はてなキーワード: 表象とは
【セックス①生物学的性別】・・・根本的には染色体(XX女性、XY男性)で決まり、それによって性器、臓器、ホルモン、体格、筋力などが決まる。染色体の違いなので、後からは変更不可能。
【セックス②外形的性別】・・・生物学的性別に準ずるが、性器やホルモンを手術、操作することで、表面的に変えることができる。
【セックス③法的性別】・・・①や②をもとに、法的に規定される性別。②をもとに、変更することも可能である。
【ジェンダー】・・・文化的性別。③を含む場合もある。社会の中で、どのような表象を纏うかという区分。
これらを区別しておかないとまずまともな議論はできないし、医学的には生命を危険にさらすことすらあるので注意。
いわゆるトランスジェンダーは、セックス①と社会的に紐づけられているジェンダーが異なることを指す。
たとえばトランス女性とは、生物学的男性だが、社会的な女性文化を纏いたい人たちのこと。その中の一部では、②や③を変更している場合もある。
本当は一番大変な目にあってる人たちなんだよな。
現代は最低限社会的に要求されるモラルのレベルも上がっているし、
日本を再興していく政策(とりわけ経済政策)を理解するためには多少なりとも脳みそを使わなくてはいけない。
マスメディアは乗っ取られていて、ある程度のリテラシーがなければ正しい情報も読み解けない。
民主主義を理解できてないから彼らは批判されているんだけど、ガチで理解できてないんだよ。
頭使えといったところで本当に理解できない人たちなんだよ。ここが重要で、彼らはそういった能力を生得的に持っていない。
批判している側が、自分達と同じ水準の脳機能を有していると勝手に思ってしまうことが、実際にはひどい差別になってしまっている。
彼らが現代にフィットできないのはADHD等の高度機能障害と同じようなもので、
差別反対とやっていることが、現代において最もケアを必要としている人たちを追い込んでしまっている。
男害オタを見てると、こいつら批判と嫌がらせの区別がついてないんだよな
批判を受けても「攻撃」「嫌がらせ」としてとらえないから、何を批判されてるのか理解しようとしないし、反撃の名の下に脅迫、×害予告、郵便物送り付けなどの嫌がらせばかりしてくる
Colaboへの彼らのやり口もまさにそれ
その原因の一つが他者からの批判を「殴られた」「燃やされた」と言い換えることによって、「嫌がらせと同列の攻撃を受けた」と脳内変換していることの悪影響は否定できないだろう
これは批判を「オタク差別による攻撃」とすり替えることにも貢献していて、男害オタのあらゆる問題を増幅してる
いずれにしろ、彼らの中では公共性の高い場における性的客体化された女性表象の広告が適切かどうか問われることと、男害オタによる脅迫や×害予告、さらには批判者の活動に迷惑系Youtuberを凸らせる行為が同列なのだ
・ありがちな男性主人公をケアしてあげる都合よく親身な女性キャラはこの作品にはひとりもでてきません
・『ドラえもん』ではロボットのドラえもんがのび太に秘密道具を与えるばかりでケアをするという要素はあまりない
・自傷的な男を主に女性のケアで救うというのも、いい加減そこから完全に脱却した話にしてもいい
一方で男のケアに次のように断言している。
「『イニシェリン島の精霊』は男同士はケアできないという事実を無慈悲に描いています。」
・女の子たちを題材にした日本のアニメは、表象として理想化がいきすぎなことがままあり、“女の子”化」による消費がおおい。
・AIやロボットのジェンダーバイアスが問題視されておりこの女性差別がことさら酷い日本でも頻繁に批判が起きている
・日本のアニメ界隈の女子高校生依存は早急に大いに反省すべき点
・宮崎駿もふくめて日本の中高年男性クリエイターにありがちな記号的な描写にとどまり、問題意識のアップデートもなされていな
・中国や日本など東アジア圏のアニメ・ゲーム系コンテンツは白人至上主義
・「普通の家族こそあるべき姿である」という、なかなかに保守的な家庭理想論の強化になっている
・『新世紀エヴァンゲリオン』も映画版『進撃の巨人』も正直あまり好きじゃないとのこと
・日本のアニメ文化の問題点を踏まえてもっと自己批判的な要素は入れるべき
・「親は子どもを幸せにできるんだ」といい、保守的な家庭観がこぼれでている
・多様なシルエットを持つ男性キャラと比べて、女性キャラは単調な丸みのデザインばかり
・世間で人気の女性アンドロイド系の作品とそのファン層へのチクリとした居心地悪さを与える
・暗黒の軍団を従属させる元メイドの魔女…ってなんか日本のアニメにありそうな設定盛り盛
・昨今の日本作品は「公安」などを社会治安を守る人間としてカッコよく描く傾向がチラホラ見られる
・「公安」がやたらとかっこよく描かれがちで作り手の無頓着な権力美化がある
・日本だったら「どっちもどっち」「双方とも過激なことはダメだよ~」といういかにも知ったかぶりな中立風情の論調
・中立なんて言ってられない。だからといって今の政権のように増税してまでも防衛費をやたらと増やしまくりたいという姿勢を支持できるわけでもない
・「右も左も関係ない」とか「レッテルを貼られてもいい」とか、そんな聞こえのいい中立的言動を得意げに振りかざしている者はいないか。私もあなたもみんな差別主義者には簡単になれるのですから。
・「自分は中立だ」などという冷笑主義が加わるともう手が付けられない
・地球環境問題に対して否定派の人たちの主軸にあるのは「論破カルチャー」であり、完全な「冷笑主義」
・「リベラル・中立を気取る人」が無意識的にやってしまいがちな「偏見・差別」
・「女性は王子様を見つけて救われる」というシンデレラ・ストーリーの呪い
これら女叩きデマの母体は、組織的に女性蔑視や女性差別を吹聴していわゆる頭の足りないバカをターゲットにしてヘイトビジネスを行っている。間違った情報は正しい情報よりも早く多く拡散されるため、こちらの方が広告に向いてるから。
人権意識や女性差別問題に対する意識は日本では統一教会のせいで男女参画社会案が実効性のないものに変えられて、とても遅れている。ヘイトスピーチや女性蔑視的な表象、性的客体化、性犯罪を問題視する土壌が日本は弱い。
意図的に触れてないのかな?
性について異常な環境というのは、それだけじゃないよね?都合が悪いから敢えて隠してる?w逆に年齢に見合わない時代に性的な表象を見せつけられたり、性的な存在として扱われたり、性的搾取されたり、というものも含む。
こういう本人が積極的に望まないのに性的なものに晒されたり性的に見られた人間が成長すると連続殺人鬼かDV予備軍orDVホイホイ。PTSDになったり攻撃的になったり精神的に不安定になったりするんだよね。
「キモイおじさん」という表現が批判されたり擁護されたりしている。その擁護意見の中には、「セクハラするやつや性犯罪者のことをキモイと表現しているのであり、中高年男性全てに行っているわけではないのだから何の問題があるのか」という理屈があるようだ。
ところで、こういう理屈を言う人と、「萌え絵は女性全般への性的搾取」と説く人はそれなりに重複しているように見える。
セクシーな格好をしている萌え絵の女性は特定のキャラクターであり、彼女の個別の性格や他のキャラクターとの人間関係という文脈の上にセクシーな格好がある。そのキャラクターは一定の納得の上でその恰好をしているはずだ。しかし批判派は「誰かがセクシーな格好をしていれば、それは女性全体がそうであるという風潮を強めるからダメだ」と言っているように見える。
その理屈に沿うなら、「おじさんすべてがキモイわけではない」のに「キモイおじさん」と言ってはダメだろう。「キモイ性犯罪者」と呼べばいいだけだ。誰かが「キモイおじさん」と表現を多用すれば、それは「おじさん=キモイ」と考える風潮を強めてしまうのだから。
ちなみに私はセクシーな女性の表象も「キモイおじさん呼び」もどちらも存在していいと思う。しかしどちらにも「特定の属性への偏見を広める作用がある」こともまた事実。
「多くのおじさんはキモくない」
「現在話題になっている女性表象に関する表現だけでなく、全ての表現が規制され、国家から市井の人々まで全員が、他人に伝えるような物語を紡げなくなる状態というのは、物語(ストーリー)が自分の思考を妨げない(=自己を保っていられる)という点において、一種の理想なのかもしれない。
つまり、ある人間が考える「悪い」表現を禁止するのではなく、他人にストーリーを与えてしまう表現全てを禁止すれば、人々はストーリーに影響を受けることなく、自己が本来持つ自身のストーリーに忠実に生きていけるだろう。
だから、表現規制をやろうとする人々は完全に徹底してやってほしいと思う。
一部の表現を選択的に禁止するのではなく、人々がストーリーで繋がることが無くなるくらい徹底的に全て禁止してほしい。
人々が物語を共有できなくなるくらい、完全な表現規制を求めてほしい。
(今の表現規制は、その規制を求めること自体がストーリーのひとつになっているため、私が希望する表現規制にはほど遠い。
ストーリーによる悪影響を消すためには、表現規制自体が物語性を持たないくらいに徹底的な表現規制が必要なのだ。)」
という私の言動も、物語性を帯びてしまっているのだ。まあ、つまり、そのようなレベルの表現規制など無理だということだ。
>表象の「悪さ」はもはや「何が描かれているか」だけを見て考えられるものではなくなる。
>それはむしろ、歴史的・社会的に女性が置かれてきた/置かれている状況との関連ぬきには考察することができないものである。
広告なんだから「何が描かれているか」以外に検討の材料はなかろうよ。
自分が相手にしていたのが実際に現存する広告であること、その適否について偉そうに語っていたことをすっかり忘却してどうするんだ?
で、
>「表象を作ること」が持つ意味をめぐる議論が深まることを期待したい。
とかも、寝ぼけているとしか思えんのよね。
そんなことはそれこそゾーニングされた閉じた空間でやってくれよ。
ただし現実の広告に文句を付けるなら、記号のカケラを必死でかき集めて女性差別に結びつけるような乱暴な振る舞いをやめて、最低限その広告がどう現実に悪影響をもたらすのか定量的な議論をし、その影響が認められないのなら問題にすること自体を思いとどまるのが真っ当な学者のやることではないのか。