はてなキーワード: 宮本とは
ワッハッハ
https://hitocinema.mainichi.jp/article/miyamotokarakimihe-traial
出演していたピエール瀧が薬物犯罪で有罪となったことを理由に、映画「宮本から君へ」への製作助成金交付を「日本芸術文化振興会」(芸文振)が取り消したことの違法性が問われた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(尾島明裁判長)は17日、「助成金交付は適法」と判断した。裁判官4人全員一致の意見で、原告の製作会社「スターサンズ」の勝訴が確定した。判決は表現の自由を定めた憲法21条にも言及、原告弁護団が「想定以上にリベラル」と驚くほど踏み込んだ。「公益性」と芸術支援のありようを示した「画期的判決」の意味するものは何か。
とあるファッションビルの上りエスカレーターで前方の女性のポニーテールが美しいなあと思いながら立っていたら、後方からこんな会話が聞こえてきた。
「見えるもん~!」
「ダメよ!0.1って言ったら一番前の席でも黒板の字が見えないくらいじゃないの、大体0.1って小数点第一位で、もしかしたら0.0いくつにまでなっちゃうんだよ、ダメだよ」
降り口でチラッと後ろを見ると、小学生1年生くらいの女の子とそのお母さんだった。
「ねえ、正直ママ泣きそうなくらいなのよ、0.3でもショックなのに、0.1なんて考えられないよ」
親御さんは舌が回るタイプなのかたいへんな早口で娘さんを説得されていた。
ぼくはと言うと、メガネデビューしたのは小学3年生の頃だった。
ぼくは元々メガネというものに憧れていた。正確には、メガネをかけている、江戸川コナンに憧れていた。その頃はコナンという少年がとてもかっこいい存在に映っていて、ぼくは何でもコナンの真似をしたがった。キック力が増強する赤いシューズに憧れて赤い紐靴を所望したり、車並みのスピードが出せるスケボーに憧れてスケボーをねだったりした。
しかしメガネは目が悪い人のためのものであり、いくら欲しいと言ってももらえない物だと理解していたので、ぼくは身近なメガネ着用者である母親が風呂に入っている隙を盗んで母親のメガネをかけてはその姿を洗面台の鏡でうっとりと眺めたものだった。こんな風になりたいなと思っていた。
そんなことを続けていたせいかぼくの視力は次第に悪くなっていき、視力検査の後だったか忘れたがメガネが必要だろうという結論が出た。ぼくは喜んでメガネを受け入れた。はじめてのメガネはビジョンメガネだった。視界が鮮明になったことよりも夢見たコナンに近づけたことのほうがうれしかった。
当時ぼくの所属する3年3組は皆視力が良いか親が視力低下を察知していないかどちらかの裸眼者ばかりで、メガネ着用者は宮本君とぼくの二人だけだった。
ぼくがメガネをかけ始めて間もなく、マッスー(ぼくはあだ名で呼ばれていた)メガネ貸して!とぼくの席まですっとんで来たのが太田さんだった。目が細い太田さんはメガネに憧れているようだった。宮本君もずっとメガネをかけていたけど、彼は変な人だったので、太田さんは遠慮していたのだろう。
1日1回はメガネを貸す仲だった。さすがにそれくらい日常化してくると、彼女がメガネを借りたい理由は単なる憧れではなくて、ほんとうに視力がわるくて黒板の文字が読めなかったりしていたのだろう、ということを思った。
そんな思い出話はさておき、メガネは非常に大切なものだ。メガネなしではとても生活できない。あの女の子も視力が0.1というのは相当な不便があると思われるのでさっさとメガネデビューを果たせるといいなと思う。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 下」
「地球の歩き方 E03 イスタンブールとトルコの大地 2019-2020 【分冊】 1 イスタンブールとその近郊」
「A20 地球の歩き方 スペイン 2024~2025 (地球の歩き方A ヨーロッパ) 」
宮下遼『物語 イスタンブールの歴史-「世界帝都」の1600年』★★★
先月たくさん行ったしこれでOK。
満州国については通史でしか知らなかったので、こうして改めて本で読み返すと得るものが多い。
釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』
今井宏平「トルコ現代史 オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代まで」★★
維羽裕介、北國ばらっど、宮本深礼、吉上 亮「岸辺露伴は叫ばない」
Jam「続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。 孤独も悪くない編」
田澤 耕「物語 カタルーニャの歴史 増補版-知られざる地中海帝国の興亡」★
今井むつみ、秋田喜美「言語の本質: ことばはどう生まれ、進化したか」
安藤 寿康 『能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ』
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 下」
旅先の歴史についての本や、旅先でも読めるくらいの軽さの本を読んでいる。岸部露伴は地中海を飛び越える飛行機の中で楽しんだ。
言語学の本を少し含んでいる。
なお、イスタンブールのドルマバフチェ宮殿には美術館が併設されており、そこにも行ったのだが流し見だった。今回の旅行のテーマは絵画ではなく建築だったからだし、軍事博物館のイェニチェリの演奏を聞きたかったからだ。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 10巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第10巻 下」★★★
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行 第S4話 露出狂時代」
飯村周平『HSPの心理学: 科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』
きい著、ゆうきゆう監修「しんどい心にさようなら 生きやすくなる55の考え方」。
堀晃 他「Genesis されど星は流れる 創元日本SFアンソロジー」
小川一水 他「Genesis 時間飼ってみた 創元日本SFアンソロジー」
「トルコ共和国建国100周年記念 山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ」
柞刈湯葉も柴田勝家も一度読んでから「しばらくは読まなくていいかな」と思ってしばらくしてから読みだした。柞刈湯葉は表題作が普段のクールというか知的なアイディアを軽やかに扱う感じではなく、意外な側面に驚かされた。柴田勝家はVtuber文化と死後のアーカイブを肯定的に表現していたのが大変面白い。
ブアレム・サンサルはもう何年も前にWIERD誌が紹介していたので読書メモに載せていたので読んだ。数歩遅れて読むことなどよくあることだ。僕は最先端を追うことにそこまで興味がない。
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集1 星ねずみ」
柴田勝家「ヒト夜の永い夢」
フランチェスコ・ヴァルソ (著), フランチェスカ・T・バルビニ (編集)「ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス」
高水裕一「時間は逆戻りするのか 宇宙から量子まで、可能性のすべて」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集2 すべての善きベムが」
トーマス・S・マラニー「チャイニーズ・タイプライター 漢字と技術の近代史」★★
SFが多くを占めた。面白いが徐々に飽きてくる。新人賞の作品は読んでいるそのときは面白いんだけど、新しい思考の枠組みや発想に触れて、それが後まで自分に影響を与え続ける作品ってのは少ないのかも。
逆に星新一の源流の一つ、フレドリック・ブラウンなんかは、古びたアイディアと今でも色褪せないアイディアの両方がある。
