はてなキーワード: 至上主義とは
これはあくまで脳の中身の問題であって、頭蓋骨の大きさがどうでも変わらないのかもしれないが
でも単純に考えたら比例しそうに思えるよね
「安室ちゃんの頭は握り拳くらいしかない」「マイクと変わらない小ささ」「おにぎりくらいしかない」
顔が小さい(頭が小さい)=美しい、優れている、が当たり前になっている風潮が
本当に違和感
いつの頃からか言われるようになった小顔至上主義って、脳の容積を下げて日本人の頭を悪くするための陰謀なんじゃないのかって思ってしまう
破壊的で反社会的な行動を繰り返す若者は脳が小さいことが研究で判明
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gigazine.net/news/20240719-youth-conduct-disorder-brain-structure/
努力至上主義のアホには努力してれば夢は叶うって言葉がどれだけ嘘八百か分かりやすく説明しないとあかんやろ?
どう考えてもアラフォー無職底辺絵師なんて知的レベルもお察しなんだから小学生でも理解できるレベルの話の組み立てしないと理解出来ないだろ。
日本型の方が凡人には有利だとか、新卒至上主義に反対する人は自らを有能だと思っているとかの決め付けが理解できない。
自分を有能だなんて思ってる訳ないじゃん。そんな烏滸がましい。
寧ろ日本型こそ凡人には厳しいと思うが。だって学生時代の一時期に就職活動をして、大手に就職しなければ人生終了なんだから。めちゃくちゃシビアだし、気を抜く暇もない過酷な人生じゃん。
一方ジョブ型ならば卒業後何年もかけて追い付く事が可能なんだから、ゆっくりのんびり出来て、ジョブ型の方が凡人にも優しいと思うよ。
retore
retore 日本型のほうが明らかには凡人には有利で,何故かブクマカ諸氏は自分を「有能側」に置いて色々語るのは何なんだろうな.俺もお前も大概凡人だぞ.まずそこから降りろ.
ジョブ型になったら若者は就職出来ないぞ、こんなに失業率が高いぞ、ジョブ型になったらこんなに悲惨だぞ~って脅してくるけれど
じゃあヨーロッパでは若者は永遠に上へ上がれないの?中高年になっても無職なままなの?
じゃあ恋愛や出産する余裕もないだろうから、さぞかし日本以上に少子化が進んでるんでしょうね
…って普通に考えたらそんな訳なくない?
そんなんで社会が成り立ってる訳ない?
新卒至上主義批判への反論としてよく出てくる言い分なんだけど、
「若者」である時期なんて人生のほんの一時期なんだし、その時期だけ不利でも別によくない?寧ろ誰にでも若い時期はあるんだから平等といえるだろう。
若いうちはみんな非正規、スキルを積んで正規に上がっていくというシステムならば
貧乏なのはみんな同じだから、未来に希望が持てるし結婚や出産子育てへのハードルも下がるだろう
逆に新卒至上主義社会だと新卒で大企業の正社員になれば適当にやっててもその後の昇給は保証されているのでやる気を失うし
https://togetter.com/li/2402260
撮った人がプロすぎるし全部マニュアル(オートフォーカスもOFF!)なので参考にならない
そもそもプロはマニュアルしか使わないしプロユースとして使いやすいかどうかという視点しか持ってない
実際にデジタル化以降のメニュー画面等の操作系はSONYが圧倒的に良い(他が弱すぎるのもあるが)
他のメーカーはセンサーの供給を受けてるけどCanonは独自センサーを使って頑張ってる
そのせいもあってダイナミックレンジ(撮影できる暗所と明所の幅)が狭くてこんな感じの白飛び黒潰れ写真になりがち
ただ、今はその辺も改善されて他社とほぼ同じレベルになってるので
この前のWebサイト画像問題でも炎上したPanasonicだけど実際にあんまり力を入れていない
そもそもプロユースしている人はほぼ皆無で一般人向け家電に振り切っている
