はてなキーワード: さゆとは
撮られた。アイドルが、文春に撮られた。
トレンドに載っていてTwitter。友達からの鬼LINE。ニュースサイトのトピック。担当のスクープに気づくタイミングはまるでさまざまである。心臓が奥まで冷え込み、手先の感覚がなくなる。万物が動きを止める。その後の反応はさまざまである。あるものは泣き叫び、あるものは嘆き悲しみ、あるものは激怒する。そこに共通するのは、心から愛している担当への激情である。そんなオタクたちの反応を分類していきたいと思う。特に目的などはない。
①ロマンス型
②斜め型
④ネタ型
①ロマンス型
2015年あたりのオタクはこれが一番多かったように思う。「○○くんは、女の子に慣れていないから、メンバーの○○くんと付き合ってるよ~?(^▽^)/証拠!(キス画像やメンバー同士で密着している画像と共に)」
この反応の仕方が一番精神衛生上は良い。メンバーと付き合ってくれるなんて、誰もが幸せになれる最高の状況である。現実のスクープを抑圧し、その幻想を盲目なまでに信じ込むこのタイプは、一番自身にとってもタレントにとってもいいだろう。
②斜め型
「え、もしかして彼女なんていないと思ってたの?ふつう彼女くらいいるよ?何夢みてるの?w」というタイプである。彼らは謎に自分は周りのオタクとは違うというプライドの高さゆえに、①ロマンス型を攻撃しがちである。そんなこと、みんなわかって楽しんでんだよ、ということをわざわざご丁寧に解説してくれる。さばさばと開き直っているかと思いきや、いつまでも話題を引きずる。
③説教型
このタイプは二種類に分かれる。論理的に諭すタイプと、おのれの不満をすべてこの機会にぶつけるタイプである。
まず論理的タイプは、「だから○○くんは、一人だけ個人の仕事がないんだよ。それが意識の差になって出てきてるからもっと引き締めてください」などというタイプである。心の底から湧き上がる怒りや悲しみを、あえて丁寧な言葉遣いをすることにより圧をかけている。普段はあえて言っていないような腑に落ちない点をぶつけることができる。
続いて、不満をぶちまけるタイプだ。「ふざけんなよ。だからお前だけ仕事ねーんだろ。やる気ないなら早くやめろよ!金返せくそやろー!」などというタイプである。これは、言葉遣いなどを気にせずにとにかく不満をぶちまけている。面白いのが、このタイプは執着がすごい。何年たってもねちねちと過去の話を掘り返しては愚痴を言っている。可愛さ余って憎さ百倍になったオタク(アンチ)ほど恐ろしいものはない。
③ネタ型
これは圧倒的に他担が多い。普段はほとんど話題にも上げないメンバーでさえスクープが出たらいち早くネタにして楽しむ。歌詞や番組名、ありとあらゆるものを引っ張り出してはいかにおもしろいことを言えるかという大喜利が開催される。たいてい他担なので、ほどなくして飽きる。担当を、普段関係のない他担ネタにされる屈辱たるや。
以上が、オタクの分類である。個人的にかつては①と②が多かったが、最近は②と③が増えてきている。これも不景気の息がかかっているのだろうか。どんな反応をしようと個人の勝手だが、人を傷つけないように配慮をしてほしい。
私見たのよ!
まあウイリーって言うのは嘘だけど、
つまり
おにぎりを口にくわえながら自転車を颯爽と走っていく少女を見かけたのよね。
曲がり角で
誰かとぶつからなければいいけど!
心配だわ。
まあそんな心配はよそに、
あのおにぎりの具はなんだったのかしら?って
もはやそんなことどうでもいいわね。
しかし
この暑さたるや
たるや暑さゆえん!
もーぐったりするわ。
室内はいいのよまだ室内は。
外出たら一瞬で汗が噴き出てくる感じが発汗促す作用ましましじゃない?
汗腺鍛えるというか、
汗かき安い体質に夏は変わっていくのだと思うんだけど、
余計に汗がどぱーっと出てくるのも
困りようよね。
まあ夏だから仕方ないけど、
なるべく
影をけんけんぱで移動したいこの頃よね。
なんとかしたいところだけど、
アイスバー買っても、
持ち帰るまでに全溶けしてしまうので、
買ってすぐに食べるっていう
買ってすぐに食べるアイス!って
みんなそうなっちゃうわよねー
暑いのよ。
たぶん
予想するに
今年の冬はうんと寒いわよ!