タイプライターの歴史も面白く感じられた。あとは、純文学が少し恋しい。
他に読みたいのは歴史の本かなあ。それか、第二次世界大戦を舞台とした小説か。「火垂るの墓」とか「野火」とかいい加減に読まないとと思っている。
池田利夫訳・注「堤中納言物語 (笠間文庫―原文&現代語訳シリーズ) 」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集3 最後の火星人」
成美堂出版編集部「いちばんわかりやすい 家事のきほん大事典」
池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」★
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集4 最初のタイムマシン」
木村光彦「日本統治下の朝鮮 - 統計と実証研究は何を語るか」☆
エリック・H・クライン「B.C. 1177 古代グローバル文明の崩壊」☆
日本語の活字についてや、日本の植民地政策について読み始めたのは、先月の中国語タイプライターの本に、日本製の中国語タイプライターについての記述があったためだ。
楊海英「日本陸軍とモンゴル 興安軍官学校の知られざる戦い」☆
小倉孝保「中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事」★★
宗美玄(ソン・ミヒョン)「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」★★★
木村泰司「人騒がせな名画たち」
なし
読んだのは全体的に近現代史が多い。
第二次世界大戦についての本は通史を何度か読んだが、テーマごとに読むとまた面白い。歴史は技術史とか思想史とか文学史とかの別の軸で見直さないと立体的に見えてこない。とはいえ、少しは立体的に見えたとしても、知らないことが無数にあり、出来事すべてを頭の中に残しておくのは難しい。歴史は誰と誰が知り合いかとか、活躍した時代以降にどう生きたかがわかってくると更に面白くなるんだろうが、あいにくそこまで行っていない。
12月は当たりが多く、上位3冊を選ぶのに悩んだ。ほぼすべてがオススメ。
来年からは方針を変えて、すべての本を★1つから5つまでの段階で評価してもいいかもしれない。
一年を通してみると、「昆虫記」のウェイトが大きく、それから第二次世界大戦の本を多く読んでいる。それに並んで平安時代、江戸時代などを扱った新書が多い。外国の歴史の本は少ないが、旅先のイスタンブールとバルセロナの歴史を扱った本が印象深い。
SFの新人賞を数年分まとめて追いかけるのが習慣なのだが、もう少し純文学を読みたい。学生は岩波や新潮の古典ばかり読んでいたのにどうしてだろう。
人権関係で読みたい本が多数ある。とはいえ、悲しい気持ちになるので元気のある時にしか読めないし、いつ元気になるかは予測ができない。
ここ最近は美術展に行っていないなと思いきや、振り返るとほぼ毎週行っている月があったので、まとめてみるのは大事だ。秋以降は少なかったが、これは理由がわかっている。
以上。
2年前の衆院選において、吉良よし子日本共産党常任幹部会員が述べた表現規制発言について「共産党の良く分からん奴」、「こんな女性議員のちょっとした発言」などとして共産党全体の問題とはしない擁護が見られた(https://anond.hatelabo.jp/20231126202929)
だが、共産党員が外部に対して意見を表明する場合、党の意に反した発言をすることができない。これを民主集中制という。(https://anond.hatelabo.jp/20230212205420)
はてなにおいてもとある共産党員のブロガーが除名に追い込まれたことで、一部で話題になった。(https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2023/09/07/015416)
では、民主集中制が具体的にどういうものなのか、志位委員長はそれにどう向き合ってきたのかを、志位委員長が書いた論文「変節者のあわれな末路」を例に見ていこうと思う。
本当は除名問題が盛り上がっているときに書きたかったが、古本で一万円もして手が出なかった(https://www.amazon.co.jp/%E6%8A%95%E9%99%8D%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E8%AB%96%E5%8F%B2%E8%A6%B3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A/dp/B00KSRE60K)。なかなか国会図書館に行く機会がなかったので今となった。
論文「変節者のあわれな末路」は、分派活動を行ったとして除名された伊里一智氏(当時大学院生)を全面的に批判した論文となっている。
伊里一智事件とは、党員が宮本顕治(議長。当時の日本共産党のトップ)の辞任を求めた事件で、分派活動とされ、最終的には党から除名されている。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%87%8C%E4%B8%80%E6%99%BA)
この伊里一智氏を徹底的に批判したのが、当時党青年学生対策委員だった志位和夫氏であり、また、ここでの大批判は志位和夫氏の党内での出世のきっかけになったとも言われている。
当時党中央委員会青年学生対策委員だった志位和夫は宮本顕治の直接の指示を受け、党の規律に背いて他の代議員に対し働きかけた分派活動と断定した。
(前掲Wikipediaより)
赤旗に掲載され、論文集「投降主義者の観念論史観」(日本共産党中央委員会出版局)にも収録されているこの論文は、志位委員長の、そして共産党の体質が色濃く出ていると思うので分析していきたい。
ちなみに、論文集「投降主義者の観念論史観」は伊里一智氏批判のための書物であり、端書と目次を紹介する。有力幹部でもない単なる一党員にここまでするのかとも思う。
(はしがき)
本書で批判の対象となっている東大大学院生「伊里一智」なる人物は、1970年代なかば以来展開された反共反動攻勢のもとで、日本共産党の路線に確信を失って、不まじめで小ずるい、しかもピエロ的な反党分派活動にのりだし、日本共産党から規約にもとづいて除名された人間である(後略)
(目次)
◯変節者のあわれな末路(志位和夫)
◯敗北の「哲学」(長久理嗣)
本来であれば伊里一智事件の経緯と合わせてみていった方がいいのだろうが、それをすると異常に長いものとなってしまうので志位委員長の考え方が出ているであろう部分を抜粋し、コメントを付していきたい。
なお、双方共産主義者であり、どちらがいかに正しく共産主義を理解しているのかという議論もしているが、そこには踏み込まない。正直意味わからんし。
以下、引用は全て志位委員長の論文「変節者のあわれな末路」より抜粋したもの。
結社の自由にもとづいて自発的な意思で政党に加入した者はだれであれ、出版、言論の自由をふくむ自らの基本的人権をその政党の目的実現にむけて行使すべきである
いきなり凄いのが出てきた。仮に自民党総裁が、「自民党員はその基本的人権を自民党の目的実現のために行使すべき」とか言ったらどんな反応があるだろうか。
いくら政党等の団体に所属していたとしても、基本的人権は各種団体よりも優先されるものであり個々人が自由に行使できるものと認識しているが、日本共産党においてはそうではなさそうだ。
わが党は、「伊里」が、彼の反党文書のなかで、「理論派閥の容認」「党外出版物での批判の容認」「横の交流拡大」などの、民主集中制を完全に否定する主張をおこなっていることを、彼の解党主義、分派主義のあらわれとしてきびしく批判した
やはり、志位委員長も党内に派閥ができることや党の外での共産党批判はNGと認識しているようだ。
あと、注目すべきは「横の交流」も民主集中制的にはNGと考えていることだろう。
党の末端はあくまで中央から指導されるものであり、末端同士で連携することは考えていないようだ。分派活動になるからだろうか。
「科学的社会主義は一つしかないわけではなく」などというのは、科学的社会主義の客観的な真理性を否定する相対的な見地にほかならない