ネタとして手振れしてる画像になってるけど、これは「一般人は手振れしがちだよね」という意味合いが大きくて
Panasonicだから特段手振れしやすいとかそういうわけではない
まぁ会社の歴史的にもそりゃそうなんだけどもはや画像処理でどうとでもなってしまっているのが悲しいところ
昔は「フィルムっぽい写真が撮れますよ!」とアピールしてたけど
芸術系にたまにいる印象
オリンパスといえばPENでミラーレスカメラの先駆者となったイメージだけど
個人的にセンサーサイズ至上主義には反対なのでマイクロフォーサーズで頑張って欲しいけれど
まぁ市場的に無理だろうと思う
とはいえ画像の通りOLYMPUSは医療機器メーカーであってついでにカメラを出してるので
別に売れても売れなくてもいいんだろうな
昔から「動体はCanon、静止物はNikon」と言われたようにNikonはAFが全然ダメ
レンズが良いから写りはいいんだけどピンボケしてると台無しになる
とはいえ前述したようにプロはどうせマニュアルしか使わないのでプロユースではCanon、Nikonの二極化が起きてたけど
ミラーレス化にはCanonより先に成功し(Nikon 1は無かったことにされたが)
クビをかけて取り組めっていうのもちょっと厳しい気はするけど、つまるところそういうことだね。
うちの研究室もぱっと見は何やってるかわからないし短期的な利益に結び付かないんだけど、アウトリーチをどうするかは結構真剣に悩みながらやっていて、
そんな中でどう見ても無駄金使ってそうな人たちが基礎研究は大事の一点張りで、他所の成果を持ち出して基礎は大事だ100年後はどうだと説明しているのを見るとちょっと腹立ったりはするよ。
根拠もなく100年後の話をして説得できると思ってる時点で世間と感覚がズレすぎで、そういう人が多いからどんどん市民感情と対立が深まっていってる気がする。
政治側の理屈を混ぜすぎたから今の惨状があるとは思っていて、経済至上主義でやるなら大学とか研究所で全部会社でもできる研究をやることになってだめだと思うんだけど、
それ相応の説明とかは常に必要だし、そういう説明をきちんと作れてないグループなんかは研究業界全体の足を引っ張っている自覚を持ってほしい。
説明が作りにくい分野はもちろんあるんだけどさ。なんかそういうところに限ってふんぞり返って100年後がどうとか言ってるんだよな
こういう話すると拝金主義だなんだみたいに言われるけどさ、先に拝金主義的な動きをしてきたのはユーザーじゃね?
散々ゲオやブックオフに手数料払って同じゲームをぐるぐる循環させてさ、メーカーには全く金払ってこなかったくせに「なんでスマホゲーばっかり作るんだよ!」ってそりゃお前らが商売をぶっ壊したからだろ。
買えよ。
発売日に定額で買えよ。
なにが分割商法やねん。
追加コンテンツ作るのにかかったコスト回収出来なきゃ会社員のクビは回らねえよ。
マジでアホすぎるだろ。
リリースから何年もしてからセールで半額だけ払った奴が「俺はちゃんと金払って遊んでるなあ」みたいな顔するのちょっとおかしいからな。
発売日に定額で買えっての。
ソシャゲがこんなに増えたのは一部のプレイヤーが何十万も課金するからっていうのは迷信なんだよ。
実際にはロングテールで売上が維持されているから商売が成立してるパターンが多い。
買い切りに無課金乞食はいないみたいに思ってるかもだがな、普通におるから。
友達から借りて遊ぶとき会社には1銭も入らないし、中古屋で買うときも一緒だよ。
アメリカの世界での行動を一言で要約するなら「貿易は水のように滞ることなく流れるべき」ということだ。
アメリカは世界貿易に重点を置いた国だ。彼らは金儲けをしたい。
貿易で儲けられる金が多ければ多いほど良い。貿易の障害が少なければ少ないほど良い。
アメリカの軍事力は全てが貿易の障害を取り除くための手段であり、主に海賊、軍閥など、貿易の主要航路を独占して通過に高い税金をかける(貿易を邪魔する)存在からルートを守るためにそれを使う。
