「トリエンナーレ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: トリエンナーレとは

2024-06-27

関東おすすめ美術館神奈川県編)

はい学芸員資格持ちがまずは神奈川県おすすめ美術館を書くよ。

なお増田観点により近現代が多くなっています

神奈川県近代美術館通称かまきん)~

昔は鶴岡八幡宮境内にあった(建築坂倉準三で有名)けど、今は葉山の海沿いにある美術館。(鶴岡八幡宮そば鎌倉別館は今もあるはず)近代美術館としては国近美に次ぐ歴史のある美術館で、長いだけあって渋めも多いが、確かな企画作品が多い。葉山雰囲気も良いね。ここにいた学芸員のかたがいろいろな美術館の館長として活躍していたりするよ。

~江之浦観測所

現代美術家、杉本博司氏が設計した施設

個人的には彼の作品では「シアター」シリーズが素晴らしいと思う。その後の歴史宗教接続する作品群も戦略的とは思うけどね。ちなみにこの施設中学生未満は入場不可。

横浜美術館

改修工事が終わり、トリエンナーレから再開。建築丹下健三ロビーが印象的。作品としてはダリ等の近代美術が有名。個人的にはコンスタンティンブランクーシ作品が好きかな。

Bankart1929~

横浜創造都市の一環で創設された美術館類似施設。メインの施設銀行跡→倉庫駅構内と変えながらもボトムアップでの運営が続く。代表が亡くなったが、今まで積み上げた関係性の中で様々な取り組みをしている。ボルタンスキー展覧会とか刺激的なことをときどきやっている。

横須賀美術館

海沿いの丘の途中にある美術館プリツカー賞受賞の山本理顕氏の建築。近年はジブリとか巨大ロボット展とかやっている。窓の形や位置などもあり、空間への陽の入り方が特徴的。増田は、開館の時の展覧会木村太陽氏の作品が印象に残っているね。

岡本太郎美術館

川崎まれを縁に生田緑地に造られた岡本太郎美術館

屋外の立体作品いいね

TARO賞」の受賞作品の展示が毎年あるからその時に行くといいよ。賞の性格上、エッジの効いた作品が見られると思います

ポーラ美術館

箱根にある美術館印象派展覧会が多い。たまに現代もやっている。

彫刻の森美術館

フジサンケイグループ運営する美術館。イロモノかと思ったら良い作品が広い空間に配置されていていい意味想像を裏切ってくれる。彫刻って触れる作品もあるし、「モノ」感がすごいか絵画とはまた別の印象を与えるよね。ニキ・ド・サン・ファールとか。ピカソ館、ネットの森、幸せを呼ぶシンフォニー彫刻かいろんなものがあるから好きなものひとつは見つかるんじゃないだろうか。

岡田美術館

趣味的には合わないけど、お金かけて良いものを集め、いい箱をつくったの間違いない。企画展は江戸期の作品を中心に組み立てることが多い。

他に川崎市民ミュージアムも書きたかったけど、水害があったり、今は閉館しているのね。施設なしでも活動自体継続しているみたいだけど、どうなるんでしょうかね。

気が向いたら、

茨城千葉埼玉群馬編を書くかもね。

追記

WOW!こんなにコメントが来るなんて!

コメントのとおり確かに江之浦とBankartは正確には美術館ではない(4要件を満たしていないですし、登録もしていないでしょう。さらに言うならBankart施設ですらなく、プロジェクトですね。)ですが、展示の機能性質からここに含めています

2024-06-08

anond:20240608093126

「ゲージュツなんだから意味がわからなくて当たり前」というならな

それこそ淫夢動画だってその場の思い付きとしょうもない身内ノリばっかりで、外部の人間には意味不明だろ

「どうしてこの動画がそんなに草生えるのか」なんて、文脈過去の積み重ねをちゃんと踏まえた、ネット全体からすりゃごく一部の物好き以外にはわかんねーんだよ

(だいたい「草」の由来からしてそういうコンテキスト込みなわけで)

そんなものふたばみたいに身内ノリやジャーゴンが幅を利かせるタコボム社会であれば、所詮どこにでも見られる光景しかない

タコツボエコチェンなんていくらでもあるのに、現代アートけがむやみに孤高面したって笑わせるだけだわ

から結局、トリエンナーレ不自由展みたいな文化ムラが文化ムラたり得ている要素って、作品社会派・党派性まみれのメッセージそれ自体じゃないんだよね


単にこいつらの利害関係共犯関係で成り立った、いたって資本主義的な営為しかなくて(ここは元増田もある程度自覚的ではあるが)

「何が芸術か」なんて、実際のところ誰も考えちゃいねーんじゃねーのか

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(後半)


(前半からの続きです。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093126


現代アートの不満


もっとも、現代アートは手放しで褒められるものでもないでしょう。多くの批判者が火のないところに煙を立てているとは言えないと思います作品の出来が悪いものも混じっていることは否めません。


大方の批判にもかかわらず、私は今回のトリエンナーレではそのような「的外れ」感のある作品ほとんどないか、かなり少なかったと感じています。これもキュレーションのよさでしょう。


思い返せば2020年トリエンナーレにあった「エビSEXをさせる方法を考える」という一連の展示はひどかった。テーマはとてもよかったのですが、日本(だったと思います)のクリエイターたちの作品はふざけているとしか言いようのないものでした。その課題は、「エコスフィア」(エビ水草の入っている閉じた水槽)の中でエビ酸素を吸って二酸化炭素を出し、水草二酸化炭素を吸って酸素を出す。この循環のバランスはうまく保たれているが、一つ問題があって、エビ生殖をしなくなる。そこでエビ生殖をさせる方法を考える、というものでした。多くの作品エビセクシーな格好をさせるとか、エビ秘宝館のようなものを作るとか、そういうものだったと記憶していますしかし、クリエイターたちはこの「エコスフィア」が地球生態系比喩であると気づかなかったのでしょうか? だとしたら愚かに過ぎるとしか言えません。それとも、気づいていてこのような作品を作ったのでしょうか? だとしたら二倍悪い。エビとは「私たち」に外ならないのだから、つまりクリエイターたちは女がセクシーな格好をして男を誘えばよいと言いたいのでしょうか? それはあまりにも「男尊女卑」に終始していると言わざるをえません。そこには問題意識が欠如しています。「教授課題テーマはよかったが、学生たちのレポートがだめだったという感じだ。」私は友人とそう語りあったことを覚えています


2020年といえば壁にブレインストーミングのように年号出来事を書いてゆく展示もありました。そこには作家メモも展示してあり、『荘子』の「胡蝶の夢」の故事引用してありましたが、「與」を「興」と書き誤っていたことを覚えています自分のことは棚に上げつつ、非本質的でささいな事をあげつらうようですが、「どうかわからないことで見栄をはらないでほしい」と思われてなりませんでした。


現代芸術作家たちの一部が「見栄をはろう」としていることは薄々感じられます人文学哲学歴史学経済学などに議論の蓄積がありとっくに通過してきた知見について、芸術家たちが何周も遅れて的外れなことを言っている光景は、あまりみっともいいものではありません。なぜそのようなことになっているかといえば、芸術家が「作品」だけではなく、その「意味」で評価されるようになっているからでしょうか。


かつて芸術家は貴族の注文にこたえて絵を描いていたそうです。今の作家自由作品を作れるはずなのに、ただ社会要請にこたえて作品を作ろうとして、中身のないステートメントを打ち出しているのは、痛々しくさえあります


しかし、これは決して「アーティストはよけいなことを考えるな」と言いたいわけではなく、むしろその逆で「もっと学問をしてほしい」ということです。しかもそれは「芸術家」としての意識以前に、「市民」として当たり前にもつべき意識であると思うのです。芸術家は作品だけで力のある面白い作品を作って、そしてそれとは別に最低限、当たり前に市民として的外れでない発言もしてほしいのです。


作品」と「意味


トリエンナーレと同時開催の展覧会Bank ART Life7「UrbanNesting: 再び都市に棲む」に足を運ぶと、新高島駅地下1階の会場の入口には巨大な土のダンゴがありました。これはかなり面白かったのですが、説明を見ると福島の土で作ったとありました。もちろん福島原発事故はまだ収束したと言えませんし、提示された問題は深刻です。しかし、その場では私も友人も何となく興が醒めてしまったのです。それはなぜでしょう? 何となく、「作品面白さにテーマが負けている」と感じました。私も「キラキラ」なアートを好む一員であり、私の中で「無意味」のもつ破壊的な力に「意味」が負けてしまったのかもしれません。あるいはその逆で、テーマの重さのために、作品が軽く見えてしまったのかもしれません。いずれにしても、私は作品のよい受け手になることができませんでした。