すなわち共産党は客観的な真理性を体現していると言うことだろう。
坂本中央委員からつぎのような指導を受けたことをみずから明らかにしている。
「議案提出の主体は、…代議員有志など複数であってはならない」「党会議の事前に文書を配布することはできない」「事前に他の代議員と討論したり、自分の提案に対する支持を、…求めてはならない」
坂本同志の発言は、「伊里」によってところどころゆがめられているが、こうした「伊里」の"証言"によっても、彼のおこなったような分派活動が規約で禁じられたものであることを、坂本同志がはっきりと指摘していたことは明らかであろう。
まず目につくのは複数名(連名)の提案は認められないところだ。複数名での提案は、党内に派閥を作ろうとしている(分派活動)だと言うのだろうが流石に無理がないだろうか。
ちなみに伊里一智事件においては伊里一智氏ともう一名による連名だったそうだが・・・
次に、事前の議論や多数派形成を認めていない部分だ。会議をやった経験のある方ならわかると思うが、これでは何も提案するなと言っているに等しい。いきなり重大案件を突きつけられて判断できる人はそうそういない。
結局、常日頃から末端を「指導」できる中央の意見しか通らないと言うことだろう。
◯「伊里」の本が、いかに低劣な内容
◯三文反共雑文を書き送る売文家たちと同じ地点まで、「伊里」が転落してしまっている
◯「伊里」が本のなかでおこなっている弁明は、卑劣を通りこして、こっけい
やたらと大仰な言葉遣いする割に、漢字で問題ないところまであえて平仮名で書くのは共産党の文化なのかな(「もとづいて」「不まじめ」「ふくむ」「おこなった」「ゆがめ」「だれ」など)。書き写しにくくて仕方なかった。
やたらと「分派活動」という用語が出てくるがそもそも日常的な用語じゃなさそうなので、辞書を引いておこう。
共産党の場合は党を分裂させようとする行為、という認識で問題ないと思う。
(デジタル大辞泉より)
2 主となる勢力から分かれて別に一派をなすこと。また、その一派。「—を立てる」
一つの団体内部で、信条・利益などの相違から派閥をつくって、主導権を握ろうと争ったり、団体の基本方針とは別の行動をとったりすること。
『投降主義者の観念論史観』と,伊里一智の著作『気分はコミュニスト』がネットにアップされてたhttps://sites.google.com/view/sokokutogakumonnotameni/%E9%A6%96%E9%A1%B5 後者は増田が言及してる宮本批判そのもので、不破にも触れられてる
誹謗中傷で訴えられても知らないよ
訴えられちゃうのか怖いなぁ
2021年12月22日(水) 19:00〜カタリバ大学123講 25歳で国政選挙にチャレンジしてみた
https://www.katariba.net/news/2021/11/25034/
◆タイムテーブル(予定)
18:40~ カタリバ事務所・開場
19:00〜 開始・オリエンテーション
21:00〜 終了
◆参考資料
「立候補したいな…」24歳のカノジョは言いづらそうに切り出した
https://www.asahi.com/articles/ASPC173JXPBZOIPE00R.html
25歳新顔 選挙に出た
第49回衆院選に立候補した20代(年齢順、重複立候補の場合は選挙区のみ)
野中美咲(25):大分1区/NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で
近藤真衣(25):比例北陸信越ブロック/自由民主党
矢島秀平(29):広島3区/NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で
◆お申込
ということになると、列挙されている人間が気になる。
https://home.kingsoft.jp/news/news/mainichi/20230207k0000m010155000c.html?from=content
2021年衆院選に立憲民主党公認で岐阜5区から立候補して落選した今井瑠々(るる)氏(26)の政治活動費を巡る問題で、今井氏が同年に東京都内で講演した際、交通費を主催者から受け取りつつ政党支部の政治資金からも支出した可能性があることが判明した。専門家は「交通費を二重計上すれば政治資金規正法違反(虚偽記載)に当たる恐れがある」と指摘する。
講演を主催した認定NPO法人カタリバ(東京)によると、今井氏は21年12月22日夜、NPO事務所を1人で訪れ、若者の政治参画などをテーマに講演した。毎日新聞の取材にNPOは「地元と講演場所間の往復交通費と講演謝礼を、内訳を示して今井氏に支払った」(広報)と証言した。
他方、今井氏が支部長だった立憲県第5区総支部の21年分政治資金収支報告書によると、21年12月22日の電車代(計2万2090円)が政治活動費として支出された。多治見駅と東京・高円寺駅で発行された領収書などから、地元と東京との往復交通費とみられる。
今井氏は講演と同じ日付で、都内での整体や気功によるメンタルトレーニングのセミナー代(3万3100円)を資金管理団体「今井るる後援会」の政治活動費として支出していた。セミナーを含め、NPOが負担した交通費で参加可能だったとみられる。
今井氏は毎日新聞の取材に「収支報告書は監査を受けて提出した。今後とも、政治活動を通して誠心誠意想(おも)いを伝えていく」などと回答。NPOからの交通費の授受の有無は答えなかった。
@luluimai
【お知らせ】
2月7日付の毎日新聞に掲載された記事につきまして、NPO法人カタリバ様に改めて事実の確認を行ったところ、カタリバ様から私に対する交通費の支給はございませんでした。
というかNPO法人は金を出したといっているから不正経理ですけどね。交通費の二重計上。。。
4月の岐阜県議選多治見市選挙区(定数2)に自民党推薦で立候補を決めた今井瑠々(るる)氏(26)の演説会が5日夜、同市内であった。立憲民主党の衆院岐阜5区総支部長からの「転身」について、初めて有権者に直接説明する機会。今井氏は「人生をかけた決断だった」と振り返った。
演説会には約100人が参加した。今井氏は、前回の衆院選で、支持者に「立憲だと表だって応援できんのや」などと言われたとして、「必要なのは政党の戦いではなく、地域のために仕事することだと気づいた」と話し、子育て支援の政策などを訴えた。フロアからの質疑応答の時間はなく、演説会は1時間ほどで終わった。
県議選は3月31日告示、4月9日投開票。多治見市選挙区ではともに新顔で、自民公認で元共同通信記者の友江惇氏(36)と無所属で印刷会社員の判治康信氏(46)も立候補を表明しており、16年ぶりの選挙戦が見込まれている。(本井宏人)
実は転身の理由なんて今に至るまで一切説明していないわけ。じゃ、お金ですね。
「今井さんごめんね。苦しい中支えきれなくて」今井瑠々氏の自民接近で支援団体が解散
https://www.huffingtonpost.jp/entry/gifu-imai_jp_63bcd874e4b0d6724fc6bfbe
今井るるさんの支援団体「今井るるサポーターズ」も7日に解散を発表。今井氏から報告を受けたのがごく最近だったことを明かした上で、連続ツイートの中で「今井さんごめんね。苦しい中支えきれなくて、本当に申し訳ない。しかしながら、今井さんの判断は受け入れることは難しく、ショックでした」と思いを打ち明けている。
いや、こういう嘘つき女をサポートして市民をだましていたことに責任は感じないんですか?バカかこいつらは。何がサポーターだ。
だが、今井瑠々は
「裏切り」批判も含めて知名度に 今井瑠々氏が選んだ「空中戦」
そこで選んだ戦略が「知名度を生かした空中戦」(選対幹部)だった。「SNSでの広がりが勝負の分かれ目になる」。2021年の衆院選で小選挙区の全国最年少候補となり、立憲から自民への転身で批判も含めて全国の注目を集めた今井氏は、自らの強みをそう自覚していた。
インスタグラムやツイッター、ユーチューブ、ライン、フェイスブックなど若者を中心に広く利用されているSNSを多く使った。演説や街頭活動の様子をライブ配信し、女性や子育てに焦点を当てた政策を訴えることで、若者や子育て世代への浸透を図った。
自民入りの背中を押したとされる野田聖子・前男女共同参画相(62)は、3月以降に計2回、応援に駆けつけた。「30年後の今井瑠々は私です」「私の娘として、みなさんがびっくりするくらい大きく育てていく」。今井氏と同じ若者や女性政策を重視する野田氏がそう訴えると、聴衆が沸いた。
市民から「ガン無視」の声も…立憲から自民に鞍替えし岐阜県議選へ 初当選の今井瑠々氏「思いを県政に届ける」
https://www.tokai-tv.com/tokainews/feature/article_20230410_26649
選挙に当選するのは金が目的としか言いようがない。これでもなんの政策もないでしょ。
空中戦。。。無駄な金を選挙プランナーに使ったということですわ。
ちなみにルッキズムとかジェンダーロールとかなんの意味もないというのがよくわかるでしょ。
トップ当選の判治氏は、市内で約3千人がいる連合岐阜などの支援を受けて得票を伸ばし、1987年から続く非自民の1議席を守った。連合岐阜は立憲、国民民主の両党と合同選対本部を設け、告示前後に両党の幹部クラスが応援に入るなど、手厚く支援した。
選挙戦では「2議席とも自民系では、国や県にモノが言えない」と訴え、古川雅典・多治見市長も頻繁に応援に加わった。
判治氏は、2021年衆院選で立憲民主候補だった今井瑠々氏を支えた1人。「転身は後ろ脚で泥をかけられた思い」とくり返していた今井氏批判を、告示後はぴたりとやめた。陣営幹部は「今井氏に大量得票してもらった方が、友江氏との勝負に有利になるとの読みもあった」と話した。
2023年の新日本プロレス「G1クライマックス」は内藤哲也の勝利で幕を閉じた。ファンの方は嬉しかったことだろう。
しかし、今回のG1は確実にある男が話題の中心に居続けたのは疑いようのない事実だ。
その名は清宮海斗。プロレスリングノアの若きエースといわれる男である。
今年1/21のオカダへの「蹴撃」から始まった清宮の行動は他団体のシングルリーグ戦出場へとつながって、リング内外で想定外の渦を巻き起こした。それが何を示しているのか。
まず、今回のG1への清宮参戦はどちらの希望だったろうか。これに関して私は新日本側の要請とみている。ここでの参戦が大きな話題になることは自明であり、チケット売上や専用アプリへの登録数を
増やせるいい機会である。ここで新日本側から感じるのは自団体の試合内容やレスラーへの自信だ。きっかけさえあればある程度以上の他団体ファンのとりこみが容易だと判断したのだろうと思う。
ノア側からみても清宮には良い経験になるし、知名度に劣り、参戦発表段階では新日本ファンからは諸手を挙げて歓迎されているわけでもない彼への「誤解」を解くいいタイミングでもある。
加えて若いとはいえ団体最高王座に2度(一度目は最年少記録での戴冠)就いた選手である。無碍な扱いをしないような話はあったろうし、そうでなければ送り出すようなこともないはずである。
しかし、ここから(おそらくどちらの団体からしても)想定外の事態が起こりまくった。
まず、新日本での発表時にファンから想像以上の歓迎を受けたことだ。おそらく新日本的にはブーイング半分の状況を想定していたのだと思う。それが想像以上の歓声とともに受け入れられたのだ。
次に新日サイドが目の当たりにしたのは、当初の予想や見積もりをはるかに超える技量をいかんなく発揮する清宮海斗のレスラーとしての能力だった。条件の厳しい(全くのアウェイ+一般的ではない20分一本勝負)中出る試合出る試合で、様々なタイプの対戦相手の特徴を引き出したうえでそれを超えてみせるという、清宮にとっては当たり前の、だが新日本サイドとしては予想だにしなかった状況を現出させたのだ。
その技量の突出の度合いが令和三銃士と名付け、なかで団体としては筆頭扱いであった辻陽太戦で現れた。この試合での清宮は普段の試合では見せない挑発的な技も駆使しつつ、最後は完勝としか言いようのない組み立ててで勝ってみせたが、現場やフロントはここまで技量差を見せられるとは思っていなかったろう。さらに海野翔太戦でも技量で圧倒しつつも海野の気の強さを存分に引き出して引き分けに持ち込んだ。さらに現IWGP世界ヘビー級王者SANADAとの試合でも試合をリードし、最後は時間ギリギリの敗北となったが、王者を差し置いて週刊誌の表紙にまでなってしまう状況となった。こうなればファンは正直である。新日本のファンが一目置くのは必定だ。
自団体の選手を差し置いて会場(=ファン)の信頼を次々に勝ち取っていく清宮を見て、新日本のフロントや現場は何を考えたろうか。その一端がゲイブ・キッド戦で現れたのではないか。
この試合、挑発的ヒールファイトをするスタイルに隠れているが、明確にゲイブは試合を壊しにかかっていたように見えた。清宮は最初受けるスタイルで修正を試みていたが、ある段階で完全に「これは違う」と判断したようだ。
セコンドも連れず、文字通り「単身」敵地に乗り込んでいる彼は試合そっちのけで自らと団体の尊厳を守る行動に出る。最低限の行動(眼球への攻撃や急所への打撃を行わない)は守りつつ立ち向かったのだ。ちなみに観客席で自らの頭を椅子で殴ってから相手に襲い掛かるという奇行ともいえる行為も、湧き上がる怒りを抑える行動とすれば納得もいく。清宮の突然の「試練」に対しても全く臆することなく、むしろ敢然と立ち向かう姿に、おそらくレスラー間で彼を見くびるものはいなくなったはずだ。
だが、一部の人間がそれを完全に脅威としてみたこともまた真実だろう。
私は、この試合を見たときに「これが<仕掛け>であるなら、予選突破はないのかもしれない」と思い始めた。普通に試合を行っても引き分けは当然あるわけだが、この引き分けはそういうものとは違うと見え感じたのだ。その後報道で清宮がスタッフを突き飛ばした、という記事が出た。普段は試合後でもそのような態度をとらない彼がとった行動はその内容が全く予想外であったことを示している。このあたりから、当初の思惑とは違う流れが起こっていたのではないか。
話は飛んで清宮は成田蓮戦で「まさかの」敗北を喫しあえなく予選落ち、となったが、翌日にノアの副社長を兼ねる丸藤正道がかなりセンシティブな内容のツイートを行った(https://twitter.com/noah_marufuji_/status/1687979081059762176?s=20)。真意は以前丸藤との対戦を希望した成田の勝利後に自身と対戦すると清宮のランクが下がってしまうということ、と言っているが、タイミングがタイミングなだけに鵜呑みにはできない。時系列の文脈からすれば成田の勝利を隠れ蓑にしてG1興行全体のピエロとして清宮を扱ったのはおかしい、という風に解釈するほうが無理がないからだ。丸藤の立場でこの発言をしたこと自体、新日本側に対するけん制の意味があるわけで、けん制せねばならない事案が起こっていたという推論にたどり着くことになる。
リーグ戦敗退後もG1興行に参戦を続けた清宮を待っていたのは、なんとほぼ第一試合でのタッグマッチ、というものだった。当初から決まっていたグレート・O・カーン&ジェフ・コブ戦はともかく、その後のマイキー・ニコルズ&藤田晃生、天山公吉&マスター・ワト、矢野通&オスカー・ロイベとの試合とあっては、いくら興行のハナが大事だといっても他団体のトップレスラーをあまりにもぞんざいに扱いすぎている。これはなぜだろうか?
私は準々決勝の組み合わせでAブロックの選手の相手を見たとき、ふと「ヒクレオのところにSANADAが、SANADAのところに清宮がいたほうがはるかに盛り上がったのではないか?」と感じた。これだと内藤がSANADAに勝利していたろうし(結果として優勝後の興行の流れもこのほうがスムーズだった。)、清宮とEVILの試合は相当に盛り上がったはずだ。しかもここで清宮が勝てば準決勝でオカダ戦ということになり、興行の盛り上がりは最高潮だったろう。
しかし、それこそが新日本側の最も恐れていたことではないか。清宮がG1興行の柱になってしまうのだ。この流れでオカダが清宮に勝っても決勝でその盛り上がりを上回ることができるか。決勝は内藤でもオスプレイでもそれは盛り上がるだろう。しかし、仮に清宮がそこまでの試合のようにベストマッチ連発の内容を見せていたらどうなるか。清宮の試合の積み重ねが新日側にあった「自団体の試合内容やレスラーへの自信」を揺るがせたのではないだろうか?
そうなれば最も安全なのは「観客の記憶の奥に清宮の存在を眠らせる」ことである。それはノア側の「想定外」だったろうことが丸藤の態度に表れている。
しかし、両団体にとって(良くも悪くも)更なる想定外は「G1によって清宮の支持が大きく広がった」ことではなかったか。
清宮敗退の報がネットに流れた際、新日本の方針を批判する発言が多く流れ、想像以上の数の新日本のファンがそれに賛同していたのは正直驚きだった。会場でも第一試合や第二試合の出場であっても大歓声で迎えられた。新日本側のレスラーたちの思いも天山戦後に天山自身が清宮を讃えた態度で伝わってきた。そしてなにより清宮本人が腐ることなくしっかりと試合を行いファンを裏切らなった。これこそ清宮が再三言っていた「ノアを広める」が具体的な形になった瞬間ではなかったか。
清宮は正式に使用技の伝授をされている関係から武藤敬司の影響が語られることが多いのだが、元は三沢光晴に憧れノアの門を叩いた生粋の「三沢チルドレン」である。ここまでの清宮の行動を見ればわかる通り、「レスラーは試合で魅せる」「いざとなったら筋を通す」「ファンを裏切らない」という三沢光晴の思想が彼のレスラーとしての行動に裏打ちされている。彼の恩師である小川良成の指導が大きく花開いた瞬間でもあったと思う。
さらに、清宮はあの若さにして日本プロレス発祥のプロレス技術の継承者としての側面を持っている。彼と新日本でタッグを組んだ大岩陵平は清宮にスカウトされる形でノアに留学となったが、すでにノア道場の道場主でもある清宮は指導者としての側面も期待されている。
映画「オッペンハイマー」と福島と 核の被害語ることは「悪」なのか
笠井哲也
7月下旬から米国で公開されたある映画が話題を呼んでいる。「オッペンハイマー」――。「原爆の父」とも呼ばれる物理学者ロバート・オッペンハイマーの伝記映画だ。米国では好評を博すが、米デュポール大学(シカゴ)の宮本ゆき教授(倫理学)は強い憤りと違和感を抱いているという。米国でも、そして福島でも、核(原子力)を語るときに「置き去りにされているもの」を考える。
また違和感か。知性の欠片もない。
「女性の皮膚がめくれるシーンがありますが、きれいなんです。皮膚がめくれて赤みが出るとかではなくて、うっすらはがれるんです。これが、米国の多数が不愉快にならない、ギリギリの線なのかなという感じを受けました」
クラスター爆弾がそうだ。化学兵器もそう。アメリカは全て肯定している。
映画は米国内では好評価を得ており、原作もベストセラーになっている。同日公開の映画「バービー」と2本立てで見ようという動きが起き、「バーベンハイマー」なる造語もできた。「本当に核がエンタメなんです。スパイダーマンやハルクなどスーパーヒーローも、放射能を取り込むことで強くなりますよね」
そこには1940年代後半から続く、「核(原子力)は偉大だが、手なずけられる力」という考え方がにじんでいると、宮本さんはみる。核は人の手でコントロールができるが、扱う人間によって善にも悪にもなる、ということだ。
「核を取り合うというシーンはハリウッド映画でもよく登場します。自分たちが持つのはいいけど、悪いやつの手に渡るのはいけないから取り返そうっていう、それなんです」
こうした核への見方が広がる社会の中、見過ごされてきたのが被曝被害だと、宮本さんは強調する。
そこには政治的な意図も絡む。米国をはじめとする核保有国にとって、核兵器や原発の技術を掌握することは、国の覇権を強固にするための手段でもあった。このため、保有国が被曝影響を隠すのは必然であったと、宮本さんは考える。
「例えば、アフリカなどで産出されるウラン鉱石を精製してできる物質は、英語で『イエローケーキ』と呼ばれます。原子力の原材料であるにもかかわらず、放射性物質とは認識されていません。放射性物質だと呼んでしまえば、(原産国が)力を持ってしまうことになりかねない。言葉によっても、支配下に置くわけです」
それで処理水とか言っているのはなんのぎゃぐなの?
「科学」も動員されてきた。文化人類学者のガブリエル・ヘクトは、国際原子力機関(IAEA)はこうした核による支配の構造を定着させるためにできたと批判する。つまり、IAEAは、核兵器をつくらない確約と引き換えに、原子力技術を提供し、核保有国の資源に頼らざるを得ない構造を作るのに重要な役割も買ってきた――、と。
マスコミが抜け落ちている。
米国には、核実験の影響で被曝し、がんなどを患った住民らを対象とした「放射線被曝補償法」がある。
でも、と宮本さん。「補償は、核で国の防衛に貢献したことと引き換えの『感謝』の意味もあり、結局は核抑止論の上に成り立っている。だから、『核兵器をなくそう』にはつながりにくいんです」
核施設に対して「恩義」を感じる住民も多いという。「核兵器で私たちは国を守ってきた。これが善なんだから、となれば、それにもの申す人はとんでもない『非国民』となってしまいます。被曝の話は、被曝地でこそ、できなくなっています」
東京電力福島第一原発事故後、福島の「復興」はハンフォードをモデルに形作られてきた。2021年4月に発足した一般社団法人「福島浜通りトライデック」は、ハンフォードの周辺地域を基盤とする商工会議所的な存在である「トライデック」から名を取った。22年9月には連携協力協定も締結している。
だが、そこで米国と似た現象は起きていないだろうか。「政府や県が掲げる『復興』が『善』とされる一方で、それを妨げるような、被害にまつわる言説は『悪』となり、風評被害をまき散らす、というふうになっていないでしょうか」
第一原発から出る処理水の海洋放出をめぐる議論でも同様だ。放出は復興のための「善」として、政府の言う「科学的」な説明をそのまま受け入れてしまってはいないか――。
思いっきりそれやっている。
https://www.asahi.com/articles/ASR896726R84UGTB004.html
【Q&A】ALPS処理汚染水、押さえておきたい14のポイント
「日本の汚染水はトリチウムも含む他の核種もオールスターの排水」は不正確【ファクトチェック】
https://news.yahoo.co.jp/articles/9a54544c34ea25a8e078d1605de2a651b9e1cda8
検証対象のツイートで述べられている「排水・汚染水」とは、ALPS処理水を指していると見られる。「汚染水」とは、東日本大震災にともなう福島第一原発の事故とその後の対処の中で放射性物質によって汚染された水。「処理水」はトリチウムを除く62種類の放射性物質を国の安全基準まで取り除く多核種除去設備(ALPS)を使って浄化した水を指す。この違いは、JFCがファクトチェックまとめで解説している。
「処理水」はトリチウムを除く62種類の放射性物質を国の安全基準まで取り除く多核種除去設備(ALPS)を使って浄化した水を指す。
除去できてない……
さらに環境省は「ALPS等で取り除くことが難しいトリチウムについても、それ自身を含むすべての放射性物質の告示濃度比を1未満にするために、濃度を下げるための希釈(海水で100倍以上に希釈)が行われます。これは、ALPS処理水中の規制基準以下のトリチウム以外の核種をさらに100倍以上希釈することにつながるため、より安全性を確保できるようになります」と説明している
水銀でも同じことを言ってるし。
これはファクトチェックとは言えない。
処理水にトリチウム以外の核種も含まれているのは事実だが、国が安全と判断する基準以下に処理されている。拡散した言説は安全性に関する情報に触れておらずミスリードで不正確。
そもそも政府のプロパガンダベッタリで不正確。ジャーナリストは日本にいない。
安全だとは言っていない。
ono hiroshi
@hiroshimilano
日本国内の多くの人は「他の国もトリチウム水を海洋放出している」みたいな悪質なごまかしに騙されて洗脳されているようだけれど、日本の汚染水は他の核種が完全に取り除けていないトリチウムも含む他の核種もオールスターの排水なんですよね。濾過施設を通しても他の核種は完全に取り除けないことは
https://twitter.com/hiroshimilano/status/1677373167793258496
perplexingtwo
@perplexingtwo2
わかりやすくまとめていただいて感謝です。烏賀陽さんが公開されたビデオは必見だと思いますが、かなり長いので…。 僕は福島でも「コンクリート固化方式」よりも「スリーマイル方式」を採用すべきだろうと思います。あるいは、その併用が最適かと。いずれにせよ、海洋放出は回避できますね。
https://twitter.com/perplexingtwo2/status/1677462515553546241
本はこれか。
全部政府の言い分ばかり。
まとめありがとうのツィートに烏賀陽って書いてあるよね?知ってるでしょ。
直接言えばいいじゃん。受けて立つでしょ。
なぜ隠すわけ?
@hirougaya
福島第一原発のメルトダウンした燃料棒をくぐった水を処理するとトリチウムだけが残っているというのは誤解です。セシウム、ストロンチウム、コバルトなどの核種をゼロにすることはできない。東電のHPでもはっきり出ています。「政府の基準を下回っている」にすぎない。
2023.6.30 ナマうが金 ALPS水海洋投棄の政府・東電・マスコミの ...
https://www.youtube.com/live/PX-sQQndgcU
処理水はドライウェルか貯めるか。
https://www.nikkansports.com/general/news/202307080001462.html
東京電力福島第1原発の港湾内で5月に捕獲した魚(クロソイ)から、食品衛生法が定める基準値(1キロ当たり100ベクレル)の180倍の放射性セシウムが検出された。
捕獲したのはセシウムの濃度が高い排水が流れ込む区画で、これまでも基準値超えの魚が見つかっている。
原発10キロ圏で漁は行われておらず、東電は魚が出ないよう網を設置しているが、原因究明と追加対策を余儀なくされている。
東電は、夏ごろの海洋放出開始を目指す処理水に含まれるトリチウムは生物に蓄積されず、セシウムを含むほかの放射性物質は放出基準値未満になるまで浄化していると説明している。
どーすんのこれ?
映画は終わったはずなのに、心の中にまだ音楽が鳴り響いていた。帰り道の高揚感はまるでライブ会場から帰るときのようで、音楽に包まれた世界で息をするような感覚からずっと抜け出せない。映画『BLUE GIANT』は、感情を奏でる演奏で観客の心を掴む、最高の音楽ライブだった。
公式サイト: https://bluegiant-movie.jp/
予告編(YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=h1I116oS_Lk
今年の二月から上映している本作は、同名の漫画を原作としたアニメーション映画だ。音楽と人間の物語を楽しみながら、ジャズ界の独自の価値観や挑戦についても理解を深めることのできるものになっている。
主人公の宮本大は「世界一のジャズプレイヤーになる」という大きな目標を抱え、故郷の仙台を飛び出し、単身上京する。東京で出会った凄腕のピアニスト・沢辺雪祈や、高校の同級生で素人のドラマー・玉田俊二とジャズバンド「JASS(ジャス)」を結成し、それぞれが音楽に向き合いながら、壁にぶつかりつつ、夢の実現に向けてひたむきに取り組む一年半が描かれる。
原作の「東京編」を中心にエピソードを厳選し、上映時間の四分の一をライブシーンに充てるという大胆な構成が採用されていたが、まずこれが見事な成果をもたらしていた。上原ひろみ(ピアノ)、石若駿(ドラム)、馬場智章(サックス)の演奏はとにかく圧倒的で、音楽とアニメーションのコラボレーションの最高峰と言える。また、その魅力を余すことなく味わうことができたのは映画館という環境の存在が大きく、Netflixの支配力が高まる現代において、専用施設の役割や可能性を示すことにもなっていた。
今回は、そんな傑作の魅力を紹介すると共に、宮本大の「ジャズを信じる」信念の問題点や、JASSの「So Blueに立つ」という目標が物語の性質に与えた影響について考えていきたい。
映画『BLUE GIANT』のテーマは「演奏者と音楽の関係性」だ。宮本大、沢辺雪祈、玉田俊二は、それぞれ「演奏すること」について異なる意味を見出している。その違いゆえに彼らの人生は巧妙に交わり、そして必然的に別れを迎える。
演奏者である彼らが「音楽に向き合う」ということは「自分自身と向き合う」ことを意味しており、この作品において演奏技術を高めることは、自分自身と真摯に向き合うことと同一に描かれる。自分自身と対話を重ねて演奏力を磨き、ライブを繰り返しながら音楽との関係性を深めていく若者たちの姿が、本作の大きな見どころだ。
ライブシーンはどれも素晴らしかったが、中でも僕が心を奪われたのは「汗」に関する表現だった。演奏者たちの身体から吹き出る大量の汗や、そこからこぼれた大粒の一滴が、アニメーションならではの表現で美しく描かれる。それは、音楽が空気を振動させて生じる運動の結果であることや演奏者の存在を再確認させるばかりでなく、自己探求の試みを象徴しているようにも思えた。落ちてきて弾け飛ぶ汗を見たとき、その背景にある身体的な研鑽や精神的な苦悩に思いを馳せてしまうのは、物語と音楽と映像が見事に組み合わさって感情を揺さぶるからだろう。
ライブシーンでもう一つ印象深かったのは「凄まじい演奏に目が釘付けになる」という描写だ。特に終盤の人々の目が幾重にも重なって演奏に引き込まれていく表現が印象的だったが、これらは音楽の演奏が聴覚だけでなく視覚も惹きつけるものであることを効果的に示している。実際に音楽ライブに行くと、音楽は「耳で聴くもの」というよりも「目で見るもの」「肌で感じるもの」であることを実感するが、この映画ではアニメーションの技術やアイデアによって同じ体験をもたらしていると言える。
また、脚本として素晴らしかったのは、この映画が「沢辺雪祈の物語」として完璧に仕上がっていたことだ。漫画版では交通事故によって最後のライブに参加できなかった雪祈だったが、映画版ではアンコールで大や玉田と共にSo Blueの舞台に立つというシナリオ改変が施されている(最高だ!)。怪我を負った雪祈は片手で演奏することを余儀なくされるが、その姿が大が初めて雪祈のプレイを見たときに片手で演奏をしていたシーンと重なり、呼応することになる。手を抜いて片手で演奏していたプレイと、片手でしか演奏できない状況で全力を尽くすプレイの対比があることによって、映画版はより一層雪祈の精神的成長が強調されるものになっていた。
本作はジャズライブの世界を美しく表現しているだけでなく、コミュニケーションや人間関係のあり方についても、ジャズ・プレイヤーたちの世界や文化を伝えるものになっている。素晴らしい取り組みである一方、その描き方にはついては大きな問題がある。それは、彼らの世界をただ単に肯定的に、あるいは美学さえ伴って、無批判に描いてしまっているという点だ。
ジャズバンドには「独立した個人たちが自分自身の活躍や成長を目指して組まれる」という文化的な特徴がある。作中のセリフにあるように「ジャズはロックバンドみたいに永遠に組むもんじゃない。互いに踏み台にして名を揚げていく」ということだ。そのため、良くも悪くもバラバラな状態が肯定され、自助を基調としたコミュニティ文化が成立している。
例えば、玉田俊二や沢辺雪祈はそれぞれ大きな課題に直面するが、大はその苦境に共感したり、手助けをしたりはしない。それどころか、雪祈が玉田を、玉田が雪祈を心配しても「自分自身の問題だから、おれたちに出来ることは何もない」と、その配慮を無用なものとして切り捨てる態度を取っている。
しかし、自分自身の問題であることと、周囲がその解決をサポートすることは決して矛盾しないはずだ(でなければ、カウンセリングという仕事は成立しなくなってしまう)。むしろ、人間が抱えるあらゆる問題は究極的には自分自身の問題でしかない。それでも人は、他者の悩みや状況を想像し、共に心を痛めることができる(=エンパシー)。そこに人間の素晴らしさがあり、そのような想像力に支えられることで、僕たちは日々の問題に対して継続的に立ち向かうことができているはずだ。
ところが、ジャズ・プレイヤーとしてあまりに完成されすぎている大のメンタリティは、そのような想像力を必要としない。自助を当然とする大の態度に、玉田は大きく動揺し、雪祈でさえ戸惑いを見せ、二人は困難に直面しても「助けてほしい」と言うことができない状態に追い込まれてしまう。大は「ジャズを信じている」と口にするが、これはジャズという音楽の良さが理解されることだけでなく、「ジャズバンド的な人間関係やコミュニケーションの方法が通じる」と信じていることを意味しているのではないか。つまり「ジャズを信じる」大の信念が、JASSの「助けてほしい」とさえ言えない人間関係を強固にしているのだ。
「信じるだけ」の大は、いわば「仲間のために戦わないルフィ」だ。彼の言動からは、人の弱さを認めず、自分が出来ることはみんなも出来ると思い込んでいるマッチョなワンマン社長のようなパワハラ気質が伺える。もしかするとそれは「お互いを追い込みながら、最高のソロを引き出し合う」というジャズの性質を、人間関係のアプローチに転用したものなのかもしれない。だとしたらそれは、今日ではあまり受け容れられないスポ根的なスタイルが、文化系の皮を被ることで見過ごされているだけなのではないだろうか。
この映画では、周囲の人々に助けを求めず、自分自身を追い込んで課題を克服しようとする姿を肯定的に描いている。しかし僕は、それらをもう少し批判的に捉える視点があるべきだったと思う。あれほどまでに深く自己と向き合うことができるのであれば、そこで培った想像力を活かして他者の心に深く寄り添う可能性も求められるはずだ。自助の圧力が高まる世の中だからこそ、自分自身に向き合い、自分自身の問題に取り組みながら、他者に対しても理解し、助けることができる人間関係を築く、そんなジャズプレイヤーたちの関わり方を提案して欲しかった。
この作品にはもう一つ、物語の性質に関わる問題がある。それは彼らの立てた目標、あるいは権威との関わり方の問題だ。
大、雪祈、玉田の三人は「JASSの目標」として、十代のうちに日本一のジャズクラブ・So Blueのステージに立つという目標を掲げる。もちろん大きな目標であり、大胆かつ困難を伴うチャレンジではあるのだが、僕はこの目標によって彼らの物語が「質的に」小さいものへと制限されてしまったと思う。
ジャズマンにとってのSo Blueは、野球の甲子園やラグビーの花園に相当する憧れの舞台だ。ただ、その性質は大きく異なっている。甲子園や花園は「勝ち上がる」ことで立てる舞台であるが、So Blueは「認められて」立つことができる場だ。つまり、そこに辿り着くためには権威を求めなければならない。このことから「権威に認められなければ成功しない」という価値観が生まれるのだが、それが(若者たちの挑戦を描くにしては)物語を物足りない方向へ導いてしまっている。
JASSはSo Blueの支配人・平にライブを観に来てもらうというチャンスを掴むが、雪祈のプレイが否定され、夢への道が閉ざされてしまう。このとき「縁がなかったということで」と断った平だったが、後に彼が自戒したことで雪祈へのオファーが生まれ、それがJASSのSo Blue出演へとつながっていく。雪祈のソロ克服という要因はあったものの、もしこの権力者が凡庸な人格の持ち主であったら、JASSはSo Blueに立つことはできなかっただろう。若者たちの挑戦に重きを置くには、権威的な存在が過剰である。
また、中学生の頃からSo Blueに立つという目標を持っていた雪祈には、権威主義的な性格が定着してしまっている。自分が評価していないギタリストと共演しても、相手が一定のプレゼンスを持っているとお世辞を言ったり、自分のソロについて大から指摘を受けたときは反発しつつ、平から叱責を受けると素直に聞き入れたりする。葛飾ジャズフェスティバルへの出演が決まった際には「フェスとなればジャズ業界の人間もたくさん集まる。駄目バンドの烙印を押されたら、もう一生どこにも呼ばれない」とまで言い切っており、妄想の中で権威が肥大化し、視野が狭くなっている様子が伺える。これらは、挑戦する若者というキャラクターの魅力を損ねる要素だ。
若者たちの挑戦を描くのであれば「権威に認められようとする挑戦」よりも「権威を打倒しようとする挑戦」のように、もっと質的に大きなものを期待したいが、ジャズ・プレイヤーの挑戦である限り、権威に対する依存は避けられないのかもしれない。
映画を通じてジャズという音楽の魅力は十分に伝わってきたが、僕は大がジャズを信じる姿に共感する気持ちにはなれなかった。映画『BLUE GIANT』は、ジャズの美学を称えるはずの作品でありながら、同時にジャズ的なもの(自助を前提とした人間関係やコミュニケーション、権威に認められることで成功するという価値観)が抱える課題も浮き彫りにしてしまっている。
それでもこの映画は、音楽の力とそれを支える視覚的な表現力で観る者を魅了してしまう。そこに問題があったとしても、圧倒的な恍惚によってどうでもよくなってしまう。それこそが、この映画の正体なのだろう。最高のクリエイターたちがもたらす感動が、自助を強要する主人公や助けを求められない人間関係、挑戦の質による物足りなささえもかき消すことで、「音楽の力」を証明することに成功したのだ。物語パートで引っかかることがあったにも関わらず、あまりに強すぎるライブシーンが全てを帳消しにした結果、鑑賞後の僕の心にはただ音楽だけが存在していた。大、雪祈、玉田たちにとって演奏することがそうであったように、まさに、最高の演奏によって数々の問題を乗り切った物語だったと思う。
マリオと言えば変身。
キノコを食べて大きくなったスーパーマリオ、フラワーを食べて火を出せるファイアーマリオなどがいます。
産みの親である宮本茂だって、色々なものを食べて変身できるに違いありません。
変身した宮本茂さんにもっと色んなマリオを作ってもらいましょう。
遊ぶたびにステージが変わり1000回遊べる不思議なマリオを作れる。
・秋元才加を食べて広井茂
ハイクオリティな映像美が堪能できるアニメーションが流れ大正桜に浪漫の嵐なマリオ大戦を作れる。
高速感が売りの時代が求めた16ビットなマリオザヘッジホッグを作れる。
ボールに入ったマリオを動かすたべごろなマリオボールを作れる。
16連射でなんかする。
これ読んでいて悲しくなった。
はなこさんのリプ欄
https://twitter.com/b97aOTagjJVXbJj/with_replies
や、まつもとみやこさん
https://twitter.com/miyako_2001
のツイートを読むと、
現役の熱心な共産党員が現執行部に失望している様子が良く分かる。
今は何を聞いても無回答で、シャンシャン党大会で終わってしまう。
発端は、富田林パワハラ問題で、高齢の男性党議員と、若い女性党議員の間にパワハラセクハラがあり、
男性党議員は反省して離党したものの、大阪のいくつかの共産党団体は男性側を支持・応援していて、
現執行部は、大阪のことは大阪の人達で解決してくれというスタンスなのか、
「無回答も一つの回答だ」
「何でも質問できるが、分派行為にあたる質問はダメだ」(=大阪のことは聞くな)
という反応が、増子さん他から出ている。
はい、いくつかのおすすめの落ち着いた声で文学的な教養を有するVtuberを紹介します。
天宮こころ(あまみやこころ)- 文学、歴史、美術に造詣が深く、落ち着いた語り口が特徴的です。また、古風な着物姿で配信を行うこともあります。
葉山ユイ(はやまゆい)- 作家や文学に詳しく、読書会や朗読配信なども行っています。落ち着いた雰囲気と美しい声が印象的です。
塩田米子(しおたよねこ)- 古典文学や和歌に詳しく、雅な雰囲気で配信を行っています。また、落ち着いた語り口で日本の伝統文化や歴史について語ることもあります。
宮本るり(みやもとるり)- 詩や小説の執筆経験があり、文学的な配信を行っています。落ち着いた声と穏やかな雰囲気が印象的です。
星街すいせい(ほしぞらすいせい)- 文学や哲学に造詣が深く、その知識を生かした配信を行っています。また、落ち着いた声と深みのある語り口も特徴的です。
お前が出鱈目な名前を挙げることにはもう慣れたけど
質疑応答の前のスピーチの日本語版:https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12791264458.html
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ということなんですが
また、中央委員会がそういう声をちゃんと聞いてくれて党員資格を回復する、
どれぐらいあるんでしょうか
松竹さんが立候補されて党首に選ばれる可能性というのはどれぐらいあるとお考えでしょうか
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A) 何と言っても27万人の党員がおりまして
でも私は直接に自分の支部に所属している党員以外と、そういうことを語り合うことが許されてないものですから
分からないところが多いですけれども少なくともSNSなどでの共産党員、
もちろん私を批判する投稿もたくさんありますけども同時に私に理解を示してくれる投稿もそれなりにある
歓迎すべき変化だと思います
けど同時にそれ以上に、今回、除名ということに踏み切った
共産党にとってこうやって本を出して
この何十年間なかったことなので本当にそんなやり方でいいのかっていう風に思っている人の方がたくさんいるとは思います
ただそれが大会に集まってくる人達の多数の声になるかは、なかなか難しいところはあるかなとは思います
党首公選が実現したとして私が立候補して志位さんに勝てるかという話ですけれども
私は勝つ勝たない、ということよりも
党首公選をすることを通じて党員の中で活発に議論を起こすことが一番大事なことだと考えていて
私と志位さんってそういう点でいうと先ほど述べたようにそんなに大きな違いは無いんですね
そこに修正を加えざるを得なくなった、その志位さんの苦渋と言うか難しさを私も感じていてそこに行こうとしてる
でも共産党員の多数は日米安保も即時廃棄で自衛隊なんか絶対認められないっていう人が多数で
でも政党としてそれでいいのかっていうことを
政党の党員としての自分の考え方を鍛えていくと言うか発展させていくっていうことを期待して
立候補を表明しているということです
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Q) 公選制になれば共産党のより原理主義的な主張を持った人間がむしろ代表に選ばれてしまう可能性が高い
ということは松竹さんの考えとは相容れないというか
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A) そういう大事な問題が共産党の中でほとんど議論されてこなかったっていうことが一番大きな問題で
でも同時に共産党員は本当に憲法9条を大事にして日米安保を廃棄して自衛隊を解消したいと思ってるけども
同時に共産党の党員としては共産党が政権に就くということも真剣に考えてそこを議論すればね
共産党としてどういう態度をとるかっていうことについては
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その非公開の場で何が起きていると思われますか?
というふうにおっしゃったと思うんですけれども
公選制にしたら共産党がもっと議席を増やすことができるようになるでしょうか?
というのはここずっと、だいたい共産党の獲得議席数っていうのは
あまり変わっていないように思うのですが
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その中央委員が選ばれたら
中央委員200人ぐらいの方が別室に移動して
どういうことが行われているのかっていうのは
今後はきっと取材させてくれっていう風になると思いますけれども
集まった中央委員会の前で年長者みたいな方が出てきて委員長として誰々さんを推薦します
副院長は誰々さんですっていうことを読み上げて
そういう点でもいろんな改革は求められていて
中央委員の推薦で選ばれたとしても
いろんなやり方があってそういう点では現実にあって少しでも党員、国民の目にも見えるし党員の権利も保証される
それと公選にしたらどんな結果が出るかっていうことについては
本当にその共産党の中で27万人の党員を巻き込んで徹底的な議論が行われるんだったら
例えば戦後の共産党を作ったのは宮本顕治さんという方で何十年も党首をやった方ですけど
その宮本さんは実は共産党が分裂した時期に少数派で九州の方に左遷されて
全国の党組織であげられるくらい追い詰められたんだけれども
すごい少数派だった方が党首にまでなった
もしかしたら私がそれだけの議論すればやることになる可能性だってあると思います
そしてそうやって共産党っていうのは
政党なのに国民の目にはすごくモノトーンな多様性のない政党として写ってるっていう事が
そこが共産党の支持がに席が増えないという点で
そこを克服することにもなると思います
公選制を導入して共産党の中にいろんな考え方の人がいるということが国民に伝われば
今この自民党政治が続いてそれを何とかするために
だから本当にここは共産党が変わることによって野党の協力がもうちょっと進んで欲しいって感じている国民は
やっぱり少なからずいると思うんですね
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Q) 統一地方選に関連した話です
松竹さんの件があって非常に共産党についてメディア露出が増えているわけですね
でも志位さんは先日の演説で
みんなで力を合わせて打ち破ろうと。
こういった紙面が赤旗さんにも大きく出ている
共産党に松竹さんの件をめぐる動きがそのどういう影響を与えるのか
二つ可能性あると思っていて
無党派層が離れていく面がある一方で
その党内はもう運動量が増えて
地盤が引き締まるということがあるかどうか
今回の件でどういった影響があるところになってるかこれが一つ目の質問です
もうすでに除名されてしまってるわけですけど
その辺り、どういったご予定でいらっしゃいますでしょうか
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A) 率直に言ってこのまま進めば工藤さんがおっしゃった
そういうことは私も想定もしていなかったというか
出版社には選挙の終わった5月に出すか、あるいはその選挙の影響を避けるために1月にするかみたいな事を相談しまして
1月だったら多少何かあっても選挙の本番には影響ないんじゃないかなと思ってたら
予想を裏切るようなことになった
言っては仕方ないんですけども
何か別のところで言いましたけれども
現実味のないことだなって
抱えているということですね
私としてもどうしても今度の地方選挙で通ってほしい
知人とか友人とかいまして、その中には若手で初めて共産党に入って
挑戦しようっていう風に思ってくれた人もいて
っていうぐらいのことは思うんですけど
これも為す術がないということで
苦しんでいるというのが率直なところです
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Q) 志位さんが書記局長に選ばれたけど
あの時は党内でもほとんど知られない
少なくとも ものすごく状況を変えようとした
そういう知恵はあった
これは志位さんのリーダーシップでやったのか
それともと党内には異論があったのか
それも全く聞こえてきませんけども
この苦しい局面を思い切って展開しようとして
どんな知恵があるという風に思ってらっしゃるのか
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A) 率直に言って短期的に統一地方選挙のご質問とも関わりますけど
大逆転の秘策みたいなのは
田原さんが「志位さんと松竹さんと僕と3人で食事でもしようよ」
「志位さんと松竹さんの対談を実現するから」みたいな、その場で握手でもして何とかならないかね
みたいなことも言っておられましたけども
私に逆風が吹いてると言うか
それを打開するためにも
本当にこういう状況、こういう共産党でいいのか
っていう訴えをして そこで根本的に変えていく
本当にそれぐらいの覚悟でやっていけば
その先に何か見えてくるんじゃないかなという
期待をしているという状況です
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