はてなキーワード: 拍車とは
自分は今年の10月に関東から移住して兵庫県民になった。20代である。
だから「兵庫県知事選には投票できない兵庫県民」という立場で、今後の兵庫県がどうなるのか他県民よりは当事者意識があるが、選挙については客観的に見たという立場にいたかなと思うので、今回の選挙の雑感を記しておこうと思う。
パワハラとか告発文とか報道はされているが、どれも信用できないという雰囲気が多くなっていたように感じた。もうソースがあることだけ教えてくれというような感じだ。憶測や陰謀はウンザリ。
その中で唯一判断できる材料としては、政策、公約になるわけで、候補者二人のHPやSNSを見ると、稲村さんが全体的にフワッとそれっぽくいいこと言ってるな~ということが多いのに対して、
齋藤さんは具体的な数字と過去の実績を合わせて伝えていて目標がハッキリしていることが有権者に良く映ったのかなと。(お互いフワッとしていることも当然あるが)
特に稲村さんは「まずは混乱を終わらせます」とか「ハラスメント防止条例を~」とかを言ってると、報道でウンザリしている県民は「いや、もういいというか、事実をハッキリさせるのは二人とも当たり前としてさ、何をするのか言ってくれよ」みたいな受け取り方をした人が一定数いたんじゃないかなと思う。
(同時期に国民民主党の不倫云々も、それに拍車をかけたというか、「個人の裁判ではなく全体への政治をしてくれ」という思いが増したんじゃないかな)
実際県庁で働いていた人の働きやすさとかパワハラ問題云々はおいておいて、県民として齋藤知事の県政にはそこまで悪い印象はないということは自分の身近であった話。
なにやら無駄を減らして財政は健全方向に進んでいるようだし、学校の改修工事があって環境が良くなったとか、それまで井戸県政が20年間続いたということもあって凝り固まった体質をほぐしているんだろうなという感じもするとか、全体的に「別に悪いことは起こってない」という感覚らしい。
なので、今回の選挙は「再選」というより「続投」で、問題になったことがハッキリしたらその時にもう一度判断すればよい、というような声が多かったのかなと感じる。
多くの流言飛語が飛び交っているので実際に起きたことを間近で目撃していた者として記します。
今回は兵庫県民も、そうでない人も、何が起きたのか理解できてない方が非常に多く、それも当然かと思います。
また、私が記すことは、今後、他の方も分析されて文字にされる内容だと思いますので、この内容を鵜呑みにせず多くの情報を見て判断していただきたい。
まず今回の選挙の発端は既に多くの方が聞き知ってご存じだと思いますので割愛しますが、
ポイントとしてはあくまで斉藤氏にかけられたのは「疑惑」であり、その対応の無責任さに対して知事としての資質がないと判断され、議会から不信任決議案を出されて、全会一致で可決したことによります。
百条委員会はまだ続いており、結論を得ていない「疑惑」の段階で世間の風評を元に判断した。ここが大事です。
普通に考えればこの一連の流れで、再選に至ることは誰も予想していませんでしたが、ここでN国の立花氏が参戦します。
まず、当初立花氏は数十名を立候補させる予定で兵庫県選管に連絡をします。
その際は設置していた選挙看板より立候補者の数が多く、混乱を引き起こしました。
そうならないように兵庫県選管は30人以上が掲示できる選挙看板を全箇所に設置しました。
狙いとしては、選挙看板を写真で埋め尽くしたり、写真ではない広報物のようなものを貼り話題を作る予定だったのだと思われます。
しかし、想定より多い選挙看板が実際に設置された状況をみて、県民から批判が上がり出しました。
それをすぐに察知して、立花氏は批判に繋がると思い、立候補者を立花氏1人に変更します。この判断の速さがすごい。
まず、立花氏は斉藤氏応援の立場をとり、自分には票をいれるなと喧伝します。
そして、前述の斉藤氏の疑惑に対して、逝去された職員のゴシップをスクープとしてぶち上げ、拡散を狙います。
これにより斉藤氏が実はこのゴシップを隠すために、黙っていた、職員を庇っていた側なのでは?というイメージを作ります。
立花氏は次に選挙カーで街宣をして、このゴシップを広く喧伝し、斉藤氏ははめられたんだという演説を続けます。
この時の動きが本当に巧みなのですが、まず斉藤氏は一切、立花氏と共闘をしているとは言ってません。
むしろ選挙で争う相手だとみなしている体で、ずっと見て見ぬふりを続けていました。
選挙後の報道でも斉藤氏は立花氏に関して「似ている考えがあり共感できる部分がある」と言っており、あくまで関わりがないことを言い続けています。
しかし立花氏は斉藤氏の応援であるということは公言しており、そのために選挙カーも使っている。
選挙カーは1候補者につき使える台数も決められているので、実質2倍の台数を使えることになっている。
だが、それは斉藤氏が画策したことではなく、立花氏が勝手にやったこと、という流れを創り出しています。
次に、当初は一人で街宣をしていた斉藤氏ですが、突然多くの支持者が街宣を囲み出します。
また同時に、他の候補者の街宣にはチンピラのような人達が多く出没し、嫌がらせや妨害行為が行われて、結果的に10数名の逮捕者が出ました。
SNS側でも同時に、職員のゴシップと合わせて、他候補者(特に稲村氏)のデマや批判内容、また斉藤氏が無実で何も悪いことはしていない、という内容が多数投稿され、多く拡散されだしました。
これを受けて、他候補者側は、選挙活動と同時に火消しを行わないといけなくなり、
ネットで流れている情報はデマも多いし、斉藤氏が不信任決議を受けた経緯なども付け加えて話さないといけなくなりました。
しかし、有権者にはこれが「斉藤氏を批判しているだけ」と受け取られる形に繋がっていきます。
そして当の斉藤氏は、これら街宣やSNSで行われていることは「一切」触れずに自身の主張のみを街宣で語り続けていました。
これにより、他の候補者は「悪口をいう候補者」、斉藤氏は「悪口に加担をしない、真面目な候補者」というイメージがまた作り上げられていきました。
また、デマ情報を訂正するような内容等をSNSに投稿をすると、多くの斉藤氏を支持している人たちから袋だたきにされるという現象も頻発し、SNSでの言論も封殺されていきました。
そうした攻防が続いている選挙中盤ほどに、SNSでは「斉藤氏は完全に無実で、全てはメディアや権力者が既得権益を守るためにおこなった、いじめである」というストーリーができあがりました。
そうした内容が日々拡散され続ける状況で、投票日が近づいてきた人達が、ようやく情報をあさりだしたときに目にする姿は
・斉藤氏が誰の批判をすることもなくずっと真面目に活動をしている姿
・SNSでは斉藤氏はメディアと既得権益にはめられた被害者なのであるという大量の投稿
・同様にSNSでは他候補者の批判をする内容やデマなどの大量の投稿
・他候補者の街宣でも上記を払拭するために「斉藤氏に関するネットのデマ」などと情報を嘘扱いする内容
となり、結果的に真面目で頑張っているのは斉藤氏しかいない、という結果になったのかと思われます。
立花氏の戦略が一番巧みなのは、途中にも何度も記載していますが、斉藤氏と立花氏は共闘をしていないというスタイルを貫いたこと。
そうすれば、立花氏側が他候補者にいくら嫌がらせをしたとしても、斉藤氏には類が及ばない。
また、嫌がらせを受けている他候補者は、反論をしなければ票がはなれていく可能性があるので、反論せざるを得ず、否が応でも立花氏の作ったステージに上がらないといけない。
つまりこうして、当選をさせたい候補者とは別の第三者が立候補をし、その第三者が、それ以外の候補者に対して嫌がらせや
圧力をかけて醜い争いにもっていけば、当選させたい候補者だけがフリーになり、良いイメージのみを宣伝することができるわけです。
他候補者は完全にとばっちりではありますし、否定だけすればよいわけですが、これに拍車をかけてSNSの陰謀論が過熱化し、
否定をすればするほど「こいつらが既得権益者側で、斉藤氏を陥れようとしているんだ」という思想に繋がっていった、という感じです。
最悪、問題が表沙汰になっても、全ては立花氏が独断でおこなったこと、としてしまえば、どこまでいっても斉藤氏には影響が少ないです。
第三者として立候補し、勝たせたい候補者以外に嫌がらせをする。
勝たせたい候補者がヒーローになるようなわかりやすいストーリーを喧伝する。
そうすることで、多くの人の心が動かされることは実証されたと思います。
実際の所、流れた情報の何が本当で、何がデマなのかは誰にも判断できず、なにが正しいのか理解できている人はほぼいないと思われます。
とにもかくにも、立花氏の戦略が、今の時代を的確に捉えており、柔軟に対応できたことが大きいと思われます。
従来の選挙戦略では到底太刀打ちができない、新しい選挙のやり方が生まれてきたなという感想です。
私にも見えてない部分が多くありますので、他の方の分析も知りたいです。
多く反響をいただきありがとうございます。
あれやこれが足りてないんじゃないかというご意見も多いですが、文章に記載のように
自分の見えるものをまとめている限りですので、それぞれの側面から見える分析を多くの方にしていただきたく思います。
また、反応を見ていても思うのですが、SNSでは正しい情報よりも、権力者は悪といって晒しあげたり
そうしたものを叩いてバカにしたり、誇張して歪めた情報の方が「面白い」のでバズって広まりやすいのだと思います。
それは意見の中にもあるように、元々、TVやメディアが今まで大衆向けにしてきたことで、その河岸がSNSに移ってより制御がきかなくなったもの、とみるべきなのでしょう。
立花氏の行動のクローズアップはしていますが、あくまでそういった人々の習性のようなものを利用している、という部分はあるのではないかと思います。
あらゆる外国製品に10%、中国製品には60%の関税との公約。
すると物の値段が上がる。
↓
インフレが進む。
第一次トランプ政権で行った期限付きの減税を恒久的なものとすることを筆頭に、
その他減税を行うと主張している。
減税になれば、個人が消費できるお金が増えるので購買行動に拍車がかかる。
結果として物の値段が上がり、インフレが進む。
不法滞在者への厳しい強制送還や、不法移民をアメリカに入れないための対策を実施するとの公約。
これが実施されると、不当に安い賃金で働く労働者が枯渇することになる。
その結果、人件費が上昇する。
一学校における選択制のコオロギ使った給食が取り上げられた途端に
「無理矢理食わされる!!ギャアアアアアアアア!!」
「コオロギに6兆円の血税が使われる!」「日本人の味覚を壊そうとしてる!」
「他のパンにもコオロギ粉末が混ざってるに違いない!ふざけんな!不買不買不買!!」
って不買運動呼びかけられまくって、それが何万バズもされて、
ツイッター(当時はその名前)だけじゃない。youtubeでも昆虫食叩き、パスコ叩き、陰謀論の動画が何十万再生もされて、コメント欄でもパスコ不買と叫ぶやつばかり
それまでなんだかんだ人気者だった昆虫食、ゲテモノ食い系youtuberも肩身の狭い思いしてさ
バッタミックス粉って書いてある!もう昆虫食べさせられてるんだ!恐ろしい恐ろしい!みたいなアホな陰謀論がバズってさ(バッタミックス粉はバッタとは無関係)
当時力を持っていた暇空茜やなるも乗っかったせいもあって炎上と陰謀論に拍車がかかった
「左翼はコオロギ食そんなに庇うなら食べてみろよw」と煽りまくり、
河野太郎が食べてみたらまた炎上。「ゴキブリ太郎」と呼ばれ悪質なコラが作られた
いかにも、私は冷静で論理的でフェミや左翼やポリコレみたいに感情的じゃありませんよ、昆虫食を陰謀論で叩いたりしてませんよ、みたいな顔して
こっちは全部覚えてるからな
普段、「フェミはキモいというお気持ちで規制や不買呼びかけたりしてるからクソ!俺たちはお気持ちじゃなくて論理的に動く!キモいって言葉は許されない使うな!」とドヤってる奴らが
「昆虫食キモいキモいキモいキモいキモいキモい!!食う奴も売る企業もキモいキモいキモいキモい!このままだと俺たちも食わされる!不買不買不買不買不買不買不買!!」
一企業に「昆虫を普通のパンにも混ぜ込んで無理矢理食わせてる」となんの根拠も証言もなく「冤罪」を着せ、デマと誹謗中傷を撒き、反論したら逆ギレと呼んでさらに叩きまくったこと
そして、誰一人として河野太郎にもパスコにも発端となった学校にも謝罪していないこと
まぁね
当時暇空茜のおかげで公金チューチューが騒がれてたし、SDGs的なものへのヘイトも溜まってた頃だったし
そんな背景もあってこんなにも昆虫食叩き、陰謀論が広まったのはわかるよ
でもお前らがパスコや河野太郎にした仕打ちは、それでは済まないからな
まさか、「フェミは草津町長に謝らない!」と言ってるお前らが謝らないなんてことないよな?
あれほど教祖様のように持ち上げられてた暇空茜なんか今や見る影もないし。暇空茜の目の敵にしたものは誰もが叩いてた状態だったのに
聲の形の川井みきだって、あれほど大悪人だと日本中でバッシングされまくった後今更のように実は善人だとか言われてるし(川井みきが架空のキャラでよかったなお前ら。現実の女子高生だったらどんな惨事になってたことか)
青葉台駅の痴漢冤罪と騒がれた事件も、痴漢の物的証拠が見つかるまで女性が地獄に落ちろ人殺し女と日本中から叩かれまくったっけ
もう何も信じられねえわ
長らく「手堅い作戦」「野球のセオリー」とされてきた「送りバント」の評判が最近きわめて悪い。「実は送りバント戦法は得点確率が低いことはエビデンスでも出ている。バントに固執する指導者は老害」という意見が主流になっている。以下の記事が典型的なものだ。
“非効率な作戦”とわかっているのに…日本のプロ野球で「送りバント」は、なぜ減らないのか? 歴史的な「投高打低」に拍車も
https://news.yahoo.co.jp/articles/e6ac76b5d59c79948a1c6544838cffc53813633f
自分は、送りバントの有効性を否定する議論は、全体としては間違いだと考えている。否定派は、そもそもの問題として、バントが有効ではないことのエビデンスを示すことは、一般に考えられているよりもはるかに難しいことがわかっていない。巷で出ている「送りバントは非効率」というエビデンスは、実際にはほとんど役に立たないエビデンスと言っていい。
例えば、バント戦法がより選択される可能性が高い状況を想像して欲しい。それは、一点を争う投手戦である。例えば、戸郷と才木が0ー0で投げ合って無死1塁という状況では、バントが選択される可能性が高くなる。しかし、投手の能力的にヒットを打つこと自体が難しいので、当然ながら点が入る確率は低い。
逆に強攻策が採用される状況は、既に点差が開いている状況で、投手の調子が悪かったり、実力的に2、3番手が投げていることが多い。例えば3−8で負けていて無死1塁という状況では、バントが選択されることはほぼない。投げている投手の調子や能力も高くないので、強攻して普通に安打が出やすい。
このように「バントは得点確率が低い」という巷のエビデンスは、単に打てる確率の低い状況と高い状況を比較しているだけ、という疑似相関の可能性を考えなければならない。そもそもバントをあまり採用しないチームがあるとしたら、今年では横浜がそうであるように、強打者が揃っているチームである。なので、単純に打撃のいいチームと悪いチームを比較して、「バントは得点確率が低い」と結論づけてしまっているだけの可能性もある。
以上のように、真にバント戦法の有効性を検証するには、投げている投手の調子やレベル、チームの打撃力といった条件を細かく丁寧に揃える必要がある。そうしたエビデンスは今のところ見られないし、おそらく複雑すぎて難しいだろう。送りバントの有効性については、「勉強時間を1時間増やしたら点数が10点上がった」というレベルの明白なエビデンスは期待できないのである。
私見では、そもそも送りバントが指導者にが好まれるのは、得点確率が高くなるからという以外の根本的な理由がある。それは、「犠打」と呼ばれるように、そもそもバントにはチームのために自己を犠牲にする、という象徴的な意味がある。自己犠牲の姿勢を見せることによって、全ての選手に「チームのために」という意識づけをして、自己満足的なプレーを抑制することが期待されているのである。しかし、こうしたバントの効用については、データに基づくエビデンスで示すことはできない。結局のところ、送りバントの有効性は、現場の指導者と選手の経験に基づく実感でしか判断できないのでないかと思う。
アポトーシスとネクローシス(壊死)は違うし、君が国の状態に対してアポトーシスという喩えを使うなら、同じように国の状態に対してネクローシスという喩えを使ってはいけない理由が見当たらない。
追記:むしろ、能登の被災と今後辿るであろう展開はアポトーシスと言うよりネクローシスと言ったほうが喩えとしては的確だ。ここまで言ってもたぶん君は理解しないだろうけど。
健康な人体にアポトーシスが欠かせないように、元々人間は割のいい仕事や住みやすい土地に集まるし、コスパが悪くなった場所は廃れるということを常に繰り返している。
その不断の流れの一瞬のスナップショットが過密な都市であり過疎の田舎だ。
昭和の一頃に栄えに栄えた林業の町や炭鉱の町が消滅し、たくさんの島が無人島になり、何もなかった丘陵がベッドタウンになり、またそのベッドタウンが過疎化し、そういう動きは別に一方向的なものではない。
能登先端の災害が過疎化に拍車をかけたとして、別にそれは「日本が末端から壊死している」ことを示してない。
どんな田舎にも離島にも大勢の人がへばりつくように第一次産業頼みで暮らしているのが国として健康なことなのでもないし、逆に病気でもない。そういう選択にその時は合理性があるからそうなっていたというだけだ。
合理性が成り立たなくなった場所にリソースを注ぎ込んでにぎわいを維持することは国力と関係ない。国家予算が有り余っている国でもそんなことはしない。
「日本が末端から壊死してる」という俗耳に入りやすいフレーズ/メタファーを与えられて「腑に落ちた」とかいう奴は腑に落ちるも何もそもそも何も考えてないし自分で何かを考える能力もない。何か考えたような気分に浸るのが好きなだけだ。バカは単純に図式化されたら理解した気になるが、お前は人生で何も理解していない。死ねばいいのに。
健康な人体にアポトーシスが欠かせないように、元々人間は割のいい仕事や住みやすい土地に集まるし、コスパが悪くなった場所は廃れるということを常に繰り返している。
その不断の流れの一瞬のスナップショットが過密な都市であり過疎の田舎だ。
昭和の一頃に栄えに栄えた林業の町や炭鉱の町が消滅し、たくさんの島が無人島になり、何もなかった丘陵がベッドタウンになり、またそのベッドタウンが過疎化し、そういう動きは別に一方向的なものではない。
能登先端の災害が過疎化に拍車をかけたとして、別にそれは「日本が末端から壊死している」ことを示してない。
どんな田舎にも離島にも大勢の人がへばりつくように第一次産業頼みで暮らしているのが国として健康なことなのでもないし、逆に病気でもない。そういう選択にその時は合理性があるからそうなっていたというだけだ。
合理性が成り立たなくなった場所にリソースを注ぎ込んでにぎわいを維持することは国力と関係ない。国家予算が有り余っている国でもそんなことはしない。
「日本が末端から壊死してる」という俗耳に入りやすいフレーズ/メタファーを与えられて「腑に落ちた」とかいう奴は腑に落ちるも何もそもそも何も考えてないし自分で何かを考える能力もない。何か考えたような気分に浸るのが好きなだけだ。バカは単純に図式化されたら理解した気になるが、お前は人生で何も理解していない。死ねばいいのに。
昔の話なんだけどさ
仕事と家の往復
コミュ障オタクなので家に帰ったらアニメ見たり漫画描いたりの日々
20代の女子ってまあクリスマスとか金曜日とか休日出勤嫌がるじゃん
私はぼっちの喪女なんでそういう女子達と当番変わってあげたりしてた
自分が子供を産めないし結婚もできないであろう出来損ないと思っていたので、せめて普通のきらきら女子には私の分も日本の少子化打破に頑張って欲しい、みたいな気持ちがあった
アトピーがでるから化粧もしないし、髪も染めてもないぼっさを後ろでくくっているだけのほんとにひでーもんでさ
ある日24時過ぎに家に帰ってきて、これまた昨日の夜同人誌の入稿した後で眠気マックスでさ
開放感から途中のコンビニでストゼロ買って飲みながら歩いて家に入って
鍵を閉めなかった
というか酔っ払ってて忘れてた、記憶がない
どうやら家に戻ってそのまま布団にダイブしたらしい
なんか夜中に音がするなって目が覚めたら男が自分の上に乗ってたよね
電気つけてたはずだけど消されてて、ベッドの照明だけだったから顔はよくわからんかったけど男の人だったよね
もう本能的な恐怖で悲鳴を上げ…るかと思ったけど硬直してあんなときなにもできないんだな
怖くて怖くて、相手もこっちに気づいたらしくて
ああ、なんか書けると思ったけどこの後のことはちょっと無理だかけん
んでまあ犯されちゃったんだけどさ
酔っ払ってるからよく覚えてないし酔っ払ってたおかげで恐怖が吹き飛んでた気がする
恐ろしくて抵抗できなかったせいか男はやることやったら去って行ったが、この事を警察に喋れば殺すみたいにいわれた
普通はその場はうんうん言って後で警察に行くんだろうけど、結局行かなかった
一生喪だと思っていたのでまさかこんな形で経験するとは…とか、男って女を物みたいに扱うんだな、少女漫画やBLみたいのはないんだなあ
男って怖いな
なんて思いながら、とにかく怖かったのでその日はタクシー読んでホテルに泊まって次の日家に帰らず会社休んで家探してそのまま引っ越した
で、あの経験でなにかが吹っ切れたというか、ああ、男にあんなに扱われるほどやっぱり私って価値がないんだなーっていう気持ちに拍車がかかっちゃってさ
で、なんでそんなこと思いだした勝手言うと、Xで性暴力にあいかけた女性の実話漫画とかでてきてさ
男に襲われたその時に彼氏と通話中で、彼氏が怒って泣いてくれて結婚して子供も産まれたけどトラウマあります、でさ
この人の苦しみは私もよくわかるんだが
おまえ別に理解のある彼っっぴぴいて結婚して子供いるんだからなに悲劇のヒロインぶってんだ?
