はてなキーワード: 大魔神とは
美術展示としては江戸から現代にかけての、埴輪や土偶をモチーフにした作品展示なのだけども、テーマの切り口がすごいよかった。
展示内容についての説明はYoutube動画でもSNS各所でもあちこちでされてるので、検索して見てもらえば。
https://youtu.be/bewJX1SxTbQ?si=OfLxo_uurrnHxXXE
今回、展示の構図がいちいち上手くて、
1,プロローグで「近代美術館の建築時の発掘遺物」と「近代美術館開館後すぐ考古学遺物を特別展開催し現代アート文脈に早々に取り込んだこと」の対比、
2,江戸時代の舶来好古な視点で描かれた埴輪土偶と明治維新近代化以降の考古学研究視点で描かれた埴輪土偶の対比、
3,王政復古で「仏教伝来以前」を求めて古墳時代の習俗を埴輪に求める古代を見つめる視点と、明治天皇陵のために埴輪作りを復活させたために生じた「リアルタイムで埴輪作ってる」現代の肌感覚の混交、
4,日本の独自性主張のために富士山と一緒に日本代表選手として海外で喧伝され、愛国の象徴となってく埴輪
5,敗戦で創世神話アイデンティティ喪失しちゃったあと、登呂遺跡で考古学という「科学による裏付け」に日本人のアイデンティティを見出しちゃう流れ
6,岡本太郎に代表される現代アートオールスターキャストで縄文ブームを後押しし、考古学と現代アートが一足飛びに結びつくシーン
7,弥生VS縄文の構図で縄文推しをこじれさせて「うわ、きっつ」なレベルまで「日本人の原点は縄文」へ突き進むアートシーン
8,アートが縄文に突っ走って埴輪がアートのモチーフから外された後、サブカルチャーでカッコよく可愛く活躍しはじめる埴輪(大魔神、はに丸)とモンスター、異形化する土偶(諸星大二郎的な)というねじれ
などなど。
しかも、上記のこじれねじれたストーリーを解説してくれる音声ガイドは田中真弓という。
(国立博物館はにわ展の音声ガイドはなぜか石田彰と森川智之の寸劇。正直、なぜ)
展示の章立てごとに全部が面白いっていう稀有な展示で、アートの文脈解題についてここまでアート素人でも理解しやすく見せてくれて、しかも、この特別展を上野の国立でやってる「はにわ展」にぶつけてくるっていうタイミング自体が批評性がやたら高い。
上野の展示が、話題性に乏しいあまり無理に話題を作ろうとして「挂甲の武人の5兄弟がはじめて一堂に会します」という、一体だけだと物足りないので数を増やして賑やかししてどうにか間を持たせようという悲哀を感じる内容になってるのだけど、その背景にあるのが国立博物館や美術館が独立採算で金を稼がなければならず、展覧会開催を支えてきたNHKや日経新聞や朝日新聞みたいな旧メディアが衰退し、さらにインフレで外から展示物を持ってくるのもますます難しく今後の展覧会の集客すら先が見えなくなりつつあるという苦境下、手持ちの所蔵品を中心にした展示でなんとか糊口をしのごうという涙ぐましさで。
まさに日本が転換期であることを象徴するような、国宝にしてかつて日本の象徴を担った埴輪のありようの今このとき、痛烈な批評をやらかしてしまった。
すごい面白いです。見ないと損。
なお、あえて言えば欠点がないわけではなく。
ハニワと土偶の描かれたサブカルチャー作品年表が展示されてるんですが、そこにア〇スソフト作品の名前がない。一切ない。
ソシャゲがアリならFGOも載せなきゃ嘘だよね。FGOを出したら、まあ型月がどこからそれ持ってきたかって言ったら直近の〇リスソフトだなって皆わかってるわけで。
逆に、アリ〇ソフト無視できるくせにサイゲを持ってくるのは何すか、自治体方面に金バラまいてるサイゲやサイゲ親会社忖度かなんかですか。ふるさと納税でガチャ回せるぐらいベッタリなとこならアート文脈の端っこに載せてもいいってことすか。
結構優しいこと言ってくれる方多くて本当に本当に涙が出るほどありがたいです...誰にも相談も愚痴も言えず辛かったから増田があって良かった本当にありがとう、まず増田んちについては「良い旦那さんだね」「増田ちゃん幸せだよね」から始まるので...ダブル育休自体は素晴らしい制度だと思うよ!お父さんもお母さんも我が子の成長を同じだけ感じ取れるなんて喜ばしい限り。
ただ増田自身と夫の民度が令和の素晴らしい制度に追いついてなかった...とりあえず我が家のダブル育休が終わる日を待っています。
以下本文
下の子授かった時に夫が育休取りたい!て言い始めてもう2人以上子供持つ予定ないしせっかくだし取りなよ!と勧めちゃったのが終わりの始まりだったよ。
下の子が産まれて夫は1年の育休を取ることが出来たよ。夫と上の子、増田と下の子というチームで寝室を分けて寝ることにしたよ。下の子がとんでもねえ夜泣き大魔神なのと、しっかり寝てる夫が昼間の家事をがっつりやって、自分は夜泣き対応と下の子の世話を頑張れば良いよね、という計画だったのと。
でもいざその生活が始まると、夫の家事が最小限でトイレ風呂台所といった水回りは汚くて、ゴミの日も忘れがちで、あと炊飯器のセットも忘れがちでおかずはあるけど...みたいな日もあって、夫1人に家は任せられない状態だったよ。でも指摘すると機嫌が悪くなるから結局そういう穴を増田が埋めてたらだんだん増田の家事割合が増えていくことになったよ。下の子は絶好調で夜中泣き続けてたけども。
睡眠時間カスな増田じゃなくて健康であるはずの夫が風邪を引くことも多くて、一旦かかると熱下がるまでに3日、謎の予備日(本当に謎)が1日と最低4日は夫は寝込むからその間は実質ワンオペ+看護だよ。
なぜか離乳食係も増田で、寝かしつけ終わってから手づかみごはんの作り置きして、その間夫はゲームしてる、みたいなこともしばしば。あと子育てイベントとか友達と遊びに行くとかで増田と子どもたちが家出て、その間半日以上ひとりでのびのび出来る時間が月に2〜4回夫にはあったけど、別にその分何か見返りがあるでもなく、そもそも増田にはそんな日1日もないよ。
そして夫は夜泣き対応もなく体力と時間が有り余っているのでサカってくるんだけど、増田はしおれたきゅうりみたいになってるから全然性欲なくて、断るとこれもめちゃくちゃ機嫌が悪くなって最悪子どもがいる前でも1日無視とかされるからキツいよ。
で、そんな状態だけどダブル育休はやっぱり世間から見たらすごく恵まれてる状況だからワンオペで一生懸命頑張っているママ友たちには愚痴れず、若い頃からの友達もライフステージが違う子が多くてやっぱ愚痴れず、オカンに言ってみても「かあさんはもっと大変だったから!」としかかえってこず、増田のメンヘラ死にてえゲージがどんどん上がっていったよ。
んでこないだのセックスお断りの報復の無視の時に死にてえゲージが爆発してみんながリビングにいるすきにサッと台所に行って腕を10年以上ぶりに切ったよ。死にたい気持ちがぶわっと出てくる血と一緒に遠くに流れて行った。死にたいからリスカするんでしょ、とかいうイメージあるけど、多分増田含めて半分くらいのリスカ経験者は、死にたい気持ちをそらすために切ってるんじゃないかな。切ると痛い!という気持ちが前に出てきて、死にたい気持ちが一瞬どっか行くのだ。死にたくないから切る。
夫はのんきにどっか引っ掛けたの?て聞いてきたからうん、て言っといた。これで家庭は平和だ。
なんかもうなんで生きてるのか分からないし、毎日めちゃくちゃ死にたいけど子どもに対して無責任過ぎるから切って今日も生きてるよ。最初から上の子の時みたいにワンオペならこんなことにはならなかったかもしれない。おしまい。死にたい。
横浜ファンは落ち着いてほしい。
状況が変わったということ。
筒香の頭の中には、メジャーで華々しく活躍して、晩年に横浜に戻り引退試合という青写真があったかもしれない。
ところが、思い描いた活躍するこはできなかった。
その間に、ベイスターズは着実に穴を埋める補強を続け、筒香なしで12球団屈指の打線を作り上げることに成功した。若手が多く将来性もある。
筒香は速球ストレートに極端に弱いことで有名。日本時代も最終年は速球ストレートに対応できずに苦しみ成績は早くも下降気味であった。日本最終年は本塁打29、打率.295、打点79に過ぎない。この間、日本球界はさらに速球派が増え、150キロのピッチャーだらけである。全盛期が過ぎ、ただでさえ日本球界への適応に苦しむ選手が多い中で、筒香は期待されるような結果はもう日本プロ野球では出せない可能性が高い。.245、本塁打15ぐらいが妥当では。
しかも、鈍足で、守備も良くない。今、外野は渡会や関根など魅せることができる選手が増えた。ここに筒香を置くと、守備の穴が一気に増える。
ホームランは期待ほど打てない、打率も残せない、鈍足、守備も良くないベテラン選手をスタメンで置く枠が今のベイスターズは嬉しいことにない。代打や併用がせいぜい。温情でスタメンにしても、いずれファンから怒号が飛ぶ。
あの大魔神、佐々木でさえ、横浜復帰の晩年は打たれまくっていた。復帰を熱烈に迎えられた佐々木の投球を見て、全盛期を完全に過ぎてしまったことを当時の私は悟りました。あのときは辛かった。もう、全盛期の佐々木はそこにいなかったから。
それであるなら、筒香が他球団を選ぶのも無理はない。自分も筒香にはさまざまな思い出がある。感動があり、ドラマがあり、涙がある。
でも、戻るのが遅すぎた。その間、ベイスターズは驚異的に成長した。もはや筒香なしでやっていけるチームになった。今の打線に晩年の筒香が戻ったとしても、打線的にも、将来を見据えた成長的にも足手まといになることは目に見えている。
正直、巨人という選択は最悪だ。ここだけはやめてほしかった。でも、今の巨人にピンポイントでハマるということは理解せざるを得ない。
今の若い世代ですら少なくともチャラ男、ヤリチン界隈においては、過激で下劣なセクハラをして場に爆笑の渦を湧き起こすような奴は同性の仲間からめちゃくちゃ好かれるし信頼される
みたいな風潮は生きてると思う。昭和終盤~平成初頭生まれ世代までの連中と同じ感覚だ。
かくいう俺がまさに団体芸を好むバカヤリチン集うコミュニティでエースで4番級の賑やかしセクハラ野郎として名を馳せていたタイプだ。
テレ東深夜の黎明期ゴッドタンをたまらなく愛していたような男だ。モロに影響を受けた。
飲みの場で俺のセクハラ攻撃の餌食となった女性はみんなその後俺のセフレか彼女になった。
セクハラされてる最中も彼女らは「酷すぎる!!!!」と大いに笑っていた。
自宅で早速お持ち帰りの餃子を焼いたら
大失敗で結果から言うと丸焦げ!
しおしおのぱーよ。
しおしおというより焦げ焦げってところかしら、
大失敗はないんだけど、
今回の餃子に限ってはちゃんと箱の裏に書いてあるレシィピ通りに調理して焼いたつもりだったのに、
焼いた面が地獄かのごとく
あの地獄絵図の絵の炎で焼いたみたいに真っ黒焦げ。
結構ショックだったわ。
ちゃんと食べたけど。
お店での餃子フェスでアゲアゲな方が良いかもしれないってことに気付いたわ。
たぶん今度家で餃子フェスをやるときは絶対上手く焼けんだからね!
焼き餃子と言うよりは
水餃子での水餃子フェスに切り替えた方があとあと掃除も楽だしなーって思ったわ。
上手に焼けなかったから水餃子にする!ってヤケのヤンパチで言ってるわけじゃないのよ。
私だって初回は失敗大黒焦げ大魔神餃子を爆誕させてしまったけれども、
敗因は強火だったってこと、
レシィピ通りの水が蒸発するまで強気の強火でって言われてそのままにやってみたけど、
それが失敗の原因だったようよ。
そんで、
弱めの強火と強めの中火とではどちらが火加減がファイヤーなのか、
アイニードファイヤーなのよね。
曖昧などちらとも取れる微妙な火加減で火入れする焼き入れる餃子って
案外ちゃんとまともに作って焼くとなると難しいのねーって思ったわ。
私は冷凍餃子をサクサクっとパリッと焼く方がお似合いなのかも知れないわね。
私だって言いキッチンがあって掃除しやすいキッチンがあればいつだって餃子が焼けるのに、
いわゆる、
わたしがかんがえるさいきょうのきっちんを
想像したら町中華屋さんの厨房みたいな感じになっちゃうのよね。
でもあれってよくない?
床もタイルにして水流せるようにしたら
カメラを天井とかに付けて動画とかどうでもいい動画を録ってみたいなーって思うのよ。
まあそんなの無理だから
大人しく私は初心者用のマーケットの冷凍食品売り場で若葉マークが付いている餃子を焼き続けることにするわ。
焼くのが嫌だとかじゃなくて、
焼き物揚げ物をするとキッチンの後片付け掃除が大変なのよねーって
それが億劫で臆病になるのよ。
焼き餃子焼きを特訓するのに。
餃子の餡や皮を作るようになったら真の餃子フェスって言ってたから、
まあ
ベストキッドみたいに映画の中でお師匠さんが全然稽古を付けてくれなくて
延々と洗濯物をさせているうちにいつの間にその洗濯を干す動作が全ての技になっていた!って
洗濯物を私も延々とさせられるのかなーって思ったし
きっと洗濯とあわせて万里の長城の縁の手すりに餃子を1列に並べるのだ!って言われかねないわ。
だから
私はやっぱりお手軽冷凍餃子を焼く餃子フェスの方が性に合ってるのかなーって思ったのよね。
そんで、
本当に笑っちゃったわ!
うふふ。
なんかもう今は大丈夫みたいだけど。
焦げた餃子が原因ではないことは確かね。
まるまるのスイカを買って食べることが多いので、
久しぶりにカッツスイカを買ってみて
カッツする手間を考えると
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
庵野が「シン・ウルトラマン」&「シン・仮面ライダー」が控えていることもあり、
かなり濃ゆい昭和特撮談義に花が咲いていて非常に興味深かった。
あの二人のクリエイティビティの源泉は昭和特撮だ、と言ってしまっても過言ではないと思う。
さてここで本題。
はてなに多い昭和50〜60年くらい生まれの世代の連中は学生時代に少年ジャンプが
全盛期だったせいか、とかくアニメと漫画ばかりを必要以上に過剰に持ち上げて、
当時洋画に押されて元気が無かった日本特撮を幼稚だショボいだとメタクソに貶す輩が多い。
この世代より生まれが5年以上早いと昭和特撮は本放送・再放送で目にしてることが多いし、
5年以上遅いと平成特撮をテレビなり劇場で見たり、あるいは昭和特撮を
レンタルで見てきた連中も多く、そこまでの拒絶感や蔑視はほとんど感じない。
最近の子供もサブスクで新旧作品が観られる分、日本特撮リベラルと言ってもいいと思う。
年寄り除くとこの限られた世代だけが日本特撮を取るに足らない低俗なモノとして、蛇蝎の如く嫌ってる。
その時期にノリダーとかゴレンジャイやってた悪影響もゼロじゃないけど、
それにしても嫌い方が酷推ぎてこの世代にあんまり近寄りたくないんだよな。
そのくせ日本特撮オタクのタランティーノやティム・バートン、最近なら
ジェームズ・ガンやギレルモ・デル・トロなんかの作品は神の如く崇めたりしちゃってさ。
それこそエヴァやシン・ゴジラもそう。お前らが好きなもんの構成成分に日本特撮は相当含まれているんだ。
一旦、色眼鏡を外して純粋に作品として楽しもうや...って言っても、もう無理だろな。彼ら既に中年に差し掛かってるから。
追記:
なんかワクチン打ちに行って一休みしてる間に思いの外、伸びてた。
脊髄反射で「ショボい」を連呼する輩たちがワラワラとさ。こいつらだよ、俺が糾弾したいのは。
なんつうか「特撮」と聞くと単に映像技術の事と捉えてるんだよな。
特殊技術が現代視点から見るとショボいという表層的な事で作品そもそもの価値や優劣が決まると信じ込んでる。
俺が言ってるのは撮影技術は勿論、緻密なデザイン・ストーリー、設定・世界観構築なども含めたトータルの話なわけ。
先の対談で松本が触れてたように、ウルトラセブンは地球人=善、宇宙人=悪という構図に常に疑問を投げかけてた。
すなわち「正義vs悪なんていうキリスト教的二元論はそもそも疑ってかかるべき」、という超リアリスティックなスタンスだった。
その思想の権化が「超兵器R1号」や「ノンマルトの使者」というエピソードだ。説明はめんどいからググってくれ。
そら今じゃその手の物はありふれてるだろうが、よく考えてみろよ?1967年製作の子供向け番組だぞ?めちゃくちゃ慧眼だろ。
次作の帰ってきたウルトラマンでは、宇宙人が聴覚障害者の無垢な少年に化けて侵略を企てる、というエピソードもある。
この宇宙人は、周囲の人間には聞き取れないテレパシーで主人公のウルトラマンを挑発し続ける。
「こいつが宇宙人だと叫んで私を引っ捕まえるか?止めとけ。周囲からきちがい扱いされるぞ。ははは。」とか嘲笑ってな。
良識ある大人たちは「聴覚障害者の無垢な少年」を疑って尋問するなんて真似は道義的にまずできない。その弱みを突いた。
ダークナイトのジョーカーも青ざめるような道徳ジレンマを容赦無く投げつけてくるわけ。これで1971年製作ね。
俺が見て欲しいのはこういう根っこや芯、いわば思想の部分である。上っ面でバカにしたり、貶すのはやめろ、って話だ。
あと、その時期には戦隊やメタルヒーロー、平成ゴジラがあっただろって指摘。これはごもっともだ。
でも、この辺を幼年期に熱心に見てたのにも関わらず、貶す奴が異様に多いんだよ。
追及してくと「あ、サンバルカンは見てたわ・・・」とか「ごめん、ギャバン好きだったかも・・・」とか白状するんだよね。
多分通過儀礼として特撮は「卒業」して、洋画やアニメに流れるっていうしきたりがあったのでは、と勝手に推測しているが。
俺の周囲だとガンダムとかリアルロボット好きな奴に多いんだよな。俺はガンダムも普通に好きだからその手の発言に出会う度に悲しくなる。
その時期のビデオ劇場オンリーのウルトラマンや仮面ライダー挙げてる奴いるが、流石にそれ系は観る人が相当限られてたと思うぞ。
俺も好きだけどね。パワードとかZOとかさ。でも悲しいけど、一般知名度は無いに等しいよ。誰も知らないよ、ケイン・コスギがウルトラマンだったなんて。
追記2:
一例として挙げたまでだよ。そんくらい分かるでしょ。俺だって話したいよ。
例えば大魔神のミニチュアの素晴らしさとかスペクトルマンの毒々しい怪獣デザインとか、
メタルダーの凱聖クールギンの常軌を逸した格好良さについてとかさ。
でもそんなマイナーなこと長々と書いても誰も見ないっしょ。
10年で区切った上に前後5年約20年間の世代を一括にしてバカにした上で
俺の周囲だと異様に多いって観測範囲も狭いし、全トラバ16個でブコメも超拡大解釈してもせいぜい悪く言ってるの10個そこらなのに
https://anond.hatelabo.jp/20210404105223
「絵やデザインが古すぎて見たくもねえわ」「ショボいしダサいし興味ない」
「でも幼稚だからな」その手のトラバやブコメはほぼほぼ見受けられないんだよな。
俺が指摘してるのはこの扱いの違い。印象だけの思考停止で否定する奴の多さよ。
俺がマイナス方面の問いかけをしたからマイナスの反応が返ってきたと言わんばかりだけど、
実際特撮が良い方面で話題になってもこれとさして変わらない反応が毎度の如く見受けられるからな。
他にも「そんな奴見たことねえよ」とか言ってる奴がいるが、ほら現に居るだろうがよ、って話。
「昔、昔、浦島は〜」
浦島!浦島太郎じゃない!
そういうシステムになっているんだ。
これら「なんとか太郎」の集まりに、いけしゃあしゃあとと紛れ込んでるわけだ。
やつは、ただの太郎だ。
インターネットの自称事情通たちは、我が物顔でインターネットを闊歩している。
いや!インターネットだけじゃなくて、リアルでも間違いなくそうだろう。
「オレ様は情強大魔神だ!」くらいの勢いで街中を我が物顔で闊歩しているに違いない。
そして道行く人々を勝手に情弱と断定し、見下し、悦に入っているのだろう。
自称事情通たちは常日頃から自慢の情弱センサーで情弱度を邪推しながら道を歩いているんだ。
哀れなピエロだよ。まったく。
まぁ、それはいい。
それは本題ではない。
注目すべきは、ここだ。
「助けた亀に乗せられて〜」
乗せられて!
かといって、毅然とした態度でお礼を断るのでもなく!
ようするに「お礼をいただけるのであればやぶさかではない」みたくこの歌詞では言っているわけだ。
一見どうということない「乗せられて」だが、実は日本の縮図といって過言でない。
こうした振る舞いは日本という島国の津々浦々で見られることだ。
勝ち組はなんら要求することなく相手が察して勝手に「乗せて」くれる。
別に自発的にお礼など要求することはないし、それは恥知らずなことなんだ。
負け組はいつか「乗せられる」であろうことを夢見て頑張るが、生涯「乗せられる」ことはない。
繰り返す。負け組は、生涯「乗せられる」ことはない。
「いいことをすれば見返りがありますよ」という。
児童らは「乗せられて」「乗せられて」と数百〜数千回繰り返し聞くうちにその「仕組み」を理解するであろう。
負け組にとってそれは欺瞞である一方で、勝ち組にとっては真実なのだ。
「いいことをすれば乗せられるはずだから、乗せれられていないということはいいことをしていないのだろう」
そうした逆説的な論法を耳にした例は一度や二度ではないはずだ。
なお余談だが、亀の立場で考えてみると浦島はお礼をいただける立場にない。
そもそも、イジメて来たのは人間族の子供であって、それを別の人間族が静止したまでのこと。
亀の立場から考えてみれば、これはマッチポンプ以外の何物でもない。
どうして浦島太郎がお礼をいただけるのか?
このようにして日本人は浦島太郎を反面教師にして様々な学びを得ることができるはずなのだ。
時間の流れが違う「ネタ」を見るたびに「ウラシマ効果!ウラシマ効果!」などと叫んで喜ぶのが関の山だろう。
「○○の起源は、日本の浦島太郎」などとハナタカしてるわけだ。
作品の本質ではなくSF的な小道具・ガジェットにばかり目を向けたがる。