たぶんね。
逆もしかり
冬の冷たさを蓄えておいて夏の暑さを快適に凌ぐ氷室以外の氷の保存のしかたってあれば、
それか、
チョコレートプラネットさんのコントでもしも病院の先生が氷室京介さんだったらってのを見たならば
夏の暑さが快適になるかもなーって
家で作る氷より。
もう暑いわー。
今日はもう
うふふ。
ピンチのと木になって食べたらチャンスおにぎりタイムにするわ。
なんか忙しくて
お腹が空いたことすらも忘れてしまうことすらも忘れないわ絶対私は!
ってね。
もう冷たいモノガブガブ飲みたいところですぐに無くなっちゃう
水出しルイボスティーウォーラーがたくさん作ってもすぐに飲み切っちゃうところよね。
暑いのでおおいに飲み干したいわ。
水分補給強めよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ブロックチェーン界隈は邪悪な人間が多いためか、ブロックチェーンに否定的なITエンジニアが多いのだけど、とてももったいないことだと思う
邪悪な人間は嫌いになってもいいけど、ブロックチェーンのことは嫌いにならないでほしい
イーサリアムを作ったヴィタリックさんは、イーサリアムのことを「ワールドコンピュータ」と呼んでいます
コンピュータというのは、記憶領域と入出力装置を兼ね備えた演算装置のことです
記憶領域はブロックチェーンのブロックの部分が担っており、演算装置はマイニングマシンが担っています
入出力の出力の部分は、演算装置が計算して記憶領域に格納した結果をこちらから読み取り行くことで実現でき、
入力の部分は「オラクル」と言われることもあるけれど、データをブロックチェーンに流しこむことで実現できます
ブロックチェーン同士をつなぐブリッジも一種の入出力と言えるでしょう
つまり、これら記憶領域や演算装置を持つブロックチェーンは、コンピュータなのです
コンピュータにやらせたいことはスマートコントラクトというプログラムコードに書きます
チューリング完全だそうです
そのコンピュータを操る基本ソフトであるOSは、ブロックチェーンに組み込まれているので、ブロックチェーンを作るということはOSを作るということなのです
普通のコンピュータの場合、フォルダの中身を見るのにエクスプローラーを使いますが、ブロックチェーンにもエクスプローラーはあります
ブロックの中身を見たり、スマートコントラクトのコード(ソースコードが公開されていない場合はバイトコード)を見たりすることができます
このエクスプローラーはブロックチェーン自体が備える機能ではないけれど、ブロックチェーンがコンピュータっぽいことが分かるのではないでしょうか
ちなみに、スマートコントラクトはコンピュータにインストールするアプリに相当するでしょう
web1.0が登場したころ、そのあまりの遅さゆえwwwのことを「world wide wait」と揶揄する人もいたそうです
webはその後劇的に速くなったので、ブロックチェーンも速くなるかもしれません
話が長くなりましたが、言いたいことは、ブロックチェーンは詐欺ツールではなく、ただの技術です、ということです
名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita
この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから,安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である。
初期の UNIX の歴史について興味がある向きには次の書籍をお薦めする。
Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)
和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書は The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。
また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。
元記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計の基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。
https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date
ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。
もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX の開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T の定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事で言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。
この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDF は OCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX の論文なのだ。もちろん論文の性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイの哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白い。UNIX の開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然な時代だったことは間違いない。
UNIX が認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイの論文に影響を受けた布教のためのああいう説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本で最初期の UNIX 解説本のひとつである,村井純・井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。
オペレーティング・システムは,コンピュータを使うものにとっての環境を形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性を尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIX のオペレーティング・システムとしての個性ではないだろうか。
「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能のコマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性を尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである。