しか問題受け手だけにあるのではないと思います。「作品」と「意味」のバランスは難しいことであり、作り手の側でもうまく調整しなければならないものです。先程述べた通り、今回の展覧会にはピンボケ作品が少ないと感じました。しかし、今回の出品作のうち、どれくらいが「意味」(言葉による解説)なしに「作品」だけの魅力で勝負できるものだったかは疑問も残ります


今回の展示にあったBゼミの試みはよかった。「意味のないものを作る」とか「新しい楽器を作る」とか、芸術意味から解き放つような試みは今でも頼もしく思われます。どうもいまのアートは、意味付与された瞬間に弱くなってしまうような気がしています作品意味との関係性については、まだまだ考える余地がありそうに思います


私の身近に YOASOBI のアニソンが好きでないという人がいます。「アニソンというのはアニメ解釈であり、アニメへの讃歌であり、しかアニメ本編とはズレているか面白い。YOASOBI の歌はアニメストーリーをそのまま歌っている。だから面白くない」と言うのです。何となくわかる気もします。偉そうに勝手なことを言うならば、現代芸術世界にあるモノをそのまま出すのでなく、世界アートの形で表現するとどうなるのか、「意味」に傾きすぎず「作品」の力で見せてほしいと思います


しかし、芸術に「意味」をこめるなというつもりではありません。批判者の中には、芸術家は被災地創作で消費するのではなく、実際に活動をすることで被災地に貢献すべきだというような意見を言う人があったような気がします。もちろんそのような活動はしないよりもしたほうがよいのですが、それはあくまで「市民」としてのはたらきであって、「芸術家」としてのはたらきではないでしょう。芸術家には芸術家にできることがあり、それは創作であるということを否定するつもりはありません。しかし、だからこそ「作品」と「意味」にはもっとよい関係があるのではないかと思います。その答えが何かということは、残念ながら即座に提示できないので、偉そうに勝手なことを言うだけになってしまうのですが……。


批判いたことのついでに言えば、今回のトリエンナーレ批判する意見の中には、電気を使ったインスタレーション環境問題を訴える作品を同じ空間に並べることの違和感を語る人がいたように記憶しています。その違和感理解できますが、それとは別に芸術資本関係という問題も感じました。入り口の協賛企業の一覧を見たとき、たいへん違和感がありました。資本主義への警鐘をならす作品(全てではないにしろ)が、大資本資金で展示できるとは! 大企業はそのようなお金を出すほうがよいと思いますけれど、その一方で企業がそれを「みかじめ料」として批判されなくなるべきではもちろんないでしょう。作品意味もつときには、その作品のおかれる「場」までもが、自らの意味暴露するようになるのかもしれない。初っ端からそんなことを考えさせられるなかなか面白い「展示」でした。


むすび


咎め立てばかりしてしまったようですが、最後によかったところをいくつか述べたいと思います。友人は、今回のキュレーター解説文(紹介文)がよかったと言っていました。友人によると今や「この作品はこう見るべきだ、ここが素晴らしいのだと天から決めつけて、自分に酔ったような解説」を見ることも多いなかで、今回の解説文は「キュレーター自身作品をどう見るか、真摯に考えて書かれていたので好感が持てる」というのです。また、「キュレーションにも工夫が多かったような気がする。例えば商業主義マルボロ広告の下にインドの貧しい生活を描いた版画を配置するなど、『対比』を意識したものがいくつかあったように感じた」とも言っていました。キュレーターの仕掛けた「作品」と「意味」の関係性のバランス果たして十分達成されたかどうか、それはよくわかりませんが、キュレーター真剣構成しており、私たちに問いかけるものがあったのは確かだと思います


要するに、初めに述べた通り「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということです。言いたいことはこれに尽きます


魅力のある作品も少なくありませんでした。友人は勅使河原蒼風ファンになり、富山妙子画集を買いました。私は土肥美穂の buttaiが気に入りました。同時開催のBankART Life7では、みなとみらい駅の腕木信号オブジェや、Bank ART Stationにあった送風機で立ち上がる足などの機械仕掛け作品が好きでした。


つらつらと思いつくまま書くうちに、思いがけなく長文になってしまいました。次回のトリエンナーレにも期待しつつ、このあたりで終わりにします。


横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


2024-04-16

カオスラウンジは今

2011年炎上

東日本大震災のあったこの年、カオスラウンジメンバーである梅ラボ

画像掲示板ふたばで作られた「キメこな」を丸パクリしたことが発覚

リーダー黒瀬陽平が「ネット画像は好き勝手に使わせてもらう」と明言したこと

pixivを巻き込んだ大炎上となったことで一躍有名となった。

 

当時のカオスラウンジ

アート業界から村上隆オタク業界からpixiv言論業界から東浩紀という

三業からの強力なバックアップを受けた一大プロジェクトであった。

 

しかし、この炎上が原因となり、村上pixivカスラジとの関係を断ち

以降は東浩紀率いるゲンロンのバックアップの下で活動していくことになる。

 

東浩紀との関係

当時、東浩紀は「福島チェルノブイリのようにダークツーリズムで客を集めよう」との考えから

カスラジとともに福島での活動を行っていた。

特に有名なのが2013年の「福島第一原発麻雀計画である

https://togetter.com/li/609484

 

また、2015年には「ゲンロン カオス*ラウンジ芸術校」を開設。

ゲンロンの美術部門としての活動を行った。

表現不自由展」で有名になったあいちトリエンナーレ2019には

この新芸術校の出身者が複数人出展している。

 

パワハラ不倫裁判

2020年、当時カオスラウンジ社員女性黒瀬セクハラパワハラ告発告訴

カスラジは当初公式にて事実を認め謝罪したが

後に「調査した結果そのような事実はなかった」として女性側を逆告訴した。

 

2022年に「セクハラはあったがパワハラはなかった」と判決が下ったが、女性側は控訴している。

被告黒瀬ら3名は告発以降表向きは沈黙していたが

判決後にTwitter更新を再開し、活動を再開した。

 

なお、黒瀬は本件の責任を取りカスラジを退任。後任は藤代嘘となった。

2011年炎上当事者である梅ラボは、本件には無関係被告にもなっていない。

本人曰く「黒瀬らと被害女性との話し合いの仲介をしていたが、裁判を避けられなかった」として

女性告訴があった日にカオスラウンジ離脱している。

  

ゲンロンは本件を受けてカオスラウンジとの契約を解除した。

同時に「契約違反があった」としてカオスラウンジ提訴しているが、違反の内容や裁判の結果は明らかになっていない。

 

近年

訴訟以降、黒瀬は公に活動していなかったが

2013年8月キュレーターとして「お分かりでしょうけれど、私は画家であることをやめていません。」展を開催した。

カオスラウンジとしての活動ではないが、参加アーティストはほぼカオスラウンジと同じであった。

参加者によれば、会場は第1から第3まであり、第3会場に入るには「個人情報所属を提出した上」での「抽選制」とのこと。

2024-03-25

anond:20240325110750

表現不自由展かんさい」大阪会場に13・14日脅迫状が届いた件。本日15日警察庁事実関係と開催前後対応確認警察主催者要請により開催前から予め警備を行なっており、現在脅迫罪容疑で捜査中。行政として脅迫に屈せず、表現の自由と主催者関係者最後まで守り通すことを警察に念押し。

https://twitter.com/yamadataro43/status/1415625472172388355

表現不自由展・その後」が開かれていた名古屋市民ギャラリー栄で8日郵送物が破裂し実質中止に追い込まれた件。9日警察庁事実関係捜査対応確認。現時点で威力業務妨害可能性。展示内容が気に入らないからと暴力により従わせようとするのは犯罪で、表現の自由からも許されるものではない

https://twitter.com/yamadataro43/status/1413438359389671426

愛知国際芸術祭への補助金交付の件、現段階では報道しか確認が出来ていませんが、このような事はあってはならないと考えています

https://twitter.com/yamadataro43/status/1177036726948118528

トリエンナーレの件、表現する事で恐喝脅しにあってはならず刑事事件として対処すべき。

https://twitter.com/yamadataro43/status/1157717512299020288

2024-03-13

anond:20240313113155 流石に、トンデモ擁護過ぎて無理がある。

事実確認として。まず第一に、行われたのが内覧会で、当然、招待状をもらった人向けの限定的な式典。

美術館公共に開かれた場 とか意味不明な事言っているけど、

勝手第三者が入ってきて主催者とも美術館とも無関係自分勝手な事をしてるだけの話ですよね。

そりゃ、警察を呼ばれるのは当たり前。

https://www.timeout.jp/tokyo/ja/news/nmwa-stopgenocide-031124

展覧会出品作家有志を中心とする市民」によって計画実行されたもので、同館や展覧会主催者にとっては、全くの予想外の出来事であったという

逆に、”あいちトリエンナーレ”の様なイベントに、

右翼集団が入ってきて、主催者の諸々の展覧会邪魔しても右翼の主張を聞きましょうと思ってるの?

