はてなキーワード: 嫌悪感とは
これはわかる。
私は野党支持者であり、選挙では共産党や立憲民主党に投票しているし、世論調査で「岸田政権を支持しますか?」と訊かれたら「支持しない」と答える人間である。
しかし、岸田政権には嫌悪感が無い。それが安倍政権や菅政権と決定系に違う。
安倍は歴史否認主義者でありレイシストだ。ネトウヨそのものである。そんな奴が日本の首相であることは心底我慢ならない。ガースーはより陰湿な矮小な安倍であり、似たようなものだ。
ところが岸田は違う。岸田さんはハト派の平和主義者であり、「平和の岸田」とも呼ばれる人だ。また「新しい資本主義」を示し、新自由主義の安倍スガとも違う道を示した。自民党の政権だから支持する気にはならないが、前の二人に比べたら圧倒的に印象が良い。
安倍政権や菅政権は極右ネトウヨ政権だったから、なんとしても粉砕したかった。しかし岸田政権は支持はしないが敵意もない。
平和主義者の岸田さんのいう「敵基地攻撃能力」なら支持できる。
平和主義者の岸田さんの内閣なら、憲法改正も良いかもしれない。
もし総裁選で高市早苗が総裁になっていたら、あのクソ自民党改憲草案が復活していた。しかし平和主義者の岸田さんはそれを認めず、あくまで「改憲4項目」を堅持した。
改憲4項目は「9条への自衛隊明記」「緊急事態条項」「参院選合区の解消」「教育の充実」であり、これは「自民党改憲草案」と違って危険性は少ない。
次の参院選でも私は共産党か立憲民主党に投票するだろう。自民党内にいる極右ネトウヨ勢力を増長させないために決して自民党には投票しない。しかし、おそらく選挙の結果、参議院でも改憲勢力が3分の2を上回り、やがて憲法は改正されることは間違いない。平和主義岸田政権のもとで、日本は平和の盾と同時に矛をも持つ新しい時代を迎えるだろう。
これに尽きる。
もっとも件のプロゲーマーはCHOTeNというテレビ番組で何度も取り上げられていたし、
PUBG Mobileの成績で何度もニュースにはなっていた。
一方で、差別問題という観点でギャーギャー騒がれてるのも事実。
そんなことより、ZETAのVALORANTで世界ベスト3の方がよほどニュース性が高い。
全世界のTwitterでトレンド1位だったことから、海外の注目度も明らかにこっちの方が大きい。
しかしeスポーツ史に残る快挙よりも、ちょろっと出た失言に群がってニュースを消費する。
そんな「人生で大切なことが何かを感じ取れない人間」に対し、とてつもなく嫌悪感がある。
この件をまたホットエントリに入れてる奴らのことだ。
そもそも「当事者の殆どがネガティブな感情で性を売っている」現実があるから
「当事者じゃない人も殆どがネガティブな感情を抱いている」んじゃないの?
感情さえ我慢すれば若い女ならほぼ誰でも出来る仕事なのに高収入が得られるのは
「殆どの女にとって嫌悪感が物凄く強くて高収入が得られでもしない限り殆どの女がやりたがらないネガティブな仕事だから」なわけだし
この意見を肯定すると、女性の持つ意見の問題点も肯定することになりそうなのが嫌なんだよな
女性の性への嫌悪(正確には男性の性)を表明する際に、大衆は客観性をもって否定する。
それはあなたの主観ではないかと、客観性をもって言えば、つまり増田の言うように何かの能力による区別は良いのかと
つまりこれはカウンター的なのだよね、本来であれば女性へ刺さるはずが大衆に刺さる。
そこで増田はこういう、主観的に考えろと、まぁそれしか逃げ道などないのだけど
そうして能力の区別はそのまま保存され、性への嫌悪や感情での意見が生き残る
もし大衆が新たな客観を作り出したとしても、増田は否定するだろう
というか増田が持っているのは嫌悪感であり、感情こそが人間が持つ唯一合理的なものだ。
これは結構難しい話な気もする。
まず、ゼロ年代までの日本において、政治組織は主婦層の奪い合いを行っていた。
数が多く、政治活動を行う暇があり、組織に拘束されておらず、思想的に特定の傾向がないが横のつながりはあるという、まさに格好の動員対象だったからだ。
ただし当たり前だが動員というのは上から自由に政治的思想を植え付けられるわけでなく、自由なタイミングで動員できるわけでもない。
比較的どうでもいい案件については積極的に下から吸い上げて常に運動欲を満たし、「自分たちが動かしている、声が届いている」という実感をもたせるのが重要。
主婦層に共有された嫌悪感があり、社会悪だという方向に持っていきやすく、婦人会による規制運動を展開することで低コストで定期的に運動実績を満たしやすい。
要するに叩くのに丁度いいから自民も公明も各種の野党も性表現規制論をだし、逆に政敵の手柄になりそうな風向きのときだけそれを批判してきた。
矯風会もこのころ潜り込んでいろいろやっているが、別に思想的には主体性を発揮したわけではない。
あくまで普通の女性が、「素朴な感性」を運動で増幅させた結果に相乗りしただけだ。
大半の政治家にとっては「自分の票にならなければどうでもいい、だがある程度便利使いするため風向きを読んでたまにコメントする」程度の話題だった。
リベラルと呼ばれてるが中身は様々な人々にとっても大半は同じだろう。
しかし、ネット時代で性表現市場が拡大し、規制論者もオタクの声もでかくなったことで、この話題はそれなりのネタに昇格した。
ただ、山田太郎はうまくやったが、ワン・イシューで国会に1議席確保できるぐらいというのは、小さくもなく大きくもない、なかなか微妙なラインである。
これも基本的には思想や強力なトップダウン利権があるわけではない。
普通のオタクが「素朴な感性」を運動で増幅させた流れをうまく利用したということになる。
こういうネタは言論屋や政治プレイヤーとしては非常に扱いが難しい。
「普通の人々」の「素朴な感性」というのは、たいてい思想的にはメチャクチャであり、民主主義にも自由主義にも完全に敵対している。
なんとなく思ってるだけならまだしも、運動で増幅させるとカルトの原理主義と対して変わらない。
それでいてカルトと違って思想的核のない多数派だから、批判にも難儀する。
山田太郎も統一教会と絡んだりしているが、こういう連中がオタクを「操って」いるというのはいろいろな意味で間違っている。
オタクの普通の言動に素直に乗っかれば自分の主張が認められる部分がありそうだから、のこのこやってきたというだけだろう。
矯風会が政治に熱心な主婦層によってくるというのも、主流はあくまで強大で消し難い「素朴な感性」のほうで、矯風会なんてのは張り付いた雑菌の如き存在だ。
「素朴な感性」に公然と敵対する人間は、たとえ理屈の上で正しいことを言っていても、政治レベルではあっさり抹消される。
逆に、そうなってない人間というのは、理屈以前の話で、「素朴な感性」にうまく忖度しているからこそ生き残れている。
だから、問うべきは、リベラルの人々は、一般人の、あるいは自身の中の「素朴な感性」と自由主義が対立する事実にどう向き合うか?
という話だが、これに真剣に答えること自体も「素朴な感性」への敵対の一種であるから、政治プレイヤーとしては公然と議論することは難しいだろう。
なりすましに嫌悪感を抱く人って党派性にとらわれすぎなんだよ。単純に頭が悪い。
反対側の陣営になりすましたとして、良い意見を言ったらそれに賛同すればいいし、
ネットの匿名者の主張の良し悪しに中の人の出自は関係ないじゃん。
犯罪に近い迷惑行為をして◯◯陣営のやつはこんな酷い奴ってイメージダウン工作するとか?
それはそいつ個人がキチガイなだけで、陣営が責任を引き受けるもんでもないだろ?
なりすましが増えると人を信用できなくなるって?
あほか、信用するな。議論の最中に主張内容以外の要素を判断基準に入れるな。
クズ人間が良い意見を言ったら、意見を受け入れるだけで人間を受け入れるな。
友達作りしてるんじゃないんだぞ。
割と人に親切にされるので、他人は自分に親切するに違いないという期待を持っている
幸運に恵まれて、世界レベルのエンジニアや異様な管理能力を持つ人と一緒に働く機会があったので、他人の能力に対して期待を持っている
なので、単純で騙されやすい性格をしているが仕事に関してのみ世辞は一切効かない、すべて出来て当たり前だ
もう一歩踏み込んでみる
自分は他人に親切にするで終わればよいが、他人に親切に出来ない人間に強い嫌悪感を持つ
なんなら蹴飛ばす。親切どこ行った?
他人の能力を低く見積る人が嫌い・みんな出来ると期待するまではいいけれど、
この世の中のすべての人はコンディション以前に自分の意思で全力を出す・出さないを選ぶ権利がある
本人以外にそれをどうこうする術はないし、なによりも自分自身がすべてのシーンで全力で生きてはいない
興味があることだけハッスルしてあとは適当に生きている、ダラシが無いとすら言えるエネルギー節約具合だ
なので、宗教的熱狂を前提としていない場合は、出来そうの期待値を3割くらい控えめに抑えておくといいかも知れないが、組織の成長とは?なる
宗教的熱狂でヒャッハーしているベンチャーが急成長するのも道理だなって思える
まぁ長々と書いたけど、ひとことで言えば、『他人は自分が思っている通りには動かない(動く必要もない)』
他人に親切にしない人にキレるけど、自分自身がすべてのシーンで他人の期待に応えてないし、なんなら親しい人ほど甘えて応えない傾向がある(仕事じゃないから)
つまり、うんち💩
自分は今まで誰とも付き合った事がなく、告白したこともされたことも無い。小学生の頃に好かれていると耳にした事はあったが、実際の所どうだったのかは知らない。
当時は少女漫画が大好きで、母にねだって買ってもらったちゃおを、何度も何度も繰り返し読んでいた。漫画の中の彼らと同じように、自分も恋愛をして結婚し、子供を産むんだと当然のように信じていた。
けれど今は、その"ふつう"がとても遠くに感じる。
同性だけに恋愛感情を抱くという訳でもないし、異性が苦手という訳でもない。アセクシャルでも、性嫌悪でもない気がする。
自分じゃなくなるみたいに感じてしまうから。自分で制御しきれない感情に満たされるのが、ものすごく怖いから。
ドラマや映画を初めとしたフィクションに加えて、世の中に蔓延る噂やスキャンダルを見て、恋愛感情というのはなんて衝動的で破滅的なんだろうと打ちのめされた。そして世の中の多くの創作物が、それを美しいものとして描いていることも気味悪さに拍車をかけた。
コントロールしきれない感情に振り回されて他人もろとも自分を傷付けるならば、はじめから無い方がいい。他人に近づきすぎるのも恐ろしかったし、どんどん依存してのめり込んでしまいそうという予感もあった。
その誓いの一方で、心の中に閉じ込めてきた秘密の自分を見つけ出して手を差し伸べてくれる救世主を、ずっと探し求めている。どうしようもなく辛くて悲しくて涙が止まらない夜を、眠りについたまま目覚めなければいいと願って布団に潜る夜を、それでも大丈夫だよと、自分も知らぬままにできた深い傷をあたたかく癒してくれる存在を、ずっと求めている。