そしてじつは UNIX の場合,布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。
UNIX は PDP というミニコンピュータ(ミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校の教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイとキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校にコンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器はコンピュータではなくコンピュータに接続するための端末装置(ターミナル)だ。端末装置のキーボードで打った文字がコンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 Unix 系 OS で CLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置のエミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。
さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥や洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっともコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥が CPU でそっちの洗濯機がハードディスク,あの机に置かれているタイプライタが管理用コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代のお話だ。
端末装置それぞれから(USB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。
結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。
当時の UNIX の評価を一言で表すと〝自由で不安定な OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由。さらに他のメインフレームやミニコン用 OS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロ用 OS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番のディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。
こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌『UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイの1986年11月号から1988年10月号掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器で1980年ごろから UNIX サイトのスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX の自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。
CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU を実質的に停めてしまうことが UNIX ではいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンドを10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに vi のカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトでログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX は破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているときに勝手をやられると非常に困るのである。当人の仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。
ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイルを自由に作ることができる。したがって,自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソール・タイプライターにエラー・メッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソール・タイプライターが一晩中エラー・メッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図も完璧に打ち砕かれてしまうのである。
そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンドを10個くらい同時に走らせ」たり「自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイトの利用者全員に UNIX の設計の基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX の伝道がより苛烈だった理由のひとつがここにあるのだ。
ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代の UNIX は Research UNIX と CSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX と記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIX のライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研で発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。
もっともそういう70年代風味の牧歌的風景はミニコン世界限定の話であった。BSD そのものはミニコン用のものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSD 系 Unix や AT&T が推し進める System V などがワークステーション市場を舞台に80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PC 用 Unix であるマイクロソフトの XENIX も当然参戦した。ミニコン世界が牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争はあくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&T と BSD 系 Unix の Sun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。
こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unix そのものや文化にも変化をもたらした。まず激しい競争は Unix の高機能化を加速した。商品として判りやすい惹句が「あれもできます,これもできます」なのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者の自由を制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix は現在の Unix 系 OS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教の必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unix のシステム管理の入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空のソフトウェアハウス(開発会社)を舞台に新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。
当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイの論文の結論部分に書かれたそれは,1973年に出版されたイギリスの経済学者エルンスト・シューマッハーの著作の題名で,中学生の英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。
Small is beautiful.
マキルロイは『人月の神話』を引いて一定の留保をつけてはいるものの,これが UNIX 哲学の背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•cs のアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?
ひるがえって現在の Unix 系 OS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX が仮想敵とした OS そのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在「UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。
彼を殺していたのは私だったかもしれません。
(と言っても、犯人はそういった思想で犯行に及んだわけではないようですが)
しかし、言論を避け続け、また、法で裁かれない人物が存在したとします。
私は自分が暴力を利用しないことを宣言することを困難に感じます。
困難に感じる?
正直に告白すると、むしろ、暴力を利用することを何度も何度も思い描いていました。
爆弾を手に入れて首相官邸で彼とともに砕け散るところを何度も何度も思い描いていました。憎しみはありません。
罪を裁くつもりもありません。
(彼に罪があるのか否かは私が判断することではないのですが)
(理由のない行動に対する理由を追及されるとき、苦しくて逃げ出したくなってしまいます)
そんな感じでしたので、誰かが彼を殺すことは想定の範囲内でした。
日時未定だった予定が過去へと変わった。
それだけでした。
偏った情報から彼を悪人だと決めつけることはしたくありませんでした。
しかし、情報を集めるたびに彼の像には黒塗りの箇所が増えていきました。
コロナ禍の地獄の底で、黒塗りの怪物の暴挙を目にするのはまさに拷問でした。
ひとりで3人の子どもたちを育ててきました。
しかし、当事者としてひとり親の貧困についての本や記事を読み漁りました。
もちろん経済的に苦しい家庭もありますが、元を辿ると時間と認知資源の枯渇が原因であるようにも見えます。
逆に言うと、情報の取得と整理、意思決定と行動計画をサポートしてくれる人がいれば、家計の問題が軽減される可能性があると考えています。
当事者でないと知る機会が少ないと思いますが、支援対象の所得制限はかなり低いです。
健康を犠牲にして、足りない時間を使っていくらかの収入を得ると、支援は打ち切られます。
手当が支給されないだけでなく、医療費の補助などもなくなります。
税制面に関して、ひとり親控除よりも配偶者控除のほうが有利な設計になっています。
自民党としては、ひとり親家庭は「日本の伝統的な家族像」から外れているため、支援の対象外となるそうです。
そんな状況ではありましたが、ストレスを溜めないのが得意な私は飄々と生き延びてきました。
自分を自由人だと(振り返れば)勘違いをして、そんな文章を書いたりもしました。
それでも、徐々に体と心には遅効性の毒が溜まっていたのでした。
2月の中頃だったでしょうか、新型コロナウイルスによる感染症が広がってきました。
もう、何年前のことだかわかりません。
ずっと頭の中に霧が立ちこめていて、時間の感覚が失われています。
ひとり親になってからまもなく10年が経つと思うのですが、これも正確な年数はわかりません。
3月、私の住む自治体では小中学校の一斉臨時休校が始まりました。
(先生方が大変な状況に置かれていたであろうことは認識しています)
子どもたち3人がずっと自宅にいる。
先ほども書いたとおり、時間も認知資源も枯渇している状況です。
先生に相談してみましたが、支援を受けることはできませんでした。
以前から心療内科に通っていて、心の状態とはうまく付き合っていました。
睡眠が全く取れない。
体中が痛くて、歩くことはもちろん、座っているのも横になっているのもつらい。
内科、整形外科、眼科、皮膚科を訪ねましたが、診療科単体では正常の範囲内という診断結果を持ち帰ることになりました。
体脂肪率も1桁になりました。
区役所に助けを求めに行きましたが、窓口で2度追い返されました。
そんな私を誰も気にとめることはなく、このまま死ぬのかなと考えていました。
市役所が公開しているSOSの電話にもいくつかかけてみました。
けれども、他の部署や施設を紹介されるだけで、たらい回しにされていると感じました。
貧しさゆえに娘を殺したシングルマザーの慟哭〜銚子市・女子殺害事件の真相
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/44912
彼が以前から関係していた問題、コロナ対策のための無駄な出費、ニュースで大きな金額を目にする度に、この記事を読み返しました。
それだけの金額があれば、失われずに済んだ命がいくつあったでしょうか。
何度も何度も読みました。
死にたいわけではありませんから、問診票の「死にたいと思う」の質問には「そう思わない」の項目に丸を付けます。
死にたいわけではありません。
少しずつ溜めてきた安定剤や睡眠導入剤は致死量には十分すぎるだけ溜まりました。
でも、それを飲むことはありません。
これだけ死について考えていると、死が特別なものだと思えなくなってきます。
人が死んだ。それ以上でもそれ以下でもありません。
死によって何かが赦されるということもありません。
罪を精算する機会が失われたというだけです。
(罪があったのだとしたらですが)
コロナ禍に、彼によって直接的にせよ間接的にせよ地獄に突き落とされた人は少なくないと思います。
(彼が突き落としたわけではなく、彼によって突き落とされたと感じた人です)
私がそう思っているだけで、実はそんな人はいないのかもしれません。
しかし、そのような人がある程度の人数いたとしたら、誰かが彼を殺すかもしれない。
彼が当時の職を離れた時、その予想は外れたのだと思いました。
相変わらず時間の感覚がわからないのですが、それからずいぶんと日数が経った気がします。
今、このタイミングで、そして(おそらく)まったく違う動機で犯行が行われたことにいくらかの違和感は覚えます。
けれども、彼が殺される様子は何度も何度も思い描いていましたから、それ自体に驚きはまったくありません。
そして、冒頭にも書いたように、私は彼の死を肯定してしまっています。
死んで当然だとか、自業自得だとか、そういった思いはありません。
言論も法も及ばない存在が物理的に破壊されたことに、世界が均衡を保とうとする自然法則のようなものを感じてしまっています。
しかし、このような考え方を持つことは赦されることではないでしょう。
薬によってこの考え方が矯正されるのであれば、すぐに処方してもらいたいと思っています。
少しでも「ふつう」に近づきたい。
私は多くは望みません。
2日に1回はきちんと睡眠が取れて。
3日に1回は鉛を詰め込んだ体の重さを感じない朝が訪れて。
1週間に1日は体調の良い日があって
多くは望まないと書いたにも関わらず、ずいぶん贅沢な日々を書き連ねてしまいました。
「逃げてもいいんだよ」「頼ってもいいんだよ」と言ってくれます。
とても善良で純粋な人たちです。
私のことを大切に思ってくれています。
考える力も行動する力も残っていません。
どうやって逃げたらいいのか、どうやって頼ったらいいのか分かりません。
でも、私のことを大切に思う善意と正論で塗り固められ助言に疑問を呈することはできません。
勝手に入院の手続きを進めたり、車で撥ねたりしててくれる心優しい悪人は、身の回りにはいません。
私も多くの人たちのように、彼の死に衝撃を受け、そして追悼の意を表するような「ふつう」の人間になれるよう努力したいと思います。
最後に、この文章を読んで不快に思われた方々に謝罪申し上げます。
多くの方にとって、死が神聖なものであることは承知しています。
風船のように膨らんで破裂しそうな気持ちを吐き出す場所が見つからず、この場を選んでしまいました。
本当に、ごめんなさい。
大衆が熱中症と思い込んでいる現象は、熱いときに、ポカリスエット、アクエリアス、コーラなどを筆頭とする清涼飲料水をたくさん飲むことにより、血糖値が跳ね上がる、ミネラルが薄まる、ビタミンが枯渇する、などが原因で、体調不良になる現象です。
●製薬会社は「がん予防」「ドライアイ予防」「ウイルス予防」「虫歯予防」などと言い、商品を売り、疾患を生み出し、利益を得ている。「熱中症予防」も例外ではない。
●ポカリスエット、アクエリアスの原材料をチェックしたところ、500mlあたりに塩が0.6gしか含まれていないのに、糖が30gも含まれていました。
アクエリアス、OS-1には有機塩素化合物まで混入していますwww
本当だとしたら、疾患を生み出し利益にしたいテレビのスポンサーの意向と逆行。おかしい。
水をたくさん飲めばミネラルが薄まる。ポカリスエットをたくさん飲めば血糖値が跳ね上がる。
「水分取らないほうが熱中症ならなかった」
●「マスクで熱中症になる」とかテレビで言ってるが、おそらく関係ない。
「マスクしてたら熱い→水やポカリをたくさん飲む→体調不良」はあり得ると思う。
それに「マスクで熱中症になる」といえば、熱中症の原因を隠し、スポンサーの商品であるポカリスエットやアクエリアスを守ることもできる。
●参考資料
動画:クーラーで日本が滅びる!? #熱中症は現代病 #昔は熱中症なんて無かった
動画:ゆっくり解説 ポカリを毎日飲むとどうなる?選手がスポーツドリンクを何故か飲まない理由について
記事:ペットボトル症候群について~夏場の水分補給を上手にしましょう~
記事:ペットボトル症候群の症状は?熱中症対策における3つの注意点&飲み物の選び方
完全に続きものなのでこれだけ読んでも
よくわからないと思う
亡き父のことを知ろうとしたらまさかのご存命という事実が判明。
電話口で教師にどういうことが問うも薬の服用で呂律が回らず、仕事だからと電話を切られてしまった。
ただ教師はこの時母に子供から「父親について知っていることを話さなければ死ぬ」と脅されたと連絡しており、風邪から復帰し仕事に出ていた
母が急いで帰宅した、らしい。
というのもこの電話の最中から大量に飲んだ薬と出血の影響で意識が朦朧として、そのまま気絶してしまった。
病院には連れて行かずに、母が何か処置をしていたのをうっすらと覚えている。
いつもなら罵詈雑言が飛んできそうだが、
母は泣きながらただひたすらごめんなさいと謝っていた。
なんだか、自分が少しも予想していないことになってしまったなとうっすらと回復する意識の中
そう思っていた。
回復した後、母はぽつりぽつりと
私の出生について話し出した。
父は存命で既婚者だったこと。母は父と出会い、結婚をするがこの時、すでに父の家庭には子供がいて、腹違いの兄弟がいるらしいこと。
母が既婚者だと気付いたのは、父に任せた婚姻届の提出が実は出されておらず、私の出生届けを提出した際に受理されなかったことから判明したらしい。
父は離婚して母と一緒になると口約束をしたが相手の妻が離婚に応じず話が長引き母の気が
おかしくなったタイミングで縁を切ったらしい。これは私が幼稚園に通っている頃の話らしかった。
なのでこの時期の母を知っている一部の人はこの事情を知っていて、私に可哀想だ可哀想だと言っていた。
今は離婚し父は一人暮らしらしいが相手の妻とその子供は我々親子を憎んでいるらしい。
他人を信用できなくなったこと、嘘に人一倍嫌悪感を覚えたこと、私の顔が父に似ていることから
あの人のようになってはいけないと父は亡くなったと嘘をつき、厳しく育ててきたと言った。
幼少期、イベントに勝手に参加したことに怒ったのは当時、父家族が私を連れ去ろうとしているのではないかと常に不安だったかららしい。
全ての話を聞いてなんというか、なんじゃそりゃ、と思った。
これまで私が原因で怒られて来たと思ってたこと全部、私が原因じゃなかったってこと?
納得できなかった。
これまで私はその自己中さゆえ、何度も何度も母を怒らせてきた。
自己中であるという母の評価は的外れではなく、私自身もそう思っている。
だから、悪いことも当然、私に原因があるものだと思っていた。心当たりがない暴力でさえ。
しかし出生の真実を知り、思いのほか自分が蚊帳の外というか、いや当事者ではあるのだが
これまでの暴力ってもしかして八つ当たりだったんじゃね?とか父と揉めてた時のストレスで余裕がない母が私にキツく接してただけじゃね?とか色々思ってしまうようになった。
曲がりなりにも私にとって母は常に正しい存在で、白黒つけるのが難しいこの世の中でハッキリと物事を分けるその生き方は正しいものだと思っていた。
だから正しい存在からの暴力は教育であり指導で、親から子への愛情なのだと思っていた。
それがこんな背景があると知った今では、
本当に運よく、そしてありがたいことに友に恵まれ、事情を話して居候させてもらっている。
でも、研究する気は起きない。
私という人間は生まれるべきじゃなかったと思う日々が続いている。
でも何故か自殺しようとは思わなくなった。
今の私は猿なんだろうか、それとも人の家庭を壊した子供なんだろうか、
母とはもう何年も話してない。話せない。気持ち悪い存在になってしまったから。
父は知らない。興味がないから。
これから私はどうしたらいいのだろう。
おわり
読んでくれてありがとう
女は16歳から24歳くらいまでは男でいえば全男の上位0.01%レベル程度にモテるから男規準の恋愛弱者は極わずかな例外を除き存在しない
(自分が全男の0.01%レベルにモテている、という事実を正しく認識している女がまずレアで、女はこの1行目の時点で自分の認識と違うと否定するだろう)
つまり、もてない男性が女性から受ける仕打ち、社会が非モテに対してどう扱う(どれほど蔑み、尊厳を傷付ける)かを「経験」とか「実感」できるタイミングが一切無い
これはゲーテッドコミュニティの中で生まれて上流階級に囲まれて生きてきた金持ちがスラムの貧乏人の暮らしを知識としては知りこそすれ実際に体験することが無いのに似ている
女にとって「異性に話しかけたら性犯罪」だとか「散歩してるだけで通報される」なんてのはまず想像の埒外にある
女が異性に話しかけるのは絶対犯罪にならないし、散歩してて通報されるのは見た目がキモくてロリコンっぽかったり空き巣してそうなオッサンだけだからだ
追記:「襲われるリスクが~」的な話もあるが、それは「(男規準で言えば)厄介な連中も含めてモテすぎて困る」であって
ゲーテッドコミュニティに生まれ育った金持ちが強盗に襲われることを怖がっている気持ちはスラムの貧民にわかるか?わかんねえよなあ!という話をされても、そりゃわかんないですね、となる
女(金持ち)には女なりの悩み(金の使い道に困る、金を持っていても幸せになれない、人格ではなく金しか見られない、金をスってしまった等)があるのは否定しないが
それで男のモテない悩みが解消される訳でも、女がより不幸だと言える訳でもなく、譲歩しても「それぞれ相手には理解しがたい悩みがある」とか「男女には認知の分断がある」という本稿の結論を補強するに過ぎない
さらに、上の例でいう金持ちであれば比較的高い割合で「お前は金持ちだから自覚を持て」と教育されて育つのとは違って
女に「お前の子宮の価値の高さに自覚を持て」と教育するプロセスは親がよっぽどの変人でない限り存在しない
公教育でも男女平等を教えこそすれ、女が膣や子宮といった「資産価値」を生まれながらにして持つ資産家であることなんか教えやしない
必然的に、女が「穴モテ」という概念を知るのは、弱者男性の恨み節をネットで見るのが人生初のタイミングとなる
そのうえ、女視点で「自分に近寄ってくる男」は、その時点で「女に積極的に話しかけられる自己肯定感モリモリのアグレッシブ男」しかいない
アグレッシブ男は試行回数が多いので、一人の女から邪険にされても別の女に話しかけるを繰り返して最終的に女を見つけ弱者男性にならない
仮にアグレッシブではなかった場合、「アグレッシブじゃないのに女と会話できる」=「女と自然に会話できる接点がある」であり、
女の周りにいる男は、すでにその時点で、ガチの非モテに多い属性「女と接点が持てない/持たない」のない、一握りの恵まれた男である
と
②特にガツガツしてないのに接点の多さゆえにいずれ女とつがうであろう恋愛強者
の2種類しかいない
この2種類を材料に想像しようとしたところで、女と接点すら持たない非モテに行きつく訳が無い
総合すると、女視点から見る弱者男性(恋愛弱者男性)の語りには
・視界に入ってくる男の中には一人たりとも存在しないので、実在するかどうかも怪しい匿名の連中が
主張している、という3重の分断が生じる
女は共感性が高いとか言うが、それはあくまで「自分にとっての『常識』のラインを越えない範囲で」とか「認知的不協和を起こさない範囲で」といった前提がある
いや治安が悪いからだろ、頭の悪い奴が沢山いて女性の軽視女性蔑視が染み付いてるからに他ならないやろ
日頃から女性を揶揄して女体として搾取することや女体への暴力を笑える風潮が板についてるからじゃ
初めて見るエロいものが嫌がる女を襲ってたら喜ばれるようなAVやエロ漫画だもんな、女性軽視が取り沙汰されるのもそんな治安の悪さゆえ
金持ちに薬盛って強盗が流行ってるのが貧乏だからじゃないことは日本人ならわかるよな?日本で流行ってないからな。貧乏人は沢山いるのに何故強盗がそんなに流行らないのか?
前提 僕はPS4でコントローラーでプレイしている。選択マクロなどは使用していない。
白
ヒーラー代表。メカニズムはとにかくGCDがまわる。故に2.5秒の間に誰かが凹むと回復が間に合わない危険がある。
未来予知できる人なら十全に使えそう。MT以外が喰らうと焦りが他のジョブよりキツい。
学
ボスのタイムラインを把握していれば計画ヒールや計画バリアをして、突然凹んだ人にはアビヒール。
計画もアドリブもどっちにも対応できるとてもバランスの良いジョブ
占
スキルとアビの多さゆえにアドリブヒールが強力だけど、僕にはマジで無理だった。カード配りと計画ヒールとアドリブヒールを全部できる人ならものすごいポテンシャルを秘めているのは間違いない。
賢
最高。計画ヒール、計画バリア、アドリブヒール全て出来る。スキルも普通とアナザーを切り替えるメカニズム(個人的には切り替えされるスキルもっと多くてもよいと思った)がめちゃくちゃ気持ち良い。
末尾にまとめ
白 最低限はGCDまわるので到達しやすい。上位にいくには未来が予知が必要
いい加減にしろよ
「嫌がらせのために温泉むすめを使わないで」オタクに訴えた熱海温泉街の飲食店、突撃してくるオタクたちへの対応に追われる
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熱海の温泉むすめ問題、コラボした居酒屋への誹謗中傷が続く「この店は反社の風俗店」「店主は宗教団体の手先」
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「温泉むすめのパネル目当てでバックヤードに勝手に入るのやめてください」と言った居酒屋店主、「店側の対応が悪い」「嘘松」「オタク差別者」とバッシングされる
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刺し身食べて「まず!生焼けじゃねーか!」って叫ぶ持ちネタがあるので熱海の例の店で是非披露したい
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「あの居酒屋は物理的に焼かれて当然。未だに店舗が無事なのはひとえにオタクたちの道徳心の高さゆえ」 https://togetter.com/li/1852737