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はてなキーワード: 嫌悪感とは

2021-05-11

anond:20210511120601

誰かの容姿風体生理的気持ち悪さや嫌悪感を感じることから発する「キモい」という言葉と、誰かの行為に対する嫌悪感の表明としての「キモい」という言葉は、個人的にはだいぶ意味が違うと思う。



個人的”な意見はもちろん自由なのだけど、「だから何だ」というのが率直な感想

対象に向けて「キモい」という言葉を用いたいが、一方で「攻撃」「差別」「誹謗中傷」という批判は避けたいが故に言葉を無理に分裂させてるようにしか思えないな。

また、行為に対する「キモい」なら言ってもよいと主張しているようにも取れる。

anond:20210511173742

嫌悪感なら不快とか怖いとか自分感情ベース表現すればいいんだよ。

キモいって気持ち悪いの略語だろ

気持ち悪いが駄目で不快なら良い、って意味分からん

大して意味変わらんだろうが

実際にJKを殴った犯人にしても、声を掛けた時点で犯人の自認としては落ち度はないか

客観的には犯人に落ち度がありまくりだろうが

犯人やばいが、そいつキモいと言われて当然な事をやらかしてるって認識がないお前もやばい

anond:20210511162902

女性にとってはセクハラや性被害への嫌悪感を示す言葉なのに、男性にとっては何もしてないのに外見だけで罵倒される言葉、という。

嫌悪感なら不快とか怖いとか自分感情ベース表現すればいいんだよ。キモい相手責任なすりつける言葉なのが悪質(語源的には自分感情なんだけど、現状の意味合い相手欠点の指摘になっている)。さらにそれを声に出して本人に伝えると理不尽攻撃になる。

からいじめに使われるんだよ。たった3文字相手ダメージを与え、相手側に落ち度があると責任なすりつけ、言った方を正当化できる言葉だということは、自分も言われたことがあるならわかるだろ。

実際にJKを殴った犯人にしても、声を掛けた時点で犯人の自認としては落ち度はないから、不快感の責任を負わされたら逆上する。逆上やその後の暴行擁護してるわけではないよ。犯人感情を予想してるだけ。

バカクズ等の罵倒…時には「死ね」すらこんなに問題視されないのに、「キモい」だけがこんなに取り沙汰される理由はここにありそうだ

キモいは他の暴言にくらべてルッキズムによる中傷責任回避意味として乗っかっていることが取り沙汰される理由だと思う。

そしてまたそれが他の言葉よりも鋭利武器として気軽に多用される理由でもある。

リベラルを自称できる人のメンタル

ネットではリベラルという言葉の胡散臭さはとっくに知れ渡っているところだし、リアルでもリベラルが直接名指しされたわけではないけど属性として重なるところの多い「デモで声をあげる市民団体」が広く世間で嫌われていたことが朝日新聞世論調査で明らかになったりと、けして風向きが良いとは言えない中で、それでもリベラル自称できるのってメンタル強いな~って思う。

原義的なリベラル思想否定する人はあんまりいないけど、所謂リベラル勢力”に対して嫌悪感を向ける人は少なくないでしょ?

それでもリベラルを名乗る人はどういう精神で名乗り続けているのだろう?

世間に叩かれているリベラルリベラルの中でも一部のヤバい奴らであって真っ当なリベラルである私たちは何を恥じる必要もない、という考えなのか?

リベラル否定的な視線を向ける世間が間違っているのであって正しい私たちが何を曲げる必要もない、という考えなのか?

例えば、俺はオタクで、オタク非オタクに比べて頭のおかし人間が多いことも、そうした頭のおかしい奴らが基準にされてオタクという属性全体に偏見を向けられることがあることも承知の上で、それでも自分個人世間に顔向けできないようなことをしているつもりはないからと恥じ入ることなオタクと名乗っているけど、それと同じ気持ちなのかな?

でも正直俺は、それは趣味の分野だから言えることであって、政治思想的な分野ではアレな奴らと思われがちな属性自分で名乗りたいとは思えない。

個人権利や多様な生き方みたいなものは大切にされるべきと思うし、女性社会進出は妨げられるべきではないと思うし、同性愛者も異性愛者と同じように認められたらよいなと思うから、俺もイデオロギーへの拘りが薄い一般人が深く考えずに賛同するレベルリベラル思想には賛成していることになるとは思う。

でもだからと言って、何かにつけて他者文句をつけ抑圧的に振舞い、救うに値する弱者と値しない弱者自分たちの物差しだけで切り分け、弱者救済を錦の御旗に現実的コスト無視して急進的なやり方で人々の安寧を破壊し、社会的優劣の序列を変えただけで本質的には既存権威と同質の傲慢さを持つ、”リベラル勢力”は大嫌いだし、そういうった人たちと同じカテゴリに入れられるのなんて想像しただけで反吐が出る。

リベラル自称してる人たちは自分リベラルの名乗りをすることに抵抗感みたいなのはないの?

「キモい」にも2通りあると思う(容姿の「キモい」と行為の「キモい

誰かの容姿風体生理的気持ち悪さや嫌悪感を感じることから発する「キモい」という言葉と、誰かの行為に対する嫌悪感の表明としての「キモい」という言葉は、個人的にはだいぶ意味が違うと思う。

88cmと8kg氏が挙げてる徳島事件犯人が、コンビニの前にいる見知らぬ女子高生を突然自宅に誘ったとき女子高生に言われた「キモい」も、その女子高生を追いかけて暴行した犯人批判するときに「フェミニストのみなさん」が使った「キモい」も、後者の、行為に対しての「キモい」じゃないだろうか。

だけど、88cmと8kg氏はこの言葉に対して強いトラウマがあることもあって、誰かが後者意味で「キモい」を使っていたとしても、本人や、彼と同じように「キモい」と言われ続けてきた男性たちの容姿に対する攻撃差別と受け取っている。そこがフェミニストに対する批判の原点になっている。これって不幸なすれ違いのように思う。

…それとも、88cmと8kg氏が考えるように、容姿への「キモい」と行為への「キモい」は、実際には別物じゃなくて、同じひとつ差別言辞バリエーションなんだろうか。たとえば「コミュ障」といわれるようなコミュニケーションの困難さを抱える人が「キモい」と言われるとき、その「キモい」というは言葉の選び方、発し方、間の取り方、喋っている時の様子や表情、醸し出す雰囲気など、言動挙動をひっくるめた「全体的なありかた」に向けられてて、その点では容姿行為の間にあるんだろうか。

本人には責がないことで、誰かの容姿言動挙動について「キモい」と直接言ったりするのは明らかに攻撃だし差別だと思う。徳島事件犯人女子高生フェミニストやその他の人々が「キモい」と言うことは、どうだろう。「その言葉で傷つく人がいるなら、差別意図がなくても使うべきでない」という考え方が正解なのかな。

anond:20210511091241

弱者男性の味方になってくれる人は居ない

弱者男性定義は色々とあるようだ。

 ただ弱者男性について語ろうとすれば、「弱者男性とはなんぞや?」を定義しない事にはどうにもならん。

 なのでここでは仕事恋愛などで敗北を繰り返し、敗者という立場固定化された男性弱者男性とする。

 競争社会における敗者=相対的に弱い=弱者って訳だな。

弱者男性には同じ弱者男性以外に味方になってくれる人がいない。

ついで言えば弱者って時点で余裕が無いから、弱者男性同士もあんまり協力できない。

もちろん例外的に寛容で心優しい人も居るだろうが、まあ滅多にいない。

まず強者男性は味方になってくれる訳がない。

だって競争に負けて脱落した弱者男性と違って、強者男性競争の真っ最中からね。

弱者男性を助けてあげる余裕なんかないよ。

それに敗者である弱者男性が救済されて敗者という立場を脱するという事は、相対的に勝者にして強者たる自分立場を弱体化させる事になる。

勝者として強者男性振る舞うには弱者男性には敗北者で有り続けてもらうのが一番都合が良い。

からよっぽどメリットが無い限り、或いは親友だったり命の恩人だったりといった個人的理由が無い限り弱者男性を助けたりしない。

強者女性はどうだろう?