そして、それが「表現の自由」だとでも本気で思ってるの?

この場合も当然、主催者等で排除できない相手は、警察によって排除されるのが正しいのに変わりないでしょ。

2024-03-07

朗報表現の自由戦士さ~ん、表現の自由が守られましたよー!

あいちトリエンナーレ訴訟名古屋市の敗訴確定 最高裁が上告棄却朝日新聞デジタル

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASS3756V2S37UTIL01H.html

国際芸術祭あいちトリエンナーレ2019」をめぐり大村秀章愛知県知事会長を務める実行委員会が、名古屋市に未払いの負担金の支払いを求めた訴訟上告審で、最高裁第三小法廷林道裁判長)は市側の上告を退けた。6日付の決定。支払い拒否違法として、市に未払い分全額の約3380万円の支払いを命じた一、二審判決が確定した。



天皇写真燃える作品を展示した表現不自由展の未払い費用3380万支払い確定だってよ!

やったね!

表自界隈ちゃん

表現の自由が守られたよ!

2023-11-26

anond:20231126104253

そもそもあいつらが焼いてるのってオナニーネタですらないしな。

これ全部、オナニーネタですらない、ただの全年齢向け表現から

本当にオナニーネタ、つまり性器乳房肛門露出してるような広告だったら、まあ規制されても仕方ないかと思わなくもないけど、たかだかこの程度の表現に、UN Women日本支部やらフェミニスト議員連盟やら立憲民主党の元議員やら共産党地方議員の皆さんやらが噛み付いて、ゾーニングだの性犯罪を誘発だのと言ってきたわけで。

で、UN Women日本支部は結局、国連加盟国である日本に対してアンステレオタイプなんちゃらの規約は公開してないんでしたっけ?

フェミ議連の人たちは集められた署名ノーコメント貫いたんでしたっけ?

ふざけんなよ、お前ら。

なんでこれで俺たちがお前らを支持すると思ってるんだ? 俺たちが支持できない以前に手続き正義すら満たしてねえじゃねえか。

立憲民主党はまだいい。個々の議員自主性が高く、いくつも派閥みたいなのがあって、上意下達とかが機能してない分権的な党だから、栗下善行都議とか、藪原太郎武蔵野市議とか、そういう表現の自由を掲げる政治家や、枝野幸男代議士みたいな本来意味でのリベラリストを支持すればいい。問題なのは共産党、お前らだよお前ら。民主集中制上意下達の党で、これだけ多くの議員萌えバッシング血道を上げてんのは、もう党の方針がそういうことだって見做していいんだよな? 吉良佳子参院議員選挙前に言ってた表現規制方針も、つまりそういうことなんだろ? 池内沙織元代議士みたいなひと目で限界フェミだとわかるやべーやつと違ってマトモそうだなと思って入れた俺の一票を、表現規制に使いやがって。党所属地方議員たちによる温泉むすめや撮影会への執拗バッシングを党中央がなんも諌めてないってことは、要するにそういうことなんだな? 地方選挙で入れ続けてきた票を踏み躙りやがって。俺は一度も自民維新公明に入れずお前らに入れ続けてきたのに、とんだ恩返しだよ。外交防衛ではカスだけど俺たちの生活を守ってくれたり腐敗を追及してくれることを期待して入れてたのに、俺らの趣味攻撃しはじめたりずさんな会計をしてた団体を庇いだすならもうお前らに見るべき点なんて欠片もないんだよクソが。趣味生活の一部に決まってんだろーが。どんな高給になれても趣味を十分に謳歌できないならそれは豊かな人生じゃねーんだよクズ趣味人にとっては趣味弾圧党より増税党の方がまだマシに決まってんだろバーカ。

ほんと、独身男性として「現在の」共産党に入れることは肉屋を支持する豚と同じでしかない。はやくフェミと手を切って男女問わずすべての庶民の厚生に資する党に戻ってくれ~~~~~~~~~。

追記

世の中には着衣エロってジャンルがあってだな、増田、殿方の勃起ポイントはお前が思ってるより多様なんだよ

それに性的興奮を感じる殿方がいる理論すげーな。たとえば大概の異性愛男性にとってある程度の性欲をそそられるであろうピーチジョンの広告は当然アウトだし、手フェチや足フェチや首筋フェチ存在考慮すると普通婦人服広告も駄目だし、ゲイを考えると男性を起用した広告規制されるべきで、ズーフィリアいるか動物もセーフじゃないよな。子供を使った広告? 論外だ論外!

薄味が好きなものとしてはそこはかとない情緒があるものエロくないって言い張るの相手土俵に自ら乗ってるような危惧があるんだよな。別にオナネタにしてもいいだろ

性的」って言葉濫用されすぎて無意味になりつつあるから「広い意味生殖性愛に関わっているので性的」「異性愛者としてつい目を惹きつけられてしまう程度に性的」「子供に見せられない程度に性的」「勃起する程度に性的」「公共の場での掲示制限されてしかるべきほどに性的」「法で禁止されるべきほどに性的」みたいに「どのくらい性的なのか」を意識して喋ってほしいんだよな。たとえばpixivガイドラインではキスや抱擁は「軽度な性的描写」だけど、これを性的といって排除する人はいないだろう。美少女を使ったポスターの類も、多くは「異性愛者としてつい目を惹きつけられてしまう程度に性的」だろうけど、「公共の場での掲示制限されてしかるべきほどに性的」ではないわけで、そこで後者意味性的じゃないだろって言ってる人に対して前者の意味を持ち出して「オタクはしらばっくれるな」とか言われても困るんすよね、的な(「性愛対象として魅力を感じる程度に性的」をアウトとするなら、多くの異性愛女性性的に魅力を感じるであろうイケメンを起用した広告なんかは全部性的からアウトってことになる)。

オナニー云々とか全年齢云々って関係あるの?sexual objectificationをやめろという話しか普通されていないと思うのだが。

sexual objectification(性的モノ化)概念、「オリエンタリズム」みたいに批評の中で用いられる分には意味のある概念かもしれないと思うんだけど(たとえば「あの展示はオリエンタリズムど真ん中だよね~」みたいな展評はいくらでもあるけど、それで展覧会キャンセルされたり抗議のお電話とかが来たりしないので、いい塩梅の使われ方をしていると思う)、展示・発表の場を狭めるために用いるとするならファジーすぎてまったくお話にならない。厳格に「モノ化」概念適用するなら、そもそもオタクが愛好する美少女の多くはそれぞれの作品内で人格主体性を持った存在として扱われているんだから何ら「モノ化」には当たらないし、何らかの道具として使われているから駄目だという広い意味での「モノ化」概念採用するなら羽生結弦を起用した献血ポスターだってアウトだろ。客引きに宇崎花を使うのはモノ化だけど羽生結弦を使うのはモノ化じゃない、なんて理屈が通ると思ってんのか?(個々の作品の背景を知らなければ単なる美少女の絵にしか見えず主体性を窺い知れない? スケートに興味がなければ羽生結弦ポスターだってただのイケメン写真であって何ら主体性は見えてこないだろ?)

