「実践」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 実践とは

2018-10-16

おめーだよおめー

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1277007

b:id:Ayrtonism 「『世の中に絶対悪がいて正義の側は何をやったっていいんだ』という古い手法」を実践してる人って誰? いてもごく少数じゃないかなあ。

しらばっくれてんじゃねえよ

2018-10-14

共産党支持

単純に疑問だけど今の日本共産党支持になるのってどういう思考なのかな?

革命起こす気も別にない感じだし、共産主義実践する気もなさそうだし…

2018-10-13

小説家になるには

https://anond.hatelabo.jp/20181012144629

この手の話については業界内で共有されてる名著がいくつもあるので、それらを読んだら良いです。

まず手塚治虫マンガの描き方―似顔絵から長編まで』という本があるので読みましょう。漫画対象に書いた本ですが、小説にも重なる点が多いです。何より分かりやすい。

(ちなみに『寄生獣』の岩明均はこの本読んで漫画を描き始めたそうな)

小説プロパーで言うと三島由紀夫小説読本』の中に小説の書き方を書いた一節があります上記手塚著と重なるところが多いですが、アプローチが違うので比較して読むと得るところが多いです。

仁義なき戦い』の脚本家笠原和夫の本(確か『「仁義なき戦い調査取材録集成』かな?)の中にも脚本の書き方を書いた一節があります。やっぱり手塚著と被ってきますが、すぐ読めるのでお勧め

最近の本だと荒木飛呂彦荒木飛呂彦漫画術』という本があります。これも手塚著とかなり被りますがより詳細で良いです。

小説物語)の書き方を書いた本はこれの他にも沢山ありますが、言っていることの大筋は大して変わりません。数冊読んだ上で実践するのが一番でしょう。

2018-10-12

anond:20181012181514

つの流行だよ

未だに実践してるあたりよっぽどモテなくてこじらせてるんだろうな

日本リベラルの糞っぷり

あいつらなんかすげー神さま視点じゃね?

日本人は〜、日本社会は〜、って

お前もやろがい!!!

なんでお前は日本人から外れてんだよ!

まずお前が実践しろよ!

2018-10-11

日本社会学における査読論文価値研究者評価大勢

備忘録程度に

社会学における査読論文位置

一般に、日本社会学において査読論文は重視されます特に、若手にとって査読論文を出すことは研究業績を重ねる上で、非常に重要であると考えられています

ただ、以下の三点が一般的な「アカデミア」のイメージとずれているため、わかりにくいところかなと思います

雑誌の格が厳格に決まっているわけではない

日本社会学においては雑誌の格が明確に決まっておらず、これがIFやh-index論文の格がある程度自動的に決定される理系(+経済学)と違うところです。

たとえば、おそらく日本社会学で一番格が高い雑誌日本社会学会が発行する『社会学評論』でしょうが、これに掲載が決まったからと言って、マーケットにおいてダントツ評価が高くなるということは無いですし、掲載率も25%程度とそこそこ高いです。

一方、関東社会学会が発行する『年報社会学論集』や関西社会学会が発行する『フォーラム現代社会学』なども掲載率は同程度ですし、評価もされると思われます。つまり査読論文の質がジャーナルの格によって決定される、という仕組みが弱いです。これは社会学領域多様性手法多様性+後述する国際意識の弱さに起因していると思われます

また、『思想』『現代思想』といった一部商業雑誌や、『ソシオロジ』『ソシオロゴス』といった同人誌に近い形態を取る査読雑誌が、ある程度の評価を受けているという点も特殊かな。

依頼論文査読論文より偉いということはないが、同程度の評価はされる

依頼論文査読論文より偉いというのはまず無いと思いますが、一方で依頼論文評価されないということもないです。一般に依頼論文査読論文と同程度の評価を受けているかと思われます

ただ、依頼論文の質がピンキリだというのが所感です。

なぜ査読論文を書かずに本にしたがるのか

エライ社会学者ほど査読論文を書きたがらない、というのは事実です。というのも、彼らは自分の考えたことを本にしてまとめてしまうからですね。

ではなぜ本にしてしまうのかというと、査読を受けたがらないというのも確かにあるのですが、概ね①社会学ギョーカイ一定程度の市場があり、エライ教授がまとめた(キャッチーor教科書になる)本は出版社としても出したがる傾向が依然としてある②査読プロセスが長い(半年-2年)ため、自分の考えをとっとと出せる本のほうが魅力的③先述した社会学領域多様性手法多様性により、査読による集合知が先駆的研究場合働きにくい場合があるという点のほうが大きいかなと思います

特に特殊なのは①ですね。この日本社会学の市場の大きさが与えたアカデミズムへの影響は、無視できないと思います

なぜ日本社会学は国際化されてないのか

日本社会学がどちらかというと内向きな傾向にあることは否定出来ないと思います比較的国際化が進んでいるのは計量分析が盛んであり、アメリカ社会学親和性が強い家族人口ネットワーク社会学の一部と、伝統的に留学風潮の強い学説史・理論でしょうか。とはいえ後者はいわゆる「国際化」とはずれてますが。いずれにせよこれら以外の領域では、英仏独語論文を書くという行為はあまり一般的ではないです。

ではなぜ内向きなのかというと、前述したように社会学比較的まだ「売れる」学問から、というのが大きいように思います。つまり国内マーケットの中で、研究にせよ知名度にせよ院生にせよある程度獲得できてしまうという現状が、外に目を向けない元凶かなと。

もちろん社会学という学問が、もともと世界的な共有知を探求するというよりも、個別特殊的事例や、異なる側面から理論体系を構築する研究を好む傾向があるということも大きいでしょう。

ただ、国際化されてないからと言って国際化が評価されていないかというとそういうことはなく、IFを持つ海外査読誌に論文が載ることは、希少故に非常に意義があるものとして認められています

社会学ムラにおける研究評価

上記したように、社会学においては論文の格は雑誌によって決定されず、査読論文と依頼論文区別曖昧であり、内向き志向である。とすれば一体研究評価はどのようになされているのでしょうか?

この問に答えるのは容易ではないですが、平均的な回答をしておきます

博論単著の出来

まず重要なのはこれで、博論単著が出せるか、出したあと評価されるかは、研究個人評価に決定的な影響を及ぼします。

一部大学院で未だに課程博士をなかなか出したがらないのは、これも影響しています。つまり単著で出せるような博論でないと、そもそも就職が覚束ないという考えなんですね。

同様に、単著就職の際の評価点として重要です。

査読論文の数

査読論文の格が特に決まってないとはいえ査読論文重要評価対象とみなされているということは、先述したとおりです。ですので、いきおい査読論文の数は、若手研究者の就職にあたって非常に重要です。いくら良い博論単著刊行できたとしても、査読論文がない研究者が就職することは(比較的)難しいでしょう。

ではどのくらい必要なのかということですが、だいたい就職までに3~4本(紀要除く)書いているのが一般的なようです。

なお、海外著名ジャーナルや『社会学評論』に載っていると、当然その分評価されますが、評価が格段に良くなるということは無いように思います。これが「格がない」という言葉事実であります

最後社会学ムラ内での振る舞い次第…

どういうことかというと、結局いくら査読論文重要とはいえ、それ以外の仕事というのも社会学では評価対象となります。つまりムラのネットワークの中で、いか仕事(ブックチャプターや非常勤講師など)を貰えるかが、結果的研究評価において非常に重要ファクターとなるんですね。コネ採用されるというのはほぼなくなったと思いますが、未だに特定大学院生比較就職やすいのは、あるネットワーク所属していると、比較研究業績を増やしやすいということもあると思います。こうした状況の中で若手研究者は業績を稼ぐために媚びへつらい、顔を売り、己が付き合っていて気持ちがいい人間であることをアピールするために、愛想笑いを浮かべながら査読論文抜き刷りを配り歩くのです。

とはいえ、これは一般的な「社会」でも一緒ですからなんとも言えないですね。とかくこの世は世知辛いアカデミアがコミュ障楽園だと思っていたら、実はベンチャー企業営業類似スキル必要であることを痛感するのは、博士課程進学後になってからなのです。

ちなみに一部の大学ではこうした制度公的に備えているところもありますが、これは先述したネットワークが発達した大学への対抗実践として見ることもできるでしょう。

なお社会学ムラ内でのふるまいのコードは、一般的な民間企業とも、いわゆる「アカデミア」の無縫さとも異なる独自の体系があるのですが、それは省略

問題などありましたら、ご指摘ください。あくまでも個人的意見です。

anond:20181011041704

実際にもので殴った事がないのかもしれないな。モノには使い方ってものがあるだろう。

元々特定の使い方を想定しているものをそれ以外の使い方したら1度で壊れるかもしれない。

しかしたら相手破壊できずに自壊だけするかもしれない。

理屈すら知らない人間が振り回すのと、理屈だけ知っている人間のそれ、理屈に沿う実践のできる人間でできることに幅がありすぎる。

そういう面倒事を回避したいなら、そういう設定ですとゴリ押しするしかない。

2018-10-10

anond:20180613010410

これを読んだのが6月身長170cmで100kgあった。

4ヶ月で20kg痩せ、10月現在80kg。

実践しての結論

・減量に運動不要。全く運動しないデスクワーク。歩数一日1000歩以下。

カロリー制限不要

・単純に糖質だけやめる(結果的摂取カロリーは減ってるか、、)

糖質取らなくても頭は回る。

・年齢は関係ない。(35歳)

・100kg程度では皮はたるまない。

・髪の毛はめっちゃ抜ける。(糖質制限による栄養不足のせいか肉中心の食生活への移行に伴う男性ホルモン増のせいかはわからない)

お前らも米・パンやめれば?

頑張れよ。

anond:20181010113827

そもそも自分他人や本などの、既存思想の影響を受けていないオリジナルだと思える自信はどっから湧いてくるんだろうね。

自分で確かめろよの方が誠実でより実践的だ。

anond:20181010112957

そういう「頭の良さ」が欲しいなら

枝葉に捉われず物事の核心を捉えられればいい、

ってそもそも自分でわかってんじゃん。

そうなるにはどうするか自分なりに問いを立てて実践していくんだよ。

そこで他人任せにして降ってくるなら、みんな苦労しないんだよ。

そして先天的な知能の程度も傍に置きつつ、どこまで達するか。

2018-10-09

anond:20181009014251

あれよりはましなものを目指したと思いたい

しかし今学界で力を持ってるのが今回話題となった実践活動系なので、この際お気持ち社会学は膿を出し切って欲しい

2018-10-08

anond:20181008175449

それはいくら何でも過酷に思えるが、しか既存価値観でやりすぎだと思えるほどの改革をしなきゃ、ラディカルな実践運動に応えたとは言えないのかもな…。

2018-10-07

メディニセ科学じゃありません!

科学的に正しいのです

1. 仮にレメディを行った人の1割程度は何らかの改善現象観測されたとする

1. (対象にもよるけれどプラシーボ効果で3割程度改善が起きる(ので 2重盲検とか必要なんだけれど))

2. 都合のよりデータのみピックアップしてよい

3. 著名な社会学者上野先生もおっしゃっているし、千田先生実践なさっている

4. ゆえに、レメディを行えば必ず病状は改善されます

2018-10-05

ただ見たのではない。

ブルクハルトは古代ギリシャにその自由中庸を見たのである。ただ見たのではない。ブルクハルトはそれをそのまま実践し、享楽的生活も、政治的な野望も、いっさい投げ捨てて、アタラクシアこころの平安)の道を選んだ。彼は一生独身で通し、また精神自由を束縛するようなどんな職務もつかなかった。

anond:20181005111919

保育所保育指針を読んで覚えて実践できる人が底辺とは思えない。

誰でもできるという事に賛成ならばあなたも覚えてみては?

ちなみに、領域の内容と狙いだけど、3歳未満と3歳以上に分かれて、さらに内容が増えたらしい。

https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000160000.pdf

私は保育の仕事したことがないので現場は知らないが自分にできるとは思えない。

2018-10-04

[]10

イラスト図解 先送りせず「すぐやる人」になる100の方法https://www.kadokawa.co.jp/product/321805000478/)を読んだ。

方法論としては悪くない。読みやすくまとまっていて、適度なモチベーション向上につながった。

ぼちぼち実践していきたいところ。復職した時に活かせればいいな。

飯食ったら久々に筋トレしよう。

最近さぼり気味だったし。

体重も極端に増えてないとはいえ減ってもないし。

anond:20181004004541

だって

どう思う?って聞かれるから

教育勅語に書いてあることの中にはいいこともあるよって言ってるんだが

そっちが聞かなきゃ淡々実践するだけでしょ

2018-09-29

anond:20180929165823

私が囲碁を学んだ過程を基に、どのようにして最低限囲碁を成り立たせれるレベルにまで向かうのかを書いてみたい。

囲碁ルールと実際の対局での手筋の間に、深くて暗い谷があるのではないかと思う。

ルールをどれだけ読んだとしても、対局時にどのような手を打つべきかを、ルール論理的に教えてくれない。

なのでルールを知っているのは前提だけれども、わからないなりに対局をこなすしかないような気がする。

うちではじいちゃんに教えてもらったのだけれど(正確にはじいちゃんが撮りためたNHK囲碁番組ビデオルールを学んだ)

じいちゃんルールや定石などについては何も教えず、ただただ「対局しよう」とだけ言って、私はわけわからんなりに囲碁を打っていた。

たまに「それはいい手やな」と言ってくれるのが嬉しかったのはよく覚えている。

囲碁では置いた石でより多くの陣地を囲むことが必要だが、交互に同じ数の手を打っていく以上

より広い陣地をより手を抜いて確保することが必要になる。

ルールとしては単純な話ではあるが(常人では)ルールの延長からどのような手をうつべきか知ることはとても難しく、

試行錯誤の末にあの手はよかった、あれはまずかったと身をもって知ることがまず最初の一歩ではないかと思う。

例えば走り幅跳びの飛距離を伸ばしたいとしても、物理法則から足の動かし方を考えることはしないだろう。それと同じ話。

陣地をより少ない手で確保するため手を抜くことも大切なのだが、囲碁は対戦競技であり相手攻撃することができる。

相手の石を全て囲うことで、石を取ることができる)

数が多ければいい、というわけではないが、基本的には数の多さは強さに繋がる。(石の厚み、というのはこの強さに関係している)

うまく手を抜くことで、石は広い範囲を覆うことができるが、手を抜いた石は弱い。

下手をすると、手を抜いた石は相手攻撃に耐えきれず、すべて相手に奪われてしまう。

囲碁をより広い家を建てたもの勝利するゲームと考えると、プレイヤーが序盤で外壁の塗装に手数をかけることは良い戦略ではなく、

まずは空き地に家の基礎となる柱を立てて家の骨格を築いていくべきだろう。囲碁は碁盤という限られたスペースで戦う。

あなたが1軒の家の外壁を固めている間に、相手が3軒分の基礎を固めてしまっているならば、もうそこで勝負はもう決まっているだろう。

どこまで手を抜けるか?というさじ加減が重要で結局は実践の中でしか身につかないのかと思う。

その強さが話題になったAIが強いのも、結局膨大なトライエラーを経ているから。

これらの勘所をまとめたものが「定石」と呼ばれる。どのように打つことが効率的であるかは、すでにある程度定型化されている。

囲碁のとっかかりがつかめない人に向けて書いたつもりではあるが、何か分からないようなそんな記事になった。

また質問があれば答えたい。

anond:20180929165823

私が囲碁を学んだ過程を基に、どのようにして最低限囲碁を成り立たせれるレベルにまで向かうのかを書いてみたい。

囲碁ルールと実際の対局での手筋の間に、深くて暗い谷があるのではないかと思う。

ルールをどれだけ読んだとしても、対局時にどのような手を打つべきかを、ルール論理的に教えてくれない。

なのでルールを知っているのは前提だけれども、わからないなりに対局をこなすしかないような気がする。

うちではじいちゃんに教えてもらったのだけれど(正確にはじいちゃんが撮りためたNHK囲碁番組ビデオルールを学んだ)

じいちゃんルールや定石などについては何も教えず、ただただ「対局しよう」とだけ言って、私はわけわからんなりに囲碁を打っていた。

たまに「それはいい手やな」と言ってくれるのが嬉しかったのはよく覚えている。

囲碁では置いた石でより多くの陣地を囲むことが必要だが、交互に同じ数の手を打っていく以上

より広い陣地をより手を抜いて確保することが必要になる。

ルールとしては単純な話ではあるが(常人では)ルールの延長からどのような手をうつべきか知ることはとても難しく、

試行錯誤の末にあの手はよかった、あれはまずかったと身をもって知ることがまず最初の一歩ではないかと思う。

例えば走り幅跳びの飛距離を伸ばしたいとしても、物理法則から足の動かし方を考えることはしないだろう。それと同じ話。

陣地をより少ない手で確保するため手を抜くことも大切なのだが、囲碁は対戦競技であり相手攻撃することができる。

相手の石を全て囲うことで、石を取ることができる)

数が多ければいい、というわけではないが、基本的には数の多さは強さに繋がる。(石の厚み、というのはこの強さに関係している)

うまく手を抜くことで、石は広い範囲を覆うことができるが、手を抜いた石は弱い。

下手をすると、手を抜いた石は相手攻撃に耐えきれず、すべて相手に奪われてしまう。

囲碁をより広い家を建てたもの勝利するゲームと考えると、プレイヤーが序盤で外壁の塗装に手数をかけることは良い戦略ではなく、

まずは空き地に家の基礎となる柱を立てて家の骨格を築いていくべきだろう。囲碁は碁盤という限られたスペースで戦う。

あなたが1軒の家の外壁を固めている間に、相手が3軒分の基礎を固めてしまっているならば、もうそこで勝負はもう決まっているだろう。

どこまで手を抜けるか?というさじ加減が重要で結局は実践の中でしか身につかないのかと思う。

その強さが話題になったAIが強いのも、結局膨大なトライエラーを経ているから。

これらの勘所をまとめたものが「定石」と呼ばれる。どのように打つことが効率的であるかは、すでにある程度定型化されている。

囲碁のとっかかりがつかめない人に向けて書いたつもりではあるが、何か分からないようなそんな記事になった。

また質問があれば答えたい。

企業化する人間 市場を生きるパーソナリティ」を受講した

講師京都沖縄東京カウンセリングを行ってきた博士(教育学)・臨床心理士の東畑開人氏。

「感じのいいエリート」が、鬱を排除するための躁的防衛慢性的な虚しさ疲労感、神経症症状、親密な関係の難しさなどを抱えているケースについての話だった。

貧困層カウンセリングでは「今すぐに治して」等の無茶を言われることがあったが、新自由主義適応したエリートのクライエントは行儀が良い。治療者のことを専門職として丁寧に扱う。自主的認知行動療法実践しておりエクセルにまとめて報告してきたりする。カウンセリングを利用するという依存的なシーンですら、相手迷惑をかけないことを重視する。こうした様子に、パーソナリティ自分自身CEOジャックされ、たゆまぬPDCAを励行している印象、あらゆるところに透明性・公平性を求める監査が入りアカウンタビリティ要求されている印象がある。こうしたタイプのクライエントの治療過程について、クライエントが行儀の良い状態→小さな依存が徐々に形成される→治療者に対する不信感・怒りが生まれる(希望があるから怒る)→治療者に対して軽視・軽蔑したり身勝手な振る舞いをする→気持ちの良くない関係を生き残る・やり抜く→クライエントの子供の部分が動けるようになっていく→自己他者の不純(リスクマネジメント不能な部分)に耐えられるようになる、というものらしい。この内容について書籍が出たりしないだろうか。東畑氏本人がまとめるのが一番正確で良いだろうけれども、私はこんな風に受け取り、要約した。

エリートのクライエントは社会的成功出来ているが自分の中の子供の部分が死んでいることによる問題が出ている。それを治療者との依存関係構築によって治療する。依存心が強すぎて社会的に失敗するタイプには認知行動療法効果的かもしれない。「認知行動療法は効かない、精神分析が優れている」という話ではなく、クライアントの状況に合わせた治療法を提案すると、質疑応答で東畑氏は言っていた。

 

福祉国家から新自由主義へ、自意識から市場へ、消費から投資へ、自己実現からサバイブ

これらの時代認識には共感しかなかった。これ自体解決したい人は政治運動に向かうのだろうか。私は政治運動をしたくない(政治が悪いというより産業構造の変化・人口動態によるものなので根本的な無力を感じる)ので、新自由主義への適応を選んでいるんだと思う。社会は助けてくれないので、自意識過剰でいられる・自己実現を求めていられるゆとりがなくなっており、望むこと自体が身の丈に合わない贅沢に感じている。消費と投資についても、弱者からこそ将来の資産価値を考えて不動産の購入を検討しなければならず、強者なら純粋好き嫌いだけの消費的感覚で住む家を建てたり買うことができる。弱いからこそ投資、余剰たっぷり強者からこそ消費する余裕がある、そういう世界観

 

自由で自立した個人自由にやりとりするのが市場市場ロジック内面化されている。

その外側に依存を引き受ける人たちがいるが、不可視化される。

仕事に繋がりやすいのは自立した個人同士の弱いつながり

深いつながりは依存ケアを引き受けるので重たくてお金にならない=経営者にとって正社員が重たい

経営者にとっては正社員よりフリーランス相手のほうが楽だろう。自立しているし、解雇規制もない。そうして誰も依存先を引き受けなくなった結果、ケア依存先の供給が不足する。というよりケア供給者、依存供給者の価値がこれまで不当に軽く扱われていたのではないかと思う。依存先の供給が無くなり、精神的な問題が噴出したことにより、今やっと価値発見されている。

 

市場ロジック適応して経済的にうまくいっている人間価値評価しない、妬むだけで苦労への関心を持たない、ねぎらわないこと。深い重いつながり、ケア依存先の供給を行っている人間価値評価しない、使おうとするだけで苦労への関心を持たない、ねぎらわないこと。自分の苦労にだけ関心があって、自分とは環境能力も全く違う他者の苦労への関心が根本的に無いこと。

そういった、人間の素のわがままさに対して、子供的に・動物的に・自動的他者を軽んじる態度に対して、私は割と狭量で、嫌って憎んでしまう。私がある価値に気づいておらず軽んじていたことに気づいたときも私は私自身に対して狭量になり嫌って憎んでしまう。業務人生経営必要価値判断は、感情面では不幸を産む姿勢ではあるんだけど。

「商取引の脱価値化」言説は私を疲弊させてしまう。家庭において稼ぐ役割を担わされており稼がなければならない立場の人はいる。感情的な極論は対立する勢力の持ち物・貢献の価値を無いものとする。東畑氏は市場ロジックを取り入れたり自分経営する目線が無さすぎると収入面で上手くいかないことや、自分支配するCEO市場適応的で強力だと勝てる、鬱を排除するための躁的防衛が人をバリバリ働かせるので勝てる、という本人の利益にも言及していた。ケア依存だけに肩入れする治療者とは違うバランス感覚が感じられて、そのバランスになんだか救われた。既婚男性一家大黒柱として稼ぐ義務家族に負わされていることが多いし、未婚女性である私も稼いで自分を養う義務から逃れられるとは思えない。

2018-09-28

フェミニズム社会学カルト化した。

そう考えるとすべての謎がドミノ倒し的に解ける。

フェミニズム社会学が、表現の自由を目の敵にしだしたことも、学問的に明らかに事実と異なる主張をすることも、学問ではなくカルトであると考えればなんの不思議もない。

そうだったのか。

日本性犯罪率が低いことを絶対に認めないことも、表現の自由という本来守るべき人権を毛嫌いすることも、一種カルト化だと考えれば、謎が解ける。

そうだったのか。

実践重視とか差別差別連呼するだけの学問に値しないフェミニズム社会学は、もう既に世界的なカルトになってたんだ。

から人権と言いながら、人権侵害で他人リンチしたり暴行したりしても問題がないのか。

なるほど。

2018-09-26

anond:20180926002057

社会学ももちょっと情報科学や数理っぽい分野はマシなんだが…

最近やり玉にあがることの多い人権活動系の分野は、どうしても論理よりも実践が先立つせいで、一般人からツッコミにも耐えられなくなることがよくある

面目ない

2018-09-24

anond:20180924225624

関心・欲求自体はありますのでたまに動画を見たりしています実践する機会が無さそうなのが難点です。

2018-09-22

anond:20180922134014

水に落ちた犬は棒で叩けという言葉もあるけど、ともあれ例えば「信号機青色は何色か」という議論で「緑だ」と主張した人に「青色という名前なのになぜ緑なのか? 説明してほしい」という反語表現を「反論」とは呼ばないんだよね。元増田くんは異論というもの実践的に全く実感していないから、こう、かわいそう…

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん