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はてなキーワード: 現実味とは

2018-05-22

anond:20180522145257

年収1k超えだからと言って、勝手アマゾネスみたいな女性像を期待されるのはしんどそう

あい現実味のない偶像的なイメージを実際の人間投影してもそれを叶えられる人間はいなさそうだし

相手ちょっとでも人間らしい所を見せたら裏切られた!とか言いそう

2018-05-21

ネット世界

私は、ちょうど小学生頃にwindows98が出てきて一般家庭の一部にパソコンが、じわじわ普及しはじめた頃にネットに触れた。

その時夢中になったのは、チャットである。見知らぬ人と、手軽にお話ができてなおかつタイピング練習にいいと思い、親が寝た隙をねらってこそこそとやっていた。

小学生の頃は、特に悩みという悩みはなかったけど、ネット世界で仮の人物を作りあげてその人物として振舞うことで、なんとなく現実世界とは切り離れたネット世界での自分の居場所ができてとても居心地がよかった。

今は、スマホが普及しSNSが発達したことで、わざわざパソコンに向かわなくても、いつでもどこでもスマホ一つで、知らない誰かと気軽に繋がることができるとても便利な世の中になった。

しかし、小学生の頃に、夢中でチャットをしていた自分には、なんとなく今のネットには居心地がいいと感じなくなってしまった。どうやら私は、ネット世界現実自分とは違った仮の自分をみんなアバターとして作って繋がりを持つといった形が好きだったらしい。

今のSNSをどれを見ても、幸せ写真をいっぱい載せたり、どこどこに出かけたなど、本人と分かるどこか現実味があるものばかりでつまらないと感じてしまった。現実は、現実ネットネットと、世界は違ってたと思っていたけれど、ネットという仮の自分を作る娯楽の世界ではなく、現実コミュニケーションを取るためにツールになってしまたことがつまらないと感じる原因だと思った。小学生の頃のネット世界のあのわくわくと居心地の良さは、2度と味わえないのだろうか。

2018-05-20

一億円のつくり方・一億円を築くのは難しくないと知る

億の資産を築く方法 その18

必要とする誰かが読んでくれているものと信じて書いています

(一億円を築くのは難しくないのだと知る)

一億円を貯めるのに困難が生じるのは自身がそれだけの額を貯めるということに現実味を持てないこと、最初から無理だと感じていることが大きい。そのように思っていれば、できることもできなくなる。

通常の意識の上でわかっているつもりであっても、意識の深いところで思い込みを変えられずにいると現実化できない。意識の深いところにどうはたらきかけていくか。

潜在意識と異なり顕在意識論理的思考ベースとするものであるから論理的に納得させるのが良いやり方といえる。論理的自分自身は一億円貯められるのだ、しかもそれは難しくはないのだということを自身意識の深いところに納得させる。そのひとつのやり方として表計算ソフトエクセルを用いるやり方がある。誰に教わったものでもないのだが、私自身には有効だったのでここに書いておく。

具体的にシミュレーションするのである。今いくら手元にあるのかから始まって、どの程度の利回りで運用していくのか、毎月いくらの元本を追加していくのか、どれだけの期間投資し続けられるのか。複利運用していった場合自分資産状態を、将来数十年後までエクセルファイルの上で表現してみる。

複利の力というもの直感で捉えると見誤る。複利の力は人の直感やすやすと上回る。

エクセルが苦手でというのであれば手書きでも良い。少々手間がかかるかもしれないけれども電卓と紙、鉛筆があれば十分である

実際にやってみれば自身が一億円の元本を築くのはそんなに難しいことではないということに気づく。ここでほっとした感覚をおぼえられれば、意識の深いところに落とし込めたといっていい。あとは心配無用、目の前のやるべきことをこなしていくだけである

(次)一億円の純資産を手に入れる方法 その19「誠実であることの力強さ」

https://anond.hatelabo.jp/20180522231714

(前)一億円の純資産を手に入れる方法 その17「安定に執着しない 」

https://anond.hatelabo.jp/20180520000034

2018-05-17

anond:20180517134150

現実味がある答えと、夢っぽい答えとが混じってるのではないでしょうか。

まだ学生さんなどでしたら夢が溢れるものになっているでしょうし

既に社会人でしたら、ややシビア現実的

恋人家族ありならもうこれから何十年も先が見えるわけで、その辺の現実味とは世代によって違うかと。

2018-05-15

背番号10はアディダス選手 日本代表暗黙の了解」」

https://www.asahi.com/articles/ASL5C352ML5CUTQP00R.html

監督交代はスポンサー意向」みたいな話って根拠のない陰謀論みたいな印象だったけど、こういう話を見るとちょっと現実味を帯びてくる。

2018-05-09

anond:20180503233322

俺も最近似たような印象を受ける。

はてなという自由キャンパスオープンした10年前は、最終弁当、ふろむだ、弾小飼、他たくさんの知的レベル高い教授らの授業が多く、その質の高い授業はいろんな物の見方で学ぶことが多かったのだが、彼らも役目を終え、今は玉虫色を許さな人達主語大きいくせに中身の薄い記事に振り回されながらも、正義執行のために罵詈雑言暴力自由に振るう学生運動キャンパスとなってる。

10年前はWeb2.0とか言われ、ネットサービスが拡大していく時期でもあったので、みんないろんな夢を語ってた。はてな世界へ挑戦しようとしてたしね。この10GoogleからNetflixまで一通り決着がついたところでそんな夢を語る人も減った。日本から現実味が薄れはてぶでは掘り出されなくなったと言うべきか。(まあ元々そういうのに感化されず、人気教授達も嫌いだった人達には何も変わってないのだろうけど。)

はてぶのホットエントリー判定の閾値カテゴリも、どこかで一般層ウケしようと狂ってしまったのじゃないかと疑う。AIディープラーニングだと言われてる時代に、中身のない炎上記事や、ただ罵詈雑言ネタしかならない記事フィルタリングできないのだろうか。平穏にすごしてるみんなは何かニュースレコメンドアプリでも使ってるのか?

ネットバカ暇人のもの」ということが再度証明された。忙しい教授達がこんな連中にまともに付き合う時間は無い。いや、かわんごや、やまもといちろうなど、なんであんなにネットに使う時間があるんだというタフな社長達は残ってる。それとも社長から自由時間使えるのか?

タフでも暇人ということか? 俺はそんなタフじゃないので付き合えない。

キャンパスがこんな状況ならやはりフィルタリングするか、キャンパス卒業の時期なんだろうか。

元増田の問いかけに感謝する。

俺もネットとの向き合い方、時間の使い方を考え直したい。

とりあえず

1.めんどくさいがなんの理屈もない暴言だけのブコメを次々ブロックしていく

2.きれいなホットエントリーだけ見る。https://hotentry-sa.appspot.com/

3.はてな見るのやめて、ニュースレコメンドアプリで気に入った気に入らないの判定を積み重ねていく。

4.そもそもニュースなんか見ない。自然に知人から耳に入ってくるものだけにする。

あたりだろうか。他に何か手はあるかな?

2018-05-03

anond:20180503223902

とりとめもない話に付き合ってくれてありがとう男性目線で聞いてもらえるのは本当にありがたい。

私どうですか!?の件は会ったときに引いたおみくじに「あいまいにしておくと自分に返ってくる」って出たから一応フっといたみたいなカジュアルなフラれ方してる。フリ方が上手いのか?ノーダメージ。友達としてならぜひーとか、引越しまで待っててくれるのはありがたいけど他に少しでもいいと思う人がいたらそっち優先とか言われてる。(結婚現実味がないって話をした)

けどまぁ出会いもないし一緒にいて会話も弾むし違和感もないし恋愛感情かはわかんないけど取られたらやだなーって思ってる。人に結婚とか交際を匂わせてしまった手前、引越しまでの期間は現状維持しつつもうちょっとかわいげのある性格とか人格面の悪すぎるところを矯正する期間と考えてる。

ひとまず引っ越し終わって趣味時間取れるようになるまではあんまり異性っぽいような振る舞いとか手出したりとかしない方がいいのかな?

2018-04-30

anond:20180430170703

それでは格ゲーホロコーストではないか

それよりは生まれときから格ゲーの事だけを考え続けた格ゲー強化人間を作るほうがよほど現実味がある。

格ゲー強化人間はやがて格ゲー業界ヒーローになり、格ゲー強化人間一言格ゲー仕様が変更されるほどの絶大なカリスマ性を発揮することになるだろう。

2018-04-26

自分が変に感情的だったので、自己分析をした。

家庭環境が主な原因だった!!

そりゃそうだ。当たり前。

大学生活で書いてきたもの抜粋した。

書きなぐった物そのままなので、非常に読み辛いけれど、

こんな人間も居るということを、ここに垂れ流しておく。

言いたいことはこの後に書いてあるので、

面倒くさくなったら飛ばしてください。


まれから今まで、直ぐに感情的になる癇癪の権化みたいな姉を持つと、

こういう人間が家庭にいなければ、もっと余裕のある生活を送れたのになあと思ってしまう。

女ばかりの家で、説得しようにも長い話ができず、本当に辛い思いをしたので、上のような性格人間は苦手すぎる。

というか、自分に伝染して変に感情的になってしまった。

本当に家庭は選べねえなあと思った。

仕事漬で鬱になり家にいる父、姉妹の長女で人の話を聞かない割に偉そうにする母、

人間関係がうまく行かなくてストレスが常に溜まり、母とよく衝突する姉。

せめてまともな男がいればなあと思ったが、そういう人間は足早に出ていくもんだろう。

普段は同じ空間にいるだけで、たまに母側の親戚が来る。

高卒姉妹が固まり田舎田舎による超閉鎖的な噂話をする。

何が楽しいのか分からないし、行きたくなかったが、

その場に行かないと飯が出なかったので仕方なく行ってた。

周りのように旅行に連れていけという姉が言う。

金は無いが時間があるので、結局車で大型ショッピングモールに行く。

姉は一時的に満足するが、しばらく経つと金がない、旅行に行きたいと同じように繰り返す。

自分のせいではないものを指摘することで、自分の弱さを隠している。

女の口喧嘩というものは絶えない。

毎日同じようなこと、くだらないようなことを言い合う。

翌日には忘れ、繰り返す。

家に”離れ”というものもなく、この拷問休日もなく毎日浴びせられる。

女の女による感情的な場からは、逃れられなかった。

感情的で閉鎖的な家庭で育ったことが、いか自分精神に影響し、

自分の進路に影響して、今の今まで悩ませていると思うともう嫌になる。

小学校3年までは小説子供向け科学雑誌学校でよく読んでた。

将来の夢は科学者だった。物質が小さい粒のようなものでできていることに感動した。

そんなことを親や先生に言っても取り合ってもらえず、科学者なんて無理と言われた。

から肯定されないし、好きになっても、役立たないものだと思えてきた。

小説も読まなくなった。誰も読まないし、話題にならないからだ。

そして何より現実味がない。あっても雑学程度にしかならないと思えてきた。

感動するものもあったが、自分環境見直しとき絶望感が怖くなった。

誰も何も誰しも自分気持ちなんてわからない。他人理解しようとしない。

そうなった子供はどうするかというと、周りに頑張って迎合しようとする。

文脈が薄い一時的な笑いと理解しつつ、こうしなければ普通になれないと自己暗示をかける。

この頃から訳もわからず泣くようになり、泣き虫扱いされる。

中学まで続けると割と周りが自我が芽生えてきていることに気づく。

自分はどうなったかというと、自己暗示を解けきれなくて、自我が地中に埋まってしまって、

ぼーっとすることが多くなった。何をやっても楽しくない。

小説を読んでいたせいか地頭は少しは良かった。

自分本位の行動なんて肯定された経験がない。夢なんてない。

全てがくだらない。

成人式とき自分宛てに送る手紙は、

絶望的な気持ち査読する先生に気づかれないように書いたのをよく覚えている。

地元工業高校に進むことになった。

何か面白いものを求めていた。

現実から離れられ、実用的な技術を身につけようとした。

でも、周りと馴染めなかった。

勉強も何が面白いのかよくわからなくなった。

資格勉強のような授業。適当に過ごす。

高1の冬、高校を辞めて勉強して大学と親に泣きついても、

何いってんの、うちには金が無い。高校卒業したら働くって行ったでしょ?

人間の考えが変わらないと思いこんでいる親に対しめちゃくちゃ腹を立てる。

勉強をしても大学なんて行けない。大学に行く人間なんて、

自分より頭が良くていい環境で育って塾とか行っている人間なんだろうな。

うちに生まれた時点でそんなものできないことは決まっていたんだ。

満足できない思いを反芻しながら、納得行かない家庭から与えられたことを無理やり正当化しようとする。

そんなことをしながら、何のために勉強しているかからなくなったまま勉強を続け、高3までそれなりの成績をおさめる。

その後突然大学に行きたくなる。少しは希望を持ったらしい。

勉学というよりは社会に出る前に、自由な身と力を手に入れられると思った。

難しい話は通用しないことはわかっていたので、

から出て、高校の延長線上の分野で、大学しかできない勉強をしたいというが、反対される。

金がないから、心配から不景気からあんたのために言ってるから

は?結局オメーの都合だろうよ。俺の何を見てきた?

大学卒業してから年収を見ろと返す。

大卒就職率が低いってニュースでやってたし、高校卒業して安定した職を付けたほうが良いんじゃないと言われる。

お前、45年間、何を見て生きてきた?本当にいってんの?

ニュースで得た情報自分身の回りを見て、適当に集めた情報から意見を言っているだけじゃん!と返す。

めちゃくちゃ怒って、お前は社会の何もわかっていないと返される。

お前じゃい!