公営プールでの水着撮影会” これは公序良俗とか風紀の問題

いかにも保守派が言いそうな決め台詞でニッコリしちゃった。ゾーニングされてる県営公園での水着撮影会公序良俗に反するというなら、ゾーニングされてる愛知芸術文化センター天皇写真を焼くアート公序良俗に反するよな? もちろん俺は表現の自由戦士だからあいトリエンナーレへの妨害は許せない、特に河村たかし市長のような公人が潰そうとしてたのは表現の自由の危機だ、って思うけど。

露出よりも表象対象未成年かどうかで判断基準は大きく変わるかな。

その理屈なら、作中で明白に成人(当時)を迎えて酒も飲んでる宇崎ちゃんは何も問題なかったはずだし、VTuber温泉むすめが叩かれたのは何だったの? ってなるでしょ。

だいたい、「非実在であっても未成年性的な目で見てはならない」という規範存在しないからね。たとえばテニス大坂なおみ選手は、設定上は中学生である越前リョーマ「My husband」と公言してるけど、何も叩かれてないでしょ。仮に越前実在人物だったら児童婚で一発アウトだけど、越前非実在なんだから性的な目で見てもいいんだよ。

男性自慰行為できるかはどうでもいい。「男は接待される側で女は接待する側」「女の接待にはエロがつきもの」という思想が見えるから批判している。男性向けゲーならいいけど公的に出すなら女も客なんだから

女性向けイケメンゲーム献血ルームとコラボしたこともあるし、岩手県リンゴ美男子の姿に擬人化して話題になってたけど、ああいうのに対して男も客なんだぞ男を無視するなって怒ればいいの? 女性向けコラボ全部ダメになる自爆攻撃仕掛けてる自覚ある?

「全年齢向け」の線引きが違うから話が平行線 保育園前に置いたら炎上必至な性的描写ばかり 18禁漫画手法を全年齢向けにしないでくれよなーって話 「あのお姉さんの漫画読みたい」って3才が言ったら困るのばっか

3歳児に見せたくない、が基準なの? すごいね! 『鬼滅の刃』も『名探偵コナン』も『島耕作』もゾーニングしなきゃね! 少女漫画もけっこうゾーニング対象なっちゃうね! レイプされた女の子が心の傷を負いつつも立ち上がる描写がある『生徒諸君!』とか、最後アンドレグランディエの妻に……なる『ベルサイユのばら』とか、言うまでもない『あさきゆめみし』とかも、3歳児にはまだ早いかゾーニングして公共空間から排除しようね!

たとえば男性モデル水着撮影会なんてあまり聞かないし、女性を好きに見る対象にしたいとの底意が見え見え。男女の権力差をはっきりと作ってるわけだ。

男性モデル水着撮影会、やりたい女性大勢いるならやればいいと思うよ! 誰にも禁止されてないんだから好きに開けばいいんじゃないかな! もし自民党の県議イチャモンつけられたら表現の自由戦士として連帯するから教えてくれ!

無関係外交等をわざわざ貶してる時点で元より反左派では。性的消費風潮への批判陽キャのオタ見下しコンテンツについてぶつくさ言うのと同じだと思うがね、それも「快不快文句を言うな」で済ませるのか。

前段、反左派だと共産党投票しちゃいけないの? 言ってる意味マジでからないんだけど。外交防衛政策のクソさと庶民生活向上とか教育とか医療とかそういった方面での政策とを天秤にかけて後者を選んでただけなんだけど、そういう消極的な支持者はお呼びじゃなかったってこと? ふーん。左派に忠実な支持者だけで頑張ってくださいね、どれだけいるか知らんけど。

後段、本当に「ぶつくさ言う」程度だったら別に何も言わないけど(誰しも嫌いなコンテンツはあるし)、議員連盟やら国連機関やら元衆院議員やらが圧力かけるのが「ぶつくさ言う」になるわけ? そんなら河村たかし市長あいトリエンナーレに「ぶつくさ言う」のも、自民党のセンセイ方が歴史教科書に「ぶつくさ言う」のもアリになるじゃねーか。次から右派政治家表現に「ぶつくさ言う」のを咎めいであげてね!

弱者男性問題ってオタク差別問題の延長なんだと思う。増田趣味人(=オタク)の問題であり、独身男性(=モテない)の問題だとしている。オタクって弱者なのかなあというのがなんかずっと疑問としてある

ちょっと前までは「もうオタク差別なんて残ってないやろ。いい時代になったなぁ」と思ってたけど、ここ数年の左派野党の狂乱っぷり見てたら「オタク差別、まだあるじゃん……」って真顔になっちゃうよね。弱者かどうかは知らんけど明らかに蔑視があるっしょ。

2023-11-04

anond:20231104124548

性犯罪被害告発に対しては、セカンドレイプという主張が濫用されすぎだと思う。こんなん「時と場合による」としか言いようがないよね。

被害を疑ってはならない場所心療内科の診察室やカウンセリングルームなど

この場では、とにかく「被害者」の言うことが真実であるという前提で接するべき。仮に「被害者」の言うことが疑わしいのだとしても、ダイレクトに伝えるのではなく、治療者として適切な言葉遣いで伝えたりそれとなく適切な治療に繋げたりすることが求められるだろう。カウンセラーは知らんが、医師国家資格があるわけで、そういう配慮も当然要求されるだろう。「嘘なんじゃないですか?」とか直截に言うような心療内科医やカウンセラー看板を下ろすべきだ。

被害を疑って構わない場所法廷や取調室など

刑事裁判は、圧倒的強者である国家権力が、無力な弱者である市民被告人)に対して、罰を科すかどうか決める場である。当然、被告人は、全力で自らの身を守る権利がある。被告人は身を守るために、「その日はアリバイがありました」とか「そんなことをする動機がありません」とか「踏み間違いではなく車の欠陥ではないでしょうか」とか「ドラえもんに助けてもらおうと思いました」とか「被害者の証言はここがおかしいと思います」とか、ありとあらゆる反論国家権力に対して行うことが許されるべきだ。

実際、今回の事件会津若松虚偽告訴事件のように虚偽の被害を訴えた事件だけではなく、「本当にレイプ事件はあったのだが、被害者が被告人犯人勘違いした」事件もある(氷見事件)。「本当の被害なのだから、その証言を疑ってはいけない」などという原則採用することは、刑事裁判原則から考えてありえない。たとえどれだけ悲惨被害に遭い苦しんだ被害者の証言であったとしても、疑われてしかるべきなのだ。なぜなら、被害本当にあったのだとしても、被告人犯人ではないのかもしれないのだから

ケースバイケース:一般社会

たとえば、仲の良い善良な女友達が泣きながら被害に遭ったという話をしてるときに、何の根拠もなく「それほんと? 嘘なんじゃないの~?」と言うのは割と人の心がない所業だと思うし、周囲のやつらからドン引きされ絶交されたりしても、まあ仕方ないだろう。

逆に、隣近所では評判のウソツキ女が被害に遭ったという話を吹聴していたら、何の根拠もなく「それほんと? 嘘なんじゃないの~?」と言っても、まあ、仕方ないだろう。日頃の行い、オオカミ少年、ってやつで、こういう場合被害を疑うのは社会で生きていく上でなんら問題ない。

もちろん、善良な女友達が実は痴漢冤罪カツアゲ犯であり、評判のウソツキ女が実は本当にレイプ被害に遭っていたということもあり得るわけだし、実際の社会にはこのあいだに広大なグレーゾーンが広がっていて、「新聞で短く報道されたヨソの県のヨソの市での性犯罪」なんて、実際のところはどうだか全くわからないだろう。というか性犯罪だけじゃなくて、殺人だって詐欺だってだってそうであって、つまり本当に大事なのは「それ、わざわざ話題に出す意味ある? あなたコメントする意味ある?」ということだろう。友達や近所の人なら意味必然性もあるかもしれない。友達が泣き崩れてる横で「僕はノーコメントで」とか言うのは(よほどの事情がない限りは)人でなしのすることだ。しかし、「新聞で短く報道されたヨソの県のヨソの市での性犯罪」にあなたコメントする意味はあるのか?

さらに言えば、そのコメントを公開の場でする必然性もあるのか? もし「草津町ってひどいところだよね~」とか「絶対草津には行きたくないわ~」みたいなことを家族や友人のあいだでだけ喋っているなら、たとえばSNS発言をめぐって訴訟リスクを抱えるようなことには基本的にはならない。草津町長は名誉毀損で何人もの人たちを訴える意向だと聞いているが、彼ら彼女らが身内の飲み会でそういうことを言っているだけだったら、町長は何の手出しもできなかっただろうし、フェミニスト学者の人たちが謝罪を求められることにもならなかったはずだ(cf. anond:20221117054344; anond:20221118212515; https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/okisayaka/status/1592551751072509953)。

もちろん、自由社会には「表現の自由」という大原則があり、意味必然性もなくとも表現自由であって、それを否定するとあいトリエンナーレクジラックス弾圧される世界になってしまうからSNSなどのオープンな場で自分にとって縁の薄い場所で起きた犯罪についての論評を行うのは自由であるべきだ。だが、天皇アートロリ漫画と違って、実在犯罪への言及には「冤罪に加担してしまう」というリスクが常につきまとう。「七色のおっちゃん」である(単なるざまぁ物かと思って読み始めたら期待値よりは面白かった)。義憤を燃やすはいいが、それは後に訴えられるリスクを負ってまで燃やすべき義憤なのか? はよくよく考えた方がいいだろう。別に黙れとは言ってない。たとえば加藤智大のように現行犯で取り押さえられた人物については、冤罪危険はそこまで大きくないので、言及しても比較安全かもしれない。しかしもちろん、四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件のように、現行犯であっても冤罪があり得、取り返しのつかない結果が起きていることも忘れるべきではないだろう。そういうリスクを織り込み済みで、公的な場で義憤を表明したい、というならそれはもちろん表現の自由なので、どんどんX(旧ツイッター)で呟かれたりはてなブックマークブクマコメントを残されたり、たまに裁判を起こされたりすればよいのではないかと思う。

2023-10-22

20231022[アタック25]Next 2023年10月22日 #83 公務員大会 2023-10-22結果

BSジャパネクストで日曜昼などに放送

日曜日の本放送だけ1時「25」分から

BS1からボタン2回(今だけ?)とか

ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか

地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報確認

ジャパネットアプリ放送同期・見逃し配信あり

 

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

・01 [ある人物名前]やす

・02 モンブラン

・03 ふくろう

・04 鈴木亜美 すずきあみ

・05 写ルンです

・06 [2択]南 極付近

・07 [すべて][4答]北海道 兵庫県 佐賀県 長崎県

・08 テレサ・テン

・09 全日本(プロレス

10 [近似値]1149

11 カンボジア

12 [キャットウォーク]ランウェイ

・13 [3択]3(番

・14 [作曲家]リスト

・15 7(つ

・16 延暦寺 えんりゃくじ

17

・18 [ふるさとクイズ][岩手県矢巾町]ちゃぶ台

・19 [曲名アルファベット並べ]JOY

20 金(曜日

・21 ぎんなん

・22 (3)(番

23 [AC]本栖(湖 もとすこ

24 ロンシャン

・25 こんぶ

・26 インド

・27 [2択]地方

28 アグネス・チャン

・29e トリエンナーレ

・xx [ある人物名前]野村胡堂 のむらこどう

2023-10-04

anond:20231004063935

ややこしい文脈なんて関係ない外部に誤解される時点で問題だと主張してる瀬川深、あいちトリエンナーレ天皇焼きの時も同じスタンスだったのだろうか

2023-09-28

anond:20230928095328

何が嫌って、わかりきってる筈なのに

コレが・・・党議拘束・・・!?

ガチャーン!!!!!!(迫真

みたいな漫画描いて面白がってるムーブ

山田氏もあいちトリエンナーレの件で見て見ぬふりどころか

主催相互フォローのお仲間だったっていうのがガッカリだったし

イーロンも当初俺たちの味方!!!みたいなムーブしたじゃんオタク

結局オタクが信じる味方!!!なんて全然味方じゃないんだよなぁ

2023-09-01

怒れるフェミニスト観察日記

https://twitter.com/dokinbi/status/1695632225549865351?t=gDZaNRHPzigAaQa2N0cQow&s=19

北海道近代美術館

「揺さぶる絵ー変貌する日本画イメージ」展(9/16-11/12)出品作紹介④

フェイスパックの裏側に現れたのは真実の顔か、それとも…。機知皮肉古典絵画へのオマージュが複雑に絡み合あう画面の解読は、さながら知的ゲームのようです。

田中武《裏側(十六恥漢図シリーズ)》豊橋市美術博物館

フェミニストの反応

うちの娘が通ってた画塾の先生が、女の子日本美大芸術系大学行かずに海外行った方がいいと言っていた理由が、よくわかる。日本女性蔑視搾取されないためだ。


田中武氏が恥漢図で描いた「食欲、色欲金銭欲などの煩悩欲望を露わにした現代人」、全員女性

artid.jp/tanaka_works_c…

あいちトリエンナーレで、アーティストキュレータージェンダー平等を目指したのは、このような女性蔑視を「知的ゲーム」などと礼賛しないようにだと思います


北海道近代美術館に苦情のメールを送りました。メールを見ないと、美術館の人も、先進的だと思いあがっている自分たちガラパゴス業界感性が、実は市民感覚より劣っているということがわからないと思う。本来は、彼らが社会の発展をリードするべき存在なのですが、


インセルAIに描かせた絵かと思った

ミソジニー原動力にこんなん16枚も描くとか女への執着やばすぎ、作者は危険人物としてマークした方がいい


安定の九州ミソジニー男…

作者は福岡まれで在住だって、やっぱりね!

九州男児から見た女性の姿」展に変えると良さそう

2023-07-18

anond:20230717231913

エロい」は多義語。あらゆる「エロい」が性生活サポートするための商品ではない。

人がシースルーを着る時、語彙力のない人は「エロいから好き」と表現したくなるかもしれないが、だからといって「誘ってる」と言われたら怒るだろう。

「見せパン」や「つけ乳首」のような過激ファッション流行たこともあるが、それらも「下品だ」と顔をしかめられたことはあっても、「性的消費だ」「性差別だ」とレッテルを貼られたことはないだろう。

しろ、なぜ自身身体以外によって自らのジェンダー表現することを、ファッションの在り方として認めないのか。なぜそうしたファッション文化を持つ人々へ訴求する「アイコン」の存在を認めないのか。SNSで「絵師」が人気を集めるのは、彼らが「アイコン」だからだ。

こうしたイラストを「オシャレ」「かっこいい」とする感覚は、ファッションモデルを見て「オシャレ」「かっこいい」とする感覚と同じもの。ただ「ファッション」とは何かという部分で異なる文化を持つだけ。


「誰にも邪魔されずこっそりエロ漫画を読む自由」という「性的営みの自由」は、対人性愛者が対人セックスを行うのと同様に守られなければいけない。

「多少なりとも性的文脈を汲んだジェンダーエクスプレッションをファッションとして楽しむ自由」という「文化的営みの自由」は、物理身体ベースジェンダーエクスプレッションを行う人々と同様に守られなければいけない。

「そうしたマイノリティ達が受けている差別を明らかにするために、敢えてゾーニングを破ることによって人々を挑発し、怒らせる」という「政治的営みの自由」は、あいちトリエンナーレで行われた「表現不自由展」などと同様に守られなければいけない。

それぞれ区別をつけて議論していこう。

その上で、それらが現象としては重なっていたり、区別が難しい現実も丁寧に語っていこう。「見せパン」や「つけ乳首」のような過激ファッションは、少なからずの政治性が見出されたからこそ「かっこいい」と認識された側面はある。

2023-06-16

男女並んでの撮影必須立法すればカメオタは泣いて引っ込みます

グラビア撮影会中止ついでに話すカメコのポートレート撮影術というエントリ投稿した増田です。

水着撮影イベントと「あいちトリエンナーレ」は違う? 不勉強なのは津田大介さんだったな のブコメページで気になるブコメがあったので引用します。

これね、水着撮影を阻止するのは戦略が間違いです。表現の自由が盾だと潰せないもん。価値を潰す間接アプローチ戦略案件です。LGBT配慮し、男女並んでの撮影必須立法すればカメオタは泣いて引っ込みます

結論から言ってしまえば「引っ込まないだろうな」というのが正直な感想。単に男女一緒に撮影するだけ。

カメラってシャッターを切れば切るほど、構図を考えれば考えるほど、レンズを工夫すれば工夫するほど、様々なシチュエーションを探れば探るほど上手くなるのよ。

プロハイアマチュアなんて年間数万枚を撮影して作品として公開するのが数万枚の中の数%ってだけなんだ。

そしてカメラをやる上で重要なのがシチュエーション

世の中には作品として公開するため関係者同意事実上必要シチュエーション撮影環境ってのがある。

著作権法的に写真撮影者が著作者なわけで編集・加工・修正・公開なども撮影者が自由に行えるのだけれど、肖像権視点もあり撮影した作品撮影者が完全なフリーハンド自由に扱えるのか?と言えばそうじゃない。

例えば盗撮なんかはこれらを語る上で参考になる事例と考えることができ、盗撮撮影者・著作者自身による作品の利用という行為が法の制限下にあることを意味する。犯罪指定による作品利用制限ってわけだ。

もちろんコレは撮影モデルとなり自身作品として表現する被写体自身にも掛かる制限がある。

いわゆる公然わいせつと呼ばれるもので、表現者は社会一般においてフリーハンド自由服装もとより裸体でいることはできず、法の制限下にあるわけだな。

もしも水着撮影という行為社会一般において犯罪もしくは犯罪類似し、社会通念上の倫理に反し、水着撮影した者に責任が問われるとしたならば被写体水着水着姿やポージング責任が問われるものとなり、水着撮影に関わった共同責任者という立場となる。

からこそ写真撮影会という関係各所が相互合意をもって安心して撮影及び作品利用ができるシチュエーションを用意するという結論に至った。

被写体モデル撮影者が安心して作品利用できる水着のものポージング選択する責任があり、撮影者は自身作品利用ができるように配慮して撮影する必要があり、それらをもって合意が成されている。

これは撮影者と被写体モデル双方が犯罪者にならないための合意であるわけだ。

ポートレート撮影というもの実践的に修練を積める相互安心した環境が様々な撮影会なのだ


そもそも公然わいせつというものは物凄く恣意的解釈可能概念で、もしも今回の水着撮影会の件で勢いのまま規制をしたら影響する範囲は正直に言って予想が付かない。

例えばアイドル界隈にも撮影会存在する。チェキ会などと呼ばれるもので、アイドル界隈の中にいわゆる地下アイドルやメン地下も含まれる。


公然わいせつとは何処から公然わいせつなのだろうか?

