当に大事なことは既に終わっているという、これまでもシリーズに見え隠れしてきたもの見方が改めてテーマとして大きく扱われ、青春とバトルのバランスの良さから?二期の中では読者の評価も高い、沈黙ピラミッド(沈ピラの愛称で親しまれている)

などがある。

ブギーポップ第三期(デカダント・ブラック〜)

現行の作品群。

近刊の最も目立つ特徴として、主に第一作品主人公格だったキャラたちが、再びメインを張っていることが挙げられる。

基本的には新規登場人物もしくは既巻でのサブキャラ主人公となることが多かったものの、かつての主役がメイン級として再登板という展開自体は一期でも二期でも存在した。たとえば、歪曲王の新刻敬、ロスト・メビウスの織機綺、化け猫フォルテッシモなど。しかし、デカダント・ブラック以降はそのようなキャラクター配置が今のところ全ての巻で一貫して見られる。

三期各巻で主人公格として再登場した既存キャラは以下の通り(カッコ内は過去の主演巻)

これらのキャラは初期作品評価に比例して人気が高く、シリーズ上でも重要人物と見られているが、彼らが登場しているからといって、いわゆる「本筋」が大きく進展するだとか、シリーズを畳みにかかっているといった気配はあまりない。相変わらず核心の周囲をぐるぐると周るような展開が続いている。

また、こうしたキャラクター配置がテーマから導かれたものなのか、それともある種の商業上の要請によるもの(早い話がテコ入れ)なのかどうかも不明

それ以外の傾向としては、概ね第二期のそれを継承した形になっている。ただ個人的に一つ気になる点として、新規キャラクターの「格」の低下ということがある。

あくま作品から受ける印象だが、三期で初登場した新キャラ達には、作者の思い入れというものがあまり感じられない。戦闘能力の強弱などの問題ではなく、良くも悪くも人格的な面で個性が薄く、その内面に寄り添い掘り下げるような視点も弱くなっている。

特に世界の敵もしくは世界の敵に至らない程度の「悪役」の造形はこの傾向が強い。あからさまに傲慢だったりするいけ好かない人間として登場して、実際にいけ好かない人格のまま説教されたり死んだりして退場する、というケースがほとんどを占めている。

また、主人公視点人物として再登場している一期のメインキャラ達はたいてい洞察力に優れ、過去の巻で既に何事かを成したいわばひとかどの人物であるため、彼らの視点で描かれる新キャラはいっそう底の浅さが浮き彫りになってしまうというキャラ格差問題もある。

世界中の誰しもが、たとえ一見取るに足りない存在であっても世界の敵になり得る、というようなテーマの反映なのかとも思うが、それにしてもクソ雑魚ナメクジに過ぎるし、そういう「敵」ばかりではさすがに辟易してしまう。なにより、たとえばあのスプーキーEですら持っていた、人格の複雑さ・意外性というものほとんど感じられないのは寂しい。

悪役なら悪役でいいので、せめて初登場時点では、恐ろしさや底の知れなさをもう少し演出してくれないものだろうか。あるいはいっそ、無理に毎回新規キャラを多数登場させることを控えて、ほぼ既存キャラだけで話を回し始めてもいい頃合いではないかと思うのだが……ムーンライトに一度だけ登場したカレー屋など、もっと掘り下げてほしい旧キャラも既に十分以上に存在することだし。

というかいい加減ストレンジ書いてくれ。

まとめ

自分の目から見たブギーポップシリーズのこれまでと現状は、こんな感じだ。

結果的に後半はほとんどネガキャンのような書き方になってしまったが、そういう意図は毛頭ない。むしろ、こんな風に不満を持ちながらもなんだかんだで楽しく追い続けている読者もいるぐらいには今も魅力的なシリーズなんだよ、ということが言いたかった。信じてほしい。

今回のアニメ化の影響で原作が売れたり読まれたりするとしても、そのほとんどはアニメ化の範囲であり新装版も出る第一期、それも前半に集中することだろう。だが、これを機会に未読の二期・三期作品にも手を伸ばしてくれる元読者がたとえ一人でも現れてくれるなら、非常に嬉しい。読んだら一緒に文句を言おう(文句言う前提)

この増田への批判反論は大いに歓迎する。内容が何であれ、ブギーポップへの言及は増えれば増えるだけありがたい。

2018-12-18

anond:20181218181049

学年あたり35人と別に生徒が少ないわけでもないのに、

教師が一コマの授業で受け持つ生徒の数が18人であることに驚いてんのか。

少人数でクラス構成さしてんなあって。

なるほどやっとわかったわ。

日本には35人の生徒を2組に分けてるとこないんだね。そこが自分には意外だわ。

てかずっと元増田は1クラスあたり35人と言っているもんだと思っていた。

自分の読解力と洞察力のなさがやばい

2018-12-09

ガンダムNTあるいは福井ガンダムに対する主立った批判反論について

やあ (´・ω・`)

ようこそ、ズィージオンの泡沫拠点みたいな腐った地獄の底へ。このヘリウム3サービスから、まず飲んで落ち着いて欲しい。

機動戦士ガンダムNTは見てくれたかな? 機動戦士ガンダムUCは? それはよかった。

うん、まるで中立的タイトルをしておいて、実は福井信者側の一方的エントリなんだ。済まない。仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。

でも、このスレタイを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない「ああ、こいつ富野信者中立的立場ナラティブ見に行ったのかな?と思って開いたブログ普通に福井こきおろしててゲルググのトサカに来た可哀想なやつなんだな」みたいなものを感じてくれたと思う。

殺伐としたガノタ界隈で、そういう気持ちを忘れないで欲しい(もっとサツバツとしてんじゃねーか)

そう思って、この増田を立てたんだ。

(といっても真面目に多くの人に読んでもらいたいわけではないというか、書いているうちに気持ちが落ち着いてしまったため、増田に投げ捨てているというほうが正しいかも)


Q1:ガンダムどうしてこんなオカルトになってしまうん?

A1:富野ガンダムのZから逆シャア(あと一応Vも)がバリバリオカルトだったんやで。またナラティブの話の筋は「富野ガンダムの一時期のオカルトは一体なんやったんや?」と問う側面もある。


Q2:シャアの反乱からF91までの30年間大きな戦争はなかったのに、福井サンライズ勝手戦争だらけにしようとしよる

A2a:マフティー20年前首都テロを仕掛けたんですけど戦争カウントされませんでした」

A2b:オールズモビル「我々はここ数年で二回戦争をやりましたがカウントされませんでした」

A2c:時期は違うけど参考までにデラーズ「観艦式潰してコロニー落としたんですけど後者事故扱いされました」

A2d:というように「大きな戦争」の基準ガバガバすぎるため、正直割と大丈夫だと思う(おい)。もちろんマフティー動乱は戦争というには小さすぎるのでテロ扱いだろうが、言い換えるとそれぐらいの規模ならよいということになってしまうし、とにかくオールズモビル戦役の扱いが際どい。


Q3:サイコフレームやらNT流行らなくなったのはF91までに大きな戦争がなかったんでNT概念が風化したからや、なんでそこ踏みにじって「サイコフレーム封印の切欠になる事件が〜」とか言い出すんねん

A3a:隕石一個動かすレベル現象を、”愚”民どもが30年ずっと解析も模倣もせず放置して風化ってのはやっぱ厳しい気がするんですがそれは(小並感)

A3b:あとこれは反論というよりこじつけなのだが、「市井では廃れたが各軍、各企業の一部では密かにNT研究は続いていた」という(それ自体福井以前からある)解釈を重視すると、意外とUCナラティブ問題ない気はする(強引小並感)。結局ユニコーン無双は一部の局地戦で発生したに過ぎず、多くの一般市民が(正確に真相を)目撃した事例ではないから、市井NT神話衰退を食い止めてはいないのではないか。もちろん一部報道や(宇宙世紀内の)オタク共がユニコーン存在活躍にある程度は触れているとは思われるし、その結果噂程度に真相が広まってもいようが、世間にどこまでインパクトがあったかというと微妙であろう。たぶん宇宙世紀内のミリオタ共も「サイコフレームがそんなイデオンみたいな力出す訳ないだろwww 架空戦記www」「っせーなじゃあこのアクシズどうやって動かしたんだよテメェ!!」って言い合って、周囲からキモがられてるに違いない


Q4:なんかダ・ヴィンチインタビューで「F91以降ニュータイプはいない」とか意味不明なこと言ってるで福井

A4a:お前さっきQ3で自分で風化言うてたやんけ!!!(ごめんなさいこれはちょっと言いたかっただけです)

A4b:批判側の典型的まとめサイト意図的誤読。当該のインタビュー普通に読めば「世間的にNT存在に関する話題ほとんど消え去った」であって「NT能力を持つ人間がいない」ではないのは明白。

A4c:ただこれはもう福井擁護ではなく余談になってしまうのだが、もともとNT論は「ジェリドはどうなんやジェリドは」「サイキッカーってなんやねん、NTちゃうんか」みたいな謎もあって割とガバい。そのためマジでF91以降NTおらんやんって暴言も全く通らないわけではないような(通すのが良いわけではないにせよ)。「カミーユ級を(真の)NT言うんならシーブックは(レベル高低的にも健全的にも)NTとは言わへん」「ウッソはNTというよりスペシャルやないんか?」みたいな過激意見もなくはないし(F91時代はみんな一種NTなんや!っていう人見たときは流石に度肝抜かれてしまいましたが……∀時代の話じゃなくて……?)


Q5:新訳Zで肉体を持った健やかなNT像が示されたのに、福井はまだそんなところにいるの?

A5a:「まだそんなところにいるの?」ではなく「そんなところを無視すると、新訳ファが拉致されて強化人間にされるんよ」という悪意の問題

実を言うとナラティブ批判するために新訳Zを持ち出すのは、福井を憎むあまり富野の最新動向を無視することになるので富野信者は気をつけた方がいい。というのも、新訳Zは「肉体と生活を傷つけられ、健やかさを奪われた人々はどうすればいいのか」という視点を欠いた、ゆとりNT論あるいは富裕層NT論となっているため。「シロッコみたいな傷つけるやつ片付けよう」だけで止まっており、「手遅れ」や「傷つけるのは特定悪人ではなく社会構造」といったケースに対応しているとは言い難い。富野本人はGレコですでにこの課題あるいはそれ以降に挑戦している(厳密には∀の時点で萌芽はあるし、もっといえば強化人間はもともとそうだったわけだが、では新訳でのフォウとロザミィの扱いはなんだったのか)。「人を家畜のように扱ってはいけない」とは言うが、ナラティブには手遅れで家畜にされてしまった人達物語という側面もある。

余談だが、このあたりはAGEオルフェンズ、AOZ黒兎の火星組にも通底する部分があり興味深い。三者が上手にやっているかというのは議論あるにせよ、である。また新訳Zにある意味隣接しているはずのクロボン系もまた、この生活貧困問題には新訳Zより常に切り込んでいる。

A3b:またこれはちょっと勘違いされているケースが多いかもしれないのだが、厳密に言うと福井側も肉体の放棄を手放しで賞賛している(できている)わけではなく、「遠い未来にある姿としてはそうなんやけど、いま無理してそれになろうとするのはアカンで」という風に言っている。ナラティブはまさにこの無理に関する話であったことと、先達としてバナージが結局肉体に戻って来たことに注意されたし(特に原作ではカミーユの真似して体貸そうとしたら幽霊disられてやめる、というくだりがあり分かりやすい)。


Q6:長谷川クロボンNTry

A6a:よく引き合いに出されるクロボン系列であるが、実はUCナラティブと言っていること自体はそこまで乖離してなかったりする(『しかもっと長い長い年月をかけて、いつか人は”NT”に進化するでしょう』)。どちらかというと現存するNTに対し周辺技術含めての評価(長谷川「現NTなんか山道12km歩くだけやん」福井サイコフレーム使えば1000km歩けるで。めっちゃ危険やけど」)と、目の前の困難に立ち向かう際のスタンス差(福井「例え戦争連発を止めることができなくても、今ここで人間が止めようと努力して、未来に祈ることは無駄ではないんやで。そのことを証明するためにちょこっと1000km歩く危険デモンストレーションもしとこ」長谷川「今ここで戦争連発をせめて100年だけでもガチ止めるべきだし、そのために人間努力のみならず結果を出すべきなんや。1000km歩く危険デモンストレーションは——どうか手をお貸しにならないで——決着は0〜12km歩く人間達だけでなんとかせなあかん」)が対立の主である

から実は、福井長谷川は確かに対立軸にあるものの、それは同じ棒の両端だと考えた方が良い。無論そこで右がいい左がいいという対立は大きいにせよ。黒歴史という自己責任人災に対して祈るしかなかった人々を見捨てないのが福井、手近な資材で立ち向かうよう人々を陣頭指揮するのが長谷川、という乱暴な要約でいいかもしれない。(黒富野人災はお前らのせいだ!と丁寧に説明し、白富野人災だけではない人の魅力を描き、Gレコ富野は「そういや白だと魅力描くのに専念し過ぎた、人災の具体的な説明対処はまだやる余地あるな」という境地)

A6b:すみません反論になってませんねこれ……。具体的に人々救済のために奔走する長谷川クロボンの方が面白い好きだという意見は多いにあると思う。

A6C:これも反論でなく補足だが、幽霊ネタ長谷川ガンダムでも時々やっており、「富野ガンダムを真面目にリスペクトすると割とオカルトに向き合ってしまう」というのは割と福井長谷川とも共通してそう。(向き合い方の問題ではあるにせよ)


Q7:サイコフレーム光速移動なんやねん

A7:エンジェルハイロゥも分解後光速移動してるからええんちゃうか(小説版)


Q8:サイコフレーム時間操作なんやねん

A8:根拠出典はアムロララァの「人はいつか時間さえ支配することができるさ」やろ(まぁさすがにここで怒る気持ちはわかる)


Q9:サイコミュ技術そんな凄いんならエンジェルハイロゥのあの中途半端な性能なんやねん

A9a:いやあれとんでもない性能でしょ(小並感)

A9b:眠らせるだけやなくてもっと気合い入った洗脳や全滅できるやろ、という意味ならば、クロボン幽霊の「もともと暴動鎮圧用だった」ので(あとで高性能化したとはいえ)設計レベルではそこまで気合い入った威力設定してないんじゃないか、っていう感もある


Q10:話してんのは幽霊やない、残留思念や!

A10a:ごめんなさい、これはちょっとトピ主が用語理解ちゃんとできていなくって「幽霊残留思念なにが違うんや……?」ってなってます。単にあの世がないとか鳥に輪廻転生はしないとかい意味なのだろうか。

A10b:自律思考する魂ではなく、死亡時点の意志キャッシュデータである、という意味なのかもしれないが、これはこれで意味のある差なのかどうかちょっとからない(強いAI弱いAIの差みたいな感じ?)

A10c:たぶん本気ではなくネタだと思うのだが「NT洞察力で相手思考完璧洞察しているだけ(残留思念は受信側脳内残留説)」という話を見かけたことがあって、ええ……「(脳内)ララァはいつでも会い(妄想)に行けるから」は辛すぎるんちゃうか……?とドン引きしたことはある。ゲームオタクゲイナー君でさえ恋した相手NPCではなく生身の女だったというのに。


Q11:閃ハサまで福井担当すんのは嫌

A11a:ごめんそれはトピ主もちょっと思った。

A11b:一応現時点だと、サイコフレーム封印事件云々はUC2の方メインで、閃ハサは流石にそっちには(一部設定を繋ぎやすくするだけで)持っていかないのではないかとは思っているが……。

A11c:そもそも福井以前にベルチルと映画ちゃうやん問題小説の内容そのまんま映画にできるんか(できたとしてもアニメとしてテンポおもしろいのか)問題どうするんだろうか。ベルチル問題はあえて原作ママンにして「別に映画ともそこまで乖離しとらんやろ?」とか厚顔無恥フルアーマーしていいと思うんだが、無理だろうか。


Q12:人の褌でスモー取ってるのが許せん!

A12a:逆に富野はもう古い褌脱いで次のステージ行ってる(繰り返すが新訳Zよりもっと先行ってるんで注意)からそっち追えばいいやんけ、と簡単に思っているのだが、そうはいかないだろうか。

A12b:かつて「ペンタゴナは永野にくれてやった」という富野発言があったらしいが(ソース不明)、同じように「宇宙世紀前半は福井に、後半は長谷川にくれてやった(あるいは積極的にくれてやったわけではないが好き勝手にやってろ)」と、サンライズバンダイ経営層だけでなく富野本人が思ってそう……というのはうがちすぎか。


Q13:せめてパラレルしろ

A13a:現状だとしてもあまり意味がないのでは?(時系列的に直接重複するパラレル作品がないと、大抵のガノタからパラレルいうてもシリアル解釈不可能やないやん」程度に思われてしま危険性が高いため。つまり原作オリジンとはちょっと状況が違う)

A13b:上記には、結局パラレルにしてもUC2自体F91に繋ぐ気があるためという側面もある。ZZをばっさり斬り捨てた新訳Zという前例もあるにはあるが、あまり斬り捨てていくとその亡霊を背負った外伝が出てきて話をさらにややこしくしてしまうので注意は必要だぞ(なんせUCの背後にいるものの一部は、まさにそのZZの亡霊である)


Q14:サイコフレーム封印したのになんでF91に積んでるんや

A14a:条約は破る物。(割と冗談抜きで、南極条約ガン無視NBC兵器抱え込むような宇宙世紀人たちが封印を守るとは思えない。もちろんUC2で示されるであろう危機に瀕して「使いすぎはやめよう」にはなるのだろうが、「適量や代替(ネオサイコミュ)ならいいよね!」という麻薬みたいな思考回路に落ち着くのではないか)

A14b:あとF91サイコフレーム搭載はホンマ公式なんかな、ってのちょっと気になるんですよね。最近曖昧になってきたみたいな話もあるのと、そもそも初出ソース(寡聞にして知らないのですがどこでしたっけ)からしてうっかり無断で書いちゃった程度なのではないかという気もしている。EB大図鑑には書いてなかったはず(こういう文脈でEBをソースにするのは普通は鼻で笑われるところなのだが、やっぱ現在も隠然とした影響力は残っているのと、F91時代はむしろ割とオフィシャルに食い込み気味だったという事情もあり、一応参考として挙げても怒られないと思う)


まだまだ左右どちらも色々あると思いますが、本トピはここまでということで。君も自分だけのガノタ憎悪を育てよう!!(育てるな)

2018-11-17

https://anond.hatelabo.jp/20181117160701

行を使い切ってしまった。

その他有望そうな作品


メリー・ポピンズ リターンズロブ・マーシャル監督

シカゴ』でアカデミー賞作品賞さらったミュージカルの名手ロブ・マーシャルディズニー伝説的名作の続編を制作

エミリー・ブラントベン・ウィショーこりん・ファース、ジュリー・ウォルターズといった英国の名優たちでがっちり固めつつ、リン=マニュエル・ミランダメリル・ストリープといったミュージカル定評のある俳優陣をフィーチャーし、万全の体制を敷いた。

あらすじ的には『プーさん大人になった僕』みたいな「少年時代から数十年後……」なやつで正直芸がないなという感想だが、やはり布陣の豪華さで眼を惹いているのか、各種オスカー予想サイトでも好位置につけている。


On The Basis Of Sex(ミミ・レダ監督

リベラル派の英雄ルースベイダーギンズバーグ最高裁判事の伝記映画

正直、作品としての評価はそこそこ止まりなのだが、題材のタイムリーさで群を抜いている。

ここ一二年の受賞傾向から読み取られるように、オスカー政治の場でもあるので、政権へのメッセージとして名誉枠的にどこかしらの部門ノミネートを受ける可能性はある。


バスターバラードコーエン兄弟監督

アカデミー賞常連コーエン兄弟の最新作。元はネトフリのドラマ用に書いた6つの短篇をむりやり一本の映画にまとめたオムニバス西部劇

ヴェネツィアでは好評を得て脚本賞を受賞したものの、ネトフリ映画オスカーでは弱い。ROMAとは違って長編でないことも致命的。

脚本賞ノミネートされるかどうか、というところか。

ちなみに日本のネトフリではもう見られるようになっとるぞい。観よう。


クレイジーリッチジョン・M・チュウ監督

オールアジア系キャストボックスオフィス第一位におどりでてハリウッドに衝撃を与えた金持ちラブコメ

多様性という観点でいけば黒人映画LGBTより恵まれていないアジア系英語映画も推されてしかるべきだと思うが、「内容的にはありきたりのロマコメなんで」と言い訳されて回避されそう。

去年の『ビック・シック』のクオリティでさえ作品からは外れたしな。


The Hate U Give(ジョージティルマン Jr. 監督

ヤングアダルト向け小説原作ながら人種差別に関しての深い洞察話題を読んだ伏兵作品

裕福な白人の子弟が通う高校自分も「白人的な振る舞い」をしながら友達付き合いをしている黒人少女主人公彼女は幼馴染の少年警官から理不尽に射殺される場面に出くわしたこときっかけで、自分の置かれた状況と社会に対して疑問をいだき始める。

ちなみにタイトル引用元はトゥーパックだとか。


Leave No Traceデブラ・グラニ監督

批評集計サイト RotttenTomatoes.com で195名の批評家が軒並みポジティブスコアを与えて支持率100パーセントを記録した作品。去年の『レディ・バード』を彷彿とさせますね。

PTSDを抱えるイラク帰還兵の男が幼い娘と森の奥で世捨て人のような生活をしていたら案の定福祉局に見つかり、真人間として暮らすように強制されるとかなんとかで始まるヒューマンドラマ

こういう「ロトゥン・トマト・パーフェクト」なインディー映画は『レディ・バード』みたいに配給によほどに力がないかぎりは作品ノミネートまでこぎつけられないが、一方で最近オスカーインディー作品に対して温かいのも事実

監督は『ウィンターズ・ボーン』でそれこそインディー予算映画作品賞にねじこんだ経験があるだけに、ありえない線ではない。

今年のアカデミー賞作品賞にひっかかりそうな映画たち

自分ブログにでも書こうかなと思ったけど、だいたい https://www.metacritic.com/pictures/oscar-best-picture-contenders-for-2019?ref=hp からパクリだしそんなに力いれて調べてないので増田に放流します。

本命は『スター誕生』、『BlacKkKlansman』、『グリーンブック』あたりか。ノミネーションだけなら『ファースト・マン』や『女王陛下のお気に入り』も。


BlacKkKlansmanスパイク・リー監督

今年のカンヌで『万引き家族』の次点グランプリを獲得した、黒人映画永遠トップランナーの最新作。

黒人なのにKKKにもぐりこんでしまった潜入捜査官の実話を描く。

スパイク・リー監督作のなかでは『ドゥ・ザ・ライトシング』や『マルコムX』をも凌ぐ評価を獲得している(そして興行的にもここ十年で自己最高)。

公開時期が夏季であることと、ややコメディよりのタッチノミネーションに不利に働くかもしれないが、トランプ政権下において「ブラックリブス・マター」運動はまだまだ意気軒昂。「黒人映画」枠競争を勝ち抜くポテンシャルは十分だ。


ブラックパンサー(ライアン・クーグラー監督

解説不要だろう。今年米国内で最高興収をあげた作品にして、マーベル映画史上でも最も支持された傑作ヒーロー映画

アメリカ国内外黒人問題歴史的視点にめくばせしてオスカー好みの社会性もばっちり備えているものの、やはり「アメコミ映画」のレッテルがネック。

まだまだ白人男性・おじいちゃん大勢を占めるオスカー会員にあっては弱い。ギリギリノミネーションがあるかどうか、といったポジションだろう。

余談だが一時期新設されそうだった「ポピュラー映画賞」部門ブラックパンサーを受賞させるために作られるのだという噂だった。裏返せば、作品賞本選に選ばれる格ではない、と会員からみなされているのだろう。


Can You Ever Forgive Me?(マリエルヘラ監督

落ち目ライター有名人手紙文章捏造して高値で売る詐欺に手を出し、それが嵩じて博物館から実物を盗みだそうと企む実録犯罪コメディ

日本ではあまり知られていないけれど主演のメリッサ・マッカーシーアメリカで今いちばんアツいコメディアンのひとり。

夫のポール・フェイグと組んで『ブライズメイズ』、『SPY』、『ゴーストバスターズ(リメイク版)』などの陽性の笑いでヒット作を飛ばしてきた。

そんなマッカーシーが一転してシリアスブラックコメディに挑戦し、見事大成功。本年度の主演女優賞ノミネートが確実されている。

演出したヘラ監督の手腕も高く評価されており、初の監督ノミネート、さらには作品賞も夢ではない。


Eighth Grade(ボー・バーナム監督

インディーからまれた今年最大のダークホース

とある気難しい現代っ子少女中学生最後の一週間を描いた青春コメディ

中学生版『レディ・バード』にもたとえられる(中二病的な意味で)痛々しくも切ない、みずみずしくもどんよりとしたフレッシュローティーンライフ描写が広範な支持を集めている。

監督は若干28歳のコメディアンで、なんとユーチューバー出身アメリカ映画界における新世代の台頭を予感させる一本。すでに数多くの映画祭や映画賞にピックアップされている

オスカーコメディ敬遠する一方で、サプライズ的なインディー作品を好む傾向にあるが、はたしてこの作品の出目は吉とでるか凶と出るか。最悪でも脚本賞ノミネートは固いか


女王陛下のお気に入りヨルゴス・ランティモス監督

ロブスター』、『聖なる鹿殺し』と強烈かつキテレツ作風で知られるランティモス監督最新作にして初の時代劇

アン女王を演じるオリヴィア・コールマンを巡る二人の家臣(レイチェル・ワイツとエマ・ストーン)のバトルを描く百合時代劇……たぶん百合だとおもう。

すでに巨匠地位確立したランティモス監督過去作のなかでも群を抜いて評価が高く、今年のベネツィア国際映画祭でも第二位にあたる審査員賞を勝ち取った。オスカー前哨戦となる各種賞レースももちろん名前を連ねている。

今年の本命作のひとつとも目されるが、ランティモス特有変態さ加減が(今回は脚本までは書いてないとはいえ)どこまでお上品なオスカー会員たちに受け入れられるか……。


ファースト・マンデイミアン・チャゼル監督

ラ・ラ・ランド』で幻の作品賞受賞というなんともかわいそうな結果に終わった(それでも本人は史上最年少で監督賞を獲っているが)デイミアン・チャゼルライアン・ゴズリング

そんな彼らのリベンジマッチが実録宇宙開発物語ファースト・マン』だ。人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロング船長スポットライトを当て、彼の視点からドラマを描く。

企画段階から作品ノミネートは当然、という空気のなかでプレッシャーを跳ねのけて見事高評価を集めた。ノミネーションはほぼ確実といっていいのではないだろうか。反面、今度こそ受賞なるかというと、今ひとつパンチがきいてないようで不安が残る。


グリーン・ブック(ピーター・ファレリー監督

オスカー前哨戦の最も重要とされるトロント国際映画祭で観客賞に輝いた作品。ここ十年で同賞を得た作品オスカー本選にノミネートされなかった例はたった一回しかないのだ。

黒人差別が法的に是認されていた時代アメリカで、自分ちょっとレイシスト入っている用心棒白人男が南部コンサートを開きに来た黒人ピアニストを送迎する仕事を命じられる。最初は「黒人のくせに上等なスーツを着てお上品にピアノなんぞひきやがって……」と反感を抱く用心棒だったが、行く先々で差別待遇を受けるピアニストに対してだんだんシンパシーが湧いてきて……という内容。

ほろ苦くもユーモアメッセージ性に満ちた内容はまさしくオスカー好み。「分断されたアメリカ」というテーマタイムリーさもある。ちなみに監督は『メリーに首ったけ』などのロマコメで知られるファレリー兄弟の兄。このところは過去のヒットコメディリメイクなどで仕事に恵まれなかったが、もともと潜在的に持っていた社会派なセンスが一挙に花開いた。


If Beale Street Could Talkバリージェンキンス監督

ムーンライト』で一昨年の作品賞を獲得したジェンキンスの最新長編。今度こそはチャゼルにかっさらわれた監督賞もいただいて完全制覇を目論む。

原作は今年日本でもドキュメンタリー映画私はあなたのニグロではない』が公開された、黒人小説家ジェームズボールドウィンによる短篇濡れ衣をきせられて収監された夫を助け出すために奮闘する若き妊婦お話

テーマ重厚さも話題性も十分だが、公開が当初予定していた11月から12月にのたことが若干きがかり。クリスマス狙いのブロックバスター大作のなかで埋もれてしまう恐れがある。


Mary Queen of Scots(ジョージィ・ルーク監督

互いにイングランド王位をかけてあらそったスコットランド女王メアリーイングランド女王エリザベス一世を、それぞれシアーシャ・ローナンマーゴット・ロビーという旬な女優が演じる。

脚本担当したのは『ハウス・オブ・カード』や『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』などの現代政治劇の名手、ボー・ウィリモン。

いずれもオスカーノミネーション歴を有した名前ぞろいでクオリティ保証されている。同じくイギリス舞台にした時代劇である女王陛下のお気に入り』がライバルか。


ROMA(アルフォンソ・キュアロン監督

世界的に見れば今年最も評価の高い映画といっても過言ではない。ベネツィア国際映画祭の最高賞。

1970年メキシコ・シティで家政婦として働く女性とその一家ドラマモノクロで撮る。

評価の高さと『ゼロ・グラビティ』でオスカーを獲ったキュアロン知名度があれば当然作品賞も……となりそうなものだが、障害は多い。

まずスペイン語映画であること。長いオスカー歴史のなかでこれまで十作品外国語映画作品賞にノミネートされてきたが、受賞にいたったものは一つとしてない。

次に Netflix 映画であること。カンヌみたいに公に締め出すことはしないにしても、アカデミー会員のなかでも動画配信サービス勢に対する反感は根強い。一昨年の『最後の追跡』やドキュメンタリー作品例外として、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』『マッドバウンド』といった作品たちもその年最高クラスの称賛を受けながらもオスカーノミネートには至らなかった。

いちおうネトフリも『ROMA』については配信に先駆けて劇場公開を行うなどの「オスカー対策」をやっているが、はたしてどうなることやら。

ちなみに Netflix でも来月に配信される。驚くべき時代になったものだ。


アリ― スター誕生ブラッドリー・クーパー監督

ショービズ映画古典リメイク。この八十年で三回目の映画化です。

本年度大本命に数えられる一本。批評家・観客からの圧倒的な支持率もさることながら、商業面でも大ヒット(現時点で世界興収三億ドル突破)を飛ばした。主演のブラッドリー・クーパーレディ・ガガの演技もさることながら、これがイーストウッド降板を受けての初監督となったブラッドリー・クーパー演出にも嬉しい驚きが満ちているとかなんとか。

監督役者脚本、成績と四方に隙のない完璧映画に見える。

だが、一昨年の『ラ・ラ・ランド』、昨年の『スリー・ビルボード』と「早すぎる大本命」はかならずバックラッシュに晒されるのがオスカーという場。12月以降に猛然と差してくるであろう後続期待作たちを振り切れるかどうか。


Widows(スティーブ・マックイーン監督

2013年アカデミー作品賞を獲得した『それでも夜はあける』のスティーブ・マックイーン最新作。オスカー獲得後の第一作でもある。

シカゴでヘマをやらかして死んでしまった強盗たちの四人の未亡人ヴィオラ・デイヴィスエリザベス・デビッキミシェル・ロドリゲスシンシア・エリヴォ)が亡夫の後を継ぎ女だけの強盗団を結成するちょっと変わった犯罪映画

マックイーンとヴィオラ・デイヴィスというアカデミー賞受賞コンビ鉄板の出来。

そのパワーでジャンルムービーを嫌うオスカーノミネーションを勝ち取れるかが見どころだ。


Boy Erased(ジョエル・エドガートン監督

厳格なキリスト教である両親のもとで育ったゲイ少年ルーカス・ヘッジス)が教会同性愛矯正プログラム(いわゆるコンバージョンセラピー)に放り込まれセラピストとバトルする青春ドラマ

近年では『ダラスバイヤーズ・クラブ』のジャレド・レトがそうだったように、LGBTもの俳優にとってオスカー像への近道だ(スカーレット・ヨハンソンみたいに非LGBT俳優LGBTの役を演じることに倫理的非難が高まりつつあるにしても)。

批評家から評価的には作品賞には届かないかもしれないが、演技賞ではノミネートが有望視されている。

トランプ政権下でLGBTに対する抑圧が増しつつあるだけに、時事性も捉えているかもしれない。


Vice(アダム・マッケイ監督

GWブッシュ政権下で「史上最悪の副大統領」とも呼ばれたディック・チェイニー副大統領クリスチャン・ベール激太り(何度目だ)+ハゲという負の肉体改造で演じたブラックコメディ政治劇。

他にも妻リン・チェイニー役にエイミー・アダムスラムズフェルド国防長官役にスティーヴ・カレルGWブッシュ役にサム・ロックウェルなどアカデミー賞級の芸達者がずらりと並んでいる。

題材としてはなかなかトリッキーだがマッケイ監督の前作『マネーショート』がそうだったように、ツボにはまれば一挙にアカデミーノミネートまで行ける。

同じく政治ネタでライバルだった『フロントランナー』(ジェイソン・ライトマン監督)の評判がいまひとつ芳しくないのも本作にとっては好材料


The Old Man and the Gun Now(デイヴィッド・ロウリー監督

名優にして名監督ロバート・レッドフォード引退作。15才で逮捕されたときから人生を通じて強盗を繰り返してきた70才の犯罪者(レッドフォード)と彼を追う刑事ケイシー・アフレック)、そして彼に惹かれていく女性シシー・スペイセク)を描く実話犯罪コメディ

作品ノミネートは微妙なところだが、レッドフォードはまず間違いなく主演男優賞候補入りするだろう。

ちなみにデイヴィッド・ロウリーの前作であるゴースト・ラブストーリー『A GHOST STORY』は今日から封切り。観に行け。

一方で、実話犯罪・老人・名監督にして名俳優共通する要素の多い作品としてクリント・イーストウッド監督の『The Mule』にも注目しておきたい。こちらは80才の麻薬の運び屋をイーストウッドが演じる。映画祭などでもまだ未公開なため、どう転ぶかはまだわからないが、近年のイーストウッド作品に対するアメリカ人の冷め方からすると賞レース的な意味での期待はあまりできなさそう。



その他有望そうな作品

メリー・ポピンズ リターンズロブ・マーシャル監督

シカゴ』でアカデミー作品賞をさらったミュージカルの名手ロブ・マーシャルディズニー伝説的名作の続編を制作

エミリー・ブラントベン・ウィショーこりん・ファース、ジュリー・ウォルターズといった英国の名優たちでがっちり固めつつ、リン=マニュエル・ミランダメリル・ストリープといったミュージカル定評のある俳優陣をフィーチャーし、万全のこのエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2018-11-12

人の顔と名前

学生時代友達と久しぶりに会って飲んだ。おきまりの「あの人は今どうしてる」という話になっていろいろな人の近況を聞いた。そのとき名前が上がらなかった人、一人の先輩のことをそれから時々思い出す。

先輩が死んでしまってからずいぶん時間がたつけれど、やっぱり切ない、やるせない、なんでそんな若くして死んでしまったんだと私は思う。親密といえる関係ではなかったのに、思い出すと不意に悲しさが来る。それなのに、自分でも驚いたけど、彼の名前を忘れていた。

先輩は私が学部時代院生だった。今考えれば私たちの年齢は近く、2人とも今の自分よりずっと年下の若者だ。でもそのころ、先輩はずいぶん大人に見えた。知識の量や洞察の深さはもうプロ世界に足を踏み入れていたわけだし、自分研究テーマを持っていた。

悩みの深さも私とはまるで違っていた。先輩は精神科に通っていると言っていた。「長いこと薬のんでる。酒と一緒に飲んだらダメなんだけどね」と言いながら、ラムを飲んでいた。果汁をしぼったライムが、背の低いグラスの中にごろっとあったのを覚えている。

先輩の表情も覚えている。簡単に思い出すことができる。なぜならいつも同じような顔をしている人だったからだ。影がある顔と言えば陳腐だし、苦悩がにじみ出た顔と言っても大げさ過ぎる。なんというか、心から楽しい!と思ったことはもう何年も前だというような顔。目線はだいたいいつも下を向いていて、時に落ち着きなく動く。でも口元というか、口角だけはいつもキュッと上がっている。いつもそのままキープしている。「人前にいるときにはそうすべき」と自分に課したルールでもあるのだろうか?と思うくらい。

私は先輩のプライベートにはほとんど入ったことがなかったから、本当にリラックスしているときに口角がどうなるかは知らない。今は、あのキュッと上がった口角が、どんな状況でもリラックスできない(かもしれない)先輩の内面象徴するような気もする。本当のことはわからない。もう彼に会って確かめることはできない。ただ、当時の私はその表情に安心感をもっていた。「この人は私の話を聞いてくれる」という勝手な信頼感。

2人だけで喫茶店に行ったことがある。なんの行きがかりか忘れてしまったけど、学内で会って話しているうち(私の卒論についてだったような気もする)、コーヒーでも飲みながら話そうという話になったんだと思う。店のセレクトも当時の私よりずっと大人だった。学部生たちが試験前に徹夜するために行く24時間営業の店ではなくて、こだわって仕入れた豆で丁寧に淹れたコーヒーを出す店だった。何を話したのか覚えていない。コーヒーの味も覚えていない。あれから私はたくさんのコーヒーを飲んだから。覚えているのは、下を向きながら頻繁に動く目線と、それに伴って動く長いまつげと、そして上がった口元だ。先輩の名前は忘れてしまった。

名前が思い出せないまま数週間がたった。でも今朝、地下鉄の駅から地上に上がるとき、先輩とそっくりな顔をした人が上から階段下りてきて、すれ違った。その瞬間に思い出した。「あ!」と声が出そうなほど似ていて、驚いて二度見してしまった。私は先輩の名前を思い出した。すっきりしたとか、階段を降りてきた人は実は……というような何かオチがあるわけでもなく、なんでもない出来事だけど、書いておきたくなって書いた。

2018-11-05

漫画ぼくらの』に登場する教師・畑飼の主張を誰か崩してほしい

鬼頭莫宏先生代表作品ぼくらの』を読破した。

人生で読んだ漫画でも5本指に入るくらい面白い作品だと思う。

畑飼という男

ぼくらの』には畑飼という中学教師が登場する。

率直に言ってクズだ。

詳細は省くがあらすじは以下の通り。


自らに好意を抱いてきた本田千鶴という女子生徒と交際を始め、性的関係を持つ。

その後ホテルを予約してあるからと誘い出し、友人に本田千鶴を売った。

彼女性的暴行を受けただけでなく、その様子を撮影したビデオでの脅迫をされ、性的暴行を繰り返し受けることになる。

畑飼は彼女を売った後、別の女子生徒に手を出している。恐らく同様のことをするために。

本田千鶴は畑飼の殺害を決意するが突然の嘔吐感に襲われ、妊娠が発覚する。

子の母親殺人犯にしないため、殺害を断念する。

当の畑飼は妊娠を報告されると

出産ムービーが撮れるな。知り合いに産婦人科が居るんだ。子供は死んだことにしといてやるよ」

と言い放つ。

その後彼女はある力を持ち、畑飼の殺害を再度決意するのだが……。

(詳しくはぼくらの三、四巻を参照)


ぼくらの』という作品はそのストーリーから人を選ぶ鬱漫画と言われるが、作中で最も胸糞悪くなるのはこの畑飼に関する展開だと断言する。

作中でこの男、断罪されることなく生き続ける。何故かというと友人で性的暴行に加わった共犯者に、医者警察弁護士政治家がいたかである

果てはそのコネを利用し大臣を目指すなどと言い出す始末。

どこまでもふざけた男だが、本題とそれるので割愛

ちなみに『ぼくらの』はアニメ化されており(賛否あるが)、アニメ版の畑飼は女子更衣室の盗撮に勤しむ小物に変更されている。


第六巻における主張

第六巻では、本田千鶴の友人である切江洋介が主人公を務める話がある。

切江洋介は小柄で太めな体型で、内向的であるからいじめを受けていたが、やさしい心の持ち主で優れた洞察力と思考力を持つ男子中学生だ。

そんな彼が、件の畑飼と話をしに行く。

ここが今回記事タイトルにした畑飼の主張だ。


畑飼の主張

「親から愛情不足やトラウマからあいうことをしたということで納得したいのか? 俺はそれができるからやっただけだ」

「悪いのは本田自身だ。本田は自らの選択でああなった。俺に迫ってきたのはあいつの選択で、他の男子中学生と付き合う選択肢もあった」

かに本田千鶴同級生男子バカっぽいと思い、大人の畑飼に自ら接近している。

「大体中学生教師が手を出すなんて普通の考えでするわけないだろ? その時点で裏があると考えないあいつが悪い。俺は常日頃から『俺はうそを教えるかもしれない』と言っていたぞ」

  • でも、そんな目に遭わせたのは先生選択では。

「それはそうだ。個人一人一人にとって他人目的のための道具だ。だから俺にあんな風に扱われる選択を取った本田が浅はかだったってことだ」

「あのな、何か問題が起きた時に原因を自分以外に求めようとするのは、ダメ人間共通する良くない癖だぞ」

「まず、本田が考えるべきことは、自分が何か誤ったことをしたか考えて、自分を変ることだろ? それから俺のところに来るなら今度は俺が反省点を考える」

この後も似たような話が続き、畑飼は切江にナイフで刺され、終了する。

しかし前述の通り生きている。


畑飼の主張について考える

まず畑飼自身のやっていることは、犯罪行為である

未成年淫行は近年厳しく処罰されている。16歳以上で両親公認結婚を前提にしたお付き合いのような特殊な事例でもない限り。

作中の日本の設定が現実世界とは違うが、そこは大きく変わらないはずだ。

ましてや本田千鶴中学生。一発アウト。

犯罪者が何を言ってるんだこいつ、で一蹴してしまえばいいだけの話ではある。

ただ畑飼の行動が色眼鏡になっているだけで、主張自体は間違ってないのではないか

畑飼の言いたいことは要するに「自己責任」だということだと思う。

ジャーナリストが国の指定する危険地域に警告を無視して乗り込み、拘束されたことは記憶に新しい。

正直、自分も彼に関しては自己責任で、助けを求めるのは如何なものかと思うところはある。

彼は自らの選択で警告を無視して出国したのであって、政府命令されたわけでも身内に騙されたわけでもない。

畑飼の主張で行くならば、当人は自らの選択に間違いがないか考えるべきである

政府世間責任を問うのはその後の話ということになる。



この畑飼の主張を人種差別に置き換えて考えてみる。

迫害を受けた人が自分選択に誤りが無いか考える。

しかし当然ながら生まれもっての特性差別される理由も誤った選択もあるわけがない。

であれば当然変わる必要もなく、迫害差別を行う人間が自らの過ちを考え反省し変わるべきである

こうして考えると至極全うに感じる。

だとしても、この考え方は受け入れたくない。

人種差別に当てはめればまっとうな考えだというのもおそらく間違っている。

しかし、はっきりと否定するだけの頭を自分は持ち合わせていない。

誰か自分の代わりに反論し、この主張を崩してほしい。

繰り返しになるが、この記事は畑飼を肯定するものでは一切無い。

フィクションに何を本気になっているんだと言われれば、それまでだが。


追記

反応ありがとうございます

皆さんのご意見で納得できそうです。

特に未成年責任を問うのはどうかという指摘から保護者という子の行いに責任を持つ存在を完全に失念していたことに気が付きました。

そのことを含めて今一度考えてみたいと思います

作品を読んでからだとどうしても畑飼に対する特定感情があり、正常に考えられないため、第三者視点意見を頂けるのはとても貴重で、嬉しく思います

2018-10-17

ジャニーズが好きだけどジャニオタになれない女

ジャニーズ課金をはじめて6年ほどが経った。

私はもともとアニメマンガゲームなどの2次元コンテンツが好きなオタクだ(ここで言う2次元コンテンツには2.5次元と呼ばれるものも含ませてほしい)。

今もマンガを読んだり、アニメを見たり、ソシャゲ課金したりしている。

そんな中、自分ジャニーズのあるグループファンになった。

でもジャニオタではない。

ただ、そのグループCDDVDブルーレイなどを買い、ファンクラブに入り、ライブへ行き、追える範囲で彼らが出ているラジオを聴いたり、雑誌を買ったり、テレビ番組映画を見たりする。最近動画配信サービスなどが充実しており、私のような地方民でも彼らが出るドラマなどが見られる機会も増えてとてもうれしい。

自分は夢ガチ勢ではない。

これは2次元でもそうだった。私自身がその作品に関わるものは楽しめない。私自身というか私からまれもの作品の中に登場するのが苦手だし、二次創作での創作主人公みたいなものも楽しめない。

2次元コンテンツオタクになってから12年ほどが経過しているが、その中で2次元キャラ恋愛感情を抱いたことは1度もない。

夢小説などもあまり積極的に読むことはない。

ただ、他人の夢に対して嫌悪感を抱いたりすることはなく、私自身の夢が地雷であるだけだ。

私は好きなグループのことを2次元的に見ている。

もちろん彼らは現実に生きているし、ライブに行ったら興奮するし、自分うちわファンサをもらえた時は数ヶ月間その瞬間が頭から離れなかった。現実存在する人間だということは認識できている。

また、2次元的に見ているといっても、2次元で好きな作品のようにBLを楽しんだりはしない(そういうものがあることを否定したい訳では無い)。

でも、漠然と『2次元的に彼らをみて楽しんでいる』という認識がある。

好きなアニメマンガタイトル一覧の中に彼らのグループ名があるようなイメージ。でもその楽しみ方はアニメマンガの楽しみ方とは違う。でも2次元的に見ている。でも(以下省略)という、自分でもよく分からないことになっている。

そのような認識を持っているからなのか、自分ジャニオタではない、という強い認識も合わせて持っている。

実際、熱心な方からしたらゆるオタと言われる程度かもしれないが、熱量で言えば2次元コンテンツと彼らに対する熱量は同等で、2次元コンテンツについてもゆるオタと言われる程度かもしれないが、『ゆる』であろうとも、自分2次元コンテンツオタクだと自認することができる。

ただジャニオタであることは『ゆる』であっても自認することが出来ない。

それが原因なのか自分コミュニケーション能力のせいかは分からないが、ジャニオタさんと交流しようという意識はおきない。

いや、交流したいという気持ちはある。とてもある。

最新シングルmv最近テレビ番組でのこと、自担グループのビジュが良いこと、ライブ感想、などなど、思う存分語り合いたい。

でも自分はこのコンテンツに『お邪魔している』ような感覚を持っているため、気が引けてしまう。

SNSジャニーズ用のアカウントが作れない。

リアルで仲のいい友人だけをフォローしている鍵アカしかジャニーズの話ができない。それもその鍵アカフォローしている友人は2次元コンテンツオタクなので、ただの壁打ちにすぎない。

現状、今自分ジャニーズの話をレスポンスを期待して話す相手は妹だ。

妹はかつて2次元コンテンツオタクだったが、私よりも先にジャニーズが好きになり、ジャニオタになった。

まり2次元コンテンツオタクとしての基盤をもつジャニオタだ。

また、興味を持ってくれた2次元オタクステマダイマという形で話すこともある。

自分が彼らを「すき!」と思うポイント2次元コンテンツオタク寄りなのかもしれない。

こういう意識から、彼らの話をするのに2次元コンテンツオタク(やその基盤をもった人)だと気兼ねなく話せるのではないかと思う。

長々だらだらと浅い自己洞察をしてきたが、結局のところ私はジャニオタになりたいのではないかなと思う。

『お邪魔している』のではなく、ジャニオタ2次元コンテンツオタクの2足のわらじを履きたいのかなと思う。

ただ、今の現状のまま楽しむことが悪いと思っている訳では無いので、私がジャニオタになれる日は遠いような気がする。

2018-10-14

[][] (仮題)第3話

(執筆途中の作品であり、今後内容を変更する予定です)

高田

雙葉学園は、フランスサンモール修道会の会員が1875年に設立した築地語学校を祖とする、私立学校法人である

雙葉学園はその長い伝統において、「徳においては純真に、義務においては堅実に」という校訓のもと、幼稚園から高等学校にわたる一貫したカトリック教育を行ってきたが、雙葉女学院大学設立により、さらに4年間の大学過程をふくむ一貫教育が行われることになった。

というのも、雙葉中学校・高等学校は、東京大学をはじめとするいわゆる旧帝国大学や、慶應義塾大学などの難関私立大学合格者を多数輩出し、全国有数の進学校と呼ばれるようになっていたが、多数の生徒父兄が、単なる学力の追及ではなく、カトリック教育さらなる徹底を望んでいたこと、卒業生の多くがカトリックの信仰を保持していない現実を嘆くサンモール修道会の強い推薦により、2002年に大学過程を行う教育機関の設立が決議されたのである。その後、文部科学省の認可を受け、雙葉高等女学校設立からちょうど100年となる2009年、開校に至った。

私が雙葉高校卒業したとき、もしこの大学があったら、このエスカレーターに乗っていだろうか。キーボードを叩く手が止まり、ふと自分過去を反芻した。

中学受験成功し、晴れて雙葉の門を潜ることはできたものの、入学後は成績が低迷し、人生の目的も見出せないまま、あるいは、先生がたがおっしゃっていた、神に与えられた使命を感じることもなく、特に受験勉強もせずになんとなく大学受験をした私は、願書を出した中で最も無名な、平凡な私立大学に行くこととなった。

パッとしない4年間の大学生活の間、やはり人生に意義を見出せず、大学卒業後は、飲食店塾講師などのアルバイト転々としたのち、25歳で、あるカリスマ英語学者執筆アシスタントとして雇われることになった。

受験生向けから社会人のやり直し英語のための参考書まで、様々な英語関連書籍を多数執筆し、そのほとんどすべてがベストセラー、2005年から教育テレビでレギュラー番組放送されている、クリストファー・トンプソン、その人である

誰もが認めるカリスマ英語学者アシスタントベストセラー約束された数々の出版物編集作業。やっと使命が見つかったかに思えた。

が、それもつかの間のことだった。

最初の数ヶ月で気づいたことは、クリス・トンプソン執筆作業ほとんど全てを、彼の『アシスタント』に任せているということだった。それでも、はじめのうちは、英語学者である彼の理論専門家でない一般大衆向けに落とし込むのに、アシスタントが最大限の貢献をしているのだろうと好意的に考えていた。

働き始めて半年が経った頃、主力の『アシスタント』が結婚出産を機に退職することになり、私がその立場を引き継がなければならないとなったとき彼女から真相が告げられた。カリスマ英語学者クリス・トンプソンは、自分ではなんの理論も持っておらず、彼の博士号はディプロマミルから得られたもので、彼のアイデアと言われるものはすべて、彼女作品だったのだ。

『徳においては純真に。』私は、彼が世間を欺き続けるのを手助けすることはできなかった。

代わりの職を求めた私はその後、27歳にして都内にある無名私立高校英語教師として採用された。

須藤智くんとの出会いは、私がその学校で働き始めて3年目のことだった。

高校といえば雙葉高校しか知らなかった私は、おそらく世間では平均的であろう、学習意欲のない生徒たちを前に、教師として戸惑っていた。そんなとき入学してきた須藤くんは、『教え子』と——おこがましいが——呼びたくなるような、優秀で向上心の高い、私の初めての生徒だった。

彼はすべての科目の定期試験で満点を取り、全国模試では偏差値が80を超えていたので、瞬く間に教職員あいだで評判になった。

彼の非凡な才能は、主に自然科学理解に向けられているようであったが、彼の言語に対する洞察も、単に受験勉強ができるというレベルを超えているように思われた。

それは、彼が二年次に進級し、私の授業を受けることがなくなった新学期のことである。珍しく残業もなく、夕方6時に山手線新大久保駅で帰りの電車を待っていた私の元に、彼が歩み寄ってきた。

自然言語構成する元素を見つけました」

突然そう告げた彼は、意表を突かれてうろたえる私の返事を待つことなく、ノートを広げ、彼の発見説明し始めた。

私は彼の理論を即座に理解することができた。なぜなら、中性子陽子原子核電子といった、化学アナロジーを用いているものの、それらの用語を適宜『主要部、内項、外項、句、付加部』という言語学の用語に置き換えれば、それは現代言語学の父、ノーム・チョムスキーが1970年に発表した、エックスバー理論のものだったかである

彼はきっとエックスバー理論をどこかで読んだのだろう、そしてそれを、自分の慣れ親しんでいる化学アナロジー理解したのだろう、と私は考えた。

しかし、彼は、これは紛れもなく自分でたどり着いた理論で、とっかかりになったのは、クリス・トンプソンの『60億人の英文法』にある「日本人名詞が主でそれに冠詞がくっつくと考えがちだが、冠詞がまずあって、そこに名詞がくっつくというのがネイティブ感覚だ。」という記述だと言う。

ともかく、私は彼の話を信じた。そして、彼が自分発見を教えてくれたお返しに、私も自分の『発見』を彼に打ち明けた。こうして彼は、クリス・トンプソン秘密を知る、部外者第一号となるのであった。

秘密を共有した私たちは、ときどきメールを交換する仲になった。話題は主に、言語学。彼は初め、原子力工学の話をしたがったが、私がついていけないということに気づくと、言語学を中心に、私が理解できる話題を選んでしてくれるようになったのだ。これは私にとって、10年遅れて訪れた青春の一ページだったが、彼にとってはたぶん、相手先生から、気を使って付き合ってくれていただけだったのかもしれない。

私は一度、言語学の道に進みたくはないか、と彼に尋ねたことがある。彼がチョムスキーほどの天才かどうかはともかく、才能があることは間違いない。しかし、彼は原子力工学をやるといって譲らず、ワシントンにあるベルビュー工科大学を単願し、同校に進んだ。なぜマサチューセッツ工科大学や、スタンフォード大学を目指さなかったのだろう、あるいは、ワシントンならなぜ同州トップワシントン大学に行かなかったのだろう、願書くらい出しておけばよかったのに、と当時も思ったが、きっと彼なりの理由があったのだろう。

メールのやり取りは彼が高校卒業した後もしばらく続いたが、彼が希望通りベルビュー工科大学に進学すると、須藤智という天才を失ってただの無名私立高校に戻ったその場所で、張り合いのない授業を続ける私が、なんだか取り残されたように思えて、劣等感からメールを送るのが億劫になって、やめてしまった。

須藤くんとのメールをやめた私は、高校教師仕事もやめた。また人生に迷ってしまったと思った私は、以前のように求人情報をチェックしたり、履歴書作成したりする気もなくなって、目白アパートに引きこもった。

そんな張り合いのない生活を続けるうち、あるとき新聞広告欄に、雙葉学園が、大学新設にあたり職員を求めているという求人情報が載っているのが目に留まった。行き場を失った私は、まるで蜂が巣に戻るように、こうして古巣に戻ることになった。

はいま、雙葉女学院大学国際交流課で、4年ぶりに須藤くんへのメールを書いている。雙葉女学院日本大学として初めて、ツー・プラス・ツーのダブル・ディグリー協定海外大と結ぶことになったのだが、なんの因果か、その協定第一号が、ベルビュー工科大学だったのである。そして、私が留学カウンセリング担当した学生が、第1期生として派遣されることになったのだ。

彼女聡明女性だが、単独海外に行った経験はないと言う。現地に信頼できる知人がいれば、少しくらい世話を焼いてもらってもばちは当たらないだろう。

2018-10-11

山口一男・シカゴ大学教授日本社会学は総じて科学的ではない」

http://www.vcasi.org/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E4%B8%80%E7%94%B7%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC

――手法としては経済学に影響を受けつつ、世界観としてそれ採用するのではないわけですね。

山口 ないですね。社会学というわれわれの学問自由なわけですね。悪く言えばいい加減。分析の最終的な評価にあたっては方法論的厳密さが求められるけれど、その背後には多種多様研究者がいるんですね。エスノグラフィーをやっている人や街へ出てインタビューする事例研究をやっている人なのです。そういった研究ある意味科学的ではないと僕は思っているけれど、彼らは時々すごくいい洞察をする。すると、彼らの洞察データで裏づけできるか、一般可能か、といった問題へと発展していくので、分業だと思っています

ただ、そういう観点から見ると、日本社会学は総じて科学的ではないということになってしまますね。相変わらず古典的理論家が何をどう言ったという文脈解釈エスノグラフィーが中心ですから例外はたくさんいますが、やはり少数です。4000人ぐらいが所属している日本社会学会では、計量分析に真面目に取り組んでいる研究者は1割程度しかいないと聞きました(笑)アメリカ社会学会では逆に計量分析が7割程度エスノグラフィー純粋理論は非常に少ない。ましてや古典理論解釈をやっている人はほとんど希少価値を帯びているといっていいです。

――そういった違いは日米の大学教育の結果なのでしょうか?

山口 日本社会学教育研究では、社会学ヒューマティと分離していないんでしょうね。ヒューマティ自体重要ですが、それと社会科学としての分析意識的に分けなければいけません。たとえば僕の本『ダイバーシティ』にもヒューマティと呼べる内容が入っていますね。それから、たとえば大学学部教養教育では人に考える力を与え、人を育てることを考えますからヒューマティを含め雑多な要素が全て入ってくるわけです。それはいいんですよ。ですが、大学院は研究専門家を育てるための訓練をする場所のはずです。日本研究者は、しばしばその境界意識せずヒューマティ科学をまったく区別しないんです。その結果、研究においてさえ、たとえばドメスティックバイオレンス研究をしている研究者が、計量的分析などほとんどせずに、被害者から聞いた話だけに基づくフェミニスト解釈で男はこんなものだといった論評をしたりするわけです。まったく科学ではないよ。そういった論評は、自分はこう考えるという意見として発言しても構わない。アメリカであっても思想政策を中心とした雑誌でそういった意見を発表して社会的影響を与えている研究者は多いですし、総じて尊敬を集めています。けれど、科学者としての分析とは区別しなければならないですね。論文を書くとき思想部分は禁欲的に落とし、検証しえた分析結果だけを書かなければならない。

社会科学」としての社会学に対する意識希薄な背景には、日本では多くの社会学科が文学部にあることも影響しているのかもしれませんね。計量なんかやったって人の本音のところはわからないよ、みたいなことを言う人もかなりいました(笑)。僕は実証しなければ、一般的なことは何も言えないよって言うんですが。

2018-10-09

高校生社会学について調べてみた

キズナアイ騒動社会学話題になっている。その騒動の中で、「社会学って自分の好きなことを言っているだけの学問なの?」とか、「客観的視点が無いならそれ学問じゃなくね?」とか、「社会学って必要なの?」とか、様々な言葉が飛び交っている。

ところで、僕は大学に進学することを考えている、文系選択高校生である。そこでふと気づいたのだが、これから受験に臨むというのに、僕は社会学について何も知らない。知らないというのは、騒動で飛び交っている言葉に対して、「それってまぁこういうことじゃね?」という程度の考えができるだけの知識すら持っていない、ということである。将来ひょっとしたら選択肢に入ってくるかもしれない学問なのに!

