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はてなキーワード: 洞察とは

2017-10-23

anond:20171023044648

マトモなオタク

作品の生まれた背景に理解

類似作品の関連性に敏感

敬意を感じるパロディオマージュには寛容

創作行為に対して謙虚

視野知識の幅は広い

カルトオタク

作品に唯一無二の神秘性を求める

深い部分の類似性にはまるで気づかない

せいぜい気づいた表面的な類似性には徹底して不寛容で鬼の首を取ったかのように騒ぎ立てる

他者による創作物に対してある種の所有権じみた錯覚を有す

視野は狭く洞察は浅い

バズる批評が出来るオタク

(マトモ+カルト)/2

2017-10-22

anond:20171022220700

何を勘違いしているのか知らんけど

世に言う頭がいいっていうのはレスポンス出すのが速いってことな

無論増田洞察力もないっぽいけどね

2017-09-28

https://anond.hatelabo.jp/20170928154947

柳原和子の『百万回の永訣』読んだけど、ガンにかかると色々考えるせいか、すごい洞察力だった。ガンにかかるのは辛いけれど、無駄ではないなと思った。

2017-09-26

被害妄想とかに関するメモ

下の文章に目を通したことがきっかけで思ったこと。

http://kokoro.squares.net/?page_id=9

http://kokoro.squares.net/?p=6497

重要な要因は、不快なことが頭から離れにくいことと、

反省みたいなの(内観?)をする癖やら余裕やらがないことだと思ってる。

すれ違った人の笑顔を見て今すれ違った人は自分嘲笑していたと思う。

最初の段階では端的に他人がそう思っている。だが反省みたいなのをする癖があると、

他人がそう思っていると自分が思っている、と反省する。

んで、その原因(?)は今自分恰好がみすぼらしいと自分潜在的に思っていて、

それが反映されたものだと考えるだか、ありがちな原因を想起だかする。

端的に他人自分嘲笑していたと思って、それを反省しなくとも、

そのことが気にならないなら、その嘲笑事実か否かに関わらず、

意識から消える。

反省して他人自分嘲笑していたとは限らないと思っても、

そのことが頭から離れないなら、

妄想であろうがなかろうが苦しみの程度は大して変わらないだろう。

思い浮かんだことが即事実であるかのように話す人がいるが、

「かもしれない」とか「と自分は思う」みたいなのは反省することで

付け加わるもので、なんらかの原因でその意味での反省ができなくなっているのかも。

たとえば激しい症状が出ていて次から次へといわば頭に浮かんでくる状態では、

浮かんでくるもの反省されることな事実のようになっている。

夢においては夢の内容が事実のようになっていることに近い。

目が覚めると自動的想像だったと気付く。

被注察感ってのは反省する機能みたいのが他者からのように感じて起こるのかもしれんけど、

あんまりそれが働いてないときに働き始めると起きるとか?

なんか『フィヒテの根源的洞察』を思い出したな。ちゃんと読めた気はしてなかったけど。

2017-08-26

日向市動画批判って単なる反フェミでしょ

なんて了見の狭いこと言ってるヤツは考え直した方がいい。

あの動画批判してる男・あの動画に傷ついている男は、繊細で思慮深く人権意識の高い人間だ。

なぜなら彼らは、

「海、似合ってないね」「ほっといてください」

から

「海、似合うようになったね」「ほっといてください」

天丼という、『この一連の流れは、容姿が変わったことで他者から承認を得られたことを、無批判に善として描いているものではない』というわかりやすーい目配せがあるにも関わらず、

「ゆーても病的に太ってるよりはそれなりに痩せてる方がいいだろ」という制作側の無意識に纏うルッキズムを見抜き、その押し付けに断固として声を上げるべきだと主張しているのだ。なんという志か。

彼らの洞察力・意志力・神経の細やかさに敬意を表すと同時に、彼らが、ルッキズム若さ信仰を基本に脅し嘲笑揶揄説教大手を振るう女関係広告煽りをもろに受けることのない「男」という性別に生まれいたこと、それに深い安堵を覚える。もし女に生まれてたら一週間でネットテレビ雑誌も吊り広告も見れなくなってたね!

そしてきっと、冷静で深い洞察力を持つ彼らは、今後確実に現れるであろう女向けルッキズム満載広告炎上した時に必ずや強い味方となってくれるだろうことを予言しておきたい。なぜなら彼らは自身イデオロギーのもとアンチフェミ的なイチャモンをつけるしか能のない単細胞ではなく、隠されたルッキズムを素早く見抜き、その構造のもたらす問題を的確に指摘できる優れた考察なのだから……

2017-08-12

柴田英里って良く知らなかったが、連投してるツイ見る限り、偏差値62ぐらいの「ちょうどいい感じに脂の乗った馬鹿」という感じある。

突き抜けられなさと浅薄さ自省感覚の無さからくる深い洞察力などがない。偏差値62というか上っ面でペラペラだった。これで美術評論なんてまともにできてんの?