アイドル撮影会にはハグや頬にキスなどの"オプション"の存在アイドル界隈では認知されているけれども、これらは水着撮影の件から勢いのまま規制に走るとおそらくは影響してくる。

当然ながら撮影シチュエーションとしては男女揃った状態であり、水着でもないし勢いのまま規制を明文化するとアイドル界隈は"レギュレーション準拠した撮影会"を企画する。これが明るみになった場合倫理上の問題で裁かれるのは当然ながら推しアイドルチェキを依頼したファンだ。共同責任者だからね。

今ある自由制限するときは本当に慎重な議論必要だし、もしも誤った解釈冤罪の憂き目にあった場合保障必要だと考えている。誤った解釈で急な中止になった場合補填とか。

そしてこのエントリを作った者として訴えておくけれど、件のブコメの人を非難しないししたくはない。あのブコメがなければエントリ書いてなかったから。

老若男女が犯罪者にならないで済むことは我々が愛する自由への開放へ繋がることだと思うよ。フェミニストだろうが表自戦士だろうが急に犯罪者にならないことは良いことのはずだ。

2023-06-15

デタラメTPOZoninger】津田大介表現の自由

https://youtu.be/pJg1SyGCMc0

方面から突っ込み多数!?リタスTV活躍津田大介氏の「TPO発言日本共産党と深い繋がりのある埼玉県水着撮影会中止問題界隈が沸き立つ!「... https://youtu.be/pJg1SyGCMc0

@YouTube

こういう津田大介の幼稚な幼稚なバカほどTPOゾーニングとか言う。

からバカ

津田大介氏「法的にOKでも公共の場で、少なくない人が顔をしかめるイベントが“堂々と”開催されていたら、その範囲を狭めましょうって動きは出てくる。トリエンナーレとは違う。」

https://togetter.com/li/2165161

米山 隆一 @RyuichiYoneyama

ええと、その論理が通るなら、表現不自由展もダメになると思うのですが…。私は表現不自由展は開催してよかったと思うのと同様に、水着撮影会ルールに則った運営がなされる限り、開催に問題ないと思います表現不自由展に反対した表現の自由戦士が水着撮影会に賛成するのも、表現不自由展に… twitter.com/i/web/status/1… twitter.com/tsuda/status/1…

2023-06-11 23:17:57

米山 隆一 @RyuichiYoneyama

因みに皆さん「公共施設公共目的に使うべき」と誤解をされているようですが、「公共施設は、皆のお金で作ったのだから不適切でなければ、皆が、其々、自分目的で使っていいもの」だと思います。窮屈でない世の中を作りたいものです。

米山 隆一 @RyuichiYoneyama

先ず恐らく「ゾーニング」を勘違いされていそうですが、このイベント夏季でない、一般プールが使われていない時期の貸切で、ただプールからからも見えるというだけです。それを全部シートで囲うのは可能しょうが結構費用ですし、違法でない撮影がされているなら、果たしてそれを主催者に… twitter.com/i/web/status/1… twitter.com/tsuda/status/1…

山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン @otakulawyer

表現不自由展を開催したトリエンナーレ芸術監督表現の自由の意義と機能理解していないことを自白してどうする。

「法的にOKだったとしても公共の場で、少なくない人が顔をしかめるようなイベントが「堂々と」開催されていたら、そりゃその範囲を狭めましょうって動きは必然的に出てくるわけ」

CDB@初書籍発売中! @C4Dbeginner

津田大介氏は昨夜10時の埼玉県知事中止撤回声明の2時間後に「開催に問題があったとは言ってない」とコメントしてますが、問題のない開催に対する中止命令をろくに批判しないまま「表自界隈はTPOをわきまえるよう言え」「うざいですねマジで」と異論を次々ブロックしてたことになり、理解しがたいです… pic.twitter.com/JOjvwY4cH8

2023-06-11

anond:20230212221336

共産党失望した三十代オタクだけど、今回の水着撮影会中止騒動で「流石にダメだろ……」としか言えなくなったので、共産党に入れないを超えて共産党議会から追い出すべきだと思うようになった。もちろん民主的手段で。

同意を得た上での未成年水着姿の撮影自体は現状ではまったくの合法なのだから(そうでなかったら旅行先での家族写真友達と海に行ったとき記念写真すらも撮れなくなる)、たとえばガッツリ違法行為である未成年との淫行などと違って「行為が判明したので即座に許可取り消し」のような処分が許容されるとは思えない。「今月から禁止になったから、きちんと年齢確認やってね」とか、「今回は許可出したからやっていいけど、今後は貸さないから」のようなもっと穏健な手段はいくらでもあった。

未成年水着姿の撮影キモいキモくないかでいえばキモいし、無理強いのようなことがあってはならないが、たとえば性行為と違ってそれ自体身体的な健康を害する行為ではない。だってただの写真撮影であり、隠すべき部位も隠れているんだからである以上、性行為と同列の厳しい規制を行うことが適切とも思えない。ピアス穴を開けたりするのと同程度の自己決定権未成年にも認められていいんじゃないだろうか。まあ俺はピアス開けたことないけど……)

(というかこの手の話は、10歳と17歳を「未成年」と一括りに論じているのがおかしい。小学生ピアス児童虐待が疑われるので校則禁止するのも妥当性があるかもしれないが、高校2年生がピアスをつけるのは、小遣いやバイト代範囲勝手しろ、体育の授業や工業高校の実習では危ないから外せ、程度の介入で構わないと思う。セックスのような重大事項ならともかく、たかだか水着での写真撮影程度のことにピアス以上の重みを与えるのは賛同しない。というかほんと、そこまで言うなら子役禁止も主張しろよ、と言いたくなる案件が多すぎる。まあはてなーの多くは子役禁止すべきと考えているのかもしれないが……)

そもそも主催団体が「県の許可条件に反した写真は弊社ではない」って言ってるんだけど、そのへんちゃん確認したんすか? 条件守ってるところまで一律で排除されるのはどう考えてもおかしい。ある音楽団体が県営ホール狼藉を行ったから、二度と県営ホール音楽家には貸しません、というのが乱暴な話なのはだってかると思うんだけど、どうして撮影会排除してオッケーということになるのか。ホワイトリスト制で貸し出すこともできただろう。民営ならともかく、公営なんだからそこは偏見対処しちゃいけない領域でしょうよ。

(「タトゥー入れてるやつはろくなやつじゃないから入居を断る」といったような偏見に基づく対応ができるのは民間大家だけで、公営住宅はそんな差別をすべきではない、っていうのと同じ話。もちろん本来民間でもタトゥーの有無で差別されるべきではないんだけど…公衆浴場タトゥー禁止ふつう人権問題でしょ)

とにかく規則後出しが最悪。一度は許可を出したものを、直前になって撤回させるよう働きかけるとか、行政のあり方としてそれでいいのかという話だよ。「今回のことは仕方ないが、二度と許可しないように」みたいな穏健な働きかけじゃダメだったのか? 弁当を注文されてたご飯屋さんも困ってるじゃん。市井の小さな飯屋の仕入れ台無しにするのが共産党正義なのか? 俺はそういう市井の人々のささやか暮らしを守ってくれそうだから共産党に入れてたのに、撮影会を中止させて、主催者や出演者や飯屋の商売邪魔して、カメコをガッカリさせる、それが共産党の目指す社会なのか?

ゾーニングだの公共の場だのといった言い訳が出てきていることがもう本当にここまで来たかという感じ。ゾーニングされてるよな? 最近日本では6月前半からプール開きするのか? 気候変動の影響ってやつか? プール営業してない時期に開かれる撮影会なんて完璧ゾーニングできてるだろ。水遊びに来た親子連れがそれを目にする可能性はゼロに等しい。ゾーニングされた県営公園公共の場から挑発的な催しはけしからん、と言うなら、入場券を買わないと入れない愛知芸術文化センター挑発的な展示をすることも許されないだろ。バカなのか? あいちトリエンナーレ河村たかしみたいなクソ野郎弾圧されたときには俺は津田大介応援したけど、今回の件では、津田大介は「少なくない人が顔をしかめるようなイベントが「堂々と」開催されていたら、そりゃその範囲を狭めましょうって動きは必然的に出てくる」とか言ってるんだよな。卑劣裏切り行為だろ。俺は表現の自由戦士からこんな連中の展示も制限されるべきじゃないって言い続けるけど、そこまで自由主義コミットしてないふつうオタクがこいつらの展示に敵対的になるのは責められんよ。あなた……『覚悟して表現弾圧しにきた人』……ですよね。人の表現を「弾圧」しようとするって事は、逆に「弾圧」されるかもしれないという危険を常に『覚悟して来ている人』ってわけですよね……

でもって、やっぱりこれは共産党議員を送り込んで権力を持っているからこういうことになるんだろうな、と。とにかく、市井の人々のふつう暮らしを守ってくれる共産党は死んだんだと思うしかない。歪んだイデオロギーに染まって俺たちお前たちの自由暮らしに制約をかけようとしてくるのが共産党だ、と認識しないといけない。俺はこれまで他人支持政党に口出ししてこなかった。俺の友人には自民党支持者や公明党支持者もいるし、そいつらと政治の話もしたりするが、お互いに意見を述べつつも説得や勧誘はしてこなかった。だが共産党は別だ。もしも友人に共産党支持者がいたら友情の許す範囲共産党に入れるべきではないと説得しようと思う。やるやる詐欺で十年も棚晒し憲法改正なんかよりも、今目の前にある弾圧の方がよっぽど危機なのだから

選挙権を得てからこのかた、自民党(+維新)にだけは入れたことがなかった。ずっと民主党解党後は立憲民主党)や共産党、たまにれいわに入れてきた。なぜなら自民党への拒否感が強かったからだ。けど気づけば、自民党への拒否感を共産党への拒否感が強く上回ってしまっている。憲法改正やるやる詐欺で、圧倒的多数を握っていながら発議の気配すら見せない自民党と、現在進行形で色んなことにクレームを入れて潰そうとする共産党温泉むすめ、戸定梨香、月曜日のたわわ、そして撮影会。どちらがより差し迫った危険かなんて、少し考えればわかることだ。俺がずっと入れてきた一票がこんな連中に権力を与えていたなんて。EU離脱で後悔してるイギリスブレグジット派の気持ちがよくわかったわ。俺のこれまでの投票は間違っていたんだ。ようやく気づいた。

加えて。近年の国際情勢に対する態度がありえなさすぎるというのもある。ロシアウクライナ戦争での岸田文雄外交日本外交の枠内ではパーフェクトだった。安倍晋三菅義偉といった無能どもが外交をかき回すのを見た後だと、岸田のウクライナを支持するという一貫した姿勢は敬意に値するものだと思えるし、戦後日本平和主義体現だとも思った。だが、侵略戦争防衛戦争とを「反戦」の名の下に一緒くたにし即時停戦を求める連中には心底呆れ返る。戦争への反省ってのは侵略戦争への反省ってことなんだよ、知らなかったのか? 大日本帝国侵略大日本帝国に対する中国人民の抵抗は、同じ「戦争」でも倫理的にまったく別物だろう。だが彼らにはこんな簡単なことがわからないらしい。

沖縄左翼に関しては、正直同情する。沖縄人は防衛という名目自国軍から集団自決を強いられたのだから防衛戦争にすらアレルギーを起こすのは当たり前だろう。少なくとも沖縄戦に関しては、日本軍がさっさと降伏していればあれだけ多くの沖縄人が死に沖縄文化歴史が壊され沖縄土地が奪われることはなかったのだから……)

これまでは、共産党の国際情勢への認識おかしくても許していた。地方議会でなら外交防衛関係ない。地域住民暮らしを守ってくれていれば、ふつう民衆自由権利擁護してくれるなら、多少外交安保への認識おかしくたって許せる。だからずっと共産党に入れてきた。自分生活を良くするために。だけど彼らが自分たちの自由を奪おうとするなら、もう彼らに入れる必要なんて何一つなくなる。それどころか打倒すべき対象だろう。

とにかく選挙共産党地方議会から追い出さなければいけない。モリカケサクラみたいな疑獄の追及用に国会に数議席ある程度で十分だろう。自分にできることはなるべくやってみる。共産党には入れない。知人が共産党支持者だったら可能な限り説得する。地元共産党フェミニズム関係の催しがあるなら、行政クレームを入れられる材料を探す(もちろん本来はそういうのも自由であるべきなんだけど、流石にそろそろしっぺ返し戦略適用しても許されるでしょ……)。そうやって彼らに対抗していかないと。こんな連中に議席権力を与えてはいけないのだから

追記

公共施設過激ポーズグラビア撮影女子中学生水着撮影してた事を法律違反してないから良い、そんな事言ったら家族写真も取れなくなるで通すのは無理だって。。こんなチキンレースは止めようよ。。

直ちに法律違反してはいない、のだから、ここまで直前になっての中止要請正当化しづらいだろう、というのはいい? 今後は年齢に関する新しい規則を厳格に適用しますよ、というのであればともかく、去年未成年を出してたから、今年作った規則違反です! なんていうのはおかしいよね? これが「未成年との性行為」であれば問答無用でお取り潰しに遭うのも仕方ないけど、それほどの悪行ではないでしょう。「今月から新しい規則未成年NGにするから年齢確認ちゃんとやれよ」程度の話ならここまで言わないよ。

っていうか、「過激ポーズ」って何? どういうポーズ過激なの? 俺はグラビアとか見ないからまったくわからん健全ポーズ is 何? 何が過激で何が健全かを誰が判定するのか? 公共施設過激ポーズはよくない、なるほど確かに、では公共施設過激アートを展示するのもいけませんね、と言われたらどう返すのか? 「過激なのはけしからんですなぁ」ってのは保守派オッサンの決め台詞だろう。未成年云々の話には、未成年がまだ判断能力が未熟であることを考えると首肯できる点もあるが(たとえば「ドラマ映画で18歳未満の役者を使ってはいけない」という主張をする人が撮影会を叩くのは理解できる)、なんら具体性のない「過激ポーズ」はまったくの理解不能。「ならぬことはならぬものです」ってやつですか?

家族写真おっさんが群がる水着撮影会混同して語るとか30代オタクの評判が悪くなるだけなので自称しないでほしい。

感覚的にはまったくの別物だけど、法的に禁止できるか? っていうと、いや厳しいでしょ、って話になるやつなので。友達水着写真を撮ることや子役が出演する映画子供の出るスポーツ大会典型的には甲子園など。池江璃花子日本代表入りしたのは15歳、宇野昌磨世界ジュニアで優勝したのは17歳ときだっけ?)の中継はよくて、撮影会ダメ、というのは、感覚としては納得がいくけど理屈で考え出すと根拠がわからない(映画スポーツ大会撮影会ダメ、という立場理解できる。子供には十分な判断能力がないから全部禁止、は、賛成反対は別として納得がいく見解)。

子供判断能力を考えるなら、17歳グラビアより、10の子役の方がよっぽど強制性高くて悪質でしょ、という判断になると思う。17歳でも未成年未成年だ! グラビア撮影なんて認められん! という立場もあり得るけど、そうすると、たとえば16歳の高校球児は無理やりやらされてるんじゃないんですか、みたいな話になってくる。まあでも最近は、高校球児が投げたいと言っていても無理やり休ませるべきだ、という話になりつつあるようなので、未成年アイドルが脱ぎたいと言っていても無理やり止めるべきだ、という話になるのもわからなくはないけれど。

撮影者が性的に興奮してたらアウトなんだよ…。 不特定多数が集まる撮影会ロリコンだけ弾く方法があるのかな?