こちとらひでーことされた時も彼氏なんていないから一人で無になるしかなかったし、その後彼氏は旦那になりましたなんてのもなかったし
とか思っちゃったんだよなー
私は醜い
つか、私はこの経験で男嫌いになったので、結婚とか全然考えられないんだけど、いやまあそれ以前に私を好きになる男なんて世界に一人もいないと思うけど
この人は性暴力にあいそうになったタイミングですでに出来る彼氏がいて、男はそんな怖い奴ばっかじゃない!ってわかってたから結婚出産というイベントをこなせたわけで
いや、理屈では辛さに上下はないとか、不幸自慢はやめようとか分かってんだけど頭に浮かんでしまったこのくそきたねえ性根に自虐しちゃったわけですわ
はてなだとどうせ
「そんなだから結婚もできないし彼氏もできないんだよ」とか言われるんだろうなと思いつつ吐き出してみる
まあでも笑えるのがそんな私なのに漫画描いて生計立ててることだわ
己の恋愛経験なんてゼロのくせに恋愛BLとかNL描いてるの我ながらウケる
そしてまあまあ評判がいいのもウケる
災害大国ということもあるから、そういう人が生き残ってきたのはさもありなん。
あとは同じ階級内で比較して出る杭を叩く文化もあってうまくいかないのかも。
戦前まであるいは明治維新まではきちんと階級が分かれていて、ほかの階級に対して何も思わなかった。
戦後GHQの占領によって自由主義というか、若者文化が流入してから
"表向きの"階級社会はなくなったし、子孫それらを内面化していった。みんな平等で自由だと。
とはいえ、為政者や各種団体や資産家はうまく隠してはいるけどね。
自分たち平民と同じ生活じゃないとおかしいという価値観が植え付けられた。
でも実際は同じわけ無いよね。責任も難易度も何もかも違うミッションなのだから。
だから皆やりたがらないんだよ。
でもさ、ここまで同じものを求められたら誰も表舞台に立とうとは思わないよね。
全く持って割に合わないもの。
それに対し、80年後半あたりからさらに拍車をかけたのがインターネットとSNSで
成功例からは、自分も同じ学校・地域(クラスタ)出身なのに彼らはこんなに頑張って、成功している…自分はダメな奴だ。
失敗例からは、彼らと比べれば自分はいい方だ、まあこれで良しとしよう。
こういう、挑戦しない理由がいくらでも流れてきてしまうことに。
一億総セルフ・ハンディキャッピングとでも言おうか。
ぜんぶ適当だけど。
私は今朝の慎重さは欠かせないようにして増田を書くの。
だいたい見ていると増田って
アゲな増田かチルな増田かのどちらかの可能性が大なり小なりあるんだけど
私はどちらかというと
テヘでペロな増田かな?
なんてそんなことどうでもいいのよ。
夏の暑いのにかまけていないで
真面目に秋を迎える時期を過ごさないとあっと言う間にまた年末が始まるわ。
でもさ
もう来年の干支の決まることを気に掛ける必要が無くなるかもしれないの。
ハガキを出す料金の方が高くてそっちの方が心配になるんじゃない。
あれ郵便局の人ってハガキを出してほしいのかしら出してほしくないのかしら?
どっち?って思うわ。
まあ出すのを止めるって人も1歩踏みとどまって考え直すきっかけになるかも知れないのよ。
そんな鰯気なことを考えているから
年賀状がープレイステーション5プロがーって値段のことになるとみんなそう言うのよ。
たぶん私の場合は
年賀状が来た人に対してお返事を書く黒ヤギさんタイプの運用の仕方の年賀状なので、
やっぱりどちらかというと
じゃないとイラストがイモ判が彫り作れないじゃない。
まあそれはともかく、
そのイモ判を作った後で作るサツマイモの天ぷらが美味しいのなんのって
あんまり私はそのサツマイモの天ぷらの美味しい!って感じる人生にまだ到達していないので
いつか来るであろう
そういう急にミョウガが大好きになったみたいな感じで訪れると思うわ。
その時のためにやっぱり年賀状ってのは料金据え置きで
私の考えた冴えた1番の方法でいうと
1通四捨五入して約100円!
やくみつるさんのそっくりさんがやくみつるさんにどのぐらい似ているのかって言うのなら約みつる!っていうぐらい
その約100円ぐらいを投じて年賀状書かないでしょーってなるの。
もっと年賀状代のハガキ代のことを気にした方がいいと思うんだ。
もう周りの料金がどんどん上がるばかりよ!
あの500ミリリットルの規格でのサイズ感で600ミリリットルとか!
謎だわ。
世の中料金が上がって困っているのに、
料金据え置きで容量が増えていくのは麦茶だけって。
よく分からないわ。
たぶん
夏の在庫が多く買ってしまった麦茶の素を使い切るためにたくさん作って500ミリリットルのペットボトルに無理矢理600ミリリットル充填している可能性は大なのね。
あの密室の茶室で麦茶の量を500ミリリットルから600ミリリットルに変えるのなんて不可能なの。
完全なトリックだわ。
本当に謎よね。
それを言うなら逆じゃない?
それなら理屈が通ると思うだけど。
トリックだわ。
うふふ。
もー。
でも美味しく頂けたからまた朝の元気の源よ!
絶好調な
ゴクゴク飲んで
水分補給もまたしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今でも中学高校の運動部や一軍女子の間では「アニメっぽいものが好き=ちょっとキモい」のは変わってない
それはなぜならそういうのが好きなのって幼いし、ガキっぽいから
中高生特有の、社会から閉ざされた環境・簡単に抜け出せない固定化された人間関係、その結果生まれる過度な同調・価値観の同質化が拍車をかけてアニメへの偏見を作り出す
だから今でも中高生の運動部や一軍女子の間ではオタクアニメはウケてない
嘘だと思うならSNSの中高生のコメントを注意深く見ていくといい、そこにはまだ分断があるから
でもそんな彼ら彼女らも高校を卒業して大学に進学したり社会で働きはじめると、環境の変化、人間関係の複雑化、多様な価値観を経て、「アニメ=ええやん」に変わり始めることがある
ブレスオブザワイルド、数年前からやってみては心が折れる、心が折れながら辛い周回を過ごし、リセットして最初から、を繰り返している。
リセット癖があり、なんかうまくいかないと最初からやり直したくなる性格が辛さに拍車を掛けている。
武器がポキポキ折れることで有名なゲームで、ポキポキ折れるからこそ組み合わせをいろいろ試せて新たな戦略が生まれるという話もあり、それ自体はそうかなとも思う。
ただ、自分はうまくできるまでトライアンドエラーを繰り返したいタイプなのだ。ダンジョンギミックも実際に動かしてみて仕掛けを理解したい。
それをやってると瞬く間に耐久を消費して、ダンジョンのスイッチを入れるだけのことに弓や剣が壊れるのが切ないし、場合によってはリセット祭りになったりする。
というか、そうなってくると苛々してくるので攻略サイトに手が伸びる。
気が短いのが悪いのはそうなんだろう。ちょっと詰まる度にいちいち攻略サイトを見るのはスポイルしている気がしてそれも精神の負担になる。
はじまりの台地では良かったが、それなりに良い武器が集まるほど負担になっていく。
武器が壊れたらまたこれと同等のものを取りに行かなければならないと思うとそれもストレスだ。
グラフィック的に背中に背負っている武器は近接と弓と盾1種類ずつだが、システム上は凄い数の武器を持ち歩いている。それから、料理と資源と服も。
最初は明確な拠点が存在せず基本的に全財産を持ち運ぶ仕様だとそうなる。それだったらまとめてどこかに置かせて欲しい。
あるよ、自宅買えば、武器置き場が。
しかし各種類三種類しか置けないのだ。おまけに、英傑武器という微妙に使いづらい武器の保管で場所を取られるので、自宅のインテリア以上の役割はない。
それに、余った武器を売っぱらうこともできない。いくら持ってても場所を取らない服は売っぱらえるのに、おかしいやろ。
現実的に考えれば武器も防具も人間が作ったもののはずだが、このゲームでは武器は自然から採取するもの、防具は人の手が加わるもののようだ。
Cataclysm:DDAというフリーのゾンビローグライクゲームはクラフトで武器を作るが、最初の急拵えの武器はブレワイぐらいポキポキ折れる。
それが溶接や加工技術を覚えると徐々に壊れにくい武器になっていき、愛着も湧いてくる。
それでも次第に劣化していくが、その頃にはもっと高度な武器がクラフト可能になっている。
またCDDAでは持ち物の重量だけではなく容量にも制限があり、ショッピングカートや車に乗せて運ぶことになる(それも重量や鮮度に制限がかかる)し、武器は鞘に収めたり肩に掛けるなどして厳選して持ち歩く必要がある。が、それもそうだと思うのであまり理不尽な気はしない。
武器破壊や個数制限のようなゲーム的な制約がリアリティに寄与せず、単にゲームデザインにのみ寄与しているゲームは苦手だ。
ここでこれが取れる、ここにはこんな敵がいる、ここでこの宝箱をスルーした、世界が広大すぎるので、逐一メモしておきたい。
しかし、細かい情報のメモ代わりに使うにはあまりにも制限がキツい。過去の採取メモ用スタンプを消して新たなスタンプを貼る始末。
スタンプの種類が少ないので常に☆を使うことになり、何のメモだったのか思い出せないのも辛い。
とにかく、採取したいアイテムがどこにあるのか分からないので結局攻略サイトを頼っている。攻略サイトも見やすいわけではなく、情報処理に精神リソースを食われて辛い。
攻略サイトを使わないようにすると記憶力に頼ることになりそれもメンタルをゴリっと削っていく。
と言って、出来は良いのだ、明らかに。
グラフィックやマップデザインは綺麗だし、文句が多い雨や落雷のシステムは自分はかなり好き(クライムシリーズはジャンプより雨滑り軽減が良かったな)だし、これだけ広大なワールドのゲームで、一体一体のザコ敵との戦闘アクションがしっかり設計してあるゲームは珍しいかもしれない。ザコ敵との戦闘の方が戦略性の面で戦い方が決まっているボスよりも楽しい。
ただただ、自分がそこまで3Dアクション得意ではないので満喫できているとは言い難いが。
ここまで書いてきて、アタマが柔らかい若者であればこの情報処理濃度に疲弊することなく、ついていけるのかもしれないと思ったりもしなくもない。
2DゼルダやDSゼルダを満喫した世代、悪口言われることの多いタッチペンアクションで射的の最高記録に延々挑戦していたのも今は昔。もう、ゲームが要求する情報処理能力についていけなくなっているということかもしれない。
ティアキンはビルド要素が楽しそうではある(ティアキンをやるためには予習が必要になるかと思い、今回またブレワイを最初からやってみた)が、どうやら自分の冒険はここまでのようだ。
オタクわい、ラストマイルで製作陣から業界問題の物語への落とし込みをくらって、えらい目に遭いました……
さすがですほんと……見事すぎる。
現実のいくつもの問題を、エンタメとして質を犠牲にせずに誇張も矮小化もせずに書いている。
ロジスティクスセンターとはあまり関わったことがなく、運送会社側の話が多くなりますが、物流業界の問題という視点で個人の感想を書いておきます。
止まらない社会の流れ。本作では誰かの辛さ、誰かの欲望、誰かからの圧力が止まらない連鎖となって事件が起こり、このメタファーとしてベルトコンベアを据えているのが印象的でした。
映画の序盤で、羊急便のドライバーが賃金について触れる場面が何回かありました。
(「1個運んでいくらだぜ」、「いくら運転しても荷物受け取ってもらわなきゃ金もらえない」、「配送止めた分の運賃は……」という呟き)
平均賃金が他業界より2割低く、平均労働時間が2割長いのが物流業界です。
特に最近は残業時間にも規制がかかり、長く働きにくくなることから残業でも稼ぎにくくなってきており、ますます人手不足にも拍車がかかっております。
ドライバーの給与を上げればよいのでは、という問いの回答は、給与は結局荷主(荷物の依頼主、映画だとDailyFast)が払う運送料から払われ、その運送料が上がりにくいのは映画のとおり…
そしてその結果、緊急時でもリソースが集められないという事態になるわけで、終盤の八木さんのタバコシーンが一層やるせなかったです
以下は補足なので流し読みでも。
ドライバーの給与は運送会社によってだいたい以下が代表的だと思います。
①歩合制
②日給(時間給)制
シンプルなところだと歩合制すらなく固定給ですし、複雑なところだと歩合も複数の要因から組み合わせて構成されます。
歩合制の代表的なものは、映画に出てきたような1配達いくらというもの。ほかにも時間や距離でいくらというものなど。
以前は時間制が主なところも多かったようですが、俗に言う2024年問題、残業時間の規制が強くなり、ドライバーに時間で稼ぐより成果で稼げるようにして残業時間の低下のモチベーションを上げる取り組みが増えてきています。
また、映画中の運送会社である羊急便はロジスティクスセンターの荷物を個人に届ける画一的な配送が多かったようですが、実際には荷役と呼ばれる作業(配送前後の積み込み荷下ろしやパッキング、棚入れなど多岐に渡り、これもこれで問題が山積してるのですが…)が課せられることもあったり、資格が必要な配送があったりというケースもあるので、そういったケースごとに歩合を出している会社もあるようです。
映画中盤で、荷物のチェックのフローを運送前に組み込まなければならず、医薬品の配送が滞り、どこにあるのかを追おうとしてFAXで追えない!?というシーンがありました。
また、慌てふためく事務所に大量の紙書類。チラリとボカシで見えるExcelのような画面。
これもすごく胃が痛くなった……
トラック業界で働く人間の45%以上は40代以上、29歳以下は10%以下。
事務員もドライバーあがりの場合もかなりあります。経理系は女性は若い方もいますが、特に配送手配、計画系はことさらベテランのドライバーあがりも多く、PCのキー操作もおぼつかない人も一定数います。
また、忙しい際は事務員や所長自ら配送に出る場合もあり、そうなるとメールすら満足に見れないわけで、未だに電話やFAXがはびこる業界になっています。
また、自拠点がPCを使いこなせたとしても、連絡先の拠点(や、他の協力関係にある他の運送会社、倉庫など)も使いこなせない限りはアナログでの連絡は残ります。
ただ、羊急便はある程度大きな会社ぽかった(本社でなくてもそこそこの事務人員がいた)ので、これを機に改革しようと思えばある程度は融通を利かせられるかもしれません。
映画を通して、様々なストレスがDailyFastと羊急便に押し付けられます。
警察からの捜査協力要請、DailyFast上層部からの売上の圧力、受取り手からの荷物が届かないクレーム。
そして羊急便にはDailyFast西武蔵野ロジスティクスセンターからの、責任と、低料金の負担の押し付け。
同じ物流業界でも、仕事を渡す側と仕事を貰う側、つまりはお金を払う側と払われる側、お客様側とサービス提供側という立場の差がこの押し付けにあります。
特に羊急便は6割の仕事をDailyFastから貰っており、これを切られるというリスクがある以上常にイニシアチブをDailyFastが握っています。
また、賃金の交渉をしようにも、そういった立場差の他に競合企業の存在もあります。
運送会社の提供するサービスとは、物をある場所からある場所に運ぶこと。他社との差がつけにくいのです。
(もちろん資格や特殊な車両の必要な荷物の扱いや、積み下ろし後の作業など、独自の価値を提供して差をつけようとしている会社もあります)
そのため、依頼主からの要求を受け入れなかったり交渉しようとすると、簡単に切られてしまう可能性があり、ドライバーや社員を食わせていけなくなる。
八木さんの、本社からの電話にキレるシーン。DailyFastにばかり依存して、おまえらが安い金額で請け負うから……という話の背景にはそういった事情もあるのではないかとおもいます。
そして終盤のストライキ報告時の、「脅しは立場が上の者が下の者にやること、これは交渉です」という言葉。
すべき交渉を、かれらはやり切りました。
このストライキの裏には、中盤の医薬品のように、その間「届かない荷物」の存在があることを忘れてはいけません
ストライキをしたドライバーたちは、運んだ先の相手の、「医薬品が届かなかったときの困る姿」も「備品が届かなくて仕事が進められない姿」も、「誕生日プレゼントが届かなかったときの悲しみ」も容易に想像できるし、届けることの責任と喜びも知ったうえでその選択を選んだ、あるいは選ばねばならないのですから……
私個人としては、SNSで賃金の愚痴を言う人が増えたこの社会で、もっとストライキは起こっていいと思うのですけど。
また、それを支えるのは羊急便以外の(おそらく大手の)運送会社の連名意見書でした。
運送会社では、荷物が溢れたときに他の会社に溢れた荷物を頼んだり、頼まれたりする協力関係も、競合関係の他に持ち合わせています。
これはこれで多重下請け構造の発生などのよくない側面も持ち合わせているのですが、今回は運送会社としての連帯感がこの会社間に作用したように見えます。
正直胃のキリキリとやるせない感情で本当に爆泣きしてしまってところどころの記憶が曖昧です。こんなはずでは……久々の伊吹藍の供給だぞ……
でも胃が本当に痛くなるのでしばらくは見られなそう……助けて……
本当に、10年後どうなっているんでしょうね
どう、変えられるんでしょうか
オタクわい、ラストマイルで製作陣から業界問題の物語への落とし込みをくらって、えらい目に遭いました……
さすがですほんと……見事すぎる。
現実のいくつもの問題を、エンタメとして質を犠牲にせずに誇張も矮小化もせずに書いている。
ロジスティクスセンターとはあまり関わったことがなく、運送会社側の話が多くなりますが、物流業界の問題という視点で個人の感想を書いておきます。
止まらない社会の流れ。本作では誰かの辛さ、誰かの欲望、誰かからの圧力が止まらない連鎖となって事件が起こり、このメタファーとしてベルトコンベアを据えているのが印象的でした。
映画の序盤で、羊急便のドライバーが賃金について触れる場面が何回かありました。
(「1個運んでいくらだぜ」、「いくら運転しても荷物受け取ってもらわなきゃ金もらえない」、「配送止めた分の運賃は……」という呟き)
平均賃金が他業界より2割低く、平均労働時間が2割長いのが物流業界です。
特に最近は残業時間にも規制がかかり、長く働きにくくなることから残業でも稼ぎにくくなってきており、ますます人手不足にも拍車がかかっております。
ドライバーの給与を上げればよいのでは、という問いの回答は、給与は結局荷主(荷物の依頼主、映画だとDailyFast)が払う運送料から払われ、その運送料が上がりにくいのは映画のとおり…
そしてその結果、緊急時でもリソースが集められないという事態になるわけで、終盤の八木さんのタバコシーンが一層やるせなかったです
以下は補足なので流し読みでも。
ドライバーの給与は運送会社によってだいたい以下が代表的だと思います。
①歩合制
②日給(時間給)制
シンプルなところだと歩合制すらなく固定給ですし、複雑なところだと歩合も複数の要因から組み合わせて構成されます。
歩合制の代表的なものは、映画に出てきたような1配達いくらというもの。ほかにも時間や距離でいくらというものなど。
以前は時間制が主なところも多かったようですが、俗に言う2024年問題、残業時間の規制が強くなり、ドライバーに時間で稼ぐより成果で稼げるようにして残業時間の低下のモチベーションを上げる取り組みが増えてきています。
また、映画中の運送会社である羊急便はロジスティクスセンターの荷物を個人に届ける画一的な配送が多かったようですが、実際には荷役と呼ばれる作業(配送前後の積み込み荷下ろしやパッキング、棚入れなど多岐に渡り、これもこれで問題が山積してるのですが…)が課せられることもあったり、資格が必要な配送があったりというケースもあるので、そういったケースごとに歩合を出している会社もあるようです。
映画中盤で、荷物のチェックのフローを運送前に組み込まなければならず、医薬品の配送が滞り、どこにあるのかを追おうとしてFAXで追えない!?というシーンがありました。
また、慌てふためく事務所に大量の紙書類。チラリとボカシで見えるExcelのような画面。
これもすごく胃が痛くなった……
トラック業界で働く人間の45%以上は40代以上、29歳以下は10%以下。
事務員もドライバーあがりの場合もかなりあります。経理系は女性は若い方もいますが、特に配送手配、計画系はことさらベテランのドライバーあがりも多く、PCのキー操作もおぼつかない人も一定数います。
また、忙しい際は事務員や所長自ら配送に出る場合もあり、そうなるとメールすら満足に見れないわけで、未だに電話やFAXがはびこる業界になっています。
また、自拠点がPCを使いこなせたとしても、連絡先の拠点(や、他の協力関係にある他の運送会社、倉庫など)も使いこなせない限りはアナログでの連絡は残ります。
ただ、羊急便はある程度大きな会社ぽかった(本社でなくてもそこそこの事務人員がいた)ので、これを機に改革しようと思えばある程度は融通を利かせられるかもしれません。
映画を通して、様々なストレスがDailyFastと羊急便に押し付けられます。
警察からの捜査協力要請、DailyFast上層部からの売上の圧力、受取り手からの荷物が届かないクレーム。
そして羊急便にはDailyFast西武蔵野ロジスティクスセンターからの、責任と、低料金の負担の押し付け。
同じ物流業界でも、仕事を渡す側と仕事を貰う側、つまりはお金を払う側と払われる側、お客様側とサービス提供側という立場の差がこの押し付けにあります。
特に羊急便は6割の仕事をDailyFastから貰っており、これを切られるというリスクがある以上常にイニシアチブをDailyFastが握っています。
また、賃金の交渉をしようにも、そういった立場差の他に競合企業の存在もあります。
運送会社の提供するサービスとは、物をある場所からある場所に運ぶこと。他社との差がつけにくいのです。
(もちろん資格や特殊な車両の必要な荷物の扱いや、積み下ろし後の作業など、独自の価値を提供して差をつけようとしている会社もあります)
そのため、依頼主からの要求を受け入れなかったり交渉しようとすると、簡単に切られてしまう可能性があり、ドライバーや社員を食わせていけなくなる。
八木さんの、本社からの電話にキレるシーン。DailyFastにばかり依存して、おまえらが安い金額で請け負うから……という話の背景にはそういった事情もあるのではないかとおもいます。
そして終盤のストライキ報告時の、「脅しは立場が上の者が下の者にやること、これは交渉です」という言葉。
すべき交渉を、かれらはやり切りました。
このストライキの裏には、中盤の医薬品のように、その間「届かない荷物」の存在があることを忘れてはいけません
ストライキをしたドライバーたちは、運んだ先の相手の、「医薬品が届かなかったときの困る姿」も「備品が届かなくて仕事が進められない姿」も、「誕生日プレゼントが届かなかったときの悲しみ」も容易に想像できるし、届けることの責任と喜びも知ったうえでその選択を選んだ、あるいは選ばねばならないのですから……
私個人としては、SNSで賃金の愚痴を言う人が増えたこの社会で、もっとストライキは起こっていいと思うのですけど。
また、それを支えるのは羊急便以外の(おそらく大手の)運送会社の連名意見書でした。
運送会社では、荷物が溢れたときに他の会社に溢れた荷物を頼んだり、頼まれたりする協力関係も、競合関係の他に持ち合わせています。
これはこれで多重下請け構造の発生などのよくない側面も持ち合わせているのですが、今回は運送会社としての連帯感がこの会社間に作用したように見えます。
正直胃のキリキリとやるせない感情で本当に爆泣きしてしまってところどころの記憶が曖昧です。こんなはずでは……久々の伊吹藍の供給だぞ……
でも胃が本当に痛くなるのでしばらくは見られなそう……助けて……
本当に、10年後どうなっているんでしょうね
どう、変えられるんでしょうか
理由は家庭の事情。私が請け負える範疇を上回ると判断し、別れ話を切り出した。
相手には如何ともしがたい理由で別れを切り出すことは人道に反すると思い、
別れるまではいかに相手の心の傷が少なく済むか、その手順にばかり注視していた。
さて、私の配慮が功を奏していたかは不明だが、とにもかくにも、私は別れた。
私は過去に何度か別れ話は経験があり、私自身の心の持ちようとしては過去と同様の経過を辿ると思い込んでいた。
すなわち、二週間ほどグッと抑うつ傾向になるけど、時間経過とともに治っていると。
しかし、今回のケースは別れてからしばらくたっても、未練タラタラで、まったく改善する気配がない。
その原因を考察すると、今回は相手に対する好意が残っていながら、事情ゆえに別れることになったという件で過去の別れとは異なっていた。
別れるタイミングで冷め切っていない状態というのが初めてであった。
いざ別れてみると相手に対する執着が自分の中に眠っていたことを痛感した。
痛感した後、酷く自己嫌悪に陥った。
相手の背負ったキツさと比較して、私の背負った痛みなど矮小であるにもかかわらず、
久しぶりに夜の繁華街に出掛けたらかわいいね的な声掛けを受けた。ナンパ目的じゃなくキャットコールの類いだと思うのだけど小さい頃から全然他人にそういう言葉をかけてこられなかったのでそういうのでさえちょっと嬉しくなってしまう自分が気持ち悪い。
親戚が多かったのだけど男が多く、女はすごく年上が数人と同い年が1人いた。その同い年が小さな頃からかわいくて向こうの親が自営業で収入も不安定だからということで祖母がえらくかわいがっていたのはうっすら覚えている。自分に対してはまあ幼子特有のかわいさはあるよね!化粧を覚えたら女は変わるし!な雰囲気をずっとずっと感じていた。
そんな自分はある程度の年齢になっても身なりを整える発想が出てこず、典型的なオタクになっていたのだがその頃すでに同い年の親戚は化粧を覚えてかわいさに拍車がかかっていた。親戚の集まりに行けば比べられるから行きたくないなと思う頭はあるのに、身なりを整えることはしなかった。整えたところで笑われて終わりだと思っていたから。
そこから更に時を経て、社会人になって身なりもそれなりに整えられるようになってから出来た友人は自分を褒めてくれるので昔ほどコンプレックス大暴れは収まってきたが、今でもコンプレックスは背中に張りついているのを感じてる。
祖母はとっくに亡くなっているのだが墓守は私が任されているし、かわいかった親戚は両親こそ亡くなったが幸せに暮らしているしなんか毎回飲み込みきれないモヤモヤを抱えてブス根性でこのまま生きていくんだろうなーと、ふと思っただけの話である。
毎年同じ内容を投稿しているが、今日広陵と明徳義塾が登場するので、このタイミングで修正して再投稿。
日本の高校野球の歪さとして、酷暑の開催と過密日程はよく言われるところだが、もっとも深刻なのは私学強豪校の過剰な部員数であると思う。広陵は150人、明徳は108人を抱えている。他にも鶴岡東や聖光学院などが100人を超えている。大多数が通学圏外の「野球留学」の選手である。
周知のように現在は超少子化の時代で、子供におけるスポーツとしての野球に対する人気もサッカーやバスケのはるか後塵を拝するようになっている。にもかかわらず、甲子園に出ている私学強豪校は、現在でも100人を超える部員を通学圏外からかき集めるという、子供の数が多くてスポーツといえば野球が王様だった時代にかろうじて許されたやり方を、最近にもなってもむしろ加速させている。
その結果として何が起こっているかは想像の通り。地元では有名だった中学生の野球選手が、通学圏外の部員100人超えの強豪校に進学して3年間公式戦に出ることもなく補欠やスタンド応援要員のまま(最悪の場合中退)である一方、その選手の地元の公立校は部員数の不足に悩まされ、弱体化に拍車がかかって連合チームになったりしている、という風景が広がるようになっている。かつては甲子園常連だった名門公立校も、部員100人超えの新興私学に太刀打ちできなくなっている。