そんなわけで、ネットで軽く社会学について調べてみることにした。

社会学」と検索すると、真っ先に、ウィキペディアの一文目が表示された。

社会学(しゃかいがく、英: sociology)は、社会現象実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム因果関係)を統計データなどを用いて分析することで解明する学問である

分かったような、分からないような。とりあえず、“統計データなどを用いて分析する”ということは分かった。とするならば、騒動で言われていた、「客観的視点が無いならそれ学問じゃなくね?」ということに対しては、「統計データなどを用いて分析しているらしいよ」と答えることができそうだ。でも、まだ何となく腑に落ちない。

そこで思い出したのが、「そういや社会学って、社会科学の中にある分野だったよな」ということである。それなら「社会科学」も調べてみようか。

社会科学は、客観的社会真実を探求する事とともに、人類にとっての有益を追求する。また、文科系学問において基礎となる間主体的洞察力の活用自然科学に由来する客観的視点を両立することで成立する。

うん……? ざっくりまとめると、

社会法則みたいなものを見つける→それを利用することで、みんなが幸せになることを目指す

・「これ法則っぽくね?」ってカンを働かせることと、客観的視点を使うことの、両方をする

ってことでいいのかな。

いまいち理解できないのが、“自然科学に由来する客観的視点”の部分だ。これ何?

自然科学」で検索すると、高校生何となく信頼を寄せるウィキペディアには、残念ながら調べたい情報は出てこなかった。社会科学との対比の「自然」の部分に関する説明が多かったのだ。……ん? ということは、僕の調べたいことは、両者に共通する「科学」の部分にあるのではないか? その考えを以て思い返してみると、“自然科学に由来する客観的視点”、そう、“由来する”って書いてあったじゃんか。つまり客観的視点の由来が自然科学なだけであって、社会科学客観的視点を用いていない訳では無いってことだ。ああ、こんなことだから最近の子供は読解力が無い」なんて言われてしまうんだろうな。ともかく、客観的視点は「科学のものであり、それを知りたいならば、「科学」について調べればよさそうだ。そんなことを思いながら、「科学」のウィキペディアのページを開く。

こうすればこうなる、といった事象を集めることから、原因と結果を探してゆくのが科学方法である。言いかえれば、究極的な目的であるなぜ (Why) を一端棚上げにして、まずいかなる状態で、どのような (How) 現象が起きているのかを記述することと、どのような条件下で何が起きるかを記録し、それに基づいて因果関係分析しようとするのが科学である

……分からん。「科学」で調べた時に、「科学とは 簡単に」という検索候補が出てきた気がするので、そっちで調べてみる。

検索最初に出てきたのがこちら。

https://www.geek.sc/archives/623

科学とは、仮説を立てて、その仮説が本当に正しいのかどうかを様々なデータ論理を使って検証する行為です。

小学校中学校理科の授業を挙げて)先生実験前に皆さんに何かプリントを配って、「実験をしたらこういう結果になる」ということを説明したり、「実験によってどういう結果になると思うか、自分の考えを書きなさい」などのような指示を出したりしたと思います。そして、本当にその結果が得られるかどうかを検証するために、実験が行われたと思います。それが科学です。

なるほど、何となく分かった。科学とは、仮説→実験検証という、小中学校理科でやった流れのことなのか。ああ、じゃあ社会科学的な科学とは、「これ法則っぽくね?」ってカンを働かせる(仮説)→客観的視点を使う(実験検証)で、その実験検証に使う客観的視点が、社会学においては“統計データなどを用いて分析する”ことなんだな。じゃあ、「社会学って自分の好きなことを言っているだけの学問なの?」って言葉は、半分合っていて、半分間違っていることになる。自分の好きなことだけ言って根拠が無いのであれば、それは「好きなことを言っている」ということになるけど、根拠があるならば、それは科学証明された立派な法則だ。もっとも、優れた科学者なら、仮説の時点で言っていることはかなり正しくて、後は証明するだけ、ということもあるかもしれない。千田さんが何かオラついているのは、もしかしたらそういうことを言いたいのかもしれないなあ、なんて。

まあそれは置いといて、社会学を含む社会科学は、科学的な手続きを踏んで成り立ってきた法則を利用することで、みんなが幸せになることを目指す学問なのだから、どう考えたって人類にとって有益だ。だから、「社会学って必要なの?」というのはおかしいような気がする。

これでふわっと社会学について知ることができたし、「それってまぁこういうことじゃね?」と言うことができた気がする。ネットで軽く検索して得ただけの弱っちい知識ではあるけど、それだけでとりあえずは、例に挙げたような飛び交っている言葉解決できそうな気がする。もちろん、議論はその上に成り立っているものであるはずだし、そうでないと時間無駄だ。だから、これを「はっ、当たり前のことばっか書き連ねやがって」とか「いやここおかしくね? 幼稚な理解だな」とか言って、一笑に付してもらわないと困る――Twitterで何か言っている人たちとか。なので、この文章違和感のあるところがありましたら、ご意見の程よろしくお願いいたします。

2018-09-24

メンサ会員の女の子が言っていたこ

けっこう前に聞いた話なので細部の記憶は正確でないと思うが、意味合いとしてはおおむねこのようなものだった

「ここにいるのは頭が良い人というより、自分は頭が良いと信じたい人たちなのよ」

洞察力の高さと、初対面の人間にそんなことをサラッと言えてしまう点にぼくは逆説的に頭の良さを感じたね

2018-09-18

anond:20180918103132

自分の頭で考える習慣がなさそうな人だと思われてるんだよ。

考えさせないと同じような配慮不足のミスを今後も繰り返し続けると分かってるから、そういう言い方をされるんだよ。

もっと洞察力を磨いて、自分一挙一動について、より最善に出来る余地がないか、都度考える時間を取りながら行動することだね。

そういう注意をされる人は、自分ではチャキチャキ動いてると思ってるが、穴だらけで他人が尻拭いをしてばかりなんだよ。

注意力欠陥なの。たぶんね。

2018-09-14

悲報フェミによって「毅然として純潔を保つ女性キャラ」がフィクションに出せなくなる

今回のエロ表紙の件。

もちろんフェミの皆様は、表層的な絵柄や露出だけを見て、安易拒否反応を示しているのではない。

イラストに描かれたキャラクター本質、および、そこに反映された作者の意図のものを、深い洞察によって見抜いたうえで否定しているのである

ということを理解した上で、問題とされた『境界線上のホライゾンXI(中)』の表紙を飾る葵・喜美というキャラクターについて見てみよう。

「喜美には皆、頭上がらないんです。」

基本的自分中心主義であり、「女」であることに対し独自の持論と誇りを持つ。

容姿スタイル名前さえも自分にとっては「飾り」として服などと同一の存在と見ており、その認識故に蜻蛉切の割断能力が通じなかったこともある。

「私は、負けない女が好きよ」

「負けない男も好き」

「負けない私が最高に素敵」

「高嶺の花は、そこに至れる者にしか姿を拝ませないわ。そしてそれを枯らさず持ち帰る事なんて出来やしない。だから高嶺の花は孤高に咲き続け、その山の"不可侵"であり続け、高き場所に至れる者達の共通崇拝となるの」


でもま、こういうキャラが「女性支配したいという男性の願望が反映されている」として糾弾されてるんだからしょうがないわなー。

これからは地味な外見で男性に隷属して誰彼構わずヤリまくるビッチを出していこうな。

そうでないと「性的消費」「性的搾取」で「差別」で「加害」だと言われてしまうんだから仕方がないよ。

2018-09-13

anond:20180913090340

自分が「真っ当な人間」だと錯覚している

自分が「なるほどと思える様な洞察や、作者を尊敬できるような深み」がないと思ったのが作品の正当な評価と断定している

・全てのラノベ網羅したわけでもないのに「異世界に行ったらチート能力俺様無敵だわ、うっはっは!みたいな」作品しかないと断定している。

自分が「キモい作品」と思ったものは「まともなもん」ではないと断定している。

まさに見本のようなゴミクズ論法

2018-09-07

anond:20180907070626

結論は難しいね。一方で商売人にお金払えばそれなりにやってくれるから、思いどおりに近いことを他人にさせている事実もある。釈迦さまはもっと深いレベルを悟って諸行無常色即是空諸法無我洞察を得たのだろうか…

2018-08-25

統計学の本

永野裕之『ふたたびの微分積分

高校レベル

小島寛之ゼロから学ぶ微分積分

ラング『解析入門』

高校レベル+α

マンガでわかる統計学

『推計学のすすめ―決定と計画科学 (ブルーバックス)』

・良書らしい。

◎『完全独習統計学入門』

『それ根拠あるの?と言わせないデータ統計分析ができる本』

・筆者は日産自動車に勤務。

・紹介されている分析手法も「回帰分析までで十分」という筆者の経験に基づいて絞りこまれている。

明日からかえるシンプル統計学 身近な事例でするする身につく最低限の知識とコツ』

位置けがよく分からんが易しい中に深い洞察があるとのこと。

統計学がわかる』

・同上。続編がある。

・ちらっと見てみたが理屈がなくて「これはこうなる」ってポンポン進めていく印象。

『はじめての統計学

◎『よくわかる心理統計

・↓への橋渡しに。

◎『心理統計学の基礎―統合理解のために』

・難しいという噂あり。続編がある。

・「続」は結構高度らしい。

『多変量データ解析法―心理教育社会系のための入門』

・↑の「続」が無理そうならこれみたいな位置づけみたい。めちゃくちゃ分かりやすいとか。

◎『基本統計学

・結局これと↓への橋渡しの本が問題ということ。

統計学入門』

通称赤本」。3部作らしい。

・どうもこれで理解するというよりかは到達点を知るために使うものらしい。

◎『Rによるやさしい統計学

・どっかでやらんとあかんらしい。

データ解析のための統計モデリング入門――一般線形モデル階層ベイズモデルMCMC

・「緑本」。結局ふつう統計学もここに行きつくのか。

現代数理統計学の基礎』

位置けがよく分からん。これ完璧にすると統計検定1級レベルに行くんだとか。

2018-08-23

映画語り漫画面白いものがまだ一作もない事実

メシ語り漫画やら山語り漫画やら

あらゆるジャンル語り漫画がこれだけ豊作なのに映画語り漫画はひどい状況


・『木根さんの1人でキネマ』

知識見識浅く感性凡庸

映画以外のドラマ部分はもっと凡庸(作者会社めしたことなさそう女の知り合いとか少なそう)

映画についての感想や話し合いが1ミリ面白くない

おまけに漫画が下手


・『おやすみシェヘラザード』http://yawaspi.com/oyasumi/

木根さんよりは作者が熱心に映画見てる感じ

だが語りと漫画が下手すぎてどんな名作でも面白さが全く伝わらない

自虐的に「説明が下手なヒロイン」というキャラ設定をしてるが

そんな自虐より漫画説明の上達を目指すべき

twitterで喋ってると面白い人でオタクとしてのレベルは高そうなのにとにかく壊滅的に漫画が下手


・『私と彼女のお泊まり映画https://www.cmoa.jp/title/123688/

映画漫画と銘打ちながら映画成分が薄く、映画じゃない部分も薄い

作者に描くことが何もなくてとりあえず女の子出したけどスカスカになりました、だけが伝わってくる

映画にも日常にも興味薄そう

正直この人については「なんで漫画描いてんの?」というかんじ



・『怒りのロードショーhttp://comicmcclane.web.fc2.com/

映画についての駄弁りと罵り合いに特化した漫画

扱う映画流行ものスタンダードしかないが論争はあるある

ただどの論争についても掘り下げてくれずに触れるだけで終わり

何についても触れるだけで終わりなので見た目に反して読み味が物足りない

絵柄が何かに似ている




いかがだろうか

映画語り漫画なんてめっちゃ面白くできそうなのに面白ものがまだ一本もないのだ

どうなってんだこれ

誰か面白いの描いてくれよ



トラバで教えてもらったやつ

・『邦キチ! 映子さん』 http://comip.jp/spinel/works/eiko/

トラバで教えてもらって早速見てみた。

おもろいやんけ・・・

マニアック映画やクソ映画を読者が見てない前提で紹介してきちんと笑える説明昇華する

おやすみシェヘラザードがやれなきゃいけなかったことを完璧にやってる感じ



・『水曜日シネマ』https://comic-days.com/episode/10834108156629722348

映子さんの逆にしっかり映画以外の部分のとこも頑張ろうとしてる感じ

映画はどっちかっていうと従なのかもだが

『私と彼女のお泊まり映画』を100倍ちゃんとさせた感じとも言える

映子さんの方が好きだがそれ以外の俺が紹介したやつよりはこっちがよい

ところでこれに出てくるメガネといい怒りのロードショーのクソキャラといい「何が面白いか・つまらいか」きちんと言語化することを自他に求めるタイプ人間って何故か嫌な奴・悪い奴みたいにされがちだよな。だいたい不必要なほど口汚い挑発的な煽りキャラにされて。



・『ケンガイhttps://csbs.shogakukan.co.jp/book?book_group_id=4110

あれはずーっと前に読んでたけど映画語り漫画と言うよりサブカル自意識漫画でしょ

地獄のような難易度マックス女子がめげずにアタックしてくれる男に酷いことし続ける話

長瀞さんですら日和る昨今あの難易度設定は嫌いじゃない



・『シネマこんぷれっくす』https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_FS01000045010000_68/

うーんキツいっす

まず画面の整理が出来てなくて目がすべる

テンションも緩急なくずーっとハイテンションで目がすべるすべる

これ『おやすみシェヘラザード』と同じ漫画の下手さがあるな

しかも絵のクオリティではシェヘラザードにかなり負けてるへろへろな線と絵なのでかなり辛い

知識的にも「カンフー映画」という雑な括りや「片腕ドラゴン」というチョイスなどにわか臭すごい


・『映画に毛が3本!』

古すぎて試し読みもないみたいだから買って読む

黒田硫黄なのでそこそこ楽しみ


・『映画でにぎりっ屁!』

同じく試し読みがないけど買って読まない

榎本俊二なので想像つくしつまんなそー



名探偵登場

AQM わー、「邦キチ! 映子さん」の1巻の発売日はたまたま明日なんですねー、すごい偶然ー

ほんとだーそうだねー


…は?

ステマかなんかだといいたいの?

あのなあ

俺がステマしようと思ったらもっとめっちゃ面白そうに書いてブクマ稼げるわ

そもそもそういう宣伝なら映子さんを文頭に持ってくるし文字量増やすし他の余計な情報削る


だいたい映子さんのステマなら木根さんとかをこんなに罵る必要ねーだろが

車や掃除機じゃねーんだから漫画宣伝で同種商品蹴落とす必要なんか微塵もねーんだ

ネガティブなこと書けば書くだけ反感買うリスク高まるんだから広告無駄ネガるわけねー

なんで木根さん他を罵ってるかと言うと純粋に俺が罵りたかたからだよ「つまんねーんだよ」って


わかったかチンカス名探偵

頓珍漢なダウトかける前にその貧弱な脳味噌フル回転させて論理的検討しろチンカス


kei_mi “誰か面白いの描いてくれよ” -> “おもろいやんけ・・・(笑) 『邦キチ! 映子さん』じゃしゃーない 4 clicks

何がしゃーないんだ

「知能の低い人間安易すぎる推理を『自分けが気づけたすごい洞察』のように感じて興奮してしまうからしゃーない」ってこと?

そんなチンカス界だけで通用する定石でものを言われても


いや真面目にさあ

俺は単純にお前らのような低能不快でしゃあない

お前らは俺が何回おんなじような釣りをやっても気付かずピチピチと釣られて

どんなに手がかりを放置しておいてもそれには一個も気付けない注意欠陥障害のくせに

たまにまるで見当外れなところに「真相尻尾」を見出して何か凄いことを洞察したように確信する


ステマ認定同一人物認定政治機関工作員認定

バカじゃねーのかと

そういうものは癖のある文章なんかでやらねーんだよ

はいま滅茶苦茶癖を出して文章を書いてる

偽装しようと思えば全く別の癖も出せるし何の特徴もない文章も書ける

15歳中学生やら中年貧困女子やらKKOやら外国人やらいろんなもんに成りすましてホッテントリ取ってるが騙りがバレたことはない

ほんとに一部の勘のいい奴が具体的な疑いを出せた時はそいつidは「えらいこ」リストメモってるがそういう奴の声は聞き流されて騙されてる奴やとんちんかんな奴が☆を集めるはてなはメクラの群れだ


俺はお前らみたいな単純な脳味噌の奴がもっと面白がる文章ももっといい気分になれる文章も怒って突っ込みたくなる文章もどーとでも書ける

この間の「騒ぎ続ける子はどっかおかしい」っていうのも只の悪ふざけで書いてんだ

俺には子供なんかいないし騒ぐ子が憎くもないしなんも思っちゃいない


お前ら程度の頭蓋骨にチンカス詰まってるような注意力の人間誘導して特定漫画に注目集めたかったら

そんなもんいっくらでも華麗に何のノイズもなくやってみせるわアホ臭い


俺はもう何年も前からお前らの低能ぶりにはあきれ果ててるけれども

売れない漫画家のニッチ漫画ステマとか決め付けられると関係方面に具体的なご迷惑がかかるだろう

そんときにこのAQM kei_mi のチンカス両名は責任取れるわけか?

この木根さんらを罵りまくる超口汚い奴が映子さんの作者だなどと言いふらして

根拠といえばチンカス一流の直感だけで


でこうして低能低能言ってると「低能先生www」とか言って喜ぶアホが現れそうだが

あいつの口癖が「低能」になったのはずっと昔の一時期俺があいつをいじめて「低能」と罵ってたからだ

ニーターパンおじさんと低能先生はどっちも俺が育てたといえる

(というか出現時期が入れ替わりだから同一人物かと思ってた、あんま興味ないからどうでもよいが)


まだ俺が映子さんの作者なり関係者なりだと思えるだろうか

まあ思えるのかもな

低知能のチンカスほど自分の「冴えた閃き」がすごいアイデアだと信じてどこまでも固執するもんだから

俺は俺なりにチンカスにわかるよう丁寧に説得はした

この上で名探偵AQMが映子さん作者に不当な迷惑かけるならそれはもうAQMが責任取るしかないことだ

チンカスのやること1から10まで面倒見切れん



その他

怒りのロードショー村山みたいに娯楽作品芸術性求めてけなすタイプでしょ増田

怒りのロードショーざっとしか読んでないかキャラ名なんか覚えてないけどどのキャラのことかわかるぞ

で、たとえば俺がここでの漫画評でどう芸術性の話なんかしてんだ

娯楽としてクソだってしかしてないだろ

「画面の整理・テンポの緩急がなってない」「漫画が下手で読みにくい」とかな

高尚ぶってもないし抽象的でもない

バカでもわかるレベルの端的な指摘に徹してる

娯楽に芸術性求める人間は映子さんも水曜日シネマも認めたりはしない

因縁付けるにしてももちょっと脳を使え

2018-08-22

段々はてな適応していく自分が怖い

はてブ始めたのは去年の5月くらい。(はてなID作ったのはかなり前だけど。)もともとあらゆる面ではてなーに近い思想を持っていたか最初からたまにはスターを貰えてたんだけど、その数は少なかった。そして、そのまま1500目のブクマを達成しようとしていた。

しかし、ここ数週間ほど前から、妙に星の数が多いのである政治的記事をはじめとして、技術的な記事増田に付けたブコメが、80%ほどの確率で最低1つの★が付けられるようになったのだ。

★/ブコメ指数が大体 3.5 くらいになったのである。とりわけ計算してないので誤差はあるが。

これは喜ばしいことなのか?★の数が増えたのは、ただ単にはてな適応しただけだろう。確かにはてブが習慣になってからは、身近な出来事に対する関心や洞察力は大きく高まった。ただ、それと同時に一般的はてなー思想が重なりつつあることは、言うまでもなく避けては通れないことだ。

このままブクマ活動を続け、10,000ブクマ目を達成した暁には、かつての自分はどうなっているだろう?どう見えるだろう?

運動睡眠瞑想野菜しか発することのできない壊れたロボットになっているのだろうか?

でも、私はブクマをやめない。

2018-08-03

anond:20180803095013

そんなの、自分のすンばらしい記事選びの洞察眼を世間に広くアッピールして、ダサい記事ばっかブクマしてる愚昧な奴らとはかけ離れた人間性オーラで以て周囲を制圧したいからだよ。

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