世界中のどこにアメリカ軍の基地があるのか地図で見ればよくわかるが、すべて重要な航路上にある。
これは社会問題に関して左翼的な見解を持つという意味で一般的に使われる「リベラル」ではなく、簡単に言うなら自由貿易至上主義であり、アメリカの中枢にいるのは実はこいつらである。
彼らはロシア、中国、インド、その他の大国と教条的に対立するよりも、貿易する方がアメリカにとってはるかに利益になると主張している。
対立とそれに伴う締め出しは市場の喪失につながるからだ。これらの国の平均的な国民が高価なアメリカ製品(ハード、ソフトは問わない)を買えるほど裕福になり
アメリカがそこからより多くの金を儲けられることの方が、彼らが市場を失うことよりもアメリカにとって利益になる。
先日、イスラム過激派のISがロシアでテロを起こす前、アメリカが事前に警告していたことを覚えている人はいるだろうか?それもこの文脈の中にある。
彼らが本当に問題視しているのは、ロシア自体ではなく、ロシアが反米的であることだ。
アメリカの意図を「貿易は水のように滞ることなく流れるべき」という考え方に置くと、彼らの行動のすべてが理解できるようになる。
経験談と運動至上主義ガーというがダイエットする奴で上手く行かない奴らって漏れなく生活を見直して継続出来ない奴なんだよね
理屈としては食わないで運動してたら痩せるだけなんで、最終的に食事制限と運動が一番金がかからず痩せられる
俺は糖質制限したけど金だけかかって大して痩せなかったので、食事制限と運動に切り替えたら90キロのクソデブから30キロ以上痩せてダイエットに成功したし体型キープ出来てるよ
ダイエット情報って経験談と運動至上主義ばっかで嫌いなので、一旦頭の中を整理します。
以上ふまえて実際に鶏ささみ食べ続けたうえで体脂肪率0%になるために必要な期間と費用をAI様に計算させると
「必要な期間: 約302日(約10ヶ月)総費用: 約277,840円」とのこと。
こういうのってほんと害悪だと思う。
152cmキンタロー。153cm人気女優との共演にファン二度見「遠近法ですか?」「脳がバグっちゃう」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e1a8077c96f81eda6f38c074278cefb9babb5327
当人が気にしてないからいいとかそういう問題じゃないと思うんだよ
こういう記事が出回る事によって、同じように顔の、頭の大きい女性に対し、自分はこうやって嘲笑われて当然の劣った存在なんだという価値観を刷り込むんだよ
いい加減、自虐は当人だけでなくて同じ属性の第三者も傷付けるという観念が広まるべきだと思う。特に容姿に関しては。
メディアは若い女性の痩せ願望や整形依存を問題視するならまずはこういう記事を徹底排除しろよ
この記事に限らず、女性の顔を並べて写真を撮って「公開処刑」と騒ぐ風潮はずっと前からあるし。
同じ事を『黒人』や『障害者』でやったら駄目だって分かるくせに、どうして日本人の普通の女に対しては当たり前のようにやっちゃう訳?
で、こういうふうに顔の大きさで侮辱し、劣等感を植え付けられた女性は子供を産まなくなるんだよね。
一重まぶたと違って整形でもどうにもならないし。
小顔でなきゃ駄目、ブルベ色白じゃなきゃ駄目、骨格ストレートでは駄目、と、要求される水準が上がりすぎてて、「良いとされる容姿」の範囲が狭すぎる。
内面においては「発達障害」「グレーゾーン」と診断されるハードルがどんどん下がってる
この社会において、「存在していい人間」の範囲があまりに狭まり過ぎて、自分なんかの遺伝子を受け継がせたくないから産まないという人が増えて当たり前なのに
今のこの小顔至上主義が続くなら、佐々木希だって当人は良くてもその子供達が父親に似てたら多分結婚出来ない事だろう
あと、分からないのはフェミニストの人達もこういう小顔至上主義に対しては何も言わない点だな