どうやら強者女性強者男性以上に弱者男性嫌悪感を抱いてる様だ。

強者女性は、女性が不利になりやす男性社会の中で競争に勝ち抜いてきたという自負がある。

それだけに男性特権を持ってる癖に弱者に甘んじている連中の存在なんて、存在のものが許しがたい。

ネットでの弱者男性への反応を見ても、一定以上の地位を持ってる女性弱者男性に対して苛烈発言をする人が多い。

自分達が持ってなかった特権を持ってた癖に、それを活かせなかった無能め! 活かせないなら私達に譲ればよかったのに!」ってのが強者女性本音なんだろうね。

から強者女性弱者男性を助けるなんて事は宇宙が終わるまであり得ない。

では弱者女性はどうだろう? 同じ弱者同士なら連帯できる?

お互いの境遇共感できる部分はあるかもしれない。

でも同じ弱者である以上、限られた福祉予算というパイを取り合う相手しかないんだよね。

福祉予算の増額を政府に求めたりといった限定された状況であれば共闘可能性はあるにせよ、基本的にはお互い蹴落とす対象しかない。

から弱者女性弱者男性が助け合うという構図も期待薄だ。

その上で弱者女性の方が支援を受ける上で少しだけ有利な背景はある。

それはフェミニズム存在だ。

強者女性弱者女性にも対立軸存在している訳だが、男性のそれよりも(少なくとも表面上は)顕在化しにくい。

それはフェミニズムという思想が両者を繋ぐ接着剤の様な役割果たしているのだと思う。

利害や思想女性同士の対立があるにせよ、抑圧者たる男性から女性を開放しようという思想存在が完全な分断を防いでいる。

から男性側ではなかなか見られない強者女性弱者女性支援したり、弱者女性の声を代弁したりという事例が普通にでてくる。

これは弱者男性にとって許しがたい事だ。

弱者男性の多くは自分支援を受けられないのは「自分競争に敗れた存在」だからだと思ってる。

それが社会ルールなんだと自分に言い聞かせて、自分境遇を納得できないまでもなんとか飲み込んできた。

そして男女同権を謳うのであれば、弱者女性自分達と同じ様に扱われるのだろうと思っていた。

ところが弱者女性フェミニズムという思想を通じてフォローされる仕組みが出来つつある。

「じゃあ俺も助けてもらえるのかな?」とのこのこ出ていったら「お前は男だから駄目」って言われる訳だ(フェミニズム的には当たり前なんだろうけどな)。

それで「自己責任じゃなかったのか! なんで女だからって助けてもらえるんだ! 俺は男だから駄目なんて差別じゃないか!」ってなっちゃう訳ね。

弱者男性差別!」って吹き上がってる人は基本的にこれだと思ってる。

女性からすれば弱者男性保険料払ってないのに健康保険使おうとする連中みたいに見えるんだろうけどね。

弱者男性差別云々は本題では無いので、ここまでにしておく。

長々と書いてきたが弱者男性が如何に孤立した存在かという事を理解して貰えればありがたい。

もちろん、個々の弱者男性達の言動や行動が原因で孤立しているという面はある。

無闇矢鱈にフェミニズム女性攻撃しようとする奴がいるのも孤立を深める要因だろう。

ただ弱者男性社会から孤立していく構造的な問題は確実に存在している。

強者男性からは「競争社会の敗者だから」、強者女性から強者男性と同じ理由に加えて「男性から」、弱者女性からは「少ないパイを取り合う競争相手から」それぞれの理由弱者男性排斥される構造がある。

そしてその構造存在している故に弱者男性は常に少数派であり続ける。

自身弱者男性の側の人間なんだが、正直弱者男性に対する救済は無理だと思ってる。

社会弱者男性を救済する意義がなさ過ぎるし、弱者男性自身自己責任論を心の支えにしてまってる人が多くて社会による救済自体を拒んでしまう。

弱者男性権利拡大を訴えるとしても社会運動を継続するには、弱者男性が今後も社会供給され続けなければならない。

俺は俺より若い世代が俺みたいな立場になるのは嫌だ。

俺は俺みたいな人達が減っていく社会が良い社会だと思うし、その為にお前達は迷惑かけずに死ねって言われるのも仕方ないと思ってる。

頭の先まで自己責任論に浸かって生きてきたから、こういう思考しかできないんだよね。

2021-05-10

眠れない夜と、ダムタイプ「S/N」について

深夜に殴り書いた言葉を公開させてください。

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私は夢見る、私の性別がなくなることを。

女友達手作り料理を持ち寄って会った。母親に男かと揶揄されるたび居た堪れない気持ちになる、と話したらいつのまにか女性の生きづらさの話になって、社会で圧迫される自分自身のことについて話してた。

絵の中で無性別になれるようになったこと、裸を描けるようになったこと。それは昨年唐突に訪れた解放で、ふりでない、本当の意味での理解が訪れた瞬間だった。昔から友達に突然カミングアウトされたり、周りにいろんなセクシュアリティの人が増えて、そこに対して何も思わなかったけど、一方で私はどう考えてもシスヘテロで、ただ家族強制する性の価値観あんまり理解できなかった。

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女の子らしさはガサツで割と男性的とされる趣味の多い私にはハードルの高い問題で、170cm近い体躯王子役を押し付けられまくった経験からLGBTなの?」「腐女子なの?」と言われることも多々あり、それが耐え難き苦痛に感じる私自身も嫌だった。

普通であることに安心する家族普通であることに怯えるわたし曖昧言葉には常に適度な距離感必要で、冷静さを欠いた議論には意味がない。そういう話をするたび、周りの“いい人”たちはみんな私のことを考えすぎだと言った。そんなに思い悩むから生きづらいのだと。

思考をやめる気はさらさらないが、一方で年々神経を蝕まれつつあるのも事実だった。精神科にかかったことはないし、これからもお世話になるつもりはないが、胃痛で薬を飲むという意味がわかるようになってしまった。自傷的に何度か手を出した煙草のせいだが、倦怠感で身体が動かなくなったりもした。腹痛で意識を失いかけた。神経症で人は死ぬんだと思った。

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「S/N」を見たのは好きな人の影響だが、どうしてあの人を好きになったのかを思い出した。どうして彼じゃなきゃだめだったのかを。酷い時も、辛い時も沢山あったし、客観的に考えればこうした方がいい、とかもいっぱいある。ただ、それが重要なわけではなくて。愛の器官が母親の甘い束縛と重め(笑)の虐めで壊れて、他人から暴力罵詈雑言を崇拝の一形態だと感じるようになってしまったんだと思ってた。精神的に魘されないと安心できないのかと。でも違う。

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わたしはきっと、何者にもなりたくなかったんだと思う。透明になりたいし、全てになりたい。もう殴られたくないよと強く願ったら17歳になる頃には殴られなくなったけど、真綿で締め付けられるような虚無が残ったからいつも首に縄をつけてぎりぎりで生きてる。側からはそう見えないはずだけど。好きなトラックメイカー音楽よりもいつか結婚した時の愛する人の方が大事だよ、と言っていて、すごく驚いた。私はずっと、天啓のような何かを信じることでしか、辛い過去を受け入れられずにいたから。いまもそうだし、そうでないといけないと思うの。

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本当にばかばかしくて、ちょっと幼い話だけど。わたしは、好きな人わたしの目をじっと見て、「眼鏡でもかわいいよ」と言ってくれたその一言で22年近くの呪いが解けた人間である。でも、親の呪いがこんなに深くわたしの中にあるって知らなかった。

小さい頃から蝶よ花よと育てたられた私だけど、母は写真を撮るたびに眼鏡を外させた。かわいくないから外しなさい、と言った言葉はいつの間にか習慣になって、眼鏡さえ外せば最強なのだという行きすぎた自尊心すら生んだ。実際に眼鏡の有無で同一人物だと気付かれないことがあったのも遠因だろう。わたし眼鏡諸悪の根源にすることで耐えていた。

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恋愛にもそんなに恵まれず、高校で軽い虐めに遭った際「わたしかわいいからでしょう?」と母の言葉確認をとったら、途端にキョトンとした顔をされ、その時から全てがわからなくなった。ルッキズムの最下層に突き落とされたような気分だった。

当時の私は髪のとかし方も知らず、見えている世界レイヤーが少なすぎたので、たしかに見目麗しくはなかったと思う。でも好きなバンドインストアイベントで憧れていたギタリストに前の女の子と明らかに異なる冷たい目を向けられたこととか、そういう体験が、私の不安を加速させた。何をやっても痩せなかったし、服屋の服は全部小さすぎて似合わなかった。最悪だった。

大学生になって古着にハマって、ようやくアメリカサイズの服を着ることでサイズ問題解決したけど、やはり可愛いという言葉が怖かった。私から一番遠いところにある気がした。

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好きな人言葉は頭の先から足元まで響くような衝撃で、衒いのないトーンは私を惑わせた。本当に、本当に、誰に言われても嘘だろうと、嫌悪感しか抱かなかったその恐怖が、ようやく解放されたような気がしたのだ。それ以降は人の褒め言葉を、きちんと信じられるようになった。

まあ今もコンタクトはたまにしてるけど、選択肢眼鏡を含められるようになったのは、あの時好きな人が認めてくれたからだった。それだけで意味がある。私は体質的に目が乾きがちで、眼鏡ですら頭痛眩暈がすることがある。健康被害よりも強迫的なコンタクト依存から解放されたのは、本当に嬉しかった。

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「S/N」を見た時に自覚した。わたしは他の人では満たされない渇きを、好きな人ならわかってもらえる気がしたのだと思う。ジェンダーの話はわたしも後追いだし、LGBT当事者でもなくて、フェミニズムに明るいわけでもない。どちらかと言うと旧体制的で、内心少し男根主義に傾いてるけど、でも、多様性を締め付けられる社会が本当に息苦しかった。私が可愛いものを好きなのはかなり異常者で、可愛くないことは罪だって、ずっと見えない誰かの声が聞こえて死にたかった。でもそれを人は幼いという。若気の至りだと。本当にそうだろうか?

好きな人に会う前から男性に恋をしても、きっと眺めるのが好きなだけだった。男性男性性は愛おしくはあるが恐怖で、私は母の教育方針もあって、結構性をタブー視してた。ちょっとフィクトセクシュアルの気もあるせいか虚構を覗き見ることだけが唯一許されてる気がして、それ以外は全部怖かった。そこがギリギリライン

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それでもようやく付き合ってもいいかなという人に告白されて、焦りであっさり色んなことを済ませてしまったわけだけど、思ったより呆気なくて、何も感じなくて、その行為はいつの間にか虚無感に満ちた義務になった。心がない行動は演技で、いつも断れない自分も嫌だった。でも私というキャラクターが彼を承認した以上、そのキャラクターには責任を持たなければならない。告白承認する、他人人生を背負うとはそういうことだと思った。

そこには頭では納得していたけれど、ある時期から本当に、他人身体に触れられること、好意を抱かれることに恐怖を抱くようになった。何度か背筋が凍るほど嫌な思いをしたせいもあるだろう。私を世の中に貸し出すのが無理になって、人が信じられなかった。そしてどこかで、プツンと糸が切れた。

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好きな人もその一人といえばそうだし、それは最悪の搾取の仕方ではあったけれど、あれよあれよと巻き込まれプライベート時間は、たぶん優しさであったように思う。私は余りにも臆病で、そして彼の傷は大きすぎたから、私たちは付き合うという選択を保留することにしたけれど、彼は私に好意を伝えてくれたし、たくさん泣いていた。

なんかもう、それだけでよかった。

セックス搾取じゃなくて優しさで、きっとお互いを信じ合うことで、小さな希望で、だから好きになってくれる人たちに怯えるのは私が間違ってるって思う。でも怖かった。

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好きな人は、私が今まで誰にも話さずに来た、心の穴を知っていた。きっと直感的に。運命いたことを言うとキザだから言わないけど、彼は他の誰にもない魔法で、私を狂わせるけど、よく考えたらそれが無ければ痛くて痛くて生きてられなかったかもしれないし、また勉強が好きになれたからとか、恋心で作品が作れるからとかそんな現金理由よりも、なによりも私が感じていた性の不安とか、かわいいに怯える切実な揺らぎとか、そういう感情無理解でいなかったから。普通に属してるひとたちは…家族も含めて、気づいてなかったのだろう。私が泣くたびに宥められて惨めになる。好きな人だって適当な時あるけど、もしかしたら私のその不安を、あなたならわかってくれるんじゃないかと。

そういう、希望だったんだ。

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私の部屋はいま彼がくれたお洋服とか、お揃いのものとか、ドローイング、筆跡で満ちている。ちょっとファナティックだと自分でも思う。

でもこれしかなかった。彼になりたかったというよりか、嘘でもいいから愛されてみたくて、その嘘を嘘で終わらせるのが本当に耐えられなくて、本人の知らないところでそれを実現させるために、彼を統合失調的に創造しようとしたのだ。なぜか告白されたり、結局関係性がよくわからなくなったりして、側からみればきっと軽い地獄なんだろうけど。毎日家でも学校でも暴力を振るわれたり表現手段を持たなかった頃よりは、全然幸福だよ。

わたしあなたが好き。

それそのものが救済なんだ。

私はセックスのない世界に行きたかった。それが思い出せたことだけでも、(私が生まれる前に作られた)この作品はとても、とても深い爪痕を私の身体に残したと思う。

弱者男性差別存在するから知ってください、フェミニストはこれ以上差別しないでください

https://note.com/mefimefiapple/n/n6b712e954db8

面白いが、女の言う「キモい」は、生理的嫌悪感であり、本能的な部分から衝動的に言ってしまものなんだよ。

それは、自分の子宮にキモい遺伝子精子)を取り込みたくないという自衛本能からでてくる気持ち

フェミニストは今こそ、「すべての女性にはキモい男性のことをキモいという権利がある」と主張しないと、

近い将来、キモい男にキモいと言えない社会なっちゃう気がする。

2021-05-09

anond:20210509190759

そうなんだよなぁ

中学生の時みたいな親への気恥ずかしさと軽い嫌悪感アラサー近くなっても抜けない

別に親との関係が悪いわけでもないしなんなだろうね

本当は親孝行がしたい

自分の親(特に母親)はもうどうしようもなく子の自分に対して過保護である

どのぐらい過保護かといえば学生の頃、一日授業参観の日があれば他の親が1コマ2コマしか見ないところを朝一から終業まで参観して、

初めて彼女ができた日にはその詳細を聞くだけでなく、デートにこっそりついてきて

アルバイト面接があればに本気で付いていこうとするぐらいには過保護だ。

人間関係から進路からお小遣いの使い方まで、絶えず口を挟まれることに嫌気が差してた自分大学卒業後、すぐ家を出て連絡を絶った。

事務的な連絡だけして、無駄な連絡は全部無視している。定期的に連絡が来るが正直関わりたくはない。

少し応えようものならいだって質問責めを受け、嫌味を言われる。

でも別に恩を感じていないというわけではない。

過保護なりに色々教育にはお金をかけてもらってた自覚はあるし、そのおかげで今の生活ができてると思ってる。

初任給だってなんかプレゼントを買ってあげようと思ったりもしてた。

親が死んだ類の話で、もっと親孝行をしておけばよかったという話を聞くたびに自分もしてあげたいと思っている。

でも、できない。

親と接点を増やそうとすると、どうしようもなく嫌悪感を感じてしまう。

きっとまた文句やら嫌味やら言われるんじゃないかと思ってしまう。

きっと親の中では自分はまだまだ未熟な子供で、たくさん支援してあげないといけないと思われているんだろう。

しかしたら、自分の面倒を見ることが生きがいというか、それに依存しているのかもしれない。

そりゃ理想の息子には程遠いのかもしれないが、もうそれなりに自立していると思ってくれても良いんじゃないだろうか。

もう安心して、自分のことを放っておいてくれても良いんじゃないだろうか。

もう少し、肯定してくれても良いんじゃないだろうか。

思ってるのとは違うかもしれなけど、今なら誕生日もっと良いものプレゼントできると思うんだけどな。

こうやって皆、親孝行できないことを後悔していくのだろうか。

追記です。弱者男性を名乗る一部の?人達精神障害者女性サンドバッグにしてきたことについて

anond:20210506234730追記しようかと思いましたが、思いの外長くなったので別にしました。

 

わたしの見たこと、聞いたこと、知っていることは①発達障害男性をはじめとする多くの男性弱者男性自称した②弱者男性自称する人々は「障害持ちでも女は理解のある彼くんがいるからイージー」と言い③弱者男性自称する人の中に苦言を呈す人が殆ど、全くと言っていいほどいなかった。ということだけです。

全ての弱者男性でないことはわかります。誰よりも「こんなこと言うのは一部の人だけだ」と思いたかったです。でないと、辛すぎるじゃないですか。でも残念ながら、思えませんでした。今は一部ではなく、半分もしくはそれ以上だと思っています

 

発達障害と躁鬱に対して、前向きに対処し、生きていくために、Twitterで同じように障害を持つ人たちとつながっていました。同じ困難を抱える仲間だと思っていました。

ある日「理解のある彼くん」のあのツイートが流れてきて、それ以降男性フォロワーが口々に「女の方がイージーだ」と言い始めました。皆それに同調し、下衆なツイート積極的リツイートしはじめました。彼らがいいねをつけたツイートが山ほど流れてきました。誰一人否定する男性がいないことが、とても残念でした。

リアルであったことのある男性で、アセクシャルを打ち明けた人さえそちら側でした。分かり合えたと思っていましたが、間違いでした。

 

発達障害ではない男性アカウントで、苦言を呈してくださった方が1人だけいましたが、弱者男性から「ちんぽ騎士」呼ばわりされ晒されていました。それをリツイートしたのも、リアルでも知り合いの男性でした。

「女には股を開けば理解のある彼くんがゲットできるだろ」という発言が正しく、それを耳にする女性気持ちを慮るのは性欲目的以外ではあり得ないと思っていたのだなと知って、気持ちが悪くなりました。

その発言のあった頃から、もう、弱者男性というもの嫌悪を覚えるようになりました。仕事で関わる軽度の障害のある男性に対しても、この人もそうかもしれないな、あのツイートいいねしてたのかもしれないな、と考えるようになりました。

 

弱者男性を名乗って精神障害持ち女性サンドバッグにする人たちがいたとしても、わたしは「全ての弱者男性ではない」と信じ、嫌な思いをさせられても「辛いから仕方ないですよね」と許す「べき」だったんでしょう。そう出来ないわたしが悪いです。多くの人の心は差別してしまもので、わたし例外ではないのだと思います。(それについては、わたし自身、残念に思います。)

 

 

 

「全ての弱者男性ではない」と主張する人は、「すべての障害持ちの女性に彼くんがいるわけではない」とは言いませんでしたよね。なぜ弱者男性自称する人達が、女性精神障害者を叩いているとき一言でも止めなかったんですか?あの「女はマンコパワーがあるから」と言い張る下衆な人達弱者男性でないなら、何故そういう人たちを野放しにし、弱者男性社会的信頼を貶めたのですか?わたしには、全く理解できません。

 

全ての弱者男性が悪いわけではなくとも、弱者男性を名乗る人に攻撃される側がどう思うか想像してみてほしいです。

全てでないことはわかります

理屈ではなく、気持ち問題です。

それでいて、論理的な話だと思います

ある属性を名乗る人たちに何度もバッシングされたら、その属性の人々を嫌いになるのが、多くの人間基本的感情の在り方ではないですか。

 

沈黙は同罪、共犯というつもりはありません。

弱者男性を名乗る人が「女は彼くんがいるだろ」という中で、弱者男性あなた沈黙していたら、弱者男性犯人に見えます

わたし増田へはこんなにも反応できるのに、なぜ、あのとき沈黙したのですか?

 

男性の困難を語る上で、男性場合女性より支えになるパートナーが得にくい(これは必ずしも事実でないようにわたしは思いますが)ことを受け止め、真剣に考えていくのならば尚のこと

その言説をねじ曲げて、精神障害持ちの女性への当て擦りやバッシングに使われることを憂い、否定していくべきではないですか。

弱者男性差別されるように仕向けているのは、弱者男性自称して他の人達を叩いてる人じゃないですか。

これはわたしの我儘ですが、パフォーマンスでもいいから、「弱者男性ですが、私はこれに反対です」と言って欲しかったです。そう言っている人を信じたかったです。

 

わたしのことはどうでもいいです。福祉仕事をしていましたが、離れることを決めました。転職活動コロナが明けるまで様子を見ようと思いますが、弱者男性への嫌悪が芽生えてしまった状態で続けていくのは無理だと思います。(給料の安さや、鬱がマシになったかステップアップを目指したいなど他の理由もあります。)

わたしは、あれを無かったことにしたくなかっただけです。

改心するつもりもないです。トーンポリシングだとも思ってないです。だって弱者男性いくら態度を改め「わきまえた」ところで、もう耳を貸すつもりはないですから

 

ただ、みなが「すべての弱者男性ではない」と思ってくれる聖人ではないと思いますよ。

弱者男性」という言葉を使って、「女はマンコがあるからイージーなんだ」「弱者男性女性よりもずっと辛いんだ」という人たち、弱者男性自称して発達障害持ちの女性の辛さを矮小化する発達障害男性たち、「女の自殺未遂は気を引くため。女の自殺自殺未遂の失敗。」と叩く鬱持ちの男性たちを放っておくかぎり、わたしのような狭量で愚かな人間が「すべての弱者男性はこういいう人間なのだ」と思うようになるでしょう。いい気味です。

いい気味です、が、同じ障害者として、障害者への風当たりを強くする言動迷惑です。

ですからやはり、弱者男性を援護するならば、弱者男性として、女性精神障害叩きに反対して欲しかったです。

あれは俺たちじゃないから、全員が言ってるわけじゃないのに、といっても「言ってる人が沢山いること」はきちんと受け止めてくれませんか?

あなたたちがあれを野放しにしてきた結果、1人の障害者の女に嫌われるようになったというだけの話です。

女の1人や2人、障害者の1人や2人、どうでもいいですよね。それならそれで結構です。

 

sekiryo 弱者男性確証もないし全員というデータも出せないのに同一視するの?それやめてって言われてるのにまた聞く耳持てないの?悪人を叩いてもgrgdsやらのヘイト愉快犯が善人にはならないし罪は消えないぞ?向き合えよ。

弱者男性という確証はありませんが(そもそも弱者男性自体定義不明ですし)自称しているのだからそうなのだろうと思いました。弱者男性のフリをしている偽物か、「極一部」の弱者男性なのかもしれませんが、わたしには判別不能です。(発達障害男性弱者男性に入りますか?発達障害ウソかもしれませんが……。)

同一視したくはありませんが、彼らは日本のどこかで生きているわけで、今目の前で関わっている人が「それ」の可能性があることは、常にわたしの頭によぎってしまます聞く耳は持たないです。今は持ちたいとも思わなくなりました。

全ての障害女性の彼くんがいるわけじゃない、データもないのに、漫画で見ただけのくせに、やめてと言ってるのに……わたしも思いましたよ。

あなたのような人が、女性精神障害者叩くのはやめようよと言ってくださればよかったです……。

 

madogiwahirasyain 別に積極的に手を差し伸べてくれなくても構わない。弱者男性からという理由迫害しなければそれでいいけど、この増田弱者男性全体に精神障害者を叩いてきたというレッテルを貼って迫害しようとしてるのでアウト

全体にレッテルを貼って迫害しようとはしてません。全体に対して嫌悪感があるので、もう関わらないで生きていこうとは思います

弱者男性全体は女性精神障害者を叩いていませんが、弱者男性を「名乗って」女性精神障害者を叩く人々が大勢いて、弱者男性を名乗ってそれを止める人が殆どいなかった。というのは、わたしが見た一面的事実です。いわゆる弱者男性論壇に立つ人も、それを批判したり咎めたりしませんでしたよね。

わたし私怨から、このことは記して置かなければならないと思いました。

deamu 増田私怨により貶めたい属性があって、それを根拠なく主語にしてサンドバックにしようとしてる増田行為は新たな差別。男憎しで差別正当化する増田が連日投稿され、いつもの人達同意を繰り返す加害性の祭り

根拠はあります。どのように提示すれば気が済むのか教えていただければ可能な限り対応しようとは思いますサンドバックにしようとはしていません。私怨により弱者男性貶めたいわけではなく、私怨により「弱者男性を名乗ってこちらをバッシングしてきた人々」の存在を周知したいです。

弱者男性は〜なんて言っていない」という主張を数多く見ました。そう主張する人々は、あれが目に入らないか批判しないのか、目に入っているのに批判しないのかずっと疑問でした。弱者男性論壇の方に、「理解のある彼くん」の件を周知し、批判していただきたかったのが1つ。無かったことにされるのが腹立たしかったのが1つですね。

差別正当化はしていないつもりです。わたし差別的な感情が芽生えるに至る過程を書きました。そうすることで、弱者男性差別を解消しようとする人や弱者男性当事者が、自分たちの主張が誰かの心を踏み躙っていることを自覚し、やめてくださるかもしれないと考えたからです。特にASD男性には伝えなければ分からないのかもしれないと思いました。

また、わたし感情を中心に書いたのは、それが明白な事実からです。女性障害者を叩く人が本当に弱者男性なのかは分かりませんが、弱者男性を「名乗って」女性障害者を叩く人の発言を読み、わたしが嫌な気持ちになったことは事実です。そのことを受け止めていただきたかったです。

 

 ただ、わたし差別的な感情正当性はありません。その事は明記しておくべきでした。すみません

 

わたしに関して言えば、男性別に憎くはありません。ただ恋愛感情を抱かない以上、深い関わりが女性相手よりも持ちにくくはあります

あの増田を書いたのは、男性が憎いからではありません。「女は理解のある彼くんがいるから」と言う人達が憎いから書きました。そこは混同して欲しくないです。弱者男性を名乗ってやってきたこと、(それが貴方でないなら)やってきた人たちがいたことは受け止めて欲しいです。

 

一部の人おかしなことを言うのはどこでもあり得ることです。それに対して、他の人たちが咎めなかったことが1番残念です。今からでも咎めて欲しいですが、過去のことは水には流しません。

 

最後にずっと、思っていたのは

女に生まれればイージーだった、遺伝子レベル運命を呪うのならば、「そもそも障害者に生まれなければよかった」でいいんじゃないですか。なぜ、女性障害者ばかりがターゲットされるのかわからないです。健常者の男性は狡いと言えばいいじゃないですか。

女性には理解のある男性が現れやすいとして、だから何なんですか。男性あなたには現れないと思うのならば、現れないなりに対処していくだけの話でしょう。現れないなりの福祉を求めていくだけの話でしょう。「女はこうだけど」と言うことに何の意味があるんですか?

 

わたしあなたと同じですよ。理解のある彼くんはいませんが、自分で働いて自分で生きていくつもりですよ。

ただ障害者だからって、みんながあなたと同じなわけではないんですよ。女性の、既婚の精神障害者は、障害者のくせにいい目を見てる狡い人達ではないです。同じ障害者でもあなたと同じように不幸になる義務はないです。

pが素数とき、p^4+14が素数でないことの示し方

    京都大の本問につき多くのシッタカブログなどで、MOD 3で解いているがまじでクソ。

       通常、この手の問題をみたときの解法としては、一般化された方法から演繹をしたいと思うのが普通だ。なぜなら特殊な解法を本問に適用しても

   素数を含む本問でしか通用しないからでそこに嫌悪感があるからである

       この点、MOD 3を使うという華麗な技術は、p^4の形に着目したものであり、この問題しか使えないという気持ち悪さが残る。

    例えば、p^2+14の場合は、  p≡±1 でも、p=3の場合に、23という素数になり意味がない。

        p^6+14の場合にも、p≡±1ではいいが、  3^6+14が素数かどうかの検証は面倒くさく、さらに3^8+14などとなると手計算ではさらに面倒になる。

    従って、優れた解法としては、背理法などの既知の有名な知られた手法からアプローチで考えたいのが一般で、もし背理法によりどうしても行き詰った結果として

 何か月も考えた末に、岩をも通したいという強靭で絞られた思考が、MOD 3を使うに至るわけだ。

2021-05-08

anond:20210508191715

上級国民に対する反発心よりそれに嫉妬してる下層民の気持ち悪さに対する嫌悪感が上回ってるから

東京五輪反対派 東京2021反対派 反オリンピック

それぞれ別の派閥なんだけどね。

コロナ真っ最中オリンピックを開くという行為に対して是非を問う」って形で共闘しているけど実際に目指してるゴールはぜんぜん違う。

東京五輪反対派

「誘致について騙すようなことしたのが許せねえ」「関係者人間的にゴミ」「ミソがついたのでもう辞めちまえ」などの理由によって結束されている派閥

コロナが始まる前から『森古墳』といったフレーズによって東京五輪のもの批判してきている。

一時期は東京五輪公式ボランティア装備を馬鹿にしていたが奇しくも鬼滅の刃によって市松模様最先端となると今度はその話を一切しなくなった。

JOCのものに対して強烈なヘイト感情を持っており、関係者失言盗作疑惑を常に嗅ぎ回っている。

今回の情勢における最も理想的なゴールとして「2020年に予定されていた東京五輪廃止」を設定している。

今後の東京五輪開催については「二度とやらないでいい派」「JOCクリーン組織になったらやってもいい派」「日本経済に本当に貢献するのならやってもいい派」などに別れていく。

東京2021反対派

コロナ収束してからオリンピックはやるべき」「立て直しの時間必要から延期すべき」「まとまってない状態で開催するのは国の恥」といった理由から2022年や2023年まで夏季オリンピックの開催を延期すべきであると主張する派閥

東京でのオリンピックの開催そのものに対しては歓迎~強く否定はしないの範囲内で考えており、東京での開催そのもの批判しない勢力に思われるが、「一度決めた以上今回の開催自体キッチリやるべき。ただし、今年は見送るべきだし、次回はもうなくていい」という考えのものも紛れ込んでいるので注意が必要

「俺たちのイベントも中止させられたんだからオリンピックも中止してくれないと気持ちが収まらない」からこの派閥所属している勢力もあり、この派閥の中でもとりわけ狂暴で繊細な存在としてあちこち火花を散らしたがっている。

オリンピックのもの好きな人たちが多く所属している派閥であるため、なにかニュースがあると「失望した」「ショック」「傷ついた」と繊細なことを言いがちなのが特徴とも言える。

オリンピック

スポーツの祭典に税金を使うな」「IOCは一度解体しろ」「多数派お祭りだ」といった意見のもとでオリンピック存在意義について見直し要求する派閥

汚職欺瞞に対して強烈な嫌悪感情を抱くものが多く、今回の騒動国内外に様々な迷惑をかけていた人間が何らかの罰を受けることを願いがち。

かつてはオリンピックが好きだったが、ここ最近オリンピックにおいて拝金主義開催国経済における歪みなどが取り沙汰されるにつれてオリンピック否定する側に回った者達が主な構成員となる。

単にスポーツのものが嫌いであったり、スポーツが出来るというだけでチヤホヤされる人間が嫌いであると主張する根っから運動大会嫌いもそれなりの数存在することが確認されている。

最終目標は当然の如く「オリンピック廃止である

今回のオリンピック開催延期をオリンピックの存続停止に繋げられないかと画策しており、僅かな火種から少しでも大きな煙を立てられないかと日々目を光らせている。



な?

これ全部一括にするのとかアホらしいだろ?

2021-05-07

コロナ以上に反出生主義が最強すぎる件

フェミオタクが唯一共闘できる

・下級国民ノーダメージで、上級国民だけを確実に痛めつける

・「子供を持つコスト」という経済的理由から、どんな人でも出産というライフイベントで必ずこの思想に触れてしま

出生率経済状況と連動してるため、日本がV字回復するまでずっと続く

資本主義先進国社会では少子化合理的家族構成なので、この思想がなくとも結局は同じ道を辿る

・「子持ち」VS「独身」という新たな分断が更に両者の対話を難しくする

大日本帝国100代聖天皇 安倍・ディ・ミン・トー・晋三 も反出生主義者

・例え無理やり子供を産んでも、その子貧困経験するので出産に後ろ向きな価値観が強化される

・出生主義者は宗教的権威しかすがることが出来ず、当然宗教はほぼ復権不可能

・出生主義者は現状論拠が無い(一切ない) 輪廻転生だのの非科学で納得させるしかない

・男が女に無理やり子供を産ませるため、ミソジニーを強化するほど恋愛のものへの嫌悪感発声する

 

 

あえて論拠そのものを出さずとも、これだけ周辺の状況が有利なんだけど

もうこれ国解体まで行くんじゃねえの? 割とマジで

2021-05-06

仲良しだったフォロワーと私の最後の一カ月(前)

 これからする話は、とあるさなジャンルの小さなカプの字書きである私がいかに身勝手だったかということを伝えるものである

 大多数の人間にとっては、読んでも糧になるものはなく、むしろ不快になるものだろう。

 それでも記事にしようと思ったのは、私の中で未だに蟠った昏い感情ひとつ文章として昇華し、過去出来事として今の自分から切り離し、客観的に見てみたいからだ。

 

 

 P氏と私の出会いは三年前。

 私はそれまで活動していたある大きなジャンルを抜け、小さなジャンルのABというカプで活動を開始した。

 前のジャンルを抜けた理由は、そのジャンル民が望むものが書けなくなって、しか自分がそれにショックを受けていたからというありきたりなものだった。

 二次創作は、当然ながら自分が望むものを作って楽しむのが正しい。けれど、あなたの書く○○が好きだと言われ、しかもそれが結構な人数いたとするなら、自分のためだけに書くのではなく、他人が望むものを書きがちになる。承認欲求というやつだ。

 当時の私は、自分の望むものではなく、他人が望む作品を作り出すことに腐心していた。厄介なことに、それが楽しいと思っていたのだ。

 しかしある日、私ははたと我に返った。

 自分のためにではなく、他人のために二次創作をしているということに気づいた私は、そのジャンルを去ることにした。

 

 そうして辿り着いたABで小説を書き始め、私は驚いた。

 文字が次々と紡がれていくのだ。

 私はあっという間に小説を書き上げて、某サイト投稿した。ツイッターも始め、このカプのここが好きだということを、誰のためにでもなく、私のために呟き続けた。

 それからは、毎日が楽しかった。

 千人近くいた前のジャンルアカウントに対し、今のアカウントフォロワーゼロ。私の呟きなんて、誰も見ていないから当然いいねもつかない。

 それでも楽しくて、私は呟きを量産し、小説を書き続けた。

 三年前の、四月の終わりのことだった。

 

 フォロワーゼロと言ったが、そもそもABの活動人数は少ない。

 活動を始めたばかりの私がフォローしたのは四人くらいだった。その内の一人がP氏だ。

 P氏はすぐにフォロバしてくれた。

 お互いに挨拶をすることもなく、話しかけることもない。いるけどいない、という関係だった。

 私自身、あまり積極的に絡みに行くタイプではなかったので、何人かの相互さんと話したこともなく、黙々と壁を打つ日々だった。

 相互になって二か月ほどした頃だろうか。P氏が私にリプを送ってくれた。私はABで初めて、同ジャンル人間としゃべった。

 嬉しかったが、それだけ。

 今から思えば、初めてリプをくれたのがよりにもよってあの呟きだったのはP氏の性癖が相当ヤバイことを示していると思うが、それはまあ別にいいだろう。

 初めてリプを貰ってから、P氏と私は一カ月に一度の頻度でやり取りをするようになった。

 どちらかが作品を上げると「素敵です」と言い、それに対して「ありがとうございます」と返す。それくらいだった。

 

 彼女と急激に仲良くなったのは、はじめてリプを貰ってから一年と少し経った頃だった。

 その時の彼女と私は、同じような人間関係問題で、同じように悩んでいた。

 その頃の私は人間関係に疲れて、殆ど誰とも繋がっていなかった。

 フォロワーはP氏だけ。正直、ABで活動を続けていくことに限界を感じていた。

 ただ、まだ書き続けていたいという気持ちもあった。

 私は彼女しか見ていないTLに、ABの小説投稿し続けていた。

 

 P氏初めて通話をしたのもその時だ。

 その時に私は、彼女二次創作で仲良くなったフォロワーとどう付き合いたいのかを教えてもらった。彼女は「同じ熱量の人と狂っていたい」と言った。私も同じだ、と嬉しくなったことを覚えている。

 二次創作をしていると付き物になるのが、熱量問題だ。

 なにが問題なのかというと、熱量主観的ものだということだ。

 ある人の、あるジャンルに対する熱量を、客観的に計る方法はない。本人が冷めたと言えばそうだし、冷めていないと言えば冷めていない。

 ここまでは、誰もが共通認識として持っていることだろう。

 P氏も、私も、そう思っている。

 ただ、私は、その先も考えていた。

 ジャンルに対する熱量主観しか計れない。決して、他人には伝わらない。他人に伝えるには、行動として示さなければならない。こうした時に言葉で伝えるのは逆効果であること私は思っていた。

 たとえば、あるカプについて毎日十以上の呟きをしていた人がいるとしよう。その人はある日別のジャンルにハマって、別ジャンルについて呟くばかりになって、あるカプについては殆どさなくなった。あるカプの絵や小説がTLに流れてきても反応しなくなった。以前なら、必ずその作者に感想を送り、フォロワーにその作品が素晴らしいからとプレゼンしていたのに、そうした反応を一切しなくなった。その人が唐突に「最近○○についてばかり呟いているけど、元のジャンルの熱は冷めてない。今でも大好き」と言ったとして、残念ながら私はそれを信じることができない。

 完全に冷めてはないのだろう。新しくハマったジャンルの刺激が強くて、元のジャンルへの反応ができなくなっただけだろう。ただそれは、見方を変えれば、「冷めた」ことにならないだろうか。少なくとも、以前と同じように反応ができなくなったということは、そこに割く労力を減らしたことに違いはない。

 

 別ジャンルにはまることも、そこに熱量を注いだ結果元ジャンルへの熱が冷めるのも、悪い事ではない。

 何を好きになるのかは、その人の自由だ。

 ただ私が、「冷めていない。今でも大好きだ」という言葉が出た時点で、その人はもう元のジャンルにこれまでと同じだけの熱量を注いでいないと思うようにしているだけだ。

 本当に元のジャンルにも今までと同じだけの熱量を注いでいるなら、わざわざ言葉にしなくていいはずだ。

 言葉にして、「冷めてないよ。だからこれからも仲良くしてね」と友情を乞うているような姿に、私は何とも言えない嫌悪感を覚えてしまう。

 あくまでも私がそう思うだけだということは、言うまでもない。

 人の考え方は人それぞれだ。だからこれは、私がこう考えたというだけの話であることを改めて記しておく。

 

 話を戻そう。

 P氏は私にこうも言った。

 

「別ジャンルにはまっても、そのジャンルで狂ってる君を見てたら私は楽しい

 

 使い古されたフォロワーへの言葉だった。

 ジャンル移動しても友達でいようね、と彼女は私に言った。

 別ジャンルに嵌って、別アカウントを作ってしまうと元々のアカウントフォロワーと疎遠になるのはよくある話だ。チェックするTLが二倍になるのだから当たり前だ。そして先述の通り、新しくハマったジャンルの方に熱量を注ぎがちになるのも明白。結果として、元のジャンル作品や元のジャンルで出来た知り合いの呟きへの反応は鈍くなり、その後ろめたさからアカウントを消すという人もいるだろう。

 彼女は私にそうなって欲しくないと言いたいのだろう。別ジャンルにはまっても、同じアカウント活動して欲しい、あるいは、別アカウントを教えて欲しい。たぶん、そういうことだと私は考えた。

 それで合っているかどうかは正直わからない。

 ただ私は、彼女言葉から彼女が望んでいることをできるだけ汲み取り、そうあるようにした。

 

 その頃は、多分、上手くいっていたと思う。

 彼女と私は毎日十や二十のやり取りをして、時々通話して、ABについてああだこうだと話していた。

 傍から見れば異常だったのだろう。言われるまでもなく、当時のP氏と私の関係は、正しく「傷の舐め合い」だった。

 それでも私たち毎日は楽しかった。

 少なくとも、私は楽しかった。今思い出しても、思わず頬が緩んでしまう。

 

 そうしている間に、秋が来た。

 最初通話から一年弱経った頃、私は別ジャンルにはまった。

 彼女しか見ていないTLで「○○にはまった」と呟き。ABと一緒に新しいジャンルについて呟くようになった。

 そのジャンル用のアカウントを作ったが、稼働させるのはすぐにやめた。

 新しいアカウント活動を始めると、熱量分散されることを私は知っていた。だから、元のアカウントで新しいジャンルイラストをリツーイトしたりしていた。P氏は私が新しくハマったカプについても「私は絶対まらないけど」と言いつつも好意的だった。私が新しいジャンルに狂っている姿を見て楽しいと、初めて通話した時に言っていた台詞を繰り返していた。

 

 彼女の様子が変わったと感じたのは、年が明けた頃。

 彼女はしばしば、創作モチベーションが上がらないと呟いていた。

 例のウイルスの件もあり、イベントは軒並み中止。ジャンル民の創作活動も下火になっていた。

 元々小さな規模のABというカプで、この一年コンスタント作品を上げていたのは、P氏と私だけ。

 その私も、昨年秋から色々とあり創作頻度は下がっていた。

 小説毎日書かないと感覚を忘れてしまう。私の執筆スピードは目に見えて遅くなり、大量の文章を、人様に見せられるほどの完成度に仕上げられなくなっていた。

 それがストレススランプに陥り、さら創作頻度が下がっていることを自覚していたから、呟きは多くするようにしていた。

 私がスランプに陥っている間、彼女はABの作品が増えないことに寂しさを募らせていたようだった。私は自分の不甲斐なさを痛感しながらも、スランプから仕方がないと自分を励ましていた。

 なんとか創作に集中できる環境を作りたいと四苦八苦していたが、そうこうしている間に彼女の方に変化があった。

 毎日二十近くやり取りをしていた彼女は、私の呟きにリプを飛ばさなくなり、彼女自身が呟くこともがくりと減った。

 私は彼女の行動に覚えがあった。

 彼女は、別のジャンルにはまったのだろうと思った。

 彼女はとにかく呟くタイプ人間だ。呟くことで、日々のストレスを軽減しているのだろう。だから、ここで呟いていないのなら、どこか、別の所で呟いているのだろう。そこで呟いているから、こちらで呟くことがなくなった。多分、そういうことだろうと私は考えた。

 少しだけ、私の心に靄がかかった。

 

「別ジャンルにはまっても、そのジャンルで狂ってる君を見てたら私は楽しい

 

 かつて彼女は私にこう言った。

 別ジャンルにはまって愉しそうにしている姿をみせてくれと言っていた彼女は、しかし、別ジャンルにはまって楽しそうにしている姿を、私に見せてはくれなかったのだ。

 

 春の訪れと共に、P氏と私の最後の一カ月が始まった。

anond:20210506173005

インスタ民だって僻みは当然あると思うけど、「僻みの共有」みたいなことやってるはてなは異常だわ

ファッションに対する嫌悪感強すぎてほんと引く

東日本大震災でホームレスになった15才の話に思うこと

3月末に、Twitterであぶくま君という人が「15才の時に東日本大震災家族を亡くし、天涯孤独の身になり東京ホームレスになった話」というマンガ投稿して話題を集めた。今も更新され続けている。ぼかすけど、当該地域周辺に縁がある自分は、震災描写への疑問と、それに反して「すごくリアル」という反応の多さに、その後もなんとなくモヤモヤしながら推移を見守っていた。ただ、はてぶでは実在疑問視するコメントスターが集まっていたのを見て、少しほっとした。

このモヤモヤはなんだろう、とずっと考えている。おそらく、自分にとってはまだ遠い歴史の一部と割り切れない東日本大震災が、地名も設定もあやふやなままに(※)、材料として使われて、実話っぽく描かれていること。それらが「涙が出てきます」「感動しました」というコメントを集めていること、つまり感動ポルノのように扱われているあたりだろうか。あるいはこれがノンフィクションとして出版されたら、すごく細かい箇所で恐縮だけど、歴史改変っぽいことへの嫌悪感もあるかもしれない。

(そう言いながら、100%嘘だと言う自信と勇気はないので、100%実話なら申し訳ない。また少しずつフェイクを入れた実話だと言う可能性は否めないと思っている)

実話っぽく、と書いたのには理由がある。

肯定的コメントをしている人たちの多くは、この物語を、「震災当時15歳の子供が家族を全員なくしてホームレスになったという実話」だと思ってコメントしているように思える。けれど、実は投稿者は一度も文字で「実話」とか「ノンフィクション」とは書いていないし、そう聞いてくるリプライにも頑なにノーコメントを貫いている。マンガの中で「これは中学生孤児になった僕の物語だ」とは書いてあるけど、プロフィールには一つも「僕の体験」といったことは書いていない。つまりマンガ最後に「これは実話に基づいたフィクション」と出てきたとしても言い逃れできる形になっている。

togetterだかのコメントに「こんなことがあったなんて信じられない、ってコメントしている人こそ、この物語を実話だと信じきってしまっている」というようなものがあったのが印象的だった。

震災テーマにした創作物自体はいくつもある。あぶくま君が暮らしていたという南相馬市舞台にしたものも読んだけど、それらに対してこんなモヤモヤはなかった(ついでに、方言リアルだった)。震災を食い物にしていると感じることはあまりなかった。そもそもそれらはフィクションとして創作されているのだが。つまり、このモヤモヤはやはり実話の体をなしている(と思わせる)ことによるものなのだろう。

東日本大震災ネタにした、「これは本当の話です感動ポルノ」は何年も前からあった。Facebookで土砂に埋もれた親子の写真が「東日本大震災の感動実話」みたいにシェアされまくって、当時Hagexさんに「嘘を「真実」として紹介するのは大変悪質な行為」って突っ込まれていた。

でも、じゃあなぜ創作震災ドキュメンタリーならよくて、実話「っぽく」描かれることにそこまでイライラするのかと言われたら。「創作だったらなんなんですか?」と擁護するファンに対しても、ここでも、うまく説明できる気がしない。しかも今回は一応、投稿者は一度も「本当の話です」とは言っていないし。

ちなみにTwitterではおそらく舞台の近隣住民だろうと思われるツイッタラーからツッコミも入っているが、それに対して「黙って創作物として消費しろ」なんて返しているファンを見かけたこともある。今見たら当該ツイートは消えていた。

上手く言えないけれど、客観的に「これは本当にあった感動秘話」として消費できる者と、まだ震災歴史として割り切れない自分との間に、決定的な温度差があるように思えてしまう。

これまでほとんど静観していたけれど、最近、そのマンガ福島への差別みたいな部分が取り上げられて再び話題になってたようなので書いた。「差別ひどい!放射能うつるなんてバカなの!?」みたいなコメントを見ても、「問題はそんなにわかやす差別じゃなくて……」ってまた冷めた目で見てしま自分がいる。

福島の上辺だけを材料に使うことこそ、差別の一旦になるのに。

投稿者のアカウントには編集者と名乗る人たちもリプライを送っている。

いつか、ノンフィクション福島震災ドキュメンタリーとしてそのまま世に出てしまうのだろうか。

追記

あぶくま君のTwitterアカウントのヘッダー画像はおそらくこちらがオリジナルかと思われる。

https://blog.goo.ne.jp/scmsakou/e/f6876aae059d9b83a448c28d13b8989f

いわき市の様子とのこと。

描写への疑問については、以下に矛盾がまとめられている。コメントも参考になる。

https://togetter.com/li/1693206

自分にとってはありがたいまとめなのだが、ただ「重箱の隅すぎるかも」という指摘もなくはなくて、擁護から攻撃材料にされるのは少し悔しい。

でも、もしこれが本人の話であれば、地理的震災描写の辻褄が合わないことが伝わるかと思う。

本人以外の取材対象経験を描いた作品だというのであれば、事実確認に基づいた取材が行われていない可能性がある。

根拠はないんだけど、すべてが完全なフィクションというよりは、下敷きにした話はあってもおかしくないように思える。15歳で被災した人物天涯孤独の身になった人物東京ホームレスになった人物などが複数人物エピソードがあって(そして誰かは本当に福島の人かもしれない)、彼らの話を混ぜて1人の人物にしたといったあたりだろうか。

あるいは、単に辻褄が合わないのは地名が違うだけ、という可能性も捨てきれない。地名おかしいのはフェイクだろうという擁護もあるけど、出された地域の人が怒ってるのだから実在地名は避けるにこしたことはない。で、なんとなく、セリフを書いている人は福島の人じゃないのかな?って感じたことがある。セリフはあえて共通語にしているんだと好意的に見たとしても、一か所だけ方言にしようとして共通語でも福島でも使われない表現になっていると思われる箇所がある。

2021-05-05

非モテ男性のファッションについて思ったこと

大学時代、身近に非モテ男子が多かった。皆性格は良かったので普通に仲良くしていた。

非モテ男子は服がとにかくダサかった。そのくせ彼女がほしい、とか言うのが謎だった。

そんな服着ててモテるわけないだろ??という格好なのだ。お母さんが西友の2階で買ったのを中学時代から着続けているのか、はたまたジーンズメイト自分で買ったのか、というコーディネートなのだ。まじで。実際はどうなのか知らないけど。

顔はどうしようもない。身長もどうしようもない。しかし服は予算問題はあるにしてももう少しどうにかなるだろう。

そのままじゃ200%女子から恋愛対象にはならないだろって服を着ている。

しか今日このブログを読んで腑に落ちた。

弱者男性論者を見ていると、「社会適応という名の悪」に対してあまりにも潔癖すぎると強く感じてしまう - 自意識高い系男子

モテるためにファッションに気を使うことは、就活で経歴を盛るくらいのくだらない茶番で騙し合い、という感覚があるらしい。

少女漫画だと、恋した女子が「もっと可愛くなりたい!」と友達ファッション相談して一緒に買い物に行ったり、メイク勉強したり、髪型を変えたり、メガネコンタクトにしたり、めちゃくちゃありがちな展開である。(ありがちだけど、ファッションや変身ぶりに納得感があるとすごく好きです)

全然茶番でも騙しでもない。むしろ王道レベルアップ。基本のキって感じ。

でも少年漫画で恋した男子が「もっとかっこよくなりたい!」つって髪型変えたり、ファッション勉強したり、って王道じゃないんじゃないかな。

どっちかってーと部活を頑張るとか、勉強を頑張るとか、頑張って話しかけるとかが王道なんじゃないかな。

私としては「恋愛したい=まず見た目のレベルアップ」だからジーンズメイトの服でモテたいとか言ってる意味が分からなかったんだ。

まず第一歩の努力してから言えよって思ってた。

でも就活で経歴盛るくらいの嫌悪感を覚えることだったんなら、そりゃジーンズメイトの服のままモテたいとか言うよなって。多分部活とか勉強とか頑張ってるのに!くらいに思ってたんかなって思いました。

anond:20210505161308

動物が嫌いって人間として基本的な部分が欠落してるだろ

人間だって動物だし、人間幼児かに嫌悪感を示しそうで怖い

虐待は論外って言っても普通人間より論外に対する閾値は低そうだし

なによりそれを宣言するというのが怖い。普通嫌いでもそれなりに対応するのにな

宣言するってのは主張だからな、主張するってことは能動的に嫌いってことで

それはつまりもうあと一歩で虐待者という予断を持たれて当然だよな

しか増田利用者とか捕まってないのが不思議なくらいじゃね

anond:20210505113222

差別というのは、個人が持つ属性(肌が黒い、性別が女など)を理由特別な扱いをすることですので、生理的嫌悪感とは違いますね。

あいつは鬼だから悪い奴」など、具体的な悪事を働いた事実がないにも関わらず、「鬼」という一側面で悪いと決めつけるのが差別です。

2021-05-04

anond:20210504034945

ちゃんと書いてくれたんでちゃんと返信するよ。

そもそも弱者問題であって性別で分けて考える必要は無い」というのは認識していて、元の記事でも次のように書いている。便宜上彼らを「ガチ弱者」と呼ぶことにする。

食うに困るくらいならそれはKKO問題ではなく貧困問題だ。

女性で生きるのがつらそうなのはキモくて金のないことではなく、普通に働けないレベルの深刻な病気や障碍を抱えていたり、食うに困るレベル貧困だったり、毒親介護などの事情を抱えていたりという人。

ただそれは男性も一緒

ガチ弱者は、現状の救済策が十分ではないにしろ改善すべき社会問題として認識されている。というのが論旨のひとつめ。

女性だって容姿キモいかキモくないかジャッジされ、嘲笑され不当な扱いを受けてきたと思うけどね(これは個人的経験もあるし一般的にもよくあることだと思う)。昔からあるエンタメ記号で、美人性格が良くてデブスは性格が悪いってのあるじゃん?これってそういう扱いがメジャーだったから浸透したわけでしょ?

これ、実は男性の内心と女性自身の自認で大きく異なる。男性美人をもてはやすが、いわゆる不細工といわれる女性でも生涯の伴侶とするのに抵抗はない。ただそのことを口に出さない。

理由としては、そういうことを口に出すと男性社会での地位マウンティングランキングモテランキング)が落ちるから、あるいは女性をけなした方が女性を獲得しやすいから(恋愛工学)。もちろん、対立した女性悪口としてあえて言うこともある。悪口なので本心ではなく、対立しなければ普通に恋愛関係になれる。

めしネットじゃなくてリアル恋愛あきらめたような弱者男性の声に耳を傾けてみると、彼らは全然女性容姿をけなさないことがわかるんじゃないかな?恋愛あきらめた男性は異性をけなしてモテランキングを上げるモチベーションがないから。

何が言いたいかと言うと、美人ポイントとして加算されるが、不細工は減点にならないということ。いわゆるルッキズム男性の内心とは相違があるということ。これが主旨のふたつめ。

まあ、これはこれまで何度か増田に書いても女性には信じてもらえなかったから、今回もあんまり期待してないけどね。

そして弱者男性の話。

弱者男性はいろいろとフォーカスぶれることもあるが、基本的にはガチ弱者よりもう少しマシな人たちと認識してほしい。彼らは食うに困るほどではないか生活保護をはじめとする社会支援は受けられない。

男性からっていわゆる男らしさを求められがちなところは辛いだろうなと思う。

男の場合、いわゆる男らしさも、キモいことも、金のないことも、同性から評価も、異性から評価も、自分自身から評価も、すべて強く関連していることが最大の生きづらさの原因だ。

高い収入を得る職業に就けば、同性からも異性からも高く評価される。自己肯定感も上がる。金があれば身だしなみもきれいになる。男性の服は女性の服ほど工夫のしがいがなく、高い=かっこいい、なのだユニクロで小ぎれいにしたところで嫌悪感が消えマイナスゼロになるだけで、性的魅力はプラスに転じない。もっと上位の身だしなみが必要だ。

まり収入普通レベルよりも低く生活保護を受けるほどでもない男性は、それだけで「キモい」も「モテない」も「同性からの低評価」も「社会からの低評価」も「自分からの低評価」も必ずセットでついてくるのだ。

女性場合、金がないけど美人とか、不細工だけど家庭的、といった一芸入試的というか複数軸の評価がありえるが、男性はそれがなく一本道ということだ。

そしてこの、中途半端に金がなくて、それゆえにキモくて、それゆえにあらゆる人からまれ努力不足と言われ、的外れアドバイス勝手にされ、無害にも関わらずネット女性攻撃しているとあらぬレッテルを貼られる、社会からまったく同情されない人たちが弱者男性なのだ

これが主旨のみっつめ。

大好き

はじめましてはうんと小さい頃で、その時はどちらかというと嫌いだった。

まずなんか見た目が嫌いだった。テカテカしてたし。あと匂いが苦手だった。

祝い事とかの楽しい席でもあいつがいると最悪だった。

家族とかまわりが皆ニコニコしてる中私だけそっぽ向いたりしてた。

私があまりに態度悪いか家族も私があいつを嫌いなことを察してくれて、

うちにはあいつが来ることは少なかった。

でも集まりとかでどうしても目の前に居ることがあって、

事情を知らない大人が私にあいつの話題をふってきたりして、そういう時は地獄だった。

さすがに高校生あたりになったら空気を読んで、

あいつが目の前に居ても愛想笑いくらいできるようになった。

でも基本苦手で、あんまり自分からいくことはなかった。

ところが二十代前半の頃だったか、ある時ふと、ちょっと会いたい思った。

自分でも不思議だけど、衝動的になんとなく会いにいってみた。

そしたら、以前のような嫌悪感は一切なくなっていた。

あいつを目の前にしてもも全然平気で、むしろ嬉しさすら感じた。

それから何度かあいつに会った。そのたびに良い所がわかるようになってった。

私はこれまであいつを遠ざけてばかりで少しも知ろうとしなかったことを後悔した。

いつしか私の生活にはあいつが欠かせなくなった。

あいつの話題で盛り上がったり、自分から会いたいと言うようになった。

そして私は気づいた、あいつのことが好きなんだって

三十代になった今、あいつは私の一番といってもいいくらいの存在になった。

仕事が忙しい時もすべてがうまくいかなくて荒んだときも、

あいつだけは変わらずそばにいてくれる。

あいつがいから頑張れる。あいつに恥ずかしくない人間でいたい。

まさかこんなに好きになるなんて思っていなかった。

これからよろしくね。

愛してるよ、お寿司

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