はてなキーワード: オールドタイプとは
ジョジョの奇妙な冒険と同じような「なんか話題になってるしよくネタも聞くけど、実際に自分で見たことはない作品」という枠だったんだよね。
超シリーズもいきなり入っても全然わからない作りで、まずはZまでは必修してこいって雰囲気にハードルの高さを感じていた。
ウルトラマンやガンダムのような毎シリーズリセット型のコンテンツじゃないということがドラゴンボール最大の弱点だと思う。
孫悟空の幼少期は知らなくてもいいから、ベジータ~セルの辺りは把握してないと全く話についていけない。
作劇が「あの悟空が」「あのベジータが」「あのクリリンが」「あのピッコロが」「御飯が遂に」といった所に軸足を起きがちだからだ。
悟空とベジータの名前は大雑把に知っていても、どれぐらい強くてどういう関係なのかが分かってないと、なんか突然パワーアップしてビュバビュバして勝ったり負けたりするだけで終わってしまう。
ドラゴンボールの戦闘スタイルは出てきた当時は画期的だったのだろうけど、今やもう使い古された戦い方になってきている。
もはやAKIRAと大差はないと言えるだろう。出てきた当時はその差分がそれはそれは大きく感じられたのだろうが。
なまじっかリメイクや超が進んだことで、ドラゴンボールは合流するタイミングの難しいコンテンツになってきている。
子供向けゲームコーナーにはデジタルカードダスがあるが、そういった所から入ってから正しいストーリーを把握するまでには長い時間がかかる。
スパロボから入ってガンダムとガオガイガーが全く別の話であることを理解するまでには、どちらか片方を単品で見なければ始まらないわけだが、そこにたどり着くまでが長いように。
そもそも戦いに興味がない子供はドラゴンボールにハマらないし、女の子はプリキュアに対してインプリンティングを行ってしまう。
激しい空中戦といえばドラゴンボールという感覚がある層は日本人の過半数よりかは少ないだろう。
でも何故か世の中では、誰もがドラゴンボールを好きで、シュッシュッババババババッッとなればドラゴンボールを連想するのだと思い込んでいる層が結構多いように見える。
人類70億人中の少なくとも60億人ががかめはめ波の練習をしたことがあると思いこんでいるような言動を目にすることがある。
不思議でならない。
ちょっとツイートがバズった結果、ちょいちょいな数メンションが届くようになった。
別にオープンな場でクソリプしてくるのは気にしないんだよ。面白いクソリプならこちらもたまに返したりするんだけど・・・。
問題はDM。私はオールドタイプのインターネット老人会に片足突っ込むレベルの人間なので、「インターネット上ではオープンであるべきだ」と思っているので、基本的にDMは開放状態にしてるんだけど、そのDMにいちいちクソリプしてくるのが理解できない
インターネットなんだから堂々とオープンな場でメンション投げろよ。いちいちDMよこしてくるのってどういう心境なの・・・? もしかして最近のインターネット文化って、そういう感じになっちゃったの・・・?
流石にもうツイッターや5chで語れる時期でもなかろう……故にここで語らせて貰う!
お前の体を俺に貸せぞ!
まーた「おいおいこれ別のアニメじゃないの!?」か。
は、
本題では、
ない。
ガンダムもかなり丸くなったというか、ハッピーエンドやすっきりエンドへの意欲がかなり強くなったな。
別にコレは富野に逆らってるわけじゃなく、Gレコだって諸悪の根源ぶっ殺して悪は滅んだぜエンドだったし。
初代ガンダムはザビ家こそ滅んだけど戦争シェアリングに近い状態だったアナハイムは生き残ってるし、地球連邦も相変わらず腐敗してるというか更に腐敗したっていうのがZで語られるような終わり方だった。
まさにあれが富野の世界観、戦後観であり「人は沢山死ぬけど悪は滅びない」を描き続けたんだよね。
でも少しずつ毒気が抜けて「悪が滅んでも良いんじゃねえか?人類は前に進めるんだからさ」となってきた。
なんかこう時期的に「シンエヴァにでも感化されたか?」と穿っちまいそうになるけど、結局時代が求めてるのが「どうせバットでもハッピーでも作り話ならもうハッピーエンドでええんとちゃう?」なんだと思うわけよ。
「絶望を楽しむ余裕がない時代」ってわけじゃなくて、紆余曲折を経てようやく「結局、希望を持ってる奴らが一番強いってのが物語として一番納得できるんじゃねえか?」に辿り着いたというかな。
なんかさ、健康的になってきたよな。
ガンダムもだいぶ。
オールドタイプを煽るニュータイプの旗印としてのガンダムってもう時代遅れなんだよ。
お爺ちゃんが孫に買ってあげるヴェルタースオリジナルみたいなコンテンツなんだ。
いろんなパターンがあって、なんでガンダムシリーズにしなければならなったのか、
独立したアニメシリーズでもいいじゃないかという作品もあるが、
ガンダムという大きなジャンルの中で何の意義があるのか、そういったものをまとめてみた。
機動戦士ガンダムに連なっているニュータイプの物語と、作品世界の続きを描いた
シリーズを通して重要人物であるアムロとシャアの決着をつける。今までの作品の最終回的な位置づけ
最終回を迎えたが、新たな時代で彼らの子孫たちはどう生きていくのか、ニュータイプたちはどうなっていくのかを描こうとした
更に時代が先に進み、ニュータイプやスペースノイドたちが当たり前になった時代の新たなガンダム
宇宙世紀の設定が熱くなったので、今までのメインキャラたちとは違う、市井の人やオールドタイプの兵士、各作品のミッシングリンクを埋めるサイドストーリーとか、そういった需要にこたえていった。
ガンダムが難解に、そしてガンダムと言えば宇宙世紀という固定化されてしまった観念を壊すために作られた。だが一方で自然や戦争などガンダムの根底にあるものを新たな解釈で視聴者に訴えることで、ガンダムの地平線を広げた。
宇宙世紀というしがらみを無くして、戦争を描きたかったことと、すでに老害になりつつあるガノタ以外のファンも取り込みたかったと思う
多くのガンダムが増えてしまったが、再び壊しそれを再統合しようとした。ガンダムと言えば近未来という固定観念を破壊し、かなりの未来と斜陽文明を描くことでガンダムの地平をさらに広げた。
富野作品のガンダム :ガンダムとMSを解体して、人間賛歌を描きたい。舞台装置としてのガンダムを解体して可能性を広げたい。
原因を考えてみたんですが、恐らくこの人達は
そもそもパイロットと登場機の性別が一致するというのが大きな間違いなのです。
たとえば船は女性ですが、それなら船乗りは女性ばかりなのでしょうか?
そうですもしそれが当たり前なら『ハイスクール・フリート』はそのコンセプトそのものが間違いだったことになるでしょう。
ただこの勘違いを引き起こしているのは、ガンダムという作品における圧倒的男性パイロットの率に起因すると思われます。
機動戦士ガンダムは愚かなオールドタイプを新しい価値観が駆逐するというコンセプトでありながら、パイロットといえば男という昭和的な価値観をひたすらに引き摺っているのです。
その証拠として登場する女性パイロットの圧倒的なNT率の高さが上げられます。
これは「女性なのにパイロットをやれるという異常事態には理由があるはずである」という偏見がなければあり得ないほどの高さなのです。
パイロット≒男性論は後世の作品にも引き継がれ、平成ガンダムにおいても多くのパイロットが男性であるわけです。
しかし、その殻を遂に破り女性パイロット主人公たちの物語が展開されるのが『水星の魔女』なわけですね。
この作品は一部のオールドタイプな者たちからは女性キャラクターで萌え豚を釣る愚かなアニメと思われているようですが、そのような偏見こそが今や時代遅れでしょう。
女は家庭に入り港として男を守るために生きるべきであるという価値観はプリキュアの登場により破壊されたはずですが、あれか20年未だにそのような思想に固執するとは。
ここまで言ってもまだ「機体はパイロットの分身なのだから、パイロットと性別が同じだ」と主張する人に質問です。
貴方は『アイドルマスター XENOGLOSSIA 』をどうのような物語だと解釈しますか?
そうです。
あの物語は明確に女性パイロットが男性ロボットを取り合う恋愛修羅場ロボットアニメなわけです。
え?恋愛はヘテロな関係の中で展開されるというオールドタイプな思想から来る偏見ですって?
それなら話題を変えましょう。
そうですエヴァ初号機は碇シンジの母親碇ユイであり、パイロットであるシンジは男性なのです。
証明は終わりました。
私の勝ちです。
「いい作品」かは分からないけど「人にはおすすめしないけど俺は好きなアニメ」には間違いなく入るなZガンダム
逆にZガンダムを「名作だから絶対見ろ」とか他人に薦めてる奴とか、他のガンダムを叩きながら持ち上げてる奴とかは絶対信用しないわ
「ジャミトフ・ハイマンが何を考えていたのか?」「終盤カミーユがZガンダムで起こした超常現象は何なのか?」とかアニメ以外の媒体でフォローしないとまるで理解不能なのマジでどうかしてるわ
でもはっきり言えばそんな絶対人にはおすすめしない作品だけど好きなんだよね…
元増田が挙げてる宇宙を駆ける~ゼータの発動以外も三枝成彰氏の楽曲が本当どれも最高で…Zガンダムの魅力の3~4割はあの楽曲にあると思ってる
カミーユのあのラストとか、精神的にはもう死んだも同然だし一種の主人公死亡エンドと言っても過言じゃないと思ってる。小説版Zだとマジで死ぬしね。
ジェリドもジェリドで高慢で嫌な奴なんだけど、それは置いといて親友カクリコンも師匠のライラも恋人のマウアーも次々カミーユの手にかかっていくの歴代ライバルの中でもあんな悲惨な奴居ないよな…ってなる
シャアは初代の不敵な悪人って感じが抜けて、ニュータイプ相手どころかライラやブランみたいな腕の良いベテランオールドタイプにも苦戦する程度の強さになってるのがマジで前作ラスボスかよ…ってなるのが本当悲しい
百式も登場が早すぎて途中から全然活躍してなかったって思ってたのは俺以外もそうなのね…Zのシャアがパッとしなかった理由は百式の性能がティターンズの新型と比べて低かったのも大いにあると思ってる
初代の後に初代の続編って事でゼータを見たら、作風が違うわブライトさんがボコボコ殴られるわ前作であんな強かったシャアがパッとしないわで、そりゃ当時機動戦士ガンダムの続編を求めていた層から叩かれたのも納得でしか無かった
そういう事情を知らずに「Zガンダムは名作だから絶対見ろ」とか軽々しく言えちゃう奴は宇宙世紀信者か富野信者かZ信者かそのどれでも絶対話が合わない事が分かる
ちなみに俺はZガンダムで破滅したカミーユが後輩ニュータイプ達を救い最後には自分の足で走るまでカミーユが回復した所を描いてくれたという理由でZZが大好きです
自称・文化人の年下の友人に、コメダ珈琲で豆を食いながら教えてもらった。
俺は若干オールドタイプのオタクなので、まあ要するにエヴァやろ?とか、かいつまむとlain的な空気感だろ?
とか、なんなら「さよならを教えて」のような感じだろ?
という認識だったが、やはり世代によりけりというか、やや違うというか。
ヴィレヴァンで椎名林檎買ってる文脈?と問うとやはりちょっと違うらしく。
滅茶苦茶簡潔に言うと、ボカロ。ボーカロイドが繋いでいる文脈に類似する、との話だった。
プロセカの人口知らないんですか、最早メンヘラは文化ですよ、という。
俺はボカロはブラックロックシューターしか知らんが、つまりはそっちの文脈らしい。
自傷、強い言葉で自分を傷つける、そういう文脈が「オシャレ」なんです、と。ちなみにリスカはダサい。カツサンドを齧りながら、友人は笑った。
他人を攻撃するロックやラップがオシャレだった時代は違うんすよパイセン、と攻撃されたが、やむなしだった。よくわからなかったからだ。
つまるところ、他人を傷つける表現にはない安心感が、メンヘラ表現にはあるらしい。
昔の文学にはなかったポップとスタイリッシュを手に入れてるんです、メンヘラは。
オシャレなボカロの曲を、オシャレな歌い手がカバーして、オシャレな絵がつくとオシャレなんです!
みたいなことらしい。
若い時はみんなそんな感じかもしれんが、「社会が病んでいる」なんて、
最早病みが常態化して逆に言われない時代だからこそ、先鋭化されるものもあるのかもしれない。
まあ、メンヘラってなんか叩きにくい空気あるし、コンテンツの前提に叩かれていないもの、
みたいなのが必要とされる時代だと都合がよいのかもな、と理解した。
頑張っていこう。
トカゲに関しては勇者を脅かして追い返そうと言う意図、ドラゴンに関してはあの世界観だと単なるエネミーなので修行して強くなったことの描写にすぎない、と言うまあオールドタイプの受け止め方はともかくとして。
トカゲや竜もあの世界の同じ生命として尊重するべき、と感じる増田の感性には少し感動した。
たぶん作者、ジャンプ+の編集ともにそこに矛盾は感じてないだろうなと思う。SPY×FAMILYのははが悪党どもをガンガンぶち殺す殺人マシーンなのに家族愛みたいなのを描写するのは違和感ある…みたいな話がそこそこあるけど、今の読者は意識がアップデートされていて殺害に対して凄く忌避感をもつものなんだよな。
俺は関係ないけど、創作者の人はそういうのある程度気にしないといけない時代なのかも。
ゴールデンカムイでも人殺しは作中で死ぬみたいな予想されてたもんなあ。
これ、3の返答にもかかってくる話なんだけど魔王別にそんな聖人君子でもないわけなんですよ。
ああいう体質になっちゃったからそのまま王都に進軍して皆殺しにしちゃえ、って人ではないし自分のせいで人が死ぬのは心苦しいけど増田のようにあらゆる生命を平等に守りたいみたいな人ではたぶんない。
そうでないなら定期的にやってくる勇者を放置するみたいなこともしないだろうからね。
自分を殺しに来たヤツが勝手に死んじゃうのはかわいそうにおもったりはするけどしょうがないかな、程度だろう。
この辺のニュアンスは読者の受け取り方もあるんだろうけど。
これはちょっと驚いた。
不老不死の魔法を求めて手に入れたけど、実はそれには巨大な代償が!ってのは定番じゃない?
吸血鬼であれば二度と太陽の下を歩けなくなる。人間の血が常に必要になる。
これの例では不老不死にはなるけど、誰にも触れられなくなると言う罰を受けると言うことなのだ。
不老不死物語の定番的描写だと侮って読者を無駄に信用しすぎていると言う面では確かに作者の落ち度だろう。
けどそういうのって短編だとある程度思い切って取捨選択しないといけないところなんじゃないだろうか。
4.国や勇者の設定もてきとう
これはまあ同意。
ミーリに関しては正体を隠す理由が描写されるけど、以前の勇者がみな同様の境遇の人間だとしても同様の行動をとるともおもえない。
解呪を提案しなかったというのは作中の国に「解呪」という概念がないから、と言う描写ではあった。
けど隣の国にはある概念が何百年も導入されないってのはなあ。呪いとかそういうのは普通にあるっぽいのに。
5.二人はなんで恋愛してんの?
いやそこは素直に作中の描写にしたがって、はじめて肯定してくれた人だからとしか言いようが無い。
勇者の実態がああいうものである以上、それをベースとした承認は承認として受け取れなかった、とか。
まあここは強引に感じられる人が居るのもまあしゃあないのかな。
モビルスーツが好きなわけではなく、あの概念が好きだから見てたんだけど…
サイコっぽかったり、ひねこびてるくせにガキっぽいガキだったり、女の妄執(御大の妄想)だったり
そこに、あの集合的無意識みたいな概念をぶっこんでくるっていう荒業
ニュータイプは正に「新人類」なわけだけど「早く生まれすぎて辛酸を嘗めまくる人」というイメージしか無くて、その生き辛さがイイ!
(おまけに、ファーストの主人公のライバルはニュータイプに憧れるオールドタイプっていう惨めさが堪らない!あんなに中年になるまで引っ張る惨めさ!!)
なのに、「ニュータイプ」途中でほぼ無視されてるから見なくなったんだよなあ
(主人公がただの「勘のいいガキ」くらいになっちゃってたり。ニュータイプはエスパーじゃない)
まあ、あの概念ありきの作品てわけではないとのことなんで仕方ないけど
残念だわ
珠海は盆を過ぎるとアキアカネが飛んでいて、なんかしんみりした。
まずホテルに部屋を取る。それから前に仲良くなった中国人の兄ちゃんに電話。
小一時間で部屋に来る。ご飯を食べに行く。兄ちゃんは一方的に中国語を喋ってきて、
ワイはまだあんまり中国語が分からない。だけどまあなんとなくなんとなく。
それからタクシーに乗って、なんかどこかへ。我々の遊び目的は女の子だ。
ワイは日本人で、まあお金持ってる。お兄ちゃんは珠海に彼女がいるから、
隣の街に行って女の子を見つける。
深センは経済特区で田舎からたくさん若人が出稼ぎに来てる。女の子もだ。
田舎の女の子はつまらないこともあるけど、ノリが良さそうな可愛い系の女の子の二人組を探す。
ショッピングモールやゲーセンや公園や、兄ちゃんが声かける。ワイは横でにこにこしてる。
二人組を探すと片方はブスなので、1人ずつ確保の方が多かった。初対面の女の子もなんか仲良くなる。
それでボディソープとか買い物して、女の子にもなんか買ってあげて、
なんかご飯食べる?あんまりお腹減ってない。じゃあワイのホテルに行こうよ。
なんか食べるもの買う。アイスクリームとかビールとか。んでタクシーで。
部屋に入って、なんとなく駄弁って、筆談使って、それぞれ相手ができてきて、
そこでいきなり「みんなで一緒にお風呂に入ろうよ」と言う。
女の子らは笑いながら「えー」とか言ってるけど、湯船にお湯をいっぱいためて、
ワイはワイの女の子のシャツの前ボタンを外すと、女の子もワイのTシャツを脱がそうとする。
二人とも下着だけになって、浴室前まで行って、そこでワイが女の子のブラを外すと恥ずかしそうに腕を前に回して胸を隠して、
それでもワイのトランクスを下げて脱がした。ワイも女の子のショーツを脱がした。
ちなみに中国姑娘は脇毛は剃らない。下着はヨレヨレ。汗の臭いがするんだけど、体毛が少なめで肌がつるつる。
そこでさっき買ったボディソープやらスポンジやらシャンプーやらで綺麗に洗う。お尻ぷりぷり。
それからいっしょに湯船に入って、いちゃいちゃする。と兄ちゃんたちも来た。
女の子は洋式トイレで立っておしっこして、兄ちゃんはもう勃起してた。
女の子は何か笑い合って話してた。ワイは兄ちゃんの女の子のおっぱいを見たら、なんか勃起した。
ワイはワイの「お風呂から出よう」と女の子の手を取って立ち上がる。勃起したちんこ。
バスタオルで女の子を拭いて、女の子も拭いてくれて、髪ドライヤーで乾かす?うん。
じゃあガウン着て。ありがとう。裸ガウン。女の子は洗面台に向かってドライヤーで髪を乾かしてる。
僕はソファーに座ってビール飲んだりテレビ見たり、筆談したの読み返したり。
15分くらいして女の子がリビングに来た。それでテーブルの瓶ビールを一口飲んで、
顔を見合わせて、意見が一致してベッドのシーツに潜り込んだ。ひんやり冷たい。
こっちがこうしていちゃいちゃしてると、お兄ちゃん組はきゃあきゃあ言いながら隣のベッドに飛び乗って来て、
倒れ込む女の子を後ろから襲いかかってちんこを挿れてた。女の子は「きゃーおちんちんいれられちゃった、きゃーきゃー」みたいな。
ワイらはそれを驚いて見てたけど、ワイの女の子もワイのちんこを握って、
シーツを剥がしてコンドームを取って着けて、対面座位でお互い「挿れちゃうよ」「入っちゃうの」とゆっくり、
ちんこの先端がまんこにぴたっとくっついて、よいしょっとずぶりと奥まで挿れて、
おっぱい揉んで、キスもしてもいいかなと唇を近づけたら女の子の方からも目を閉じて唇を近づけてきて、
腰に手を回して首にも回して頬を触って、女の子は僕の背中をさすっていて、
ちらっと横を見たら、お兄ちゃんはがっつりバックで突いてた。
お兄ちゃんの女の子がお兄ちゃんをふぇらしてた。ちな、中国人はふぇらしないので、
これはワイが文化を教えた。
お兄ちゃんの女の子は四つん這いになってふぇらしてて、ワイの方からまんこが丸見えだった。
お尻もふりふりしてる。ちんこも立ってきて、なんか一応ワイの女の子に、
「あの子にしてもいいかなー」と聞いた。そしたら多分「したかったらしてもいいんじゃない?
私もあっちのお兄ちゃんとするから」みたいな、多分不機嫌なご様子だった。
「やっぱりやらない」「別にすればいいじゃん」と席を立ってトイレに行った。
トイレのドアがバタンと閉まって、ワイはお兄ちゃんの女の子に後ろからずぶりと挿れて、
おっぱいを揉み揉み揉みして、お兄ちゃんは笑って、女の子は「あいやー」とか笑って、
ワイはすぐにソファーに戻って座った。
5分くらいしても女の子がトイレから帰ってこない。普段なら(うんちかな)と放置だけど、
一応トイレに行ってドアをノックして「大丈夫?」。返事がない。と思ったら、
ドアが中から開いて、女の子が便器に座ってすねたご様子だった。
仕方がないのでトイレットペーパーを取って、女の子の股間を拭いてあげた。
それでもまだなので、立たせて、お掃除くんにをしてあげた。
女の子には初くんにかも。腰が立たなくて、ベッドに連れて戻って、くんにして、
そのまま(コンドームはしてるけど)女の子の中に射精したときは、
(よく知らない姑娘に種付けしてやったぜ。まんこの中に白い精液出したった。
この女の子はワイに中で出されたんやで!ひぇっ)と性的に興奮遣る方無く、
コンドーム外したちんこを持っていったら、それが普通みたいにお掃除ふぇらして、
中国人はそんなことしないんだけどな(昔の話ね)。
兄ちゃんが「相手変えない?」と冗談っぽく言ったら、女の子はワイに抱きついてきて、
ワイのちんこを握って多分、「私はこれがいいの」みたいなことを言ったかな。
兄ちゃんも自分のちんこを勃起させて「こっちも気持ち良いから」みたいなことを言って、
ワイのちんこをしこしこしながら「こっちも大きくて硬くて気持ちいいもん」とか。
ワイの女の子が少し酔って眠って、ワイが1人でお風呂に入ってる時に、
湯船の中でちんこ挿れました。お兄ちゃんの女の子は胸が大きめで、
少しふっくらめで、せっくすに前向き。
次の日、お昼を一緒に食べて、女の子の住んでるところまで送って行って、別れた。
お兄ちゃんの女の子は暇みたいだったから、ホテルに帰って3人で遊んだ。
そこにお兄ちゃんの彼女から電話がかかってきて、なんか言い訳してて、
そそくさと彼女に会いに行った。
こっちの女の子と自由に遊べるとなると、なんだかおなかいっぱい。
やっぱり性欲もないものねだりなんだなあ。
トイレから戻って来たときソファーに座ってるワイの上にまたがって、
「私、旦那さん以外の人とこんなことして」と生で挿入してきたとき。
「外が明るい昼間なのに。ねえ」とワイの顔を手に持ってキスをしてきて、
腰もゆっくりグラインドしてくるから、「気持ちよ過ぎで出ちゃう。ちゃんとやりたい」って、