この人、たぶん何か勘違いしている。たとえば1社目の『業者間で「安く買い取り」で済ませよう』というの、これができるには売出し価格が箸にも棒にもかからない高値で、引き合いがまったく来ない状況を作らないと(業者以外の問い合わせが一切ない状況を作らないと)ならないけど、そんな売出し価格の決定は売り主である増田に完全な決定権がある。欲をかいて近隣相場より1割以上高くつけたとかでもない限り売れるかはともかく引き合いくらいあるので、業者が安値で買い叩く出番もない。(なお一括査定サイトの一番上のやつだとそれ自体が無謀な高値ということはあるので、一括査定サイトなんかを基に売出し価格の決定をしてたらだめよ。)3社目の話にあるようにレインズ掲載情報を確認するくらいの知識があるんだから、1社目でもその確認はしてるんでしょ?それに問い合わせ状況の連絡だって貰っているはず。
専任媒介契約は別に悪くない。たまに数社で競争させた方が各社競い合って必死に買い手を探してくれるなんていう、インセンティブ構造を考えないでただ競争させたらいいと思う競争至上主義的な勘違いさんがいるけど、タダ働きになるリスクを恐れて数社全社で放置ぎみに扱われるだけ。競わせて意味があるのは、頑張るコスト以上の利得が与えられているような、インセンティブがちゃんとしている場合に限るんだよ。で、不動産仲介業なんて基本は買い主さんが相談している買い手側不動産会社がレインズを見に来るわけで、売り手側の不動産が必死な営業とかをするものでもないから、頼むのは窓口としての一社で十分。肝腎要の売出し価格の決定は(アドバイスくらいはくれるだろうが)売り主自身でやるものだからどこに頼むか、何社に頼むかはあんまり関係ない。あと専任媒介だと仲介手数料も値切りやすいしね。もちろんちゃんとレインズに登録するのは当然として、しっかり内容を入れた販売図をレインズに載せたり、問い合わせがあった場合の(もしくは問い合わせが通常と比べてない場合の、物件が旬のうちの売出し価格引き下げの提案の)レスポンスいい連絡とか、あるいはスーモ用にある程度の見栄えのある写真を撮ってくれるかなどがあるので、その一社がどこでもいいというわけではないよ。
この文章では、自由と制約という相反する概念を、インターネットという現代社会における重要なテーマと絡めて考察します。
初めて嫌いだなと思うカップリングが出来た。地雷とはまた別。嫌い。キャラは二人とも好きなのにカップリングになると嫌いになる。おそらく組み合わせや解釈の問題ではなく界隈に対する気持ち。
ジャンルは世界一有名な漫画の一つだと思うくらい人気な某漫画。カップリングの組み合わせはどちらかというとマイナー寄り。
なんかね、平成初期の名残がすごいの。
そのカップリングのキャラがどちらも初期から登場しているので、マジで平成初期からキャラ解釈とか描写とか書き手さんたちの嗜好が変わってないのかもしれない。連載開始が平成初期だから辻褄は合う。
原作では主人公の憧れで仲間や友人を大切にする強キャラが何故か、受け大好き大好きハァハァ受けにちょっかいかける奴は許さねえ(殺)みたいな、受け至上主義変態化セコム化腹黒化闇化の平成初期オンパレードの攻めになってる。今時そんなことある?
原作でそんな描写ないのにしょっちゅう受けのところに行ってて受けから「帰れ!」て拒絶するところから始まる作品がとんでもなく多い。そういうテンプレート配布されているの?ってくらい多い。攻めは拒絶されてもヘラヘラして「素直じゃねえなぁ♡」みたいな感じでグイグイ行く。原作でそんな描写ないのにどうして全員がそういう解釈なのか分からない。
あとビックリするほど攻めの仲間に対する描写がない。あっても「やれやれ」って攻めに付き合ってる。主人公の仲間の父親が攻めの仲間にもいるけど、その仲間は妻の死に目に会えてないのに。そんな仲間つれて自分は好きな人のところにグイグイ行くのやばくないか。
どういうキャラ解釈してるの?それとも本当にテンプレートが配布されてて皆それを使わなきゃいけないとかルールでもあるの?村八分にされるとか?
受けもなんか平成初期のツンデレ受けをイメージしたら多分それがそのままその界隈の受けになる。攻めをキモがりつつなんだかんだ受け入れて抱かれてる。平成初期の受けと違うのは喘ぎ方くらい。最近の喘ぎ声って「お゛♡♡♡♡」みたいな汚気味でハート乱舞だよね。そこは今時だった。
原作ではどちらかというと敵キャラなんだけど主人公と協力したこともあって、キャラクターとして可愛げもあるから憎めない人気キャラだと思う。
でも正直「BLでは珍しいタイプの受けを推してる私♡♡」勢と「ティーンズラブによくある冴えないヒロインが何故か有能でイケメンな男に溺愛されててヒロインは気付いてないor相手にしてないラブコメ」に自己投影してる勢がいる。偏見だけど。
受けにハァハァしてる攻めも実際は書き手が受けにハァハァしてるのを攻めに代役させてるだけの人も絶対にいる。偏見だけど。
ツンデレかどうかは原作だけじゃ判断できないけど白痴はわわ系にしてないだけ誠実かもしれない。まだツンデレツンギレお前のことなんか好きじゃねーんだからな!フン!てしてる方がキャラの方向は合ってる。
ここまで書いて気付いたけどもしかして受け厨が多いのかもしれない。だから攻めのことはどうでもよくて変なキャラ崩壊させているの?え?俄然嫌い。
ぶっちゃけ映画きっかけでそのキャラたちの二次創作読んだから目につきやすかったのかもしれないけど、攻めが救えなかった少女も、受けが一緒に居たら救えた!みたいなif多くてびっくりしてた。
そんなわけなくない?どんだけ攻めに興味なくて攻めsage受けageしたいの?
そんなことしなくても受けはおいしいキャラだし最高なのに。かわいそう。書き手の技量がないと誰かを貶めないとキャラの良さを出せないのね。大変だなあ。
数行前に受け厨って書いたけど受け厨でもないな。「自分が考えた最強の推しキャラ」を当てはめる枠に受けを選んだだけで受けにもそこまで愛はないのかも。
「自分が考えた最強の推しキャラ」≠受けだから、原作より性格良くして、戦闘力も上げて、色んなキャラに愛されてるように捏造する。逆行とか成り代わりとかまさにそれだもの。原作キャラを借りずに一からキャラを作れ。
二次創作検索して人気順に読んで判断しちゃったけど、最近の界隈の作品はまた様変わりしているかもしれない。長寿ジャンルだし人気順だと10年前の作品とかも出てくる。
諦めるのは早計だと思うけど、でももう無理。嫌いになっちゃった。
令和だよ?って言葉も嫌いだけど、流石に思う。令和だよ?
変態化セコム化暗黒化闇化って女体化とか年齢操作並みに特殊設定なのになんで界隈では常識ですって扱いにされているのか。無理すぎる。それが広まって受け入れられている民度。やば。
なんで平成で終わらなかったんだろう。本当に当時から一定の書き手さんがいてずっと続いているなら凄い。でも平成初期の産物は平成で終わらせて欲しい。アップデートって言葉も好きじゃないけど流石にアップデートしろよって思う。そういうセンスってやっぱり年代には勝てないの?