えっ!? 撮影者の性的興奮が基準なの!? そうすると、たとえばノンケの友人に頼まれ女子水着姿を撮影しにきたゲイはセーフで、イケメン球児に興奮する女子アナや女子カメラマン甲子園の中継や取材から外されるべきなの!? そんな馬鹿な! もっと真面目に考えてください。

こと規制後出しやら突然の一律中止を決定したのは施設行政という理解なのだが?共産党がアレコレ言っても規約や法に従って粛々と対応すべきだったと思うけどな。イレギュラー対応した背景は気になる。

こういう見解には一理あると思っていて、とにかく役所側が何でもかんでもクレームに屈するのは、真っ当なクレームを入れようとする一部の人を萎縮させ、クレーマーを勢いづかせるだけなので、基本的には役所の側ももっとスルースキルを鍛えるべきという話はよくわかる。「自分クレームですぐに変わったりはしない」と思えば少しはクレームを言いやすくもなるだろう。ただやっぱり、地方議会議員さんは地方政府から見れば権力者でしょう、普通に……。

ところで、都議会自民党都教育委員会に圧力をかけた結果、障害児向けの性教育が大幅に縮小されたとしたら、それは都議会自民党じゃなくて都教育委員会の責任ってことでいいですか? 自民党クレームを言っただけで、屈する行政が悪いんですもんね? 俺のようなリベラル派は、んなもん自民党が悪いに決まってんだろ、って思っちゃうけれども。

まあ勝手失望していればいいんじゃないかねえ。ところでいくらでこんなクソみたいな駄文書く仕事請け負ったの?

完全に無料で、私的時間を費やして書いていて、当然一銭の得にもならない。安倍晋三こき下ろす増田無償で書いたし、東京五輪への反対も無償で書いたし、それと同様に、これも無償で書いたということ。勝手に期待して勝手失望しただけです。まあ所詮根無し草無名リベラル派ですので。

愛知トリエンナーレに毎年通ってたタイプの人な気がする。

吉良よし子に投票したり自民党支持者の友人の前で共産党への投票公言したりしててもこんなふうに嘘認定されるんっすね~~~~~~。

まあ、国政や首長選では立憲やれいわに入れたりもしてたから、忠実な支持者ってわけじゃないけど、地方議会選挙マジで欠かさず共産党に入れてたのに党からも支持者からもこの仕打ちよ。

こういうタイプの支持者がいるんだって知らなかった? 共産党投票する人はみ~~~んな同じ考え方の人だとでも思ってました? 熱心に活動する人たちだけが票田だって思ってましたか? 違うんだよなぁ! 俺みたいに「外交安保ゴミカスだけど福祉の充実や雇用の安定では頼りになるから比例と地方議会共産党に入れとくか」って思って入れてた人もいたんですよ! そういう人からの支持は要らないみたいなんで、もう入れませんけどね!

anond:20230611134150

このところ、あいちトリエンナーレ表現不自由展」がやたら引き合いに出されてるんだけど、どうにも違和感がある。

会田誠作品エロじゃなかった)が「表現不自由展」から排除されたのをみんな覚えていないんだろうか?

田作品の性表現は余りにも過激すぎて、表現の自由を尊重する「表現不自由展」ですら擁護しきれない、党派を問わず絶対的表現すべきでない物はある、だから田作品の中でエロじゃないやつだったとしても展示は許されない。

そう判断されたんだよね。

表現不自由展」に関わったスタッフさんも、今回のような水着撮影会萌えキャラに対してはかなり懐疑的な目を向けているらしいね

anond:20230611133810

「誰にも邪魔されずこっそりエロ漫画を読む自由」という「性的営みの自由」は、対人性愛者が対人セックスを行うのと同様に守られなければいけない。

「多少なりとも性的文脈を汲んだジェンダーエクスプレッションをファッションとして楽しむ自由」という「文化的営みの自由」は、物理身体ベースジェンダーエクスプレッションを行う人々と同様に守られなければいけない。

「そうしたマイノリティ達が受けている差別を明らかにするために、敢えてゾーニングを破ることによって人々を挑発し、怒らせる」という「政治的営みの自由」は、あいちトリエンナーレで行われた「表現不自由展」などと同様に守られなければいけない。

それぞれ別々の権利であり、それぞれ別々に守らなければいけない。そしてそれら全てが「表現自由」と不可分でもある。

さらに別の論点として、「性的営みの自由」を担保する「セックスワーカー」の人々に対する職業差別問題というのもある。

2023-06-10

過激でも水着撮影児童ポルノではない】今度から表現不自由展は潰しまくっていい

そんな構成要件はない

okumuraosaka

@okumuraosaka

水着児童ポルノ説 ホントにそう理解してるのか

引用ツイート

山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン

@otakulawyer

22時間

あいちトリエンナーレ2019の「表現不自由展・その後」の5人いる実行委員キュレーター)のひとりだった人がこんなこと言っていることにびっくり。この人の表現の自由=サヨク表現の自由なんだな。 twitter.com/arai_hiroyuki/…

午後6:27 · 2023年6月9日

https://twitter.com/okumuraosaka/status/1667101051068239873?s=20

正体がバレバレ

山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン

@otakulawyer

あいちトリエンナーレ2019の「表現不自由展・その後」の5人いる実行委員キュレーター)のひとりだった人がこんなこと言っていることにびっくり。この人の表現の自由=サヨク表現の自由なんだな。

引用ツイート

アライ=ヒロユキ ARAI Hiroyuki

@arai_hiroyuki

6月9日

埼玉県しらこばと水上公園で開催予定の近代麻雀水着祭が紛糾している。女子中学生の出演の是非が問われているため。未成年水着撮影会性的搾取典型例で、高校生であっても児童ポルノ禁止法に抵触する。

午後5:58 · 2023年6月9日

英田朋(゚Д゚)@23春甲乙乙甲乙乙 3-m-1-pf-vaccinated .exe

@ZQ8HcnJ2sfK8t5x

·

21時間

今後あいちトリエンナーレに開催許可を与えずあいちリカエナハーレのみに開催許可を与え続ける事にしよう(゚∀゚)←

ヘラクレス妄言

@poirot_mustache

21時間

実行委員なら圧力に屈して制限した側なので

間違ってないのでは?

mazavozi

@mazavozi

17時間

表現不自由展そのものは、左右関係なくタブー無しというコンセプトとしては賛成なのだが…

表現の自由!と叫ぶ同じ口で、表現規制する。こういう奴らには反吐が出る💢

見物の念仏

@nenbtunotetsu

15時間

>表現の自由=サヨク表現の自由

ホントにそうで、この方、「表現不自由展」が中止になった際の記者会見で、展示内容について「日本の歴史政治体制における負の問題主題とした検閲作品が多くを占めます日本社会での検閲は、ほとんどがこのモチーフ問題から起きます」と言ってました。

https://twitter.com/otakulawyer/status/1667093715599659009?s=20

2023-06-09

anond:20230609110346

ikanosuke だからキモいという感情だけを根拠にするなと。規制したいなら論理的説明する責任がある。

red_kawa5373 絵面がキモいという理由イベントを潰して良いなら、あいちトリエンナーレも潰すべきだな。

akagiharu キモいのはわかるけど、キモイから禁止!は法的根拠にならんよな。

poko_pen 「キモいからアウト」なら「集会デモしてる人達キモいからアウト」も通ずるからダメだって言ってるのに…議員という権力者法的根拠無しに圧力かけんなと

zenkamono 「キモい」というお気持ちで、公営施設許可・不許可国会議員圧力かけて決めさせることを肯定する、まさにお気持ち至上主義お気持ち性嫌悪フェミニストの鏡だわ

Panthera_uncia お前もキモいから書き込み禁止

moho1351 絵面がキモイかどうかで正否を判断するのは左派女性特有の悪癖だな。

red_banana こどもの水着を見て欲情するスレぬし気持ち悪い。普通は興奮しないよ?なお、キモい規制するのは人治主義日本法治社会なので法で規制してね。


キモい」だけ抜き出して一般論やWhataboutismに逃げずにちゃんと「水着中学生お金を払ったおじさんが囲んで撮影会」についてどう評価するか教えてwww

ちゃんと「私は水着中学生お金を払ったおじさんが囲んで撮影会を認めます!」って宣言してねw

2023-05-04

anond:20230504232536

どうせ嘘でしょ。

そもそも津田大介は仁藤夢乃一心同体。アドバイスとかしてた社会寄生虫

名古屋田舎から何をしてもいいと勘違いしてど素人でもできると監督してあいちトリエンナーレ大失敗。

本来ホームレスをやっているべきごろつき。

ジャーナリストでもなんでもない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん