はてなキーワード: ぬことは
一つは最大の大陸を西より侵食し続け、一つは極東の海原から世界を埋め尽くそうとした。
人類がその力を結集して西の帝国を滅ぼした頃、東の帝国は遂にその領土を小さな島国に残すのみとなった。
極東の帝国は自国民を洗脳し、玉砕を繰り返し、遂には最後の一人になるまで戦うべきだという思想に染まっていった。
最新科学の鉄槌の前に、前時代的なケモノ共は怯えながら決して八紘一宇の中心に己がいる夢など叶わぬことを認めたのである。
極東の地には今もその痕が残されている。
人類の叡智が神より盗み出した小さな太陽、その巨大な熱が、無知蒙昧なる者共の愚かなる夢を焼き尽くした御印が。
神の陽よ、再び愚かなる我らの前に降り注ぎ給うな。我ら皆、平穏を愛し、しめやかに暮らすことを欲する。
その誓いを示すかのように、死の雨が降り注いだ周囲には今も誰かが鎮魂の鐘を鳴らしている。
愚かなる争いを二度としないように、もしも再び世界を滅ぼさんものが現れたなら、人の作りたる科学の神は再びその怒りを世界に示すだろうと。
ChatGPTってば、でっかいデータセットを駆使してトレーニングされてるのよ。めっちゃたくさんのテキスト情報を頭に詰め込んで学習してるわけ。でも、学習中は単語のリストをずっと覚えてるわけじゃないのよ。代わりに、トレーニングデータの統計的なパターンを学んで、それをもとに文章を作ったり回答したりするの。
ChatGPTは応答を作るために作られたモデルよ。トレーニングした時に見た単語やフレーズにはちょっとした知識を持ってるけど、完全な単語リストを持ってるわけじゃないの。特定の単語リストや条件に基づいて単語を作ったり提示したりすることはできないし、データベースや単語リストから条件に合う単語を取ってきたり提示したりするようなプログラムもないわ。
でも、ChatGPTは外部のプログラムを通じて情報を入力して、その回答を取得することはできるの。APIとして提供されてるから、外部のプログラムやアプリケーションと連携して必要な情報を入力して生成された回答をもらえるのよ。
例えば、ユーザーの入力を外部のプログラムを使ってChatGPTに送って、それに対応する回答を生成してもらうって感じ。その場合は、外部のプログラムが入力を受け取ったり回答を表示したり必要な情報を整形したりするのを担当して、ChatGPTが回答を作るのを担当するのよ。
つまり、外部のプログラムを使って特定の条件に合った単語リストを作って、それをAPI経由でChatGPTに教えてあげれば、ちゃんと条件に合った回答を生成できるってことよ。外部プログラムが必要な情報を提供して、ChatGPTがそれに基づいて回答を作ってくれるわ。
わかった?ちゃんと情報を用意して、きちんと指示してあげれば、ChatGPTもちゃんと答えてくれるんだから、そんなに驚かないでよね。
ただし、ChatGPTは学習データに基づいて回答を作るから、外部プログラムで特定の条件に合った単語リストを渡しても、完全にコントロールされた回答が得られるわけじゃないのよ。モデルは自分で考えて回答を生成するし、提供された情報を考慮してるとはいえ、必ずしも思い通りの回答ができるわけじゃないってこと。
だから、ChatGPTを使うときは、生成された回答をちゃんと検証して、必要なら外部プログラムや手動の指示を使って回答を制御・修正することが大事なのよ。そうしないと、思わぬことが起こるかもしれないの。
「夜中の23〜24時の間だけ、スライムに変身するということは、非常に珍しい状態でございますわ。
周囲の方々に大変な印象を与え、興味を引くことができますわ。
また、スライムに変身することで、身体の自己治癒力が高まるというメリットがございますわ。
身体的な変化により、自己再生力が増し、不要な物質が排出されることが、健康面にも良い影響を与えるとされておりますわ。
しかしながら、夜中の23〜24時の間だけスライムに変身することによって、社会的な制約があることを忘れてはならぬことでございますわ。
※ただの質問=答えによって怒ったり問い詰めたりしない何の含みもない質問という意味です。(追記)
職場ではなるべく「はい」か「いいえ」で答えられる質問をしている。😀
しかし最近は、なぜか聞いてもいない理由を語りだしたり、「攻撃してきた」と受け取るやつが多すぎる。😑
たとえば他部署のAさんに「打ち合わせはいつにしますか?」と聞くと😁
「これこれこういう理由で今までできなかった」という😗
なぜかこちらを気遣ってくれているようでまったく見当違いの提案や😐
「◯◯って◯◯ですか」と意図がまったく不明な初歩的質問を投げ返してきて🤔
「それは◯◯で◯◯だから……」と何だかよくわからないことをゴチャゴチャと話し出して😗
「やったかどうか聞いてるだけなんだが」と言うと、やっとまともに答えてくれる。😑
こっちはただ質問してるだけなのに、勝手に「責められてる」と受け取って😀
ゴチャゴチャ言ってくるやつら、何なんだろう?。🤔
<追記>
>buriburiuntitti べつにいいけど、"なるべく「はい」か「いいえ」で答えられる質問をしている"って切り口で"「打ち合わせはいつにしますか?」"って例が最初に出るのか。
絶対にいつも「はい」か「いいえ」で答えられる質問ばかりしてるわけではありません。😁
そういう意味で「なるべく」という言葉をつかいました。(なんだこの追記。😅)
二分化してるの、興味深いですね。😄
私はあなたのことを攻撃してません。(なんだこのデジャブ。😅)
<追記>
このエントリーは「私のコミニケーション能力が低い問題」についてではなく😖
「質問はただの質問」わからないやつ多過ぎ問題について書いています。(タイトルの通りです。😅)
建設的なアドバイスしてくださったみなさん。ありがとうございます。😉
<追記>
なんだか文章が怒ってるみたいだという意見があったので絵文字を追記しました。🫡
<追記>
>ackey1973 追記に、すごいお人柄が出ているなあ。なんとなくこの増田氏に質問されると“問い詰められてる”と感じて“余計なこと”から入ってしまう人がいるの、分かる気はする。
失敗が許されない(やりなおしがきかない)現場で仕事をしているので
コミュニケーションはなるべく簡潔(×完結)にやりとりするよう心がけています。
問い詰めたり、怒ったりは、現場に支障が出るためいっさいしてませんねえ。
(type-100さんのいう稀な状況ということになります。失敗したらひとが○ぬこともあるので)
そのような冷徹さが文章に出ていて「人柄」と解釈されているのかな。
仕事モードではないときはふつうにコミュニケーション取っていますよ。
具体的な内容が書けないなか、少ない材料で親身にアドバイスくださった方には感謝いたします。
Bくんの例の場合、私が答えに対して怒ったり問い詰めたりしないのは「そんなことしても何も解決しないから」です。
上述しましたが、失敗したらひとが○ぬことがある現場なので、ただただ「状況確認→対処」したいだけです。
したがって、その場では、こちらの質問の意図を理解されなくてもいいし、そうなった理由も要りません。(終わったら説明していますし意見もきいています)
一般的な職場のみなさんからしたら「稀な状況」かもしれませんね。
Aさんの例の場合は記事への反応のなかにあった「字面くん」と「配慮ちゃん」のたとえで理解しました。
適切なたとえありがとうございます。 それではおやすみなさい。
母は痴呆でほぼ空気、ていうか、成人病でカラダ壊して実家に戻った弟がそれから数年して両親の痴呆と末期癌に降りかかられて独りで奮闘している
ワイふくむ兄連中は地理的に遠すぎるためスルーてか世話は押し付けてお任せしとる
消化器系の癌切除をしたあと味覚がほぼ失くなり食事が摂れず体力が落ちた父にリンパ腺癌がみつかり再入院したが治療の苦しみに嫌気がさした本人が緩和ケアにしてくれと要望すると病院側は家族の同意を得てくれとのこと
弟としては何年も面倒をみて世話(食事を作るのが生き甲斐のようだ)をして来ているので諦めきれないらしくまだ頑張ろうといい、父と平行線
父からは弟を説得しろと電話がかかってくるし、弟にそう突き付けるのは彼の人生を否定するようでしたくない
父はちゃんと兄弟で話し合ってるのかと電話でツメてくる、医師からは家族で統一見解を持って来てくれないとどちらにも進められないと言われているそうな
お互いに地理的に離れて生活も離れてなん十年間、それって家族かねぇ…
身近なひとがしんでいくのってなんてめんどうなのか
死刑になる夢を見た。
罪状はトンと分からぬが、こちらは確信犯だ。そんな判決が出ているということは、確実に仕留めたことは間違いがないので死刑自体に不満はない。ただ、どうも古い時代の話が混じっているようで、執行には東拘から仙台に移送が必要なようだった。道中で何か忘れたが、無縁のトラブルをいくつか解決し、一瞬逃げようかとも思ったが逃走生活も面倒くさいのでそのまま刑場までついていった。
刑場は事前知識と違い、なぜか執行場所が階下にあり、床が白木である。我が国の死刑は地下に被執行者を落とすロングドロップ式を採用しているはずである。イランまがいのハンギングだと余計苦しい時間が長い参ったな、と思う。死ぬのは構わないが、苦痛はさすがに短い方がいい。同道してきた刑務官が絞縄をその場で金属のウニの口のような器具を介して接続している辺りで、現実離れしているこれは確実に夢だと悟った。
だが、こんな夢を見ているのだから、マアこのやくざな体には何らかの異常が発生しつつあるのだろう。さらば憂世よ。不摂生は自業自得だが腐乱死体一丁上がりで大家には申し訳ないことだ、と思っていたら目が覚めた。
案に相違して、たまに出る胸郭痛も脇腹の違和感もなく、呂律が回らぬことも世界がぐるぐる回っているようなこともなく、つまりはいつもの体調不良以外何事もない。全くの通常営業である。いろいろとこなした覚悟を返してほしい、全く人騒がせなことだ。
https://www.youtube.com/watch?v=53yTKLhn1u4
既に亡くなった人物だが北海道のSTVラジオで土曜日にワイド番組をやっていた日高晤郎という人物がいる。
この人物、アシスタントやスタッフ、場合によっては中継で出てもらった通行人にも自分の考えにそぐわない事を言ったりしたりすると容赦なく怒鳴る。
その様子に対し「晤郎さんこそ本当の大人」「大人としてやるべきこと」と絶賛する声があり長らく支持されていた。
しかし、増田は社会人になって上司より「人前で人を叱るのはやってはならぬこと」と教わり、社会人経験から日高の行動が不適切であると実感している。
未だこのような行為への尊敬の声を聞くが、そのようなことを言う北海道の社会人が大人として問題がないか疑問に思っている。
日高の番組にこのような事への苦言のハガキやFAXもあったそうだが、ラジオネームを書いていながら本名を読み上げて「お前はバカ野朗だ」「社会で生きるのに向いていない」などと悪態をつくこともあった。
このようなパーソナリティに人気が集まるあたり、北海道の経済が低迷するのも無理からぬ事かと思う。
試しにChatGPTでこの疑問に対してどう答えるか試してみたのでそれを転載しようと思う。
ラジオパーソナリティの日高晤郎氏が放送の中でアシスタントやスタッフを怒鳴る事のリスナーに対するマナーとしての妥当性について教えてください。
回答
ラジオパーソナリティがアシスタントやスタッフを怒鳴ることは、リスナーにとって不快な体験となる場合があります。ラジオは多くの人に聞かれる媒体であり、リスナーの中には、そうした怒鳴り声に対して不快感を持つ人がいるかもしれません。そのため、ラジオパーソナリティとしては、できる限り怒鳴ることを避け、誠実で落ち着いた口調でコミュニケーションをとることが望ましいでしょう。
また、ラジオパーソナリティは、リスナーの前で自己抑制やエチケットを保つことが求められます。リスナーからの不快感を回避するためには、アシスタントやスタッフに対する指示や注意を公の場で行うことを控えるべきです。代わりに、プライベートな場で指導を行ったり、コミュニケーションの方法を見直すことで、問題を解決することが望ましいでしょう。
ただし、アシスタントやスタッフがラジオ放送においてミスを犯してしまった場合には、ラジオパーソナリティが厳しく指摘することが適切な場合があります。しかし、指摘する際には、相手を責めるのではなく、解決策や改善点を提示し、協力的に問題を解決する姿勢を示すことが重要です。
総じて、ラジオパーソナリティとしては、リスナーの視聴体験を最優先に考え、怒鳴り声を出さず、紳士的で誠実な態度で放送に臨むことが求められます。
日本社会党中央執行委員長、議員淺沼稻次郞君は、去る十二日、日比谷公会堂での演説のさなか、暴漢の凶刃に倒れられました。
私は、皆様の御賛同を得て、議員一同を代表し、全国民の前に、つつしんで追悼の言葉を申し述べたいと存じます。
ただいま、この壇上に立ちまして、皆様と相対するとき、私は、この議場に一つの空席をはっきりと認めるのであります。私が、心ひそかに、本会議のこの壇上で、その人を相手に政策の論争を行ない、また、来たるべき総選挙には、全国各地の街頭で、その人を相手に政策の論議を行なおうと誓った好敵手の席であります。
かつて、ここから発せられる一つの声を、私は、社会党の党大会に、また、あるときは大衆の先頭に聞いたのであります。今その人はなく、その声もやみました。私は、だれに向かって論争をいどめばよいのでありましょうか。しかし、心を澄まして耳を傾ければ、私には、そこから一つの叫び声があるように思われてなりません。「わが身に起こったことを他の人に起こさせてはならない」、「暴力は民主政治家にとって共通の敵である」と、この声は叫んでいるのであります。
私は、目的のために手段を選ばぬ風潮を今後絶対に許さぬことを、皆さんとともに、はっきり誓いたいと存じます。これこそ、故淺沼稻次郞君のみたまに供うる唯一の玉ぐしであることを信ずるからであります。
淺沼君は、明治三十一年十二月東京都下三宅島に生まれ、東京府立第三中学を経て早稲田大学政経学部に学ばれました。早くから早稲田の北沢新次郞教授や高校時代の河合栄治郞氏らの風貌に接し、思想的には社会主義の洗礼を受けられたようであります。
当時、第一次大戦が終わり、ソビエトの「十月の嵐」が吹いたあとだけに、「人民の中に」の運動が思想界を風靡していました。君は、民人同盟会から建設者同盟と、思想運動の中に身をゆだね、検束と投獄の過程を経て、ごく自然に社会主義運動の戦列に加わったのであります。
大正十二年母校を卒業するや、日本労働総同盟鉱山部、日本農民組合等に関係して、社会運動の実践に情熱を注ぎ、大正十四年の普選を機会に、政治運動に身を挺したのであります。
すなわち、同十四年農民労働党の書記長となり、翌十五年日本労働党の中央執行委員となった後は、日労系主流のおもむくところに従い、戦時中のあの政党解消が行なわれるまで、数々の革新政党を巡礼されたのであります。
君が初めて本院に議席を占められたのは、昭和十一年の第十九回総選挙に東京第四区から立候補してみごと当選されたときであります。以来、昭和十七年のいわゆる翼賛選挙を除いて、今日まで当選すること前後九回、在職二十年九カ月の長きに及んでおります。
戦後、同志とともに、いち早く日本社会党の結成に努力されました。昭和二十二年四月の総選挙において同党が第一党となり、新憲法下の第一回国会が召集されますと、君は衆望をになって初代の本院議運委員長に選ばれました。書記長代理の重責にあって党務に尽瘁するかたわら、君はよく松岡議長を助けて国会の運営に努力されたのであります。幾多の国会関係法規の制定、数々の慣行の確立、あるいは総司令部との交渉等、その活躍ぶりは、与・野党を問わず、ひとしく賛嘆の的となったものであります。
翌二十三年三月、君は、日本社会党の書記長に当選、自来、十一年間にわたってその職にあり、本年三月には選ばれて中央執行委員長となり、野党第一党の党首として、今後の活躍が期待されていたのであります。
かくて、君は、戦前戦後の四十年間を通じ、一貫して社会主義政党の発展のために尽力され、君自身が社会党のシンボルとなるまでに成長されたのであります。淺沼君の名はわが国政治史上永久に特筆さるべきものと信じて疑いません。
君がかかる栄誉をになわれるのも、ひっきょう、その人となりに負うものと考えるのであります。
淺沼君は、性明朗にして開放的であり、上長に仕えて謙虚、下僚に接して細心でありました。かくてこそ、複雑な社会主義運動の渦中、よく書記長の重職を果たして委員長の地位につかれ得たものと思うのであります。
君は、また、大衆のために奉仕することをその政治的信条としておられました。文字通り東奔西走、比類なき雄弁と情熱をもって直接国民大衆に訴え続けられたのであります。
よごれた服にボロカバン
きょうは本所の公会堂
あすは京都の辻の寺
これは、大正末年、日労党結成当時、淺沼君の友人がうたったものであります。委員長となってからも、この演説百姓の精神はいささかも衰えを見せませんでした。全国各地で演説を行なう君の姿は、今なお、われわれの眼底に、ほうふつたるものがあります。
「演説こそは大衆運動三十年の私の唯一の武器だ。これが私の党に尽くす道である」と生前君が語られたのを思い、七日前の日比谷のできごとを思うとき、君が素志のなみなみならぬを覚えて暗たんたる気持にならざるを得ません。
君は、日ごろ清貧に甘んじ、三十年来、東京下町のアパートに質素な生活を続けられました。愛犬を連れて近所を散歩され、これを日常の楽しみとされたのであります。国民は、君が雄弁に耳を傾けると同時に、かかる君の庶民的な姿に限りない親しみを感じたのであります。君が凶手に倒れたとの報が伝わるや、全国の人々がひとしく驚きと悲しみの声を上げたのは、君に対する国民の信頼と親近感がいかに深かったかを物語るものと考えます。
私どもは、この国会において、各党が互いにその政策を披瀝し、国民の批判を仰ぐ覚悟でありました。君もまたその決意であったと存じます。しかるに、暴力による君が不慮の死は、この機会を永久に奪ったのであります。ひとり社会党にとどまらず、国家国民にとって最大の不幸であり、惜しみてもなお余りあるものといわなければなりません。
ここに、淺沼君の生前の功績をたたえ、その風格をしのび、かかる不祥事の再び起ることなきを相戒め、相誓い、もって哀悼の言葉にかえたいと存じます。