ハマりそうだったのにハマれなくって悔しいし勿体ない。平成初期のカップリング解釈とか王道が合わないことはまったく惜しくないけど。そのカップリングにハマれなかったのは惜しい。
でも今の王道や考え方もいつかは令和初期(笑)と倦厭されるのかもしれない。私もいつかこんな風に嫌われるのかな。時代を越えられなくなる前に消滅したいね。
(原作およびアニメ最新話のネタバレ含みます。次回のアニメで描かされそうな部分はたぶん触れてないはず)
思ったより長くなったので簡単なまとめ
・一部原作ファン界隈の反応をずっと追いながら、ユーフォ3期を見てきた
ユーフォ3期最新話の改編回りがまあまあ話題になっていたので、Twitterの一部原作ファン界隈の反応を観察し続けてきた自分の見てきた光景について、ちょっと書いてみたいなと思った。
ここで書く原作ファン界隈(以下、「原作組」表記)は、原作・作者に対する熱心なファンで、思い入れの強さが「原作>>>アニメ」ってスタンスに見える人たち。
原作既読のファンの中でも濃度や比重はそれぞれだと思うので、あくまで一部界隈に限った反応ということでよろしく。
ちなみに、なんでそんな界隈の反応を観察していたかというと、
自分個人としてもアニメユーフォの2年生編(劇場版「誓いのフィナーレ」 )が原作の良さを台無しにしまくった残念作品だったことで、アニメ版を見る目が以前よりも少ししらけてしまって、比較的共感出来そうな層の感想を摂取したかったからという経緯から。
自分も、おそらく原作組もほとんどが、アニメユーフォ1期の大傑作ぶりに魅了されたのがきっかけで作品のファンになったはずだし、
自分としては今でも、1年生編の範囲に関してはアニメの方が原作より好きなくらいなのだけど、
そんな素晴らしいアニメ1期2期を作ってくれたスタッフなだけに、2年生編の劇場版はホントにがっかりしたのよね・・・。
まず、1~3年生編の中で、2年編が一番群像劇感強くてTVアニメ向けっぽいのに、劇場版の短い尺に押し込めたせいで構成が歪になり、大事なシーンもカットされまくったこと全体がとにかく残念だった。
それに、尺が短い中でやらなきゃいけないという前提を汲んでもなお、省略されたことや改変されたことが許容できないシーンが数点あった。
特に一番大きいのが、秀一と久美子の交際停止タイミングを関西大会前に変えて、理由もなんかふわっとした感じにしちゃったこと。
原作だと、タイミングはラストの関西大会敗北後。気丈に振る舞っていた優子前部長が影で涙していたことを知り、しかもその優子・夏紀から直々に次期部長を託された久美子が、部活に全てを賭ける決意の証として別れを切り出す。秀一もそれを受け入れ、”恋人”じゃなく”部長”の久美子を支える決意をする・・・というめちゃくちゃドラマチックで大好きなシーンだったので、映画で改悪されたこのシーン見たときは呆然とした。
そもそも原作のこのシーンから取って「誓いのフィナーレ」ってタイトルにしたもんだと思ってたからね。
他にも、原作の2年生編は続く3年編への布石をいっぱい打っている作品で、
●久美子が下級生の指導係としてお悩み相談に奮闘→翌年部長として慕われまくり、それがかえって真由を疎外してしまう根拠に
●集団退部の苦い経験から、部の融和を何より重んじてきた優子前部長が、その反動で部の空気が緩んだことを敗因と分析→翌年、高坂ドラムメジャーの元でスパルタ改革する理由作りに
●優子や夏紀達が身を削って最後の1年部に尽くしてきた姿を描く→それを部長として受け継いだ久美子の重みが増す
・・・等々、3年編を盛り上げたり説得力を出したりするための「つなぎの一作」として非常に優れた作品だったのに、そういう要素がアニメ2年編では省略されまくり、そのせいでアニメ3年編にもそうした文脈が引き継がれなかったのがとにかく残念だった。
そんなこんなで2年編で一気に原作とアニメの評価が逆転してしまい、待望のアニメ3年編開始にも以前ほどの熱量の湧いてこず、少し冷めた目線を共有するスタンスくらいの方が心地よいかなと思った次第。
一方で、2年編と違って、3年編に関しては個人的に原作に対しても不満・消化不良に感じた点が多かったりして。実は、「そのままアニメ化するより、なんか良い具合にアレンジしてくれないかな・・・」という本音を持ち合わせてたのも面もあったりした。
原作で全編に散らばらせていた月永求のエピソードを、1話にギュッと圧縮した改変は比較的好評で、
後は、アニメで謎に求×奏の絡みが盛られまくったことなんかは面白がられていたが、
それ以外は全体的に、「ここ原作の方が良かった」みたいにチクチク言われてることの方が多かった印象。
特に、不評が一気に顕著になっていたのが、直近の10話・11話の描写。
一番多かった批判としては、アニメの麗奈が原作に比べてブレすぎ、ナヨナヨしすぎ、久美子に依存しすぎに見える、というものだったと思う。
確かに原作の麗奈は良くも悪くももっと自分を貫き通し続けて、久美子への態度もドライだったと記憶している(あんなに繰り返し「久美子とソリを吹きたい」と言うのはアニメだけ。なんなら原作の麗奈は真由とも仲良くしていたりする)
他は、以下のような不満点が挙がっていたかと。
・原作であった「部活・コンクール・音楽とは」みたいな多様な観点が薄れて、「努力して全国大会で勝つ!」みたいな単純なスポ根ものに見えちゃう
特に、アニメは原作より久美子×麗奈のイチャつき重視、久美子×秀一の要素は薄め・・・というのは以前からの流れだけど、
直近ではプラスして、麗奈のキャラ自体が原作より変わっちゃった感があったのも相まって、10話11話辺りの久美子×麗奈の描写はかなり冷めた目で見られていたように感じた。
ただ、自分もその感想に全て同調していたかというとそうではなく、
なにせ根っからの判官贔屓体質なので、こうも「原作の方が良かった」という小言を見ていると、「いやここはアニメの方が良くないか」という点を探しがちになっていた。
例えば、10話で久美子が部をまとめるために演説する内容、タイミングが原作から変更されていたが、「北宇治の仲間に話しかけるシーン」としては、自分はアニメの方が良いなと思った。
原作では名無しの3年生達も、皆名前と顔を描き続けてきたアニメだからこそ、「北宇治のみんなと最高の演奏をしたい! みんななら出来る!」というアニメの演説シーンは、全然陳腐とか思わず素直にぐっときた。黒沢ともよさんの演技が最高なのは言わずもがな、それを聞いてる皆の表情で泣けるんだ。この子達にも皆、部活に全力投球してきた3年間があったんだよなあと思いをはせてしまう
一番批判されていた麗奈の描写も、確かに原作の方が孤高な感じでカッコいいなと思う一方で、原作麗奈のスパルタ指導や滝先生への批判を精力的に取り締まる描写はやり過ぎに感じた部分もあったので、アニメの描き方もこれはこれでアリかな・・・くらいの印象だった。
そんなこんなで、多少残念な点もありつつ、2年編と違ってそんなにアニメ版が悪いとも思えなかったので、原作組に対して、「そんなに悪く言わんでも・・・」「ここからアニメ版がめちゃくちゃ凄い描写をして、ギャフンと言わせてくれないかな」みたいな反骨心をどこか抱きながら、12話の放送を迎えることになった。
確か11話の放送が割とすぐ後くらいに、12話のあらすじと一枚絵が掲載されて、
どうやら、12話では久美子と真由がソリをかけて公開オーディションするアニオリ展開になりそうだ・・ということが分かった。
その瞬間からもう、「これはヤバいんじゃないか」という、悪い意味でザワザワした空気が漂っていた。
原作を読んでいる人からしたら、最後のオーディションで久美子がソリを奪い返すという結末を当然前提に入れている。
そのうえで、部員投票の対決という舞台を使って、「皆に肩入れされる側の」久美子が勝つ・・・という展開をどうすれば納得いく形で描けるのか、非常に想像するのが難しい。
11話までの描写でアニメスタッフに不信感を抱いていた層からは「これ、『1期(麗奈vs香織先輩)のオマージュやったらエモいっしょ』くらいの感覚でやってないか? 」みたいに言われてたり。正直自分も、この展開に関しては不安の方がだいぶ大きかった。
後からリアルタイムのツイートを見てみると、オーディションが始まるまでは相変わらず不満の声が多かった。
「まーた麗奈が『最後は絶対久美子とソリ吹きたい』とか言ってるよ。原作と別人じゃん」とか、
「真由にとってつけたような悲しい過去付与すんなよ。原作と別人じゃん」とか。
久美子が敗北するというオリジナル展開、しかも決定的な一票を投じるのが麗奈・・・という大規模改編展開に突入した瞬間、空気が一変していた。
「うおおおおお!」 「まじかあああ!」 「やりやがった!」