その後担任との三者面談をしたり、大学説明会に足を運んだりして、

なんとか格安の寮がある国公立受験することにした。

勉強は続けたが、やはり高1のとき高校をやめればよかったと言う思いが引っかかる。

何より自分大学進学を許した親に対して、姉が私も家を出て学校生活送りたかったと毎日激昂し、

感情的空気ヒートアップしていた。

何をやってんだかわかんなかった。家にいるのは人間じゃないとわかってていても、

ストレスを感じてしまう。

そんな生活を送っている中、父がなんの前触れもなく自殺する。

家に自分と2人で居たときに突然自殺。その第一発見者となる。

もうなんだかよくわからなかった。救急車警察も呼ぶ気になれなかった。

30分ぐらいしてから、ようやく呼ぶ気になる。

パニックと言うか、この状況に対して自分は何を考えているのか、全くわからなくなった。

恨み積もった家庭にどう抵抗してやろうかと思っていた矢先の理解できない死。

もう何がなんだかわかんなかった。

自殺した父に対して、苛立ちが積もりに積もって吐く。血も吐く。

悪気がなく、自然法則のように動く肉親に腹が立って仕方がない。

だんだん気分が落ち込み、抑うつ状態になる。

自分が違うのか?田舎に生まれ自分田舎に埋もれなければいけないのか?

精神科に行ったが本当に自分が何を言っているのかさえわからなかった。

自殺したのはもちろん原因だったが、そればかりを話すだけで、

自分の育ってきた環境問題があることを分析できなかった。

正直父が死ぬ前に、無理やり不登校になって、心療内科に行くべきだった。

もちろん今まで書いてある期間は絶え間ない感情を浴びせられている。

どれもくだらないものだ。居場所もない。捌け口もない。

周りの人間が信頼できないこともあり、相談できないことがどれだけ苦しいか身を持って感じた。

子離れできない親から親離れできない。

何をしたらこ気持ちが収まるかがわからない。

なんとか大学合格し、家から出た。

試験会場でも途中退室したくて仕方なかったことを思い出す。

大学生活は最初から精神を病んでいた。

毎日感情的な刺激を受けてきたせいで、隣の部屋の騒音などの刺激に反応してしまう。

頭の血管が触ってわかるほど浮き出て、ズキズキして、眠れなくなる。

さら自殺した父の死体をよく思い出して、生理的に気分が落ち込む。

実家を出て数年経った今でも、文を書きながらこの症状が出ている。

講義課題をこなすのが精一杯である文字も読めない。

あーもう何もしたくない。考えたくない。

人の気持ちを考えるってことはこんなにもよくわからないものなのか。

こうも時間無駄なのか。

悩まない人間にとって悩んでいる人間気持ちなんかわからない。

逆もまた然りだ。一生分かり合えない。

本来人間はお互い抽象的なもの部分的しか理解できない。

自分は具体化しすぎなのだ人間とか今見える環境とかを具体化しても、精神が辛くなる。

記憶を消し去りたい。

せめてこの性格学問に向けられたらと何度も思う。

他人理解できない。他人なんているのか?

自分理解できる他人なんているのか?

からある不満が積もるとこうも気分が落ち込むのか。

降り積もる不安は階差数列のように増え、それが積もっていく。

この問題解決するのか?本当はどこか解決策がわかっているんじゃないか

わかっているけど、この先の未知の刺激に耐えられるか不安で仕方ないんじゃないか

本能的に楽しめるものをまだ知らないだけじゃないか

なんでこんなこと考えるようになったんだ?


最近になり、かなり昔から、閉鎖的実家からの膨大なストレスが、

自分性格にかなり影響しているということが、かなり明確に示すことができた。

自分にとってこの問題が、

いか無意味不快で人に相談しにくく、

時間精神無駄に消耗し、

自分を納得させるためのものしかないとわかってても、

納得いく解釈を探しつつけてたのは、

親との思想が合わなかった事実をどうにか納得したかっただけである

生来性格と言うのは恐ろしい。

でもこうするしかなかった。

こうしないと、その場に居なくても襲ってくるからだ。

自分気持ちを書いてそれを見直し、また書く、という生活を数年繰り返してわかったのは、

早々に自分気持ちに蓋をして、自分気持ちに嘘をついてきたということだ。

頭の中身をタイプしたり、図に書いたりして、ようやくわかった。

くよくよする性格は、自分本位で動いていないからだ。

気持ちが落ち着いてくると、文字をよみ、抽象的なものも冷静に理解できる様になる。

他人が書いた物語を見て感動する。専門知識が頭に入って感動する。

俺はここまで何も知らなかったのかと落ち込む。

でも、今までよく生きてきたと、無条件な自己肯定感が芽生えてくる。

そんなことが少しづつできるようになることが、大学に入ってからの生きがいである。

自分本位で生きたことがない」人が、心から人に好かれるということは難しい。

皆どこかで「他人に従ってもどこか違う」と思い、自分表現をするのだ。

それが自我形成というやつだ。

それを乗り越えてこなかったことが十分、身にしみてわかる。

素粒子でできている肉体に、生きる意味なんて無いってことは十分わかった。

からこそ本能が指す、好きなことをしていいと思えるようになった。

ほどほどに好き勝手に生きていいと思える。

自分のことを文字にする行為は、できて妙である

結局こうするしかなかった。

よくもまあ何日もこんなに長くて下手な文章を書き連ねられたもんだ。

最近落ち着いてみると、なんで落ち着いていなかったんだろうと思ってしまう。

その場しのぎで余裕がなかった。

焦りからくる選択ほど後悔するものはない。

後ろを見ると後悔した経験しかない。

自分の焦りに気付けることなんてあっただろうか。

いや、なかった。あっても解決策がわからず、もとに戻る。

これに関しては納得行くようになってきた。

自己欺瞞を重ねるほど自分がわからなくなる。

自分本位で行動していない。自分がないのと同じである

不安から行動するが、結局疑問を感じストレスを感じる。

書いてみると1ページで終わるような話を、どうしていままで耳にしなかったんだろう。

これは終わったことだし仕方がない。



見直すと、気が合わない肉親と18年間いたことが原因だったと今見返すとよくわかる。

原因がよくわからない鬱と診断されて、4年経ったが、

はじまり小学生からだよなーと思う。

自分が書いたことは超悲観的だが、これまで経験してきたこと全てではない、

と納得できるのは、自分自身に対する姿勢が変わったからだと思う。

最近ようやく治る兆しをみせている。

何度か兆しを見たが、今度は本当に、今までになく楽になれそうな気がする。

学校も肉親もただランダムに振り分けられた人間が配置されていただけと、やっと、心から解釈できた。

漫画とか映画とか小説かには本当にお世話になった。

本を読むのを辞めてしまったのがいけないなあ。


あれもこれも、過ぎたことだと思えるようになれた。

自分気持ちを書き表さないと立ち止まってしまうことも、よくわかった。

やっと人間らしさを取り戻した気がする。

今までどこか、頭を何かのタイミングリセットできると期待していた。

まあ解決しようにもできないもんな。

からいから。でも、もがかないと、掴めるものがあっても見逃してしまう。

放置するほど、もがく力が弱くなり、流されてしまう。

自分に近しい人にアドバイスするなら、誰もいない、静かなところで正直な気持ちを書きなぐるということかなあ。

自宅が嫌なら喫茶店でとかでいい。

環境が用意できたら、書き始める。媒体は紙でもPCでもなんでも良い。

初めてみると止まらなくなって、気がついたら4時間以上立ってたということも珍しくない。

時間がもったいなかったとは思えない達成感がある。

見直すと何に悩んでいたかよくわかって、どこか整理できていないことが悩みの種だっとことに気づく。

苦しいとは思うが、自分内面で見てこなかったことに対して、対面することだ。

対面して初めて分かるもの自分だけの発見であり、自分で掴んだものから信頼できる。

こうしてどうにもならないことに納得し、物事への姿勢は変えられる。

あと、外部の情報に目を向けるべき。

漫画喫茶で見たことのないジャンル漫画を手にとって、一日過ごすのも悪くない。

まあとにかく、映画館や図書館など、場の空気を感じられるところに行く。

そうすれば外部に注意が向く。

そこで他人創作したものを見て、視界を広げて、

自分一人がこんな思いをしているというわけじゃないということ、

他の人の、物事への解釈理解しようとする。

そうすると、だんだん自分に近しい物がわかってくると、信頼できる著者という対話相手が出てくるので、どこか楽になれる。

結局他のことを考えてもいいということ、その行為自体自分のためになっていると思うこと。

そんなことで、案外心が落ち着いて、人間そんなもんだと思えてくる。

とにかく、今の気分がずっと続くことはなく、

人は変われるということを知るには、自分の頭で行動することだ。

書きなぐるだけでも、十分自分の頭を使っている。考え方も変わる。

そのことを忘れないでおきたい。

(追記)

終わりに

自分体験から言えることは、

カウンセリングや薬だけで完治するものではないということ。

薬は脳内流れる伝達物質の取り込みなどを制御し、

カウンセリング患者気持ちを引き出す手助けをしてくれる。

風邪薬のように特定の菌を殺して治るもんじゃない。

カウンセリング適当にしても治るもんじゃない。

内面気づきを報告するとフィードバックを貰えるのは非常にありがたい)


全体を見ると、自分内面にあるものがわからなくなっているという状態に対し、

気になるもの自分の中で見つけ、解釈し、納得していくかということをひたすら繰り返していた。

ネットや本にあるものは参考にはなるが、それをすっぽり当てはめて自分が治る。というわけじゃない。

他人にとっては経験談で、参考になる手法しかない。

趣味などの気分転換でやっていけるなら、その対処法も良いと思う。


湧き出てくるものは人によって違うし、参考になる意見も人によって違うし、考え方も違う。

これを理解するのは、自分のような人間にとって難しかったし、これが頭になかったから病んだとも言える。

どういう形であれ、このような考え方を獲得することは、生きる上で重要だと思う。

2018-04-24

anond:20180424105836

まだ6年足らずじゃん。でもモリカケ問題さえ乗り切れば憲法改正はかなり現実味を帯びてくるよ。今年の1月頃にはやる気満々だったしね。

あと憲法改正に限れば自民党の党是なので反対者も少ない。

anond:20180424030749

現実味というか、異性に馬鹿だと思われたくないだけなのでは

下ネタが大好きだったのに

下ネタが大好きだった。女子校だったからかな、もう話すのが楽しくて楽しくて。下ネタって経験なくてもネットや本でいくらでも知識を得れるじゃないですか。人よりも知識を持って私子ちゃんって本当にエロいよねって言われるのが嬉しかった。大学に入ってからは一転、下ネタを楽しめない。私にとってファンタジーに近かった下ネタ大学生になって急に現実味を帯び出した。私は所詮うんこちんこで喜ぶ小学生男子と一緒だったのね。

2018-04-18

anond:20180418210100

増田、台形の面積の公式は知ってるか?

横幅が40年で面積を3億にしたいなら、

左辺の年収と右辺の年収を足して2で割った数字を750万円にすればいいよな。

左辺は新卒から350万としよう。じゃあ右辺のは? 1150万だな。

ぶっちゃけ、まだ現実味はある数字だぞ。

2018-04-16

君に出会えてよかった

関ジャニ∞ファンです。

ジャニオタっていうだけで若干引かれてたから何度も何度もやめようと思ってた。

これからもずっとファンでいよう、って思ったのは昨日が初めてでした。

渋谷すばる脱退の事実が昨日はすっと呑み込めたはずなのに、寝て起きて朝になって現実だったんだって他人事のように思って涙が止まらなくなった。

いろんな人のツイートを見て泣きそうになってちょっとだけ笑ってほっこりしてまた泣きそうになって。

関ジャニ∞の7人の言葉があまりにも誠実でそれがまた関ジャニ∞らしくて嫌なのに嬉しくて。

何かを考えようとするけど何も考えられなくて途方に暮れるってこういう事なのかなってちょっと笑ってまた虚しさだったり悲しさだったり押し寄せてきて。

本当は笑って見送りたいしすばるくんを応援したいんだけど無理で、そんな自分を責めれない自分がいて、ごめんねってちょっとだけ思った。

かに何かを話そうとするけど言葉さえ出なくてまだ現実味がわいてないのかな。

いろんな憶測が飛び交ってるけど、ジャニーズ事務所が悪いわけでも6人が悪いわけでもファンが悪いわけでも、もちろんすばるくんが悪いわけでもなくて。

誰に何をどういう言葉で伝えたらいいのかわからなくて、でもやっぱりすばるくんの言葉に嘘がなかったから、すばるくんはすばるくんだったから、今はそれでいい。

安田くんが会見に出れなかったのだけが心残りで、安田くんの怪我を待てなかったのかなって思ったけど週刊誌が先に発表したから急遽って事になったのかと思うと本当に本当に腹立たしい。

すばるくんがこの世界関ジャニ∞として生き続けてくれた事には感謝してます

ありがとう

2018-04-15

誰だかがアドネットワーク紛争鉱物みたいに扱わないとアカンって言ってたけど現実味を帯びてきた感がある

2018-04-06

政府よりも巨大化した企業による世界支配、みたいなの現実味ねーなって思ってたけど、だんだんリアルに実現しつつあってすげえよなあ。

2018-04-03

anond:20180403150155

ゲーム会社は、ストーリー現実味を持たせたままどこまで奇想天外な結末を導けるかにチャレンジしてほしい。マジかよ、そうくるかよ、みたいな。

2018-03-27

お前たちは学校に何をしてほしいのか

教職課程で教育制度並びに、教育を取り巻く環境などを学び始めてからずっと思っていることがあります

子ども学校に通っている保護者の方、これから子ども学校に入るという保護者の方、また、義務教育を受けたであろう国民の皆さん。

この日本において学校が果たすべき役割とはなんでしょうか?

基礎的学力を身につければいいでしょうか。マナーが身につけばいいでしょうか。英語ができればいいでしょうか。プログラミングができればいいでしょうか。夕方まで子どもを預かればいいでしょうか。給食が食べられればよいでしょうか。

極めて多様なニーズ学校には突きつけられている、というのが現状であると思います

少し話が変わりますが、世界学校事情を見ると、いわゆる”行事”と呼ばれるものが多く見られる日本学校は非常に珍しいです。

一時期、いまでもそうかも知れませんが、北欧教育がずいぶん持て囃されました。PISAという学力調査でよい成績が見られたためです。

その北欧学校事情はどうか。

例えば、フィンランド先生は午後2時か3時には家に帰ります

家に帰ってから、教材研究(=授業づくり)をします。とにかく授業づくりに時間をかけます教員仕事は授業をすることであると捉えられている。

日本で言うところの学校行事というものフィンランドではあまり見られません。

学校が「勉強する場所である」と明確に捉えられているのです。

授業づくりに時間をかけた結果として、よりよい授業が行われ、児童生徒の学びはより深いものとなります

いわゆるアクティブラーニング実践についても、質が高まり効果的なものとなるでしょう。

これが良いかいかは、わかりません。無論、各国で事情が異なり、学校に対する要請も異なるでしょう。

しかし、なにが問題かといえば、日本においてはその要請でさえ明確でないということです。

その曖昧さ故に、学校はいしかまりにも膨大な業務を課されるようになってしまいました。

小学1年生から中学3年生まで、子ども管理しているのはもしかすると親ではなく学校なのかもしれません。

もっと言えば、家庭でさえ、一教員が管理しなければいけないかもしれません。

言葉過激ですが、噛み砕いて言えば、「各児童・生徒が置かれた状況を把握し、その環境注視する」ということです。教員児童生徒の家庭まで覗くわけです。

そこで児童生徒の権利が危うい状況になっていれば対策を講じなければならない(あるいは関係各所へ連絡する等)。面談を行わなければならない。

ですが、教員一人に児童生徒が40人です。到底さばききれません。これがつまり教育崩壊であると思います

とある教師が「学校人格形成の場なんだ」と言っていました。勉強するだけじゃない。人が集まって、社会があるんだ、と。

その中で、ルールがあって、規範意識があって、規律があって、生活があって、社会があるんだ、と。

私も教員免許を持つ一人の国民として、よりよい未来のために、罪のない子どもたちのために、できる限り尽くしたいと思いますが、的が定まらないのは本当につらいことです。

我々がめざす教育はなんでしょうか、到達点はどこでしょうか。

官民を問わず、未だに労働環境が整わない中で、学校現場がどうにかなることも恐らくないでしょうけれど、例えば50年後を見据えたときに、どういった社会であるべきか、あるいはもっとハードルを下げれば、50年後の子どもたちが社会をどのように変化させようかと考えることができるようにするかということを、今私達が考えるのは、とても大切なことですし、それはまだ現実味があるように思えます

そのために、私は教師として精一杯頑張りたいと思うし、世の中の有権者諸君にも一国民として、そういったことを時々考えてほしいと思うところです。

さて、最後に申し上げたいのは、教員の質についてです。

世の中に「とても仕事ができる人」がいるように学校にも「とても仕事ができる人」がいます事務処理が早く、授業が上手く、児童生徒をよく見られる人がいます

しかし、そうではない教員もいます

ですが、どちらも大学教職課程を履修し、法令に則って教員免許を取得しています

人が各個人能力に差があることは言うまでもありませんが、教員にも無論、そういった差があります教育制度はそれを受け入れなければなりません。

まりは、国民もそれを受け入れなければなりません。受け入れたくなければ法律を変えるしかありません。

制度上、どちらも教員になってよいのです。

日本世界にある教育制度の中でも教員免許が容易に取れる、簡単教師になれる制度設計になっています(これは専門的な議論があるかと思います)。

そういった仕組みの中で、採用試験合格した教員が、ある程度”ゆとり”を持って職務遂行できるような環境ができれば、学校もっと良い場所になる気がしています

バリバリできる人しかやっていけない職場は明らかに持続可能性がありません。今の小中学校はそのとおり、行き詰まっています

複雑なのは、この上にさらに”臨時的任用教員”、”臨時免許”といった問題が絡んでくるからなのですが、それはまた今度にします。

もし、「とても仕事のできる教員しか教師として認められないのなら、日本教育行政はたちまち崩壊します。

47都道府県平等教育を行き渡らせなければいけないのです。

学校は、商社ではないし、大手広告代理店ではないんですよ。

からこそ、社会における学校役割をもう少し明確にして、業務を絞り、あるいは分掌して、様々な適性を持った教員能力を発揮できるような仕組みになってほしいと思うのです。

冗長文章になってしま申し訳ありません。

冷蔵庫缶チューハイが入っていて、よく見たら8%でした。

2018-03-25

会社で実は問題児扱いされていた件

世の不条理、というべきか、私が最近した辛い出来事について、脳内に納めておくにはあまりに辛すぎるので、こうして文章としてアウトプットしたいと思う。

私は高卒就職したが、数年してから勤めていた会社を辞め、派遣エンジニアとして転職をした。

経験で経歴が浅く、技術力も低い事もあり、なかなか現場に定着する可能性が低い身である

しかし、弱小エンジニアの私としてはありがたい事に、今の現場は去年の8月から入場して今もなお続いている。

更新の機会は何度かあったが、「まだ使いたい」との声から契約継続している。

私のような派遣エンジニアにとっては「契約継続=評価」であり、現場に居続ける事が会社にとってプラスであるという紛れもない証拠である

プロジェクト単位で雇われている場合プロジェクトが終了したその時点で評価に関わらず任期満了となる事があるため、一概には言えない。

しかし、多くの場合は高評価契約継続に繋がる。

では、評価をしているのは誰なのか?

その答えは、自社と現場パイプである担当営業と、入った現場でお世話になる正社員である

正社員から評価が高ければ、契約継続可能性は高くなる。

正社員から評価が高くなくても、自社での努力が認められていれば担当営業フォローしてもらえる。

まり担当営業か、現場正社員か、どちらかの評価が高ければ、契約継続可能性が高くなるのだ。

ここまで読むとなんとなく察しがつくかもしれない。

「ははーん、さてはお前、評価が低くて契約終了しそうになってるな?」

と、そのような事を察したかもしれない。

しかし、もしそのように察したのであれば、その勘は「半分正解」である

なんだそりゃ? と思うだろう。

それは仕方がない。

なにせ、当の本人でさえ「なんだそりゃ?」と思っているかである

何があったのか、端的に説明すると

契約継続が決まっているのに、お客様から評価が悪いと連絡があった」のだ。

え? 評価悪いと契約終了じゃないの?

と思ったあなた

私も同じ気持ちです。

詳しい経緯は

「以前から勤務中の行動に疑問に思う節があり、セキュリティ意識に欠ける行動もしばしば見られていたが、この度、苦情として形になったので改善するよう頑張ってほしい」

と、担当営業から言われたのである

この話をされて私は、今が自分にとって危機的状況である事を理解した。

技術的な事ではなく、勤務態度や意識問題が議題に挙がるのは余程のことではないと有り得ないからだ。

その話は私に大きな焦りを生み出し、今後は気を付けようと心掛けるきっかけとなったのであった……。

ちゃんちゃん

では、ない

待ってくれ。

「以前から」?

以前からと言ったか

ついこの前、契約継続が決まったばかりなのに、問題の始まりが「以前」?

これはどういう事だろう?

前述した通り、お客様から評価が低いと、契約終了に繋がる。

そしてその評価は他でもない、お客様の声が第一である

ここで2つの疑問が生まれる。

1つ。

議題に挙げるほど問題視しているにも関わらず、何故契約継続したのか?

いや言われてたのお前じゃん! お前どうこう言える立場じゃないだろ! ですって?

ええ、ごもっとも。おっしゃる通りでございます

言える立場ではないのは承知の上だが、単純に疑問なのだ

だって

「勤務中の行動に疑問に思う節があり、セキュリティ意識に欠ける行動もしばしば見られていた」

だなんて、私が管理者なら、そんな人物は即切り捨てる。

社内の風紀を乱し、それだけではなく情報漏洩を犯す危険だって他と比べて高いとなると、もうそれはリスクしかない。

あくまで「私が管理者であれば」そうする、というだけなので、世間一般的管理職の各位においてはどう判断するかはもちろんわからない。

あえて肯定的に捉えるのであれば

「見込みがあるから教育してゆくゆくは信頼のおける戦力として活躍してもらうつもり」

といった風に考えられるが、私の考え方からすると、そんな人物契約継続するという行為意味不明なのだ

教育会社義務では」?

否。

派遣エンジニアは「経験年数〇年で、これこれこういった仕事経験があり、これくらいのスキルがあります」と紹介され派遣されるのだ。

まりスキルを基に現場仕事を渡される「即戦力」のエンジニアである必要が生じる。

即戦力」として雇ったのに「見込みがあるから教育する」は成り立たないのだ。

以上、何故契約継続したのか?

という疑問である

2つ。

議題に挙がる程の問題なのに、直接注意をされた事がないのは何故か?

これが一番辛いところで、ぶっちゃけ1番目は会社の考える事だからどうでもよい。

どうでもよいというか、考えたところで契約継続になったという事実に変わりはないし別にいかなと。

これでもし、いじめるために継続したとかなら怒り狂いますけど、恐らくその線はないので。

金にならんので。

さてみなさん。ちょっと考えてみてください。

例え話です。

あなた会社事務所デスクワークをしています

勤務時間中、隣の人がお菓子を食べ始めました。

会社では、勤務時間中にお菓子を食べてはいけないという決まりはありません。

前の人は何も食べていませんが、パソコンの横に駄菓子がいっぱい置いてあります

会社では、デスクの上にお菓子を置いてはいけないという決まりはありません。

休み時間になりました。

会社には休憩室がないので、外食をする人、デスク食事をとる人、デスクで昼寝をする人と、思い思いの行動を取っています

その時、前の人が大きい音を立ててカップラーメンを食べ始めました。

会社ではお湯が使えるようになっており、カップラーメンを食べてはいけないという決まりもありません。

さて、みなさんは、以上の状況におかれた時どうしますか?

何も言わない? 注意する? 茶化す

何も言わないとどうでしょう

お菓子を食べている人はお菓子をずっと食べているし、駄菓子を置きっぱなしの人は特に何もしませんし、カップラーメンを食べている人は静かになりません。

注意するとどうでしょう

お菓子を食べている人はお菓子業務中に食べると注意される事を覚えますし、駄菓子を置きっぱなしの人はデスク駄菓子を置かなくなりますし、カップラーメンを食べている人は少し静かに食べてくれるかもしれません。

では、茶化すとどうなるでしょう。

お菓子を食べている人に「うまそうじゃん」と声をかけました。

「おいしいですよ」と答えが返ってきました。

お菓子を食べることはやめません。

駄菓子デスクに置いている人に「懐かしいねそれ」と声をかけました。

最近マイブームなんですよ」と答えが返ってきました。

駄菓子デスクに置いたままです。

カップラーメンを食べている人に「景気がいいね」と声をかけました。

「何がですか?」と答えが返ってきました。

カップラーメンを食べる音は変わりませんでした。

あなたは、

何も言わないでしょうか?

注意するでしょうか?

茶化すでしょうか?

どの答えが一番、みんなを幸せに出来るでしょうか?

「何の話ですか?」ですって?

何の話かというと、私が担当営業からお話された「以前から疑問に思っていた、勤務中の行動」の話ですよ。

上記の中には、私が実際にやったこととそうじゃないことが混在しているが、問題はこのような行動にあったらしい。

「この状況におかれた際、どうする?」ということで、3パターン対処を書いたが、このうち私がされたのは「茶化すである

ちょっと待ってくれ。

「茶化された」のになんでそれが「実は問題視されている」のだ?

問題視しているにも関わらず、注意をしなかった」ということか?

悲しいかな、そういうことらしい。

私の前の人や隣の人は、私を茶化していたのではなく

「それはいけないことなんですよ」

と、気付いてほしかったのだという。

端的に言うと、察しろよ、ってやつです。

これを読んでくださっている方の中には

「いやいやいや、こういう事を言われるイコール気にされてるって事なんだから、気付いて改めるべきでしょ」

と思う方もいらっしゃることでしょう。

そこについては、だったら直接的に言ってくれよとか、茶化す程度なのにわざわざ議題に挙げることなくない? とか、色々言いたいことはあります

だがしかし問題視されていると知った以上はどうしようもない。

そう、これは回り道で注意して下さった方の意図を汲み取れなかった私が悪いのだ、と、そう思う他ない。

これはもう、しょうがない。

以上、2点が私が辛く思うようになった主なきっかである

何も辛く思うことなくない? と思うかもしれませんが、そこのあなた、本文書最初辺りをよく見てほしい。

*私のような派遣エンジニアにとっては「契約継続=評価」であり、現場に居続ける事が会社にとってプラスであるという紛れもない証拠である

どういう事か説明しよう。

契約継続したと聞いた時、私は

「やった! 継続した! これは評価されてるってことだよね!」

と大喜びした。

実のところ、今の現場はやる事が多くかつレベルも高いので、なにかと不安が山積みである

しか仕事人間関係に慣れてきたと実感できるようになり、晴れて契約継続という形で高評価を実感していたのだ。

それが蓋を開けてみればまさかお話

「以前から疑問に思われていた」

って、これはあまりに酷すぎるのではないか

私が今まで正しいと思っていた仕事の仕方や立ち振る舞いを、ここに来て全否定されたのだ。

こうなっては人間不信の一歩手前。

以前は普通に話していた上司と話す際も「いつものノリがきっと悪いと思われていたんだ」と思うと、腰があまりに重たい。

以前はPCに一直線に向かっていた視線も「今何もおかしい事してないよな……机に何も置いてないし姿勢も悪くないし……」と辺りを伺うようになり、とにかく精神がすり減る。

とにかく気が休まらない。

いや、会社にいるのに気が休まるのも変な話だが、今はとにかく余計な体力を使っている気がしてならない。

他人からすれば「たかがそんなこと」かもしれない。

今の私は例えると

「仲良くしていると思っていたクラスメイトに裏掲示板グループLINEで陰口を叩かれていた」

感覚に近いと思う。

3年ほど前だろうか、「新型うつ」という単語が耳に入るようになった。

内容は「会社にいるとうつ病のような症状が表れてまともに仕事ができないが、会社を離れると嘘のように元通りになる」といった風であるが、今の私は正にそれである

とにかく会社行きたくない、そんな状態だ。

「案外倒れてもどうにかなる」

モットーに倒れるまで頑張るのも手かと思ったが

「倒れたが最後後遺症が消えない」

の第三勢力により一歩が踏み出せない。

そもそも倒れる前提なの良くないね

良くないけど、今の自分には現実味ありすぎて吐き気がする。

やはり後出しは悪い文化だなと思いつつ、自分が上の人間になったら細かい事でもガンガン注意していこうと誓い、ぼちぼち筆を置くこととする。

注意も大切なコミュニケーションであり、言わない優しさは後で毒となり牙を剥く。

そんな可能性があると、認識して頂ければ幸いである。

最後まで読んで頂いた方、お付き合い頂き誠にありがとうございました。

私はとりあえず、明日も頑張って出社します。

プッツンして線路に飛び込んだりゲロ吐いたりしたらごめんね。

2018-03-21

anond:20180321093032

アイドルなど現実味がない存在には何ら興味惹かれないのだよ…。

2018-03-18

誰の一番にもなれない

きっと私は誰かの一番はなれないし、私も誰かを一番に選ぶことなんてないんだろう。

まれから四半世紀。

私は誰かを好きになることもなく生きてきた。恋をすることなく生きてきた。

学生時代には友人の恋バナを聞いて、会社に入ってからは同僚や先輩たちの恋人愚痴を聞いて生きてきた。いつかは自分もこうなるんだろうか、なんて考えながら。

小学生の頃、○○ちゃんは○○くんのことが好きだとかそういう噂話をよく聞いた。小学生の頃の「好き」は何だかままごとみたいというか、噂する方もあまり真剣みがないというか、子供らしい遊びの一種というか、とにかくなんとなく「軽かった」。

中学生になってからは、そういう話は仲の良い子達だけでひっそりと語るようになった気がする。小学生の頃よりはそういった話題に慎重になった感じがするのだ。彼氏彼女という言葉現実味が出てきた。

テスト間中、少し早く登校したときに、教室同級生が仲睦まじくしているのに少し驚いた。邪魔をしてしまったなと思いながらも私は席についてテスト勉強をし始めた。

高校生。私の周りだけかもしれないが、恋人がいる、交際をしている……という子は少なかったような気もする。それでも中学生の頃よりは恋人がいる子が増えた。彼氏彼女持ちは鞄にお揃いのディズニーマスコットをつけていた記憶がある。一緒にディズニーに行ったんだろうな~。そんなことを考えていた。

高校生になる前はうすぼんやりと「高校生になったら私にも恋人が出来るんだろう」と思っていた。雪が溶けたら春が来るだろう、くらいの何の根拠もない漠然とした話だ。当然、私には彼氏彼女もできなかった。

私は大学はいかずに専門学校へいった。ちょっと特殊学校で、私の在籍した科には十人ほどしか人がいなかった。男女比は極端に片寄っており、でもそれに何らかの不満も抱くことはなかった。ここでも恋人は出来なかった。けれど周りを見渡せば、恋人がいない方が珍しかった。バイト先や高校で知り合った人と交際しているのだ、という話に私は「すごいね」と笑った。自分には何だか現実的でない話のように思えたから、本当に他人事だった。

恋人が欲しかたか、と言われると返答に困る。人の話を聞くといたら素敵だろうな、お休みの日に出掛けたりしたら楽しいのかな、などと思えるけれど、女の子達の「彼氏とずっとラインしてる」や「三日もライン既読がつかない」なんて話を聞くたびに正直『めんどくせぇな』と思った。そんなにこまめに連絡を取る几帳面さは私にはなかったし、そんなにたくさん話すことがあるものなのか、と驚いた。

でも、クリスマスになると男女問わず恋人に何をプレゼントしよう、どこでデートしよう……なんて頭を悩ませているのが素敵に見えた。恋人がいない身ながらも、プレゼントはこんなのがいいんじゃないかとか、こんなところでデートできたら素敵だとか、友人の相談にほんの少し乗ったこともある。

会社に入ってからも、私は恋人を作ろうとはしなかった。多分心のどこかで突然できるものだと思っていたのだろう。望まなくともそのうちなるようになるんじゃないか。今は恋人より仕事の方が大事だし。そんな風に考えて、結局ここまで来てしまった。

まれから四半世紀。

かつての同級生結婚出産をし始めている。二十三才の頃に「このままじゃいけないんじゃないか」と焦って婚カツをしてみたりもした。そこで私は気づくのだ。「私は恋が出来ない人間なんじゃないか」と。

そこまでの経緯は省くが、婚カツをしていてなんとなくいい雰囲気になった人がいた。何回か一緒に出掛けたりして、ランチしたりショッピングもしてみたりした。何しろ恋愛経験がないから男女が二人で連れ立って何をするものかもわからない。それでも何となくそれらしいように振る舞った。そのくせ、ショッピングしている間も食事をしている間も、私の頭の中には「何をしているんだろう」という疑問がずっとあった。

知らない人とご飯を食べて、買い物して、それで私は何をしたいんだろう?どうなりたいんだろう?

デートのような何かを終えて、別れ際に相手の人が笑顔で「またね」と手を振ってくれた。

本来ならこれはとても良いことなのだろうし、私に好意を向けてくれたのは本当にありがたいことのはなのだ。けれど私は「ええ、また」と微笑む一方で「馴れ馴れしいな」と思ってしまった。

馴れ馴れしいな。そう思ってしまった瞬間に、私は「恋が出来ない人間なんじゃないか」とふとひらめいてしまった。

厳密に言えば私がしていたのは婚カツだし、婚カツとは結婚相手を探す活動だ。だからしかしたらそこに「恋」を求めるのはお門違いなのだろう。

ともかく、好意を向けてくれたのであろう相手に「馴れ馴れしいな」と思ってしまった自分の最低さを恥じながら、私はその半月後には婚カツをやめていた。

恋人ってなんだろう、と思春期のような問いをずっと抱え続けている。婚カツをしている間にドライブに誘ってくれた異性も、夜の食事に誘ってくれた異性もいる。けれど、最終的には「面倒くさい」「ちょっと気持ち悪い」というような、本当に失礼な気持ちを抱くに至ってしまった。

ドライブといえば車の中でふたりきりなのだろうし、夜の食事といわれるとどうしても身構える部分がある。

「用心深すぎる」「隙がない」。知人友人によくそう指摘される私は、ここでも用心してしまった。

車で二人きりになって、そのまま知らないところへつれていかれたらどうしよう。食事で席をはずしたとき飲み物に変なものを混ぜられたらどうしよう。

書き出していて思ったが、これは都合のいい自分への言い訳なんだろうな。用心深く相手を見るということは、つまり相手を信用していないというわけで、きっと私は端から相手のことを信用しようだなんて思っていなかったのだろう。でもそんな自分正当化したくて「用心深い」なんて話を引っ張ってきたんだろう。

相手を信用できない人間が、相手に信用されるわけはない。

人を好きになるということは、その人を尊敬するのと似ているように私は思う。尊敬できる部分があるから好きになれるんだろうと思う。一緒にいて心が楽になるとか、楽しいとか、そういうメリットがある人間を人は「好き」になるんだと思う。自分にとってデメリットばかりの人間を好きになるひとがいるとはちょっと思えない。

私も友人や家族のことは好きだ。尊敬できる部分があるから。でもそれは「恋」じゃない。

恋をしてみたかった。

自分の中の何かを決定的に塗り替えてしまうような、その人のことしか考えられなくなるような、一言言葉を交わすだけで胸がドキドキするような、そんな経験をしてみたかった。

けれど、自分がそういうものを望めない人間だというのを何となくだがさとってしまった。

きっと恋をすれば、恋人になれば、手を繋ぐ以上のこと、キス以上のことにもなれていかなくちゃいけないだろう。しなくちゃいけないんだろう。私にはどうもそれが出来ない。

手を繋げるのはおそらく家族と友人の範囲までだろう。他人の体温は生ぬるく、どうも落ち着けそうにない。キスも同じだ。映画ドラマアニメ漫画物語の中で交わされるそれはドラマチックだけれど、自分がすることを考えると鳥肌が立つ。

一人でいるのは気が楽だ。自分のことは自分で決めて、自分以外の何者にも振り回されないというのがすごく楽だ。

誰かの一番にはなれそうもないし、誰かを一番に思うこともなさそうだ。でも自分が一番楽ならそれでいいや。最近はそう思いながら、恋人がいないことに悩む二十代のふりをしている。

anond:20180318121338

こいつしか釣れなかった。

俺もまだまだこの程度。

いつか、もっと突っ込みどころのある、且つ妙に現実味のある増田を書いて、はてブを引っかき回してやる。

2018-03-16

好きな人がいた

3年くらいずっと片想いをしていた。馬鹿みたいに愚直にただひたすらその人だけを見ていた。声も仕草も優しさも誠実さも全てが眩しかった。叶うなら隣に立っていたかった。

あの頃、あの人のことを好きな私は自分のことが好きになれないままで、でもそんな自分を見てほしいなんてあまりにも我儘過ぎるから、だからちょっとでも自分コンプレックスをなくそうとした。歯並びが悪かったか矯正を始めて、メガネコンタクトに変えて、メイクも苦手だったけれど少しでも綺麗に見えるように頑張って、服装とか髪型とか見た目に気を配るようにした。今までそんなことに興味もなかったから私にとっては大きな進歩の一つで、そんなことをしている時間がいつのまにか楽しくなっていた。

そうしているうちに周りの人から最近綺麗になったね」って言われることが増えて、自分努力無駄じゃなかったんだなって嬉しくて、そして気付けば鏡で自分の顔を見るのが少しだけ怖くなくなっていた。自分ちょっとだけ自信が持てるようになった。

私はこれまで男の人と2人で出かけたことが一回もなかった。だから半年前、あの人から「一緒に飲みに行こう」って言われた時は嬉しかったし、初めて飲みに行った日のことを一生忘れないと思う。近況を話したりしただけだったのだけれど、とても幸せ尊い時間だった。それから月一ペースで2人で飲みに行くようになった。バレンタインチョコも渡した。あの人は嬉しそうに笑ってくれていた。

私はやっぱりあの人に好きだと伝えたかった。あの人と2人で飲みに行けて、たわいもないことを話して、そんなことができているだけでも十分幸せではあったのだけれど、ちゃんと好きだということをあの人に知ってほしかった。だからこの気持ちを出来るだけそのまま伝えようと決めて、手紙を書いた。

その日はいつもみたいにお互いの話をして、笑いあって、帰り際ちょっとしたプレゼントと一緒に手紙を渡した。その時触れたあの人の手は暖かくて、なぜか泣きそうになってしまった。好きだって最後まで言葉では言えないままだった。

次の日はどうしても落ち着かなくて、引かれたんじゃないかとか不安になりながら一日中そわそわしていた。そんな風に一日を過ごして、夜ようやく返事が来た。

「実はずっと片想いをしている人がいて、その人のことがどうしても好きです。こんな中途半端気持ちでは付き合えません。ごめんなさい。でも気持ちを伝えてくれて嬉しかったし、これからも大切な友人でいたいです。」と。

ああ振られたんだって頭では分かっていたけれど、まだ夢を見ているようでまるで現実味がなくて、頭が痛くて心は重くて喪失感が酷かった。何を失ったのかもよく分からないのに。ただただ涙を流していた。

どうして。私は最初から一人で何も失っていないはずなのに、ただあの人の恋人になれなかっただけなのに、どうしてこんなに辛くて悲しいのだろう。

それから何をしてもあの人のことばかり考えてしまいそうで、ただ好きな曲を聴いて好きなアニメを見て一人でカラオケに行って好きな歌を歌って、そして思い出したかのようにあの人から最後メッセージを眺めていた。今のうちに十分にあの人から言葉を受け止めておかないといけないような気がしていた。そんなことができるのは今しかないと思った。

そうして一週間近く経って、やっぱり私はあの人のことが好きだしすぐにどうこうできないけど、あの人が私を大切な友人だと言ってくれるのならばそれでもいいと思い始めていた。もう2度とあの人に好きだと言うことはないだろうしあの人の1番にはなれないけれど、それでもあの人にとっての大切な一人でいられるのならそうありたいと思った。だから

からもうこの想いは手放そうと思う。

大好きでした。あなたを好きになれて幸せでした。ありがとう

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