こういう話をすると、「選手の自由だ」という反論が返ってくる。しかし、試合に出て活躍することよりも、補欠やスタンド応援でも甲子園常連校に在籍していたことのステータスを選択する自由とは、一体何なのだろうか。そんな選択はそもそもおかしいのではないか、と親や教師はアドバイスしなければダメだろう。そして、私学強豪で3年間補欠だった選手が、卒業後に大学や企業チームで活躍している例は残念ながらほぼない。選手の実力を成長させるのは、練習以上に試合の経験なのである。
甲子園出場経験のない地元の高校で活躍し、注目されて上のレベルに進む例の方がまだ多い。例えば阪神の大山と佐藤は、それぞれつくば秀英と仁川学院という甲子園未出場の地元の高校に進学し、そこで目立つことで野球の強い大学に進学することができた。部員100人超えの私学に進んでいたら、試合に出る機会すらなかなか恵まれなかった可能性が高い。
2010年代以降、予選の参加校数も減少の一途をたどっている。にもかかわらず、現在でも部員100人超えの私学校が減っているように見えない。私立高校のエゴイスティックな経営戦略のために、日本全体の野球文化が掘り崩されていると言っても過言ではない。
増田がめいろまの優生思想を肯定しているわけではないのはわかるが、
日本の選手が強くなったり、最近の子達が美形でダンスや勉強もうまいというの、あれ日本で80年代以後は見合いが激減したのが原因かもな。能力がない、金がない、不細工は結婚できなくなって、優秀な人間だけが自然選別で結婚して子供を産むようになった。多分これ結構あたってると思うんだよ
ある快挙を無理やり優生学的な原因で説明しようとするのはモロに優生思想でしょ。例えば日本のスポーツ選手が強くなり、オリンピックで優れた成績を残せるようになったのにお見合いの激減など効いているはずもない。はてな民からしたらめいろまなんか真に受けるなよといいそうだが、最近こういうなんでもお手軽に優生学的な理由を求めようとする人間が増えている気がするので真面目に反論しておく。
これはズバリ森喜朗のおかげ…もといtotoのおかげである。森喜朗もJリーグも好きではないが、今日の国際大会での日本勢の活躍の一因は間違いなくこのスポーツ予算にある。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14462004.html
totoの売上からは"毎年"200億くらいの予算がスポーツ振興に安定的に投下されるようになっている。メジャースポーツからしたら大した額に見えないかもしれないが、これにより従来個人の趣味の域を出ずスポンサーもつかなかったマイナースポーツへも強化予算が割り振られるようになった。パリオリンピックでの躍進目覚ましいフェンシングの分析をしたものが以下のツイートである。
Sato Josuke (Jose Sato)
@soccer_kozou013
いつの頃からかは不明なのですが、味の素トレーニングセンターに作られた広い練習場で定期的に候補選手の強化合宿が開かれていたり、学生の選手で将来有望だとみなされた選手のトレセンが頻繁に行われています。太田雄貴さんの活躍によりそれにさらに拍車がかかった印象です。
一昔前なら、フェンシングのようなマイナースポーツ(失敬)の国立トレーニングセンターなど想像もできなかっただろう。ちなみにスケボーも2017年からJOCに加盟しているのでそれなりの予算が出されていると思う(たぶん)。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/images/3980a.gif
こんな感じになっており、言うまでもなく90年代からの増加は女性選手のおかげであることは明らか。日本の男女平等は完全には程遠いが、宗教や経済的理由により女性がまともにスポーツをできない国はまだまだ多く、それらの国々に比べればまだマシであるおかげと言える。
80年代からお見合いが減ったといえ、今のスポーツ選手はその世代の子供にあたり、たかだか1世代しか経過していない。そのような少ない世代での効果などたかがしれている。さらにお見合いがなくなった80年代の価値観で言えば、男性の魅力は経済力という時代なのでスポーツ能力とは全く関係がない。スポーツができてモテるのはせいぜい中学生までくらいのものだろう。
品種改良をしようとするのなら優れた形質を持つもの同士を交配し、さらにその子孫もその形質で選抜しつつ交配を繰り返さなければならない。たかだか1世代経済力で選抜したところでスポーツ能力など上がりようもないのだ。(「最近の東大生は選抜されているから美男美女が増えた」というのも同レベルの寝言だろう)
人の意見に毀誉褒貶があるのは当然なので、反論したいわけではないですが、誤解は解いておきたいので追記します。
これはその通りで私の言葉足らずでした。ああいうのは優生思想そのものではなく、優生信仰とか優生信者とか優生陰謀論とかそういうのが正しいですね。
これもそのとおりです。増田は別に遺伝要素や環境が引き継がれる要素まで否定するつもりはないです。優生学にも科学的な要素はあると思っています。ただそんなにね、1,2世代ゆるふわな身体能力と関連性の薄いセレクションしたくらいで身体能力上がるわけ無いだろ!安直に優生思想で説明するな!遺伝学なめるな!と言いたかっただけです。
理論的には、特定集団を隔離して交配と選択を繰り返せば一定の形質をもった新たな品種を生み出せる、というのは育種学的に見れば当然の話だし、あるいは大集団でゆるい選択を長いあいだ続けることによって平均値を緩やかに変えていく、みたいな可能性はあり得ます。例えば木村資生博士はこの後者の可能性を提案しています。
という問題があって、具体的には2番めの点については木村先生はほぼ自明に賢いものを優遇しようと提案されていますが、目下の少子化で消滅がほぼ確定しつつある日本を見ると賢い人間よりマイルドヤンキーみたいな方が優れた形質なのでは無いかという気もします。家畜の場合「肉が多い方が良い」「産卵個数が多い」など具体的に目標を決めることができますが、人間の場合望ましい形質というのはそんなに簡単には決められないでしょう。(ただ木村先生の活躍された時代は少子化ではなく人口爆発が懸念されていた時代である、ということは背景にあります)
3点目もこれに関連していて、例えば「外見が優れている」価値観の中身などはすぐに変わり得るということです。平安美人は今の美人とかけ離れている…などと持ち出さなくても、イケメンの定義でも昭和と令和では全然違うという現実があります。石原裕次郎や高倉健は今の時代では顔の濃いおっさんフェイスだし、今風の顎が細く中性的なK-POPアイドル的容貌は昭和の時代では気持ち悪いカマホモ野郎扱いでしょう。高々30年(=1.5世代)程度あれば人の価値観はあっさり変わってしまうものなのです。
結局の所「優生学」にも科学的な部分はあるがその部分は「育種学」と呼ばれるものであり、このあたりの関係は「脳科学」と「脳神経学」みたいなものではないかと思っています。
Twitterのアカウント見てりゃわかるんだけど「弥助は伝説の侍!!!それに反対派は白人のレイシストだけ!!!日本人は全員アサクリ楽しみにしてるぞ!!!」って鼻息荒く主張してる海外の層って大多数が黒人アカウントなんだよ。
なんというか、こう、、、、きつい。今まで自分たちの人種が主人公のゲーム作品なんて滅多になかったからどうしても弥助庇いたくなっちゃうんだろうなって思う。
黒人で歴史的に有名な武将なんて殆どいないから、物事を冷静に見れず、弥助を戦場を駆け巡った立派な戦士だと妄信しちゃうんだろうなって思う。それが側から見ててすっごい哀れできっつい。
アサクリのゲーム喜んでる層って大体アニメ好きの親日家なんだよ。それが弥助関係のキツさに拍車をかけてる