みたいな、ポジティブよりの興奮した反応が一気にあふれ出していたのだ。
そして放送終了直後には、
「今回は素晴らしかった」 「こういうのでいいんだよ」 「今までの改変も腑に落ちた」 「石原花田を見直した。すいませんでした」
みたいな手のひらクルクル感想が投稿されていて、ある意味こっちの流れもカタルシスがあった。
単に1期のオーディションや大吉山の名シーンをなぞる演出が良かったとかそういう表面的なところだけじゃなく、この方が物語に説得力がある、作品に筋が通った・・・と思わせてくれる作りなっていたからだと思う。
象徴的なのが、これまで批判されていた、「麗奈が久美子にベタベタしすぎ」 「やたらと繰り返す、久美子とソリ吹きたい発言」という要素が、「それでも、『演奏の上手さが絶対』という信念や、2年前オーディションの時の久美子との誓いを貫いて、真由とのソリを選ぶ」という、原作とは違う形で麗奈の気高さを描く展開の前振りとして機能していたこと。
これがやりたかったのなら、なるほど今までの改変描写も理解出来る・・・と見直されたわけだ。
「ここから巻き返すには、もうアニオリ展開で真由に勝たせるしかないのでは」
「これで真由に勝たせたら手のひら返すわ」
みたいな、この改変展開になったら良いんじゃないかって予言していた人もちらほらいたのだ。
(まさか本当にそこまで攻めた手を打ってくるとは思ってなかっただろうけど)
原作至上主義みたいな人からもそういう発想が出てくるあたり、少なくともアニメ版は最初からこの結末を正解とする前提で、そこに向かっていろんな描写を積み上げてきていたのだと思う。原作と目指すゴールが違うから、その過程で違和感が生じることにもなるよねと。
アニメのユーフォは最初の1期が原作にないオリジナル要素盛りまくりで、
麗奈と香織が部員投票オーディションで対決するくだりも、その際に久美子と「裏切ったら殺していい」と誓い合うくだりも、久美子が上手くなりたいと叫びながら橋を疾走するくだりも、全部原作には全くないシーン。
これらのシーンがあるかないかによって、初期の時点からもう原作とアニメの久美子・麗奈のパーソナリティは分かれてきているのではないかと。
アニメスタッフは別に原作を理解出来てないわけじゃなくて、スタートの時点から違う解釈のものを描き続けてきて、それを貫き通したんだというのが自分の印象。
アニメ版では原作よりも、中3麗奈の「悔しくて死にそう」発言が久美子の原点であると度々主張していたり、
「上手くなりたい」 「特別になりたい」という価値観を強調し続けてきた。
だからこそ今回の大一番で、久美子と麗奈に徹底した上手さ至上主義を貫き通し、
最後に改めて久美子の「死ぬほど悔しい」発言で決着させたことで、
「アニメ版ならこの結末が正解だ」 「アニメ版でのテーマをやり通した」と納得させて、
これまで不満を表明していた原作ファンからも、「自分はそれでも原作の方が好きだけど、アニメの解釈もこれはこれで一つの形としてアリだ」みたいな声を引き出すまでに一気に挽回できた・・・のだと思う。
あとは、単純に今、「原作改変」に向けられる目が史上かつて無いほどシビアであり、
しかもアニメのユーフォといえば「くみれい」 「演奏シーン」が代名詞になってる節があるのに、
最後の最後で、「久美子と麗奈が全国大会でソリを吹く」という、無難にやれば3期最大の見せ場になっただろうシーンを、あえて外す。
原作通り久美子に勝って欲しかった、普通に久美子麗奈の全国ソリを見せて欲しかったって意見の人もいるだろうし、その価値観も否定されるべきでは無いと思う。
ただ、少なくともアニメ版の改変はちゃんと意図のある、信念に基づく行為だったと思うし、
原作ファンの中にもそれを理解している、評価している人は少なからずいるよ・・・という話でした。
個人的にも、12話の展開は凄く好みだったし、納得したし、感動した。
ユーフォの1期2期は自分の生涯No.1アニメ作品になるほど心揺さぶられた作品だったので、これ作った人たちはやっぱり凄かったんだって、改めて3期でも感じられて良かったです。
あーほんと、2年生編だけもう1回アニメシリーズで作り直してくれ無いかなー。
一からリセットは無理でも、せめて夏紀先輩主役のスピンオフ小説と混ぜて、なかよし川視点で2年編を描き直す・・・みたいな感じとかでなんとかなりませんかね。