2017-08-09

https://anond.hatelabo.jp/20170809094049

トゲがある人だろ

去年流行りまくった日本死ねに文才とか洞察力とかあるようにみえない

ブコメが多くつく人

ブコメってなんのステータスになるんだろう

文才がある? ちがう

話題提供力が高い? ちがう

コミュ力高い? いやそんなこともなさそう

通常ここまで考えない、みたいな

ある意味思わぬマイナー記事書いてる可能性はある

洞察力が高い?

2017-08-08

https://anond.hatelabo.jp/20170807234244

読解力の問題だと思う。

女性には女性ならではの苦労があって大変なんだよね」

というエントリには、決まって

「男も大変なんだよ!!何もわかってないな!!」

みたいに怒ってる男性コメントがつくよね。

女性が苦労している」を「男性は苦労していない」と勝手に読みかえて勝手に怒っている人は、純粋に読解力が足りないのだと思う。

正常な読解力を獲得するには想像力共感力洞察力などが必要だ。

これらは女性どうしの円滑なコミュニケーションに欠かせない能力なので、女性にはわりと身につきやすい。

そして同時に男性社会では往々にして育ちにくい能力でもある。

そういうことで読解力の足りない一部の男性が、勝手に「自分たちが責められている」と曲解して的外れな絡み方をするのだろうと思う。

2017-07-28

anond:20170728163238

なお、俺は元増田じゃない。汝の洞察力が不足しているので指摘してみたまでだ。

2017-07-22

はてな民は賢いのかと思ったら違った

みんなあるゆるトピック精通していて、クリティカル視点を持った知識人なんだなと思ってた。みんな鋭い洞察力があるんだなと関心していたんだ

しかし、素人が書いた英語学習ブログや1円ライターが書いた自己啓発本選出の記事に大量ブクマが付いているのを見て悟った

こいつら単なるワナビーやんけ・・・

2017-07-19

disではないよ

ニシキドアヤトっていう人のブログの良さがわからんのです。

確かに共感する部分もあったし、写真芸も面白い。死んだ目の写真を使ったネタは最高に笑った。

しかし、なんだこの新しい考えは!?とか、こんなやり方初めて知ったぞ!?みたいな文章を読んでて自分世界が広がったみたいなのが、

ないんだよなー。加えて、大手ブロガーさんが、驚異の新人!みたいに盛り上がってるのもなんだかなあという感じ。

最近面白いと感じるブログは2つあって、1つは「活かす読書新刊ビジネス書をバシバレビューしているブログ

要点をまとめる力と感想面白く、この本欲しいなあ!となる。

読みやすくてとてもハマっている。

もう一つは「分裂勘違い劇場」というブログ

これは、すごくねちっこく書かれた洞察を楽しめる。よくもここまで粘って深掘りしたなという考察を楽しめた。

2009年でもうこんなこと考えれてる!と衝撃も走った。

この2つは今後も見返したいな。

ブログを見る人が求めてる面白さが違うし、ニシキドアヤトみたいなブログこそブログ!と思う人もいると思います

自分は、なんだこのブログ深い洞察やばない!?とか、なんだこの考え!?みたいなのが好きなので、

とても惜しい、なんだかなーと思ったという話です。オモコロとかligとか好きな人はハマりそうかな。

2017-07-13

リベラルはもう二度と「性教育の推進を」なんて言わないでほしい

『ゆらぎ荘の幽奈さん』炎上の件。

  

年齢制限によるゾーニングは、「子供に見せないように大人配慮する」と、「子供が見ようとするのを大人妨害する」という2つの方法があるんだけど、どっちに主軸を置くつもりなんだろうか?

この配慮妨害は、たしかに重なりあう部分もあるが、明らかに性質が異なる。配慮積極的にやってよいが、妨害というのは自由侵害なのだからいくら子供に対してであっても必要最小限に行われなければならない。

  

ジャンプを読んでいるのがあくま子供主体性の発揮だということ、それはもっと重視されてよい。

巻頭カラーで載せているのは配慮を欠いていた」という指摘は可能かもしれないが、子供は以前からこういう漫画掲載した雑誌だということを分かったうえで買っている。そして今後購読を続けるかどうかも、子供たちの選択にかかっている。

大人がこれに自主規制を求めるのは、配慮ではなく、どちらかと言いうと妨害になっているということを自覚してほしい。

無論、妨害はやむを得ないという自覚を持って活動しているならば、それはそれで一つの立場と言えるだろうが……。

  

  

  

ところで、たしか少年ジャンプの読者層は高校生~成人が多く、残りは中学生だったりするので、小学生(とくに10歳以下)となると、ほとんど読んでいないはずだ。これを一律に"子供"扱いすることには違和感がある。

  

そんなこんなで思ったんだけれど、子供主体性をあからさまに軽視しているリベラルは、二度と「性教育の推進を」なんて言わないでほしい。

貴様らには性教育を通して子供主体性の発揮を求める資格がないと思う。

  

例えば避妊性病予防について教えたり、その知識を持たないと自分加害者被害者になってしまう恐れがあると教えるのが性教育の内容だ。要するに、「コンドームを使いなさい」という主体性子供要求するものである

性教育は、決して子供たちがセックスをやることを推奨するものではないが、一方で、もしセックスをするならコンドームを使えと教えているわけだ。これは子供にも主体性があることを所与の前提としなければ成立しない。

  

リベラルは、エロ本18禁しろと言っていたり、ジャンプ漫画過激だと言っているが、18歳未満がコンビニ等でコンドームを買えるということをどう思っているのだろうか?

子供セックスをやることは望ましくないから、子供へのコンドーム販売自粛するべきだろうか?

勿論、エロ本ジャンプを買うことは遊興にふけることであって、コンドーム防衛のためだから、その価値を同列に論じるべきではない。しかしながら、遊興と防衛を分離して考えることもできないだろう。遊興のごとくセックスをやってしま子供、それに付き合わされる子供にこそ、この防衛手段へのアクセスを開いておくことが必要からである

  

「遊興的に性愛を楽しむことは不要だ」と決めつけて忌避する禁欲道徳は、性教育に反対する者たちの主張に説得力を与えてしまうようにも思われる。

なぜなら、反対派の主張は、「子供は無理にセックスをやる必要はない。純潔を保つことが一番の防衛だ」というものからである。この「遊興をしないならば防衛必要ない」という話は、ミクロで見るかぎり妥当になっているケースも多いと思う。

  

(※この論点は「リベラル宗教保守区別がつかない」というエントリで補足したので、そちらをトラックバックから読んでください。)

  

  

  

追記(2017/7/14 21:10

ブコメで突っこみを頂いたけれども、リベラル側の主張は、たしかに、「エロは許す。性暴力女性蔑視は悪だからさない」というものだった。

しかし、私がいつもリベラルに感じている苛立たしさは、まさしくこの点における洞察力の欠如である

  

どうやらリベラルは、エロを性暴力女性蔑視から分離できると考えているらしいが、それは誤りだ。具体的には下記リンクエントリで、「エロと野蛮さは切り離せない」の章を参照されたい。

一つ言えることは、お行儀のよいエロ表現なんか絶対に楽しくないってことです。

人権平等という正しい理念を詰めこんだエロ表現があるとすれば、おそらく私はそれを(ポルノ的な意味では)評価できないし、その偽善には吐き気を催すほどの不快感に見舞われるでしょう。私にとってのエロとは、どこまでいっても女性蔑視暴力性と切り離せないものです。

お行儀のよいエロは、ジャンプを読んでいる子供にもウケが悪そうです。子供不謹慎もの下劣ものが好きなのだし、性描写もそっちの方向でなければ楽しく受容されないでしょう。エロが野蛮さと結合してこそ楽しめるという子供感性は、なまじそれを否認してみせる大人より正鵠を射ています。この感性のあり方は否認せず、内心の自由として尊重し、一方でこの野蛮さを制御する文明的な理念について子供に啓発することができるならば、多分それが最適解だと思います

  

『【表現規制】『ゆらぎ荘の幽奈さん』炎上の件について』

https://anond.hatelabo.jp/20170712001904

エロが野蛮さと結びついているのは、漫画というフィクションだけに限らない。

しろ現実世界における男女のセックスにこそ、「とにかく女とヤリたい」とか、「彼氏に嫌われたくないからヤル」とか、そういう心理が含まれる。いくら相手への愛情があってもこの傾向は不可避だし、それどころか愛情希薄なままセックスをやることもあるわけだし、エロは野蛮さと切り離すことができない。

リベラルが言っている「差別暴力のないエロもある」などという綺麗事は、まったく現実を見ていないお花畑だ。大切なのは、そのようなお花畑信仰を捨てて、エロ差別暴力と不可分であること、それはフィクションでもリアルでも同じなのだという前提に立つことだ。

  

我々がリアルでやっている普通セックスが、レイプやDVと地続きであるということを認める覚悟もないリベラルは、ひどい偽善者か、そうでなければ呆れるほどに自己反省を欠いている。性欲はポリコレに反するようにして湧き上がってくるものだし、エロは、社会正義に叛逆するような侵犯に至高の価値を見出さんとする意志なのだ。つまり、「ルールなんか無視して遊興をやりたい!」というのがその本質だ。

性教育法律は、これに対して、最低限のルールを守りなさい、理性を働かせなさいと要請するものである。そして逆説的だが、このことは、エロ差別暴力とは切り離せないと自覚する(させる)ことによってこそ初めて可能となるのだ。

例えば男がコンドームを使うというのは、セックスが女を傷つけるものだと自覚し、理性でその悪を制御することだ。これは男が女を誤って妊娠させる行為について、「悪だからダメ」と決めつけて忌避するのではなく、「悪だから制御せよ」という前提を採用しておかなくては実行不可能だろう。もし「悪だからダメ」という前提の方をとるならば、セックスをやらなければいいわけであって、これは「遊興をしないならば防衛必要ない」という宗教保守論理である

リベラル表現物に対して「悪だからダメ」という潔癖な基準採用するのは、この宗教保守論理を補強してしまうのではないかと思う。そのように潔癖な考え方では、とてもではないが、性教育の推進を訴えることなどできないのではないか

性教育は、セックスが性暴力・性被害と密接に結びついている危険ものだという現実認識から始めなければならない。人があえてその危険を冒そうとする意志こそがエロティシズムである性教育はこの意志を野蛮だから無くせだの、悪いことだからダメだのと言って忌避するものではない。そうではなく、それ自体はやむをえないからと是認した上で、だからこそ安全制御するための方法を教えるものなのだ

  

再追記(2017/7/14 23:10

これは前回の記事で書いたことなので省略するけれども、「エロ問題ない」と言っているリベラルの嘘つきぶりには、もう本当にハラワタが煮えくり返りそうだ。

あの漫画が今回炎上したのは、確かに性暴力女性蔑視という文脈があったかもしれないが、それは後付けの理屈であって、第一義的にはその絵がエロいからである視覚に訴えかけてきて我々の感情を揺さぶる絵だからこそ、そこにある性暴力女性蔑視という観点が際立ってくるのだ。

これはエロと、性暴力女性蔑視との不可分性をあらわしている典型例だ。リベラルはそのことに無自覚すぎて、しかも両者を分離できると平然と言ってのける人も多い。私はその欺瞞ぶり、鈍感さには堪らない苛立たしさを感じている。

  

(※詳細は上記リンク先で、「エロからこそ批判されている」「差別表現には問題があるが、エロ表現にも問題はある」「作中で性被害肯定的に書いたことは問題本質ではない」等とした章を参照せよ。)

2017-07-10

anond:20170710001742

これなんだけど、男にはその話の内容が

雑談なのか確実に解決しなければならん相談なのか、

判断つけることが出来ないのか?本当に?

どうも「俺にこの話をしてくるということは、俺は頼られてる」

と思い込んでる感じがする。

学習しろ・・・そして洞察力をつけろ・・・

2017-06-13

phaニートサンプルにするのは間違ってる

phaニート生活phaからこそできること。

彼の持つ洞察力とか発信力とか文化的知識背景があるからこそ人が注目してくれてお金や人が集まる。

phaが発信もせず本当に寝てゲームしてるだけだったらきっと生きていけない。

正しくて優しい女の子感情移入出来ない

あ、フィクションキャラクターの話です。

女の子が好きなんですけど、漫画に出てくる女の子の大派閥は「正しくて優しい女の子」なんですよ。

あいう子がほんとにダメで、喜んでても酷い目に遭ってても全く感情移入出来ないんです。興味も持てない。

今のジャンプで最も典型的なところをいうと、Dr.ストーンユズリハとかですね。


逆にちょっとクズな子だと俄然興味持てるんですよね。

でもいい按配のクズって難しい。

常に人を痛めつけるのが趣味極悪人とかだとやっぱり「そんな人いないでしょ」てなって興味出なくなる。

進撃の巨人のヒッチはかなりいい感じだったんだけど善人になりすぎてきちゃってるし

ユミルもワルとみせかけてすごいいい子だったので違う(なにあれマジで女神じゃん)。

己の欲望に汚いサシャも小さい子を守る為に自分の命を張るのに迷いがない。

一応クズから善への葛藤は描かれるけどその葛藤あんまりリアルさや生活感がない。

諌山先生そもそも当人がかなりふりきれた善人だと思う。女性についてもウジウジ洞察しようとしたりせずすごく良い面を見てる。


といって、

なんかすごい欝漫画とか「女ってこんなクズ」が見たいわけでもないんですよ。

結局は自分趣味に合う按配の女の子が欲しいっていうだけなんですけどね。

クズさと善性とをいい塩梅かつリアリティをもって描写してくれると

うわーーーっ 超可愛い

ってなるんですが、あんまりないですね。


こういう女の子を描いてくれるのは圧倒的に女性作家です。

女性作家による女性の関心に基づく女性向け漫画面白いですし読むんですけど

この女性作家感性と観察力で青年向けや少年向けコンテンツヒロイン作って動かしてくれたら

個人的にはものすごい破壊力なんですけど、

まあそんなもんニッチから供給されないんだろうなあ…。

2017-05-18

補足解説 ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

http://anond.hatelabo.jp/20170516141639

↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。

ついでに、最近話題ポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。

文章はいい加減だし、今日日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである

  

  

"自由"の抑圧こそが必要

たとえば、労働問題について考えてみよう。

過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?

私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。

  

過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。

人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しか労働問題においては、そういう権利適用するべきではない。

  

長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合ブラック労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである

女性労働するときハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。

  

「上から改革」が必要

明治時代日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化過程では必ず「上から改革」がある。

旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊排除することで、国民はようやく新時代適応できる。

  

たとえば女性差別がひどい国では、政府女子教育権利提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。

権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層田舎にまで女子教育を普及させるには、政府国民権利を与えるだけでは不十分であって、その権利行使することを国民義務付けなければならない。

  

重要なのは政府国民全員に強制することである

「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。

そして女子児童は、当人まだ子であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。

ここにおいて「多様な価値観尊重せよ」などという主張は有害だ。政府旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。

  

当然ながら現代日本で、後進国近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。

たとえば就活会社説明会服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令必要だ。

から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的手段なのだ

  

ポリティカル・コレクトネス必要

私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである

前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベート時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)

  

私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。

もし本物の極左ファシストであれば、プライベート時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である

  

近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。

そのときリベラル側の主張は、「女性蔑視表現政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレ配慮せよ」というものであった。

私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視であるからだ。

  

もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。

女性主体性尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ

しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性ハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別肯定するという現象からである

被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。

(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)

  

ミソジニー必要

私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。

そしてこれはあまり知られていないことだが、お上纏足強制していたわけではない。とりわけ清朝漢民族のこのバカらしい習俗忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。

女真族満州族)の建てた清朝纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命反革命行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。

Wikipedia纏足

孫引きになってしまうが、以下のような話もある。

当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑言葉を口にする。母親なかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間非難あびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである

ユン=チアン(張戒)/土屋京子訳『ワイルド・スワン』上 1993 講談社刊 p.19-20

http://www.y-history.net/appendix/wh1303-082.html

この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。

そして子供とき纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。

  

さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。

纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」

http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html

西洋女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。

これはまさしく、現代日本女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしま自家撞着するのと同じ心理だ。

ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性主体性尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。

無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足コルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別過酷ものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。

から我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしま女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである

なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。

この理論適用すれば、女がオシャレをする自由是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。

  

終わりに

twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。

リベラリズム本質的価値-自由平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。

スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より

https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995

前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。

しかし私は、どちらかと言えば多分「ラディカルな左派」寄りの立場から、まじめに女性差別撤廃せよと主張したつもりである

ジジェク言葉どおり、リベラルはここからの援護を受けなければ、その遺産を存続させることさえできないであろう。

2017-04-09

クリーニング屋との高度な心理戦

クリーニング屋に行くタイミングに関して考えあぐねている。

今日のように肌寒く雨などしとど降る日のあれば、

「やはりここでまだコートクリーニングに出さなかった私の判断は正しい」

と思うわけである

ワイシャツを取りに行ったときに持たされた「早めの衣替えで20オフ!」なる広告に踊らされることもなく、だ。

しかし一方で先日のような最早暑くさえある日もあったりするわけで、そんな時のために出した春用の服は確実に私の広くもない部屋の一角で日毎にその存在感を増している。

ペラペラマウンテンパーカーと、その右隣にモッサリとしたダウン。「機を逸する」という言葉のお手本のような景色だ。

ここで翻って、「クリーニングからみた私」について想像してみよう。

この時期で冬の服を一気にクリーニング屋に持って行くとした場合

「まだ冷え込む日もあるのに見上げた心意気」と思われるだろうか。

この時点で見た私は「広告に踊らされて、まだ寒いのに冬物全部持ってノコノコやってきた愚かな消費者」になっているのではないか

私は「20オフにホイホイとつられる感じのチョロい人」になってはいるまいか

かといって、ゴールデンウィークを挟んですっかり夏の足音、といったような陽気にダウンやらマフラーやら引っ提げて訪れるのもどうなのだろう。

「せっかく20オフ情報まで提供したのに… この人は普段から思い切りの付かないことばかりで、見ようと思ってた映画がいつも先週に終わってるタイプの人なんだろう」などと思われるのも癪であるララランド初日に見た(とてもよかった)。

冬物をクリーニングに出す適切な時期は、結局どれが正解なのだろうか。

クリーニング屋の店員にどう思われるかという洞察別に必要ないということは理解できているのだが。

2017-04-08

それはあなた根性妄想力か洞察力がないだけだ

http://anond.hatelabo.jp/20170117115317

>>上でも言われてるけど、アイドルアニメアイドルと曲に物語付与出来るんだよ。

>>思い出と言ってもいい、「この曲は〜の時の曲」だとか「あのキャラがこの曲を歌うなんて」とか。

ぶっちゃけあんさんアイドルを長期スパンで見てあげてないだけやんな。

確かにアイドルもすぐ辞める子は多いけど、1年ぐらいブログでもコンサートでも追いかけていたら本人と楽曲物語が見えてくる。

それが見えないなら妄想力か洞察力がない。

それか3ヶ月から半年くらいの短期スパンでないと待てない根性しか

2017-03-21

アパレルショップ店長だけど、何か接客販売に対して質問ある?

Q. なんで客にウザがられてん分かってんのに、声いちいちかけてくんの?

A. これは、声かけて店内に一人でも客を足止めしたほうが、確実に次の入店率があがるから

 誰もいないシーンとした店に入りづらいだろ? 誰かが店員と喋ってたほうが、確実にその隙に入りやすいだろ?

 なんで、生贄のごとく最初の一人の足を止めて、時間を稼いで入店数を促すために声をかける。

 熟練した販売員だと、うまいタイミング自然と声をかけ会話につなげ、試着まで持ってくテクニックを持ってる。

 『何かお探しですか? 』なんて最初から聞くヤツは、ハッキリ言ってテクニックのないズブの素人だ。

 店長クラスでこんな声がけをするヤツはそうそういない。

 ウザい感じで声かけられたら、こいつは仕事できない新人なんだな…と思って、多めにみてやってくれ。

Q. グイグイ服勧めてくるのってなんなの? ノルマでもあるから買わせようとしてんの?

A. これは非常に申し訳ない。確かにノルマ…というか金額目標はある。自分たちが服を売ったお金会社が成り立ち、自分たちにも給料が分配される。

 アパレル販売員ある意味会社利益責任をその肩に請け負わされている末端の存在なんだ。

 営業と一緒。だから、どうしてもガッツいてしまうところはある。

 ただ、キャリアを重ねるとがっつけばがっつくほど売れないということも身にしみて分かってくる。

 売りたい気持ちを隠し、真摯に「お客様相談に乗る」「必要とするもの、本当に似合うものを進めることで確実に信頼を得る」ことが、

 着実に売り上げにつながっていくと身をもって学んでいくんだ。

Q. すぐ「お似合いです」って言うけど誰にでもそう言ってんだろ。

A. これも上と回答がかぶるが、本当に似合わないものは基本絶対に勧めない。

 何故なら、ゴリ押しして買い上げてもらったところでクレーム返品になる確率がグッと上がるからだ。

 クレーム返品は、売り上げ的にも店の信用的にも時間的にも自分メンタル面でもマイナスしかならないので、本当に避けたいところ。

 だから販売員は「わ、素敵ですね!!」という一言に正直という魂を込めていうようにしているし、自分は少なくともそう指導している。

 あと、新しいデザインお客様が試着される場合、初めて目にする姿が〝着慣れてない〟〝見慣れてない〟ことが多く、

 戸惑いと猜疑心で本当はそこそこ似合っているのに『似合ってない』と自己判断するケースが非常に多い。

 販売員はかなりいろんなケースのお客様と接しているので、着ている本人より客観的に「似合っている」と判断を下していると思ってほしい。

 『何故似合っていないと思うのか』というお客様不安や着慣れなさ、持ち帰って着まわしがきくかどうか…など、問題を一つ一つクリアにして、

 一度はお客様が「これが着てみたい」と思った洋服に対する不安を取り除くべく相談に乗るのが、自分たち仕事だ。

 もしそれでも納得がいなかなかったら辞めればいいし、納得がいけば買い上げに繋がる…と自分は思っている。

Q. 販売員コミュ力って必要なの?

A. これは一概にそうとも言えない。

 「自分コミュ力がある」「人と接するのが好き」と言うヤツに限って、ものすごいスピードでこの仕事を辞めていくケースを散々見ているから。

 どちらかと言うと、販売コミュ力スキルは、上手くいった経験より失敗から学んでいくことのほうが圧倒的に多く、

 お客様との居心地のいい距離感をつかめ人間というのは実は人見知りの人のほうが確実に接客が上手くなり、成長するので長続きする。

 販売員というのは、お客様と楽しくコミュニケーションをとりながら、頭の中では1日の目標売り上げに向けて

 「この人でいくら売り上げが確実にどれぐらい取れるか…」というのを心のどこかで冷静にそろばんを弾いている生き物だ。

 全てがそうとは言わない。違うという人もいるだろう。

 だが、自分は正直に言えば、そろばん弾いている側だ。

 なので、どちらかというと最低限のコミュ力必要だが観察力・洞察力が求められ、磨かれていく職業だと思う。

☆追記

ブコメでいただいた質問を、トラバで答えておきました。よかったら、併せてお読みください。

 

 



 

2017-03-18

既得権益者の逆ギレと、日和見菌パラサイト

安倍以来、激鬱で生活行動すらまともにやれていないので、ましてや書くことも辛くて、思考はいくらでも自動的に出てくるのだが書けないという日々が続いている。だから論理的にちゃんとしたことを書く気力がないので、跳躍的に短絡に書く。

近年の現象は、既得権益者の逆ギレと、社会の既成構造に馴れ合う人々のパラサイトで生まれている。そうやって、プーチン安倍トランプも生み出されている。

自然界の多くは、普段は役に立たない日和見でできている。人体の細胞のかなりの割合は、役に立っていない。人体に棲む細菌の大多数は日和見菌であり、「勝ち馬に乗ろう」とする。生きていくためには多少のことは辛抱するというそこそこ恵まれ人間が、人数としては多い。こいつらは日和見である

残念ながら、弱くて卑怯な奴は日和見をするし、組織論理で行動する。自分の命が惜しかったり、部下や親類や友人のしがらみの社会では、日和見で行動する。本当に正しく善い人でいるためには、ときには人間関係を絶たねばならない。だから友達(笑)である。妻や恋愛友情なんかでは、保身のエゴイスティックな行動を取るという生存欲求という意味で強くなれるだけであり、そこには正も善もない。あるのは、人間社会利己主義に基づいた正義だ。そういう意味で「強い」のであって、正しいかどうかは別の問題だ。

既得権益者は、贅沢な地位民主党政権時代抑制され、被害妄想に陥った。恵まれ身分を奪われたら、「差別されている」とすら思い違いもする。もはやコント漫才かのような笑い話だが、困ったことにフィクションではないから困る(笑)。例えば、このオッサン社会なのに、男が差別されるようになったとすら思い込んでいたりする(笑)所得があって恵まれているのに、俺のカネを無駄遣いするなと言って税金ケチらせようとし、社会保障費は貧困者に負担させようとする。

逆ギレである

ちょ、おま(笑 である。面倒くさいからその一言だけでもいいと思う(笑)

けど実害が甚大だから困る。物凄く困る

社会の既成構造政体があって、そのなかで権力権利をもっている階級身分っていうのが未だにある。封建。カースト制のようなものだ。そうして、そのカーストに基づいて人生を過ごしている人間には、その身分に基づいて生きたがるのも居る。沢山居る。世襲政治家のイエというのは贅沢な身分でもあるが、ときには針のむしろであり、人生牢獄である。けれどもおそらくは多くの人から羨ましがられている。

同様に人生牢獄だが羨ましがられるとは限らないものに、夫にパラサイトする女という「孟母三遷」的な封建的人生をえらびたがる人々がある。男尊女卑差別されているのは明白なのにもかかわらず、男にパラサイトして人生を終えたがる人というのは残念ながらかなり多い。そして実際、ひとりのちからではこの社会構造を変えることはおよそ不可能みえるし、異論の声を上げるだけでも既成社会で生きていくにはデメリットでもあり、そしてついには、既成社会適応して疑うどころか心底賛同するという社会適格者化すら起こる。

残念ながら、とにかく実際、女に生まれたら、結婚しないで生きていくのは困難な社会であろう。

男が外でカネ稼いで、女がそのサポートをするという、そういう武家社会かなんかの慣習が拡大再生産され相続されて、今に至っていて、未だにある。

保守」というのは、「古来を守っている」のではない。決して、ない。単に、既成構造を死守しているということ。奴らの言う「古来」は、既成事実封建制度。この封建制度ってのも、たかだか近世のもので、古くはない。古来の古代のものではない。とき儒教封建であったり。カトリック教会封建であったりするかもしれないが、そういうカースト社会構造。そして、そうした構造奴隷にわざわざなりたがる人はかなり多いってこと。たとえば、解放をいやがる奴隷だって沢山いたくらいだし。おそらく今でもインドに行けば、客が自らセルフサービスでやったら、俺の仕事奪ってくれるなと言うカーストの下層者が残っているだろうと思う。

こうした遺物洞察して反省して革新しないと、いつまでたっても人類はクソ未満なんだろうと思う。

2017-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20170314181833

批判的なコメントが思ったよりもついていてびっくりなのですが、いや、なんというか、ヘンな女が愚痴ぐち言ってるようにしか聞こえないのかもしれませんが、

ただ単にバレンタインみたいな行事が好きなだけなのです。誰かにプレゼント渡すのとかお土産とか渡したり渡されたりするの楽しいんです。

そういう行事が好きじゃない奴もおるのです。結構一杯おるのです。

きじゃない奴は大抵得意でも無いのです。

プレゼント受け取るのもお返し考えるのも負担しかないんですよそういう人達には。

あんたが好きで楽しくてもそうじゃない人を問答無用で巻き込んだらあかんじゃないですか。


特にバレンタインなんか、普段まりさない人でも、感謝気持ちを伝えたりとか、そういうことが自然にできる数少ないイベントからかなり楽しみにしてしまうんです。

気持ちはわかりますけどそういうの楽しまない人も居るんです。

渡すとみんな「わー!ありがとー!」みたいなリアクションしてくれるから、やっぱり今年もチョコあげてよかったって思うし、自分彼氏職場からチョコを持って帰ってきたときには、チョコだったり包装のセレクトとかから彼の職場の女の人の気持ちがわかって楽しかったりもするんですよ。

あなたはそういう神経が発達しててチョコからいろんな情報読み取れてしかもそれがポジティブ楽しいんでしょうけど

その神経が発達してない人は受け取ったもの意味も図りかねるし、お返しにどんなもの妥当かもわからないし、

なれないから買うのも大変な労力だし、とにかく負担なんですよ。


お返し目的チョコ配ってるなんて気持ちは一切ないけど、せっかく、たまに聞く「バレンタイン禁止!」みたいな殺伐とした雰囲気職場じゃないのに、もったいないなーっていう感じでした。

あんたは純然たる善意でやってるのは分かるので責めたりしたくないですけど

でもあんたは自分と違う種類の人間に対する察しや配慮が足らんのと違いますか。

あなたチョコにいい反応示さない人は、

別にあなたのことが気に食わないのではなく、あなたと同じ感性をしてないんですよ。

かくいうぼくのとこも法律事務所ですが代表の「虚礼廃止」の方針お中元年賀状もやりとりしません。

代表誕生日にも何にも贈りません。やめろっていわれたので。

サツバツとしてるんじゃ無くて、そういうこと楽しまないだけです。

たぶん、彼には彼なりの主義主張があるのかもしれません(でも、ぽや~とした雰囲気の人なのでそんな感じもしないのですが・・・)。

これもずいぶん人間洞察が浅いなと言う感じがしま

ぼや~とした雰囲気の奴のほうが大体こだわりありますよ(この場合はこだわりの問題じゃ無いけど)

2017-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20170228140019

嘘だね。

まったく嫉妬が漂ってこないし「あいつ」の人物像も無味乾燥

お前は作文が下手で、人の心の機微に対する洞察全然未熟

人間がどういう人に嫉妬するのかちゃんと感じたことも考えたこともない。

もっと真面目に生きましょう。

落第点。

2017-02-13

インターネット上の文章レベルが落ちた

こんなこと言うと懐古厨とか言われそうだが、20年前のWeb1.0時代と比べて、明らかにインターネット世界文章レベルが落ちている。

具体名は書かないが、とあるメジャーとは言えないスポーツの日代表決定戦が先日あり、その内容を解説したコラムが某スポーツ雑誌公式サイトに書かれていた。

執筆者はその世界ではよく知られたライターであり、その人らしい、洞察に富んだ、かと言って煽動的でもない、かつボリュームの水増しもない、良質なコラムだった。判を押したような定型リライト記事ばかりのキュレーションサイトや、イケハヤちきりん等に代表される、無駄煽動的炎上狙いのブログサイトとは大違い。

しかし、読んでから気づいた。

2000年前後までのインターネットは、個人サイトでこのレベル記事を一杯見れたよね??」

今と違い、定型的な記事を書けるツールなんてない。

今と違い、キュレーションのパクり元に出来る公式サイトも揃っていない。

何かについて書きたい場合は、少なくともテレビ映像を見るか現地でライブで見た上で、本屋とかに行って専門誌に目を通して不足分を補完しないといけなかった。または、知人からフォローしてもらうか。

そして、ブロードバンドなんてないから、記事は出来るだけコンパクトにしないといけない。1ページあたり100KB未満が限度ラインとされていた。水増しなんてもっての外。

勿論、執筆対象には強い思い入れも持ち合わせていた。そうでなければ書けないからだ。

Web1.0時代は、これらの障壁クリアした素人ライターが一杯いた。彼らは報酬を求めなかった。アクセス数と、掲示板書き込みゲストブックの登録が増えることが報酬代りだった。

中には物理的な報酬を求める人も居るには居た。その代表例が、あのDeNA村田マリである彼女Web1.0時代異端児だった。

今、当時の素人ライター人達よりレベルが高いプロライターは何人居るのだろう?勿論、キュレーションに関わる1円ライターや、炎上ブロガー比較対象ですらない。

自分の手と足と目を駆使してネタ仕入れ、まとめ、想いを込めて発表する。これが出来てる記事割合が激減したのが、今のインターネット上のテキストである

今の姿しか知らないデジタルネイティブ世代は、ちょっと可哀想かも知れない。

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